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2018年10月8日月曜日

振り返りノートの振り返り

10月3日(水)
少しずつ振り返りノートを再開しよう、そうしよう。

今日は30分にも満たない用事だけをあれこれ足すための外出をした。

その小さなお出かけで名前を見た。

コンビニでレジ待ちしてた一瞬の話。

レジ待ちしている時に名前が目の前1メートルぐらいのところにあった。

その家を出る前に少しだけテレビをつけた。

支度をしながら流し見してただけだった。

またそこでも出てきた。

あるフード系のイベントの告知で、今日は当日ではないから、その出店する食べ物は当然食べられない。

そうしたら17軒中3軒のブースだけ先行で宣伝兼ねて試食させてもらえて、その中の一つにまた名前が出てきた。

9月あたりから?お盆明けから?よく覚えていないけれど、とにかく名前や何か繋がりのあるものを日々いくつも見ることが増えた。

それは数が増えたけれど、距離はますます遠のいてる感じしかなくて、その矛盾に時々目をつむりたくなる。

心の中で感じることは日々色々ある中で、振り返りノートは今書かないとあとからはもっと書かないと予想した。

だから書ける今、少しずつ書いていこう、そう決めた。



10月5日(金)
昨日からの断捨離で過去のものたちが続々と現れる。

仕事中に書いたと思しきメモが目に入った。

88888キロを車の走行メーターで打ち出した日の陶芸家たちの言葉のメモも出てきた。

その人がいたことで意味のない風景が意味のある風景に変わって、そして奇跡をその場所で見た。

6月のことで、まだ3ヶ月ほどしか経ってないことに驚いた。

もっと昔のことみたいだった。



その後、ツタヤに映画を借りに行った。

一瞬、中学生の娘と母親の2人組とレジ近くですれ違った。

2人はちょうど入ってきたばかり、私はレンタルコーナーからDVDを持ってレジに向かうところだった。

女の子は体操着を着ていた。

「○○」と苗字が刺繍されていた。

今回が初めてではなかった。

別の時も、それは会社の制服だったけれど、同じように名前が刺繍されていた。

佐藤でも鈴木でもいいのに、どうしてその苗字なんだろう?っていつも見かける度に思う。



10月7日(日)
朝洗濯物を干した。

干しながらたかが数日前のことがとても昔のことのように見えた。

ここ数日、全く関係のないことばかりが頭をかすめるから、そちらを先に書いた。

振り返りはさらに後手に回る。

後手に回るうちに、もうそんなの書かなくてもいいんじゃないかと思ったり、こんなに当時のことが色々頭の中を駆け巡ってもそれは私だけで、もうこの先交わらないなら書くことに何の意味があるんだろう?、なんなら振り返りもしなくても困らないんじゃないか?なんて考えてみたり。

iPhoneの床下ダイブが起こるまで、私は振り返りノートをいつ書くか、そしてそのためにいつ1年前の日記を読むか、けっこう真面目に計画を立てようとしてた。

東京にいるとスケジュールがタイト過ぎて、どこかで意図的に時間を作らないとぽっとそのための時間が生まれることはなくて、それは30分もあれば良かった、そのための時間を作りたかった。

1年前の時間を、分刻みのごとく体に一瞬一瞬の記憶を残そうとしていた当時を、ゆっくりと振り返りたかった。

ところが、iPhoneダイブ事件で色々ぶっ飛んだ。

そして数日は現実的な対処に、他のことが頭を巡るからそちらに力を注ぎ、気付けばもう1週間以上経過して、あの時みたいには振り返れなくなっていた。

そして思った。

私の意識の向けどころが変わって(変わらざるを得なくなって)、これまでの意識とは一線を画すところがちょびっとだけ出てきた。

当時が薄れていくようなことがその人の日常だとするなら…。

薄れるならまだしも忘れ去られるのが日常なら…。

と思う方が普通なんだと感じた。

その人からは何も言われない、何も伝えられない、それがその人の答え…、それは言う必要も伝える必要もないというその人の判断と捉える…、そういうことも頭の中を駆け巡っている。

もちろん私側には色んな想いがあった。

本当にそんな気持ち、自分のどこに隠していたんだろう?と思ったほど。

色んな気持ちが引き出された。

そして38歳になっても初めて感じる気持ちってあるんだとビックリした。

私は自分の中で、もうこれ以上上はないという気持ちを過去に持ったから、それ以降というもの私はそれ以上を求めること自体無理だと思っていたし、もうその上なんか、上じゃなくても他の新しい気持ちを自分が持つことなんかは全く想像できなかった。

初めて人を好きになったわけでもないのに、初恋は何十年前ですか?状態なのに、私は38歳で「初めて」を体験した。

いい年した大人でいわゆる中年でいわゆる世間では責任とかを持つ年齢域なのに、全部ぶっ飛んだ。

結婚したいなら本気でやめた方がいい人だった(相手も独身だから不倫とかいう意味じゃない)。

結婚するには自分の意思だけじゃなくて相手の意思も要る。

その相手の意思なんて自分の方に向くとはとても思えなかったから、そんな不毛な領域に足を踏み込んだところで結婚はできないから、そういう意味で結婚したいならやめた方がいい人だった。

不釣り合い具合も気になれば、絶対に頭では選ばない人だったから。

積極的に近寄りたい人でもなかったし、自ら色々と話しかけたりするなんて全く考えていなかった。

条件とか社会的なものとか年齢とか、そうした諸々のものたちを前にしたら、私からしたらまず関わり合いになる人じゃない。

そういうものを考慮するなら、私は自分自身が圏外というか事故物件と呼んでもいいぐらいだから、そんな自分が相手にされるともはなから思っていなかったし、あまりに違い過ぎるから、たまたま仕事する場所だけが一緒の人でそれ以上の何かを見出す関係になるとは一ミリも思っていなかった。

そんなこと私がどうこう言える立場にはないけれど、その人なら私の何十倍と外見も中身も社会的なものも良い女の人と巡り会える人だから、そんな手が届きそうにもない人にわざわざ近寄るなんて狂気の沙汰だと思っていた。

だから、頭では最初から弾いていたし、わざわざ近寄って自分が痛い思いをするなんてことは考えたことさえなかった。

だけど、頭で計算してどうこうできる心や感情の動きではなかった。

頭で考えたらレッドカードどころか完全にアウトなのに、気持ちは止まらない。

自分ではどうにもできなかった。

だから、その人に対して感じていたものは、恋愛の好きとか、人が自分以外の誰かに感じる「愛」とか、そういうものを全部超越したような不思議な感覚だった。

そんなのこれまで感じたことないから「初めて」だった。

私にとっては初めてだった。

だから自分の気持ちも大切にしたいし、それを本当に本人もいるところで感じていた1年前の振り返りも大切にしたかった。

だけど色々すったもんだがあったから、頭はやたらと現実的になったし、そうなればなるほど実はあんなのは一時の迷いで、特に相手からしたら何だかよくわからないことに巻き込まれたけれどもう会わないからいいかと忘却の彼方に消えて無くなっている、と考える方が自然な気がした。

再会を考えるそのこと自体に無理があるのに、もしかしてそこは得意の想像でそっちに自分の気持ちを向けただけなんじゃないかと。

ごく稀に色んなことが鮮明になったり全く気にならなくなったりする時もあるけれど、ほとんどの時間は「これは何だったんだろう?」という疑問や疑念の方がとめどなく出てくる。

名前とかをたくさん見るのも、そんなのは私が意識してるからたまたま見るだけなのかもしれない。

流石に武士俣のようなレアさはないけれど、多分たまたま多く目にしてるだけなんだと思う。

意味なんか何もない…。

そう思う方が自然なことだとも思う。

そうやって考えて悲しくなって、でも心の中にはずっといて。

大きなため息が出てきそうだった。



何日か前に見つけたメモは、A4の紙を4分の1に切って糊づけしてメモ用紙にしたものだった。

メモを読むと、いつかの日に書いたブログの備忘録だったのかな…と思う。


・手紙を書かずにはいられない衝動→とても奇妙だった
・私の人生に現れてくれてありがとう
・人生のごほうび
・第一印象
・その近くに行きまくってたこと
・死ぬわけでもないのに、今伝えないといけないと思ったこと
・お互いに元気で毎日会えること
・オーラじゃないけど、その周りだけとてもキラキラしていたこと
・生きているうちに会えるってすごい
・目のキラキラ具合
・具体的な話は避けるけれど、運命のいたずらのように接触する機会がやってきた
・手紙を書くことも、手紙を渡すタイミングも、すべてペンジュラムが導いてくれたこと


私は普段ブログの文章を起こすために手書きでメモなんてまず書かない。

もし何か書き漏れても困らないし、それで自分も気になって仕方ないなんてことも絶対にない。

メモに日付がないからいつ書いたものなのかはわからないけれど、少なくともブログに書くことのメモとして書いたのは間違いない。

自分でわかっている。

その人のことを書く時、もしくはその人がいた人生のある場面を書く時、私はそれはその時にしか書けないといつも思って書いている。

時間も有限であれば、自分がその中で語る言葉も有限であれば、さらに自分の口から出てくる表現も有限になる。

何でもかんでも無限にあるわけじゃない。

だから今しかないと思って、そこにすべて書き漏らすことのないよう書きたいと思ってしまう。

特にメッセージ性の強いものは、今回出てきたメモのようなものは、絶対に落としたくない。

大げさに聞こえるかもしれないけれど、書いた後ぽっくり死んだとしても、書きたいことは書けた!と満足して後悔のない状態だけは作りたいと思っている。

無計画な私が唯一計画的に、そして1つの漏れもなくやり切ろう!というすごい稀な行動を自らしている。



もう過ぎてしまった9月。

振り返りをしたいという気持ちと、もしかしたらもう振り返りはしないかもしれないという気持ちとが行き来している。

日記も読んでいない。

振り返るなら振り返るで、きちんと振り返りたい。

中途半端にダラダラっと振り返るのはしたくない。

その振り返りは、ツタヤで体操着の名前の刺繍を見るような、そういうタイミングで成されることに近いと感じる。

その親子も歩いていたし、私も歩いていた。

だから広い店内でその親子とすれ違う可能性なんかものすごい低いわけで、しかもその子どもが体操着を着ていることも、さらには体操着に苗字が刺繍されることも、そしてその苗字がその人と同じ苗字なんて、ものすごい偶然だらけの中で成り立っている。

1秒の違いが、小さな選択が、先の未来を大きく変える。

だから、私がその人と出逢えたこともその中で色んな偶然が重なったことも、その体操着の刺繍みたいな可能性の話で、限りなくゼロみたいなギリギリのラインを縫って起こっていた。

ツタヤもこうだった。

たまたまツタヤの無料レンタルクーポンを手にした。

そして今日、1年前に亡くなったおじさんの一周忌で両親は法事に出かけた。

私は映画見ながら昼飲みしようと決めた。

そうしたことが重ならないと行くことのないツタヤだった。

しかも私は最初家から近い方のツタヤに行った。

クーポンをよく見たら、取扱店舗が決まっていてそこは対象外だったから、またさらに移動してその2軒目のツタヤでの話だった。

少し前に『君の名は』を見た。

シーンの中で一番やたらと脳裏に残ったのは…。

入れ替わった2人が互いのその入れ替わった時の様子を携帯のメモに入れて、元の自分に戻った時にそれを見て何が起こったかをわかるようにしていた。

それが未来が変わることで、今手元にある携帯メモがどんどん勝手に消えて行くシーンがある。

あそこのシーンが強烈に残った。

私がメモを残したり名刺を手元に置いておいたり仕事で使っていたノートを持ち帰って今も捨てずに保管しているのは、怖いんだと思う。

時々すごい変な感覚になる時がある。

本当に自分が通過した過去があったんだよね?あれは嘘じゃないよね?と起こったことさえも信じられなくなる感覚がやってくる時がある。

それが本当にあった、きちんと出逢えて同じ時間・同じ空間に存在していた、それを証明する手立てとして、私は3次元的な物質を手元に残しているのかもしれない。

自分が生きてそこにいたこと、その人も生きてそこにいたこと、生きて出逢えたこと、そして私はその人に特別な気持ちを抱いたこと、どれももう物体として存在していないから、だから私は名刺やノート、メモを置いて「確かにあった」と自分に証明しようとしてるのかもしれない。

2018年4月20日金曜日

特大奇跡がやってきた日【夜編】~出逢い~

2018年4月19日 夜
大学時代の友達Kちゃんからラインがきた。

Kちゃんとは年に数回やりとりはしている。

会ったのは最後数年前にKちゃんが名古屋に来てくれた時。

だからもう何年も会っていない。

その時はまだスピリチュアルな世界を知った初めてか2年目の年で、まだまだそんなことは誰にも言いたくない時だったから、当然Kちゃんにも黙っていた。

そういう匂いは当然1ミリも出さなかった。

元々私はそういう世界にすごく抵抗があった人だったから、そういう匂いを出さないことにはものすごく長けていた。

その時ももちろんそうした。

私は今回のラインをもらって知ったのだけれど、Kちゃんには3月で仕事を辞めるというのを前もっていつだったかに言っていたらしい。

だから4月に入って新しい仕事はどう?体大丈夫?みたいな内容になっていた。

最初迷った、何て返信しようかと。

Kちゃんは少なくともこの数年私が派遣の仕事を中心に職を転々としてるのは知っている。

それについてどうこう言う人でも思う人でもないからそこはどちらでもいい。

私にとってKちゃんに本当のことを言いにくいと思っている最大の理由はそれじゃない。

Kちゃんは臨床心理士をしている。

もうかれこれ10年はその道でやっていると思う。

大学の時に心理学を専攻していて、その後少し社会人をした後に大学院に入り直してそれで最終的に臨床心理士を取得してその後からは現場で働いている。

私は大学時代のKちゃんも知っているし、勉強が大嫌いなのも知っている。

Kちゃんは大学院時代のことも「これが本当に人生で最後の猛勉強だからやるけれど、もう二度とはやりたくない」と何度も言っていた。

そして心理学専攻の大学院の同期たちを見て「本当にああいうところに来る人って変な人たちばっかりだよ。自分も含めてこんな人たちが心の専門家になっていいものかと本気で疑う」と真面目に言う人で、そんな人が心の専門家だなんてとってもいいなぁと思っていた。

それはさておいて、それこそバリバリの理論をきちんと学んでその上で実践を積んでいるKちゃんからしたら、私のペンジュラムとかカードとかその他よくわからないことたちがどんな風に映るのかと思ったら、それはものすごい怖いことだった。

誰よりも言いたくない人と言ってもいいぐらいだった。

でももういよいよ誤魔化せないぐらいに自分の気持ちの方が固まりつつある。

これから先、どの時点で本当に始動してそれで本当にやっていくのかいかないのかは時間の問題だと思う。

仮に仕事にしなかったとしても、もう私の中では一生付き合っていくテーマだから隠すのは難しい。

さらにずっとずっと今後も付き合いが続くとなれば、なおさらいつかの時点では告白しないといけない。

最初また適当にごまかして返信することも考えたけれど、もういつまでもこんなことしてられないと思って、私はとうとうKちゃんに今の自分の状態を告白することにした。

もうどう思われてもいいやと思っていた。

そうしたらKちゃんから返ってきた返事はどこまでもやさしかった。


「確かに。目に見えないものは賛否両論を受けやすいし、胡散臭く思われることもあるけれど、それで救われる人がいるのも事実だよね。そういう才能を悪用する人もいるけど、震災後に出会ったエンジェルリーディングができる方とかは、誰かの苦しみを和らげるために、その才能を使ってくれてるんだなぁと思ったよ。史子のことだから、きっと史子もそういう感じなんだろうね(^^)
どんな道に進むにしても、史子が決めたことなら応援してるよ!!
色々軌道にのるまでは大変なこともあると思うから、とにかく体には気をつけて。
あとはあれだね。才能があるがゆえに、色々分かり過ぎてつらくなったり、疲れてしまうこともあるみたいだから、史子のバランスを大事にしてほしいよ。
話してくれて嬉しいよ(^^)
ありがとう」

 

何て素敵な人なんだろうと思った。

Kちゃんが素敵な人なのも、長女で第一子の私からして私のお姉さんみたいな感じになってくれてるのも、ずっとずっと知っていた。

だけどこのスピ全開の私をどう受け止めてもらえるのかは本当に自信がなかった。

Kちゃんを疑うって言うよりも、もし受け止めてもらえない時に自分が受けるだろうショックの方が嫌で、要は自分自分で自分を守るためには黙っていた方が楽だと思っていた。

でもKちゃんを見ていて気付いた。

私は本当の本当に人にはものすっごい恵まれている。

人運だけは最強だと思っている。

結婚運や男運、金運とかそういう世の中でみんながお金を払ってまで祈祷なりお守りなりを買って高めるような運は、私はそういうものを一切していないせいか大凶状態になっている(苦笑)。

だけど、人運だけはものすっごく、もう大吉どころか有り得ないぐらいの運をもらっている。

私の人並みにあるかどうかもわからない人の良さや人徳なんかでカバーできるような運のもたらされ方じゃない。

私の最高に良いものを最大限に出しても全く足りないぐらいなのに、人にだけはびっくりするぐらいに恵まれている。

よくぞ私と友達でいてくれますね!というレベル。

 

しかもKちゃんは私のペンジュラムにも興味を持ってくれて、1つ私にお願いをしてくれた。

Kちゃんの友達でもう長年体調不良の子がいるとのこと。

もし何か癒しになるようなことを知っていたら教えて欲しいと言われて、私は2つ返事で引き受けた。

悪いことはしないから、私の実験にも協力してもらおうと思ってる。

私の実験というのは、ペンジュラムを使ってその人の癒しには何がいいかを聞いていく。

それを今色んな方法で聞き取る練習をしているから、それをさせてもらおうと思ってる。

4月に入って世の中の流れから離脱してから、よくわからないメッセージをキャッチするようになった。

私の場合はあくまでも誰か目の前にいる場面限定でやってくる。

目の前というのは物理的に目の前にいなくても良くて、今回なら今回でどういう人へ向けてのメッセージかというのが特定できていればそれでOK。

だからKちゃんの友達でどういう症状かということしか知らないけれど、情報としてはそれで十分。

そして「何か癒しになるようなこと」が知りたいというKちゃんの前向きな気持ちもいい。

ペンジュラムもぐるぐるとYESに回るから、多分あれこれ聞いたらヒントを教えてくれる。

しかも今何もしていないのが幸いで、その後疲れてもすぐに休めるのはありがたい。

完全に不慣れなことをしているから、多少体の調子が変わるらしく、その後いつも疲れる。

多分慣れてきたら体も順応するだろうから一時的なものとして見ている。

それを試すのにとても貴重な機会だから、とりあえずペンジュラムにあれこれ聞いてみようと思っている。

しかもペンジュラムに聞くにあたって、私は自分専用の聞く資料を作ろうとちょうど思っていた。

毎回頭に浮かんだまま聞くよりも、ある程度内容を一斉に網羅しておいて、そこに答えがあるかどうかを聞く方が効率的だなと思ったから。

この間もオルゴナイトの関係で、特定の感情を特定していくことをペンジュラムを使ってしたけれど、その時に咄嗟に思い付いた感情が4つほどしかなくて、それで感情をできる限り挙げたシートが欲しいと思った。

以前作ったものとそこにプラスしてもう少し足したら、とても良い質問シートに仕上がると思う。

そうすればもっときちんと聞きとれるし、特定する際にももっと細分化して聞けるし、そしてそれは情報をもらう人にとってもより細かなヒントになるからいい。

今回はまた別のお願いだったから、またまた別の質問シートを作ろうと思っている。

毎回限られた脳みその範囲で考えるのは大変だから、それを助けるためのシートという感じ。

とりあえず最低限のシートを用意しておけばそこから何かしら読み取ることができる。

そこに答えがなければ、その後は限られた脳みそを使って考えたらいい。

ちなみにこういう時は考えていない。

ふわっと思い付く感じ。

だからそれはそれで今後も大事にしたい。

自画自賛だけれど、こういう思いつきもすごく好きだなと感じる。

自分のことだけじゃなくて、それがしいては自分以外の誰かのためにもなるというのはとっても嬉しいこと。

オール1の子ども時代や完全なる引きこもりで社会から離れた13ヶ月の時間というのがあったから、自分自身が誰かのために動けるというのは私にとってすっごい喜びになる。

 

というようなプレゼントまでKちゃんからもらった。

本当に話して良かった。

話したからこそ見えてきた世界で、そして新たなヒントがもたらされた。

私にとってもありがたいばかりで、喜んで明日取り組みたい。

 

もう1つ今日はうれしいことがあった。

ハローワークに行く直前に郵便が届いた。

その中に数日前に注文した海部舞さんの本があった。

本体価格1円+著者のサイン付き+状態は非常に良い、さらにはポイントが使えて、トータルで送料込で171円だった。

しかも振込手数料0円で、コンビニでささっと払って終わった。

その本が届いた。

本当に状態はすっごく良くて、サインもついていた。

書き込みゼロで私は思う存分自分のペースで読める。

それだけで涙ものだった。

さらには送られてきたお店は、私が名古屋で最初に住んだ町と同じ区だったという偶然。

もう長くなるからここには書かないけれど、今私の手元に集まっているものたちには面白いストーリーや共通点がある。

今回もそうだった。

 

特大奇跡の今日、私は思った。

「この道で合ってる」って。

だからすごいシンクロも、ありえないような出来事も、そしてありがたいこともたくさん起こる。

それはもう私ががんばってるからじゃない。

そういう道ですよ、といつまでもうだうだぐだぐだしている私に優しく道を示すために起こっているような気がしてならない。

私は今本物の奇跡を見ている。

本当にありえないほどたくさんの奇跡を見ている。

私は知っている。

その奇跡の始まりがどこだったのか。

もちろんその前にもたくさんあったにはあった。

だけど確実に起き方が大きく変わったのは、1年前の6月のある時から。

そう、たった1人の物静かで何を思って何を考えているのかさっぱりわからないのになぜかすごいオーラを発していた人、その人に出逢った時から何かが大きく変わり始めた。

その人が私の人生に登場したことで、何か磁場みたいなのが変化を遂げたんだと思う。

ホロスコープ鑑定でも言われたことだった。

「運命的な出会いを意味する星の配置はありました。史子さんが感じている魂的なご縁で、史子さんのスピリチュアルな能力、過去世の能力を触発する感じの星の配置もあります。」

今ますますその時の言葉が身に沁みてわかる。

自分がその力を出してもいいと自分に許可すると、ますます開いていくのはわかった。

多分これからもっともっと向上していくと思うし、使い方さえ間違わなければ良い方にいくと思う。

でもそれって結局何だったのかと色々突き詰めていくと、やっぱりその人が絶対的なきっかけになっている。

これは私のものすごい妄想で言うのも恥ずかしいぐらいだけれど、でも多分当たっていると思う。

その人とはもう会えないのかもしれないしまた会えるのかもしれない。

もうこれだけ色々起こっているから、本当に縁があるとするならば、再会してもなんらおかしくないと思う。

これは何度か思ったことがある。

で、ここからは妄想の話。

妄想だけど、多分おおかた内容としては間違っていないと思う。

もし、もし、その人と私が普通に付き合おうみたいに去年なってたとしたら…。

これだけは断言できる。

私はここまで自分に向き合うこともなかったし、

ペンジュラムもここまで力を発揮するようにはならなかったし、

自分の持っている力に気付くこともなかったし、

自分の本名をさらしてでもこういう色んな情報を発信しようなんて思わなかったし、

ホロスコープにも出合わなかったし、

人のために自分の持ってる力を提供して癒しを起こすプロの人たちも逢えなかったし、

オルゴナイトと出逢うこともなかったし、

今ある色んな道具や本も手にすることがなかったし、

過去に身に付けた色んな知恵をもう一度復活させることもなかったし、

新たな読み取り技術も手にすることがなかったし、

そして何よりも「自分自身を生きよう」と思うことがなかった。

だからこれだけの距離や突き離しが必要だった。

だって普通に付き合えてたら、私なんかはものすごい専業主婦願望が強いから、せっせせっせとごはんを作ったり家を整えたりすることを喜んでしたと思う。

元々そういうことをするのもすごく好きだから、ましてやそれを自分の好きな人にできるなんていうのは私からしたら夢のような話で、ホロスコープなんて読み解いてる場合じゃない。

おいしいごはんを作るのに時間を割いてた。

感情のシートの進化バージョンを作ってる場合じゃない。

部屋を整えたりそこに置くものを探しに行くのに夢中になってたと思う。

別に結婚とかそういうことを言ってるんじゃなくて、一緒にいる時間を想像すると今していることはひとつもしなかっただろうという意味。

一緒にいるために必要なことしたいことを全力でやっただろう自分が思い浮かぶ。

さらにはブログなんて書かなかったと思う。

ブログよりももっと他に書きたいものがあるから。

もしくはもっと別の何かを2人のためにしたいとそちらにエネルギーを注いだことだと思う。

そう思うとよくできてるなぁと思う。

私にとっては、この別離は本当に辛かった。

辛くて苦しくてそれ以外の何ものでもなかった。

しかももう生涯を通じて会えないとなった時、私はそういう気持ちをどうしていいのかわからなかった。

だから今ここまでくるのに私を突き動かしていたエネルギーが何かと言えば、その人への気持ちとそれが届かなかったことに対する切なさとそしてもう会えないという究極の寂しさだとわかる。

あまり記憶にないけれど、遠くに離れるとわかってから実際に本当に会えなくなるまで私はもう何週間にも渡って毎日泣いてた。

涙が止まらなくてどうしようかと思ってた。

これから仕事に行くって時でさえ、車の中で号泣しながら仕事に向かってた。

いなくなってからもさらに涙は流れた。

どれだけ泣いたって現実はどうにもならないのに、そんなのおかまいなしに涙はひたすら出た。

まじめに自分が異常だと思ったのはそういうこともあったからだった。

どういう人かも知らないのに私バカじゃないのとさえ思った。

そこからもがき苦しんだ末に今のところに辿り着いた。

決して「自分を活かしたい」なんて最初からそんな崇高な精神を持ったわけじゃない。

その反対で、もうどうにもこうにもできなくて、そのどうにもこうにもならないことに目を向けるのがあまりにもしんどかったから、だから私は徐々に自分の方を自分の人生を見るようになった。

だから私にとっては本当に縁のある人だった。

こんなにもただいるだけで私の人生を変える人なんて過去に1人もいなかった。

ましてや本人はそのつもりも自覚もないだろう。

なんだったらもし今目の前にいてそうだったと伝えても、それさえも受け止めてもらえない気がする。

だけど確実に私の人生はそこから大きく方向が変わった。

もう自分でもどうにもできないぐらいの力が動いていた。

それを私の人生にもたらしてくれた人だから、そういう意味でもとても感謝している。

もう会えなかったとしても、多分生涯を通してその人には感謝の気持ちを持ち続ける気がする。

会えなかったらあの世に行ってから「ありがとう」と言おうと思ってる。

出逢いってすごいと思う。

相手に何かをしてあげて影響を与えるというのもすごい。

だけどある意味何もしなくて、ただ存在があるだけで、それで誰かに影響を与えるなんてもっとすごい。

だから私にとってはその人はただただいるだけでいい人だった。

別にその人が無口だろうが、自分の気分次第で相手に冷たくなろうが、人に心を開かないことを徹底していようが、そんなことはその人の性質の一部でそれでマイナスになることはない。

それも全部含めてその人だから。

だからその人がどんなに冷たくしてこようがどんなに避けたそうにしていようが私にはそういう意味で大きな影響はなかった。

心はぐさぐさとなって流血しまくりだったけれど、それでもその人はその人のままだから、うまく言えないけれどそんなことはあまり関係なかった。

その人がどんな風でもその人を大切に感じる気持ちは常に同じだった。

それよりもそんな状態なのに影響を与えまくるその人そのものがすごかった。

そしてそんなすごいものを私の人生にもたらしてくれたその人は、また違った意味での救世主的な役割の人だったんだと思う。

私をとことん自分の人生に向き合わせるための一番の起爆剤になった人なのは間違いない。

そしてどんな姿を見せられてもそれでもその人が大切であるという、そういう気持ちを教えてくれたのもその人が初めてだった。

本当にすごい人が自分の人生に現れたと思った。

そんな人忘れたくたって忘れられないから、だから私はもうそういう自分の気持ちとうまく付き合っていく方法を模索することにした。

とにかく、このすべての奇跡たちの源は、まちがいなくその人との出逢いに起因している。

そして心の中のお守りじゃないけれど、その人の存在があるからこそ私は今自分がそれでも立ち続けて歩き続けているように思っている。

私の生きる、命を日々紡ぐモチベーションになってくれてる人。

2018年4月11日水曜日

看板と声

1時間半ほど出かけて帰ってきたら、電気工事をしてた。

電信柱の入れ替え作業らしく、10人ほどの作業員の方が動いてた。

家の前の駐車場に車を止めるため、いつも私はうちの前を通り越して隣りの家の前まで車を出して、そこからバックして入れる。

「電気工事中」の看板が二軒隣りの家の前にあって、やたらと見慣れたマークがあった。

世の中には似たマークもあるもんだと思ってよく見たら、なんと3月までいた派遣先の会社の親会社だった。

ビックリした。

わざわざ写真を撮って、思わず仕事で仲良くしてたSさんにまで送った。

そもそもその会社の詳細な事業など何も知らずに私はずっといたから、まさかそんな電柱の交換までしてるなんて寝耳に水だった。

こんなところでそもそもその会社のマークと社名を見たことにも驚いて、1人でしばらくポカンとしてしまった。

その外出も終わってみたら何しに行ったんだろう?というものだった。

隣りの市の図書館にもしかしたら占星術の専門書があるかもと思って見に行った。

結果それはなく、途中で別の図書館に行くことも考えた。

だけど面倒だなと思って、チョコとか甘いおやつをスーパーで見て帰ろうと決めてそうすることにした。

スーパーは2つ候補があったけれど、ペンジュラムは確実にスイーツが充実してる方じゃなくて、この辺りではたくさんチェーンを展開してる方のスーパーを指した。

その時にふと、「たしかに、もう1つの方に行ったら、ついでにこれもしてあれもして…とかやり出すかも。今その気分じゃないから、おやつだけ見に行くのには、その方がいいかも」と思った。

予定通りおやつを見て他に寄り道はせずにまっすぐ帰ったら、その電気工事の看板に行き着いた。

家を出る時は全くその様子がなかった。

工事の人なんて誰もいなかったし、何なら看板さえ出てなかった。

そして工事はその1時間後ぐらいには終わって、撤退してた。

そしてその頃には雨足がもっと強くなってみぞれが降り出すのかと思うほどだった。

私は看板を見るために出かけたんだと思った。

なぜなら午後の遅い時間のような雨が朝から降ってたら、まず私は出かけなかった。

それなら間違いなく1日中家に引きこもりコースだった。

電気工事は音がうるさかったから、やってることには気付いても外には出ないから看板なんか目に入ることは絶対になかった。

あくまでもあの時間にピンポイントで出かけて、そしてスーパー1軒分だけ寄り道することが大事だった。

それ以上フラフラしてたら、もう工事は終わってた。

さらには図書館に本がなかったのも良かった。

実は1冊だけ見たい占星術の本があった。

だけど、それは残念ながら貸出中で見れなかった。

もしあったら私は絶対に手に取って大事なところをメモしたと思う。

そうできるように、ノートから自分のホロスコープ鑑定書から色々リュックに詰めて行ったから。

でもなくて、他の本たちは全く使えなくて、それでさっさと退散した。

看板は、たしかにたかが看板でしかなかったけれど、私には超重要な看板だった。

その看板を見て、ある人が元気ということだろうと解釈した。

何の根拠もないけれど、こじつけもいいところだけれど、普段見ることのない看板に、まさかの会社の名前があって、それ見て連想するものは私には1つしかない。

本当に元気かなんて全く知らないけれど、元気ということにした。

そんな小さな出来事がとても嬉しかった。

今日1番の嬉しいことだった。


なんとこんなに寒いのに(多分今10度以下)、もうカエルが鳴いている。

夏が近付いてる。

もう1年になるんだ。

何にも知らずに飛び込んだ先には出逢いがあって、その時からそろそろ1年になる。

もし、「人生に奇跡をプレゼントします、何がいいですか?」と聞かれたら、「あの人の隣りにいさせてください、そしてもう一度声を聞かせてください」ってお願いしよう。

今の今、自分の今年のテーマについて調べていたら、音のプレゼントのような話が出てきた。

もちろんそれはたとえ話だけど、その音のプレゼント的なものの例として「愛する人の声」ってあった。

その言葉を見てパッと出てきたのは、その人の声だった。

私が全神経をとがらせて、耳の穴をよく開いて、周りのごちゃごちゃした音に対して「うるさーい‼︎」と思いながらもとにかく一生懸命聞き分けていたあの声。

あまりにも無意識にそれをやっていて、そんなことしてるって気付いたのはいなくなる少し前だった。

数年前、脳科学の分野で活躍してるすごいおじさんに会わせてもらったことがある。

そのおじさんが人間の潜在意識や細胞に働きかけるのに1番良いのは耳だと教えてくれた。

耳だけは24時間休むことなく動いてるでしょ、って。

たしかに私はあの声を一生懸命聞いて、ひたすら自分の癒しにしてた。

聞いてるだけで何だか心地よくて、私の意識はそんなの全く気付いてなくても、いつも自然に耳を超ダンボにしてその声をキャッチしようとしてた。

いなくなるとわかった時に、真っ先かその次ぐらいに「もう声、聞けなくなるんだな」と思った。

それはいなくなることで生じる寂しいことの中でもベスト3に入る寂しいことだった。

私はそれまで一度も誰かの声が好きだとか聞いてて落ち着くとか、そんなの感じたことなかった。

森山直太朗の声は好きだけど、それは意味合いが違う。

直太朗がトーク番組に出てても、私は直太朗の顔や表情や話す内容には目を向けるけど、普段の声はよくよく思い起こせば気に留めてない。

なのにその人の声は違った。

その声は私が全神経を使って聞き取るぐらいの、何だかよくわからないけれど、すごい威力のある声だった。

ちなみに最後の時の声は、もう忘れたいぐらいに冷たい声だった。

この時ばかりは絶対音感が恨めしかった。

絶対音感があるおかげで、声の高低具合は多分人よりもキャッチできる範囲が広い。

塾勤めの時、私は子どもの顔が見えなくても声の感じでその日の調子や電話越しの感じを感じてたぐらいだから(それで具合悪いフリしてもバレると子どもたちは知って、休みたい時ははっきりと「休みたい」と言うようになったぐらい)、それぐらい声のトーンのキャッチ力は高いと思う。

だから最後に交わした挨拶は、声も表情もまとってる空気も、全身で拒否してるみたいな感じで本当に悲しかった。

書いてたら悲しい話になってきた 汗。

それじゃなくて、もう一度声を聞かせてください、が叶えてもらいたいことなんだった。

もちろん、そんな聞いてて悲しくなる声じゃなくて、あの癒しのトーンの方の声。

生きてるうちに叶わないなら、せめてあの世に行ったら聞かせてください、それぐらいにもう一度聞きたい。

2018年4月2日月曜日

愛おしい人

3月の後半はある1つのテーマに的を絞ってブログを書いた。

私側から見えていた景色を、私の心情を、ひたすら言葉にして綴った。

4月から何も決まってない私のことを案じての、私にしては珍しく事前準備的なことをした。

多分4月以降のブログは自分のことを中心に綴ることになると思う。

不器用な自分のことだから、全てにおいて色んなことを幅広く書ける余裕なんかないと思う。

良くも悪くも一点集中。

となれば、3月の後半に集中的に書いていたことは多分もうあまり書かなくなる気がした。

純粋にそこだけに集中して書けるのは今だけかもと思って、それで書いていた。

私が書いてた理由はただ1つで、それがどんな形であれある1人の人に伝わったらいい、本当にそれだけの理由で書いていた。

当初そんなこと書いてどうする?というのもあったし、そんな個人的なことを公にしてどうする?というのもあった。

だから決して積極的に書きたいと思ったことではない。

むしろ自分の胸の内にだけそっと大切にしまっておきたかったことだった。

だけど、もし、万が一の可能性を思う時、これは書く必要があるというのもわかってた。

書く必要というのは、そうでもしなければ伝わらないことだから。

私が私の中だけに納めておいたところで、これは伝わって欲しい人には伝わらないから。

だから書く、とりあえず発信するという選択肢を選んだ。

私の中ではもうこんな状態を半年近く過ごしてみて、薄々気付いてる。

どこで何をしていようと、その人はいる。

私の中にものすごく明確な存在感を示して居る。

4月から自分のことにいよいよ忙しくなっても、それは変わらないだろうなと思ってる。

表立っての表現こそ激減しても(もしかしたらゼロ)、それは居なくなったとか気にならなくなったとかではなく、むしろ居るは居るけれど言葉にしなくなっただけ、そうなる気がする。

いよいよもうその人の存在を全く知らない日々に入った。

これまでみたいに、人づてに元気だとか生きてるだとかそんなことさえも確認できなくなってる。

もうこのまま何も知らずに何も交わらずにそれぞれ寿命が来たら死んで終わるのかもしれない。

もう人生で二度とは会えないのかもしれない。

すでに私の中にはたくさんのあきらめもある。

色々わかってきた今でさえも相変わらず変だと思う自分もいる。

この間、何かの記事を読んでたら「三次元的(俗世的な価値観という意味だと思う)な感覚ではとても変な関係です」と書かれているのを見てものすごく納得した。

「結婚」したいならどう考えてもさっさと次の出逢いに向けて始動したらいい。

ここにいつまでも執着したところで未来の展望は一ミリも抱けない。

頭で考えたら何1つ発展性のない、むしろ心のストーカーかと思わんばかりの状態で、痛いことこの上ない。

そういうことを考え出すと訳が分からなくなるから、私は考えることも放棄してるけど。

多分そういうことではない。

一度人生に現れてしまった以上は、多分生涯を通じて私の中に普通に居る人なんだろうなぁと思って見てる。

今でも妄想の世界かと思うことも多々あるし、普通におかしいと思うこともある。

だけど多分出逢うべくして出逢った人なんだろうなぁと思う。

そしてその人が私の人生に現れたことで、私はもっともっと自分の内面に向き合うことになった。

その人が何してるわけでもないけれど、否が応でも何かのスイッチが入ったようにそうなる。

その人の存在は不思議そのものだった。

こんなにも言葉を交わしたことなく、相手のことで知ってることもほとんどなく、とにかくないない尽くしなのにその存在そのものに惹かれて仕方ない。

外見に惹かれたのでもない。

内面は外に表れてる一部、例えば仕事の姿勢とかしか知らないから、それさえも知らないと言ってもいい。

何に惹かれてるのかもわからず、そしていなくなったらますます存在感がでかくなって私には混乱の他の何物でもなかった。

そのうち顔とか忘れるんじゃないかと思わなくもない。

完全に自分だけの気持ちがでかくなって、それ妄想でしょ!と自分で自分に突っ込むこともある。

だから俗世的な価値観で判断すると、はっきり言って狂気の沙汰だと思う。

2月にホロスコープ鑑定で魂的な繋がりの人ではと教えてもらっても、私はぶっちゃけ魂的な繋がりより普通の一般的な人間関係の方が欲しかった。

だって私は普通に生きて普通に生活を送っているから、そんなよくわからない魂的な繋がりよりも普通に友達でも同僚でもいいから、ちょっとご飯行く?飲み行く?みたいな感じで良かった。

もちろんそんな軽いノリで行けるような感じではなかったけれど、この答えも形もないなのに何だか強烈な影響力だけがある、本当に意味不明な何かは望んだものではなかった。

そしてもっと言うと、自分のこの異常なほどの執着具合も自分で嫌だと思ってる。

執着というか、どうにもできない感じなのに、何をいつまでもネチネチと…と思わなくもない。

書いてるとネガティブな話のオンパレードになってる。

そんなことじゃなくて話の軸を戻すと。

もし本当に魂的な繋がりとやらがあって、そういう繋がりの人であるなら、本当は出逢えて再会できて嬉しいが正解。

三次元的におかしくても世俗的にずれてても、ただただ真っ直ぐな気持ちで相手を感じて相手を見るのが魂的な繋がりの中では普通なんだと思う。

そして存在が消えなくていつも心の中にいて、意味もわからず大事だと思うその感覚は、もしかしたら一生モノかもしれない。

思考が働き出すと気持ちが揺れるし、あまりにも自分の中の「普通」とズレ過ぎていて全力で否定したりいい加減あきらめたらと思わなくもない。

だけど、そうではなくて、本当に純粋に感じてるところだけを真っ直ぐ見据えると、相手の人はただただ大切で、その存在そのものが尊くて愛おしい。

そんな感じ。

現実的な状態とかは大人だから考えてしまうけど、そんな状態とかさえ超えてしまう大切に思う気持ちを相手の人は私にもたらしてる。

大人な私は「そんな風に思ってどうすんの?」と思う。

だから私が相手を想いたくて想ってるというよりも、そういう誰かを大切に想う気持ちを相手からもたらされてる、と考える方がより正確に表してると思う。

おなかが空く感覚とか、緊張して胸がドキドキする感覚とか、心臓がいつも自分1人で動いてる感覚とか、そういう自分ではコントロールできない感覚に似てる。

その人に対してのものも自分でコントロールできない。

本当はそんなすごい人に出逢えてたんだって最後まで伝えられなかった。

手紙は書いたけど、書ききれなかった色々を今さらこのブログに書いて発信してる。

届く可能性なんてないに等しいのに、私はその時だけは魂的な繋がりがあるなら、数々の意味不明なこと同様、届くこともあるんじゃないかと思ってる。

だから書く。


もし生きてるうちにその人が私の人生に再び姿かたちを持って登場したら、その時はどれだけ大切な人なのかをきちんと伝えよう。

恥も外聞も捨てて、真っ直ぐに自分の気持ちを伝えよう。


この文章のタイトルをどうしようかと思って、そのまま出てきた言葉をつけた。

ものすごい恥ずかしいタイトルだけど、恥ずかしさを取り払った向こう側にはその言葉の気持ちがピッタリだと思う。

2018年3月27日火曜日

机の中のお守り

仕事の机の中に「お守り」として1枚の名刺を入れている。

いつからそれを始めたかは忘れたけれど、けっこう早い段階でその名刺をいつも目にする位置&1日に最低でも2回は開ける引き出しの中に置いている。

指サックを毎日使うから、それを出し入れするところの角、引き出しを開けたら必ず目に触れる場所に置いている。

その引き出しには他にも、メモ帳・定規・付箋・仕事の大事な資料を入れているから、1日に少なくとも5回は開ける。

名刺だから名前を見るだけでしかないけれど、この名前を見るだけでも気分は全く違う。

そして唯一名刺の主からもらった形あるものだから、それはそれは大事にしている。

名刺にパワーがあるわけではないけれど、この名刺には何度も救われている。

職場の人間関係で本当に参った時は、その名前を見ていつも元気をもらってた。

用事もないのに引き出しを開けて、名前を見て(それだと怪しいから付箋とか何か適当なものを出すフリをする)、ホッと癒されて、元気もらって、それでその時をやり過ごすなんていうことをしてた。

朝仕事に就いたらまずは挨拶じゃないけれど名前を見て、1日の終わりにもまた名前を見る。

はじまりと終わりに必ず目にする。

それをこの仕事の9割近い期間そうしてた。

今となれば肩書きも所在地も変わって幻の名刺になったけれど、私にとっては唯一無二のお守りのような存在になっている。

今日6連休明けに仕事に行って、改めてずっとこの名刺にパワーもらってたなとしみじみ思いながら、いつもと同じように眺めてた。

朝車を運転しながら、仕事を辞めたら本当に消息がわからなくなるな…と思ったら寂しくなった。

大した情報じゃなくても、どうやら元気らしいことは人づてに聞いてたから、それさえももう終わりなんだなと思ったら、いつもの風景さえも愛おしくなった。

お昼休み、半年前の今日と同じ場所に出かけた。

そこは私が自分の行動を決めるのに、動くかもう一切何もしないかを決める、その賭けをした場所でもある。

半年前の今日書いた日記を読んだ。

その頃はそろそろ涼しくなってきたかなという時期で、気付けば2つの季節が終わって3つ目の季節が巡ってきた。

日記には最後の日の1日を克明に書いてあった。

読んでいて思い出した。

私は動いたことは後悔しなかったこと。

動くことはリスクを伴った。

動かなければただただときめいてドキドキさえしてたら良かった。

動かなければ最後まで爽やかで穏やかな笑顔を見れたと思う。

冷たくもされなければ、心がボキボキに折れることもなかったと思う。

でもこの半年を振り返ったら、動くことが正解だった気がする。

動くことで心が痛くなることも心へのダメージも大きかったけれど、その分自分に向き合って、向き合う中で色んな人や出来事と出逢って、そしてさらに自分を知ることになった。

それにプラスして自分の気持ちにももっと前から真っ直ぐに見て受け入れられるようになった。

もし動かなければ痛みもなかった代わりに、今知り得た色んなことも知らなかっただろうなと思う。

私はその辺りからお墓参りを毎日の日課にした。

何かにすがりたくて頼りたくて、それで調子者はこういう時だけ先祖様を頼り(といっても我が家のお墓の中には3人しかいない)そして祈る。

私は祈ることを覚えた。

最初の頃はあれこれと願ったけれど、それも落ち着いて(と言うかある意味あきらめて)、いつからか家族の名前を全員言った後、その人の名前も言って、見守ってください、とそれだけを基本的にはお願いしている。

だから名前を目で見たり耳で聞いたりすると(名刺の方じゃなくて、看板やテレビ、本、人との会話etc)、あぁ元気な証拠かなと勝手に決めてそうした偶然を嬉しく眺めてた。

最初にいなくなることを知らされた日のこと、あれから考えたらこれまでの半年間、私は本当に頑張ったなと思った。

最初に知らされた日のことは今でもよく覚えている。

大きな地震を経験したことがある人ならわかると思う。

巨大地震の時の10秒はとてつもなく長い。

これが30秒とか1分になったらさらに長く感じる。

体中の感覚がその恐怖にさらされ、普段ならそんなに感情を全開にしてたら支障が出るけれど、ああいう時はもう人間の本能みたいなのが出てきて、生きるか死ぬかみたいな恐怖に似た感覚になり続ける。

だからたとえ10秒でもとてつもなく長く感じる。

それと同じような感覚だった。

とにかく1分1分が長い。

今この瞬間は2、3メートル先にいて、声も聞こえて、姿かたちも目に入って、そこにいるのに、もう少ししたらその体ごとどこかに行くんだと思ったら、寂しさと悲しさと絶望と不安と怖さと…とにかくそういうものがドッと押し寄せた。

今この瞬間が1秒後には過去に変わる、それさえも耐えられなかった。

そこから半年も過ぎて、実際はあっという間だったけれど、本当にそのところから今になるまで色んなことがあった。

ちょうど半年にあたる今日、色んなことを感じたし、それをそのまま言葉にしておきたかった。

だけど、金沢でもらってきた風邪が、今回は数日経っても良くならず、そして今随分と体が辛いこともわかった。

この続きは夜中に目が覚めたら書くか、明日とかに書きたい。

これは備忘録で書いてるんじゃない。

私の中ではきちんと意味があって書いてる。

意味というより願掛けに近い。

本当は今日初めて知った歌詞についても触れたかった。

半年前の今日に書いた日記も一部抜粋したかった。

だけど今は体の方が限界にきてる。

休もう。

そしてまたここに戻ってきて書こう。

ちなみに歌詞はこれ。

No matter the distance
I want you to know that
Deep inside of me

最初意味がわからなくてネット検索した。

ネットに出てくる和訳に違和感を覚えて私はひたすら歌詞全体を見た。

私は「どんなに離れていても、僕の心の奥底に君がいるって、君に知ってて欲しいんだよ」と訳した。

ちなみにネットだと「君に僕の心の奥底を知ってて欲しい」とかになってる。

自分の心の奥深いところを知ってて欲しいと言うよりも、自分の中にあなたがいるということを知って欲しい、そっちだと思った。

その話ももっとしたかったけれど、とりあえず後で。

まずは体治して、出直そう。

そして明日も引き出し開けて名前見て元気をもらおう。

そうしよう。

机の中のお守りは、そこに色んなストーリーがある。

歌詞の話も日記の話も実はこのお守りと関係している。

だけど今日はとにかく寝る。

ちなみに私が書くのは、伝えたい人がいるから。

2018年3月25日日曜日

ファイルと車とシールの奇跡

明け方、夢の中だったのかまどろみの中なのか、過去のある場面がパッと出てきた。

寝ている時の夢みたいに、私はその場面を見ていた。

私ももちろんそこにいるけれど、実際の現実と少し違っていて、私自身はその場面を別の視点から振り返っている、そんな風だった。

茶色の作業机に私は座っていた。

机の向こう側では探し物をしている人がいた。

全部のキャビネットを開けても探し物はなかったようで、私はそこで「何か探してますか?」と声をかけた。

その場面が出てきた。

実際の場面そのままだったけれど、明け方の私は「何で目の前の人がそこにいて、私もそこにいるんだろう?」って思っていた。

景色は見慣れていても、その状況がとてつもなく不思議に思えた。

そもそも何で私はここにいるんだろう?って。

そしてその人も何で作業机3つ分先の距離にいるんだろう?って。

一瞬にして、すべてが有り得ないことだらけで成り立っているのがわかった。

当時の記憶はかなり曖昧だけど、私はその机に1日中ずっといるわけじゃなかった。

他の仕事の時は本来の席か、はたまた私の席から真逆の位置に当たる空席を使っての仕事の時もあるから、ずっとずっとそこに張り付いてるわけじゃなかった。

今現在の話をすれば、私はそこにほとんどいない。

当時は確かにその机の上が一番広く使えて色んな道具が揃っていて、そしてその広さと道具を使わないとできない仕事がたくさんあったから、そこにいることが多かった。

だけど今はそこでする仕事が少なくて、1週間のうち全部足しても数時間しかいない。

全くいないわけじゃないけれど、1日中そこにいるとか、1日の大半をそこで過ごすようなことは皆無に等しい。

当たり前だけれど、当時の仕事の内容は私が決められるわけじゃなくて、東京にある本社から不定期に送られてくる資料に基づいて私の仕事は始動する。

何百とある個別の資料だって、私が流れを管理できるものなんて1つもなくて、その送られてくる順番だって何基準かも知らない。

私は来たものを来た順にコピーを作ってひたすらファイリングするだけだった、当時は。

その日もその仕事をしていたのか、他の作業をしていたのかは憶えていない。

だけど丁度その席に座っていて、そして机の向こう側では探し物をしている人がいた。

探し物の人物だって、滅多にそこで探し物はしていなかった。

必要なものは時々取りには来ていたけれど、横一列に並んでいるキャビネットを全部開けてまで探し物をしてたのは、少なくとも私が見ていた限りその時1回だけだった。

キャビネットの中も私は自分がよく使うから他の人たちよりかは熟知していたけれど、でも自分から積極的に「何を探してますか?」なんて声をかけることはほとんどしなかった。

基本的に相当困ってるという雰囲気を察しない限り声はかけないし、この数ヶ月でかけた人は片手で数えるぐらい、回数も片手で数えられるぐらいだと思う。

だから、そもそもその状況自体がとても稀なことだった。

私が夢なのかまどろみなのかわからない中で「何でここにいるんだろう?」って思ったのは、自分の人生においてどうしてそこに居合わせたんだろうという意味でだった。

私はほとんど仕事の内容を知らずに、ましてや会社の概要も雰囲気も何なら何人ぐらい働いてるのかさえも、本当に知らずに今の仕事には就いた。

私はもしそれらを詳しく知ってたとするなら、絶対に選ばなかった。

そもそもこれまで四六時中喋るような仕事を10数年もしてた人が、いきなり1日の大半を口を閉じて黙々と仕事をするなんて本当に有り得ないことだった。

そしてどの仕事1つ取っても、私の采配で決められるものは皆無に等しい。

私が決められることは、与えられた仕事たちの中でどれをその日に優先的にするかと、あとはする時のペースくらいなものだった。

仕事の段取りはしても、仕事全体の流れはそもそも私の意思は何1つ働かないところで勝手に決められていて、それにただただ従って動くというスタイルでここまで来ている。

ちなみにこういうスタイルでの仕事さえも初めての経験に等しかった。

私のこれまでしてきた仕事は、瞬時に自分で判断を下したり、全体の流れを知った上で自分で采配を振るったりする、そういうことが圧倒的に多かった。

大枠は上の人たちが決めるにしても、実際の動きとなると私個人の判断ややり方でやれるようになっていた。

だからこんなにも自分の意思が働かない流れで動くこと自体が私の人生では異例なことだった。

だからあの日のあの場面は、今の仕事だけを見たら普段の流れの一部みたいだけど、本当は私の意思もコントロールも及ばないようなことの連続で成り立っていたのが今となってはよくわかるから、だから何でそこにいるんだろう?って寝ぼけた頭の中で思ったのも無理はない。

しかもあんなにタイミング良く探し物をしてた人だって、普段1人で探し出せるのにあの時だけは探し出せなかった。

それもそのはずで、キャビネットの中にはなくて、全然別の場所に保管されていた。

今でこそそのスタイルが定着しているから誰しもがキャビネットになければ私の作業机の脇を見るようになったけれど、当時はまだまだ全てが定まっていなかったからそういう発想にならないのが当たり前だった。

私はここですよと教えながら、その一瞬一瞬が本当に臨場感を持って迫ってくることにものすごくドギマギしていた。

私は自分の心臓の脈打つ音が外に聞こえるんじゃないかと思ったぐらいで、でも同時に探し物の人物の動きもそれと同じぐらいに不自然で、普段すごくスマートに動く人なのにやたらとぎこちなくて何だろうと思った。

その人のぎこちなさは、私が変なことを口走ったのかと疑ったほどだった。

その瞬間、何でその人はその人の人生の中でそこにいて、そして私は私の人生の中でそこにいたんだろう、それってどれぐらいの確率で起こることなんだろうって思った。

偶然のような出来事でありながら、あれはもうそのように仕組まれていた瞬間だったんじゃないかと思った。

相手や私が仕組んだのじゃなくて、お互いのコントロールも及ばないようなところでそれが場面設定されてたんじゃないかと、そう思った。

この場面には続きがある。

これも細かいことは忘れたけれど、私はある1つの資料だけずっと作らずに先延ばしにしていた。

何を面倒だと思ったのか、とにかく遅れて到着したその資料だけはすぐに着手せずにそのまま放ったらかしていた。

他の資料たちは普通に作るくせして、それだけはなぜか先延ばしにした。

まさかそれがその探し物の資料たちと同じ種類のものだとはどんな偶然だろう。

先に言ったように、資料が本社から送られてくる順番なんて私にはさっぱりわからないから、そもそもそれ1つだけが後から来た理由は知らない。

そして私が何を思って先延ばしにしたのかも。

憶えてることは面倒くさがって先延ばしにしたことだけ。

私は面倒くさがった自分に心から感謝した。

私は速攻その時にしてた作業を中断して、そちらの先延ばしにしてた資料のファイル作りを始めた。

私は頼まれない限り、1冊だけ資料のファイルを作ることはその時1回しかしていない。

流れ作業的な仕事だから、1冊だけ作るのはかえって手間だし面倒だから、毎回まとめて10数冊作ってしまう。

だけどその時はその1冊のためだけに他の作業を中断してでもファイルを作って、そして渡しに行った。

不必要ならいいけれど、必要だと相手も困るだろうと思ってそうした。

ファイルを渡してから戻されるまで、2〜3分程度だったと思う。

私にはその瞬間のこともよく記憶に残っている。

どう考えても当時は資料のファイル作りが山積みだったから、その資料だけいつまでも面倒だと感じて作らなかった理由がよくわからない。

他のファイルを作る時に作ってしまえばいいのに、どうしてかそうしなかった。

よくよく考えたらそんな特殊な先延ばしは、その時しかしていない。

今は資料の数が激減したから、ある程度数がまとまるまで待つことはするけれど、1つだけを単独で先延ばし、しかも単に面倒くさいという理由で先延ばしなんてまずやらない。

それもおかしかったし、そしてそもそもそれらの場面が人生の中の本当にたったの数分だけ突然現れるのもおかしな話だった。

そしてそのたった数分の中に私もその人もいるなんていうのはもっとおかしかった。

もう同じ場面は二度と訪れない。

人生でたった一度きりの、最初で最後のワンシーンだった。

だから夢なのかまどろみの中なのか、私はその瞬間にお互いが居合わせる、人生でお互いに少し前までは全く接点のなかった者同士が、そんなに近くにいてある瞬間を共有する、そんなすごいことが普通の顔して起こっていたことにただただ驚いていた。

たった数メートルしか間のない距離に何かの偶然で運ばれて、よくわからない鍵の掛け違いみたいなのがいくつも重なって、そして実際のやり取りが生まれる。

もう二度とはないその場面を、私は上から見下ろすように見ていた。

私の意思も意図も感情や気持ちも何も
影響を及ぼせないようなところでそれは起こっていた。

引き合わせてもらえたんだなとわかった。



2018/03/24  金沢市内

2歳の姪っ子メイが私の隣りで昼寝から起きた。

メイのお母さんである私の妹は体調不良で寝室で寝てた。

メイとエンドレスアイスクリーム屋ごっことかする元気はなかった。

メイと近くを散歩しよう!となった時、メイが「シール!」と言った。

前の日、今回の訪問に合わせてメイに買った月刊誌を2人で見て、その時付録であったシール遊びをして、それをメイがとても気に入った。

メイがあまりにも気に入ったから、「明日シール買いに行こうね!」と口約束をした。

メイはしっかり覚えていて、「シール!」と言ったのだった。

全く土地勘もなく、何なら出かけてもないから近くの地理さえわからない。

iPhoneで地図を見て、妹が言うように歩いて10分程度のところに1つ大きなスーパーがあるのがわかった。

メイと一緒にそこにシールを買いに行こう!と言って2人で出た。

ひたすらまっすぐに歩き、スーパーのすぐ手前の大きな交差点で信号待ちをしていた。

ふと目を向けると、私とメイはある車のメーカーのショールームの前にいた。

大きなショールームを持つ販売店で、少なくとも3台は店内に車が展示されていたと思う。

メイと私のすぐ近く、ほんの2メートルほど先のところにあった展示車を見て私は驚いた。

世の中にはたくさんの車がある。

なのに何でその車が展示されていたんだろうと思う。

国内有数のメーカーだから、まさかその展示車3台のみしか生産されてないなんてことはない(全貌は見てないから、店内にはもっとたくさんの車が展示されてたかもしれない)。

しかも私とメイはショールームの前は歩かず、あくまでショールームの角にあたる交差点で信号待ちしてるにしか過ぎなかった。

さらに言えば、妹が体調不良でなければ私はメイと外に2人きりで出ることなんて考えなかった。

しかも土地勘のない町で。

メイがシール貼りを好むのも、今回月刊誌を持って行って一緒に見なければ私には知らないことだった。

妹も買ってきたシールを見て「それ、メイ好きだと思う!」と言うぐらいだったから、妹も私にはメイがシール貼りが好きなんてこと事前に一切教えていなかった。

ショールームの車に驚いたのは無理もない。

その車は、私がこのブログを再開するきっかけになった車だから。

そして、どういうタイミングなのか、今朝だったか昨日の朝だったかに、先に書いた仕事の実際にあったワンシーンを思い出して、それともこの車は繋がっている。

金沢なんて、今回妹家族が仕事の関係で住まなければ、縁もゆかりもない土地だった。

1つ1つのことは全く何の接点もない風に普段は見えるけれど、全然関係のないこと同士がある1つのストーリーの中では全て結びついていく。

何なら、妹の旦那の金沢転勤だって旦那が決められたことではないし、そしてそもそもメイ自体は妹夫婦にとって待望の我が子だった。

不妊治療を止めたらやってきた命だった。

だから妹の旦那である義理の弟はもう16年も知ってるけれど、メイはまだこの世に生まれて2年3ヶ月でしかなく、付き合いスタートしてからの日が浅い。

こんな言い方はおかしいけれど、メイがいなければ私はスーパーに行くなんて思い付きもしなかった。

さらに言えば、今回のように6連休も取れて、メイも妹も基本的に毎日家にいられる時に訪ねるなんて、これが最初で最後じゃないかと思う。

メイは4月から保育園に通うし、妹もそれに合わせて働き始める。

今みたいにこんなに自由に数日間一緒に過ごせるなんて、もう二度とはないかもしれない。

今は「フミコ」「ヒュミコ」と言いながらメイは私を四六時中慕ってくれるけれど、年齢が上がれば一緒にいたいのはおばじゃなくて友達だったり彼氏だったりする。

本当に人生の中のほんの一瞬しか存在しない時間をメイたちからもらっている。

これらを奇跡と呼ばず、他に何と呼ぶんだろう。

人生はすべてが奇跡で成り立っている、そう言えるぐらいに、そしてそれがわかればわかるほど泣けるぐらいに、奇跡の中で毎日生きている。

すべてが見えないところで色々繋がっていて、そして私に壮大な物語を見せてくれている。

「奇跡」という名の物語を見せてくれている。

2018年3月9日金曜日

想いと祈りと目標と

頭の中にパッとイメージが湧いた。

久しぶりに編み物をしている。

多分3、4年ぶり。

完成形に近付くよう、一目一目編み込んでいく。

編むは少し字が違うけど、「縫う」という字はよくその様子を表してると思う。

糸に(出)逢うと書いて「縫う」になる。

縫っている時、私はいつもいつも今出逢った!糸と針と布が三位一体になって出逢った!と思う。

編むも字は違えど、縫うと一緒で糸と糸とが出逢って新しいものが生まれる。

私がする手芸はいつも頭の中にイメージがあって、でも実際に作り終わらないとその完成図はわからない。

しょっちゅうイメージとは違うものができあがる。

それはそれでまた面白いし、その完成された唯一無二のものに出逢う瞬間も楽しみだったりする。

私は基本的に目標を立てるのもすごく苦手だし、目的に沿って何かを行うのも苦手だったりする。

20代の終わりにある研修を2ヶ月受けた。

その時毎週月曜の朝、その前の週の過ごし方や反省、そしてこれからの1週間に向けての目標みたいなのを書いて提出することが義務付けられていた。

毎回毎回ギリギリで、早くて日曜の夜、下手すると月曜の朝提出直前にざざっと書くということを毎週繰り返していた。

そこに何を書いたかは忘れたけれど、研修の最後に感想とかの類いを書く時に、その目標反省用紙なるものこそ本当に無駄で、私は自分が毎週どうしていたのかを書いて、こんな人もいるから止めるか本当に書きたい人だけに書かせたらいいと真面目に書いたことだけは覚えてる。

自分の意に沿わないことはとことん苦手なまま大人になってしまったけど、今してる編み物のように自分がやりたいことは何も言われなくても自発的に始めて自発的に時間を作ってする。

しかも目標設定も目的を考えるのも苦手な私が、ものすごくクリアにイメージを持って、そしてそのイメージ通りになるよう力を注いでる。

今朝も少しでも進めたくて、出勤前に10分ほど時間を割いて3段編み進めた。

今編んでるものは、いろんな意味や祈りを含んでいる。

それらがあるから、作る手にも力が入る。

ある用途を想定して作っている。

そこに思いが乗ると、単なる編み物じゃなくて、何か別のものになる。

そして自分のためじゃなくて、自分以外の大切な人に向けて贈る予定のものだから、一生懸命になる。

実は一度途中まで編んだけど、編み目の数が段によってバラバラではじっこがボコボコになった。

自分が使うならいいけれど、人に渡すものならよろしくない。

結局それはやめて、また1から新しく編み始めた。

今度は目の数を数えながら編んでる。

普段の編み物ならそんなことしない。

だけど、これは自分用じゃないから、きちんと几帳面に数を数えてる。

普段しないようなこともするわけだから、こういう時人の想いって強いなぁと思う。

特に面倒くさがりでナマケモノ体質の人からすると、想いひとつでここまでするんだから、本当にすごいなぁと思う。

完成は自分の誕生日までと思っていたけれど、それは少し無理があるから、今月中に…と思っている。

2018年2月25日日曜日

未来のプレゼント 追記

昨日買った、届くか届かないかもわからない未来のプレゼント。

姪っ子メイと妹と少し遠出をする予定があったから、4連休に入る前の晩、100均に行った。

行き帰りの車中で童謡の音楽でもかけられたらなと思って、100均に売られてるのを見たことを思い出したから。

見た店も覚えていて、そちらに行く気満々だったけど、ペンジュラムはそちらじゃなくてもう一つ別の店舗に行くことを示した。

そっちの方が新しくてきれいだし、同系列だから間違いなくあるんだろうと思って行ってみた。

なのに童謡の音楽CDは売ってなくて、代わりに余計というか予定外のものを買って終わった。

予定外のものは、名刺サイズのメッセージカード。

プレゼントを買うことは決まったから、それに一言メッセージをつけたらいいかも!と思って買ってきた。

英語の一言メッセージも良かったし、デザインもわかりやすくて良かったし。

ペンジュラムも買え買えと言う(笑)。

他の似たデザインもないわけじゃなかったと思うけど、ペンジュラムはそれにだけしかYESと言わなかった。

結局のところ童謡CDはなくて、何のためにその100均に行くことになったんだろう…?と思いながらそのまま忘れてた。

4連休の最終日、メイと妹は2時間ほど前に金沢に向けて帰って行った。

ようやく1人時間を持てて、それで最初違うことをしていたけれど、そうだった、メッセージを書くんだった!と思い出して、さっきそのカードを出してきて書いた。

届くか届かないかもわからないその未来のプレゼントにさらに小さなメッセージもつける。

届かなかったらただただ痛い人で、それをどうするんだろうと思う。

まぁだけど、万が一届いたらメッセージがないのは寂しいから、その起こりそうにもない可能性にかけて小さなメッセージを書き上げた。

ふと、カードのデザインを見ていた時、デザインを構成する特定の形が全部でいくつあるのかなと思いついて数えてみた。

水玉ではないけれど、同じ形のものをいくつも重ねて一つの大きなデザインになっている。

その水玉部分にあたるものがいくつあるのかを数えてみた。

下書き用のカードはもう用済みだから、形の部分に直接数を書き入れた。

もしかして…のそのもしかしてで、全部で38個あった。

プレゼントの相手が今年度どこかのタイミングで38歳になる。

周りの人たちの話を耳をダンボにして聞いたところによると(←盗み聞き)、10月以降のいつかで、私の中では勝手に早生まれなんじゃないかと思ってる。

誕生日の日にちは最後までわからなかったけれど、38歳になるのは確実。

誕生日はさておいても、その数を数えたらちょうど38個、1人で狂喜乱舞しそうだった(笑)。

もしそれで本当に買った昨日やメッセージを書いた今日が本人の誕生日なら尚のこと面白い!

少なくとも明日の仕事帰り、もう一つの100均に寄って、そのカードが売ってるかどうかを見てこようと思う。

なければ何でペンジュラムがその実際に行った方の店を指したのかがはっきりするから。

まぁ仮にあったとしても、ペンジュラムがそのカードだよと教えてくれたのは間違いなくて、こういう偶然は単純に嬉しい。

しかも私も数を数えよう!なんて思い付き、ナイスすぎる(笑)。

単なるこじつけだろうと言われても仕方ないけれど、私は自分が嬉しくなった方が大事だから、やっぱりこの数の一致を喜んでしまう。

未来のプレゼント

2018年2月24日(土)
今日の昼間あるものを買いに行ってきた。

それは、色んな意味を込めて買おうと決めた未来のプレゼントだった。


そもそものきっかけはこうだった。

1週間前の土曜日にも私は同じお店に行ってきた。

その時に、私個人のオーダーと頼まれた知り合いの人のオーダーをお願いするため、今日買ってきたものの製作者の方に個人的に連絡を取りたいとお店の人にお願いして帰ってきた。

お店の人が最初に間に入って連絡を取って、その後その方と私が直接やり取りできるようにしますね、と言われて安心して帰ってきた。

そうしたら、お店の人から次の日連絡が来て、なんと製作者の方が今後は製作中止することが判明した。

販売も今出ている分だけということになった。

個人のオーダーも当然お願いできないことになった。

それも残念すぎたけど、それ以上に気になったのは別のことだった。

もし、本当にもし、ある人と再会できるのなら、その時にはその人にそのものを渡そうと考えていた。

その人に渡したいものだから、もし本当にそれを渡せるような状況になったら、その時は喜んでお店に買いに行こうと思ってた。

だけど、近い将来製作中止ゆえの販売中止になるなら、それは叶わないことになる。

そのいつ起こるかもわからない万が一みたいなことが本当に起こったとしても、もうその頃にはそのものは売られていないことは明白だった。

それで今日慌てて買いに行ってきた。

友達2人も買いに行きたいと言ってたから、その付き添いも兼ねて行った。


買うと決めるまでのこの1週間、私は何度も本当に買うのかを自分にも聞いたし、ペンジュラムにも聞きまくった。

これが確実に相手に渡るものであれば私も何の迷いもなく買うって決めれた。

だけどそんな保証もないどころか、普通に今の現状を見たら渡らない方が可能性として高いと言うより、それしかない。

渡す手段さえ今の私は持ち合わせていない。

高い買い物じゃないから財布への影響は少ないけれど、でもいかんせん渡るか渡らないかと言えば渡らない可能性が99.9%。

こんなの買うこと自体どうかしてると真面目に思う。

でも残りの0.1%のことが現実になったら、今度は物がない可能性が高い。

世の中には同じ商品が売られてるのは知ってる。

作り手もその人1人じゃないことも知ってる。

だけど、私はその人の作ったものだから買いたくて、他の人のものでは多分違うんだろうなと思ってる。

自分が日々使ってみてすごく良くて、それで最初2人の友達にプレゼントしようと考えて買いに行ったら、ちょうど仕入れ担当の店の人がたまたまいて、それがどういうものか説明してもらえた。

制作過程やその製作者の意図を教えてもらって、余計とそれが本当に良いものだとわかった。

すでにプレゼントした友達の1人がネットで色々調べて、「なんか他の人たちが作ったものは(質が)違うんだよね」と言ってたから間違いないと思う。

その友達は、物でもサービスでも悪いものや合わないものは体にとことん出てしまうし(私も数回目の前で具合悪くなったのを見ている)、反対に良いものは体の調子が良くなったり他にも本人にわかるプラスの作用がはっきり出る人だから、その人がそう言うぐらいだから本当にすごいんだろうなと思ってる。

だから、そのものはもう今あのお店にある分だけ=なら今しか買えないということもわかった。

そんなにすぐには売り切れないにしても、いつか近いうちには売り切れる。

でも、そんなの本当に相手に渡るかもわからなければ、相手が受取拒否することだって考えられる。

本当に買うのかな…と迷ったけど、ペンジュラムはNOを言わないどころか買えと言う。

こういう時私は質問を変えてあれこれ聞くんだけど、どんな風に聞いてもペンジュラムは買うにYESしか言わなかった。

しかも「買わない」に対しては単純なNOではなく、絶対的なNOを示すサインまで出してきた。

毎日アホみたいに何回も聞いて、それでもペンジュラムは何十回と聞かれても「買う」に対してYESだった。

もうこれは今の私の頭の中ではとても考えられないことだけれど、それでも買うことが何かに繋がっていくのかもしれないと思って、それで買いに行こうと決めれた。

ちなみに変えた質問の1つに「相手に渡らなかった場合、私の手元に置いておく」というのがあった。

それに対してもペンジュラムはNOを指した。

往生際の悪い私は、買った後も「これを渡す機会が巡って来なければ、自分のものとして使う」かどうかを聞いた(答えはNO)。

他にも「その人には渡らず、その人以外の人の元に行く」と聞いたけど、それもNO。

もっと色々聞き直しても相手にいくようになってるらしく、私の手元には残らないというのがペンジュラムに聞いて今の段階でわかったこと。

別にどうなっても、仮に願った方向(相手の手に渡る)になったらそれはそれで一番良くて一番嬉しい結果だけど、そうならなくてもこれはこれで実験として楽しんだらいいと思って、だから買いに行けた。

ちなみに今回が自分が自分用に買ったものも含めて8個目で、他にも友達の付き添いでもう9個、全部で17個のものを見たけれど(ひとつひとつ全部違う)、今回は自分のものと同じくらいすぐにピンときた。

言うなれば、ひとつひとつデザインが違う。

他の人たちのものは付き添いの友達含めて、なんとなくこれかなとなったのは3人、他は全くわからなかった。

どれを見ても、これがその人たちの元へ行く、その人たちのものになる、というイメージは湧かなかった。

なんとなくわかったのも3人で、自分の時と今回の時ほどに「これ!」とはならなかった。

それぞれデザインも意味も違うから、そういうわからないことはペンジュラムに全部聞いて決めた。
(この間頼まれた分も含めて4人分購入した時、ペンジュラムを使って選んで、その後ネットで意味を調べたら、4人が4人ともそれぞれにピッタリなものが選ばれていてビックリした!)

付き添いで行った友達やその家族の分も、私には全くどれがいいかなんてわからないから、まずは本人に選んでもらって最後はそれが合ってるかどうかをペンジュラムで確認するというやり方を採った。

念には念をということで、さらにその後ネットで調べると、どれもみんな友達の直感で選ばれたものがやっぱり本人や家族にぴったりのものがいくというなんとも不思議な感じで、私はそれ見たさに同行してるようなものだった。

余談が過ぎたけど、とにかく私は何を見ても基本的には見ただけでピンとくることは自分のもの以外にはなかった。

そんな私が今回は見た瞬間に「これだ!」となって、そこに相手の顔も浮かんで、そして最後ペンジュラムにも聞いてそれだけがYESで他の商品は全てNOだった。

数としては20前後あったと思うけど、今日買ってきたものは、見た瞬間「これだ!」となった。

自分のものを選んだ時と同じ感覚だった。

これまで自分以外の16個の時には絶対にそうならなかった。

3人だけそうかな…という多少なりの感覚はあっても、「もう絶対にこれ!」なんていう感じからは程遠かった。

反対にネットで意味を調べたら何でそれなのかわからなかったけど、まぁそんなの本当に相手の手に渡るならその意味もその時にわかるだろうと開き直って買ってきた。


今回のプレゼントは他にも意味がある。

1つは、「渡せる状況になる」ということが起こるなら、それ相応の関係性が未来に生まれるということ。

まさか関係性がないのにプレゼントは渡せない。

はじめに書いたように、今の段階では渡したくても渡す手段がない。

だから、渡せるということは、今とは違う展開になってるということ。

私の人生はもう何年にも渡って読めないことだらけで、そして過去にたくさんの奇跡を体験したから、たとえ今私の目に映る可能性が0.1%でもそれが本当に起こることもありうると思ってる。

最近では「起こらないことは起こる必要のないこと」「起こることはどんなことを経ても起こるべくして起こること」ぐらいに思うようになってきたから、だからそこは未来のお楽しみみたいにしてその時を待てたらいいなと思う。

2つ目は、今回のプレゼントは私そのものを表してる一部で、それを受け取ってもらえるというのは、私にとってとても大きな意味がある。

私はすでに4人の友達にプレゼントしたりこれから郵送したりするけれど、1人だけはプレゼントするのにすごく勇気が必要だった。

他3人は間違いなく理解あるし興味もあるのはわかってたから平気だった。

なんなら私がペンジュラムを日常的に使うことも知ってれば目の前でも使ってる姿を見ているから、ペンジュラムを使って選んだと言ってもそのままわかる人たち。

だけど、1人だけは、誰よりも早急にプレゼントしたかったけれど、誰よりもペンジュラムのこと含めてきちんと説明しなきゃいけない相手で、私は彼女にはものすごーく長い手紙を書いて説明した。

(『ふみの日日曜日』http://viva-vivir.blogspot.jp/2018/01/blog-post_5.html?m=0)

友達はものすごく喜んでくれたし、手元に着いてから「自分の元にやってきてくれたものはそもそも来ることが決まってた、そんな気がする」なんていう嬉しいことまで言ってくれたけど。

それぐらいに私も相当な注意を払って渡すもので、だから今日買ったものを受け取ってもらえるというのは私からしたら自分の思いや大切にしてることを受け取ってもらえるのと等しかったりする。

そんな色んな意味を込めて用意した未来のプレゼント。

ごちゃごちゃ書いたけど、本音は「届くといいなぁ」の一言に尽きる。

2018年2月17日土曜日

映画『メガネ』とメガネ女子


そもそも「メガネ女子」という言葉が出てきたのは、ある人との会話の中でだった。

「そういえばいつか『タイプの女性ってどんな人?』みたいな話になったんですよ。そうしたら『メガネ女子』って言葉が返ってきました。あの人がメガネ女子が好みなんて言うの、なんか面白いでしょ?」

それを聞いて、私もたしかにメガネをかけているけれど、その話の中に出てきた「タイプが“メガネ女子”」というものとは大きくかけ離れているんだろうなぁと思った。

そう思いつつも、一体全体メガネ女子というのが何を指すのか定かではなかった私は、その後ネットで検索した。

検索したことをとても後悔した。

ネット上で紹介されているメガネ女子たちはみんな可愛いか美人かのどちらかだった。

っていうか私は一体何を勘違いしてるんだろう、と冷静になると、タイプの女子の話は忘れられなかったけれど忘れる努力をしようと決めた。

代わりに、ふわ~っとメガネについての思い出がよみがえってきた。

 

1つは子どもたちと交わしたメガネの会話(☆)

もう1つはある夏の日の風景。

 

私はその日用事を済ませてある大きなビルを後にした。

ビルの外は晴れていて、のんびりと時間が流れていて、空の青空が気持ち良かった。

何一つ悲観することなんてなかったし、切ない出来事もなかった。

日常的にはとても落ち着いていた。

なのに突然私は泣きたくなるぐらいにとてつもなく寂しくなった。

とにかく寂しくて寂しくてたまらなかった。

原因が何かもわからず、ひたすら寂しかったし切なかった。

そんな感覚に陥っていた時、メグミさんの顔が浮かんだ。

他にも近くに人は何人かいたけれど、会いたいと思ったのはメグミさんだった。

メグミさんならこの感覚わかってくれるだろうなぁと真っ先に思い浮かんだ。

メグミさんは私よりいくつか年上で異国の地で3人の子どもを育てていた。

旦那さんはいるけれど、家にいない日の方が多かった。

だから私も遊びに行きやすくて、2回か3回メグミさんの家に泊まらせてもらった。

いつかの泊まりの時、メグミさんと子どもたちと私とで映画『メガネ』を見た。

メグミさんはその映画が好きで、わざわざ日本からDVDを持ち帰ってきたと教えてくれた。

私がその映画を見たのはその時が初めてだったし、それ以降一度も見ていない気がする。

メグミさんはその映画の中の空気が好きで、何回見ても飽きないと言う。

私もその映画はとても好きだったし、また機会があれば見たいなと思う映画ではあったけれど、当時は全く違う感想も同時に抱いていた。

たしかに映画の中の空気感は独特で、見ていてとても癒される。

でも私が抱いた感想はそれではなく、この映画は寂しいということがどういうことかわかってる人が初めて見てわかる映画なんだと思った。

わかるというのは「理解する」という意味で。

自分の寂しさがわからない人が見てもその空気感やその良さは多分全然わかんないだろうなぁと。

しかもメグミさんは四六時中子どもがいて、旦那さんもいる。

だけどそんなことでは埋められない、人間誰しもが持っている寂しさをきちんと知ってる人、そういう感じだった。

メグミさんは、一緒にいて楽しい人だし、あっけらかんとしているし、根っからの明るさを携えている。

だけどそうではない一面、寂しさについても何か大切なものを知ってるという風な人だった。

だから、あの晴れた青空とのんびりと流れてる時間の中で、ふととても人恋しくなって寂しくなって、無性にメグミさんに会いたいと思ったのは、その時の気持ちとメグミさんの家で『メガネ』を見た時に感じた気持ちがとても似ていたからじゃないかと思う。

 

「メガネ女子」という言葉を聞いたのは2017年の秋10月。

そしてそこからあの青空の下で思ったことと映画『メガネ』が繋がるわけだけど、それは2008年か2009年の出来事。

8~9年の開きがある。

それでも時間の間隔なんか関係ないのか、すっと1本の道で繋がれているかのように色んなことを思い出した。

今同じような気持ちになれというのは無理があるけれど、私はあの時のすごく寂しくなった感覚は今でもよく覚えている。

自分ひとりぼっちみたいな、それは誰かがいてくれないからとかじゃなくて、何か命の根源のところで乾いている・欠けているみたいな、そんな感じだった。

 

【あとがき】

『メガネ女子』は実際に2017年の10月に最初書いた話。

当時自分がどんな思いでその単語を耳にして、一喜一憂どころか一喜百憂ぐらいな感じになって、なんかその憂うつな感じが痛々しくなって、それで多分脳内では他の「メガネ」ストーリーを探そうと必死になったんじゃなかったかと思う。

今思い返しても自分のちょっとしたぬか喜びが痛々しい感じはそのままだけど、でもそこから色んなことを思い出した。

それこそ死ぬ時に自分と一緒に持って行く思い出をたくさん思い出した。

もし自分が死ぬ間際に「メガネ女子」という言葉をもう一度聞くことがあったら、その時はこの一連のすべてのことを思い出したいなぁと思う。

私しか知らない思い出を自分の胸の中にいっぱい広げて、それで「あぁあの時はあの時で素敵な人に出逢わせてもらえたんだな」と思って死ねたら最高だろうなぁと思う。