2022年8月29日月曜日

星の鑑定☆2022夏

今年の花火
家の前から
2022/08/28

家の真ん前で上がるような感じで
寒かったら着る物を取りに行ったり
トイレに行きたかったらすぐに行けたり
そういう風に見れる花火って贅沢だなと思う

斜めに走る緑の太い線
これこそが縁の強さを表しているものの一部

ヘッドホンみたいなマークが
縦に2つ並んでいるのがノードリターン
魂のゲートがオープンして
魂的な縁者たちが人生に入ってきやすい
と言われている

27日土曜日の鑑定を受ける10分前に
このブログに付いた足あと
開かれた記事は
『ぶきようがぶきに』

それを見てくれた人のネット回線は
どうやらサウジアラビアだった模様



占星術鑑定の結果 2022.8.27

【A面】


仕事は年度末からどんなに延ばしても来年の5月末をめどにやめようと思う。


先生から時期の説明をされて、11月ではないなら年度末も良いという細かな説明を受けた。


こちらは細かく書き出すと長くなるしそちらよりもむしろB面が想定外過ぎて、そちらを今回はメインに書きたいから、とりあえずA面は終了。(早っ( ̄∀ ̄;)




【前段】


B面に行く前に、超面白いシンクロがあったからそれについて一言。


昨日金曜日、スーパーやらドラッグストアやらを数軒ハシゴして、あとは家に帰ろうという頃、突然車の中でゴリラのことを思い出した。


「ゴリラ」はあだ名で、塾の仕事の時にものすごく世話になった恩師のこと。


ゴリラは公立の学校の先生をしていたけれど、それを辞めて塾への仕事に転職した人だった。


ゴリラ教室は保護者までもが「ゴリラ先生」とゴリラのことを呼ぶ、本当にかなりぶっ飛んだ教室だった。


ゴリラが私が塾の仕事を辞める前に私に言った言葉があった。


「武士俣、おまえ俺のことすごいと思うか?」


「思います」


「お前がこれからやろうとしていることは、そういうことだ」


ゴリラは私への花向けのような、エールのような言葉としてそれを言っていた。


塾を辞めたのが10年前の2012年の6月末。


そっか、あれから10年経ったんだな、と運転しながら思った。


10年、色々逃げたり覚悟が足りなかったり頓挫したり色々あったけれども、色々あった分覚悟も小さく小さく積み重なってそこそこの大きさになってきたなと今は思う。


ちなみにゴリラの苗字「清水さん」はすぐに思い出したけれど、ゴリラの下の名前がどうしても思い出せなくて、代わりにゴリラだけが色濃く残っているあたりが自分だなと思う( ̄∀ ̄;)


話は変わって、今日土曜日の鑑定直前のこと。


このブログの足あとチェックをした。


『ぶきようがぶきに』という記事が読まれていた。


なんとサウジアラビアからのネット履歴で、それ本気で!?と思いながらも、一体全体『ぶきようがぶきに』は何を書いたのか、なんとなくゴリラに言われたことかもとは思ったけれど、いかんせん記憶が曖昧で具体的な内容は思いつかず、それでさっと開いて読んでみた。


驚いた。


本当にゴリラのことについて触れた内容だった。


私にはわからない。


何がどうしたらゴリラのことをその半日くらい前に思い出して、そしてどこかの誰かがピンポイントで開いた記事にまさにゴリラ本人が出てくるだなんて、どんなシンクロ具合ですか!?と思った。


謎のシンクロと、先生によって設定された今日というタイミングがちょうど新月で、特別な鑑定になるだろうなぁなんて思いながら鑑定に入っていった。


(27日と28日の2日間のどちらかで鑑定希望を出したら、先生から今日の方で設定されてきて、そしてその何日か後に家の日めくりカレンダーを見て新月の日だと気付いた。)




【B面】


2時間の鑑定の前半は仕事を辞める時期の話。


で、途中から全くお願いもしていなかった話を先生が振ってきて腰を抜かしそうなくらいに驚いた。


「史子さん、例の彼からは連絡がありましたか?」


Σ( )))) Σ( )))) Σ( ))))


前回先生の鑑定を受けたのが2020年の12月の終わり。今調べた。


今から2年半以上前になる。


しかもその間、先生と特別に何かの話はしていない。


先生のオンライン講座を受けはしても、そんな時は何十人という多数の受講生の中の1人が私だから、個人的なやりとりはしない。


ちなみに「例の彼」はイケメン上司のこと。


そんなこと、先生よくぞ覚えていたなというのと、何せ今回のメインは私の仕事を辞める時期のことだからイケメン上司のことなど一切話にも出してなければ相談としての項目にも挙げていなかった。


本当に毎回毎回、他者からもたらされるイケメン上司の話題は、私の想像など及ばぬ超ぶっ飛んだところからもたらされる。


もはやイケメン上司や私の意志などお構いなしに天空なのか宇宙なのかあの世なのか神々の審議会なのか魂連合会議(今私が作った造語)なのか、何かしらの強い意志が働いているとしか思えない。


お願いだからその謎の威力をイケメン上司の意志にも注入いただいて、イケメン上司も「なんだか知らないけれど、体が勝手に武士俣さんに連絡を取っていた」とかいう風にならないだろうかと思う( ̄∀ ̄;)


ちなみに鑑定時間2時間中、1時間弱はイケメン上司にまつわる鑑定だった\((_))


イケメン上司本人の内容ではなくて、イケメン上司と私との関係だとか出会った日の天体模様とか、そうしたことから読み取れる先生の分析や見解だとか。


ちなみに先生は超理論派で自らも鑑定を「理論武装して臨む」と言い切るくらいで、持ち上げもないし変な期待の持たせ方もしない。


だから先生が全くお願いもしていないイケメン上司の話を振ってきたことに心底驚いたし、前回見てもらった当時のイケメン上司の個人データが残っていて(勝手に人の個人情報を先生に流して見てもらった人…/( ˙³˙)/)、先生はそちらでポチポチ何かしら入力しながらすぐにババっと色んなデータを出してきて、それを見たり私とのデータと重ねて出てくるものを見たりして、本当に色んなことを教えてくれた。


マニアックな話だけれど、今回私は元々先生に通常のホロスコープ だけじゃなくて魂のチャートと呼ばれるドラゴニックチャートというものでも自分の人生の流れを見て欲しいとお願いしていた。


そちらもお願いした理由として、どうも自分の人生は三次元的なことは不自由ないくらいには物事が動くけれども望んだことは動かない、その一方でお願いもしていないこの世のものとは思えない見えない世界の力的なものはバンバンと働きまくって、なんだかよくわからないことは色々起こりまくる、ものによっては受け入れ難いものがあるように感じているから、それで自分の人生を三次元レベルだけじゃなくて魂レベル的にも見て理解に努めたいと思ったから、それでドラゴニックチャートの方もお願いをした。


ちなみに先生いわく、通常は普通のホロスコープと魂のホロスコープとがそれぞれあるみたいなのに対して、私の場合は魂のホロスコープが根底にあって、そちらの中に三次元的な普通のホロスコープも含まれている、もはや三次元的なものはついでとは言われなかったけれども、やたらと効いているのは魂のホロスコープ側で普通の方はその上にちょんと付いてるみたいなことを言われた。


何を言っているのか読み手の人からするとわからないかもだけど、私にはなるほど納得だった。


とにかく社会生活も私生活もやたらと変な力が効きまくっていて、どうも自分の思うような感じに人生が動いていかない感じだけはよーくよーくわかる。


変な力も自分が望む方向に効きまくりならいいけれど、十中八九は望んでいないとかむしろ止めてもらいたい方にやたらと効いたりする。


私が言う「自分の力が及ばないところで色々動く」というのは、今回の鑑定の流れもわかりやすい。


今回は嬉しいサプライズだったからそれはすごい良かったけれど、普通にお願いもしていない情報、それも相性だのを見るとなるとこれは超マニアックな流れになる。


だからイケメン上司のホロスコープも普通バージョンと魂バージョンを先生は出してくれていて、それを見ての分析を私に教えてくれた。


知れて良かった、本当に良かった。


ずっとずっと何だろう?と思っていたことと、少なからず私の勘違いの下色んなことがそのように見えているだけじゃないのかと自分の中の疑いが長いことあり続けたから、だからこそガチガチの理論に基づいて、なんならデータなんかは先生じゃなくてシステムが計算するから人間の主観や期待なんか一切入ってないわけで、そうした先生の理路整然とした説明とシステムから得られたものたちからの情報とでイケメン上司と自分とが本当に強い縁があると知れたのは本気で良かった。


過去最高の肯定材料と言っても良かったくらい。


で、本当に聞けて良かったけれども、こんな予定にもない話がもはやメインディッシュですか?みたいな流れに本気で驚いた。


本当の本当に聞けてめちゃくちゃ良かったけれど、なんだろうこの流れ?という疑問は残った。


しかもなぜか先生は別料金を取らないけれども、多くの占星術鑑定もその他占いも自分以外の誰かのチャートも見て欲しいとなると普通は別料金が発生する。


別料金が発生する理由は、ぼったくりとかではなく、1人分ずつ見るならその人数分の手間暇がかかるわけで、しかも単にデータを出して終わりじゃなくて出した後読み解くこともセットだから、大体その場でお願いして見てもらってさらにはそこからわかる情報を伝えてもらえるだなんて、普通に考えてもイレギュラー中のイレギュラーだとわかる。


さらには先生の場合、その場でサクサクと見て即答で深くて重要な情報を伝えてくれるなんて超神業!と私じゃなくても占星術を知ってる人たちなら感じると思う。


とにかくそんなレアケースが今日も起こっていたという不思議。


先生に言われたことは、まずは魂のチャート同士ですごい強い結びつきがあるということ。


現世の生まれた時のホロスコープ同士はそこまで強い縁ではないみたいだけれど(ないわけじゃないけれど、強さで言うと超ウルトラスーパー最強というのじゃない)、魂同士のチャートだと超縁が強くなる。


それもイケメン上司側は生まれた時の具体的な時間(何時何分)と生まれた町がわからないから私のような正確なホロスコープではない状態でも、ものすごくはっきりと縁があるとわかる配置を2人のチャートを重ねると出てきた。


頭の中で噛み砕くのに私なんかは時間がかかるけれど、パッと見て何重にも線と線が重なってものすごい太い線が形成されているのを見て、それを見るだけでもすごく縁が強いとわかった。


さらには出逢った日で見てもらったら、これはもう最強な配置で、誰がどう見ても縁があるとわかるものになっていた。


先生も感嘆して、「これはすごいですねー、本当すごいですね♡\(*ˊˋ*)/♡」と色めき立つじゃないけれど、普段淡々と説明されるタイプの先生だからこそ(話し方は熱いけれど、説明は理論がキッチリしていて淡々と主観的な感情は抜きにして見たままを伝えてくれる)そんなにも感情的に表現する様子に私の方も驚いた。


だから相当レアなケースなんだろうと思った。


さらに「出会った日は何年の何月何日でしたっけ?」と先生が聞いてくれて、その日のホロスコープとイケメン上司のホロスコープとを重ね合わせて見てくれた。


「もうこれは凄すぎますねー٩(ˊˋ*)و

あつらえた出会いって感じです。

いや、本当にここまで重なるとすごいです!!!」


先生の方が興奮していたくらいに(私は興奮したくても知識量が足りなくてそれがそんなに凄いのかどうかがあまりよくわからなくて興奮できなかった())、とにかく本当に熱く語ってくれた。


ここでは簡単にしか説明しないけれど、ノードと呼ばれる魂のテーマやら縁やらを表す軸がある。


そして、ノードリターンと呼ばれる、生まれた時のノード(ドラゴンヘッド )の位置に今現在のノードが重なることが18〜19年に1回起こる。


どこかのブログにも書いたけれど、イケメン上司のノードリターンの時に私はちょうどイケメン上司のいる職場に入ったわけで、魂のご縁に相応しいタイミングで私はイケメン上司に出逢えたことになる。


それを先生があつらえた出会いと呼んでいて、さらには他のポイントも色々縁がありまくりで、すごく縁が強いのははっきりと魂のチャート上に出ていた。


イケメン上司と私とが出逢ったのは偶然でもたまたまでもなく、本当に魂的なご縁が強くてそれで出逢えたんだとようやく5年以上経った今、天体たちから算出される数字たちによってわかった。


イケメン上司のノードリターンのことは私も知っていたけれど、先生はそれ以外のところでのたくさんの接点、縁があることの強さを見てわかる情報からたくさん伝えてくれた。


これは先生じゃなければ絶対に読み取れない、紐解けないことだった。


ふんふんと私も嬉しくなりながら聞いていると、先生がまたもや爆弾発言をしれっとしてきた。


「史子さんから連絡されないんですか?」


お茶とかは飲んでなかったけれど、本気でお茶を口から吹くかと思うようなすごい斬り込み方で、もはや鑑定ではない次元へと脳内は飛んで行った。


先生いわく、今年の後半から来年の春あたりまで私の方の出会い運がとっても高まるらしい。


先生はその彼から連絡が来るといいですね、とも言ってくれたし(私の第一希望)、そうでなくても何かしら出会いが運ばれてきやすいということがホロスコープから読めますと言っていた。


なんなら「史子さんが好むかわかりませんが、マッチングアプリとか、あと抵抗あるかもしれませんが上司など目上の信頼できる方に『誰か良い人がいたら紹介してください』と頼んでみるのも良いと、ホロスコープのこの部分から読み取れます」とまで言われた。


ちなみに本当に何かしらの縁が運ばれて来るとするなら、そちらも魂的な繋がりが強い人なのは確定路線。


どの口が言うのかと思うけれど( ̄∀ ̄;)、もう魂的なご縁の繋がりよりも私が好みそうな現実的に一緒に年を重ねていけそうなそういう出会いだといいんだけどなと思う。


魂的なご縁の繋がりは、強烈に自分の中の何かを呼び覚ましてくれる存在やきっかけにはなってくれるけれども、今の世の中の結婚システムや一般的なカップルのような日常を望んでもそういう望みは悲しいくらいに叶わない傾向にあるとわかったから、そういう縁はこれ以上自分がしんどいのは嫌だからご遠慮したい、というのが本音に近い。


ちなみに、先生に言われてイケメン上司にもし連絡を取るならと想像した時に、いきなり今日言われたから今日などとできるわけもなく、メールの文章を熟考するとか下書きするとか色々大変すぎると一気に現実的な動きが頭に浮かんで、そこで初めてイケメン上司が万が一私に連絡したいという気持ちになったとしてもそりゃハードル高すぎて連絡を取るに至らないだろうことに初めて体感を伴っての視点に及んだ。


「無理無理無理」と私だって尻込むぐらいなわけで、イケメン上司ならさらにその気持ちを強く抱いても全く不思議じゃない。


普段からブログやら個人的な手紙やメールを書くことに慣れている私だって何を書いていいのかわからないくらいで、イケメン上司というか多くの人は個人的なメールや手紙などそんなに書き慣れてることはないだろうし、ましてや男の人ともなれば「俺メール大好き!」「俺メール書くの得意」なんていう人が果たしてどのくらいいるんだろう?と思う。


失礼を承知で書くと、イケメン上司はその中でも「超苦手」と感じる人たちの中でも本当にキングオブ苦手さんになれそうなくらいに苦手な気がする


こんなこと言い出したら、イケメン上司の本心が万が一私が望むような方に向かっていたとしても、現実的に連絡を取るなんてとんでもなく非現実的だなと思う。


まぁ、本当に何とかしたいのなら勇気を出して連絡を取るだろうから、そうではない私というのはそこまでの勇気やリスクを引き受けてまで連絡したい相手ではないんだろうなとも思う。


魂の繋がりが強いからと言って、連絡を取りたいとか関係を密にしたいとかそういうことはイコールじゃないんだと思う。


それはそれ、これはこれ、みたいな。


私がもしイケメン上司の好みのドストライクな人であるならそりゃもう真面目に行動しただろうけれども、いかんせん相手は私なわけでもはや何の罰ゲームであいつなんだ?状態じゃないのかと思う。


とにかくとても強い縁で出会いもおあつらえむき(御誂え向き)な感じでホロスコープ上は申し分ない感じなのはわかった。


ホロスコープ上は!(重要だからリピート)


人間界というかイケメン上司の世界的にはそうでなかったんだろうけれど、ホロスコープ上は本当にご縁があるとか魂的なチャートだと強固な縁だとかいうだけのこと。


現実世界と魂世界とのギャップが憎いところだけれど、それは仕方ない。







聞き直さないと何でそんな話になったのか覚えてないけれど、先生の方から「武士俣」の苗字について聞かれた。


今現在の世帯数はわからないけれども、市内の特定の地域に「武士俣」姓が固まっていて、子どもの頃電話帳で数えたら40軒ほどあって、うちはそこの1つから出た分家になること、本家は16代か17代続いてその最後の当主が今年の2月に亡くなったこと、だから武士俣家が無くなったことなんかを先生に簡単に説明した。


私は、オカルト体質を使っての仕事をする時も本名のまま「武士俣」の名前でやること、その理由は本名を使う以上は悪いことはできないことなんかを伝えつつ、反対にもし結婚して戸籍上の名前が佐藤なり鈴木なり何かしら別の姓になったとしても武士俣姓を名乗り続けて仕事はすること、そちらの理由としてはそれが夫となる相手とその家族を私のオカルト的なものに巻き込まなくて済むこと、何とか守れるのではないかと思っていることなんかを話した。


先生がその時にとても素敵なことを言ってくれた。


私というのはそもそもご先祖様からの加護や護られてるところがとても強いのだそうで、それはホロスコープ上に出ていると先生は講座を初めて受けた4年前からずっと言っていることだけれど、そうしたこともわかった上で先生はこんな風に言ってくれた。


「史子さんが『武士俣』の名前でやっていくということは、たとえ武士俣の家が終わったとしても、今度は違う形で武士俣の名前を継承して広げていくことができる、そういうことが可能になるんですね」


その話をしていた時に、はたと思い出した。


イケメン上司が私と初めて会った日に、職場内の趣味仲間で仲良しのSさんに「ブシ」と一言だけLINEしたという話。


イケメン上司が好きな某有名人の名前が「ブシ」で、まさかの職場にやってきた派遣の人が「ブシマタ」だったわけで、私のこの苗字にやたらと反応してくれてたことを、そして普段仕事中にLINEなどしない人のようで、そんな人が仕事中にわざわざLINEしてきたということでそれにも驚いたとSさんが教えてくれたことを突然思い出した。


先生が武士俣姓に目を向けたのは、ホロスコープ上の何かと結びついて浮かんだ質問だったけれども、先生にそこまで言われた時に、もし私が武士俣じゃなくて佐藤や鈴木だったらどうなっていたかな?なんて思った。


想像でしかないけれど、全国トップ10みたいな名前だったのなら、私など初めての日に注目もされなかったんじゃないのかなと思う。


容姿がズバ抜けて美人だとか目を見張るほどスタイルが良いとかキラキラオーラが出ているとかどれもこれも皆無で、武士俣姓以外に突出していることは何もない。


武士俣姓で得することは何にもないけれど、この時ばかりは本気で感謝したくなるくらいに武士俣姓で良かったと思った。


イケメン上司の中でも、私という人物はさておき、武士俣という苗字はインパクトがあっただろうし、生涯忘れられないような苗字だと思う。


先生がなぜか今頃になって武士俣姓に注目してくれたおかげで、イケメン上司と武士俣姓の繋がりエピソードまでもれなく思い出して、すごく楽しい気持ちになれた。







B面が充実しすぎな鑑定だった。


今頃になって魂の繋がりが強いことを星たちから立証されたわけだけれど、私が思うにもうそういう情報で私が変わることがないからやってきてくれたんじゃないのかなと思っている。


星の情報1つで私の気持ちとか感覚とか捉え方とか、そういうことで左右されない自分になったからこそ、これ以上ない絶対的な、少なくとも私からすると一点も疑うことのできないものを渡されたのかなと思う。


天体の位置なんて人間がどうこうできるレベルのものではない、それこそ太陽はどんな権力者や超能力者も西から昇らせることができないのと同じでとにかく絶対的なものだし、それを超理論バリバリで読む先生から読み解いてもらっての情報で、イケメン上司と私とが出会うのは個人の力でどうこうできるものじゃない、異次元の世界で決められてもたらされたものという感じに私には感じる。


そしてそんなことは全く知らずにいて、ただただ目の前に存在してくれてるだけで自分が何だか救われる、癒される、そんな人がイケメン上司だったわけで、もし魂の関係なんか何もなくても私は同じようにイケメン上司に感じたと思うし、この人は何かこれまで出会ってきた誰とも違う人というのは変わらなかったと思う。


それは5年経った今も変わらないし、冷たくされようが無反応だろうがそれでも変わらない。


そういう風に何も変わらないところがはっきりしてきたからこそ、もたらされたご褒美みたいな情報のように感じている。


これを読むイケメン上司は「ゲッ(ΦдΦlll)」ってなってるかもだし、「もっと美人で性格の良い人と繋げてくれよ」と思うかもだし、まぁ不満な声が聞こえてきそうだけれど、イケメン上司側はともかくとしても私側は知れて良かった。


A面側はますます頭や胃が痛くなりそうな内容だけれど、B面側は思わぬ癒し星情報だった。


個人的にはA面そっちのけでB面にメロメロしていたいくらい。


今年の夏の1番の思い出にさえなりそうな予感()

2022年8月27日土曜日

脳内の空白

脳内クリーニング

脳内の空白

脳内のスペース

色々なタイトルを思い浮かべながら今日はブログを書こうと思っていたけれど、早くも予定は変わりそう


今日の11時から占星術の鑑定を受ける。


初級講座の時の先生からオンラインで2時間受ける。


仕事を辞める時期についての相談。


そしていよいよ自分のオカルト体質を使っての仕事を作っていくことへのスタートみたいな、この辺りはどこまで書けるかわからないから今日ここでは詳しく書かないかもだけど、とりあえずそれを念頭に置いての仕事を辞める時期の相談。


今自分で書いててわかったけれど、本当の相談は「辞める時期」なんだとわかった。


11月末で派遣法だと思うけれど、派遣の法律に基づいて満3年の契約が終わる。


3年を過ぎた時、企業が社員として直接雇用するか派遣会社側が直接雇用するか(雇用形態は変わっても、基本はどこかに派遣される)、そんな感じで切り替えないといけなくて、説明が怪しすぎるから止めるけれど、とにかく何かしらの変更が為される。


今回の私の場合、これまでは3年の「有期雇用」から同じ職場の同じポジション(部署)での「無期雇用」に切り替わることへの提案が為されている。


会社からは5回以上、お偉いさんたちから正社員雇用の打診があったけれど全て断った。


ここ最近、ヤフーニュースの超氷河期世代と呼ばれる自分たちの世代の人たちの雇用についてのニュース+コメントを読んで初めて知ったけれど、正社員として雇われると、余程の理由がない限り企業側は辞めさせることができないというのを初めて知った。


大学生の頃、いわゆる「就職活動」を日本で尚且つ一般企業をターゲットにしてこなかったから、私は未だに新卒採用の流れもわからなければ基本的なそういう雇用される側の権利みたいなのもわかっていない。


次に協力隊から帰ってきてリーマンショックの翌年に転職活動をするわけだけど、40社以上受けて1社だけしか内定が出なかったのも、いくらブラックな働き方の塾での仕事とは言え、よくぞ採用されたと思う。


その時も私は正社員であることの良さなどさっぱりわからず(実際にはちゃめちゃな働き方で二度としたくない)、2年半後辞めた。


その後はプー太郎と派遣・バイトと引きこもりの繰り返しみたいなもので(書くとそうなるけれど、実際の中身は超強烈だったし、その10年近い30代から40近くまでに起こった色んなことは自分の一生の中で忘れられない)、っていうかプー太郎と引きこもりは書き分けなくても一緒じゃんと今気付いたけれど、そんな自分に対して、それも43歳のこの年齢で正社員雇用をオファーしてくれるなんて、それも一部上場企業からオファーが来ていたにも関わらず断るなどというのは、世間の常識からすると相当な馬鹿で常識外れの人だと思う。


それを断ったけれども、会社の方はとりあえず3年打ち切りではなくて今度は期限無しでの雇い方の無期雇用の派遣での継続の申し入れが来た。


こんなことばかり書いていると本題に行きそびれそうだから、そうした話はここで一旦打ち切りにして本題に移りたい。


先生の鑑定を申し込んだのは盆明けで仕事に行った2日後の金曜日の夜だった。


8月の初めに無期雇用の打診が派遣会社から来て、8月中に回答が必要だと言われていた。


いよいよ決めないとまずいとお盆前後に思って、そしてとりあえず派遣会社につい最近の2、3日前の水曜日の夕方に行って(もちろん予約して)、無期雇用に切り替わった場合の法律的なものや事務的なことなんかを諸々確認してきた。


とりあえず1つ1つ確認やらなんやらを完璧にして、その上で自分が何を選びたいのかを考えたかったのと、何を選んでも大丈夫なようにはしたかった。


こんなにあっさり書いてはいるけれども、実際に1年前の11月過ぎたあたりからあと1年で終わることが頭にあったわけで、真面目に身の振り方を考えないとまずいとは思っていた。


そしてここに来てようやく決めないとまずいところにまで来て、今バタバタとパズルのピースを埋めるように確認作業をして、決めようとしている。


正直なところ、今のところで継続することが一番楽チンだし、正社員の道を選べば本当に安定して親の目にもよろしく映り私も変なことをいちいち考えずに済んだし、もしくは無期雇用で長く派遣することも福利厚生は正社員とは雲泥の差でも安定はある程度見込めるわけで悪くはない。


そして、塾の時とは全く違っていて、今の職場は役所かと思うほど、実際に役所の仕事の派遣も行ったことがあったから余計に感じることではあるけれども、役所以上にスーパーぬるま湯の手を抜こうと思えばどこまでも手抜きができる企業で、そして手を抜こうが本当に使えなかろうが(使えないレベルが小学校1年生レベルでも)絶対にと言い切ってもいい解雇されない会社で、とにかく驚いている。


さらにはその手抜きや使えないどころか企業側に相当な不利益をもたらす人でもボーナスとかは満額きちんともらえる。


ふざけて言ってるのではなくて、真面目に仕事ぶりや能力があまりにも目に余る人たちが何人か周りにいて(冗談抜きで発達障害の中でも重度と思われる正社員の人たちもいて、仕事は今日職場体験に来ました!みたいな中学生の方がいるとするなら中学生の方が確実にできるレベル。そして派遣や契約社員どころか法律で決められてる?外部からの高齢者雇用のおじいちゃん的な立場の人よりもはるかに下回る超軽い・超少ない内容で責任の一切発生しない作業しかさせられない、それでも正社員だからという理由で置くしかない人もいる)、でも「正社員」という守られた雇用である限り切られることはなくて、さらには定員1に対して0を通り越してマイナス1、要は人員としてはいるけれどもあまりにも仕事をしないとかできないとかで周りが余計なフォローまでしなきゃ1どころかゼロにさえならない、そういう人たちがいるだけでできる人たちが2人分の仕事をしないといけない、そんなゆるゆるな職場で、きちんとお給料やらボーナスやらをいただけて、その他福利厚生もバッチリ過ぎる。


週1必ず休んでも正社員役職付きとかってなんだろう?と思うし、紙の数を数えたりハサミで紙を切ったりそんなことで何十万円のボーナス貰えるってどんな仕組みですか?と大真面目に思うけれども、とにかくそんなにも楽チンなありえない働き方もできたりするわけで、そうした雇用環境での正社員を断るなんて相当おかしいと思う。


なんだか愚痴になってきたけれど、とにかく色々冷静になって決めたり考えたりしないといけない時期なのは間違いなくて、そういう意味なんだと思うけれど、お盆明けから仕事がなぜか異様に落ち着いていて、ずっと残業無しが続いている。


本当に変な仕事が来なくて、とても穏やかな日々が続いている。


これは間違いなく天の采配だと思った。


お盆前、2回も休日出勤して連日残業して、総時間数が何十時間なのかわからないけれど、超ガツガツと英訳しても終わりが見えなかった80ページ新規英訳の時は本気で半泣きだったし、家に帰っても落ち着かなかったし、とにかく数日間は常にそのことが頭の中にあった。


大型で短納期の英訳依頼は精神的な余裕がいつの時もないし、とにかく余計なことを考えてる場合じゃない。


とかいうことがこの10日ほどなくて、それで冒頭に書いた、脳内クリーニングとか脳内に空白を作ってまで自分と向き合うことが今なんだろうと思う。


とにかく余計なことを考えずに済む状況が与えられて、今日の鑑定に万全の調子で臨めるようになっている、と昨日金曜日になって気付いた。


ちなみにこの後、来週なのか9月に入ったあたりなのか、また怒涛のような大型英訳がいくつも重なる計画が立てられていて、また考え事をするような時間や余裕は無くなってくると思う。


本当に期間限定の空白の時間という感じなのがここしばらく続いている。


最終的に自分が何を感じてどんな判断を下すかはわからない。


ただ、何がどうでも、自分が1%でも多く納得できるもの、スッキリするものを選べたらいい。

2022年8月22日月曜日

埋まらない寂しさ

昨日の太陽
2022/08/21

今日の太陽
2022/08/22



2022/08/17…お盆休み最後の日


埋まらない寂しさがある。


言葉にすると、そんな感じ。


誰かといたいとか、1人だと孤独だとか、そういうことじゃなくて、何か根本的に寂しい気持ちを感じまくって胸の辺りがキューと絞められるような息苦しさを覚えて、後悔はしてないけれどもどこかで生き方を間違えてここまできちゃったんじゃないかと思ったり。


人と人とがお互いにぶつかったり言いたいことを言ったりして、時には感情を剥き出しにしたり見せたくないような自分も出すつもりなんかなくても出てしまったり、そういうことの積み重ねの先には言葉では表せないようなすごい強力な関係が生まれたりする。


もちろんみんながみんなそうなるわけじゃないけれども、絶対的な信頼とか安心感とか、そういうものが生まれる可能性がある。


この先自分がどれくらい生きるのかはわからないけれども、平均寿命まで生きられたとして40年ある。


この埋まらないタイプの寂しさをこれからずっと抱えて生きていくのかと思うと、けっこうどころかかなり強烈だとわかる。


良くも悪くも日常のごちゃごちゃした用事を足していると、それは仕事をするとか家事をするとか寝るとか、そういうことの時には紛れてその寂しさは顔を出してこない。


多分このブログも書いているうちに感情は薄れてくると思う。


そういうものが無くなって、ある種の「無」の中に外側から何か新しい刺激が入ると、突然その寂しさの形が浮き上がってくる。


自分の努力ではどうにもならない寂しさがわかる。


普段は見過ごしているどころかあることにさえ気付いていない。


ところがちょっとした拍子に、その寂しさが浮上して、自分でも自分にビックリする。







2022/08/18…お盆休み明け仕事始め


上の文を書いてからちょうど24時間くらい経った気がする。


浦島太郎並みに大昔のことみたいに感じる。


なのにまだ丸1日しか経ってないとはビックリする。


1週間ぶりくらいに仕事に戻って、日常にも戻った。


昨日の早朝、真ん中の妹が東京に戻って、朝9時頃妹夫婦と姪っ子がそれぞれ帰っていった。


今回妹夫婦を見て、2人の絶対的な信頼と安心感を目の当たりにして(これまでも見ていて、多分彼らはかれこれ20年近い付き合い)、そして小学校1年生の姪っ子が寂しくなったり気持ちを上手く整理できないと「おかあさん」と妹のところにすり寄って行って自分が絶対に安心できるところを自ら求めて手にするその様子を見て、どうにもならない気持ちがムクムクと湧いた。


妹たちについて言えば、本当に密なコミュニケーションを長年取っていて、今なんか2人でパン屋さんをやっているからとにかく24時間365日一緒みたいな生活で、良くも悪くも常に一緒だから、一般的な夫婦よりも相当長い時間を共にしている。


姪っ子は待ちに待った待望の第一子で、だから本当に2人ともとてもかわいがっているし、親族一同初孫の初姪っ子だからみんなから愛されまくって、とにかく愛に飢えることのない、私が知る人の中でも1番愛されて育っている超特殊な愛情環境にあると思う。


妹たちの努力もずっと長いこと見ているから、本当に運が良いとは全く思わなくて、自分たちの日々のコツコツがこうして実を結んで今に至っているということはよくよくわかる。


だからそれに対してどうだとかいうようなものは一切ない。


けれども、それこそが私が本当に欲しい現実で、何をどう間違えたら私は今みたいな人生になっているんだろう?と大真面目に思ったし、どうやっても埋まらない寂しさを前にとにかくメンタルはダダ落ちだった。


昨日思ったことを思いつくままに書くと。


例えば姪っ子が妹にベタベタ甘えて自分の心のすきまをふさごうと、ゲームで思うような結果にならずテンションが落ちた姪っ子はそうやって自分の心を満たしていた。


自分の好きな人と一緒になって、好きな人の子どもを産んで、2人でその子どもを大切に育てて。


その色んなことがうらやましいとかいうことさえ通り過ぎて、私には自分が手にしたかった未来がなくて、もちろん何かしら他の人たちが手にしていないものを私だって手にしているんだろうけれど、どうやってももう手にできない色んなものへの気持ちの整理ができなくて、そんなのは整理する必要もないのかもしれないけれど、昨日の沼の底に沈んでいるような寂しさを自分が感じた時に私は本当に落ちに落ちた。


みんなで楽しい時間やくだらないけれど面白い時間、色んな時間を共有することはできる。


けれども、目には見えなくても強烈に感じる色んなものを、そしてそれらは私が本当に欲しくて欲しくて仕方ない、けれどももう手にすることはできない、そういうものがわかって、その気持ちの持って行き場がなくて、表面はニコニコできていても心の中では重たくてどうしていいのかよくわからないものがずっと横たわっていた。


妹たちが帰って1人の時間を持てた時に、そうした感覚はもう誰にも何にも遠慮することがないから、もっとくっきりはっきりと現れて、そして普段なら日常にかまけて、何なら妹たちがいる時もなんだかんだと家事はあるわけで姪っ子と遊んだり家事をしていたり妹たちとしゃべっていれば紛れるわけで、とにかく普段ならなりを潜めているものが全て剥き出しの状態で、まるで古傷と新しい傷とがさらに大きな傷となってあるみたいな、そのくらい心はか細くて痛くて泣きたいのかわめきたいのか逃げたいのか、なんだかよくわからない感情と感覚がドバドバと果てしなく出てきて、なのに何をしても読んでも見ても心は渇ききっていて、あの雨が降らなくて水が干からびて地面が割れるみたいなあんな感じで、とにかく本気で強烈だった。


心の傷を癒すためのセラピーなんかもけっこうな数を受けて、自分自らもやったりして、そういう感覚にはある程度慣れているし、それらと安全に付き合える感じや術も知っている。


でももうそんなレベルよりもさらに強烈な感覚に昨日はなっていて、自分でも自分をどうしたらいいのかわからないくらいに強烈過ぎた。


大人になってからしゃっくりを上げるほどに号泣の中でも号泣したことが何回かあるけれど、昨日は泣きはしなくてもなんなら涙の1つも出なかったけれども、心の強烈度合いはそうした号泣の時と同等、もしくは泣いていなくて変に冷静だった分さらに強烈な感じさえあった。


ふと職場で必要とされていることを頭がよぎった時、はっきりと「私が欲しいのはそういうことじゃない」と思った。


職場で必要とされているのは、私個人じゃない。


私ができることで会社に貢献できることを求められてそして必要とされている。


そんなのは私の場合、全くと言っていいほど心を満たされたり潤されたりしないし、欲してもいない。


私が最強だと思うのは、何でもない自分、なんならやらかしてる自分を必要とされたり受け止めてもらえたりすること。


姪っ子が妹に近寄って何かを欲するのは本能的なもので、妹の人格や性格は何一つ関係ない。


身内が言うのも変だけれど、妹はとても良い母親だと思う。


そして姪っ子をとてつもなく愛してるのがひしひしと伝わってくる。


だから姪っ子も安心しきって妹にベタベタと甘える。


心の不安定さを妹に埋めてもらおうと自ら主体的にそして本能的に動いている。


妹夫婦は赤の他人同士だけれど、本当に仲良し夫婦だし、ケンカする時もしょっちゅうであればお互いにお互いの不満をぶつけ合っているところも見ているけれども、そういうことも全部ひっくるめてお互いに絶対の信頼感と安心感を持っていることがわかる。


不仲だったり上手くいっていない夫婦の話もたくさん聞いたり実際に見たりもしているから、妹たちがかなり特殊な稀有なケースなんだと思うけれど、でも私が目指したいのはそれであって今どきの夫婦事情にありそうな夫婦じゃない。


お互いに言いたいことが言えないだとか、隠し事があるだとか、大事に思えないとか、なんなら他に気になったり好きな人はたまた付き合っている人がいるとか、そんなのは悲しいと思う。(悲しいと思うけれど、現実としてそういう夫婦やカップルはたくさんいる。)


イケメン上司のことも浮かんだけれど、こちらもさらに気持ちがただでさえマイナスなのにさらにもう1周グルリと回ってその先のもっと低いマイナスをぶった斬るみたいな、そんな気持ちに陥った。


もし残りの人生のどこかでイケメン上司から連絡が来るというすごい幸運なことが起こってくれたとして、だけどイケメン上司と私とがとても密なコミュニケーション、別にそれは言葉をたくさん重ねることに限らず、表情とか声の感じとか仕草とか、そういうノンバーバル(non-verbal…言葉以外 )コミュニケーションでも十分成り立つ、とにかくそうした色んな積み重ねを重ねて濃密な関係になる、そういう現実が生まれるかというとこちらはさらに絶望的な感じで、どこを紐解いても明るい未来や望む未来の形は想像できなかった。


そんなに誰かといたいなら婚活なりそういうことをすればと言われそうだけれど、私は自分の性格を見た時に、人間関係の根本的な努力ができないって知っている。


誰かを好きになる努力とか絶対に無理だし(勝手に好きになることはあっても、「好きになろう」というタイプの努力はできない)、相手のことを想えないのに一緒にいると私は相手のことを大切にするフリはしても基本的には大切にできないことが自分ではっきりとわかる。


ぶっちゃけ失っていい前提が無意識の深いところにあるから、そういう時の私は本当に最低だと思う。


自分がそうだから、相手のことを何とも本当は思っていないのに1人は嫌だから一緒にいるなんてしてしまったのなら、私はさらに変な悩みを自ら増やすことになる。


そんなの普通に面倒くさいから、だから私はそうまでして誰かといたいとは思っていない。


で、イケメン上司と私とは別の人間だしイケメン上司がどういう考えを持っているのか全然知らないけれども、少なくとも仮にイケメン上司と私とが一緒になるとなっても、私は自分がイケメン上司を夢中にさせられるような何かを持ってるとはちっとも思っていないし、私自身が何とも思ってない人を大切にできないのと一緒で、イケメン上司だって相手が大切でないなら大切にはできないと思う。


関係として、それが魂の繋がりが超強くてそれだけを切り取れば最強であっても、私に気持ちが向くのかどうかや私を大切にしたいと思うかどうかは、そういう魂繋がりの強度とは関係ない。


その辺はどこまでも人間的な感覚が優先されると思うし、そもそも私ってイケメン上司からして何なんだろう?と常々思っているから、そういう現実を思うと、私が欲している人間関係をイケメン上司と築くなんていうのは死後のあの世の世界でしか実現できなさそうと思っている。


そんな風に考えると、ますます自分の望む人生と現状及び未来の人生との乖離具合に、ひたすら絶望、やる前から諦めてるみたいな風だけれど、何か努力してどうこうできることではないこの現実に本当に打ちひしがれた。


オカルト的なことも思った。


このオカルト体質はいずれ使うことに自分で決めるだろうし、やらざるを得ないというのも大なり小なり思っている。


でも、魂はそれをしたくてこの人生を私という人間を選んできたかもわからないけれど、ぶっちゃけ私は全くと言っていいほど興味がない。


言うなれば消去法的なところもあるし、これまでの人生を棚卸しすると、人生の路線はそちら方面だし、たしかにこんなにも家庭やら夫婦やらという人間関係に憧れて仕方ないみたいなタイプの人間、しかも日常のくだらないことをこよなく愛するみたいな人間が、もし本当にそうした家庭生活を手にしたのなら、私は多分オカルト的なことは何もしないと思う。


話がだいぶ逸れるけれど、例えば今の会社で正社員のオファーが来ていて、そこに養う家族とか子ども、例えば旦那も何かしらの事情で働けないとなれば、私は何も迷うことなくその正社員のオファーをありがたく受け取った。


自分が大切だと、それも自分の命を差し出しても大切だと思える相手がいれば、私は自分の何かなどあっという間に順位が下がって、とりあえず目の前の誰かを守ることに全力を尽くす。


とにかく私は何にしても自分の今の人生、悪くないと普段は思っているし後悔もしていないけれども、それでも本当に手にしたかったたった1人の大切な誰かとその人と家族になることと、そんなことを諦める人生な今、どうやっても埋まらないものがある。


普段は気付かない。


あんな強烈な感覚を毎日100%の強さで感じ続けていたのなら、自分が倒れてしまう。


でも、本当に欲しかったものを目の前で見て感じた時に、その自分の中の「欲」みたいなものが渦巻いて、さらには普段は気付かないようにしているどうやっても埋まらない寂しさも自分で嫌というほどに出てきてしまってどうにもならなかった。


日常に戻ることも嫌だったし、こういうことをずっと抱えて生きていくだろう未来には絶望しか見出せなかったし、こんな根源的なものが満たされないまま表の別のもの、それが仕事だったりお金だったり娯楽だったり、そんな風に誤魔化して生きていくことにも自分は納得できなかった。


そんな強烈な感じを抱え続けること、こういうものは私からすると人間の三大欲求の食欲や睡眠欲、性欲なんかと同等で、無いことにすることの方が不自然だし無理があると思っている。


普段は隠せるし、っていうかその辺は上手くできていて、取り出そうと思っても取り出せないし、昨日ほどに強く感じることも意図的に感じさせるのは無理で、だから上手く日常は回せる。


上手く日常を回しながら何となく今日、明日、1年、何年先、人生の終わりまで繋げることは不可能じゃないと思ってる。


でも、そうやって誤魔化し続けて生きていくのは考えただけでしんどいなと思う。



一度途中から上のところまで読み返して(すごい散文だった)、1つだけ補足したいことがあってそれは書いておきたい。


「たった1人の大切な誰か」


これは私は特定の誰かを指していない。


特定の誰かは指していないけれど、そういう誰かを人生で持ちたいという話。


イケメン上司はどうなのかと言うと、そうであって欲しい気持ちはたんまりとあっても、あまりの叶わなさ具合にそれも自分なりに折り合いを付ける必要があることの1つになっていて、明るい気持ちにはなれない。


ちょっと話が逸れるけれど、今回色々な考えや過去が去来していた時に、私が苦手なもの、それもとっても苦手なものも思い出した。


私がそれならまだ1人でいて孤独の方が良いと思えるくらいに耐えられない孤独がある。


それは誰かといて、身体的には2人でいるのに心がバラバラで、1人でいるよりも2人でいることの方が寂しい、そういう関係。


それは本気で耐えられない。


目の前に人がいるのに、まるで自分が存在していないみたいな、いるのかいないのかわからなくなるような、そういうのは耐えられない。


物理的には一緒にいるのに何にも繋がれていない、そういう感じは本当に私が最も苦手とする孤独になる。


私はイケメン上司を大切にすることはできても、イケメン上司が私を大切にするかはわからない。


そして、関係が今とは違う風になって確実に今よりも繋がりが強くなれたとして、そんな関係の中でもし私がいるのにいないみたいな接し方をされたのなら、私はそれこそ立ち直れない。


私は時間を作れないと断られたことよりも、私が仕事の用件を伝言しているのに無視みたいな感じだったり、最後の日に冷たい感じの目と声を目の当たりにしたことの方が苦しくて発狂しそうだった。


私にやさしくして欲しいなどと寝言は寝て言えみたいなことは言わないけれど、そんな風だったから自分が大切に扱われる想像ができないし、2人でいると最強だね!ではなくて2人でいる方がなんだか寂しいねしんどいねってなりそうだし、そういう悪い想像がムクムクと出てきてしまう。


だから、イケメン上司とそういう密な関係がもし未来にあるとするなら、私の方は良くてもイケメン上司はそうじゃないだろうなと思う。


だからそこに変な期待なんかをうっかりしてしまうと、さらに現実との乖離が激しくなるだけだから、そして激しくなった先には今回のような巨大な寂しさがあるだけだから、そこは自分の心を守るためにもイケメン上司とは同じ土俵では生きていけない人生設定なんだと自分で自分に日々言い聞かせている。







2022/08/19…金曜日の朝


私が絶望したのは、今だけじゃなく未来にも誰とも密な関係になれないだろう現実だった。


もちろん未来のことは誰にもわからないし、ある程度は自分で変えられることだってある。


でも私には誰かと密になっていく自分の姿をどうやっても想像できなかった。


私には、オカルト体質なものを使っていることの方が現実としてありそうだなと思う。


でも、何をどこでしていたとしても、私は自分が常に満たされないものを抱えて生きていくだろう先々の時間を本当に悲嘆している。


誰かと家族になるとか、ならなくても深く付き合う関係になるとか、そういうものがこの先ない人生は、私が欲したものとは全く違う。


英語でもオカルト的なものでも誰かから自分が必要とされる体験はするかもしれない。


けれど、それはどこかにも書いたように、役立つ何かを提供できるそのものが必要とされてるだけで、私が必要とされてるのとは違う。


誰からも必要とされないのはある意味解放されてて楽なことではあるけれども、それこそが私の欲するところなんだと、そしてそこは他の何かをしたところではたまた持ったところで埋めることなどできない部分になっている。


誰かといないとしあわせになれないなんて思っていない。


自分のことは自分で決められる自由も知っていれば、しあわせを感じられる状態や感覚も知っている。


無い中でもしあわせを感じる自分のことも知っている。


でもそういうことじゃない。


誰かがいてくれるおかげで感じられるしあわせや満たされる感じ、そういうものを私はこの先ずっとずっと「手に欲しいものが入らない自分」を抱え続けるんだなと想像するだけで、本気で絶望しか残らない。


もしイケメン上司に出逢わなかったのならもう少し違ったかもしれないし、今よりももう少し柔軟に考えたり受け止められたりしたかもしれない。


イケメン上司が私の人生に現れたことで、誰かに興味を持つ感覚を、そしてその人が本当にいてくれるだけでいいと自然に思えてしまう状態を私は知ってしまった。


それを知らなければ、私にはまだ誰かと出逢ってお互いに知り合っていく、そういう未来も想像できたかもしれない。


これは誰かに出逢えばいい、出逢えて一緒にいられたら解決するという類いのものじゃない。


私と同じ熱量でイケメン上司も私のことを見ていてくれるならまだ先も明るいけれども、そんなことは地球が爆発して無くなっても起こる気配さえ無い。


ましてや多くの人たちが言う、死ぬ間際になってしてこなかったことへの後悔が自分の中から溢れてくるとするなら、イケメン上司にとっての後悔の中に私と過ごさなかったことなんて出るわけもなく、自分はそういう立ち位置になれないというのはわかっている。(言い切っているけれど、そうじゃないのなら是非とも否定されたい。)


それに関しては別に絶望感はなくて、残念だなと思うけれども、そんなのは宝くじを当てるよりもさらに難しいことだと思っているから、その辺りは妙に物分かりの良い自分がいる。


イケメン上司のことについて言えば、望みたいのは山々でも、それは叶わないことだという現実は自分なりに理解して受け止めているから、もう仕方ないと思っている。


一度知ってしまった感覚と自分が他の誰かを一番に据える、それもそうしようとしてそうしているのではなく、なんだか勝手にそんな風になっているわけで、そういうことを知ってしまった以上、それと同じものを求めるのは違うし、そんなことを自分の中の1番になんかしてしまうと最早他の何かや誰かでは到底埋めることなどできない。


自分がこんな年になるまで全く気付かなかったけれども、イケメン上司がこれまで出逢った他の人たちとは全く違うところが1つはっきりとある。


私が自ら相手を「知りたい」という気持ちが湧くかどうかということ。


よくよく考えたら、私は誰かのことを「知りたい」、それも考えや価値観とかいうようなことだけじゃなく、そんなことよりも日々何を見ているとか食べているとかどんなくだらないことを考えているとか心のぼやきとかふとしてしまう仕草とか癖とか、これ以上言葉にすると怖さを与えてしまうかもだから止めるけれど、そういうことをとにかく知りたいってなったのはイケメン上司が初めてだった。


子どもの頃がどんな風だったとか、どんなことにハマっていたとか、どんなことが許せないとか、そういう個人の生きてきた歴史や世界観なんかも超興味津々だし、それはどんな答えでもいいし、何だっていい。


そういう色んなことが自分で何もしていなくても次から次へと出てきて、だからそんな状態を知ってしまった以上、例えばこれから先また誰かに出逢えて一緒にいられることになれたとしても、自分が今みたいな熱量や感覚を相手に持つことは相当難しいだろうと思うし、そして相手の人が私にそんな風に興味を持つなんてそれはさらに難しいと思う。


そういう変な高望みをしなければ誰かといる現実も未来にはあるかもしれない。


でも今の自分を見ていると、寂しいからという理由で興味を持てない人と一緒にいることは想像できないし、そんなの相手に失礼すぎるわけでそれをもししたら自分で自分のことが許せなくなりそうだし、単純に難しいなと思う。


こういう様々な特殊な感覚が魂繋がりなんだろうなと思っているし、そんなにも強固な魂繋がりを他の人たちに求めること自体無理がある。


魂的な繋がりが欲しいのじゃない。


この究極な感覚、他に類を見ない感覚を相手に持つことが不可能に近いと思う。


それぞれの人に感じるものを大切にすれば良いという風にも捉えることは可能でも、実際の心の感じ方はイケメン上司相手の時はあまりにも独特で、でもその感覚こそ私はとても崇高で至高だと感じている。


生きているただそれだけでしあわせだとか喜びだとかいう感覚を誰でも彼でも相手に持てるものじゃない。


一度でもこの感覚を知ってしまったのなら、自分がそんなのを求めるような人間の器になくても、そういうものを無意識に自然に欲している求めている自分がいる。







すっごく当たり前のことだけれど、どうして私はこれまで疑わずにいられたのかなと思ったことが1つ。


イケメン上司はまだ独身なんだろうか?ということ。


仕事中、多分2年ぶりくらいに話した担当者がいて、そもそも苦手だし、関わらなくて良い人だったから、全然知らずにいたけれど、今日間近でプチ打ち合わせ的に上司と共に話した時に、その担当者はいつの間にか結婚していたことに気付いた(指輪をしていた)。


振り返ると、この3年近い時間の中で少なくとも同じフロアの中の3人が結婚した。


よくよく考えて、一部上場企業で安定していて基本賢いし性格もすごく良いまでいかなくても適度にいいねとなれば、普通に結婚しても何ら不思議じゃない。(言い方がひどいけれど、本当に今回の担当者は私個人として人としてどうなんだろう?と思うところがあって、もし私が彼の彼女や嫁の立場なら恥ずかしいやらくだらないやらで、内容も笑えないしもし他者に内容を話したら多くの人はドン引きするようなことだしそんな人を選んだ自分も嫌になりそうなレベル)


イケメン上司も実は結婚したかもしれない。


って初めて冷静に思ったりした。


ちなみに独身だと思い込んでいる理由もあって、イケメン上司がわりと夜の遅い時間や真夜中にブログをチェックする傾向があって、そんなのはフリーじゃないとそんなにも好き放題にブログを眺めるなんてできないかなという単純な理由。


でも今どきは、夫婦寝室別とか別居婚も普通にある。


イケメン上司が結婚していると思う方が気持ちが楽になれるところもある。


イケメン上司は、企業も安定していて、背が高くスタイルも良く、イケメンで、性格も良ろしとなれば、少なくとも件(くだん)の担当者よりも普通に考えたらモテるだろうと思う。


理系全体における特徴なのか、言葉数が少なくて物静かなところは共通点であるものの、口を開くと担当者側はけっこう私だけじゃなく周りも本気でドン引きしたり女性陣から毎回かなりな不平不満と仕事のやり方のまずさで愚痴が噴出するタイプでも、彼を良いと思う女性もいて結婚したという事実。本当に酷い言い方。


イケメン上司だって結婚していても何ら不思議でも疑問でもなく、とにかくその視点を持つのも大切だなと今回突然そのように思い始めた。







2022/08/21…日曜日の夜


数日に渡って書くと、どうしても最初のテンションのまま最後まで書き切ることが難しくなる。


しかも今回は私の中でものすごく暴走且つ勢いに任せてバンバン吐き出すみたいな回で、アップしようかどうしようか今も書きながら迷っている。


妹たちが帰った後はしばらくもぬけの殻みたくなっていたし、本当にどうにもならない寂しさとそれの元となる普段は深く考えないように蓋をしているものが一気に噴出した。


けれど、日常に戻れば戻るほど、とりあえず目の前の何かにかまけてしまうし、あの時のような寂しさは今も自分の中にきちんとあるとは思っているけれど、それでももうひょっこりとなりを潜めてあの時みたいな激情は湧かない。


冷静になるとなんだか恥ずかしくなったり言い過ぎなところもあったり、一部はイケメン上司に向けてるようなものでそれもどうかと思っているしで、アップするしないをここ2日、3日考えていた。


アップされたのなら、腹を括ったということ。


アップしてもいいと思ったというのではなく(アップするイコールそういう気持ちがなきゃできないでしょ?と思うけれども、それは今回に限っては違う)、何かしら腹を括れてどちらかと言えば「アップしてしまえ」みたいな勢いでアップするんだと思う。