今日仕事帰りの車の中で良いことを思いついた。
誕生日まであと何日あるんだろう?と数えた時、明日2月1日を起点とすると38日あることがわかった。
そこで思いついたのが、38歳の私に1日1つ何かをプレゼントして、そうするとちょうど38個のプレゼントを自分にあげられる!と思って、考えてるうちにどんどんテンションが上がってきた。
残りの38歳の時間、1日1つずつプレゼント、考えてるだけで楽しくなってきた。
プレゼントと言ってもすごい特別なことをするんじゃない。
丁寧にコーヒーを淹れてゆったりとコーヒータイムとか。
落ち着くカフェで日記書いてくるとか。
いつもはしないようなことをちょっとしてみるとか。
何でも内容は良くて、だけどただ漫然と過ごすんじゃなくて、自分のためにちょっと手間暇と知恵を使う、そんなイメージで38個のプレゼントを毎日1つずつ明日から用意しようと思ってる。
それともう1つ。
1日1つ、好きな言葉をプレゼントすることも同時進行でしたい。
12月末から始めた100日の記録は相変わらず続けていて、若干だらけも出てきたけれど、昨日?おととい?でそのうちの5分の2にあたる40日を通り越した。
今回は意識的に日にちを捉えてるから、今回の20日間に何が自分のところにやってきて、何が要らないものだったのか、そういうことを振り返るのも楽しい。
それの応用版ではないけれど、38歳のカウントダウンを38個のプレゼントを日々用意しながら過ごすって、なんかいいなぁと単純に思った。
38歳の自分へのプレゼントは、この38歳という1年のラストに相応しいと感じてる。
38歳は本当に楽しいことがたくさんあって、会いたい人たちにも会わせてもらえた。
素敵な出逢いにも恵まれた。
朝を迎えるのが楽しみな日が増えた。
それはすなわち、生きてることが楽しくなってきた。
ないものを数え上げたらキリがないけれど、ないない尽くしの30代も終盤に来て、何かがなくてもそれでも笑ったり楽しんだりできる瞬間がいくらでもあることを知った。
だから残りの38歳も楽しんで過ごしたら、次の39歳、30代最後の1年も幸先良いスタートを切れそう!って思う。
不安や心配がないわけじゃない。
不安や心配があっても、それでも何かに心動かされたり、何かを楽しんだり、そういう小さなことを大切にしていると、自分でも思いもよらない幸運に出くわす。
不安や心配も生きてるからこそ生まれ出るもので、それもまた自分の一部だと思うと、まぁそれがすなわち生きてるってことなのかなと思う。
そしてそういうものを追い払うんじゃなくて、そうなってる自分を包み込むようにして、そしてそちらに行き過ぎたと思ったら今度は楽しいことで自分を満たして。
そういうことが少しずつできるようになってきたから、だから38歳に色んな巡り合わせに出逢えたのかもしれない。
明日からの自分へのプレゼント…明日は何にしようって早速考えてる。
2018年1月31日水曜日
2018年1月30日火曜日
ふみの日日曜日
昨日の日曜日は日長1日手紙を書いていた。
枚数にして38枚。
朝の10時半から夜中の1時半まで、途中昼&夜ごはんを作って食べて、お風呂入ってそこで少し本読んで、そして99.9%を見て、あとはずっとずっと手紙書き。
ボールペンのインクが途中でなくなった。
2人の友達に送り物をする。
1人は中身を知ってるけれど、もう1人は全く知らない。
中身を知ってる人も手元に到着するまではどんなのがいくのかは知らない。
中身を知らない友達の方にはとにかく詳細にその物がどんな物で、今回友達の元へ行くまでの事細かなプロセスを書いた。
そもそも今回用意したものをプレゼントしようなんて全く考えてなかった。
使っていて良いものだとは感じているけれど、それが相手にも良いとは限らない。
20年来の友達が今とても辛い時期を過ごしているのはわかったから、それで送ろうと決めた。
プレゼントの物を買いに行った土曜日、あの強烈な大寒波のまだ真っ只中にあった。
道が悪いことも雪が深いことも職場の人たちでそちら方面に行った人たちが言ってたから、気持ちとしてはそんな中車を運転したくなかった。
でも日にちは限られているし、翌週はちょっと厳しい。
そこで私は考えた。
もし本当に必要なものなら、必ず買いに行けること、ダメなら途中で引き返せばいいと腹を決めた。
出発して驚いた。
スキーのモーグル並みと言われてた道には雪がなくなっていて←多分除雪効果、そして天気はちょっとだけ雪は降ったけど、出かけていた4時間ほどの中で9割は曇り、そして時々太陽が顔を出してた。
全てが味方してると思った。
実際に店に行ってみると、なんと今回はその物を仕入れてる娘さんがおられた。
小さな健康食品店で、最初は東京に住んでる妹が地元の友達の紹介で年末に行って来た。
その時は妹たちが年内最後のお客で、店主のおじいちゃんに「うちは広告も宣伝も出してない。だけど人が来てくれて、来る人は基本的にみんな人づてで来る。本当にありがたい」と言っていたそう。
妹から噂を聞きつけた私ともう1人の妹とで、2歳の姪っ子も連れて年明けに3人でその店に行ってきた。
その時は奥様が店番をされてた。
その時に買ったものについて少し聞いたら、それは娘担当で娘は今出張マッサージに出てるからいなくてわからないと言われた。
普段から娘さんは店にほとんどいないとのことだった。
なのに奇跡的に昨日は店にいられた。
正しくは私がプレゼント用に購入したものが良いと感想をレジで言ってたら、奥から娘さんが出て来た。
そしてその物がどういう経由で来ていて、どういう風に作られているのかを教えてもらった。
私はてっきり娘さんが作ってるのかと思いきや、作ってるのは娘さんの整体のお客さんで、そのお客さんが来る度に作品を置いていくのだそう。
それを委託販売しているとのことだった。
その作る工程も極めて繊細な作業で、本当に作る環境や道具や材料には相当気を遣われてるとのことだった。
本当に良いものだというのは、私もよくわかった。
買ってく人たちが使ってみてすごくいいからワークショップを開いて欲しいという声もたくさん出ているそう。
でもそれには環境を整えるところから始めないとでそれは大層難しいから全て断ってるとのことだった。
値段も市場の相場の半額ほどで何でそんなに安いのか正直私はわからないけれど、娘さんいわくその方はそれを生業にしてなくてそれで儲けようとか一切考えてない方ですと言われてた。
純粋な気持ちで1つ1つ丁寧に作られてるから、それが持ち主のところにきちんと伝わるんでしょうね〜とも説明されてた。
他にも色々聞いて来たことを全て、2人分書いた。
そして、その量はその38枚の手紙のうちの半分を占める結果となった。
それは知らないより知ってた方がもらう側もいいだろうと思って。
今回の贈り物は、ストーリーのある贈り物だから、そしてそれを私が一部始終を見て知ったということは、伝える必要があって知り得たと思うから、だからくまなく伝えた。
1人の人はラインも電話もするからそれだけを書いて手紙は終わって、残りは20年来の友達にあれこれ近況報告をした。
年明け友達の誕生日で、少しだけメールに近況報告をしたけれど、実際はもっと色々なことがあったからそれを書いてたらすごい枚数に膨れ上がった。
学生時代にお互い何十通と文通していたし、多分彼女が私の歴史を一番良く知ってくれてる友達で、少しだけ近況報告をした先日も大変なさなかでも私の変化や出来事をあれこれ喜んでくれた。
彼女の近況も気になって、そこに私の感想を書いた。
「◯◯(元彼)とは最高の片想いだったと思う。
そして(今の)彼とは最高の両想いだと思ってる」
とメールにはあった。
今最高に素敵な恋をしてるんだろうなぁと思った。
元彼は私も友達だったから知っていて、私的には元彼も友達のことを本気で好きだったと思うけど、彼女からしたら何かがやっぱり違ってたんだなと思う。
そして友達の言葉を見て、最高の片想いと最高の両想いって私の場合誰だろう…なんて考えたりもした 笑。
そんなこと考えたこともなかったから、斬新だった。
メールの最後に友達はこんな風に締めてた。
「今は小さい幸せに支えられながら、毎日を過ごしてる感じ。」
色々大変なのも他の話でわかってたし、そこに気休めみたいなことなんか1つとして言えない。
でも最後の言葉は、その大変な渦中にいる今、友達が小さなしあわせを感じながら日々生きてることがひしひしと伝わってきた。
お互いにもう少し落ち着いた頃、思い出話やこの会わない間のことを語り合うそんな時間を温泉とかで持ちたいね〜と言っている。
10時間以上ひたすら書いてさすがに手は疲れたけど、心は一切疲れなかった。
今の時代、手書きの手紙なんかそうそう書くことはない。
だけどいつだって手書きの手紙は温かいと思う。
書く時ももらう時もどちらも嬉しい。
そして今回は特殊な形のプレゼントだったから、店でもらうちょっとオシャレな買い物袋を封筒代わりにした。
より一層手作り感が溢れてる。
こんなのポストに入ってたら嬉しいなと思う(自画自賛もはなはだしい)。
月曜の朝、仕事行く前に郵便局に寄って出してきた。
私がワクワクしてどうするんだろう…と思ったけど、今回用意したものがそれぞれの持ち主の元へ旅立って行ったかと思うと、妙に浮かれてしまった。
ふみの日日曜日は本当に楽しい時間だった。
そしてそこから広がる未来のストーリーたちの楽しみもある。
あと5時間後には起きて雪かきしないといけないのに、書く手が止まらない。
ここで止めてまた楽しみは取っておこう。
枚数にして38枚。
朝の10時半から夜中の1時半まで、途中昼&夜ごはんを作って食べて、お風呂入ってそこで少し本読んで、そして99.9%を見て、あとはずっとずっと手紙書き。
ボールペンのインクが途中でなくなった。
2人の友達に送り物をする。
1人は中身を知ってるけれど、もう1人は全く知らない。
中身を知ってる人も手元に到着するまではどんなのがいくのかは知らない。
中身を知らない友達の方にはとにかく詳細にその物がどんな物で、今回友達の元へ行くまでの事細かなプロセスを書いた。
そもそも今回用意したものをプレゼントしようなんて全く考えてなかった。
使っていて良いものだとは感じているけれど、それが相手にも良いとは限らない。
20年来の友達が今とても辛い時期を過ごしているのはわかったから、それで送ろうと決めた。
プレゼントの物を買いに行った土曜日、あの強烈な大寒波のまだ真っ只中にあった。
道が悪いことも雪が深いことも職場の人たちでそちら方面に行った人たちが言ってたから、気持ちとしてはそんな中車を運転したくなかった。
でも日にちは限られているし、翌週はちょっと厳しい。
そこで私は考えた。
もし本当に必要なものなら、必ず買いに行けること、ダメなら途中で引き返せばいいと腹を決めた。
出発して驚いた。
スキーのモーグル並みと言われてた道には雪がなくなっていて←多分除雪効果、そして天気はちょっとだけ雪は降ったけど、出かけていた4時間ほどの中で9割は曇り、そして時々太陽が顔を出してた。
全てが味方してると思った。
実際に店に行ってみると、なんと今回はその物を仕入れてる娘さんがおられた。
小さな健康食品店で、最初は東京に住んでる妹が地元の友達の紹介で年末に行って来た。
その時は妹たちが年内最後のお客で、店主のおじいちゃんに「うちは広告も宣伝も出してない。だけど人が来てくれて、来る人は基本的にみんな人づてで来る。本当にありがたい」と言っていたそう。
妹から噂を聞きつけた私ともう1人の妹とで、2歳の姪っ子も連れて年明けに3人でその店に行ってきた。
その時は奥様が店番をされてた。
その時に買ったものについて少し聞いたら、それは娘担当で娘は今出張マッサージに出てるからいなくてわからないと言われた。
普段から娘さんは店にほとんどいないとのことだった。
なのに奇跡的に昨日は店にいられた。
正しくは私がプレゼント用に購入したものが良いと感想をレジで言ってたら、奥から娘さんが出て来た。
そしてその物がどういう経由で来ていて、どういう風に作られているのかを教えてもらった。
私はてっきり娘さんが作ってるのかと思いきや、作ってるのは娘さんの整体のお客さんで、そのお客さんが来る度に作品を置いていくのだそう。
それを委託販売しているとのことだった。
その作る工程も極めて繊細な作業で、本当に作る環境や道具や材料には相当気を遣われてるとのことだった。
本当に良いものだというのは、私もよくわかった。
買ってく人たちが使ってみてすごくいいからワークショップを開いて欲しいという声もたくさん出ているそう。
でもそれには環境を整えるところから始めないとでそれは大層難しいから全て断ってるとのことだった。
値段も市場の相場の半額ほどで何でそんなに安いのか正直私はわからないけれど、娘さんいわくその方はそれを生業にしてなくてそれで儲けようとか一切考えてない方ですと言われてた。
純粋な気持ちで1つ1つ丁寧に作られてるから、それが持ち主のところにきちんと伝わるんでしょうね〜とも説明されてた。
他にも色々聞いて来たことを全て、2人分書いた。
そして、その量はその38枚の手紙のうちの半分を占める結果となった。
それは知らないより知ってた方がもらう側もいいだろうと思って。
今回の贈り物は、ストーリーのある贈り物だから、そしてそれを私が一部始終を見て知ったということは、伝える必要があって知り得たと思うから、だからくまなく伝えた。
1人の人はラインも電話もするからそれだけを書いて手紙は終わって、残りは20年来の友達にあれこれ近況報告をした。
年明け友達の誕生日で、少しだけメールに近況報告をしたけれど、実際はもっと色々なことがあったからそれを書いてたらすごい枚数に膨れ上がった。
学生時代にお互い何十通と文通していたし、多分彼女が私の歴史を一番良く知ってくれてる友達で、少しだけ近況報告をした先日も大変なさなかでも私の変化や出来事をあれこれ喜んでくれた。
彼女の近況も気になって、そこに私の感想を書いた。
「◯◯(元彼)とは最高の片想いだったと思う。
そして(今の)彼とは最高の両想いだと思ってる」
とメールにはあった。
今最高に素敵な恋をしてるんだろうなぁと思った。
元彼は私も友達だったから知っていて、私的には元彼も友達のことを本気で好きだったと思うけど、彼女からしたら何かがやっぱり違ってたんだなと思う。
そして友達の言葉を見て、最高の片想いと最高の両想いって私の場合誰だろう…なんて考えたりもした 笑。
そんなこと考えたこともなかったから、斬新だった。
メールの最後に友達はこんな風に締めてた。
「今は小さい幸せに支えられながら、毎日を過ごしてる感じ。」
色々大変なのも他の話でわかってたし、そこに気休めみたいなことなんか1つとして言えない。
でも最後の言葉は、その大変な渦中にいる今、友達が小さなしあわせを感じながら日々生きてることがひしひしと伝わってきた。
お互いにもう少し落ち着いた頃、思い出話やこの会わない間のことを語り合うそんな時間を温泉とかで持ちたいね〜と言っている。
10時間以上ひたすら書いてさすがに手は疲れたけど、心は一切疲れなかった。
今の時代、手書きの手紙なんかそうそう書くことはない。
だけどいつだって手書きの手紙は温かいと思う。
書く時ももらう時もどちらも嬉しい。
そして今回は特殊な形のプレゼントだったから、店でもらうちょっとオシャレな買い物袋を封筒代わりにした。
より一層手作り感が溢れてる。
こんなのポストに入ってたら嬉しいなと思う(自画自賛もはなはだしい)。
月曜の朝、仕事行く前に郵便局に寄って出してきた。
私がワクワクしてどうするんだろう…と思ったけど、今回用意したものがそれぞれの持ち主の元へ旅立って行ったかと思うと、妙に浮かれてしまった。
ふみの日日曜日は本当に楽しい時間だった。
そしてそこから広がる未来のストーリーたちの楽しみもある。
あと5時間後には起きて雪かきしないといけないのに、書く手が止まらない。
ここで止めてまた楽しみは取っておこう。
2018年1月27日土曜日
バレンタインの夢
整備工の方たちにあげたバレンタインのチョコ話(バレンタイン2018)が長くなったから、本当に書きたかったバレンタインの話を改めて書こうと思う。
バレンタインは6つ目の死ぬまでにしたい100のことになった。
具体的には、人生であと最低一度はガチの手作りバレンタインスイーツを誰かに贈ること。
そしてそれは、相手も必ず喜んで受け取ってくれる人に限定。
すなわち、その相手とはバレンタインをやり取りできる関係性であることがまずは大前提で、その大前提をもっと紐解くとお互いに相思相愛=私が誰かをとても好きになること・相手も私をとても好きなことが求められる。
死ぬまでにしたい100個すべてを挙げ尽くす頃も、おそらくこのバレンタインのしたいことが断トツで一番難しい気がする。
ただの手作りスイーツを作るなんていうのはいつでもできる。
そうじゃなくて、まずは誰かを好きになり相手からも好きになってもらうところが難関すぎるのと、バレンタインに限定しているのと、さらには自分も作ってあげたくてそして相手もそれを喜んでくれる相手…ハードル高いなぁと思う。
ちなみに過去最高に手間暇かけた手作りバレンタインスイーツはアップルパイだった。
本当に丸一日がかりで作った。
仕事が休みの日に朝から何回生地をこねたかわからない。
当時パン職人をしてた妹の置き土産的な10㎝は厚みのある洋菓子全書というような本の中からレシピを借りて、そのレシピ通りに作ってみた。
生地をバターと練りこんでは休ませてというのを2時間おきぐらいに数回やった。
途中りんごを煮た。
生地を成形してからは今度は不器用な手であのアップルパイの格子模様の編み編みを編み上げた。
とんでもない作業工程だった。
ちょっとだけ味見用も作って、それがすごくすごく美味しかった。
またアップルパイを作るかはわからないけれど、あの面倒な工程は本当に好きな人じゃないと絶対にやりたくない。
しかもラッピングとかどうしたんだろう…。
丸っと記憶がない。
あるのは、どうしてアップルパイにしたのかの理由だけ。
当時付き合ってた人の両親というのは、町の洋食屋さんという感じのお店を営んでいた。
私はそこで本当に美味しいものをたくさんご馳走になっていたし、スイーツもあれこれ手作りの試作品を食べさせてもらった記憶がある。
最終的に家族の口にも入る可能性があるなら、普通のスイーツでは太刀打ちできないと思った。
それなら逆にその家族が絶対に作らないものというところから選択肢を考えて、それで選んだのがアップルパイだった。
当時は若いこともあって、付き合ってた人よりもその両親にどう映るのかがより強く意識としてあった。
だから楽しいバレンタインというよりも、何だか一大事業、作業的な行事になっていた。
そういうのはもうこりごりだから、もっと純粋に相手のことだけを想って作るというそういうバレンタインを本気で体験したい。
お礼の意味で整備工の人に渡したバレンタインチョコをすごく喜んでもらえた時に、贈り物って本来こういう在り方だということを思い出した。
相手も喜んでくれないと何だか寂しいものがある。
贈り物とは違うけれど、最後に私が本気で用意して本当の本当に覚悟を決めて渡したものは、今思い出しても迷惑に近いものがあったかな…と思うから、思い出して気持ちの良いものじゃない。
渡した相手と交わした最後の挨拶の時、相手の目や表情を見て自分のやらかし具合や相手への迷惑度合いとかそんなのばかりが脳裏を駆け巡った。
どんな結果が出ようと自分のしたことだからきちんと受け止めようとは思ってはいたけれど、相手を見て私は心が折れそうだった。
しかも、後から冷静になって振り返ってみると、もしかして最後の挨拶でさえも相手は私から逃げたかったのかもしれないなと思った。
何も挨拶もせずにその場を後にするのは気が引けて、しかも他に用事がないのにその場にずっと居続ける方が周りの目からしたら不自然で、だから私は待つのではなく挨拶のために相手を探しに行った。
他の人たちがいる方が反対に挨拶しやすいかもとも思ったけれど、良いのか悪いのか探そうと廊下に出てすぐに本人と鉢合わせした。
私は最後の力を自分の中でぎゅっと集めて挨拶した。
相手の目と表情、声の感じを見て、全てのことが後悔やら悪いことしたなぁという気持ちでいっぱいになり、本当は挨拶されることさえも嫌なのかもしれないなと思った。
その後、本当に最後私がその場から出る時、絶対に私と顔が合わないように背中を向けて他の人と話してる様子を見て、身体中に重いものが広がった。
自分のしたことは、予想以上にすごい悪い方向に波紋を広げていた。
私も猛烈に重く冷たい感じを目の当たりにするということは、それを出す側の相手も同じようにもしくはそれ以上に嫌だったんだろうなぁと思う。
渡したことは本当に後悔していない。
それは自分の気持ちを尊重したという意味で。
でも相手の反応はまた別のもので、相手の反応だけを見ると私は後悔した。
渡さなきゃ良かったと本気で思った。
だから、多分それ以来の男性への贈り物で、たとえそれがお礼という意味でのチョコでも、相手が喜んでくれたというのは私の方もそれ以上に喜びをもらう結果となった。
私の方が喜ばせてもらったと言ってもいいぐらい。
最後の迷惑万来な贈りもの、正しくは渡しものは、今思い出しても胸がキュッとするような苦々しい感じだから、もうそういうのじゃなくて、本当に相手も喜んでくれるものを用意して渡したい。
相手に迷惑なんじゃないかとか、そんなことを思いながら自分の気持ちを固めるというのは、相当心が疲弊する。
嫌なら相手はそれを捨てればいいということまで考えて用意するものは、もうこりごりだなぁと真面目に思ってる。
自分から渡しといて勝手な話だけど、そう思ったのは本当だから仕方ない。
だから、純粋に相手が好きでその人が好きそうなもの、喜んでくれるものを楽しみながら準備する、というものに憧れて仕方ない。
相手のことだけを考えて、しかも相手も喜んでくれるとわかっていて何かが用意できるって奇跡みたいな話だと思う。
過去のアップルパイみたいに渡す相手じゃなくてその先の人たちの反応を気にするとか、最後の渡しものみたいに相手の迷惑や捨てられることを想像しながら用意するとか、そういうものからはもう卒業して、次は本当に楽しい気持ちで何かを誰か大切な人に用意したい。
バレンタインは6つ目の死ぬまでにしたい100のことになった。
具体的には、人生であと最低一度はガチの手作りバレンタインスイーツを誰かに贈ること。
そしてそれは、相手も必ず喜んで受け取ってくれる人に限定。
すなわち、その相手とはバレンタインをやり取りできる関係性であることがまずは大前提で、その大前提をもっと紐解くとお互いに相思相愛=私が誰かをとても好きになること・相手も私をとても好きなことが求められる。
死ぬまでにしたい100個すべてを挙げ尽くす頃も、おそらくこのバレンタインのしたいことが断トツで一番難しい気がする。
ただの手作りスイーツを作るなんていうのはいつでもできる。
そうじゃなくて、まずは誰かを好きになり相手からも好きになってもらうところが難関すぎるのと、バレンタインに限定しているのと、さらには自分も作ってあげたくてそして相手もそれを喜んでくれる相手…ハードル高いなぁと思う。
ちなみに過去最高に手間暇かけた手作りバレンタインスイーツはアップルパイだった。
本当に丸一日がかりで作った。
仕事が休みの日に朝から何回生地をこねたかわからない。
当時パン職人をしてた妹の置き土産的な10㎝は厚みのある洋菓子全書というような本の中からレシピを借りて、そのレシピ通りに作ってみた。
生地をバターと練りこんでは休ませてというのを2時間おきぐらいに数回やった。
途中りんごを煮た。
生地を成形してからは今度は不器用な手であのアップルパイの格子模様の編み編みを編み上げた。
とんでもない作業工程だった。
ちょっとだけ味見用も作って、それがすごくすごく美味しかった。
またアップルパイを作るかはわからないけれど、あの面倒な工程は本当に好きな人じゃないと絶対にやりたくない。
しかもラッピングとかどうしたんだろう…。
丸っと記憶がない。
あるのは、どうしてアップルパイにしたのかの理由だけ。
当時付き合ってた人の両親というのは、町の洋食屋さんという感じのお店を営んでいた。
私はそこで本当に美味しいものをたくさんご馳走になっていたし、スイーツもあれこれ手作りの試作品を食べさせてもらった記憶がある。
最終的に家族の口にも入る可能性があるなら、普通のスイーツでは太刀打ちできないと思った。
それなら逆にその家族が絶対に作らないものというところから選択肢を考えて、それで選んだのがアップルパイだった。
当時は若いこともあって、付き合ってた人よりもその両親にどう映るのかがより強く意識としてあった。
だから楽しいバレンタインというよりも、何だか一大事業、作業的な行事になっていた。
そういうのはもうこりごりだから、もっと純粋に相手のことだけを想って作るというそういうバレンタインを本気で体験したい。
お礼の意味で整備工の人に渡したバレンタインチョコをすごく喜んでもらえた時に、贈り物って本来こういう在り方だということを思い出した。
相手も喜んでくれないと何だか寂しいものがある。
贈り物とは違うけれど、最後に私が本気で用意して本当の本当に覚悟を決めて渡したものは、今思い出しても迷惑に近いものがあったかな…と思うから、思い出して気持ちの良いものじゃない。
渡した相手と交わした最後の挨拶の時、相手の目や表情を見て自分のやらかし具合や相手への迷惑度合いとかそんなのばかりが脳裏を駆け巡った。
どんな結果が出ようと自分のしたことだからきちんと受け止めようとは思ってはいたけれど、相手を見て私は心が折れそうだった。
しかも、後から冷静になって振り返ってみると、もしかして最後の挨拶でさえも相手は私から逃げたかったのかもしれないなと思った。
何も挨拶もせずにその場を後にするのは気が引けて、しかも他に用事がないのにその場にずっと居続ける方が周りの目からしたら不自然で、だから私は待つのではなく挨拶のために相手を探しに行った。
他の人たちがいる方が反対に挨拶しやすいかもとも思ったけれど、良いのか悪いのか探そうと廊下に出てすぐに本人と鉢合わせした。
私は最後の力を自分の中でぎゅっと集めて挨拶した。
相手の目と表情、声の感じを見て、全てのことが後悔やら悪いことしたなぁという気持ちでいっぱいになり、本当は挨拶されることさえも嫌なのかもしれないなと思った。
その後、本当に最後私がその場から出る時、絶対に私と顔が合わないように背中を向けて他の人と話してる様子を見て、身体中に重いものが広がった。
自分のしたことは、予想以上にすごい悪い方向に波紋を広げていた。
私も猛烈に重く冷たい感じを目の当たりにするということは、それを出す側の相手も同じようにもしくはそれ以上に嫌だったんだろうなぁと思う。
渡したことは本当に後悔していない。
それは自分の気持ちを尊重したという意味で。
でも相手の反応はまた別のもので、相手の反応だけを見ると私は後悔した。
渡さなきゃ良かったと本気で思った。
だから、多分それ以来の男性への贈り物で、たとえそれがお礼という意味でのチョコでも、相手が喜んでくれたというのは私の方もそれ以上に喜びをもらう結果となった。
私の方が喜ばせてもらったと言ってもいいぐらい。
最後の迷惑万来な贈りもの、正しくは渡しものは、今思い出しても胸がキュッとするような苦々しい感じだから、もうそういうのじゃなくて、本当に相手も喜んでくれるものを用意して渡したい。
相手に迷惑なんじゃないかとか、そんなことを思いながら自分の気持ちを固めるというのは、相当心が疲弊する。
嫌なら相手はそれを捨てればいいということまで考えて用意するものは、もうこりごりだなぁと真面目に思ってる。
自分から渡しといて勝手な話だけど、そう思ったのは本当だから仕方ない。
だから、純粋に相手が好きでその人が好きそうなもの、喜んでくれるものを楽しみながら準備する、というものに憧れて仕方ない。
相手のことだけを考えて、しかも相手も喜んでくれるとわかっていて何かが用意できるって奇跡みたいな話だと思う。
過去のアップルパイみたいに渡す相手じゃなくてその先の人たちの反応を気にするとか、最後の渡しものみたいに相手の迷惑や捨てられることを想像しながら用意するとか、そういうものからはもう卒業して、次は本当に楽しい気持ちで何かを誰か大切な人に用意したい。
バレンタイン2018
今年のバレンタイン。
一足お先にすでに3人の人に渡した。
誰かにチョコを渡すなんて何年振りか記憶にさえない。
渡した3人は、車の整備工の方たち。
そもそもは、秋にヒートランプ?ホットランプ?あのHと温度計マークが描かれたサインが一瞬点滅するというところから始まった。
その時は冷却水?とにかく何かが減っていてそのサインが出ていたから、それを足してもらい解決した。
ところが12月にまたもや同じランプが点滅して、それもほぼ毎日エンジンかけてから5分後ぐらいに1分弱点滅するというおかしなことになり、電話して聞いたら今日の今日にでも持ってきた方がいいと言われた。
どうしても用事があって、次の日だったかに行ったと思うけど、閉店30分前ぐらいに持ち込んで、3人のベテラン整備工の方たちがそれはそれは丁寧に見てくれた。
3人が軽の小さな車のボンネットが開いた一部分の前で、顔を寄せ合いながらああでもないこうでもないと話し合ってる様子や色んなところを見てるのが遠くからでもわかった。
1時間は見てくれ、さらには何かしらの測定器をつけて車を走らせて確認してもらったりと、本当にあらゆる側面からその不具合を見てもらった。
整備工の責任者の方いわく、冷却水?だったかが減ってるには減ってる故のランプ点滅ではあるけれど、どこから漏れてるのかがさっぱりわからないとのこと。
考えられる可能性は全部今調べて見たけど、通常の不具合ではないということまでしかわからず、最悪エンジン系の不具合の可能性も考えられると言われた。
ただ少なくとも今はまたランプ点かない状態にまでしたのと、テスト走行した時も温度が基準値にずっとありランプも点滅しなかったから、これで様子を見て欲しい、また一回でも点いたら危ないからすぐに持ってきて欲しいと説明された。
ベテラン整備工が3人であらゆる知識を総動員してもすぐには不具合の理由がわからない…というところが私らしいトラブルだと思いつつ、本当にきちんと見てもらってありがたいばかりだった。
ちなみにパソコンでも携帯でも他の電化製品でも、私が持つものには本当によく変なトラブルが起こる。
その道のプロたちが「何でしょう、このトラブル?」と頭を抱えるのは珍しくない。
車は初めてだったけど、とりあえず不具合は解決して、また様子を見るところに落ち着いて良かったと思った。
気にはなっていたけれど、その時1円たりとも請求されず、後日自宅に請求書が届くかなと思ったけどそれも届かず、それでようやくあの時のことが無償で丁寧に見てもらえたことを知った。
申し訳ないレベルだったから、それで次のオイル交換の時は菓子折りを持って行こう!と思ってた。
実際にこの間の週末にオイル交換に行こうとして直前まで覚えていたけれど、当日の朝になって買い忘れてたことを突如思い出した。
朝の9時前で菓子屋がオープンしてるはずもなく、スーパーで調達することにした。
スーパーに行って贈答品コーナーに足を運ぶ途中、バレンタインコーナーがすぐ近くにあった。
みんなで分けられるものを当初予定していたけれど、実際にしてくれたのは3人の人だから、個包装されたチョコの詰め合わせもいいなと思った。
見て回るほどの種類はないけれど、ちょうどもらう側も負担にもならない大きさで且つ財布にも優しいチョコがあったから、それを3つ買った。
レジでプレゼント用の袋があったら欲しいとお願いすると、なんと片手で持てる大きさのものに対し、A4の大きさぐらいのそのチョコのブランド袋に入れられてきた。
田舎のスーパーにそんなに求めても仕方ない、むしろブランド袋があったことに驚きながら、レジの人にお礼を言って後にした。
整備工場に着いてすぐにチョコをこの間のお礼と言って渡した。
整備工の責任者の方は普段一切笑わない、いかにも職人気質な人だけれど、その時だけは表情をほころばせて微笑みながらわざわざすみません、ありがとうございますと言って受け取ってくれた。
待合室の事務所からふと整備工場の方を見ると、私の車は天井高く吊り上げられていた。
オイル交換って車を上にするんだったかな?と思いつつ、曲がらないエビフライの揚げ方やゆで卵の皮がキレイに向ける裏ワザをしてるテレビにまた戻った。
ようやく整備工の方が来て、オイル交換とは別に前回の不具合を今回どうなったか見たとのこと。
今回も冷却水?が減っていて、通常ありえない減り方をしていて、それで今回ようやくエンジン部分に漏れ出してるだろうことがこれでわかった、今すぐ故障するとかじゃないけれど今後気をつけないといけない、とりあえずは月に一度ガソリンスタンドで冷却水を入れてもらうことをしてそれで何とかなるはずだからそうしようと提案された。
エンジン取替えになると10万ぐらいかかってしまうし、そもそもの走行距離もかなりいってるから1年数ヶ月後の車検時は買い換えの方がいいかもしれない、でもそれまではとりあえず冷却水さえ気をつければ大丈夫なはずだからそれで様子を見ようと説明してくれた。
今回もオイル交換だけの金額だけ請求された。
本当にきちんと見てくれる。
そして帰り際にももう一度チョコのお礼を言われた。
お礼を言われるのが申し訳ないぐらいのものなのに、そう言ってもらえるのが嬉しかった。
チョコを用意して良かったなと思った。
私は他の整備工場に行ったことがないからわからないけれど、すごく丁寧に見てもらってる。
1年前の冬に亡くなってしまったけれど、そこの統括の方はうちの父親の小学校からの同級生で親友だった。
だからうちの家にある車は全てそこからのもので、車検や修理も全てそこでお願いしている。
本当に昔からよくしてもらってるし、統括の方が退いてからもサービスの質は変わらない。
そういう心意気のある実直で真面目な男性たちにチョコをあげられたのはすごく良かった。
ということで今年のバレンタインは終わりそう←早っ 笑。
一足お先にすでに3人の人に渡した。
誰かにチョコを渡すなんて何年振りか記憶にさえない。
渡した3人は、車の整備工の方たち。
そもそもは、秋にヒートランプ?ホットランプ?あのHと温度計マークが描かれたサインが一瞬点滅するというところから始まった。
その時は冷却水?とにかく何かが減っていてそのサインが出ていたから、それを足してもらい解決した。
ところが12月にまたもや同じランプが点滅して、それもほぼ毎日エンジンかけてから5分後ぐらいに1分弱点滅するというおかしなことになり、電話して聞いたら今日の今日にでも持ってきた方がいいと言われた。
どうしても用事があって、次の日だったかに行ったと思うけど、閉店30分前ぐらいに持ち込んで、3人のベテラン整備工の方たちがそれはそれは丁寧に見てくれた。
3人が軽の小さな車のボンネットが開いた一部分の前で、顔を寄せ合いながらああでもないこうでもないと話し合ってる様子や色んなところを見てるのが遠くからでもわかった。
1時間は見てくれ、さらには何かしらの測定器をつけて車を走らせて確認してもらったりと、本当にあらゆる側面からその不具合を見てもらった。
整備工の責任者の方いわく、冷却水?だったかが減ってるには減ってる故のランプ点滅ではあるけれど、どこから漏れてるのかがさっぱりわからないとのこと。
考えられる可能性は全部今調べて見たけど、通常の不具合ではないということまでしかわからず、最悪エンジン系の不具合の可能性も考えられると言われた。
ただ少なくとも今はまたランプ点かない状態にまでしたのと、テスト走行した時も温度が基準値にずっとありランプも点滅しなかったから、これで様子を見て欲しい、また一回でも点いたら危ないからすぐに持ってきて欲しいと説明された。
ベテラン整備工が3人であらゆる知識を総動員してもすぐには不具合の理由がわからない…というところが私らしいトラブルだと思いつつ、本当にきちんと見てもらってありがたいばかりだった。
ちなみにパソコンでも携帯でも他の電化製品でも、私が持つものには本当によく変なトラブルが起こる。
その道のプロたちが「何でしょう、このトラブル?」と頭を抱えるのは珍しくない。
車は初めてだったけど、とりあえず不具合は解決して、また様子を見るところに落ち着いて良かったと思った。
気にはなっていたけれど、その時1円たりとも請求されず、後日自宅に請求書が届くかなと思ったけどそれも届かず、それでようやくあの時のことが無償で丁寧に見てもらえたことを知った。
申し訳ないレベルだったから、それで次のオイル交換の時は菓子折りを持って行こう!と思ってた。
実際にこの間の週末にオイル交換に行こうとして直前まで覚えていたけれど、当日の朝になって買い忘れてたことを突如思い出した。
朝の9時前で菓子屋がオープンしてるはずもなく、スーパーで調達することにした。
スーパーに行って贈答品コーナーに足を運ぶ途中、バレンタインコーナーがすぐ近くにあった。
みんなで分けられるものを当初予定していたけれど、実際にしてくれたのは3人の人だから、個包装されたチョコの詰め合わせもいいなと思った。
見て回るほどの種類はないけれど、ちょうどもらう側も負担にもならない大きさで且つ財布にも優しいチョコがあったから、それを3つ買った。
レジでプレゼント用の袋があったら欲しいとお願いすると、なんと片手で持てる大きさのものに対し、A4の大きさぐらいのそのチョコのブランド袋に入れられてきた。
田舎のスーパーにそんなに求めても仕方ない、むしろブランド袋があったことに驚きながら、レジの人にお礼を言って後にした。
整備工場に着いてすぐにチョコをこの間のお礼と言って渡した。
整備工の責任者の方は普段一切笑わない、いかにも職人気質な人だけれど、その時だけは表情をほころばせて微笑みながらわざわざすみません、ありがとうございますと言って受け取ってくれた。
待合室の事務所からふと整備工場の方を見ると、私の車は天井高く吊り上げられていた。
オイル交換って車を上にするんだったかな?と思いつつ、曲がらないエビフライの揚げ方やゆで卵の皮がキレイに向ける裏ワザをしてるテレビにまた戻った。
ようやく整備工の方が来て、オイル交換とは別に前回の不具合を今回どうなったか見たとのこと。
今回も冷却水?が減っていて、通常ありえない減り方をしていて、それで今回ようやくエンジン部分に漏れ出してるだろうことがこれでわかった、今すぐ故障するとかじゃないけれど今後気をつけないといけない、とりあえずは月に一度ガソリンスタンドで冷却水を入れてもらうことをしてそれで何とかなるはずだからそうしようと提案された。
エンジン取替えになると10万ぐらいかかってしまうし、そもそもの走行距離もかなりいってるから1年数ヶ月後の車検時は買い換えの方がいいかもしれない、でもそれまではとりあえず冷却水さえ気をつければ大丈夫なはずだからそれで様子を見ようと説明してくれた。
今回もオイル交換だけの金額だけ請求された。
本当にきちんと見てくれる。
そして帰り際にももう一度チョコのお礼を言われた。
お礼を言われるのが申し訳ないぐらいのものなのに、そう言ってもらえるのが嬉しかった。
チョコを用意して良かったなと思った。
私は他の整備工場に行ったことがないからわからないけれど、すごく丁寧に見てもらってる。
1年前の冬に亡くなってしまったけれど、そこの統括の方はうちの父親の小学校からの同級生で親友だった。
だからうちの家にある車は全てそこからのもので、車検や修理も全てそこでお願いしている。
本当に昔からよくしてもらってるし、統括の方が退いてからもサービスの質は変わらない。
そういう心意気のある実直で真面目な男性たちにチョコをあげられたのはすごく良かった。
ということで今年のバレンタインは終わりそう←早っ 笑。
2018年1月26日金曜日
カメハメハの夜
ドラゴンボールのカメハメハは、ずっと漫画の中だけに存在する技なのかと思ってた。
22歳の当時、私は本物のカメハメハに出合った。
それは忘れもしないアメリカ最後の夜だった。
シアトル経由で日本に帰る前の日、私はシアトルに引っ越した大学の時の友達、ケーリブのアパートを訪ねた。
アメリカ人の素晴らしいところは、「◯◯(自分の住んでいる町)に来ることがあったらいつでもおいでよ!うちに泊まりなよ!」ということを、本気で言って、そして本当に行きたいと言うとそれを必ず喜んで受け入れてくれること。
ケーリブは日本人が思い描くような典型的な超スーパーフレンドリー&明るいタイプのアメリカ人ではなく、日本人に近い物静かな感じで、でも和を乱したりすることなく、そこに一緒にいるとその時間も空間も心から楽しむ、そんなタイプの人だった。
最初に書いた典型的なアメリカ人の「◯◯に来るならうちにおいでよ!」という言葉はケーリブもアメリカ人らしく言う人で、私はシアトル経由で日本に帰るからその時に泊めて欲しいとお願いすると、二つ返事でいいよと返事をもらった。
ケーリブは友達の友達で最初知り合った。
その後は共通の友達と開催するパーティーと言う名の飲み会で何度も何度も顔を合わせて仲良くなった。
だけど、私がケーリブのアパートを訪ねるまで、よく考えるとケーリブがどんなことに興味があってどんな人間なのかほとんど知らずにいた。
その日の夜、必要なもの以外何もないケーリブの大きなアパートで、「気」について話した。
I'm learning "ki" now.
と始まったと思う。
「気」を習ってるんだよって。
最初私は、空手や柔道のように気を習ってるのかと思ってた。
アメリカでは日本の格闘技が大流行してたから、気もその一種なのかと勘違いしてた。
けどケーリブは全くもって別物だと説明しだし、なんなら今見せてあげるよ!と言って実演を始めた。
それがカメハメハばりのすごいものだった。
ケーリブは目を閉じて瞑想のような精神統一みたいなのを始めた。
そしてこれから気を出すからねと言いながら、両手と両手を胸の前でお祈りするみたいに合わせた。
徐々に右手と左手の距離を離していった。
離しながら、また右手と左手を近づけたり遠ざけたりを繰り返していた。
「フミコ、気が発生したよ!
僕の右手と左手の間に手をかざしてごらん!」
とケーリブが言ってきた。
側から見てた時は、ケーリブの動きの意味なんかさっぱりわからず、当然霊視なんかできない私には何も見えなかったし聞こえなかった。
まさかそこに何かがあるとは思わず、ケーリブが言うように手を入れてみた。
手を入れた瞬間、度肝を抜かれた。
本当に目には全く見えないのに、たしかに見えない力を皮膚で確実に感じた。
そこには何かが確実に存在していた。
そしてケーリブが真ん中にある私の手に向かって、両手を近付けたり遠ざけたりを繰り返すと、あのアニメドラゴンボールの中のカメハメハと全く同じ原理のようなものが発生していた。
テレビで見るドラゴンボールのように、身体中の気を集めて1つの大きな力を生み出す様がそっくりだった。
ケーリブの手が近付くと私の手はその見えないカメハメハに押されるような感じになった。
当たり前だけど、ケーリブは私に指1本触れていない。
なのに、その見えないカメハメハに私はタッチというよりプッシュされてる。
私は「ドラゴンボールのカメハメハみたいだね‼︎」と興奮気味にそのままの感想を口にしたら、気を出し続けながらもケーリブはニコニコしながら「でしょでしょ!カメハメハでしょ!」みたいに返してくれたような記憶がある。
ケーリブのその何もないアパートの部屋は、まるで四角い宙に浮いたみたいな空間で、映画マトリックス並みの空間に放り込まれた感じがした。
そこだけ異次元空間で、だから目に見えない力が発生する、そんな風だった。
私が人生で初めて目に見えないものに触れたのは、そのケーリブとのやりとりが初めてだった。
私はケーリブの人柄を感覚で知っていたから、そのカメハメハばりの見えない力について1ミリも疑うことがなかった。
むしろ、見えないのに何かがあるその何かに魅せられていた。
ケーリブが信頼できる人だというのは、物静かでたくさんの言葉を交わしてなくてもそれは感覚的にわかっていた。
下世話なことを言えば、ある意味同年代の異性が家に泊まりに来るなんておいしい状況なのに、絶対に手を出すようなことはしない人だった。
私では好みじゃないとか生理的に受け付けられないとかいうこともあるだろうから参考にならないかもしれないけど、本当に魅力的な女の子でもケーリブは多分あのケーリブのままで、同じように手を出すことはしなかっただろう。
多分私じゃなくてもケーリブが友達認定してる人たちには一切手を出さないことをきちんと守ってると思う。
実際に周りには誰とでも寝ちゃう女の子がいたけれど、その子もどういうわけかケーリブにだけは手を出さなかった。
顔や背格好は一般的に「モテる」部類に入る人だけれど、ケーリブはそういうところがすごく真面目で誠実な人だった。
だから私も安心してケーリブを訪ねることができたし、そのカメハメハばりの見えない力についてもケーリブが見せてくれるままに純粋に楽しむことができた。
ケーリブが見せてくれたものは、ある種の誘い(いざない)だった。
私はその10年後ぐらいに今度は日本でそういうことに徐々に触れていくようになっていった。
本当は名古屋シリーズを書いた後にケーリブの話は書こうと当初思ってた。
だけどなぜかケーリブのことが先に浮かんでそれがまたどういうわけか頭から離れないぐらいにちょいちょい出てくるから、それで先に書いた。
そして名古屋シリーズの完成を待ってるうちにもうケーリブのことが書けなくなるかもしれなかったから、だから最初に書いた。
書こうと思ってても私のことだから面倒になってそのままお蔵入りする可能性も否めなかった。
でもそうしたくなかったから、それで頭の中に何度も浮かぶ今、先に書くことにした。
ケーリブは私の人生で最初に目に見えない世界を教えてくれた人で、その時のことは何年経ってもずっとずっと覚えてて、当時は重要だなんて思わなかったけれど、気付けばそこが起点になってたと思う。
私はそういうものを信じるタイプでもなければ興味もなく、むしろそういう目に見えないものは怪しいと思ってた。
だけど、ケーリブが実演してくれたカメハメハは怪しいものでも怖いものでもなく、本当にあったからそれを否定する要素はどこにもなかった。
そして最高に良かったのは、ケーリブはそれをとても楽しそうに紹介してくれたことだった。
何か楽器を習って弾けるようになった人がそれを紹介するみたいに、ケーリブはkiを紹介していた。
自分の記憶に強く残るものって、後々の人生で何か意味のあることと繋がってるような気がする。
ケーリブのカメハメハも例外ではなく、まさかそういうものに触れる人生がのちにもっともっと展開するなんてその時は考えもつかなかった。
しかも何がどうしてそんな流れに当時なったのかわからないけれど、少なくとも飲んだくれの会の時にはそんな様子を微塵も出していなかった。
もしかしたらシアトルに行ってから習ったのかもしれない。
ケーリブの家に泊めてもらうことや、その時にたまたまとしか当時は思えない見えないものに触れてくること、そもそもケーリブが気に興味を持って気を習ってたこと、それら全部が揃って初めてあの瞬間が成り立つ。
ケーリブが見せてくれたカメハメハは、そういうものが本当にあること、そしてそれは怪しいものじゃなくて何か役に立ったり別の良い意味で存在するものだということをとても自然に伝えてくれたものでもあった。
22歳の当時、私は本物のカメハメハに出合った。
それは忘れもしないアメリカ最後の夜だった。
シアトル経由で日本に帰る前の日、私はシアトルに引っ越した大学の時の友達、ケーリブのアパートを訪ねた。
アメリカ人の素晴らしいところは、「◯◯(自分の住んでいる町)に来ることがあったらいつでもおいでよ!うちに泊まりなよ!」ということを、本気で言って、そして本当に行きたいと言うとそれを必ず喜んで受け入れてくれること。
ケーリブは日本人が思い描くような典型的な超スーパーフレンドリー&明るいタイプのアメリカ人ではなく、日本人に近い物静かな感じで、でも和を乱したりすることなく、そこに一緒にいるとその時間も空間も心から楽しむ、そんなタイプの人だった。
最初に書いた典型的なアメリカ人の「◯◯に来るならうちにおいでよ!」という言葉はケーリブもアメリカ人らしく言う人で、私はシアトル経由で日本に帰るからその時に泊めて欲しいとお願いすると、二つ返事でいいよと返事をもらった。
ケーリブは友達の友達で最初知り合った。
その後は共通の友達と開催するパーティーと言う名の飲み会で何度も何度も顔を合わせて仲良くなった。
だけど、私がケーリブのアパートを訪ねるまで、よく考えるとケーリブがどんなことに興味があってどんな人間なのかほとんど知らずにいた。
その日の夜、必要なもの以外何もないケーリブの大きなアパートで、「気」について話した。
I'm learning "ki" now.
と始まったと思う。
「気」を習ってるんだよって。
最初私は、空手や柔道のように気を習ってるのかと思ってた。
アメリカでは日本の格闘技が大流行してたから、気もその一種なのかと勘違いしてた。
けどケーリブは全くもって別物だと説明しだし、なんなら今見せてあげるよ!と言って実演を始めた。
それがカメハメハばりのすごいものだった。
ケーリブは目を閉じて瞑想のような精神統一みたいなのを始めた。
そしてこれから気を出すからねと言いながら、両手と両手を胸の前でお祈りするみたいに合わせた。
徐々に右手と左手の距離を離していった。
離しながら、また右手と左手を近づけたり遠ざけたりを繰り返していた。
「フミコ、気が発生したよ!
僕の右手と左手の間に手をかざしてごらん!」
とケーリブが言ってきた。
側から見てた時は、ケーリブの動きの意味なんかさっぱりわからず、当然霊視なんかできない私には何も見えなかったし聞こえなかった。
まさかそこに何かがあるとは思わず、ケーリブが言うように手を入れてみた。
手を入れた瞬間、度肝を抜かれた。
本当に目には全く見えないのに、たしかに見えない力を皮膚で確実に感じた。
そこには何かが確実に存在していた。
そしてケーリブが真ん中にある私の手に向かって、両手を近付けたり遠ざけたりを繰り返すと、あのアニメドラゴンボールの中のカメハメハと全く同じ原理のようなものが発生していた。
テレビで見るドラゴンボールのように、身体中の気を集めて1つの大きな力を生み出す様がそっくりだった。
ケーリブの手が近付くと私の手はその見えないカメハメハに押されるような感じになった。
当たり前だけど、ケーリブは私に指1本触れていない。
なのに、その見えないカメハメハに私はタッチというよりプッシュされてる。
私は「ドラゴンボールのカメハメハみたいだね‼︎」と興奮気味にそのままの感想を口にしたら、気を出し続けながらもケーリブはニコニコしながら「でしょでしょ!カメハメハでしょ!」みたいに返してくれたような記憶がある。
ケーリブのその何もないアパートの部屋は、まるで四角い宙に浮いたみたいな空間で、映画マトリックス並みの空間に放り込まれた感じがした。
そこだけ異次元空間で、だから目に見えない力が発生する、そんな風だった。
私が人生で初めて目に見えないものに触れたのは、そのケーリブとのやりとりが初めてだった。
私はケーリブの人柄を感覚で知っていたから、そのカメハメハばりの見えない力について1ミリも疑うことがなかった。
むしろ、見えないのに何かがあるその何かに魅せられていた。
ケーリブが信頼できる人だというのは、物静かでたくさんの言葉を交わしてなくてもそれは感覚的にわかっていた。
下世話なことを言えば、ある意味同年代の異性が家に泊まりに来るなんておいしい状況なのに、絶対に手を出すようなことはしない人だった。
私では好みじゃないとか生理的に受け付けられないとかいうこともあるだろうから参考にならないかもしれないけど、本当に魅力的な女の子でもケーリブは多分あのケーリブのままで、同じように手を出すことはしなかっただろう。
多分私じゃなくてもケーリブが友達認定してる人たちには一切手を出さないことをきちんと守ってると思う。
実際に周りには誰とでも寝ちゃう女の子がいたけれど、その子もどういうわけかケーリブにだけは手を出さなかった。
顔や背格好は一般的に「モテる」部類に入る人だけれど、ケーリブはそういうところがすごく真面目で誠実な人だった。
だから私も安心してケーリブを訪ねることができたし、そのカメハメハばりの見えない力についてもケーリブが見せてくれるままに純粋に楽しむことができた。
ケーリブが見せてくれたものは、ある種の誘い(いざない)だった。
私はその10年後ぐらいに今度は日本でそういうことに徐々に触れていくようになっていった。
本当は名古屋シリーズを書いた後にケーリブの話は書こうと当初思ってた。
だけどなぜかケーリブのことが先に浮かんでそれがまたどういうわけか頭から離れないぐらいにちょいちょい出てくるから、それで先に書いた。
そして名古屋シリーズの完成を待ってるうちにもうケーリブのことが書けなくなるかもしれなかったから、だから最初に書いた。
書こうと思ってても私のことだから面倒になってそのままお蔵入りする可能性も否めなかった。
でもそうしたくなかったから、それで頭の中に何度も浮かぶ今、先に書くことにした。
ケーリブは私の人生で最初に目に見えない世界を教えてくれた人で、その時のことは何年経ってもずっとずっと覚えてて、当時は重要だなんて思わなかったけれど、気付けばそこが起点になってたと思う。
私はそういうものを信じるタイプでもなければ興味もなく、むしろそういう目に見えないものは怪しいと思ってた。
だけど、ケーリブが実演してくれたカメハメハは怪しいものでも怖いものでもなく、本当にあったからそれを否定する要素はどこにもなかった。
そして最高に良かったのは、ケーリブはそれをとても楽しそうに紹介してくれたことだった。
何か楽器を習って弾けるようになった人がそれを紹介するみたいに、ケーリブはkiを紹介していた。
自分の記憶に強く残るものって、後々の人生で何か意味のあることと繋がってるような気がする。
ケーリブのカメハメハも例外ではなく、まさかそういうものに触れる人生がのちにもっともっと展開するなんてその時は考えもつかなかった。
しかも何がどうしてそんな流れに当時なったのかわからないけれど、少なくとも飲んだくれの会の時にはそんな様子を微塵も出していなかった。
もしかしたらシアトルに行ってから習ったのかもしれない。
ケーリブの家に泊めてもらうことや、その時にたまたまとしか当時は思えない見えないものに触れてくること、そもそもケーリブが気に興味を持って気を習ってたこと、それら全部が揃って初めてあの瞬間が成り立つ。
ケーリブが見せてくれたカメハメハは、そういうものが本当にあること、そしてそれは怪しいものじゃなくて何か役に立ったり別の良い意味で存在するものだということをとても自然に伝えてくれたものでもあった。
2018年1月23日火曜日
5つ目の死ぬまでにしたい100のこと
5つ目の死ぬまでにしたい100のこと。
超高級洋皿を買っておもてなしをすること。
ウェッジウッドと呼ばれるブランド皿がある。
諭吉1枚では多分1枚もお皿を買えない、本当の高級皿。
見るのはタダと思い、過去に何回か百貨店の専門店で見て、先月の東京旅でも見てきた気がする。
ある方の料理ブログでいつも使われるボウルがあって、それは常々素敵だなと思ってた。
先月東京に行った時だと思うけれど、それと同じものがあって、手に取り速攻で裏の値札を見た。
私の記憶違いでなければ86000円とあった。
ゼロ1つ多いわけじゃない。
読むと、「はちまんろくせんえん」が正しい。
今オンラインショップで見たら同じのはなくて、もしかしたら気のせいかもしれないけれど、値段はそれに近いものだったことは間違いない。
本当にぶったまげたのと、それを日常使いしてるそのご家庭をすごいと思いつつ、まぁ生涯手にすることはないかなと思ってた。
だけど、さっきホットケーキミックスを使って作る簡単キッシュのレシピを紹介してた方のブログをいくつか読んでたら、すごく素敵な洋皿を持っていた。
東京タワーから飛び降りるように旦那様が買ってくれたようだけど←とても羨ましい、それもウェッジウッドのお皿だった。
しかも限定物らしく、確かにそれと同じお皿はオンラインショップでは見当たらなかった。
その方は、6セット買われたそのお皿をひたすらおもてなし用や家族の特別な時用に使われてるそうで、文や写真からもそれはそれは大切に扱われている様子がよく伝わってきた。
それ見ていいなぁと思った。
本当にお気に入りのお皿を特別な時に使う、場を華やかに盛り立てる、その行為の1つ1つが素敵だなと思う。
お皿を洗う時も乾いてからしまう時もとても丁寧に扱うんだろうなぁと想像できた。
お皿の2枚使いにも惹かれた。
高級レストランで見られる、下に大きな丸いお皿が敷かれていて、その上に一回り小さいメインのお皿を敷くやつ、あんな風に家でも年に数回したら楽しいだろうなぁと思った。
さて、どんな料理がいいかな…と思った時、多分手持ちのレシピでそのお皿たちに合うのは、カルパッチョしかない。
ソースをオシャレに盛り付けるとかは難しそうだから、自分でもできそうなのは豚肉のパテとか、予め形がきちんとしてるものぐらい。
パテも作ったことないから←ちなみに大好物、数回しか食べたことないけど、パテを手作りするのも楽しそう。
もしくはそのお皿に合う料理を習いに行ってもいいなと思った。
それに合わせてフォークとナイフとスプーンを揃えたり、ランチョンマットを揃えたり、さらにはリネンの布巾があるとさらにテンション上がるから、それを揃えるのもオツだなとさらに想像は広がる。
死ぬまでにしたい100のことは、いつもこんな風に楽しい未来の想像がもれなく付いてくる。
今のところこの高級皿でのおもてなしが5つ目のしたいこととして浮上してるけど、5つ中3つは食べることに関連してるあたり、食いしん坊の血がそのまま表れてる…。
ちなみに5つのうちの1つは、「ゲートボールクラブに入ること」。
スーパー運動音痴の私でもゲートボールはいけそうな気がして、しかもそのぐらいの年齢ならみんな周りもそこそこ運動音痴っぽくなるんじゃないかと思うと私も気軽に楽しく運動の会に参加できそうだから、それで常々入りたいと、これは最近じゃなくて20代の頃から思ってたことを思い出した。
他の運動にはさっぱり惹かれないけれど、唯一ゲートボールだけはやってみたいと思うスポーツだったりする。
あくまで始めるのはそれ相応の年になってからだけど。
さっきの高級皿の話に戻すと。
いきなり大枚をはたいてお皿を数セット買うのはちょっと違うから、とりあえず手始めに、紹介されてたキッシュを手作りするところから始めようと思う。
皿に合う料理のレパートリーを増やすのも大事なプロセスの1つ。
キッシュもその高級皿にピッタリな料理だし、材料費のわりに高級感漂ってるのと手間暇がかかってる風に見えるのがすごくいい。
洒落たカフェランチとかで出てくるキッシュは、個人的には詐欺に近いものがあると思ってる。
わりと大きなキッシュ一切れとサラダがのって千円だとすると、手作りキッシュをホールで作ると千円、下手したら千円以下で普通に作れるはず。
原価計算はさておいても手作りキッシュは楽しみで仕方ない。
しかも冬の寒い時に家にこもって作るというのがすごい贅沢だなと思う。
追記訂正:ウェッジウッドではなく、ロイヤルコペンハーゲンというブランド皿が普段使いしてるセレブ邸のお皿の名前。
超高級洋皿を買っておもてなしをすること。
ウェッジウッドと呼ばれるブランド皿がある。
諭吉1枚では多分1枚もお皿を買えない、本当の高級皿。
見るのはタダと思い、過去に何回か百貨店の専門店で見て、先月の東京旅でも見てきた気がする。
ある方の料理ブログでいつも使われるボウルがあって、それは常々素敵だなと思ってた。
先月東京に行った時だと思うけれど、それと同じものがあって、手に取り速攻で裏の値札を見た。
私の記憶違いでなければ86000円とあった。
ゼロ1つ多いわけじゃない。
読むと、「はちまんろくせんえん」が正しい。
今オンラインショップで見たら同じのはなくて、もしかしたら気のせいかもしれないけれど、値段はそれに近いものだったことは間違いない。
本当にぶったまげたのと、それを日常使いしてるそのご家庭をすごいと思いつつ、まぁ生涯手にすることはないかなと思ってた。
だけど、さっきホットケーキミックスを使って作る簡単キッシュのレシピを紹介してた方のブログをいくつか読んでたら、すごく素敵な洋皿を持っていた。
東京タワーから飛び降りるように旦那様が買ってくれたようだけど←とても羨ましい、それもウェッジウッドのお皿だった。
しかも限定物らしく、確かにそれと同じお皿はオンラインショップでは見当たらなかった。
その方は、6セット買われたそのお皿をひたすらおもてなし用や家族の特別な時用に使われてるそうで、文や写真からもそれはそれは大切に扱われている様子がよく伝わってきた。
それ見ていいなぁと思った。
本当にお気に入りのお皿を特別な時に使う、場を華やかに盛り立てる、その行為の1つ1つが素敵だなと思う。
お皿を洗う時も乾いてからしまう時もとても丁寧に扱うんだろうなぁと想像できた。
お皿の2枚使いにも惹かれた。
高級レストランで見られる、下に大きな丸いお皿が敷かれていて、その上に一回り小さいメインのお皿を敷くやつ、あんな風に家でも年に数回したら楽しいだろうなぁと思った。
さて、どんな料理がいいかな…と思った時、多分手持ちのレシピでそのお皿たちに合うのは、カルパッチョしかない。
ソースをオシャレに盛り付けるとかは難しそうだから、自分でもできそうなのは豚肉のパテとか、予め形がきちんとしてるものぐらい。
パテも作ったことないから←ちなみに大好物、数回しか食べたことないけど、パテを手作りするのも楽しそう。
もしくはそのお皿に合う料理を習いに行ってもいいなと思った。
それに合わせてフォークとナイフとスプーンを揃えたり、ランチョンマットを揃えたり、さらにはリネンの布巾があるとさらにテンション上がるから、それを揃えるのもオツだなとさらに想像は広がる。
死ぬまでにしたい100のことは、いつもこんな風に楽しい未来の想像がもれなく付いてくる。
今のところこの高級皿でのおもてなしが5つ目のしたいこととして浮上してるけど、5つ中3つは食べることに関連してるあたり、食いしん坊の血がそのまま表れてる…。
ちなみに5つのうちの1つは、「ゲートボールクラブに入ること」。
スーパー運動音痴の私でもゲートボールはいけそうな気がして、しかもそのぐらいの年齢ならみんな周りもそこそこ運動音痴っぽくなるんじゃないかと思うと私も気軽に楽しく運動の会に参加できそうだから、それで常々入りたいと、これは最近じゃなくて20代の頃から思ってたことを思い出した。
他の運動にはさっぱり惹かれないけれど、唯一ゲートボールだけはやってみたいと思うスポーツだったりする。
あくまで始めるのはそれ相応の年になってからだけど。
さっきの高級皿の話に戻すと。
いきなり大枚をはたいてお皿を数セット買うのはちょっと違うから、とりあえず手始めに、紹介されてたキッシュを手作りするところから始めようと思う。
皿に合う料理のレパートリーを増やすのも大事なプロセスの1つ。
キッシュもその高級皿にピッタリな料理だし、材料費のわりに高級感漂ってるのと手間暇がかかってる風に見えるのがすごくいい。
洒落たカフェランチとかで出てくるキッシュは、個人的には詐欺に近いものがあると思ってる。
わりと大きなキッシュ一切れとサラダがのって千円だとすると、手作りキッシュをホールで作ると千円、下手したら千円以下で普通に作れるはず。
原価計算はさておいても手作りキッシュは楽しみで仕方ない。
しかも冬の寒い時に家にこもって作るというのがすごい贅沢だなと思う。
追記訂正:ウェッジウッドではなく、ロイヤルコペンハーゲンというブランド皿が普段使いしてるセレブ邸のお皿の名前。
2018年1月21日日曜日
ノート大集合
部屋を片付けている途中でふと思いつき、すべてのノートを畳に並べて写真に納めてみた。
たくさんあることは知っていたけれど、実際に並べて見ると圧巻だった。
約80冊。
あとから他の箱たちからもノートがちょいちょい出てきたから、ゆうに100冊は超える。
実際は120冊ぐらいあるんじゃないかと思う。
見にくいけれど、写真一番上の列のノートは新品でこれからそれぞれ使われる予定のノート。
2段目が今現在使っているノート。
3段目以降が基本的に今は使っていない又はものすごーく時々使うノート。
3段目以降の9割はすでに100%に近い形で使い終わっている。
今よく見たら、下の2段のノートの一部は現在進行形で使っている。
それぞれはこんな風。
・スケジュール帳代わりにその日にあったこと・行った場所を簡単に記すノート
・2017夏の思い出記録帳(まだ途中)
・雑記帳
・日記帳
・持ち歩き用メモ帳
・100日記録・心理ワーク記録
・家計簿的なノート
・生活メモノート
・レシピ帳
・誕生日の日にだけ書く日記帳
・読書記録
・チケットなんかを貼り付けておくノート
・人からもらったプレゼントの包装紙や思い出に残った何かを貼り付けるノート
・アイディア帳
・心理ワーク記録簿
・手紙下書きノート
・死ぬまでにしたい100のことを書くノート
・写経ノート(本で気に入った文章を書き写すための専用ノート)
ノートはいちいち見なくても、表紙を見たら95%は何に使っているかをすぐに言える。
私が色んな種類のノートにこだわるのはそのせいで、例えば同じキャンパスのノートを80冊とか持ってしまうと、いちいち表紙に何か書かないと何に使っているのかわからないから、だから一目で見てわかるように違う種類のノートたちを毎回色んなところから調達している。
10代の終わりから徐々に始まった記録の習慣で、20代の頃も数冊ノートを買っていた。
爆発的に買うようになったのは30代に入ってから。
そしてこの度2017年とてもショックなノート事情が明るみとなる。
B5やそれより小さいA6?B6?A5?よくわからないけれど、そういうサイズのノートの生産が大幅に減ったということ。
私は12月に東京でノート探しをするまでその事実に気付かなかった。
20代の頃、ようやく若者たちがみんな白黒の携帯をほぼ持つようになり、そして途中からはカラーの携帯(ガラケー)が台頭してきた頃。
それよりも今、ものすごい勘違いが発覚(驚)(○_○;)
「台頭」を私はずっと「だいとう」だと思っていた。
「だいとう」と打っても変換せずおかしいなぁと思い、もしや読み方が違う!?と思い、念のため、あくまで“念のため”読み方を調べたら、「たいとう」だなんて!?!?!?
使い方も間違ってないか、それもついでに調べた。
こんなにもあれこれ書くくせして、私は日本語がかなり弱い。
私の英語力やスペイン語力を知ってる友達からは、「何でそんなに他の言語ができるのに、日本語がわからないの!?」と毎回言われる。
特に熟語や四字熟語、ことわざなんかは言われても毎回ちんぷんかんぶんで困る。
漢字の読み方もよく間違えている。
それで思い出したけれど、いつだったか友達2人と話した時(男1、女1)、「めはまら」と言われて「『めはまら』って何?」と聞いて大ひんしゅくを買った。
ノートの話に戻る。
ガラケーが台頭してきた頃というのは、まだまだアナログ用品も充実していて、そういう意味でB5のノートも色んなデザインのものが売られていた。
私は東急ハンズやロフトの文房具売場が大好きで、それは今も変わらないけれど、10代の終わりでそういう店に出合い、20代は東京に行く度に、30代は名古屋で、それはそれは足繁く通い詰めていた。
どういうわけかノートコーナーに無意識にいつも立ち寄っていて、だからこそこのB5のノートのデザインの種類が激減したことにショックを隠せなかった。
高齢者もスマホを持つような時代になった今、ノート業界は大きく変化している。
「字がきれいに書けるノート」「東大生が使っているノート」とかいうような変なノートはたくさん今出ているけれど、本当に普通のノートの種類がとても少ない。
先月東京に行った際、日記帳を探すついでにノートも探したけれど、とにかくない。
びっくりする位になくて、そういうどうでもいい変なタイトルがついていて使い方が限定されるようなノートだけがやたらと増えたことだけはわかった。
あとは高級ノートが主流なのか、1000円近い値段のノートとかも数多く取り揃えていて、それにも驚いた。
高級ノートもいいけれど、庶民価格のノートも置いてくれ!!と切実に思った。
確実に手書きで物を書くという時代ではないから、ノートの種類が少ないのは仕方ない。
だけど私みたいに本当に使う人からしてみたら、この種類が少ないのは困る。
最近は、地方の蔦屋書店とかの文具売場の方が充実していることを知り、その手のノートはそういうところを探す方が早いことを知った。
写真の一番上の段にスヌーピーのノートがあるけれど、それはうちから少し離れたところにあるツタヤで購入してきた。
これはまだ使い道が決まっていないけれど、心理系ワークの記録簿とかアイディア帳とかに落ち着くと思う。
ノート繋がりで言えば、なんとその余波的なことは無印良品にも及んでいる。
12月だったと思う。
駅に行ったついでに無印にも立ち寄った。
そもそも「開きやすいノート」という96枚の分厚いノートがそろそろ終わりだから、ということでそれを買いに行った。
ノート売場を見た時に、通常あるだろう場所になかった。
丁度スケジュール帳とかで売場が多く取られているからだろうと最初は思い、文房具売場をくまなく探した。
あったはあった。
割引コーナーに。
嫌な予感がした。
このノートが30%OFFになんてこれまで一度もなったことがない。
2014年ぐらいから愛用していて、いつも別に買わなくても「私の持ってるノートと同じだ!」と目で確認していたから、それは間違いない。
とりあえず1冊持って行って、レジで店員さんに聞いた。
割引になっているけれど、これはモデルチェンジの予定なのかそれともそもそももう生産中止の予定なのかを。
「調べてみます」と言われ店員さんを待つこと数分。
「こちらのノート、今在庫ある分だけで、今後入荷の予定も新しいモデルの予定もありません」と説明された。
ガーン。
気に入って使っていたノートは今あるだけ…。
ただこのノート、分厚いだけあって使い切るのに1年は必要。
そんなにたくさん在庫を抱えても仕方ない。
だからその時は1冊だけ買ったけれど、年明けもう一度同じ店に行った時、確実に数冊しか残っていなかったから、もう1冊買い足した。
この無印の分厚いノートは、本当の雑記帳で、とにかく色んなことを書き残している。
2015年9月に書いたメモより。
「今日出逢う一期一会のストーリー
秋の日に暑さを感じて額をつたう汗かもしれない
前に進むヒントとなる本の一節かもしれない
ありあわせの食材で作ったごはんかもしれない
もう二度とはやってこない“今日”という1日を
メモするための暮しの手帖」
写真の上のメモは、「暮しの手帖」という雑誌の表紙に書いてある言葉。
その言葉が好きで、その下に自分の言葉を足した。
中は自由自在に使っている。
レシピを書くこともあれば、その日食べたもの、印象に残った出来事や風景、人との会話、自分の健康、友達の住所、読みたい本などなど、とにかく色々書いている。
次が3冊目
うれし悲し30%OFF
結局もう1冊買い足した
あと3年後とかさらにノートの生産は、無印だけじゃなくて業界全体が変化するんだろうなぁと思う。
デジタル化は止まらないだろうし、ますますペーパーレス(paper less)なんて言葉があるかわからないけれど、紙ベースでのデータ保管は好まれない=ノートの生産中止が増えるだろうなぁということは予想できる。
でも私は自分がどんなに年をとっても、やっぱりノートを持ち続けると思う。
もう最後、キャンパスのような王道のノートしか残らなくなったら、その時は表紙に好きな紙やシールでも貼ってデコレーションしてでも使おうと思ってる。
ノートはそこに足跡だけじゃなくて、その時の風景や雰囲気、空気も一緒に残されている。
だから開くと、その当時のことがよみがえる。
そしてその前後に何があったのかもノートを開けば一目瞭然になっている。
デジタルのデータでは絶対に再現できないものだから。
デジタルは1つ1つにタイトルをつけてフォルダなんかに入れて、わかりやすく見やすく整理はできる。
でもそれら全部を一気に見たり、じゃあ去年のものを見ようとなれば、また別ファイルを開くしかない。
私は自分がよぼよぼのばあさんになった頃、今書いているノートを見返すのが楽しみで仕方ない。
80、90になった自分が10代20代30代をどう過ごしたかを知るのは、もはやこのノートたちしかない。
それをしわが刻まれて皮膚の表面もかさかさになってるだろう指でぺらぺらとめくって、もしかしたら老眼鏡をかけているかもしれない目で、そっとそっとたどっていくのが面白そうだなと思ってる。
中学生の私
2日前、遠隔セラピー的なものをとても信頼している方からしてもらった。
私も実際にその人がどうやってするのかは、その人の説明しか知らないし見てないからわからないけれど、筋反射をとって年齢とその時の感情を特定し、それを取り除いてしまうとのことだった。
その日の仕事が終わるとラインが入っていて、13歳の頃に定着したものという内容に始まり、あとはマニアックだからはしょるけれど、その人がやって知り得たことをそのまま教えてもらった。
話を聞いていると、キネシオロジーと呼ばれる療法とあと別の療法を組み合わせて使っていると思う。
その人に伝授してくれた人というのが、特定の協会に属することを望まず、だからその人独自のネーミングで技を伝授してくれたのだと言う。
そんなこんなで私は中学生の私を思い出すこととなった。
まず最初にラインで「13歳」と言われた時、私は拍子抜けした。
これまで過去の感情的なトラウマとなっているものを癒すワークなんかは有料無料問わずあれこれやってきた。
自分でも自分に対してやれるぐらいにまでなったから、色んな年齢の時の色んなトラウマ的なものを解き放っていった。
だけどよくよく考えてみたら、私は中学生の頃のことを一度も取り扱ったことはなかった。
いわゆるいじめというものをみっちりと体験した3年間だったけれど、その後から私は人間関係にはものすごく恵まれて、自分の中ではもうその時のことは乗り越えたと勝手に思っていた。
一番わかりやすかったのは、20代の前半または中盤あたりを境に、当時の夢を見なくなったことだった。
中学卒業後も年に2~3回、当時の夢を見ていた。
寝る時に見る夢は、いつもだいたい夢の中で動いている自分とそれを見ている自分と2人の自分がいる。
だから夢を見ながら、「これ夢の中だな」なんて冷静に思う自分がいたりもする。
だけど、いじめの夢だけは、夢の中で動いている自分しか毎回いなかった。
それを見ている自分が完全にいないから、夢の中で私はいじめを追体験する。
そして起きると、自分が一体どこにいて自分が何歳なのかわからなくなっていた。
色んな負の感情の感覚もしっかりと体のあちこちに残っていて、だから余計と色んなことがリアルすぎて、毎回その夢の後は落ち着くまでに少し時間を要した。
そして今はそこにもういないとはっきりとわかると、ようやく安心できるようになっていた。
それぐらいに強烈な夢で、でもそれがある時を境に全く見なくなった。
だからもう私は勝手に自分の中では解決されたもの、乗り越えられたものとして捉えていた。
だから「13歳」と言われ、私は驚いた。
当時の記憶はしっかりとあるけれど、それが自分が思っていた風ではなく、実際にはとても強いトラウマで残っていたということが判明したから。
巷にあふれているような表現をすると「黒歴史」という風になるだろうけれど、私は当時のことを茶化すようなことはできない。
「いじめられてたよ」ぐらいなことは言ったことあっても、それを「黒歴史」なんていう一言で片づけられるようなものではなかった。
人生で最初で最後、自分の手首を切ってみたのもその時だった。
当時のことはとてもリアルに憶えているし、大人になった今も「命を粗末にして」などとは思わない。
そうしたくなる位に追い詰められていたということと、家と学校だけの往復で、しかも学校に行かないという選択肢が自分の中にはなかったから、毎日生き地獄のような日々を過ごしていた。
死ぬ覚悟もなく、誰かに相談するでもなく、学校に行かないなんて当時は物珍しくそして熱が出ても学校に行けなどと言ううちの母親の前で行かないなんてとても言えず、四方八方塞がりの頃でもあった。
今の私は理不尽だったりすると相手に物申したりするし、適当に交わすとか逃げるとか何かしら自分を安全な方へ避難させる術や考えを持ち合わせているけれど、当時の私にはそういうことができなかった。
話は飛ぶけれど、私がセラピーで取り扱っていたのは、自分の中でそれが今現在にまで影響を及ぼしているだろうと思われるものばかりだった。
それで、先に書いたように、私は高校以降から現在に至るまで、本当の本当に人間関係だけはものすごーく恵まれていたから、いじめの体験は体験としてそのままにしておいても全く差し支えがなかった。
だからまさか自分の中でそれが根強く残っていて実は潜在意識の中では強烈に引き継いでいたことを、今回指摘されるまでは全く気付かずにいた。
それを顕著に感じたのは、そのセラピーを遠隔でやってくれた方と電話で話した時だった。
元々その方と知り合ったのは、NLP「神経言語プログラミング」と呼ばれる手法を学んだ時で、その後もお互いに実に色んな話をした。
それこそトラウマ級の話もいくつかしたし、そしてその方は私の小学校1、2年生の頃の壮絶ないじめ体験の時のことを、一緒に寄り添ってくれて悲しんでくれた方だった。
それはある時自分で自分にセラピー的なことを施していた時に、まさかその当時のことが出てくるなんて予想だにせず、私は3日間ほどこれ以上ない位に泣いて過ごした。
本当にあんなに泣けるものかと暇さえあれば泣くぐらいの状態だった。
当時、私は自分の感情をそこでストップ・麻痺させることで、その場をやり過ごすという方法を幼いながらに行っていた。
それが約30年後ぐらいになって、当時の本当に感じていた感情がどばーっと一気に押し寄せたものだから、私はやっとやっと当時本当は泣きたくてたまらなかったこと、怖くて仕方なかったこと、そういうものが出てきて、それでぼろぼろと泣いていた。
その時のことをその人には私の家でお菓子を食べながら珈琲を飲みながら話していた。
話した時は笑い話ではない。
私は言葉に詰まって泣いていた。
だけどその方は私以上にもっと泣いていた。
その人のおかげでどれだけ自分の人生が救われたか計り知れない。
今回電話で話した時も、その人は当時と同じぐらいに悲しみ、ものすごく寄り添ってくれた。
だけれど、今回唯一違ったのは、私の方だった。
自分を強く保とうと、体や頭の方が先に反応していた。
それは中学生の自分のまんまだった。
私は平気ではなかったし、心の中で思うことはたくさんあった。
だけど私は最後の最後まで沈黙を貫いた。
いじめられても一度も言い返さずいじめらるがままだった。
担任の先生は状況によく気付いてくれていて、クラスで孤立していた私に時々
「史子、さみしくないか?」
と言ってくれていた。
猛烈に寂しくて孤独で誰かに頼りたくて…なくせして、私は「さみしくないです。大丈夫です」といつも答えていた。
未来の今、寄り添ってくれる人がいるのに、私はその人と電話で話した時に確実に自分が平静を装うようにしていて、やっと気付いた。
こうやってずっとそこの部分には蓋をしていたこと。
人間関係がうまくいくことと、自分が心の奥底で感じたことが癒されることはイコールじゃないと今回ものすごくよくわかった。
それとこれとは別物で、それで当時の自分に寄り添うこと、それが今の大人の私が自分にできる最大のことだと思っている。
今回のセラピーは多分本当に大きく自分の中の癖やサイクルを変えたと思われる。
まだ頭の方の理解は追いついてないからわからないけれど、体の方はきちんと反応が出ている。
聞いてはいたけれど、セラピーの翌日、それはそれは眠たくて眠たくて仕方なかった。
仕事中もなんと午前から眠くて、そして今の仕事で一度もしたことのない昼休み中の昼寝的な感じのことを10分少々だったけれどした。
机に伏せる感じだから体は楽ではなかったけれど、少しでも目を閉じて寝ている状態に近いものをしないと体がもたなかった。
午後もずっと眠くて、そして仕事が終わる1時間ぐらい前からおなかが痛くなり出した。
帰る頃には相当おなかが痛くなっていて途中トイレに寄ったほどだった。
帰りの運転中もやたらと眠くて、あぁこんなことこれまでなかったなぁと思った。
妙にけだるくて、聞いてはいたから心の準備をしていたこともあってメンタル的にはまぁ可も不可もなく的な感じではいられたけれど、体はとにかく確実に不要なエネルギーを外に出すことに全力で動いていた。
今まで体に付着していた過去の重苦しいものがはぎとられた、そんな感じなんだと思う。
だから体の方が新しい状態に合わせようと、もしくは古くてもう今は要らなくなったものを外に完全に出し切ろうと、動いてくれているんだろうなぁと思っている。
今しかこんな風に書けないなぁと思って書き連ねた。
朝の4時半に目が覚めてしまって(昨日がその異常なほど眠かった日)、とにかくあったこと起こっていること感じていることを今残そうと決めた。
だからこの話、オチがありません。
悪しからず(笑)。
そして私はこれから二度寝してもう一度エネルギー補給をして、今日明日と楽しいことに精を出す。
2018.1.20 夜明け前の朝
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