1:不本意な生き方
『小さい家』という映画を見た。
それも、見ようと思って見たのではなく、たまたま気ままにぷらぷらと出掛けた先で、
ちょうど宣伝のA4の小さな広告が目に止まって、広告を見たらちょうど当日の1時間後に上映
とわかり、しかもワンコイン(500円)、面白くなくても損はないなぁなんて思いながら
何の予備知識もないままに見た映画だった。
ストーリーは割愛するけれど、第二次世界大戦中を背景にしていて、
そこで兵士として召集された若者が言った言葉が「不本意な生き方」だった。
言論も思想も生き方も、何一つ縛られていない時代に生きてること、
すっかり忘れてたわたしには、良い喝を入れてもらった台詞だった。
2:自分のことやりやぁよ
これは、上の映画もお出掛けも一通り終わって、あとはうちに帰るだけという頃。
乗り換えの電車の駅で夕飯の買い物をしようと外に出て、
スーパーでは結局何も買わずに出てきて、なんだかくたびれただけだったなぁ・・・
なんて思って信号待ちしていたら、突然知らないおじさんに話しかけられた。
おじさんはホームレスでも精神病を患ってる風でもなく、普通にシラフな感じで、
今の時代、国も会社も何も頼るものはない、と前置きした後に、
「だから自分のことやりやぁよ」
と諭してくれた。
1分に満たない会話だった。
会話というより、おじさんが一方的にわたしに話しかけてた。
この話は別のブログでもアップしたけど、それを読んだ友達が
「それ、たぶん神様ですよ。僕はそう思っちゃいますね。」
とコメントしてくれて、その言葉がまたさらに元のメッセージを輝かせてくれた。
3:不具合があれば交換
あまりにも当たり前すぎる話だけど、これが執着している時は、はっきり言って忘れてる。
活字に触れられない暇な時間を、手芸タイムにしようと目論んでいた。
作ってみたい作品の写真と作り方の両方が載っている本を図書館から借りてきた。
材料もすべて揃っていた。
活字を読まない3日目にチャレンジ中の日、毛糸と編み棒と本と出して、さぁ編みましょう!
と意気揚々と始めた。
著者の本は他にも持っていて、実際にその本の中の作品を作ったこともある。
それは今も健在で、普段使いで活躍している。
だから今回もうまくいくはずと頑なに信じていた。
さらに、簡単な編み物に関しては、ほぼ自力で編み図を解読できる自信もあれば、
昔むかし、3体ほどクマのぬいぐるみを編んだこともある。
妙な自信を持って始めたはいいけど、それが編めない。
何かが大きくまちがっている、ということはわかるものの、
一体何をどうまちがっているのかがさっぱりわからない。
他の本2冊も広げて、それぞれヒントになりそうなところを読み解いて、
毛糸ももう一度ひも解いて1からやり直して・・・
それを何回続けたか忘れたけど、ようやく何回目かで
「これは難しすぎる」
ということに気付き、その作品に関しては作ることをやめた。
難易度がわたしには不適応だった。
でも、何かは作りたい。編みたい。
ということで、ここは一気に切り替えて、まずは図書館に行って確実に編めそうな作品の本を
2日後、新たに毛糸を購入し、デザインも色も抜群の鍋つかみを一つ完成させた。
あそこで切り替えなければ、今スーパー愛用中の鍋つかみはなかっただろうし、
自分の変な自信をかいかぶって勘違い野郎のまま終わっていたと思う。
今回は編み物のことだったけど、普段の生活でも色々生かせそうな教訓だなぁと思った。
4:何かしないと何も舞い込んではこない
この言葉に最初触れたのは、20代の頃かと思うから、もう数年もしくはそれ以上経ってる。
そして、この言葉を言ったのは、篠原涼子だ。
何かの雑誌でインタビュー記事になっていて、どうしても何もやりたくない時、
気持ちが入らずぐずぐずしてしまう時なんかにどうしてるか、
っていうような質問だったと思うけど、
その時の彼女の答えが上の言葉で、実際に彼女はそういう時わざと動くらしい。
これは時々頭をかする言葉だけど、今回もまたやってきて、
そしてそのおかげで窮地を抜けることができた。
6日目。朝から雨。いつもより1時間以上早く目覚めたはいいけど、
そういう変なリズムで始めた日というのは、だいたいその後ぐだぐだになりやすい。
案の定そうで、その日はお昼までにわたしは3回寝て起きてを繰り返した。
三度寝の後、猛烈な後悔と、自分のぐだぐだっぷりにほとほと嫌になり、
その日1日をぐだぐだ一色にしようかとも思った。
だけど、そこで「何かしないと何も舞い込んではこないよ~」と天使なのか悪魔なのか
わからない囁きが頭をかすめ、
わたしはあれこれと選定した結果、台所の洗いものをすることにした。
最近そうかなぁ・・・?と半信半疑で思っているけれど、
たぶん洗いものは家事の中でも好きな仕事だ。
元々めんどうくさがりのわたしだから、堂々と洗いものが好きだの、家事が好きだのとは
言いきれない。やらない時はひどくても放置する。
まぁだけど、洗いものに関しては、個人的に色々と面白いと思ってる。
きれいになるのはもちろんだけど、
それとは別に毎回違う表情を見せてくれる皿たちの積み重なってる姿を見るのが好きだ。
その日の食べ物に合わせて皿や器をセレクトする。
当然毎回違う組み合わせになる。
そうすると、洗ったあとに積み重ねる姿も全然違う。
それがわたしには非常に面白い。
洗いものをしていたらそのうち元気になってきて、ふと外を見ると晴れ!とは言えなくとも
晴れ間が雲のすきまから見えるくらいになっていた。
洗いものの後、ちゃちゃっと身支度を整えて散歩に出かけたのは言うまでもない。
5:らく~に生きていいんだよ
これは最終日、出掛けた帰りのバスで見たメッセージ。
座席を選択できる時は、決まって選ぶ席がある。
理由は、外の景色がよく見える窓の配置の席だから。
その日もたまたまその席にそういう理由で座っただけだけど、
ふと窓に目をやったら、『らく~に生きていいんだよ』という本の広告のシールが貼ってあった。
1週間とにかくやりきろう!と躍起になっていたけど、
どちらかというと楽しいより疲れたとかしんどい時の方が多かった。
活字を読まない1週間を実際に体験したことは、貴重だったしそれはそれで良かったと思ってる。
でも、実情としては、心和む時間より、ざわざわというか落ち着かなかったり、
何をしたらいいのか迷ってしまって逆に疲れたり、
7日目ともなれば、そういう諸々が蓄積されたピークでもあって、
そのピークの頃に見た「らく~に生きていいんだよ」にどれだけ救われたか。
うまいことできてるなぁと感心しきりだった。
こうやって書き連ねると、どれもこれも当たり前に見えたり、
そんな期待するほど大きなメッセージでもない気もするけど、
あの時はとにかく読まないことに全身全霊で向かっていたから、
上に書いたようなメッセージが届けられたりしたことにいちいち歓喜していた。
活字を読まない1週間を始める前、もっと大量に届くかと勝手に期待していたけど、
思ったほどは来なかったなぁ・・・
書いていて気付いた、自分が欲張りだということに。
ちなみに、上の中でも、「自分のことやりやぁよ」と言ってくれたおじさんだけは、
今思い返してみても非常に摩訶不思議で、ああいうのを神の仕業というのかなと思ってる。