2020年7月31日金曜日

㉗【おいせさん手帳】枝豆のにおい








おいせさん手帳第27回目
担当:私

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7月31日

夏の空気を体にプレゼントする。
自然とたわむれる日

太陽の熱を感じてみよう。太陽の光に目をこらしてみよう。
体を通り抜ける風を感じてみよう。
耳に飛び込んでくる音を拾ってみよう。
「夏のにおい」を探してみよう。
冷たいものを口に入れて、その冷たさをのどで味わってみよう。

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この間、仕事用のカバンと一泊用のトートバッグ的なカバンとを探しに行った時だった。

車を運転中に、去年の夏、米の仕事で世話になったヨシダさんから電話がきた。

ヨシダさんとは今も不定期に会っている。

スピーカーにして電話に出ると、飲みのお誘いだった。

明日8月の最初の日に約束をして、電話を切った。




またすぐに折り返しが2回かかってきて、でも気付かずにそのままだった。

着信を見て、今度は車を目的地に停めてからヨシダさんに折り返した。

最初の電話の時に、ちょうどヨシダさんの住んでる町のすぐ近くにいるとは言った。

ちょうど信号待ちしていたから、信号脇の地区名の看板を読み上げたくらいだった。

そうしたらヨシダさんが、枝豆やるっけ!(やるっけ=あげる)と言って、帰りに米の仕事の場所に寄ることになった。




色々と用事を終えてから、ヨシダさんと約束通り、米の仕事場に着いて電話を入れた。

1年ぶりとは思えないくらい遠くに感じたり、はたまたもう1年も経ったのかと驚いたりした。

あいにくの雨で広い空は見えなかったけれど、それでもそうやってヨシダさんを待つのは全く苦じゃなかった。

思い出してもらってもらえることの凄さや縁というものの不思議を思う間もなく、ヨシダさんはやってきた。

畑から採ったばかりの枝豆とミニトマトとは呼べない大きなトマトをたくさん持ってきてくれた。

ヨシダさんの作る作物には前々から興味があったから、まさかそんな風に夏野菜をもらえるとは思っていなくて、思いがけないおいしいプレゼントがものすごく嬉しかった。

ヨシダさんは私に渡すもの渡したら、本当に話もせずにじゃあな!と言ってまた家の方に向かって車を走らせた。



雨の中、車を走らせると枝豆特有の土の匂いと青くさいにおいとがした。

どんどんそのにおいは強くなった。

すっごい好きなにおいとは違うけれど、新鮮なもの特有のにおいだった。

もらうのも食べるのも一瞬だけど、そこまで大きくするのは何ヶ月もの時間がいる。

色んな天気の中でヨシダさんが日々世話したものが枝豆やトマトなんだと思ったら、そしてそれを何の見返りも求めず、私が近くにいるという理由だけで分けてくれるのが本当に嬉しかった。

そして、そのにおいを嗅いだ時に、今日のこのブログにはこのことをおいせさん手帳の内容とからめて書こうと決めた。

書いたものそのものが、車内の枝豆のにおいと重なった。

紛れもない、夏のにおいだった。



家に帰ったら、普段料理なんか全くしない父が枝豆をもいでくれることになった。
(「もぐ」は方言かもしれない。「もぎとる」という意味)

母がいつかの夏に見た枝豆の上手な茹で方で即茹でてくれた。

枝豆もトマトも本当においしかった。

ほっぺたが落ちるとは、まさにそういうことだと思った。

枝豆もトマトもその甘さは他に類を見ない甘さだった。

本当においしかった。




そんな風にして、夏の思い出が1つ増えるのは素敵なことだった。

ふとした時に思い出してもらえることや、こんな風に何かを分け与えてもらえること、そのどれもが本当に貴重なことだとつくづく感じる。

ヨシダさんもいつまでも生き続けるわけではない。

いつか必ず終わりの日がやってくる。

こういう思い出を1つでも多く紡げることの凄さと貴重さを思うと、グッと胸にくるものがある。

今年の夏らしくない夏の一コマは、こんな風にとっても素敵なものになった。

2020年7月28日火曜日

㉖【おいせさん手帳】心のお守り




おいせさん手帳第26回目
担当:私

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7月28日

あなたの心のお守りを確かめてみよう。
不動明王の縁日

不動明王の梵名を直訳すると「揺るぎなき守護者」という意味になります。自分にとって心のお守りとなってくれる守護者(物)は何でしょう?パッと思い付いた人はその守護者(物)にありがとうと伝えてみましょう。思い付かなかった人は、いないのではなくまだ出逢えてないだけなので、自分にとっての揺るぎなき守護者と出逢うまで楽しみに待っていましょう。

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今日のこのメッセージのためのブログを書くにあたって、当初3つほど内容の候補があった。

さすがに3つ全部は書けないと思って、あとは直前になって書こう!と思ったものを選ぼうと静かに決めてた。

数日前は3つのどれもが同率1位みたくなっていたけれど、日を追うごとに他の2つは何かもはっきりと思い出せず、気付けば書くことは1つに自動的に絞られた。

ある意味予定通りだなという感じ。





書くのはいいけれど、またこの話題を書くのかと思うと、多少気が引ける。

痛い人と思われようが、頭大丈夫?と思われようが、しつこいと思われようが、それでも書けてしまうけれど、最近特に話題として多すぎやしないだろうか?とは思っている。

仕事の行きと帰りの車の中で思った。

読み手となる本人からして、自分のことをこと頻繁に書かれるってどんな気持ちなんだろう?って。

もう会わないとなれば、別に何を書かれても恥ずかしくもなければ痛くも痒くもないのかもしれないけれど、とにかく頻繁に同じようなことばかりグルグルと書かれて、それってどんな気持ちで毎回眺めるのかな…なんて疑問に思った。

私の書くこのブログってなんなんだろう?どんな立ち位置のものなんだろう?

そういうことも生涯知ることないんだろうなぁ…と最近はすっかりあきらめモードになっている。

だからこそ、今回の話はもってこいな話題だなぁなんて感じてる。





「揺るぎなき守護者」……自分にとって心のお守りとなってくれる守護者(物)は何でしょう?

心のお守りの最高に素晴らしいことは、そのお守りとなってくれる人なり物なりから許可を得なくていいことだと気付いた。

これが例えば「ごはんに行く」となると、相手の許可が確実にいる。

他の何でも、相手を伴うものは基本的に相手の許可が必要になる。

だけど、心のお守りには相手の許可は要らない。

自分の中でひっそりとお守りのようにしていても、相手の迷惑にはならないし、危害や気苦労も与えなくて済むし、相手も相手でそんなこと知ることも基本はないわけで、どこをどう切り取っても良いこと盛り沢山でも悪いことは1つとして思いつかない。

神社に売ってるお守りとかもそうだけど、お守りの許可はなくても、お金さえ差し出せばお守りを持つことができる。

自分側の意志だけで、自由に自分だけのお守りにできる。

お守りってすごい自由度も高ければ貢献度も高いし、そして持つ側は何の遠慮も謙遜もしなくていいのがさらにすごい。

「お守りにしてもいいかしら?」なんて断らなくてもいいし、「私がお守りにするなんてめっそうもない」なんて言う必要も思う必要もないし、ただただ好きに自分の中に持てるのがとっても素晴らしい。





そんな風に勝手にお守りにして早3年。

何が大きかったかと言えば、私の中の芯、軸のような感じで居続けてくれたこと。

生きることに楽しさを見出せず、何で生きるの?と思うくらいローテンションで、自己否定も激しくて、とにかく不具合満載だった私の人生。

そんな中で、いつも中心にあって、そして何があってもそこをいつも心の拠りどころにできたのはとっても大きかった。

思い通りではないこともたしかにたくさんあったけれど、こと心のお守りに関しては、何ひとつ不具合はなかった。

むしろいつも元気やパワーをもらえていた。

本物のお守りだった。

そういうのって、欲しいと思えばまたは言えば手に入るものとは違う。

すごい確率の中をぬって、このように引き合わせてもらえたことは、ものすごく幸運でしあわせだと断言できる。

2020年7月27日月曜日

㉕【おいせさん手帳】打上げ花火




2019 フェニックス



おいせさん手帳第25回目
担当:私

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7月27日

夏を彩る夜空の下で、祈りを捧げる。
花火大会の時期

夏の風物詩、大輪の花火は、祈りや希望、弔いなど、人々の色んな気持ちが込められて夜空高く舞い上がります。花火はあの大きな音と共に、空を、空気を、大地を浄化していることでしょう。花火玉の中に全てを込めるように、あなたの気持ちも一緒に打ち上げましょう。そして、ささやかな願いを自分や大切な人のために花火に託して祈りましょう。

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これを書いていた1年前の夏、まさか1年後に全国各地の花火大会はじめ色んな催し物が中止になるなんて、想像さえしていなかった。

去年の花火大会の思い出が思い返される。

それは地元の大きな花火大会の日だった。

友達と花火を見に行こうと約束していてもう少しで支度しようかという頃、ノムから電話がかかってきた。

ノムこと野村浩平さんと個人的にやりとりするようになってから2ヶ月目のことだった。

ノムは占星術講座のクラスメイトで、頻繁に通った2018年はクラスメイトの1人という域からお互いに出ることなく、初級講座7回分が終わった後にこのブログに掲載したメッセージを機に個人的なやりとりが始まった。

ビルの最上階にある空が見えるお洒落なカフェでお茶を初めてしたのが5月。

来月もお茶しよう!となったら、その日はノムの都合が悪く、そこでノムが八王子のノムとミッチー(ノムの恋人)、そしてれいさん(ノムとミッチーの大家さん)がいる場所に泊まりにおいでよー!と誘ってくれたのが6月。

そこで一気に距離が縮まったノムと私は、7月からは実に頻繁にメールだのLINEだの電話だのを始めた。

私が引きこもりなことも伝えたし、他にも色々とカミングアウトしていた頃だった。

ただ、ノムも私も電話する時はあらかじめ「今空いてる?」とか一報連絡を入れてから電話をしていた。

その日というより、多分記憶が間違っていなければ、その日以外でノムが何の前置きもなく電話してきたことは一度もないと思う。

とにかく突然ノムから電話がかかってきた。

珍しいから「どうしたんだろう?」と思ったけれど、相手はノムゆえに緊張することもなく、普通に電話に出た。

ノムが言った具体的な言葉は思い出せないけれど、ほぼ日みたいな手帳でそこに1日一言メッセージを書く仕事が来て、それを一緒にやらない?というものだった。

それはもう少し後になってから知ったことだったけれど、ノムがそんな風にして誰かと書く仕事を一緒にやろうと誘ったのは、その時が初めてだったとのこと。

そうやって、ノムと私の共同作業が始まった。

大きな花火が打ち上がる日、まるで2人のこれからのことをお祝いするみたいに、大輪の花が夜空に咲いた。




その花火大会の日、ノムとミッチーは東京の自宅で私が見ている花火と同じ花火を生中継でテレビで見てくれた。

私は打上げ場所から1キロと離れていないようなところで、ノムとミッチーは東京は東京でも西側の八王子だから400キロぐらい離れているんだろうか、そこで同じものを見ていた。

離れているのに同じものを見ていることが、私にはとってもしあわせに感じた。

同じところにいられなくても、同じものを見て同じように感動できて、そのことの凄さ(すごさ)がものすごく身に染みた。

ノムにその後、花火の写真も動画も送るとこんな風に返事がきた。

「ありがとう!! すてき! 音がまたよいね。空を、空気を、土地を浄化していrみたい。予祝しているみたい✨✨✨」

そう、ノムのこの言葉を使って私はその1ヶ月後ぐらいに、今日の担当分のメッセージを書いた。

この花火大会の思い出を残したくて、それで書いたというのが大きな部分を占めていた。




ちなみにノムではない部分は、去年から数えたら去年の2年前の夏の同じ花火の思い出だった。

同じように大きな花火が上がっているところで、ある人と私とその後メッセンジャーのような役割をしてくれる友達とが同じ空の下にいた。

一緒には見てないし、近くにいたと知れたのは職場の人たちの話で知った。

近くで同じもの見ていたんだな…ってそれだけで嬉しくなっていた。

磁場が繋がるように何かが繋がったと思わせるほど、その後色んなことがあった。

ちなみにその時は、友達には何も言わなかった。

切り出すにも何と切り出していいかもわからなければ、まだまだ全力で自分の中に湧いて出るものを否定していたから、そんなことは言わなくていいこと…、そんな風に思ったり、言おうかな…と思ったり、花火の横で私の心の中は忙しなかった。

花火大会を思い出すと、ノムとのやりとりとは別にその2つ前の夏の花火の時のことも思い出す。

今年は花火大会中止だけれど、1年前とそしてその前の前の夏の花火とがくっきりはっきりと思い出せる。

思い出の中に生きる花火と人とが自分の中にあるって、本当に生きることの醍醐味のひとつだなと思う。

そしてそれがしあわせの1つだと知ったのは、今年が初めてかもしれない。

2020年7月26日日曜日

自分を意識的に使うこと

これからの心がけとして記録。

連休初日のイケメンエンジニア硬派さんと職場一可愛いかった可愛い子ちゃん(過去形なのは仕事終了になって辞めてしまったから)と私という、何とも異色なメンバーで飲んだ時に気付いたことの1つ。

硬派さんが仕事ができる人だというのも、知的に賢く尚且つ聡明なのもそれは普段のやりとりで気付いていたけれども、それがちょっとの賢いとか聡明だとかいうレベルではないことを今回初めて知った。

完全にエリートな人で、度肝を抜かれた。

しかもそれは誰が同期なのかを私が聞いて、本来同級生と呼んでいた仲良しの人の名前がなくて、あれ?同期じゃなかったの?と聞いて、それで硬派さんの学歴が発覚した。

あまりにも低姿勢な上に物腰柔らかで、知識をひけらかすことも絶対にしないし、だけど必要なことは懇切丁寧に説明して私がわかるまで教えてくれるし、天は一体何物与えるのかと思うくらいに、与えられたものを生かしてるだけじゃなく、本人の努力も素晴らしく、何という素晴らしい人に引き合わせてくれたのかと思った。

硬派さんもすごいけれど、私のこの何の根拠もない肌感覚で「この人絶対に凄い!!!」ってわかる感性にも惚れぼれとしたv( ̄∀ ̄)v。

動物的勘に近くて、何でわかるのかと聞かれても答えられないところが私だな…と思う( ̄∀ ̄;)。

その硬派さんから、私の英語力について、「神の領域」と称され、すっかり気を良くした。

えっ!?そんな凄いの!?、思わず「私天才ってことじゃん!」と言ったくらい♪(*⁰▿⁰*)♪

ノー勉で臨んだTOEICで900点台を出したことをあくまでも聞かれたから答えただけで、しかもノー勉なのはあまりに褒められて調子に乗って聞かれてもないのに後で付け足したわけだけど( ̄∀ ̄;)。

勘違いされると悪いから言うけれど。

私が熱心に英語を勉強したからというのではなく(そういう根性は基本ない)、赤点ギリギリに近い英語の成績の人がアメリカの大学に行こうなんてしたら、相当な努力は必須なわけで、isとdoesの区別も付かなかった人がある程度まで英語力を上げるとするなら相当やらないとダメなわけでそれでやったということ。

そして、アメリカの大学が厳しいのは本当だと思うけれど、仮に英語の言語や文法専門の人たちにきちんと見てもらって、ある程度文法に問題なく意味が通じる文章のレポートや論文じゃないと、それがダメなだけで教授から見てもらえない、要は評価されないとか、単位取るのに十分な成績をもらえない→すなわち卒業できないとか、そういうことになるから、否応なしに「writing labo」と呼ばれるラボに通いまくって、そこでネイティブの専門家たちから英語を見てもらって、それで直すことの何百回としての今だから、そうしたことが後ろにはある。

適当にやってOKなら、元来面倒くさがりな私はそこでやらずに終わる。

「やらざるを得ない」ことが私の場合は何よりも功を奏したし、そうした強制力がなければ今頃もっとダメダメだったと思う。

そんなことまでは硬派さんには言わなかったけれど、アカデミックな分野で本当に研鑽した人から英語力を褒められて、私は調子に乗りまくった٩(ˊᗜˋ*)و!

で、ここからは一気に話が飛ぶけれど、私は「もっと自分を使って、自分の持っているあらゆるものを駆使して、それでそこから見える景色を見てみたい」と思った。

ちなみに私は自分の英語力が凄いなんて、これまでただの一度も思ったことがない。

上には上がたくさんいるし、私なんか比べ物にならないくらいの英語力の人なんて山ほどいるわけで、そして基本的に地頭は全くよろしくないから、それもあってある一定から先は伸びしろにも限界がある。

それで不自由はしていないから、可も不可もないし、今回はたまたまラッキーというか色んなことが重なって今のところに収まっているというのは否めない。

でも、ふと今の立ち位置や状況はこれ以上ない環境が与えられているんじゃないかと思った。

今の仕事はたしかに「英訳」という名前ではあるけれど、実際には交渉力もコミニュケーション力も調整力もリサーチ力も分析力も色々と必要になっている。

それ故に、これまで自分が色んな仕事の色んな現場で身に付けたことたちを総動員しないとやれないことが多々ある。

そうしたものを自分自らも認めて、主体的に動いてみたら何が見えてくるのか、それを見てみたいと思った。

これまでだって仕事はしてきたけれど、決して自主的という感じではなく、やらざるを得なくてやっていた。

やる気だって、もしやらなかった時に受けるだろう負のエネルギーによる体調不良が恐ろしすぎて、それを避けるためのやる気でしかなかった(それは今もあまり変わらない)。

だけど、ここから先は自分の持っているものをふんだんに使って、そしてそこで初めて見える景色を見るのも楽しいかもしれないな…と思った。

私の場合は派遣ゆえに、やったからと言って給料や地位が上がることは絶対にないから、そして長く勤める気もなく、正社員になる話なんか絶対に来ないけれど仮に来ても受ける気などなく、だからこそのびのびと自分の感覚と気持ちだけで純粋に動けるのもいいなぁと思った。

やってもやらなくても何も体外的なものは変わらないから、だったら逆にそれはそれで自分の見ている世界がどう変化するかを見るのは一種の娯楽みたいなものだと思う。

腹が立つことも、納得がいかないことも、今後もわんさかありそうだけど、それでも自分を意識的に使うという意識の中で時間を過ごしたらどうなるのかな…と楽しみになっている。

おそらく今週あたり、9月以降延長になるのか契約終了になるのか連絡が来ると思う。

どちらに転んでもおかしくないから、そこは神のみぞ知るの領域だと思っているけれど、あと残りが1ヶ月でも反対にもう少し延びたとしても、自分を使うことを楽しんでみたいなぁと思っている。

ちなみにこんなこと書いているけれど、早速明日からの4連休明けの仕事は行く気ナッシング過ぎて、何がしたいって明日もダラダラしたい!!!というのが本心( ̄^ ̄)ゞ

2020年7月23日木曜日

ご愛用ください


真ん中の鳥のワンポイントもお気に入り
(♡´艸`)♡



「ご愛用ください」

お釣りを受け取った後、肩掛けのかばんを手渡してもらいながら、綺麗な女店長さんに言われた言葉だった。

良い意味で立つ店舗を間違えたんじゃないかと思うくらい綺麗な店長さんで、デパートの化粧品売場とかエステサロンとかにいそうな、本当に小顔でスタイル良くて綺麗な女性にそう言われて、ありがとうございますと言って受け取ってその場を後にした。

人生で初めて、買った商品を「ご愛用ください」と言われた。

これまでだっていくつかカバンは買ったし、他のものももちろん買ったし、もっと高いカバンだって買った。

だけど、「ご愛用ください」なんてただの一度も言われたこともなければ、これから先言われることもないと思う。

これが仮に高級ブランドのヴィトンやGUCCIやCHANELなんていうタイプの店でも言われないだろうと思う。

本当に素敵な買物で、そしてペンジュラムがゴリ押しというか「買え買え」と言うのも頷けた(買え買えとは言わないけれど、ずっと買うにYESだった)。

不思議な買物だった。

そもそも私はかばんを買う予定は1ミリもなかった。

思い出した。

何でその大型のショッピングセンターに行ったかと言えば、メガネを探しに行った。

今愛用しているメガネの見た目(外観)に不具合が出てきたから、それでメガネを探したのが最初だった。

ついでだから、フラフラと広い店舗の中を歩いた。

気になる店があれば入ってチェックした。

そんな折に、鞄屋さんを見て、「あれ?ここ閉店したんじゃなかったっけ?」と思った。

入るのは二度目か三度目。

お高い店だから買う気もなければ、本当に少し見たらすぐに出る、完全なウインドーショッピング目的で立ち寄った。

小さな店舗を少し見ると、「50%OFF」の貼り紙が見えた。

こういう時のOFFの商品で「これ素敵!」なんてのはまずない。

だけど自分の性なのか何なのか、「50%OFF」と見たらチェックせずにはいられない。

何の期待もなく見たら、あれ?えっ?超好き、超好み、超タイプ♡\(*ˊᗜˋ*)/♡みたいな、肩掛けかばんが目に飛び込んできた。

色味も大きさもデザインもなんかとても良い。

次は「でも買わない、買う予定はない」と思いながらも、フラフラとかばんに近寄って手に取って見た。

やばい、近寄れば近寄るほど好み(♡´艸`)。

美人店長さんとは違う(その時は美人店長さんは不在)、これまた可愛い子ちゃんの店員さんがやってきて、かばんの中にお手持ちの財布とか入れてみてもいいですよ〜などと言ってくれ、遠慮せずに入れてみた。

幸い、すべての必要最小限のものたち ー 財布、携帯、ペンジュラム・オルゴナイト・名刺お守りの入った巾着、ティッシュ、ハンカチタオル ー とあって、全てを入れてみた。

入る。

可愛い子ちゃん店員さんが「長さも変えられます」と教えてくれた。

長さは問題なかったけれど、そうやって調節できるのも良かった。

Suicaを入れる場所もある(東京遠征を想定)。

実際に肩にかけて鏡で見て、いいなぁ欲しいなぁなんて思い、ペンジュラムは出さず巾着をペンジュラム代わりにして聞いて買うにYESで、どうしようかと思った。

半額になった値段は諭吉1枚に収まるのも良くて、値段にも惚れぼれした。

連日残業でお金を下ろせなくて、ようやく下ろしたまとまった諭吉ご一行様が財布の中にあるのもさらなる迷いを生んだ。

これがお金がなければ絶対に買わないのに、うっかり中途半端にお金があって、さらに迷いは増した。

そこで私は、今日1日だけの取り置きをお願いした。

二つ返事でOKをもらって、名前や電話番号も聞かれずに不思議に思ったけれど、そもそも1日1つでもバッグが売れたらいい方だろうみたいな店だから、それでわかるのかな…と思った。

そして可愛い子ちゃん店員さんがラストまでの店番なのかもしれない。

とりあえず取り置きをお願いして、私はその後真っ直ぐに人目にあまりつかないベンチを探した。

ペンジュラムに聞こうと思った。

ペンジュラムはYESと言う。

何回聞いてもYES。

そうだ!と思って、ずっと買う予定の肩掛けかばんのページをiPhoneで見た。

それは2年前の2018年の春、金沢の妹一家を訪ねた時に、百貨店の催し物で売られていた肩掛けかばんだった。

一目惚れしたものの、かなり高額なそちらのかばんはいつかお金に余裕ができたら買おうと思ってずっと狙っていた。

そんなことは、ニート生活=極貧生活を送ってしばらく忘れていたけれども、今の仕事を始めてからまたそのかばんを探して、購入先もわかって、タイミングが来たら買おうと考えていつもiPhoneのネットで見れるようにしている。

ところが不思議なことに、私はお金ができてからもどういうわけかそのかばんを注文せずにそのままになっている。

毎月のように眺めて、そうだ注文!と思うのに、なんだかよくわからないけれど注文をしないこと数ヶ月。

ということに現在進行中になっているそのかばんの画像を見た。

それもやっぱり買うは買う。

だけどそれを見て初めて「シーン別に使い分けたらいい」と思った。

取り置きのかばんは、定価なら絶対に買わない。

けれども今回みたいに半額となったら欲しい。

ネット上のずっと買うことに意欲的な方は定価でも買う。

だけどこちらはちょっとしたオシャレなシーンでは使えないこともある。

反対に取り置きかばんは、飲み会とかもう半永久的に体験しないかもしれないデートとかに使えそう!と思った、もちろん普段使いもするけれど。

ここにきて初めて「2つかばんを持ってもいいかもしれない」と考えた。

2つかばんを持って、それでシーンで使い分ける。

それありだ!と思った。

のと同時に、取り置きかばんはそこまでの価値があるのかも考えた。

諭吉1枚が旅立つわけで、それに見合うものなのか、ただの衝動なのかしっかり見極めようと思った。

そこで私はもう1つ大きな面積の方の鞄屋に立ち寄った。

田舎の店だからそこまで品揃えは良くなくても、そこそこのものは置いてある。

同じような値段の同じようなクオリティのかばんを探したら丁度あった。

「日本製」のそちらのかばんは、さすが「日本製」で本当に良かった。

ものすごく良い!って思った。

けれど、それがある意味決定打的な感じになった。

日本製のそのかばんは今後も定番シリーズでずっとありそうなのと、もう少し年齢が上がってから身につけることの方が似合いそうと思った。

反対に取り置きかばんは、今の40代前半だからこそ身に付けられると思った。

普段年齢なんか気にならないけれど、40になるかならないかの辺りから、身に付けるものに関して色々と制約が出てきた。

色使いとか形がやたらと難しい。

若作りをする気はないものの、かと言って一歩間違えるとやたらとババア感が出るのとで、すごい選択が突然難しくなった。

服なんかは顕著すぎる。

どの服を着ると可も不可もない、とりあえず自分と服とが馴染むのか、その辺りのさじ加減が難しくなった。

それはかばんなんかもそうで、今の年齢的外見だからイケるものと、ちょっと若者過ぎたり反対に年寄り過ぎたり、色々アンバランス過ぎて、センスなどない私からすると突然訪れた外見的なモデルチェンジについて行けなくて「これはどうしたらいいんだろう?」なんて思うことも出てきた。

そんなこんなを思った時、今の私やこれから40代半ば辺りまでの自分なら、その取り置きかばんを楽しくオシャレな気持ちで持てるような気がした。

ペンジュラムに買う買わないを聞くと、やっぱり買うになった。

なんとなくそのかばんは、私に色んな楽しみをもたらしてくれる、そんなかばんなのかもしれない…と思った。

私はまた元の店に戻った。

可愛い子ちゃん店員さんはいなくなっていて、冒頭の美人店長さんがいた。

可愛い子ちゃん店員さんの姿はなく、ちょっと待ってみようと思った。

しばらく小さな店内を見た後、もう戻ってこないのかもしれないと思って、その後私に素敵な言葉をかけてくれることになる美人店長さんに声をかけた。

あのかばんの取り置きをお願いした者です、と言ってもう一度試着ならぬお試しをさせてもらった。

断りを入れてから、もう一度財布をはじめとする身の回りのものたちをかばんに入れて肩から掛けて鏡で確認した。

買おう。

心は決まった。

美人店長さんが形は使っていくうちに馴染んでくるとか、色も変化するとか、いくつか革特有の未来図を教えてくれた。

よくよく考えると、多分このかばん、他にはそんなに出回ってない気がする…と思って、それもまた私にはツボだった。

私は人と同じ物よりも、オンリーワンな世界に1つのものとかの方が好きだったりする。

これは後から調べて知ったことだけれど、私が今回手にしたデザインは、もう取り扱い自体がないもので、唯一某通販サイトでラスト1があるだけだった。

レジに運んで行って会計を終わらせて、それで最後に美人店長さんが口にしたのが冒頭の
「ご愛用ください」
だった。

本当にとっても素敵な買物になった。

生涯を通じて、「ご愛用ください」と言われる買物にはもう当たらないかもしれないな…と思うのと同時に、そんな素敵な言葉をかけてもらったかばんを買うことができて大満足だった。





その夜ノムと電話した。

この話もした。

ノムはこの「ご愛用ください」の言葉をこんな風に解釈して私に伝えてくれた。

「自分に与えることを許可する。
そして愛用するというのは、肉体を持った人生を楽しむ。
そんな風に聞こえるねえ。」

ノムの解釈はとても素敵だった。

そしてものすごく納得した。

私は自分に与えることを制限しがちで、そしてその行為すら忘れてしまうことが多い。

お金が限られた生活を送ると、それはそれで暮らせるし、普段の物欲の無さがそういう時はものすごく助かるのも本当だけど、その時の感覚に近いまま今も普段生活しているから、何かを買うことをほぼしていないことに気付いた。

買うのは飲み物(アルコール飲料)とつまみになる菓子類、仕事で食べる小腹用のものとあとは日用品。

それ以外の買物を多分していない。

久しぶりな自分への買物は、気持ちを満たしてくれただけじゃなく、未来の楽しみも自分の元に運んできてくれた。

自分に与えていいんだ。

欲しいものを、心が躍るものを、自分のために用意していいんだ、そう自然に思えた。

なんなら4連休の初日、イケメン社員の硬派さんと元社員の可愛い子ちゃんと私とで飲み会をする。

その際、ホテルに予約をしていて、時間を気にせずに飲めるのも嬉しいし、翌朝の朝食も楽しみで仕方ない。

おいしいごはんのホテルを選んで、今回は市民限定プランを利用して半額の格安な価格で泊まってこれる。

こういうのもいいなぁってノムと話した。

羽を伸ばして、のんびりと過ごす時間。

4連休に相応しい、中身の濃い時間になりそうで、今から楽しみで仕方ない。

そんな風に、自分に与えることを覚えた今年の夏。

新しい体験を、それも手を伸ばせばできそうな、でもちょっとだけ勇気が必要…みたいな体験を自分に色々与えてみようと思う。

2020年7月20日月曜日

㉔【おいせさん手帳】梅雨日記




おいせさん手帳第24回目
担当:私

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7月20日

年に一度、梅雨の時だからこそ出会えるもの。
土用の梅仕事

ジメジメした季節にも粋な体験があります。「梅の雨」と書くように、梅雨の終わり頃梅干しを漬けます。部屋の中に梅を干すと、この時期だけ味わえる「梅の香り」があります。匂いをかぐだけで心が柔らかくなったり癒されたりします。梅雨ならではの芳香を愉しんでみませんか。

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2020/07/19
ノムからのメール

ぶっしーへ

今日は久しぶりに気持ちよく晴れている八王子です。
あ、この世界を忘れてた、って思ったよ。
こんなに快晴って気持ちが開放的になるのかー、って驚いた。
この梅雨は、ほぼ毎日雨が降っていて、地味に強烈。笑
すっかり、その雨が降っている、雨が降りそうな曇天に慣れていて、
その「慣れてしまう」ことの強さと危うさみたいなものを思っている。







今年の梅雨は梅雨らしい、ジメジメ、毎日雨の梅雨になっている。

ノムが言った「この梅雨は、ほぼ毎日雨が降っていて、地味に強烈。笑」って言葉が本当にその通り!って思う。

うん、地味に強烈。

太陽の光って本当に人間を元気にするんだなぁってつくづく思う。

26歳の私に「うつ」の診断を下した精神科の先生は、服薬治療を拒んだ私にその代わりのものとして、1つには日光浴を強く推奨した。

知りたい人がいるかもだから、当時先生に薦められたことを紹介すると。

・日光浴をして、とにかく陽の光を自分に浴びせるのが大事。
(セロトニンとかその辺りの何かに関係してるとか言ってた)

・セロトニンだったか、とにかくうつの人が不足しがちな脳内物質を体内に作り出すために、ヨーグルトや青魚(サバとか)、カツオ、マグロ辺りが良い。

ヨーグルトは目安として、2日で500gのパックを1パック食べる。←これは本当にやった。

・クヨクヨ考えない。クヨクヨ考えても何とかなるわけじゃないから、その辺りは割り切るようにする。

こんな風だったと記憶している。

それから何年もしてから、自分の親がうつ病になったという友達が教えてくれた方法。

耳の穴に日光を浴びさせること。

ぶっしーは色んなことを深く見つめて思いつめちゃう傾向があると思うから、やってみるといいよと、決して押し付けではなく本気で心配してそんな風に教えてもらった。

実際に耳穴に日光を当てるのはそれ以降時々思いついてよくやっている。

どのくらい効果があるかは知らないけれど、それを教えてくれた友達との当時のやりとりのシーンをいつも思い出して、なんとなくそのことが私にそもそものエネルギー供給をしてくれる。

人のやさしさは時間が経っても色褪せない良い例の1つに数え上げられる。







今年の梅雨は何か梅雨らしいことしたかな…?と思った時に、何も思いつかなかった。

代わりに、この梅雨の時期にやったことを2つほど備忘録として記しておきたい。

1つには、69歳の母親に国語と算数の問題を教えたこと。

この春に母親は30年以上勤めた会社を退職した。

ずっとやりたいと言っていたハローワーク仲介の介護の勉強をするための入校試験用に国語と数学の勉強をしている。

それに付き合った。

国語と数学はさておき、その年になっても色々と挑戦しようと考える母がすごい。

基本的にじっとしていられない人だから動いている方が健全なんだろうけど、それにしたってすごい。

例えば自分が69歳になった時、そんな風に勉強しようと思うだろうか…?と考えると、する気配は微塵も感じられない。

ちなみに41歳の私が望む自分の69歳ないし70歳は、興味のあることを在宅で普段はマイペースにやって、時々お友達と集うみたいなのに憧れる。




もう1つ、毎年梅雨の恒例行事化しているもの。

父と母と蛍を見に行くこと。

今年も連日雨続きの中、ある日の夕方から夜にかけて曇り少し晴れ間みたいな天気になった日に見に行った。

民家がなくなるくらいの所から急に蛍が飛んでるスポットがあって、それを見に行く。

本当にただ行って、車から降りて20分30分歩きながら見て、それで終わり。

だから何ということもないけれど、気付けば新潟に戻ってきてから毎年そうしてるなぁと気付いた。







今年の梅雨は、梅の香りを嗅ぐこともなく、長雨にどんより空にそんな時間をずっとやり過ごしている。

両親と住み始めてから、母が梅干しを漬けるから私は漬けなくなった。

これを20日の昼休みに書いているけれど、先週金曜日に見つけた間違いが、まさかの他の間違いまでもボロボロとドミノ倒しのごとく出てきて、その修正作業に追われている。

英訳以前の余計な仕事で、梅の香りの話と今の現実とがあまりにもミスマッチ過ぎる。

何でこんなこと書いているかと言えば、私の中で「綺麗事だけを書いて終わりたくない、本当のことを書きたい」という気持ちがあるから。

梅の思い出をいくつか書くことはもちろんできるけれど、にわか信じ難い今の修正作業で気持ちはそちらにあまり向いてくれない。

当初の修正は番号だけだった。

そうしたらそこに単位の修正も加わった。

で、それらが74ページ分の資料の至るところにあるから1枚1枚丁寧に見る羽目になって、その丁寧に見たら日本語と英語とで強烈に不一致という箇所がいくつも出てきた。

もはや取扱説明書の役目を果たしてない資料を前に、ドッと疲れが出た。

これを直すか直さないかは、全て私1人の手にかかっている。

元々の新規の英訳さえも終わってないのに、きちんと翻訳されていないところも見たら膨大過ぎて、梅の香りさえも飛ぶ勢いの頭の中になっている。

これが人生の中で今だけとわかるからやれる。

けれどそんなことが来年も再来年もなんてなったら私はやれない。

いつか終わると思うからやれるのであって、そうでなければ万年やる気なし子な自分がやれるわけない。

2020年色々強烈すぎて、たくさんのことが噴出しまくりだけど、そこを過ぎた先の未来には、蛍鑑賞とか梅の香りとか、そういうのを自分の人生の中で引き継ぎたいなぁと思う。


我が家の青梅

梅の花 2020 

2020年7月16日木曜日

誠実ヒーローvsゴマすり

毎日事件簿続行中\( ̄д ̄;)/

最近の相手は、名付けてゴマすり部長。

本気でなぜに何ゆえに役職付きの、それも単なる部長ではなく部長の中の部長みたいな役職なのかがわからない。

久しぶりどころか、人生初な気がする、能力が全くないのになぜかトップの座についてる人。

それがまだ人間性が素晴らしいとか、リーダーシップ力があるとかならわかる。

それらは最悪な上、とにかくみんな面倒なことは部下たちに全部押し付けて、自分はひたすら権力だけで相手に無理強いをさせ、そして上から見ると(←これは今日初めて知った)、何でも引き受ける、完全なYESマンな人。

事の発端は、そうでなくても締切ギリギリの案件を抱えていて、それは確実に機械が出荷されるから何が何でも間に合わせないといけないもので、それを抱えてる渦中で小さな英訳が2つ入った。

1つは2年目くらいの新人くんとは思えない、超きっちり仕事をする人で、予め英訳したから見てくださいの依頼だった。

ゴマすり部長の部下とは到底思えないスーパーできる君で、真面目にゴマすり部長の机に爪の垢でも煎じて置いてくれないかと思った。

もう1つは短い単語が4つで、そのそれが見た瞬間「ヤバイ」とわかるものだった。

それらの単語が客先に渡る書類に記載されるものだというのはわかった。

で、その短い単語が、見ただけで、もし誤訳したりおかしな訳を付けたら、それだけで一発クレームになったり責任問題の話に発展するものだとわかった。

契約や営業、認可なんかが絡む単語は、基本要注意だし、私は本来そういう言葉を普段英訳することもなければ、それらの書類を見ることもないから、そもそもの言葉がわからない。

それゆえに、それは確認しなきゃまずは英訳できないこと1000%確定だった。

頼んできた担当者に言葉を確認したものの、それでもじゃあそれを使って何と英訳するのかさっぱりだった。

そして、この会社のことだから、今作った英語はこの先よほどの改正や見直しがない限り半永久的に使われるものだというのは明らかだった。

余計と重すぎて、私は訳すだけ訳したら海外部門トップのMr.ダンディに内線電話をかけて、今から質問に行っていいかを聞いた。

二つ返事をもらっていそいそとMr.ダンディのいる部屋に向かった。

Mr.ダンディは私の持って行った英訳を見た瞬間、「武士俣さん、これはどういうこと?」と聞いてきた。

早くも雲行きがかなり怪しい感じだった。

私は聞いてきた単語と日本語の説明とをそのまま伝えたら、Mr.ダンディはますます「?」となっていた。

速攻で担当者に電話をかけて、内容を確認した。

そうしたら担当者も答えられない内容で、Mr.ダンディは担当者にまずは各部門の熟知してる者に確認して中身がわかったら折り返しをするよう指示していた。

私にはそれがわかったらすぐに返事すると言われた。

よろしくお願いしますと言った後、もう1つ相談があると言って、それは英訳じゃなくてゴマすり部長の対応についてだった。

大至急の英訳がいつもゴマすり部長経由のその下の人たちから来ていて、要はゴマすり部長が超ギリギリの締切を言い渡す形で、私のところはもうどうにもならない状態でやるしかないようになっていることをまずは説明した。

自分のところの部長も色々間に入って調整もしてくれてるけれども、基本は調整不可の状態でくるから、もうどうにもならないのが常態化している。

部長からゴマすり(ここからは面倒だから「ゴマすり」と呼ぶ)に何回か言ってもらってもそれもさっぱりで、ゴマすりは常に屁のかっぱ状態で全く反省の色も見せない。

この間なんかは、自分から依頼したくせして、私が懇切丁寧に英訳が終わった後の連絡をメールでも手書きメモでも作って渡したのに、無視。

本気で無視。

翌日女上司から連絡してもらって、そこで女上司から「武士俣さんの昨日のメール連絡ですが…」と切り出されてるのに、それに対して私には一言もお礼も返事もなく、女上司にだけ言葉を返すという、人として真面目におかしな対応をゴマすりはしていた。

で、Mr.ダンディにこのゴマすりの暴走を止めるために何か注意してくれる人や軌道修正を図るために私は何ができるのかを聞いた。

Mr.ダンディはあくまでも、私は部長経由でMこれからも色々調整してもらうこと、そして本当に無理な時は無理だと早々と申し出て、あとは上から調整をしてもらう他ないと言われた。

ごもっともゆえ、私はこのまま都度都度部長に掛け合うしかないなとわかった。

Mr.ダンディにお礼を言って、後にした。

ちなみにこの時にMr.ダンディがゴマすりは何でも引き受ける人で断らない人だと言っていて、それで上の評価を知った。

ゴマすりの栄光のためにどれだけの人が犠牲となっているのか計り知れない。

Mr.ダンディもその在り方は本来のやり方とは違うし、新潟に来て3ヶ月、全体がどんな風に仕事をしているかがよくわかって、そんなんでは今の私の状況、要は先々の人たちが先延ばしをして最後私の英訳のところにすべてのしわ寄せが来るのは明らかで、それは会社として大問題だというのは言葉にしながら理解してもらえた。

午後になってからMr.ダンディが私が頼んでいた英訳を持って私のところにきた。

メールも書いてくれていて、そこに詳しいことはあると説明してくれながら、私が想像した以上に超ヤバイ英訳だったことが判明した。

事の顛末が発覚して、私の英訳については「英語」としての添削をしてくれたけれども、それとは別に現場レベルで徹底してやらないと非常にまずい、それも会社として非常にまずいものだったことが判明して、それについては担当者の若社員に言わせるのも大変だから、Mr.ダンディから現場の上の者たちに連絡・通達をするとメールにはあった。

口頭でも言われたもののちんぷんかんぷんで、後からメールを読んでやっとわかった。

っていうか、そんなヤバイ単語の英訳だったわけ!?、ガビチョン( ̄ཀ ̄;;)って感じだった。

で、その少し前に、部長→女上司経由で、私の直近の英訳依頼の一覧が必要だと言われた。

なんとMr.ダンディから、部長とゴマすりにそれぞれ電話連絡がいって、私のところにくる英訳があまりにもギリギリの依頼ばかりで、それについてもう少し配慮できないのかというものが行ったようだった。

部長はさておき、ゴマすりはなんと「自分はそんなに頼んでない」とほざいたらしい。

ゴマすりよ、あんたが頼まなきゃ誰が頼むのか!?と聞いてやりたいぐらいだった。

手書きメモでもいいと言われたけれど、手書きの方が大変で(そもそも手書きで各資料の題名だけ書いたところでゴマすりは理解できないに100点)、さっとExcelで表を作った。

女上司からは、本気でゴマすりはそれでもわからないだろうから、各資料の最初のページだけ付けて一緒に渡す作戦にしようと提案されてそうした。

それを部長に渡して、後のことはお願いした。

部長は早速ゴマすりのところへ資料ごと持って説明しに行った。

内部告発みたいで(みたいも何も本当にそう)胸がドキドキしたけれど(もちろん恋のドキドキじゃなくて寿命が縮まる方のドキドキ)、冷静に振り返って、このままのやり方でいいのとは絶対に違ったし、もし私が声を出さなければ私は困ってないということに周りからは見えてしまうから、やっぱり言うしかなかったなと思う。

ゴマすりは案の定意味不明な反応で全く反省の色もなかった風だけれど、少なくともMr.ダンディがわかってくれたのは本当に嬉しかったし、それが私の誇張でも何でもなく、現実がそうだというのはMr.ダンディも私の持ち込む英訳を見て否が応でも知ったという感じになっている。

私の持ち込む英訳の2回に1回以上は毎回会社の何かを揺るがすほどの問題が絡まっていて、Mr.ダンディもそれが発覚する度に方々に連絡を入れてるようだった。

子会社による技術盗用とかΣ(꒪◊꒪; )))) 、社内の顧客には出せない情報の流出とかΣ(꒪◊꒪; )))) 、協議中の内容が決定事項のように出るとかΣ(꒪◊꒪; )))) 、誤解を招く営業文句とかΣ(꒪◊꒪; )))) 。

私が本来関与する内容ではないものたちが英訳依頼で来て、それで不明点を確認するとそういうことが発覚しているわけで、Mr.ダンディもさすがに私がどうこうではなく社内の仕事の在り方が完全に狂ってるのはわかっていて、そこにも鋭くメスを入れている。

私は切られても敵をたくさん作ることになってもいいから、やるしかないんだと思う。

何百人とかいる組織の中で、「英訳」という仕事のおかげで海外部門のトップともパイプができて、そしてとにかく通い詰めたことが奏を功して今に至っている。

Mr.ダンディは絶対に手抜きもしなければ、顧客対応第一でやっているから、そしてそれがコケたら会社がコケるのも知っていての最善をいつも尽くしている。

ちなみにMr.ダンディは書類上は海外部門のトップからはもう一線を退いている。

けれども、内情はMr.ダンディが今も一番上で采配を振ってるのは間違いなくて、技術・顧客対応・英語と三拍子揃って熟知してるから、そしてその上で発言をしているから誰も文句を言えない。

英訳は毎回カオスだけれど、Mr.ダンディみたいな人がいるから、最後の防波堤となって守ってもらえてる。

冗談抜きで、私の英訳ならそれで余計なクレームになったり問題を新たに生み出すことは簡単に想像できる。

それはやっぱり顧客対応をずっとしてきてるMr.ダンディみたいな人でなければやりくりできない域のもので、私には到底編み出せない言葉をMr.ダンディは編み出している。

今回のガビチョン英訳も、Mr.ダンディは最後とても綺麗に整えてくれて、これなら顧客に良い印象を残したり、又は変な誤解を生み出さずに済むのはわかった。

というか、Mr.ダンディに言われて、今回の英訳依頼のものは顧客に絶対に出してはいけない言葉だったことが判明した。

だからMr.ダンディも情報収集を徹底して、その後上の者たちに説明すると言っていたのは、そういう理由だったことがわかった。

ゴマすりはそれもせずに全て部下に丸投げ、そして内容理解もできなければ発言権もない部下が私のところの部署に英訳依頼をして、そしてさらに何も知らない私が英訳をするわけだから、どこまでも悪循環でしかない。

さらには、Mr.ダンディに言われた後なのは明白だったけれど、その後ゴマすりは英訳依頼と同じメールに返信してきて、若い部下にその言葉はその資料に相応しくないからもっときちんと調べて適切な表現に変更しろとのたまわっていた。

それはあなたが本来考えなきゃいけないことではないんですか?と思った。

指示は少なくともあなたの部下じゃなくあなたに行ってるんですよ、違いますか!?と言いたくなるぐらいに酷い文面だった。

私も私で意地悪をして、最終的に英訳はこうしてMr.ダンディの伝言通りこんな風に関係者に発信したと、そのゴマすりのありえない発言もくっつけた上で転送したv(ΦдΦ)v。

Mr.ダンディからは、若い社員の子にはMr.ダンディ直々に説明して、彼は賢い子だからわかったと思うと返信にあった。

そして、そこにはまた困ったことがあったらいつでも声をかけてくださいと私に向けて書かれてもあった。

本当にいつもいつも快く助けてもらっていて、そしてそんな風に言ってもらえてありがたいばかりだった。

自分で言うのもなんだけど、もし私がストップをかけなければ、本当にものすごく危ない未来になったものはこれまでも数限りなくある。

英訳はいつの時も最後の砦で、それの出来が上出来でなくてもせめて可も不可もないところまでに仕上げないと、その後は色々悲惨になる。

そのすごい強烈な立場をMr.ダンディから何回も救ってもらっている。





書いた日から何日か経過した。

相変わらずの激務で、日々綱渡りみたいな仕事をしている。

今日もこれから明日出荷の機械なのに、取説が準備されてないことの最終調整をしないといけない\\٩(๑`^´๑)۶///←怒りと呆れのボルテージ上昇中。

きちんと間に合わせても、内部のゴタゴタ軍団に毎回足を引っ張られている(T_T)

一事が万事そんな風ではあるけれど、いや、そんな風だからこそ、Mr.ダンディのように仕事に対して本当に誇りを持って誠実に向き合う超できる人と知り合えて、さらには色々と助けてもらえてることは、あの会社の中でもスーパーミラクルなことだと日々痛感している。

Mr.ダンディは、人にも厳しいかもしれないけれど、それは少し違っていて、きちんとしていることに対してはどこまでも助けてくれるし、そういうことに対しては絶大なフォローを誰に対しても分け隔てなくしている。

反対にきちんとやってないことには、ガツンと言うし、どうしてきちんとやらなければいけないのかも、保身のためとかではなく、対お客さんとか、組織としてより適切な在り方とか、理由もはっきりとしていてわかりやすい。

ゴマすりみたいなその場しのぎなことは絶対にしないから、私も安心して相談に行ったり協力をお願いできる。

書いててわかった。

いつも同じ対応でいてくれることが私にとってすごい安心感なんだとわかる。

きちんと筋が通っていて、裏表がない、その状態にいつも救われている。

そしてMr.ダンディはいつの時も温かく迎えてくれる。

自分の歩く道をこういう時に「大丈夫」と信じられる。

ゴマすりみたいな人もたしかにいるけれども、本当に自分がきちんとしようと思えば、それを助けてくれる人が必ず現れる。

窮地なのに助けてもらえない時は、それはもうやり方が違いますよということなんだと思う。

私が信じる方法で進むのなら、そしてその中で困ったことがあって私ではどうにもできないことなら、きちんと助けてくれる人がいる。

いつの時も手探り状態だけど、試行錯誤の中でもとにかくベストを尽くすことをしていたら何だかんだと救世主たちが現れることはわかってきた。

人生のお勉強みたいだなと思う。

どこに向かっているのかさっぱりわからないけれど、とにかく今あることをやりなさいということだと思って今日も今日でがんばろって思う。

私の原動力って何だろ?って今考えた。

パッと思いついたのは、1人の人だった。

その人のためにがんばるのとは違うけれど、もしやることをやった先には自分が本気で望むことが叶うとするなら……。

それを信じて私は動いている気がする。

本当にもう一度引き合わせてもらえるのなら、私は自分のできることは何でもやります!という心持ちでいる。

2020年7月12日日曜日

衣替え・服・車・心の中

ようやく衣替えをして、シーツも洗って、羽毛布団からタオルケットに切り替えた。

毎日制服なのをいいことに、衣替えは延び延びになっていた。

突然スイッチが入ってくれて、夏服を段ボールから出した。

夏服と冬服を入れ替えて、自分が本当に服が少ないことに気付いた。

おしゃれに興味がないのは相変わらずで、私は生涯服に興味もなく過ごすことになりそうな気がした。





仕事が恐ろしいほど激務で、それも周りの人たちが先延ばしにしたことでそのしわ寄せが全部私のところに来るという、よくよく考えたらおかしな構造だと気付いた。

この間職場の人に言われてようやく私も理解できたけれど。

私の仕事はたしかに「英訳」かもしれないけれど、取り扱う内容のレベルは、重役たちが客先に謝罪方々持ち込むような案件がほとんどで、それの英訳をしている。

だからいつもすごい緊張感だし、失敗できないプレッシャーも半端ない。

珍しく、何も書きたくなくなるくらいにグッタリとした1週間だった。





衣替えをしながら、1年前、2年前の自分のその時の記録が出てきた。

気持ちが落ちていて、未来の心配をたくさんしていた。

未来の心配というのは、このまま何もしたくなくて働かず、なのに生き続けることになったらどうしよう?みたいなことだった。

お金の心配とも違っていて、社会に出る自分というのが全然想像がつかなかった。

今働いていて思うのは、基本的にやる時は超がつくぐらいに全力でいくから、その辺りはあまり心配しなくても良いことだった。

それよりも、ひとたび外に出る気持ちがなくなると何もしたくなくなるのが私の自然体のようだから、それも自分だと受け入れていくのが自分にとって一番やさしい在り方なんだろうと思う。





4連休の初日に開催の飲み会に向けて、服の新調などをした関係で、足りないものをユニクロへ見に行った。

その前に図書館に寄って、ZARDのベストアルバム的なものを借りた。

車のスピーカーからは今はもう生きていない人の声が流れていると思うと、不思議な気持ちになった。

ずっと聞き慣れたその声は、もうこの世には存在しない人なんだなんて信じられなかった。

いじめ全盛期の頃に流行っていた曲が続いた。

あの頃は、いじめられる自分が死ぬほど恥ずかしかった…、それが当時の一番の気持ちだったかもしれないと今さらながらに思った。

いじめられることは、そういう存在なんだと、自分が価値のない、いじめられても良い存在なんだと、それを親や妹たちに知られるのが嫌だった。

今思えば、そんなことはもちろんなくて、そして間違ってもいじめられてもいじめる側ではなくて良かったと思っている。





ふと、今人生で一番自分のペースで生きていられるんじゃないかと思った。

相変わらず鈍臭いし、ノロマな部分もたくさん持ったままだし、足りないところは数え上げたらキリがないくらいだけれど、なんとなく自分のペースと社会のペース又は外の世界のペースとが調和できるところを見出して、その中で心地よく漂う瞬間も色々とある。

意地悪い人たちにも時々遭遇するけれども、基本的に人には恵まれている。

助けて!と言えば、助けてくれる人たちがいる。

10代の頃の居場所はないわ自分がいていいんだか悪いんだかわからないわみたいな、そういう自分が存在しているだけで苦しくなるみたいなことはなくなった。

平和な日々がある。

大人になった今の方がうんと生きやすい。





久しぶりに服を買った。

夏服のセールをやっていた中で、春秋服みたいなのを2枚、60%と70%OFFで買ってきた。

名古屋時代、超手狭な収納生活によって、私はある法則を自分の中で見つけた。

服は
・春夏秋
・秋冬春
のいずれかのパターンでいけるものを基本とすること。

そうすれば、たくさんの服は要らないし、あとは足りないものは冬ならヒートテック重ねるとかすれば良かったり、夏はそういう中に着るものを減らせばいい。

そういうマイルールができてから、本当に楽チンになったし、そして元々服に興味のない私は余計な手間ひまを省けてさらに良くなった。

買いながらもう1つ気付いた。

体重がよく増減する私は、5キロほどの増減にも耐えうる服をいつからか買うようになった。

今は明らかに適正体重ではないってわかるけれど( ̄∀ ̄;)、でも反対に何キロなら適正なのか自分でわからない。

思春期と呼ばれる頃から1年として同じ体重になったことがないから、何キロだといいんだろう?

最低値と最大値で25キロ違うと、ちなみに最大値はさておき最低値も最低値で骨と皮みたいな、拒食症みたいとは言わないけれど、本当にやばい感じになるから、そんなにも減っては良くないとわかる。

ブラックな働き方の時は、毎日2食外食、夜は早くて23時過ぎみたいな生活で、それを1年もしたのに体重が5キロも減っていた時はぶったまげた。

私の場合は、過食や拒食というのとは違って、メンタル的なものが知らないうちに体重に表れる。

加齢と共に減ることは少なくなったけれども、この間なんかも、ちょっと疲れる集まりだったのか、何もしてない、むしろ食べすぎなくらいの翌日に一気に1.5キロも減っていたのにはビックリした。

一事が万事そんな風だから、服もとりあえず着れるもの、それもその時々の体重でプラマイ5キロくらいは見て選ばないといけない。

自分の体だから慣れてはいるけれど、こんなのもある種特殊な体質なんだろうなぁと思う。




久しぶりに買物をして思ったけれど、色んなメーカーの服を取り揃えてるセレクトショップ的なところとユニクロを回っただけで、グッタリとした。

みんなよく耐えられるなぁと思った。

そう思うと、私はスーパーを意味もなくフラフラするのは好きで、それは全く苦にならない。

今はしてないけれど、他にも好きなのは陶器のお店。

焼き物が盛んな町の焼き物屋さんを回ったり、大阪の名前は忘れたけれど皿ばかりをひたすら売る店が立ち並んでいるところもすごく好きだった。←2回か3回行った。

逆に、合羽橋はあんまり面白いとはそこまで思わなくて、とにかく雑多な感じの中から素敵な1枚を見つけるのが超楽しくてやめられなかった。

それ繋がりで言うと、デパートのキッチン雑貨の階は超楽しくて、そこだけは唯一何のためらいもなくセレブコーナーにも入っていける。

デパートのヴィトンは入ったことがなくても、キッチン業界のヴィトンみたいなコーナーはじゃんじゃん入る。

改めて、服は着れればいいのタイプなんだと再認識する。





帰り道、とある車種の車の横で信号待ちをした。

違うところを見るフリして隣りの車を見た。

本当にすごい似合ってたんだな…。

と改めて思った。

服以上にもっと興味のない車ではあるけれど、ある車だけは今でも見かけると見入ってしまう。

夏のある日、休憩室的なところの窓から下を見下ろしたら、その人が車に乗って休憩に行くところとちょうどかち合った。

その時がたしか初めてで、あの車に乗ってるんだーと知った。

車に対して似合う似合わないなんてそれまでただの一度も思ったことなかったけれど、その人は本当に自分に似合う服を選ぶように車を選んだみたいに見えた。

今も乗っているのか替えたのかは知らないけれど、少なくとも私が知ってるその車は本当にとてもよく似合っていた。

時が経ったんだというのも感じた。

ZARDの坂井泉水さんの声がもうこの世には存在しないのと同じように、あの時の風景はもう私の中にしか存在しないんだと、チクッとする感覚と共にそんなことを思った。





買物にグッタリとした私は、もう買物を目的に遠出をするなんて無理だなと思った。

そう思った瞬間、八王子ナンバーの軽とすれ違った。

八王子から軽で新潟くんだりまで来たんだろうか…と思ったら、本気ですごいなと思った。

そうしたら次は福山、そして札幌と続いた。

どの人もローカルな場所で見ているから転勤族かもしれないけれど、本当に目的がなければ遠路はるばる来るような町ではないなと感じながら、それらのナンバーたちを見た。

読みにくいと思って「遠路はるばる」にしたけれど、本当は「遠路遥々」の方が見た目が素敵だなと思った。





ひまわりがたくさん咲いてる畑の脇を2か所通った。

ジワジワと記憶がよみがえってきた。

記憶云々よりも、そのスローモーションのように反応している自分に感動した。

ひまわりはいつの間にか特別ではなくなって、ひまわりの記憶を呼び覚ますのにほんの少しだけ間ができたことに嬉しくなった。

初めてだった、ひまわりを見てすぐに反応しなかったのは。

確実に進んだことを自分の中で噛みしめた。




明日からまた1週間。

仕事が憂うつに感じる。

整えられるところまで整えるけれど、気持ちがイマイチ上がらない。

だけど、ここまで書けたから、ある程度休息できて心を休ませられたと思う。

4度目の夏、逆に忙しいのなら夏の日々を思い出さずにいられるかもしれない。

思い出したい気持ちと、もう戻らない時間との葛藤と、その鬩ぎ合い(せめぎあい)もいつか乙なものになったらいい。

そんなことをせめぎ合ってもどうにもならないのに、心なのか魂なのかはそんな単純構造にはなってないようで、効率良く割り切るとかできないままになっている。

この夏、私はどんな思いで夏を通りすぎていくのか、それを観察しても面白いかもしれない。

奇跡は起きない…、って今度こそ本当に受け入れ始められるようにならないかと思うようになってきた。

服や車に注目した後、本当の本当に互いの接点や共通点なんて何もない気がいつも以上にした。

庶民代表みたいな私と、若干ズレてる私と、色々興味なさすぎな私と、星とかオカルトとかそういうことにはなぜか縁ある私と、その全てと真逆みたいなその人とがそもそも同じ職場にいたこと自体がありえないことだったんだと思う。

7月8月そして9月と私が何を思うかは知らないけれど、せめて自分にだけはきつく当たらないようにしたいなと思う。

会いたいなら会いたい、忘れたいなら忘れたい、さみしいならさみしい、何でもいいから自分にだけは嘘がないようにしたい。

叶う叶わないとか、合う合わないとか、そういう外の基準じゃなくて、自分基準で何を思って感じているのか、それをせめて大事にできる自分でありたい。

2020年7月6日月曜日

久しぶりな社窓の窓話ー文月ー

今日も今日で腹黒ブログを書こうと思う。

社内の恋愛事情について、はっ∑(ΦдΦlll!?となった事実を聞いた。

私的にはスーパードン引きな話だった。

話はこうだった。

太郎さんと花子さんが付き合っているとのこと。

それは別に何でもいい。

だけど、珍しく、全く羨ましくもなければ、何で付き合ってるのかもわからず、何がいいのかさっぱりわからない。

花子さんは当初佐藤くんが良かったらしい。

佐藤くんは私は全く眼中に入ってなくて、周りの女性たちいわく、ぱっと見イケメンとのこと。

背が高く目を引く良さがあるとかないとか。

佐藤くんの隣りの席の人のところには両手で数えられないくらいの回数は通っていて、なのに佐藤くんは全く私の視界にインしてこなくて、未だに顔も姿格好も知らない。

私は全く気付いてない佐藤くんだけれど、女性陣が普通に知ってるところを見ると、なかなか目立つ人なんだと思う。

ちなみに同じ部屋に100人は男性がいるから、私なんかは関わった人しか基本的に知らない。

しかも私の男性を見る基準は、「仕事ができる・できない」だから、はたまた私が質問に行った時にきちんと対応してくれるかどうかだから、佐藤くんは関わり合いゼロゆえに存在感そのものがない。

そんな佐藤くん、ここ何ヶ月の間で結婚したらしく、花子さんはあえなく玉砕。

それで付き合うことになったのが太郎さん。

私は佐藤くんは知らないけれど、太郎さんは一度仕事で関わったから知ってる。

顔もよく存じ上げてる。

太郎さんは、よほど変わった好みの人でなければ、まず女子から振り向かれない。

私なんかは勝手に、年齢=彼女いない歴かと思ってしまったくらいに(←本当にひどい)、それくらいの人と思ってしまった。

だから逆に言えば、彼女ができたら彼女をめちゃくちゃ大切にしてくれそうかもしれない。

そこはわからない。

仕事で関わった時、それもたった一度しか関わってないにも関わらず、私は太郎さんに仕事の仕方に注文をつけた。

次からはこのように対応してください、とダメ出しをいきなりした。

上司に相談した上で本人に直接言ったけれども、私的に(会社的にも)絶対にありえない仕事の仕方をしていた。

きちんと伝えないとクレームになる内容をとても軽々しく適当にやろうとしていたから、だからさすがにそれはまずいと思って、言いに行った。

本人の受け止め方はわからないけれども、この仕事の重大さがわからない時点でアウトだと私は感じた。

今の職場で相当な修羅場をくぐり抜けてることもあって、太郎さんみたいな仕事のあり方は超ゲンナリだし、正直超カッコ悪い。

そういう残念なあり方を見て、彼女がいてもなんだか適当かもしれないなぁ…と思ってしまう。

そんな太郎さんと付き合ってる花子さん…。

佐藤くんがいなければそうなんだ〜で終わったけれども、佐藤くんの話題がまことしやかに出回っている以上、何でイケメン的立ち位置の仕事できそう的佐藤くんから、カッコ良くもない仕事も適当な太郎さんなのか、全くわからない。

強いて言うなら、本当に強いて言うなら、太郎さんのスペックだろうなぁと思う。

とりあえず大企業でよほどのことがなければ安泰、結婚相手としてなら申し分ないのかもしれない。

結婚相手探しをしている…と花子さんは言われるくらい、影で女性たちから叩かれている。

ちなみに私もそう思う。

もし太郎さんのことが本当に好きなら、仕事ができるイケメン社員に自ら超至近距離で近づくなんてしないだろうと思う。

しかも太郎さんの席からその光景がかなりよく見える。

本気でドン引きだった。

いい子ぶる気はないけれど、もし私が花子さんの立場ならそんなこと絶対にできない。

しかも、イケメン社員のところへは私もしょっちゅう通い詰めているからわかるけれども、そんなに近付かなくても普通に話ができる。

近付く理由はないし、まして太郎さんから丸見えに近い場所なら尚のこと何でその至近距離なのかもわからない。

太郎さんの持つスペックは大好きでも太郎さんのことはそんなに好きとは違うんだろうなぁと思う。

自分が逆の立場ならわかる。

相手のことがとても好きなら、相手が他の女性にすごく近付いていたりデレッとしていたら傷付く。

相手にとっての自分が何なのかよくわからなくなる。

そんなの嫌だなと思う。

花子さんはそういうことがわからない人なんだろうか…。

この間、たまたま太郎さんが花子さんの席に来て仕事の話をしていた。

まぁ可も不可もない感じで、職場だから公にできないのだろう…ぐらいな体で見ていた。

ところがどっこい。

今度は数時間後にイケメン社員が花子さんの席に仕事で来た。

太郎さんとのやりとりとは全く違っていた。

キャッキャッ、キャッキャッしていて、やたらとテンションも声も高くて、ドン引きした。

もし太郎さんのことを知らなければ、相手はイケメンだもんね〜、と思ったと思うけれど、どうして彼氏には普通でイケメンにはキャーキャーなのか、理解不能すぎた。

この人、本気で人を大事にできないんだと私の中のジャッジは下りた。





私の中の苦手センサーが発動している。

基本的に、人を大事にできない人は私はアウトで近寄らない。

そんな人が数名いるところの隅っこに今いる。

花子さん含めて、仕事では直に関わらないし、挨拶する程度だからいいけれど、人を大事にできない人たちというのは、頭の中のネジが絶対にイカれてる。

ちなみに花子さん、方々から悪い噂しか入ってこない。

それも関わった人たちが相当グッタリしていたり、まさかの仕事教えない意地悪もしていたという情報まで知り合い少なめの私みたいな人の耳にまで入るんだから凄すぎる。

その意地悪も残念だけど、嘘じゃないと思う。

なぜなら、意地悪されてた人が毎日仕事の確認に私のいる部署までエンヤコラとやってきていたから、私はてっきりその人が毎日確認することがあってそうしてたのかと思いきや、まさかの花子さんが教えないという理由で聞きに来てたなんて…。

それでもその人はただの一度も笑顔を絶やさずにいたなんて、本当にすごい人だったんだなと知る。

なんなら、私の目の前で、花子さんのことを褒めていたくらいに、本当に人が良すぎるくらいの人だった。

どこまで本当か嘘かはさておいても、油のないところに火は出ないから、そして否定するよりも肯定する材料が多すぎて、基本的に噂を聞き流す私も今回だけは聞き流せなくなぜか残っている。

正直私もゲンナリしている。

噂はさておき、距離感とか発してる空気とか、そうしたものが私は苦手だと知る。

妙にグイグイ来られるところがあるから、私も餌食にならないように気をつけないといけない。

改めて、人を大事にすることは自分の価値観が軸にはなるけれども、試行錯誤ながらも一番にしたい。

そこをやらかすと、私なんかは仕事がたちまち回らなくなるから、特に惜しみなく協力してくれる人や助けてくれる人をはじめ、そうではない人たちとも誠実に関わるようにしたいと思っている。

平身低頭でいるとそれに付け上がる馬鹿もいるけれど、そういう人は大体仕事もできないことが多いから、そこは放置する。

花子さんを反面教師のようにして、人を大事にするキャンペーンを1人で密かに行おうと思う。





ーーここからは別テーマーー

日記もノートも開かなくなったから、とりあえず備忘録的に。

「びぼう」と入れると「美貌」と必ず第一候補が現れるけれど、どうにもこの話を美貌録にしたいんだろうか、私…。

いつからか覚えてないけれど、土日の燃え尽き症候群具合が酷すぎる。

ほぼ1日布団の中で過ごして、食べる時だけむくりと起き上がって、あとは基本布団の中。

元々片付けが苦手な私が、部屋が散らかりだすとほぼ手に負えないのに、普段グッタリして土日もグッタリして、部屋がどんどんすごいことになって、日曜の夕方にようやくよいこらしょと思い腰を上げた。

仕事は毎日作業着だから(今の仕事になって、ワークマンデビューをした)私服不要となって、気付いたら7月も1週終わって、まだ夏服の衣替えをしていないという…(꒪◊꒪; )))) 。

2週間後くらいに可愛い子ちゃんとイケメン硬派さんと飲みなのかごはんなのかに繰り出すことになって、着る服がないことに気付いた。

明日あたり体型カバーする夏服をポチろうかと思ってる。

通販で服買うなんて初めてでドキドキする。

本当は服を見に出ようと思ったけれど、あまりの眠さとやる気のなさで、土日は本気でずっと引きこもった。

基本的にステイホームは超得意!

っていうか、最近の土日は泥のように眠りこけて終わるパターンが繰り返されているから、ステイホームと言うよりもステイ布団が正しい。

衣替えの一環として、電気カーペットしまわないうちに秋がきて気付いたら木枯らしビュービューな晩秋、そして冬になりそう。

突如思い立って、「片付け後」の部屋を撮影した。

片付け後がこれなら、片付け前はこれ以上ということに当然なる。

これでもかなり快適になって、余裕が出てきたら一気に不要なものを捨てたい。

さっきの先々の集いで、私はあることを計画し始めた。

もし飲み会になるなら、今回私は駅前のホテルに泊まろうかと。

最終バスは早いから、ならホテル宿泊はどうかと調べたら、なんと市民限定でホテルの半額を出してもらえる素敵プランを見つけた。

それなら翌日優雅にモーニングとか、小さな駅ビル散歩とかもいいなぁって。

コロナのおかげでそんなプランが誕生していて、そんなことするの一生に一度だと思うからやってみてもいいなと思った。

みんなと解散した後、余力があれば1人ホテル飲みも憧れる。

明日からの2週間ほど、終わりの見えない怒涛の英訳業務に関わるから(やる前から戦意喪失( ´Д`;)~~~~)、それが終わる頃の飲み会なり食事会なりにしたいと言った。

関係ないけれど、2年前に受けたホロスコープ鑑定で、年下の人たちと縁が出てくると言われていたことを思い出した。

可愛い子ちゃんも硬派さんも好きな人たちで、その2人と集まれるのは嬉しい。

仕事中にはなかった組み合わせだけど、個人的にはありの組み合わせだなと思う。

今回本当に嬉しかったのは、可愛い子ちゃんの発案でそうなったこと。

可愛い子ちゃんは積極的に会をセッティングするとかしないタイプだと思う。

だけど今回は、可愛い子ちゃんが「この3人なら絶対に楽しい!」と言って、早々と硬派さんにも連絡してそれが実現する方向になった。

3人でやりとりしたことないから想像はつかないけれど、10も年上の私を混ぜてくれてありがとう!という気持ち。

そして、私なら気兼ねなく話せると思ってもらえるのが本当に嬉しい。

真面目に会社でNo. 1の可愛い子ちゃんで、ママさんなのに男たちがほいほい寄ってくるという子。

可愛いのに、自分を可愛いとも何とも思ってない素朴な感じの子で、さらに好感度アップ。

男たちがメロメロになるのもわかる。

私もメロメロ(笑)。

それを楽しみに2週間ほど乗り切ろうと思っている。

ちなみに。

2週間前くらいから仕事の雲行きが怪しくなって、たとえば6月最後の土曜日の朝早くにこんなこと書いてる(ブログアップしようとしたら、疲れ切ってできなかった)。


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【仕事前】
今日今から土曜出勤をする。

初めての土曜出勤(。-_-。;)。

1ミリもテンションは上がらない。

事の発端は、水曜だった。

いつものごとく、英訳依頼が来た。

新規英訳且つ長い英訳だった。

最終的に写真や図も含めて20枚になった。

とかいうものを、4営業日でやりきることになった。

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この仕事初の土曜日出勤を本気でやった。

大御所たちしか来てない中、なぜか私もいるという、おかしな光景になっていた。←今コロナによる業績悪化で、残業も休日出勤も基本禁止。

それが終わったらまた次の至急英訳が来て、それも特急型だった。

悪夢の1月から5月の英訳依頼が止まらなかった頃の感じに似てきた。

金曜の時点で、50枚近い英訳が突如やってきた。

さすがに多すぎて、30枚近くは外注に出されて、英訳されたものを今度は私が見て整える方法にはなったけれども、それでも量は異常すぎる。

またしばらく毎日残業になるだろうことは、物を見なくても確定した。

だからこそ、気分転換をしたいなと思った。

何せ基本禁止の残業をこれから2週間くらい毎日やらないと終わらないから、それを上司に相談に行った。

今どんな風に残業申請をしたらいいかの相談( ̄ཀ ̄;;)。

上司いわく、今というのは本当に「これが会社的に絶対に必要」とわかる理由を添えないといけなくて、社長なり技術トップが絡む案件とか、海外の顧客の名前とかを出して、「だったらOK!」と一発OKが出るように申請する必要があるとのこと。

なんと、社長印無しでは残業もできない。

いや、サボれるなら私だって定時に帰りたいけれど…。

そんなことは私の手に負えることじゃないから、それを隣りで聞いていた女上司から早速担当者に説明に行ってもらって、あとは担当者からの正式な書面での依頼を待つことになった。

そんな風だから、とにかく癒しが欲しい。

写真は片付けが苦手な人が片付けるとこうなるよの図。

左側の観葉植物、
なんと10歳!!!!!٩(ˊᗜˋ*)و
(2010年購入、それもダイソー!)
部屋が散らかっていても、
観葉植物は負のオーラを吸いながらも
育つ模様…(」°ロ°)」!!




2020年7月3日金曜日

㉓【おいせさん手帳】自分との付き合い方




おいせさん手帳第23回目
担当:ノム

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

7月3日 
日々の気持ちの浮き沈みを、波をみつめるように味わう。
波の日

よせてはかえす波は、人生を象徴していると感じたことはありませんか?
快晴の日もあれば、雨や嵐の日もあるように、
どんな人にも、気持ちが前向きで自分を無敵! と思える日もあれば、
なにもかもが不安で、朝を迎えることが恐ろしい夜もあるものです。
不安に押しつぶされそうになったら、波を感じに海へ出かけてみませんか?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




今朝、久しぶりの朝焼けの写真を撮った。

そして、今回のおいせさん手帳のページを撮ってなかったことにこれを書いて気づいたΣ(꒪◊꒪ )))) 。

それはそうと、久しぶりの朝焼け写真を撮って思い出した。

名古屋でニートしていた頃(当時は数ヶ月単位のニート)、週5くらいの勢いで夕焼けを見に毎日散歩していた。

誰もいない河川敷とも呼べない河川敷に行って、そこでずっと携帯いじったりしながら夕焼けを見て過ごした。

毎日見ても、同じ空の日も同じ夕焼けの日もなくて、私はそれにいつも救われてた。

そしてあるブログで読んだ言葉をいつも思い出していた。

いつか読んだブログに、その人が子どもの頃の校長先生の話を書いていた言葉があった。

校長先生は、空には世の中にあるありとあらゆる全ての色があると話したらしい。

青だけじゃなく、黒も白も赤も黄色も、とにかく全色揃っていると。

細かい話は忘れたけれど、だから人間も色々あっていいんだよ、みたいな話だった。

ニート時代の心細さは半端なかった。

答えを持たない、いや、持たないんじゃなくて、社会的に受け入れてもらえそうな答えを持っていなかった。

そのことは、罪を犯しているわけでもないのに、罪悪感やら無価値感やら色んな負の感情が毎日止めどなく溢れ返った。

そうしたことと日々向き合うことのしんどさは、仕事で上手くいかない、人間関係で何か問題を抱えるのとは違うしんどさがあった。

そして答えのない答えをずっと探すみたいなことは、本当に心への負荷が半端なかった。





当時もだし、今もごくたまにするけれど、本当にしんどくて1ミリも動けないと感じる時、私はノートを出してきて「今の自分」を記録する。

「しんどい」
「何もしたくない」
「不安」
「とりあえずノートは出せた」

そんな風に書く。

時間も書いておく。

そして、1時間、2時間と経ってノートを開いて見る。

少し前の自分と違うことがわかると、それだけでホッとする。

さっきより私元気だな、とか。

反対にもっと落ちたり変わらない時もある。

その時はまた引き続き同じようなことでもいいから書く。

そういうことをして、幾日もやり過ごしてきた。

今思えば、その自分に付き合うというのは、本当によくがんばったと思うし、その自分に付き合うことこそ今の自分があるとはっきりと言い切れる。

ニートはそんなにしたいこととは違うけれども、そんな風に自分を大事にできた体験をしたのは、私の人生でもものすごく大きなことになってくれた。

上手くいってる自分じゃなくて、何もかも上手くいかない自分や自分の人生を大事にできたのはとっても大きい。

渦中の当時は、その行為が自分を大事にしているなんて全く思わなかったけれども、今はわかる、それこそが自分を大事にすることのひとつだってこと。





そんな自分を大事にした先に、まさかの同じような考えをする人に出会えるとは、当時は想像もしていなかった。

それも、本当にそっくりなくらい、ダメダメ自分とどう付き合うかやその自分をいかに大切にするかをひたすら考えて実践して試行錯誤しながら日々なんとかするみたいなことをする人と。

今日のノムのメッセージだって、まるで私の心の代弁みたいなところがあって、
「どんな人にも、気持ちが前向きで自分を無敵! と思える日もあれば、
なにもかもが不安で、朝を迎えることが恐ろしい夜もあるものです。」
って、わかるー!わかるー!って激しく共感する。

しあわせなことや嬉しいことはいくらでも受け取れても、そうではない辛くてしんどいものからは、逃げれるものなら逃げたい。

そういう日やそういう自分も含めて自分だということを受け止めるのにどれだけ時間が必要だっただろう。

そういう苦しさやしんどさも分かち合える人に出会えるなんて、本当に奇跡だ。

そしてそんな人と一緒に文字を綴るなんて、想像さえしていなかった。

強烈な自分との向き合いがあったから、色んなことに以前よりもうんと喜べる。

ニートや苦しくなる自分になりまくることを薦めるなんてしないけれど、向き合ったら向き合った分楽になれるし、のちのちしあわせなことも増えるなぁと感じる。

まとまりのない文章になったけれど、それも自分ということで(。•̀ᴗ-)✧