2024年2月29日木曜日

大人の夜の遊び、大人の朝の遊び

大人の夜の遊びグッズ
グッズもだけど「道具」だと
もっと言葉が強いなと…。
グッズならまだ良いのかなと

クロスステッチ用の図案をノートに写して色塗り

最近やりかけたクロスステッチ
外出時も持ち歩ける針ケースにする予定

20代の頃に一度だけやったクロスステッチ

反対側の面

この木製のトレイに刺繍道具とマグカップを
のせてそのすぐそばで刺繍するのが好き

45歳になろうとしている今、
このワンタッチでできる糸通しの便利さを実感

今から20年前20代の頃に買った手芸本
(西暦を後から書き足したと思うけれど10年間違えてる…( ̄∀ ̄;))
この本のアンケートを書いて送って、
それでこの便利な糸通しが当選した!

最近したクロスステッチ

これが私の第一号の刺繍サンプラーと
刺繍糸の見本帳になる予定



多分下書きもしてなければアップもしていないはずの話。

『大人の夜の遊び』というタイトルを、とあるテーマに沿って書こうとした時に思いついて、自分じゃ「そのタイトル、超イケてる!!!」と思った。


私は自分が書こうとしたテーマを知っているから今でもタイトルそのものはいいなぁと思っているけれど、ふと冷静になってタイトルがなんだかいやらしいというかアダルティな感じのニュアンスに聞こえると気付いて、このままの言葉を使うと危険だなと思った( ̄∀ ̄;)


下ネタ的な話ではなく、本当にある夜の晩に1人で部屋の中でちまちまとやって楽しかった話をしたかっただけなのに。


「大人の遊び」も「大人の夜の遊び」もどちらもなぜかアダルト的な空気が漂うのは、世間の常識だからなのか私の感覚がズレてるのかわからないけれど、とにかくそういう要素は微塵もない私なりの大人の夜の遊び。


ちなみに最近は夜はダメでも朝、「大人の朝の遊び」に励んでいる。







最近のもっぱらのハマりものは刺繍。


その中でもクロスステッチと呼ばれるマス目に「×」印に刺繍糸を刺してそれで絵や模様を描くタイプの刺繍にハマっている。


で、ど素人且つ初心者の私は、ネットで見つけたクロスステッチの完成図を職場のコピー機でカラーコピーさせてもらって(もちろんひっそりと)、それをクロスステッチで刺すためにまずは方眼模様のノートに図案を写す作業をした。


それを夜な夜なやってとても楽しくて、それで「大人の夜の遊びだな、これ!」と思って、そのことをブログに書こうと思った。


それが私が実際に体験した大人の夜の遊び。


趣味部屋おじさんとか趣味部屋おばさんなどというスラング的な言葉がネットニュースなんかで出ていたけれど、マス目数えたり塗り絵したりして精神が健やかに保たれるのなら、誰が何と言おうと最高且つ至福の時間の使い方&部屋の使い方&お金の使い方だなと思う。


だってこれって、「時間・空間・お金」の三拍子が揃わないと実現しないもの。


それも単なる時間や空間、お金じゃなくて、誰からも邪魔されない自分だけの時間と空間とお金が必要になる。


これが子育て中の身なら時間も空間もお金もそんなに自由自在とはいかないし、ニートになるとお金が欠けてしまうし、反対に忙しいと時間を作るのが至難の業になるし。


だから、たとえそれが30分くらいでも、1000円くらいの準備費用でも、そしてプラスして冷暖房付き+その他の必要な物品付きの自分だけの小さな空間があるというだけで、とにかく素晴らしく自分を満たしてくれるものを持てるからとっても幸せなことだと感じている。


いつだったかとある稼いでいる芸人の独身中年男性の家の中が紹介されて、趣味のものが戦闘モノのグッズで「怖い」と思う感じの引き方を私はしてしまったけれども、それでもそれらを集めて飾って満足しているその気持ちにはいたく共感した。


好きなものに囲まれることの嬉しさは、その状態にならない限り絶対に知り得ない境地だなと思う。


とまぁそんなこんなで私もエンジョイ趣味部屋おばさんとなっている。


「朝の大人の遊び」は、なんと今度は朝起きてから刺繍をするというルーティンを始めた。


これは発想の転換で、刺繍側がメインじゃない。


私の年々ある種悪化している睡眠習慣の悪い面を救出するためのアイデアとして、実際にやってみたらすごく良くてそれで取り入れることになった。


2月に入るあたりから、とにかく仕事の締切と実際にやってくる新たな仕事たちとで本当に気が狂いそうなくらいの圧迫感で、そうなると見事にまた睡眠が悪い方にパターン化して、最初に2〜3時間程度の深めの睡眠の後は1時間おきに起きるみたいなことを数回繰り返して朝を迎える。


更年期で睡眠の質が悪くなるというのもネットなんかで読んだことがあるけれど、私の場合は若かりし頃よりストレスや精神状態の不安定さがもろに睡眠に出るタイプだったから、それがさらに一層今は強く出ていると思って見ている。


で、そんなこんなのパターンで朝の4時半前後に目覚めた時がいつも微妙なラインで、その時にまたすぐ寝落ちしてくれるとそのまま朝の6時過ぎまで寝るけれど、妙に「これ眠くないかも」の時は寝る努力に反して眠れずにさらに「このままだと変な時間に一番眠くなる」の強迫観念めいた思考がむくむくと出てきて、さらに負のループに陥る。


それを解決するのに役立ったのが刺繍で、ある時「そうだ、起きて刺繍をしよう!」と思い立った。


体を起こす気力が無ければダラダラしていたらいいし、起きれるのなら起きて刺繍をする。


刺繍はその時完成させる必要は全くないし、キリのいいところで止められるし、しかも頭を使わなくて済む。


こんな素晴らしい救済措置がこの後の人生の中でもずっとあるのなら、朝方寝付けなかったら刺繍をして楽しく過ごしたらいいんだなという風に切り替わってとても気持ちが楽になれただけじゃなく、本当に楽しいから朝から気分まで良くなる、たとえそれが平日の仕事に行く前から残業確定の日でもそうだからとても良い過ごし方だと感じている。


20代の頃、うつと診断されて眠りが乱れに乱れて眠れなくてそれがまた怖くて仕方なかったあの頃、「寝なきゃいけない」とか「寝ておかないと仕事中差し障る」とか怖いことをたくさん想像して自分で自分の首を絞めまくっていた。


ある時に「眠れなきゃ寝なきゃいいんだ、それで死なないから」と憑き物が取れたようにストンと自分の中で楽になれた時があって、それ以降からはだいぶ柔軟に対応できるようになった。


イケメン上司が転勤していなくなった2017年の秋以降もすごい眠れなくなって、その時は霊性の開花じゃないけれどそちら側の要素が強かったのもあるんだろうなぁと思っていて、そして今の仕事を始めた2019年の12月からは仕事のプレッシャーが自分が感じている以上に半端ないんだろうけれどそれが見事に睡眠に出てしまって、年を追う毎にさらに悪い方というか決して良い感じと自分が思うところとは真逆の感じになって。


でもどうしても寝ないとダメではなくて、それよりもこのおかしな睡眠パターンと上手く付き合う方が私の場合は対処しやすいというか、もうかれこれ15年以上睡眠について色々体験してきたから、悪く捉えるよりも有効活用する方が良いと今回の刺繍導入にあたって感じられるようになって、それで朝活的な朝の刺繍が始まった。


朝の刺繍は今のところ、過去最高に良い睡眠に関する不安や心配を和らげるアイテムで、これがいよいよ日中も眠くてダメだと言うなら真面目に医者に診てもらわないといけないと思うけれど、そうではない限り自分にとってとても良い救済措置を見つけられたなと思っている。


この間私よりは10歳近く若いだろう女性の有名人の方が睡眠障害だと告白していたことがネット記事に上がっていたけれど、内実は知らないけれど、私は早い時期から自分の睡眠について悩んだり色々試したりしてきて良かったなと思った。


45歳くらいの今から新しくこの睡眠に関する悩みを持ったら相当きつかったと思うけれど、長いことたくさん悩んで不安になって色んな情報に踊らされたり翻弄されたりしながらも「自分のことは自分にしかわからない」と開き直って、自分にできること、自分に合っていることを少しずつ選び続けての今だから、今はとても楽になれている。


刺繍がまさかの救世主になってくれるとは思いもよらなかったけれど、実際にそうなってくれてとても助かっている。







刺繍やら手芸やらでやりたいことは次から次へと出てくる。


ちょっと自分のために備忘録など。


《現在進行中のもの》

ミシン&糸模様のクロスステッチ

進化系

☆☆ミシン&糸模様の持ち歩き用針ケース



刺繍している女の子のクロスステッチ

進化系

☆☆刺繍女子の針ケース



2つのクロスステッチは、針ケースに仕立てる予定。


1月に新幹線で東京に行った時、行きは車内で刺繍に励んでいた。


その時に「針と糸とを持ち歩く小さな裁縫ケースが欲しい」としみじみと思い、それらを構成するデザインを本やネットでたくさん見つけて今チクチクと刺している。



ギンガムチェック刺繍

刺繍の連続模様


こちらはギンガムチェックの生地に刺繍を幾何学模様のように刺してそれで模様を付けていくもの。


頭の中では、仕事の机の引き出しの隠し布として使いたいと思っているけれど、遅々として針が進まず現在ストップしている



《新しくやってみたいもの》

刺繍糸の見本帳


刺繍サンプラー


ビスコーニュ


ハンドタオルのアレンジ


☆Fのイニシャル刺繍



上から順に説明すると、刺繍糸の見本帳はたくさんの種類の色の刺繍糸たちをパッと見て何番のものかわかるようにするためのもの。


単純に色鉛筆とか絵の具の色見本帳を想像すると近しいかなと思う。


刺繍サンプラーは色んなステッチのやり方や模様をサンプルとして刺して、出来上がると1枚の布に色んな模様があらわれる。


ビスコーニュというのは、フランス語で「いびつな」という意味で、クロスステッチした布を縫い合わせてそれをピンクッション(針山)に仕立てたもの。


ハンドタオルのアレンジは、無地のタオルに刺繍やら布やらを足してオリジナルな自分だけのタオルを作りたい。


Fのイニシャル刺繍は、ネットでイニシャルの1文字をあしらった刺繍の完成品を見て一目惚れして自分もいつか作りたいと。


とかいうことだけはあれこれ夢や希望が盛りだくさんにある。

2024年2月19日月曜日

離婚・結婚・美容おじさん

2月とは思えない青空
明日は20度まで気温が上がるらしい\(◎_◎)/

前のものを完成させないまま
新しいクロスステッチ開始
本に挟んだしおりのリボンがかわいい(∩´∀`∩)



とある女性が離婚したと聞いた。

私の最初の感想としては、「あ!やっぱり」寄りな「そうなんだ」だった。


1ミリも「何で別れたの?」とは思わなかった。


本人から直接聞いたわけではないし、今後も本人に会えるのは色んなことが重ならないと会えないから、離婚の理由とか気持ちを本人の言葉で聞くこともないと思う。


とても変な話だけど、結婚したと聞いて写真を見た時に私は率直な感想として「好きで結婚したわけじゃないんだな」と思った。


当然おめでたい話だからそんなこと1ミリも口には出さなかったし、本人と相手の中で結婚したい意志がなければ絶対に成立しないのもわかるから、多少の好きはあったとは思う。


でも「すごく好き」ではないと思った。


それから何年かした後、共通の人間関係にある別の人から「あの子が結婚したのは、本人いわく『1人だと寂しいから、誰かと何かを分かち合って生きていたい』って言ってたけど、史子はそんなこと思ったりしないの?」と聞かれたことがあった。


何年か前のまだ40になる前だったと思うけれど、その時の私は1人だと寂しいとか誰かと何かを分かち合いたいのはわかってもそれは誰でもいいわけじゃないのは感覚として常にあったから、その理由を自分自身と重ねるといまいちピンとこないものだった。


そういう結婚観があってもいいと思うけれど、私の中にはそういうのがないんだなと思った。


そしてこの1年くらいだろうか、本当にこの先ずっと1人で生きていくと想像した時に、これは確実に年齢を重ねて周りの色んな人間関係を見てその上で思ったことだけれど、「1人は寂しいな」と初めて思った。


親、姉妹、姪っ子、友達、その他色んな人間関係があっても、その誰かしらと自分が例えば60歳くらいになった時に日々を過ごすことはないと思う。


元々幅広く友人関係やら人間関係やらを広げるタイプじゃないから、本当に1人時間が1年のうちで360日あっても不思議じゃない。


それの方が自分の性格や生活スタイルを考えるととても自然に今からでも想像できてしまうくらいに想像できる。


そうなったらそうなったで何とでもなるだろうし、さすがに自分の死体を始末したくてもそれだけはできないから、そして同世代の人たちの多くが死ぬくらいの時代になるとそういう1人で亡くなる人のためのサービスや法律的な整備も進みそうだからそこは何とかなるだろうととても希望観測的に勝手に思ったりもしているけれども、そういうことじゃなくて、自分の心に浮かんだことや感じたこと、食べるものや見るもの、そういう色んなことを誰とも共有できずに死んでいくのは寂しいなと、45歳くらいになろうとしている今、ようやく感じられるくらいになってきた。


さっきの結婚云々の話で、その離婚した女性が1人だと寂しいと言いながら結婚した理由や気持ちが今ならわかるものの、それと同時に「やっぱり好きで大切にしたい人じゃなきゃダメだ」というのも強く思った。


これはたらればの話でしかないけれど、その離婚した女性がとても真剣に好きになった人がいた。


その彼ともし結婚していたのなら、離婚はしなかった気がする。


聞いていても結婚には不向きな男だったから相当嫌な思いもセットで付いてきたと思うけれども、それでも離婚という選択は本人の中に生まれなかったんじゃないのかなと勝手に想像している。


人間関係は特にそのように思うけれども、私なんかは「気持ち」が生まれない相手とはたとえそれが恋人とかパートナーとかではなく仕事上の付き合いや友人関係でも、とにかく状態を保つことなどできない。


大人だからとりあえずそつなく当たり障りのない対応はできても、それは一瞬だからできるのであってそれが毎日のこととなると無理になる。


「好き」とか「大切にしたい」という気持ちはとても偉大で、それの気持ちがある相手のためなら私はがんばれたり何かをすることもできるけれど、それがないと途端にがんばらないし手抜きは常だし、とにかく酷い方にどんどん行ってしまう。


超余談だけど、今年のバレンタインは買うところまでは良かったけれど包むのを忘れていて、何なら本当にジップロックに入れて渡すことに最初違和感さえ覚えず(大袋にまとめて入れるから良いだろうと思った)、ふと「それはさすがにまずい」と正気に戻って包装を買いに走って、でも前日の夜に寝落ちして真夜中に起きたら「何か忘れてる気がする」とボーッとしても思い出せず、はたと気付いたけれど起き上がるのが面倒で私は忘れないために携帯のケースに手書きのメモを入れてラッピングを忘れないことに賭けて、その後よく眠れない最近の睡眠傾向のおかげで起き上がって包んでそして何とか無事に渡せたという体たらく。


お世話になっていても好きではない相手だとこんなもんだとつくづく思って、そうしたらその数日後に離婚話を聞くことになるという。


離婚話を聞いたら、ますます「好きな人、大切にしたい人と一緒にならなきゃ私の場合はダメだ」と思った。


私側はそれでいいとしても、同じくらいの熱量で似通った価値観の人とこの先出会うなど、このまま独身を貫くよりも(別に貫きたいのではなく自然に任せたら間違いなくそちら)うんと難しいというのも思った。


私と一緒にいたいなどと思ってくれる人は、本当に人格者でノーベル平和賞の個人部門とかあったのなら入賞しちゃうくらいの人じゃなきゃありえないなと大真面目に思っている。


それは私が人格者で平和主義だからじゃなく、私の性格も見た目もその他諸々も良いよと言ってくれる寛大な心・理解力を持つ人など、本気の人格者じゃなきゃ無理でしょという意味。


誰かから好かれて一緒にいたいと思ってもらえることは、もはや宝くじ1等を当てるよりも難しいと、普段そんなこと考えないけれど、それくらいの確率だと現実は物語っている。







ここから先はさらに一層誰得情報な話(-_-)


週末、とある年上の独身男性のブログが広告に出ていて、見たらあまりにも生活感が違いすぎて興味をそそられ思わず超たくさん読んでしまった。


年収は8桁の人。


引越しをされたそうで、引越しにかかった費用が私の年収ちょい欠けくらい。


ちなみに1回の海外旅行も私の年収ですか?みたいな金額。(毎年1カ国以上は行かれてる模様)


部屋の灯りにこだわったとかで、リンク先載せてたから興味本位で見に行ったら私の月々の給料の半分。


美容にやたらとこだわっていて、洗面所の洗面台の後ろの収納スペースにはオール化粧水やクリームをはじめとする美容グッズ。


私の美容道具10年分よりも多いなという印象。


引越しで断捨離をするために衣類を片付けたら、下着のパンツだけで50枚以上、しかもスポーツ用はまた別にあるとかで、この人は一体何枚のパンツを日々使うんだろう?と余計なことを思ったり。


1ヶ月毎日違うパンツを履いてもまだまだもう1ヶ月分あるよというくらい。


とかいう異次元の世界観みたいな人で、色々面白くて読み漁ったわけだけど、「生活のレベルが合わない」ってこういうことを言うんだなと思った。


その人と私とが出会うことは絶対にないけれど、仮に出会ったとしても私のダメさいい加減さルーズさ適当さが本当に耐えられないだろうし、シミやら白髪やら色々年齢に抗えないものに対して「仕方ないよね」で終わらせるのもアウトだろうし、他にもてんこ盛りアウト案件満載すぎて異性云々の前に人として受け入れてもらえないレベルだと思う。


私がもし未来のいつか、年収8桁ですみたいなことになったとして、私は何にお金を使うんだろう?と思った。


今色々考えてみて、一番ありえそうな選択肢として、物ではなく引きこもるために必要な経費、保険とか年金とかそういう類いのものをまずは一括で支払いをして、余ったとて仕事しないで済むなら仕事をせずにいられるその状態をなるべく長く確保するべく、物ではなくフリー時間用にお金を使うというか使わないというか、そんな気がする。


ドミニカから日本に帰ってきた時、同期だったか他の期の仲良しちゃんだったか忘れたけれど、「日本は息をするだけで金がかかる国」と言い放った名言が忘れられない()


本当にそうで、こんなにもお金がないと何もできない、単に生きているだけでお金がかかる国というのも意外にすごい珍しい気もする。


お金がなくても普通に生きている人たちをたくさん目の当たりにしたから、なんなら戸籍がないとかも(戸籍がないということはすなわち法的にはこの世に存在していないことになる)、とにかく色々無くても生きることが許されていて何かしらどこかから必要なものがもたらされるという神仏のような世界がこの世にあるんだということを知ったからこそ、日本の「お金ありき」な世界観の窮屈さや生きづらさは半端ないと思った。


勤労意欲ありまくりです!みたいな人には良いけれど、私みたいに働かなくて済むなら働きたくない人には、不労所得的な収入やら資産などないわけで残るは働くしかなく、これしんどいなぁと思った。


ちなみにくだんの8桁男性も(雇われでそんなにももらってる)働きたくない人で、その意欲のない中で労働を提供するからそれに見合ったお金が欲しい、お金の妥協はしたくないとあった。


意欲のないところだけは共通するところではあったけれど、人生観がまるで違いすぎて、その違いが面白くて思わずブログの立ち読み行為が止まらなかった。


会うことも絡むこともない人ゆえにこんなこと言えるけれど、その人は物も仕事での評価も色々と手にはしているけれど、根本のところ、心の深いところが満たされていないというか傷ついているというか、何か大事なものの部分にダメージがあるという印象がどうしても抜けなかった。


人に枯渇しているというのとも少し違う気がするけれど、誰にも心を許せない、素の自分を出せない、そのことが本当は苦しいんじゃないのかななんて思った。


私も大して変わらないから他人のことなど言えないけれど( ̄∀ ̄;)


承認欲求とかじゃない、人のぬくもりとも違う、本能的に人が無防備になった時に「ここは安全安心」とわかるそういう居どころ、心の寄りどころみたいな、それが自分が超こだわった引越し先のマンションではなくて、言うなれば1歳になる何ヶ月か前の姪っ子が私の顔や姿を自分の見える範囲で確認して「ここはだいじょうぶ」って本能的に無意識に感じて自分のしたいことをのびのびとする、その感覚みたいなもの、そういうところに危うさを感じたブログだった。


大の大人のおじさんに向かって、ましてや私よりもうんときちんと社会人をしている人に向かって何を偉そうなことを言っているのかと思うけれど、そんなことをひしひしと感じたブログだった。


誰得情報おしまい( ˙³˙)