頭の中にパッとイメージが湧いた。
久しぶりに編み物をしている。
多分3、4年ぶり。
完成形に近付くよう、一目一目編み込んでいく。
編むは少し字が違うけど、「縫う」という字はよくその様子を表してると思う。
糸に(出)逢うと書いて「縫う」になる。
縫っている時、私はいつもいつも今出逢った!糸と針と布が三位一体になって出逢った!と思う。
編むも字は違えど、縫うと一緒で糸と糸とが出逢って新しいものが生まれる。
私がする手芸はいつも頭の中にイメージがあって、でも実際に作り終わらないとその完成図はわからない。
しょっちゅうイメージとは違うものができあがる。
それはそれでまた面白いし、その完成された唯一無二のものに出逢う瞬間も楽しみだったりする。
私は基本的に目標を立てるのもすごく苦手だし、目的に沿って何かを行うのも苦手だったりする。
20代の終わりにある研修を2ヶ月受けた。
その時毎週月曜の朝、その前の週の過ごし方や反省、そしてこれからの1週間に向けての目標みたいなのを書いて提出することが義務付けられていた。
毎回毎回ギリギリで、早くて日曜の夜、下手すると月曜の朝提出直前にざざっと書くということを毎週繰り返していた。
そこに何を書いたかは忘れたけれど、研修の最後に感想とかの類いを書く時に、その目標反省用紙なるものこそ本当に無駄で、私は自分が毎週どうしていたのかを書いて、こんな人もいるから止めるか本当に書きたい人だけに書かせたらいいと真面目に書いたことだけは覚えてる。
自分の意に沿わないことはとことん苦手なまま大人になってしまったけど、今してる編み物のように自分がやりたいことは何も言われなくても自発的に始めて自発的に時間を作ってする。
しかも目標設定も目的を考えるのも苦手な私が、ものすごくクリアにイメージを持って、そしてそのイメージ通りになるよう力を注いでる。
今朝も少しでも進めたくて、出勤前に10分ほど時間を割いて3段編み進めた。
今編んでるものは、いろんな意味や祈りを含んでいる。
それらがあるから、作る手にも力が入る。
ある用途を想定して作っている。
そこに思いが乗ると、単なる編み物じゃなくて、何か別のものになる。
そして自分のためじゃなくて、自分以外の大切な人に向けて贈る予定のものだから、一生懸命になる。
実は一度途中まで編んだけど、編み目の数が段によってバラバラではじっこがボコボコになった。
自分が使うならいいけれど、人に渡すものならよろしくない。
結局それはやめて、また1から新しく編み始めた。
今度は目の数を数えながら編んでる。
普段の編み物ならそんなことしない。
だけど、これは自分用じゃないから、きちんと几帳面に数を数えてる。
普段しないようなこともするわけだから、こういう時人の想いって強いなぁと思う。
特に面倒くさがりでナマケモノ体質の人からすると、想いひとつでここまでするんだから、本当にすごいなぁと思う。
完成は自分の誕生日までと思っていたけれど、それは少し無理があるから、今月中に…と思っている。
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