2023/05/12(金)
珍しく早退してようやく皮膚科の通院に行ってきた。
毎年季節の変わり目に五百円玉2つ分くらいの範囲の大きさの湿疹が手首から肘にかけたどこかに出るけれども、今年はそれが手の甲から肘まで広範囲に出て市販薬ではもうどうにもならなくてそれで通院してきた。
その皮膚科はいつも激混みだから、大体の時間だけ聞いてあとは外に出ることにした。
今回は1時間10分ほどの時間はあると聞いて近くの道の駅に行くことにした。
そして時間的にも多少余裕があると知って、3月末で閉鎖になった事務所の前まで行ってみようと考えた。
車で5分ほどのところだから、さっと見てきてそしてすぐに道の駅に行けばいいと思った。
事務所の近くの橋を渡りながら、自分はどんな気持ちになるんだろう…?と予測不能な感覚を覚えながら快晴の青空の下を走った。
当時と同じ道を通っているのに、「ここを毎日通って通勤していたなんて信じられない」と、当時の現実が幻のようにも感じられて、なるべく落ち着きたいけれど心はソワソワ、そんな風だった。
いつもの曲がり角で右折して事務所の前に来た。
私が止めていた駐車場側は1台も車が止まっていなくてガラんとしていた。
本当に閉まったんだな…と思って、せっかく来たから建物の写真を撮って帰ろうと思った。
業者や部外者の人専用の入口(多分これが正面玄関)には見たことのない看板があった。
こんなの前はなかったはず…と思いながら写真を撮ろうと車の外に出た。
Σ(꒪◊꒪ ))))⁉︎
車に出て建物を見てみると、建物の2階の窓が1つ開いていて、さらには事務所の電気が点いているのが開いた窓の先に見えた。
誰もいないと思って来たのに誰かというか多分想像するにイケメン上司の後輩くんではないかと思うけれど、まだ残務があるのか誰かはいる。
私は超速攻でその見たことのない看板と建物をさっと写真に撮って、逃げるようにしてその場を後にした。
悪いことをしているわけじゃないけれど、明らかに看板の前とかは不法侵入まで行かなくても確実に敷地内というか駐車場内で、超絶怪しい人だからささっと撮って数十秒で車に戻った。
看板はよくよく見たらいつの間にか社名が変わった事務所の看板だった。
まさかまだ開いているというか事務所内に誰かがいると思っていなかったから大層驚いて、直前まで自分の気持ちはどういう感じになるんだろう…?なんていう悠長な想像はあっという間に消えて、変なヒヤヒヤ感だけがやたらと自分の中に残った。
道の駅に行って、川側の駐車場に車を止めてしばらくはボーッとした。
看板の社名を見て、私の手元にある名刺はもう幻の1枚なんだと気付かされた。
私の手元にある社名の名刺はもうこの世のどこにも無いと思う。
イケメン上司本人だって使わない名刺は捨てるだろうから、本人さえ持たない名刺を私は持っている。
知らない間に名前も変わって、今回ばかりは本当に時間が過ぎたんだなととてもストレートに思った。
そしてその職場に行く数ヶ月前に道に迷ってそこにたどり着いて、さらには駐車場を少し借りて確かUターンしたかと思うけれど、今になって思うと本当に不思議な感じでその場にたどり着いて、そういう謎すぎる引き合わせがいかにも魂の導きみたいだななんて思った。
まさかその迷子になった場所に自分がその数ヶ月後に仕事に行くことになって、さらにはイケメン上司に出逢えるだなんて、当然そんなこと当時の私は知らない。
今はもう迷い込んでもイケメン上司はいないし、そして事務所は遅かれ早かれ完全閉鎖して、私が今回納めてきた写真の看板だって完全閉鎖の時は取り外しになる。
本当に色んなことが過去になってしまうんだなと思った。
寂しさが浮かび上がって、でもどこかではやっぱり出逢えて良かったという気持ちと、色々変わっても変わらない自分の中の色んな気持ちと、そんなことを思っていたらおじいちゃんと散歩に来ている4歳か5歳くらいの女の子が車の後ろの歩道を歩いていて、女の子は「たのしいなー、たのしいなー♪」とひたすらたのしいなーと歌なのか自作の歌なのかを歌っていた。
そう、あの当時の私は本当の本当に生きてることが毎日めちゃくちゃ楽しかった。
イケメン上司が去った後から今に至るまでも楽しいことはあったしこれから先の人生にだってあるだろうと思うけれど、もうそういうことの比ではない楽しさだった。
女の子がひたすら「たのしいなー♪」と歌っているその歌の通りに、私も当時は毎日毎日楽しくて生きてることが幸せで仕方なかった。
*
2023/05/14(日)
小学校2年生になった姪っ子がキッズ携帯を持つことになった。
私がゴールデンウィーク中に滞在していた時に買ってもらっていて(私含めてみんな総出で出かけた)、早速ごっこ遊びで使った( ̄∀ ̄;)。
ゴールデンウィーク中ずっと保育園ごっこをしていて(リアル5ヶ月児←姪っ子2号も時々ごっこ遊びにメンバーとして参加)、姪っ子がぬいぐるみの母親の真似をして「これからさやがママになって下からでんわかけるね」と言って時々キッズ携帯を持って1階とか外に出て私の携帯にかけてきていた( ̄∀ ̄;)。
超至近距離から電話が来て「◯◯のおかあさんですけど、◯◯ぐあいがわるいときいたのでいまからむかえにいきます」とかいうことを言うためだけにキッズ携帯を持って3階から1階や外に行くという、まさかのキッズ携帯の使い方。
で、今度私が新潟に戻ってきてからは、朝のおはようや夜のおやすみをお互いにスタンプを送り合ったり写真や動画を送っている。
この間なんかはだんご虫の動画が送られてきた( ̄∀ ̄;)。
また別の日の朝6時過ぎ、おはようのスタンプをやりとりして「またでんわしようね」みたいなことを書いて送ったら、6:17に姪っ子から電話がかかってきた!
どうしてかけてくれたかを聞いたら「だってうさちゃんとフラッシュがまたでんわしようねっていってたから」(うさちゃんとフラッシュはぬいぐるみ)と返ってきた。
平日の朝から非常に清々しいかわいい電話をもらったりもしている。
そんなこんなで姪っ子とやりとりしながら、イケメン上司ともこんな風にやりとりできたらいいなと心底思った。
ゴールデンウィーク明けの1週間、仕事は過去最高に発狂しそうな事態に巻き込まれて、本当にメンタルがやられまくってブログとかそれどころではなくなった。
体力もやっと回復しつつな中、ブログをアップできないこと、アップできないのは別に気にならないけれど、近況をイケメン上司に伝える手段を持ててないことがやたらと気になって仕方なかった。
3月の誕生日メッセージの続きは、まだ書いてないけれど書く予定の続きの内容は決まっているし、それはなるべく近いうちに書いて伝えたい意志があることだけでも示したいと思っている、そういうことをサラリと伝えられないことが何とももどかしい。
姪っ子と携帯でやりとりできるようになって、それも相手はまだ連絡用というよりもスタンプを送ったり簡単な何かを伝えるものとしてしか捉えてなくて、そんな身軽なコミュニケーションを取っていると、どうしてこれがイケメン上司相手だと叶わなくなるんだろう…と、本当に単純な疑問として自分の中から出てきた。
まさか姪っ子と携帯でやりとりする方が先に起こるとは思っていなかった。
イケメン上司と私はもうこのまま生涯言葉を交わすこともなく終わるんだろうか…と信じたくない未来を案じている。
*
昨日(5/13)市内の小さな新聞が我が家に届いて、そのおくやみ欄を見たら、社会人として初めて勤めた児童養護施設で働いていた時の大先輩の先生の1人の名前があった。
73歳でまさかそんな若くして亡くなるとは思ってもいなくて、そこに書かれている名前が嘘みたいだった。
特徴的な名前の先生だったから同姓同名の別人という可能性はゼロだと言い切れる。
何回かは夜勤も一緒に入ったから同じ部屋で寝たし、当時は職員旅行もあって一緒に楽しんだり、はたまた飲み会もあってお酒を飲んだりした。
実は借りたままの本がずっと私の手元にあるのと、いつかの忘年会のプレゼント交換で私はその先生からのプレゼントが来て、中身は忘れてしまったけれど今でもその箱は現役で使っている。
先生は中身よりも箱がかわいいでしょ?と私にわざわざ伝えてくれたものだった。
もう会えない先生なんだと静かに思ったのと同時に、イケメン上司とはそんな風にしたくないと思った。
私と会うとイケメン上司にとってどのくらい人生の中の良きこと度がアップするのかと聞かれたらとっても困るけれど、どちらが先にあの世に旅立つかはさておいても、多分イケメン上司も連絡を取り合わずに死んでしまったら後悔すると思う。
ゴールデンウィーク明けの1週間の仕事の中で、過去最高に「もう長くは無理だ」というとても静かだけれどかなり強くしぶとい感じの感情が沸き起こった。
いつかは辞めるにしてもそのいつかはそんなに遠くない気がしている。
もういい加減重たい腰を上げて次に向かわないといけないんだろうな…と思っている。
それは遅かれ早かれの問題だからいずれは何かしら変わることになるけれど、イケメン上司の存在だけは私の環境がどう変わろうが変わらずにずっとあり続けてきたこの6年だった。
人生がどのように変化してもイケメン上司の存在はそう大きく変わらないだろうと思っている。
もう亡くなってしまった先生に本を返せないように、言葉を交わせないように、イケメン上司と未来永劫言葉を交わせないのは悲しすぎる。
生きている間に言葉を交わせる関係になりたい。
こんな風に一方的にブログという不特定多数の人が見れるような形じゃなくて、イケメン上司しか見れないところで姪っ子とやりとりするかのごとくイケメン上司ともやりとりできるようになりたい。
追記:
看板の写真を拡大して見てみたら、当時の社名が刻印のように残っていて、どうやら今の社名を新しく上から付け足した模様。
ってことは当時もあったのかもしれない。
その業者や外部の人向けの入口側で覚えているのは、緊急連絡先の貼り紙とそこに書いてあったイケメン上司の名前だけ。その名前を見てすごい年上の貫禄ありそうなおじさんを勝手に想像したら、その名前の人物はさわやかイケメンだったという、名前から私が勝手にイメージした人と実際の人物とのあまりのギャップに心底驚いた、そういう思い出が一番色濃く残っている。
だから看板の存在がまるっと私の記憶から抜け落ちている( ̄∀ ̄;)。