2018年5月31日木曜日

仕合わせ

いきなり変なことを思い出した。

去年の夏のある日、私はどうやってお礼を言うか、そもそもお礼を言うか言わないかを数日、多分1週間近く悩んだ時がある。

普段の私なら「早く言えよ」と思うし、基本的にお礼を言うのを後回しにするのが気持ち悪くて嫌だから、さっさと言ってしまう。

だけどその時は違ってた。

不意打ちの優しさというか気遣いをいきなり受けて、私はものすごく舞い上がった。

舞い上がったのはいいけれど、そもそもそれに対して後からまたお礼を言うのは普通なのかどうか?やり過ぎ?と考えては打ち消すみたいなことをしてた。

そうしてるうちにあれよあれよと日が過ぎた。

そもそもはこうだった。

超絶参加したくない行事というか仕事が突如降って湧いた。

当時予定表の見方さえ知らなかった私は、その行事の存在も前の日に知らされた。

炎天下=日焼けの図もものすごく嫌だったけれど、それ以上に誰が誰かもわかっていない時にその人たちと一緒に作業をすることが何よりも嫌だった。

気まずいと言ったらないし、うっかり話さなきゃいけない状況とか生まれても名前も知らないから、そんなことは極力起きませんように…とアホみたいな、だけど私にとっては最高に重要な願い事までしてた。

当時知ってた人の名前は、トップ2人とあとは1番のトップの人と同じ会社の人2人。

あとは全員知らなくて、もう私は一刻も早くその作業が終わって欲しいと思った。

しかも動き方がわからないから、その指示を仰ぐとかも、まずは聞くにしても名前を呼ばなきゃで、でも名前を知らないからそんな事態には陥りたくないと思ってた。

反対に名前を知ってると言っても、本当に文字通り「名前を知ってる」にしか過ぎず、何の絡みもない私にしたらその人たちに万が一話しかけなければいけないなんていう状況にだけはなって欲しくなかった。

だから私は一緒に作業に当たった女性1人を頼るようにして、あとは逃げるように輪から外れてひたすら目の前の作業をすることに徹した。

時間よ、早く過ぎ去ってくれー‼︎みたいな。

だから私はそんなことに全神経を注いでいたから、「誰かに気使いをしてもらう」なんていう予定は私の中で皆無だった。

本当にその瞬間が訪れた時、最初はあまりにも驚いて呆然とした。

でも相手も目の前からいなくなり、自分の世界に戻ってきた時、それがいかにすごいことなのかがじわじわと体に伝わってきた。

それをしてくれた人物もまさかの人であれば、そのワンシーンはまるで恋愛ドラマの一部のような仕立てになってた。

思いもよらぬ場面で優しくされたものだから、それはそれは舞い上がった。

胸はどこまでも高鳴った。

最後いつそんな身体中で反応するぐらいにキュンキュンしたのか思い出せないぐらいだった。

もちろんその場ですぐにお礼を言った(はず)。

だけど、終わってから改めてお礼を言いたいと思った。

本当に助かったのと、それをきっかけにその人に興味を持って何でもいいから話しかけるきっかけが欲しかった。

だけど私は知ってた。

気安く話しかけられる相手ではなかったのと、そしてそもそも話しかけてその後話がポンポンと弾むなんていうタイプの人ではなさそうというのは薄々気付いてた。

誰に対してもそんなにたくさん話すタイプではないのはわかってたし、気を許してたかどうかは別にしても、その人がある程度心開いて話せるのは2人だけというのも見ていてわかったから、そんな人に話しかけるなんていうのはメチャクチャハードルが高かった。

しかもそもそも言うタイミングも普通に考えて、ない。

じゃあタイミングとやらがあったらさりげなく言えるかと言えばそういう相手でもない。

何かしら言いたいけれど言えない…みたいな1人綱引きを心の中で延々としてた。

そんなタイミングでお世話になりっぱなしのSさんから電話が来た。

電話越しでSさんはとても崇高なお話をされてた。

その崇高なお話は丸っと忘れたけれど、唯一Sさんが言った「お礼とかそういう類いの大切なことはすぐに言うようにしてるの」というようなことを言っていたのが耳に入って、それ聞いて私もお礼を言おうと心が決まった。

その人に向かってお礼を言えるのは、その時が人生で最初で最後かもしれない、もしそうなら悔やまなくていいように言おうと思った。

崇高な話は忘れたけれど、Sさんも「その時しかないから、どんな時も言える時は後悔のないようにタイミングを逃さないように気をつけてる」みたいな話の流れだったと思う。

今振り返ると、Sさんは絶妙なタイミングで私に大切なことを伝えてくれてた。

なぜなら本当にお礼を言える機会はその時が最初で最後になったから。

次は言う内容だった。

そもそも何て出だしで始めようか…に始まり、その後感動ポイントも伝えるか伝えないか、伝えるなら何て言うか、伝えないならどんな感じで言葉を紡ぐか…。

私はどこかの脚本家か?と言わんばかりにセリフをいくつも考えた。

考えただけじゃない。

行き帰り往復で1時間あった通勤の車の中で、そのセリフを念仏のように唱えてた。

人生でこんなにも言葉を準備したことはない。

しかも時間にして1分もしない短いセリフに。

そもそも誰かにお礼を言うのに言葉を用意したことなんかない。

これが超重大な話とかならわかるけれど、単にお礼を言うだけのこと。

だけど私は来る日も来る日も練習した。

そして言うタイミングを見計らってた。

言えた日は突然訪れた。

その人はある場所に1人で座って何かを書いてた。

しかもほぼほぼ周りに誰もいない。

多少話しかけても問題なさそうだったし、別に聞かれても変な話ではないから、今がチャンス!と思って話しかけた。

お礼を言った時の素っ気なさには心が折れそうだったけれど、今考えたら慣れてなかっただけかもしれない。

そもそも1週間ほど空いた上に何を今さら的な話だった。

しかもそんなことでわざわざお礼を言うのかということでもあった。

私の勝手な分析によると、そういう時2つのタイプの人がいる。

1つはとても反応の良い人。

この手のタイプはお願いしなくても勝手に話を広げてくれるし、何なら表面上の優しさみたいなのさえ見せてくれる。
(もちろん真に優しい人もいる)

もう1つは反応の薄い人。

薄いと言うと語弊がある。

そういう状況に慣れてない人と言えばいいんだろうか。

だから、ポンポンと言葉も出てこないし、一歩間違えると相手に不機嫌な印象さえ与えかねない。

でもこの手のタイプはそういうわけではなく、単に反応の仕方がわからないか慣れてないかという印象を私は感じてる。

しかも表面に見えてるのはあくまでもその人の一部だから、実際は全然違うタイプの人とか、優しさを取り繕うことはしなくても実はとても優しい人だったり、色々と奥深いタイプの場合も多い。

大人の男性は特にこの傾向が顕著に現れる。

職業別に言えば、前者が営業とかサービス系の人が多いとするなら、後者は技術職や研究職のタイプに多い。

男友達の1人で、仕事ではほとんど喋らないという人がいる。

私は仕事中を見たわけじゃないから真相は知らないけれど、本人がそう申告するからそうなのだろう。

私も初対面の時に「この人とは仲良くなれそうにもない」と思ったから、社内での振る舞いは何となく想像がつく。

特に女性に対してはとことん線引きをしてるらしい。

私と別の友達の前ではガンガン好き放題に話をするし、下ネタもバンバン言うから、会社でもそうしたらいいじゃん!とうちらは何回言ったかわからない。

毎回「無理。できない」と言われた。

社内はさておいても、仲の良い人の前では自分のことも話すし、思ったことも口にする。

気の利き方も半端ないし、喋りが得意じゃない分、喋れないとか言葉にできない時の気持ちをこの人はよく知っている。

だから私がそうなってもきちんと受け止めてくれる安心感がある人。

そういう人も周りにいるから、もしかしたらその人もその手の「実は…」というタイプなのかもしれない。

だから、その時お礼を言っても反応がイマイチでどうしようかと思ったけれど、もう話をそれ以上続けるなんてどう考えても厳しかったから、私も言うだけ言ってその場からは離れた。

想像通り、そこから話が弾むこともなく、とりあえず言えたからいいかということにした。

本当はもっともっと喋ってみたかったけれど、そういうノリの人ではないのはわかった。

そういう時は私も無理にガンガン話し続けるなんていうことはしない。

相手の様子を見て私もすぐに幕を引く。

そうして、お礼を言うという私にとっての一大行事は終わった。



ちなみに伝えられなかった感動ポイントは、その後も私の記憶にはずっと残ってる。

私は先に書いたように、その炎天下での作業中、誰かと話さなきゃいけない状況だけは絶対に避けたかったから、ひたすら人の目につかないところにいるようにした。

基本的には背中を向けるようにしてた。

しかもその時の私はまた随分と奥の方にいて、姿が見えないわけではないけれどそんなはっきりと見える位置にいるわけでもなかった。

さらにそのことに気付くには、指先数センチの話で、私は自分ですらそんなこと気にもなっていなかった。

たった数センチの部分を見て気付くというのは、そんなに容易なことではなかったと思う。

だからピンポイントでそれに気付いてさりげない心配りをしてくれたことに、私はとても感動した。

他の誰も気付かなかった。

その人だけが気付いて、そっと物を差し出す。

当初私はその人はモテる人でそういうやり取りに慣れてるのかと思った。

その人が慣れてても何ら不思議はなかった。

だけどずっと見てると、そうではない気がした。

モテるモテないは知らないけれど、少なくともそういうことをさりげなくするタイプではない気がした。

だからあの時もそんな気使いを見せてくれたことにとても驚いた。

ちなみにこの話をその人が気を許して話せる女性に一度言ってみた。

当時はまだその女性とも今ほどに話せる関係ではなかったけれど、いつだったか「どういう時にトキメキを感じたか?」みたいな話題になって、それで私はその時のことを口にしてみた。

全く近付ける様子もなかったから、それをきっかけに何かその人の情報がきたら嬉しいなというちょっとした期待も含めてそれとなく言ってみた。

「そんなことしてくれたの?なんか信じられない!私、そんなこと一度もあの人からしてもらったことない」
と返ってきた。

「そういうことするタイプには見えない、私が知らないだけかもしれないけれど」

私の読みは当たりで、やっぱり普段からそんなことを積極的にするタイプではないらしかった。

「本人はともかく、そんなことされたらそれは胸がキュンキュンしますね」なんて言ってくれたから、本当に普通に考えてもとても素敵なストーリーだと思う。

私の中には鮮明に記憶に残ったけれど、その人の中では記憶ごと抹消されててもおかしくない。

その後の私が渾身の力を入れてお礼をやっとやっと言えたことなんかさらに記憶の奥底に眠ってしまって、もう生涯思い出すこともないと思う。

死んだ後あの世に行ってから「あの時、きちんと反応して欲しかったのに」ぐらいの軽口叩くのがせいぜいかもしれない。

今振り返ると楽しいひとり芝居の練習だったなと思う。

あの当時はまるで何もわかっていなかったけれど、私はとにかく話したい=近付きたかった。

本当に近付きたくて、何でもいいからきっかけが欲しかった。

だけど日を追うごとに近付くきっかけは皆無に近いと悟ったから、もうそういうことをきっかけに話しかけるしかなかった。

お礼を言うだけで会話を広げるなんて無理もいいところで、案の定その後も余程の何かがない限り喋ることなんてなかった。

実際は喋ったことないぐらいに喋らずにその人はいなくなった。

なんなら私は全ての会話を確実に再現できるぐらいに、その人とあった全ての瞬間を記憶している。

ほんの少しのやり取りから、その人は単なる静かな人ではないことは何となく伝わってきた。

私は何百人を相手にマンツーマンで話してきただけあって、その辺りの勘は多分人よりも冴えてる。

何かが見えたりはしないけれど、その人にしかない魅力や特徴みたいなのはわかる。

静かな人こそ静かな分ごまかしが利かないから、沈黙の部分で伝えてくることが多いようにさえ感じる。

その人もそういうタイプの人だった。

確実に非言語の部分で際立った良さを持ってる人だった。

だから3ヶ月ほど前、その人の後輩にあたる人が「あの人、超できる人っすよ!俺、本気で尊敬してますから!」と言った時、私はすごく嬉しかった。

私も知ってたと言ったら、その後輩くんも大喜びしてたけれど、私にしてもとても嬉しいことだった。

見る人が見たら絶対にわかる良さを持ってる人だった。

本人はそんなことどこまでわかってるのか知らないけれど、でも確実に静かな空気のまま絶対的な部分を伝えてくる人だった。



あの夏の日からそろそろ1年になる。

叶わなかったこと、悔やまれたこと、思い通りではなかったこと、本当にたくさんある。

相手の中には何も残ってなくて完全に忘れ去られてても、それでもその特別な瞬間を手にできて私は良かったと思う。

『縦の糸はあなた
横の糸はわたし
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます』
(中島みゆき 『糸』)

2018年5月30日水曜日

誕生日が1日違うということ

先週のホロスコープの講座で、私と同い年で誕生日が1日違いという人に出会った。

私は自分のことで手一杯で相手からの指摘がなければ気付かなかったけれど、その人いわく私の形とその人の形が似ていたからそうじゃないかと思ったと言われた。

よく見たら本当にそうだった。

だけど、私はその人と話してみて、似ても似つかない感じを覚えた。

明け方家に帰ってきてから、早く寝ればいいものをそのホロスコープが気になって、相手のホロスコープを細かく出してみた。

全体は読めないからわからないにしても、私がとことん引っかかった私のホロスコープのポイントに関して言えば、その人は1つとして持っていなかった。

ある意味ちょっと羨ましく、そしてこれこそ自分の人生の設定なんだと受け入れざるを得ない状況になってきた。

相変わらず往生際の悪い私は、スピリチュアルなことに関与するだけじゃなく、それがある種私の人生ではメイン張りますかばりのことがまだ受け入れられていない。

色々調べる。

調べていくと、霊性がどうだとか精神世界の探究・実践だとかそんなことがやたらと書かれている。

少しでも組み合わせが違えばもっと別の内容になるのに、まるで狙ったかのごとく、ピンポイントでそういうのに当たることが多い。

スピリチュアルな要素が嫌だというのではなく、ホロスコープを見れば見るほどもう抗えないような人生の設定みたいなのが見え隠れしてるから、それに対しての抵抗がある。

今回ホロスコープの先生に会えて話した時「スピリチュアルなことと縁がありますね」と、「そこに向けて今は膿出しの期間、膿というのはカルマ的な意味の方で」と説明を受けた。

私は一言も自分のスピリチュアルなことへの興味関心も言わなければ、今が自分にとっての変容期であることも触れていない。

なのに、先生は私のホロスコープを見ただけでそれを言ってきた。

カルマとか膿出しとかよくわからないけれど、少なくとも私の目に映っているのは、これまでの価値観が徹底的に根底から変えられようとしてること。

色んなことをひっくるめて、大きく何かが変わる時期だというのは肌で感じる。

ホロスコープ講座を受ける前々日だったと思う。

色々調べ物していく中で、ある意味ショックである意味自分の生きる方向性を示す指針みたいなものを目にした。

YOD(ヨード)と呼ばれるものを調べてた時のこと。

これは別名「神の指」と呼ばれるもので、そう呼ばれる由縁は、宿命的な目的を持って生まれてきてるからとされている。

ちなみにYOD持ちは、ある特定の分野(これは人によって違う)において、すごい能力を発揮するとも説明がある。

それの成功型と言えばいいのかわからないけれど、一芸に秀でるという意味では、漫画界巨匠の鳥山明氏だったり、イチローだったり作家の吉本ばななさんだったり、ASKAや酒井法子だったりする。

ここまでは知ってた。

これはある意味夢を与えてもらえる情報で良かった。

ところがホロスコープ講座の前々日に知ったことは、

【>Q.太陽と月が絡むと人生そのものが神様との契約とありましたが どういう意味でしょうか

A.一つの目的のためだけに力を使うのがYODですのでそこに太陽も月も関わると社会生活も私生活も、つまり人生の全てをYODが指し示す分野へ捧げることになります。】

この説明だった。

自分でも抵抗したところで仕方ないと思ってる。

もうそれが宿命的でそもそもの生まれてきた意味なら本当に仕方ないと。

そして自分でもある程度覚悟している。

自分の人生を振り返った時に、何が起こっているのかがわかる。

私は自分がここまで葛藤する理由もわかる。

今さらだけど、私は「普通」に憧れてる部分がはっきりとある。

それもつい最近じゃなくて、子どもの頃から色んな方面での「普通」に憧れてた。

ちなみに20代の後半から少なくとも干支が一周するぐらいに憧れ続けた「普通」はと言うと、好きな人と結婚して子どもを産んで育てる、時には美味しいもの食べに出かけたり、時には喧嘩したり、そういう毎日の繰り返しにとても憧れてる。

私は何がどうしたらそんなにもそこに憧れを抱くのかは知らないけれど、とにかくそれ以外特にこうしたいとか、ましてや仕事の方面でバリバリやりたいなんていうのは全くない。

そんなすごい使命めいたものもいらない。

だけどそうなることが決まってたかのように、人生で起きてくることはその憧れからは程遠いことばかり。

逆にホロスコープを読めば読むほど、証拠を突きつけられてるようなもので、ぐうの音も出ない。

学んだホロスコープの知識で自分の人生を読み解くとわかる。

たかが1回の講座に出ただけでこれまで見えてなかったことがわかった。

それを聞くために行ったんじゃないかと思うほど。

しかもそれ、ホロスコープの教科書的な本にもネットにもなく、でもその先生の中ではとても大切なポイントとして見ているというところ。

しかもその特殊な分析方法に合致する人は、話を聞くとそれに当てはまってることが多いとか(汗)。

私の場合はこうだった。

「社会の中で自分を切り開いていく」

その場所に全てと言っていいほど自分の天体星座が集まってた。

主要天体10個中9個がそうで、それだけ偏りがあると、先生いわくその偏った部分の傾向が人生に大きく影響されると言ってた 汗。

さらに細かいことを調べるともっとその状態が顕著になる。

見事としか言いようがない。

憧れの家庭生活とは真逆の生き方がそこには示されてた。

自分が結婚できない理由まで浮かび上がりそうだった(汗)。

あと何十年かすると私みたいな星の配置の人は「(今の自由な時代)良い配置ですね」と言われる気がする。

でも時代の過渡期の今、こんなのは良いどころか逃げ場がないみたいで、私はおののいた。

もちろん人生は自分で選んでいくものだし、自分の意思によって作られていくものだと思う。

でもそうならない部分もあること、自分の努力や行動だけではどうにもならないことがあることも私は知りつつある。

それについて私は1つわかったことがある。

これは全員ではないらしい(というのはネットの何人かの占星術のプロが言ってた)、けれど合致する人たちは見事にその性質を帯びた人生を送るとあった。

ある特定の配置のある人は、自分の人生において魂の設定と違うところに行こうとすると、ありがたい?ぐらいに軌道修正が入ること(*)。

私にはその意味が一瞬でわかってしまった。

自分の人生がそうなってるからわかる。

自分では良かれと思って選んでも、道が違うならそこからは引き離される。

しかもどんなにそこに留まりたくても、半強制的に引き離される。

はっきり言って私の意思は全くそこには反映されない。

反対に自分では逃げたいのに人生や魂の目的なんかと合致してるとそこから離れたくても離れられない。

どちらの場合も、私の個人の意思とは関係ないようなところで私の人生が回ってる風に見える時がある。

30代は特にその傾向が顕著だった。

これ書いてて思い出した。

私の社会人最初の仕事は、すごく不思議な形で仕事が決まった。

未だかつてそんな方法で決まった人なんか聞いたことないし、「巡り合わせ」としか言いようがない流れで決まった。

あの時は特に何とも思わなかったけれど、今考えたらそれも特殊だったことに気付く。

そうなる理由が今ホロスコープの情報を見て察しがつく。

その仕事は、人生の中で絶対的にやる必要のあることだったんだと思う。

興味があったから深く考えたこともなかったけれど、それは絶対的にすること。

仕事としてやると言うよりも、人生の体験として絶対的に必要なことだから、普通なら採用されないところをものすごく簡単に採用されてしまった。

だって履歴書もなく、どこの誰かも知らない私を、私の1本の問合せから色んな部署の大御所の人たちを巻き込んで…、というのは後から知った。

普通の会社で言う課長3人+係長1人みたいな人たちをたった1本の問合せで巻き込んでた。

それで履歴書も持たず(だって言われてないから)、言われるがままに普段着で見学に行って(記憶にある限りジーパンで出かけた気がする)、その場でお茶を出してもらって、トップ2人と見学の感想を茶飲み話のように話して。

それで私は採用された。

だから私は書類選考も正式な面接もなく、採用された。
(他の人たちはこんな非正規なルートでは絶対に採用されないことを後から知った)

そう考えると当時なぜに通常あり得ない形で採用が決まったのかわかる。

そして本来5年半も勤められる条件からはことごとく外れてたくせして、私は5年半もいることができた。

これもあり得なかったけれど、私は例外中の例外でそうなってた。

自分でも振り返るとわかるけれど、半分は自分の意思が反映されるけれど、残りの半分は人生の脚本があるとしたらそこに合致してるかどうかで私の意思とは関係ないところで決定されてる、そんな風に感じる。

この話は大抵理解されない。

私のようなタイプの、自分の力の及ばないところで何かが動いてると感じるタイプの人たちは自分も体験してるからすぐにわかってくれる。

でもそうではない人たちからすると、私が怠けてたり私のそもそもの選択が間違えてるんじゃないかとか、まぁ各種様々な言われようで理解を得難い。

反対に運命が決まっててそれに乗っかっていれさえすればいいのなら楽だねと言われたこともある。

私はそれには深く傷付いた。

当の私からすると、予測不能な上、自分の希望や願いなんかと真逆のことも起これば、選びたくなくてもそうせざるを得ないこともあって、「楽」だと感じたことはほとんどなかった。

大体いつもわけがわからなくて、そのうち色々あきらめて、「仕方ない」と受け入れ出すとようやく少し楽になれる、という感じだった。

当然そこまでいくのに相当な葛藤や痛みを伴うわけで、何で私の人生こんななんだろう?とずっと思ってた。

私は全て星のせいにするとかいうのではない。

でもホロスコープを読み解くようになってから、上に書いたことたちさえもそもそもの設定としてあったとわかって、本当に気持ちが楽になった。

自分を無駄に責めなくて良くなったから。

その設定を持っていたから、そしてそうでなければいけない理由があったからそうなってた、それが今わかって本当に楽になれた。

たった1日違いの同い年の女性にはない設定を私は持って生まれている。

今回のホロスコープの講座に行って、そんな人と出会えたことは大きかった。

基本的に逃げても逃げられない。

もう少し前の私なら、全くもって受け入れられなかったと思う。

今は「仕方ない」と思うところがある。

本当にそうなら抵抗ばかりしてもこちらもしんどくなるだけだから、抵抗せずに受け入れる方向で何とかしたいと思う。

でもでも、憧れは憧れのままだから、好きな人から「結婚して俺を支えて欲しい」などと言われたら、私は即刻ホロスコープ調べも投げ、スピのよくわからないことたちも投げ、家庭生活に全力を尽くすのに…と思う 笑。

過去に憧れた職業は、「子どもと旦那に作るお弁当」をブログで発表して大ブレークした人。

弁当作り大嫌いだけど、私の萌えポイントは別のところにあるから、楽しく頑張れそうと思った。

しかもその人は手抜き弁当でブレークしたから、より一層好感が持てた。

他の参加者の方たちの職業は一切知らないから断言はできないけれど、私含めてホロスコープを学ぶ人たちは、弁当作りで大ブレークからは程遠いと言うより、土俵自体が違う気がしてる。

ちなみに私のホロスコープでは「家庭において…」みたいな説明のくだりはほとんどなく、たまにあっても「家庭生活で傷付いた体験をお持ちかもしれません」「家庭において安心できなかったことがあったかもしれません」とか、負のオーラ満載の説明しか今のところ見ていない。

結婚については「変わった結婚」ぐらいはまだ可愛くて、その後の詳しい説明は即離婚だの私が相手を振り回すだのもうひどいことしか書かれていない。

そういうところは持ち前の開き直りで、「それはあくまで一説。みんなが当てはまるわけじゃないし、私も全く違うかもしれない」と思うことにしている。

強がりではなく事実だけを言うと、男友達3人から「ぶっしーは結婚したら絶対に良いお嫁さんになれると思う!」と言ってもらえたぐらい、私は家庭的?基本的に家のことをするのは好きなのになと思う。



【ホロスコープ豆知識←マニアック】
*出生図において、海王星と個人天体がアスペクトを持っていると、私が書いたような、宿命から外れるたびに本来の道へ戻されることが起こるとのこと。

ちなみに冥王星も。

特に太陽と月が海王星や冥王星とアスペクトを持ってるとその傾向が著しいとあった。

アスペクトはハード・ソフト関係なく。

ハードの方がより顕著だけれど、ソフトでも起こる。

アスペクトがない人たちは、トランジットの海王星と個人天体が合になった時、そのような揺さぶり的なものが起こるとのこと。
(外れてれば外れてるほど、起きてくる事象も強烈になるだろうけれど、それは決して悪い意味で起こってるのではなく、最終的にはそれで良い方向に調整されるものだと私は解釈)

まだ調べ途中だけれど、私は太陽も月も両方が天王星・海王星・冥王星全てとアスペクトがあるから、余計と顕著なのではないかと睨んでる(苦笑)。

言い切れないけれど、私のようなホロスコープの特徴を持ってる人たちは(天王星・海王星・冥王星と個人天体とがアスペクト有り)、本当の道にハマってる時はそれらの天体から応援がもらえる、と予想している。

2018年5月29日火曜日

発熱ナウ

何年ぶりだろう。

思い出せないぐらい。

熱が出た。

昨日から考えたら変だった。

ほとんど1日布団の中にいて短い昼寝をエンドレス続けて、夜眠れないかもと心配したけれど、夜も眠れた。

週末連チャンで人に会うと、引きこもり体質の今疲れるのかと思った。

今朝のどが痛くなった。

風邪をもらう場所がわからず(しかもどんなに風邪菌の中にいても基本平気な人)、気のせいかと思ってた。

ハローワーク行って履歴書の書き方講座受けた。

その後はずっと見たかった占星術の講座の動画を、アイスコーヒー飲みながら見て熱心にノートも取った。

本屋さんでは調べたいホロスコープの情報を立ち読みしながら調べた。

そのままお昼は美味しい洋食屋ランチへと繰り出した。

母親の買物に付き合う約束をしてたから、家に帰って、その辺りから「なんか疲れた」と思った。

買物に付き合った時、私は途中からベンチに座って待ってた。

こんなこと未だかつてしたことがなかった。

何だかだるい気がする、みたいな。

途中から左腕や背中が痛くなってきたけれど、実は最近体の痛みはちょいちょいあったからその延長かと勘違いした。

おかしなことを言うと、その体の痛みはこのブログに連動してる。

去年の終わりぐらいから、ブログの内容によっては、私の場合左胸かみぞおちが急激に痛くなる。

しかも痛みの強さは尋常じゃない。

私はその時「これ多分私の痛みじゃない」と思った。

なぜならその時、私はすごく気分爽快で車の中で歌でも歌いそうなそういうテンションだったから。

だからその場にうずくまりそうなぐらいの痛みに襲われてビックリした。

最初に痛くなった記事がどれかは忘れたけれど、少なくとも痛みがやって来る記事には一貫性があるからわかる。

痛くなるパターンはある程度決まっていて、「この内容危ないかも」と思うと大抵来る。

今回も花火の話により想像以上に痛みがやって来たから、私は初めて2つのオルゴナイトを仰向けになって自分のみぞおちに直接置いた。

オルゴナイトは痛みを和らげたりする作用もあると聞いたから、私のものとまだ持ち主の元へ行ってないものとに協力してもらって自分の体の上に置いた。

自分ともう1人を癒すイメージでやった。

そんなことが昨日の夜にあったから、私は左腕や背中の痛みもその延長線上なのかと思った。

でもやっぱりおかしい。

食欲はしっかりあるものの、全体的に気だるくそして痛みも広がってきた。

これもしかして「熱⁉︎」と思って、今体温計で計ったら38度ジャスト。

しかも今日は満月。

自力で体の中の毒を出せないから、代わりに熱が出てくれてる気がする。

文章書くぐらいの元気があるから、熱と言ってもまだ本格的な体調不良にまで至っていない。

そしてとりあえず食欲があるのと、目が痛くないから安心してる。

デング熱キャリア中級者として、私は真面目に次にかかったら自分は死んじゃうんじゃないかと思っている。

世の中のデング熱というのは4種類の菌があって、それこそ1型、2型、3型、4型と分類できるらしい。

一度かかった型に関しては永久抗体が体の中に作られるから二度とはかからない。

と言われているデング熱に私は2回かかった。

だから万が一3回目なんてなったら、本気でそれに耐えうることができるのかわからない。

しかもここは日本。

デング熱の知識豊富な国じゃない。

急激に暑くなったのは新潟も同じで、その暑さに伴って蚊にも刺された。

私にとって蚊に刺されるのは結構な恐怖で、毎回大丈夫だろうかと心配する。

ちなみにデング熱の菌を持った蚊も他の蚊も刺された跡は何の違いもないから、どれが菌を持ってるのかはわからない。

2、3年前?日本でもデング熱が発生してから、真面目に蚊に刺されるのが怖くなった。

ちなみにデング熱の目の痛みは特徴的で、目の裏側が痛くなる。

何言ってんの?と私も最初思ったけれど、なってみてわかった。

目って「眼球」と呼ばれるだけあって丸いんだなというのがわかる。

その丸い形がわかるぐらい、目の裏側がやたらと痛くなる。

そんなところ痛くなるなんてことないから、それですぐにわかった。

話が飛ぶけれど、とりあえず食欲はしっかりあるし、目は痛くないから大丈夫と思っている。

デング熱でなければ適当に熱も治まってくれると思う。

この熱は心の膿を出すための熱だと思おう。

私の心の膿と他の人の分と、ダブルで出し切ろう。

タイトルの『発熱ナウ』。

『ナウ』がつぶやかれまくっていた時はダサいと思っていたけれど、収束したら自分も一度ぐらいはどこかで使ってみたいと思ってた。

今日ようやくチャンスが巡ってきた!

だから『発熱ナウ』。

2018年5月28日月曜日

【後日談 続き】そして花火

【後日談 前回のブログより】
友達は、1ヶ月前に友達が見た看板を私が見つけられなかったと言ったから、わざわざ見に行ってくれたらしい。

私はそもそもの場所を知らないから、何となくの目星をつけて探すしかできなかった。

だから別に見つけられなくても気にならなかったし、友達の話の流れの方があまりに不思議すぎて疑う気持ちなんて一ミリも湧かなかった。

その友達は看板を見に行って驚いた、と切り出した。

「ねぇぶっしー、ほんとどういうことだと思う?
私あの日確かに休日出勤して、運送屋に商品を搬入するために私の車を出して、そして上司に言われるがままに菓子屋に寄って。
で、帰り道その上司の案内の元、普段通らない道を通って曲がる場所間違えそうになった時、確認のために運転しながら目印となるものを探したんだよ。
ちょうどあの看板があったからそのまま読み上げたんだよ。
あのぶっしーが写真で見せてくれた工事の会社と同じ名前の看板だよ。
なのに、この間見に行ったらもうないの。
別の看板に入れ替わっていて、それがね、変なのがその入れ替わった看板っていうのが別に新品じゃないんだよ。
古くなって新しいのに替えるならまだわかるけど、そうじゃない。
そしてそもそもの看板がない。
私あまりにも混乱して、私はあの日本当にあの看板をこの目で見たんだろうか?とかそもそも本当に出勤したんだろうか?とか、そんなこと考えたよ。
ねぇぶっしー、どういうこと⁇」

友達は最後笑いながらも腑に落ちなさすぎると言っていた。

事の真相は当然わからないけれど、私は勝手に色々予想した。

看板の話の大切なところは、私ではなく友達が見たことと、そしてそれを友達が私に教えてくれたことだと思ってる。

去年の9月の終わりから私はあらゆる形である人を示すサインを目にしたり耳にしたりするようになった。

最初こそあまりにもすごいタイミング過ぎて、何なのかと思った。

あまりにも感情が乱れまくりだった当時、私は仕事が終わってからも真っ直ぐに家には帰らず、1人になれる場所にあちこち行ってはひたすら自分の気持ちを何時間にも渡って整理するみたいなことをしてた。

そんな風だったから、家に帰ってもご飯食べて片付けて風呂入って寝てみたいな、本当に最低限のことしかしてなかった。

当然テレビなんて見なかった。

なのに、一瞬、本当に1分どころか数十秒の話だと思う。

パッと目に入ったテレビ越しにその人と同じ名字の人の名前がテロップに出てたり、ドラマのキャストが同じ名前でその下の名前で呼ばれてたり。

そういう風にして、テレビをはじめ至る所で名前を目にしていた。

それは当時から今もあまり変わりなくて、多少回数は減ったなぐらい。

ただ、友達が見た時期というのは、明らかに目にできる、又は人づてでもその人の情報を耳にすることが完全になくなって2週間ほどの頃だった。

私はもうそれまでみたいに名前や情報を耳にすることがなくなるんだなと思ってた。

実際に回数は減った。

減ったけれど、今度はまた形を変えて見たり聞いたりするようになった。

その一番わかりやすくそして一番摩訶不思議な形だったのが、その友達の看板を見た話だった。

私も当然その起こる意図なんか全く知らないけれど、そこまでしてその情報に行き着く時、「あぁ元気なんだな」と思ったり何かしら別のことをその人のことで思い出したりする。

友達には、最近の面白い現象として、その制服を着たおじさんが我が家に来たり、その人が乗ってる車の宣伝がホロスコープを調べてる最中にでかでかと出てきたりしたよ、なんて話した。

ある時から不思議現象に関しては、何か証拠が残せる時は私は写真に収めたりする。

だからその画面に出てきた車の宣伝は写真を撮った。

同じ日の朝と夕方に全く別の記事で見つけたから、2回とも撮った。

友達が「これは一体何を伝えたくてこんなことになってるんだろうね?」と言いながらも、「何かに繋がるといいよね」と続けた。

私の気持ちをそっと包んでくれてるみたいで嬉しかった。

こんなの見たところで本人に会えるわけでもなんでもない。

本当に元気かどうかも知らない。

だけど、何か繋がってるなら本当に嬉しいし、繋がってなくてもおじさんの制服見りゃ萌えたし、友達の看板話も聞いてて気持ちが和んだ。

心にそっと元気玉を注入してもらえるみたいで、私はそれで元気になるんだからそれもありだと思ってる。

【追記】
ちなみに友達が看板を探しに行ってくれた理由はこうだった。

「ぶっしーに見せてあげようと思って、それで道を確認しに行ったんだよ。
私もそうしたらぶっしーを連れて行きながら、ほらあったでしょ!って証明できるしね!
なのになくなってるだなんて。
まさかの事態で、私自分が夢でも見てるのかと本気で思ったよ」

私は友達が私にその看板を見せてあげようと考えてくれたことがそもそも嬉しかった。

しかも連日残業プラス休みの日曜日は仕事も家に持ち帰ってくるぐらいに忙しいのに、その合間を縫って道をわざわざ確認しに行ってくれたんだなと思ったら感動した。

その人にまつわることは、こんな風に人の優しさを運んでくる。

去年の夏の花火の日、その人は定時で帰った。

花火に行くんだって、と誰かが言ってた。

私もその日急遽その友達と花火を見に行けることになった。

しかも私も定時で上がったけれど、花火に行くって決まったのはその1時間後だった。

だから行く予定になかった花火に急遽行くことになった。

その人がどこで見てたかなんて知らないけれど、多分互いに半径1、2キロぐらいのところにいたんじゃないかと予想してる。

友達の家は花火会場の観覧席のすごく近くで、これまでにも何回か一緒に見に行った。

その日も有料の観覧席と無料の観覧席のちょうど境目の辺りに2人座れるスペースがあってそこから見ていた。

でもその時は友達には何も言わなかった。

自分でもよくわかっていなかったし、私はまだその時は色々自分の勘違いかもしれないと全力で否定もしてたから、他言するなんていう段階に全くなかった。

何も言わなかったけれど、もしかしたらあの日あの花火の上がる空の下で何かがお互いの間を交差したのかもしれない。

秋が深まって、季節は半袖から長袖になった頃。

私は1つ前のブログに出た最初の友達にその名前をよく見たりとかその他諸々のおかしなことを話してみた。

完全なる見えない世界の話だから、スピの知識がある子なら少しはわかるかなと思ったから。

だけど予想に反して、「えー、そんなことある⁉︎」みたいに言われた。

あるとは聞いたことあるけれど、それってぶっしーの気のせいじゃなくて?みたいなことも言われた。

だから私はもう自分でもおかしいのはわかってたからその話はしなかった。

私は色々起こっていても、「気のせい」とか「たまたま」とかと片付ける部分もかなりあった。

「えー、そんなことある?」と言った友達の言葉は、当時全てが半信半疑、むしろ疑いの方が強かった私には十分な説得力があった。


年が明けて、その花火の友達に会った時、実はねと話した。

秋に入った辺りから自分のスピの力みたいなのもわけわからないぐらいに変化したことや色んな不思議なこともたくさん起こってることを前置きした上で話した。

気のせいかもしれないとも言った。

気のせいと言われても仕方ないようなことばかりだから、私は信じてもらえなくてもそれが普通かなというぐらいの気持ちでいた。

友達は話を聞いて即刻言った。

「ぶっしー、私それ本当だと思う」

普段は絶対に自分が納得するまで調べ上げたり徹底的に考えたりしてから決断するその友達がそんな風に言い切ったことにも驚いた。

「ぶっしーの今話してくれたことは本当だと思うし、本当に縁のある人なんだと私は確信に近いレベルでそう思ったよ」

受け止められたことも嬉しかった。

反対に彼女がなぜに断言したのかはその時わからなかった。

3月に入って、6日違いの誕生日の彼女と私は誕生日会を開いた。

その時に彼女が断言した理由を初めて教えてくれた。

ちなみに彼女も私に教えよう!なんていう意気込みは全くなかった。

私が超興奮しながら1ヶ月前に受けたホロスコープ鑑定が良くて彼女にも「本当に興味あったら受けてみて!」と言った話の中で、突然彼女が
「うわっ、いきなり思い出した」
と言って教えてくれたことだった。

だから、そもそもホロスコープ鑑定を受けに行かなければ、そんな話は引き出される予定さえもなかった。

彼女が教えてくれたことは、本当に驚きの内容だったけれど、彼女はそれ故に自分でも断言できたと続けた。

「ぶっしーわかると思うけど、私は普段見えたりしない人だからね。
だからあれは私が見える能力があって見えたんじゃないと思う。だって現に後にも先にも他のことは何にも見えないし。むしろ、そっちじゃなくて自分の人生のヒントくれ!と思ってるぐらいなのに 笑。
だからあれは見えたんじゃなくて、『見せられた』と私は思ってる」

「私は自分の思考のパターンも何かを感覚で見る時のパターンも知ってるから余計そう思うんだけど。
あの見せられた時は、はっきりと私の思考でも私の感覚でもないっていうのだけはすぐにわかった。
だって普段はそんなの見えたことないし、あれ以来何も見えないよ、相変わらず。
それがあったから、私は何の疑いもなく『本当にそうだと思う』と言い切れたんだよ」

だから看板の時も友達は「何で私が土曜出勤してまでこんなの見てこなきゃいけないの?って思うけど、ぶっしーに伝える役割だったとするなら仕方ないね」と笑って言ってた。

「しかもさ、まるで私とぶっしーが次の日に会うって知ってたみたいに仕組まれてるよね。
うちら看板の話をするために会う約束したわけじゃないのに。
っていうか、ぶっしーが写真見せてくれなかったら私もそんな出来事忘れてたのに!
そんなことさえ仕組まれてたのかと思うくらいに変なことだらけだね!」

あの花火の日、磁場みたいなのが動いたのか何なのか、とにかくたまたまお互いに近くにいた人同士の間で点のように不思議なことがその後起こるだなんて思ってもみなかった。

そんなの証明のしようがないし、私の得意な妄想が暴走してるだけかもしれない。

でもどういうわけか、あの花火の日、私の隣りにいた友達の口からは、時間を経て不思議な情報たちと一緒にやさしさまでもたらされる。

私は2日前6時間以上怒り狂ってたから、余計と比べて見えることがある。

その人にまつわる様々なことは、本当にやさしいものが運ばれてくる。

過去には聞きたくない情報も時々耳に入ってはきたけれど、それでも私は圧倒的にやさしいものや人の心が伝わるような素敵なものをたくさんもらってる。

どう考えても私の方が自分の内面を見たりとか浄化とかそういうことたくさんしてるし、その人がそんな類いのことをしてるとは全く思えない。

これは私が勝手に思ってることだけど、その人は人としての徳が高い気がしている。

だから運ばれてくる様々なものが優しいのかなと思っている。

仮に全てが私の思い違いで単なる偶然がいくつも重なっただけのことだったとしても、私が色んな形でやさしさに触れたことには違いない。

今気付いた。

「目に映るすべてのことがメッセージ」のタイトル。

『やさしさに包まれたなら』

感情の共有

「感情をシェアしたいんだよ」

ごんちゃんの言葉が蘇る。

ごんちゃんは名古屋にいた時に仲良くさせてもらった1人だった。

そして助けてもらったこともたくさんあった。

何年も前、ごんちゃんが繰り返し繰り返し言っていた言葉が、今になってわかった。



私が人と関わる時に大切にしてるポイントがいくつかある。

特に相手の心や人生そのものに関わってくる重大な場面では尚更のこと。

その部分が全く合わず、伝えても理解されないどころか全くの見当違いなことを言う、そんな友達を前に私は6時間近くイライラした。

というのを前回書いた。

相手はプロとしてやってるからこそ余計と許せない気持ちが強かった。

私が許す許さないの問題ではないけれど、どうしてもそこだけは私の中で譲れないところだから仕方ない。

6時間怒りまくった翌日、別の友達に会った。

私は最初に1時間ほど時間が欲しいとお願いした。

わかって欲しいとか聞いて欲しいというのとも違う。

今思えば「私はこう思うけど、貴女はどう思う?」を聞きたかった、そしてその部分をお互いにシェアしたい、そんな風だったかなと思う。

自分の正しさを証明したいわけではない。

だけれど、あまりにも違いすぎる友達を前にして、私は自分が信じてる・大切にしてる世界が他の人たちからどう映るのか、とにかく全く違う人に聞いて意見が欲しかった。

基本的に同じ話をした。

多少情報の量は調整したけれど、それでも話の筋も内容も基本は同じ。

翌日に会った友達は全く違う反応だった。

話の意図を汲むだけじゃなく、そこに対して自分はどう思うかどう感じるかも教えてくれた。

長い付き合いの友達だから、別に私に気を遣ったりもしない。

本音で伝えてくれる。

結論から言えば「わかってもらえた」だった。

ぶっしーが合ってるよとか、その子が間違ってるよとかそんなことを問うてるわけではなくて、本当にこの信じてるもの・大切にしてるものが他の人たちからはどう映るのかを知りたかった。

友達が大切にしたいものも私が大切にしたいものも同じ方向にあった。

今振り返ると、感情が共有された、だから私もものすごく満たされて癒された、そう思う。



だいぶ話が変わるけど、ホロスコープの情報というものがどういうタイプのものなのか、2人の友達を前にして明確になった。

私が最初にホロスコープを見た時同様、わからない人たちから見たらあの意味不明な記号たちと線が何を意味するのかはさっぱりわからない。

あんな暗号めいたところから何が読み解けるというんだろう?と思う。

360度の円の中に、何だかよくわからない記号たちがいくつもあって、それが何かを意味するだなんて素人目にはさっぱりわからない世界だったりする。

ホロスコープを調べている時に、ある人がホロスコープの情報というのは高度なもので誰でもアクセスできるわけじゃないと言っているのを見た。

私にはその意味がいまいちわからなかった。

だけど、2日連続でホロスコープが何かをよく知らない友達を前にした時、その言葉の意味が初めてわかった。

初日の友達には、私はホロスコープの情報をほとんど開示しなかった。

何なら、資料も何も持って行かなかった。

それは正解だった。

色々伝わらなかった時に、ホロスコープの情報は伝えても、多分活用方法を誤るだろうなと思った。

私が何でホロスコープをこれほどまでに読み解こうとするのか、その理由については話した。

ホロスコープが自分を紐解く自分専用のヒントになることは、実例をいくつか交えて説明した。

それを話してもいまいちな反応で、これ以上伝えても無理だろうなと思った。

1ヶ月半も調べ倒したら、否が応でも色んな情報が飛び込んでくる。

もちろん情報として、何も一部の人だけじゃなく万人に受け入れられやすいものもある。

私は星読みができないから、私が手にしてるのはプロの方たちが読み取った情報を自分用に必要なところだけ残す方法を採っている。

私の場合、今の情報よりも自分を読み解く用の情報を探してる。

だけど通常は今の情報がブログなんかのトップに来たりするわけで、気になれば読む。

数人ぐらいのものを読むと、その中で共通してるポイントがいくつかあることに気付く。

その中でもさらに自分の日々の生活においてのヒントが示されてることも多々ある。

私はそこをメモしてる。

だって「天王星が牡牛座に入った」などと言われても素人にはわからない(今はそこもだいぶ説明できるようになった)。

その天体たちのエネルギーにより自分たちがどう影響を受けるのか、その影響によってどういう可能性が生まれやすいか、そこはいくつか記事を読めば共通項があるからわかる。

これは私が感じたことだけれど、天体たちのエネルギーを活かすためには、自分との対話が必要不可欠になると思う。

例えば天王星の牡牛座なら、自分に合うもの合わないものを自分の五感の感覚を使ったりしながら選び取っていく、そして最終的には自分が大切だと思うものを残して他の不要なものは手放す、そんなイメージを私は持ってる(もちろん、土台の考え方はプロの占術家たちからの情報)。

その合う合わないの判断は、1人1人が違うものさしを持っている。

そのものさしは本人にしかないものだし、本人にしか読み解けない。

だから自分との対話が必要になる。

でもそれをしてないと、天体たちの流れを活かすのは難しいかなと思う。

初日の友達は、自分との対話を本当にやろうとしない人だから、私はホロスコープの情報も伝えなかった。

私の方でわざと情報を制限した。

翌日に会った友達には「家出してきた人みたいだね」と笑われたぐらいの荷物を持って出かけた。

本は20冊近く、さらには本の中でも今必要なメッセージとわかるところには数ヶ所付箋まで貼って持って行った。

自分のホロスコープの鑑定書も、学びのノートも、とにかくあらゆるものを持ち込んだ。

私のものを見せたいのではなく、それが何らかのヒントになるというのは事前のメールのやり取りの時にピンときたから、それで持参した。

友達が書いたことは数行でしかない。

でもまさしく友達の話は、今の天体の流れに沿ってた。

だから情報があった方が自分の立ち位置がわかるだろうなと予想できた。

それ故に家出するかのごとく荷物を持って行った。

読みは大正解で、私のメモした情報やホロスコープの情報が大活躍した。

彼女はその情報をキャッチするだけの受け皿を用意していた。

そのために用意したのではなく、普段の彼女の心掛けにより用意がなされたと言った方が正しい。

だから、私は私が知り得た情報は余すことなく伝えた。

良い風にその友達がその友達自身のために活かすことがはっきりとわかったから、せっかくの情報、どんどん持って行って!という感じだった。

2人とやり取りしてわかった。

ホロスコープが何であんな風に暗号みたく表示されるか。

わざと誰でもアクセスできないようにしてるのは、その情報を扱えるだけの力を個人で付けないと誤った風に使われるからだと思う。

昔は占星術は国家の秘密機構的なところでごく一部の人たちしか扱わないようにしてたらしい。

それで国家のトップを決めたり法律や制度を定めたりするのにも使われてたらしい。

それは乱用を恐れてのことだったのかもしれないなと思った。

ホロスコープとは全く関係ないところの情報で、その最初の友達が私が伝えた情報をすでに自分の都合の良いように使ってることが話からわかったから、私は危険を感じた。

要は何か上手くいかなかった時に、相手に責任転嫁をするための言い訳に情報を使ってるとわかったから、私は怖くなってしまった。

私が伝えたのはそういう意味ではなかった。

1人1人の人が何かしらの施術を受けた後さらに良くなるためのヒントだった。

それは自分の先の人たちに還元されるための情報であって、決して自分を擁護するための言い訳として使うものじゃない。

でも友達は明らかに自分を擁護するために使ってたことが話の中でわかった。

しかも話の感じからして、その情報を与えられた人は楽になったどころか余計と苦しくなったり責められた感じがしたのではないか…と想像せざるを得なかった。

だから、ホロスコープの情報なんて怖くて出せなかった。

情報が一人歩きするだけじゃなく、その先の関係のない人にまでおかしな風に影響が出るかもしれない、と感じたから。

だから口を閉じた。

その流れを見て、ホロスコープが誰にでも使えるものではないというのがわかった。



私がしたいのは感情を共有することなんだとわかった。

別に情報を制限したいわけじゃない。

できる限り、私が良いと思う情報は周りの人たちに伝えたい。

知ってることで自分以外の人たちにも役立つのは嬉しい。

そういうのはどんどん循環させてみんなで良くなっていけばいいとも思ってる。



【後日談】
友達は、1ヶ月前に友達が見た看板を私が見つけられなかったと言ったから、わざわざ見に行ってくれたらしい。

私はそもそもの場所を知らないから、何となくの目星をつけて探すしかできなかった。

だから別に見つけられなくても気にならなかったし、友達の話の流れの方があまりに不思議すぎて疑う気持ちなんて一ミリも湧かなかった。

その友達は看板を見に行って驚いた、と切り出した。

「ねぇぶっしー、ほんとどういうことだと思う?
私あの日確かに休日出勤して、運送屋に商品を搬入するために私の車を出して、そして上司に言われるがままに菓子屋に寄って。
で、帰り道その上司の案内の元、普段通らない道を通って曲がる場所間違えそうになった時、確認のために運転しながら目印となるものを探したんだよ。
ちょうどあの看板があったからそのまま読み上げたんだよ。
あのぶっしーが写真で見せてくれた工事の会社と同じ名前の看板だよ。
なのに、この間見に行ったらもうないの。
別の看板に入れ替わっていて、それがね、変なのがその入れ替わった看板っていうのが別に新品じゃないんだよ。
古くなって新しいのに替えるならまだわかるけど、そうじゃない。
そしてそもそもの看板がない。
私あまりにも混乱して、私はあの日本当にあの看板をこの目で見たんだろうか?とかそもそも本当に出勤したんだろうか?とか、そんなこと考えたよ。
ねぇぶっしー、どういうこと⁇」

友達は最後笑いながらも腑に落ちなさすぎると言っていた。

事の真相は当然わからないけれど、私は勝手に色々予想した。

看板の話の大切なところは、私ではなく友達が見たことと、そしてそれを友達が私に教えてくれたことだと思ってる。

去年の9月の終わりから私はあらゆる形である人を示すサインを目にしたり耳にしたりするようになった。

最初こそあまりにもすごいタイミング過ぎて、何なのかと思った。

あまりにも感情が乱れまくりだった当時、私は仕事が終わってからも真っ直ぐに家には帰らず、1人になれる場所にあちこち行ってはひたすら自分の気持ちを何時間にも渡って整理するみたいなことをしてた。

そんな風だったから、家に帰ってもご飯食べて片付けて風呂入って寝てみたいな、本当に最低限のことしかしてなかった。

当然テレビなんて見なかった。

なのに、一瞬、本当に1分どころか数十秒の話だと思う。

パッと目に入ったテレビ越しにその人と同じ名字の人の名前がテロップに出てたり、ドラマのキャストが同じ名前でその下の名前で呼ばれてたり。

そういう風にして、テレビをはじめ至る所で名前を目にしていた。

それは当時から今もあまり変わりなくて、多少回数は減ったなぐらい。

ただ、友達が見た時期というのは、明らかに目にできる、又は人づてでもその人の情報を耳にすることが完全になくなって2週間ほどの頃だった。

私はもうそれまでみたいに名前や情報を耳にすることがなくなるんだなと思ってた。

実際に回数は減った。

減ったけれど、今度はまた形を変えて見たり聞いたりするようになった。

その一番わかりやすくそして一番摩訶不思議な形だったのが、その友達の看板を見た話だった。

私も当然その起こる意図なんか全く知らないけれど、そこまでしてその情報に行き着く時、「あぁ元気なんだな」と思ったり何かしら別のことをその人のことで思い出したりする。

友達には、最近の面白い現象として、その制服を着たおじさんが我が家に来たり、その人が乗ってる車の宣伝がホロスコープを調べてる最中にでかでかと出てきたりしたよ、なんて話した。

ある時から不思議現象に関しては、何か証拠が残せる時は私は写真に収めたりする。

だからその画面に出てきた車の宣伝は写真を撮った。

同じ日の朝と夕方に全く別の記事で見つけたから、2回とも撮った。

友達が「これは一体何を伝えたくてこんなことになってるんだろうね?」と言いながらも、「何かに繋がるといいよね」と続けた。

私の気持ちをそっと包んでくれてるみたいで嬉しかった。

こんなの見たところで本人に会えるわけでもなんでもない。

本当に元気かどうかも知らない。

だけど、何か繋がってるなら本当に嬉しいし、繋がってなくてもおじさんの制服見りゃ萌えたし、友達の看板話も聞いてて気持ちが和んだ。

心にそっと元気玉を注入してもらえるみたいで、私はそれで元気になるんだからそれもありだと思ってる。

2018年5月27日日曜日

怒りまくり

久しぶりに猛烈に怒ってた。


コーチングの授業の時、「怒り」について学ぶ時があった。

テキストには、あるアメリカか何かの大学の教授のリサーチに基づくと、「怒りそのものは90秒しかもたない」とあった。

私は90秒と聞いて驚いた。

多分これを読んでる人からしても「えっ⁉︎」となったと思う。

これには続きがあって、新しく湧いた怒りは確かに90秒の寿命ではあるけれど、実際はもっと怒りが長引くのが普通。

じゃあ90秒しかない怒りに対して何が原因でもっと長引くのか。

それは過去の怒りとリンクして、それがきちんと癒されてるならいいけれど、抑え込まれたりなかったことにされたりして癒されてないと、それが同時に湧き上がるとのこと。

だから、怒りのスイッチは本来1つですぐ終わるものが、実際には無意識に過去の別の怒りも出てきてしまっている、そして怒りは長期化するというのが怒りのメカニズムらしい。


私はその時、なんと7時間中6時間は怒り通したというすごい体験をした。

怒りが90秒とするなら、その240倍怒りを持続したことになる。

実際、怒りのスイッチは数箇所どころか数十箇所に及んだから、仕方ない。



私は自分が何に怒ってたのかわかる。

自分が大切だと感じることに対して、ことごとくその真逆のことを言ってくるから、もう怒りのスイッチは常にオン状態だった。

会う前からかなり懸念していた。

大丈夫かな、と。

元々とても仲良くしていた友達だった。

ある時から、私は会う度に、会った後必ず何か言葉に引っかかりを自分が覚えることに気付いた。

最初はその言葉が私に向けられたものだから、まぁ私が単に言われたくないこと、言われたら嫌なことなんだと思ってた。

それは嫌は嫌でも私の個人の捉え方や言葉の好みの問題だから、気にはなっても怒りに発展するものではなかった。

それがいつからか、少なくとも今年に入ってからだと思う、仕事に及ぶ話でその姿勢に私は本気の怒りが湧いてしまうようになった。

仕事と言っても、現在の仕事じゃない。

なんなら私は今働いていない。

そうではなく、ヒーリングとか癒しの方のお仕事。

彼女もあるヒーリングを施す。

私はずっとストップしてたけれど、年明けにオルゴナイトに出逢ってからというもの、人に頼まれる度にヒーリングとは違うけれど、それぞれの人に必要なメッセージを伝達したり、その人のすごい大切なことを聞いたり、そんなことがちょいちょい増えてきた。

相手の心のとても大切な部分に関わる場面が増えてきた。

そういうことに関して、私は自分なりのポリシーがとても強い。

それは自分でも自覚している。

でも私が大切にしているポリシーは、基本中の基本だと思ってる。

その部分はかなりプライバシーが公開されるから、別の例を出したいと思う。

20代の頃、子どもたちが生活する施設(児童養護施設)で働いてた時のこと。

毎年異動のある職場だったから、上司にあたる方たちも1年ないし2年おきに代わってた。

最初の4年は本当にできる上司+その他の超できる大先輩と呼ぶにも恐れ多い方々と一緒に仕事をさせてもらってた。

出世前に通る場所らしく、その大先輩の方々は異動すると皆保育園の園長になる人たちばかりだった。

だから、本気の大御所の中でもエリートのような方々が、「同僚」的な立場で、私はある意味ものすごく恵まれていた。

人格者みたいな方たちばかりで、色々やらかしまくりの新入社員的な私を、色んな形でフォローしてくれてた。

しかも余程のことがない限り、黙って見ていて、本当にやらかしたら言われたけれどそれも覚えてる限り3回、あとは私が自ら相談するしかなかった。

私は当時の私ができてたなんて全く思わない。

だけど、ものすごく優しいやり方で私を育ててくれた、そういう職場だった。

ところが最後の1年半、その最初の4年でお世話になった大先輩は皆異動なり退職されて、なんと現場の同職種内では私が1番長い人になって、上司も当然代わった。

当時の上司とはとことんソリが合わなかった。

私は最初の4年、徹底的に大切なことを周りの方たちの動きを見て覚えていくしかなかった。

そして少しでも気になったら、その都度何でそうするのかを聞くしかなかった。

例えば入ってすぐぐらいのこと。

幼児の入浴タイムの時、私は最初一緒に子どもたちとはお風呂に入ってなかった。

だけど見ているとみんな大御所の人たちは入ってる。

ある時夜勤で一緒だった先生に聞いた。

お風呂は子どもたちと一緒に入った方がいいんですか、と。

返ってきた言葉を私は今でもはっきりと覚えている。

「お風呂は一緒に入っても入らなくてもそれは個人の自由だから、どちらでもいいのよ。
でもさ、普通の家を考えたら、あのぐらいの子どもはお母さんとかお父さんと一緒に入るでしょ〜。
私はせめてこの子たちが家庭生活のような感じで生活できたらいいなと思って、だから一緒に入るだけよ。
だから、これ聞いたからって、ぶしちゃんが一緒に入らなきゃなんてことはないんだからね(^^)」

私はやっと意味がわかった。

それを聞いて以来、私は残りの5年数ヶ月はお風呂は子どもたちといつも一緒に入った。

ちなみに最後は私以外誰も入らなかった。

またある時に言われたのはこうだった。

「子どもが帰ってきた時は、その時しかその瞬間の顔を見れないから、何はともあれ子どもを出迎えるんだよ」と。

何せ24時間365日稼働してるから、勤務は交代で、夜勤者への引き継ぎの時間というのが大体子どもが帰ってくる時間と重なってた。

それで私がぼさっとして立たずにいたら、何かの折にそれをさらりと教えてくれた方がいた。

私はそれを聞いてからは自分が夜勤や引き継ぎの係にならない限りは必ず子どもを出迎えることを第一にした。

そういう考え方を大切にしていた大御所の方たちはみんないなくなって、いなくなってからの体制は本当にひどくなった。

後から異動してきた人たちは、当時の先生たちと重ならなかったせいもあって、全く動き方が違っていた。

まずは動かない。

子どもが目の前にいても動かない。

子どもがただいまと言って帰ってきても迎えに出ない。

引き継ぎを聞く方が大事だと思ってるようだった。

誰も動かない時は、私は自分が絶対的に引き継がなきゃいけない係でも「ちょっとすみません」と言って席を立って、子どもたちにおかえりを言って私が行くまでにしてて欲しいことを言ったりしてた。

(動き方に)気付いてくれ!と思ったけれど、その上司以下の人たちは全く気付かなかった。

子どもと一緒にいる時間より自分たちの事務的な職務を優先させることの方が大事なようだった。

そして動けないのは動き方がわからないからだと言い出し、マニュアルを作ると言って、動かないメンバーを集めて本当に作ってた。

上司は子どもの動きやリズムを見てないから、しょっちゅう滅茶苦茶な提案をしていた。

他の年配の方たちは、立場を気にして誰も何も言わなかった。

どう考えても現場に混乱をきたすか事故が発生しかねない状態だったから、私はその都度反発して、いちいち文句じゃないけれど苦言を呈し、じゃあこの部分はどうするんですか?と食ってかかっていた。

ある時とんでもない事件が起きた。

そうした表面的なことばかりを何とかしようとした上司は、肝心要の子どもの健康状態について学校に伝達をしてなくて、学校から子どもの様子が急変したから迎えにきて欲しいと連絡が来た(たまたま私が電話を取った)。

大事に至らなかったから良かったものの、私はその在り方にものすごい違和感を覚えた。

もちろん、速攻で男性の私より現場の長い上司(この方は別職種)に事の顛末を伝えて、さすがにペーペーの私がそれを注意したりするのはまずいと思って、対応をお願いした。

その子どもは健康以外の面でもすごく手をかけてもらわないといけない子で、だから学校に上がる前に学校にはその上司が出向いて色々対応をお願いしてた。

私はまさか健康について、しかもそれはその子の命に関わることだから特別な配慮が必要なのに、それを伝達してなかったことに本気で驚いた。

私もまさか伝達されてないとは夢にも思ってなかったから、学校の先生から事の顛末を聞いてビックリした。

とりあえず学校にはこちらの伝達不足を詫びて、その子の健康で留意してもらわないといけないことをまずは口頭でその場の電話で伝えて、また改めて担当よりご連絡しますと言って電話を切った。

迎えに行った時も再度お詫びとお願いをしてきて、また改めてお話に伺いますと言って帰ってきた。

私はこういうことに対して、並々ならぬ怒りが湧く。

人命第一であって、他のことは二の次三の次でいい。

でも当時の上司はその辺が本当にズレてる人で、どうでもいいことは大切にするのに、基本的なことや何よりも優先させなきゃいけないことをきちんとできない人だった。

私からしたらマニュアルはいいから、子どもを直接見た方がマニュアルの何十倍もの情報を伝えてくれるよ、と思っていたけれど、全くその辺りの発想がない方だった。



話は戻って、私が6時間近く何度も怒ってたこと、それはその話に近いものだった。

実は前々からやり方に関して、私はずっと違和感があった。

専門的な手法は知らないけれど、それを人に施す際の心構え的なところが、私からして本当にあり得ないことばかりだった。

最初はおかしいと思っても、全然知らない分野の専門について口出しをするのもいかがなものかと思って黙っていた。

多少違和感があるところはそれとなく質問したけれど、全然見当違いのことを言うから、「うん?」という程度でとりあえず流した。

その道の師匠さんもついてるから、そんなの私が言うことじゃないと思って黙ってた。

だけど回を重ねるごとに、それは単なる違和感ではなく、私からしたら明らかなルール違反に近いものだった。

私は何ならストレートにそのおかしな部分を指摘したこともある。

これが単なる仕事ならまだいい。

だけど、人の心や体の中のエネルギーを触るものだから、絶対的に守らないといけないことがある。

そこを教えられてないようで、ことごとくおかしなことになってる。

私は今回もそんな話にならなきゃいいなと思ったら、事態はもっとすごい方向に動いてた。

こういう世界は完全に個人でする分野だから、資格停止処分とかがない。

私から見て資格停止処分に近いことをしてるというか、本来1番大切にするべきことが伝達されてないからしてないというか。

さすがに私は、分野は違うけれども少なくとも自分がこれまで学んできた数々の手法で必ず言われてたことを何回か伝えた。

手法の違いこそあれど、それは心やエネルギーを触るなら絶対に必要なことだと思うから、と言って私は何回説明したかわからない。

だけど今回も聞き流された。

何なら、今回私は全くの分野違いのホロスコープの講座でさえも言われたことだったから、そこでも言われたよと付け足した。

でも伝わらなかった。

もう怒りMAXだった。

自分でも口出しするべきところじゃないのはわかってるけれど、あまりにも酷すぎるのと、そしてそこに関わる人たち、要はお客さんたちに絶対に影響が出る部分だから、これは黙ってたらいいこととは違う風に感じた。

毎回何を習ってるのかは知らないけれど、私が基本的なことを聞いても「それは教えられてない」と言うばかりで、それで私が自分で習ってきたことは絶対にその分野では大事だと思うからと前置きした上で全部情報は提供した。

でも私が言うからなのか何なのか、とにかく「えー、そうなんだ」とかそんな返事ばかりで全く伝わらない。

今回は怒りしか湧かなかった。

もう距離を置くしかないと思ってる。



私はこの1週間ほどでホロスコープの講座以外にも2つほど全く違うタイプのサービスを受けた。

ホロスコープ含め3人のプロたちは本当に素晴らしい方たちばかりだった。

基本的な姿勢は徹底していた。

3人とも全く違う分野なのに大切にしてることは皆一緒だった。

それは私が教えられてきたことと一緒で、その友達にも再三再四伝えたことでもあった。

私は自分が消耗するのがわかって、そして反対にどういうタイプの人と一緒だと心が元気になるのかも今回はっきりとわかったから、もうここはきっかりと自分の中で線引きするしかないと思った。

実はこういうことが想像できてたから私は自分からは連絡取ってなかった。

だけどぽっと連絡が来て会うことになって、もしかしたらこの間に良くなってるかもしれないと少しだけ期待した。

期待は大きく外れ、モヤモヤは想像以上に悪い方向に向かってた。

期待した理由は、何となくという理由ではなく、最後に会った時にさらに上のコースを取って学ぶ予定と言っていたから。

それならもっと丁寧に教えてもらえる風だったから、今度こそきちんと基本の大切なことを伝授してもらえるのかなと勝手に予想してた。

話を聞いて驚いた。

まさか私の怒りが止まらないぐらいに酷いことになってるとは思っていなかった。

しかも何でそんなきちんとできてると言われる上の人が付いていて、どうしたらここまで話の全く通じない感じになれるのか全然理解できなかった。

実はその子の先の繋がりで、実際に被害のようなものが出た人がいる。

それこそ私もそんなことを被害に遭った当人から話を聞くことになるとは思わず、聞いて驚いた。

それを紹介したのがその友達だったから、私は4月に少し時間を作ってもらって、その被害に関して彼女に伝えた。

そういう危険をはらんだものだから、そのサービスを紹介するのはアフターフォローができるならいいけれどできないなら私は勧められない、私なら自分の近しい人には絶対に紹介しないと言った。

今回被害に遭った人は分別ができる人だったから良かったけれど、これ一歩間違えたら人を深く傷つけてしまう、しかも傷なんか本来つくものではない部分なのに施術者側のミスでついてしまうと伝えた。

そのサービスも基本のきができてないからそういうおかしなことになってた。

それも基本について知ってることは全部伝えた(友達本人のことではなかったから、言いやすくてここぞとばかりに言った)。

話はわかってくれたけど(と言うより、誰が聞いてもおかしな話のレベル)、その時にその子から発された言葉がとことん視点がズレてた。

私はそこで気付いて、だからもうあまり深入りしない方がいいなと思ってた。

その話をした時に、すでに違和感満載だったから、私は距離を置くことにした。

それ以来に会ったのがこの週末だった。

そして今回は決定的になった。

正直、私は自分でも時々この厳しさや完璧主義みたいな部分が嫌になる。

だけど、やっぱり譲れない。

私は人の命に携わることに関してだけは、絶対に初心を忘れたり基本を履き違えたりはしていけないことだと思ってる。

それは心や体を触るヒーリング系も含めて、私は同じように思ってる。

私は色んなところで色んな人たちから色んな教えを受けたけれど、どこでも基本はみんな一緒だった。

福祉の世界もスピリチュアルな世界もコーチングやカウンセリングの世界も教育の世界もホロスコープの世界も、みんなみんな一緒だった。

人の人生に関わるということはそれだけ重大なもので、生半可な気持ちではやれない。

そしてそれらの世界ではみんな共通して守られてる線がある。

足を踏み込んでいいことと踏み込んではいけないこと、自分の個人的な私情だけで判断してはいけないこと、相手の人生はあくまで相手のものだということ、誰にでもその人自身を生きる力があるということ、自分を整えること、自分の内面をしっかり見ること、自分の感情だけで動かないこと、とにかく色々とある。

そういうものがことごとく無視されてるその姿勢に私は怒ってた。

そして全力で伝えても伝わらないことにも怒ってた。

今回のことでわかった。

私はどういう人たちとこれから関係を作りたいのか。

私はどんな風に癒しに関わっていきたいのか。

まさかこんな展開になるとは思わなかった事態に発展した。

でも私はこの自分の大切だと感じてることが共有できない友達と一緒に過ごすのは、もうやりたくないんだとわかった。

ちなみに6時間近くも怒り続けるというのは非常に体に悪い。

私は別れた後、頭が痛いことに気付いた。

話してる最中も自分の怒りが尋常じゃなくて、それが爆発したらどうしようかとその心配もしてた(苦笑)。

家に帰ってきてからも、あまりにも怒りが収まらず、風呂に入っても収まらず、とうとう大学ノートを出してきて思ったこと感じたこと実際の会話と思い出す限り書いた。

4ページも書いた(普段は書いても1ページ)。

↑上の状態から1日経過。

怒りは収まった。

書いてるうちに大方収まり、そして次の日の今日別の友達に会って話したら一気に鎮火した。

私は今日会った友達と話していて、自分の価値観を再確認した。

同じ話をしたから余計とよくわかった。

私は分かち合える人たちと共にいられたらそれで充分満たされるということ。

私の大切にしてることはやっぱり変わらない。

絶対的に譲れないところ。

その譲れない部分に対して、私も変わらなくていいし、他の誰かも変わらなくていい。

それぞれの人たちが変わらない大切なものを持ち寄った時、そこで「それいいね」と感じ合う人同士が集えばいい。

そういうのが好きなんだと、今日会った友達と時間を過ごして再確認した。

2018年5月26日土曜日

魂からのご褒美

(はじめに)
今日の話はスピリチュアル全開な話です。
抵抗のない方はどうぞお付き合いください。


『魂からのご褒美』

ホロスコープの情報集めは毎回想定外の情報を連れてやってくる。

今日(5月25日)ももれなくそんな風だった。

最初に少しだけスピの話を。

1人1人の人が生まれてくる前に、「今回の人生ではこんなことを体験しよう!学ぼう!」
というような、魂の目標設定みたいなことをする。

RPG、ロールプレイングゲームと言うんだろうか?それと人生(魂の設定)とは似ている。

生まれた後の実際の人生では、その魂の目標設定に基づいて、次々に必要なアイテムを手にしたり、誰か仲間と出会ったり、特定の体験をしたり、又は誰かや何かと戦ったりする。

ゲームと少し違うところは、生まれてくる時にその魂の目的とか今世でのやりたいことを全て忘れること。

だから、生きている時には、本人にとってのタイミングがこないとそういうことに気付けないようになってる。

私はその手の話を最初に聞いた時(2010年ぐらい)、話の内容としては好きだった。

少なくとも、視点が面白いなという意味で。

まだ色んなことが起こり出す前にその話を知ってて良かったと思った。

知ってたところですっかり感情の波や意味不明な出来事たちに呑まれまくっていたけれど、知らなければもっとエライコッチャだった。

それからはもうありえないぐらいに意味不明なことがたくさんたっくさん起こって、こんなの私望んでませんけど!と誰に抗議していいのかわからないぐらいに自分の人生が何度も何度も嫌になった。

「それが魂の設定です」みたいなことをしれっと言い放つ人を見ては、毎回「私は望んでないから‼︎」と怒り心頭になってた。

中途半端なスピかぶれな人はそういうことをしれっと言って、相手を平気で精神的に追い込む。

本当に意味がわかっていて、その流れを知ってる人は言い方が優しい、と思ったのは私だけだろうか。

ずっと何年もの間、自分のこの意味不明な人生に対して、「何でこんな嫌な思いをしなきゃいけないんだろう?」「何でこんな風に望んでもいないことが次々に降りかかってくるのだろう?」と思った回数は数知れない。

当時よく聞いていた読んでいた言葉はこうだった。

「魂が体験したいこと・学びたいことは、現実の生活からしたら、非常に厄介で起こって欲しくないこと」
というような説明。

例えば、離婚や別れ、解雇、倒産、病気、借金、災害などなど、ヘビーなものが多かったりする。

又は個人の内面にとって、受け入れられないような出来事や出会いに遭遇する場合もある。

まぁいずれにしても受け入れがたいというところだけは全会一致と言えるかなと思う。

誤解を与えないようにもう少し付け足すと。

魂はそういう悲劇なことを好んでるわけじゃない。

魂の示す道は、その人本来の姿に立ち返ることを求めているから、結婚でも仕事でもその人本来の設定と異なってればそれに対して強制終了がかかるらしい。

もしくは特定の体験をすることで何か大切なことを知ってそれを周りに伝えていく役割の人は、そのための体験をすると言われていたりする。

だけど私たちが生きる世界でそんなことが広く知れ渡ってるわけではないから、目の前で起こったことに一喜一憂する。

少なくとも受け入れ難いことが起これば誰でも「そんなの嫌だー」となって当たり前だと思う。

数々の「そんなの嫌だー!」を体験した私には、はっきり言って全てのし付けて返したいぐらいだった。

でも、本当は試練を与えるために起こっていたわけではないってことが、今日のホロスコープの調べ物をしてて発覚!

実際の出来事の奥にある本当のテーマを知って私は涙が出た。

以下、見つけた情報の抜粋。


【無邪気な自分を解放させて、
自分を愛してください。
自分を丸ごと受け入れて、
気持ち良い自分を表現することが
魂の情熱・喜び溢れる幸福ポイントに。
喜びに従って、
自分主人公のドラマを作って下さい。】
(引用:『ドラゴンヘッドのハウス』冨永真生さん
https://ameblo.jp/maki4947/entry-12378295555.html )


このテーマは、私の場合、元々持って生まれてきているテーマで、尚且つ19年に1回の周期でそのテーマを徹底的に学ぶ機会が与えられる。

(他の時は他の重要テーマが与えられるから、別に大元のテーマそのものがなくなるわけじゃない。言うなれば、大元のテーマは半永久的にずっと根幹にあって、19年に一度回ってくる時以外は「今月の目標」みたいに、別のテーマたちが追加で重点的に取り組むこととして与えられてる、と私は解釈してる)

私の場合は、上のテーマを徹底的に学ぶ期間が2015年の9月3日あたりから2017年の8月16日あたりまでだった。
(これはホロスコープ作成サイトでひたすら色んな日付を入れてはホロスコープ作って、そのピッタリのタイミングになるまで調べ通した。
こういうことが今はできるようになった!)

私の例で申し訳ないけれど、じゃあ具体的にその期間に何が起こっていたかと言うと。

少しさかのぼって2015年の年明けから夏ぐらいまでの時。

私がその時に一番個人的にショックを受けたことは、自分が働いていないと誰からも評価されないことだった。

評価されないじゃなくて、それを色んな形で否定され責められ何やってるのと言われ、それが本気でも冗談でも当時は本気で悩んでいたから、いちいち言葉の1つが大きく響いていた。

絶賛13ヶ月の引きこもり期間の時。

私は自分の向かう先どころか何がしたいのかさっぱりわからず、そして何がしたくないのかさえももはやわからず、本当に行き詰まってた。

結果的に13ヶ月も引きこもったけれど、あれは多かれ少なかれいつかのタイミングで自分は完全に動けなくなっただろうなと今でも思う。

もう無理に無理は重ねられない、そういうところまで来てた。

そこに至るまでの私はこんな風だった。

私は結果を出す!みたいな体育会系なノリは一切ないけれど、仕事をいい加減にするのは好きじゃない。

あとは、周りからごちゃごちゃ言われるぐらいなら、やることをやってしまった方が手っ取り早いと考えるタイプで、とりあえずはやる。

それが余計なストレスから自分を守る術だった。

要は両天秤にかけて、「よりダメージの少ない方、より自分にとって都合が良い方」という理由で仕事はある意味熱心にやるところがある。

だけど理由がそんなんだから、当然長くはずっと続かない。

心からのやる気じゃなくて、消去法で面倒くさくないものとか自分への被害が少ないものという理由でやっていた。

20代はもっと別のスタイルで仕事をしてたから、これは30歳を過ぎてからの話。

30代の前半は、営業的な数字も成果的な数字も日々求められる仕事だったから、とにかくやることはやった。

数字を上げて何回か表彰もされた。

その分微々たるものでも給料も上がった。

ボーナスは営業成績に基づく完全なる歩合制だったから、数字を出した分反映された。

だから表面的には良いことがあったわけだけど、私は全く満たされなかった。

むしろ、数字を出せない人たちが責められまくってるのを見て(私ももちろんやられたことはある)、この気の休まらない負のループはいかがなものかと思った。

そんな風にしか自分が認められないことにも違和感がガンガンあったし、なんか生きるのって辛いわと何度も思った。

まだその辺りは序の口で、その後退社してから色んなことが二転三転していくうちに、さらに状態がしんどいものへと変わった。

引きこもり時代が一番頂点とも言うべき、しんどさ生きづらさMAXだった。

その引きこもり期間に一番精神的に打撃を受けたのは、何もしてないことを責められることだった。

「何もしてないことを責められる=私は何かをしてないと価値がない」という図式が出来上がっていて、それはもう本当に生き地獄みたいだった。

その辺りのことは話すと長くなるから省略するけれど、そこで学んだことの1つがまさに先に書いたテーマだった。

徹底的にどんな自分も受け入れる、丸っと受け入れることをしないと、自分が本当にこれから先生きていけないと思った。

周りからの評価を求めても仕方ないという心境に至った私は、発想の転換をした。

せめて、せめて、この世で自分だけは自分の絶対的な味方でいようと。

自分の色んな生きづらさの根底には、周りからの評価によって自分の価値が変わる、と思い込んでることがわかった。

でも本当はそうじゃない。

多分何もしてない時でも私そのものの価値は変わらない、そう思ってはどうかと。

かなり無理はあった。

私だって働いてない自分をいいなんて一ミリたりとも思っていなかった。

だけど、もう本気で追い込むところまで自分を追い込んでたこともあって、これ以上自分にきつく当たっても何も解決しないどころか自分のメンタルはもっとやられるとわかり始めてた。

だから信じられなくてもいいから、せめて意識的にも自分を責めまくるその癖だけは何とか直そう、「どんな自分でもいい」と無理でもいいから思い込もう、というのを始めたのが2015年の春なのか秋なのか忘れたけれど、そう思うようになり始めたのは本当だった。

結局のところ、私がしてたのは「自分の価値観を壊す」ことだった。

でもそれは、当初は「自分の信じてた世界が見るも無残に壊れてく」プロセスではあったけれど、通り抜けてみると「新しい自分に合った価値観を手に入れる」ための最初の解体作業だったと思う。

新しい自分と言うよりも、本来の自分に合った価値観をもう一度今度は自分で選んで再構築する、という方がより近い。

家を建て替えることをイメージしたらわかりやすい。

まさか古い家をそのままにして、その上から新しい家を建てるなんてことはできない。

いつかは経年劣化で壊れてしまう家をそのままにはしておけない。

まずはそれを壊して、そして地をならして、そこに今度は新しい家の骨組みを作っていく。

私の人生もまさにそうで、古い価値観の中だけで生きていくにはとうに限界が来てた。

来てたけれど、私はまだまだ大丈夫だろうとかなり無理を通した。

だけど、無理を通してることすら半分無意識にしてたから、そんなにヤバいことになってるという自覚がなかった。

ちなみにこれは私の人生の特徴だけど(これもホロスコープを調べてく中で知った)。

本来の道から外れてると、「外れてますよ」のサインがやってくる。

やってくるなんていう可愛い感じではない。

正しくは「そのやり方間違ってるからね」の最初は通告。

通告の時は違和感とかやる気が出ないとか、そういう形でお知らせがくる。

来るけれどそれでも無視すると、今度は通告ではなく私に気付かせるために「出来事」が投入される。

出来事まで来ると、大概は惨事としてやって来る。

さすがに「惨事」レベルになると気付くも何も、無視なんてできる状況ではないから、否が応でも向き合わざるを得なくなる。

向き合って対応することを迫られる。

で、その古い家こと古い価値観で生きてくのはもう限界に達してた。

にも関わらずそこに無理にでも留まろうとしたら、今度は周りから容赦ない言葉が飛んでくるわ、状況もどんどんえらいこっちゃになるわで、自分の首は締まる一方だった。

無理に留まろうとしたかったのではなく、先の見えない変化に身を投じる方が怖くて動けなかった、という方が近い。

当時の私の無意識の中には「無価値観」というものが大きく鎮座していた。

「無価値観」とは心理学の用語で、意味としては「自分には『価値が無い』と思い込む」という感じ。

本当に自分に価値が無いというのは強烈なパンチだった。

魂の話に戻ると、その「価値が無い」と思い込む状態は容赦なく私の人生に投入されてくるし(←超絶苦しい)、それが私の中で脱却しない限りは手を替え品を替え色んなことがやってくる。

わかりやすかったのは、とことん仕事の採用試験で落ちまくるとか。

実際には別の流れも水面下で同時進行してたから今思うと落ちて当たり前だけれど、当時はそんなこと知る由もなかったわけで、何でおかしなぐらいに落ちまくるのか全く理解できなかった。

理解できなかったけれど、私はその時「そことはご縁がなかったということ」とか「他に行くところがあるからそこは落ちて正解」とか、決して自分の何かを責めないようにだけは相当気をつけてた。

そんなこんなのうちに、今度は経済的に立ち行かなくなり、一番やりたくなかった親を頼って実家に帰るという選択肢になった。

受け入れてくれた親に感謝、なんていうそんな出来た心など一切なくて、私は帰るその時まで帰りたくないとひたすら思ってた。

実家に戻ると、今度は全力で私の生き方を否定してくる両親との静かな戦いが待ち受けていて、それも相当しんどかった。

その時も私はひたすら耳をおやすみするようにして、自分で自分の気持ちだけは守ろうと必死だった。

親は私が働かない限り何1つ良い風には言わないことがもうことごとくわかっていたから、それと自分自身の価値とを別にして考える必要があった。

だから仕事が決まってとりあえず働き出した時、親はそれだけで大喜びしてたし安心してた。

私は反対に、とりあえず働くのはいいけれどこれから先本気でどうするつもりなんだろう…⁇と、根本的な答えは何1つ出てこないままだったから、全く安心できなかった。

むしろやりたくもないことをやって時間を使うことにものすごい抵抗があった。

年齢はどんどん上がるのに、自分がどうしたいのかわからない。

色んな意味で恐怖でしかなかった。

でもそんな時も私はそういう自分をなるべく否定せず、自分ができる範囲でいいからそういう自分も受け止めようとそれだけは相当気をつけてやっていた。

自分でも色々わかってきたことは、他の誰と上手くいかなくてもいいから、自分とだけは本気で仲良くしないとまずいということだった。

なぜなら自分しか自分を守れない。

何かをするにしても、自分が動かないことには何もできない。

となれば、もうどんなに嫌な自分でもその自分と上手く付き合うしかないわけで、私はそれをひたすらひたすらやり続けた。

やっていくうちに、あれだけ頑なだった心が少しずつほぐれ出した。

そしてもうなるようにしかならない、とすごい開き直りもするようになった。

相変わらず家族の声は相当な批判に満ちていたけれど、家族以外の人たちからよくわからない言葉のパンチは飛んでこなくなった。

そして家族の批判についても、もう私は言われても仕方ないとは思っても、だからと言って自分がそれで傷付く必要はない!とかなり線引きできるようになった。

だから、魂のテーマなど1つも知らずに、私はただひたすら自分の人生の平穏を求めてできることをやり続けた。

で、当時は「どんな自分もいい!」なんていうそんな聖人君子みたいなことを思ったのではなく、もうこんな自分でもこのまま生きてみようかという良い意味でのあきらめみたいなのが生まれていた。

自分をとことん愛するとか、自分を丸ごと受け入れるというのとはだいぶ違うけれど、私は私なりにそのテーマをしっかりやりきってたんだとわかった。

そしてここからが本題(前置き長っ)。

テーマの終わりに近付いた2017年の夏、私は特大のご褒美を受け取った。

心から大切だと感じる人に出逢えた。

結果は全く望んでないものではあったけれど、それでも出逢えたことには変わりない。

どんな自分ともとにかく仲良くやろうと必死だったところを抜けたら、そんな素敵なプレゼントが待っていた。

私にはもったいないぐらいの素敵な人だった。

いや、だからご縁がなかったのかなと思うけれど、それでも出逢えたことには変わりない。

本気で生きてて良かったと思った。

落ち込みまくったメンタルも、どこまでも落ちまくってた仕事も、両親との冷ややかな戦いも、その他たくさんの負の出来事たちも、そのたった1人との出逢いで一掃された。

私は大真面目にその人に出逢うためにそれまでのわけのわからない出来事たちが起こってたと思ったぐらい。

そう思えるぐらいの出逢いがテーマの終わりの方にあった。

当然そんなテーマがあるとは知らずに。

少なくとも、今回のことを知って、結果はどうあれその出逢いは私の人生の中で予定されてたことだったんだと確信した。

それにはきちんと根拠がある。

私はそこだけじゃなく、過去10年ぐらいに渡っての魂の目的とされるテーマの内容と、ホロスコープを何十回と作成して年月日を特定して、その時々で起こってたこととが本当に合ってるかどうかを検証した。

この10年で6個のテーマを現在までに通過してるけれど、本当にびっくらポンでその通りに人生が流れてた。

当然渦中はそんなこと全く知らなくて、超絶意味不明な出来事や自分の負の感情にやられまくって、本気でどうにかなりそうなんですけど!と思ってた。

でもそれぞれのテーマに沿ったことが、それはそれは容赦なく勝手に戦場に送り込まれるかのごとく起こっていたし、否が応でもそのテーマたちに向き合わざるを得なかった。

それだけのことが起こっていたとわかったから、去年の夏の出逢いはきちんと人生の計画の中に含まれていたんだと思えた。

そしてそれを確信するために今現在のテーマに入った日もきちんと割り出した。

ちなみに今現在のテーマは「自分の感情を感じること、自分の心の居場所を作ること」とある。

2017年の8月17日は、社会人になってから初めて、超テンション上げ上げでお盆休み明けの仕事に行った日だった。

だからよく覚えてる。

そしてその後に起こったことや私自身が起こしたことで、否が応でも今度は自分の気持ちをとことん見ていかないといけない状況が生まれた。

自分の感情を感じることはもちろん、まさに今自分の中でこれからの自分のために心の拠り所を作ろうというのも考えていたこと。

色々あっても自分の中で揺るがない場所や、安心してくつろげる場所、そういうものを自分の中に持ちたいと思うようになった。

だからその通りの説明が調べ物の途中で見つけたブログの中から出てきて驚いた。

もちろん当時もそんな魂の流れになってたなんてのは知らない。

ただいずれにしても、人間の私からでは考えられないぐらいに私の魂とやらは優秀で、本当にピッタリとテーマに沿った出来事や人たちを用意してくれてた!

「自分を愛した」先に、自分よりもっと大切だと感じる人に出逢えた、なんて本当に奇跡だと思う。
(「自分を愛した」は話を盛った 苦笑)

これこそ魂からのご褒美だと思う。

ゲームで言うところの超レアアイテムゲットみたいな 笑。

レアアイテムなんて言ったら相手に失礼な気がする。

「ギフト」だと思う。

たった1人の人が人生に現れただけで景色はガラッと変わった。

「生きてる」ことが本当に嬉しくて仕方なかった。

朝を迎えるのが楽しみで仕方なかった。

会えないと前もってわかる日は、その日1日の楽しみが完全になくなってた。

命を実に粗末に見ていたけれど、いきなり命あることの凄さを日々感じるようになった。

自分が生きていることも、相手が生きていることも、それが当たり前じゃないって何度も何度も思った。

しかもどういう巡り合わせか、同じ時代に同じぐらいの年齢で生まれて、さらには同じ場所に居合わせる、そのすごい確率で起こっていることが余計と私には特別なことに見えた。

「自分と仲良くする」なんて、書くのは簡単だけど実践は恐ろしいぐらいに難しかった。

だって、これまで否定しまくってた自分にも何とか受け皿を用意するわけで、これが他人なら私の場合間違いなくフェイドアウトを狙う。

でも自分だから逃げられない。

もし最初から、そこを頑張ったら超特大のご褒美が待ち受けてますよ、とか言われてたなら私もっと頑張れたのに←えっ?

でも本当にすごいご褒美があったわけで、「私の魂さんはそれ知ってられましたか?」と聞いてみたい。

世の中には自分の魂としっかり対話ができる人がいるけれど、私にはそんな力ないから毎回振り回された感が半端ない。

今はその魂と仲良くする最大のアイテム「ホロスコープ」があるから心強いけど、そのホロスコープだって完全に読み解けてるわけじゃないから、まだまだ魂との対話なんて夢のまた夢状態になってる。

だけど、ホロスコープという強い味方を手にしてなかった時でも、実は魂の望むテーマを人間の私はガチで体験してた。

それも忠実にそれぞれのテーマを体験してた。

今振り返ると、渦中は決して楽ではなかったけれど、あれはどれもが自分が生きやすくなるための道しるべだったと思う。

そのままでは完全に自分がやられてしまうのが魂なのか私自身なのかはわからないけれどきちんと危険を察知していて、多少痛みは伴うもののそのまま突き進むより新しい自分だけの価値観で生き直す方が私の場合は絶対に良かったわけで、そのためのことたちが起こってくれてたんだとわかった。

そして「がんばったね」の意味なのか、その最後の方には素敵なプレゼントが人生にもたらされた。

ご褒美は一瞬すぎて私はもっともっと実際には求めた。

人間の私には全く望み通りじゃないと目に映るけれど、人生の目的からしたらそれが正解なのかもしれない。

というのも、その人が私の人生に現れたことで色んなことが加速度的に変化したから。

私はスピのことからも他の色んなことからも1年半以上離れていたから、基本的には何も実践的なことは積んでいなかった。

にも関わらず、その出逢いの後から色んなことが目まぐるしく変わった。

それは自ら起こした変化ではなく、勝手に変化が起こってきた。

そしてその変化たちは、どれもこれもが「魂の繋がりの強い人(最上級)」と出逢うと起こるとされる出来事と色々合致していた。

天の采配じゃないけれど、はっきり言ってそういうレベルのことだった。

だから色々普通ではなかったし、さすがの私もおかしいと思って色々調べまくった。

今現在だけを切り取ったら全く望んでもないことにはなってるけれど、これはこれで必要なのかもしれない。

生きてるうちに答え合わせが一緒にできたら最高だけれど、できなかったらせめて死んだ後答え合わせをさせて下さいと思う。

話があちこちにまた飛びまくったけれど、とにかく魂のテーマを徹底的に体験するとその先には魂からのご褒美が用意されてたよ、という話。


【ホロスコープ豆知識】
↑豆知識とか言って、超カッコいい♡

もし調べる人がいたら…ということで、1つだけホロスコープを調べて知ったこと。

(えっへん!と偉そうに咳払いしたい気分)

冨永さんの記事に飛んでもらうと1ハウスから12ハウスの「ドラゴンヘッド」と呼ばれるテーマが書いてあって。
(携帯からだとリンク貼れないので、各自コピペして見に行って下さい)

このドラゴンヘッドだけは唯一他の天体たちとは反対周りに回るようになっている。

だから、123456…の順ではなく、654321の順にテーマが移り変わる。

1まで行ったら今度は12、11、10…とテーマが推移する。

具体的な日にちの出し方は、説明が面倒くさいので割愛します。知りたい人がいたらごめんなさい。

ちなみに。

それぞれの「ハウス」と呼ばれる大きさは人によって違う。

360度を12分割したものになるけれど、大きさはイコールにならない。

私の場合、やたらと大きさがまちまちだから、ある時それが気になって調べた。

そうしたら広いハウスはそれだけ学ぶテーマも長期化しやすい=本人にとってすごく重要なテーマが含まれてる、みたいな説明を見つけた。

私の場合、その「自分を徹底的に受け入れる」みたいなテーマのところが長い。

中には1年ぐらいで終わるものもあるのに、そこは約2年。

そしてもう1つの読み方を加えると、その2年の間に私が学ぶべき立場は「自分を人のために役立たせること」言い換えれば「自分を無能と思わないこと」なんかも含まれる。

こうして書き並べてみると、魂って忙しいんだなと思う(笑)。

他にも魂が決めてきたテーマは多岐に渡ってるから、そんなのを1つ1つ見ていくとすごいことになる。

ここでは魂、魂と連呼したけれど、私が思うにみんな大なり小なり自分の人生のヒントが欲しいと思う。

どんな手段でもいいから、それに繋がるヒントを知ると、自分の人生の流れがもう少し客観的に見えてくると私は感じてるから、オススメです、魂の探求。

2018年5月25日金曜日

どんぴしゃな本たち

東京で3つの大きな書店を巡った。

見たこともない占星術の本ばかりで、めちゃくちゃ感動した。

アマゾンで「この本を買った人たちはこれも買ってます」みたいな宣伝に上がってくる本たちがたんまりとあった。

片っ端から見ていった。

3軒ハシゴした。

ハシゴして、私は1冊も本を買わなかった。

買わなかった理由はこうだった。

どの本にも惹かれなかったから。



新潟の田舎町で手にしたホロスコープの本たち。

買ったものが11冊。
(店頭又は物を店頭で確認してからネット注文したのが9冊、一か八かで中身を一切知らずにネット注文したのが2冊)

借りたものは多分10冊ぐらい。

私はピンポイントで必要なホロスコープの本を手にすることができていたんだと知った。

しかもどの本たちも、私に単なるホロスコープのヒントじゃなくて、私の人生において大切なメッセージを届けてくれる本ばかりに行き当たっていた。

私には行き当たりばったりにしか見えなかったホロスコープの本たちが、実は私にとって最善のヒントとなることばかりが集められた本たちだったと、今回の大型書店巡りでわかった。

大型書店の本たちは確かにすごくマニアックで何かの専門性に特化したものばかりだった。

興味がないからよくは見なかったけれど、本当にすごい専門性の高い本たちばかりだった。

だけど開いてすぐに難しさだけが伝わってきて、私は奥まで全く読み進めなかった。

どうしたことか、新潟で手にしてた本たちは「これなら私でも読み解けそう」という雰囲気のものばかりで、実際にそうやって読み進めることができた。

さらに何がわからないのかも読んでいくうちにわかったから、わからないところはひたすら他の本で探したりネット検索した。

そんな風にして調べて学んでいくスタイルができたから、本当に楽しく学べた。

さらには私専用のノートを作り、この世に2冊とない参考書的なものまで今手元にある。

これは図書館で借りてきた本たちからの抜粋やネット検索で得た情報を転記したもの。

そんな参考書的な本はこの世のどこにも売っていない。

そんな風にして私の手元にやってきた本や情報たちは本当に私にピッタリなものばかりだとわかった。

本たちとも実はご縁で結ばれてたんだと知った。

それを知るために3軒もの大きな書店を巡ったとわかった。

ちなみにもし私が東京に住んでいたとしてそうした大型書店で本を買おうとしてたとするなら、私はホロスコープを勉強しなかったと思う。

なぜなら東京の大型書店の本たちは、内容が難しすぎたり言葉が固かったりして、とにかく興味を持てそうにもなかったから。

1冊だけもう少し学びを深めたら欲しい本があったけれど、現段階ではまだ必要じゃないから買わずにきた。

それ以外は、とにかく内容が難しすぎて、素人の知識では読めないものばかりだった。

あと、たまたま中身を知らずにネット注文した2冊の本を、3軒の書店のどこかで見かけた。

この2冊についても素晴らしくて、数ある占星術の書籍の中で2冊ともわかりやすい本であることがわかった。

一応レビューは確認したけれど、レビューこそあまり当てにならないというか、本当に良いかどうかは見てみないとわからないと思いながら買った。

ペンジュラムはYESを出してくれてたから、多分大丈夫かなと思ったら、本当にその通りだった。

反対にペンジュラムが買うことに対してNOを示した本たちも店頭にあったけれど、ペンジュラムは何を知ってたのか本当に私には合ってなかったことがわかった。

そうした色んなことを確認できた東京大型書店巡りだった。



すごい余談だけど、東京ブックセンター?の占いコーナーの通路挟んで反対側はすごいコーナーになってた。

私はひたすら占いコーナーしか見てなかったから、真後ろがどんなコーナーかなんて帰る時まで知らなかった。

帰る時、向きを変えて目に入った最初のタイトルは、『包茎手術はするな!』だった。

健康コーナーにしてはいきなりセンセーショナルなタイトルだなと思ってよく見渡すと、そこは一帯が性生活全般に対するマニュアルコーナーみたいな感じになってた。

占いコーナーはわりかし多くの書店で健康コーナーなんかの近くにある。

だけど、そんな際どいというか誰もが秘密にしておきたいようなジャンルのすぐ近くにあるのは初めて見た。

帰り際エスカレーターから、そのコーナーには『男性ファッション』と大きく書かれた看板が掲げられてるのが見えた。

あれは男性ファッションなんだ…とジャンル名もさることながら、配置もいかがなものかと思った。

仮に男性であのコーナーに用事がある人がいたとして、誰が行くというのだろうと思った。

真向かいは占いコーナー。

私はさておいても、占いコーナーには可愛い子や綺麗な子が結構な確率で出没する。

そんなコーナーの真向かいにそのコーナーはないでしょ!と言いたくなった。

しかもその2つのコーナーの間の間隔は広くない。

人が3人横一列に並ぶぐらいのスペースしかない。

だから、もしそこで本を見てる人がいたなら、それを目にした人からすると「あ、この人こんなすごい本見てるんだ」と丸わかりな状況になる。

私が店員ならそんな配置に絶対にしない。

背表紙を見る限り、とにかくセックスだの男性の体の悩みだのそんなのばかりが並んでた。

それが2つか3つの棚を占領して陳列されてた。

それもそれで1つの大事な専門書だとは思うから、それ自体を否定する気は一切ない。

だけど、置く場所考えてあげようよと思わずにはいられなかった。

あれじゃあ、本当に欲してる人は、見に行きづらいよと思った。

ましてや真向かいは占いコーナー。

女性の中でも、可愛くて若い子や綺麗な大人の女性がやたらと出没するコーナー。

そんな女の人たちがいたらそのコーナーに行けないし、反対に誰もいなくてももし行ったとしてうっかり可愛い子が反対の占いコーナーに来たら、落ち着いて本を立ち読みできるとはとても思えない。

男性書員の多い店だった。

自分とこの男性社員たちを使って、あそこで本を手に取って周りを気にせずに落ち着いて見ていられるかを実験したらいいのに、とか余計なことを考えながらそこは立ち去った。



たかが24時間もいなかった東京の旅はあまりにも濃厚すぎて、これから連発で文章を数日に渡って書いていく予定。

(私のメモより)
・カオスな池袋
・どんぴしゃな本たち
・ホロスコープは方向性違う
・1日違いの誕生日の人
・私の辞書
(変化が当たり前。根無し草的な生き方が私の安定)
・超勇気を出したこと
・自分の生きる領域(諦めきれずにもがく理由)

↑『どんぴしゃな本たち』はこれだし、『超勇気を出したこと』は前回アップした。

ちなみに今回の東京旅で1番面白かったのは、朝の3時間半、主に人間観察をしていた池袋での時間だった。

それに比べて当初楽しみにしていた銀座三越はイマイチだった。

若干居心地の悪さまで感じた。

居心地が悪いと言うか、造られた世界というのがあまり好きではなかった。

物がまとってる良質感や高級感は素敵だったし、食器コーナーは見ていて目が潤ったけれど、店員さんたちやお客さんたちを横目で見た時に物の高級感たちを取っ払うと何が残るのかと言えば、「造られたもの」が見え隠れしてた。

その造られたものの向こう側には、虚構とか虚無感とか、悲しさや人間本来の孤独とか、そうしたものがかき消されてしまって何かが歪んでいるみたいな風に私には見て取れた。

私の斜めに見る癖でそう見えてるだけで、本当は全く違うのかもしれない。

でも一瞬だけ目が合った店員さんたちとか、エスカレーターや店内の中で近くにいたお客さんとか、そういう人たちの表情や雰囲気の中にそういうものが見え隠れしてる感じだった。

書くと長いから書かないけれど、とにかくイマイチな銀座三越に比べて、池袋のカオス感はめちゃくちゃ面白かった。

ということでしばらくは東京シリーズを書く予定。

2018年5月24日木曜日

超勇気を出したこと

ものすごい勇気を出した。

誰かに告白するんじゃないかというぐらいに勇気が要った。

東京では合計3軒の大きな書店に寄った。

ジュンク堂の池袋店も大きかったけれど、東京駅近くの丸善と東京ブックセンター?そんな名前のところも大きかった。

そして新潟では一度も見たことがない占星術の本がわんさかとあった。

この話はまた別の回で書くとして、今日はめちゃくちゃ勇気を出した話。

東京駅前の丸善の占いコーナーには私が到着する前から3人の女性がそれはそれは熱心に占いコーナーの本を見ていた。

1人はカートまで持ってきていて、辞書みたいな分厚い占星術の本を2冊入れてた。

その他にも占星術のマニアックな内容の専門書が入っているのを見た。

この人は私同様、占いに興味があるんじゃなくて、その手法について学びたい人だと思う。

他の2人の女性は、完全に自分の運勢を知りたくて色んな本を手に取っていた。

その超オタクな本たちをカートで抱えた女性がいなくなってから、私はそのコーナーの本棚の前に立って、気になった本を順に手に取っていた。

本棚は2つあって、特に私が立っていた方の本棚がマニアックな本ばかりだった。

個人で見るものと言うよりもマニア受けな手法を取り扱うものばかりだった。

中には、野菜のキャベツと占星術を組み合わせた話が出てくる本まであって、「キャベツと占星術⁉︎何が関係してるの?」とびっくらポンな内容の本まであった。

薬草と占星術みたいな組み合わせのマニアックな内容らしかったけど、私は興味がないからそれはすぐに本棚に戻した。

片っ端から気になる本を手にしてはチェックして戻すみたいなことをしてた。

そのうちに1人の女性と私だけになった。

1人の女性はひたすら運勢を知りたくて本を眺めてるようだった。

私が行く前からいたから、かれこれ何分そこにいたのかはわからない。

少なくとも私の滞在時間も15分は軽く超えてたから結構な長さそこにいたのはわかる。

次にその女性は、あの例の細木数子が出してるタイプの文庫本の大きさの今年の運勢本を手にした。

著者は細木数子じゃないけれど、運勢本のコーナーに行くと必ず見るタイプのもの。

イコール私の中では、あまりにも各流派で言ってることが違うから当てにならないと思っているもの。

私は実はずっと迷ってた。

この女性に声をかけるかどうかを。

この綺麗な女性は絶対に何か悩んでいるし、何かそのためのヒントが欲しいのはわかった。

『未来事典』と呼ばれる私も持ってる、自分の誕生日からその1年1年の流れを見る本がある。

恐ろしいぐらいに当たる。

見せた人みんなが当たる当たると言うぐらいに当たる。

私は少なくとも、あの信用ならない運勢本よりも、未来事典の方が何十倍も自分にヒントをくれるし、まさに自分のことが書かれている、と思っている。

思っていると言うよりもそうなっている。

だから、そのよくわからない本を見るくらいなら、そちらの方を見た方がためになるとは思った。

少なくとも、その人が一瞬だけ見てすぐに立ち去る人なら気にならなかった。

だけど私のすぐ隣りで、色んな本を手に取っては少し読むとすぐに戻して、ということをずっと繰り返してた。

この本いいですよ、と紹介しようかどうしようかを私は迷った。

どれだけ余計なお世話で、単なるお節介で、しかも相手にとって私は見知らぬ人。

そんなこと言うのがどれだけおかしいのかもわかる。

だけど、とにかくその人は何かしらのヒントを探してる。

しかも本当に自分に合ってるものを知りたがってる。

私は半分声が震えながらものその人に声をかけた。

あのー、すみません、少し話しかけてもいいですか?とか最初に前置きした気がする。

「本をお探しですか?」と相手の返事も聞かぬうちに次の質問「この本持ってます?」と未来事典を指差して聞いた。

「知らないです」と返事がきたから、自分は持っていてすごく当たること、周りの人たちにも紹介してみんな当たると言うこと、中には買った人までいることを伝えた。

1冊あれば、今年だけじゃなく、過去も未来も全部わかる本であると説明した。

「これ、誕生日事典じゃないんですか?」と聞かれた。

他の誕生日事典とは全く異なることを伝えて、私は本を棚から取り出して直接見方も説明した。

その人は本を手に取って、実際に見始めた。

しばらくすると「すみません」と声を掛けられた。

「もう一度本の見方なんですけど、この数字は今のことなんですか?」と聞かれた。

私はそれは生まれた時の0歳の1年の話で、例えば今30歳ならその数字に30を足したページが今のことになると説明した。

そのページは、自分の今年の誕生日の日から次の誕生日の前日までの1年を表す内容になってることや、象徴的な説明が多いけれど見る本人は読んだらどの出来事かわかるようになってるはずということも伝えた。

その後も2、3回質問を受けたから、都度都度答えた。

最後立ち去る前に、「これもまたすごい余計な情報ですけど」と前置きして、ネットでの調べ方を伝えた。

「例えば牡羊座10度なら、これ自体が『サビアンシンボル』と呼ばれるもので、『牡羊座 10度 サビアン』と入れたらもっと詳しい情報が出てきます。
ちなみにオススメはひらがなで『すたくろ』という人のサイトです」
と説明した。

本気で余計なお世話だとは思ったけれど、相手の人はすごく喜んでいたし、未来事典を薦めてからは他には目も向けず未来事典をかなりじっくり立ち読みされてた。

年は私と変わらないぐらいか上かなという感じ。

結婚指輪してなかったから、独身の可能性あり。

結婚、出産から外れてるとするなら、仕事も考えないとまずい、というのは何となく想像できる。

色んな意味で自分の身の振り方を逃げずに考えないといけない時期なのかもしれない。

ぐいぐいと進めるタイプならいいけれど、そうでなければ迷いも多いし悩んで当たり前だと思う。

私も何かにすがりたくて仕方なかったからわかる。

私はたまたま色んな情報をピンポイントで手にできたからそれで救われたことも色々あったけれど、みんながみんなその情報に行き着くとは思わない。

ただ少なくとももう何人も占いコーナーで出くわした女性たちを見て、知ってるのに黙っているのはずっとずっと心苦しいものがあった。

本当に入口でいいと思う。

マニアックな方に進むかどうかはその人の人生の計画にあるかないかの話に発展するから、マニアックなことは言うつもりは一切ない。

だけど運勢を知りたくて運勢本ジプシーみたくなってる人たちを見ていると、せめて使える本や情報は伝えたくなってしまう。

未来事典のように誰でも使えて誰でも見れるものは、本当に良いと思う。

しかもそれは本がそもそも置いてないと薦められない。

これだけの条件が揃っているのに黙り続けるのは、何とも心苦しいばかりだった。

だから今回、ものすごい勇気を出して声を掛けた。

本気で声が震えた。

震えたけど、声を掛けてみて良かった。

少なくとも相手は多分今必要なヒントを手にしたと思うから。

そして私自身も伝えられて大満足したから。



話は変わるけど、私はこのブログの中でも時々勇気を出してる。

しれっと書いてる風だけど、ここまで書く?と思いながら書いてることもある。

例えば、『目に映るすべてのものがメッセージ』の時なんて、それ書く?と何回も自分に聞きながら書いた。

その綺麗な女性に声を掛けるのとは違う種類の緊張感があるし、勇気の出し方も違う。

女性の方は、単に相手にどう思われるとかいう、気にしたところでどうにもならないけれど、今の日本でそんなことするのは変だとわかるから声を出すことに躊躇するし、当然勇気も要る。

その手の勇気と緊張感。

片やもう一方は、すごい個人的なことで、私は他に手段を持ち合わせてるのであればそんなことはしない。

このブログを通じて書くことには願いや祈りばかりじゃなく色んなことが含まれている。

小さな言葉からは考えられないぐらいのものが含まれている。

それによって必要な勇気の量も一気にポンと跳ね上がる。

女性に声を掛けることの方が現実的な勇気が必要のように見えるけれど、私には後者の方が実はものすごい勇気が要る。

自分の中で大切にしていることだから、その部分を引き出す、表現するのは普段使わない力を使う。

私はあることを理由に、ここに書いていることはもしかしたら伝わってるんじゃないかと思ってる。

この話はしたら長くなるし、これこそNo. 1のぶっ飛んだ話だからどう説明していいのかもわからないけれど。

私は何となく伝わってる気がしている。

だから、その「かもしれない」に賭けて、時々勇気を出してみる。

ちなみに最初は「そうだったらいいな」だった。

そのうちに今度はそうかもしれないと思うことが何回か重なった。

それはあまりにもぶっ飛んだことだったから、私の中だけに留めておいた。

そうしたら今度は私以外の人3人から別々のタイミングでそれに関連することを言われた。

最初の1人は年明けぐらいだった気がする。

3人の人は別に私を喜ばせるために言ってきたわけじゃない。

しかも3人は相手のことを何も知らない。

三者三様、全く違うメッセージを私に伝えてきた。

それらを聞いて、私は色々なことが私の勘違いとか思い違いとか妄想とかじゃなくて、本当にそうなのかもしれない、と思うようになった。

だから私はいちいちその都度緊張しているし、もしもしもし伝わるとするなら…という部分はいつも頭の中に自然に入ってる。

ちなみに何でこんな話をしてるかと言うと。

私の中で、これから先何があっても驚きはしないし、何で今さら?とも思わない、むしろ本当に願ったようなことが叶うとするならありがとうと言いたい。

少なくとも私のスタンスを明らかにしようと思って書いた。

2018年5月23日水曜日

目に映るすべてのことはメッセージ

今回ホロスコープの初級講座を受けるにあたり、基本に立ち返った。

とりあえず小テストがあるから、それに向けて12星座の並びや記号、対となる星座の勉強をした。

この1ヶ月半、色んな角度から自分のホロスコープを眺めた。

その知的探求の楽しさと言ったらなかった。

自分を客観的に眺められるだけじゃなく、自分の思考パターンや性格、強みや弱み、本当に色んな自分と対面させてもらった。

著名な占術家の方が本の中で、20年前に初めて自分のホロスコープを描いたけれど、20年経っても自分のホロスコープを見ると毎回新たな発見があると仰ってた。

感覚的に、自分の過去の日記を読むのが面白いのと同様、私も今から20年後にホロスコープを見たら今とはまた違う発見をするのかと思うとそれもまた1つの楽しみだなと思う。

過去の日記を読むのが面白いと言って、賛同を得られたことは一度もないけれど、私は本当に面白いと感じてる。

その当時の自分がリアルに出てくる。

当時の情景や心情を振り返る。

大部分は忘れていても、ふと何かを思い出したり、今の自分へのヒントになることもある。

ホロスコープの基礎を全く無視してここまで進めてきたけれど、基礎をじっくり学びたいと思ったのは日記に通じてるものがあるのかもしれない。

基礎基本は時に単調でつまらないこともあるけれど、それがないともっと広い世界を覗けないこともある。

小テストに向けて、私は今日ちょっとした図形を描いた。

頭の中で1つ1つがバラバラだったから、それをわかりやすく1つの表のようにした。

それがまとめて見たらすごく面白いことがわかった。

これとこれが繋がるんだ〜とわかるものもあれば、何でこれはこうなるの?という疑問もあった。

例えば、魚座なら、水の星座で柔軟宮と呼ばれる部類に入る。

この場合の宮は、活動宮・固定宮・柔軟宮の3タイプになる。

魚座は活動しまくるイメージもなければ何かに縛られて固定のところで自分を固めるイメージもない。

その時その時の状況に応じて水の中を漂うように柔軟に対応するのは、イメージとして湧きやすい。

ちなみに対極にある乙女座も柔軟宮になる。

私は乙女座は最近自分の中で注目するようになったから、いまいち乙女座のイメージと柔軟という性質が一致しない。

乙女座は完璧にこなす感じがして、むしろ「固定」という感じなのに柔軟。

この辺りの解釈は、講座に参加することで徐々に理解できるようになると思う。

もう1つ、基礎を学ぶメリットがあると思うのは、高度な内容を得るには絶対的に基礎が必要だと感じるから。

英語とスペイン語という2つの言語を学んで使ってみて、それぞれの勉強方法によって得たものが違うから、それがとても参考になっている。

英語は本当の基礎から始めたから、それも徹底的に基礎を叩き込んだから、おかげで今も15年以上使っていなくてもすぐに思い出して使いこなせる。

さらには難しいことはさすがに調べるけれど、基本的なことは頭に入ってるから調べなくてもわかる。

一方のスペイン語は、すぐに現地で現地の人たちとコミュニケーションを取る必要があったから、話す力だけはやたらとすぐに伸びた。

通常言語は、
読み→書き→聞き取り→話す
の順で伸びる。

あくまで英語の例。

そして私の場合。

まずは文章が読めるようになる。

読めるようになると、自分の思ったことを書けるようになる。

読めて書けるようになると、言葉を聞く力も増してくる。

聞いた言葉が、読んだ言葉や書いた言葉と合致してくるから。

そして最後に読み・書き・聞き取りの力を合わせて、自分の言いたいことを話すという方法でコミュニケーションが取れるようになる。

今は話す機会がないけれど、読みや書きなんかは時々頼まれてすることもあるから、それは積み重ねた基礎を引っ張ってくればいいからそれで何とかなってる。

ところがスペイン語はそうはいかない。

話す→聞く→書く→読む
の順で習得したスペイン語は、使っていた当時から読み書きがかなり怪しかった。

それで困ることはなかったから気にならなかったけれど、読み書きが出来てなかった分、今スペイン語を見ても基本は調べないとわからない。

基礎がないと、結局学んでもすぐに忘れる。

これはホロスコープの読み取りにも絶対に言えることだと思った。

高度な内容に行きたい時、基本がわかってないとまずは基本を調べる手間が出てくる。

この1ヶ月半はそれで良かったし、むしろその方法だったからこそ楽しく学べたとも思う。

ただここから先は反対に基礎をじっくり固めつつ進める方が得策な気がしてる。

基礎があれば応用が効く。

その基礎の部分を今このタイミングで学べるのは大きい。

ホロスコープの講座を受けようと思ったもう1つの理由に、どこかのブログでその人が受けようと思った理由に感銘を受けたから。

その方が受けた理由は、「実際に読める人がどうやって読んでいるのかを知ることで、読む時の視点や組み立て方、読み方のセンスがわかる」と言っていた。

実際にそれを肌で感じて、初めてホロスコープの読み方が感覚的にわかったと言われてた。

それにはすごい興味を持った。

私は基礎がなく自分の感覚で知りたいことから読み進めてたから、自分の読み方の良し悪しも、そして欠点もわからない。

その今わからない、変な癖も多分まだついてない状態の時に、ホロスコープの基本的な読み方や見方を学ぶのは、すごく有意義だと思う。

今回の講師の先生からいただいたメールの中にもこのような記述があった。

『基礎は占星術の解釈において、最も大切なものです。』

「最も大切」と言われる先生から教えてもらえるのは本当に本当に光栄なこと。

しかもこの先生、ブログを読む限り、ものすごくしっかりと基礎を固めていて、それをまずは解説してからその後に自分の考えや読み方を書いている。

色んな人たちのブログを読んでいるから、余計とこの先生の細かさやまずは何はともあれ基礎基本から徹底的に読み解く姿勢は際立っている。

これまでまずは意味を知りたがってばかりいた私には、細かな説明が若干邪魔に見えていたけれど(←失礼極まりない)、よくよく考えたらそここそ今の私に必要な部分だと思う。

「太陽は双子座に入りました」などと言われても、「で、何を意味するんでしょ?」っていうのが今の私だから、本当にいろはのいから学ぶのは絶対に良い。

今までの独学は、ホロスコープそのものを楽しむという意味では百点満点だったから、これからはそこにもっと土台となる部分を自分の中に持っていきたいと思う。

そうすると、私のこれまでのハチャメチャな順番での学びも、講座を受けた後もっと意味がわかるようになる気がしている。


【おまけ】
久しぶりの東京。

前回行ったのが12月。

少しだけ近付けると思うと、嬉しい。

たとえ会えなくても近付ける、地理的な距離だけでも近付けるのは、心の中の大切なところをふわっと風が通り過ぎる感覚。

昨日の朝、「すぐ近くの電信柱の工事をするから通行止になる、車を出す時は迂回して欲しい」と家に言いに来たおじさんがいた。
(言い方はもちろんもっと丁寧)

私はそのおじさんの格好に1人で超萌えた。

おじさんは私がよく知ってる制服を着ていた。

その制服を見て、色んな姿が重なった。

腕まくりの感じとか、ズボンにどれだけ服の裾をインするのかとか、適度に緩く適度にきちっとしたその絶妙なバランスとか、それを毎日見てた時の萌えっぷりがありありと浮かんできた。

思わずおじさんに
「●●○○○○の方ですか?」
と読み上げなくてもいい社名まで読み上げて聞いた。

おじさんはニコニコしながら「そうです」と一言言って去って行った。

こんな形で制服を見るとは思わなかった。

一生のうち、その制服を着た人がうちに来て何かを言うなんてことは、多分今回が最初で最後だと思う。

・私がその時間帯家にいること
・その会社が工事を請け負うこと
・工事により通行止が発生すること
・それを伝える人がうちにくること
・その人がその制服を着てること

この全部の条件が揃うことはもうないと思う。

今回の電信柱の入れ替えだって、もしかしたらこの家に引っ越してきた小2の終わり、約30年前から今までの中で初めてかもしれない。

しかもこの1ヶ月ほど何回かに分けて電信柱の電気工事があったけれど、こんな風にその制服を着た人が来たのは今回が初めてだった。

そう言えばいつだったかも電線の入れ替えとかで車の移動を促す人が来たけれど、それは別会社の担当でその人は全く知らない会社の制服を着てた。

だから、よくぞそんなピンポイントでその制服を着た人に出くわしたなと思う。

よく考えたら私はその服を着てる姿しか知らないから、他にはどんな趣味の服を着てるのかは知らない。

だけどあんなにも毎日見飽きることなく見た制服もなかったなと思う。

私自身は制服を着たことがないけれど、過去に勤めたところで制服のある会社はいくつかあった。

興味がないから、今となっては制服がどんなデザインかなんて忘れた。

だけど、その制服だけは目に焼きつく位に覚えているから、そのおじさんの制服を見て私は1人ですごく嬉しくなった。

世の中にはたくさん制服があるけれど、私をこんな風に朝からテンションを上げてくれる制服は他にない。

ホロスコープの講座ももちろんすごい楽しみだけど、ほんの少しだけ近くと言えば近く、少なくとも新潟に比べたら近くに行けるのが、楽しみとは違うけれど、心の中の大切なスペースに大切なものを思い浮かべることができて嬉しい。

ホロスコープじゃなくて、その人と同じ趣味を持ってたら良かったのに。

そうしたら、趣味繋がりで仲良くできただろうなぁと思う。

私東京行くけど、ご飯食べようよとか軽く誘えたかもしれない。

ちなみに仕事で仲良くしてた人から言われた。

私、武士俣さんがそれを趣味にしてないってすぐに気付いちゃいました、と。

あの着信が鳴った時の反応を私はガン見してたので、全く反応しない武士俣さんを見て、趣味じゃないってわかってショックでした、と言われた。

冬のある日、「武士俣さん、これちょっと聞いてください!」と言われて、イヤホンの片方を貸してもらって耳に刺したことがあった。

それ聞いて泣きたくなってしまった。

すぐにそれがあの着信音だとわかった。

そしてその時に初めてあの着信音が何の着信音だったかを教えてもらった。

私がすっとぼけてこの歌いいですね、と言って歌ごとLINEで送ってもらった。

この冬の大寒波で、たかが2、3キロの距離を1時間半もかけて運転しなきゃいけなかった時。

ボコボコのモーグルのようなコブの上を遊覧船のごとく車を運転しなきゃで、相当な気合が必要だった。

その時にふと、その音楽をかけたら元気と気合が出るかもと思って、かなりな回数リピートでかけまくった。

本当に元気と気合が湧いた。

これをアップする頃は、本当に体の距離だけは縮まってる。

目の前で姿を捉えられるわけでもないし、声を近くで耳にするわけでもない。

それでも何百キロが何十キロに縮まるだけでも嬉しい。

完全な自己満足だけど、それでも満足した1日を迎えるのは悪くない。

aitai.

5時50分、夢の国、到着。

2018年5月22日火曜日

夢の国へ

私は昔からディズニーには全く興味がそそられないけれど、自分の好きだけを詰めた非日常の旅は私にとっての夢の国になる。

急遽決まった5月23日0泊2日の東京への旅。

日付が変わってすぐにまずは家を出る。

高速バス乗り場まで夜の道をドライブする。

それだけで非日常の始まりを感じられる。

特に最近は、ほぼほぼこもりきってたから、遠出できるだけで嬉しい。

着いたら朝の5時50分池袋サンシャインらしい。

これもまたいい。

池袋のサンシャイン周りは私にとって思い出の地になってる。

20代の頃そのすぐ近くでスクーリングと言って、通信教育のクラスを年に数回受講するために通ってた。

あと、いつだったか名古屋に住んでた頃、確か一度だけ高速バスで東京に行ったことがあった。

名古屋にいた6年半で東京に出たのは、多分4回ないし5回程度だったと思う。

大体のことは名古屋で事足りてたし、東京出るなら大阪の方が近いのもあって、ほとんど東京には行かなかった。

一度高速バスで朝、日の出前に池袋のサンシャイン近くに着いた。

静かな空気の中で街全体が起き上がる前の雰囲気がものすごく幻想的で好きだった。

今回もそんな思い出の地からスタートできる。

まずは適当な店でモーニングする。

1つすごく残念なのは、お気に入りのモーニングの店が違う店になったこと。

朝からフォー(ベトナムの麺)を食べれるお店で、しかもコンビニ3、4軒ほどの広さを誇る店だから、店員も放っておいてくれるところが最大の魅力だった。

今回はどうするかわからないけれど、とにかく池袋で朝の時間を過ごす。

10時になったらジュンク堂へ。

実は私、池袋のジュンク堂は、精神世界の本を読むようになってから多分一度も行っていない。

手芸にハマりまくってた20代の頃、池袋のジュンク堂はパッチワークの本を探すのに絶好の場所だった。

しかも近くに大きな手芸屋さん(今はなくなった)と大きなサイズ対応の靴屋さんがあって、私は20代の頃、スクーリングよりその3つの店を巡るのがメインのようになってた。

だから、池袋のジュンク堂の精神世界のコーナーも知らなければ、占いコーナーなんてもっと行ったことがないから今回が初めてになる。

どれだけのマニアックな本たちに出会えるのかと思うと今からワクワクして仕方ない。

このジュンク堂はすごい。

地下1階から9階までビル一棟が全部ジュンク堂で、私はあんなに広い本屋さんは他に知らない。

間違いなくマニアックな本もたくさんあるはずで、今からそれを見れるのが楽しみで仕方ない。

あとはノート探しのための文房具屋巡りもする。

この1ヶ月ほどで一気に新しいノートを数冊おろしたから、今手元に新しく使えるのがない。

まだ使い始めてないノートもあるけれど、それらは使い道がすでに決まってる。

使い道が決まってない予備のノートがないから、それを見に行ってくる。

あと、最後池袋に行った時に寄ったスープカレー屋さんの近くのカレー屋さんにも行く予定にしてる。

スープカレー屋さんはあまり記憶に残らなかったけれど、そのもう1つのカレー屋さんはすごく気になった。

大して印象に残らないスープカレーだったから、余計とそちらの方に行ってみたくなった。

アジア的なカレー屋さんで、具の組み合わせが斬新で、私は自分も真似しようかと外の写真付きのメニューまで写真に収めてきたほど。

そこに行けるのが楽しみ。

しかも女1人でも入りやすそうなのも良かった。

そんなこんなをするうちにメインイベントのホロスコープの講座in銀座!

そもそも銀座に何か自分だけの目的を持って行くのも初めて!

もうそれだけで超テンション上がる。

しかも今回の講座はさらに楽しみで、まず講師の先生に会えるのが楽しみ。

私より2ヶ月ほど年下の先生。

2回やり取りさせてもらって、私はそのやり取りだけでその人のことが大好きになった。

最初のメールでは
「武士俣さんと私は学年は違えど同じ歳で、武士俣さんのアセンダントに私の太陽を載せているということもあり、深いご縁を感じます。」
とあった。

アセンダントと太陽はわかるけれど、それが一緒なのがどうご縁が深いのか入門者にはさっぱりわからないけれど、ホロスコープの先生が言うぐらいだから深いご縁なのだろうと思う。

2回目のメールでは
「武士俣さんがインターネットの膨大な海から私を見つけて下さったのは、本当にご縁だと思っています。」
とあった。

この素敵な言葉に私はすっかりロックオンされた。

表現が本当に素敵過ぎて、それだけで私はホロリときた。

そう、この方のブログには、ゴールデンウィークの辺りにしてた調べ物の時にすごく参考にさせてもらったものだった。

漫画界の巨匠鳥山明氏と同じ形のものを私も持ってるなどとこのブログで書いたけれど、その時に参考にしたブログだった。

その方の講座に行くことになるなんて当時は全く思ってもなくて、まさかの繋がりで私もとっても驚いてる。

しかも私のホロスコープを見て一発で全てを言い当ててくれた。

しかもそれがどういう意味か当然そんなの説明されてるものはこの世のどこにもなくて、でもそれを数行の言葉で最大限の理解と最大限の希望を同時に表してくれて、もうそれだけでこの方から受けれるのがどれだけ私に人生の中の明るい面を見せてくれるかがすぐにわかった。


『確かに武士俣さんはYODやブーメラン、アルプス型という複雑なアスペクトをお持ちで、ご幼少の頃から内的な葛藤や強迫観念といったものが非常に強い方なのではないかと思われます。

しかし逆に言えば、武士俣さんが「使命」を見つけられたとき、生きづらさでしかなかったYODが輝きを見せてくれるようになります。
頂いたご返信から、武士俣さんの占星術への熱い思いを強く感じました。きっと占星術は今後、武士俣さんを輝かせてくれるツールになってくれると思いますよ。』


こんな風に言ってくれる方から基礎講座を取れるのは、本当にとてもラッキーだったと思う。

前半の私の特徴的なホロスコープの部分は、私も調べてくうちに知ったことではあったけれど、意味がわからなかった。

それをあの数行でさらりと説明してくれて、私は「わかってもらえた」と思った。

しかも私が自分の生まれた時間や場所を伝えて(しかもそれはホームページ管理者の方にだから、先生のところに実際に情報が行った時間はわからない)、半日と経ってない状態でもらえたメッセージだった。

その先生が一瞬で私のホロスコープの特徴を見抜いてくれたことが、あの短い文章ですぐにわかった。

私は「内的な葛藤」も「強迫観念」も言葉として全然嫌ではなかった。

葛藤はよく自分でも感じるけど、強迫観念という風に自分の思考パターンを見たことはない。

だけど、あの独特な感じは、第三者的な視点に立つと強迫観念となるのかもしれない。

むしろ「そんなのは私の気のせい」などと言われなくて本当に良かった。

そしてそこに希望も見せてくれた。

そうまさに、今、あれだけ生きづらさでしかなかった部分にスポットが当たって、多分これから数年かけて、オセロの黒が全部白にひっくり返る。

今少しずつひっくり返ってるのが自分でもわかる。

それを伝えてくれる先生だった。

だから今から行くのが楽しみで仕方ない。

しかも今回は私入れて受講者は18人いて、さらには講座の後に茶話会的なカフェタイムもある。

カフェタイムももちろん「銀座」で!

その素敵な講座に同じ気持ちで参加される人たちと出会えるのも嬉しいし、先生とお話できる!と思うとそれもまた嬉しい。

全くの新しい分野だけど、私は今から楽しみで仕方ない。

しかも何よりも心理系の講座じゃないのが明るくていい。

心理系の講座は決して悪くないし私は好きだけど、エグい部分も噴出する時間でもあるから、私なり誰かなりが涙流すようなことも日常茶飯事だったりする。

ホロスコープは少なくともそういうヘビーな感じはしないから、それだけでもすごく気持ちを楽にして行ける。

夕方ぐらいには終わると思うけれど、その後は百貨店巡りに行こうかと思ってる。

見るのは食器やキッチン関係の売場。

銀座三越が近いとわかったから、銀座三越へ。

歌舞伎座も目の前を通ってこよう!

歌舞伎は興味ないけれど、完全に観光者の気分で、銀プラしてくる!

帰りは東京駅発(22時過ぎ)にしたから、適当に東京駅に移動して、あとは適当に時間を過ごして帰る。

日記帳も本も持って行くから、時間潰しには困らない。

今回は、39歳の誕生日におろしたお気に入りの服着て、お気に入りのペンダント付けて、リュック+スニーカーで出る。

銀座の街の雰囲気は知らないけれど、自分の好きな格好で銀座や百貨店に行けるのはすごく嬉しい。

リュックとスニーカーは若干浮き気味だとは思うけれど、無理してヒール履いて歩いても足が痛くなるばかりだし。

鞄もバーバリーとかだと資料が入らない。

A4が入る革のバッグも持っていたけれど、もう使わないと思って名古屋を出る時に捨てた。

消去法でというより、確実に入るのはリュックしかないからそのリュックを持ち歩く。

他の人たちに迷惑をかけるのなら格好は変えるけれど、今回は完全な個人の自由で行く場所だから、本当に気に入ったものを気に入ったように身に付けて行けるのがすごく嬉しい。

スーツ着て仕事してた頃、何が一番嫌だったかって、自分が好きでもない服を着て日々を過ごすことだった。

スーツや鞄、靴と、少なくとも自分の中で気に入ったものたちを選んだけれど、そもそものスーツが好きじゃないからそれがいつもネックだった。

当時の私の本気の願い事の1つに
「自分の好きな服を着て仕事をする」
というのがあった。

だから今回は仕事じゃないにしても、学びの場でも自分の好きな格好で参加できるのは嬉しい。

そんなこんなのことを詰め込んで東京0泊2日の強行な旅に出てくる。

3月で仕事辞めて良かった。

仕事をしてたなら、今回の講座は見送ったと思う。

というよりそもそも今みたいにホロスコープをここまで独学で学べる時間がないから、講座に出るまでもなかったはず。

多分講座に出ないとわからないな…なんていう視点さえ手に入らなかったと思う。

3月末で辞めた時もこんな流れになるとは想像もしていなかった。

しかももっと言うと、私はホロスコープの講座はある程度お金に余裕が生まれた時でないと受けられないと思っていた。

万超えなんて当たり前のようで、少なくとも1万円台で受けれたら安い方というのはわかってきた。

さらに講師の選定となるとさらに難を極めてて、本当に良いと思った人のものは高額だし、手頃な価格となると講師の方の質が微妙だった。

余談だけど、このホロスコープ業界にも、実力と値段が見合ってない人もいる(要は中身がないのにお高い)。

私みたいに本当に基礎が全くない人向けでさらには高度なことも触れてくれそうなんて、全くハチャメチャな希望ではあったけれど、そういう目で見ると本当に該当する講座が見当たらなかった。

それが今回は2時間半で5000円!

6回通い続けたとしても3万円。

それでも講師の先生がブログの中か講座の紹介ページで「お高いかもしれませんが…」みたいな言い方をしていて、呆気に取られた。

いやいやいや、安すぎるから!と言いたくなった。

しかも銀座。

全国の土地の坪単価でもトップ5に入りそうな銀座で5000円。

気になっていくつかのサイトで初級講座の金額を調べてみたら、本気で破格値だとわかった。

私は自分のマニアックなホロスコープを見てて気付いたことだけれど、多分私のものは基礎だけを知ってるだけでは読み解けない。

「YODやブーメラン、アルプス型という複雑なアスペクト」と先生は一発で見抜いてくれたけれど、これ本当にきちんと見ないとわからないし、特にアルプス型はほとんどネットでは取り上げられていない。
(特殊すぎるのか、書籍での取り扱いは皆無)

取り上げられていないし、さらには他の形との複合型なんてそもそもあまりないのか、一度も見たことがない。

だから私の場合は、YOD(ヨード)ならYOD、ブーメランならブーメラン、アルプス型ならアルプス型とそれぞれ読み解くしかなかった。

しかもそれぞれが異常なほど難しい。

さらにはその3つを掛け合わせた時の読み解き方なんて、素人には完全にお手上げ状態だった。

今の私では、形はそれぞれわかったけれど、じゃあだから何?の部分は全くわからない。

そもそも特殊なものなのか、サンプルがとても少ない。

そしてサンプルを知ったところで自分のものとは違うから、そうなると解釈は全く違う。

「日の出の時間」がわかったとして、「じゃあ月の上る時間も同じね」とはならない、そんな風だからサンプルがわかっても自分のものはわからない。

わからないから、自分のヒントも当然まだ手にできていない。

だから相当な知識のある人でないと読み解けないのもなんとなくわかった。

だから、それだけの知識の人となると、もう一体そこに行くまでいくらかかるの?と思ってた。

私は別にホロスコープで食べてくつもりもプロの占星術師になるつもりもないから、そんなに高度なことまで知り尽くさなくてもいい。

だけど、そういう部分はそういう部分でピンポイントで知りたい。

ただ、ワンツーステップとは行かなさそうだったし、さらにそれを読み解けるプロの人もかなり少ない風に見て取れた。

だからこそ、そんなすごい条件をいくつも満たした先生にきちんと引き合わせてもらえたのは、ものすごい幸運なことだった。

しかもこの先生の素晴らしいところは、その特殊なものがある故の人生でマイナスに働きやすいところを言うだけではなく、それに対してプラスに使えることも示唆してくれてる。

私は調べてる最中に、ホロスコープの2チャンネルみたいなのに行き着いた時があった。

それは2チャンネルと言うよりも、YOD持ちの個人たちがそれ故と思われる生きづらさをお互いに言い合うみたいなサイトだった。

全て匿名だから性別はわからなかったけれど、話の論調からして男性が圧倒的に多かったと思う(本当にそうなら、ホロスコープを知ってる男性たちがたくさんいるということで意外だった)。

私は自分を知る手かがりが欲しくて、何十人の投稿をひたすら読んだ。

その人たちの言ってることは自分にも当てはまってるから、その気持ちはわからなくもなかった。

だけど、私はそのサイトを途中で見るのをやめて、それ以降一度も見ていない。

なぜなら、そこには生きづらさはたくさん書かれていても、その活かし方には誰も触れてなかったから。

だから読んでても全く癒されない。

むしろ、そのせいで人生が大変と言わんばかりで余計としんどい。

私は生きづらいのは十分にわかったから、それじゃなくてその良い面を知りたかった。

そういう設定ならそれをあきらめて受け入れるしかない。

そしてそれがあるのは何もマイナスな意味だけじゃなくて、それが反対のプラスの面もあって与えられてるものだと私は思っているから、だからそういうスタンスの先生を探してた。

知識一辺倒ではダメ。

なぜなら知識だけだと私のものは決して良い風に言われないのはわかってるから。

そこから必ず光を見せてくれる、打開策を考えてくれる、そういう人格者みたいな先生が良かった。

と妄想のようなことを考えてたら、本当にピッタリな先生がやってきた。

完全な初心者で何の知識も何のコネもないのに、こんなにピッタリな先生の元で学べるだなんて凄すぎる。

おこがましいことを言うと。

これは私の経験則からわかったこと。

スピリチュアル的な何か技法や知識を学ぶ時、私はその道の本物の先生や師にあたる。

今空前の癒しやスピリチュアルブームになっているけれど、その中で本当に精通してる本物は数少ない。

スピリチュアル業界全体の1割と言われてるぐらい。

だから怪しい人や怪しい団体、詐欺まがいのことをする人や他人の人生を狂わす人が後を絶たない。

そんな業界の中で、私は当初から本当にきちんとした人たちに当たってきた。

ホロスコープに関しても全くのバックグラウンドがないにも関わらず、これだけピッタリな先生に行き着くわけだから、本当に凄すぎる。

話がまたそれた。

とにかく夢の国みたいな旅に今から胸が躍っている。

今から24時間後には確実に都内にいて、何かしらの夢の国のアトラクションに参加している。

さっき明日履いていく真っ白のスニーカーを洗った。

ザブザブと洗って、陽のよくあたる窓の前に置いて天日干し中。

ちなみに今の最大の悩みは、明日どの傘を持って行くかということ。

明日は雨。

何十軒と探して見つけたお気に入りの傘がある。

その傘で銀座を歩くのはとても洒落ているし、テンションも上がる。

だけど、中途半端に曇っていると、私は傘をどこかに置き忘れる可能性が高い。

どの傘を持ち歩くのかが今1番の悩み。

夢の国に相応しい贅沢な悩みだなと思ってる。

2018年5月21日月曜日

ホロスコープのくじを当てる!

ペンジュラムとの対話。

「この講座に私行く?」

(ブルンブルン時計回り=YES)

「満席だけど、キャンセル出るってこと?」

(ブルンブルン時計回り=YES)

17日から今日20日にかけて、約4日に渡って何十回とペンジュラムに聞いた。

元を辿るとこうだった。

ホロスコープの講座はどこか適当なタイミングで受けようとは思っていた。

マニアックなことを調べれば調べるほど、基礎がないと厳しいということがわかってきたから。

私はホロスコープをマスターして占い師になるなんてのは全く考えてなくて、でもある1つの目的のためにはホロスコープがツールとして大活躍してくれるとわかって、それでその部分だけは極めたいと思ってる。
(何に使うかはおいおいここでも話そうと思う)

でもそうするにしても、やっぱり基礎は外せない。

そんな風に考えてたところ、すごい知識豊富でわかりやすい解説をされる方がある初級講座を紹介していた。

その方が太鼓判を押す先生の初級講座、とてもいいですよと紹介されてた。

5月23日開催。

行きたい!と思った。

とりあえず案内のページに飛んだ。

満席だったところ、1名だけ再募集がかかっていた。

これ行けそう!と思ったのに、申し込もうとページを辿っていたら、その間に満席に変わってた。

うっそー⁉︎と思った。

いやいやいや、少し前までキャンセルでひと枠だけ空いてたのに…。

それからの私はひたすら数時間おきにキャンセルをチェックするという、スストーカーのようなことを始めた。

そんなことをかれこれ4日も続けてた。

3日前の今日、そろそろキャンセルが出てもいい頃なのに出ない。

ペンジュラムは相変わらず行くと言うけれど、ほんとか⁉︎と思いながら、グルグルと回るペンジュラムを見ていた。

途中からは、本当に行く必要があれば行けると思うようになった。

行けなければ行けないで、それは行かなくていいという意味なんだろうと解釈した。

今日(5/20)の16時過ぎ。

相変わらず空席は出ない。

しかもキャンセルによる追加募集は、講師の先生の個人のブログでしか募集はかけないみたいだった。

そこは全く更新されない。

ふと思い立って、講座の案内ページを見に行った(開催ルームの専用ホームページ)。

そちらも「満席」とある。

スクロールして講座内容を見ると「1名様募集」とあった。

あれ、どうだったかな…と思った。

最初見つけた時もそうなっていて、だけどすぐに満席になって「満席」と書き換えられた気がする。

でももう3日前の記憶で、定かじゃない。

もしかしたらホームページの管理者の書き換え忘れかもしれない。

少なくとも講師の先生のブログは「満席」のまま。

キャンセルポリシーを読むと、3日前からはキャンセル料も発生する。

ここでキャンセルが出てないとなれば満席が正解かもしれない。

でももし1名様募集が当たりとするならば、すぐにでも申し込みたい。

ごちゃごちゃ考えてるのも面倒になってきて、その「1名様募集」の部分のスクリーンショットを撮って、それで管理者の方に直接問い合わせることにした。

(スクリーンショットは、私の中で一番iPhoneを使いこなせてる!と思う技…)

祈るような気持ちで、そして申込時に必要な情報もちゃっかり全て書いて、それでもしまだ募集中ならば参加希望と書いて送った。

1時間もしないうちに管理者の方から返信が来た!

細かなことは書いてなかったからわからないけれど、キャンセルが出たのかとにかく私も参加できるようになった!

狂喜乱舞した。

ペンジュラムを半分疑ってたくせに、ペンジュラム大当たり‼︎とまた調子良くペンジュラムを崇めた。

ペンジュラムがドラえもんと言うよりも、私がのびたみたいだといつも思う。

そこからの私は早かった。

今回の開催場所は、東京銀座!

銀座で占星術のレッスンを受けるなんて、なんてハイソな感じなんだろう。

「ハイソ」って「ハイソサエティ」の略⁉︎

「はいそ」と打ったら「ハイソ」以外は変な漢字ばかりで、初めてカタカナで書く言葉だと今知った。

High society …銀座なんてまさにハイソサエティ!

ハイソはいいけれど、ニートは新幹線代を気前良く払える懐事情ではないから、速攻でバスの予約をした。

実は今回行こうと思えた理由の一つに、交通費がある。

最初、東京開催を見て、交通費の具合を見てから考えようと思った。

なぜなら6回(月1回)通うとなったら、そこにプラスして交通費…となると、同じ金額かそれ以下でマンツーマンでレッスンしてくれる人も見つけたから、交通費を見て考えようと思った。

で、高速バスのサイトを開いた。

片道1500円!

えっ⁉︎と思った。

私は20代の頃、結局退学した通信教育のスクーリングで東京に年に数回通っていたから、バス代も往復1万円前後だったと記憶している。

それでも新幹線代よりうんと安いから、バスで通ってた。

それが1500円⁉︎

往復3000円。

近県から通う人よりも安いかもしれない。

しかも、私はそのバスを実はこの数ヶ月前からかなりな頻度で見かけていた。

ずっと何のバスなんだろう?と思ってたら、まさかの高速バス。

私は勝手に、バスツアー系のバスだとばかり思ってた。

だから格安は格安でも信用できそうなところだったことも大きかった。

それが決め手となって、だからしつこいぐらいにキャンセルが出ないかを確認してた。

で、今度はバス予約でつまずいた。

昨日、iPhoneは月の容量を超えて速度制限がかかった。

(Wi-Fiの申込は調べてるうちに訳わからなくなって放置プレイ。次に気が向いた時に申し込むことにしてすでに2週間は経過…)

速度が遅過ぎて、申込画面の途中でフリーズする。

だから肝心の申込ができない。

それまで1日パジャマみたいな格好でいたくせに、突然着替えてささっと髪や顔も整えて、日が暮れる前に出かけた。

Wi-Fiを確実に使える場所(片道12〜13キロ)に行くことにした。

車を運転しながら、今回のこの一連の流れを振り返ってみた。

出かけたついでに墓参りもした。

私は生粋の占星術はしないけれど、占星術のある1つのことに特化したところはかなり掘り下げていくと思ってる。

私の読みが外れてなければ、相当使えるはずだと思う。

そして、まだ知らないだけかもしれないけれど、私が着目してるところは、日本でもしてる人が多分そんなにいない。

ある意味画期的と言えば画期的な切り口だと思う。

そしてそれを本当にサービスとして今後提供するとするなら、それは私に役立つと言うよりも関わる人たちにものすごく役立つ。

そこまで今なんとなくだけど構想みたいなのがある。

で、ここからは私の独断と偏見による解釈。

ホロスコープに関して言えば、やたらと道具も情報もとてもタイムリーに与えられる。

そしてやたらと割引が効いたり、お得な感じのことが毎回と言っていいほど重なる。

しかも欲しい情報にドンピシャで当たる率がやけに高い。

これは、今までの様々な調べ物と比べても、群を抜いて高い。

恐らくだけど、ホロスコープは今は私のために色々学んでいるけれど、これは多分他の人たちにも役立つ予定があるからここまでの強運を発揮してるんじゃないかと思う。

例えば昨日も、ようやく県立図書館経由で予約していたホロスコープの本たちが届いたから取りに行った。

4冊新潟市の図書館から取り寄せてもらって、そのどれもが本当に必要な情報ばかりだった。

しかもそのうちの1冊は絶版の本。

絶版の本こそすごくわかりやすくて良い本なのに、何で絶版なのか意味がわからなかった。

それはそうと、その本たちのうち2冊は、新しい手法のホロスコープの読み解き方。

今愛用している高級ノートに書くのは、情報が混ざって嫌だなと思った。

そこで私は、その新しい手法専用に新たにノートを買うことにした。

帰り道、3軒のTSUTAYAとこの間見つけたお気に入りの文房具屋に寄った。

気に入るノートがなかった。

妥協して買うことも考えたけれど、長く使うことになるからそれは嫌だった。

3軒目のTSUTAYA(=4軒目の文房具売場)にないとわかった時、ペンジュラムに「家に帰らず、もう1軒別のTSUTAYAに行く?」と聞いた。

ペンジュラムはYESと言った。

130キロは運転したから、もう帰りたかった。

ペンジュラムに「帰っても問題ないかな?」と聞いた。

スーパーNOが出た。

たかが10キロでももう余計に運転するのが嫌だった。

だって同じ距離を走れば家に着く。

それをわざわざ行くの?と思った。

そのTSUTAYAに行くことで10キロの運転が25キロの運転に増える。

でも何回聞いてもペンジュラムはYES。

堪忍して、曲がるところで曲がらず、さらに国道をまっすぐに走ることにした。

TSUTAYAに着いたら、その店には欲しいノートがあった。

ただ、非常に腹立たしいことに、そのノート、表紙にボールペンで落書きがしてあった。

でもそれはラスト1冊で他にはない。

色々考えてるうちに、このノート、多分その落書きのせいで誰も買わないだろうなと思った。

それならこれも何かの縁と思って持ち帰ってはどうかなと思った。

しかも落書きもそこにプラスして絵なり文字を書けばわからなくなる。

それも楽しいかもしれないと思った。

迷ったけれど、もう買う!と決めた。

レジに移動する途中、やたらと「100円クーポン」ののぼりが出ていた。

私は先月アプリ登録でクーポンをもらったから対象外だと思った。

だけどそののぼりのすぐ近くの商品を見た時によくよく見ると、3日間限定クーポンでアプリを持っていれば使えるみたいな言い方になってた。

まさかと思ってアプリを起動したら、なんとクーポンが使える。

240円のノートに対して100円引きなら、半額に近い。

私はそれで一気に嬉しくなった。

割引のことが嬉しくなって、もはや落書きもどうでも良くなった。

他の3軒のTSUTAYAに行ったからわかった。

そのクーポンはその買った店独自の限定サービスだったこと。

ペンジュラムはだから行くように言ったんだとわかった。

しかも買ったノートは他の4軒には置いてない代物だった。

こんな風にして、ホロスコープ関連のものは私の手元にやってくる。

だからホロスコープを学ぶための色々なラッキーなことたちは、私のためだけじゃなくその先の何かに大きく関わってくるからここまでの幸運ぶりを発揮してる気がする。

講師の先生から直接メールをいただいた。

想像以上に素晴らしい先生で今から講座がとても楽しみ。

先生からの別途連絡メールで、講座当日、小テストがあるとわかった。

今さらながら、星座や天体の記号を都度都度ノートに書いておいて良かったと思った。

それがちょうどテスト範囲。

怪しいところもいくつかあるから、これから2日かけね楽しく復習する。

『今回は12星座にまつわる上記3点をきちんと記憶できているか、個々の状況を見るためのテストですので、間違えても大丈夫ですが、なるべく全問正解を目指して復習してきて下さいね(*^o^*)』

先生もこんな風で、私は人生で初めて「テスト勉強がんばろう!」って思えた。

そして勉強する内容も自分のためになるとわかるから、多分楽しくやれるはず。

こんなにも楽しい勉強は初めてで、それだけでも感動する。

しかも大人になってからこんなにも勉強が楽しく感じるだなんて、奇跡。

私はためにはなっても楽しくない勉強はたくさんしてきたからわかる。

そんなこんなで、急遽トントン拍子に決まったホロスコープの講座in銀座。

23日が楽しみで仕方ない♪

2018年5月20日日曜日

名古屋メモリーズ③ コーチングに初めて出逢った日

『名古屋メモリーズ③ コーチングに初めて出逢った日』と題して、当時mixiに当日アップした内容をそのまま転記。

コーチングの説明会に行くまでの出来事は途中まで書いて、パソコンのデスクトップに保存中。

順不同だけど、こちらを先にアップ。
(単に今日は書く気分ではなかったから、下書き保存のこちらを先にアップすることに)



『目からウロコ ネガティブな感情』
2010年8月8日

「コーチング」という名の説明会に出かけてきた。

いつぞやに仕事で必要な資料をコピーするために仕事の帰り、ネットカフェに夜の11時過ぎに出かけた。
(当時はまだ家のネット工事の予約待ちでネットが繋がっていなかった)。

仕事でくたくた、とにかく一刻も早く資料をコピーして帰りたく、 相変わらずテンションは下がりっぱなし。

と、そんな時たまたま見かけた宣伝をクリック。
それが「コーチング」だった。

一瞬(=1分程度)見て、面白そうと思って、そのまま無料説明会に申込み。

数週間の時を経て今日行って来た。

自分で言うのもなんだけど、ああいう一瞬のひらめき、 私の場合すごいものに遭遇する可能性がとっても高い!

今日も色んな意味で目からうろこの体験ばっかりだった。

その中でも二つのすごい発見。

「人がいたらどんな風にも生きていける」

これ、どこかの名言みたいだけど、私の口からぽろりと出た言葉。

私にとって一番大切なものは何か?だったかな?
たしかそんなことを聞かれたかと思うんだけど、それがその時の私の答え。

私の紆余曲折無計画人生の一部を話して、 私には何の一貫性もなさそうに見える我が人生。

今日私の相手をしてくれた方は「人」こそが私の中で一本の道筋になっていて、 それを伝えたくて伝えたくてうずうずしているとの見解を示してくれた。

その人と話していくうちに、いかに自分がどんな逆境に立たされても「人と繋がりたい」と切に願っているのかに気付かされた。

当然、人と関わるという事は、
裏切られる事も
落とされる事も
そこから逃げ出したくなるような事も
そういうものもついてまわるのに、
私の場合はなぜかマイナスな経験すらも自分の心の奥底にある「人」との関わりを求めてそこにとどまる性質がある。

自分でも変なの~と思うけど、 言われてみれば、 たしかに裏切られてもう嫌だから人とは関わらないとかという風には今まで一度も思ったことが無いなと気付いた。

そしてもう一つの気付き。

「ネガティブな感情」

去年の11月末に今の仕事に就いてからずっと私に付きまとっているこのネガティブさ。

4度退職願を出し、
それでもなぜか居残り、
自分でもいい加減嫌だと思い、
とにかく来年の春は晴れて退職!と日々自分に言い聞かせながら 毎日このネガティブさんと付き合っている。
というか格闘している。

そんな話をした後に今日言われたこと。

「ネガティブな感情を持つという事は、 他のことがやりたいというサインを自分で自分に送っているという証し。
ネガティブなものも必要があって生じる」

言われてみればまさにそう!

今やってること絶対違う。

とにかくやりたくない。

なぜこれを選んだのか何度悔やんだかわからない。

でも人相手の商売だから、 途中で投げることを誰よりも私自身が良しとしていない。

私じゃなくても出来る仕事なのは百も承知。

けど、途中で投げたらさすがに子どもたちに何となく申し訳ない。

偽善と言われようが申し訳ないものは申し訳ない。

だから区切りのいいところまで続けてそれでやめようとずっと思ってる。

そういうぐるぐるな感情を一気に簡潔に見抜いてもらって、ものすごい爽快感。

すごくプラスのパワーを名古屋のオフィス街のビルの6階でもらってきた。

信号が変わるたびに動き出す車たちを横目に見ながら、
全然自然に触れていないのに
不思議とナチュラルヒーリングとやらに導かれた感じ。

ということで、これから何回に渡るかわからないけど、
コーチング受講決定!

早速次の予約入れてきた。

考えてみれば。

今の仕事に就いたおかげで。

1、組織の中で働く事は無理。
2、今の仕事は好きではない。
3、長時間の拘束と自由時間の激減が苦痛。
4、自分の好きなことを仕事にしたい。
5、どこにいても出来る仕事をしたい。
6、31歳、本気で今後の身の振り方を考える。

まだまだ続くけど、
そんなこんなの気付きのおかげで。

ぼんやりとですが、
私のいつかの目標は「起業」です。

自分のペースと自分の時間、そして自分が好きと思えること、
それらを全て融合させる一番の解決法は「起業」のような気が。

今日の方は家庭持ちで40歳になってからの転職、起業。

その方が言っていられた言葉。

「前は仕事が終わらなくて夜中をまわってもうどうにもこうにもならない状態だったけど、 今は好きなことをしてそれに夢中になって、そして気付いたら夜中をまわってる」

(それでもサラリーマンしていた頃よりもずっとずっと自分の時間、家族との時間が増えたって言ってた。
そして1ヶ月の長期休暇も取れてると。)

私もそうなりたい。

仕事が終わらなくて
職場に泊り込んだり
休日に出たり
(今はもう100%やめた。
それで私以外の誰にも迷惑がかからないのなら、
別に今すぐしなくてもいいと思えるようになったから)
そういう日々とは決別したい。

そして好きなことして気付いたら「もうこんな時間!」となっていたい。
手芸で針を進めるように、
夢中になってそれで時間が過ぎてた!という環境に身を置きたい。

これから手探りで探していく。
ただずっと怖いだけのここ数ヶ月間のネガティブさんに比べたら
今はわくわくしている。
漠然とだけど、先を想像するのが何となく楽しい。

ちょっとずつ前に進めそう。

そんな予感がした今日。

ドミニカから帰ってきて初めて息を吹き返したような感じ♪



【追記 2018/05/20】
文中に「資料」とかかっこよく言ってるけど、必要だったのはたった1枚の仕事の某イベントの会場までの地図…。

たった1枚の地図のためにネットカフェとかあり得ないと思いながら行ったら、コーチングの説明会の存在を知った。

2010年8月8日、そこが私の今いる場所に辿り着くための入口だったと言ってもいい。

そこからまた8年かけて今の場所に辿り着いた。

8年の間に起業的なこともしなかったわけじゃない。

だけど、当時はどうして進まなかったのか自分でも今ならよくわかる。

私がこの8年の間で体験したことたちは、9割の人にはドン引きされる。

理解は基本してもらえない。

理解してもらえないならまだしも「何やってるの?何で始めなかったの?何か形にしなかったの?正社員とか考えなかったの?」とかいうような質問は浴びるほどに受けた。

色んな人たちからの軽蔑的な視線も気持ちも本当に感じてた(色々言われたことも多々あった)。

だけど、私は今だからはっきりとわかる。

私がしたこの8年の体験は、私の人生の中で絶対的に必要な体験だったこと。

これらの体験が周りの人にも理解されるのは、私がそれを活かしてからだと思う。

それまではまだしばらく、言われて嬉しくないことは言われてしまうかもと思う。

でも今はその体験によって得たものが計り知れないぐらいに凄いものだと気付いたから、言われても前とはまた違う風に受け止められる気がする。

周りから大非難を浴びた体験たちは、私の財産になってる。

私にはそれがわかっていて、そしてそれぐらいに貴重な体験を自分の人生の中で手に入れられたとわかっているから、だから揺らがずに済む。

自分以外の誰かの価値観じゃなくて、自分だけの価値観の中でそれを今私にできる最大の自己肯定感で受け止められるようになったから大丈夫。

偉そうに言うと、
【自分が一番価値のないと思ってる自分に対して、それでも大丈夫だよ、と言ってあげられること】
それが最大のターニングポイントだった。

私はそれをするためにこの8年があったと言ってもいいぐらい。

他の人はわからないけれど、私には一番人生で難しい課題だった。

なぜなら、私こそ、何かしてなければ自分は価値のない人間だと思い込んでたから。

30歳になるまでは、何かをすることで、外側から自分の価値観を高めることをしてた。

それが当たり前だと思ってたし、実際にそうできてたから、そうやって人生は作り出すものだと思い込んでた。

そんな20代とは真逆の体験をしたのが30代だった。

私は30代で失うものの方が多かった。

むしろ世間的に歓迎されるものは1つとして手にできなかった。

キャリアも結婚も子どもも家やお金というような財も何1つ築けなかった。

でも私は引き算のような人生を送って良かったと思ってる。

もし私が上に書いたようなことを手にできてたとしたら、反対に人生の後半はもっともっと大変になってたと思う。

足し算の人生を生きたとしても、私の場合は根深い自己否定が根底に強烈にあったから、いつかは動けなくなったと思う。

社会的に評価されるものがないとダメなんて思って生き続けてたら、私は多分メンタルをかなりやられたと思う。

もしくは、メンタルに出ずに体の病気として出たか。

そしてこれは私個人の感想だけど、自分の築いたものがでかければでかいほど、ダメージも大きくなったと思う。

そういう意味で、30代で引き算の人生を送ったことは、人生長い目で見たら、本当に今で良かったと思う。

私は自分がそんなにも自己否定しまくってるなんて、少なくともコーチングの説明会の時には全く気付いてなかった。

何年もかけて自分の内面を見て、そしてようやくわかってきたことだった。

今だって自己否定は普通にする。

でも、してもその後セルフケアできるようになった。

そして、自分のそれらの体験とそして1つ1つの細かなプロセスが全て必要なものだったと気付いたのは、この4月から自分のホロスコープを読み解き始めてから。

そして、その経験がこれから先の私を支える。

色んな角度で支えてくれる。


あまりにも気まぐれな名古屋シリーズだけど、これは時間かけてでも自分の備忘録として完成させたい。

2018年5月19日土曜日

I miss you

(かつては)悲しみは、人間がこの世で感じ得るもっとも高貴な営みの一つでした。(10)


手紙はときに、何の前ぶれもなくやってきます。(11)


愛してそして死なれた人は、
愛したことのない人よりも、どんなに幸福かしれない……

18世紀イギリスの詩人 テニスン


自分にとって大切な言葉に出会うとは、見えないお守りを身につけるようなものかもしれない。
それは危機にあるときよみがえってきてぼくらを助けてくれる。(126)


魂はいつも、つながりを求めている。
(139)


幸せを感じた人は、確かに生きているということを、頭で分かるんじゃなくて全身で実感する。(145)


【あとがきより】
人間が、この世に残すことのできる、もっとも貴いものの一つはコトバである。
コトバは生きている。

語られることだけがコトバなのではない。
悲しむ者の横にあって、黙って寄り添う行為は、ときに励ましの言葉をかけるよりもずっと深く、また確実にこころに呼びかける。
沈黙の行いもコトバである。
まなざしすらコトバになるだろう。

書くとは、無形のコトバを文字に刻むことである。

(中略)

受けとる者がいなければ、手紙を書くことはできない。
だが、受けとる相手さえいれば手紙を書くことができる。
自分にとって、真実の意味で生きていると感じられるものに人は、手紙を書き送ることができる。

私たちのこころのなかで生きているものたちに向って手紙を書こう。
人はいつかこの世を去らなくてはならない。

書くとは、必要とする者にコトバを届けることなのである。
書かれた言葉が、真にいのちを帯びるのは読まれたときなのである。


『君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた』
若松 英輔



借りてた図書で、読めなかったから、返す前に斜め読みして目に飛び込んできた言葉だけを拾った。

私は最初の言葉だけを気に入ってその本は借りてきた。

最初以外は、昨日の夜慌ててサラサラっと見て言葉を拾った。

確かに『手紙を書いた』とタイトルにあるけれど、これほどまでに手紙の話をする本だとは思わなかった。

私が拾った言葉は、どれもこれもある1人の人に宛てた手紙にまつわる風景とリンクしていた。

だから、本の中の言葉が単なる言葉じゃなくて、何か別のものを私に伝えようとしてる風に見えた。


手紙を突然渡された時、相手の目にはどんな風に映っていたのかなと思った。

確かに何の前ぶれも相手にはなかっただろう。

私の手元を離れた紙のかたまりは、本当にただのかたまりだったのかもしれない。

自分の言葉ではあっても、書いている間見えない何かに守られていた、今思い出すとそう思う。

あの後からも20通ぐらい、必要に応じて色んな人たちに手紙を書いた。

けど、今振り返るまで忘れてた。

私の書いた手紙は、あの時のあの手紙のまま止まってた。

あんな風に激情を伴って書いてないから、その時ばかりのことがやたらとクローズアップされる。

今だから言える。

本当は知りたかった。

相手がそれを見て読んで何を思ったのか知りたかった。


ふと過去のアンケートを思い出した。

友達の企画するイベントにお手伝いで参加した。

手伝うのは構わなかったし、企画した数人の中に2人友達もいて、2人とも普段からとてもよくしてくれてるから、頼まれた時二つ返事で手伝いを買って出た。

開けて見たらものすごく大変で、手伝いの範疇を超える状況だった。

私の手伝いの部門は別の子が取り仕切っていて、私はとうとう声を荒げて怒った時があった。

私がそこまで誰かに噛み付くのも珍しかった(心の中でたくさん噛み付いても、基本外には出さない)。

イベントが終わって全体で反省会があった時のこと。

その時に次に繋げるためアンケートを書いて欲しいということで、全員にその場でアンケート用紙が配られた。

言いたいことも思ったこともたくさんあったけれど、私は自分の名前以外、全部白紙で出した。

当時の気持ちはもう綺麗さっぱり忘れたけれど(ちなみに今でもその2人の友達とは仲良くしている)、私はものすごく強い意志を持って白紙にした。

これは後日そのうちの1人Cから聞いた話。

もう1人の友達Eちゃんは、私のアンケート用紙を見た瞬間、「ぶっしー、ふざけてる」と言って怒ったらしい。

何で何も書かないのか、そんなの見る価値がないと言って、すぐに次のアンケート用紙に移ろうとしたらしい。

そうしたらCが、それを全力で止めて言ってくれた。

「ねぇ、確かにぶっしーは白紙で出してきたけれど。
それって真っ白であること、わざと何も書かなかったことにぶっしーの意思があると思わない?
こんな風にしてまでぶっしーが何を伝えようとしてきたのか、その意味を考えようよ」

そんなやり取りがあった、と後からCと2人でお酒を飲んだ時に教えてもらった。

アンケートと手紙は全く別物だけれど、今になってあの沈黙の意味を、何も反応がなかったその本当の意味を知りたい、と思った。

「反応しない」という反応が、何を本当は意味してたのかは私にはわからない。

だけど、あそこまでの徹底ぶりは、本当に迷惑万来で嫌でたまらなかったか、そうではない何かがあったのか。

そんなの本人じゃないから私にはわからないけれど、あの沈黙には私にはわからない理由があったことだけは確か。

昨日のブログを書いてた時、思い出してた。

コピー機の前に立ってた時間を。

私は変な癖があって、コピー機でもキャビネットの中の探し物でも、誰かとかち合うのが嫌で、そうなりそうな時は毎回わざとタイミングをずらしてた。

その人はそんなにたくさんコピー機を使うわけでもなかったし、キャビネットの前にも私ほど毎日何回も行き来することはなかった。

だけど、どういうわけか、その人がコピー機を使うタイミングは私の使いたいタイミングとかなりな確率でかち合ってた(だからわざといつもずらした)。

キャビネットについて言えば、いくつもキャビネットがあるにも関わらず、ピンポイントで私が今必要な資料を納めてるキャビネットの前にいたり、場合によってはどっかりと腰を下ろされて探し物までしてる時も何度もあった。

それが1回や2回じゃない。

他の人とはそんなにかち合うことはなかったけれど、その人とは異常なほどの回数でかち合ってた。

何でこうもタイミングが合うかな…と思ったことも何回もある。

タイミングが合ってるのは嬉しいことではあったけれど、毎回葛藤もものすごい生み出してた。

今行けばすごく近くになれるし、「すみません、少しいいですか?」ぐらいの会話も交わせるというのはわかってた。

そうしたい気持ちもあった。

だけど、恥ずかしい方が勝っていて、しかも私の中ではあまり近付いてはいけないみたいな気持ちもあって、私は近寄ろうとしなかった。

だから私は毎回毎回ずらした。

本当は近寄りたいくせして、ずらした。

反対に私がコピー機を占領してる時にその人が自分のコピーした書類を取りに来ることもあった。

私は背中を向けてるから、来る直前まで誰が来てるのかはいつもわからなかった。

そんなのは何回でもなかったけれど、その不意打ちにやって来た時、いつも私はもうこれ以上ないぐらいに心臓がバクバクしてた。

本気で心臓のバクバクする音が外に漏れてんじゃないかと心配になるほどだった。

近くに行きたいのに行くのが恥ずかしかったり怖かったり、反対に不意打ちで近くに来られるとものすごくドキドキしたりして、とにかく毎回色んな気持ちが勝手に湧き上がってた。

あんなに近くにいた日々が幻のように思う時がある。

私は下書きした手紙を今も手元に残してる。

下書きは下書きだけあって、すごく汚い。

付け足したり消したり言葉を変えたりと、かなりグチャグチャになってる。

どこの何の原稿ですか?と言わんばかりの様相になってる。

私はこの手紙を捨てるつもりはない。

返事も何も聞けなかった手紙だけれど、死ぬまで記憶に残るんじゃないかと思うものだから。

記憶というよりも思い出に残る。

手紙を書いた時は、普段の恥ずかしいとか怖いとかその他色んな気持ちを超えて、もっと純粋に真っ直ぐにただただ文字を綴ってた。

伝わらないことだけは避けたかった。

受けとる受け取らないは私が決められなくても、伝える伝えないの部分は私に与えられた選択肢だった。

せめて伝えよう。

もう生涯で今だけ。

それだけは思った。

ものすごい強い衝動だった。

「伝えたい」を超えて「伝えなきゃ」という気持ちだった。

相手の反応を考えるよりも自分の気持ちが前に出過ぎていてどうにも止められなかった。


『書くとは、必要とする者にコトバを届けることなのである。
書かれた言葉が、真にいのちを帯びるのは読まれたときなのである。』


相手が言葉を必要としてた、とは考えにくい。

棚からぼたもちならいいけれど、相手にしたら、不要というか無用というか余計・邪魔なものを勝手に渡された、と思う。

さすがに何も目を通してないとは思わないから、それが名前だけでもいい、
そこに目が通されていのちを帯びたとするなら、御の字だと思う。

読んだのか読まなかったのかはもちろんわからない。

今もわからない。

だけど、私は「読まれる」に賭けた。

自分の衝動も凄かったから、書く必要が少なくとも私にはあった。

手紙を書こうと決めてから実際に書いたものを渡すまで、ペンジュラムにもいくつか質問をした。

私はこの2年間で、ペンジュラムに非常にくだらない質問から自分の人生の大局にかかるような質問まで色々してきた。

そんな中、時々ペンジュラムは神がかり的な答えを見せてくることがある。

神がかり的な答えの時は、もうそうでなければいけない時。

絶対に間違えてはいけない、タイミングも一瞬としてズレてはいけない、そういうものに限定される。

当時も鳥肌モノではあったけれど、あれから半年以上経過した今、ペンジュラムが見せてきた答えは絶対的なものだったことがより一層わかった。

あの時、ペンジュラムは手紙を書く私の背中を押した。

「書かない」と言ったら、猛反対するかのように激しくNOを出してきた。

渡すタイミングもペンジュラムが教えてくれた。

ペンジュラムさん、何言ってんの⁉︎と思うぐらいに絶対にあり得ない日時を指定してきたけれど、実際にペンジュラムの言った通りのタイミングになった。

渡す直前、私はペンジュラムにお願いした、本当に渡して大丈夫なら「大丈夫」ってわかるサインを見せてって。

その日が実質3回目の墓参りだった。

初回が手紙を下書きした日。

2回目が手紙を清書した日。

そして3回目が手紙を渡した日の朝だった。

墓参りの動機は、この手紙と言っても良かった。

もう普通に考えて物事が良い方向に行くとは思えなかったから、私は願掛けのために墓参りを始めた。

3回目の墓参りだった日の朝、墓参りを終えてから職場に向かった。

墓場でもとにかく手紙を無事に渡せるよう、ひたすら祈った。

ペンジュラムは大丈夫と言ってたけれど、私は全く信じてなかった。

そして不安ばかりだった私は「大丈夫ならサインを見せて」とお願いした。

まだ迷ってたところもあったから。

本当に渡すの⁇みたいな気持ちもなかったわけじゃない。

だから、サインを見せてと無茶ぶりなお願いをした。

サインがなければ手紙は取り下げてもいいのかも…と往生際の悪いこともまだ考えていた。

墓をあとにして5分もしない頃、目の前に大きな看板が現れた。

本気で驚いた。

それは本人の苗字が大きく書かれた看板だった。

墓参りに行かなければ、絶対に通らない道だった。

そしてペンジュラムが予告した通り、私はすごい一瞬のタイミングを手にして手紙を渡した、というより一方的に押し付けてきた。

ありえないことばかりが幾つも重なって、そして現実となった。

見事なタイミングに「大丈夫だから、絶対に大丈夫だから」と言わんばかりのサイン。

その他にも細かいことが幾つも幾つも重なっていて、全部を通じて「神がかっていた」。

だから、私はあそこまでの物事の完璧な動きを見て、手紙は「読まれた」と思った。

渡す必要のあった手紙だったんだと思ってる。

もっと言えば、書く必要があった手紙だったんだと思う。

そして、読まれるようになっていたんじゃないかなと思う。

でなければ、あそこまで神がかり的な一連の流れを私が見るわけもない。

多分、私がその人に向けて書く必要があったように、その人もそれを読む必要があったのかもしれない。



今日のタイトルは、今の自分の中から出てきた言葉。

ありふれた言葉でも、その言葉を私が向けてるのは、こんなに広い世の中で1人しかいない。

たったの1人だけ。

今でも届いて欲しいと思っている。

ここまで書く理由は、ただただ届いて欲しいから。

2018年5月18日金曜日

命にリスペクト

【注意喚起ーAttention please! 】
今日の記事は一部かなり過激な内容が含まれます。

「包丁振りかざす」とか出てきます←私はしてません。

読んで下さる方の心のケアなど不可能なので、気分を害しそうなら読まないことをものすごく強く勧めます。

過激なことを書きたいのではなく、みんなそれぞれ色々あるけれど、それでも生きてるってすごい!という結論に至ります、最後は。

だけど渦中は内容がハードで気分害するかもしれないので、各自ご自身で判断して読み進めて下さい。

どうぞよろしくお願いします。
武士俣 史子


【自分のルーツ】

自分のルーツを知らない…。

これってどんな感じなんだろう…と想像してもわからない。

昨日数ヶ月ぶりにピーくん(仮名)と思しき男性を見た。

ピーくんで多分間違いない。

ちなみに数ヶ月前に見かけた時も、多分ピーくんだろうと予想した。

私はその時室内にいて、ガラス張りのガラスの外側を見たら、ピーくんと思われる人がいた。

10年ぶりぐらいに見たから絶対とは言い切れなかったけれど、骨格や体の線、顔の感じがピーくんだった。

ピーくんは私が人生で出会った、一番喋らない人だった。

話す機能があるのに、それを使わないってこういう感じなんだとピーくんから学んだ。

普段声を出すとか、天気の話でもいいから言葉のキャッチボールをするとか、頭の中にあるものを口から音と言葉を使って出すとか、そんなこと考えない。

だけど、人生で出会った一番静かで寡黙だったピーくんと話す時は、それらを本当に意識させられた。

声を発するってすごいことだと感じた。

思ったことじゃなくても、心にも思ってないことでもいい、口にして相手に伝えるのって、そうするために意思が伴って初めてそうできるんだ、なんてピーくんに会うまで考えたこともなかった。

私はピーくんと10年以上前、数年ぶりに町でバッタリと出くわした日に交わした会話を覚えてる。

あれは会話とは呼ばない。

私が一方的に「声」を使って話しかけた。

ピーくんは声を使わず、言葉も使わず、私に返事をした。

ただただ私が聞いたことに「うん」と頭を縦に振って答える、それがピーくんと交わした最後の言葉だった。

ピーくんが私が引き止めても逃げなかった、というのが少なくとも嫌がられてはいないというサインだった(嫌ならすごい勢いで身を翻してその場からいなくなる)。

ピーくんは、障害者とか体の機能に問題があるとかじゃない。

そういう言葉以外でのコミュニケーションを得意とする人、と私は思ってる。

ピーくんは自分のルーツを知らない。

自分がどこから生まれてどこからやってきたのか、何も知らない。

だから、ピーくんが内にこもってあまり外に向かって言葉を発さないその気持ちも、わからないけれど想像はできる。

自分のルーツを知らないのに、今自分が生きてるってどんな気持ちなんだろう。

決して憐れむわけでも同情するわけでもない。

だけど、そういう人生ならピーくんのような感じになっても、そうなるだけの理由はあったと思う。

ピーくんとは一切話ができなかったわけじゃない。

もう覚えてないけれど、ピーくんの気分が乗ってる時は話をした。

きちんと声と言葉を使って、会話、対話をした。

ピーくんを見ていて、そんなことをあれこれ思い出してた。

思い出してるうちに、私は自分の20代と30代とで出会うタイプの人が大きく異なってることに初めて気付いた。

20代の頃は、会う人会う人ヘビーな背景を持つ人がものすごく多かった。

自分のルーツを知らないピーくんだけじゃない。

精神病(各種)
薬物中毒
アルコール依存症
本人が自殺未遂
親族が自殺
虐待
性同一性障害
エイズ
殺人事件

…と、本当にそんなのあれこれ見聞きしてどうするの?と言わんばかりのことを体験・経験してる人に、実にたくさん会った。

何の自慢にもならないけれど、大学の頃友達から電話がかかってきて、危ないから助けて、今すぐ来て!と言われて、徒歩2、3分の友達のアパートに別の友達と駆け付けたことがあった。

後にも先にも、目の前で包丁を振りかざしてる人を見たのは初めてだった。

もちろん、そんな人を止めに入ったのも初めてだった。

150㎝ぐらいしかない女の子の友達が、助けて!と電話をかけてきた元交際相手の男の子に包丁を突きつけようとしてた。

私もあの場で体験したからわかったけれど、ああいう理性が飛んでる時、人間の火事場の馬鹿力というのはとんでもなくて、私たち3人で止めても敵わないぐらいの凄い強い力だった。

誰が怪我してもおかしくない状況だった。

何とか止めた後、その女の子は精神病院の隔離病棟に入院した。

噂には聞いていたけれど、隔離病棟には何1つ本人は持ち込めないようになっていて、ボールペンやタオルですらアウトだった。

ボールペンが自分で首を刺す自殺の道具になるなんて、タオルが自分の首を絞める凶器に変わるだなんてその時初めて知った。

そんな過激な体験はそれ一度きりだったけれど、まぁとにかく20代の頃は本当に色んな人たちに会うようになっていたし、私も毎回よくぞ平然としてたなと今さらながらに感心する。

私の中には、相手のことと自分のことを分ける境界線みたいなのがあって、何を聞いても自分の気持ちはヤラれない不思議なメンタル力がある。

そしてそんなヘビーな話を聞いても、私はその直後に普通にご飯も食べられれば、ストンと眠りに就くこともできる、ある意味強靭な心を持っている。

30代は30代で、今度はまた違った意味で色んな人たちの話や生き様を聞くようになった。

30代で出会った人たちの特徴は、一見すると普通の人たちだということ。

その人たちと私とで何か大きな違いはない。

反対にあるとしたら私よりも何十倍もきちんと社会に適応して社会に貢献しているということ。

中には社会的立場が上というかしっかりしてる人もいた。

なんだけど、ひとたびその人たちが口を開くとそれはまたそれでヘビーな話が多かった。

20代の頃の通常にはあまり出会えないような背景を持ってる人たちにはあまり出会わなくなった代わりに、みんな大なり小なり、いや正しくは大なり大なりの色んなことを抱えているんだなとわかった。

その人たちが通過した過去や通過中の今には、ものすごく辛いものが含まれてたりする。

それは年齢や立場は関係ない。

みんな誰でも1つや2つ、墓場まで持って行くような苦い体験があるんだなとわかった。

そんなの本人が口を開かなきゃわからない。

その人たちが持つ強さやしなやかさ、優しさの裏にはそれとは真逆の体験があって、生きてるって本当にすごいなと何人もの人たちを見て思った。


冒頭のピーくんとの会話だったと思う。

かなりうろ覚えで、本当にあった会話なのかどうかは記憶の方は怪しい。

でもそんな気がするから、多分本当に交わしたんだと思う。

いつだったか、ピーくんは「自分の名前、けっこう好きなんだ」って私に話してくれたことがある。

この年になって、その言葉の深さをようやく知った。

昨日ピーくんを見て、初めてその言葉と他のことたちが1つの線として繋がった。

ピーくんは自分のルーツを知らない。

多分今も知らないままじゃないかと思う。

そのピーくんにとって、自分の名前というのは唯一自分のルーツを知る誰かが生まれた時にピーくんにプレゼントしたものなんだ、と思ったら、あの時にピーくんが「自分の名前、けっこう好きなんだ」と言った言葉にはどれだけの想いが込められていたのか計り知れない。

ピーくんから見えてる景色は、自分の前には誰もいなくて突然自分の命だけがある、突如出現する、そんな風なんだと思う。

何の繋がりも見えない、天涯孤独のような部分を一生抱えていく。

その中で名前というのが唯一ピーくんにしたら自分と自分のルーツを繋ぐ手がかりで証拠なんだと思う。

私はたまたまなのか、色んな人の色んな話を聞くことになった。

私はそんなにも話しやすい雰囲気を醸し出してるとは自分では思わない。

だけど話す人話す人、こちらから話して下さいなんてお願いしたことは一度としてないけれど、結構な確率で聞くことになる。

気付いたら超ヘビーな話を相手が何の前触れもなく始めてるのが大体いつものパターンで、心の準備や聞く準備はしたことがない。

だけど、多分唯一してることがあるとしたら、どの人のどんな話を聞いても、私はその人の命そのものはリスペクトしてる。

尊敬じゃなくてリスペクト。

何が違うのかはうまく言葉では言えないけれど、感覚的に違う。

みんな生きてるって、過去のもしくは今現在の色んな痛みや悲しみを抱えたままでも今生きているって本気ですごいと思う。

生きることに対して何だかんだとあきらめない、何であっても生き続けるという日々の無意識の選択によって支えられてる命、みんな尊いと思う。


包丁を振りかざしてた女の子を止めた時。

コピー機の前でピコピコと画面をタッチしてコピーしてた時。

目の前でその人の人生模様を聞いてた時。

その全ての時に私はいて、どの自分も自分かと思うと不思議な感じがする。

日々コピー機の前でピコピコしてた時、出てきた大量のコピー用紙をファイルに収めていた時、正直な気持ちは「自分はここで一体何をしているんだろう?」だった。

でもそんなこと本当は思わなくても良かったんじゃないかと思う。

確かに色んなことがぼやけていた時期ではあったけれど、それだからと言って自分を責める必要はなかった。

30代で私は傷付いた子どもよりも傷付いた大人とたくさん出会った。

今指折り数えたら、私は30代で7社計8の組織に勤めた。
(自分の名誉のために言うと、色んな理由で最初から期間の定まってる派遣6にバイト1だったから、気付いたらそんな数に上ってた。決して勝手に辞めたとかじゃない。)

30代最初の学習塾の仕事以外では子どもと関わることはなかったから、あとはみんな大人。

そして会社という組織だから、みんな普通に社会人をしている。

さすがに全員の人生模様なんて知らないけれど、縁あってお話できる関係の人たちからは本当に色んな話を聞いた。

逆に聞かなくても、見てるだけで「この人何かにものすごく傷付いてる」とわかる人もいた。

みんな色んなことがあっても生きている、それが一番すごいこと。

迷っても悩んでも苦しんでも生きている。

傷付いてることに本人が気付いてなくても、普通に1日を送る。

その全てが尊い。

昨日自分のルーツを知らずに生きてるピーくんを見て、余計とそう思った。

非常に誤解を生みそうな話だけれど、これは私の考えとして書いておきたい。

傷付いた大人たちを見てこれは感じたこと。

傷や苦しみや辛さについて、深さや程度は関係ないと思ってる。

「ちょっとからかわれた」のと「人格を否定するようなことを言われたこと」は違う。

どう考えても前者より後者の方がヘビーだと思う。

だけど、受け止め方は人それぞれで、前者の場合でも深く傷付く人は傷付くし、後者の場合でもそれをバネに強く生きてる人もいる。

そんな時、ついつい自分のものさしで相手を測ってしまいがちだけど、私はそれはしちゃいけないと思ってる。

ちなみに私が人生の中で一番傷付いて自分1人だけでは傷を抱えきれないと感じた人は、自分の親が自殺した人でも、アルコール依存症とか統合失調症とかの精神病の人でもなく、異性関係での破綻を迎えた男性だった。

社会的にはとても地位の高い方で、人柄もとても素晴らしい人だった。

ピーくんのような自分のルーツがわからないということもなかった。

変な風だけど、ピーくんにはない影が見え隠れしてた。

ピーくんはかなり変わった人に見えても、そして色々根が深いのも感じるけど、翳りみたいなのとは少し違う。

超特徴的なコミュニケーションでも、本人がそれをそのまま表現してるから、内側と外側にギャップがない。

反対にその方は、もう見てられないぐらいの傷付き方をしていたけれど、とても紳士にスマートに振る舞おうという普段のクセが抜けないまま、だけど心の内側では膝を抱えて小さな男の子みたいになってる姿が見えるようで、だから私はその人がとても傷付いてると感じたんだった。

今書いててわかった。

私が30代で出会った大人たちは、みんな大なり小なりそんな風で、だからこそ傷や苦しみの深さや程度は関係ないって思ったんだった。

外側で起きた出来事だけでは傷や苦しみの深さは計れない。

要は、自分の内側と外側でどれだけギャップがないかで、伝わってくる感じが全然違うということ。

本当は無理して大人にならなくてもいいのに一生懸命目の前の私には人として誠意を尽くそうとして、でもその内側では傷を無理矢理塞ごうとして余計と傷が生々しく見えた。

そんなこんなが見え隠れするから、私は誰を見ても一生懸命生きてるなと感じる。

ルーツを知らないピーくんも、もう少しライトな出来事を体験した大人たちも、みんなみんな一生懸命だと思う。

そしてみんなみんな、生きているっていうただその一点においてとても尊い。

そしてその命をリスペクトしている。