12月21日に始めた記録。
これから3月末まで100日近くあるなら、その100日先にはどんな風景が見えるのかそれを知りたかった。
何となく過ごすんじゃなくて、100日という数字を意識しながら日々過ごしたらどうなるのか、そこを知りたかった。
80日前後、誕生日前あたりからいよいよ色んなことが押し寄せて忙しくなって、気付いたらおとといぐらいに数えたら今日が100日目に当たると知った。
私は自分が何にそんなに忙しいのかよくわからないけれど←今振り返ったら何してたか記憶がかなりなくなってる、本当に内容の濃い毎日だった。
100日目の今日(3/30)、仕事の最終日だった。
意図したわけじゃない。
気付いたらそうなってた。
100日目、私は自分とした約束を1つ思い出した。
今回辞めるにあたって、私はそこにいる全員の人に手紙を書いた。
名刺サイズの紙に2枚程度の人から、長い人は何枚書いたかわからないけれど、ルーズリーフびっちりと書いて2枚ぐらいにはなるんじゃないかという長さの人もいた。
当初全員に書く予定ではなかった。
でも、ふと、こんな風に手紙を書けるのは一生に一度で、そしてその一度で伝えられるのは今しかないんだとわかって、それならせっかくだから書こうと思った。
当初書こうとしてた人たちはさておいて、そうではなかった人たちには何を書こうか迷った。
ありきたりの「お世話になりました。ありがとうございました。」は面白くない。
もちろん書くにしても、そんなのだけを書くためなら書かなくてもいいんじゃないかと思う。
そこで当初書く予定の人たちに書くことを参考までに思い浮かべて、「私から見たそれぞれの人の強みや良さ」をそれぞれの人に書こうと決めた。
それなら仕事の絡みのない人たちにも書ける。
何百人という人たちの強みを見て伝えることをしてきただけあって、それは私にとって簡単で確実にできることだった。
しかも書くのに仕事で絡まなくてもいい。
見て感じたままを伝えればいいだけだから。
そしておごがましさ全開で言うと、ザ・男の職場だけあって、多分他人から自分の良さや強みを直接言葉で伝えてもらうなんていう機会はそうそうないんじゃないかと思った。
であれば、余計とこのたった一度のチャンスをきちんと生かそうと思った。
だから私は見たまま感じたままをそれぞれの人に書いた。
事務所内でその人の良い評価を聞いた人たちに関しては、それもしっかり告げ口しておいた。
それって、知らないより知った方が本人も嬉しいはずだから。
そしてあわよくばそれがその人のモチベーションアップにも繋がったりするから。
作戦は大成功だったと思う。
1人の人しか手紙を読んだ後の反応は見れなかったけれど、その1人で十分だった。
一番仕事で絡みのない、何なら絡みはゼロの男性から手紙のお礼を言われた。
その時その人の目がキラッキラしてて、本当に嬉しかったんだろうなというのが伝わってきた。
私はおおよそその方に何を書いたか覚えてる。
仕事の姿勢について書いた。
それしか知らないから、それしか書きようがない。
そして言葉を盛ったりせずに、見たまま感じたままを書く。
だから私が書いてるのはその人そのものなんだけれど、多分自分が周りからどんな風に映ってるかは普通本人は知らない。
そして大体本人は実際よりも過小評価する傾向が強いから、自分のしていることのすごさがよくわかっていない場合が多い。
その方の場合も、基本的に静かに黙々と取り組まれていて、私だけではなく他の人たちともたくさん絡みまくるわけではないから、余計と自分のしていることのすごさはわからないと思う。
だからその人の強みを書いた。
結果その人はこれまで見たことのないすごい笑顔を見せてくれた。
そしてそれを見て、伝えて本気で良かったと思った。
帰りの車の中で私は思い出したことがあった。
自分と約束したこと。
その約束をいつ結んだのか覚えていないけれど、でも確実に自分の中で決めたこと。
それは、相手の良いところや強みを見つけたら直接相手に伝えること。
相手が受け取るかどうかはどっちでも良くて(しかもそれは私が決められる範疇にない)、とにかく伝えること。
大体そういう機会は一度訪れるかどうかだったりする。
その時を見逃さず伝える。
そう、それをやっていこうと自分でいつからか決めて、そして本当にそうしている。
自分のその約束は、最終的に相手よりも私自身が喜んでる。
その約束は普段発動しないから忘れっぱなしだし、手紙書いてる時も忘れていたけれど、今日帰りの車中で思い出して、そして過不足なくその約束を決行したんだと気付いた。
そして自分がそういうことをするのが好きなことも思い出した。
仕事中、一瞬気が緩んで泣きそうになってしまった。
目に映る風景の中に数えきれないくらいの回数面影を探した毎日や、いた当時の風景もいなくなってからの風景も両方今日で見納めなんだと思ったらとても寂しくなった。
私は普段とは違う位置に座っていて、それが今日は夕日が差し込む時間帯だった。
陽の光が室内に入ってきてて男性トイレの前辺りがキラキラしてた。
そのキラキラ具合は、面影の相手の周りにあった空気と似ていた。
色は夕陽色ではなかったけれど、光る具合やそのところだけ空気の感触が変わってる様子は似ていた。
たしか私がそのまとってる空気に最初気付いた時は、その人がトイレに入ろうとしてた時だった。
イケメンはトイレに入ろうとするだけであの空気感を醸し出すんだ、すごいなオイ!、とちょっと皮肉というかそんな風に思った自分がいた。
だから私は自分の気持ちに気付くより先にその空気感に先に気付いてた。
そして私は何か視える人ではないから、視えていたものを「イケメンオーラ」の一言で片付けていた。
だから私がそれをオーラと認識できたのは何ヶ月も先だった、しかも本人がいなくなってから。
そんなことを思い出してたら、それを見たくてももう見れないし、目で場所を捉えながら回想もできないんだと知った。
私は最後の仕事だと自分で思った仕事を終えた後、もう1つ毎週金曜日恒例の仕事を追加でした。
今回の分はたまたま随分と前から契約されてるものが大半で、ファイルを開く度にその面影の人物の名前を目にするようになっていた。
ここ最近は新しいものが多かったから、そもそもそんなことさえも珍しかった。
最後の最後に名前を見れて、その偶然をとても嬉しく思った。
なぜなら最後と思ってしてた仕事の時には、現体制の資料のファイリングだったから、その名前はどこにもなかった。
最後の仕事なのにテンション上がんないな…なんて思ってたから余計とこの追加の仕事が嬉しかった。
いた人全員にお菓子やら何やら配って、そして最後の追加の仕事を終えていつもより40分ほど時間がずれて退社した。
駐車場に着くと「武士俣さーん!」と呼ぶ声がした。
建物を見ると2階の窓からサノさんが顔を出してた。
私のことを見送ってくれると言う。
その瞬間すごく嬉しかった。
サノさんに了解を取って、写真を撮らせてもらった。
一生の思い出に残ると思った。
1年半ほど前、この目の前の場所に迷い込んで辿り着いた時、まさかそこが未来の職場だとは思わなかった。
面影の人物の最終日、いつもと変わらない駐車場を見て、これが最後の日なんだと思ったら、駐車場を見るだけで泣けてきた。
いなくなった翌週、私は朝着いてすぐに建物の特定の場所を写真に撮った。
撮った時に、もうこの風景もすぐに変わるんだろうなと思った。
私の読みは大当たりで、その2、3時間後には変わって、その日帰る時には今のスタイルになった。
その時は切なさや寂しさばかりを引き連れてきて、そしてその後もずっと何ヶ月にも渡りもう変わってしまった色んなことを、変わる前の風景と置き換えて見てしまう変な癖がついてしまった。
普通に駐車場なのに、私には毎日のように色んな気持ちを回想するのがセットであったから、そこはちょっとだけ切なさを伴うスポットだった。
それが最終日の今日、サノさんが最後に新しい思い出をそこに追加してくれた。
切なさだけじゃない、心をふわっと包んでもらうようなそういう色が加わった。
本当にサヨナラだなと思いつつも、その全ての瞬間が愛おしいものだったんだと気付いた。
車に乗っていつもの道を進む。
橋を渡って坂道下りてコンビニの前の赤信号で止まった。
私はあまりの偶然に息を呑んだ。
反対車線をその人の名字がそっくりそのまま入ってる洋菓子屋さんの車が通り過ぎてった。
私が勝手にラッキーアイテムと決定した世界に1台しかない車。
職場を出て3分ほどだと思う。
まさかこんなタイミングで会えるだなんて思っていなかった。
その人が私におつかれさまと言ってるわけでは全くないけれど、そのたまたまにしては出来過ぎてる偶然を見て、おつかれさまと言われてるみたいだなと思った。
そうして私の100日目は仕事の最終日を伴って幕を閉じた。
明日1日置いて、4月からまた次の100日を設定しよう。
机の中に忍ばせておいたお守りこと名刺は持ち帰ってきた。
初めて家に持ち帰ってきて、これまで公用の顔だったものが、スーツを脱いで私服に着替えるみたいなリラックスした顔になったように見える。
もう誰に気兼ねする必要もないから、自分の目のつくところに置いている。
寝る時はペンジュラムやオルゴナイトを枕元にいつも置いているけれど、その近くに置いた。
これからは普通に日々の個人用のお守りのようにしようかと思ってる。
お守りというか、好きな絵や物を見るように好きなタイミングで好きなように見る。
好きなものを見るとそれだけでパワーがもらえるから、そういう部分はこれからも引き続きお願いしようと思ってる。
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