2017年12月29日金曜日

今年の一文字「逢」①命という奇跡


2017年の一文字。

「逢」

 

それは突然もたらされた。

何の前触れもなく、もちろん準備も計画もなく、本当に突然不意打ちのようにやってきた。

私の知らないところで、本当は準備ができていたのだろう。

私の人生に現れたその人は、ただそこにいるだけですごい存在感を示している人だった。

最初私は、そんな風になっている自分を全力で否定した。

頭がおかしいと思った。

たった一度ちょっとしたやり取りが交わされただけで、私は自分が勝手に物語でも作り上げて舞い上がってるのかと思っていた。

どう考えてもおかしいから、もっと冷静になろうよと何度も何度も思った。

否定と打ち消しとに脳内はいつも忙しかった。

 

私はその人に会えることが本当の本当にうれしくて仕方なかった。

それは単に会えることがうれしいというのではなかった。

私も生きている、相手も生きている、命があるということに対してこんなにも感動したことは過去に一度もなかった。

命があって今日も元気に心臓が動いてそれで会いに行く。

そんな奇跡みたいなことが毎日のように起こっていることに私は何度も目を見張った。

「出逢う」というのには、必ず条件がある。

それも絶対の条件。

それは「生きている」ということ。

お互いに生きていなければ逢えない。

今日ある命が明日もあるとは限らない。

だから会えてうれしいというのは、今日もあなたの命に出逢えてうれしいです、というのと一緒だった。

 

過去に色んな人たちに出逢って、色んな人たちと心を交わして、感動する瞬間もたくさんたくさんあった。

出逢ってくれてありがとうと思う人たちもたくさんいる。

だけれど、もうそのどれとも違う感じだった。

とにかく毎日の中にその人がいる、その人の命が存在している、それだけで本当に感動してしまうレベルだった。

私も至って健康だし、相手も特保のお茶とか飲んでいても見た感じはすこぶる調子良さそうだったから、今にも死にそうな状態というわけじゃない。

そんなにすぐに命の心配をしなきゃいけないわけではないのに、私は命がある奇跡を感じずにはいられなかった。

そんな風に感じる人が自分の人生に現れてくるとは全く思っていなかった。

そんなの夢物語だろうぐらいに大人になって心が若干汚れてきた自分は思っていた。

でもそんな奇跡のような出逢いが本当にあった。

「好き」とか「愛」で表せるのであれば、そうやって表現する方が簡単だしわかりやすいからそうしたらいいと思う。

だけど、もうそういうレベルのものとは一線を画していた。

私は相手に文字を使って伝える時も、そういう言葉を一切使わなかった。

なぜなら、何かが違っていたから。

そういう言葉で限定されるようなものじゃなくて、もっともっと今世の中に存在しているありとあらゆる言葉を使っても表せないような、そういうレベルのものだった。

だって、今の社会の中で「あなたの命に今日も出逢えてうれしいです」なんていう挨拶もなければ、そんなこと思って生活する人なんてどれだけいるんだろう。

ましてや病気とか余命宣告を受けてるとかで命の限りが見えてるわけでもない。

なのに、とにかく自分の命と相手の命とが同じ時代の同じ土地の同じ空間でかち合う、その奇跡に毎日毎日感動した。

墓参りに行くようになったのも、我欲全開のお願いの時間が9割を占めてるものの、そうして命を繋いでもらってることに感謝もして手を合わせるためにしている。

これは人生のご褒美だと思った。

色々過去にがんばってきた自分の上に今の自分が成り立っていて、その過去からのがんばりに対するご褒美だと思った。

 

冷たくされたり無視みたいなこともされた。

もちろん心も傷んだし折れた。

だけど、その瞬間でさえも愛おしい時間だった。

それは命がないと、生きていないと、絶対に交わせない、持つことのできない瞬間だって知ってるから。

心が沈んでも嫌いにはなれなかった。

とにかく他の何にも代えられない唯一無二の存在で、そういうものに出逢わせてもらえたことがどれだけすごいことなのか、それは会えなくなってからもっともっと感じるようになった。

今日もあなたの命に出逢えてうれしいです、という奇跡のような時間は終わってしまった。

それは終わってしまったけれど、そして色々と自分の中でうまいこと消化できないものは数限りなくあるけれど、やっぱりどうしたってこの奇跡のような時間を人生の中で一度でも持てたことはとってもうれしい。

何にも持ってなくても、生きているだけでしあわせってすごいことだった。

本当に生きているだけで、そして相手も同じように生きているだけでしあわせだった。

 

一連の「今年の一文字」シリーズを書いていて気付いたことがある。

「出逢い」って「出愛」だということ。

これは私の超個人的解釈になるけれど。

過去のどこかの地点で出逢った人たちみんなから、私はたくさん愛をもらっている。

わざわざ口に出して言うようなことはしないけれど、間違いなく愛をもらっている。

人と人が出逢うと、愛が勝手に溢れ出てくるんだと思う。

もちろんみんなに出てくるわけではないけれど、特別に仲良くなる人たちとはそういう風に愛を出し合うんだと思う。

恋愛の愛の話ではなくて、もっと人間がそもそも持っている情という部分の話で、そんな風にできている気がする。

命に感動しているのもそれは愛を別の形にするとそうなるんじゃないかと思う。

その究極のような形が「今日もあなたの命に出逢えてうれしいです」という感覚なのかもしれない。

こんな哲学めいたことを考えることさえも、何か色んな生きている感情に触れて、自分の命も相手の命も感じる、しあわせな瞬間だったりする。

そして、私のこの一方的なものは最後まで一方的ではあったけれど、相手に届く届かないというのはもうあきらめも手伝ってどちらでも良かった。

それよりもやっぱりそういう人に人生で出逢えたことがうれしかった。

 

そんな折、私はある方のブログに行き着いて、そしてこの言葉に泣いた。

 

「もしも(これから先)逢えなかったとしても長い人生の中の半年と言う短い間だけど宝物のような時間でした」

 

まさに宝物のような時間だった。

私は半年どころかさらに時間は3ヶ月半と短くて、もし元気に100歳まで生きたとしても、やっぱり同じように宝物のような時間だったとおばあちゃんになった自分も思うだろう。

こんなにも自分の命や誰か別の人の命を思い続けるなんていう時間もそうそう人生では起こらないような気がする。

そういうものすごく特別な宝物のような時間、それはすべて「出逢う」ところから始まっている。

だから今年の一文字は「逢」以外には考えられなかった。

 

(引用文について:ブログを書いた方から引用させてもらうことを快諾してもらっています。今回は私側の事情で引用元を非公開とすることも了解を得ています。どうしても引用元を知りたいという方がいらっしゃいましたら、コメントか個人的に連絡をください)

~今年の一文字シリーズ~








良いお年をお迎えください☆ Wish You A Very Happy New Year!

今年の一文字「逢」②再会


「俺らまた必ず会えるよ」

 

Gは私たちのグループが日本に帰国する前、そう言った。

どういうシチュエーションでそこには誰がいてとか覚えていないけれど、Gがそう言い放ったのは覚えてる。

Gは私より7つか8つ年下の男の子だ。

当時大学卒業したてのGは年下とは思えないぐらいに色々と大人びてた。

ある時飲み仲間で、ひたすら飲み倒す会を催した時のこと。

バスを降りて、目的のホテルに向かって歩いている時、Gが突然言い出した。

「ぶっしー、何かする時って何が大事だと思う?」

「どうしたの、急に」

「いいから考えて」

私は自分が何て答えたのかさっぱり覚えていないけれど、Gはこう言った。

「俺は、どこに行くとか何をするとかは重要じゃないと思ってる。
大事なのは、”誰といるか”、それに尽きる」

Gが人をとにかく大切にしているのはわかった。

普段ふざけたことばかり言っているけれど、時々ものすごく大真面目に悟りのような言葉をさらりと言う子だった。

後々、共通の友達リーダーと話した時、リーダーが突然思い出したかのように言った。

「あのさ、ぶっしーたちが日本に帰る時、Gは空港に見送りに行かなかったでしょ?
あれね、用事で行けなかったんじゃないんだよ。
あいつは、ぶっしーたちがいなくなるのがすっげー寂しいから、だから見送りには絶対に行かない、って言って行かなかったんだよ。
いかにもGらしいでしょ?」

Gは言葉の通り、日本国内でばらばらになってからも何回か再会した。

最後に再会したのがいつかは忘れたけれど、もう何年も会っていなかった今年の冬、Gから突然電話がかかってきた。

「今度5月に熊本で結婚式を挙げることになったけん、ぶっしー来れる?」

Gは結婚して早3年ほど経ち子どもも生まれていたから、結婚式を挙げることにびっくりしたけれど、こうして会わなくてもそういう自分の人生の大事な時に呼ぼうと思ってもらえることがとてもうれしかた。

行くよと返事して、そして5月を迎えた。

リーダーもちかもすーさんも他の人たちもみーんな集合した。

自分の好きな人たちが一堂に会した。

最後とても気まずい思いをして離れ離れになりもう何年も音信不通だったHさんもいた。

私に占いのおばちゃんを紹介してくれたYさんもいた。

私がこれまで参列した結婚式の中で一番温かくて感動を覚えた式だった。

Gと奥さんの人柄がそのまま写し出された素敵な会だった。

 

8月に今度はリーダーの結婚式があった。

結局叶わずじまいだったけれど、今年の4月頃にリーダーと奥さんとで北九州から私がいる新潟まで来たい、ぶっしーにだけは絶対に会って欲しい・きちんと見て欲しいというリーダーたっての願いで来たいと言ってくれていた。

リーダーは私の名古屋生活で一番近くにいた友達だった。

お互いの大変な時を知っているし、そんな時はお互いに愚痴ったり慰め合ったりはたまた黙ってただただ飲んだり、そういう時間をたくさん過ごした。

初めてリーダーの奥さんに会ったけれど(写真では見ていた)、写真以上にお似合いの夫婦だった。

リーダーも私のことを奥さんに色々話してくれていたんだと思う。

どこの女かもわからないような初対面の私に、まるでもう何年も知ってるかのような感じで会話してくれた時には、心が躍るくらいに感動した。

この時は、Gと式場で席が隣りになって、Gは当時の私の悩みごとに対して真剣に向き合ってくれた。

「どんな方法があるか一緒に考えるけん!」と言って、本当にどうしたらいいのかを考えてくれた。

最終的にGは「一緒にごはんに行って来い!それが一番」と言った。

Hさんとは結婚式前日の夜に待ち合わせて、音信不通だった頃のことも含めてそして今やこれから先のことも含めて、何時間も話をした。

最後がずっともやもやしていた離れ方だったから、その何時間という時間のおかげで過去も癒され、そしてこれからは気持ち良く不定期に細く長く繋がっていけるだろうと思った。

 

リーダーの結婚式後、Mちゃんとこれまた何年振りかに東京で再会した。

Mちゃんとの唯一の共通点は、一緒の時期にドミニカにいたということ以外何もない。

出逢った頃はMちゃんは「ギャル」と言ってもいい派手な格好と化粧で、なのに超キャリアウーマンで、アクティブで陽気で、本当にまるっと別世界の住人のようだった。

絶対にお互いに友達にならないだろうタイプなのは見てすぐにわかるぐらいだった。

だけど不思議だなぁと思う。

Mちゃんとはその後とても仲良くなり、相変わらず考え方も生き方も違うけれど、一緒にいて居心地のいい人というのはずっと変わらずにある。

日本帰国して何年にもなるけれど、お互いに近くに住むことはないのに(しかもMちゃんは仕事の関係で何回も引っ越しをしているし来年は海外に拠点を移して仕事をするらしい)、不思議とタイミングがきちんと合って何回か再会を果たしている。

そのMちゃんが今回会った時に、とてもうれしいことを言ってくれた。

私は多分初めてとてもパーソナルな話をMちゃんにしたと思う。

これまではしたくてもするような話の話題さえなかったから、だからしなかっただけだけれど。

その時にMちゃんが
「ぶっしーからそういう話聞くの初めて!なんかすっごく嬉しい!!」
と飛びっきりの笑顔で言ってくれた。

私の人生の中の出来事なのに、Mちゃんは自分のことのように喜んでくれてた。

それがただただ嬉しかった。

 

たしかGだったと思う。

縁ある人とは絶対に繋がっていくから、と言い切ったの。

一生のうち、多少行き来できるぐらいの近さに住んだのは、リーダーが一番長くて6年位、次にHさんが3年位、他の人たちとは長くて2年、短い人は1年以下だったりする。

さらにその時間の中で一緒に過ごした時間は、もっともっと限られてくる。

それでもどんなに遠く離れても、繋がる人たちとはこうしてずっと繋がり続けている。

今年再会した人たちとは、誰一人として「出逢おう」と思って出逢った人はいない。

どちらかと言えば、最初は仲良くなれるなんて微塵も思わなかった人たちの方が多い。

でもこうして縁あって出逢って繋がっている。

そしてどこで何をしていても、一生どこかで繋がっていくんだろうなぁと思う。

それが自然な感じがするから。





今年の一文字「逢」③ソウルメイト

Mちゃんとの出逢いは職場だった。

10数社不採用が続いた後、半年のニート生活を経て行った派遣先に同じように派遣でMちゃんが働いていた。

そこで9ヶ月働いた中で50人位の人と一緒に働いたけれど、今みたいにプライベートでも頻繁に会っているのはMちゃんしかいない。

自分の中で色々納得できないまま始めた当時の仕事は、もうとりあえず働けばいいぐらいの非常にいい加減な気持ちで始めたもので、何一つ期待していなかった。

むしろ働く意欲ゼロだった当時、行くのさえ渋ってしまいそうだった。

実際に行ってみたら、そんなにたくさん人がいるのに、人は良い人たちの集まりだったし、上司にも恵まれたし、仕事内容も最後の方はこれまでの私の人生の経験が存分に生かされるという派遣ではまず有り得ないような仕事内容に巡り合わせてもらった。

私のためにその仕事がわざわざ作りだされたんじゃないのかと思う位に適職な仕事が与えられた。

上司というのが、グループ編成を頻繁に変更するのが好きな人で、最低でも月に1回、多い時は月に2~3回あった。

それだけたくさんの回数グループ変動があるのに、Mちゃんと一緒のグループになったのは最後の最後、お互いにとても仲良くなってからのこと。

それまでは一度も一緒にならず、接点もなく、普通ならそれで関係が終わってもおかしくないような感じだったのに、縁ある人とは縁があるようにきちんと導かれてるんだなと思った。

それは1年前の初冬の頃ではなかったかと思う。

各グループから2名合計10数名、1週間ほど限定で窓口対応で特設会場に行くことになった。

私もその時は窓口対応で行くことになり、元々接客大好きMちゃんは立候補してまで窓口業務に参加した。

窓口も色んな業務があって、ある時数人しかやらないお客様対応でMちゃんと席が隣りになった。

その時が初めてMちゃんとまともに話をした時だった。

世間話的な感じの話しかしなかったけれど、話していて面白かったのと居心地が良かったのは覚えている。

私のところにお客さんがきて私がお客さんとやり取りしていた時のこと。

ふと隣りを見ると、Mちゃんが手首につけているパワーストーンのブレスレットを手のひらに乗せて、それをまじまじと色んな角度から眺めていた。

すぐ隣りで私はお客さん対応を大真面目にしている。

その横で自分の世界に入りきったMちゃんはパワーストーンを真剣に眺めている。

その状況があまりにシュールすぎて私は吹き出しそうになっていた。

実は超気になったけれど、何せその日が初めての会話だったし、何をどこまでつっこんでいいのかさっぱりわからなかったから、私は自分の見たものをそっと胸にしまった。

それ以降また隣りになることもなければ、通常業務に戻れば部屋さえも一緒でなかったから、Mちゃんとはそれっきりのまま時間だけが過ぎた。

ところがある日、Mちゃんと仲良くしている私と同じグループにいたNさんから、今度MちゃんとNさんと私の3人で飲みに行こうと提案された。

元々2人は一緒に行く予定でいたらしいけれど、ぶっしーもいたら楽しいんじゃない?となって誘ってもらえたのだった。

それで3人で今年の年明け早々におしゃれなイタリアンバルでおしゃれ女子会をして(←地元で行った店の中で一番おしゃれだった)、その後Nさんはちょっと今日は飲み過ぎた、帰る!と言って帰り、Mちゃんと私は別の居酒屋に移って2次会を始めた。

その時に初めてそのパワーストーンの時のことを突っ込んだんだと思う。

Mちゃんいわく、Mちゃんはそもそもパワーストーンを専門に扱う人から直接自分に合わせてパワーストーンを作ってもらっていて、そして私がそのシュールだなと吹き出しそうになった日の前の日というのが満月でパワーストーンを月光浴させたとのこと。

月光浴したパワーストーンたちは元気になったかな?と思って、その時仕事中だったけれどブレスレットを外して手に乗せて眺めていたとのこと。

ちなみに後にも先にも仕事中にそんなことしたのは、あの時1回きりだったらしい。

嘘みたいな本当の話で、なんとそのパワーストーンの話を皮きりにして、私たちは延々と自分たちの好きなものについて話し合った。

好きなもの・興味のあるものが似ていて、話が尽きることはなかった。

仕事を辞めてからも、月1くらいのペースで会っている。

いつ会っても新しい話をするのにお互いに興味は尽きないし、知りたいもの学んでいるものが似ているから、お互いに情報共有も事欠かない。

そして私は気付くと、相当自分の話をしている。

それも私が多分したのは、セラピーの時とあとはもう1人ないし2人ぐらいにしか話さなかったこと。

話すのがとてもためらわれるものでも、何なら話しながらぼろっと泣いてしまうようなものも私はMちゃんには話していた。

とても不思議だった。

そして私の過去の何が明るみになっても、Mちゃんは何ら変わらず私との時間を大切にしてくれる人だった。

この間のクリスマスイブの日も、Mちゃんと2人でランチ+お茶といういつものコースで遊んだ。

その時にMちゃんに聞いてみた。

「ねぇ、もし私と1年前の年明けの頃じゃなくて、それよりもっと前とかもっと後とかに出逢ってたら今みたいに仲良くなってた?」

「それ、絶対になかったよ!
やっぱりぶっしーと出逢うのは、あの時のタイミングで大正解で、あれよりも早くても私はまだ今の域に達していなかったし、逆に後だったらまた違ってたなぁって思うから」

Mちゃんが今の域に達していないと言ったのは、彼女の本業的な副業のこと。

Mちゃんは体に施すヒーリングを行う。

私は体のことはさっぱし知識がないけれど、心についてはスクールにも3年通えば自分も個人セッションを受けたり実際にしたりとあれこれやったから、その面で知ってることはある。

Mちゃんによって私は自分ができることを客観的に初めて知ることになったけれど、Mちゃんいわく自分のわからないことはぶっしーがわかるからぶっしーに聞けばいいと思ってる(笑)と言ってた。

この間のイブの時に、私はMちゃんに言ってみた。

「私この間会った後に初めて気付いたんだけど。

例えば、全然見知らぬ人がこういう状況にあってこういうことに悩んでるってざっくりと聞いたとするでしょ。

そうすると、その人が抱えてるものとかどういうところを現実の生活の中で取り入れていくと本人の気持ちが軽くなったり上向いたりするかとか、反対にどういうことに気を付けたらいいかとか、そういうことが瞬時にぱぱぱっと浮かぶんだよね。

そんなの私にとってはすっごい当たり前のことだったから何とも思っていなかったけれど、っていうかそういうことは普通にみんなもできるものだと思っていたけれど、それはある種の特殊な能力というか才能だということを、この間ネットで読んだ記事を見て初めて知った」

と言ったら、

「えー!?ぶっしー自分で気付いてなかったの!?
私てっきりぶっしーは気付いていたから私にそういう知恵やアドバイスをくれてるのかと思ってた。私はぶっしーはそれができる人って知ってたから、ぶっしーに聞いてたんだよ」と返された。

興味の方向性は同じでも、お互いにできること知ってることが違うから、MちゃんといるとMちゃんの良さ同様、自分のできることや強みも知れるようになっていた。

とにかく色んな話をしながらお互いの何かを分け合っているのは、回を重ねるごとに強くなっていく。

本当に縁のある人と出逢わせてもらえたんだなぁとしみじみ思う。

 

Mちゃんに出逢いのタイミングを聞いたのにはもう1つ理由があった。

2017年という1年を通じて、全てのことが寸分の狂いもなく起こっているというのは肌で感じている。

だけれど、自分ではそれを証明する手立てがない。

自分の中では全て、良きにしろそうではないにしろ、本当にその順番通りに物事が起こってくれなくてはいけないということがはっきりとわかっている。

ただ、たった1つだけ本当にそれはこのタイミングだったのかとか、何か自分のものすごい思い違いなんじゃないかと思うことがある。

それだけは全く自信がない。

自信がないから、私は秋からほぼ毎日のように自然に調べ物を始めた。

とりあえず知識だけでも先に入れようとした。

調べ物をすればするほど、自分の身に起こっていることと重なっていることがよくわかった。

それでも私の中の疑いは晴れず、いつもどこかで「これぜーんぶ自分の勘違いじゃないの?」と思うことも相変わらずある。

それでふとこの1年を振り返った時に、Mちゃんという子が自分の人生の中に今年から登場していることに気付いた。

それでその自信がないことに対しては確認の術がないから置いといても、Mちゃんになら出逢いのタイミングを聞けると思ってそれで聞いたのだった。

Mちゃんとの出逢いのタイミングが、私だけではなくMちゃんにとってもベストなタイミングだったとしたら、それはすなわちこの1年で起こった色んなことも総じてベストタイミングと結論づけられるかなと思ったから。

Mちゃんはもっと色んな理由でこのタイミングだったことをものすごくわかりやすく説明してくれた。

そしてMちゃんにとってもそれら全ての要因が重ならないと今に至れないことも言っていた。

だからぶっしーとは本当にこれ以上ないタイミングで出逢ってると言ってくれた。

それは同時に自信のないところも、多分間違いのないタイミングで引き合わされたんだと思えるよう、Mちゃんの質問の答えを聞いていて思った。

 

「ソウルメイト」というタイトルにしたのは、Mちゃんとの関係はまさにソウルメイトだと思うから。

「ソウルメイト」と言うと男女のロマンティックな関係を世間一般では指すけれど、そればかりじゃなくて同性でも魂の共鳴ではないけれど、何か奥深くで繋がっていると感じる人に出逢うし、そういう人は「ソウルメイト」になる。

Mちゃんとはまさに同性のソウルメイトというのが一番ぴったりな表現だと思う。

今年の一文字「逢」④愛あふれる再会

【Sさん】

Sさんとの再会は1年と3ヶ月ぶりぐらいだったと思う。

Sさんは私が名古屋にいた時に一番お世話になった年上の女性だ。

そして私に色んな生きる知恵を教えてくれ、どんな時も絶対にそばにいてくれた人だった。

今年のお盆、まだ三重のとある町に住んでいた妹家族を父と母、私の3人で訪ねた。

その時に私は1日名古屋に出てそしてSさんと会ってきた。

後からSさんに聞いたら、何せお盆の最中前日か前々日に連絡してそしてSさんと会える運びになったけれど、Sさんにとっても私の指定した日は最初都合が悪かったけれど、それが色んな風に物事が動いてあとは自分個人の用事を動かせばその日を空けられることになって、こうして会いたい人には会えるようになってるんだねと言われた。

久しぶりとは思えないぐらいにとても自然な再会だった。

Sさんは最後私が名古屋を出る時、まずは引き払うアパートに来てくれ、その後新潟に帰る時間までずっと一緒にいてくれた人だった。

何せほとんどの人に別れも告げずに出た名古屋だったから(本当に会いたい人・お世話になった人にしぼって最後会った)、最後の日そんな風に時間を作ってくれたSさんにはとっても感謝している。

Sさんは会って真っ先に私に「ぶっしーちゃん、何か(いいこと)あったでしょ?」と聞いてきた。

Sさんは相変わらず鋭いなぁと思いながら、その時の近況報告も含めてあれこれ話した。

Sさんは私の話を聞きながらそれをものすごく喜んでくれた。

そして「すべて順調だね。計画通りだね」といつもと同じように言ってくれた。

このSさんというのはすごい人で、私の人生の中で出逢った人の中で1番波乱万丈な人生を歩んでいる。

名古屋にいて引きこもってた時も、あれこれ大変なさなかも、どんな時も「ぶっしーちゃん、辛いだろうけれど大丈夫だからね!本当に大丈夫だからね!物事がたとえうまく運んでないように見える時も、それが本人にとって必要なことが起きてる、そういう大切な時なんだよ」とそれはそれは優しく伝えてくれた。

今年の夏以降は、本当にどうしたものかと思う位のことがたくさんあったけれど、そんな時もSさんはずっと遠くから、まるで目の前にいるかのように見守ってくれてた。

そんなSさんとこの夏に再会できたのはとても大きかった。

 

【おばちゃん】

秋頃、私の名付け親のおばちゃんから母経由である仕事が紹介された。

新潟県内なら知らない人はいないような地元優良企業での仕事だった。

父も母もそれはそれは熱心にその仕事を私に勧めてきた。

先行き不透明すぎる、そして不安定すぎる私を見て、それは親の心配ゆえの推しであったことはよくわかった。

だけど私はそれを頑なに固辞した。

その仕事に1ミリも興味もなければ、もし行くことになれば精神崩壊しそうなのは目に見えていたから、私はそれをとにかく断った。

父も母も激怒したけれど私がどうにも首を縦に振らないのを見て、最後はもう断るしかないと言っておばちゃんに断りの挨拶に出向いた。

私は行かなくていいと言われたからその挨拶には行かなかったけれど、私を知って紹介の話をしてくれてるのも知っていたから後日1人でこっそりとおばちゃんを訪ねた。

おばちゃんとの再会が何年振りかはもう覚えていない。

でも大人になってからまともにおばちゃんと2人きりで会ったのは、その時が初めてだった。

おばちゃんはただただ私が来てくれたことを涙をぼろぼろこぼしながら喜んでくれて、そして話してる間中、ずっとずっとぎゅっと手を握ってくれていた。

私の方が背も体もうんと大きくなったけれど、私も子どもみたいにわんわんと泣いた。

こんなにも自分のことを愛おしいと思ってくれる大人がいること、それだけで泣けて泣けて仕方なかった。



 

Sさんもおばちゃんも「愛」を体現した人たちだ。

「愛」ですべてをすっぽりと包み、持ってる「愛」を全身全霊で私に伝えてくれる。

そんな人たちに人生で出逢わせてもらえたこと、私はとーってもしあわせなことだと感じている。

今年の一文字「逢」⑤道標


―2017年10月14日
その日私は、うちから60kmほど離れた2つの大型ショッピングモールへ出かけた。

目的は秋冬服を探すため(結局買わなかった)。

1つ目の店では何も買わず、2つ目もさほど期待せずに行った。

行ってみてまず目に飛び込んできたのは、「あなたの目を見て書を書きます」的なその時限りのイベントだった。

さんざん迷った挙句、とりあえず仮に思うようなものが得られなくてもその金額なら許容範囲というところだったから、申し込んで書いてもらった。

どういうことを書いてもらいたいですか?というようなことを聞かれたと思う。

私は特に目的もなかったから、私を見て感じたまま書いて下さいとお願いした。

飾ってある書にはそんなに惹かれた言葉がなかったから、私はほとんど期待もせずにお願いした。

相手の年齢は忘れたけれど、私と1つか2つしか違わない男性だった。

普通同年代の男性からじっと目を見られたら照れて仕方ないけれど、その時は全くそんなことはなく、むしろ目を見て感じるものがあれば直接言葉にして教えて欲しい、そのためならどんどん見て下さい、という気持ちでいっぱいだった。

実際に3分ほどは目をじっと見られたのではないかと思う。

書いてくれた書は写真の通り。


 
絶対的な
意志の
強さは、
使命と共に
生き続けます。
納得を
追求して、
自分の心の人生を
 
このことは改めてブログに書きたいとずっと思っているから、ここでは当時言われたことを翌日携帯メモに書いたことをそのまま転記。
 
「絶対的な意志の強さがある。
それは絶対的だから、曲げたりできない。
先祖からなのか世代からくるものなのか、とにかく脈々と流れてるものから来ている絶対的な強さの意志。
そこに使命と繋がってるものがある。
自分の中の絶対を追求する、自分の中の納得を大切にする、もうそれ以外の生き方はできないし、逃げられない。
自分が納得できるものを追い求めるというのは、当然逆風も吹くし、敵対する人も出てくるだろうけど、とにかくがんばれ!
自分が納得するためにがんばれ」
 
この時の瞬間の言葉はものすごくよく覚えている。

自分の心に一言一句刻みこむように響き渡っていた。

色んな人たちから生き方について色んなアドバイスを教えてきてもらった。

だけどいつもどこかぴんとこないか全くぴんとこないかのどちらかのことが多かった。

この時本当に人生で初めて、自分の目指したいものがはっきりとわかった。

自分が納得できるもの、それを追い求めていく、そういう生き方をはっきりと言葉で言われて雷に打たれたみたいになった。

今のこのタイミングだからこそ、その言葉がまっすぐに自分の心に届くようになっていた。

 

―2017年12月2日

友達主催の命の授業的なイベントに参加してきた(未来の点)

この時のこともまた改めてブログに書き残したいと思っていることの1つ。

その時に私は何人かの新しい人と出逢ってきたけれど、その中でも2人の女性には心鷲掴みにされるような感覚で、「そんな風に生きたい!」と心底憧れた。

その2人に共通していること。

とにかく自分の思いをまっすぐ感じたままに発信していたこと。

心の中で思っていることと言葉を通じて外に出して表現していることに差異がなかった。

思ったこと感じたことをそっくりそのまま表現していて、その潔さや素直さ、シンプルさに心が痺れた。

もちろんそこに至るまでの葛藤なんかもたくさんイベント中に話してくれたけれど、今はそこを超えて自分の思いをまっすぐに発信している。

よく「素直になる」ということが言われるけれど、私はそれを体現している大人の女性を初めて見た。

私がありたい姿がそこにあった。

自分が目指したい生き方がそこにあった。

先に書いた10月14日の自分に向けられた書と、12月2日に出逢った女性たちの姿が1本の線で繋がった。

そして私はそのイベントの時にこれまでの生き方は嫌だ、「自分の中に出て湧いた想いを素直に受け止めて生きていきたい」と強く強く思った。