秋の訪れを感じる。
夏の終わりじゃなくて「秋の訪れ」。
最近残業続きで夜の7時過ぎにしか外に出れない。
駐車場に向かう道すがら、外の暗さに驚く。
町中であっても、鈴虫の鳴き声が聞こえる。
8月の終わりってこんなにも日が暮れるのが早いんだとビックリしている。
そして、イケメン上司がいた夏はそんなこと気付いてなかったな…と思った。
今書いてて気付いた。
当時は定時が17時30分で、だから日暮れ前に退勤していたからそれで気付かなかったんだと思った。
季節のおかげで、イケメン上司がいた風景の背景は、基本的にどれも明るい。
室内だと多少暗くはなっても、それは夏の季節の室内の暗さで、冬の室内の暗さとは違う。
さすがに9月末でいなくなった時には夕方は夕方らしく暗くなっていたけれども、それでも全体的に明るい色合いの風景ばかりが頭をかすめる。
2日か3日前、仕事にあまりにも集中できなくて、私は2017年のカレンダーをネット上で出して、当時の曜日を確認した。
そうだ!と思いついて、2017年のカレンダー1年分を印刷して、それを机の引き出しに入れた。
また見たくなったらいつでも見れるように。
当時の時間をオンタイムで追える、それは年に一度しか巡ってこないチャンスだから、そうやってカレンダーを見て時間をそしてその時にあったことを追いたいと思った。
振り返ることに何か意味とか得があるのとは違う。
振り返っても戻れないし、その時手に入っていた日々を取り戻せるわけでもない。
なんだけど、意味とか得なんか無くても、私にはその時の感じを思い出すことそのものが特別だし、そうすることで自分の中の色んな気持ちが癒される。
だからそうやって仕事中だろうがなんだろうがそんなことをする。
*
シーツを洗って、寝る前に洗ったシーツや枕カバーをセットした。
その後、いつものようにペンジュラムやオルゴナイト、他の天然石、そしてイケメン上司の名刺を枕の横にセットした。
名刺を改めて手に取ってじっくりと見た。
名刺の中身云々(うんぬん)じゃなくて、名刺そのものが手渡された時と今とを繋げて見た。
名刺をもらった時に私はその名刺がその後何年にも渡って自分のお守り代わりのようになるだなんて思っていなかった。
私は数年に一度、名刺に関しては大規模断捨離を決行するタイプの人間だから、その日もらった4枚の名刺もいつかはそうなるだろうとその時はそんな風にしか思っていなかった。
3枚はどこかにまとめてしまってあるはずだけど、イケメン上司の名刺だけはある時から別にした。
百均に行って透明の名刺ケースを買ってきて、いつもその中に入れてこれ以上名刺が傷まないように気をつけている。
改めて見てみて、そんな未来を私は全く予想だにしていなかったな…と思った。
名刺は過去にもらった名刺たちと同じくらいにしか思わなかったし、とにかく不安しかないと言ってもいいくらいの状態で行き始めたから、そんな場所で全身全霊で自分が生まれ変わるくらいのすごいことを体験するだなんて当時は全く思わなかったから、名刺も他の資料も辞める時は全部捨てるだろうくらいに思って、全く見向きもしていなかった。
変わった仕事ばかりをたしかにしてきたけれども、基本的に私は私情と仕事とを完全に切り離す。
人間的な私情というか人情めいたものはあっても、個人的な感情を仕事に持ち込むことなんか一度もなかった。
だから名刺が後に自分のお守り的なものになるだなんて、その時は想像どころかそんな考えさえ思いつくことはなかった。
イケメン上司さえもう持っていないだろうその名刺を私だけがまだ持ち続けている。
改めて手に取ってそのことを思うと、ものすごく不思議な気分になった。
すごい関係ないけれども、金曜日に職場の男性の1人がいつのまにか結婚していたことと、もう1人別の男性に彼女ができたことを知った。
どちらもどうでもいいことだけれど、そのことを聞いたり知ったりした時に、イケメン上司もプライベートでは出会いに恵まれて何か違う風が吹いてるのかもしれない、と大真面目に思った。
イケメン上司の勤める会社と私が今行っている派遣先の会社とは、ある意味とても似ている。
とにかく男性が圧倒的に多いし、普通に仕事と家との往復だけじゃ出会いなんてまずない。
でも普通に彼女とか奥さんとかと何かしらの流れで出会うわけで、ましてや金曜日に知った2人はモテるタイプとはちょっと違うだろうけれども、しっかり誰かと出会っている(しかもコロナ禍で)。
イケメン上司も3年も4年もしたのなら何かそういう出会いに巡り合っていてもおかしくないし、そもそも出会った時でさえもデートするみたいな、デートじゃなくてもマンツーで会う女の人がいたらしいことも後になって耳にする羽目になって(自分は知りたくなくてもそういう情報は全くありがたくないし求めてもないのに、2回ももたらされることのこの悪運なのか強運なのか、自分のこの変な運の当たり具合は呪いたくなった)、何がどうなっていてもおかしくないとこれも改めてそう思った。
そんなことを色々思うと、今私のところにあるイケメン上司の当時の名刺も、そうやって出逢わせてもらえたことも、どこか夢のような出来事だったな…なんて思う。
一生で一度、ひと夏限定、そして私側の魂的な能力やら資質やらの引き上げのために遣わされた使者的な立ち位置の相手がイケメン上司だったのかな…なんて思ったりもする。
私も何かしら引き上げる役割をしたいのは山々だけれど、むしろ自ら立候補したいぐらいだけれど、当時の記録なんかを読み返すと百害あって一利なし状態の内容がオンパレードになっている。
このブログの中に何かしら癒しなりプラスとなる要素があるのなら、どうぞどうぞじゃんじゃん使ってね!絞るだけ絞ってね!と思う、本気で、真面目に。
*
本当は何か書こうと頭の中にあったけれど、それが何かド忘れしたからとりあえず他のことを。
録画した番組を見た。
芸能界のイケメンにおいしい焼肉を紹介して、それをイケメンが食べるという番組。
番組名を見て気になったから録画した。(食べ歩き番組や食べ物系の番組をごはんの時にダラダラと見るのが好き)
画面の向こう側にはたしかにイケメンがいた。
そしてとても上品に高級な肉を食べていた。
女性側のエスコート役の人は、「イケメンが肉をおいしそうに食べてるのを見るのは萌える」みたいなことを言っていた。
改めて思ったけれど、私は基本的に全くイケメンに興味がない。
だから画面の向こうの女性に人気だろう俳優を見ていても全く何も感じない。
これは昔からそうだけど、本当にイケメンに興味が湧かない。
たとえばイケメンとして有名な福山雅治も斎藤工も私がカッコいい!!!となるのは、それぞれの人柄を何かしらで知って、それでカッコいいとは思っても、容姿を見てどうこう思うことは基本的にない。
斎藤工に釘付けになった初めてのシーンは、お笑い芸人の誰かの技を全力で真似した時だった。
本当にその芸人の人が大好きですごくリスペクトしていることがひしひしと伝わってきた。
あんなにカッコいいのに、全身全霊で体を張って真似している時は、イケメンではもはやなくなっていたけれども、むしろ私はその時の方が好感を持った。
前置きが長くなったけれども、「イケメン上司」と勝手に名付けて相手をイケメンと呼んでいるけれど、イケメン上司は本当にイケメンだし、今回の焼肉番組で出てきた2人のイケメンを見ても何も感じなくても、その人たちを見ていたら本当にイケメン上司というのはイケメンなんだと改めて思った。
イケメンを見ても基本何も思わない私からして、イケメン上司も最初はそういう人だった。
私は今の職場で日々100人近い男の人たちと同じフロアにいることをいいことに、変な視点で人間ウォッチに励んでいる。
歩き方とか醸し出してる空気とか、そんなのを見ている。
イケメン上司くらいの背の高さの人なんかは特にガッツリと見る。
中には社内でイケメンと評されている人たちもいる。
なんだけど、イケメン上司と同じ歩き方をする人もいなければ、今となってはもしかしたら本当に私にしか見えていなかったのかもしれない、透明でキラキラした空気なんかは誰も持ち合わせていない。
声も全くときめかない。
今の職場で誰かの声を必死で聞き取るなんてことは全くしない。
イケメン上司は、本人は自分をどう見ているのか知らないけれども、周りからすると本当にイケメンで本人のいないところでイケメンと女性陣みんなから言われていた。
外見的なスペックは本当に高くて、そして私が思うにあの空気感とか人間性とか性格も手伝って、さらにイケメン度をアップさせていると思う。
そんな感じの人ゆえに、私の最初の興味は全くと言っていいほどに意識の対象にいなかった。
無意識の領域はまた全然違っていたけれども、意識の上ではイケメン上司のイケメンスペックに私は全く反応を示していなかった。
だからイケメン上司ともし何もなければ、本当にイケメン上司は「イケメンな人だな」で終わったと思う。
本当にイケメンすぎて、私がイケメン上司と仲良くなるイメージなんか全く湧かなかったし、なんなら自らベラベラとおしゃべりするタイプではないから、そして私も人見知り発動していたから、どうやっても接点なんかなくて、本当に単なる職場の男性っていう風にしか私は見ていなかった。
もし、毎日決まった同じ仕事しかせずに当時日々過ごしていたのなら、イケメン上司と私とは永久にすれ違ったままだったと断言してもいい。
世間的なものさしだと、イケメン上司はハイスペッククラスの人になる。(こんなことズカズカと好き放題に書いて、本人マイナスな方に気にしてたら本当にごめんなさい…)
でも私はそういうことにほとんど興味がないし、イケメンにも興味がないから、本当にイケメン上司の人間的な部分を知るきっかけがなければ、今は全く違う現実を生きていたんだろうなと思う。
本人は自己アピールの気なんかさらさらなかったと思うけれど、本当に一瞬でイケメン上司は私の一生に残るくらいのインパクトを残した。
それは逆に言うと、イケメンだからでもないし、ハイスペック男子だからでもない。
その人がその人ゆえの理由としか言いようがない。
自然に出ているものが本当にキラリと光っていた。
存在そのものから出ているものに私は何かしらを感じ取ったんだと思う。
それって超すごいことだと私は思っている。
自分に置き換えて考えたらわかる。
だって、「あなたが武士俣史子さんだからいいんだよ」と言われてるのと一緒で、そんなこともし私が誰かに言ってもらえたのなら、私の人生は大成功だなと思う。
「生きてるだけで素晴らしい」なんて、綺麗事にしか普段は聞こえないけれども、イケメン上司を見ているといつもそういう気持ちにさせられる。
何をしていても、はたまた何もしていなくても、存在そのものがすごいってこういうことを言うんだと悟り級のところまで私は見せてもらえた。
イケメン上司は全力で否定してきそうだけど、私から見たイケメン上司はそういう人だった。
*
8月中にブログをアップしたいから、中途半端な感じだけど、このままアップしようと思う。
書きながらまた新たに書き残したいこともちらほらと頭をかすめた。
またのんびりと自分のペースで書き進めていく予定。
今年の夏の最後の日に、こうして書けて夏を振り返られて、とても良かった。
明日からは9月の振り返りをする予定。
色んな気持ちを味わいながら振り返るのもおつだなと思う。