2020年4月27日月曜日

⒃①【おいせさん手帳】前に進むことよりも、ずっと大切なこと





おいせさん手帳第16回目。
担当:ノム


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


‪4月27日 ‬
‪自分にとって、本当に大切なものは何でしょう?‬
‪冥王星が逆行‬
‪ ‬
‪占星術で「破壊と再生の星」とされる冥王星が、昨夜より逆行を開始。‬
‪自分の根幹をなすような部分に“待った”がかかるかもしれません。‬
‪あたりまえに続けてきたことを疑問に感じ始めるかもしれません。‬
‪一見、それは“停滞”と、ネガティブに思うかもしれませんが、‬
‪前へ進むことよりも、ずっと大切なことと向き合える恵みの時です。‬

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




夏の日を思い出す。

ノムが書いた文章の中でも、圧倒的な強さで心奪われた文章だった。

「前へ進むことよりも大事なこと」

自分に向けられた言葉みたいだった。

もっと早くにこの言葉に出会いたかったくらい、本当に引き込まれた。





30代の10年間は何度立ち止まったかわからない。

それも数回、そして短くても数ヶ月、最長は1年半立ち止まった。

本当は1年8ヶ月と書こうと思ったけれど、1年半過ぎた頃に米の短期の仕事に行ったから、だから「動いた」という意味で1年半に書き直した。

本当にしんどい日々で、立ち止まっていた間は、笑ったり楽しんだりした瞬間もたしかにあったけれども、基本はしんどかった。

「動き出さなきゃ」

常に自分にそのように声をかけて、それで何とか自分を保とうとしていた。

何も決められない自分、何が楽しくて生きているのかわからない自分、今日でも明日でも人生が終わってもいいと思っている自分、そんな自分といることのしんどさと言ったらなかった。

何度も何度も「動きたくなる瞬間」を待った。

「動きたくなる」というのは、社会に出るだけじゃない。

布団から出るのに、トイレに行きたいでもおなかが空いたでもいい、そういう生理的欲求で構わないから、何か一歩を踏み出すきっかけが欲しかった。

私がしんどかった理由の一番は、何もしたくないのに何かしなきゃいけないと思い込んでいたことだと思う。

働かなくていいとも思えなければ、このままでいいとも当然思えなかった。

色々限界だったくせして、その自分の本当の気持ちをずっと無視し続けたんだなと思う。

日本にいて、何もせずじっとしているというのは、常日頃から自己評価の低い、自己否定の塊(かたまり)みたいな私からすると、生き地獄みたいな感じになる。

健康体で難解なことでなければある程度労働も提供できるくらいの能力はあっても、それでも働かない自分、何もしない自分は最低だと何度も思った。

なんなら親が家が建つくらいのお金をかけて私をアメリカの大学にまで出してくれたことさえも全部無駄にしているみたいで、もうただただ生きているのがしんどかった。





そんな時にもしノムの今日の文章に出会えていたのなら、どうだったんだろうと思う。

20代の終わり頃だったと思う。

1冊だけ鬱になった作家さんの小説を読んだ。

図書館で本を見たら絶対にわかるけれど、タイトルも著者名もうろ覚えだから、全く思い出せない。

どんな内容か知らずに手に取った本が、たまたま鬱になった作家さんの、おそらく実体験を元に書かれた小説だった。

その中の一節にこんな話がある。

その小説の中の主人公なり準主人公なりも鬱になる。

それに対して、その時じゃなきゃ、うんと下に屈んで(かがんで)みないと見えない景色がある、みたいなことを言っているところがあって、それにどれだけ救われたかわからない。

その時もだし、ノムの今回の文章もだけど、立ち止まることの偉大さを教えてくれてる。

20代の頃に一度だけかかった精神科でうつと言われた頃だった。

ある日の仕事帰りに、私は近くの土手を散歩した。

平日の昼間にそんなところを散歩している人なんて誰もいなくて、ゆっくりと歩いていた。

途中でアリの集団が穴の中と外とを行き来してみんなで食糧を運んでいるところを見かけた。

私はその場にしゃがんで、ひたすらその様子をじっと眺めていた。

それを見ていて、何か泣きたくなってしまう自分もいれば、生きてることそのものにも、そして自然の習性でそのように動いているアリたちにも、色んなものを見せてもらっている、そんな気持ちになっていた。

それから数年後、武道家の友達にその話をしたことがあった。

友達は笑い飛ばしてくれるのかと思いきや、真剣な顔して私に言った。

「ぶっしー、それ、しんどかったね」

友達はこんな風に続けた。

そんなことにまで目を向けて、そのアリの様子をじっと観察して色んなことを感じてしまうくらいに、それだけ神経が心が過敏に反応していたら、それは本当にしんどいよ、しんどかったね、よくやってきたね…、そんな風にとても静かに私を包むようにして言葉を伝えてくれた。

武道を何十年としている友達には、人の動きの1つ1つが次の動きに繋がるまで何重にも重なって、それでようやく1つの形になるということを体感覚的に知っているから、それを心の方で同じように感じ取った私をそこに重ね合わせて見てくれたんだと思う。

諸刃の剣みたいなもので、この細かさが人への心くばりとかそういうものに使われる時はものすごく良い方に向かうけれど、そうではなく使う先を見つけられず、さらには自分でも動けなくなると、その細かさは自分の心にとって凶器みたくなる。

当時は仕事をしていたとは言え、心は完全に疲弊していた。

何度も何度も私が立ち止まることになったのは、色んな理由が考えられるけれども、一番のことは「自分にやさしくする」ことがずっと長いことできなかったからだと思う。

30代の半ばくらいまで「自分にやさしくする」なんて考えたこともなかった。

だから、正しくは「できなかった」と言うよりも、自分にキツく当たりまくっていることにさえ気付かなかった。

そこに気付いた時から、たとえ引きこもりでもずいぶんと気持ち的に変わったと感じる。

自分にやさしくできないことにも私なんかは超ダメ出ししまくりだったけれども、そのことにさえ気付かなかった頃と比べたらものすごく進歩していた。

そして、そこが変わってからは、要は自分にやさしくするように努めてからは、徐々に雲が晴れるみたいな感じで、心の感触も変わってきた。





‪【あたりまえに続けてきたことを疑問に感じ始めるかもしれません。‬
‪一見、それは“停滞”と、ネガティブに思うかもしれませんが、‬
‪前へ進むことよりも、ずっと大切なことと向き合える恵みの時です。】‬

‪ノムが言うように、自分にやさしくすることは、私の場合、前に進むことよりもうんとうんと大事なことだった。‬

‪なんとなく動けていてなんとなく周りが求める結果も出していた頃、私の頭の中は「前進」ただあるのみだった。‬

‪前に進むことや成果を出すことが大事だと思っていた。‬

‪それは間違いではなかったし、それで実際に役に立つこともできたわけだから、全部を否定するつもりはない。‬

‪だけど、心はもうとっくに限界だった。‬

‪逃げ道のない自分という存在から四六時中ダメ出しを食らうわけだから、そりゃしんどくて仕方ない。‬

‪私は自分に「もっと」を求め続けた。‬

‪他の誰かではなく、私自身が私に「もっと」を求めた。‬

‪そうしているとは知らずにいたから、何で自分が動けないのか、何もしたくないのか、何だったら今日でも明日でも死んでもいいと思っていたのか、今ならよくわかる。‬

‪前に進まなくてもいいから、自分にやさしくすること。‬

‪結果が出せなくてもいいから、自分を他の誰よりもまずは大事にすること。‬

‪私の場合は、そこにすべての答えがあったと言ってもいい。‬

‪自分にやさしくできてからの前進やら結果やらが今の私には大事だったりする。‬





‪立ち止まることも時には大事ではなく、立ち止まることは本当にものすごく大事だと今の私は思う。‬

‪それは動くことよりも、もっともっと大切な何かがある。‬

‪特に動き慣れている私みたいな人は、立ち止まるのが本当に怖い。‬

‪立ち止まったらますます自分の存在価値が危うくなる気がしていたから、立ち止まったら終わりみたいに思っていた。‬

‪何度も何度も、合計するとおそらく30代の4年ほどは立ち止まって社会から離れたところで引きこもっていた時間、本当にしんどかったけれども、私は立ち止まって良かったと心底思っている。‬

‪また立ち止まることになったら怖いとも今も思うし、またいつ引きこもりだすかもわからない。‬

‪恐怖もある。‬

‪だけど、立ち止まっても色々何とかなったことは大きかった。‬

‪何にもどうにもならなくても、死なないし死ねないってわかった。‬

‪そして、なんだかわからないけれども、生き続ける限り、家でもお金でも食べ物でも必要最小限は何らかの形でもたらされる。‬

‪究極すぎる立ち止まりを推奨する気はないけれども、立ち止まることで初めて見える景色や気持ち、自分自身は必ずあると言えるし、そうしたものたちこそが自分を救ってくれたり後々に前を向けるようになる小さな投石になったりもする。‬

‪うつと言われた20代半ばの頃、友達がある時言ってくれた。‬

‪私がその場でずっと足踏みしているみたいで何も進んだ気がしないし、前に進める気もしないと言った時のこと。‬

‪「飽きるまで足踏みしたらいいよ!」‬

‪足踏みすることを否定しないどころか、そうした私のことも全身で大きなマルを作って「それでいいんだよ」と言ってもらえてるみたいだった。‬

‪私の勝手な予想だけど、今コロナで足止めを外から食らっていたり、これまで通りとはいかない状況にある場合、そこに向き合ったら向き合った分、それが自分に返ってくる気がする。‬

‪冥王星は破壊もするけれど、それは次なる再生に繋げるための破壊で、冥王星は単なる破壊だけをもたらすことはしない。‬

‪必ず再生とセットで色んなことをもたらす。‬

‪だとするなら、これまで通りとはますますいかないコロナ渦では、どれだけその上手くない状況に向き合えたかが再生への鍵になる気がする。‬

2020年4月26日日曜日

星読みからの妄想記





職場の席が隣りの隣りだったイケメンエンジニアの硬派さん。

硬派さんの星読みをして3週間くらい経った。

自分のでさえもそこまで丁寧に読んでないくらいに丁寧に読んでる。

硬派さんがこんな風に自分のホロスコープの読み解きを誰かにお願いするなんて、多分生涯の中で私が最初で最後だと思う。

だから今の私で渡せるものは、すべて渡したいと思ってやっている。

時間が経てば経つほど、この状況が起こる確率の凄さに注目するようになった。

職場の中には何百人といる。

同じフロアにもまだ知らない人が何十人といる。

そんな風に考えると、硬派さんと私とが互いに知り合って繋がる可能性って本当にミクロみたいな確率だなと思う。

いつか仕事の説明を他の人から受けた時に、「許容値」の話になった。

許容値がなぜ存在するのかという説明の時に、なるほど!となった話があった。

会社が扱う精密機械っていうのは、0.0何ミリという世界のもので、その0.0何ミリの数値を測定する際、毎度毎度一発で当てるなんてことはできない。

だから、多少の幅を持たせて、数値測定の時は許容値を設定しているとのことだった。

そういう機械のメカニズムを聞いたりすると、人との出会いなんてのはもうありえない確率で起こっているんだなと思う。

そんなことを思いつつ、硬派さんの星読みを前にすると、さらなる天文学的数字の上で起こっていると確信する。

そこで私もやめればいいのに、私の思考はあらぬ方向に飛んでいく。

とても読みたい人がいる。

全身全霊を懸けて読みたい人がいる。

とても読みたいけれども、生涯読むこともなければお願いされることもない。

読むことを許されないホロスコープ。

この世に存在していても、存在していないかのように、すべては幻だったんじゃないかと思うほどの時間だった。

自分の日常の中にその人が本当にいたなんて、今の日常と比べてみると魔法がかかったかのような不思議な気持ちになる。

その人物のホロスコープ、本気で読みたかった(今も読みたい)。

硬派さんのものを読めば読むほど、縁があるということと縁がないということの両方が自分の中に突き刺さる。

縁がない人のホロスコープは、自分がどんなに読みたいと思っても読めない。

当たり前だけど、星読みをするというのは、双方の同意がないとできない。

星読みなんて可愛く言ってみてるけれども、中身はそんな可愛さは全くなくて、相手の人の超コアな生きるメッセージや人生のテーマみたいなのが浮き彫りになる。

だから、生半可な気持ちではやれないし、硬派さんは詳細は何もまだ知らないけれども、聞く覚悟のある人なのは話していてわかる。

その人の分もその人から頼まれて読みたいし、そして伝えたい。

私が伝える係をやりたい。

このことで硬派さんと仕事中の合間に何回かおしゃべりをした。

そういうこともしたい。

他愛ないおしゃべりや確認、そういうことが一切できなかった私は、そういうことを心から欲している。

トップの写真も硬派さんとやりとりしたメモ用紙。

硬派さんのホロスコープはこれから数年に渡って激変の時期を迎えることが見てすぐにわかった。

それを本人が知りたいのか知りたくないのかで全然事と次第が変わる。

本人が知りたくないのに無理に情報を押し付けるわけにもいかないから、確認を取った。

だから先にさらさらっと適当な裏紙にあのように書いて、仕事の資料でカモフラージュして持って行って、硬派さんの席でやりとりした。

硬派さんは1つ2つと質問した後に、二つ返事でやってくださいと言った。

仕事の最中なのに、そういう仕事と全く関係ないことを話せるのが楽しかった。

硬派さんはたくさんは喋らないけれど、そういう話やどうでもいい話も付き合ってくれるから、すごくいい。

こういう接点で十分私は喜んだのに、それさえもなくて、自分でも色々どうしていいかわからなかった。

当時はまだホロスコープの存在さえ知らないから「誕生日いつ?」とか「星座は何座?」とか、そういうことは聞けなかったけれど、今はしれっと聞ける能力の状態になったものの今度は当の本人がいない。

仮にいたとしても、何の接点もなかったから、相変わらず何も聞けず、何も話せずじまいだったと思う。

私と話したそうではなかったし、そんな時にいきなり「〇〇さん、星座って何ですか?」なんて今だって聞けないだろうなぁと思う。

硬派さんのことは誘わないけれど、その人なら星読みをネタに「きちんと説明したいから」とか何とか適当なこと言って、ごはんに行こうって言ったのになと思う。

それもかしこまったところじゃなくていいから、ファミレスで十分だったのに。

おしゃれして気合い入れて行かなくてもいいところでベラベラおしゃべりできたのなら、どんなに楽しかっただろうと思う。

自分が死ぬ間際を感じ取って、その時もまだ興味があったら、そっとその人の星読みはしてみたいと思っている。

本人に届くこともないし、私もしたからと言って何がどうなるわけでもないけれど、それぐらい老後の楽しみに取っておいてもいいよね?と思っている。

妄想話はこれくらいにして、本当に星読みを本腰入れてやらないと今月中に終わらない(汗)。

少し昼寝して(とっておきの眠くなる占星学の本を最近取り寄せたから、それを少し読んだらまぶたが確実に落ちる)、その後硬派さんの星読みをしたいと思う。

2020年4月24日金曜日

愛しみと書いて「かなしみ」と読む

心が落ち着かない感じがする。

思い当たることはたくさんある。

最後8時間通しで眠れたのはいつだったかなぁ…なんて思うと、それは夏の終わりから秋のはじまりにかけて米の仕事に行っていたあたりから今の仕事を始める直前だったかなと思う。

8月まで契約延長が決まって(今会社と派遣会社で事務手続き中)、本来なら安心するところなのかもだけど、相変わらず仕事では日々事件簿のようなことが起こる。

何もない日がない、それが続くのはもう星回り的に避けられないのかもしれない。




不安みたいなユラユラ、モヤモヤの感覚は、糸を手繰る(たぐる)ようにして、パッと今出てきた。

最初は体の変化や仕事を通した色んなことかと思った。

それも絶対にあるし、そうしたことに不安や心配する気持ちがあると知って、幾分楽にはなった。

だけど、そうしたことをひとつ、またひとつと紐解くと、その後に出てきたのは違うことだった。

コロナの蔓延でとにかく色んなことが自粛モードになっている。

元々引きこもり体質な私は気にならないけれど、周りもそんな風になりつつあるのはなんとなく感じる。

そんな中でも繋がる人たちとは繋がって互いにやりとりをする。

ちょうど福岡と東京の友達とやりとりしたばかりで、いざという時に本当に助けてもらっている。

そういう距離を超えたやりとりをすると余計に目立つ。

繋がるものと、そして繋がらないもの。

繋がらないものに目を向けなきゃ済むのに、どうしても目はそこにいく。

もう終わりなんだとわかる。

そのうち本当に何も繋がらなくなるのは時間の問題だと思っている。

時間の経過と人生の経過と共に、いつかは何もなかったかのようになるんだろうなぁと思っている。

どんなに繋がりたくても繋がらない人。

自分が死んでもないのに終わりを受け入れるというのは、何の修行なんだろう。

繋がらない人が自分の中でも存在感が薄まる、または全く気にならなくなるのを待つしかないのかもしれない。

焦りとか苛立ちとかはない。

不安も少し違う。

「哀しみ」

「かなしみ」と入力すると、悲しみ・哀しみの他に、愛しみと出る。

愛と書いて「かなしみ」と読むらしい。

〜牡牛座新月の前

2020年4月20日月曜日

⒂【おいせさん手帳】あたたかな世界





おいせさん手帳第15回目
担当:ノム


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


4月20日 
五感を研ぎ澄ませ、目の前の世界をさらに豊かに。
牡牛座の始まり

牡牛座の始まり。牡牛座は“五感”を意味する星座です。
今日からのひと月は、五感を研ぎ澄ますことを意識してみると良いでしょう。
新緑の鮮やかさ、その匂い、手ざわり、初夏の風……。
感覚に意識を向けるほどそれは大きくひらいていきます。
そうして過ごすうち、自分の目の前に広がるさまざまな豊かさに気がついていくでしょう。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




夏の日に届いたノムの手書きのお手紙。

今もまだノムとミッチーの家のどこかにあるだろう黄色い紙に書かれた私宛ての手紙は、生涯忘れることはないだろうと思う。

ノムとやりとりするようになってすぐぐらいの頃だった(今日付を見たら、1年前のアメリカの独立記念日、7月4日だった)。

ノムと私は今でこそ自由にお互いにやりとりしているけれど、最初はもちろん手探り状態だった。

どの程度何かを差し出しても大丈夫なのかは知らないから、そのあたりを探り探りしていた。

最初にそこを打ち破って自由スタイルを持ち込んでくれたのはノムだった。

なんとノムは、私に手書きの手紙を書いて、そしてそれを写真に撮って送るという、過去に一度も当たったことのないとっても斬新な方法で私にメッセージを贈ってくれた。

「書く」ということに関しては、ノムと私は自分たちの持っている全ての手段を使い分けている。

LINE
メール
ショートメール
手書きの手紙写真バージョン
手書きの手紙郵送バージョン

ノム以外にその全てのジャンルを制覇している人など誰もいない。

お互いになんてことない日常の写真も送れば、昔撮った写真も送る。

とにかく自由という自由をとことん利用して楽しんでいる。

よくよく考えたら、こんなにも自由スタイルでやりとりする人なんて他に誰もいない。

話は戻って、1年前の7月4日に届いたノムの手書きの手紙の写真。

その中にこんな言葉があった。

「実は傷ついたり怒っていることもあるし、そうした反応(?)は、他の人にしてみたらほんとーにささいな一言だったり、言葉にもしていないしぐさやエネルギーみたいなものだったりして…」

この言葉に心底惚れ込んで、そして心底救われた。

ノムの言ってくれた言葉は、まさに私が長いことずっとずっとモヤモヤしてきたことで、それを初めて誰かから言葉にしてもらえたことだった。

私が過去から今現在にかけて、ずっとどこかで感じてきたことだけど、それを言葉にしたこともなければ、それが誰かによって言葉で表されていたこともなかった。

どんな心理の本にもスピ系の本にも書かれていない、だけど確実に私が日々色んな場面で色んな人たちから感じていることだった。

相手のしぐさやノンバーバル(無言語)な部分の相手がかもし出す空気とか雰囲気とか、そういうものを敏感にキャッチしてしまう、何もしてなくてもそういうものに気付いてしまう自分の感覚が、ノムの言葉によって初めて救われた。

そういうのは気のせいなんかじゃ絶対にないし、実際に私が感じてるように相手の心の中にはそれらしい感情が渦巻いていると思うけれど、そういうことをあまり人と話したことがなかった。

そもそもそんなマニアックな感覚をわかってもらえるなんて全く思わなかったから、誰かと話すことさえ自ら放棄しているようなところもあった。

ノムの言葉は私を救っただけじゃなく、理解してくれる人がこの世に確実にいるということも教えてくれた。

同じ感覚を共有できるってものすごいことで、このノムの言葉からさらに一層私はノムに信頼と好意を寄せるようになった。(好意はもちろん人としての好意。相手が異性だからと言って、すべてにおいて異性愛みたいに捉えてくる人の多いことも苦手で、なんで異性だからと言って「好意」と言うと恋愛的な好意とイコールにされるのか、それも個人的に納得できない(苦笑)。)

今日のおいせさん手帳を読んだ時、ノムとやりとりしたこのことが真っ先に思い出された。

ノムが夏の日に書いてくれたことは、まさに五感とか心で感じるもので、実際のところ実態はない。

実態はないけれど、心がザワザワしたり落ち込んだりする。

そうしたことをないものにするんじゃなくて、ちゃんとあるよって自分の中でしてあげると自分が楽になる。

ノムが言葉にしてくれたことによって、私は自分のその感覚を否定しなくて良くなった。

そうであることをそうだと素直に認められるようになったし、そうすると自分を肯定することにも繋がって、本当に気持ちが楽になれた。





ノムの見ている光と影の世界が本当に美しい。

なんてことない日常の風景をノムはよく写真に撮って送ってくれる。

なんてことないのに、子どもの頃から知っている原風景みたいな、見ていると泣きたくなるようなそんな気持ちにさせられる、そういう写真たち、風景たちがやってくる。

ノムが言う「新緑の鮮やかさ、その匂い、手ざわり、初夏の風……。」は、ノムにしかわからない風景がある。

色も匂いも手ざわりも風の感触も、ノムにしか見えてない感じてない景色がある。

その景色を時々写真に、時々絵に、そしてたくさんの言葉にして私にノムの世界を教えてくれる。

その世界観に自分が救われている。

小さい頃から色々居場所のなかった自分の中の色んなことが、ノムとの出会いによって大きく変わった。

もちろんこれまでだって素敵な人たちにたくさん出会わせてもらえた。

だけどノムはそんな次元ではなく、自分の中の根底から自分を肯定するために現れてくれたBuddy(仲間)みたいな、そういう存在だった。

自分のよくわからない感覚を私はどこかで否定していたし、そしていつも「誰からもわかってもらえない」とあきらめていた。

もちろん寄り添ってくれた人たちも私からしたらたくさんいる。

それ以上を望んだらバチ当たりだと思うくらいに。

だけど、一番やわらかくて一番繊細な部分は、誰とも分かち合わずにきた。

ものすごく気が合うと思っていても、小骨とも呼べないものが小さく突き刺さると、私はいつまで経ってもそのことが忘れられない。

忘れたフリをしても、絶対に忘れていない。

そういうものをずっと抱えてきたし、そしてそれを生涯1人でやり過ごす覚悟もしていた。

誰だって孤独があって、誰だって誰にもわかってもらえない何かがあると思っていた。

ノムはその部分を言葉にしてくれる人で、そして言葉にできるということはその感覚を自分の感覚として知っていて持っている人だった。

ノムが生きている世界、ノムが見ている世界、そこと交わると自分もただただいるだけであるだけで癒される。

それこそ五感やその五感を超えたところで自分が癒される。

ノムがこの牡牛座メッセージに込めているものは、五感という名の自分の感覚、しいては自分を大事にしてねという互いに向けたエールを同志に呼びかけているみたい。

ノムの撮った写真の景色は、もう二度と同じ景色の色にはならない。

「今」という瞬間を切り取って、例えば明日も同じような天気で同じような時間に同じ場所で写真を撮っても、それはもう二度と同じにならないことをノムの写真はいつも教えてくれてる気がする。



2020年4月19日日曜日

簡単カレールウの使い方 その2

簡単カレールウの使い方 その2

『超簡単カレールウの使い方』と題したブログを数年前に書いた。

その記事が時々不定期に読まれているから、調子に乗ってそれの第二弾をお披露目!

今回はカレールウで作るドライカレー。

本当に普段料理しない人なら、スーパーで一番小さいサイズのパックのひき肉を用意。

肉たっぷりがいいならその次のサイズでも。

少し余裕があるなら、玉ねぎや人参とかを荒いみじん切りにして用意すると尚おいしい。

フライパンに油をしいて(大さじ1程度で十分。もしくは、ひき肉から油が出るから油なしでもいい)、ひき肉(とみじん切り野菜)を炒めて、よく炒まったらそこにカレールーひとかけを投入。

いまいち溶けなければ、それを溶かす程度の水を少し足して、弱火で少し煮たらあっという間にドライカレー完成。

さらに余力あるなら、温泉卵も用意するとさらに旨し!

温泉卵も簡単。

マグカップとか小鉢みたいなある程度深さのある容器に卵を割り入れて、そこに水をたっぷり足す。

例えばマグカップに割って、卵が下から3センチ程度なら、水を入れたら全体の容量がその倍の下から6センチ以上になるくらい入れたらいい。

卵がかぶるくらいギリギリだと、卵が電子レンジの中で爆発するから、危険。(掃除がめちゃくちゃ大変←経験者は語る)

とにかく水はたっぷり張っておけば間違いない。

電子レンジによるけれど、うちのは800Wで1分チン。

その辺りは各自様子を見て時間設定。

チンしたら水は捨てて(箸で卵を押さえながら捨てるといい。ザルとか洗い物が面倒でなければザルで水切り)、それで完成。

温泉卵は、ラーメンやそば、うどんの時も大活躍。

ドライカレーの時、隠し味でケチャップやソース、しょうゆ、インスタントの粉コーヒー、チョコとか入れてもおいしい。

もちろん本当に少し。

ティースプーンの半分以下、カレールウひとかけらなら。

ズボラ飯とかガサツ飯とか題して料理本書けそうかしら( ̄∀ ̄;)。

過去に書いた「超簡単カレールウの使い方」は、単に深皿にカレールウをひとかけら入れて、そこに水足して、レンジでチンするだけ。

チンしたものをスプーンで適当に混ぜれば、カレーライスのカレー部分のできあがり。

そういうタイプなら、スーパーで豚カツとかチキンカツとかメンチカツとか揚げ物買ってオンすれば、カツカレーとか〇〇カレーが出来上がる。

書いてて思った。

それなら、レトルトカレーの方が早い( ̄∀ ̄;)。

個人的には百円程度のレトルトカレーを買うくらいなら、カレールーを買ってそれを水足してチンしたカレーの方がおいしいと思う。

こんなの需要があるのか知らないけれど、本当にどういうわけか読まれる記事の1つだから、とりあえず「簡単カレールウの使い方 その2」として今回はドライカレーを紹介してみた。

クックパッドみたいに「つくレポ」とか来ないかしら(笑)。

ちなみにドライカレーの場合、そこにトマト缶を入れて煮込んでもおいしい。

私はカレールー1箱に対してトマト缶ひと缶入れてた。

それはカレールウがめちゃくちゃ貴重だったドミニカ時代に、少しでもカサ増しをするためにやった苦肉の策。

それはそれでおいしかった。

ただトマト缶は多少量の調整をしないと上手くいかないと他の人たちから言われて(うちで食べた後にレシピを紹介して作った人たちから言われた)、そこは多少料理センスを問われるかもしれない。

春眠暁を覚えず

色々気が張っていたんだなと思った。

土曜日だった昨日、ほぼほぼ1日寝ていた。

朝はごはん食べた後に朝ドラ『エール』を1週間分見た。

古山裕一という音楽家の話。

直太朗も出ていた、裕一の小学校の時の音楽の先生として。

関係ないけれど、裕一の弟浩二役の俳優さんは「本宝」という名前で、毎回何て読むんだろう?と思いながら見ている。

苗字じゃなくて、芸名なのか本名なのか下の名前が本宝。

見ている途中からすごく眠くなって、その後洗濯物だけ干すとお昼過ぎまで爆睡した。

午後からは、職場の硬派さんの星読みをするつもりだった。

ところが午後も午後で異様な眠さでまた寝た。

布団の中にいて、雨の音を聞きながらおやつに手を伸ばしてダラダラとするのが至福だった。

基本引きこもり体質だから、コロナによる緊急事態宣言も全く苦にならない。

今の仕事に就いて、残業でどんなに遅くなっても、土日に家を出なくて済むように、平日に買い物に行くようになった。

だから1日中ずっと家にいる週末の方が私には普通で、緊急事態宣言された週末もこれまでの週末もほぼほぼ変わらない。

引きこもり体質や家にずっといても色々楽しめることややることが多いから、何にも苦にならない。

夜は少しだけNHKのニュースを見た後、これまた異様な眠気でまた眠った。

もう真夜中に起きてもいいから眠さの方が勝って目を開けることさえ困難だった。

日付が変わる頃、LINEの着信音で一度起きたけれども、またすぐに寝落ちして、そして2時半過ぎの今目が覚めてこれを書いている。

また書いたらすぐ寝る。

すでにもう眠い。





よくよく考えたら、毎日毎日何かしら事件があるから、とにかく気を張りまくっている。

とりあえず480ページの取説の直しを完成させて、金曜の午前に提出した。

その合間合間にも小さな英訳の仕事をこなして、さらには私の今の現状を伝える資料も作って提出した。

実際にどれだけ多忙かを知らせるために、これまでの英訳依頼の一覧表を作った。

今数えて驚いたけれど、2月なんかは出勤日18日に対して、対応件数18件になっている。

1日1件のボリュームではない、その中には何日もかけてやらないと終わらないものも含まれてやっていた。

3月も16件、残業時間は43時間ってなってる。

何でこんなことしてるかと言えば、部長が6月以降も私の契約を更新したいと強く希望を出してはいるけれども、人事から却下されて、だからどう忙しいのか説明するために資料を作った。

・仕事内容と量の報告
・新人の現状報告
・英訳業務に必要な能力のまとめ
・1月以降1人でこなした英訳依頼一覧表

話は違うけれども、4月から入社2年目の子が英訳担当者として配属された。

当初は私もささっと引き継ぎをして、5月末終了確定だと思った。

来月のゴールデンウィーク明けには育休で休んでいた人が時短勤務で戻ってくる。

正社員が2人もいるわけで、派遣は切って当たり前だと思う。

先々はわからなくても私ももう終わりだろうと思っていた。

ところが部長は私を買ってくれて残したいと人事に掛け合った。

それで追加で資料を作ることになって出した。

それは神のみぞ知るの領域で、私は正直どちらでもいい。

残りたい理由は、仕事にやりがいを感じてるとかじゃなくて、そうでなくても今年の星回りが強烈なのは知っていて、もし今また人生の方向性の転換が行われた場合、私も私で大丈夫なんだろうか?と心配している。

コロナの影響を見て、あのレベルの、要は天変地異的なことが個人レベルで私の場合も今年から2023年くらいのスパンで起こりうると思うと、闇雲に動くのは心情として避けたい。

今のところにいたら安心とは言わないけれども、少なくともいきなりまた何かを始めなくて済むのは助かる。

助かるとか言っても、もう人生の流れ的に変更の方がGOなら否応なしに切られるだろうし、まぁそうなったらそうなった時に考えようと思っている。

こんな話ではなく、本当にしたい話はこっち。

今猛烈に気を張っているのは、新しい子のこと。

最初は自分が誰かの人生を大きく左右するようなことを発言するのがすごく嫌だった。

だけど、その後今度は、今の現状ではとてもじゃないけれども独り立ちさせられるような状態になく、とりあえず窮地なことは上に伝えた。

その時は反対に割り切って、今の状態で英訳をさせたら、会社はもとよりそれを使うお客さんはじめ色んな人たちに迷惑レベルならまだしも冗談抜きで怪我や事故を起こさせる可能性があるわけで、それは当然させられないから、とりあえず新しい子の人生云々よりその他大勢の関係者の安全を優先させることにした。

そういう気持ちを持ってないと、とてもじゃないけれど、自分も自分の発言が怖くてやってられなかった。

派遣とはとても思えない、なぜに誰かの人生や会ったこともないエンドユーザーの人たちのことまで考えてやらないといけないのか、自分1人の発言が恐ろしいぐらいに色んなものに影響するというのは、たとえ見ないようにしてもやっぱり無意識下では相当強く意識してるんだと思う。

そりゃ気も張るわと思う。

そして極めつけは、新しい子本人から、英訳の練習をもっとしたいと言われたことだった。

金曜の定時間際の会話だった。

その一言は私をとても暗い気持ちにさせた。

仮にその子が本当に英訳を担当するのなら、丁寧にゆっくりとやって1年はかかると思う。

さすがにそこまでは上にも言ってないし、本人にも言ってない。

だけど、英訳以前に英語の基礎がきちんとしていないことや日本語の読解力が英訳をするには不十分なことは、もうどんな風に底上げできるのかわからない。

やる気はものすごくあるけれども、やる気だけではどうにもならないこともあるんだと知った。

もちろん本人の努力次第で伸びるものは伸びると思う。

だけど、その伸ばす量が言うなれば私が大学4年間で伸ばした量、それ以下でもそれに近いものは確実にいる。

というか、大学受験でも足らないぐらいの現状で、そこを何とかするなんてのは、一朝一夕にはできない。(今大学入試の和文の英訳問題を見てきた。それができるなら、今の仕事ならそこそこいける。反対に言えば、そのレベルにさえ現状達してないということ。)

これは上との相談になるけれど、現状のレベルを本人に伝えるのが一番良いのかもしれない。

そして、本当にやりたいなら、本気でやらなきゃダメなこと、それも仕事だけじゃなく家でも時間を作って1日1文10分でいい、書くことを毎日やらなきゃいけないレベルだというのを知ってもらった方が良いのかもしれない。

さらに英文法も相当やらないとまずい。

金曜日に聞かれた。

When 動詞+ing
When 過去分詞
When 動詞原形

この使い方の文法的意味の違いを聞かれた。

ちなみに今さっき調べて、過去分詞はわかった。

動詞原形は通常ないけれど、それに関してはやむを得ずそうするしかなく(その後1つの文章の中で動詞がオンパレードで、その中に現在進行形が他にもあって、それらと区別するためにそうせざるを得なかった)、そういうことから説明しないといけない。

だから文法のことも含めて説明や解説がいるわけで、もう仕事の前の準備運動くらいからのフォローがいる。

とにかくこういうことをやっていかないといけないのと、やるくらいならまだしも、本人に本人のレベルの通達とか真面目にやりたくない。

通達するだけじゃなく、それに伴って心のフォローも業務的なフォローもしないとで、そういうことで心が張りまくりだったんだなと思った。





書いてる途中目が覚めて、電気点けてムクリと起き上がって、缶チューハイとポテトチップスというデブの素にしかならないことを決行。

年に片手で数えるくらいだと思うけれど、個人的にそういう不良なことをすると、なんだか楽しくなる。

非現実みたいなことを現実にやって、それで心と体のバランスを取るのは私は良いと思っている。

鬱々としていても解決にならないし、心が荒む。

それならいつもやらないことをちょっとやってみて、気分転換的なことして心を晴らすのは十分ありだなと思っている。

良い具合に眠くなってきたから、これから寝よう、そうしよう。

2020年4月15日水曜日

桜の季節のコロナ話題とは違う話

西日に照らされた桜
(撮ったままの色)

夜桜
今年初の桜

夜桜と同じ桜の昼の顔
桜2020





思い立ってFacebookを開いた。

数ヶ月ぶりどころか1年とかそれ以上ぶりかもしれない。

「今しか見られないFacebook」を期待して開いた。

コロナウイルスによって、ちょっとギスギスしていたりナーバスになっている投稿を見れるかも!、という実に不純な動機で開いた。

かなりさかのぼって、なんなら3週間近くまでさかのぼって見たけれど、なんとなんとどの人も普段と変わらない、またはコロナによって新しい回路を開拓したり、自粛する環境下でも実に活発なことをしていた。

自分や自分の心の中をのぞいてさらに本音で何かを発信する人もいたし。

今だからこそ、ネガティブになっている自分や自分の子どもの記録を残そうと思ってやっているという人もいたし。

コロナ関連の情報を発信している人たちも、別に今だけじゃなく元々そういう人に拡散すると喜ばれるものや役立つものを普段から拡散している人たちだから、ただ今回はコロナがテーマに移り変わったんだね、ってな具合だった。

緊急事態宣言都府県に住んでいる人たちもたくさんいるし、業績悪化や給料カット、子どもの入学式中止やらなんやら、とにかくそれぞれ何か抱えているのに暗さがない。

それ見て私が真っ先に思ったのは
「自分軸が欲しかったんだな」
ということ。

私がFacebookを見るのをやめた大きな理由の1つは、Facebookの投稿を見るのが辛かったこと。

周りの人たちの生きる姿や日々の日常を垣間見るたびに、自分が何も持っていなくて何もやっていなくて社会の中で後ろめたい生き方や存在なんだと、すごく卑屈な気分に陥っていた。

それが嫌だったんだとわかる。

その空気感の中で私が感じていたのは、気圧されるのと、そして今回開いて初めて気付いたのは自分の軸の無さや自分の存在に対しての無価値感だった。

今回は仕事に行っていたりさんざん自分に向き合って付き合って自分の闇の総ざらいのようなことをしてきたから、冷静になって見ることができたけれど、少し前の自分ならそんなことできなかった。

みんなそれぞれあるし、投稿している人たちの超コアな人生模様を知っている人たちもいる。

半端ないハードな道の生き様の人たちもいるから、そんな中で自分にしかできないことやありのままの本人を発信しているのは今も過去も変わらない。

そういう人たちと自分とを比べていたから、余計にしんどかったんだなとわかった。

比べることを前が10とするなら今は1とか、あっても3くらいな感じ。

そして、比べたところで彼らのようにはできないことも知っているし、私は私で別なところに強みや弱みがあるからそれでいいんだなと思えるようになったし。

にしても、相変わらずエネルギッシュで自分と向き合いまくりな人たちの投稿を見て、自分のキュッとなる心の苦しさみたいなのが出てきたから、Facebookは早々と閉じた。









コロナ対策と言えば、会社のコロナ対策が少しずつ本格化してきた。

1週間前の月曜日から、朝検温が始まった。

いくつか門があるから、各入場口に大御所たちが当番制で立って、検温をしたり各自が家で測った体温を確認している。

そこだけが唯一コロナ対策っぽいけれど、仕事の中身も多忙さも何ら変わりない。









最近ブログ熱がひっそりとなりを潜めている。

代わりに、星読みを通じた手書きの鑑定書に力を使っている。

私が何を見るのかや、どんな感覚が発達しようとしているのか、それを見るのもなかなか楽しい。

この間、占星術講座のクラスメイトだったノムと話した時に、私が今していることをノムはこんな風に伝えてくれた。

「ぶっしーは今回の星読みを通じて、自分というものを硬派さんにさらけ出そうとしているみたいな感じだねえ。ぶっしーが本当に大事にしている自分というものを、自分の能力を、この人にだったら見せてもいい、この人になら見せれる、そんな風に感じるよ」

ノムは続けて、私のそのことというのは、誰にも傷つけられたくないもの、本当にとてつもなく大事なものだから、だからこそ傷つけたくない、色んなものから守りたい、そういうものだと言ってくれた。

その時にスルスルと自分の中で1つ謎が解けた。

私が自ら離れたいくつかの人間関係に関して。

ものすごく素敵な人たち、はたまたものすごく世話になった人たちとわかって、どうして私がそれでも離れようと決断したのか。

ノムの言ってくれたことがまんま答えだった。

自分の持っているものについて、相手の人たちから否定されたからだった。

相手はそんなつもりなくても、私からすると否定だった。

しかも私が何よりも大事にしているもの、自分の中で必死で守り抜いているもの、それに対して傷付けられたように感じたから、私の心のシャッターは一気に降りた。

今回少し前まで席が隣りの隣りだったイケメンエンジニアの硬派さんの星読みをしているけれども、私は全力でやっている。

普通の人なら引くんじゃないかというくらいの量の鑑定書を書いている。

硬派さんは人生の中で私みたいなことをする人に初めて会ったし、自分の周りにはそういう人はいないと言われた。

いきなり超オカルトちっくな人が目の前に現れたにも関わらず、硬派さんは何一つ態度を変えない。

それどころか、その色んな側面を持っている私をそのまま受け入れてくれてる。

内心は多くを語らないからわからないけれども、少なくとも私が星読みでもペンジュラムでもマニアックなことをする人だと知る前と知った後で何一つ態度は変わらない。

それは作って振る舞えるものとは違うから、本当にただただそのままを受け入れてくれてるのが肌でわかる。

だから私も安心して全力で自分を出せるし、もはや何と思われてもいいやと開き直ってるところもある。









写真は今年のプチ花見の様子。

完全に時期を逃して、近所の桜を見るだけにとどまった。

それでも十分楽しかった。

同じ木の桜なのに、夜と晴れた昼間とでは全く違う顔になっていた。

セピア色の桜は、西日に照らされた桜。

だから自然色であの色合いが出る。

ふと気付けば、毎年1人お花見を決行している私にとって、別に今年の花見も去年以前の花見もそう大差ない。

昨日かおとといくらいに朝の会社に向かう車の中で思った。

今の年齢になって自分の子どもを持つことは相当難しい。

確率として限りなくゼロに近いと思う。

ということは、相手になってくれる人も子どもを望まない前提でいるだろうと考えた時、残りの人生で毎年見飽きるくらいに桜とか季節折々の何かを共に見たり食べたり飲んだりできたらいいなと思った。

そういう人が未来に現れてくれるのなら、細かいことは基本なんでもいいなと思った。

世の中の夫婦やカップルたちを見て思う。

みんな色々文句や不満を言うけれど、私からするとそれってすごい贅沢なことだと思う。

お互いに良いと思って一緒にいられるって、この世の奇跡の中でも第1位になるくらいの奇跡だと思う。

だから毎年近くの桜でも、何であっても、それを共有できる存在が人生の中で持てるって、それこそ人生最大のご褒美だなと思った。

50になろうが80近いばあさんになろうが、そんな風に誰かの隣りにいられたら素敵だなと想像しながら車を運転した。

その30分後には、あまりにも酷い英訳を見て本気で発狂していたけれども( ̄∀ ̄;)。









今日2020年4月15日は、50年以上業界勤めをしてきた父が正式に退職する。

明日以降もボランティアで1週間ほどは引き継ぎや手伝いで行くらしいけれど、本当に仕事が終わりになるらしい。

様子を見て、両親を食事に連れて行こうと思う。

今日はとりあえずロールケーキを買って帰ろうと思う。

2020年4月12日日曜日

心の窓ー2020春

もし……。

少しだけ楽しい、そして寂しい妄想をしてみた。

口が裂けても言えないことだけれど、最近特に思うこと。

1月から3月まで約3ヶ月ほど席が隣りの隣りだった正統派イケメンの硬派さんから、今現在ほぼ毎日仕事で助けてもらっている。

硬派さんは完全なるボランティアで、私に技術的な内容をものすごくわかりやすく説明してくれてる。

さらには、今新人研修をなんとなんとの私がやっていて、それにまつわるというかかなり困った事態についても硬派さんに相談している。

とにかくすごい勢いで硬派さんから助けてもらって、なんとか仕事をこなしている。

今後は硬派さんの星読みなんかもするから、ますます親密度がアップするかと思う。

その硬派さんとのやりとりを通じて、決して起こらない「もし……」を想像している。





指折り数えたら、ちょうど同じくらいの時間なんだと気付いた。

4ヶ月弱。

それが私に与えられた時間だった。





硬派さんは自分自らベラベラと喋る人じゃない。

口数はいつも最小限に抑えられているし、余計なことも基本言わない。

なんだけど、その少ない言葉の中にはいつも本当のことばかりで嘘がない。

真っ直ぐで真面目で、でも私の毒吐きも一緒に笑ってくれるようなところがある。

なんなら硬派さんが毒を吐くこともある。

硬派さんとの時間はどこまでも安心安全で、いつもやさしい空気が流れている。

硬派さんのホロスコープを知り得たことで、硬派さんは私の心の安心安全にものすごく寄与してくれる人だということがわかった。

もし、今の硬派さんとしているようなやりとりが当時もあったのなら、今は全く違う景色の中に私はいたんだろうなぁと思う。





何でも良かった。

何でもいいから、何かきっかけとなるようなものが欲しかった。

硬派さんに質問しながらよく思う。

もし当時同じように質問することができていたのなら、大小様々なことを頼ることができたのなら、当時のイケメン上司とは全く違う時間を過ごせたと思う。

仕事を口実に色んなやりとりができて、メールだってし放題、なんなら個人の連絡先だって何かしらを理由に交換できたと思う。

昨日だって超個人的なメールを硬派さんにした。

新しい子の教育係になって、その子の状況に関してかなり厳しいものがある。

そして唯一私だけが彼女の細かなことを見ている人だから、私の発言1つで彼女の今後が変わる。

最悪私の発言を元に、希望して入ってきた部署なのに、部署異動にまたなる可能性まである。

取扱説明書やら英訳やらのおかしなことはいくらでもお伺いという名の上に物申すことはできても、人一人の人生を左右するような発言はしたくない。

現状を伝えることはしないとだけど、でもダメになる方向に持っていくのではなくて、彼女が残れるような方になんとかしたいと思う。

ただ社内の現状を知らないから、とにかく情報と手段を抑えておかないことにはかなり窮状となる。

それでその困った色々を硬派さんに相談した。

それについても他に相談できる人がいないのと、その相手も絶対の口の固さがないとダメだから、硬派さんはこの上なく適任だった。

そして、硬派さんに相談した時のこと。

それを社内の事情も鑑みながら、人としてできること、気をつけることを考えて私に教えてくれた。

正社員とか仕事人としての話にとどまらず、ものすごく人間的な部分を大事にしたアドバイスで、それだけでも硬派さんに相談した価値は激増した。

だから私は硬派さんにそのお礼と他の人に相談できないからよろしくというのと、さらにそこにかぶせて「硬派さん、自分のすごさに気づいてないでしょ(ニコちゃんマーク)」とも書いて送った。

色々やりたい放題に社内メール使いまくりだけど、そんなことさえも許される。

硬派さんも硬派さんで、私が何を言ってきてもいつも広い心で受け止めてくれるし、本当の本当に一度たりとも嫌な顔をされたことがない。

いつでも親身になってくれるし、全力で助けてくれる。

わからない時は「すみません、わかりません」とはっきりと言って誤った情報を渡さないようにしてくれるし、だからますます信頼が高まって、硬派さんに聞いておけば間違いないと思う。

わからないものは、図面をわざわざ立ち上げて見て確認してくれたり、ネット検索して内容確認してマニアックな技術において知り得たことを私にわかるように伝えてくれる。

毎日メロメロになっているけれど(笑)、もしこれがイケメン上司とならどんな風になっていたんだろう…って思う。





もし今の仕事の内容が当時の仕事みたいな感じだったら、もっと密にイケメン上司に関われた。

社内の人間の中で私がイケメン上司とは一番絡みがなく、そしてどこをどう切り取っても私だけが一切持つことができなかった。

さらに私だけ社内メールを持っていなくて(実際に不要だったから気になりもしなかったし、むしろ手間がなくて良かった)、硬派さんとやりとりするみたいなこともなかった。

軽口を叩くなんて夢のまた夢で、挨拶さえもおぼつかなかった。

最後の1ヶ月近くは挨拶どころかガン無視だった。

本気で思う。

もし当時、仕事でイケメン上司を頼れて色んなやりとりができていたのなら、もっと互いに知り合うことができたのに。

当時絡みゼロだったのは、絡む必要がなかったからだと思う。

硬派さんのように絡む必要のある人なら、何か親しくなるためのきっかけが与えられる。

イケメン上司との間は、すべて排除されていた。

絡みたくても絡めなくて、ただただ何かが降ってくるのを待つしかない、そういう状況だった。

硬派さんとやりとりすると特に感じる。

何百人と従業員がいて、私のいるオフィスは普通に体育館並みの広さを誇って、人数も100人以上いるけれど、そんな中で席が隣りの隣りになって、そして今みたいなやりとりするってどれだけの確率なんだろうって。

だから縁のある人たちとは関わるようにできているし、交わるようになっている。

イケメン上司とは、たしかに出逢うようにできてはいたと思うけれども、交わる計画になかった、ということだと思う。

交わる必要もなければ、繋がる必要もなかった。

急速に仲良くなる硬派さんとの関係を見て、必要な関係っていうのはこういうのを指すんだろうと思う。

私だけが一方的に求めてもダメで、双方にメリットというか意味がなければ繋がらない。

イケメン上司と繋がらなかったのは、繋がらないのが正解だった…、ということなんだろう。

なぜなら、硬派さんと私との現在の形は、社内でもイレギュラー過ぎる繋がり方をしているから。

本当に硬派さんと私は、イケメン上司と私並みに仕事の絡みは何一つない。

硬派さんから何かを頼まれてもなければ、私も硬派さんに何かを頼むのでもない。

完全に硬派さんの好意によって、私が英訳するのにないと困る、理解できない技術の解説を買って出てくれてるだけで、本来それは硬派さんの業務内容にない。

だけど、480ページもあるスーパーカオスな取説の直しをすることになって(これも上から頼まれたのではなく、別の人が最初図や表なんかを入れ替え作業していた際におかしな点をいくつか見つけて、それでこの英訳はやばいとなって、それで私が見ることになったもの)、そういうイレギュラーな流れの中でやってきたもので、量が量だから技術の人ばかりにも頼れなくて、それでそのことを快く引き受けて手伝ってくれてるのが硬派さんだった。

絡みがないのも、硬派さんは部署内では私の上司とは違うけれど立場的に上司なのも、イケメン上司との状況にクリソツ過ぎる。

ただ違うのはその後。

私と繋がる必要のあるなし。

必要だった硬派さんとは、硬派さんのホロスコープまで読むことになって、片やイケメン上司とは最初から何もなく、最後まで何もなく、なんなら最後の方は本当に嫌がられていたとしか言いようのない状態になっていた。

比べても仕方ない。

比べたって現実は変わらない。

硬派さんや硬派さんとのやり取りを通じて、私はたくさん癒されている。

圧倒的にそこが違っていたんだろうなぁと思ってる。

少なくとも、硬派さんは硬派さんで私とやりとりすることでの魂的なメリットみたいなのがあると思う。

イケメン上司とは、私の方は良くてもイケメン上司には百害あって一利なし状態なのがアンバランスすぎて、だから繋がりもしなければ交わりもしない、そういう機会も今みたいに与えられず…。

そういうことなんだろうと思う。

つい最近、東京在住のノムと話した時にノムが言っていた言葉が印象的だった。

「今この状況下で出会える人というのは、すごく縁のある人だって何かで読んだんだよね」

コロナ騒ぎで不要不急の外出は国全体で控えていて、さらにはいくつかの都府県では緊急事態宣言も発令されて、人と会うことや人と出会うことが個人の力ではどうにもならない外からの力で強制的に制限をされている。

ノムが教えてくれた言葉は、本当にその通りだと思う。

こんなにも社会的制限がかかりまくりな時に、それでも出会えるって本当にそれはその必要がある人に他ならない。

この言葉の先に色んな風景が浮かんだ。

そういう意味で硬派さんなんかはその最たる例だし、反対にイケメン上司はそのところからは一番遠いところにいる人なんだ…と心がキュッとするくらい痛くて哀しい現実を再認識した。

今だけじゃない。

もう未来永劫会えない人なんだと思う。

今の職場で同じフロアにいても知らない人たちが多数いる。

顔どころか存在さえ知らない人たちの方が相変わらず多い。

イケメン上司は顔と名前くらいは知ったけれども、存在は知らないに等しい。

私側というより、イケメン上司からすると私は単なる「いた人」、そして交わらないから、交わらないというより交じり合いたくない、関わり合いたくない、それが答えでそれ以上でもそれ以下でもない。

硬派さんは口数が少ない。

少ないけれども、少しずつ打ち解けてる感があるし、ポツリポツリと話してくれることもある。

イケメン上司はどんな風だったんだろうと思う。

そういうことを知ることはないし、知ることもできない。

どんな話し方でどんな言葉のセレクションで、口癖は何で、声のトーンやボリュームはどうなのか。

硬派さんが自分の話し方をとても気にしていることを、いつか話してくれたことがあった。

気にしていることの一番か二番に挙げたもので、それはすなわち日常的に日々気にしていることなんだと感じながら話を聞いたけれども、イケメン上司も同じようなこと言いそうだなと思った。

自分のやり方のまずさを感じずにはいられない。

何も接点がないのに、もちろんそうでもしなければ絶対に個人的に仲良くなれるきっかけが一切ないのも知ってごはんに誘ったけれども、完全に順番がダメだった。

どこの誰とも知らない人からいきなり誘われても困るし、いきなりごはんなんて人見知り傾向の強いイケメン上司からしたら「はぁー!?」って感じだっただろうし、そもそも興味もない人、しかも話したこともない女と時間を過ごすなんて拷問に近い。

無視されて当たり前のことを私がしたわけで、全ては今さらだし過去に戻ってやり直すこともできないけれども、今でもずっとずっと引っかかっている。

そろそろ3年の月日が経つけれども、その間ずっと気になって何度も思い出してどうにもならないのに何も断ち切れずズルズルとここまで来てしまった。

本当に何でもいいから仲良くなるきっかけが欲しかった。

だけど現実には、きっかけは何も与えられなかったし、繋がってはいけないかのようになっていた。

硬派さんとのやりとりは本当に素敵で安心に包まれている。

そうしたプラスの側面が増えれば増えるほど、そうではなかったイケメン上司との時間を思い出し、「繋がらないのが正解」と言わんばかりだなと、なるべく考えないように心に伏線を張っている。

あとどのくらい生きるのかは知らないけれども、残りの生きる時間の中にイケメン上司の存在はないんだという現実に慣れていくしかない。

それでものすごい葛藤する自分の心になんとか自分をすり合わせるしかない。

本当に縁があれば繋がる。

ずっとずっとそれを本気で信じてここまできたけれども、硬派さんの登場によってそしてあっという間に人間関係が形成されていく様子を体験した時に、「何かが根本から違う」って認めざるを得なくなった。

繋がる縁があれば繋がらない縁もあるということ。

私側はイケメン上司に出逢う必要はものすごくあったけれども、そこで目的はすべて果たされたんだと思う。

繋がらないことが正解。

飽きるまで、または嫌になるまで葛藤しようと思っている。

繋がりたいのに繋がれない、生きているのに会えない。

そんなことたちが気にならなくなるその時まで私は葛藤し続けるだろうと思う。

2020年4月5日日曜日

社窓の窓からー星読み











今の仕事に行って、一番心躍る瞬間がやってきた。

そしてかなり面白い展開になっている。

英訳仕事は相変わらずカオスだし、なんならうっかり入社4ヶ月目にして入社2年目の子の教育係とか始まったし。

そんな中、なんと私は久しぶりに星読みをすることとなった。

今の職場の中で星読みをするなんて、想像さえしたことがなかった。

しかも、それもまたとっても不思議な流れで急に決まって、そして今週末から徐々に星を読むことになる。





そもそもは、占星術講座のクラスメイトだったノムとの会話に始まる。

ノムには職場の話を時々する。

その中で硬派さんの話も出てくる。

硬派さんはつい最近まで私の席の隣りの隣りに座っていたイケメンエンジニアで、真冬の日の飲み会を境に打ち解けて、私の英訳のために技術的なことを教えてくれる超絶強力なスーパーアシストをしてくれる先生となっている。

今お偉いさん寄りの席に移動したけれども私は変わらずに質問に行っている。

何せ本当に大御所からものすごく見える&近い位置に移動になって、すごい行きにくいなと思っていた。

席替えの直前に硬派さんと話した時、目立つけれども変わらずに席に行ってもいいかを聞いたら、「もちろん、いつでもどうぞ!」と相変わらず優しいことを即答で返してくれた。

一度女上司から、硬派さんとは業務の絡みがないから教えてもらえるのはありがたいことだけれど、それによって硬派さんが上から目を付けられないように気をつけてと釘を刺された。

それも硬派さんにそのまま言ってあって、もしそれで硬派さんが居づらいとかやりにくいとかあれば言ってねとも言ってある。

その時も硬派さんは優しくて、「そんなの気にならないし、上も別に気にする人じゃないから大丈夫です。武士俣さんいつでも来てください」と返してくれた(♡´艸`)♡←イケメンが言うから、より一層カッコ良い。

最初こそ気後れしたけれども、一度クリアしてしまえば私など堂々と硬派さんに聞きに行っている( ̄∀ ̄;)。

これは業務の内容的なものなのか、それとも硬派さんだからなのかは知らないけれども、硬派さんを挟んで4人エンジニアの人たちが並んでいて、1人は大御所だからさておき、3人横並びなのに、どういうわけか女性社員数名全員がかわるがわる硬派さんに質問に行っていて、硬派さんのところだけやたらと華やかな感じになっている(笑)。

私の席から硬派さんの席は丸見えで、今度正の字で数えようかと思うくらいに、とにかくたくさんの女性社員が訪れていて、私もどさくさに紛れて行っている(私は業務の絡みがないから、浮いてるだろうけれど)。

つい最近ノムと話した時に、ノムが
「硬派さんの星座って何座だろうね〜」
と言った。

これはノムの知的探究心が成せる技だけど、ノムはテレビで芸能人を見て「この人何座っぽい」とか予想して、その後ネットで誕生日を調べて、正解を確認してるとのこと。

自分の知り合いに対してもそうしていると言っていた。

その流れでノムが普通に「硬派さんって何座だろうね〜」という話になった。

なんなら2人で硬派さんの星座予想までした。

それの流れで私は硬派さんに星座を聞くことになった。

最初その話を忘れかけていたけれども、ノムに私より一回りほど下のいとこの結婚祝いのお返しでもらった商品券を使って、五千円以上する占星術の本を取り寄せた話をした時に「硬派さんの誕生日聞き忘れた」ことも思い出して、その次の日だったかに聞いてきた。





硬派さんには、技術の質問に行く時についでに聞いてこようと思っていた。

でもこういう時って不思議なもので、私は硬派さんの席に質問しに行った時ではなく、全く別の時に聞きに行った。

今の職場は一旦定時になるとチャイムが鳴って(始業や昼休み前後、定時、その後も1時間おきに時を知らせるチャイムが鳴る)、一旦15分休憩に入る。

残業の人たちは、一応労働基準法か何かに基づいて、その時休憩を取るきまりになっている。

トイレに行った帰り、廊下で2メートルほど前を硬派さんが歩いていた。

後ろから名前を呼んで呼び止めて、「またいきなり超おかしいこと聞くけれど」と前置きした上で、誕生日と星座を聞いた。

星読みを東京まで習いに行って、その時のクラスメイトと硬派さんの話をした時に「何座だろうね〜」という話になって、それで聞いてることも説明した。

硬派さんがそれを聞いて「武士俣さん、じゃあ星読み⁇できるんですか?」と言ってきたから、職業としてはやらないけれども、できるはできるというような感じで答えた。

しかも、私の場合、他人のものを読みたくて習ったんじゃなくて、オカルト的なことも含めてあまりにも色々なことが自分の身に起こるから自分の人生の設定を知りたくて、でも自力で読むには限界だったからそれで習いに行ったこと、結果的に読めるようになったという話もした。

具体的に何という言葉で言われたかは忘れたけれども、硬派さんはそれを聞いて、自分のものを見て欲しい、知りたいみたいなことを言ってきた。

それは普段の硬派さんらしかぬ発言だった。

硬派さんは基本的に何かを自ら「こうして欲しい」という人じゃない。

ましてや自分のパーソナルなことを外に出すタイプとは違う。

どちらかと言えば、心のパーソナルスペースに入ってくることを嫌がるタイプだと思う。

だから硬派さんから何かを、ましてや個人的なものに立ち入るものをやって欲しいということに驚いた。

本当に短い立ち話だったけれども、その小さなやりとりで、硬派さんのは見る必要があるんだと思ったし、それが何になるかなんてわからなくても双方にとってただただ大切な何かなんだろうと思った。

出生時間と出生場所の旧市町村町の名前が必要だと説明した。

もし時間がわからなければ、私の方でペンジュラムと呼ばれる石で時間を出すから大丈夫と伝えた。

硬派さんはそれにも興味を持ってくれて、なんかそれ面白いですねだったか、とにかく好意的に見てくれたのは本当だった。





翌日、今度は社内メールでもう一度きちんと出生時間の説明と、もしお母さんが里帰り出産をしていたのならその市町村名を教えて欲しいと連絡した。

本来業務メールで使うメールをこのように超私的に使うことに対してどうかと思うけれども、まぁ他に手段もないからいいだろう…と思って出した。

午後になってからだと思うけれど、硬派さんのところに技術の質問に行った。

その時、硬派さんは私の顔を見るなり、満面の笑みで「メールの件了解しました」みたいなことを言ってくれた。

その笑顔に触れただけで、硬派さんの星読みをするっていう流れになって本当に良かったなと思った。

そういうマニアックなことを言っても、なんなら色々掴みどころのない初めて耳にすること満載のある種怪しい話なのに、硬派さんにとってそんなのは全く気にならないようで、言う前も後も何も変わらないでいてくれることが本当に嬉しかった。





週末にホロスコープの読み解きをしようと、硬派さんには金曜迄に出生時間と出生場所に関しては連絡が欲しいと言ってあった。

金曜の午前中に硬派さんと技術のことでやりとりした時に「気絶して聞けてない」と言われた。

「気絶!?えっ?倒れたの?」って聞いたら、「いや、疲れてそのままバタンキューで昨日は寝てしまったから、昼休み(母親に)聞きます」と返ってきた。

昼休み後しばらくすると、生まれた病院名と大体の時間がメールで送られてきて、時間はそれで良いかを聞かれた。

できるなら詳しい方が良いことを説明したものを返信した。

硬派さんは相変わらず丁寧で、「自分のメールはあっさりしててごめんなさい」と来た。

全然あっさりどころか、そういうこと言えるのがすごいと思った。

さらに、ペンジュラムで調べてもらうことにも興味があるとあった。

硬派さんに5分くらいで調べるのは終わるから、移動時間含めて10分ほど時間が欲しいと返した。

その頃には私の頭の中では、社内でペンジュラムを回すなんて、私にとっても硬派さんにとってもおそらく一生忘れないような印象深い時間になるだろう…、と未来の思い出にまで想いを馳せていた(笑)。←仕事中。





硬派さんの席に行った。

あらかじめ紙には、時間を3択で書いて、場所は硬派さんの方が社内事情に詳しいから、「場所」とだけ書いて、技術の質問が含まれる資料と共に持って行った。

技術の質問の前に、まずは時間と場所を書いた紙を見せて、どうするかを聞いた。←仕事中。

硬派さんは時間はさておき、場所は考えたけれど適当な良い場所を思い付けなかったと言った。

時間については「今日は定時日です」と言った。

今の会社は、基本的に週に1日は定時で帰るきまりがある。

通常は水曜日だけど、硬派さんは水曜は残業して代わりに今日定時で上がると言った。

私もそうで、今日定時で上がることを言った。

仕事終わった後少し時間ある?って聞いたら、硬派さんは「少しならあります」と答えた。

私は持ってきた紙にささっと自分の電話番号を書いて、終わったら電話くださいとお願いした。

硬派さんは「わかりました」と答えて、その紙をすぐに机の引き出しにしまった。

その後は何もなかったかのように、しれっとそのまま技術の質問をした。

硬派さんは英語にも精通していて、先日英語がすごくできることを私が言って、何でできるかを聞いた。

できないと言いながらも、大学の時はクラスの半分が留学生でプレゼンも英語でやらないといけなかったと言っていた。

ものすごく頭の良さと聡明さを感じるけれど、なんなら本人にも言ったけれども、相変わらず自分はそんなじゃないと謙遜してあっさりと否定された。





仕事が終わってから車の中でこのブログの下書きを始めながら待った。

しばらくすると硬派さんから電話がきた。

少しなら時間があると言ったから、じゃあと言って某コーヒーチェーンのお店に集合することにした。

コロナ騒ぎで大して客もいないだろうし、会社の人に会うこともないだろうし、席と席が良い具合に離れているから落ち着いて話せるだろうと予想して行くと、大当たりだった。

ここまでの展開があまりにもスムーズであまりにも有無を言わさず進んでいくから、私は感知した。

これはもう紛れもなく神々の審議会案件で、硬派さんに星読みを通じて硬派さん自身から来てるだろうメッセージを伝えることが硬派さんにとっても私にとっても必要な出来事なんだろうと思った。

しばらくして硬派さんがやってきた。

2人で「なんか不思議な感じだよね」と言いながら始めた。

硬派さんの奥さんは今日市内の実家に帰ってるようで少し遅くなるから、今日は出ていても大丈夫なようだった。

どのくらいかかるかを最初に確認されたから、30分もあれば終わるし、長くても1時間程度話せば終わると思うと伝えた。

最初は少し占星術の説明をした。

マニアックすぎる私の説明も興味津々で聞いてくれる硬派さんは相変わらずすごかった。

ペンジュラムを取り出してまずは硬派さんに見せた。

ふと、私がいきなりするよりも、硬派さんに持ってもらって、それでペンジュラムが勝手に動くことを体感してもらった方が伝わるだろうと思った。

硬派さんに簡単に説明して、実際にペンジュラムを持ってもらった。

硬派さんはそっとペンジュラムを持って、私に言われるままペンジュラムが動くのを待った。

動かなかったらどうしようかと心配したけれど、その心配は杞憂に終わった。

硬派さんが持ってすぐにペンジュラムが動いた。

硬派さんも「えっ!?えっ!?」とか言いながら驚いている。

持ち方の問題かと思ったのか、糸をピンと持ってペンジュラムを一旦手で静止させて再度持っている。

またすぐに動いた。

「ね!勝手に動くでしょ?」

「そうですね!何でこうなるんですか?」

「何でかは知らないけれど、とにかく自分で動かしてるのじゃなくて、勝手にペンジュラムが動くんだよね。でしょ?」

「いやー、びっくりしました」

しばしペンジュラム体験をした後、硬派さんはものすごく大切そうにペンジュラムを持って、私の手のひらに返してくれた。

ここだけでも動画にして見せたいくらい、硬派さんというのはとにかくものすごく自然に無意識に、相手の大切なものを大切にする振る舞いが身に付いている。

行為のカッコいい人に時々当たるけれども、硬派さんはその中でも過去最高のカッコよさだと感じる。

「育ちが良い」って本当にこういうことを言うんだと思う。

続けて、硬派さんの出生時間を調べた。

お母さんからは「20時半くらい」と聞いたとメールにあった。

硬派さんに私がペンジュラムを持つ時のYESとNOの動きを紹介してから、まずは夜の8時半より前か後かを聞いた。

前にNO、後にYES。

その後、30分台か40分台かを聞いた。

30分台にYES、40分台にNOが出た。

そこまで出た時に、31分は?とか32分は?と聞くのでもいいけれど、10択になるから、もし硬派さんが0から9までの中でピンとくる数字があれば、それを真っ先に聞いてもいいなと思った。

そのように説明して、もしピンとくる数字があったら言ってと言うと、しばらく静かに何か思いを巡らせるみたいな風にした後、「6、6って出てきました」と言葉が返ってきた。

私はその一言にひっくり返りそうになりながら、心の声をダダ漏れにしながら「色々びっくりしてるんだけれど、とりあえず後から説明するね」と言って「36分は?」と聞いた。

YESだった。

もう一度聞いてもYES。

硬派さんに両手をテーブルの上に出すように促して、硬派さんの手のひらの上でも確認したら、やっぱり36分にYESだった。

硬派さんに説明した。

「さっき言いかけたことなんだけどね。
あのね、私の生まれた時間って朝の8時36分なのね。で、硬派さんが6って言ったでしょ。それって夜の8時36分なわけで、それで超ビックリしたんだよね」

硬派さんも驚いていた。

硬派さんはこんな風に教えてくれた。

「あの時、どういうわけか『6』って出てきたんですよね。別に6なんて普段好きな数字じゃないし、絶対に選ばないです。好きな数字なら、例えば…、33とか言ったかもしれないのに、あの時パッと出てきたのが6で、すごい不思議な感じでした」

硬派さんも不思議がりながら当時の回想をしていた。

占星術講座の先生から、最初の数人のお客さんは自分とかなり縁の強い人たちが来ると教えられたんだけど、と前置きした上で、硬派さんが正式に読む人としては2人目で、1人目の子は同い年の数日違いの全く同じ時間に生まれた子だったこと、その後数人はちょいちょい見ていたけれど、本格的に見るのは硬派さんが2人目なこと、そして硬派さんまでもが朝夜の差はあれど時間が同じと知って、本気で驚いたことを言った。

硬派さんが一通り私の話を聞くと、「それって巡り会いってやつですかね」と言ってくれた。

イケメンが真っ直ぐ目を見て「巡り会いってやつですかね」なんて言うと、どれだけ絵になって胸ズキュンフレーズなのかと思った(笑)。

しかも硬派さんは言葉数が少ないから、そんな人が「巡り会い」なんて言うと、ますますプレミアム度が上がる。

「そうだと思う。縁の繋がりの強い人だと思う」と返しながら、硬派さんと縁強いなんてものすごく嬉しいぐらいは言ったかもしれない。←相手は既婚者だし年も離れてるから、何言っても許されると思ってる( ̄∀ ̄;)。

硬派さんと時間が許す限り色々と話をした。

聞けば聞くほど、硬派さんの真剣度合いも伝わってきたし、星読みから今のタイミングで硬派さんにメッセージを伝える理由もなんとなく感じた。

ちなみに私は自分が超気になっていた、どう説明してお母さんに生まれた場所と時間を聞いたのかを聞いた。

硬派さんみたいな、「ザ・理系男子」がどう母親に説明して聞き出したのか、気になって仕方なかった。

成人した息子を持つお母さんたちは、息子とのLINEとかのやりとりを本気で喜んでしているのも何人か見てきたし、息子の事務連絡的なLINEでさえも物足りなさを覚えながらも嬉々として返信してるのも知っている。

夫婦仲にもよるだろうけれど、私の知ってるお母さんたちは皆「旦那<息子」で、しかもその不等号の比率がどこをどうやっても息子側に大きく開いている。(気のせいか、息子のいる母親女性の中で、息子より旦那が大事と言った人に未だかつて会ったことがない。)

硬派さんみたいな息子ならお母さんも自慢の息子だろうなぁと思ったし、絶対に即返信してくれそうと思ったらそれも当たっていた。

硬派さんは単刀直入に時間と場所を聞いて、細かいことは何も説明しなかったらしい。

案の定お母さんから「どうしたの?」と聞かれて(そりゃそうだ)、うん、ちょっとねとか言って、そこは説明するのを省いた模様。

だけど、私が星読みした後にもしまた聞かれることがあれば、ありのまま説明するつもりでいるとも言っていた。

それをきちんと説明するって、それだけで親子関係良好!と思った。

そして会社の中の廊下で聞いた時の感想も、聞いてないのに教えてくれた。

「廊下で武士俣さんに呼び止められた時、絶対に何かいつもとは違うことだろうなと感じたら、ほんとブッ込まれました(笑)」

並々ならぬ感覚を感じたようだった。

何を聞くかと思えば、星座だの誕生日だのを聞いて、びっくりはしたようだったけれど、硬派さんはその時もそんなのはおくびにも出さず淡々と対応していた。

硬派さんは言ってくれた。

「自分も色々あったから、見て欲しい、武士俣さんから自分のものを読んで欲しいって思って、それで頼みました」

硬派さんはいくつかのことをかいつまんで話してくれた。

これは勝手な想像だけど、元来ベラベラと自分のことを話すタイプじゃない硬派さんが自分の内面をベラベラと話すというのは、相当な勇気が必要だったと思う。

自分が言葉が少ないのも話し下手なのもそれ故に相手に伝わりにくいだろうことも、色々気にしていた。

それでも硬派さんは真剣に話していたし、私は言葉が少ないとか話し下手とか伝わらないとか、そういうことは一切思わなかった。

むしろ、硬派さんの真剣度がものすごく伝わってきて、ますます硬派さんの星読みをすることに背筋がピンと伸びるようだった。

さっと見た時に感じた特徴を1つ言っただけでも、硬派さんはすでに当たっていてビックリしたと言っていた。

私の中で、とにかく読めるものを読んで、私のところにやってきたメッセージをきちんと伝えようと決めた。

新婚に近い硬派さんは「そろそろ時間が」と言って、時間をありがとうとお礼を言って「こちらこそありがとうございます」とこれまた丁寧にお礼を言ってくれて、それでお開きとなった。





硬派さんと別れた後、私は大型書店に向かった。

数日前の3月29日に占星術の本を注文していて、それが届いたと木曜に電話きて、それで定時上がりの予定だった金曜に取りに行こうと元々計画していた。

不思議すぎる流れだった。

去年の夏、私より一回りほど年下のいとこが結婚した。

うちの両親が私たち三姉妹もご祝儀を出すようにと、とりあえず2人が立て替えて、その後妹たちは帰省時に私は今の仕事を始めてお金ができた時にその分を両親に返した。

そのお返しがいとこの親、私からしたら叔母夫婦から商品券として返ってきた。

できれば、何か思い出になるものに変えたかった。

半年近く財布の中に商品券はあって、あまりはっきりとは覚えてないけれど、硬派さんの星読みをすることになる少し前に突然「そうだ、あの本にしよう」と決まって、それで商品券が使える大型書店に注文しに行った。

一生モノになることはわかっていて、これならずっと残るし使い続けるからいいなぁ、しかも結婚というめでたいもののお返しだからさらにめでたいなぁと思っていた。

まさかその後硬派さんの星読みをするとか、硬派さんを呼び出してペンジュラムで出生時間出すとか、硬派さんも超食いついて興味持ってくれるとか、そんなの全て想定外だった。

やってきたのが冒頭の本だった。

私はすかさず次の日に、レシートの時間を見てホロスコープを出してみた。

驚いた。

何か出てくるだろうとは思ったけれども、想像以上だった。

私の人生の到達点のテーマは「お茶の葉を読む女」になっている。

いかにもオカルト全開なテーマなわけだけど、私の元にやってきた辞書より厚い本は、他者との接点のテーマとして「お茶の葉を読む女」と出てきた。

この本は単に自分の興味関心のためにやってきたのではなく、私がこれを他者のために使うことを意図されてやってきたものなんだと理解した。

そして、取りに行ったタイミングも、まさかの硬派さんの星読み関連のところに付随した時になるなんて、あまりにも想定外すぎた。

想定外すぎたけれども、そうまで整えられてやってきた本だから、その流れを心底信じることができた。





硬派さんの正式なホロスコープと、硬派さんを廊下で呼び止めた時のホロスコープとを出した。

正式なホロスコープを出してわかった。

硬派さんは絶対的に繋がる必要のある人というのが見て取れた。

ちょっとの縁ではない。

ものすごい縁のある人で、私からすると、安心して私がオカルト体質を強化・パワーアップできる、そういう私を引き上げてくれるのが硬派さんだった。

硬派さんを廊下で呼び止めた日は、これまたすごい空の天体模様になっていた。

ノムにもそのホロスコープを送って見せたら「その日のチャート強烈」と返ってきて、感じたままを言葉にして教えてもらった。

その時のノムの言葉には硬派さんに向けられた素敵なメッセージも含まれていて、それをノムのやさしさがギュッと詰まったまま渡したらいいと思った。

硬派さんには東京まで通って占星術講座を1年ぐらい受けて、その時のクラスメイトの1人がゲイの男性で、その人と今も仲良く星読みやら他の何やらと色々と情報交換にいそしんでいて、その友達が「硬派さんって何座だろう」と言ったことがキッカケとなって今回の流れに行き着いていることも説明した。

その彼からの言葉と前置いて渡したらいいんだなと思った。

そのメッセージもノムのメッセージなのか、それとも硬派さんの意識から派生されてノムにも行き着いてノムが代弁してくれてるものなのかはわからない。

どうであったとしても、硬派さんにとって知っておいた方が良いものだと思う。

理由とか理屈とか抜きで、「絶対に届ける必要のあるメッセージ」という感じ。





この試みがどこに行き着くかはわからない。

だけど大丈夫と信じてる。

ノムも惜しみなく協力してくれるし、硬派さんも誠実に向き合ってくれる。

そして、あの時は「今日!」と思って頼んだ分厚い占星術の本も、大丈夫と物語っている。

最後の1枚は、一度レジまで行く気満々で、注文表の控えを見て、レジには行かず車に戻って携帯を取りに行って、そうしてまででも残しておきたいものだった。

多分レジで出したら店側が引き取って私の手元には残らなそうと思った。

だったらせめて写真に収めておこうと思った。

この中に「大丈夫」サインが入っている。

私だけが知るそのサインを残しておきたかった。

オカルト的な力がまた1つ上がる時、いつも必ずサインがくる。

今回も重大な局面の1つなんだと思う。

その重大な局面でも大丈夫だよと言わんばかりのサインがやってきている。

サインにも支えられてる。

見えないところでいつも支えとなってくれる存在に心から感謝した。

繋がりを信じてるのは私1人だけだったとしても、そのことで自分が強くいられるんだからいい。


2020年4月2日木曜日

⒁【おいせさん手帳】自分の感性という贈り物


桜2019



おいせさん手帳第14回目。
担当:私


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4月2日

唯一無二のあなた自身への贈り物。
桜開花の季節

桜の花を毎年心待ちにする気持ちは、日本人特有の感性です。桜の蕾から散る桜の花びら1つにまで日本人はそれらに心を向けます。この素敵な大和魂は、日本に生まれ育ったからこそ育まれる感性です。あなたの中に流れる感性は、あなたの中にだからこそ魂を宿しました。その感性は、あなたが生まれた時にあなたの命と共に贈られたギフトです。

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さくらのことで面白い話がある。

ドミニカ共和国にいた時のこと。

日系人のご夫婦のお宅におじゃましたことがあった。

2人とも子どもの頃にドミニカに渡ってきて、当時はおそらく若くて60代、もっと上だったような気がする。

数年に一度は日本に帰国するという。

その話の中で面白いことを言っていた。

「いつかの年、春に日本に帰って桜を見たんだけどね。日本人が毎年桜を心待ちにする、あの気持ちがわからない。たしかに綺麗だったよ。だけどまた来年もその次の年も見たいかって言ったら、そんなことはなくてね。だけど日本じゃ毎年楽しみにしてるって言うじゃない。不思議な感覚だよね」

私はこの話を聞いて、心底驚いた。

ご夫妻は生粋の日本人で、ある時までは日本国内で普通に日本人として生活していた。

ところが、ドミニカに渡って、少なくとも成人以降はずっとドミニカにいるし、今さらもう日本で生きていきたいとは思わないみたいなことも言ってた。

ドミニカは年がら年中半袖でいけるような気候で、四季がない。

雨期と乾期があると言っても、雨季は1日の中で多少雨が降るという程度で、私はあの国で最後の最後まで傘を使った記憶がない。

傘さえも持ってなかったかと思う。

とにかく四季がない風土だから、日本のように毎年桜を心待ちにするなんていうような感性もない。

その日系人のご夫妻が特別なのではなく、ドミニカにいる人たちなら皆似たようなことを言うのかもしれないなと思う。

それを聞いた時、初めて「桜を毎年心待ちにする」とか「桜を愛でる」とかいうのは、日本に住み続けることで自然と培われる感覚なんだと知った。





私が自分の感覚を、意識して一番に据えるようになってから2年くらいになったと思う。

前は自分の色んな感覚に全く自信もなければ、自分の感覚があまりにも世間のものさしとは違いすぎるとドギマギしてしまっていた。

自分じゃなくて世の中が正しいような気持ちにしょっちゅうなっていたし、自分は何かを間違えているんじゃないかと不安にもよくなった。

いつの時が本当の意味での転機となったのかは今となれば思い出せないけれども、ある時から「自分はこう感じてる」のその自分の感じ方を大事にするようになった。

周りは私に対してどう反応するかはわからなくても、私は少なくともそのように感じてる以上誤魔化すことができなかった。

今思うと、そのようにしていたからこそ、自分のオカルト的な感覚もどんどん増すようになったと思う。

私にとって自分の感覚を信じることは、すなわち色んなものをキャッチしてしまう見えない世界のものに対するパイプも太くする結果となった。

自分だけは自分のことを信じよう、そう思えるようになったことがとっても大きかった。

そう思えるようになってから、自分自身もとても楽になれた。

自分を疑うというのは、今振り返るととても骨の折れることで、ものすごい労力を必要とする。

それは自分を否定していることにも繋がっていたから、余計としんどかったなぁと思う。

今も自分を疑ったり否定したりはするけれど、以前に比べたらうんと良くなった。

そして、自分の感覚を肯定すればするほど、それで間違えても仕方ないと思えるようになったし、自分自身も「これでいいんだ」って思えるようになった。

自分の感覚を基準にできるというのは、周りに惑わされず自分の信じるものを深められて、自分にとっての安心感が得られる。

ここに来るまで本当に長かったけれども、ようやく自分を信じて大丈夫だなというのが少しずつ増えてきて、増えた分生きづらさが減って生きやすさが増した。

こんな風になって思うのは、自分の感覚というのは自分にプレゼントされたものだと知る。

誰でもその人にしかない感性がある。

その感性に正解も不正解もない。

正解も不正解もないなら、その自分の感性をいかに好きかやいかに居心地良くいられるかが大きな鍵となると思う。