私が婚活をしない理由。
この間占星術講座のクラスメイト、ノムと話した時にそんな話になった。
ノムの女友達の1人が最近婚活をしてデートをしているらしい。
それが実に本人に似合っていなくて(ノムはそのことをストレートに本人に伝えた模様)、その話をしてぶっしーはそういうことをしない、もちろんぶっしーの本心は知らないけれど、自分1人でいることの強さがあるみたいなことを言ってもらった。
ノムと電話が終わった後から、私は初めて「何で婚活をしないのか」ということを考えてみた。
結婚したいなどと言う割に、私は婚活なるものを全くと言っていいほどしない。
なんなら最近も相手がどこまで本気かわからなかったけれど、紹介の話を断った。
色々と条件が厳しすぎるから断ったけれど、これがもし自分に抵抗のない条件だったのなら私は受けたんだろうか?と思うと、それもないと思う。
最近じゃいよいよもう生涯独身をいくんじゃないのかな…と思い始めてる。
前は「そうかも…」くらいだったのが、今は「そうなるだろう…」となってきた。
言うなら前はifだったのが、今はprobablyという感じ。
ちなみに「おそらく…だろう」はmaybeが50%の確率で、probablyは80%の確率の時にそれぞれ使うという、厳密にはそういう差があるらしい。
そうと知っても私は婚活をして何とかしようなんてちっとも考えていない。
こんなことダラダラと私の自己分析を書いたところで何それ状態だけれど、とりあえず思いつくままに書いてみようと思う。
(i)自分を変えたくない
多分これが一番大きいと思う。(婚活をしない理由として)
今の日本で一番手っ取り早く結婚に結びつきそうな手段は、結婚相談所だと思う。
実際の成婚率はさておき、「結婚したい意思のある異性と確実に出会える」という意味では、もう結婚相談所以上のものはないと思う。
30代の私は、お金を払ってまで出会うことに意味を見出せないどころか、理解さえできなくて、何で出会いにお金を払わなきゃいけないんだろ?と思っていた。
それがここ2年か3年、婚活ブログを読みあさって、それもありだと思うようにはなった。
なったけれども、そういうものを読むようになってから、ますます結婚相談所スタイルは自分に合わないと知った。
結婚相談所経由で結婚する素敵なカップルたちもいるし、実際に結婚に至った男性女性双方のブログもかなりな人数で読んだ。
本気ですごいと思うし、成婚に至った人たちのリアルな話を読んで、結婚相談所もありなんだなと見方は大きく変わったけれども、それはあくまでも結婚相談所の見方が変わっただけで、自分が登録してそこで活動したいとは相変わらず全く思わない。
むしろ、リアルな流れを知って、本気で無理だとわかった。
結婚相談所というのは、まず外見的なものを整えることをほぼほぼ絶対としている。
そりゃ当たり前でしょ!というところなんだろうけれど、慣れないヒール靴履いて、普段履かない清楚なスカート履いて、化粧も綺麗にして……。
そういうことに違和感のある私は、まずそこから自分の調整をしないといけない。
もちろんTPOに合わせてそういう格好が必要ならするけれど、相手に好印象を持ってもらうためにそれを予め毎回のごとく用意するなんて、もうそれだけで相当なストレスになる。
「やりたくない」の一言に尽きる。
そして、結婚相談所の体験談的なものを会員視点からも仲人視点からも色々読み漁ってみて、本当に就活以上に大変なのがわかる。
30歳の時に人生で初めて「就活」と呼ばれるものをリアルにやってみて、応募したのは40社以上にのぼったと思うけれど、その書類1つ作るだけで私は毎回ヒーヒーだった。
あんなの二度としたくないし、本気で苦痛だった。
自分の思ってもないことを相手(受ける会社)に合わせて何とか書くことや、それを実際の面接の時にアピールすること、本気で超グッタリだった。
しかもそうまでして入った会社も辞めたわけで、ますます自分を変えてまで何かをすることに私はものすごく抵抗がある。
結婚は仮に一緒に住んで一緒に生活するとなれば、絶対に歩み寄りやすり合わせは必要で、そういうことに対して自分を変えるのは必要だと思っているからいいけれど、なぜに最初の時に普段着ない服着て靴履いていつ汗で落ちるかも知らない化粧をきちんとして…、ってハードル高すぎる。
男の人もスーツなりジャケット着用なりを言われているようだけれど、これは私みたいなズレた人が思うのは、普段の格好よりちょい増しくらいな格好で行くのが本当は一番いいんじゃないかと勝手に思っている。
婚活パーティーなんかに着ていくようなレベルと言えばいいんだろうか。
それの方がその人の普段の感じや価値観、雰囲気が伝わるように思う。
今の会社の男性社員たちはみんないわゆるエリートコースで来た人たちばかりだけれど、何せ毎日工場勤務にありがちな制服を着ているから、スーツなんて着ていない。
たまに出張でスーツを着て出社されてる人がいるけれど、みんなどんなに良い人でどんなに仕事ができる人でも、何せスーツを着慣れてないから「着慣れてない感」が出まくっている。
男性もそんな風なんだから、日本古来のその超かっちりなスタイルは何とかならないのかな…なんて思う。
ちなみに正装を推す声として
・逆に決まっている方が服を考えなくていいから楽
・きちんとすることで、相手に「きちんとしたい」意志を外見から伝えられる
・きちんとすることで、相手も事前準備をしてくれている、という好印象になる(しないと逆にそれだけで一気にアウトになる模様)
とかいうことが書かれてあった。
もし婚活を本当にするにしても、私の場合は結婚相談所ではなくて、少人数制の婚活パーティーだなと思う。
ちなみに婚活パーティーも苦手で、外見や容姿がものをいうようなところでは、私は底辺側にいるだけあって、きちんとしている男の人は誰彼かまわず話をしてくれるけれども、あからさまに「おまえに興味なし」みたいな人もたくさんいて、そういうことも私は苦手で仕方ない。
何も言われてなくても、相手の態度やふるまいに自分が傷つくのがわかる。
そういうのは本当に嫌だから、だから自分から参加したいと思わないんだろうなぁと自分では思っている。
(ⅱ)出会いは必然と思っている
こればかりは本当にそう思っている。
これはパートナー的な異性ばかりじゃなくて友達やとても近い関係になる人みんなを見てそう思う。
出会いそのものは作るものではないし、作って何とかしようとして上手くいったことは一度もない。
操作するようなものでももちろんない。
長く付き合いのある人たちを見て、長く続いている関係の人たちは基本的に出会いを求めてそうなっていない。
これまで好きになった人たちもそうで、「好きな人が欲しい」と血眼に探して出会ったのではなく、ひょんなことから出会っている人たちばかりだから、そもそも「出会いを探す」ことに違和感を覚える。
もちろんボケッとしていたら出会いが突然舞い込むなんて思ってはないけれど、かと言って探して何とかするものでもないと思っている。
(ⅲ)自分の中の感覚
これは理屈じゃなくて感覚だからどこまで言葉にできるかわからないけれど、できる限り言葉にしてみようと思う。
今回このブログを書くにあたって、私は過去をとにかく振り返ってみた。
私が婚活はもとより、誰かと付き合うということに全くと言っていいほど努力やらがんばりやらをしないのは、自分の中の感覚が圧倒的強さであるからだと思う。
3年前の夏に私の人生に突如現れたイケメン上司は、本当の意味で魂が転生してももう一度出逢えた人だと思う。
魂の感覚、魂同士が再会する感覚ってこんな風なんだろうなぁと今はだいぶ冷静に見れるようになってきた。
魂の再会は決して今の人生におけるパートナーシップとは関係ないと自分を見て思うけれども、そしてイケメン上司と私とがどうこうなるなんてのも限りなくゼロに近いくらい「ない」と思っているけれども、そういうことではなくて、その感覚を一度でも知ったのならそれを上回る異性に出会ってそして双方が相思相愛になるなんて、宝くじで一等を当てるよりも真面目に難しい。
もしイケメン上司に出会わなければ、もう少し私も一般的な結婚の可能性を意識できたかもしれないけれど、今の「知っている」状態なら難しいだろうと思う。
イケメン上司を見ていて感じた感覚というのは、他の誰にも感じたことのないもので、それは今生の中でももう二度は他の人で体験するなんてできないだろうなぁなんて思っている。
もうそれは起こってしまったことだし、時間も過去も取り戻せないから、イケメン上司にまつわる諸々はもう残りの人生の時間で自分が受け取りやすいように消化する他ない、そのように最近なんかは思っている。
それはいいけれど、イケメン上司に感じたような感覚やそれに似た感覚を持てずに誰かと一緒になるなんて想像できない。
要はイケメン上司に出逢ったことで、私の中のありとあらゆる感覚が開いて、それもとても自然な形で湧き出るものだったから、それを上回るとなるともはやどんな感覚だろう?って思う。
世の中にはかっこいい人も生き方が素敵な人もたくさんいる。
仮にそういう人たちから言い寄られるような超おいしい出来事があったとしても(←あくまでも仮定の話)、私はイケメン上司の時みたいな感覚にはならないんじゃないかと思っている。
その感覚を知らなければ、私はもう少し誰とでもやっていけたんじゃないかと思う。
だけど、それを一度でも知ったのならもう後戻りはできないし、そして悲しいくらいに一緒に生きることのない相手であっても、だからと言って感覚が消えるわけでもなければ、思い出せないくらいな状態にも全くなってくれない。
最近じゃ、イケメン上司が私の日常にいるいないなんて関係ないんじゃないかとさえ思っている。
感覚だけがいつまでも残って、それは究極本人が生きていようがそうでなかろうが、その感覚だけが未来永劫続いていく、それも深い意識の部分でずっと存在していく、そんな風に思っている。
思っているというよりも、今がそうだしこの3年も自分じゃもう少しどうにかなるものかと期待したけれども、そこは恐ろしいぐらいに期待がことごとく裏切られ打ち砕かれて今に至る。
この感覚や存在感がある限り、それをうんと超える誰かに出会うなんて、本当どんな確率かと思うし、さらにはそういう人に出会えたとして、その人が私と一緒にいたいと思ってくれるなんて、もはや宝くじ一等を2回連続で当てる確率以上に低い。
そのくらいに思っているから、自分が感じたような気持ちや感覚になる人と出会うなんて、本当の本当に難しいことだとわかる。
悲観したりネガティブになっているのとも違う。
今の私ができる最大の力で客観的に見て分析してそのように感じている。
この世にはたくさんの男の人たちがいるけれども、そしてイケメン上司よりも素敵な男性だって確実にいるけれども、そういうことじゃない。
「この人魂友(たまとも)だから!」
(友達じゃないけれど、わかりやすい感じで出てきた言葉がそれだった(苦笑))とわかるようになっているんだと思う。
イケメン上司は、自分が人生で出会った誰よりも違っていた。
そして、イケメン上司に感じていたような感覚は他の誰にも感じたことのないもので、今になってみれば、あれこそが魂の繋がりを示すものだったと思っている。
私も特に何もしていないし、イケメン上司だって何せ仕事中だから普段通りだったと思う。
それが突然何か色々間違えたかのようにスイッチが入って、そこからは何が何だかわからないまま色んなことが激変した。
向こう側は知らないけれど、私側は何が何だかわからないくらいに凄かった。
「すごい」よりも「すさまじい」の方が言葉としてピッタリな感じなくらいに、強烈だった。
付き合って互いに化学反応が起こるならわかるけれど、付き合ってもいなければ個人的やりとりも皆無で、よくぞそんな状態でそこまでのことになったなぁと思う。
だからこそ余計と魂の関係由縁の色が濃いように私は感じている。
むしろこれはたられば妄想だけれど、イケメン上司が文字通りイケメンな上に、イケメン行動+スマートなコミュニケーション+面白話わんさか、みたいな感じだったら私はその表面的なところだけ見て、他の男友達同様に性差を超えた関係なり「職場の男性の1人」なりに落ち着いたんじゃないかと思う。
イケメンで仕事ができておしゃべり好きで紳士的なふるまい、と非の打ち所がなければ、もはや私の中では高嶺の花どころか「友達になれたら超ラッキー!」くらいな感覚にしかならなかったんじゃないかと思う。
コミュニケーション皆無に等しかったからこそ、自分の心の動きや全身全霊で感じる感覚なんかに集中したくなくてもじゃんじゃんと出てくるからそれに目を瞑り続けるなんかできなくて、それでわかった。
そして今も当時とそんなに変わらないままこんな風になっている。
変わったのは、イケメン上司が目で見えるところにはいない、そのことだけと言ってもいいくらい。
今なんて色々妄想が重なってそしてあまりにも毎日のこと過ぎて勝手に脳がイケメン上司の存在を自動刷り込みしてるだけじゃないかとさえ思わなくもないけれど、だってよくも知らない人のことが会えなくなってから延々と3年も自分の中に居続けるなんて相当おかしなわけで、私はそういうことを望んだのとは違う。
もっとごく普通のパートナーシップなり結婚なりの形の方がわかりやすくていい。
そしてそういうものの方が人間としての幸せ度も高い。
こんな魂の修行やら自己鍛錬みたいなのは私からして苦行でしかなくて、もっと普通の幸せが欲しいんだけれどなぁと相変わらず婚活する気もないくせして、そういうことだけは一丁前に思う。
(ⅳ)未来の自分予想&自分への希望
書きながら思ったけれども、こういうことさえも全て通り過ぎて、そして本当にいつか宝くじ一等が2回連続で当たるよりも確率の低いまさかの確率で、誰かと相思相愛になって一緒に残りの人生生きましょ、そうしましょ!みたいなことになったら…。
(想像するのはタダな上自由!)
私は絶対に相手の人を大切にするだろうなぁと思った。
自信がある。
これだけ色々あっても、尚私みたいな人と一緒にいたいなんて言ってくれる人は、本当に神仏級だと感じるし、よくぞそんなすごい決断をしてくれました!!!、って本気で思う。
そういう風に相手を大切にしてるだろう自分がすぐに思い浮かべられたことで、自分に安心できる。
少しだけ明るい希望が未来の自分に抱ける。
もし、残りの人生で誰かに出会えたのなら、その時の私はその時の私でなんとかなるんじゃないかと思う。
未来の自分への希望はかなりシンプルになつてきて。
イケメン上司との心の距離感とでも言えばいいのか、それともイケメン上司にまつわる色んな自分の心の中のこととでも言えばいいのか、その辺りはよく自分でもわからないけれど、いずれにしてもその自分と上手く付き合えるように、可も不可もない距離感を掴めるようになりたいな、と思っている。
イケメン上司の登場は、本当に人生のご褒美みたいなもので、これから先、イケメン上司も私も普通に何十年とそこそこ生きるのではないかと勝手に思っているけれど、仮にあと何十年と生きたとしても私の生きる世界にイケメン上司が再登場してくれるとか、反対に私がイケメン上司の生きる世界に入れてもらえるとか、そんなことは宝くじ一等を10回連続で当てるよりもないと思い始めている。
今はまだ正直どう自分を保てばいいのかわからないし、どうこのこと全てに向き合うと自分が楽になれるのかもわからない。
だからこそ、程良い距離感とか心の中で自分が楽に呼吸できる感じとかを見出したい。
例えば、イケメン上司が結婚した、と聞いても私の心の中はそんなに大きくいきなりは変化しないと思う。
相手側の状態や気持ちはもはや関係なくて、私が私の中にある色んなものとどう向き合うか、それに尽きる。
だからそのことで自分がこんな風にああでもないこうでもないと言い続けるような感じじゃなく、これでいいんだと思える心の状態を獲得したい。
それは宝くじ一等と違って、現実的に手に入りそうだから、私はそのための労力は全く惜しまないし、今よりも楽になれる在り方には超絶興味がある。
多分イケメン上司のことは生涯忘れることはないと思う。
その忘れることのない存在と自分の心との微調整をして、そして今よりも健やかに穏やかに過ごせるようになれたのならいいし、そしてもう会えなくてもそれが何か?と言わんばかりに気にならないくらい生きることに集中できたのならスーパー御の字だと思っている。
(番外編)
このことを書く少し前に、社内のイケダン(イケてる男性、略してイケダン)さんがとある女性に夫婦間の悩みを聞いてもらっていたことが判明した。
女性側当人から聞いたから噂ではなく、本当のこと。
私は素知らぬフリを通しているけれど、正直な気持ち、それを聞いてとても残念だったし、夫婦間のことを赤の他人に話されて、さらにはその相手というのが美人だったり可愛い子だったりすると、さらに心がキュッとなりそうだった。
自分のことではないし、全く関係のない立ち位置に私はいるけれど、それでもなんだか心がささくれ立つみたいな感じになった。
顔良し性格良しなイケダンが自分の夫なり彼氏なりになると、そういう心配もしなきゃいけないのかと思うと顔や容姿は非モテ系の方が自分が安心できていいなぁなんて思ってしまった。
そんな心配は全くもって不要だけれど、もしイケメン上司が私と付き合うとなったとしても、そういう心配も常に付き纏ったのかと想像すると、心の平穏のためには今の状態で大正解だったんだな、なんてアホなことを考えた。