2025/10/02(木)
今日という日は単なる10月の始まりのとある平日ではなくて、私にとっては約30年周期のプログレスの月と呼ばれる、30年かけて個人の大きな流れのサイクルを終わらせる、そんなタイミングの日だった。
2025/10/03(金)
書きたいことはいくつかあって、なんならタイトルだけはもう決まっていてあとは書けばいいというものをもう何ヶ月も持ち越していて、そうしたらすっかり暦の上では秋になってしまった。
2025/10/05(日)
“決めたとか選んだとかじゃない
自然に残った生き方
真実しか残らない”
某YouTubeから流れてきた音声
2025/10/13(月・祝)
行きの道で555のナンバープレートの車を見た。
今見ても「ブログ書こう!」なんていう決心にはならず、今普通にこうして書いてはいるけれど、例えば2017年に戻ってあの時に夕方だけど夜と呼んでもいい暗さの中で見た555ナンバーの車を見た時みたいに「ブログ書かなきゃ」と奮起するのだろうかと思うとよくわからない。
年に何回か見かけるけれど、あの時が最初で最後だったと思う、あんなにも思い詰めたように「ブログ書かなきゃ」なんて思ったのは。
*
行き先はガストだった。
友達Sさんにゲイの友人ノムの初めての本を届けるために、1週間ほど前に3連休都合がつくならどこかで会いたいと連絡したら、土日は長野に登山に行くから月曜日が良いと言われた。
登山後の日に休まなくて大丈夫かと聞いて別の週でも良いと伝えたけれど、月曜日で良いとのこと。
本を届けることは言わずに時間を気にせずおしゃべりできるガストにしようと私から提案してガストになった。
ノムの本はざっくり説明すると、ごく最近ノムはとある個人書店で個展を開催していた。
会期の折り返し地点の時に連絡が来て急遽電話することになって、そこで紆余曲折あったけれど今回自費で本を作ったと教えてもらった。
私は話を聞いてノムに本を買いたいと言ったらぶっしーには献本したいから近いうちに送るねと言ってもらえたけれど、本ができるまでの過程を聞いたらそして記念すべき初めての本なわけでこれは買いたい、でも2冊も要らないからどうしたものかと思って咄嗟に思いついたのがノムの絵や文章を私が撮った写真越しに見たことのある友達Sさんが思い浮かんで、そうだ、Sさんならこれプレゼントしたのなら喜んで受け取ってくれるだけじゃなく大事に末長く手元で愛でてくれるだろうと思って、それでノムに1冊は買うから2冊送って欲しいとお願いした。
さらには個展で買ってくれた人たちにはそこにカード使ってメッセージを書き下ろしていると聞いたから私とSさんの分もお願いして、それをまだまだ個展は後半戦があるのにノムはその
個展の合間にそれらをして私に送ってくれた。
その本を持ってガストに行った。
Sさんは本当に泣きながら喜んでくれてとても嬉しかったけれど(まだノムに報告していないけれど、先にブログを今の書けるうちに書かないとまた書かないだろうことが想像できるから先にこれを書いてる)、Sさんの話を聞いたら驚くべきタイミングでその本を渡すことになったと知った。
少し前、それこそ今月に入ってからの話。
Sさんは映画を一緒に見る異性の同士みたいな、恋仲とかは一切なくて、お互いに結婚とかそんなのは絶対になく、とにかく年に何回か映画を相手Aさんとしよう、Aさんの自宅で見るというそういう不思議な間柄の相手がいた。
とあるオフィシャルな飲み会の時に席が隣りだったかになって映画の話で盛り上がり、その時に盛り上がった映画がなんと『かもめ食堂』で、私も初めてその話を聞いた時は超食い気味に喰らい付いた。
男子とかもめ食堂の話で盛り上がれるって何!?、そんなピンポイントでその映画の良さを共有できるってどんな男子ですか?と超羨ましくもあり、そもそも映画を見る習慣のない私が(年間ゼロと言ってもいいくらい見ない)数少ない見たことのある映画でなんだかすごく良かったと記憶に残るその映画、そんな映画の感想で盛り上がれるなんて超素敵!と絶賛と嫉妬が少し混ざったみたいな感じで興奮しながら感想を言ったこともよく覚えている。
かもめ食堂の人なんだけど…、とSさんが今回切り出した時に私は「何か進展あった!?」と良い報告なのかと勝手に超一瞬だけ盛り上がったけれど、次の言葉は「つい最近亡くなった」だった。
頭の中は全く何も追いついていかなかった。
少しばかり年上だとは聞いていたけれど改めて聞くと50代前半だった。
しかもしっかりと何歳と知っているわけじゃないから「多分52歳かな?うちらより5個年上だと思うから」と後からいくつか質問して聞いてまだまだ若いと知った。
突然の死で自死だった。
共通の知人が連絡をくれて知って、そして葬儀の前に顔を出せる機会を得て最後会ってきたとあったことをひとつひとつかいつまんで教えてくれた。
私が連絡したのは、2人でLINEのやりとりの日付を見て、それがAさんに最後会いに行ってきたその日の直後だったと知った。
Sさんは登山も決まっていたけれど、そして普段なら普通に次の週に変えて欲しいと言ったと思うけれど、今回はこうしたすったもんだがあってそのタイミングで私から連絡が来て「日にちをずらすんじゃなくて今回なんだ」と思ったとそれで今日になったことを教えてもらった。
普段から会う時直前にしか連絡しないから年に1回ないし2回程度しかお互いに連絡を取り合わない、それも互いに誕生日が3月だから通年なら春先、それが何もない10月なわけでSさんも何か違うけれどこれはすぐに会うのが良いと思ったと、まさかそんなタイミングで連絡していたとはゆめゆめ思わなかった。
さらに驚いたことに、その葬儀場というのが昔むかし、私が小学校2年生の時まで住んでいた町にあるものでそこは私の登校班の集合場所だった。
亡くなったAさんはその近くにお住まいとのことで、そんなまさかのことまで今回判明して本当に驚いた。
SさんがAさんの訃報を聞いて色んなことが走馬灯のように出てきてその中で最初に出てきたシーンがとある映画を見た時の風景だった。
映画のタイトルはわからないけれど、映画の中で付き合っている2人のうちの彼女の方がなかなか波乱万丈な人生だったようでそれで彼氏の方がそれに対して大変だったねだったか辛かったねだったかまぁそのような類いの言葉をかけると彼女は「そんな人生だけど、私嫌いんじゃないんだよね」みたいなセリフを言ったらしい。
けっこうウルっとくる場面ではあったらしいけれど、そのシーンでAさんは号泣していたらしい。
そのシーンがすごく印象的でそれが最初に出てきたAさんとの思い出だったと教えてくれた。
*
ずっと書こうとしていたブログのタイトルは、『もどかしい、あきらめ、それから』だった。
こちらは本当はここで書きたかったけれど、この通り書いていない。
ざっくりと概要を言うと、もどかしいは単純にブログを見てくれていると確信している、それも毎日毎日確信している、なのに連絡は一切来ない、その状態がもどかしい、もどかしくてもどかしくてどうしようもない、それだった。
あきらめは、もう連絡なんてこない、本当に連絡を取りたければこの何年もの時間の中で来てるでしょ、来ないのは連絡しませんの意思表示の何ものでもないでしょというあきらめの気持ち。
もどかしいとあきらめとあきらめたくないとそれらが常に日々変動しながらここまできた。
「それから」というのは私の着地点はわからないけれど、それ以外の気持ちの着地点が見つかるだろうというか何かしら気持ちの落とし所が出てくるんじゃないかという自分の中の期待みたいなもの。
それが何かなんてわからないけれど、何かしらは出てくるという想像と期待。
それらをもっと丁寧に書きたかったけれど、ここ数ヶ月本当に書くのが面倒に感じたり(5年日記も数ヶ月休止している)、いつ書けるかもわからない、反応がないとわかって書くことに対して前みたいにがむしゃらに書けていた時のような熱量はなくてそうなると行動はなかなか形になってくれない、これだけとりあえず書けばわかる人にはわかると信じて書いている。
順番がめちゃくちゃだけど、この8年特にこの数ヶ月は何度も自分の中で思った、いつ死ぬのかもわからない、絶対に生きて会えるという保証がないのに連絡を取らないっていうのは連絡を取る価値を感じてもらえないからだと。
年齢相応の不調はあっても病気とかはなくて、でもいつまで生き長らえるかなんて自分でもわからないわけで、絶対に死なないなんていうことは誰にもなくて、自分も相手もいつかはこの世から去るのが決まっていて、もちろんそんなこと普段感じることはなくても無意識に生を意識することは日々あって、生きてなきゃ会えないというのは耳にタコがたくさんできるくらいに念仏のように唱えているけれど、その反対に会えなくても困らないとか寂しくないとかとにかくそうした感情であればそりゃ面倒でしかない私への連絡などするわけがないと思っている。
今回Aさんの死を聞いて、今ならまだ会えるのになと思った。
これから100歳まで生きるかもしれない。
それはわからない。
だけどあと少し、それも数ヶ月とか数週間とかいう時間かもしれない。
それは私だけじゃなくて相手も同じ。
死に対して誰しもがコントロール不能の結末に対して自分で時期は基本的に選べない。
この人とはどうしても会っておかなきゃと思えば会う。
でもそうでなければ会わない選択肢はしごく自然なこと。
Aさんの死を聞いて、私の人生で望んでいることはどうなのかとまたいつもの自問自答を始めた。
いつもの自問自答だけれど少し違うのはまさかの死を聞くことになって、普段は遠いところにある死というものが今日はリアルな感じにパワーアップして、そうした究極の状態を想像した時に私は選ばれていない、連絡したいと選ばれていない人なんだという現実。
やるせなさがあるけれど、現実は現実。
*
さてはて、プログレスの新月を迎えてその前から超意識しまくったことが1つある。
これまでの30年の中で完了したもの、終わった関係、色々あるけれども、今もってブログを見ている=この節目を越えても繋がれている何かがあることの至福感というのか感無量感というかそのようなものが私の中にあった。
これは相手の気持ちや考えなどガン無視で私の見えている私側の風景を言語化すると、節目を越えて繋がっているというのは稀有なことで奇跡だなと。
想像するに私に連絡するというのはバンジージャンプを100回やる方がまだやれるかもしれないくらいにハードルが高く空なんか突き抜けちゃうくらいのことなのかもしれない。
私が相手と同じ行為をした側ならいくら連絡を取りたくても取る勇気がない。
それは想像できる。
でも1つ言えることは、私は何今さら連絡してくんの?みたいな否定的なことを言うなんてないしそれを思うこともない。
連絡をくれるなら一言ありがとうだと思う。
その部分だけは私はとっても寛容で人間できてると思う(←自分で言っていてもちろん痛々しい)。
とにかくいつ死ぬのかもお互いわからないんだから、連絡する意志があるのならどうか孤高のバンジージャンプを飛んでくださいと思ってる。
幸いにして物理的に離れているから突撃されることも襲われることもないから大丈夫だし、危ないと身や心の危険を感じたら私をブロックすればいい。
どうやってこれを終わらせようかと思いつつもはやそんなこと考えても妙案などないからこのままアップすると思う。
どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
そうだ、YouTubeの言葉「決めたとか選んだとかじゃない、自然に残った生き方、真実しか残らない」、これは私が超良い風に解釈した心情と同じだなと、それで印象に残ってメモしたもの。