2022年9月24日土曜日

5年前の携帯メモー9月

ちょうど5:55を狙って撮ったスクショ
555というゾロ目数字は、
私がこのブログを再開する時に後押ししてくれた
数字でもあるから、感慨深いものがある。
背景が紫陽花なのは、
ずっと背景の写真を変えてないから…




2022923日 秋分の日


いつか買おうと思っていた本のタイトルを調べるためにiPhoneのメモをさかのぼっていったら、5年前の2017年の9月のメモが目に入って、何を当時はメモしたんだろうと思って見てみたらこんな風だった。


内容的に恥ずかしいものもあるけれど、ちなみに相当恥ずかしいものは除外したけれど、それでも書いた当時のメモたちをまとめてみた。


ちなみに10月のメモも色々あったけれど、そちらは10月になって気が向いたらまとめようかななんて思っている。




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201792


ー以下引用ー


会いたいな!と思って会う、ということもありますが

その人に会うまで、

会いたかったのだということに気づかない

ということもあるわけです。

顔を見て声を聴いてそこではじめて

ああ、私はずっと、この人に会いたかったんだなあ

と感じることも、あるんだと思うのです。11


会いたい人の方から

声をかけてくれる可能性もありますし、

待っていてもしかたないから

自分から会いに行こう!

という人もいると思います。

どちらからいこうが、大した違いはないのです。

会ってしまえばそこには

お互いの共有できる時空があるだけです。54


たしかに自分自身の心なのに、

自分の意識や意志とは関係なく、

勝手に動いてしまいます。

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「きれいに説明ができなくても、

どうもそうしたほうがいいと思える」というときのほうが、

むしろ、信用できるのかもしれません。

283

『薔薇色の鳥』

石井ゆかり




201793


無意識に心が動く方が先で、

その後にはっとなって、考えないにしようとかそういうこと考え出す自分がいる。


史子







8-31 

夕焼けを窓から眺める


帰り際、はっきりと「おつかれさまです」の挨拶が聞こえる


9-1 

朝段ボール置場にいたところを捕まえて、メモについて聞く




201795


夜シャワーを浴びながら


「心の中に涙がいっぱい溜まってる」




201796


・ベイシア店員〇〇さん

・福岡着いてすぐの携帯に出た福岡県〇〇のニュース 

・情熱大陸 佐々木圭一さんが紹介したあるコピーライターの名前が〇〇さん ノートに書いてあった

・たまたま目にした一瞬のCMが〇〇さんと同じ車のCMだった




201798


(お世話になったSさん宛のメッセージの下書き)


ペンジュラムの答えとこれまでのやり取りと、色々総合的に振り返って思うことです。


〇〇さんはできない、ごめんなさい、とは言いましたが、あれが本心ではなかったように思います。

多分異動が決まる直前までは、鈍い私が「もしかして」と勘違いするようなことがいくつかありました。〇〇さんは無意識過ぎなのか、私の目に映る表の部分をどこまで自分の心の中でキャッチできてたかはわかりません。

だけど、少なくとも好意に似たようなものは持っていたんじゃないかと度々感じました。

だから、断られた時もどこか違和感のような、頭で出した答えという感じでした。


流れを見ても、この3週間ほどの怒涛のような日々を振り返っても、そしてSさんはじめ周りの人たちの温かい感じを改めて思い出しても、そして相変わらずペンジュラムは現実とは違う答えを私に伝えてきますが 苦笑、タイミングなのか思考には勝てないのか、もうするだけのことはしたのでそこは自分でももう十分とは思えても、今の結果には非常に不満なのが本音です。


今朝2年前引きこもりのような生活してた当時の日記を読んでました。迷ったり焦ったり、今が一体何に繋がってるんだろう?って不安になったり。そしてその時々の選択にすごく迷って、決めてからもこれで良かったのかとか毎回何かしらのマイナスな発言もあり 苦笑。

でも今に繋がるには、過去のどのピースも1つとして欠けてはいけなかったこと、それが本当にひしひしと伝わって、朝から涙しました 笑。


未消化な気持ちはしばらく続きそうです。全く何が言いたいのかよくわからない文章になりました。




2017913


青空

やたらとゆっくりと時間が流れた。

このまま時が止まればいいのに、と思うほど。




2017924


時間を味わう

時間が伸びる感覚

一緒にいる空間







街のフリーペーパー情報 最新版

編集の1人が〇〇〇治さんだった

(〇〇〇はイケメン上司の名前と全く一緒の漢字)




2017926


夜ご飯の時少しだけテレビ見てたら。福岡のグルメタレントが出てきて、その方が〇〇さんだった。

もう1つの番組と迷って選んだ方にしたら、そんなことになった。


(〇〇はイケメン上司の下の名前と全く同じ名前&同じ漢字だった)




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2022924


真夜中に目が覚めて、外ははっきりと雨音が聞こえるくらいに雨の音が聞こえて、そして今こうして書いている。


少しだけ当時のメモの補足をしたい。


「心の中に涙がいっぱい溜まってる」と書いたのは、他の人からイケメン上司に仕事の伝言を頼まれて、それを伝えに言ったら明らかに無視された、その日の夜のメモ。


9月6日の箇条書きは、〇〇の中にはすべてイケメン上司の名前が入る。


8月の終わりくらいからイケメン上司の名前をあちらこちらで見かけることがどんどん増えて、それでメモしたのがそれが最初だった。


福岡県の話は今でもはっきりと覚えている。


空港で見たニュースだったと思う。


そこにはイケメン上司と同じ苗字の地元の名士の方の速報が出ていた。


見知らぬ土地の見知らぬ名士なのに、突然イケメン上司の名前が出ていてビックリしてハッとした。


9月8日のSさんへのメッセージの下書きなど本当に顔から火が出そうなことを書いているけれど、それが本当に当時の自分の書いたことなんだから否定もできない。


ペンジュラムが当時伝えてくれていたことの内容は具体的に覚えていないけれど、質問した中にイケメン上司がソウルメイトなのかとかは聞いたし、イケメン上司と私とが何らかの形で繋がるかどうかみたいなことを聞いていたと思うし、あの頃はまだ半信半疑ではあったけれど、とにかく書いた通りペンジュラムはイケメン上司に関することだけは絶対に現実的なものとは相反することを一度も変わることなく同じ答えを伝え続けていた。


現実は強烈極まりないのに、なんならあれから5年経つけれども、私がブレブレでもペンジュラムはブレずにずっと同じことを伝え続けている。


これは私のとても希望や願望が強い分析というか捉え方だけれど、この5年という時間、私にとっても片時もイケメン上司のことを忘れなかったのと同じように、イケメン上司にとっても好む好まないは別にしても私が居続けたのかもしれない。


生身の人間同士は何にも繋がってなくても、魂同士はお互いに歓喜しながら「繋がれたね!再会できたね!」と言い合ってるかもしれない。


( ̄∀ ̄;)」って末尾に付けようかとしたけれど、やめた。書いてて、なんだか可笑しなことを言ってると思ったから。


イケメン上司じゃなくてイケメン上司の魂が反応していただけかもしれない。


生身の人間のイケメン上司自身は本当はどうだったんだろう。


新潟の後、少なくとも2つの土地に行って日常の色んなことも周りの顔ぶれも変わったわけだから、新潟時代などもう遠い過去になって記憶の片隅にさえ残っていないかもしれない。


けれども、なんだかんだ色々変わっていっても、私という人はこの通り5年前も今も基本は変わらなくて、そしてイケメン上司の意図はわからないけれども私のブログを見続けることは変わらない習慣的なものになっていて、だから風景や細かい出来事は記憶から抜け落ちてもなぜか私は画面の言葉の向こうにいるみたいな、記憶の有無に関係なくそこだけが引き続き続いていきましたみたいな。


当時のメモは、当時の日付のままiPhoneの中に残っている。


それらは一生大切に残しておく予定。


一生ものの記憶の記録。


例えば、あれから10年後の2027年になったとして、さらに一層当時の記録はかけがえのないものになっている気がする。

2022年9月21日水曜日

記憶の断片

2022/09/17の夕空
5年前の職場の近くの国道からの風景

スープカレーが食べたくて
本当にスープカレーを食べるために出かけた
連休初日

35度近くまで上がった日の空

こんな風にiPhoneのメモにいつも下書きをしている



2022/09/17  5:42am

夜明け前に目が覚めて、記憶がうっすらとあるものたちを言葉にしておきたいと思ってiPhoneのメモ画面に言葉をこうして打ち込み始めた。


9月11日にイケメン上司の机の上に事務所に誰もいなくなった一瞬の隙を狙ってさっと手紙を置いた後、イケメン上司宛ての電話を取るとか必要なファイルを用意するとか、そういうことが一切なくなった。


一番大きく変わったことは、イケメン上司をチラ見できなくなったことだった。


見られたら嫌かなという気持ちもあって止めたのもあるけれど、なんだか見てはいけない、そんな気持ちだったと思う。


すっごい見たい気持ちはあったけれども、見ることもなんだか許されない、とにかくイケメン上司になのか何なのか悪いとか申し訳ないみたいな気持ちでいっぱいだった。


同じ空間にいて手を伸ばせば届くみたいな距離にいながら、半永久的に近寄れない、大きな隔たりが常にあって、それはもちろん私の心の中の話でもこの近寄れないことこそが関係がないということなんだと思った。


これは私の超勝手な想像だけれど、少なくとも私が個人的なメモをイケメン上司に渡してからは、何もしゃべらない置き物のような派遣ではなく気まずくてもやりにくくても武士俣さんという人がいるという存在感は嫌でも出てきたんじゃないのかなと思う。


そうだ。


イケメン上司は私に「お疲れ様でした」も言わなくなったと思うけれど、それは気付かなかったんじゃなくて、反応しないことを無視することを意図的に選んだ、ある意味存在には気付きまくりな状態だったのかなと思う。


今の職場は広くて、同じ部署の人で席が近くの人でさえも、休みかどうか気付かないこともある。


存在にさえ気付いていない。


イケメン上司の場合は違っていたと思う。


私という存在は嫌でも認識できる位置にいたけれども、無視することを徹底するみたいな。


イケメン上司もイケメン上司で、けっこうしんどい状況だったんじゃないのかなと思う。


異動に伴って、業務の片付けや引継ぎもしないといけないし、家の引越しもしないといけない。


とにかくとっても忙しかったはずだけれど、それよりも心が乱れるのは私の訳の分からない、予測すらできない動き方の方だったんじゃないのかと思う。


この間受けた占星術の鑑定で、ドラゴンヘッドやテイルに関わる天体の動きの時は、色んな縁が持ち込まれやすく、中には自分が望まない関係も入ってくるというのを先生から改めて聞いた時に、当時のイケメン上司にとってはまさに生まれた時のドラゴンヘッドのところに今現在のドラゴンヘッドが18年数ヶ月ぶりに戻ってきた頃で、私が登場してきたのは想定外の中でも超想定外だったんじゃないのかなと思う。


望まない関係は切ったらいいです、みたいなアドバイスも今回先生から受けたけれど、まさにイケメン上司にとっての私がそんな感じだったのかもしれない。


書きながら少しずつ思い出してきたけれど、ずっと席のすぐ横に置いていた黒のダウンジャケットが消えた時は本当に衝撃が走った。


周りの人たちはそんなことは誰も気にしてもなかったかもしれないけれど、私には仕事で初めて足を踏み入れた当初から超異彩を放っているアイテムで、他にもっと変な置き物とか色々あったのにも関わらず、その黒のダウンジャケットがダントツで存在感のあるものだったから(途中からイケメン上司の持ち物だということがわかった)、それが無くなった時が「本当に異動してしまうんだ」と一番強く思った。


いつだったかは週1の掃除の日に、イケメン上司が階段を選んだ時。


そこはみんなやりたがらないかと思って私なんかはけっこう毎回自らそこを選んで掃除していたけれど、それをイケメン上司が知ってるのか知らないのかは今もわからないけれど、そこをイケメン上司が始めて、そういう姿もガン見したいのは山々だったけれどもそれこそ見るのをはばかられて止めた。


そっと心の中で、「私も毎週同じ景色見ているよ」と思ったけれど、そんなの伝わるわけもなく、同じ体験をしても共有できないのって寂しいなと今でもふと思ったりする。


それこそその階段のところで、Hさんにいつかの夕方呼び止められて、「武士俣さん、◯◯さんの送別会ってどうしますか?」と聞かれた日があった。


私は最初から行かないという返事はしなくて、何て最初に言ったのかは忘れたけれどもう少し時間をくださいみたいなことを言って返事を延ばした。


時間的な都合はいくらでもついたけれども、協力会社の人たちも呼ばれて知らない人たち話したことがない人たちてんこ盛りでそれも超気後れしたし、それ以上にイケメン上司のための会だけれどイケメン上司は私が同席などしたら本気で嫌でたまらないだろうと思って、私も耐えられないしイケメン上司も最後の飲み会でそんな状態なのは絶対に嫌だろうと思って、そんなことは言わずにとりあえずお断りをした。


駆け足で後ろから追いかけてもらって、これがイケメン上司だったらどんなに良いかななんて起こりもしないことも想像した。







2022/09/19 (月・祝)


おととい上の文章を書き終えた後、早々と起きて出かけた。


ずっと家にいるのも天気が良いのにもったいないと思って、それで「スープカレーを食べに行く」という、はっきり言ってどうでもいい、出かけなくても問題ない用事を無理くり作って新潟駅前まで出かけた。


帰り道、ふと変なことを思い出した。


イケメン上司の転勤が知らされた後だったと思う。


時々変な咳をイケメン上司はしていた。


見間違いでなければ、黄色のパブロンみたいな薬が机の上にあった時もあった。


今ネットで調べたら、本当に黄色のパブロンだったのならそれは「咳」に特化した風邪薬らしい。


季節の変わり目だったし、引越しやら引継ぎやらで多忙を極めていて疲労も溜まっていただろうから、それが喉に来たのかもしれない。


多分こんなことどこにもこれまで書いてこなかったと思うけれど(私の記憶だから怪しいけれど)、私はそのイケメン上司の咳や喉の具合の悪そうなところを見ていて、「言いたいことが言えずに、もしくは言う必要があることを言わずに溜め込んでいるから、それで喉が詰まっている」と思っていたことを思い出した。


本当に単純に季節の変わり目とか多忙による疲労からくる喉の不調や喉の風邪だったかもしれない。


なんだけれど、私には言いたいことなのか言う必要があることを言わないことで喉が詰まっているという風に映ってしまって、それが私の思い込みなのか本当の不調の原因をなぜか特定できていたのか、その辺りは全くわからないし何とぼけたことを言っているんだ!?状態でも、とにかくそんな風に思っていたことを思い出した。


私はその後1年くらいすると、人生でこれ以上ないくらいの喉の絶不調、冗談抜きで声が全く出なくなったくらいの、完治するのに1ヶ月近くかかったすごい不調に見舞われて、その時というのは当時交流のあった子が危険な目に遭っているのにそれを止めずに様子見をしていたらそれですごい具合が悪くなった。


ちなみにその後本人に会って、全力で説得して、本人は良いと思って慕っている相手というのは洗脳している人だということをとにかくありったけの脳みそをフル回転させて言葉に言葉を尽くして説明して、そしてそれで喉の不調は最後落ち着いた。


イケメン上司の当時の喉の不調は何だったのかなんて私は医者でもエスパーでもないからわからない。


けれど、自分も言う必要があるのに言わずにいたら喉が超絶調子が悪くなったことがあったから、もしかするとイケメン上司もそんな風だったのかもしれない。


少なくとも「喉の調子が悪いんだな」よりも「喉が詰まっているんだな」と感じたのは本当だし(たとえ私の勘違いでも)、当時は余裕があまりにも無さすぎてそんなこと思えなかったけれども、本当はイケメン上司も私に何かを言いたいんじゃないかと思った。


愛の告白とかそういうんじゃなくて、私が手紙を書かずにはいられなかったように、イケメン上司はイケメン上司で何かを感じてそれを言葉にして伝えたかったのかななんて想像したりもする。


伝えたいだとかなり語弊があり過ぎる感が否めないから、言いたいかどうかはさておき言葉にして外に出す必要があったんじゃないのかなと思う。


そしてそれは対私かもしれないけれど、私ではない対他の誰かかもしれない。


いずれにしても、喉が詰まっているって思っていたことを運転しながら突然思い出した。

2022年9月14日水曜日

プラプラ散歩と散文

とても上手くとんぼの写真が撮れた
2022/09/13

右側の黒い点はとんぼ
左下は看板
2022/09/11

薄水色のような色の三階建ての家の位置に
私が子どもの頃住んでいた家があった。
雑草が生い茂っているところに隣りのお家が。
そして家から出て写真手前側の曲がり角になる、
そのくぼみのようなところが
運命の分岐点になった地点。
(この後話に出てくるスポット)

日曜日の夕方、
スーパーでお好み焼き粉を買った後の帰り道

上の夕焼け小焼けの空の約50分前の青空



2022/09/13

朝、小さなトンネルを通る時、トンネルのてっぺんより少し上のところに空が見えるスポットがある。


今日は晴天で青い空が見えた。


夏のような真っ青ではなく、かと言って秋の青さでもなく、ちょうど夏から秋へと切り替わるタイミングの青空だった。


ようやくブログを書きたい気持ちが出てきた。


書きたいは書きたかった。


けれど、先週は仕事も自分が擦り減りまくり、個人的なやりとりも何か噛み合ってなくて(相手というよりも自分と)、色々余裕の無さが際立っていた。


心も体も疲弊して、気持ちは9月をしんみりと振り返りたかったけれども、そちらに向かえるほどのパワーが残っていなかった。


だから今こうして書けるくらいになんだかんだと復活できたのはもちろん、それ以上に書けるのはとても嬉しい。


今回は途中だろうがなんだろうが、とりあえず書いてキリのいいところでアップしたいと思っている。







これを書く30分ほど前に名古屋でとてもお世話になったSさんから連絡がきた。


愛犬のサクラが先週虹の橋を渡ったというお報せだった。


サクラはチワワで、小型犬だった。


私は子どもの頃から動物が大の苦手で、犬なんかは私は怖くてたまらなくてすぐに逃げるけれども、それが逆に遊んでもらえると思うのかやたらと犬たちからは気に入られて、特に数人で歩いていて犬とすれ違う時なんかは犬好きな人たちは自ら犬に近寄るけれども、私なんかは極力離れて近寄らないようにしているのに犬からはなぜか逆に寄ってこられてというとほほな思い出しかなかった。


サクラに初めて会う日の前に、Sさんから本当におとなしい犬で超ビビりだから初めて会う人には自ら逃げて隠れるから大丈夫!と言われて、なんならずっとケージに入れるからと言われて初めて訪ねた日、本当にその通りで、でもおかけで私も怖くならなかったし、サクラもサクラで大丈夫と思ってくれたのか即慣れて、慣れた後はしっぽフリフリしてすり寄ってきて、この動物が大の苦手な私が抱っこまでできた、その後も毎回熱い歓待を受けて、散歩にも連れ出したり、人生で初めての犬との触れ合いで犬との思い出だった。


週末の前だから、先週の後半頃に、突然ふわっとサクラのことが出てきて、なんだかとても不思議な気持ちになっていた。


色々余裕がなくてあまり気にも留めなかったけれども、とにかくサクラが出てきたことがじわじわと残る、印象的な瞬間があった。


そうしたらSさんからさっき連絡がきて、なるほど納得というか、サクラが来てくれたんだろうなと思った。


Sさんも娘さんと、今頃サクラは会いたい人たちのところに行ってるねと話して、私のところには一番に行くだろうと思っていたと教えてくれた。


悲しいお報せではあったけれども、愛がそこにはあって(写真も見せてもらった)、サクラとの思い出はこれから一生持っていられるとなぜかとてもポジティブに捉えている自分がいて、そうして今これを書いている。







命の終わりを想像してみた。


何か特別なことがなくてもあちこちに思考も気持ちも飛ぶし、そして9月は私にとっての1つの区切りの月でもあるから、過去と今と未来とが色々織り交ぜになって自分の中を行き来する。


サクラとの時間は過去のもので今は存在しえない。


けれども今この瞬間実体のない過去の時間たちは今も私の中に普通にあって生きてる。


日曜日の夕方、あまりにもグダグダな週末で布団で伏せっていても気持ちが晴れそうにないから、お好み焼き粉を買いにスーパーまで歩いて行った。


夜はお好み焼きを食べようと思って、具材がそこそこ揃っていたから小麦粉よりもお好み焼き粉で作ったらおいしいかなと思ってそうした。


夕方の空はもう秋で、「夏」ではないってわかった。


イケメン上司の名前が大きく書かれた看板のすぐ下を歩いた。


5年前、無事に手紙をイケメン上司に渡せますように、と願掛けを先祖代々の墓にした後、もし大丈夫ならイケメン上司にまつわる何かサインを見せてくださいとお願い(ばかり)をした。


そうしたら、墓を後にして仕事に向かう道中、うちのすぐ近くでイケメン上司の苗字がデカデカと書かれた大きな看板を見つけた。


書いていて思い出した。


その道は、当時は両親が家を建替え中で、普段通らない道だった。


でもその日は墓参りをしてからその道を通ったから、そこで初めて看板を目にしたんだった。


そして看板を見た30分後くらいにはイケメン上司に手紙を押し付ける暴挙に成功したんだった。


という道を歩きながら通って、もうこのまま会えないとしたらどうなんだろう?なんて考えた。


意外にもなんともないのかもしれないと思ったり、そもそもまた会えると思う方が無理難題だろうところをなぜか私はまた会えるような気がしているという気持ちの姿勢が今も変わらなくて、そんなこんなで5年も経ってビックリというかやっぱりというか、色んな気持ちがごちゃ混ぜになりながらスーパーに向かった。


途中で子どもの頃、連れ去られそうになった道もわざと通った。


今から40年近く前になるのに、今でもはっきりと覚えている。


今回わざわざ写真に納めたのは、このすっごい短い距離が、自分の生死を分けるものだったんだと改めて感じて、それで写真に撮ってきた。


写真でいうところの雑草が生えているところが当時のお隣さんの家で、三階建てのお家が建っているところが私が小学校2年生まで住んでいた昔の家の位置になる。(建っている家は我が家の後に入った家族が建て直した家)


写真に写るUというかVの字の左上(三階建の家の前)からスタートして、右側の茶色い家の向かいの家に向かおうとしていた。


そのお宅に行っている母を迎えに行くと言って夜1人でのんきに出た。


道のVのちょうどくぼみのあたり、お隣の家1軒分の距離で私は知らない男の人に連れ去られて、その後5分後くらいにちょうど店じまいをしようと外に出ていた書店のおばちゃんが私を見つけてくれて、それで事無きを得たというまさに九死に一生というところで命を救ってもらった。


イケメン上司の看板を見た後10分もしないくらいでその連れ去られ現場の道にいて、もしあの時私が本当に連れ去られて殺されたり監禁されたりしたのなら、手紙はもちろん、イケメン上司に出逢うことさえ許されなかったんだなと強烈に思った。


すごい不思議な気持ちというか感覚だった。


生きていることも、これまでの過去のすべても、何も当たり前にあるわけじゃないんだなと、改めてしんみりと感じ取った。







話はまたさらに飛ぶ。


甘いミニトマトときゅうりと粉チーズとでサラダを作ろうと台所で手を動かしていた時だったと思う。


これを書いている今日の夕方の日が暮れる少し前の話。


思い出してきた。


サラサラっと携帯にメモした言葉があって、この後()に続けて書こうと思っているけれど、その言葉が出てきた直後に思ったことだった。


イケメン上司と新しく関係を作りたい。


手を動かしながらそのように静かに思った。


形とかそういうのはとりあえず頭の構想の中にはなくて、これまでのことはこれまでのこととして残して、そういうものとは関係なしに今から新しく関係を作っていく。


それはもしかしたら可能なことかもしれない。


とそんなことを思った。


超仲良くなる前提も必要ないし、嫌になられたらその時にまた決別するなり考えるなりしたらいい、とにかく何かしら歩を進めたい、今とは違うものを手にしたい、そういう気持ちがスルスルと出てきた。


友達や深い関係を目指すとかではなくて、少しだけ最初は意図的に関わるスタートを切らないといけなくても、そこから先は新しい関係を作ってみるのもありなんじゃ!?と思えた。


面倒だと思われるかもだけど、そんなの始めてみなきゃわからないし、始まるといいのになときゅうりを切りながらトマトを切りながら思った。







私がイケメン上司がいた頃のことを絶対に覚えておきたい理由は、その時の自分のことがとても好きだからだと気付いた。


ちなみに理由の1つ。


先週色々しんどかった大きな原因に、自分が擦り減ってしまうことが続いたからというのがあった。


確実に良くなることをしようとしているにも関わらず、周りの訳の分からない、全く理に適っていない、むしろ後退するような、そういうことに従わないといけないことが続いた。


そして月曜日(9/12)だったと思う、何かのエッセイだったかコラムを読んだ時に、相手のことが好きかどうかよりも相手といる時の自分が好きかどうかで一緒にいるかどうかを見極めるみたいな話が出てきた。(別れの相談の回答だったのかも)


それを読んで、気付いた。


先週の状態の自分は自分でいるのもしんどかったくらいに、とにかく色々噛み合ってなくて、自分の中が葛藤だらけで、そのしんどい矢先に寂しさや孤独もプラスされたくらいにして、とにかく自分の中の不協和音が半端なかった。


イケメン上司のことを色々振り返りたいのに、それ以外のできれば無視してしまいたいようなことがあれこれあり過ぎて、なんだか心も体も動けないというところにいた。


そうだった、そうだった。


週末を過ぎて月曜を迎えた時、気持ちが朝から沈んで仕事サボろうかと少しの時間真面目に考えたくらいになっていたんだった。


その後徐々に回復はしていくんだけれど、その回復途中で例のコラムだったかエッセイを目にして、それでイケメン上司がいた時の自分というものをものすごくはっきりと思い出した。


イケメン上司がいた時間は、自分でも見たことがない自分が色々出てきて、ものすごい活力と生命力に溢れていて、生きていることが楽しくて生きられることそのものが喜びで、あれはかなり希少というか特殊な状態にしても、とにかくそんな自分もいるんだと心底驚いた。


色々思い通りにはいかなかった現実さえも、私の中から出てくるものや感じるものは止められなかったし、本当に生き生きとしていて全身全霊で生きてるっていうことがとてもよくわかった。


そしてその状態の自分というのは、自分史上最高の自分で、色んなことが上手くいくいかないというのは関係なく自分であることがとても気持ち良い、本当に生きている間にこういう感覚を手にできるって奇跡に近いと今でも思っている。


私そのものが生きることにそんなに前向きではなくて色々逃げたくなったり終わったらいいのにと思ってみたりとか(死にたいのとは違う)、基本がネガティブというか明るい感じとは違う。


イケメン上司がいた時というのは全然違っていて、もっと生きたいという欲がモリモリ湧いて、自分の中の色んな感情や感覚がとても真っ直ぐに出ていて、生きてることの素晴らしさを本当に毎瞬毎瞬感じる、そんな時間だった。


あれと同じ状態はさすがになろうと思ってなれるわけでもなければ努力したら叶う領域とも違うからそれを意図的に目指すようなことはしないけれど、ただあの感覚は自分を好きでいられる感覚と直結していて、だから相手でも出来事でも何かと対峙している時の自分の判断基準に「その自分が好きかどうか」で見ていくのはとても良いしある種わかりやすい判断基準だなと思う。


「こんなしんどい自分は嫌だ」となってすぐに投げ出せる状況になかったとしても、それでも自分の中に違和感や不信感がムクムクと出ていたらそれは確実に黄信号だとわかるし、放置したら赤信号でさらなるドツボにハマるのも想像できる。


その感覚を大事にするためにも、イケメン上司がいてくれたことで知り得た自分の感覚を基準にできるって本当にとってもいい。


それだから覚えていたい、というのも言葉にするとなんだかいびつだけれども、1つだけ確実に言えることは、イケメン上司というのはその存在だけで私が自分でいられることを自分で肯定できる、そういう力をくれる人だった。


それって本当にすごい。


その時その時の自分が好きかどうかなんて考えたこともなくて、それはイケメン上司が自分の人生に現れた時に初めて取り込んだ視点、取り込んだというよりもそれこそ当時もどなたかのTwitterで蒼井優が山ちゃんと結婚する前に相手が好きかどうかよりも相手といる時の自分が好きかどうかが大事みたいなことを言っていたというのを見て、そこで初めて私も自分がどんな状態にあったのかに気付けた。


生きる力も生きる喜びも自活的に得られる、その境地をイケメン上司は私に教えてくれた人だった。


本人はその気などさらさらないと思ってるかもしれなくても、私側は人生で一番大きなものを手にして人生丸ごと変わった。


それも全部ひっくるめて、イケメン上司に感謝しかないというのはそことも結び付くし、大袈裟に言っているのではなくて本当にそう思っているから言っている。






2022/09/14


昨日9/13の夜に書き始めて、朝起きた後また最後の部分を書いた。


昨日の朝、トンネルの上に見える青空を見た時、イケメン上司がいた頃の9月の空はどんな風だったかなと思った。


実は最後の2週間くらい、ちょうど今くらいからイケメン上司がいなくなる9月27日の間はほとんど記憶がない。


景色も当時の天気も、突然の知らせに私が全くついていけず、心の中は常に北極の極寒の地みたいな状態になっていた。


そのXデーが来てしまうのもいつかはわからなかったし(直前に知った)、わかってもわからなくても不安だらけだったし、イケメン上司は相変わらず気まずそうだし、そういうことだけが断片的に残っている。


今と当時で何も変わらない気もする。


けれども、もしイケメン上司も私とちょっと話してみたら面白いかもという気持ちになってくれてるのなら、新しく始めることはできる、今とは違う関わり方を。


関係と言わずに「関わり方」と言えばいいんじゃないかと思った()


重たくて陰気な人にならないように気をつけるという意味でも、関係じゃなくて関わり方がいい。


そんな言葉のあやみたいな話ではないかもだけれど、少しでもハードルを下げられるものは下げる努力をしたい。


(ここからは昼休みに書いてる)


とにかく、新しい切り口を得られないかなと思っている。


連絡が取りにくいのであれば私から連絡したっていい。


さすがにアクションを起こしてスルーなら立ち直るのにとっても大変だから、例えばの話(あくまで例えば)、このブログのどの記事でもいいからコメントを一言「連絡ください」でもなんでもいい、さっと匿名で入れてくれたのなら、それを見て私から名刺にある連絡先に連絡(メールとかショートメールとか)はできる。


ブログのコメントは、匿名でもいけたはずだし、仮に匿名にできなくても適当なニックネームで入れることができる。


今日の仕事中だったか朝の車の中だったかで思ったけれど、イケメン上司の中で仮に「意志」と呼べるものが私と連絡を取ることに対してあったとしても、多分その行動力たるや人生の中で一番勇気やら覚悟やら思考力やら色々使わねばならない、そういうものなんじゃないかと思った。


「武士俣さんへ」と仮に書き出しても、その次の言葉が見つからない可能性は大いにある。


その一言目の言葉を生み出すのに一生分の気力や行動力を使わなければいけないのであれば、っていうかもしそういうものならそんなのどんなに待っても来る気配すらないから、それなら確実に物事が動くあり方を選んだらいいんじゃないかと思った。


超超超幸いにして、物理的に私が目の前に現れるとかいう心配は一切しなくていいわけだから(そもそも今どちらの都道府県にお住まいかもわからない)、とりあえずネット上のツールでのやりとりだし、嫌ならその時にブロックすればいいし、私を遠ざける現実的な方法はいくらでもある。


だから、いざとなれば絶対に私を切れるから、何かしら連絡を取れる、話ができる環境が欲しい。