2020年11月29日日曜日

星読み記録ー2020秋

*¨*•.¸¸☆*・゚星読み記録*¨*•.¸¸☆*・゚


星読み覚書 2020年10月


星読みからは相変わらず付かず離れずな距離感でいるけれども、とりあえずの最近の状況の覚書。


とりあえず、最近熱心に、なんなら仕事の45分しかない昼休みにもせっせと取り組んでいるのが古書探し。


絶版本が占星術にはなぜか多く、そして良書に限って絶版というのが他の部門とは違うなぁと思う。


熱烈なファンも多いだろうに、どういうわけか絶版。


占星術の絶版本は、普通に諭吉1枚じゃ済まされない高価な値段で出ている。


当然そんなのは買わないから、ひたすら良心的なお値段で譲ってくれる個人の人を探しまくる。


色々調べていくうちに、メルカリとヤフーオークションが個人の人たちが断捨離か何かをした時にどうやら出品するようだと知って、それでそんなのタイミングがわからないからひたすら毎日チェックするという、何とも可笑しな毎日のルーティンが出来上がった。


今の職場、もちろん規制のついたネット環境ではあるけれど、メルカリやヤフーオークションはその対象ではないようで、普通に見れる。


しかも携帯で見るよりも見やすいから、私の昼休みの半分くらいはメルカリとヤフオクチェックで終わる。


そして仕事してる時間からは考えられないくらいの速さで時間があっという間に過ぎてく。


そんな風にして、最近は占星術系の本探しに明け暮れている。





少し前に、なんとこのブログの占星術系の記事にコメントがついた。


とにかく宣伝もしてないし、色々書いてる割にはおそらく欲しい有益な情報はないだろうしで、色々イマイチなんじゃないかと思うけれども、とにかくそんな内容にコメントがついた。


しかも最近の記事じゃなくて2年以上も前のもの。


で、それをきっかけにまた久しぶりにヨードと呼ばれる占星術の専門用語を調べた。


「ー」の伸ばしたところは小さな「ッ」の方がメジャーかもしれない。


うっかりヒットして記事を読まれても嬉しくないと今回のことでわかったから、ヒットせずに済む言葉をわざと使っている。


その言葉を調べていくうちに、久しぶりに5チャンネルに行き着いた。


全然良き思い出のない5チャンネル。


そのことに対するトピックの5チャンネルは、読んだ後グッタリと疲れる。


今回ももれなく疲れて、早々と退散した。


コメントをもらった時もだし、5チャンネルの時もだけど、私がわかったことはとにかく知識が欲しいのとは違うこと。


ある程度の知識はついて、それは自分が楽になるために必要なことだったからそれは知れて良かったと今でもすごく思っているけれど、でもそこから先は別に知識が欲しいわけじゃないとはっきりとわかった。


私がいつの時も欲しているのは、いかに自分が楽になれる、生きやすさが増す、そういうことのためのヒントであり、今すぐに自分のためにできる簡単なこと。


小難しい占星術のマニアックな情報を知っても、私に響かなければ意味がない。


これは心理やコーチング系を学んだ時から一貫していて、難しいものは絶対に続かないから、「1人でいつの時もさっと簡単にできてそして少しでも自分が楽になれたと感じられるお手軽なもの」が私は欲しい。


それは自分のために丁寧に飲み物を入れるでも十分効果がある。


仕事中耐えられない時はトイレに行ってくるとか。


あまりにも辛い時はひたすら眠って現実逃避を図るとか。


グサっと心に刺さるようなことが例えば仕事中にあった時、その場で泣いたりするなんてできないわけで、そういう時は最近の私は仕事をするフリしてひたすら自分の心の動きを眺めたりしている。


反応は変えられないけれど対応は変えられる。


私はとにかく自分のためにその「対応力」とでも言えばいいんだろうか、そこを強化するのに躍起になっている。







2020年11月3日


暇さえあれば占星術の本探しをネットでしている。


絶版の本はメルカリに時々出ると知って、今じゃ毎日3回ほど(朝・昼休み・夜)熱心に検索している。


なんなら休みの日は1時間おきとか暇さえあれば検索している。


本ばかりを集めてどうするのかと思うけれど、とりあえず収集に励んでいる。


自分でもどうして買うのかよくわからない。


わからないけれど、とりあえず気が済むまで買おうと思っている。


ちなみに欲しい本があって、それが手に入ればもう見ることはやめると思う。


占星術系の本あるあるなのか、良本に限って絶版のパターンが多い。


悔しいのが、一般ウケしそうな軽い内容のものがずっと重版で店頭なりAmazonとかのネットショップなりに並び続けて、本当の良い本たちはマニアックすぎるせいか気付くとなくなってしまう。


そしてなくなった後は、その本の稀少さに欲をのせた人たちなのか儲け主義の人たちなのかがこぞって諭吉1枚では済まないすごい高額の値段設定で販売されている。








11月23日ー雨降りの夜中


に書こうと思ったら、寝落ちして書けず朝になった。


夜に占星術講座の時のクラスメイトだったノムと電話した。


ノムから我らが桐吉先生のブログを最近読んだ?と聞かれた。


書籍探しに精を出している今、時々先生のブログを見ている、と答えたら「じゃあ、ぶっしーも知ってると思うけれど、(桐吉)先生すず先生と一緒に講座するよね?」と言ってきた。


初耳で、電話に繋がったまま、ノムに「今先生のブログ見てみる!」と言って、先生のブログを見てみた。


コロナの今に相応しく、zoomを使ってのオンライン講座を月1回、計12回することがわかった。


それ見て速攻申し込もうと思った。







11月29日ー11月最後の日曜日、カラスの鳴き声と共にある朝


結局あの後、講座の申込は申込画面を見たらzoomの名前とかが必要で、それを調べるのを後回しにしてるから実はまだ申し込んでない。


まさか春先に友達とweb飲み会をして、その時にダウンロードしたzoomがこんな風に役立つとは思わなかった。


それよりも、予定にもなかった先生の個人鑑定の方を先に申し込んだ。


講座の案内を上から下まできっちりと読んだ時、ふと個人鑑定の案内が目に入った。


先生の鑑定はいつか受けたいとは思っていた。


そして受けるなら対面鑑定に出かける気満々だった。


ところがニートになってまずは金銭的に無期延期となって、働いてお金を手にしたら今度は先生が骨折して対面鑑定休止になって、さぁ今度こそ先生の体調も私の財布の体調も万全!となったらコロナで無期延期の対面鑑定休止に突入した。


ちなみに1年前の今頃、今年2020年の星回りが強烈と知って、本当は3つほど何かしらの鑑定を受ける気でいた。


その1つが先生の鑑定で、でもさっき書いた理由でダメになった。


1つは、数量限定且つ即の入金が必須で、働き出したばかりの私には見送らざるを得ない状況であきらめた。


ちなみにその方のものは過去に2回申し込んで(毎年年末にだけ翌年1年のメッセージを書き下ろしてもらう)、2回とも奇跡的に抽選に入って獲得したもので、それが年々激戦になって今では申込開始1分とかで申込終了になるくらいになっている。


私の時は5分くらいで完売した。


過去2回とも本当にとっても良かったから、今年1年の不安な時の灯台や道標みたいな感じでメッセージをもらえたらいいなぁなんて思っていた。


だけどお金を理由にするのは嫌だったけれど、いかんせんどうにもならないことはどうにもならない。


さっさとあきらめた。


そんなこんなの中で今年に突入して、もう1人の方のは基本的に月初めに申込枠に入ればいつでも申し込めたけれど、先生とメッセージ書き下ろしの方の金額を足してもまだ半分になるかならないかの料金で、そこがネックと言えばネックだった。


内容が良いのはわかっていたけれど、もう少し財布の中が落ち着いたらで良いかなぁなんて思っていたら、今度は仕事が1日の半分を占めるくらいに忙しくなって、とにかく仕事に新しい生活リズムに慣れるのに精一杯で、そうこうしているうちに鑑定やらは全て頭の中から吹き飛んだ。


さらに、ノムから講座の話を聞いた時に、私は自らこんな風に言っていた。


「なんかさ、鑑定を受けたいって、それも先生のだけじゃなく他にももう2つ受けたい!ってなっていたけれど、結局受けなくても何とか今年1年ここまでやってこれたから、もう鑑定とかはいいかなぁと思って。だから今後は余程のことがなければ受けない気がする」


そんなことを口にした後24時間もしないうちに、私は先生の鑑定を申し込んだ。


突然、「なんか今受けてもいいかも」と思った。


仕事もいつまで続くかわからないし、結婚含めてパートナーとか住む場所なんてもっとわからないし、自分の人生全体が自分の意志とは別に色んなことが勝手に動いたり止まったりするからそれはもう仕方ないとあきらめて、だから相談したいことは特段何もなかった。


ただ、自分側の心構えを作るために、自分の人生がどんな設定なのか、先生のあの凄まじい分析力に基いての見解を聞いてみたい、そう思った。


人生なるようにしかならない、そう思っているからこそ、弱った時心が立たない時に心のお守り的なものとして自分の人生を知っていてもいいかもしれない、今言葉にするとそのようなことを思って突如申し込んだ。


土曜日枠が空いていたのと、現行鑑定料が今年いっぱいで来年から少し値上がりするというのも知って、今申し込もう!となった。


結果申し込んで正解だった。


先生から即返信が来て、こんな風に書かれてきた。



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グレートコンジャンクション(*202012)はもちろん、2021年~2023(特に2022年後半~2023年前半)にかけては、

史子さんの「魂のテーマ」「人生の使命」において、大きな変革・きっかけが訪れる期間でもありますので、

(史子さんが)本当に心の底から求めているものは何か?」ということを考えておく必要もあります。


私も史子さんも「人生の残りの時間」をなんとなく意識する年齢になってきましたが、

「真の自分の魂とは、使命とは何か」という大きなテーマを考えるに当たって、この鑑定で少しでもお手伝いできたらと思っています。

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これを読んで、「今が受ける絶好のタイミングだったんだ」と思った。


私の中では今年が去って来年以降になればもう少し穏やかになるかと思っていたら、実はそうではなかったとわかる。


ちなみに先生が言われている時期というのは、公転周期249年の冥王星が私の生まれた時のホロスコープの「魂のテーマ」「人生の使命」を表すところを通過するところ。


でもそうとわかれば、これから2年くらいかけて、自分のこれから先の人生において自分がどうしたいとかどうありたいとか考えるのもいいなと思った。


仕事で色んなことが重なって、ふと「したい」を記録したいと思った。


ちなみに仕事で「本気でどうでもいい」と思うことが度重なって、その時に自分がじゃあ何を見ているのかを知って、それで「やりたくない」ではなく「したい」ことに目を向けたいとなった。


2週間前に妹たち夫婦のところを訪ねた時に、妹たちがパン屋の開店準備のために取り寄せた小麦を挽く機械に同封されていた会報誌をたまたま見て、それを見て思ったこともあった。


その中にあったある女性の寄稿記事が、まさに私の中で「これ絶対に大事!」と思うことの実践が書いてあって、それを見た時に自分はどうしたいんだろうってものすごーく久しぶりに自分に疑問を投げかけた。


とにかくそんなこんなの色んなことが重なって、なんとなく先生の鑑定を申し込んで、そしてくだんの返信が先生から来て、「あぁ、今なんだなぁ」と思った。







古書探しの今現在の近況(11月末)。


相変わらず毎日暇さえあれば探してるけれど、そしていくつか買取をして今手元にもあるけれど、色々探して取り寄せて読んでわかった。


私が知りたいことは2つ。

・占星術の基礎基本

・星読みをする時の心構え


本はますますマニアックな本に行き着いているけれど、マニアックなものほど著者の方の研究魂が炸裂していて面白い。


最近取り寄せたのは、基本の「き」みたいな本だけれど、占星術の歴史や流れもわかりやすく説明してくれていて、それ読んでますます占星術の良さがわかったように感じる。


何千年と時代を超えて国や文化を超えて引き継がれるもの、そうしたものに私は心惹かれることもわかった。


自分の目指してるものが何なのか相変わらずさっぱりわからないけれど、とりあえず気の向くままに任せて、余暇活動的な占星本漁りと星読み知識ストックをしていきたいと思っている。

2020年11月24日火曜日

連休明けの心模様

連休明け仕事に行きたくない、と思っている自分を見て思い出した。

金曜日の時点で一気に色んなことが重なって、それが数時間後から1つ1つ片付けていくことになるかと思うと、やるしかないとわかっていても行きたくない。


仕事の様相もここ2、3週間ほどでかなり色んなことが変わり出して、それのテコ入れ作業に毎回関わる自分を見て、いよいよ本質的なものが仕事の中心に入り込んで来ていると目に見えてわかることが増えてきた。


来月の下旬に「グレートコンジャンクション」と呼ばれる天体の配置、それも通常なら20年に一度のものが今回は600年ぶりだったかに起こるもので、その影響たるや計り知れないし、その影響と思われることが仕事でじゃんじゃん起こっている。


仕方ないと割り切っても、決して行きたい気持ちにはならない。


そんな最中に突然思い出したこと。





3年前の夏、イケメン上司がいた当時の職場に行っていた頃のことが思い起こされた。


当時も本気ですごい!と思っていたけれど、今回久しぶりに思い出して、改めてすごいと思った。


土曜から始まった何連休かのお盆休みは、一刻も早く休みが終わって欲しかった。


そしてさらにその後、私は九州に結婚式兼プチ旅行的なものに行くのに4か5連休取ったけれど、その超楽しいお休みでさえ、休みが終わる惜しさよりも仕事に行くことへの楽しみが確実に上回っていた。


どちらもイケメン上司に会いたくて、それで休みよりも何てことない、別に私でなくていい仕事をするために、超積極的に仕事に行きたかった。


休み明け、あんなにもルンルンで仕事に行くなんて後にも先にもない。


仕事のやりがい度みたいなのを測るなら、当時の仕事は数々やってきた仕事の中で同率ワースト1位の1つと言ってもいいくらい、仕事へのやる気など全くなかったけれども、ただただイケメン上司がいるというだけで私はどこまでも気持ちが上がっていた。


数時間後に始まる仕事の1つにイケメン上司とのやりとりが含まれていたのなら、私は今頃期待で胸を膨らませていたんじゃないかと予想する。


なんなら絡まなくていいから、いてくれるだけで十分で、それだけで仕事に楽しく行けただろうと思う。


思うじゃなくて、絶対にそうだと言い切れる。


当時もすごいことだと思っていたけれど、今になるとさらに一層すごいことだと感じる。


絡みもなく、話すわけでもなく、なんなら挨拶を交わすことさえ怪しいくらいなのに、そんな間柄の人に会うことが本当の本当に楽しみでそれで興味もない仕事にルンルンで行けていたんだから、本当にすごいミラクル満載な時間だったと今でも思っている。


あんなにも明日が楽しみと日々思って生きていた時間なんて他にないと断言できる。


その連休明けの楽しみを目一杯自分の中で堪能していた当時を思い出した。





この1ヶ月もしくはまだ1ヶ月にもなってないかもしれない、心境の変化が出てきた。


イケメン上司と最後会えた時から3年が経過して4年目に突入して今が2ヶ月が過ぎて3ヶ月に入ろうとしている。


先に書いたように、今の仕事の様子が色々変わってきたことも関係しているけれど、自分の中で変わってきたものを感じている。


このままその人のいない世界に生きる人生というものを本気で受け入れ出してる自分がいる。


いつか連絡が来るかもしれない、と私は本気で願って心からそれを望んだ。


ブログを読んでもらえてると確信してからは、その確信がいつからだったか覚えてないけれど、少なくともここ1年近くはかなり確信をしていたと思うけれど、もしかしてのもしかしたらが起こるかもしれない、と大真面目に私は思っていた。


だけどここ最近になって、もうどうやっても交わらないんだろうなぁと思った。


イケメン上司のプライベートがどんなかは知らない。


だけど、そこに他の誰かがいても何ら不思議はないし、いなくてもだからと言って私に連絡するとはならないんだろう、とそのことを受け止めてる自分がいる。


今の仕事で、この1週間近くで目に見えてわかる変化が起こった。


もしかしてもしかすると、創業以来初めてのことかもしれない。


今さっき会社概要を見てきて、創業80年以上経過した会社だと知った。


みんながなあなあにしているものを、私は我が身に降ってくるのが目に見えていたから、私はとうとう奇策に出た。


そうしたらその奇策が当たって、なんと周りをみんな巻き込んでの良い方向に今物事が動いている。


別に会社を良くしようとかいうのではなく、私の仕事を増やさないために、そして不正なものを見逃すと我が身の体の具合が悪くなるからそれを防ぐためにも、私は声を上げるしかなかった。


それがまさか結実して、今本質的に物事がこれまでとは違う流れに入っている。


そういうことを目の当たりにして、やりたくはないけれど、それが今の私が着手すべきテーマなんだと思うし、それは少なくとも来年2月までは雇用期間があるから続く。


仕事はさておいても、別に仕事をしててもちょっとした時間を使って連絡の1つをするくらい普通にできる。


そこまで多忙じゃないし、そして派遣でいる限り、本質的なものに関わっても実質的な部分で責任が取れる立場ではないから、そこまで仕事が自分の時間に食い込んでくることもない。


時間はあるし、気持ちもある。


だけど、イケメン上司側にしたら、私に連絡の1つをする時間は作る意志がないんだと思うし、時間があっても気持ちがなければそんなことして何の得もない。


そういうことを客観的に受け止めようとする自分が出てきた。


ブログを読んでくれることと連絡を取りたくなることはイコールじゃないし、イコールになって欲しいのは私だけであって相手もそうなわけじゃない。


コロナ第3波みたいな今、さらに「不要不急」が今後あちらこちらで言われることになると思うけれど、私なんかはその不要不急の最たるものだし、会うとか普通に無理だなと思う以前に、もうこのまま何ひとつ交わらずいつかの死ぬ時を迎えるんだろう、と思っている。


何がどう作用しているのかわからないけれど、確実に自分の中の受け止め方が変わった。


もちろん完全にじゃない。


連絡が来れば狂喜乱舞するだろうし、そんなことを夢見ていいのなら夢見ます!、願っていいのなら真剣に願います!、って思うけれど、多分そういうことじゃない。


イケメン上司に出逢えたことに始まって、その前後で起こった色んなこと、それは本当に必要があって起こっていたというのは今でも信じている。


この間、過去に書いたブログの一節を読んで思い出した。


イケメン上司に出逢う前の数年間、特に直前1年間は本当に訳の分からない、自分でもどうにもならないことがいくつも起こった。


メンタルはズタズタだったし、私は自分が何をしたと言うんだろう?と運命を呪いたくなった。


すごく変な風が吹いていて、どうにも止まらない負のエネルギーは、自分の日々の積み重ねを全否定してくるぐらいに物事をひっくり返してきた。


そういう苦い時間をいくつも超えた後に、イケメン上司は私の人生に現れた。


冗談抜きで、自分の人生全てが肯定できた。


色んな不具合や不可抗力的な暗黒の闇的なものも、すべて何1つ欠けてはいけないものだったと確信した。


もし1つでも何かが違っていたのなら、イケメン上司には出逢えなかったから。


どんなに苦しくて悔しいことでも、涙流すしかできなかったようなことでも、そのどれもが欠けてはいけなかったんだとはっきりと知った。


「何1つ自分の人生に間違いはなかった。」


それを本気で知らせてくれたのがイケメン上司の存在だった。


だから私はその人に今でもとっても感謝しているし、ガチの魂繋がり、ソウルメイト的な相手だとそこまで見せてもらえるんだとそれは今でも凄いと思っている。


だからもう十分何かをもらって享受して、なのに自分がそれ以上のことを望み過ぎたんだろうなぁとも思う。


それが私のウダウダ具合が想像以上に長丁場になって、その状況でうっかり4年目とかに入って「……」ってなっていたけれど、どうしたことか最近は受け入れようとしている自分が出てきて、少しホッとした。


コロナ最前線みたいなところにいたら余計と「何が自分にとって大事か」みたいな命題がふとした瞬間に浮かんだりすることもあるんじゃないかと勝手に予想しているけれど、そんな自分の人生観や価値観の棚卸しみたいな状況になった時、私はそこにはいないんだろうと思う。


私の人生にこれだけ大きな影響があったから、相手の側にも何かしら影響はあったのかもしれない。


だけど、同じ量や質のエネルギーが流れても受け止め方や感じ方は千差万別だし、私側は明るい方に転じたけれど、相手側は暗い側に転じたかもだし、もしくは奇妙に映ってもそれ以上ではない感じで終わっているのかもしれない。


どうであっても、相手が沈黙を続ける以上は私は何も知ることができないし、逆説的に捉えると知る必要がないからずっと今みたいな状況が続いているのかもしれない。


仕事で創業後初みたいなことが起こるくらいの今はエネルギーが発動されてるんだと思うけれど、それは確実に必要があってそうなってるのがわかる。


一方で、イケメン上司のことは、必要がないから繋がれないし、何も起こらない、そんな気もかなりしている。


上手く言えないけれど、この先何もなくても私は実際にあったことや起こったことを後生大事にして生きていく自信があるし、そのことは自分の中の大切な宝物箱に入れるみたいにして大切に保管していく自分も想像できる。


寂しいなぁとは思うけれども、それが定められた道なら仕方ない。


色んなことがあって、自分の内面も受け止め方もコロコロと変わって今に至るけれど、その人の存在だけは何にも変わらなかった。


そして離れてももはやもう何でもなくても、私はずっとずっとその人の存在に救われてきたんだと言い切れる。


繋がらなくても私のかなり一方的な思い込みかもしれなくても、確実にそれで救われた自分がいる。


もうそれで十分過ぎるくらい私は与えてもらった、そんな風にも思う。


そして、連絡が欲しいなんていうのはもはや欲張り過ぎなのかもしれない。





読み返さずにこのままアップする。


目が開いていてかなり覚醒しているけれども、多分シラフになって頭をシャキッとさせたら恥ずかしくなってアップなんかできなくなりそうだから。


3年前のように、休み明けに仕事に行きたい!!!っていうのが本当に貴重だったんだと改めて気付けたから良かったことにしよう。


あんな風に生きられたのなら、人生本当に楽しいだろうなぁと思う。


勘違いでも1人だけ脳内お花畑みたいでもいい。


そういう瞬間が人生にあったというだけで、本当の本当に恵まれていたなぁと今は思う。

2020年11月22日日曜日

㊹【おいせさん手帳】志高くー射手座の季節





おいせさん手帳第44回目

担当:ノム


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1120日 

夢を抱くのに、年齢や性別など関係ありません。

射手座を前に

 

志を高く、どこまでも理想を広げる射手座へと入っていきます。

これから年末に向けては、夢を描くことを楽しんでみましょう。

現実的になどと枠を設けず、ワクワクするヴィジョンを想像して!

時期がきたら自然と発芽する植物の成長を見守るように、

描いた夢と気長に付き合ってみること。自分の夢を大切にしましょう。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




占星術を独学で学び始めた頃、私は12星座自体も全て知らなかった。


知っているのは、自分の魚座と妹たちの水瓶座と乙女座だけで、あとは何がどういう順かもわからなかった。


親2人も魚座だから、私の中では魚座と水瓶座と乙女座だけで12星座の存在は完成していた。


乙女座だって「秋の星座」くらいな感覚で、他の星座については順序は全くわからないし、それぞれの性格なんかはもっとわからなかった。


独学2ヶ月目にして、超超超ラッキーなことに、占星術初級講座を取ることができて、そこで初めて私は12星座を覚えた。


余談だけれど、今のコロナ禍や先生のスタンス、そして現在の仕事なんかを諸々並べてみると、当時毎月東京に通って講座を受けられたというのは超特大な奇跡だったとわかる。


幻の初級講座で、そして先生はもう二度と初級講座は開催しないんじゃないかと思う。


世の中にはたくさんの占星術講座があるけれど、先生のクオリティと同じレベルや質の講座は日本全国を探しても限りなくゼロに近いのではないかなと思う。


講座の第何回目かは12星座についての性質を学ぶ回だった。


その時の話を聞いて、いくつかの星座は私の場合、友達の顔を思い浮かべて「あー、この星座はこういう感じなんだ〜」と、星座の質と実在する人物の性格とを重ね合わせて記憶に残した。


射手座はその1つだった。


射手座の相手は3人ほど出てきたけれど、その中でもとりわけMちゃんの印象がとっても強かった。


ノムが紡いだ言葉「志を高く、どこまでも理想を広げる射手座」は、まさにMちゃんにピッタリだった。


Mちゃんは言葉通り、志が高くて理想を持って生きている。


今回のメッセージを書こうとMちゃんが思い浮かんだ時、私は10年以上前の28歳か29歳の頃のMちゃんとのバスの中の会話のシーンが思い浮かんだ。





カリブ海の中でも特に綺麗な秘境の海に行った帰り道だったように思う。


Mちゃんは協力隊の時の同期で、今でこそ仲良くしているけれども、最初は全くタイプが違う上に仲良くなれる気が全くしなかった。


ギャルとは違うけれど、今時の女の子風で女子力高そうで、妖艶な雰囲気と天真爛漫さが重なって同性からはもちろん異性からもモテていた。


自分で今書いてて気付いたけれど、「仲良くなれる気がしない」というのは、私はMちゃんに興味を持ったけれどMちゃんは私に興味を持つ感じは全くしなかったから、自分だけの片側通行的な気持ちだけでは関係が成り立たないという意味で仲良くなれないと最初は思っていた。


ひとたび仲良くなると、Mちゃんはとても気さくではつらつとしているかと思えば、細かいことにも気がついて気遣いをしたり、とても素敵な女の人で、今となってもどうしてMちゃんと私とが仲良くなれたのか不思議でならない。


もし同期でなかったのなら、Mちゃんとは生涯知り合わなかったと思うし、仮に顔見知り程度に出会えても、知り合ってから今に至るまで色んな話をしてきたけれど、そんな風に話をすることもなかったと思う。


「天国」という名前ののんびりした田舎町を出た後、隣りの町から首都行きのバスに乗った、その帰り道だったように思う。


Mちゃんは私に「日本に帰ったら何をしたい?」から始まって、そうした真面目な進路の話をお互いに聞き合った。


その時すでに私の人生は自分の想像した人生とは違う方向に流れ出していた時で、第一希望の日本に帰ったら結婚は絶対にないと断言できる状況だった。


この辺りを細かく書くと、今回書こうとしていることから大きく外れるから今回は書かないけれど、30歳から日本国内で再就職するなんて全く想像もしていなかった現実に向けて舵取りをしていかないといけなくなって、正直何をしていいのか全くわからなかった。


福祉はもうしばらくは「やらない」と決めていた。


その理由は、30代の自分は結婚や出産があるだろうと当時は想定して、とにかく長く勤め続けることが難しいことがある以上は、人相手の仕事はできないと思った。


それは今も同じで、人と深く継続的に関わるものは自分の身が安定していない以上難しい。


今の英訳の仕事はいつでも辞められるし、私でなくてもいいとそれはいつも思っているけれど、子どもの施設にいた頃はそんな風に思わなかった。


私より優秀な人も適した人も世の中にたくさんいるけれど、そうではなく、同じ人が継続してそこに居続けるということがその仕事の場合本当に大事なんだといつも思って見ていた。


人と人とが知り合って関係を作るのに大切なものの1つが「時間を重ねること」なんだと、その時本当に学んだ。


だからそれができるのかできないのか定かではない30代は福祉の仕事は「私はできない」と結論付けた。


だからこそ、Mちゃんに日本に帰ったらどうする?と聞かれて、上手く言葉が紡げなかったことも、ようやく1つだけ言えたのは「自分は企画から始める仕事は向いていないから、そういうのはあまりやりたくない」だった。


「企画から始める仕事」というのは、協力隊の時の私の状況がまさにそうで、今思うと向いてる向いてないよりも「やる必要があったからそうなっていた」と思うけれども、当時は何でその資質もないような私がそんなことをしてるのか不思議でならなかった。


当時はもうやりたくない!と思うくらいに嫌になっていたから、そんな風に答えたことを覚えている。


Mちゃんが何を言ったかは忘れたけれど、Mちゃんはその時もすでに真っ直ぐ自分の人生を見つめて、自分の人生の可能性に賭けている人だった。


射手座の特徴の1つだと思うけれど(これは習ったことだったのか、自分の身近な人たちを見て思ったことかは忘れた)、射手座の人たちは自分の理想や志のためならその実現に必要な努力や労力をいとわない。


能力的なものを天性の能力で突破するよりも、そのためにコツコツと努力する、小さなことを弱音を吐かずに積み重ねていける、その力の持ち主だと私の目には映る。


だからMちゃんも、世の中の1%未満の人が持つような天才性やずば抜けた能力というよりも、本当に自分が信じたものに対して粘り強くコツコツとやり続けて確実に形にしていく人、という印象の方が強い。


Mちゃんはこの後、最初は自分の専門と海外での仕事とを掛け合わせて仕事をして、しばらくしたら今度は大学院に行って、そしてその後もさらに専門性を高めて、今はどこかのアジアの国で国か国に近い機関から派遣されて専門職に就いている。


Mちゃんとあの帰りのバスの中で話した時からは、どちらも想像できない今にいると思うけれど、少なくともMちゃんは自分が思い描いた未来を確実に自分のものにしている、そんな風に私には映る。


そして、それに対して私はただただ尊敬の念しかない。


羨ましいとか自分が卑屈になるとかは一切ない。


その後もMちゃんとは1年か2年に1回くらいの割合で会っているけれど、いつの時も本当に頑張っていて、なんなら大学院の頃の論文提出で激務な時も家で会ったりしてその様子を目の当たりにしているから、今の現状に至る努力が並大抵ではないこともわかって「羨ましい」とか自分がダメなんだなんて思えない。


そのことを一心にやり続けているMちゃんが本気ですごいと思うし、常に志強く自分の力を集めて物事に真摯に取り組む姿は、良い意味で「自分もがんばろ!」と思わせてくれる。





名古屋にいた頃、Mちゃんは途中から京都の大学院に通うために大阪に引っ越した。


その時もそうだったし、最後会ったのは多分3年前で、その時は仕事で東京に引っ越していたけれど、いつの時も話の中に「将来の展望」がある。


大阪でもう1人の友達と3人で会った時、Mちゃんが「みんなでビジョンを語らおう!」と大胆に、でも自然な流れの中で言った時は忘れられない。


その時の私は塾勤めで神経すり減りまくりではあったけれど、その提案はストンと自分の中に落ちて、何の気難しさや抵抗もなくすんなりとその流れに入っていけた。


基本的に何を言っても自由で、否定がない。


一度だけ否定というか「それって難しいんじゃない?」と言われたことがあるけれど、今は逆にそれを難しいと言ってもらって良かったと思っている。


言ったことを否定したのではなく、それを実現することが世間一般的には難しいとはっきりと言ってもらえたことが大きかった。


内容や私の想いではなく、そのことの実現度が社会的に難しい、それをMちゃんは言っていた。


でもそれは否定ではなく、本当に色んなことをやってきてそこで色んなものを見てきたMちゃんが言うからこそ、適当に言ったのではなく、本当に実直な感想や考えとして言っていたことがわかる。


そんな風にして、色々ざっくばらんに話せたことが、今のこの年齢になってすごく貴重なんだとわかる。


他の人と比べたこともないし比べるようなことでもないからあくまでも自分の感覚でしかないけれど、「これからどうしたい」とか「どうありたい」とかいう話を私は相当な数の人たちと交わしてきたように思う。


自分の中の影やネガティブなことを話すのは難しいってずっと思ってきた。


でも、もっと難しいのはもしかしたら夢や希望、展望の方ではないかと思った。


ネガティブなものはある種共感を生みやすい。


そして、私なんかは「この話なら相手もわかってくれるかも」とかいう計算まで働かせるところがあるから、ガチなものでなければ内容の程度を選んで話すことも多い。


「この人はここまでならOK」「この話題はこの人NGなんだな」とかいうことが話していると結構わかってしまう。


傲慢と言われても仕方ないけれど、それがわかると私はそれに合わせて話をする。


聞くのは基本的に耐えられないというのは数としてかなり少ないけれど、話す方はかなり選ぶ。


そして、ネガティブなものよりも希望や展望を口にすることの方がうんと難しい。


これは年を重ねるとさらに顕著で、小さな希望すら口にしづらい空気になる人たちも確実にいる。


夢や希望、自分の想い、未来に向けての展望を話すというのは、実はすごい勇気が要ることだと思う。


はなからそういうものを否定するタイプの人もいれば、共感してる風に見せかけておいて毒を吐くというかどこか否定じみた反応を示す人もいる。


年齢が上がれば上がるほど、そういうものを目の当たりにすることがなんとなく増えてきたように思う。


だから、ネガティブ寄りなものよりも、明るいというか前を向く話の方がもしかしたらこれから先の年齢域ではますますそれを共有できる人が少なくなっていくのかもしれない。


そうした中で、Mちゃんというのは夢や希望、展望を話せる貴重な存在なんだと改めて気付いた。


この1年くらい話してない気がするけれど、何て言うんだろ、とにかく基本的に否定がなくて前を向いていて、それは単なる前じゃなくて苦しいことや思い通りでないことも内包した上で前を向いてる、そういうタイプの前で、それをMちゃんはとても自然にやってのける。


占星術講座で習った射手座の特徴とMちゃんの性格とが重なったのもそこが大きい。





射手座の話とは関係ないけれど、Mちゃんの話ですごく印象に残ったことがある。


協力隊の時、中間報告というのと最終報告という名の報告会があって、1人15分の持ち時間でパワーポイント使って何をしたかを関係者に発表する時があった。


オール自前、スタイルや方法は個人の自由で、もちろん話す内容も活動に関することなら自由だった。


最終報告は2年間の活動の総まとめとして発表する。


その時のMちゃんの発表が忘れられない。


Mちゃんは国の予算をあてがわれた某一大プロジェクトに配属されていて、普段は小さな町の事務所に行っていた。


某一大プロジェクトは本当に大掛かりなもので、私はその内容を聞けることを楽しみにしていた。


普段活動の話なんてほとんどしていなかったから、余計と何しているのか気になっていた。


そこでMちゃんが最初にしたことは、斜め横どころか想像もしていなかったことだった。


「事務所の中の人間関係がギスギスしていて、それじゃあ何をしても絶対に上手くいかないって思ったので、最初はひたすら風通しが良くなるように、風通しを良くする運動に1人で励んでました」


冗談抜きでMちゃんはそれを最初にしていて、そして最終的にはプロジェクトの内容を事務所や地域で実施できるところまで持っていった。


Mちゃんのその目の付け所も本当にすごかったし、そして何したかは忘れたけれど、Mちゃんは本当に専門的なことは全部後回しにしてまずは人間関係の構築を最優先したところがめちゃくちゃ素敵だった。


Mちゃんの専門分野は日本全国誰が聞いても一目置かれるものだし、普通ならその専門分野で役立つことをしようと考えると思う。


でもMちゃんは全然違っていて、何よりもまず人間同士がやりやすくなるようにそこに注力をした。


専門職であるけれど、専門性の前に人間性、仕事よりも気持ちの良い人間関係を大切にするMちゃんは本当に素敵だった。


それは射手座ゆえの性格なのかと聞かれるとわからないけれど、是非とも見習いたい視点だなぁと思っているし、10年以上経った今もものすごく強く印象に残っている。





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本当は2日前のメッセージだったけれど、バタバタして今日22日のアップになった。


中途半端に変なものを出すよりも、書きたいことを書ききって表に出したかったから、日にちよりも気持ちを優先した。


気持ちを優先させる方が今回の場合は自分が気分良くいられるとわかった。