2020年9月28日月曜日

2020/09/27ー虹の空と心の空

2020/09/27 
虹の空




 「もどかしい」

これだ!と思った。

私は今の状況がもどかしいんだなと、言葉がポロッと出てきてようやく自分の気持ちがわかった。

9月のはじめくらいから3年前のことをポツリポツリと書いてみて、色んな感情が湧いた。

3年前に記録として残したノートも開いてみた。

3年経ったとは思えないくらい、当時のことが鮮明に自分の中に残っている。

1週間前、姪っ子含む妹夫婦が来た時に色んなことを思った。

その時のことはまた別の記事に下書きで書いているけれど(また途中のままアップしない可能性もあるけれど)、その時に思ったことはこの3年の間に一度も抱いたことないものだった。

相手から何の反応も連絡もないことに対して、「このまま繋がらないんだ」と思った。

私は時間の経過と共に、どういうわけかこのブログは読んでもらえてると知って、そしてそこからさらに「いつか本当にやりとりができる日がくるかもしれない」と真面目に信じた。

祈ったとか願ったみたいなレベルでも、本当にそのように思った。

だけど、3年という月日が流れて、「繋がらない選択」をその人はしたんだと、ものすごく冷静に思った。

これだけは私も確信しているけれど、その人と私とはとにかく何かしらこの世のものとは思えない強固で特殊な関係性があるんだと思う。

魂とか輪廻転生とかを使って説明したら初めて説明がつくもの、そういう類いのものだと思う。

ぶっ飛んだことも数々あったし、まるで作り話みたいなありえないこともたくさんあった。

あれは目に見えない引力みたいなのが働いているとしか思えない。

私の場合は自分の中も自分を取り巻く世界も、双方ですごいたくさんの変化や摩訶不思議なことが起こりまくった。

その人の中や世界ではどんなことが起こっていたか知らないけれど、少なくとも同じくらい影響があったと考えるなら、その人にとっても相当凄いことが色々あったんじゃないかと思う。

だから、もしかしたら日常やら非日常みたいな日常を綴っている私のこのブログは、答え合わせみたいな役割があったのかもしれない。

「へぇー、あいつのところはあんなヘンテコなことがある」っていうのを見るためだけに読んでるほど暇じゃないだろうから、時間割いてまで見る理由は他にもあったと思う。

けれど、だからと言って個人的に連絡を取り合うような関係は欲してない、そういうところが3年もするとものすごく輪郭が太くなって見えてくるようになった。

このよくわからない関係とも呼べない関係みたいなものは今後も継続する可能性はあっても、普通に連絡を取り合うとか電話するとか会ってごはん食べるとか、要は普通の知人レベルの関係みたいなものは今後も期待できない、それをなんだか強烈に感じた。

そして、今回ばかりはどういうわけか私も「もうそれはそれ、仕方ない」というような気持ちになっている。




話は変わるけれど、この間占星術講座の時のクラスメイトだったノムのゲイの恋人ミッチーのこの1年の星読みをした。

「ゲイの恋人」なんていちいち銘打って説明するのもおかしいけれど、「ノムの恋人」とだけ書くと情報が片手落ちみたいなところがあるから、わざとそうやって書いた。

ミッチーには誕生日プレゼントとして、星読みと使い勝手が良さそうな計量スプーンをプレゼントした。

ノムもいるもんだから、ノムはわざわざミッチーがプレゼントを開ける瞬間の写真や様子を文にしてLINEを送ってくれた。

ものすごく楽しいやりとりをミッチーとノムとできた。

今の私は滅多に星読みもしないし、誰かにプレゼントを用意することもないけれど、そういう1つ1つの準備が本当に楽しくて、こういう非日常的な日常は自分の心をすっかり満たしてくれる。

そして気兼ねなく誕生日プレゼントが用意できたり、自由に誕生日メッセージを書けることの素晴らしさを改めて思い知った。

ミッチーにはそうしたことが普通にできるのに、その人にはそういうのしたくてもできないんだなと思った。

しかも、ミッチーの宛名を書く時に、電話を何回かしたことがあるのにも関わらず、LINE電話ゆえに正式な電話番号を知らなかったことも今回初めて気付いた。

でも知らなくてもやりとりできてるから何にも困ってないし、電話番号以外の手段でいくらでもやりとりできてるから「大丈夫」って自信がある。

そういう特別なやりとりをする時に、「その人はそういうのを一切望んでいないんだな」っていうのをものすごく痛感する。

望まれていない自分、望まれていない個人的なやりとり…。

そういうことがやたらとクローズアップされた3年経過の今になっている。




書いても書いても反応がないから、もう十分やれることはやったからもういいかな…、と思い始めている自分がいる。

この先会うことも話すこともないなら、色んなことを割り切って考えたらいい。

私のブログにどんな意味があるのかはわからないけれど、読んでもらえることはこれからも良かったらどうぞ、と差し出すような気持ちだし、だからと言って相手の読む自由に対して何か反応してください、なんていうことを迫ることはしたくない。

自分が逆の立場ならそんなの迫られても困るし嫌だから、そっとしておいて欲しい。

とにかく、ブログのことと普通のやりとりをすることは切り離して考えた方が私が楽だし、変な期待や願いをそこにのせてしまうと自分がしんどいだけだから、もうそういうのは先は見えないわただただ悲しいわで本当にそれは嫌だと思うようになってきたから、これから先はいかに自分が無理がなくて少しでも心地よさを自分に与えられるかを軸にしようと思う。

当時の感覚もこの3年で起こった色んなことも私の中で変わらない不動のものとなったから、もうそれでいいんだと思う。

そして、魂のことや人生の設定やら、私が望むようには本当になっていない、そのように動いていかない現実を前に、私は良くも悪くもあきらめている。

たくさんのことを望んでいるわけじゃないのに、色々叶わない現実はとことん私を打ちのめしたし、それに執着すればするほど自分が超絶しんどくなる。

そういう現実なんだと受け入れていく方が実は自分が楽なんだとわかり始めて、私は望むよりも受け入れることを始めた。




妹たち家族を見ていて、私が欲しいのはそういうものだったなぁとつくづく感じた。

一度妹夫婦、姪っ子、私の4人で近くを散歩したことがあった。

3人にだけわかる合図なのか掛け声があって、それが指令されると妹と弟は繋いでいる姪っ子の手を上げて、姪っ子は宙ぶらりんみたいになる時があった。

写真はその瞬間をちょうど収めたものだった。

場所が変わっても、はたまた何日か会っていない時間があっても、その3人にだけわかるルールは健在していて、ずっと変わらずにある。

妹と姪っ子は先に新幹線と電車を乗り継いでやってきて、弟は後から車でやってきた。

車で来る時に妹は何を持ってきて欲しいとかを弟に頼んでいた。

それは姪っ子のおもちゃだったり薬だったりしたけれど、それは2人にしかわからない説明で「わかった」となるのがすごかった。

それこそが普段積み重ねている日常なんだと羨ましい気持ちで私は眺めていた。

弟が到着した日は、妹夫婦は弟の趣味の釣りに出かけて、姪っ子は面白くない釣りには見向きもせずジジババと3人で大きな公園巡りに出かけた。

私は家で1人ゆっくりとした。

家族が1つになったりはたまた別々に行動したり、実に自由な家族のルールが妹家族にはあった。

姪っ子もジジババと3人で出かけるのに慣れているから、そしてそちらの方が確実に自分のツボにハマる場所に連れて行ってもらえるから、喜んで出かけて行く。

この時だけは、両親<ジジババ、になる。




そういうごく当たり前のようなものと、その人と私との間に横たわるものは全然種類が違いすぎて、望むことさえ間違っている気がした。

そういうのを相手も望むなら今は違うだろうし、望まないからこそここまで徹底して関わらないことを選び続けているんだろう…、それが悲しいほど現実でリアルなことだった。

ノムやミッチーとの関係とも全然違うし、他の男友達との関係とも全然違う。

とにかく独特すぎる感じがその人と私との間にあるのが、それが対その人とのことではスタンダードなんだろうと思う。

一番烈しく印象を残す人には変わりないけれど、現実の距離は他の誰よりも遠いなぁと思う。

そして人間関係の距離は一方的に何とかできるものじゃないから、すべては為すがまま為されるがままにするしかできない。

自力で何とかできないものは、無理に扉を開けるんじゃなくて、開かなければ開かない扉を受け入れるしかない。




色々書いたけれども、私は今でもその人に心から感謝している。

その人に出逢わなかったのなら、私の人生はまるっと別モノになったと思う。

その人のいない世界に今もずっと自分が生きていたのなら、今の自分は本当に存在していなかった。

断言できる。

その人が私の人生に現れてくれたことで、私は自分の人生を生き直す機会に恵まれたと思っている。

自分の凍った心に熱をそっと吹き込んでもらって、見えていないものを見えるようにしてくれて(本人はもちろん無意識だと思う)、自分の中で封印していた様々なものがムクリと起き上がって、そして自分と自分の人生をどこまでも見つめた。

それは人生投げやりな自分がもう一度きちんと生きたい、という気持ちをものすごく自然に引き出してくれたのがその人だった。

私の毎日は、その人に会うためにあって、それだけが楽しみで毎日毎日生きていた。

明日(2020/09/28)仕事に行くのがかなり憂鬱で(なぜなら冷静になればなるほど、今担当している仕事が会社にとっての爆弾だと知って、それをまた派遣の立場で指摘して摘発するみたいなことをするのかと思うとひたすらやりたくない)、唯一の楽しみは仕事が終わったら期日前投票のために役所行くついでに駅の近くをプラプラすること、みたいな今とは全く違う。

3年前は何がなくても、とにかくその人に会えることが生きる活力でモチベーションだった。

生きるってこんなにシンプルなことなのかと超感動していた。

そして、その時に本当に全身全霊で理解できたんだと思う、何がなくても、何かしてなくても、本当に生きているそれだけで価値があるということ。

それは自分を見てそう思ったんじゃなくて、その人を見てそう思えた自分を知って、それで理解できたことだった。

私にとって、その人がイケメンで背が高くてスタイルが良くて良い会社に勤めていて安定していて…みたいないわゆる婚活市場で重要視されることには本気で興味がなかった。

私はそういう視点から言えば、その人など一番遠ざけたい、私からしたら何を相手にもされない人に自分を近づけなきゃいけないのか全く理解できない、そういうタイプの人だった。

これまで何度思ったか計り知れないけれど、魂系の人に出逢わせてくれるのなら身分相応な人にしてください、って数えきれないほど思った。

それか魂の目的らしく、外側のことに惑わされず自分の自己信頼と自己受容を推し進めなさい、という意味でわざと私が卑屈になりそうな人が送り込まれたんじゃないかとさえ思っている。

性格や心はそこまで悪くはないと思うけれど、私はそんなにも相手が「武士俣史子さんと知り合いでよかった!」などと思ってもらえるような価値はそうそうないわけで、せめて何か相手にプラスととらえてもらえるようなものを私にも授けてください、と思わずにはいられなかった。

それはそうと、そんなことも飛ぶくらいにその人に会える毎日は、キラキラしていた。

まさに細胞ごと取り替えの人生生き直しプロジェクトのようだった。

本当にこの人!という人に出逢えたのなら、本気で人生が変わる。

がんばらなくても、自然と生きる意欲が湧いてくる。

何か特別なことがなくても、しあわせを感じられるようになる。

生きている素晴らしさを実感する。

そして生きている者同士が同じ時代の同じ空間にいる奇跡に気付かされる。

そういう作用は自分1人の力で何とかするのは難しくて、その人がいてくれたからこそ私の場合は大きく変わった。

生きる楽しみや喜びをこれ以上ないくらいに与えてもらった。

本人はそんな気なくても、私には十分すぎるものをもらった。

だから本気で今でも感謝している。

そしてそういう人と出逢えて、なんかよくわからないけれどブログを手段みたくして何となく繋がりみたいなのが生まれて、でも何にもならない今という時が本当にもどかしい、というのが冒頭に書いたこと。




書いてて色々モヤモヤしたけれど、他にもっと書きたいこともある気がするけれど、とりあえず間を開けずにアップしよう。

本当に書く必要のあるものならまた後でいくらでも言葉は出てくるだろうし、気のせいならそのまま何もアップせずに終わると思う。

3年前の最後の日と同じ時間、私はのんびりと昼寝をしていた。

哀しみはなくなって、のんびりと昼寝できるくらいに自分は普通に元気なんだと知る。


2020年9月27日日曜日

㊱【おいせさん手帳】この時代の自由を思ふ




おいせさん手帳第36回目
担当:ノム

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


9月27日
挑戦のチャンスは、そこかしこに転がっています。
女性ドライバーの日

約100年前の本日、日本人女性初の自動車免許取得者が誕生しました。
現在では大型トラックの運転を女性がすることも珍しくありません。
時代は常に変化しています。そこには時代を切り開いた先人が必ずいます。
そんな先人にあやかり、今日は何か新しいことに挑戦してみませんか?
気になっていたお店に入る、いつもとは違う道で帰る。挑戦は冒険です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



安倍首相から菅首相に替わって、あの階段みたいなところで写真撮影した場面を見た時だったと思う。

私は「昭和みたいだな」と思った。

私はフェミニストでもないし、女性の社会進出や権利を主張する気持ちもない。

だけど、単純に男性ばかりで固められた、と言っても過言ではない状況を目の当たりにして、違和感を覚えた。

あの階段に立っている人たち、それは女性も含めて、どのくらいの人たちが醤油が切れたら家のどこに醤油の在庫があるとか、トイレットペーパーがなくなったらどこかに買いに行くなり取り寄せるなりすると思うけれど、今現在の1袋12ロールあたりの相場とか、ごく当たり前のことだけれど、生活する上で欠かせないものをどれだけ普通に自分のことや自分の家族のこととして知っているのかな…と思う。

もちろん、醤油やトイレットペーパーの管理が女の人の仕事でそういうことを男の人たちがしないなんてことは言わない。

そういう小さなことで生活は形作られているけれど、そして国民の大半はそういう些末なことみたいな日常を日々やっているのに、あの階段の人たちから出てきた言葉は綺麗な美辞麗句と、美辞麗句とは別の権力欲みたいな感じのものと、そういうことが第一印象として残ってしまうものだった。

女性もたくさん起用するべきだ!なんて言わないけれど、男性だけがあれだけ多いと、世の流れ、世界の流れに逆行してる風にしか見えない。




先日テレビか携帯ニュースで面白いものを見た。

私には衝撃的な感じだったけれど、今の若い子たちにはそういう風にとらえるんだ…と思ったこと。

就活する時に企業の何を見るかという点を若い男の子たちがこんな風に語っていた。

役職付きの女の人たちの割合を見ると言う。

もちろん職種にも寄るんだろうけれど、性差が大きく偏るみたいな仕事ではない限り、社内の男女のバランスを見るらしい。

男性ばかりで上が固められている会社は、今の若い子たち、それも女の子ではなく男の子たちから見て「変」に感じるらしい。

男性ばかりが上だと、昔からの昭和体質だとか、融通の利かなさとか、偏見まみれとか、体育系体質だとか、そういう負のものを感じてしまうとのこと。

女性の社会進出がある程度見える企業の方が、今の若者男子は安心感を覚えるらしい。

もちろんそんなの2人とか3人の若者の意見にしても、私からして超目からウロコだった。

その視点がすごくユニークで斬新だった。

当たり前の事にそのうちなっていくとは思うけれど、今のじいさんたちで構成されている永田町とは大違いだなと思った。

政権の批判でもないし、女の人たちの中には管理職とかそういう上のものに全く憧れない人が多いのも何かで読んだけれど、とにかくこれまで聞いたこともない話で、私の心の中でさわやかな風が吹いた。





ここまで色々と別のことを書いてしまったけれど、ふとメッセージの中にある『日本人女性初』という言葉を見て出てきた。

「女性初」という言葉はよく使われるけれど、「男性初」というのはあまり使われないように感じるのは私の気のせいじゃないと思う。

ちなみに、この性差について言えば、女側はわかりやすい悩みが社会全体でわりと認識されているけれど、男側はあまり認識されていないと感じる。

色んな人たちから話を聞く中で、男の人たちの方が社会の中で実はひっそりと傷ついていたり性的役割みたいなものに圧力や違和感を感じていたりする。

いつかそのことも書きたいなぁと思いながらずっと書けていないけれど、性差による悩みはこれから先もまだまだずっと社会の中に横たわるだろうし、多分だけれど、時代の流れの中で男性特有の悩みももっとクローズアップされてくるように思う。




色々書いたけれど、今は個人が自由に何でも選べるという意味で、かなり生きやすい時代だと思う。

戦争に出兵しなくてはいけないとかもなければ、女だからあきらめなさいみたいに制限されることも相当少なくなっている。

看護師は今じゃ男性でもなる人がけっこうな割合でいるけれど、私はとうとうこの間男性の栄養士をテレビで見た。

記憶が曖昧だけれど、たしか少し前まで栄養士の資格を取るための大学自体が女生徒だけにしか開かれてなかった気がする。

昔からもあったのかもだけど、とにかく◯◯は男の仕事、◯◯は女の仕事みたいなのがひと昔前に比べたらだいぶ変わってきたと思う。

仕事だけに限らず、色んなことを個人が自分の好きに選べる、それが当たり前になっている。

ノムの最後の言葉
「気になっていたお店に入る、いつもとは違う道で帰る。挑戦は冒険です。」
こういう小さな挑戦だけでも十分冒険になる。

そして小さな冒険は確実に自分の世界を広げてくれたり豊かにしてくれる。

それは何もお気に入りの店や場所の発見だけじゃなく、反対に嫌だと感じた経験だってそれが自分の好き嫌いに輪郭をもたらしてくれるから、その時は不服でも後々それを知ったことで得られたものが必ずついてくる。

これを書いている今、実際に初めてのお店に入っている。

写真だと美味しそうだけど、これがパスタもソースもイマイチだった(泣)。

でもよくよく考えたら、私がもしもっと前の時代に生まれていたのなら、「女」なのに車の免許を取って、「女」なのに車を持って、「女」が1人で外食なんかして、「女」が自分の意見を好き放題に言って…となったんだろうなぁと思う(苦笑)。

それを思うと、そういうことに違和感なく堂々としていられる今の時代は、本当に基本的な自由や人権が守られているんだなと思う。

(今回の話は決してノムの発言の揚げ足取りとか批判とかではなくて、私の単なる1個人の思いついたまま書いた散文)

小さな冒険パスタ
(見掛け倒し)

右側の中央辺りに彩雲
裸眼ではっきりと見える彩雲
だったけれど、
写真だとなぜか色ボケ

秋のさくら

2020年9月26日土曜日

社窓の窓ー秋のはじまり

2020.9.26
ずっとアップしようとしていたのに、姪っ子が来たり、なんだかバタバタして今になってしまった。

仕事の話。

相変わらず仕事はすごい形相を見せている。

今現在着手中のものは、最終的にどういう形に着地するか知らないけれど、会社の悪しき慣習がもろに出てしまっているものに当たってしまって、悪しき慣習の指摘はしないけれど、本気でありえない不具合については指摘をせざるを得ないところにきている。

昨日から始めて、本来なら既存の資料を使って、使えるものはそのまま転用して新規のところだけ私が英訳すれば良かった。

ところが、その本来参考にする既存の資料側にあれこれ不具合が見つかった。

社内資料くらいならどうでもいいけれど、客先にいくものなのに、それも単なる資料ではなく顧客側からすると重要度が相当高いものなのにそれに不具合がある。

とんでもないことに発展するんじゃないかと思う。

どうしてこういうおかしな案件ばかりに当たるのか相変わらずだけど、とにかくやれるだけのことはやってあとは会社の判断なのか天の采配なのかを待つ他ない。

そうしたことはいくらでもネタがあって、私は毎日書けそうなくらい何かあるけれど、それではなく、ずっと下書きに入っていたものをアップしようと思う。







2020.9.7
42歳になる年、突如降って湧いた正社員オファーの話の備忘録。

聞いた時からはっきりと答えはわかっていた。

引き受けないこと。

けっこう早い段階で辞めるイメージは難なく思い浮かぶし、むしろそれしか思い浮かばない感じではあったけれど、正社員を務める自分の姿は全く見えなかった。

仮に10年、なんなら3年でもいい、私が3年勤める姿さえどうやっても想像できなかった。

違うことをしてる自分が思い浮かぶとかはなくても、とにかく現状のところに居続ける自分は、あれから何度も想像しようと試みたけれど、一度として思い浮かばなかった。

単純に、話はものすごくありがたかった。

42歳のどこの骨の馬かもわからない、しかも派遣会社経由で会社に提出された私の職務経歴書のボロボロ加減と言ったらなかったけれど、それでも私を雇いたいと思ってもらえるのは本当にありがたいことだった。

無駄に立派な学歴も伏せられているし、職務経歴書だけを見るとかなり信用できない大人にしか見えないにも関わらず、そうやって声をかけてもらえたのは本当に嬉しかった。

もっと言うと、自分の力1本で勝負(してはないけれど)した結果だと思うと、さらに誇らしい。

自分の日々やっていることに対して、それで合ってますよと教えてもらえたみたいだった。

しかも相手は業界ではわりと大きなところらしく、全国各地から人を雇うような会社で、そんな大企業から声をかけてもらえる日が自分の人生にやってくるなんて想像さえしたことがなかった。

だから、本当の本当にありがたい話だった。




なんだけど、私はそれを引き受ける気持ちがない。

こんなこと言ったら怒られそうだけど、今の仕事は「通過点」という感じがする。

英訳がたしかに表面上の仕事だけど、内実は英訳とはかなり違うことをしている。

とにかく色んな人たちとコミュニケーションをとる。

そしてその相手は、いわゆるエリートと呼ばれる賢い人たちで、理系で、キレッキレの頭の持ち主ばかりと言ってもいい。







2020.9.17
これは9月7日に下書きして、その後違う記事をいくつかアップしているうちにそのまま今になった。

もう一度話し合いというか、私側が返事する時が設けられた。

私は最終的に、いつまで続けられるかわからないことは変わらないけれど、会社の業績次第で即刻切られる(内実を無視して一斉に派遣を切ることも過去にあったらしい)というのも部署として避けたいことは話を聞いてわかったから、いつ辞めるかもわからない私側の状態を踏まえてあとはどう雇用するかは会社の判断に任せたいと答えた。

とりあえず、次派遣の更新が提示されるなら、何もなければ更新する意向ですとも伝えた。

上司から、もし正社員となっても、武士俣さん側の事情が変わればそちらを選ぶってことですよね?と聞かれて、そうなった時は待ったなしだと思うのと、私は来たものについては選べないから来たものに向かっていくしかない、やりたいやりたくないということではなく、やらざるを得ないと思いますというようなことを伝えた。

その時に私が自分で自分の答えを聞いて思ったのは
「私に来るものは、例えば今の仕事であれば私でなくても他の人でもできることですが、私個人に来るものは私にしかできないことで、それは代わりの効かないものだからやらざるを得ないと思っています」
って自分でも覚悟してるんだなということ。

おこがましさ満載だけど、多分今のところにいるのは、今のところで一歩間違えたら会社全体として大きな問題に発展しそうなものや、仕事のプロセスと言えばいいのかわからないけれど、そういうものに対してメスを入れてるみたいなところがある。

大きな会社に対して派遣1人の力なんて見えないに等しいけれど、実際にお願いという名のブーブー文句を言って、かなり改善されたことも色々出てきた。

それが今の私のやるべきこと、ブーブー文句をいうことじゃなく、不具合なことを訴えてより良い方法にしてもらうことが会社にとって必要な気がする。

とにかく、先々のことは自分で決めれるのとは違うように私は感じているから、会社に一存するという答えになった。







この後に書かれているのは、同じく9月7日の時点で書いたもの。

時間が経つとより一層はっきりするけれど、最後に書いたことはその時は小さなことかと思っていたけれど、時間が経って実際に返事も終わってみたら、そのことだけが色濃く自分の中にあって、相変わらずだなぁと思いつつも、それが本当に自分の中で大事なことなんだとわかる。

私が思っている以上に大事なんだと思う。







最後に、一番関係ないことの心の機微の備忘録。

「一番関係ない」とは言ったけれど、本当は一番気にしてるからそういう反応をする自分がいるような気がする。

正社員で長くずっと勤めるとなった場合、◯◯さんはとはどうなってしまうんだろう…?、もっと物理的に会えなくなる…、そんなことを思った。

相変わらず頭の中はとんでもなくぶっ飛んだことを自動再生的に軽やかに想像していた。

相手の意志をまるっと無視できるのが想像だと思う。

普通に起こりうる可能性を想像してるのならまだしも、全くもって起こる気配もないものを私は想像していた。

単純に、ずっと新潟片田舎にいたら会えないと思った。

自分でこれ書いてても変なこと言ってるなと思うけれど、お願いしてもないのに勝手に想像は始まって、会えない状況は困ると思って、それは嫌だと思った。

さらにドン引き確定なことも、想像は暴走して出てきた。

私の正社員オファー話に反応してくれないかなぁと。

「えっ!?それは困る」とか思われたいとか、もう暴走はどこまでも暴走した、勝手に。←自分の思考回路だと思うと耐えられないから、魂の引力でそうなってることにしようと思う。最近覚えた技(笑)。社会的に都合の悪いことはすべて「魂のせい」にすること(苦笑)。

とにかく頭のネジが飛んだとしか思えないおかしな想像をあれこれ始めた自分を見て、相変わらずだなぁと思った。

あなたの人生に俺を巻き込まないでくださいとか思われかねないおかしな想像をして、これがもう自分だというあきらめと、何を私はそれこそ都合の良い起きることもないことを想像しているんだろう…?と思う自分もいた。

でも正社員になって身動きが取れなくなって会えなくなるのは困るな…と本気でおかしな思考回路ではあったけれど、はっきりとそれは思った。

冷静になればなるほど、どうしてそういうことをいきなり突拍子もなく私の頭は考えだすのか不思議でならない。

2020年9月24日木曜日

㉟【おいせさん手帳】星とノムのメッセージ




おいせさん手帳第35回目
担当:ノム

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

9月24日
自分が望む世界へ歩みを進める。
太陽が天秤座へ

よりバランスのとれた、美しい世界を求める天秤座の始まり。
人間関係を含むあらゆる環境に、新しい視野がもちこまれる時期です。
たとえば物の配置をほんの少し変えるだけで、目に入る情報は変わります。
言葉の伝え方を意識するだけで、人間関係も変化していくもの。
万里の道も一歩から。自分の望む世界へ、まず一歩踏みだしてみましょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆







先日提出したものを確認したところ目下は、以下の5つの星座について、
その星座の特徴にふれた原稿を書いています。

4/20 牡牛座 5/21 ふたご座 6/22 蟹座 11/14 さそり座 11/20 射手座

ぜんぶの星座についてふれるとしたら、以下の7星座のことを書かなきゃですね。

牡羊座、しし座、乙女座、天秤座、山羊座、水瓶座、魚座


で、提出しているもののように、その星座についてふれるとしたら、

1.太陽が、その星座に入るタイミング(いわゆる星占いの”何座”というのは太陽がその星座に入ることを意味します)
2.その星座の新月のタイミング(満月だと、太陽星座の反対側の星座の満月となります)
ex.牡羊座の時期の新月は「牡羊座」で、牡羊座の時期の満月は「天秤座」の満月になる。

という2つの時期が適当かなと思います。

現状ふれていない上記の7星座の、1or2のタイミングは以下になります。
1&2のずばりその日に書く必要はないかと思うので、
だいたい前後1日くらいのところで書ければいいかな、と思います。

*水瓶座のことを書く日

1/19 or 1/20 or 1/21 水瓶座に太陽が入るポイント
1/25 水瓶座の新月

*魚座のことを書く日

2/19 or 2/20 or 2/21  魚座に太陽が入るポイント
2/23 or 2/24 or 2/25 魚座の新月

*牡羊座のことを書く日

3/20 or 3/21 or 3/22 牡羊座に太陽が入るポイント
3/23 or 3/24 or 3/25 牡羊座の新月

*しし座のことを書く日

7/23 or 7/24 or 7/25 しし座に太陽が入るポイント
8/18 or 8/19 or 8/20 しし座の新月

*乙女座のことを書く日

8/23 or 8/24 or 8/25 乙女座に太陽が入るポイント
9/16 or 9/17 or 9/18 乙女座の新月

*天秤座のことを書く日

9/22 or 9/23 or 9/24 天秤座に太陽が入るポイント
10/16 or 10/17 or /10/18 天秤座の新月

*山羊座のことを書く日

12/21 or 12/22 or 12/23 山羊座に太陽が入るポイント
 (12/23は前回提出分で星のことを書いているので、実質21 or 22日に書く)
山羊座の新月は2019年の12月or2021年の1月にある

以上の日程から、ほかとのバランスをみていただき、
各星座より1日ずつ選んでいただけましたら、
それぞれの新月なのか太陽が入る日のことにふれた原稿を書きます。







上の文章は、ノムが編集担当のAさんに宛てたメールを私にも転送してくれたものだった。

今日のこの文章は、後から追加で書いてくださいと頼まれて書いたものの1つだった。

この文章のまんまなことをノムと私は当時やっていた。

星読み、それも西洋占星術という手法をおいせさんという日本古来の文化に組み込むなんて、本当に無理もいいところだった。

その無理が通るなんてノムも私も当初全く思っていなかった。

なのに結果的に通ることとなった。

そうやって生まれたことの1つが今日の文章になる。

こんなこと言っては怒られるけれど、最初に前の年のおいせさん手帳の見本が送られてきた時、メッセージの内容に私もノムも違和感を持った。

自分主体ではなく他力本願みたいなのが何か違う風に感じた。

もしくは情報だけ提供されて終わりみたいなスタイルにも、どうしても違和感を拭い去れなかった。

だから、星読みも星読みの情報だけで終わりにせず、星回りの情報にちなんでの自分にできることを書きたいね!となった。

今回なら天秤座の情報と、その天秤座ゆえの強みを軸に自分にできる何かをメッセージとしてノムは発信している。

当時は気付けなかったけれど、その頃からノム独自の強みが前面に出ていたんだなとわかる。

天秤座というキーワードから
「自分が望む世界へ歩みを進める。」
というメッセージを紡ぐのはこの世にノムしかいないように思う。

ノムの星読みの言葉は当時からすでに星たちから特殊なメッセージを受け取ってのメッセージだったんだなと今になって思う。







24日の朝目覚めてすぐに思いついたこと。

昨日ノムは久しぶりに私に突然のメールを送ってくれた。

内容は、私の星読みに始まって、他にも思いついたことをあれこれ書いて送ってくれた。

ノムが星読みをしてくれたおかげで、私はこの1年やここ数年のことが、「激動」の一言ではなくもっと他の見方ができるようになった。

そんなことを思いながら、そして上のすでに書いていた部分を読んでいた時に「あ!」となった。

これはノムだけじゃない、私にも当てはまるものかもしれない。

ノムと私がおいせさん手帳をやれることになった理由。

それも西洋占星術を入れたり、日本古来の神社仏閣の知識ゼロなのになぜか書かせてもらえた理由。

多分、ノムが書くもの、私が書くもの、2人それぞれのメッセージを見知らぬ誰かに届けることがとどのつまり必要だったのかもしれない。

上に書いた天秤座というキーワードから今日のようなメッセージを紡げるのはノムしかいない、というような部分を見て思った。

枠に囚われず、自由に発想して、もしかしたら発想しているようでそれは何か目に見えない存在や世界から託されてるものなのかもしれないけれど、いずれにせよそのメッセージを形にして誰かに届ける、そのことが大事だったのかもしれない。

これだけは自信がある。

ノムと私とが書いたメッセージは、決して今年1年に限ったことやその日1日に限定したことじゃない。

今日や今年だけじゃなく、未来永劫生き続けるような、一生の中で本当に針穴みたいな小さな大きさでも、生きていくヒントとなるようなものを書いて出した。

そっと心に寄り添うもの、心の深いところに届くもの、そういうものを目指して書いていたように思う。

例えば
「たとえば物の配置をほんの少し変えるだけで、目に入る情報は変わります。」
ならすぐにできる。

仕事のデスク周り、普段使う自宅の部屋の一角、それらを動かすだけで色々と景色が変わる。

当然目に入る情報が変わる。

そして目に入る情報から得られる何か別のものを自分自身に届けることができる。

そう、何か自分に向けて届けられるもののヒントを書いている。

それはただノムや私が書きたいから書いたとかではなく、書いて文字に起こすことで、それを他の誰かにもシェアすること、届けることが大事だったのかもしれない。




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ー追記ー
この間、おいせさん手帳シリーズの下書きを見ていたら、アップされているのに保存されていないものが見つかった。

よくよく見ると、第16回を2回使っていて、それで実は途中から回数がズレたことがわかった。

だからこれは35回目ではなく実質36回目になる。

ズレたことも意味があった、と前向きに捉えてこのままズレた回数でいこうかな…と思いつつ、とりあえずズレたことも書き残しておこうかな…とも思いつつ。

かなりどうでもいいことだけれど、とりあえず未来の自分への覚書として残そうと思う。

ノムが送ってくれたメールの中にあったフレーズにもそのような前向きな姿勢を応援してくれるものがあった。

【人生って、そういうちょっとおかしな、いたずらっぽいことがあるものだよね〜。】

私のは単純にそそっかしいというだけのくくりにもなり得るけれど、そうではなく「人生に起こるいたずらっぽいこと」ととらえると、これまた明るい世界が広がる感じがする。

言葉1つだなぁ、なんて思う。

最後にノムがどういう状況でその言葉を使ったかを紹介。

ノムに使っていいか確認していないけれど、ダメとは言わなさそうだから(。•̀ᴗ-)✧

そしてノムの話が何かのヒントになる人だっているだろうから、本人の許可なく勝手に掲載(笑)!

日常のありふれた場面で見つけた面白い発見のヒントになるかもしれない!







あ、昨日は秋分だったね。
ぼくの秋分は、特に変わりはなかったけど、
夜に「ゴッズ・オウン・カントリー」という映画を見てね、それがものすごくよかった。
ゲイの恋愛映画というか、ライフストーリーなんだけど、
これまでたくさん映画を観てきたけど、最もキュンとしたかもしれない。
別に、甘い恋愛とかじゃないんだけどね、
とても共感したというか、心に届いた。
だから何、という話ではないんだけど、
メモリアルなその日に、そういう世界に触れられて、ありがたかったなあ、と思った。

ちなみに、この映画は、付近のビデオ屋さんには置かれていなくて、
この頃通っている昭島という街のそこにもないはずだったんだけど、
ふとのぞいた、レジ前のワゴンセールの中にあって、びっくりして買った。
なんで、レンタルにはないのにセールにあるんだろう?って不思議だったけど、
人生って、そういうちょっとおかしな、いたずらっぽいことがあるものだよね〜。

2020年9月19日土曜日

乙女座新月翌日の有休記録

2020/09/18ー有休、妹の誕生日

今星乃珈琲店でミニパンケーキモーニングをしている。

WEB予約したら85番目で、それで2時間くらい待つみたいな内容だったから、急遽変更してモーニングになった。

近くに星乃珈琲があったはず!と思って赤信号の合間に調べたらそうだった。

それで今こうしてモーニングをしている。

実は前回の新潟お初の星乃珈琲モーニングは、意地悪おばさんたちの悪口大会で辟易として嫌な思い出だけが色濃く残った。

悪口の内容まで覚えている。

あるアラフォー近い知人女性がネコ好きの会みたいな、猫カフェ的な、そんなようなところに行って、元々口数少なめで端っこの方で誰とも打ち解けられずにいたら、彼女と同じようなポツリ男性がいて、そして2人で意気投合して付き合うようになったという話。

私なんかはその内容が羨ましすぎて、私は猫カフェじゃなくて何カフェに行けばそんな素敵な出会いに恵まれるんだろう?なんて思っていた。

なのにババア2人組は、そのことを揶揄して馬鹿にしたみたいなこと言ってて、それ聞いて逆に旦那に相手にしてもらえない中年ババアだなと勝手に推測した。(既婚者なのは話からわかった)

そんなことをやたらと色濃く覚えていて、今回もそうならどうしようかと思ったら、そんなことは全然なくてとても良い感じにモーニングができてる。

隣りには今80代と思しきおしゃれ夫婦がやってきた。

2人とも本当におしゃれな洋服を着ていて、静かな声でおしゃべりしている。

なんか良い感じ。




さっき車を運転していたら、母から珍しくラインがあって、妹と姪っ子が明日から帰ってくるらしい。

しかも連休最後は義理の弟もきて、1泊して翌日帰るとのこと。

ギャングはもうそろそろ5歳になる。

正月以来で、どんな風に進化したのか楽しみ。

そして、4日間引きこもりする気満々でいた私としては、そちらの予定が狂って残念(苦笑)。




さて、これから近くのBOOKOFFで占星術本のチェックして、それから皮膚科に行こうと思う。
10:48



ミニパンケーキモーニング

ananにあった中で気になったページ

「沈黙を好む人も音楽的な人」「いつでも爆音の中にいる人にだけ音楽センスがあるわけでは決してなく、沈黙の中で自分のリズムを養っている人もいるのかもしれない」
この部分が良くて写真に収めた。





11:43
今激混み皮膚科で順番を待っている。

さっきBOOKOFFに行ってびっくりポンな本との出会いがあった。

夢占い辞典的な分厚い本を見つけた。

今の仕事を始めてから眠りが浅くなって、毎晩いくつも夢を見るようになった。

それも色んな夢が出てくる。

それわかると面白いかも!と思って開いてみたら好感触。

ペンジュラムもYES。

値段は定価2500円くらいなのに191円!!!

初めて見た本だけど、それは占星術のサビアンシンボルでも使えそうな項目がたくさんあった。

気になって、自分の生まれた時のサビアンシンボルの1つ、「たいまつ」があってそれを見た。

たいまつの解釈は
【自分を暗闇から守り導いてくれるもの】
とあった。

一発で気に入って、そのままレジに持って行った。

レジのところには当初誰もいなくて、近くで品出しをしていた2人の店員さんが気付いて、そのうちの1人の女性の方がやってきた。

税込み210円で支払った後、少し顔を上げると、店員さんの名札が目に飛び込んできた。

まさかのまさかだった。

私の中で勝手にお守りにしている人と同じ苗字の人だった。

それはもう本当に驚いた。

たいまつのメッセージを見て買うことを決断したようなもので、そしてそのレジをしてくれた人がその人の苗字、何回も何回も心の中で思い浮かべた名前なんだから。

絶対に大丈夫!と確信できた。

車に入って、レシートで名前を確認したらさらなる驚き。

何百ページもある分厚い本の中の
【手紙】
のページのところにレシートは挟まれていた。

相変わらず、霊的なものというか魂的なものに行き着く時、その人が何かしらの形でサインとして現れる。

本人とは何ら関係ないかもしれない。

それでもそういう嬉しいことがある。




メールで順番が近付いたと入った。

クリニックに向かって車を走らせてすぐぐらい、左側に大きな看板が見えた。

【Re:birth】

ノムからの昨日の新月のメッセージを思い出した。

生まれ変わり。

この偶然に偶然が嬉しすぎる♡\(*ˊᗜˋ*)/♡
12:12






〜途中の写真の記録〜

パインラッシーがとってもおいしかった!

2年ぶりくらいのスープカレー

太陽のマークが気に入って写真撮影

雨の日の新潟駅前

妹夫婦の結婚の内祝いのお返しでもらった時計
10年選手

前は赤、今回は紺

新潟駅近くの繁華街に突如現れたひまわり

雨に濡れた秋のひまわり




16:54
明るいうちに、ぶどうやなしの産地で有名な町のジェラート屋さんに入った。

テレビで特集されていたのを一、二度見たことがあって、いつか行きたいと思っていた。

間が抜けているけれど、切開は無事終わって、スープカレーもバッチリと食べて、駅前で腕時計のベルトも交換して、次にTSUTAYAクーポンで買う本の下見もしてきて、そして雨の中びしょ濡れになりながらお気に入りの傘差して車に戻って、今は帰り道の途中。

桃味のジェラートは激ウマだった(๑´ڡ`๑)

次も絶対に寄ろうと思う!!!

朝から星乃珈琲でミニパンケーキモーニングして、スープカレー食べて、桃味のジェラート食べて、グルメレポーター並みの食を繰り広げてる。

明るいうちに帰りたいから、切開やらなんやらの話はまた今度。

そうそう。

TSUTAYAのオンライン会員が超お得で。

年に3回くらいだと思うけれど、500円クーポンが2ヶ月連続で発行されて、計千円分のクーポンかけることの年3回みたいな。

2500円以上で使えるから、毎回高額な占星術本を私は大型書店で中身を確認しておいて、あとはTSUTAYAクーポンが届くとそれ使って千円割引でいつも買ってる。

CDとかTSUTAYAオンラインで取扱があるなら基本なんでも適用できると思う。

面倒な手続きが何もないのにそのお得クーポンが毎回良くて、ここ2年とか3年毎回きれいに使っている。

今回も欲しい本をTSUTAYAオンラインで見ていたものがあって、でも中身見たことなくてどうしようかと思っていたら、新潟駅前のジュンク堂にその本があった!

自分が気になるページを数行読んで、買う!って即決した。

TSUTAYAの回し者じゃないけれど、興味ある人いたら会員登録したらいいよー!というお節介心を焼いてみた(笑)。

さあ残りの30キロ少し運転しよう!
17:09






19:45
さっきのジェラート屋さんの話で書きもれたもの。

お昼くらいに、ユーミンの「Helloマイフレンド」が聴きたい!と突然思った。

なんでHelloマイフレンドなのかはわからなかったけれど、今どうしても聞きたい!って思った。

もちろんすぐ聞けるわけもなく、とりあえず希望は希望として心にあったことだけはそのまま残った。

そうしたら、そのジェラート屋さんでなんと、Helloマイフレンドを洋楽風にカバーした歌が店内に流れていて、嬉しいよりも度肝を抜かれた。

私、何かと交信でもしているんだろうか!?と思ったくらいのシンクロ具合に驚いた。

ちょうど私の前に親娘風なお客さん2人組がいたから、その2人の注文を作っている間流れていて、きれいに最後まで聞くことができた。

カバーで英語だったから歌詞も歌声もユーミンではなかったけれど、メロディはHelloマイフレンドそのもので、大満足だった。

ということを書くつもりが、なぜかTSUTAYAのオンラインの宣伝なんかして、私の頭の中のとっ散らかり具合がわかる。
9/19  7:11




妹たちが2時間後にはやってくるから、今慌ててアップの準備をしている。

昨日皮膚科で、左手の親指の爪の異変も一緒に見てもらった。

爪の表皮が剥けたみたいな、変な感じになっている。

かれこれ8月からで、どうしたものかと思っていた。

水虫疑惑もネットで調べてあったけれども、よくよく画像を見ると違う。

そして他の指では起こらない。

なんだろう?と思っていた。

ちなみに得意のペンジュラムに聞くと、ストレスとかではなく「爪が何かメッセージを伝えようとしている」とのことだった。

先生がデカいゴーグル型の拡大鏡みたいなので見てくれると、水虫ではないとのこと。

先生が言った言葉はこんな風だった。

「爪を構成する組織に異変が起きてる」

様子見になって終わったけれども、なんか細胞とか組織がそれこそ入れ替わりみたいなことをしてるんだろうなぁと。

とても印象に残ったからその言葉をここに記しておこう。

これから起きて掃除( ̄∀ ̄;)。
9/19  7:17

2020年9月17日木曜日

乙女座の新月〜2020.9.17

久しぶりに新月の心のつれづれ。

占星術講座のクラスメイトだったノムから、今日が乙女座の新月だということを前の日に教えてもらった。

普段なら、「そうか」ぐらいで終わるものの、今回はふと思いついてホロスコープをチェックしてみた。

自分で出すのが面倒だから人の出した画像がないかと思って見たら、うんʕʘ‿ʘʔ!?

見た瞬間、まさかー!?と思ったけれど、2つ3つさっと見てもそう。

これは自分できちんと出そうと思って、時間調べてホロスコープサイトで出してみた。

こんな組合せ、一生に一度しかないかもしれない!!!!!、と思うような激レア具合だった。

今回の新月の星の配置は、私が生まれた時の星の配置に随所随所が似ている。

360通りの角度がある中で、その中のいくつかがピッタリに等しいくらいに重なるってすごいこと。

あまりにビックリしたから、スクリーンショットを撮ってノムに送った。




ノムからこんな素敵な返信をもらった。

【新月のホロスコープすごすぎではない? パっと「生まれ変わり」って浮かんだ。新月だしね。そして乙女座だからさ、個人の完成のサインでしょう? そこにネイタルがピタリとなると、今日で武士俣史子さんが完成、完了して、今夜からニュー武士俣史子さんになるんじゃない?】



自分はどうであっても変わらない、自分の価値は何をしたからもしくは何をしなかったからということで変わるものじゃない。

どうであっても大丈夫。

それが本当の本当に腑に落ち始めてきた。

誰かに愛されるから、誰かに評価されるから、誰かに認められるから価値があるわけじゃない。

誰に愛されなくても、評価されなくても、認められなくても、なんなら酷評されても、それでも自分は大丈夫、本気でそれを信じられるようになった。

とにかく自分でいること、自分のペースを大事にすること、自分との関係を何よりも最優先にして大切にするように心がけたら、本当に世界に魔法がかかったみたいにずいぶんと生きやすくなった。

悲願の専業主婦になれたのでもなければ、やりたいことを日々やってるのでもなければ、会いたい人に会える毎日でもなければ、色々不具合やすったもんだはゴロゴロ転がりまくっているけれど、それでも大丈夫と思えている自分がいる。

とにかく自分であり続けること、自分を極めること、そこだけに重点を置いての今になる。

私自身は何ら変わっていないけれど、とにかく気持ちがずいぶんと明るい方になってきた。

最近は生きてることに疑問を持たずに日々過ごせてるだけで、スーパー御の字だと思っている。

何かしているとたしかに安心するし、とりあえず生きてる意味があるみたいに思わせてもらえる。

でも、本当は何もしていなくても、生きてるだけで十分なんだと最近はよく思う。

目標を持ったり何かに向かって精進することも大切だしすごいことだと思うけれども、反対に何もしてない何にもなっていない自分を、もしくは色々ダメすぎる自分を全身で受け止められることの方が何億倍もすごいことだと今は思っている。



とかいう素敵な良いことを書きながら、明日の通院が色々心配でそちらが気になる(苦笑)。

背中の中央辺りにできたものを取り除いてもらうために、明日有休を取って遠くの皮膚科に通院する。

部分麻酔も初体験で心配ではあるけれど、そもそも場所が場所なだけに上半身裸で処置をしてもらうんだろうか?とか、どんな格好で処置されるんだろうか?とか、そちらの方があれこれ気になっている。

場所を調べたら、なんとずっと行ってみたかったスープカレー屋さんが近くと知って、明日はそこでランチをしようと思う。

それだけを楽しみに明日の通院はなんとかやりきる。

数年来の懸念事項だった皮膚のことが明日解決すると思うと、心は軽やかになる。

もはや新月でもなんでもない話だけれど、とりあえず少しでも感じたことをブログに残しておきたかった。

2020年9月13日日曜日

㉞【おいせさん手帳】ひと粒のお米が届くまで



大きな建物が米の倉庫



農家さんが運んできた稲刈りした米のコンテナ





おいせさん手帳第34回目
担当:私

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

9月13日

一粒のお米があなたに届くまで。
稲刈りの時期。

炊きたての新米は、自然の力と人の力とが協働して初めて食卓に届きます。春先に新緑色の小さな苗たちは田んぼに植えられ、秋には黄金色の稲穂に実り、そしてそこから様々な人たちの手を借りて、私たちの元へ届きます。自然でも人でも、何か1つ狂ったのならお米は届かなかったことでしょう。自然の恵みと人々の力があってのお米だということを忘れずにいたいものです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



これも思い入れの深いメッセージの1つ。

色んな仕事をしてきたけれど、去年1ヶ月と少しだけ行ってきた米の仕事は、本当にものすごく強く印象に残ったし、過去最高に癒された職場でもあった。

そこに行かなければ上のメッセージは絶対に生まれなかったし、ひと粒の米に想いを馳せるくらいの出会いにも恵まれなかったと思う。

ちょうど米の仕事をしていたかたわらで、1年前の私はおいせさん手帳のメッセージを書いていた。

雨の日と米を受領して保管するまでのプロセスを担う巨大機械の休みの日が私の休みの日だった。

その時にメッセージを書いたりノムと史上最高に楽しい打ち合わせという名のおしゃべりをしていた。

本当に夢のような時間だった。




新潟県民あるあるかは知らないけれど、うちの家は昔から農家の人から直接お米を買っているから、スーパーや米屋で米を買う通常の流通ルートを知らない。

1年前に行った米の仕事の場所は、市場に出回るものが主たるもので、それに登録している地元農家さんが稲刈りの後お米を持ってきて、それを精米したり貯蔵したりする施設だった。

全国的にもかなり珍しいタイプの方式を採用してるとかで、今でも見学の人が県内外から来るし、稼働率は全国1だったかかなり上位に入るだったか、後からそのようなことを教えてもらった。

そこに行ってまずビックリしたのは、稲刈りというのは天気を見てやるものかと思っていたら、農協管理下のものになると事前予約が必要なようで、ある程度の収穫の時期を見越してあらかじめいついつにやりますと申告してやるようだった。

だけど天気相手だから、当然予約した日が晴れならいいけれど、大雨だと延期になる。

延期になったらまた別の日で調整しないといけなくて、天気が良いから今日に変えたいなんて電話も時々あったけれど、予約がいっぱいだとしょっちゅう断られていた。

今は兼業農家の方が多いからどうしても土日の週末に予約は集中する。

各農家さんはコンテナを借りて、そのコンテナに刈ったもみ殻ごと付けたままの米を入れて運んでくる。

ところがみんなが集中する日は、機械のペースがあるのとコンテナも色んな工程を経て空になったものがないと新たな空コンテナを田んぼに持ち帰れないから、そのダブル待ちでものすごい行列になった。

普通に2時間待ちとかになっていた。

そうしたすごい行列の日、私はひたすら農家さんの受付と誘導をしていたけれど、何が驚いたって、誰一人待っている間に怒らないこと。

何十人の農家さんを相手にしたと思うけれど、とにかく誰一人怒らない。

みんな仕方ないと苦笑いしたり豪快に笑ったり天気の話をするくらいのテンションで言って終わりだった。

今の世の中で少しでも遅かったり待たされたりするとイライラする人がけっこうな数でいる中で、全く意に問わない人たちもいることに心底驚いた。

自然相手だから仕方ないと思っているのか、とにかく肝の座り方が半端なかったし、人間ができてるんだなと大真面目に思った。

どの人もみんな心が広くて自然の流れに身を任せていて、ヤキモキしてないのが凄かった。

そして、そんな風にしてみんなで力を合わせてやって、その後の流通経路にのることもその時初めて知った。

私は繁忙期にしか行かなかったからその後のことは知らないけれど、その後も様々な後処理があって、それら全部が終わって初めて市場に出回るようだった。

稲の種を植える人がいて、それを田植えして、田植えした後も色々と春夏と世話をして、そして秋になったら収穫して、そして今度はそれを市場に出す人たちがいて、その後初めて一般消費者の手に入る算段が整う。

こんなにも技術が発展しても、米はまだまだたくさんの人の手を借りないと私たち一般市民の食卓には届かない。

本当に小さな、でも手間暇がものすごくかかるところはすべて人の手を介す。

人の手なくしては、普通に私たちはお米を食べれないんだとわかった。

大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、自分の命というのは、そういう色んな人たちに支えられて初めて成り立つものだと深く実感することができた。




米の仕事で仲良くなったヨシダさんから夏の始まりくらいの時に野菜をもらった。

その少し前にももらって、ヨシダさんに「本当においしかった!!」と言った。

その時ヨシダさんは
「おいしいって言ってもらうのが一番だな」
と言っていた。

なんてシンプルなんだろうと思った。

ヨシダさんというのは並外れた知識と発想を持っている人で、実際に今では誰も取得できないと言われる農業界の特許的なものも毎年ずっと試験をパスして持っている。

本気ですごい人なのに、全然飾らない。

ましてやそんなすごいことも鼻にかけないし、私は色んなやりとりを経て知り得たけれど、普段のヨシダさんはそんなことおくびにも出さない。

でもそんなすごい業績や専門技術を持っていても、そういうことではなく、自分の丹精込めて作ったものをおいしいと言ってもらえる、そのことが何よりも1番だと言う。

本当に敵わないなぁと思う。





1年前からずっと下書きに入っていて、あれよあれよという間に今になってしまったけれど、いつか落ち着いたタイミングでアップしたいことがある。

1年前、米の仕事に行って、私にとっての心の傷の向き合い方が180度変わった。

それまでずっとずっと、傷は癒すものだと思っていたし、それこそが生きやすくなる術だとばかり思っていた。

でも米の仕事で色んなことに触れて、色んな人たちと笑い合う時間をもらって、そして気付いた。

もう傷は癒さなくていいこと。

代わりに、傷と共存していくあり方を探そうと思った。

残りの人生で躍起になって傷を消さなくてもいい、癒し切らなくてもいい。

でもその傷と共に生きていく、自分が受け入れられる形にして共に生きていく、それでいい、ようやくそんな風に思えた。

それは私にものすごく大きな癒しをもたらしたし、そして自分の心の大きな転換点にもなった。

だからなのか、単に本当に楽しかったからなのか、今も米の仕事のことはよく思い出す。

そして「今ごろ受付してるかな?」とか「突然雨が降ってきて、みんな大慌てで中に入ったかな?」とか「今ごろみんなでおせんべい食べてるかな?」とか、とにかく色々思い出す。

そこに行かせてもらえて本当に良かったし、もう二度とそこに行くことはなくても、生涯大切にするものをたくさん分け与えてもらえた。

ひと粒のお米が届くまでの現場は、素晴らしい人生の教えに満ち溢れていた。

2020年9月11日金曜日

㉝【おいせさん手帳】愛を思い出す日


2020.9.11 日が昇る前

2020.9.11 朝の太陽

2020.9.11 同じ時間の空

2020.9.11 朝出勤前の空

2020.9.11 朝の青空に白い月



おいせさん手帳第33回目
担当:私

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

9月11日

忘れられないほど大切な誰かや何かに出逢ったあなたへ。
愛を思い出す日。

忘れられないことがあるのなら、自分の人生の終わりを想像してみましょう。それはどんな形になっていることでしょう。忘れられないものの形が自由自在に変わっていくことを、もしくは変わらないことを、どちらにしても自分の心にフィットする形が見つかるように祈りましょう。そして、少なくとも今まで向き合い続けた自分を心よりねぎらいましょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




この話はまるで911を思い浮かべて書いたみたいに見えるけれど、実際の基(もと)となったストーリーは全然違う。

そしてこの記事だけが唯一その人を思い浮かべて、その人とのワンシーンを組み込んで書いたものだった。
9/5 6:55




1年前おいせさん手帳のメッセージを書いていた自分にこのことを教えてあげたい。

きちんとこのことをカミングアウトできる機会に恵まれるよ、と。

冒頭に書いた通り、このメッセージだけが唯一おいせさん手帳のメッセージの中でその人を思い浮かべてその人にまつわることを書いたものだった。

だけどそんなことは私1人しか知らなくて、その人が知ることなんて絶対にないと思ったし、ましてやそのことをブログに書くなんてのも想像さえしていなかった。

今日のこの分について書くためにずっとおいせさん手帳のメッセージを担当した日についてブログをしたためたわけではないから、この話は半永久的に私の中だけに残る思い出として終わると思っていた。

一緒にやったノムにもこれは話さなかったし、本気で自分1人だけが墓場に持っていくものだと信じて疑わなかった。

だからまさか1年後の自分が当時のことを口にするなんて想像もしていなかった。




どちらが先かは覚えていない。

その人にまつわる話もメッセージとして書きたいと思って入れたのか、自分が9月11日を担当すると決まってそれで当時のことを書こうと思い立ったのか、どちらかは忘れた。

前者の気持ちはやることが決まった最初からあったようにも思うけれど、そんなにタイミングよく日にちとその人にまつわるエピソードがマッチするとも限らないから、それはどこか宝くじみたいな、神のみぞ知るの域だった。

ノムと日にちを分けて正式に9月11日を担当すると決まってから、念のためノートを開いて確認したことはなんとなく記憶に残っている。

やっぱりそうだった。

9月11日はその人に手紙を渡した日だった。

そのことを書く、とすぐに決まった。

そして書いた時に、それを見て911のことを想像する人がいてもその人のことを想像する人は誰も絶対にいないと確信していたから、私は自由に書くことにした。

そして本人も目にすることなんてないだろうから、もっと好きに書けると思った。

もし、
その人が私のブログを見て、
私がおいせさん手帳の制作に関わったと知って、
Amazonとかで手帳を注文してくれて、
その日の部分を読んでくれたとして(366分の1)…

そんな現実起こる確率の方がどう考えてもゼロで、ましてや上に書いたことが本当に起こったとしても、今日という日のメッセージを見て「俺のことが書かれている」などと思うのか!?なんて考えたら、「うん。絶対にない!」と確信までした。

だからこのことを今回カミングアウトできるなんて、夢にさえ思わなかった出来事だった。

しかも私が、おいせさん手帳のノムや私が担当した日の内容について何かしら文章を書き添えてブログで紹介する案なんて実際に書いていた時は思いつきもしなかったわけで、現物が届いてしばらくしてから「それしてみよう!」って軽いノリで始めた。

さらに、今回はここ数日その人が目の前にいた3年前と今とを織り交ぜた文章をブログに書いている。

最初のものを数日前に書いた時に、「おいせさん手帳の話(9月11日のエピソード)に繋がっていく(♡´艸`)♡」と1人でこの連動具合に超テンションが上がった。

それこそそんなの1年前のおいせさん手帳制作のかたわらで思いつくわけもなく、まさか1年後の自分が当時を回想してブログをアップするなんて思ってもなかったから、これら全てのコラボレーションに歓喜している。

なんだか嬉しい。

本当に嬉しい。





3年前私はその人に手書きの長い手紙を渡した。

異動で3週間くらいのうちにいなくなると知って、時間が欲しいと言ってみたけれど、もう全く相手にされないから、もうきっぱりとこの件からは手を引こうと思った。

だから手紙の手の字もなかったし、色々撃沈していたけれど、撃沈したまま週末を適当に過ごすつもりでいた。

なのに、本当に突然スイッチが入った。

手紙を書きたい!というノリよりも、書かなきゃいけない!、絶対に今何が何でも書いて伝えなきゃいけない、そういう気持ちだった。

ちなみに「伝えなきゃ」というのも、気持ちとか愛の告白的な意味じゃなくて、何か底から湧き上がるものに突き動かされて、言葉で伝えられるありとあらゆるものをとにかく見える形にしなきゃいけない、何を書くつもりなのかもわからなかったけれど、とにかく手を動かして書かなきゃいけないと思った。

このブログの何十倍と起承転結のない手紙が仕上がった。

今も手元に下書きがあるけれど、本当に相変わらずつかみどころのない、これは何なの?と自らも確認したくなるような代物をその人に勝手に押し付けてきた。

その手紙も本人はどうしたのかベールに包まれたまま、そして今現在に至っている。





さっきシャワーを浴びている時に、どうして私の今日のメッセージがその言葉になったのかが浮かんできた。

1年越しにようやく自分の気持ちがわかった。

そんな気持ちになった。

私は自分が手紙を書いて渡したことを、せめて自分の中ではそれで良かったんだとしたい気持ちがある。

相手に頼まれて書いたのでは絶対にない。

迷惑行為ってすなわち私のこういう行為を指すんだろうと思った。

完全に私のわがままで自分勝手な行動で、その時は自分のことに手一杯で、相手がどう思うとかどう取るとか、そんなの考える余裕もなかった。

やらない後悔よりもやって後悔の方がいいというのともかなり違っていたことに今日今さら気付いた。

私は今でも何が正解だったのかはわからない。

私は自分の押し付け行為が良かったとは正直今も多分心の奥底ではそうだとは思ってないし、そんな風には思えない。

押し付けや自分勝手なふるまいに対して、そうした自分に対して「それで大丈夫だよ」と自分に言いたいんだと思った。

迷惑にしかならないだろう手紙を渡すというのは、とんでもなく勇気の要ることだった。

自分がものすごい暴走していることも、相手からありがたがられるなんてまずなくて、完全に自分の気持ち1つだけで動いていることも、色んなことが自分の中で消化不良だった。

手紙を渡すことも、実際には勢いだけで動いていたけれども、そうすることも何もしないこととは別の後悔が最初からあった。

その行為が良いことだなんて私は本気で思えなくて、だけどじゃあ何も言わずこのままにしておくのもそれもそれでダメで、どちらにしても究極のところ100%の納得は全くなかった。

2つを天秤にかけて、それでより後悔の少なさそうな方を選んだとしか言いようがない。

手紙を渡すことそのものも、私にとっては良いと思えない、後悔の対象だったんだと今ごろ気付いた。

自分の中でも色んなことが整理できず言葉にできず、かなり悶々としていた。

それを自分の勝手で形にして、そして相手にも相手の意志を全部無視して押し付けてきた。

自分の中で「これで良かったんだよ」と強制的に思わせようとしてきたけれど、本当のところはどこかでいつも引っかかっていた。

そうするしか思いつかなかったのと、言葉にできないすごい力に突き動かされた感じで動いていたのと、何もかも抑制するなんてできなかったところもあったけれど、「良い」と思って選んでいたのとは100%違っていた。

だから、動いたことに対しても私は後悔に似た気持ちを最初から持っていたんだと思う。





上に書いたことを思い出した時、実際のメッセージとタイトルのことも思い出した。


「忘れられないほど大切な誰かや何かに出逢ったあなたへ。
愛を思い出す日。

忘れられないことがあるのなら、自分の人生の終わりを想像してみましょう。それはどんな形になっていることでしょう。忘れられないものの形が自由自在に変わっていくことを、もしくは変わらないことを、どちらにしても自分の心にフィットする形が見つかるように祈りましょう。そして、少なくとも今まで向き合い続けた自分を心よりねぎらいましょう。」


メッセージとタイトルには差があって、メッセージの方には自分を励ますようなことを書いていて、タイトルにはメッセージとは違う内容の言葉を付けている。

思い出したのはこうだった。

当初メッセージだけをお願いされていて、メッセージだけを自分の担当した日にち分書き上げた。

それが後からタイトルとサブタイトルも書いてくださいと頼まれて、それでメッセージの後にタイトルとサブタイトルを付けた。

メッセージは上に書いたように、それを選んだ自分のことを、そしてどんな形に収束したとしてもそれに向き合う自分に、それで良いんだよと言いたくて書いたのが本当の真相かなと思う。

あれは本当に自分に向けた究極のメッセージだった。

死ぬその時まで多分私は手紙の事をどこかで気にしたままな気がした。

今生その人にもう二度と会えなくても、手紙は別枠で私の中で気になってしまうことなんじゃないのかな…と思った。

手紙に対して、手紙を渡したことに対して、色んな気持ちがそれまでに湧くことは簡単に想像がついた。

その中には、なんとなく「それで良かったんだよ」と無理に自分に思い込ませるような自分もあった。

渡さない方が良かったとは思わないにしても、渡して良かったとはならない気もしていた。

だけど死ぬ間際になったら、それがどんな形として自分の中にあっても、それで良かったと自分に言いたいし、そしてそこまでよくがんばったと自分を労いたい、そういう思いがあった。

相手のことは自分じゃどうにもできないから、せめて自分の心の落とし前だけは付けておきたい、そんな気持ちで書いていた。

そのメッセージに後日タイトルを付けるとなって、どうしたらいいかなと考えた時間のことを思い出した。

忘れられないほど大切な誰かや何かに出逢ったあなたへ。
愛を思い出す日。

「忘れられないほど大切な誰か」

もちろんそれはその人のことだった。

「大切な誰かに出逢ったあなたへ」ではなく、「忘れられないほど大切な誰かに出逢ったあなたへ」にしたのは、もちろん「忘れられない」に重きを置いたから。

その人は大切なだけじゃない。

忘れられない人なんだと、それは簡単に想像がついた。

もう二度と人生が交わらなくても、もう二度と会うことはなくても、状況がどうだということに関係なく「忘れられない人」なんだというのはすぐにわかった。

だから「忘れられないほど」とわざと付けた。

「愛を思い出す日」は911を連想するだろうことを見込んで、わざとはぐらかした。

もしその人との出逢いから終わりまですべてを要約して言葉にするとするなら、愛が一番近い気がした。

誰かのことを大切に想う、そしてそう思っている自分のことや自分の気持ちも大切に扱う、愛なんて言ってもイマイチつかみどころがないけれど、それは1つの愛の形なんじゃないかなと思う。

「思い出す」としなくてもいつもそばにある感じはしたけれど、他に言葉が思い付けなかったのと、あえて意図的に思い出すことをするのも大事なプロセスのような気がしたから「愛を思い出す日」にした。

はぐらかしたとは言ったけれど、フィット感のある言葉で、これ以上ないくらいピッタリな感じがしている。

そんなことを思い浮かべながら付けたタイトルとサブタイトルだった。





ブログはチェックしてくれると知った今も、私は手紙のことはその人の目にどう映っているのかを知らない。

もしかしたら私が思ってもいない形でうんと大事にしてくれてるのかもしれないし、反対にどう扱っていいかわからないままそのままになっているのかもしれない。

答えはその人しか知らない。

私からは見えないけれど、あの日押し付けられた瞬間から、その人の方にも手紙のストーリーが始まっている。

そのストーリーは私側は何も知らないけれど、今日のこのブログを通じて「手紙」が実はこのメッセージの裏側にあったことをお互いの共通認識で持てたのなら素敵だなと思う。

2人だけの秘密なんて言われたら嫌かもしれないけれど、本当に2人だけが知ることを1つ持てるのは嬉しい。

1年前、まさに今ごろおいせさん手帳のメッセージを書いていたわけだけど、その時に今日という未来は想像できなかった。

まさか今日のメッセージの主人公となるその人に、実はそういうメッセージだったんだよとか、その人を思い浮かべて書いたことなんだよとか、そんなことを伝えられるとは思ってもみなかった。

余談だけれど、おいせさん手帳は来年もどうやら出るらしい。

それこそ10日に知った。

今年は来年用のメッセージを書いてくださいという依頼は来ていない。

そう、1年前の今だけが本当に特別にそれができる状況にあって、あれはたった一度だけのものすごい特別な機会だったんだと知った。

だからこんな風においせさん手帳のことをノムや私が担当した日のものを紹介してエピソードを添えてブログにアップするのは今年が最初で最後になる。

そして上手い具合に、その人はブログをチェックしてくれていて、こんな風に伝えられるのもすごい偶然がいくつも重なって初めて可能となることなんだと感慨深い。

そういうのを「奇跡」って呼ぶんだと思う。





書いてるとキリがないから、続編というか番外編的なことは近いうちに書いてアップしたいなと思う。

今回もう1つだけ特別だなと思うのが、今回がおいせさん手帳ブログ第33回目だということ。

ゾロ目でスピリチュアル的な定義ではマスターナンバーと呼ばれる特別な意味を持つ数字だったりするけれど、その数字の回にこの記事を書けるのもとても嬉しい。

なんとなく縁起が良い感じがする。

だからって何が起こるわけでもないけれど、こういうタイミングの良さは今も3年前も変わらずに嬉しい。

もう1つ。

自分で今回書いてて気付いたけれど、私は「嬉しい」って自分が書く文章の中にはほとんど書かない。

特にその人とのエピソードの中では、ほとんど使ったことないんじゃないかとさえ思う。

そんな中、今回はかなりたくさん「嬉しい」と書いた気がする。

それもとても自然な感じで。

昨日(書いているうちに12日になった)が手紙押し付けられた日だな、なんてその人が思い出すことはなくても、そういうタイミングだったり、見えないところでは1年前からこんな風に用意されてたんだよと伝えられるのが嬉しい。

昨日は普通の金曜日で、週末迎えられることに安堵していたくらいで終わったかもしれないけれど、私の中では特別な1日だった。

特別な人に宛てた特別な手紙を押し付けることができた、そういう特別な思い出が詰まっている日だった。

2017年の9月11日の朝の9時になる少し前、奇跡的にその人と私としかその場にいないという1分にも満たないような時間に、私はささっとその人が座っている机の上に味気ない茶封筒を置いた。

何にも反応はなかったけれど、誰がどう見ても自分に向けられた物だというのはその人だって絶対にわかるように一言声をかけてポンと机の角に置いた。

怖くてその後その人の机を見れなかった。

翌日、とりあえず机の上には茶封筒がなかったから、持ち帰ったなり捨てたなりしたんだろうと思った。

もう過去にも戻れないし、そのシーンをドラマの撮影みたいにやり直すこともない。

だからこそ、そこの場面をいつかの死ぬ時の死に際にいる時は、「これで本当に良かったんだ」と思って死にたい。

そういう想いを込めて書いた9月11日のおいせさん手帳のメッセージだった。




写真は、当初使う予定だった封筒。
これじゃ目立って仕方ないから、茶封筒で正解だったなぁと後から気付いた。


2020年9月10日木曜日

9月8日のちょびっと回想

3年前シリーズ。

今日の振り返り9月8日編。

この日は下で整理整頓をしていたその人をつかまえて、時間が欲しいと言った日だった。

転勤の話をNさんから聞きましたと切り出した時、「だから何?」とでも言わんばかりの反応が返ってきて、ひるみそうだったけれど、そのまま続けた。

そもそも私がやってきたことも想定外だっただろうし、私ももはや何がどうなってそんなことをしているのか!?状態だった。

細かいことはどこかに書いたからもう書かないけれど、その辺りから私も私でかなり変な動きをいくつも続けた。

即刻断られて、私もわけもわからずたしか「ごめんなさい」とか口走って、逃げるようにその場を去ったと思う。

覚えているのは、その人が「すみません」じゃなくて「ごめんなさい」と言ってくれたこと、そして私の方を見ながら伝えてくれたこと。

「すみません」ではなく「ごめんなさい」と言われたことは良かった。

公人ではなく個人として扱われたみたいで、それだけは唯一救われた。

もちろん私は個人的な話をしに行ったわけだけど、そもそも個人的なやりとりが一切なかったから、どんな風に返されても仕方のないことを私はやっていた。

だからすみませんじゃなくて「ごめんなさい」にほんの少しだけ救われたのとは違うけれど、対個人としての返事で良かったな…と思った。

実際には、イケメンだから断るのも慣れているんだろうなぁと思う方が強かった。

私は超勇気振り絞って話しかけに行ったけれど、イケメンのその人にとっては特段珍しいことでもないのかもしれないな…なんて思った。

今書いてて初めて気付いたことだけれど、その人はそこで何してたんだろう…。

基本その人は現場に行って作業するのではなく、全体の管理やら統括やら調整やら、詳細は知らないけれど、現場に作業のために行きます的なのは数としてそんなになかったと思う。

ましてや異動が決まって事務的な引き継ぎやそちらの整理が色々ありそうなのに、その人は現場に行く用のかばんみたいな中の細かい工具みたいな整理をしていた。

あんなに直前になってまでそんなことしなきゃいけなかったのかはわからない。

たしかにそこに行けば1人になれるし、誰にも邪魔されないところではあったけれど、今思うと不自然な状況だったなと思う。

もしかしたら現場で作業する用事があったのかもしれないけれど、もしくはそこを去るにあたっての整理整頓だったのかもしれないけれど、いずれにしてもそこに1人でいてくれて良かったなと思う。

そうでもなければ、その人と私2人しかいない空間なんてありえないから、その時はそこにいてくれたからこそ話しかけに行くことができた。

それはもう一か八かの賭けみたいな感じで私はその人を探しに行って、それでこれまた人目に全くつかないところにいたところをつかまえた。

私はそもそもその倉庫的な場所で普段何をしているのかも全くもって知らないままだったけれど、どういうわけかそこに1人ポツンといて、誰からも死角みたくなっていて、しかもみんな事務所の方にいるから気付かれることもなく、守られた空間でその人とやりとりできて本当に良かった。

これは今だからわかることだけれど、その人とやりとりする時はいつも守られていた。

他の誰にも邪魔されることなく、本当に時間にして1分にも満たなくても、わずかばかりの隙間を狙って2人だけしかいない時を手にすることができていた。

その人から見て私の行動は読めなくて不可解ではあったと思うけれど、その人がキッパリとできないと言ってくれてその後私は気持ちが吹っ切れた。

そもそも無理に無理を重ねてお願いしていることは重々承知していたし、高嶺の花みたいなその人は手を伸ばせば届く人でもなんでもなく、そして私もその人に限らず基本的に男性ウケがいいのとは絶対に違うから、断られても当たり前だと思っていた。

だからその人が断るだろうことは想定内すぎたし、「うん、そうだよね」という気持ちの方が強かったように思う。

その後ほんの少しだけ冷静になれた自分は、もうこれで終わりだなと真面目に思った。

もういなくなるんだし、元々手の届かない人だったわけだから、これ以上どうしようもない、もう十分やりきったと思った。

相手が色んな面でイケメンすぎたことも手伝って、私は自分が相手にしてもらえるとは全くと言っていいくらいに思わなかった。

あの職場は私以外みんな既婚者で、そもそも独身女は私しかいなかったけれど、普通の一般的な出会いの市場ならその人は非の打ちどころがないみたいなハイスペックな人で、外見含めてモテないなんてことはないように思う。

仮にモテない人だったとしても、私を選んで1回でもいいからごはんに行くなんて、その人にしたら何のメリットもないと断言できそうなくらいだった。

しかも軽いノリで女の人と2人で出かけるなんてその人は多分性格的にできなさそうだから、ますます一緒に出かけられる人となると超狭き門になる。

そんな風だったから、相手が時間を作れないと返してきたことも何ら不思議はなかった。

私に対してかなり不思議な反応をした時もあったけれど、あれは単に慣れてないからだったとその時は思った。

今毎日100人近い男の人たちと顔を合わせてわかったけれど、本当に女の人全般に話しかけられないみたいな超シャイな人もいて、とにかく女性全般が苦手な人もいる。

その人はそこまでではなかったけれど、決して自分からベラベラと話すような人ではなかった。

下の名前で呼んでもらえる事務さんたちが羨ましく、そういうところはスマートな感じに振る舞っていたけれど、私みたいに不意打ちの女の相手は不慣れな感じだった。

不慣れそうではあったけれど、断るのはとってもスムーズだった。

悲しいくらいにスムーズだった。




私は本当にそこからはもう何もしない気でいたし、残りも少ない時間とわかったところにこれ以上色々気まずい要素を自らぶち込むのも嫌だった。

あの時は本気ですべて終わったわけだし、あと残りの日々もなんとかやり過ごせばいい、そんな風に直後は思っていた。

今振り返ってみても、その人は私がごはんに誘ってからというもの、本気で超気まずそうにしていた。

私が目の前で話しかけるのも耐えられなかったとしか思えないくらいの拒絶拒否ぶりだった。

その人の考えてたことや感じてたことは何もわからないけれど、ああした拒絶拒否はその人なりの精一杯の自己表現だったんじゃないかなと思う。

本気で嫌ならば、今ごろ私はとっくにその人の日々の生活の中に一切いなかったと断言してもいい。

今もいるのとは違うけれど、何がそんなに魅力的な文章なのか(魅力的とかそういうことじゃないと思うけれど)、その人はブログを確認している。

当時のその人の態度は、武士俣さんが嫌いです、俺に近づかないでください、の意味にしか私には取れなかったけれども、本当の意味は違う何かだったかもしれないなぁなんて思う。

色々動いた先に今があるのは確かなんだけれども、1つだけ思うことがある。

こんなこと言ったら、本当に頭のとち狂った人みたいだけれど、今の今にまで私を連れてきてくれたのは、私の魂とその人の魂なんだと思う。

魂レベルのことは、人間的事情は待ったなしだし、考慮にさえ入れてもらえない。

その代わり、それが魂の願いや意図なら、そのために全力で物事は動いていくし、なるべき形に事は運ばれていく。

この後も私は動いていくけれど、その時はもう自分でもびっくりするくらいに一気に息つく暇もなく何かに突き動かされるように動いていた。

自分のことなのに自分のことじゃないみたいだった。

今動かなきゃ絶対にダメだと思った。

その感覚が今この瞬間だけを指してるのではなく、過去から未来すべて繋がっている時間の中で今しか無い、そういう感覚だった。

あれは私の中で勝手に「魂の感覚」だと思っている。

そしてそれに反応してくれたのも、その人というよりもその人の魂なんだろうという気がしている。




これは8日に実際に書き始めたけれど、8日は疲れ切って書き切らなくて、昨日9日はイマイチ書く気持ちが薄かった。

何を書いていいのか珍しくよくわからない状態になっていた。

これを書いているのは10日の朝、仕事に行く前だけど、3年前の9月10日はまた全く別のフェーズに私はいた。

その時のことを他に何もせず真っ直ぐに見つめていると、自分がどこにいるのかわからい感覚になる。

当時のことを当時とは少し感覚が違うけれども、それにかなり近い感じをまるで昨日のことのように思い出す。

私はそうなるけれど、その人はどんな感覚なんだろう…。

当時は何を思って、そして3年後の今は何がその人の心の風景に映っているんだろう。

今書いててわかるけれど、理性で抑え込もうとすると何も書けなくなる。

その人のことを書いたりその人に向けて何かを書くことは、頭では絶対に書けない。

心で魂で書いている、そんな風に感じる。

感覚がまるっと違って、手だけひたすら文字を打ち込むために動かしているけれど、考えながら書いてるのとは全然違う。

文字に起こす前に文字にしたい言葉たちが浮かび上がってくる。

それを私はひたすら追いかけて文字に落としたらいい。

私の手やiPhoneは、私の心のもしくは魂の代弁をしてくれてるに過ぎないのかもしれない。

前回の9月7日の話をアップした後、それがどう作用したのかわからないけれど、その人のスイッチを押したようだった。

たまたま8日の日、私は仕事中休みの上司に逐一連絡を入れるために、机の上に携帯を置いていた。

至急性の高い案件がきたらとりあえず一報連絡を入れて、何かあれば指示を出してもらって私が代わりに動いたりする。

そのために携帯を出していた。

上司に連絡したついでに、ブログの閲覧状況もチェックした。

まず閲覧数が見たことのない数字になっていて、度肝を抜かれた。

一瞬システムが狂ったのかと思ったくらいに、とにかく普段どころか過去最高なんじゃないかと思う数字を目にした。

おかしいと思って、それでどの記事が読まれたのかも見た(仕事を差し置いて…)。

その人のことが書かれたものやその人にまつわるエピソードや記憶が記されたものばかりが選ばれて読まれていた。

読んだかは知らないけれど、アクセスは少なくともあった。

私でさえも覚えていない数々の記事がヒットしていた。

それを見て、少しだけその人の心の中を知れたような気がした。

私が私で3年間色んなことを思いながら感じながら過ごしたように、その人もその人で何かを思ったり感じたりしていたんじゃないかなと思った。

だからと言って連絡が来るのでも何でもないけれど、私がずっと気にしているように、その人もその人の中で気になる何かを気にしているんだと思う。

生きている場所は全く違うけれども、共通するものを共有できてるみたいな感覚になった。

その人も私がオンタイムで携帯をチェックしていたなんて知らなかっただろうけれど、私に知られてもいいと思ったというよりも知ってて欲しかったんじゃないかとほんのちょびっとだけ思う。

私はエスパーじゃないからその人の心の中までは読み解けないけれど、仕事でも有休取って休みだったとしても、私のブログの中のその人限定記事みたいなのを探して見るというのは何かしら意識が働かないとそういう行動にはならない。

何かしら思うなり感じたりしているのは伝わってきた。

そしてそれを見て、色んなことが私1人の意志だけで動いてるのとは違う、というのも感じた。

少なくともその人の意志も働いている。

本当はもっと掘り下げて書きたいところだけど、これから起き上がって支度して仕事に行かないとだから、ここで一旦切ってこのままアップする。

もう少し今現在のことを書けたらいいなぁとは今思っているけれど、どうなるかな…(笑)。

明日はおいせさん手帳の日だから、その後に今感じてることを文字に起こす気持ちになれば書けるように思う。

2020年9月8日火曜日

お知らせの日と声





朝いつも通りギリギリのくせして、どうしても気になってノートを開いた。

やっぱり今日だった。

「9/7(木)
朝Nさんから◯◯さんの異動(10/1付)を聞かされる」

3年前の今日だった。

ノートを仕事に持って行った。

今の職場も昼休みになると電気を消す。

薄暗い感じが当時と似ている。

いる場所も風景も人もみんな違うけれど、当時と同じ感じを少しでも復元したかった。

ノートをカバンに突っ込んで家を出た。

同じ9月7日が始まる。

3年前と今とでは全然違うけれど、同じ日が始まる。

3年が早かったのか遅かったのかよくわからない。

異常な速さの時もあれば、泥の中を歩くようにねっとりと絡まったみたいに遅く感じる時もあった。

未来なんか何も見えなくて、現実は受け入れられなくて、何もかもすべてが嫌になるくらいのことの方が圧倒的に多かったけれども、それでも3年が経った。

3年も経てば多くのことは忘れていく。

だけど、知らされたその瞬間からその後の色んなことは事細かに覚えている。

別に記憶しようと思ったわけじゃない。

だけど、あまりにも衝撃が大きすぎて、今でもかなりはっきりと覚えている。

その時、Nさんと私だけが事務所の中にいた。

Nさんがいつになく神妙な面持ちで私に話しかけてきた。

普段の感じとは全然違っていて、何の話かと思った。

少しだけ嫌な予感はしていた。

その日は掃除の日で(いつもは水曜日なのに、その週はなぜか木曜日だった)、掃除の時にNさんともう1人の事務さんが送別会の話をしていた。

送別会……。

消去法で、その人しかいなかった。

話が途切れ途切れでよくわからなくて、わからないのをいいことに「その人ではない」ということにとりあえずしようとした。

そうしたらNさんから単刀直入に
「◯◯が異動します」
と言われた。

自分がどんな顔で聞いていたのかもわからないし、ようやく一言言えたのはいついなくなるかだけを聞いた。

1日付で異動。

3週間あるかないか、そして引越しもあるから実際にはいつまでいるかはわからなかった。

今はこんな風にして書いているけれども、その時はあまりの衝撃に本当に卒倒しそうだった。

鈍器で殴られたみたいに頭がドンと重くなって、私の中の色んなものが止まってしまった。

この時ばかりは、喋らなくていい仕事に心底感謝した。

本当は泣きたいくらいに嫌だった。

実際にその日のその人の声を初めて聞いた時、私はロッカーの扉を盾にしてコッソリ涙を浮かべてた。

泣こうと思って泣いたのじゃない。

いつも通りにファイルの片付けか何か書類をしまうかをしていた。

ちょうどその時、2メートルくらい離れたところの自席にいるその人が電話をしていた。

天は一体何物与えたら気が済むのかわからないけれど、その人の声は本当にきれいな声をしている。

透き通っているというか、とにかく声の音色みたいなのがとってもきれいで、顔もイケメン、体格もイケメン、そして声までイケメンと一体何拍子揃ってるのかと思うくらいに、とにかくきれいな声をしている。

声フェチじゃないし、普段人の声を気にかけてなんかいないけれど、その人の声だけは違った。

とにかく耳を澄ましていつも聞いていた。

声が小さいから、お願いだから周りの人たち黙って!!!と思ったくらいに、少しでも声量が私の耳に着実に伝わるように、耳を澄ましていた。

私はキャビネットの扉越しにその人の声を聞いていた。

聞きながら、もうこの声を聞けなくなるんだ…と思ったら涙が出てきた。

今確実に、声が届く距離にお互いがいて、その人が何かを口から発すれば、その声が私の耳に届く。

私に話しかけてなくて良くて(そもそも私に用事なんかないから話しかけられたことは数えるほどしかなかった)、とにかく声が聞けるだけで私は良かった。

透き通るようなその声は、声が単にきれいとかいうことよりも、私はどういうわけかその声を聞いて無意識レベルで安心するところがあって、それでその心の安定剤的なものを求める感じで耳を澄ましていたというのが近い。

声を聞いて安心するなんて本当にこれまで生きてきた中で他に体験したこともなくて、当時はそういう自分にも引いていた。

色んなことを美化したり誇大評価しているのかと思った。

喋ってみたら全然波長が合わなくて幻滅するかもしれない!とかいう、そういうことも思ったことがあった。

で、声の正体というか大きなヒントは、その人がいなくなってだいぶ経ってから知った。

声というのも波動の一種で、それが心地良いとか良いと感じるのは、縁深いということらしい。

頭で考えて導き出せるものではないから、そして相手の声がいいとか私みたいに安心するなんていうのは、自分の細胞内に組み込まれたプログラムみたいなもので、それがきちんと無意識レベル、魂レベルで何かを感じていると解説があったのには、後々ものすごく合点がいった。

話を戻そう。

電話の時、その人は当たり前だけど、私ではない誰かに話しかけている。

だけど、私にはそれが誰相手の電話でも良かった。

声を聞けることが大事だったから。

確実に振動となって耳に伝わるその人の声は、秋が本当に来たなという頃にはもう聞きたくても聞けない距離に行ってしまうんだと思ったら、私は仕事中なのも飛んで、涙がにじんだ。

その人がいなくなるのは、私にとって死によって全てが無くなるみたいな感覚と一緒だった。

大げさな言い方に聞こえるかもしれないけれど、本当にそういう感覚だった。

余命宣告されたみたいな、確実に終わりがくる、それを静かに待つしかないみたいな心情だった。

今この瞬間に耳に届く声はもういなくなって普通に聞こえなくなって後にはもう何も残らない、そんな日が確実にくるとわかっても私には到底受け入れられなかった。

自分を支えてるものが足元から崩れ落ちる、そんな感覚だった。

その人にとって私が何でもないのはわかっていた。

関係とかわかりやすい何かとかそんなのはなくても、せめて私の生きる世界にその人のことを置いてください、と誰に何にお願いしたらいいのかわからなかったけれど、本当にそういう心情だった。




すべてがどうしていいのかわからなくなったあの時から今日で丸3年。

真っ先に「自分がんばったな」と思った。

違った。

それは多分2番目くらいに思ったこと。

多分本当の最初は「繋がった」だった気がする。

まさかの展開だった。

その後さらに拒絶と言わんばかりの態度を次々にくらって、本当に半永久に治らない複雑骨折みたいな心の状態になってしまったわけだけど、受け入れられない現実+その人からのさらなる受け入れられない態度のダブルパンチで本当に心は完全に壊れた。

それが3年くらいすると、ブログを通じて不思議な繋がり方をするなんて、想定外すぎた。

そんな3年先の未来なんて、想定外すぎた。

ちなみに毎回しつこいけれど、「繋がる」とか言っても他に適当な言葉を持ってないからそういうだけで、厳密には何て言うんだろう?ひそかに接点とも呼べないような接する点がある、みたいな感じ。

でもそんなの文章で毎回書いてたらくどいから、だから便宜上「繋がる」と書いてるだけ。

あの日、異動を告げられて、これ以上ないくらいに気持ちが落ちて、もう永遠に交わらないんだと思って死にそうになってた。

「死」という言葉を安易に使うのは普段好きじゃないけれど、本当にそういう気持ちだった。

今日仕事から家に帰る車の中で、当時のことを思い出していた。

身体が覚えていた。

当時の感覚や気が遠くなる感じ、なんなら泣きたくなるその感覚まで、再現できてしまうほどに覚えていた。

大事なことだから記憶したのかショックが大きすぎて記憶したのかはわからない。

だけど、鮮明に覚えているもんだなぁと今振り返って思う。

ちなみにその次に大きく落ちたのは、その人の持ち物が職場から姿を消した時だったなぁ…というのも一緒に出てきた。

たった1枚の防寒具が姿を消しただけで、ものすごい衝撃を私にもたらした。

その時が本当にいなくなってしまうんだ、と実感できた時かもしれない。




今日も今日とてなんなんだこの内容…状態だけれど、今回はなるべくきちんと時間軸に沿ったものをアップしたいから、このまま読み返さずにアップしようと思う。

この週末に行ってきたとある喫茶店の中に置いてあった絵本。

宮沢賢治推しな店のようで、他にも宮沢賢治の雨ニモマケズの本人が書いた紙のコピーみたいな紙が店内に額入りで飾られていた。

絵本の中まで見れなかったけれど、表紙の絵に惹かれて1枚写真を撮ってきた。

色んな意味で惹かれた絵だったけれど、今「だからだ…」と気付いたことがある。

表紙の雨の様子、それがまさに色と言い雨の感じと言い、その人の異動を知らされた日の天気とそっくりだった。

絵にも惹かれたけれど、それは記憶の中のあの日のことと繋がるから、だから惹かれたのもあると思う。

この世の終わりみたいな悲しい感じと、悲しくても雨も降るし日は沈んでまた昇るのも一緒なのも、その中でも生き続けなきゃいけないことへの望みのない感じも、色んな当時の気持ちが織り混ざったまさにその感じと絵とが重なった。

もう1枚の写真は、当時のノートに今日の日付印を記念に押してきた。

何の記念ということもないけれど、なんとなくそうしたくてそうした。

手書きの9/7は今日じゃなくて、3年前の同じ日のこと。

どうでもいいことだけれど、このノートのこのページを私はこの3年間で数え切れないほどの回数目を通した。

二度とは戻らない日々でも、せめてノートの中だけではそれを再現して思い出したくて、何回も何回も飽きることなく開いている。

そうやって私は自分をこの3年間支え続けてきたんだなと思う。

本当にがんばった、真面目にそう思っている。

そして、とても不器用そうなその人もその人にとって怖いことに向き合い続けた3年だったんだと思う。

沈黙を貫きながら何かに向き合い続けた、その3年の重さを思う。

比べることなんてできないけれど、その人はその人のテーマにとことん向き合った苦しさを想像すると、私には想像もできない苦しさやしんどさがあったんじゃないかなと思う。

何度も言うけれど、ホロスコープから知る自分の人生や自分というものを本当に知りたくて、そしてそれを私に読ませてくれるのなら、私はいつでも喜んで星読みをする。

いつでもどうぞ〜。

星読みは星読みという名のその人自身の魂からのメッセージを私が通訳することを依頼されてるように思っているから、私情抜きの公人としてやります。

どこまでも自分をフラットにして、来るメッセージをひたすらキャッチして言葉に紡ぐ、そこに徹するのが私にできる最大のことだと思っている。

もう収集もつかないし眠くなったしで、このままアップ。


2020年9月6日日曜日

社窓の窓からー残暑の頃

気付いたら、今のところ10ヶ月目になった。

子どもだったら臨月!

対照的な出来事があった。

先週金曜日に大至急英訳の依頼があった。

それは2ヶ月目、もとい一人立ち1ヶ月目の時に頼まれた営業会議の議事録で、その時も超苦戦したけれど、今回も前回ほどの量ではないにしても苦戦した。

多分会社の1番の客先だと思う。

何が大変って、議事録はじめ客先に向かうもので「対応」とか「確認」とか、日本語だとその通りでも英語はそうはいかない。

単語の選び方1つで事は全く別物になる。

それが交渉事に関わるものだと、本当にきちんとしないとまずい。

言い方を間違うと、クレームや交渉決裂になりかねないから、とにかくフルに神経を使う。

このおかげ(?)で、とうとう私は社長にも重箱の隅をつつく質問を二たび三たびと行い、その後私の英語の先生たちのトムさん、そして最後はMr.ダンディに見てもらって事なきを得た。

2人とも超忙しいのに「今日中に提出」だと説明して、それぞれ1時間ほどで戻してくれた。

本気で鬼みたいなことを無理くり頼んでるのに、なんとかしてもらった。

もはや何様!?状態だったけれど、2人とも素晴らしく惜しみない協力を買ってはないけれど出てくれて、本気の本気で助かった。

1月に頼まれた時と全く一緒のパターンで、これがこの数ヶ月で積み重ねた人間関係なんだと嬉しくなった。

私の置かれている状況も会社としての責任も全部わかって対応してくれた。

まさに神対応だった。

最後社長はじめ重役たち向けに英訳資料のデータをメールで報告する時も、まずはトムさん、その後Mr.ダンディに見てもらったことを書き添えて出した。(でなければ、私オンリーの目となると重役たちも怖いだろうと思って)




その一方で、今週頼まれた英訳は酷かった。

元々苦手さんからの依頼で、何が苦手というか嫌かと言うと、基本的な挨拶「お願いします」「ありがとう」「すみません」が言えないところ。

だから投げかけられた質問にきちんと丁寧に答えても、それには何の反応もなく。

頼む時は、私がすると知っていても、私じゃなく上司の名前だけ出して上司に依頼。

もうこの時点で私はプンプンだった。

誰が対応するか知らない時は別にいいけれど、明らかに私がすると知っていて(上司も「武士俣さんに確認します」とはっきりと書いてる)、さらには私が依頼されたことに対しての回答やお願いを伝えていても無視するとは、本当に根性腐りまくりで、もう一度幼稚園保育園から出直してください状態だった。

そうやって一連の無視を決めこまれ、それでも私は淡々と依頼されたものをこなし、その英訳をMr.ダンディに見てもらって返した後のこと。

英語は問題なく終わったけれども、1つ日本語がおかしいところがあった。

私が見ても変だと思うもので、それを見事にMr.ダンディはズバリ指摘して、とりあえず担当者にそのこと引き継いでみてと言われたから、私は苦手さんにその旨も書いて連絡した。

そうしたら今度は苦手さんから返信は来た。

来たけれども、これが過去最低でかなりイラッとするものだった。

苦手さんは、手柄的な内容、きちんとできてる報告の時は、毎回私の名前を消して、私のメールの文言をコピペして上にあげてる。

私は完全にゴースト化していて、誰も苦手さんがしたとは思ってなくても、報告部分だけ見たら苦手さんがキッチリやったみたいに見える。

自分で言うのもなんだけど、私はどこにその内容が回っても大丈夫なように、細かいことは毎回連絡事項で書く。

そしてその書き方は、社内でもかなり上のクラスのクオリティだと思う。

要は冗談抜きで、私の携わるものは色んな重役を介して上に行って最後は客先みたいなパターンが多いから、とにかく不手際がないように、伝えるべきことは箇条書きにして伝える。

そんなことしている人社内にほぼいないから、自分でもこれまでの数々の職歴で鍛えられた分だけあるな!と自画自賛(笑)。

そういうのは、苦手さんは自分のしたことのように名前を変えて上に出す。

苦手さんの上への報告メールの中で、私は完全に不在の状態で成果物は上に引き継がれる。

それは別に構わない。

私の場合、評価されたところでお金が上がるわけでも待遇が変わるわけでもないから、どうでもいい。

だけど今回は違った。

なんと。

Mr.ダンディからの伝言を書いたメールは、私の名前のまんま転送されていて、まるで他人事のようにして、こんな指摘があるので確認してくださいと苦手さんは重役に流していた。

最初見た時から違和感で、なんだろうこれ?と思ったけれど、よくよく考えてわかった。

私は良い悪い関係なく、とにかく色んな可能性がある時はそれを全て報告するけれども、苦手さんは良い内容は自分発信、問題になりうる内容は私発信にするとわかった。

( #`ω´)\\\٩(๑`^´๑)۶////( #`ω´)

何この事なかれ主義的な。

悪いことは私を矢面に立たせるみたいなの。

本気で腹が立った。

ちなみに担当の重役には、私がMr.ダンディとやりとりした後に即刻席に伺って、まずは「すみません」から言って、その後事の顛末を伝えた。

私はてっきり苦手野郎が対応すると思って、苦手野郎にだけわかる書き方をして出したら、まさかの言葉足らずなまま重役グループに転送されて、結果重役グループに余計な混乱をもたらしたから、苦手野郎の不手際については全て黙って、ただ一言「私の説明が足りなくてすみません」と謝った。←相手の不手際を言わない私は本当にやさしさのかたまりだと思うv( ̄∀ ̄)v。

その人とは何回かやりとりしているし、基本対面で対応する分には機嫌良くいてくれる人だから、今回も事が荒れることはなく、「こちらもよく読まずに返してすみません」と逆に謝られて、あとはお互いに情報交換して普通に会話して終わった。

とにかく機嫌良く丁重に対応すれば、よほど相手の虫の居所が悪いとかもしくは素の性格に難ありでなければ、基本何とかなる。

ジワジワと日増しに腹が立ったけれど、絶対に同じ土俵に立ちたくない!!!、あんなのと同じレベルに成り下がりたくない!!!という気持ちになって、とにかく私は相手がどんなにバカでダメ男でもそれと同じにだけはならないよう、これまで通りでいこうと思った。





苦手さん対応が動いていた中、上司に呼ばれた時があった。

何をやらかしたのかと思って、ガクブルで話に臨んだ。

しかも別室に呼ばれるくらいのやらかし…。

冷汗たらたらだった。

そうしたら、まさかの正社員登用のオファーだった。

Σ(꒪◊꒪ )))) !?!?!?

42歳になろうとしている今、まさかの派遣から正社員オファー、それも上場企業!

ものすごく光栄な話だった。

この話はまた別記事で書きたいと思う。





ちなみに苦手さん話はさらなるオチが付いていた。

それからまた何日もして、短時間で一気にいくつものメールが来ていて、何事かと思って見た。

苦手さんから、上司と子育て中で時短勤務英訳担当の育子さんと私に宛てられたものだった。

私が先日関わったものと同じシリーズの追加の英訳チェックを苦手さんが依頼していて、元々は育子さんが担当した資料をベースにしていたから、今回は育子さんがチェックをするようになっていた。

それのやりとりが全部メールにあって、私はそれを見た瞬間ブチ切れた。

育子さん担当分は何の不備もなく滞りなく終わっていた。

私の時みたいな面倒な展開も一切なくて、ものすごく平和な感じで何の障害も問題もなく最初から最後までスムーズだった。

それに対して、苦手野郎はきちんとお礼を言っていた。

はっ( #`ω´)( #`ω´)( #`ω´)!?

私の時は基本全部返信がない。

こちらが出したものに対して基本スルー。

そして良いとこ取りした内容のものが上に引き継がれる。

もちろん私の名前はそこからは消えている。

その引き継がれたものが私にも送信されて終わり。

もしくは先日の矢面事件のような感じにしかならない。

なのに、育子さんのものには育子さんに対してきちんと返信している。

お礼まで言っている。

それを見てしばらく怒りが収まらないぐらいにイライラした。

そしてどこまでがそうかは知らないけれど、苦手さんは育子さんの時はきちんと自ら足を運んで頼むなり聞くなりしていた。

珍しい組み合わせだなと思って一瞬目を引くような光景だったから、今となれば育子さんに頼んだ英訳チェックの話だったことはすぐにわかった。

私の時は、私の名前で転送された後のやりとり付きの最上段に「よろしくお願いします」とだけあって、最初何がお願いしますなのかわからなくて、もう一度よく読んで、どうやら日本語が変更になってそれをもう一度英訳して欲しいということ!?と思って、それを私は直接本人に確認したくらいだった。

そんな大事なやりとりさえも私の時はメールで終わり、私側が内容確認するという、本来動くのは私じゃなくてあなたじゃないの!?状態だった。

そしてその後変更点についてまた一悶着あったから、その一悶着の部分のMr.ダンディと担当重役にそれぞれフォローと確認で動いたのが私だった。

とんでもなく色々と動いたものに対して、それも苦手野郎は少なくとも私が直で調整したものは一切関わらず、出来上がったものだけ手にしているにも関わらず、何のお礼もなく、本気で人としてこの人は何なんだろう!?と思った。

時間が経って、今私は上司にお願いしようかと考えている。

苦手野郎担当のものはもう育子さんが単独担当になってもらって私を外して欲しいことを。

苦手野郎のものは量も少ないし即日対応しなくて良いものだから時間的余裕がある。

育子さんがどうしてもいないとかいう以外は、苦手野郎担当のものだけは私はやりたくないから、他の面倒なものは実際に全部私が受けてるのもあるから、そこはお願いできないものかと真面目に考えている。

幸いにして、苦手野郎は育子さんには人としての最低限というか当たり前の気遣いはできているから、育子さんに失礼なことは多分しない。

私は自分をすり減らしてまで苦手野郎の対応する必要なんかないし、この間Mr.ダンディに苦手野郎担当分の外向け資料はMr.ダンディが基本目を通すことも聞いてきたから、私が抜けても最後の砦があるから大丈夫と思う。

上司も苦手野郎の在り方の酷さには閉口していて私と一緒に怒っているぐらいだし、少なくとも育子さんにはきちんとしているのもわかるから、そんな超個人的な理由で担当を外してもらえるかは知らないけれど、とりあえず頼むだけ頼んでみようと思う。

他のもっと大変な案件をやらないと言うのとは違うから、そして大変な案件は多くの回で何かしら問題が持ち込まれるケースが生じるけれど、それらも私は全部交渉やら確認やら足繁く誰相手でも出向いて対応するから、苦手野郎案件のみ外れたいと言っても、了承してもらえるかどうかは別として訴えてもいいレベルだと思っている。

面倒なことは今後苦手野郎が全部引き受けて対応したらいいし、上の人たちの調整もあなたが見えないところで動いてやったらいいと思う。

本人に直接言っても、相手のレベルがバカすぎて何にも響かないか、中身はボロボロのまま形だけきちんとして終わると思う。

そのしょうもないことで自分の神経をすり減らすなんて本気で愚の骨頂だし、私しかできないことなら別の方策も考えるけれど、こと苦手野郎案件なら育子さんの勤務に負担にならない範疇での対応が可能だし、最後はMr.ダンディもいるから、よほどの理由がない限りは私でなくてもいい。

あやつの人間的にふざけすぎたことに私は自分を巻き込みたくない。

超面倒くさい派遣というか超面倒くさい人になっているけれど、もう自分がこんなくだらないことですり減るのは嫌すぎるから、ここは自分のために立ち上がりたいと思う。

2020年9月4日金曜日

㉜【おいせさん手帳】外見コンプレックスからの解放



今日は正真正銘
「くしの日」らしいε-(´∀` )




おいせさん手帳第32回目
担当:私

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9月4日

自分の美の基準。
くしの日

髪の毛を整えるためにくしを使う人は多いでしょう。身の回りを整える行為は、「美」を追求する心に繋がっています。その「美」を誰かや何かの基準に合わせるよりも、自分の心地良さに合わせる方が、うんと自分らしく生きるための指標となってくれることでしょう。あなたならではの「美」に想いを馳せるのもあなたらしさに繋がっていきます。

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「美」について今回は思いつくままに書きたい。

とりあえず、わかりやすいものから、化粧について。

私は今ファンデーションを持っていない。

そのための下地とか仕上げ用パウダーも持っていない。

最後にファンデーションを塗ったのは、多分ちょうど3年前の友達の結婚式の時じゃないかと思う。

その時も、その時だけ塗るためにわざわざ買うのが嫌で、東京の妹宅経由で行ったから、美容師である妹から試供品を分けてもらって、それで何とかした。

ちなみにその時も、式が始まる頃には汗だくですべてがはげ落ちて、全く意味のないファンデーションになった。

私が30代の途中から完全にファンデーションを手放したのは、自分の体質に合わせたからだった。

ファンデーションも塗らないことを失礼だと思う人も普通にいるのは知っているけれど、塗っても汗で流れ落ちて見苦しい感じなのもこれまたお目汚しになるわけで、私は正直どちらが失礼なのか?と思うことがあって、それゆえに塗らない。

とにかく年がら年中、顔だけやたらと汗をかく。

冬でも顔汗をかくなんて信じられないかと思うけれど、私の場合はかく。

代わりに冬は場面がある程度特定される。

急激な温度変化に体が追いつかない時、私は顔から汗が吹き出す。

例えば、マイナスくらいの外気温の外を歩いた後朝の満員電車に乗ったりすると、10数度は違うわけで、そうすると車内で大量の顔汗発生になる。

寒い外から温かい室内も同様だし、辛いものや熱々のものを食べて体内温度がいきなり上がる時もそう。

20代の頃、男友達と久しぶりに会って一緒に友達の個展を見に行った時のこと。

近くのインドカレー屋さんに行って、香辛料の辛さで私の顔は汗だくになった。

友達は私の顔からあまりにも大量に吹き出る汗を見て、引いてるとかいうより先に「すごい汗だけど、大丈夫?」って聞いてきた。

見慣れない人たちからすると、具合が悪いと勘違いされるような様相らしい。

あとここ1〜2年でわかったことだけど、緊張する時も汗をかく。

今の英訳の仕事で、それがたとえ冬でも、心理的にけっこう緊張していると、汗がジワジワと出てくる。

はたから見れば更年期みたく見えるだろうけれど、体質です!と言いたいくらいに汗が出る時がある。

そんなこんなだから、ファンデーションなんか塗った日には、ドロドロと流れ落ちて、本当に汚くなる。

塗らない美醜の問題よりも、塗って流れ落ちてさらに汚いことの方が周りの人たちの目に毒となるから、だから塗らない。

それを自分の中でOKにできた時が一番気持ちが楽になれた。

化粧に関して、同性の女の人たちから何回か指摘されたことがあるけれど、今考えればそれはどれもこれも相手の人の価値観なんだとわかる。

「化粧してるのかしてないのか中途半端でわからない、そんなのダメ」
「化粧しないなら、あの化粧下手な教育係の◯◯のところに化粧教室に通わせるよ」(※)
「化粧しないから支度の時間要らないね」

(※ある会社で働いていた時、本当に化粧も全く上手でなければ服のセンスも超イマイチな女の人が、冗談抜きで後輩相手に化粧教室をしていたらしい)

こうやって書くと大したことないみたいに見えるけれど、私はどれも言われてすごく嫌だった。

きちんと化粧していることが世の中的に正しいことなんて誰が決めたんだろう?と思う。

とにかく、ファンデーションはこれから先の人生でもほとんど塗ることはないだろうなぁと思う。




今はかなり気にならなくなったけれど、私は元々外見コンプレックスがとてもたくさんある人だった。

ちなみに、人は外見コンプレックスをどのようにして持つようになるのかは知らないけれど、私の場合はどれもこれも第三者からの指摘によって生まれたものばかりだった。

今は知らないけれど、私が小学生の頃は毎年夏になると「はだし運動」なるものがあって、校内では全校一斉に数ヶ月に渡ってはだしで過ごす。

衣替えの時期にまんまはだしでい続けるみたいな感じだった。

忘れもしない小学校1年生の時。

それが誰だったのかはわからない。

クラスの男の子が私の足を見て、指がすごい太いと指摘した。

自分の机に座っていた私は隠すこともできず、そのうちに私の周りには私の指を見ようと人だかりができて泣きたくなるくらいに嫌だった。

これが自分の外見で何かを言われた苦い記憶第1号で、その後も色々年を重ねるごとに言われて、根強い外見コンプレックスができあがることになった。

たらこ唇と何百回と言われ続けた小学校中学年。

5年生くらいの頃は、隣りの席同士で互いの顔を描く図工の時間に、ペアになった男の子から私の顔の輪郭が食パンマンと言われ、想定外のことに対応しきれなかった私はその場で涙をポロポロとこぼした。

泣き落としを狙ったとかそんなことではなく、本当に気持ちのまま勝手に涙が出てきてしまったという状態だった。

顔がでかいとか太いとかデブとかブスだとかキモいとか、もう色んな言葉を色んな人たちから浴びせられて、ことごとく自分の外見はダメなんだと思って私は大人になった。

とにかく色んなタイプの外見指摘により、何で自分は色々不具合だらけなんだろう…と劣等感みたいなものを根強く抱いていった。

ちなみに転機というか色々そこから抜け出せたのは、周りの人たちのおかげと断言できる。

年齢を重ねるごとに、とにかく私は人に恵まれるようになった。

そして年齢と共に、外見は人間関係の中で二の次三の次どころか重大な内容ではなくなったから、外見云々を気にしなくてよくなった。

私がどうであっても、それによって人間関係の優劣や親近度が決まることはなくて、むしろ一緒にいて居心地がいいかや楽しいかが大事だから、そちらを軸とした人間関係になるにつれ私は外見コンプレックスから解放された。

ゼロにはならなくても、普段気にせずに日々を過ごせて人と人間関係を作れるのは、私にとってとても楽チンだった。

さらに美人でも可愛いわけでもない私と一緒にいたいとか好きだとか思ってくれる、天然記念物級、絶滅危惧種的に希少な男性に出会えたことも大きかった。

モテることもないし外見で得するようなこともまずないけれど、私のことを本気でかわいいと思ってそれを伝えてくれた数少ない男性たちには心から感謝している。

そういう人たちのおかげで、私は子どもの頃に比べたら外見コンプレックスが大幅に解消されて今の自分の立ち位置までこれた。

自分の外見的なものが好きとは思えなくても、ここまでこれたからわたし的には御の字で、なかなか良い感じで大人になれたと思っている。