2015年12月27日日曜日

1年前の今頃とブログ納め

今、今日の晩酌のあての和風麻婆茄子をぐつぐつと煮込みながら書いている。

「和風」になったのは、もうかれこれ3週間ほど中華だしが切れているにも関わらず、ずっと買い

忘れていて、無いものは仕方ない、和風だしで味付けするしかなくなったから故のこと。

冷蔵庫の中も生もの系はだいぶすっきりしたから、数日後良い感じで名古屋を出れると思う。

急遽大きく変更した今年の年末年始の予定は、色んなところに余波を残している。

年末年始の帰省のチケットが取れず、今年はもう帰省せず一人で名古屋に残ろうと決めていた。

そういう年末年始を一度経験するのもいいかなぁと思っていた。

5日間しか休みのない今年の年末年始。

どうせ家にいるのであれば、これまで延ばし延ばしにしていた色んなことを1つずつ片付けていこう

と思っていた。

そう思うと5日間もあっという間に感じるし、もしかしたら何もかも終わらない可能性もあるかも、

なんて考えていた矢先、一気に色んな変更となった。

となると、先延ばしにしていたことを先延ばしにできないことも出てきて、今さらあたふたと1つまた

1つと着手し始めたような具合だ。


先ほどさらりとやったことの1つに、去年の今頃は何を書いていたのかをチェックすることだった。

去年の今頃の記憶など、もう遥か彼方遠くにあり、さっき開くまで微塵も頭の中をかすめることも

なかった。

読んでいて思い出したのは、去年の11月か12月に1週間ほど活字をほぼ100%断つ生活を

していたことだった。

そうだそうだ、そんなこともしたんだったと、遠い記憶が少しだけよみがえってきた。

とても1年前の出来事とは思えないほど、ものすごく昔に感じた。

こういう時記録ってすごいなぁと思う。

子どもの頃みたいに、今年○年生なんていう区切りがないから、大人になるとそれが去年のこと

なのか今年のことなのか、はたまたもっと前のことなのかの区別が頭の中でつかなくなる。

このブログは、今は備忘録に近い綴りになっている。

そんな大きな意味を込めて書いてはいないけれど、ブログでも手書きのメモでも、それらが唯一

当時の自分の心情や日々の行動を如実に語るものだから、とっても貴重になる。

だって今から1年前の今日に戻って、当時のわたしは何を思って何を感じて何をしていたか…

なんて記録なしには記憶を呼び戻すことさえできない。


これが今年最後のブログかなぁと思って書き始めたけれど、明日も余裕があれば書きたいと

思っている。

絶対に書かなきゃ!とは思っていないけれど、書ける時は書きたいなぁと思わせるこのブログ、

そろそろ300記事アップに到達する今、手に入れたちょっと嬉しい心境だったりする。

2015年12月26日土曜日

冬の紫陽花

これまで一度も気に留めたことがなかったけれど、冬の紫陽花を見る機会に恵まれた。

冬の紫陽花と言っても、旬の頃の紫陽花とは全く様子が違う。

他の植物と一緒で、朽ちているか枯れているかで、それが紫陽花だなんて「そこに紫陽花が毎年

咲く」ということを知っていなければ見落としてしまうような容貌だ。

住んでいるアパートの斜め向かいのお宅の角に毎年きれいな紫陽花が花開く。

あとは、スーパーへ行く通り道の大きな公園にも所々紫陽花が群生している。

今日の日が暮れる前、両方の紫陽花を見たけれど、とてもあの梅雨の時にきれいに咲き誇って

いた紫陽花と同じとは思えなかった。

反対に、そんなにも違っているのに、そして今は枯れ朽ちているのに、また来年の梅雨を迎える頃

にはきれいに咲き誇るのかと思ったら、この紫陽花の生命力に感動した。

冷たい空気の中で、今の紫陽花は葉っぱすらも滅びようとしている。

自然の摂理ゆえ仕方ないにしても、けっこうみすぼらしい姿だ。

だけどそんなみすぼらしい姿でさえも、ものすごく強い生命力を感じる。

冬の気候に合わせて、紫陽花は紫陽花の今の現状をただただ受け容れて生きている。

そしてまた春が来て夏が来る頃、自然の流れに合わせてまた盛大な花をつける。

大人になると、こういう味わい深いことに気付けるようになる。

今までだったら絶対に見過ごしていたようなことにも目が向くようになる。

そしてそういうものたちから、自分が元気やエネルギーをもらう。

生命の偉大さに驚きながら、また姿を変えていく紫陽花の様子が楽しみで仕方ない。

2015年12月23日水曜日

自分のペース

今にも雨が降り出しそうな空ではあるけれども、強行突破で洗濯物をベランダに干した。

冬場はどうしても洗濯物が増える。

単純に寒いから、1枚また1枚と重ねて着る=洗濯物が増えるの図はどうしても避けられない。

洗濯物を干す作業は元来あまり好きではないけれど、今日はとっても楽しく感じられた。

何がそんなに楽しいんだろうと思った。

しわ伸ばしたり、ハンガーにかけたり、タオル類は洗濯ばさみがたくさんついてるリング?のような

洗濯干しグッズに1つ1つ取り付けたり。

普段なら100%面倒くさいと思っている作業。

でも今日はなぜか楽しい。

手はせっせと動かしながら楽しいの理由を頭の中で追求した。

ぱっと出てきたのが、「自分のペースで動けること」だった。

わたしは自分の鈍臭さを自分でものすごく認めている。

基本的に何か「動き」のあるものをさせると、とにかく遅い。

無駄な動きが多くて遅い時もあるし、全体の作業のペースが遅い時もある。

もちろん全部が全部ではないけれど、数少ない自分の得意分野以外は基本遅い。

数少ない得意分野(?)は、書くことと料理の献立決めと料理の全体の進行、この3つ位だ、多分

人並みにテンポよくやれるのは。

残りは要領が悪過ぎてとにかく遅い。

今行っている仕事は、スピードも求められる。

スピード+判断力+思考力+俯瞰力+コミュニケーション力+事務力、と実に多岐に渡って

色んなことが同時に求められる。

週に何回言われるのだろう?要領良くやって下さい、と。

そもそも慣れない仕事に、1つとして同じようなものがない仕事に対し自分の少ない知識を使って

判断して仕事の段取りや見通しを瞬時で決定し、そして1つ1つこなす…。

お手洗いに行く時間も、茶を1口2口飲む時間も確保できない位にマックスで動き通している。

色んなことがストレスではあるけれど、その1つが自分のペースではないペースを強要させられる

ことだと思っている。

もちろん仕事だから自分のペースですべて進めていいというわけではない。

ただ、細かなところを自分のペースで進められないというのはストレスだけではなく、当人に

とっても変な力、緊張が加わって仕事をするから、個人的にその強制的な方法はものすごく効率

が悪いと思っている。

学習塾で働いていた時、わたしは日々塾に来る子どもたち1人1人のカリキュラムを作っていた。

例えば同じ学年の同じクラスの子が来ていたとする(←実際によくあった)。

学力も大して変わらないとしても、1人1人の進むペースが違うものだから、それぞれに合わせて

わたしの見立てた学習量を計画して子どもが自分で見るノートに書いていた。

勉強だから余計ということもあったけれど、本人に合わない量、多くても少なくても、そのどちらでも

子どもの力は存分に出ない。

中にはオール5の子どももいたけれど、その子は実にゆったりとした自分のペースで勉強を進める

タイプで、学習量はとかく他の子より少なかった。

量は少なくても、1つ1つの勉強に対する洞察力みたいなのが凡人にはない深さがあって、それ故

天才型の学力を有していた。

一度通常よりも多めに量を出したら、その量をこなせないことを本人がとても気にして自分を

責めたことがあった。

あぁこの子は多く出しては折角の力が出せないタイプだと判断し、それからはその子が本領発揮

する量を出すようにした。

話がどんどん逸れたけれど、自分に合わないペースであれもこれもと仕事を持たされ、さらには

残業も打ち切りで次の日へ持ち越し・・・などと言われても、余計と大変さだけが増し、どうにもこう

にもそれこそ要領が悪いと、指示を出す人を見て思う。

今日の曇り空の洗濯干しは、何にも縛られず、とりあえず自分のペースで1つ1つ干した。

途中、母から電話があり、それにも応じた。

しばし馬鹿話をした後は洗濯干しに戻り、そして今こうして自分のペースで言葉を綴っている。

ものすごく心地良い。

わたしにとって、自分のペースで動けることというのはものすごく重要なんだとわかった。

2015年12月20日日曜日

木枯らしを愉しむ心

昨日の夜、冷え込んで木枯らしぴゅうぴゅう並みの風を感じながら外を歩いた。

この1年とにかくよくお世話になっているスーパーからの帰り道だった。

帰り道は特にいつもと変わり映えはないし、よく見知った道だから、視界に入るもので目新しいもの

は何もない。

代わりに、木枯らし吹く風を体で受けることに感動しながら歩いた。

いつもの年ならこの木枯らしには全く感動しないし、むしろ早く冬が終わって春が来て欲しいとすら

思ってしまう。

でも今年は、この木枯らしさえ特別に感じた。

木枯らしを愉しむだけの心の余裕が今の自分にはあって、たしかに外はびゅうびゅうとすごい風の

音ではあるけれど、心の中はぽかぽかと温かだった。

同じ道の新緑の季節のある晴れた日の空はよく憶えている。

見上げると数メートルの大きな木が両側にあって、その両側の木から葉っぱがわさわさと生い

茂っていて、そして葉っぱ同士は上部の方でアーチを描くようにトンネルのようになっていた。

そして葉っぱ葉っぱの合間から青い空がのぞいていた。

外はものすごく晴れていて気持ちの良い季節なのに、心はいつもどんよりしていた。

先のことが何も決められなくて、何をどうしたらいいのかもわからなくなって、でもいつかは何かを

決断して前に進まないといけなくて。

不安と焦りといつも隣り合わせだった。

きれいなものを見ても、きれいと思った次の瞬間は自分の未来がものすごく心配になった。

何を始めても長続きしない自分。

そのうち色んなことが嫌になって全部投げ出したくなってしまう自分。

やらなきゃとわかっていても、全然やろうとしない自分。

とことん自分の弱さやだめなところが出まくっていた時期でもあった。

出口の見えないトンネルの中にいるような気分なのに季節は冬から春、春から夏へと向かおうと

していた。

季節にさえ追い付けない自分を見て、得体の知れない虚無感や孤独感でいっぱいになったことは

数知れない。

当時は、冬の自分なんて何をしているのか皆目見当もつかなかった。

そう遠くはない次の季節も、どんな風に自分はその時を迎えているのか何度も不安になった。

今すぐ上の文章を書いていてびっくりした。

完全にデジャヴだった。

過去にそのいつも通る公園で未来に不安を感じていた自分の残像と、それをこのパソコンで

そのまま綴っている自分の残像と、その2つがセットになっているものを過去のわたしは何かの

拍子に見ていた。

1年2年、下手したら3年前かもしれない。

変な光景、と当時は思ったけれど、まさか今それを体験するとは!

話は戻って、その数ヶ月先の未来の自分の姿すら全く見えなかった頃を思うと、今とりあえず

何かしらの道を上を歩いていて、そして来たことを1つ1つこなしていく自分を見てホッとする。

きちんとこういう未来があったんだとわかっていたなら、あんなに焦ることもなかったのに…。

この焦りさえも人生で必要な体験だったと前向きに捉えてみる。


話は少し変わって、30歳の時からこれまで数回お世話になった占い師のおばちゃんに先日

会ってきた。

多分3年ぶり4年ぶりだったと思う。

おばちゃんに「あなたこの2年ほど、とっても大変な時期だったはずよ。そうでしょ?」と聞かれた

時、その一言にものすごく救われた。

何で自分が動けないのか、動くための時間も生活を支えるお金もありながらなぜ動こうとしない

のか、自分で自分のことが全然理解できずにいた。

また得意の怠け病かと自分を責めたこともたくさんあった。

何で自分のことなのに自分のためにがんばれないのか、本当に自分が嫌だった。

でもおばちゃん所有の謎の機械は、2012年、13年~2015年の初め位までなかなか大変な

時期を人生は通過していると示していたようだった。

DSみたいな小さな機械が一体何を算出しているのかはわからない。

だけどぴったりと時期を言い当てるのは相変わらずで、このおばちゃんには毎度敬服の念で

いっぱいになる。

おばちゃんの言葉もすごく好きだ。

「あのね占いって、要はこれから先の未来の地図のようなものなの。

例えば今年は動くのを控えた方がいいとか、今年は動いた方がいいとか、そういう人生の流れを

知って自分の人生に役立てていくものなの。

それを絶対に守らなきゃいけないとかではなくて、今は動かない方が良いと知っていれば、例えば

思う方向に自分が動けていなかったとしても、今はそういう時期なのねって納得できるじゃない。

反対に何も知らずに動いてしまって、行くところ行くところ向かい風では大変じゃない。

そういうことを前もって知っておいて、そして自分が次に向かう先の地図、カーナビのような感じで

使うのよ」

この数年間、一度も行かなかったことを少しだけ後悔した。

行っておけば、もう少し気持ちの持ち方も違っていたのかもしれないなぁなんて思った。


北風びゅうびゅうの木枯らしの中、今木枯らしを愉しんでいる自分を見て嬉しくなった。

あのどこに向かっているのかも全くわからない感じだった数ヶ月前の自分と、とりあえず少し先の

向かう場所を知っている今の自分と、その差がこんなにも色んな余裕をプレゼントしてくれるとは。

とりあえず今は今のことに専念して進もう。

まだまだ人生の輪郭がはっきりしたわけではないけれど、多分少しずつ輪郭が表れる。

それと自分の感覚とを頼りに今は進んで大丈夫って思う。

もちろんおばちゃんからも大きな後押しがあったから、進んでる方向は間違いないんだと思う。

2015年12月14日月曜日

「うっかり」ということにしておきたい

派遣の仕事での出来事。

1週間程前から、わたしに回ってきた仕事があった。

元々長いこと対応されていた仕事の途中で回ってきたものだった。

途中ということは、その途中までに積み重ねられた書類がある。

それらの書類は束になって透明のケースに入れる方式だ。

何せ最初にわたしがその仕事に着手したから、わたしの手書きの文字が表紙になっていることも

何度も見たから憶えている。

機密情報満載の仕事ゆえ、そういう書類は全て厳重に保管される。

保管される場所も決まっている。

間違って捨てることもないし、取り出す場所も戻す場所も同じだ。

なのに、1週間前に途中経過の状態で回ってきた時、その書類はあるべき場所から忽然と姿を

消していた。

くまなく保管場所を全部見た。

なんだったら、もしかして…と思い、有り得ない他の部署にまでその書類があるかないかまで

こっそり聞きにいった位。

元々地声の大きめのわたしは、○○の書類がないと同僚の人にも言っていた。

小さな声でささやいてなどいなかった。

さらには、その書類の進捗状況を入力するパソコンのシステムにもあれこれと記録を残した。

それでも最後の最後まで、どうしてもその書類を見つけ出せずにいた。

ただ、見つけられないと言っても、その書類なくしては仕事を完了できないものだから、わたしは

今日の就業間際にその書類がないことを上の人に報告した。

途中で引き継いだ時点からずっとそれまでの書類がなくなっていたこと、ずっと探しているけれど

ないこと、思い当たる場所は全部探してもないことを報告に上げた。

今日必ず見つけてから帰るようにと言われ、またないものを探し始めた。

システムの方も確認すると、なんと終了を示すサインが出ていた。

「あれ!?どうした!?」と思った。

なぜならそれは全く終了ではないはずのものだから。

行き場を失ってしまった新しい書類たちは本来の保管場所に鎮座している。

なのに終了とはどういうことだろう?と思った。

終了を示すサインが出る時は、必ずそのサインを入れた人が誰かわかるようになっている。

それが誰かわかり、わたしはその人に聞きに行った。

その案件がどういうことになっていて、そしてこれまでどこにあったのかも。

そうしたら、本来の保管する場所にずっとありました、という答えが返ってきた。

最終的に仕事は終わらせてもらえたから、わたしとしても一件落着と言えば一件落着。

それは単純にありがたい。

だけれども、わたしが十数回自分の目で確認しても絶対に見つけられなかった書類たち。

それがその中にあったとは…。

その場所に保管できるファイル数としては10にいくかいかないかだ。

その10程度しかないものを十数回も見て見落とすなんてことがあるのだろうか。

毎日のように確認し、下手すると日に2回3回と見た日もある。

それでもなかったのだ。

全く腑に落ちなかった。

腑に落ちなかったけれど、ここはわたしがよくやってしまう「うっかり」ということにした。

しかも終わらせてくれた人は、苦手なタイプではあるものの仕事はものすごいきっかりとやる人。

手抜きもなければ、うっかりもほとんど皆無。

だから「わたしのうっかり」と思いたい。

手間のかかるプロセス満載の件だったから、終わらせてもらえたのは本当にありがたい。

それでも、最後の最後まで行方不明だった書類が、ずっとわたしが毎日見ていたところの場所の

1つにあったと言うのだから、もうわたしの目は節穴かという位の話だ。

もし、もし、万が一、わたしのうっかりではないのだとしたら…。

怖いなぁと思う。

大人の、しかも仕事の中の話。

小学生や中学生の靴隠されたとかそういうレベルのものじゃない。

色んな意味でどんな風に消化して良いのかわからず、だから「わたしのうっかり」にでもして

おかないと、気持ちが一気にやられる。

人生勉強と思い、とりあえずこれからは書類が行方不明の時は、全員に大声で「○○の書類を

知りませんか?」と聞いて回ることにする。

2015年12月12日土曜日

夜の掃除

1日休みだった今日。

雲はあるものの天気も良く、掃除日和だなぁと思いながら朝を迎えた。

午前中は洗濯機を回しながらパソコンでの所用を足していた。

あっという間にお昼になり、妹からもらった南アフリカ産のスパイスと半額のしらすを使って、

久しぶりにパスタを作って食べた。

南アフリカ産のスパイスは、黒胡椒の粒をごりごりと回しながらすりおろすタイプの容器と同じ容器

に入っていて、すりおろすとちょっとした隠しアクセントになって良かった。

玉ねぎのスライスと豚肉、あとはしょうゆとバターでどんな味になるのか想像できないまま作った。

思いの外おいしくでき、久しぶりに自分でも満足するパスタが出来上がった。

その後はさっさと掃除をして、色々溜めこんだ家のことを1つずつ片付けていこうと思っていた。

ところが少し昼寝をしようと横になると、そこからは睡魔にひたすら襲われて、気付けば短い昼寝

を何度も何度も繰り返した。

今思えば疲れていたことがわかる。

2週間休みなしで動いていた上に今週は4日連続残業、さらには精神的ダメージも職場で浴びる

ほどに起こり、心身共々疲弊していた。

だからあの昼間の睡魔は、もう体が発していた悲鳴に近かった。

夕方近くになり、今日はもうこのままどろんして明日を迎えようと思い始めた頃。

なぜか突然体の中でしゃきっとするものが湧きあがってきて、まずは洗濯物を畳んだ。

今日は久しぶりに布団も干していた。

折角布団がきれいになったのに、掃除をしていない部屋が気になりだした。

完璧な掃除はいいから、せめて夜気持ち良く眠れる位に部屋を整えようと思い、掃除を始めた。

多分時計は7時を回っていただろう。

掃除が終わったのは8時を過ぎた頃。

できれば朝の時間帯に掃除をする方が気持ち良いのは知っている。

朝の方がすっきりさわやかになることもわかっている。

それでも今日みたいに体がSOSを出していたら、休まざるを得ない。

それで気付けば夜暗くなってからの掃除。

もっと気持ち悪いものかと思えば、夜の掃除は夜の掃除で良かった。

朝みたいに1日時間がたっぷりとあるわけではなく、ある程度1日の中で残りの時間が限られて

いて、それがかえって気を引き締める効果をもたらした。

近所も1日の終わりに向けて静まり返っている。

その静けさの中で20年以上慣れ親しんだ音楽をかけてひたすら掃いては拭き掃いては拭きを

繰り返した。

今部屋の中は見違えるほど空気がぴりりとしている。

整った証拠だ。

今思い出して、慌てて柏手を家の中で数ヶ所打ってきたけれど、音が通るのがわかる。

どういう原理なのか知らないけれど、掃除をした後に柏手を打つと音が空間に響き渡る。

柏手を打つのは、家の空気を良い状態に保つだったか、良い気を流すだったか、そういう理由

だったかと思う。

変な言い方だけど、掃除をするとこの小さなアパートの部屋も喜んでいるように思う。

大切に扱ってもらえてるというのか、そこは人も空間も同じだなぁなんて思ってしまう。

もちろん空間に口はないから「きれいになって気持ちいい」などとは言わないけれど、そういう

気持ちのようなものが空間から伝わってくる。


この文章を書いていて、久しぶりにこのブログの原点を思い出した。

掃除の時、2年前の手帳代わりに使っていた薄い小さなノートが出てきた。

少しだけぱらぱらとめくっていると、「『心』『書くこと』『生活』この3つを結びつける」とあった。

その思いは2年経った今も変わっていない。

「心」と「生活」は密着している。

「心」のことを自分がずっと追い求めて勉強したり実践を積んだりしていても、心のことは常に

日々生きている生活とものすごく密接な関係にある。

「心」のことは難しい理論をいくら机上で学んでもわかることではない。

むしろ日々の営みと結びつけたところにそれらの難しい理論がすっと入ってくる感じだ。

生活を抜いたところでの心の話は、どこか上っ面な感じがしてならない。

そして上っ面なところだけを追い求めると、俗に言う「怪しい宗教」だの「怪しい教え」になる。

そうならないためにも、生活や日々生きていることと結び付けて考える方がわたしは自然だと

思っている。

そして、それらの思いを発信する手段としてわたしは「書く」を選んだ。

だから「心」も「生活」も「書くこと」も、すべてが揃って初めて三重奏のように1つのものが

出来上がる。

今日ここに書いたことは、まさに「心」の話で「生活」の話でもあって、そしてそれらをこうして「書く」

ことで表現している。

書いていて気持ち良い。

部屋が整っているおかげもあるけれど、とにかくすべてが1つの方向に手を取り合って進んでいる

様がとても気持ち良い。

2015年12月8日火曜日

本物に会う

先日、妹一押しのマッサージ屋さんに行ってきた。

3年位前からそのおじさんの話は聞いていた。

とにかくすごく良いことの報告続きで、どんな人なのか会うのがずっと楽しみだった。

今回3年越しに実現し、噂かねがねそれ以上の実力者でビックリ仰天した。

腕は勿論のこと、人格も素晴らしい方だった。

その方自身が発するエネルギーの気持ち良さに心底惚れ惚れとした。

久しぶりに、自分の見ている世界を隠すことなく言葉にすることができた。

そして相手の見ている世界も見せてもらえた。

普通に世間で口に出したらドン引きされるような話も、その方となら普通に「今日は晴れて気持ち

いい天気だよね」並みに話ができるのだった。

どんな話もありだったしどんな考えもありの、小さな空間なのにすっぽりと全身が包まれる、そんな

雰囲気に溢れ返っていた。

おじさんの所に来る人の中には人生そのものが変わる人もいると言っていたけれど、それはよく

わかる。

本当に人生まで変えちゃうような力を持っている人だった。


この3年位というのは、実に名ばかりの実力者という人にもたくさん会ってきた。

名ばかりの実力者は、実力は疑問符がたくさん並ぶようなレベルなのに、料金は天下一品の

もうどこまでもらうつもりですか?と言わんばかりの高額が付けられている場合が多かった。

もちろんそんな人たちにお金を払うようなことはしなかったけれど(申し込まなかった)、それでも

どうしてそういうよくわからない人たちが次から次へと現れるのか不思議で仕方なかった。

でも、それでも、わたしはどうしても諦められなかった。

絶対に自分の持っているものを素直に提供し、そしてそれに見合う金額を設定していて、さらには

純粋に相手の何か大切なものを引き出す人たちがいるって。

おかしな人たちも多数いるにしても、そうではない少数派の人たちが世の中には必ずいるって。

そしてその1人が、そのマッサージ屋のおじさんだった。

おじさんはこの手の話をわたしにものすごくわかりやすく説明してくれた。

「僕が使っている力は、自然と出てくるものなんだよ。

何か特別なことをしているわけじゃない。

その特別ではないことにもし高額の値段を設定したとしたら・・・

それは言うなれば、お天道様が無償で僕たち人間に日の光を与えてくれているのに、そして

それを僕たち人間は無償で受け取っているのに、そのお天道様の光を有償にして、そして僕たち

人間も有償でその光をもらう、そういうことと同じなんだよ。

もしそうだったとしたら、それっておかしいでしょ?

人間で生きている以上は、多少のお金は必要になってくる。

その分をもらうのは、命を生かすことに繋がるからそれはOKだと思ってる。

でもそれ以上もらうのは、お天道様がお金を払わなきゃ光を与えないぞ!と言っているのと同じ」

おおよそそんなことを言いながら、わたしに大切なことを教えてくれたおじさん。

本当にとっても素敵な本物の人だった。


おじさんパワーなのか。

おじさんと会った翌日から、思いもよらぬ形で色んなことが変化しだした。

送っている日常は一緒。

先週と何一つ変わらない。

むしろ今週の方がさらなる仕事が増えて、負担もどっと増えている。

なのに、何か軽くしてくれるものや軸となるものが自分の中にあって、それにより支えられている。

おじさんいわく、本来ある力が出てくるだけとのこと。

本来ある力をおじさんの手によって出してもらえたのだろう。

見えない部分の心を思い悩ます材料が、昨日からとても軽くなっている。


「誰と結ぶ一期一会」という歌詞のCDを持っている。

今生自分が出逢える人たちは限られているだろう。

その限られている中で、おじさんに出逢えたことはとってもラッキーだった。

おじさんは、わたしが本気で目指したい姿そのものだった。

自分の持っているものをそのまま提供し、そして損得を超えたところでもっと大切な何かを伝えて

くれる。


話は変わるけれど、わたしが持って行った陳腐な名古屋のジャンクフードの代表格インスタントの

味噌煮込みうどんにものすごく喜んでくれた姿には、本気で感動した。

それもおじさんにあげようと思って買ったわけじゃない。

6袋で1パックになっていて、なんとそれが298円という破格値で近所のスーパーで出ていた。

名古屋の味噌煮込みうどんは好きじゃない。

だけど、そのインスタントだったらどうなるのか、それはずっと前から気になっていた。

それでそのお徳用パックを目にした時、2袋を自分用にして、残りの4袋を妹二人と分けようと

考えた。

そして今回おじさんにも会うとなったから、おじさんに会う1時間前、急きょ「そうだ、おじさんにも

1袋あげよう」と決めた。

まさか1袋50円のおみやげとは…。

値段を知っているだけに、値段ではない部分に大喜びしてくれたおじさんに感動した。

言ってみたら良かった、それ50円です!って。

多分それを伝えてもおじさんの喜び方は変わらなかっただろう。

むしろもっと喜んでくれたかもしれない。

2015年12月7日月曜日

豚汁とケーキの朝ごはん

週末、妹の家に泊まった。

わたしも十分動き回って疲れているはずなのに、せっかくだからと思いせっせとごはんを作った。

夜は、生姜焼きに豚汁、切干大根サラダに30%OFFで買ってきたしめサバを食べた。

翌朝は残った豚汁を温め直し、そしてわたしが買ってきた手作りの木の実なんかがたっぷりと

入ったパウンドケーキとほわっほわのシフォンケーキを二人で半分して分けて食べた。

わたしはさらに、妹特製の辛味噌がのったおにぎりを食べた。

唐辛子と柚子の味が効いた豚汁は、さらにおいしさを増していた。

そして二人とも何の疑問も抱かず、ケーキを一緒に食べた。

わたしたちの母はとにかく何かしら朝食べることを第一としていたから、今なら「そんな朝ごはん

いけません!」と言われかねない献立もよくのぼった。

朝から肉まんやお好み焼き、菓子パン、うどんなんていうのはよくあった。

休みの日なら、朝ごはんを普通に食べた後、デザート的な何かを食べることもある。

だからなのかなんなのか、豚汁とケーキという朝ごはんの組合せでも、妹もわたしも違和感なく

普通に口に運んでいた。

そして豚汁もケーキも人の手を介して作られたものだから、とにかくおいしい。

自分で作ったものをおいしいと言うのも変だけど、とにかくおいしかった。

そしておいしいものを二人で一緒に食べるのはもっともっとおいしかった。

妹はいつもより1時間遅く出勤時間をずらしてくれ、わたしと極力長く居られるようにしてくれた。

前の日も、わたしに合わせて仕事を早く切り上げて来てくれた。

ちょっとした心遣いがとてもうれしかった。

妹を送り出した後、わたしはもう一度キッチンに立ち、4品作り置きのおかずを作った。

炊き込みご飯、賞味期限の切れたこんにゃくのピリ辛煮、わたしがはまりまくっているキャベツの

ごま味噌煮込み、マカロニサラダ。

どれもたっぷりと作って、あとはその日食べるなり冷凍するなりできるようにしてきた。

これ自分のためにやるとなると、腰は一気に重たくなる。

でも、誰か他の人のため、たとえその相手が妹でもさっさと動き出す。

そして嬉々としながら料理に取り組める。

昨日の夜、疲れて家に着くと、あの妹の家でばんばん料理していた自分が嘘みたいだった。

コンビニでコロッケを買い、スーパーで半額のポテトサラダを買い、芋×芋というひどい組合せ

だけど好きな組合せを発泡酒で流し込んで終わった。

朝の豚汁とケーキの時間を何度も思い出しながら、一人の侘しい夕食は幕を閉じた。

2015年12月1日火曜日

失敗した梅干しがおいしいものに大変身

今年の夏に漬けた梅干し。

どうも塩分の加減を間違えたようで、怖ろしくしょっぱい梅干しが出来上がった。

一部は天日干しにした後、梅酢には戻さずそのままガラス瓶に保管した。

色んな本やサイトによると、梅干し本体から水分が出て良い具合にしっとりするとのことだった。

だけど、わたしの梅干しは待てど暮らせどその状態には全然ならなかった。

しまいには、さらに乾燥し、粉吹くじゃないけれど塩が吹いて塩の結晶で梅干し全体は覆われた。

普通に食べるにはしょっぱすぎて全然食べれる代物ではなかった。

何度か捨てようと考えたこともある。

最後の賭けとして、昨日の夜、ごはんと一緒に梅干しを炊いたらどうなるだろうと思って、早速実験

した。

それでも駄目ならもう本気で捨ててもいいかなと思った。

そして今朝、昨夜セットしておいた梅干しごはんが炊けた。

その梅干しごはんは、わたしがこれまで食べたどんなゆかりごはんやその類いのごはんよりも

おいしかった。

絶品梅ごはんに朝から狂喜乱舞した。

梅干し単体としての活躍は難しい梅干しだったけれど、これがごはんと一緒に炊くと途端に別物に

生まれ変わったかのようにすごい旨みを発揮する。

若干固くなりすぎた皮は、炊飯器で炊くと適度な柔らかさになりつつもぐにゃぐにゃにはならず。

あんなにしょっぱいものが、ごはんと一緒になると適度なしょっぱさになって、さらに梅干し本来の

風味も増す。

梅干しとごはん、それぞれを単体で組み合わせてもこんなにおいしくはならない。

ふたつを一緒に炊き込むから、想像以上においしいものが出来上がる。

ということで、あんなにも捨てようとしていた梅干しが、今ではとても稀少なものになっている。

10個もないから、あと3~4回梅干しごはんを口にできたらいい方だと思う。

このごはんのために、来年はもっとたくさん天日干し後そのまま保存する梅干しを増やそう。