2018年4月30日月曜日

命を響かせよう

今月はすっかり忘れてた、Xデー。

毎月月末のある日は、私がその1ヶ月又は9月から数えての何ヶ月目かを振り返る日になってる。

毎回色んな思いが交錯するけれど、自分自身がここまで来れたんだなとどこか感慨深いものがある。

ホロスコープ調べマニアは「半年前に望んだこと」が今現実に現れてるという記事を読んで、さっそく日記帳を開いた。

何があったかは何となく覚えているけれど、それじゃなくてもっと具体的なものが知りたくなった。

当時は相当たくさん書いていたから、多分何かしらのヒントがあるだろうと思って。

一番大きな望みはさておいて、そうではない自分についての望みや願いみたいなのがどんなものだったのかを探した。

↑本来の目的は上に書いた通りだったけれど、探したら別の情報に目を奪われて、結局これを書いてた私↓。


〜日記帳を見た後の回想〜

人生のご褒美はあまりにも早く私の前から取り去られた。

その頃から色んな理由で日記を書くようになった。

1つはもう自分でもどうにもできなかった気持ちをひたすら吐き出す場所として。

1つは自分が見たものをできる限り記録したくて。

忘れたくなかったから。

自分がどんなに年を取ってもその時のことをリアルにいつでも思い出したかったから。

もう二度とは足を踏み入れることはないのに、私はその風景も自分のその時の気持ちもリアルに覚えてる。

今ホロスコープの勉強をして新しいことをどんどん脳の中に詰め込んでいるのに、その当時のご褒美たちのことは今でもよく覚えている。

大切だと思うものは、時を経て新しいものがどんどん積み重なっても、変わらないのかもしれない。

時が止まるのとはまた違っている。

過去は過去で変わらない。

そういう意味では止まっている。

だけど、そこに注ぎ足された気持ちや想いなんかがあるから、ちょっとずつ見せてくれる景色みたいなのが変わってる。

日記帳を開いてみて驚いた。

ゾーンに入る?

用語を忘れたけれど、要は夢中になって通常の時よりもすごく集中力が高まって、意識も一段深く入り込んだ感じになってひらめきやらをキャッチしやすくなる状態みたいなもの。

日記帳の中ではとにかくひたすら書いてたから、それに近いものがあったと思う。


2017年11月1日(水)
【今朝車を運転して出てきた言葉。

“自分の信じたいものを信じる”

私は再会を信じていて、そして魂の繋がりを信じている。というか、ずっといるから、感じてるfeelに近い。】


仕事の昼休みにささっと書いた割には、いきなりすごいこと書いてる。

何でそんなことまた突然のように思いついて言ったんだろう…と思って、前日に書いたページを読んだ(ハロウィンの日、木枯らしの冷たい雨が降っていた模様)。

その前日の記述を読んで思い出した。

私はその前の日、仕事の帰り道の車の中で、すごいことを1つ思い出した。

自分がどの道を運転してたかまで覚えてるぐらいに、強烈な記憶のフラッシュバックだった。

元々は夏に友達と神楽坂でオシャレ女子会を開催してた時の会話を回想してた。

大笑いした話を思い出した時に、私はいきなり思い出した。

私が迷子になって、当時の職場の目の前にたどり着いたことを。

まさかその場所に自分がその数ヶ月後勤めることになるとも知らず、普通にその前に到着していた。

そんなことずっと忘れていたけれど、その時突然記憶の回路が繋がって思い出した。

そして他にもそれ含めて6個の地点に、私はその人に出逢う前の数ヶ月の間に行っていた(ひとつは行こうと思いつつ最後まで行かなかった)。

その6地点は、その魂の繋がりと私が思ったその人の生活圏にもろかぶっていた。

当然だけど、そんなの当時の私が知る由もなく、本当に色んな形でそれらのスポットに運ばれていた。

ひとつの場所を除いては、全て私以外の人・タウン誌・ペンジュラムからもたらされた情報ばかりだった。

だから、私が自分で自ら行こうと思ってゲットした情報は6個中1つしかない(←この場所が最後まで行かなかった場所)。

なのに数ヶ月に渡って、私はそれぞれ表面上は色んな用事でそれらのスポットに出向いていた。

そんなところに関連性があるなんて全く思いもよらなかったから、そのハロウィンの夜まで全く気付かずにいた。

そこでも「おかしい」と私は思った。

おかしいというのは、6個のスポットは全て私の普段の生活圏内からは外れてる。

人から情報をもらう度に「またその町?」とは多少思った。

それは単に、他の用事を足すにはあまりにも不便というか都合が悪いから、本当にピンポイントでその地に出向かないといけなかったから。

出かけるならついでに他の用事も足したい私としては、そのピンポイントで行くことに対してあまり気が進まなかった。

そのおかしなぐらいにピンポイントで訪ねていた場所の中心軸にその人がいたとわかって、私は度肝を抜かれた。

と同時にそんなことをとても自然に演出されていた自分の人生にも驚いた。

その奇妙な共通点を見出した時に私は「魂の繋がり」を感じた。

私は9月の終わり辺りから、専ら魂の繋がりがあるとどんなことが起こるのかについてひたすら調べてた。

来る日も来る日も調べていた(今はもう調べていない)。

あまりにも色んなことが奇妙でおかしくて偶然にしては出来過ぎで、そして感情の揺さぶりは半端なかった。

色々とあまりにも凄すぎたから、それで私は色々調べるうちにあるキーワードに行き着いて、そこからは徹底して魂の繋がりを調べ始めた。

最初から魂の繋がりを調べたんじゃなくて、これも何だか流れに乗っていたらそんな風になったという感じだった。

その中で、出逢う前にお互いの生活圏内に足を踏み入れることもある、みたいなことが書いてあった。

だから私はそれで「あ!」となった、そのハロウィンの日。

そして翌日に「魂の繋がり」と普通に書いてる。

でもそんなのはまたすぐに自分の中から打ち消されて、「気のせい」となったりする。

そんなことの繰り返しだった。

ちなみにこんなこと言うのもおかしな話だけど。

相手の異動先を私は人づてに後から聞くことになったけれど、それも驚いた。

妹夫婦は結婚してから数年間、東京のある町に住んでいた。

妹たちはまさにその異動先の最寄駅と思われる沿線上に住んでいて、妹たちのところに行く時はいつもその駅を通過していた。

私の中で数少ない都内の知ってる駅だったりする。

偶然と言えば偶然。

だけど偶然にしては出来過ぎというか行き過ぎな感じ。

調べてる時に出てきた表現で
「『そうであるかもしれない』ではなく、『そうであるとしか思えない』現実(の中にいる)」
というのがあった。

言うなれば、全てが本当にそんな風だった。

場所の偶然とかだけじゃなく、起こったこと全てがあまりにも普段なら起こらないことばかりで、その中で毎回不思議な小さな関わり合いを持っていた。


2018年4月30日現在、そのことについてどう思っているかと言うと。

魂的な繋がりが本当にあったとするならそれはとても喜ばしいと思う。

だけど、実は魂的な繋がりなんてなかった相手だったとしても、私はこの数ヶ月自分の全身全霊で感じてたことに嘘偽りはないから、今は魂的な繋がりの有る無しはどちらでもいいと思ってる。

多分そんなのがあってもなくても私はその人を特別に感じたんだろうなぁと思うから。

それがあったから特別に感じたのではなく、その人がその人だったから私には全てが特別だった。

だから、今はもう魂的な繋がり云々はどちらでもいい。

そして、再会がこの生きてる余生の中で果たされずに死んだとしても、それはとても悔しいことではあるけれど、仕方ないと思う。

そんなの本気の「神のみぞ知る」みたいな域の話で、そんなのは私の小さな力で何とかできることじゃない。

そして今私が決めたこと。

それは、再会があろうとなかろうと、自分の命を響かせよう、ということ。

相手と再会できたら自分の命が響くんじゃなくて、そんなあるかどうかもわからない今、私はどちらであっても、残りの人生の時間で自分の命を響かせよう、それだけは決めた。

自分のことだから、また迷いまくってフラフラして失敗もしてよくわからないループに入ることもあると思う。

それは往々にしてあり得る。

ちなみにここ数日は、1日置きにやってくる体調不良で本当に嫌になってる。

でもそれでもいいから、もっともっと真剣に「生きる」ことを自分に問い質して、そして「今日溶けそうなアイスをスーパーの駐車場に止めた車の中で食べてたら、おぼろ月ではあるけれど満月見れて良かったー‼︎」みたいな小さな感動を自分の人生に入れていきたい、そう思った。

アイスが食べたくて、他の食料の買い物のついでに買った。

アイスだからすぐに食べないとで、それで車の中で食べてたら目の前に赤く染まったおぼろ月の満月が出ていた。

本当に一瞬だった。

小さな選択たちの積み重ねでその満月とのご対面があった。

そういう小さな選択たちをこれからも続けるだろう。

その時に時々でいいから、「命を響かせる」ことを自分の頭のけっこうすぐに思い出せる位置に置いておいて、そのことを思い出したい。

そして「命を響かせてる?」って自分にきつくではなく優しく問いたい。

天と地がひっくり返ったかと思うほど色んなことが起こりまくった数ヶ月だったけれど、その全ての瞬間瞬間にその人は常に私の中にいたし、それについてはもうどうにもできないからその状態でいいかと半ばあきらめてる(笑)。

そもそもそういう人に出逢えたってことがすごい。

再会できてもできなくても私はその人の無事を普通に毎日日課として祈ってるし、たとえそれが届かなくてもそんなのは届けと言う方が無理だからそれでいいかと自己満足な感じでやってる。

相変わらず自分が不器用だなと思うけれど、まぁもうそれが私だから仕方ないかとも思ってる。

こうして届きそうにもないことを表現し続けるのも「命を響かせる」ことに繋がる。

いつかは私も死ぬわけだから、誰に迷惑かけるわけでもない、ささやかな自己満足の祈りの1つや2つ捧げてもバチは当たらないと思う。

それよりも死ぬ間際になって、「変な常識に囚われて、何も伝えようと努力しなかったな」と思うことの方がどう考えても後悔する。

やらない後悔よりやって後悔の方が納得できる。

ということで、当初のヒント探しなどしてる暇もなく、今日が終わりそう。

まぁでも「命を響かせる」って素敵な言葉がふわりと出てきたから、今日は今日で大満足。

多分この問いが、これから先の何十年の私を支えてくれると思うから。

迷ったらその問いをしたらいい。

くじけそうな時もそれを聞いたらいい。

心折れそうになったら、小さな命の鼓動を感じられるように今日の満月みたいな瞬間を自分にプレゼントしたらいい。

2018年4月29日日曜日

今日もホロスコープ

ホロスコープの独学を始めてそろそろ1ヶ月。

自分のホロスコープ全般を繋げて読み解くことをやってみた。

手順は図書館から借りた本にあったからその通りに進めた。

全部で30近い質問が並んでいたと思う。

最初の数個の質問もかなり怪しかったけれど、8個目あたりの質問でまずは質問の中の言葉が全くわからないことがわかった。

多分初歩的な質問だとは思うけれど、その言葉を見たことがないから意味がわからない。

本やネットで調べて、調べていくうちに別の情報も必要なことがわかった。

その追加で必要なものをさらにネットで調べたら、もうはっきり言って迷宮入り状態になってわけがわからなくなって止めた。

そう、ここで初めて気付いた。

自分ではかなり勉強したつもりでも、私の場合は興味関心に基づいて進めたから、基本がほとんどわかっていない。

そしてその基本を調べると、ますます混乱して結局は何が何かもわからずに終わってしまった。

実はその基本を調べる途中で、キャリアや仕事、天職についての調べ方のサイトにも行き当たった。

2つか3つは当たったと思う。

ところがその基本から見ていく方法だと、私は丸っと自分のホロスコープが読み解けなかった。

キャリアを指し示すところから読み解くと、恋愛や美の話ばかりになって、「いや、そこじゃなくて仕事は⁇」という状態だった。

さらには当たり前と言えばそうなのかもだけど、私が自分で気付いた自分の人生のテーマやこれを仕事にしていこう!と思った内容は、1つとしてその基本的な読み方からはそういう答えが出なかった。

全く違う職業やキャリアの提案ばかりで、全くピンとこなかった。

それに気付いた時、私はホロスコープで何を読み解いてたんだろう…?とそっちの方が気になった。

なぜなら、私の得た情報は普通には出てこない。

でも私はピンポイントで欲しい情報に行き着いて、さらにはその集めた情報たちを組み合わせることで自分のテーマをもっと掘り下げることができた。

それで気付いた、私のやり方に。

私は「仕事」や「キャリア」とかいう観点で自分のホロスコープは全く見ていなかった。

代わりに私が調べまくったのは、自分のことで納得のいかないことだった。

例えば、私はどうして自分の月星座がピンとこないのかそれがわからなくて、そこをまずは徹底的に調べた。

調べていくうちに、どうやらそれに多大な影響を与えてる「リリス」と呼ばれるものがあるとわかった。

リリスを今度は調べた。

リリスを調べるうちに今度は「キロン」と呼ばれる傷の存在が気になりだした。

キロンに関して言えば、自分が長いことスピリチュアルな世界を危ないものとして認識してたその理由と関連してそうだった。

こんな風にして私は読み解いていたから、だから基礎は何も知らないままだった。

でもそれでもどんどんハマって調べたのは、調べたことで自分が客観的にわかるようになったから。

そして調べれば調べるほど、自分のコアな部分と自分とが繋がっていく感覚が生まれたから。

例えば傷の部分に焦点を当てたことで、私は自分の人生のテーマの中にそもそも「心の傷を癒す」ことが含まれてるだろうことを突き詰めた。

ホロスコープにはそんなこと書いてない。

書いてないけれど、調べたピースと自分のこれまでの体験を結び付けるとそうなる。

反対に仮に「傷を癒すことがテーマ」として自分の人生を見るなら、本当にそのテーマに沿ったことが山ほど起こっていたし、そしてそれを癒す機会も知恵も色んな形で与えられていた。

そうやって両方向から自分の人生を眺めてた。

まずはホロスコープから見えてきたもの。

反対に今度は自分の人生を、ホロスコープから出てきたテーマに沿って振り返った時に見えてきたもの。

その通りになってた。

理論的(ホロスコープ)にも実践的(過去に起こったこと)にも、一貫して共通のテーマがきちんとあった。

今回基本に立ち返って調べた時にわかったことが3つ。

1つ目は、私は最初の週にいきなり大学院レベルの内容、それも単なる大学院じゃなくて教授になるべく博士課程ばりの内容に手を付けたと思われる。

カタカナ用語たちは、私にはそれが超基本的な用語なのか、それこそ博士課程、教授にでもなるんですか?ばりの超マニアックな専門用語なのか区別がつかなかった(今もどのレベルかはわからないまま)。

だから少しでも自分が気になったものから調べたせいで、私はいきなりそんな高レベルと思われる内容に手を付けた。

情報も少なくて要領をつかめず途中で放置したけど、また巡り巡ってその情報に触れることになって、そこから新たな読み解き方のサイトに行き着くことになった。

その新たなサイトは私に本当に色んなことを教えてくれてる。

そしてそれはホロスコープだけじゃなくて、それを活用しての心理的アプローチもものすごくわかりやすく伝えてくれる。

私はますますハマって、自分独自の読み取り方まで開発してしまった‼︎

その自分独自の読み方のおかげで、さらに私は自分が人生で大切にしたいテーマがもっと明確になった。

2つ目の気付きは、1つ目の話の通り、ピンポイントで欲しい情報がどんどんもらえた幸運に気付いた。

これは私の元々の才覚だと自分では思っているけれど。

ネットでも本でも情報を拾ってくる時、私は文の雰囲気で「役立つ」か「役立たない」かとか、「信頼できる情報」か「はたまた何かの論点がズレてるか」とか、「純粋な気持ちの上で発信されてるもの」か「人を金づると考えて発信してる情報」かというのを嗅ぎ分けるのが得意だったりする。

特に人を金づるとして発信してるかどうかは、もしかしたら発信者本人さえ気付いてないかもしれない微細なズレみたいなのがわかる。

今回はホロスコープに特化して見ていたこともあって、そして最近まで私はひたすら真っ直ぐに発信してる人たちばかりに行き当たってたから気付かなかったけれど、やっぱりそういう手の人はどこにでもいる。

全体を読み解こうとして8問目あたりでつまづいた私は、その言葉の意味を調べるべくネットサーフィンをした。

そこである1人の人の解説ブログに行き着いた。

言葉の感じは柔らかいし、わかりやすく型通りな説明もしてくれてる。

だけど言葉がとにかく心に響かない。

ちなみにその人の仕事やキャリアの読み取り方は本当に王道だと思うけれど、いかんせん言葉がピンとこない。

言葉が難しいんじゃなくて、何かが確実にズレてる。

それが何かというのは最後の方にきてわかった。

その方は東海地区の方で、明日お客さんが北陸地方からやってくるとあった。

私の違和感はそれだった。

何かと言うと、そんなのどこから来ても関係ないと私は考える。

もしかしたらそのお客さんに向けて「待ってますよ」的な意味で書いてたのかもしれない。

だけど私にはそちらよりも変な自己アピール風に見えた。

下世話な言い方をすれば「私はそんな遠方からお客さんが訪ねてくれる有能な者です」と言ってるような感じだった。

別にそれは構わない。

だけど発信されてる言葉がとにかく響かないのは、その人のそういう価値観の置き方にあったんだと思う。

肩書きではないけれど、そういう部分が大事だと思ってる節があるから、その軸でキャリアや天職に関するホロスコープの読み取りを発信されてても私とは違う価値観だから当然響かない。

私が惹かれまくったホロスコープのブログがいくつかある。

その人たちも普通に自分の宣伝もするし、当然お金も絡むからその辺りも普通に情報として書いてある。

だけどその人たちは、自分の持ってる情報を惜しみなく出してる。

そしてその根底にあるのは、その情報を目にした人たちにとって少しでも役立つように、せっかく時間を使って読んでもらうわけだから、本当に大切なことをそのまま発信してる。

そして同時に一般大衆向けとお客さん向けの情報の違いについてもはっきり区別してる。

何かと言うと、一般大衆向けの方は概論というかその基礎となる考え方や知識の部分を伝えている。

ホロスコープは一人一人違うから、当然それを知ってても個人のを読み解くのはまた別の力が必要になる。

それだから、その個人の方はもう完全なる個人対応になるから、そこはお金を払って頼むのが筋だとわかる。

しかもその方たちこそ全国各地からお客さんが来てるもしくはサービスを申し込んでると思うけれど、そんなことはいちいち書いてない。

もしお客さんのことで書くとしたら、そのお客さん向けの情報が一般の人たちにも使えるとわかるものを、本人の了承を得た上で発信している。

その心の軸の部分が何かで、随分と情報の響き具合も変わってくる。

だから、私は今回なぜか自分にとって本当に必要な情報たちにとことん行き着いてた。

おかげで、自分の読み解きを本当に必要な観点から見ることができた。

3つ目は自分の興味関心に沿って調べたことが吉となったこと。

例の大学教授目指すようなマニアックな情報は、私はそれが何かも知らず、だけどそれの説明を最初に読んだ時、すごく大切なヒントになる気がする、というその感覚だけで調べたのがきっかけだった。

反対に言葉や言葉の意味を知ってたら調べなかったと思う。

だって発展的内容すぎるし、基礎もわからない素人が読むにはあまりにも無謀すぎる。

だけど私はそんなこと知らなくて、ただ単にそれが自分を読み解くヒントになってくれる気がする、という思い込みだけで突き進んでいた。

根拠は「自分がピンときただけ」という理由。

さらには後々になって、その超ハイレベルな情報は、一般には扱わないのが普通だし、それを扱うなら基礎+応用をマスターしたら見るポイントらしいこともわかった。

知らぬが仏とは本当にこのことで、私は知らないまま、興味の赴くままに調べまくった。

でもだからこそ、本当に欲しい情報が手に入ったし、そういうものと基礎とを組み合わせてホロスコープを読み解く人たちのサイトにも行き着くことができた。

今書いてて気付いたけれど、私は最初からものすごく良質な情報に行き着いてた。

2月の対面ホロスコープ鑑定では、私という人間がどんな風なのか星から読み取れる情報をふんだんに与えてもらった。

鑑定士さんは最初からホロスコープのことを「魂の青写真」と呼んでいた。

こうした方がいいですよ、こんな仕事が向いてますよ、こんな恋愛・結婚が考えられますとかいうようなことは一切言わなかった。

私が聞いたら初めて答えてくれる、それもとても抽象的に、だった。

でも今ならその真意がよくわかる。

あくまでも人生の主人公は私で星ではないから、ましてや鑑定士さんでもないから、その私の人生に関して決めるのは私だということ、それをとことん大切にしてくれていた(そういうメールも鑑定後に実際いただいた)。

独学で始めた時も、最初は鑑定士さん一押しの海部舞さんという方の一冊の本から始まった。

その方のホロスコープの使い方は「自分を知ること」そして「その自分でどう自分の人生を生きていくか」ということに軸がある。

だからブログを読んだ中に、実際の講座の時はとにかく参加者が自分のホロスコープを見ることを徹底してするらしいことが書いてあった。

その人が答えを言うんじゃなくてとにかく自分自身のものを見てもらうこと。

その部分がやたらと印象的だったけれど、昨日自分のホロスコープを質問に沿って見た時にその意味がやっとわかった。

私が見てたのはひたすら自分だった。

その暗号や記号みたいなホロスコープから私という人物を紐解いてた。

だから人生のテーマだったり、体験することだったり、そこからまた発展させて自分が今後どう生きていくかだったり、そんなことが自然と見えてくるようになった。

先に書いたブログの人みたいに、キャリアや仕事はこの部分を見ますと言って見たとしても、私のは自分が出した答えだけは絶対に出せない。

なぜならそういう見方をしてもそこには一般論から導き出せるものはあっても、私から導き出せるものではないから。

だから一般論から出された答えは、まるで別人の話みたいになってた。

私の場合はこんな風だった。

私という人がどんな設定なのかをひたすら色んな手段で読み解いた時、「傷」とか「癒し」とか「スピリチュアル」とか「統合」とか「書く・伝える」というようなことがとにかく何回も出てくる。

全く違う人たちの全く違う情報に基づいて読み解いてるにも関わらず、いくつかの言葉がとにかく共通しまくっていた。

しかも本の中には1990年代に出されたものもあって、四半世紀前の情報さえあった。

なのに共通してる内容がいくつもあった。

さらには自分の色んな性格を1つにまとめて見ると、これもまた同じようなキーワードが出てくる。

そして自分のこれまでの実体験が色々重なる。

そうやって「心の傷を癒す」という言葉が自分の内側から出てきた。

何もサイキックな能力で導いたんじゃない。

色んな資料や情報を並べた時にたくさんの回数で同じ言葉が出てきたから、それでそれらを結ぶと1つの答えが出てくる、そんな風だった。

「自分を知ることが先だよ」という言葉、本当に納得した。

自分が何かもわからないままホロスコープを読み解いても多分あまり意味がない。

自分を知った上で例えば仕事でも結婚でも財産や才能でも紐解いたらいい。

ちなみに恋愛や結婚の紐解きは、全く嬉しくない情報ばかりがどんどん渡されるから、そこはしばらくお休みすることにした(苦笑)。

良い部分だけを何とか拾い集めても「ますます縁遠いのでは⁉︎」ということばかりが出てきて、私はもう見てもテンションが上がらないから止めた。

そして今そのことを踏まえて2月にもらった鑑定書を読むと、鑑定士さんのやさしさがにじみ出ていて感動する。

「結婚はホロスコープでは、あるかと思います。ただ必ず結婚がしたい強い主張のホロスコープよりは、お互いが自由な関係を求めるようなところがあります。相手と距離を置いておきたいような、常に新鮮でいたい感じがします。これも、ホロスコープにあっても史子さんが本気で結婚をしたいかどうかなので、必ず自分の意志や意図が大切になると思います。」

私が調べた内容はこんなやさしさはなく、かなりボロクソに書かれていた。

浮気するとか、複数の人と同時にとか、体だけとか、情にもろいから変な人に引っかかるとか。

あまりにも参考にならないから調べるのは止めた。

今気になってささっと調べた。

何せ上のような内容ばかりだったから詳しく調べもしなかったけれど、今よくよく見たらなぜ現実は違っているのか、その答えがきちんとあった。

年齢と共に気にならなくはなったけれど、私はある一定の年齢に達するまで、それは20代後半まで、並々ならぬ外見的なコンプレックスを持っていた。

今はもうだいぶその辺りも良くなったけれど、それも含めて自分だと受け入れられるようになったのは随分と後だった。

自分で勝手にコンプレックスに思うと言うよりは、私は外見に関してもかなり四方八方から傷となるような言葉を子どもの頃から受けて、それで大人になった。

一番変えようのないものに対して何か言われるというのは、想像以上に心に暗い影を落とす。

努力で何とかなるものとならないものがある中、私の場合は後者の部分を執拗に言われて、それが後のコンプレックスへと繋がった。

まさかそんなことが今の調べ物で出てくるとは⁉︎

そしてその部分だけは私と似たような配置の有名なホロスコープ家の方がいるらしく、記事によるとその方は痛みを解放してそして傷を芸術的な形で癒すことを体系化させた的に書かれていた。

こんなところでも「傷」だの「癒し」だのと出てくる(笑)。

でもこうして納得できない、まるで自分以外の誰かのことみたいと感じることは、必ずそれに対して答えがある。

こんな風にして私はホロスコープをひたすら読み解いてる。

それは自分のこれまでの色んな不具合に対して、「そういう設定がそもそもあった」と知ること、そしてそれを知るだけで私の場合はとても癒されること。

自分のせいや他の誰かや出来事のせいにする必要がなくなるから、本当に気持ちが楽になる。

すっかりそれで味をしめた私はこれからもホロスコープを紐解くことに全力を注ぐと思われる。

2018年4月28日土曜日

妄想パワー炸裂

私は20代の頃からいつだろう、多分37歳前後まで。

子どもを産んだらつけたい名前があった。

今はあまりにもそれを語るには世間の目がありすぎて、私がどんな風に考えてるかは自分の胸の内にだけしまっている。

少なくとも名前は考えなくなった。

それはそうと名前は、どういうわけか私は20代の後半のいつか、友達の友達で霊視ができる人に会った時に、「この名前を自分の子どもにつけたらどうなる?」とまで聞いた。

その答えもよく覚えている。

「頭が良くなることはそんなに期待できないけれど、性格はとっても気持ちの良いやさしい子になるよ」

もうそれだけで十分だった。

そんな子どもに恵まれたら、私の人生もう思い残すことないと思った。

今振り返ると、何でそんな質問をしたのか覚えていない。

ちなみにその名前はありそうなのに意外となくて、私はただの一度もその名前の人に会ったことがない。

漢字は1つは自分の「史」を入れて、もう1つは小学校2年生か3年生あたりで習う簡単な字。

ちなみに史の方が後にくる。

何でこんな話をしてるかと言えば、本当にこんなことあるんだ⁉︎ということに数日前出くわしたから。

ハローワークの雇用保険の説明会に行った。

やたらと色んな資料をもらう。

私はギリギリな上、席もやっと見つけたから、席に着いてやっと資料を1つ1つ見て「はい、いらない。はい、これもいらない」という具合に最初から捨てる気満々で目を通した。

その中の1つに漫画風な資料があった。

そのカラーの資料を見て、私は本気の本気の本気の本気で驚いた。

漫画の主人公の名前は、私の「子どもが生まれたら」の妄想が現実になったらつけようという名前だった。

年齢が上がるにつれ、子どもが生まれたら的な感じの名前を思い浮かべることは止めた。

だからもう長いこと、忘れはしないけど考えなかった名前がその漢字ごとあった。

そしてそれだけじゃなかった。

その主人公の苗字は、私が猛烈に惹かれた人と同じ苗字だった。

確かに多い苗字なのはわかる。

一時期あまりにも毎日毎日あちらこちらで見聞きするから私は苗字ランキングで調べたりもした。

まぁランキングでは武士俣に比べたら断然上の順位ではあるけれど、二桁の順位になってからはそんなに言うほどの上位ではなかったと思う。

「◯◯*史」という名前を見て、何これ⁉︎と思った。

その人と例えば結婚して子どもがいたらそんな名前でも付けたんだろうか…という、説明会そっちのけでおかしな妄想がしばらくは止まらなかった。

さっきも言った通り、私はこの10数年間、ただの一度もその名前を見たことがない。

本当に私の頭の中にしかない名前で、あんまりない名前なんだとわかってそれも若干嬉しかった。

それがまさかのハローワークで配られた資料の中に登場してきて、さらには苗字まで私の中では特別な苗字と一緒と思うと凄すぎた。

厳密に言うと、ハローワークの資料ではなくて、しかも発行元を見たら本当にこの地域でしか配られない限定物だとわかった(国や県からの資料が8割を占めてた)。

苗字は本当に不思議な形で相変わらず目にするから、見かけるたびにその人が「元気なんだな」と思うことにしてる。

ちなみにその人の下の名前も目にしたり耳にしたりかなりする。

数ヶ月に渡ってこんな風だけど、その人の名前(フルネーム)が強運だと思うことの1つに、私が目にする時は賞賛された人とか感じの良い店員さんとか新聞やテレビでもプラスの意味で取り上げられてる。

これだけよく目や耳にするのに、容疑者とかそういう悪い方のニュースではこれまで一度も見たことがない。

だから凄い強運な名前なんだろうなぁといつも勝手に思ってる。

まさかその苗字と私の妄想が爆発した名前とが合体して、どこの誰が書いたかもわからない漫画風な資料の紙面上に現れるとは、驚きの他の何物でもなかった。

架空の人物とは言え、名前なんて星の数だけあるだろうに、何がどうしたらこの組み合わせになるのか摩訶不思議すぎた。

他の資料は捨てようとすぐにしたのに、それだけは私は全部を読んだ。

その話の中では、私がその人を呼んだようにその主人公も呼ばれてた。

短い話だからすぐに読み終わったけれど、まさかこんなところで思いもよらない名前を見ることになって、私は最後まで驚いていた。

私の空想というか妄想はどこまでも果てしない。

その果てしない妄想、というか妄想以上のものがこうして現実に現れたのは初めてだった。

その名前に関して言えば、私は苗字をつけなかった。

本当に名前だけで、そして音よりも漢字を見て自分がなんだかしっくりくる、そういう名前だった。

その名前の存在は記憶の奥の方にしまってあったから最近は忘れていたけれど、そう、よく考えたら名前だけで苗字はなかった。

だから実質、私がその名前を思いついた20代のある時から初めてフルネームでその名前を見ることになった。

妄想に妄想を掛け合わせたかのようなフルネームに仕上がってたけれど、そんな形で目にするとは思ってもなかったから、何だかものすごいラッキーな気持ちになった。

はっきり言って、だから何だという話なんだけど、私には10年以上のブランクを空けての登場で「こんなことってあるんだ⁉︎」という気持ちが強い。

私の得意の妄想でこの名前を目にした意味を読み解くと。

「どんなことも起こり得る」という可能性を示唆していると思う。

子どもを持つとか結婚するとかいうことではなく、今の私では想像もしてないことがこれから先起こってもおかしくない、という意味で。

10年以上も前にどういう経緯か忘れたけれど、自分の子どもの名前を考えた。

少なくともそれを考えられるだけの夢を見ることができた頃だと思う。

2月のホロスコープ鑑定の時に、その少し前に実際にあった「自分の心がものすごく傷つくようなことがあったかと思われます」と指摘された時、本当に度肝を抜かれた。

まさか10数年前のことをピンポイントで具体的な何ということまではわからなくても、自分の中で受け止めるにはハードすぎたものが天体たちの動きでわかるんだから、それはもう驚いた。

だからそこを超えた後の子どもの名前の妄想だったから、私は文字通り夢を見た。

そして子どもが生まれることもなく名前だけが延々と私の記憶の中に残っていた10数年後に、今度はその名前を目で見ることになった。

しかも私にとって意味のある苗字を伴って。

当然10数年前にはその苗字の人には出逢っていない。

そして10数年後、私がハローワークの雇用保険の説明会に行くとか、そこで手にする資料の1つに私が子どもに付けたいと思って考えた名前が出てくるとか、挙句の果てにはその名前には10数年後に出逢った人の苗字が付いてるとか。

1つ1つのことには何の関連性もないのに、それらが突然1つの物語になって私の前に現れた。

だから、その架空の名前を見たということは、「どんなことも起こり得る」という可能性を示してるんじゃないかなと私は思った。

これはまだ動向を観察してる最中だから「絶対」とは言い切れないけれど、ここ数年の出来事たちを振り返ると「起こってもいい」と自分の中で思ったことは時差こそあるけれど本当に現実に起こってくる。

それは毎日イメージするとか何かしらの言葉を唱えるとかじゃない。
(そういうことも試した時期はあったけれど、私はその手のことが飽きっぽく長続きしないとわかって止めた)

自分の中で「そういうこともあるかもしれない」ぐらいに一度でも思うことで、その後本当にびっくりするようなことを目撃もしくは体験する。

だから今回の名前についても、名前そのものよりも自分の中では一度は諦めたり打ち消したりしたようなことが今後あり得るかもしれないというサインなのかなと思う。

それはどの分野のどんなことかまでは当然今はわからない。

だけど、その時が来れば「このことだったんだ」と気付くと思う。

全く先の読めない時間を迎えて今年が10年目。

2009年スタートの2016年の秋ぐらいまでは色々強烈だったけれど、1年と少し前からちょっとずつ落ち着いたり、過去を冷静に振り返る余裕が出てきた。

夢みたいな出来事や現実に起こってくれたら嬉しいなということも色々現実に現れるようになってきた。

どれもこれも本気で起こるとは思えなかったものばかりだけれど、起こったらいいなと一度は心の奥底で願ったことだったりする。

まっさらな気持ちで一度ぎゅっと願う。

願ったらあとは忘れる。

忘れるというより、現実とのギャップが激しすぎたから、もう忘れたい、忘れて日常のざわざわに戻るという感じだった。

そうやって忘れ去った頃、いきなり信じられない形で現実にもたらされたりした。

そういうことが少しずつ増えてきた。

だから今回の妄想×妄想の名前を目にしたことも、それはちょっとだけ夢見ることを自分に許可して、あとはどんなことも起こり得ると考えて、そして忘れる。

あとは未来に何かが起こった時、この最近願ったことをふと思い出して「また1つ叶ったな☆」と自分の中で色んな想いを噛み締めたらいい。

2018年4月27日金曜日

英語と星読みとゴリラ

昨日は友達の娘の英語の家庭教師の日だった。

その子が中1の2学期ぐらいから見てるからそろそろ2年になる気がする。

気付けば今年は受験生になってる。

ちなみにその子は、私の中で友達が産んだ初めての子どもだった。

赤ちゃんの時も何回か会っているし、もちろん抱っこもさせてもらった。

小学生に上がってすぐには「お父さん、お母さんの友達たちに挨拶しなきゃだよ」と言って友達の旦那さんをうちらの前に登場させたりもした。

だから中学生になったその子に再会した最初の日、本当に涙が出るくらいに大きくなったことに感動した。

その子とは別に、1年前2016年度と2017年度の2年にまたがり、東大受験の子の英作文の添削も見てた。

この子は頭が良いだけではなく、礼儀正しく、人当たりもすごく良い。

さらにイケメンでオシャレさんで、私はその子にだけは「ぶっしーさん」と呼ばれると胸がキュンキュンする(笑)←アイドルにときめくおばちゃんと変わらない。

他の誰が「ぶっしー」「ぶっしーさん」と呼んでも全くときめかないけれど、この子だけはもっと呼んで‼︎と自らお願いしたくなるぐらい(笑)。

この2人の子どもたちとの関わりは、本当に私に色んなことを教えてくれた。

まずは、英語はお金をもらってもやりたいことでは全くないこと。

ありがたくお金をいただいてるものの、正直なところ英語の勉強は全然テンションが上がらない。

友達も私に昨日「ぶっしー、別に英語得意じゃなかったよね?」と高校時代を振り返って言ってたけど、本当にその通りで全く得意ではなかった。

全く。

私がどちらの子にも対応できるのは、自分がわからなくて1から勉強したことが役立ってるから。

例えば三人称単数のS、どうしてdoとdoesになるのかとか。

例えばisとdoesがどう違うのかとか。

私はそこからわからない人だったから、当然スタートがかなり低レベルな話から始まる。

そんな私が東大受験した子の添削の時には、こんな風に超できる風になる‼︎

【・avoid stressという言い方は通常しません。日本語だと「ストレスを避ける」というのが馴染み深くても、英語の場合はストレスは避けるよりもストレスを減らすという方がよく使われる使い方です。なのでreduce 又はrelieve stress と表現しました。

・arriving timeという言い方は通常せず、するとしたら時間きっかりに着くと言う時に「arriving on time」って言う位です。「到着する」という感じが強いので、「移動時間を短縮する」と言いたい時は「shortening time for locomotion」の方がより意味が明確に伝わります。

・be decreased…量や数、人口などが減少する時は受け身にせず、普通にdecreaseを持ってきます。decreaseを自動詞として使い、「…が減る、減少する」という感じで使います。
人為的に減らされる時は例文として
The number of the employees was decreased to 100.
こういう時は受け身に。人が手を加えてわざと減らしてるので。反対に、自家用車を使わないことで結果的にフロンガスが減るみたいな感じの、何かの作用で減る時は自動詞のdecreaseで対応します。
うまく説明できないけど、◯◯くんに伝わったかな⁇

・supportは意見を支持するという時にはほとんど使わず、誰かをサポートする行動そのものを指す時に通常は使います。意見を支持する時は「agree with」が一般的です。】

↑私超がんばったよアピール終了(笑)。

こんな細かな添削、発狂レベルだった。

ちなみに人生で初めて東大の入試問題をこの子を通して見たけれど、東大というのは、学力はあって当然の前提だから学力を二次試験では問わない。

東大の二次試験では、考え方や発想力なんかを見ている。

だから答えに正解はないし、より表現力や思考力が英作文に求められてた。

ということに、何十問という添削をしてようやく気付いた←凡人にはわからない世界。

ちなみにこちらは完全なるボランティアでしてたけれど、正直私でいいのかと思った。

まず天下の東大で、入試のシステムや過去問の動向さえ知らない私でいいのかと思った。

金銭的な問題もあったにしても、仮にお金が払われたとするなら余計と私でいいの?という感じだった。

だからその子が私に2年連続でお願いしたいと言ってきた時は、するのはいいけれど本当に私でいいのかは聞いた。

「ぶっしーさんにお願いしたいんです」とイケメンの可愛い男の子にお願いされた私は、英語は嫌だけどその子からのお願いというだけで引き受けた(理由が不純)。

で、英語はここまでできるようになるのに膨大な鍛錬を積んだから、相当数な場数をこなしてる。

必要に迫られてしたけれど、私の場合ただの一度も楽しいと思ったことはなかった。

わかるようになって楽しいなんて思う暇もなく、ひたすら目の前のことをこなすという感じだった。

だから今現在も必要に迫られない限り、自ら英語の調べ物や勉強は絶対にしない。

興味がない、の一言に尽きる。

でもおかげで私には対比させる材料があったから即わかった。

本当に興味があることならとことん調べるということ。

しかもやっていて楽しい。

ホロスコープはまさにそうだし、スピリチュアルな世界の学びもそうだった。

31歳の私がスピリチュアルな読み物を紹介されて、そこから多分200から300冊のスピ系の本は読んだと思う。

私は丸っと素人だったから、本当に精神世界の内容は1からの勉強だった。

今振り返ると、私が読んだ多くのものは、自分の内面を見つめるための手法だったり考え方のものが中心だった。

そういうものが必要だと感じたからだと思う。

そしてスピ系の教えの中に、私は「もしかしたら自分がこれで楽になれるかも」という一種の救いみたいなものを見出してた。

実際にスピの教えの中には今でも使っているものもたくさんある。

それは何もサイキックな能力を引き出すとかじゃない。

生きていたら納得のいかないことや、他人とのやり取りで何でそうなるの?なんていうのが必ずある。

そのヒントというか、そういうのに対応する力をつけることができたから、それで私はそうした本たちから色々学んだ。

私はどんなものでも使えなきゃ意味がないと思ってる。

例えば携帯を持っていても携帯の使い方がわからなければ単なる物でしかない。

英語の辞書を持っていても引き方がわからなければ何の意味もない。

それと同様、スピ系の教えも知ることや知識を蓄えることが目的じゃなくて、それをいかに現実の日々の生活に用いて自分のために使えるかどうかだと思ってる。

だからそんなこと知らなくても楽しく明るく生きる術を持ってる人にはいらないものだと思ってるし、全員が必要だなんて一切思わない。

だけど私はそれで楽になる方法を知って実践して本当に楽になれたから、それを必要と感じる人がいるならいくらでも喜んで情報は流してる。

塾の仕事の時、私の恩師ゴリラが「子どもたちに『何で勉強するのか』と聞かれたらこう答える」という話を教えてくれた時があった。

私はさすがにゴリラとは呼べなかったけれど、ゴリラの教室の子どもは全員もれなく「ゴリラ!」とゴリラを呼んでいた。

保護者さえも「ゴリラ先生」と呼んでいて、こんなにもすごいあだ名の先生は人生で初めて見た。

ゴリラは中学生ぐらいの子どもになるとはっきりと伝える。

「お前たちが今してる勉強のほとんどは、社会に出たら使わない。
古文も因数分解も化学式も使わない。
社会に出てからも使うのは、読み書きと算数の計算、そして小学校の算数で習う単位や時間ぐらいなものだ」

「なのに何で勉強するのか」

ゴリラの答えは凄かった。

「お前たちが学んでるのは、『勉強の仕方』なんだよ。
お前たちが大人になってから何になるかはわからない。
何になるかはわからないけれど、何になったとしてもその分野での勉強は大人になってからも必ず必要になる。
その時に活かせるように、今色んな勉強をして、それは得意なことだけじゃなくて不得意なこと、わからないことも含めて勉強することで、そういう時のやり方を身につけてる。
それは大人になってからもずっとずっと活かされることだからな」

そうやって教えてくれた。

その言葉は心に響いたし、本当にその通り!という感触は感じたからそのまま私も自分の教室でも引用してたけれど、実体験を伴ってその教えがよくわかったのは本当にここ最近。

英語もスペイン語も私は本気の素人で、しかも人よりも理解力が乏しかった。

英語は長文読解にまずはつまずいた。

あの色んなことの集大成である長文読解は、高校の時の一番のネックだった。

あれは総合力を求められる。

単なる文法の理解や語彙力だけでは太刀打ちできない。

しかも私はその基礎の文法や語彙力さえ落ちこぼれてた。

じゃあどうしたかと言うと、私の攻略法は少し変わってた。

とにかく長文全てを細かく区切った。

2つから5つぐらいの単語数で、自分でもそれならギリギリ訳せそうという長さに全てを区切った。

だからまずはその小さな区切りたちを1つ1つ訳して、それから文全体を意味が通じるように訳した。

それを高3の1年間徹底してやった。

それは大学に入ってから大いに役立った。

ちなみに友達の娘にも同じやり方を伝えて、その子はこの2年弱で長文読解のセンスは抜群に良くなった。

このやり方は大人になってからも、そして今もものすごく役立ってる。

例えば今月から始めたホロスコープの読み解き。

12星座さえ全て言えなかった私がしたことは、わからないことはまず徹底的に調べてる。

基本的な理解がないとその後の発展的な内容はさらにちんぷんかんぷんだから、まずは土台の部分というか知ってて当たり前的な大前提のところを理解するようにした。

それから全体を見るようにしている。

まだまだ読み解きは十分ではないけれど、知ったかぶりで読むよりはマシだと思ってる。

そう、このやり方はあの英語の読み取りを相当数こなしたことで身に付いた方法で、私にとても合ってる。

ゴリラが言ったように、勉強の仕方を学んだ。

今はそれが自分の興味関心の方向に使えてる。

多分英語をあそこまで徹底してやらなかったら、私は今のホロスコープの読み解きもできなかったと思う。

英語で身に付けたことは、英語そのものよりもそのわからないものに対してどう取り組むと自分が一番理解しやすいかのやり方の方だった。

さらにあの苦痛な勉強のおかげで、苦痛ではない、むしろ楽しくて面白くて仕方ない勉強も世の中にはあることを知った。

それはスピ系の本にもよく書かれてる通り、自分の感覚が教えてくれる。

はたから見たら何がそんなにも面白いのかわからないと思う。

でも私にはものすごく面白い。

そしてこの面白い勉強は私という1人の人間がどんな人間かを教えてくれる。

色々もがき苦しんだ日々のことをそれで良かったんだよと、その道で合ってたんだよと優しく肯定してくれる。

そしてその土台にはあの意味不明だった英語の勉強が大いに役立っている。

人よりもうんと学力の劣っていた私だからこそ得られたやり方だった。

ペンジュラムを使うことでそれはよくわかった。

難なくできることは、いちいちわかるようになるまでの下準備をしない。

反対にわからないことは、わからないからわかるようになるまでひたすら「わかる」ポイントをいくつも積み重ねる。

「わかる」ポイントが貯まってようやく全容が見えてくる。

人よりもわからない点が多いから、そんなことまで⁉︎というレベルまで落とし込む。

調べまくる。

わかった気でいると足元をすくわれるから、怪しいと思ったものはとりあえず調べる。

その繰り返しの作業は必要でやっていたから、私はその繰り返しが基本的には苦じゃない。

できない・わからない方が困っていたから、繰り返すことでそれらを解決できるなら何てことなかった。

だからゴリラが言っていた「勉強の方法を身に付ける」ということが、私は今になってよくわかるようになった。

「人生に無駄なことは1つもない」本当にその通りだと思う。

2018年4月26日木曜日

犬とうどん、どっちが好き?

ずっとずっと気になっていた質問にやっと答えがやってきた。

4月に入ってからハマりまくって調べてるホロスコープ。

このブログに一度書いた、「月星座」なるもの。
(参照:4月6日アップ 『人生を紐解く』
http://viva-vivir.blogspot.jp/2018/04/blog-post_6.html?m=1
←携帯からのアップだとリンク貼れないので、サイトには飛びません)

太陽星座はおなじみの自分の星座。

あの今日の星占いランキングとかいう時に見る星座が太陽星座。

月星座はまた別物で、それはネットで調べると出てくる。

ずっとしっくりこなかった月星座については、月星座と共にそれをタブー意識として持つような設定に私の場合ななっていて(タブー意識を持つ天体が一緒になってる)、それ故に月星座の性格があまり表に出てこなかった、というのはちょうど3週間前に気付いたこと。

まぁそこまでは読みきれるようになった。

だけどまだしっくりこなくて、もう少しプラスの説明が欲しかった。

何かが確実に違う。

その確実に違うと感じるその理由が欲しかった。

多分それがわかると、もっともっと色んなことがわかるようになるんだろうなぁという予感があったから、余計と知りたかった。

そうしたらやっと答えが来た!

先日、60キロと離れた県立図書館で借りて来た占星術の本に最初のヒントがあった。

次に自分が買った占星術の本の1冊にもヒントがあった。

まだ掴みきれない。

次に市の図書館から借りてる占星術の本を読んだ。

なるほどなるほど、やっぱりそう。

そして最後にネットで情報を調べて、もう目から鱗だった。

概論じゃなくて具体的な比喩を用いて説明されてた。

私の太陽星座(魚座)と月星座(獅子座)の関係はこんな感じらしい。

これから2人の選手が対戦するという時。

1人はバット持ってバッターボックスに立つ野球の選手。

もう1人は塩まいて四股踏んではっけよい残ったの相撲取りの選手。

その2人は絶対に同じ土俵には上がらない。

全く何の接点もない2人が同じ場所にいる、もしくは同じ場所にいても接点がないからいることさえ互いに気付かない、そんな風らしい。

または、そもそも別々の分野の2人なわけだから、同じ空間にさえいなくて、それぞれの持ち場にそれぞれが存在している、そんな感じだと説明があった。

それを私の心の中で再現したら、なるほど納得だった。

他にも調べてる例の中にあったもので、よく女の子が彼氏に「仕事と私、どっちが大切なの?」と聞いて、彼氏にしてみたらどちらも大切で、そもそもその2つに順位をつける発想なんてなくて、だけどどっちも大事なんて答えた日にはものすごい罵詈雑言が飛んでくる。

だけど彼氏にしたらその2つを比べる発想すらないから、何で彼女が怒ってるのかそれさえ理解できないみたいな。

他にも本にあった例はこんな感じ。

「犬と猫、どっちが好き?」
「そばとうどんどっちが好き?」

この2つの質問はわかる。

だけど、私のあの意味不明な太陽星座と月星座の関係を表す質問はこうなる。

「犬とうどん、どっちが好き?」

これはもう意味がわからないし、そもそもそんな質問さえ普通に存在しない。

そんなこと言う人がいたら、間違いなく頭のネジが1本確実にない人認定される。

要はそういう2つの全く共通点のないもの同士を自分の中に両方持ってる、というのが私の中にある性質だった。

そして私の場合は、その2つの中の1つにはタブー意識を持っているから余計とそこを出してはいけないと無意識のうちに思って、ますますその性格の部分は影に隠れる。

そのカラクリがわかって、ようやく私は自分の月星座がどこまでもしっくりとこない理由がやっとはっきりとわかった。

何でそこまで執着して調べ上げるのか。

こんな風にして読み解いていくと、自分の中で長年疑問だった自分のことを客観的に見ることができる。

特に、色々ちぐはぐで自分でも理解に困る自分自身について、初めてどうしてそうなのかという根本的な理由を知れたのはとても大きい。

そして、私の場合は、こうした異質の2つのものを同時に持ったり体験することが人生において相当大切な役割を果たしてる。

単に2つを体験してるだけじゃない。

2つを体験して初めて見えてくる世界があって、その世界観を持つことがこれからの私の仕事とか表現に大きく関わってくると私は思ってる(ホロスコープにそんなようなことが書かれている)。

体験して終わりじゃない。

体験は知恵や知識になって、その後また使う用途がある。

先々はさておいても、まずは自分の中のあらゆる矛盾を知り尽くしたい。

私は自分の矛盾を知ったことで、知らなかった時よりも自分に対しての信頼感が高まった。

ちなみに30代にことごとく意味不明なことが起こり、もう自分の努力の範疇を超えて手に負えないようなことたちを体験するのも、設定として元々あったものらしい。

これはまだかなり掘り下げないとわからないけれど、少なくとも私は本来の道から大きく外れたことでそちらに戻るための見えない部分での圧みたいなのが半端なくかかった。

これは2月にホロスコープ鑑定を受けた時に言われた。

30歳前後で基本的には誰しもが自分の生きる道や人生そのものに疑問を持ちやすい。

そもそもそういう仕組みになっているらしい、ホロスコープ的解釈によると。

本来進む道にきちんとハマってる人は、それで問題ないわけだからそのまま行く。

反対に私みたいに大幅に道から外れてる人は、本来の道に行くためにそれはそれはすごい水面下での圧がかかってくる。

だから私からしてみたら何でそんなことになってるのかさっぱりわからないけれど、とにかく自分でもどうにもできない、手に負えないような出来事がわんさかとやってくる。

要は、軌道修正をするため、外部から色んなものがもたらされる(正しくは、私からすれば「爆弾投下される」)。

本来の行く道というのは、生まれてくる前に自分で「今回の人生はこういうことを体験しよう」と決めてきた人生の脚本みたいなの。

「外部」というのはどう説明するといいのかわからないけれど、スピ系の言葉で言えば「宇宙からもたらされる」でも「あなたの守護霊からもたらされる」でも「あなたの魂の願いを聞き入れて起こってる」でも何でもいい(私はどれもあまりしっくり来てないけれど)。

スピリチュアルな話に聞こえるとは思うけれど、私は自分のホロスコープを見て、それがスピリチュアルかどうかなんてのはどうでも良くて、むしろそこに表れたストーリーがまんまと自分の人生に起こっていることに驚いた。

そしてそれを見るとわかる。

私の場合は、本当に道から逸れてたから(アンチ精神世界主義だった)、元々そういうものを設定してるにも関わらず、その要素を一ミリも含まずに生きていたわけだから、それはそれは容赦ない出来事が次々に投入された。

それは投入というより、爆弾投下に近いものがあった。

私の人生に含まれているテーマはあれこれあるけれど、その中のかなり大きなテーマの1つが精神世界もといスピリチュアリズム(?)の実践。

スピリチュアリズムの実践とは何ぞや?って感じだけど、私の中では多分こういうことを指すのかな…みたいなテーマがある。

自分や他の人たち含めて、それが正しい・間違ってるとか、信じてる・信じてないとかいうことではなく、その中で使える教えや知恵なんかをいかに日々の生活に生かして、いかに自分自身を楽にさせられるか・自分を癒せるかということだと思う。

言うなれば、心の不具合があった時に、人に話して楽になるか、出かけて気分転換を図るか、神や仏とかの宗教の何かに祈りを捧げるか、精神科にかかるか、目標達成系の何かで解決を図るか、はたまたスピ系の方法で改善を試みるか、そんなぐらいの差だと私は思ってる。

世間ではまだそんな位置付けには当然ないわけで、その辺りをいかに誰にでもできる、わかる形で表現していくのかも私の今世でやることの1つだと思う。
(さっきの「外部」云々の説明なんかその最たるものだと思う)

ちなみに、
・精神世界に対してタブー意識を非常に強く持ってたこと
・精神世界と現実世界の両方を結びつけて物事を捉えること
・そうして自分で理解できたこと・体験を通して知った精神世界のいろはみたいなのを表現していくこと
そんなことまでホロスコープには表れてる。

ホロスコープにはどこまでも自分が出ているし、例えば生きづらさや社会生活で苦労しやすい点、自分の弱点、そんなのも出る。

でもこの時代の最大の恩恵は、そうしたマイナス的な要素に対して、きちんと探すとヒントも普通にネットや本から引っ張ってこれる。

しかもホロスコープは色んな人たちが情報発信してくれてるから、色んな人たちの見解を得ることができる。

その中で自分がピンときたヒントを自分に使ったらいい。

そして課題のような形で表れてることは、単に苦しみや生きづらさのみをもたらすものではなくて、それを超えた先に意味があって起こることだというのも、私の中で今徐々に結びついている。

私の場合は、自分の中で色々矛盾した性質をあれこれ備えているし、それを組み合わせて発展的な形で自分に良い風に活かすことも1つのテーマになってる。

そういうのがわかったことで本当に一番大きかったことは、無駄に自分や誰か他の人や他の何かを責めなくて良くなったこと。

これまではあまりにも訳の分からないことたちが山ほど起こっていて、自分でも頑張って生きてるつもりでももう本当に何をどうしていいのかさっぱりわからなかった。

自分や誰かを責めても全然楽にならないし、逃げても解決にはならないし、かと言ってそのまま放置も気分的によろしくない。

自分でもかなり色々やったけれど、何かが根本的に足りないというかおかしいというか。

そんなこんなの何年もの修行のような時間を経て、ようやくこのタイミングでホロスコープに出合った。

ホロスコープのおかけで、「自分の人生がそもそもそういう『設定』だった」ということに気付けたことが本当に大きかった。

理不尽な出来事たちも、もう『設定』なら仕方ない。

しかも理不尽なことほど実は大切な体験で、そこからいかに回復するか、自分のために何かをしてあげられるかが鍵になる。

そして『設定』に関して言えば、自分の強みや才能も同時に設定されてるわけで、そこにいかに気付いていかにそれを使っていくかで人生そのものが随分と変わると思う。

さらにはどういう分野に自分が人生の中で力を注いでいくのか、それもとりあえず現段階では分野だけはわかった。

そこはまだ未開拓ゆえに今後どんな体験が人生の中で出現するのかは未知数。

自分自身の解体新書みたいなもので、私が人生で出合ったどんなツールよりも使えるツールだと断言できる!

今度小学校で道徳が評価される教科に変わるとここ数ヶ月のニュースでたまたま見たけれど、そんなものよりホロスコープを必須科目にしたらいいのにと真面目に思う。

それか社会人になってからの新人研修とか中間職研修とかで導入したらいいのにと思う。

訳の分からない一貫教育や善行を促すような又は能力開発的なプログラムより、何百倍も使える。

話があちこちに飛んだけれど(←ちなみにこれもホロスコープに私の性格の1つとして挙がっていた)、熱弁振るうぐらいにホロスコープにハマってる。

2018年4月25日水曜日

菜の花

菜の花が満開を迎えている。

・桜
・ひまわり
・あじさい
・菜の花

今パッと思いついた花たちは、毎年目にする度に過去のある場面や出来事、特定の人を思い出す。

菜の花はこれまであまり気付いていなかったけれど、新潟では4月にならないと目にしない花だから、それで思い出した。

私の思い出の中の菜の花は2月。

前の携帯を充電して写真を見たら、2010年1月26日と判明した。

場所は名古屋市内のとある地区。

ギリギリ市内という感じで、昔からの家と最近の家とが混在している地域だった。

私はそこで何をしてたかというと、会社の事業(学習塾)のチラシをひたすらポスティングしてた。

そのポスティングも全世帯じゃなくて、お客さんになりそうな家庭に絞って(何ならこの対象世帯を絞る作業も自分たちの足で稼ぐ=調べる)、そして間違えても現顧客の家には配らないように、とにかくピンポイントで配る仕事もあった。

週に3回、午前中その仕事があった正社員時代。

私はその仕事も大嫌いだった。

名ばかりの正社員は、本当にありとあらゆる仕事をした。

ポスティングもすれば、講師もする。

営業もすればカウンセリング的なこともする。

しかもカウンセリング的なことも、これは私がたまたまだったのか、個人やその家族の人生を大きく左右するような相談まで含まれてた。

掃除もすれば外に立てる旗の設営もする。

強みやできるようになったことを手書きで書く仕事もあれば、外に向けた広告を自ら作ったりもする。

伝票の細かな金額を調べて書くこともあれば、月あたりの売上計算もする。

格好はスーツだから、下はスーツのズボンで、靴はポスティングの時はスニーカー、ポスティングが終わったらローヒールの靴に履き替える。

上はどうしてたか覚えてないけれど、夏なら上は着替え持参で動いてたような気がする。

冬は別にそのままのスーツ+コートで配り歩いてたと思う。

ホワイトカラーなのかブルーカラーなのか区別のつかない仕事ばかりを毎日してた。

それでそのポスティングの最中に菜の花を見つけた。

雪国新潟は1月2月は大地が雪に覆われているから、まず外で花を見ることがない。

当たり前だけど、一面真っ白+濃い灰色の空という、もう見てるだけでテンションダダ下がりな風景。

片や太平洋側は、たとえ寒くても青空に冬の太陽に冬の花まであって風景はカラフルだった。

季節は冬なのに春の花を見たのはその時が初めてだった。

その菜の花を見て、心は全然元気じゃなかったけれど、一瞬だけ癒された。

すでにその頃から退職届を出していて、辞めさせてもらえないどころか絶対に辞められないような名ばかりの「長」の役職というか担当まで渡され、本当にお先真っ暗だった。

その頃はまだコーチングにも出会ってなくて、自分の先々の人生には絶望しか見えなかった。

何のために生きてるのか、何のために自分がそこにいるのか、逃げたくても逃げられない状況まで固められ、四方八方塞がりだった。

百歩譲って結婚できなかったことは仕方ない。

だけど、自分の人生なのに自分で選べないような状況を前に、もう私はどうしていいのかわからなかった。

逃げたらいいとかボイコットしたらいい、そんなに辛いならそこに留まるのがおかしいということも色んな人たちから言われた。

私は今もっても、それは解決法ではなかったと思ってる。

そこに人が絡んでなければ私は普通に逃げた。

変な正義感だけれど、関わる人たち個人にとって大切な決断の時期で、そんな最中私の勝手な都合で辞めて、その人たちに余計なストレスを与えるのは違うと思った。

私より優秀な人たちはいくらでもいるし、何も私でなくても本気でいいと思う。

それは今でもそう思ってる。

仕事はいくらでも代わりがきく。

私じゃなくていい。

でも私が辞める=新しい人が配置される=また1から人間関係を作る。

相手が子どもだったから、さすがにそれはできなかった。

ただでさえ自分のことに進路に忙しいと言うのに、そこに私が辞めて新しい人間関係を作るストレスを与えるのはいかがなものかと思った。

私は自分が1から何百人という人間関係を作ったからわかってた。

本当に新しい人間関係を作るのはストレスがかかるし、当然お互いの癖もあるから、しかもその時はガチで人間関係を作るものだったから、対大人みたいに「なんとなく」やり過ごすという選択肢はなかった。

ガチの人間関係になればなるほど、人間関係を作る最初にかかるストレスは半端ない。

そこにプラスして子どもの先には当然保護者がいた。

保護者との関係はさらに神経がすり減りそうなものだったけれど 苦笑、それでもやっぱりすごく大切なものではあった。

私はその仕事に就くまで(そもそも色んな勘違いでその職に就いて、まさか私は自分が学習塾の仕事をするとは思わなかった)、塾というのは習い事の延長で、学校や家みたいに子どもの時間の大部分を占めるわけじゃないから、ある意味オマケ的な位置なのかと思ってた。

それが完全なる勘違いだと、塾の仕事をしてすぐに気付いた。

その家でも学校でもない立ち位置というのは、子どもや保護者にとってある意味本音を吐き出せる守られた場のような感じで、それ故にヘビーな相談や出来事もたくさんあった。

生活の中のオマケどころか、やたらと幅をきかせた位置に成り上がっていた。

ある時、あるお母さんが懇談でこんなことを言った。

「私があの子にしてあげられることは、あの子が学校でも部活でも塾でもそれぞれのことに集中できるように、その地盤を整えてあげることだけです。私にできることはそれしかないので、多少のことは目をつぶって、あとは家で少しでも本人がリラックスして休めるようにと思ってます」

親たちを見て思ったのは、その小さな体で抱えてるストレスをいかに少なくするか、いかに健やかに子どもを日々育てられるかということだった。

それがわかっていたから、だから何の準備もなく勝手にボイコットとかフェイドアウトはできなかった。

辞めるなら辞めるできちんと引き継ぎをしないと、私はそれで良くても相手は必ず困る。

いくら私が抜けてても能力的にかなりポンコツでも、一度私が入ったポジションはある程度責任を持たなきゃダメなんだとわかった。

だから私はボイコットする代わりに、会社には再三再四退職願を出して、とにかく辞められる体制を整えてくれるようにひたすら懇願した。

だけどそれが叶わずで、そして無限のネガティブループにどっぷりと浸かっていた。

そんな最中に見つけた菜の花で、私はそれを見つけた時だけ何とも言えない癒しをもらってた。



この春見た菜の花は、全く違う風景の中に自分がいることに気付かせてくれた。

8年前からは想像もつかないところにいる。

ずっと先が見えなくて不安しかなかった私に、その後転機が訪れた。

コーチングに出会い、そこから劇的に色んなことが変化した。

ずっと辞められなかった仕事も辞められた。

しかも自分が望んだベストな形で辞められた。

辞めた後、さらに一層混乱への道へと突入することになるとは想像さえしていなかったけれど、その後起こった全てのことは今ここに至るまでにすべて必要なことだった。

今年の冬の1月は過去に前例がないぐらいの大寒波の連発で、大きな雪壁を見ては本当に春か来るのだろうかと思った。

菜の花どころか桜さえも想像できなかった冬だった。

でもきちんと冬は超えて春が巡ってきた。

私の人生はようやく長すぎる冬が終わりそうな予感がしている。

10年近くに渡る冬の間、私は去年とびっきりの人生のご褒美をもらった。

本気のご褒美だった。

生きてる毎日があんなにも華やいでいて、ただただ生きてることに生きて会えることに感動した日々もなかった。

ポスティングをしてた時には全く考えられなかったことが起こった。

ポスティングをしてた頃、天気は大方恵まれていて、大雨の中することはなかった気がする。

だから晴れなり曇りの天気のことしか覚えてないけれど、心の中はいつも「いつまでこんな生活が人生の中で続くんだろう…」とネガティブ思考だけがグルグルと渦を巻いていた。

本当に先のことに対して一ミリも光が見えず、当時は希望とか明るい未来とかさえも望まない代わりに朝が来ても憂うつにならない程度の生活を送れますように、と本気で願ってた。

死ぬわけにもいかない。

なら、生きたいと思わなくてもいいから、せめて朝を普通に心穏やかに迎えられる、その生活が本気で欲しかった。

夜寝る時に明日も普通に朝がやって来ると考えるだけで恐怖に打ちのめされる、そんな毎日から解放されたい、本当にそんな風だった。

仕事を辞めた後は後で、また次から次へと意味のわからないことや上手くいかない現実が山ほどやってきたけれど、最終的に「何とかなった」ということで、人生生きてる限り何とかなるのかもしれない、と半分あきらめ、半分まぁここまで来れたから良しとするかな…という感じだった。

37歳になってすぐぐらいに全てをリセットして地元の新潟に戻って来た。

経済的に立ち行かなくなり、親を頼って帰るという、とんでもない理由で戻った。

よくよく考えたら、名古屋で仕事を辞めた後新潟で仕事を始めるまで私には半年の空白期間がある。

あまりに色んなことがあり過ぎたから、しかも二つの地をまたいだことで記憶はかなり勝手に書き換えられていた。

だけど通しできちんと数えたら、半年の空白期間が存在していた。

そして新潟に戻った最初の1ヶ月ほどは、冗談抜きで一歩も外に出なかった。

家のすぐ外にさえ出ずに、ずっと家の中にいた。

何かしらはしていたけれど、もう今となっては何を毎日してたのか記憶にさえない。

家事をして、自分の部屋の掃除をして、それ以外は…わからない。

当時は親も今以上にピリピリしてたから、私が帰って来たことも近所の人含めて町の知り合いたちには誰にも言わず、それもあって私は本気でこもっていた。
(私は良かったけれど、親の方が気にしていて、もう色々面倒すぎて、ならこもろうという流れだった)

色々自分の中の収集がつかなくて、ようやく外に出るようになってからも、本当にそれは月で数えたら片手で終わるぐらいの回数だった。

しかも今気になって調べたら、当時はほとんど書き物もしていない。

日記とノート合わせて数日分の記録、それも1ヶ月に1日とかしかない。

テレビもほとんど見てなかったし、本も読んだ記憶がない。

本気で毎日何をして過ごしてたんだろう。

お金がなくて外に出なかったのはまだわかる。

だけど、かと言って何をしてたのかはわからない。

ネットを見てもそんなに何時間も毎日飽きずに見てたとは思えない。

その年の秋から社会復帰したけれど、当時一番感動したことは、毎日朝を健やかに迎えられたことと、そして仕事に何の抵抗もなく気持ち良く行けたこと、その2つだった。

当たり前みたいなことが随分長いこと損なわれていたから、私はそんなことでも十分感動できる体質になった。

そんなこんなを抜けて迎えた2017年の夏、私は本気で何に感謝の気持ちを伝えればいいのかわからないぐらいの特大のご褒美がやって来た時には、大真面目に「生きてて良かった」と思った。

生きてるって本当に素晴らしいことなんだと知った。

ただただ生きて朝を迎えて大切な人に今日も会える、その人も生きて普通に今日もいる、そのことが私にはもう奇跡にしか見えなかった。

色々思い通りにはならなかったけれど、私はそこで生きる喜びを得た。

もう何年もあきらめて、もしかして一生私は生きることに喜びを感じずに終わるかもしれない、そういう気持ちがエンドレスいつも根底にあった。

ささやかな喜びは色々あったけれど、でも根底は生きてることそのものが私は怖かった。

何で生きてるのか、何でこんなにも丈夫なのか、何でこんなにも丈夫でそこそこの能力もあってやろうと思えば何でもできそうなのにそんな気持ちには全くなれず、ずっとずっと考え込んでは暗くなっていた。

健康が損なわれてたり色んな事情で夢を断念せざるを得なかったり、そんな人たちにとって私の状態なんて喉から手が出るほどに欲しいものだと思う。

自分の罰当たり的なネガティブ思考にはいつも罪悪感が伴ったし、本当に何で生きてるのかさえわからなかった。

だからそんな気持ちを根底から抜き取ってくれて、単に生きてるだけでこれだけのいいことがあるよ、っていうことを存在を通して私に伝えてくれた人には本当に感謝してる。

生きてることが本当に奇跡なんだとわかった。

1つとして当たり前のことなんてなくて、その中で出逢わせてもらえた人がいるのはもう人生のご褒美だった。

その辺りから不思議なことはたくさん起こり始めた。

しかも日に日に加速度的に起こっていった。

あまりにも凄かったから、私もさすがに色々調べ出した。

それが去年の秋ぐらいの話。

そこからもうそんな夢の日々は終わり、悲しい現実が登場したけれど、それでも私が前を向けたのはその人に出逢えて生きることにもう一度希望を見出したからだと思う。

自分の思い通りではなかった現実に対しても、今は今でもっと別の形で向き合うようになった。

そして私は今ものすごい勢いで自分のホロスコープを読み解いて、自分に起こった数々のこと、自分の性格や性質のこと、とにかく色んなことを紐解いている。
(ちなみにホロスコープには恐ろしいぐらいに自分の過去や数々の大変だと感じる出来事の概要なんかもしっかりと出てくる)

そしてこれら全部を使ってこれから先の自分にバトンとして繋げていきたいと思ってる。

単純に生きたい、生きてもっともっと色んなことを体験したい、今はそう思えるようになった。

新潟に戻って二度目の春。

1年前の春は、菜の花を見た記憶がない。

でも今年はそれを見た時に、今は絶望以外の気持ちを持って日々生きていられることと、そう思えるだけの人に出逢えた奇跡が真っ先に思い浮かんだ。

もちろん一緒に生きていたいと望んだ。

本気で望んだ。

だけど叶わないまま今に至っても、もう生きるのがしんどいだの辛いだのと思わなかった。

それはものすごく残念だし今からでも私は叶えてもらえるならどうぞよろしくお願いします的な気持ちではあるけれど、それが叶わなくても他にも生きる目的みたいなのが今はあるから、まぁしばらくはそこに専念しなさいという意味にでも捉えたらいいかと思って日々を過ごしてる。

今は当時のように生きて会えて嬉しいですみたいな状況がないのは寂しいけれど、それでも自分で自分を満たせるぐらいの力量はこの10年ほどで鍛えられて持てるようにはなった。

そしてその人に出逢えたことで、私は本気で「奇跡が起こる」ということを信じられるようになった。

しかも今回の奇跡はとてつもなく大きかった。

私はその奇跡のために何かを頑張ったわけでもなければ、何かしらを意図して手に入れたわけでもなかったから。

むしろ何も頑張らず、何の意図もなく、本当に単に働かないと九州の友達の結婚式行けないよ、ぐらいな感じでとりあえず選んだ選択の先にあったことだった。

だから奇跡というのは、頑張ったら起こるわけでもない、何なら何も期待もしてないような時に起こることなんだと知って、余計と私は「奇跡が起こる」信者になった。

今年の菜の花は、奇跡を目撃した後に初めて見る菜の花だった。

今いる私の立ち位置は、何年も前に望んだこと以上の場所になってる。

何となくだけど、来年以降も菜の花を見るたびに私はその人のことを、その人に出逢えたことを思い出す気がする。

本人とは全く関係のない花ではあるけれど、春の陽気と当時の日々華やいでた感じがとてもマッチする。

菜の花を見た記憶が最初「絶望」の中にあったからこそ、それが塗り替えられた今は「奇跡」というラベルが付いている。

そしてその奇跡はその人の登場によってもたらされたものだった。

「私の人生に現れてくれてありがとう」その意味が今より一層よくわかった。

その人が私の人生に現れてくれたことは、本物の奇跡だったから。

2018年4月24日火曜日

雨の日の遺跡

メキシコを一人旅したのは約10年前。

いくつもの遺跡を回って(途中からは飽きた…苦笑)、その中で一番感動したのは雨の日の遺跡だった。

雨に濡れた草木や植物はより一層と生い茂った感じを出して、原風景のようなとても神秘的な雰囲気になってた。

石で造られたピラミッドのような遺跡は雨に打たれて、その濡れそぼった感じが太古の昔もこうだったんだろうと想像できた。

しかも雨のおかげか人もほとんどいなくて(数えるほどの人としかすれ違わなかった)、それがますます当時のコミュニティもそうだったのではと想像した。

所変わって日本の新潟県。

県内には縄文土器が発掘された場所があるらしく、それらを中心に展示されてる歴史博物館がある。

私はそんなこと知らなくて、関西にいる友達が教えてくれた。

友達はそれを見るためにわざわざ大阪だか京都だかで開催された特別展に行った、ぶっしーもそんなに近くにあるなら見に行ってきなよ!と薦められたのが数ヶ月前。

ふと、春うららな天気の良い日より、メキシコの時のことを思い出して、わざと雨の日に行きたいと思った。

博物館は空調も電気もある今時な建物の中でも、せめて外の天気だけでも数千年前のある時と一緒だと想像して雨がいい。

しかも今回は伊万里焼の展示も開催されてて、どちらかと言えば伊万里焼を見に行きたい。

関係ないけれど、週末に夕日を見るために車を止めたら、そこは丁度石屋さんの駐車場だったらしく、岩みたいな大きな石が4つほど無造作に置かれていた。

ふとこの石のエネルギーをペンジュラムで感じられないかと思って、石の上にペンジュラムをかざすとYESの意味で時計回りに元気よくグルグルと回った。

石自体は動かないけれど、その中にきちんとエネルギーが宿ってるんだなと思った。

その大きな石の上でグルグルと回ったペンジュラムを見て、土器や当時の自然のものを使って作られた他のものにはどんな風にペンジュラムが反応するのか、それも見てみたかった。



平日の午前、歴史博物館は私が多分1番乗りの客だった。

雨が降っていて、来る途中は霧がかったところもあって、メキシコで見た幻想的な風景にちょっとだけ似てて、やっぱり雨の日に来て良かったと思った。

縄文土器よりも私は古伊万里焼の特別展の方に惹かれた。

伊万里焼の方は3回も見て回ったぐらいに楽しかった。

本当に単に器をひたすら見て回るだけだったけれど、それを見てるのがとてつもなく好きだった。

3回目は、思いつきで器の1つ1つにペンジュラムを通して問いかけてみた。

この子たち、こんな風に厳重なガラス窓の向こうに鎮座して飾られて嬉しいんだろうか?と思ったから。

17〜18世紀に作られたものがほとんどではあったけれど、状態はものすごく良かった。

私はそれぞれの器を見て、「これは肉じゃが」「これは刺身用のしょうゆ皿」「これは親子丼」とか、朝から色んなメニューを思い描いていた。

「こんなに深い鉢は、何を入れるんだろう?」
「この大皿は割烹風のオードブル盛合せ」
「これにふぐの刺身とか乗せたら映えるだろうなぁ」←食べたことないけれど
「昔はこの器にどんな料理を盛り付けてたんだろう?」

妄想はどこまでも広がった。

そんな風に普通にメニューが浮かぶもんだから、だから気になった、器たちの気持ちが。

そんなことペンジュラムで聞いたところで何ができるわけでもないし、単なる私の好奇心を満たして終わりだけれど、でも妙に気になってそれで1つ1つ聞いて回ることにした。

聞く前に「これは普段使いされたい!」とか「これは飾られたいはず!」とか勝手に予想しながら、聞いて回った。

6割ほどの器は普段使いを希望してた。

絵柄の繊細なのとか芸術的にすごく意味のありそうなものは、もれなく飾られたいと言っていた。

現代の生活様式では使いにくそう…というものでも、「使われたい」と出るのもあったし、なんなら「個人宅で愛でられたい」などと言う器まであった。

個人宅希望の器は、飾られるのも普段使いもNOで、じゃあ何だ?と思って質問を重ねたらそう出た。

確かに、色んな人たちに使われるより特定の個人から大切にされる方が良い、扱うのにかなり注意が必要な大きさだったから、個人宅希望も頷けた。

器たちが喋るなどと普通は誰も思わないだろうから、そこに飾られたものたちはこれからも文化遺産としてどこかに重装備で展示されると思うけれど、本当は使われたい希望のものは誰か人間の手で可愛がってもらいたいんだろうなぁと思って帰ってきた。

私がしてること、ペンジュラムで物の気持ちを聞くなんて、さぞかし滑稽で変だとは思うけれど、私は何も知らずにいた頃より今みたいに物とコミュニケーションが取れる方が好きだと感じてる。

特に、物を捨てる時と迎え入れる時にものすごく役立ってる。

捨てようと考える時、私は物の1つ1つに手放しても大丈夫かを聞いてる。

私の気持ちだけじゃなくて、もうこれは私のすごい勝手な気持ちだけど、物も私の元から去ることを納得してくれてるといいなと思ってる。

最近の一番大きな手放しは、昔作ったパワーストーンのブレスレットと友達が手作りしてくれたパワーストーンのブレスレット、あとは水晶かダイヤモンドか忘れたけれど友達が掘ってきてプレゼントしてくれた石。
(どちらももらったけれど、どっちがどっちか忘れた)

さすがに普通には手放せなくて、最後離れる場所も聞いた。

雪が溶けて川の裾野まで行けるようになってから、地元の小さな川に流してきた。

石たちもわかってたのか、私が手放すことを一度も反対しなかった。

むしろ聞いた最初の時から「いいよ」という意味のYESをペンジュラムを通じて伝えてくれてた。

こういうプロセスを踏むと余計とわかる。

物もご縁だということ。

私もあと何年ぐらい生きるのかわからないけれど、その中で持てるものはある程度限られてくる。

だから、せめて手元に縁あって来たものたちに対しては、大切に使える自分でありたい。

だからと言うわけではないけれど、そうやって物と話すことを始めたから、だからこそ今日見た伊万里焼たちが本当は何を望んでいるのかが気になった。

食いしん坊が見ると、その器に盛られるおかずが次から次へと映像のごとく浮かんでくる。

少なくとも何百年前かは、日々なのか特別な時だけなのかはわからないけれど、人間の手で触られて、人間たちの生活のために使われていたことは間違いない。

まさか物たちも人間より自分の方が何百年と長生きするなんて思ってもいなかったと思う。

メキシコでピラミッドをはじめとする遺跡を見た時はそんなこと全く感じなかったけれど、今日の伊万里焼たちからは何か別の感じを受けた。

扱われ方は多分物たちの生きてきた時代の中では一番だと思うけれど、丁寧に厳重に扱われることが必ずしも物にとって一番とは限らない、なんて思うのは私だけだろうか。

蛇足の話だけど、よく人に質問されるから答えると。

今日のように公共の場でどうやってペンジュラムに聞いてるかということ。

一応周りに人がいないかとか、いても目線は展示物かどうかの確認は多少するけれど、まぁ普通に短く持って聞いている。

かなり無理があるけれど、キーホルダーを持ってるように見えるかもしれない…。

今日は館内のパンフレットを渡されてたから、それをちょっとした壁にして、あまり目立たないようにはしてたつもり。

まぁでも見られても知らない人たちばかりだから、そこは変と思われても痛くもかゆくもないから気になっていない。

ふと思ったけれど、私に会う人たちは慣れたもんで、別に飲食店のテーブルの上にペンジュラムを置いていようが、何か聞かれて私がペンジュラムにその質問を聞いていようが、誰1人異を唱えた人はいない。

何なら誰もキョロキョロしないし、ふざけて「私たちおかしな人に見えるかな?笑」とか言っても、相手の人たちも意に介してない感じ。

そんな風だから、私は普段からも公共の場で普通にペンジュラムを出して何かその物に対して聞きたいことがあれば聞いている。

恥ずかしいよりも、聞かずにモヤモヤする方が気持ち悪いから、だから聞いてる。

関係ないけれど、私は未来のパートナーの人には、そういう私でもいいよと言ってくれる人がいいなと思ってる。

男友達の前でも3人は見せたような気がするけれど、全員超面白がって食いついてきたから、そういうタイプの人だと尚のことありがたい。

というか、そういう人じゃなきゃ、むしろ私は単なる変人にしか映らないだろうから付き合えないか…。

ちなみにたった1人だけ、本当にもし何か進展があったら私はどう説明するのか真剣に考えたことがあった。

そんなこと起こらなかったけれど、ペンジュラムや他のことも含めて、そもそもそういう自分を相手に伝える覚悟があるのかどうかをまずは自分に聞いた。

本当に覚悟のいるものだった。

まぁ覚悟を決める必要もなくなってしまったけれど。

2018年4月23日月曜日

たられば話

「◯◯したら、◯◯だったら」とか、「◯◯してれば、◯◯とすれば」という、実際にあり得なかったけれど、もしくは未来に起こりそうにもないことを言う時に使う言葉。

たられば話。

私は過去のことを振り返る時に使う「たられば」はすごく好きだったりする。

どうしてかと言えば、そのたらればではないことが現実として起こったから今がある、そのことがとてもよくわかるから。

だからたられば話をすると、今ある奇跡的な状況に胸が躍ったりする。

又は過去に起こったことの実際のストーリーがとてつもなく深遠でドラマチックだとそれだけで私は感動を覚える。

先週、前の仕事で一緒だったサノさんに会った時のこと。

最近の職場、という単なる挨拶程度の世間話をした時に判明したこと。

私が座ってた席にはすぐに次の新しい人が来ていて、私はてっきり私のしてた仕事と同じ仕事をするのかと思いきやそれが全く違ってた。

新しい方はCADができるらしい。

CADとか普通に言ってみたけれど、実際にCADが何をするものなのか私には全くわかっていない。

図面描くのに使うと仕事で説明されたけれど、あの画面の向こうは私にとって異次元の宇宙空間並みに意味不明な世界だった。

とにかく新しい方はCADができる人で、ほぼほぼCADの仕事のヘルプに入っているらしい。

だから自分の席、もとい私に与えられていたあの席に日長1日座って仕事に当たってるとのこと。

だから私の席から真逆の位置にいるサノさんの隣りに座って仕事をすることは今のところ皆無らしい。

そして私が作業机として愛用していた、その席のすぐ真後ろの大きなテーブルにもほとんど座らないらしい。

同じポジションで入ったにも関わらず、全く別の仕事をしてるらしく、それを聞いて驚いた。

ここからは、たらればの話になる。

私は仕事全体の中で50〜60%はその大きな作業机に座ってた。

しかも最初の3ヶ月は、ほぼほぼそこに座ってた気がする。

私は神様がいるとするなら神様に手を合わせて何百回とぺこぺことおじぎしたくなるぐらいに、そのポジションだったことを感謝してる。

私がその机でしてたことは、誰もが見てれば毎日毎日同じことをしてたから「武士俣さんは◯◯の係」というのが何となくわかると思う。

私はたった一度だけ私の名前を呼ばれた日のことをとてもよく覚えている。

今思い出してもあり得ないことが起こっていて、偶然の仕業にしては出来過ぎだったと思う。

その日、私は担当の人よりファイルをいくつか階下に運んで片付けてきて欲しいと言われた。

キャビネットがパンパンで、新しいファイルを入れるにはスペースを作る他なくて、それで担当の人が不要になったファイル収納Boxを抜いて、下に持って行って下さいと言ってきた。

これもまたよく出来ていて、当時の私はどれが終了分でどれが現在進行形又は未来に使うものか全く知識がなかったから、とにかく言われるがままに運んだ。

これがもう少し後だったら、今度は私が自分で調べてできるようになったから、その後に実際に起こったことは起こり得なかった。

とにかく私は言われるがままに階下に幾つかのファイルの入ったBoxを運んだ。

数時間後、現場に出ていた人が帰ってきた。

その人に呼び止められて、「武士俣さん、△△のファイルを入れるBoxを知りませんか?」と聞かれた。

私は質問よりも、まずはその人が私の名前を知ってたことに心底驚いた。

初日に自己紹介はした。

したけれど、私は知ってる。

「ぶしまた」という音は非常に聞き取りにくいらしく、一発で覚えられる人はすごく少ない。

一度覚えられたら忘れられないと色んな人に言われたけれど、とにかくたった1回、音だけで覚えるのは至難の技だと思う。

当たり前だけど、名刺も私はないから、相手の人は誰でも私の名前を音で覚えるしかなかった。

当時の長は事前にみんなに「武士俣さんという派遣の方が来ます」なんていう、みんなに周知するメールも出さなかったようで、だから本当に私の名前は耳で聞いて覚える他なかったと思う。

もっと言えば、在籍中、自分の名前を表すシールもなければ、印鑑を押すこともない、私だけ不要ということでメールアドレスもない、とにかく個人の名前を表すもので目で見てわかるものは1つもなかった。

女性の事務員さんたちが私の名前を時々呼んではいたけれど、基本的にすぐ近くで呼ばれていたから大きな声で「ぶしまたさん」などと言われることもなかった。

ましてや絡みのない男性陣なんかは、私の名前を呼ぶ用事さえないし、そもそも私の名前が覚えられたかどうかなんて全くもって重要ではなかったし、そしていつまでもいる職場ではないことも最初からわかっていたから、むしろ名前を覚えられてない方が私としては都合が良かった。

だからその人が私の名前を呼んだ時、私はとにかく質問なんて頭からぶっ飛びそうな位に驚いてた。

この人、私の名前きちんと覚えてたんだ、まずはそこだった。

続いては、その聞かれたBox。

私は最初何でないのか思い出せなかったけれど、過去に時間を戻して「そう言えば今日Boxを頼まれて下に運んだなぁ…」ということを思い出した。

とりあえず物を預かって、Boxを探しに行った。

Boxは確かに階下にあった。

だけどこれってあり得ないことだった。

少なくとも私に指示を出した人は、その日の予定も頭の中に普段なら入っているし、だから間違えてそれを下に下ろしてなんて絶対に言わない。

そんな間違いは当たり前だけど、その時が最初で最後だったし、私がある程度慣れてからは私がどれが終わったかを確認してBoxは選んでいた。

だからあの時1回だけ、本当に色々あり得ないことが重なって、それで名前を呼ばれるところに繋がった。

話をCADに戻そう。

CADをたった一度だけ、何かの調べ物でそこだけ使い方を習ってその日だけ作業をしたけれど、それ以外では全く触ることのないシステムだった。

私の教育係の人も私にCADの何かを頼みたくても頼めない状況だった。

いつだったかは忘れたけれど、私は手持ちの仕事がなくなった。

その手持ちの仕事がなくなったことで、サノさんのお手伝いに入ることになった。

それでサノさんの隣りに座って色々話す時間ができて、気付くととても仲良くなった。

サノさんは唯一職場の中で私が心許して色々話せる人だった。

忘れもしない、最初の手伝いの日。

それが入ってからすでにどの位の時間が経過してたのか全く覚えていない。

サノさんは私に
「仕事慣れましたか?どうですか?」
と聞いてくれた。

私は最初から最後まで、サノさん以外の人からそれを聞かれたことがなかった。

聞かれなくてもいいけれど、私はそうして気にかけてもらえたことが本当の本当に嬉しかった。

1日中黙って黙々と自分のペースで仕事を進められていたから周りの人たちにはさっぱりわからなかったと思うけれど(サノさんも全く気付かなかったと言ってた)、私にとってはあまりにも1つ1つの作業が不慣れで管理する資料の数も半端なくて、実はかなりアップアップしてた。

資料なんてどれ見ても一緒にしか見えなくて、それで私はその資料を並べ替える時なんかは、各資料のタイトルを小さく声に出して読み上げて確認しないと、単に見ただけではそれが合ってるのかどうかさえも分からなかった。

サノさんいわくきっちりしてる人というのが私のイメージだったらしい。

だから今プライベートで会うようになって、この間も私の抜けぶりに驚いてた。

私は今回も説明した。

素の自分はすごく抜けてるし管理なんてましてや超苦手分野だから、だから何でも細かく分けて管理したり、細かく手順をメモしてたのは、そういう自分を何とかフォローするためにしてたと説明した。

サノさんは仕事を私に教える最初の頃から、
「わからなかったら何回でも聞いてくださいね〜!」
と言ってくれてた。

サノさんの対応は流行語に相応しい、まさに「神対応」だった。

そしてサノさんは本当にその通りに私が何回も同じことを聞いても一度も嫌な顔をせず、同じことを1から丁寧に説明してくれた。

本当にすごい人だった。

だけど、サノさんいわく、新しい人はCADができるからサノさんの隣りに座ってサノさんの仕事を手伝うことは今のところ全くないらしい。

全てが仕組まれたかのように、私の仕事は生まれていた。

だから仕事をしに行ってはいたけれど、多分私の本当の目的は仕事じゃなかったんだと思う。

仕事の中で生まれた色んなことを体験したり、そこで大切な人たちと出逢わせてもらう、それが本当にあったすべてと言ってもいいくらい。

もっと言えば、CADができない私は、自分の本来の席で仕事をする時間が極端に少なかった。

あちらこちらに自分の身を移動させるのも私はお得なポジションだと思ってた。

なぜなら私の本来の席からは本当に見たいものが見えなかった。

作業机やサノさんの隣りの席はある意味スペシャルだった。

サノさんの隣りの席は1番の特等席で、見たいものが自分の好きなように見れる、誰に遠慮することもなく、バレたらどうしようなんて心配もしなくてよく、とにかく対象が近くを通ればガン見しても気付かれない素晴らしい位置にあった。

作業机は普段はあまり好きなポジションではなかったけれど(見たいものから背中を向けることになるから、何も見えなかった)、時々スペシャルなものをもたらしてくれる席でもあった。

作業机の向こう側は、色んな人たちが普通に行き来する。

しかも私が座る位置からは丸見えで、別に行き来する人を見てもそもそも体の向きがそちらだから、変な違和感はない。

だから頻繁ではなかったにしても、その前を行き来したりする時には私はガン見してた。

当たり前だけど、全員じゃない。

興味の対象だけが来たらガン見、しかも私に背中を向ける格好の時なんて、私は手もしっかりと止めて見ていた。

毎回ガン見するものの、心臓は口から飛び出すかと思った。

それくらい1人で勝手にドギマギしていた。

生理反応みたいなもので、私は自分の心臓がどうにかなることさえももう自分ではどうすることもできなかった。

そしてその席にいたからこそ生まれたやり取りもあった。

今考えたら、本当に丁度のタイミングで私はそこにいた。

さすがに朝から晩までずっとそこに張り付くこともないし、当たり前だけどトイレに行ったりコーヒーを入れに行ったりもしてた。

それは時間にして1、2分だったと思う。

私は1、2分のその瞬間の様子をずっと見てた。

見てたからすぐに相手の困ってる様子はわかった。

だから私は声をかけた。

「何か探してますか?」って。

10月11月位からは私は作業机でする作業が激減した。

だからあの日のあの時みたいに、探し物をしてる人を見かけることもほぼほぼなくなった。

というより、作業机にいないから、そもそもそちらの方に体と目を向けることがなくなった。

本当によく仕組まれてた瞬間瞬間だった。

だからもし私がCADができたとするなら、もし当時の仕事が今のように落ち着いていてする必要がなければ、起こったことのどれもが起こり得なかった。

そしてもう私はそこにはいない。

だから、数ヶ月前と同じ状況はもう永遠に生み出すことはできない。

あの日あの時あの瞬間、起こったことのすべてが一期一会だった。

生涯でただの一度しか起こらないドラマだった。

それを思う時、たられば話をすればするほど、どれだけの奇跡が自分の人生に降り注いでいたかに気付かされる。

2018年4月22日日曜日

39歳からの学び

これからしばらくの学習テーマ
・ホロスコープ
・癒し
・チャクラ・体・心の関係

この3つを完全な独学で勉強している。

ホロスコープは自分のため。

癒しは自分と自分以外の人たちに使っていく知識のため。

最後のチャクラと体と心の関係は、今自分で新しい手法を編み出したところ、それらをもっと具体的に知る必要が出てきて勉強している。

ちなみに私も「チャクラって何?」というところから始めないといけない。

癒しも同様「癒しってそもそも何?」というところを今は掘り下げている。

ホロスコープの本を探しに県立図書館まで私は行って、そうしたらホロスコープだけじゃなく癒しの本も目に入って、それがまさに「知りたい!」という内容だったから一緒に借りてきた。

さかのぼること金曜日。

私は友達に頼まれて、友達の友達に対してオススメの癒しがあったら教えて欲しいと言われた。

その時にふと、前々から試したいと頭に何となく思い描いてたことを思い出した。

完全なる思いつきだから、それが果たしてその友達の友達にとって役立つかは全くわからなかった。

だけど必要な道具(本+自分で作った資料+人からもらった感情一覧表+ペンジュラム)は全部あるし、やり方も多分こうしたらやれるというのが頭の中にしっかりある。

とりあえず物は試しでやってみた。

私がしたのは、その人専用の癒しのレシピを作ること。

やってみてすごく楽しくて、もっともっとやりたくなった。

その日の夜サノさんに会った時、そんなことをしてこれがその人に向けて書いたメッセージですと言って見せた。

サノさんも興味を示してくれたけど、すぐ別の話題に移った。

またそれからしばらく時間が経ってから、サノさんに聞かれた。

「ねぇbushi俣さん、そのさっき見せてくれたのあったじゃん。あれ、もし◯◯さんが自分の頭痛のことを私に相談ではないけれど何かしら言ってきたら、◯◯さんにbushi俣さんのこと教えてもいい?
なんか、◯◯さんにも何かしらのヒントになる気がするし、何となく役立つんじゃないかなと思って」
と言われた。

まさかそんなこと言われるとは思ってもみなくて、そんな風に思ってくれただけでもとても嬉しかった。

私も本人からその強烈な頭痛については話を聞いたから、確かにそれもしかしたら使えるかもしれないと思った。

医者じゃないし医学の知識は皆無だけれど、本人が自分のために普段できることや気をつけることは多分道具たちを使って情報を集めることはできる。

やってみてわかったことは、本当にその人専用のヒントになること。

だから私がヒントを読んでも、自分のことじゃないから全くピンとこない。

本人が情報の通りに何かをするしないは別にしても、その情報を伝えるところまでは私もできる。

サノさんにはもし本当にそんなことがあったらどうぞ伝えてください、武士俣さん石と喋るし、情報もどこから引っ張ってきてるのかわからずめちゃくちゃ怪しいです、ということもきちんと伝えた上で本人の意思を確認してください、とお願いした。

そんなこんなのやり取りもあって、もしそういうことをするならするで、きちんとした形で伝えられるように、もう少し理論的な根拠が欲しいと思った。

なぜなら今回の◯◯さんなんかは特に理系の頭脳派の超頭キレッキレな人だから、その人に伝えるとイメージした時に、これは言葉がいるなと思った。

◯◯さんにしなくても、今後そういう人と会うことになるかもしれないから、今からそのための勉強と準備をするのはありだなと思った。

しかも私も何となくの感覚じゃなくて、もっと自分でも人に説明できるようになった方が相手にも伝わりやすいだろうと思った。

そんなタイミングで、癒しについての本を数冊県立図書館で見つけた。

実際には、書庫保管で一般開放されてなくて、館員さんにお願いして出してきてもらった(10数冊スーパーで使うようなカートに乗って運ばれてきた)。

これまで名古屋の大型書店でも見たことないような本たちが図書館にはあった。

その中で厳選して借りて帰ってきた。


話は変わるけれど、私は30代に入ってから勉強の楽しさを覚えた。

それまでは勉強という勉強すべてに対して苦痛でしかなかった。

例えば英語の勉強も、私は元々赤点スレスレな英語力しかなかったのにそこから日常的に英語を使ってテストを受けたり論文を週一くらいのペースで書くようにになったから、すごい量の英語を詰め込んだ。

はっきり言ってその過程は苦痛の他の何物でもなく、私は世間の人たちが英語を楽しく学んでる姿を見るたびに、何か大きく間違えたと常々思ってた。

相当なレベルまで確かに上がったけれど、もう20年近く自ら積極的に英語に関わりたいとはただの一度も思ったことがない。

名古屋にいる時、派遣会社から一度だけ英語の資料作成とそれに付随するプレゼンをする仕事はどうですかとオファーされたことがあった。

内容を聞けば聞くほど相当なレベルのものが求められてる上、そんなの私は知識がないから家に帰ってまで勉強しないとやれないのが瞬時に想像できて、速攻断った。

スペイン語も必要に迫られて習得したけれど、英語同様ゼロからのスタートで全く楽しくなかった。

ちなみに言語については、「楽しく学ぶセンス」というものはそれだけで1つの才能だと私は思っている。

私にはない。

福祉の勉強もそうだった。

20代の私は資格がこれからは絶対にいると思って、国家資格の社会福祉士の受験資格取得のための通信大学の卒業と、それとは別に個人で保育士の資格取得を目指してた。

ほとんど勉強はしなかった。

しなかったわけではないけれど、家庭内自学は私にはさっぱり向いてなかった。

言葉はわからないし(日本語なのに外国語ですか、これ?のレベルだった)、内容は多岐に渡るし、さらには1つ1つの知識が頭の中で結びつかないから、いつまで経っても知識として定着しなかった。

保育士の試験は忘れもしない。

私はたった1問の正解を逃したが故、3年受けて最後落ちた。
(何科目かあって、各科目ごとに合格は3年間有効で、その3年の中で全科目合格したら良いシステムになってた)

そんなこんなの社会人になってからの勉強と比べて、今のホロスコープとかの勉強は楽しくてたまらない。

しかもどんなに難しくても超必死でわかるまで調べ倒して学んでる。

福祉や保育士の勉強の時には全くなかったことだった。

「好きこそものの上手なれ」ということわざ、本当にその通りだと思う。

好きとか興味があると、それだけでまずは「楽しく学ぶセンス」が自動的に手に入る。

プラスして、好きだからどんどん極める。

もっと知りたい意欲が半端ない。

もう少し独学が済んだら、どこかのタイミングできちんとホロスコープの読み方は信頼できるプロに習ってこようと思ってる。

そこからまた世界が確実に広がる。

これは今だから思うことだけれど、私は20代の頃の社会の価値観に合わせた資格取得のための勉強も無駄ではなかったと思ってる。

自分にとって苦痛なことをしたおかげで、苦痛ではない勉強も世の中にはあることを知った。

そして苦痛ではない勉強は、1人1人の中にしか答えがない。

誰かに「ホロスコープ勉強してみたら!」なんて言われても、多分私は始めなかったと思う。

何だか色んなことが重なった先にホロスコープがあって、自分でもやり出したらすごく面白いことがわかった。

それは完全に個人の好みの問題だから、それはやっぱり本人にしかわからない。

そしてやってみないとわからない。

やったら本人だけは絶対にわかるようになってる。

だから今の私は「これだ!」っていうのがわかる。

確実にこれまでとは違うから。

好きなことは私はどこまでも追究する。

お金も時間も惜しみなく出す(福祉と保育士の勉強や試験のお金はいつも「もったいない、他のことにこのお金を使いたい」と思ってた)。

結果もあってないようなものだから、自分の気が向くままに進められる。

その辺りもとっても気に入ってる。

そして不思議と、それぞれ別の分野なのにそれぞれが交差したり共通したりする点も見えてくる。

多分これからもっと知識を深めると、今見えていない新しい視点が見えてくる気がしている。

少し話が脇道にそれるけれど、ホロスコープをはじめ精神世界やスピリチュアルなことを学ぶこともそもそも私の人生の設定の中にあった。

ホロスコープにそのように出てる。

しかも私の場合は、そちらの世界を極めていく・追究していくのが、人生においてかなり重要な位置を占めている。

ちょっと勉強します程度のレベルじゃなくて、それが自分の癒しだったり自己表現だったり自分の生き方そのものにやたらと直結してるから、だから今してることは本当に理に適ってる。

もちろんそんなことは知らずに私はそうした世界に入っていくわけだけれど、本当に設定通りの人生を生きるのだからそれを表したホロスコープ恐るべし!

話はさらに飛躍するけれど、性格やコミュニケーションの方法なんかもホロスコープから割り出せる。

例えば私ならはっきりストレートに言う言い方をしやすいとか…苦笑。

反対に周りの状況を伺って言いたいことが言えない性質かも…と書かれているタイプもある。

そういう差を知る時、自分は自分のままでいいし、同様に他の人たちも他の人たちでそれがその人の素の部分ならそれでいいんだと思った。

今までは何となくの感覚で人それぞれ!と思っていたけれど、今はそれがその人の設定なんだと思うともっと理解がしやすくなる。

30代の終わりになって、ようやく私は自分の感じることを軸にして何かを選ぶということを少しずつ始めた。

勉強ひとつ取っても、これまでとは明らかに違っている。

世の中に役立つからとか生計を立てるのに社会で認められるのに都合がいいからじゃなくて、自分が知りたいから学ぶ。

このままでは人生が危ないから学ぶというのとも違っている。

ちなみに30代の前半は、どちらかというとそういう理由からスピリチュアルなことを学んだところも大きい。

あまりにも先行き不安すぎて、その不安と向き合うために学んだと言ってもいいくらい。

それはそれで本当に必要だったから良い学びにはなったけれど、今みたいに興味関心に基づいてるのとは違ってた。

だから、舵切りの方向が180度変わろうとしている今、怖いことも焦ることもたくさんたくさんある。

全てが未知の世界すぎて、正直どうなるかなんて全く見通しが立たない。

スピ系の本たちにそう言えばそんなこと書いてあったなと思う。

自分の道に行き出すと、「こうなります」という道しるべはなくなること。

要は1人1人違う経験をするのが普通だから、その後はそれぞれの人のドラマになるみたいな書かれ方をしていた。

この状態も怖いけれど、私は自分の意思のないところでずっと生きていく方がもっと怖かった。

お金のためにも働こうとしない自分を目の当たりにした引きこもりだった頃、本当に途方に暮れた。

自分がお金さえもモチベーションとして働くことをしようとしないと知った時、もう何をモチベーションとしたらいいのかもわからなかった。

当時は今みたいにこんなことを時間をかけてでもやっていきたい、なんていうものもなかったから、したいこともわからない、だけどお金のためだけにも働かない、色んな意味で四方八方塞がっていた。

そういう完全なる足止め期間が数年に渡ってあったから、今本当にやりたくて学びたくて色々勉強できることがたまらなく楽しいししあわせだなと思う。

ここまで来れたことももちろん嬉しい。

多分私は今、もう一度自分の人生を生き直そうとしてるんだと思う。

色んな価値観に押されて訳もわからずにここまで来たけれど、一旦リセットしてそしてもう一度今度は自分の意思で選び直したい、そういう気持ちになってる。

2018年4月21日土曜日

私をいつも全力で守ってくれる存在

8時間おしゃべりタイム。

金曜日18時前に集合して夜中の2時過ぎに解散したサノさんと私。

最後もう一杯だけお茶飲んで帰ろう!と言ってから気付けば2時間経過。

同じ時間働けと言われたらこんな風には時間が過ぎない。

本当に色んな話をした。

8時間お酒なしでひたすら食べ物+ソフトドリンクで私たちは話し倒した。

サノさんと私には一緒に仕事をしていた以外に共通点はない。

共通の趣味もない。

唯一、サノさんに紹介した洗顔ソープだけはお揃いの種類(の匂い違い)を使ってるけど、他は本当に何1つ共通点がない。

だけど、何かが通じ合ってる。

バイバイの直前にサノさんは睡眠について教えてくれた。

サノさんの次男が科学雑誌『Newton』なるものが好きでそれを読んだのと、他にも別の本を読んで、たまたま睡眠について面白い共通点を見つけたと言って教えてくれた。

サノさんいわく、そもそも「寝てる間に脳が勝手に記憶を処理する」らしい。

その辺りは私も聞いたことがあるから、ふむふむと復習するような気持ちで聞いていたけれど、その後のサノさんが2冊の別々の本から受け取った情報が本当に素晴らしくて、私は超感動した。

「眠るというのは記憶を定着させる行為で、本人もその記憶を定着させてもいいと思ってる」ということらしい。

反対に、「辛いことや苦しいことがあると眠れないのは、体がその辛い苦しい記憶を定着させないようにしてる」らしい。

その両方の説明にものすごく納得した。

まず最初の「記憶を定着させてもいいと判断してよく眠れる」方の話。

私の中で思い当たる節が2つある。

1つは、2月から3月にかけて、潜在意識に長年くっついていた心の傷のようなものをセラピーで取ってもらった時。

2回に渡って取ってもらったけれど、そのどちらの時も、本当に異常なほどの眠気にその後襲われた。

サノさんにそれを言ったら、「傷を取ってもらったらスッキリするよね!そのスッキリ気分爽快になった感じを体も記憶に定着させようとしてた、そう考えると納得だよね〜!」と返ってきた。

確かにそう考えると、あの眠気も単にエネルギー的に疲れたとかではなく、その新しい心地良い状態を記憶したいと、体が必死に眠ろうとしてたと考える方が私もより近い気がする。

もう1つは、最近ちょいちょい出没してる、他の人へのメッセージをキャッチすると体がだるくなって、その後毎回眠って回復しようとしてる件。

私は単に体が不慣れなことして疲れて眠くなるのかと思ってた。

確かにそれも否定はできない。

でもそれよりも、せっかく出てきた新しい感覚を体で覚えたくてそれで眠って記憶の貯蔵をしてるのかもしれないと思ったら、そっちの方が合ってる気がする。

なぜなら私は、それぞれキャッチした時のことをきちんと覚えておきたくて、覚えてる限りの感覚や起こっていたことを詳細にノートに書いてる。

そう、それは今の私にとって覚えておきたいことになってる。

眠りとは話が少しそれるけど、木曜日に具合が悪くて動かずに横になったおかげで、仕事探しとかをやらずに済んで、それで最終的にはなんとハローワークに行ったら失業保険がすぐに出ることが判明した時。

体の具合が良ければ、天気も良かったから私は間違いなく動いてた。

だけど体があちこち痛くてだるくてやめた。

その日の私の記録には面白いことが書かれている(今見つけた)。

「色々と動き出さない(やらない)のは私の意思ですか?」とペンジュラムに聞いたらスーパーNOが出た、とある。

私はこのやらないことや色々先延ばしにしてるのが私の意思じゃなかったら何だと言うんだろう?と不思議に思ってた。

「だって私の体なんだから、私の意思じゃないの、これ⁉︎」と何度も疑い、何度も同じ質問をするけれど、ペンジュラムは一貫してスーパーNOを出してた。

そしてその後の私の質問が今読むともうビックリするぐらいにピッタリなことを聞いていて、ペンジュラムからもYESをもらってる。

なんと私は「具合が悪くなったことさえ、与えられたものですか?」と聞いてる。

具合さえ良ければ動いたはずだから、でももし動いてたらハローワークの失業保険の手続きに完全に差し支えた。

求職活動をしたり、仕事の問い合わせや面接なんかをしていないか、ものすごく細かく聞かれて、私はすんでのところでギリギリセーフ、助かっていた。

だから、具合が悪くなったことさえ与えられていて、そのおかげでやってはいけないことをやらずに済んだ。

そして私の今の状況をものすごく救ってくれる選択肢が生み出された。

体がストップをかけてくれなかったらこんな風にはいかなかった。

体が全力で私を守ってくれたんだなと思った。

睡眠の話に戻って、2つ目の辛いこと苦しいことの記憶を定着させないために眠らないようにさせることの方。

9月から10月にかけ2ヶ月弱、私は本気で毎日3時間睡眠が続いた。

3時間以上継続して眠れた日は1日もなかったはず、何回も目覚めて…とか日記に書いてた。

本当に眠れなくて、まともに寝てるのが3時間ほど、あとは起きたり、必死に目をつぶって寝ようとしたり、そんな風だった。

サノさんが言った通りだった。

辛いことや苦しいことを記憶させないために、体は体で必死に攻防を繰り広げてたんだなとその話を聞いて思った。

自分で自分を守ろうと体は必死に全力で働いてくれてたんだと今になってわかる。

今は睡眠は回復してるけれど、半年前と今とで状況は変わってないどころかマイナスで、そんな話も少しサノさんとした。

「ねぇbushi俣さん(←サノさんは本当にこうやって私の名前を書く)、無理して忘れなくても私はいいと思うよ。好きなだけ好きでいたらいいと思うよ。忘れようとするよりもそのまま好きでいる方が私は楽になれたから、だからそんなことふと思ったの」

サノさんの言葉はどこまでも優しかった。

夜中の2時、車の中、頭は妙なテンションになっていて、普段なら思わないようなこともスルリと頭から出てきた。

「もう本当に会えないの?」

半年ぐらいしたら記憶も気持ちも薄れるのかと思ったりもしたけれど、それは違っていた。

頭の中で反芻し過ぎたせいか、記憶は部分部分によってはさらに強化されてしまった。

「もう本当に会えないの?」の99.9%は私の再会願望に基づいた思いだと思う。

でも残りの0.1%が何かと言えば、夜中の2時ぐらいのテンションにならないと出てこないけれど、私が本心で感じた部分。

もうこのまま会えないことの方が普通っぽく見えるけれど、でも0.1%はもう会わなくなる、このまま一生会わなくなる方に違和感を覚えてた。

直感みたいなもので、「もう会わないっておかしくない?」みたいな。

もちろんそんなこと言わなかったし、言える状況でももちろんなかったし、さらにはそれどころじゃなさすぎて私の方はいっぱいいっぱいだったし。

でもこれが本当に今生最後の瞬間だとするなら…っていうイメージの方が本当は間違ってる、そんな風だった。

次がある…というより、「これが最後なんかじゃない」という、その感覚の方が強かった。

書きながら何回も寝落ちしてる。

すごいこと書いてる気がするけれど、もうこのままアップしよう。

読み返して変なら後日訂正すればいい。

2018年4月20日金曜日

特大奇跡がやってきた日【夜編】~出逢い~

2018年4月19日 夜
大学時代の友達Kちゃんからラインがきた。

Kちゃんとは年に数回やりとりはしている。

会ったのは最後数年前にKちゃんが名古屋に来てくれた時。

だからもう何年も会っていない。

その時はまだスピリチュアルな世界を知った初めてか2年目の年で、まだまだそんなことは誰にも言いたくない時だったから、当然Kちゃんにも黙っていた。

そういう匂いは当然1ミリも出さなかった。

元々私はそういう世界にすごく抵抗があった人だったから、そういう匂いを出さないことにはものすごく長けていた。

その時ももちろんそうした。

私は今回のラインをもらって知ったのだけれど、Kちゃんには3月で仕事を辞めるというのを前もっていつだったかに言っていたらしい。

だから4月に入って新しい仕事はどう?体大丈夫?みたいな内容になっていた。

最初迷った、何て返信しようかと。

Kちゃんは少なくともこの数年私が派遣の仕事を中心に職を転々としてるのは知っている。

それについてどうこう言う人でも思う人でもないからそこはどちらでもいい。

私にとってKちゃんに本当のことを言いにくいと思っている最大の理由はそれじゃない。

Kちゃんは臨床心理士をしている。

もうかれこれ10年はその道でやっていると思う。

大学の時に心理学を専攻していて、その後少し社会人をした後に大学院に入り直してそれで最終的に臨床心理士を取得してその後からは現場で働いている。

私は大学時代のKちゃんも知っているし、勉強が大嫌いなのも知っている。

Kちゃんは大学院時代のことも「これが本当に人生で最後の猛勉強だからやるけれど、もう二度とはやりたくない」と何度も言っていた。

そして心理学専攻の大学院の同期たちを見て「本当にああいうところに来る人って変な人たちばっかりだよ。自分も含めてこんな人たちが心の専門家になっていいものかと本気で疑う」と真面目に言う人で、そんな人が心の専門家だなんてとってもいいなぁと思っていた。

それはさておいて、それこそバリバリの理論をきちんと学んでその上で実践を積んでいるKちゃんからしたら、私のペンジュラムとかカードとかその他よくわからないことたちがどんな風に映るのかと思ったら、それはものすごい怖いことだった。

誰よりも言いたくない人と言ってもいいぐらいだった。

でももういよいよ誤魔化せないぐらいに自分の気持ちの方が固まりつつある。

これから先、どの時点で本当に始動してそれで本当にやっていくのかいかないのかは時間の問題だと思う。

仮に仕事にしなかったとしても、もう私の中では一生付き合っていくテーマだから隠すのは難しい。

さらにずっとずっと今後も付き合いが続くとなれば、なおさらいつかの時点では告白しないといけない。

最初また適当にごまかして返信することも考えたけれど、もういつまでもこんなことしてられないと思って、私はとうとうKちゃんに今の自分の状態を告白することにした。

もうどう思われてもいいやと思っていた。

そうしたらKちゃんから返ってきた返事はどこまでもやさしかった。


「確かに。目に見えないものは賛否両論を受けやすいし、胡散臭く思われることもあるけれど、それで救われる人がいるのも事実だよね。そういう才能を悪用する人もいるけど、震災後に出会ったエンジェルリーディングができる方とかは、誰かの苦しみを和らげるために、その才能を使ってくれてるんだなぁと思ったよ。史子のことだから、きっと史子もそういう感じなんだろうね(^^)
どんな道に進むにしても、史子が決めたことなら応援してるよ!!
色々軌道にのるまでは大変なこともあると思うから、とにかく体には気をつけて。
あとはあれだね。才能があるがゆえに、色々分かり過ぎてつらくなったり、疲れてしまうこともあるみたいだから、史子のバランスを大事にしてほしいよ。
話してくれて嬉しいよ(^^)
ありがとう」

 

何て素敵な人なんだろうと思った。

Kちゃんが素敵な人なのも、長女で第一子の私からして私のお姉さんみたいな感じになってくれてるのも、ずっとずっと知っていた。

だけどこのスピ全開の私をどう受け止めてもらえるのかは本当に自信がなかった。

Kちゃんを疑うって言うよりも、もし受け止めてもらえない時に自分が受けるだろうショックの方が嫌で、要は自分自分で自分を守るためには黙っていた方が楽だと思っていた。

でもKちゃんを見ていて気付いた。

私は本当の本当に人にはものすっごい恵まれている。

人運だけは最強だと思っている。

結婚運や男運、金運とかそういう世の中でみんながお金を払ってまで祈祷なりお守りなりを買って高めるような運は、私はそういうものを一切していないせいか大凶状態になっている(苦笑)。

だけど、人運だけはものすっごく、もう大吉どころか有り得ないぐらいの運をもらっている。

私の人並みにあるかどうかもわからない人の良さや人徳なんかでカバーできるような運のもたらされ方じゃない。

私の最高に良いものを最大限に出しても全く足りないぐらいなのに、人にだけはびっくりするぐらいに恵まれている。

よくぞ私と友達でいてくれますね!というレベル。

 

しかもKちゃんは私のペンジュラムにも興味を持ってくれて、1つ私にお願いをしてくれた。

Kちゃんの友達でもう長年体調不良の子がいるとのこと。

もし何か癒しになるようなことを知っていたら教えて欲しいと言われて、私は2つ返事で引き受けた。

悪いことはしないから、私の実験にも協力してもらおうと思ってる。

私の実験というのは、ペンジュラムを使ってその人の癒しには何がいいかを聞いていく。

それを今色んな方法で聞き取る練習をしているから、それをさせてもらおうと思ってる。

4月に入って世の中の流れから離脱してから、よくわからないメッセージをキャッチするようになった。

私の場合はあくまでも誰か目の前にいる場面限定でやってくる。

目の前というのは物理的に目の前にいなくても良くて、今回なら今回でどういう人へ向けてのメッセージかというのが特定できていればそれでOK。

だからKちゃんの友達でどういう症状かということしか知らないけれど、情報としてはそれで十分。

そして「何か癒しになるようなこと」が知りたいというKちゃんの前向きな気持ちもいい。

ペンジュラムもぐるぐるとYESに回るから、多分あれこれ聞いたらヒントを教えてくれる。

しかも今何もしていないのが幸いで、その後疲れてもすぐに休めるのはありがたい。

完全に不慣れなことをしているから、多少体の調子が変わるらしく、その後いつも疲れる。

多分慣れてきたら体も順応するだろうから一時的なものとして見ている。

それを試すのにとても貴重な機会だから、とりあえずペンジュラムにあれこれ聞いてみようと思っている。

しかもペンジュラムに聞くにあたって、私は自分専用の聞く資料を作ろうとちょうど思っていた。

毎回頭に浮かんだまま聞くよりも、ある程度内容を一斉に網羅しておいて、そこに答えがあるかどうかを聞く方が効率的だなと思ったから。

この間もオルゴナイトの関係で、特定の感情を特定していくことをペンジュラムを使ってしたけれど、その時に咄嗟に思い付いた感情が4つほどしかなくて、それで感情をできる限り挙げたシートが欲しいと思った。

以前作ったものとそこにプラスしてもう少し足したら、とても良い質問シートに仕上がると思う。

そうすればもっときちんと聞きとれるし、特定する際にももっと細分化して聞けるし、そしてそれは情報をもらう人にとってもより細かなヒントになるからいい。

今回はまた別のお願いだったから、またまた別の質問シートを作ろうと思っている。

毎回限られた脳みその範囲で考えるのは大変だから、それを助けるためのシートという感じ。

とりあえず最低限のシートを用意しておけばそこから何かしら読み取ることができる。

そこに答えがなければ、その後は限られた脳みそを使って考えたらいい。

ちなみにこういう時は考えていない。

ふわっと思い付く感じ。

だからそれはそれで今後も大事にしたい。

自画自賛だけれど、こういう思いつきもすごく好きだなと感じる。

自分のことだけじゃなくて、それがしいては自分以外の誰かのためにもなるというのはとっても嬉しいこと。

オール1の子ども時代や完全なる引きこもりで社会から離れた13ヶ月の時間というのがあったから、自分自身が誰かのために動けるというのは私にとってすっごい喜びになる。

 

というようなプレゼントまでKちゃんからもらった。

本当に話して良かった。

話したからこそ見えてきた世界で、そして新たなヒントがもたらされた。

私にとってもありがたいばかりで、喜んで明日取り組みたい。

 

もう1つ今日はうれしいことがあった。

ハローワークに行く直前に郵便が届いた。

その中に数日前に注文した海部舞さんの本があった。

本体価格1円+著者のサイン付き+状態は非常に良い、さらにはポイントが使えて、トータルで送料込で171円だった。

しかも振込手数料0円で、コンビニでささっと払って終わった。

その本が届いた。

本当に状態はすっごく良くて、サインもついていた。

書き込みゼロで私は思う存分自分のペースで読める。

それだけで涙ものだった。

さらには送られてきたお店は、私が名古屋で最初に住んだ町と同じ区だったという偶然。

もう長くなるからここには書かないけれど、今私の手元に集まっているものたちには面白いストーリーや共通点がある。

今回もそうだった。

 

特大奇跡の今日、私は思った。

「この道で合ってる」って。

だからすごいシンクロも、ありえないような出来事も、そしてありがたいこともたくさん起こる。

それはもう私ががんばってるからじゃない。

そういう道ですよ、といつまでもうだうだぐだぐだしている私に優しく道を示すために起こっているような気がしてならない。

私は今本物の奇跡を見ている。

本当にありえないほどたくさんの奇跡を見ている。

私は知っている。

その奇跡の始まりがどこだったのか。

もちろんその前にもたくさんあったにはあった。

だけど確実に起き方が大きく変わったのは、1年前の6月のある時から。

そう、たった1人の物静かで何を思って何を考えているのかさっぱりわからないのになぜかすごいオーラを発していた人、その人に出逢った時から何かが大きく変わり始めた。

その人が私の人生に登場したことで、何か磁場みたいなのが変化を遂げたんだと思う。

ホロスコープ鑑定でも言われたことだった。

「運命的な出会いを意味する星の配置はありました。史子さんが感じている魂的なご縁で、史子さんのスピリチュアルな能力、過去世の能力を触発する感じの星の配置もあります。」

今ますますその時の言葉が身に沁みてわかる。

自分がその力を出してもいいと自分に許可すると、ますます開いていくのはわかった。

多分これからもっともっと向上していくと思うし、使い方さえ間違わなければ良い方にいくと思う。

でもそれって結局何だったのかと色々突き詰めていくと、やっぱりその人が絶対的なきっかけになっている。

これは私のものすごい妄想で言うのも恥ずかしいぐらいだけれど、でも多分当たっていると思う。

その人とはもう会えないのかもしれないしまた会えるのかもしれない。

もうこれだけ色々起こっているから、本当に縁があるとするならば、再会してもなんらおかしくないと思う。

これは何度か思ったことがある。

で、ここからは妄想の話。

妄想だけど、多分おおかた内容としては間違っていないと思う。

もし、もし、その人と私が普通に付き合おうみたいに去年なってたとしたら…。

これだけは断言できる。

私はここまで自分に向き合うこともなかったし、

ペンジュラムもここまで力を発揮するようにはならなかったし、

自分の持っている力に気付くこともなかったし、

自分の本名をさらしてでもこういう色んな情報を発信しようなんて思わなかったし、

ホロスコープにも出合わなかったし、

人のために自分の持ってる力を提供して癒しを起こすプロの人たちも逢えなかったし、

オルゴナイトと出逢うこともなかったし、

今ある色んな道具や本も手にすることがなかったし、

過去に身に付けた色んな知恵をもう一度復活させることもなかったし、

新たな読み取り技術も手にすることがなかったし、

そして何よりも「自分自身を生きよう」と思うことがなかった。

だからこれだけの距離や突き離しが必要だった。

だって普通に付き合えてたら、私なんかはものすごい専業主婦願望が強いから、せっせせっせとごはんを作ったり家を整えたりすることを喜んでしたと思う。

元々そういうことをするのもすごく好きだから、ましてやそれを自分の好きな人にできるなんていうのは私からしたら夢のような話で、ホロスコープなんて読み解いてる場合じゃない。

おいしいごはんを作るのに時間を割いてた。

感情のシートの進化バージョンを作ってる場合じゃない。

部屋を整えたりそこに置くものを探しに行くのに夢中になってたと思う。

別に結婚とかそういうことを言ってるんじゃなくて、一緒にいる時間を想像すると今していることはひとつもしなかっただろうという意味。

一緒にいるために必要なことしたいことを全力でやっただろう自分が思い浮かぶ。

さらにはブログなんて書かなかったと思う。

ブログよりももっと他に書きたいものがあるから。

もしくはもっと別の何かを2人のためにしたいとそちらにエネルギーを注いだことだと思う。

そう思うとよくできてるなぁと思う。

私にとっては、この別離は本当に辛かった。

辛くて苦しくてそれ以外の何ものでもなかった。

しかももう生涯を通じて会えないとなった時、私はそういう気持ちをどうしていいのかわからなかった。

だから今ここまでくるのに私を突き動かしていたエネルギーが何かと言えば、その人への気持ちとそれが届かなかったことに対する切なさとそしてもう会えないという究極の寂しさだとわかる。

あまり記憶にないけれど、遠くに離れるとわかってから実際に本当に会えなくなるまで私はもう何週間にも渡って毎日泣いてた。

涙が止まらなくてどうしようかと思ってた。

これから仕事に行くって時でさえ、車の中で号泣しながら仕事に向かってた。

いなくなってからもさらに涙は流れた。

どれだけ泣いたって現実はどうにもならないのに、そんなのおかまいなしに涙はひたすら出た。

まじめに自分が異常だと思ったのはそういうこともあったからだった。

どういう人かも知らないのに私バカじゃないのとさえ思った。

そこからもがき苦しんだ末に今のところに辿り着いた。

決して「自分を活かしたい」なんて最初からそんな崇高な精神を持ったわけじゃない。

その反対で、もうどうにもこうにもできなくて、そのどうにもこうにもならないことに目を向けるのがあまりにもしんどかったから、だから私は徐々に自分の方を自分の人生を見るようになった。

だから私にとっては本当に縁のある人だった。

こんなにもただいるだけで私の人生を変える人なんて過去に1人もいなかった。

ましてや本人はそのつもりも自覚もないだろう。

なんだったらもし今目の前にいてそうだったと伝えても、それさえも受け止めてもらえない気がする。

だけど確実に私の人生はそこから大きく方向が変わった。

もう自分でもどうにもできないぐらいの力が動いていた。

それを私の人生にもたらしてくれた人だから、そういう意味でもとても感謝している。

もう会えなかったとしても、多分生涯を通してその人には感謝の気持ちを持ち続ける気がする。

会えなかったらあの世に行ってから「ありがとう」と言おうと思ってる。

出逢いってすごいと思う。

相手に何かをしてあげて影響を与えるというのもすごい。

だけどある意味何もしなくて、ただ存在があるだけで、それで誰かに影響を与えるなんてもっとすごい。

だから私にとってはその人はただただいるだけでいい人だった。

別にその人が無口だろうが、自分の気分次第で相手に冷たくなろうが、人に心を開かないことを徹底していようが、そんなことはその人の性質の一部でそれでマイナスになることはない。

それも全部含めてその人だから。

だからその人がどんなに冷たくしてこようがどんなに避けたそうにしていようが私にはそういう意味で大きな影響はなかった。

心はぐさぐさとなって流血しまくりだったけれど、それでもその人はその人のままだから、うまく言えないけれどそんなことはあまり関係なかった。

その人がどんな風でもその人を大切に感じる気持ちは常に同じだった。

それよりもそんな状態なのに影響を与えまくるその人そのものがすごかった。

そしてそんなすごいものを私の人生にもたらしてくれたその人は、また違った意味での救世主的な役割の人だったんだと思う。

私をとことん自分の人生に向き合わせるための一番の起爆剤になった人なのは間違いない。

そしてどんな姿を見せられてもそれでもその人が大切であるという、そういう気持ちを教えてくれたのもその人が初めてだった。

本当にすごい人が自分の人生に現れたと思った。

そんな人忘れたくたって忘れられないから、だから私はもうそういう自分の気持ちとうまく付き合っていく方法を模索することにした。

とにかく、このすべての奇跡たちの源は、まちがいなくその人との出逢いに起因している。

そして心の中のお守りじゃないけれど、その人の存在があるからこそ私は今自分がそれでも立ち続けて歩き続けているように思っている。

私の生きる、命を日々紡ぐモチベーションになってくれてる人。