自分に言語センスがあるなどとは本当の本当にただの一度も思ったことがないけれど、何人かの人に言語センスがあると言われたことがあって、「こういうことを言うんじゃないかな…」と思ったことがたまたまあって、センスの有る無しはさておいて、たしかにその手の感覚はあると気付いた。
今、時々半分頼まれて半分自ら買って、他人様の英訳添削を仕事中にしたりする。
今回お願いされた中に、正解はわからないけれど読んでて「おや?」と思ったことがあった。
「数種類」と「1種類に統一」というのがあって、この後者の「1種類に統一」の単語を見て、「何か違うかも」と思ったことが最初だった。
見知らぬ単語ではないけれど使ったことはないし、少なくとも大学時代も多分普段から使われてるところをほぼほぼ見ていない。
Google翻訳に他の翻訳サイトに自分の高校時代からの相棒の英和辞典にと色々見たけれど、たしかに「統一」となってはいてもやっぱり違和感が残る。
たった1つの単語をネットで日本語で解説してくれてるサイトをいくつかあたって、違和感の正体がわかって、それで諸々印刷して本人のところに行って説明した。
「私も正解がわからない」とまずは前置きした上で、この「統一」そのものの意味がわからないから何を本当に意図して日本語は統一になっているのかを担当者に確認して、その確認した後に何の単語が良いかを考えた方がいいかもとおしゃべりするように言った。
そしてここでようやく気付いた。
訳した本人の本当のところはわからないけれども、私ならたとえGoogle翻訳がこの言葉を出してきたとしても使わないのと、とりあえず直訳しては非常にまずい内容だというのがぷんぷんにおうから、直訳は避けて担当者に最初から確認に行くなと思った。
確認に行ったら、担当者いわく、数種類あったものが1種類だけになるというのが統一の真相だった。←私は聞きに行った子から後から教えてもらった。
この間自分が担当した時の英訳もそんなことを思ったことがあった。
ある一定の長さ以上になることを確認するとあった後に「(長さ単位)◯がとれない場合、以下の手順を踏む」というような文章があった。
「◯がとれない」をGoogle翻訳なんかにかけると、「手にする・しない」の手にしないの方とか「取り除く」的な感じとか、とにかくちんちくりんな英訳のオンパレードだった。
言葉の通りに直訳はできないから、単純に私は「(長さ単位が)◯以下の場合」として訳した。
手順を「踏む」ではなかったけれども、もしそうだったとして「踏む」に該当する英単語をそのまま使えないのと一緒で、そこは実際の意味とそれに近しい他の表現を思い浮かべて言葉を置き換えながら訳すしかない。
多分そういうセンサー的な感覚が人よりも強いんだろうなと思ったのと、それを見て人は私に「言語センスがある」と言うのではないのかなと思った。
大学院博士号まで取った友達いわく、いつか論文に使う英訳添削を何回か頼まれてした時に、友達は最初「ここはさ、SVOCのOが〜」などと言い出して、私は即座に「私そんな説明できないから無理!何がどう違うのかその思ったことや感じたままを言えと言われたらそれは言えても、きちんと文法の意味添えて説明するなんて無理!」と会話をぶった斬って言ったら、友達は即「ぶっしーが思ったまんまを教えて!」と言ってくれて、それをそのまま言ったら友達はその私のよくわからない感覚説明にいたく感動してくれて、さらには「ぶっしーのその感覚で英語をキャッチしてそれだけ説明できるって本当にすごいから!!!」と何度となく言ってくれて、その時もピンときていなかったけれども「ふーん、そうなんだ…」と自分的にはパッとしない感覚で終わった。
それが今回第三者の英訳を見た時に、私なら使わない単語が出てきたのと、そもそも「統一」という日本語そのものに引っかかったのとを見て、「これって自分だけの感覚なんだな」とそこで初めて気付いた。
*
とかいう言語センスが、全くもって発揮されないというこれまた同じ日の別の話。
急ぎの仕事や神経使う仕事の時はまだ切羽詰まってるから仕事だけしているけれど(←えっ?既に色々日本語も内容もおかしい( ̄∀ ̄;))、納期は先で慣れた仕事なんかになると途端に睡魔に襲われて私はしょっちゅうネットサーフィンをする。
ネットサーフィンと言っても当たり前だけれど手芸関係とかメルカリパトロールとかをするわけじゃなく、とりあえずパソコンのトップ画面に出てくるニュースで気になったものを1つ2つ読むというもの。
その中で今回出てきた記事は、色んなことを思い巡らせながら、途中からは目の前の仕事放置して意識は全然違うところに飛んでいた(←仕事中よくあること(꒪ꇴ꒪〣)、おいっ!)。
記事の内容は、男性視点での全く好きでもない女子から告白されたらどうするか、気持ちが変わった派と変わらなかった派の色んな実体験が記されたものだった。
ある男性の実体験の話が頭の中に今も残っている。
その方は片思いしていた女子に告白して、付き合うでもなくその後も何だかんだとズルズル関係が続いて、多少は自分にも気があるのかと思いきやそんなことはなく、結局どうにもならなかった経験があってと前置きされていた。
今度は自分が違う女子から告白されたけれども、自分はその子と関係を進める気がなかったから、自分の時みたいに変に相手に期待させてもそれは相手に対して失礼だから「ごめんなさい」ときっぱり断って、さらには心を鬼にして仲良くしたりすることも一切しなかった模様。
他にも色んな男子たちがリアルな体験を語っていた実に面白い記事だったけれど、ここで私はまたポンと自分のことが頭に出てきた。
関係もいらないし気持ちもないから「ごめんなさい」なのはわかる。
本当にそんな気持ちも関係を作りたい意志もなかったんだと思う。
相手から何かしらアクションを起こされてその後気になった男子体験もあったけれど、気にはなっても本当に付き合うことになった人たちは皆テンプレートのごとく自分から今度は告白して前に進んでいて、そうではない、気にはなるけれどだからと言ってそういう気持ちとも違う人たちはモヤモヤしながらもどうこうするわけじゃないというのが多くの実体験たちにあって、それら全てを読むと「私の場合は何だろう?」と思った。
こちらが期待するような気がないんだろうというのはわかりつつあるものの、かと言ってバッサリと断ち切る感じでもない。
こじらせ男子なのか!?というのも違うと思う。
気がないというか、今とは違うものを求められてはいないんだろうなと思う。
日常の平穏や平和を壊してまで取り入れるようなものじゃないんだろうなと改めて思っている今日この頃。
平穏とかが乱される時というのは、自分自らそうまでして手にしたい関係なら覚悟もできるだろうけれど、そうではない相手なら覚悟なんてできるわけもなく、とりあえず放置が一番無難な線だと思う。
何の役にも立たないこのブログは、これからもご自由にな感じでオープンなままだし、私は私で書く気持ちが高まった時にこうして書いてアップするだろうし。
言語センスはこういう人間模様にもっと効力を発揮してくれるといいけれど、翻訳の時みたいな時にしか色んな読み解きができないのが相変わらず残念だなと思う。
意志のあるところには道が拓けるとよく言われるけれど、その反対も然りで意志のないところには道がどんなに欲しくても拓けない。
石を投げても道は勝手には拓いてくれないし、やっぱり大事なのは意志で、意思疎通をはかるにも「意思」があって初めて成立するわけで、意志のないことを突き付けられているようなそんな気持ちで悶々としている。
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2024/01/25(木)