2023年2月26日日曜日

記憶の倉庫

2023/02/22

朝、前の職場で一緒だったSさんからLINEが来た。


Sさんもそこを辞めて今は違う職場に行っているけれど、今日は休みを取って寄ってきたと言って1枚の写真が添付されてきた。


最初写真を見てもどこなのかパッとすぐにはわからなくて、きちんと見たら休憩室だったのはわかった。


休憩室は毎日利用したから一番記憶に強く残ってもいいはずなのに、休憩室の風景の記憶がほぼほぼない。


思い起こす限りで一番強いのは、休憩室の窓から駐車場側を見てちょうどイケメン上司が車でどこか休憩するところに向かおうとしているところを2回3回くらい見かけたことと、その初回は「あの車に乗ってたんだ!」という発見したことと、中の風景じゃなくて外のイケメン上司込みの風景だけだということ。


夏だったことも手伝って、どの日も晴れていたなと思う。


そこから色々思い出そうと室内の風景を思い起こそうとしたけれど、風景はほぼほぼ消えてて(記憶力の著しい低下)、思い出せたのは基本的にどれもこれもピントはイケメン上司でその周りの風景だとたとえ1回ポッキリでそれが1分にも満たない超短い時間だけ見たものでも今でもかなりはっきりくっきりと記憶に残っている。


例えば、一度だけ電話のかけ直しを相手からお願いされたから、相手の番号を書いたメモ持ってイケメン上司を階下に探しに行ったら他の電話中で3メートルくらい離れたところからイケメン上司の電話が終わるのを見ていた時とか。

(注記:そもそも私は電話は取らなくていいと言われていて、本当に皆が不在の時に初めて取るくらいで、そしてその滅多に当たらない電話にたまたま当たっただけじゃなく、相手の方がイケメン上司からの折り返し電話をお願いしてきたからそれで番号をメモしてイケメン上司を探しに行った。という超レア設定なシチュエーションだった!)


外に繋がるシャッターがあったと思うけれど、それがたしか空いててその関係で薄暗い倉庫的なその場所に光が少しだけ射し込んでいて、イケメン上司の周りだけライトアップされたみたいに明るくて、私はその様子をボーッと見ていた。


時間が欲しいとイケメン上司に言った時のこれまた薄暗い倉庫的なところの別の一角で、その風景もかなりはっきりと記憶に残っている。


ちなみにそこはその後とても残念なことに、イケメン上司の後輩くんに代替わりした後、後輩くんがその辺り一体の整理整頓のために金属製の大きな棚をいくつも注文してそれらがその場所に入って、私が知る風景が大きく様変わりして元の印象がないくらいに変わってしまった。


でもそこだって記憶にきっちりと残っている。


様変わりした後の風景は全然覚えていないけれど、イケメン上司が床にあぐらをかいてぺたりと座って工具類だと思しきものを色々整理していたその様子は昨日のように普通に覚えている。


イケメン上司含めてみんなで外掃除をした時のイケメン行為の瞬間とか、その後イケメン上司の足元だけを見ていた瞬間とか。


いつか朝からイケメン上司を探して、メモ付の九州土産が放置されててあんなのうっかり他の人に見られたら危険極まりなくてそれでイケメン上司にそのことをお知らせするために探した先で、イケメン上司は軍手をしてせっせせっせと段ボールの片付けをしていた時とか。


その時も薄暗い状態だったけれど、イケメン上司の顔や姿だけははっきりと見えたし、「微笑」という言葉は本当にイケメン上司のような表情を言うのだと思ったし、まさかその時が最後の笑顔を見る瞬間になるだなんてその時の私は想像もしていなかったこととか、これも1分も時間にしてなかったと思うけれどもとても印象深く残っている。


最後の日にイケメン上司を捕まえて挨拶ができた階段を上りきった小さな踊り場みたいなところとか。


時間も時間だったから暗かったけれど、暗さなんかも含めてあの時の空気とか感触とかは自分の中に今も変わらずに思い出せる形で残っている。


いつかの時は、ネット回線が壊れてイケメン上司がネット会社に電話しながら配線を色々いじっていて、その時の後ろ姿見放題だったことと、そんなことになるとはつゆ知らず、たまたま自分の席じゃなくて作業机側に座っていたからイケメン上司の真後ろ辺りに私はいて、自分の幸運具合に心が躍りまくったこと、そういうことは記憶が薄れることなく、なんならこの6年の間で何度も思い出した風景でもある。


いつだったかその同じ作業机のイケメン上司が配線を直していたところに近いところに座って作業していた時のこと。


年上の方の事務さんに呼ばれて事務さんの方を振り返ったら、その場所からだとイケメン上司の席まで何も遮るものがなくて席が丸見えだったことに初めて気付いた。


その時はもうイケメン上司は転勤していなかったけれど、席や机の配置は当時のままだったから、もしイケメン上司がいたとしても振り返るなんて勇気はなかったけれど、そこならけっこうたくさんイケメン上司を見ることができたんだな、早く知りたかったなと思った。


同時にイケメン上司の席からしても私が使う作業机が丸見えだったのかななんて思いつつも、イケメン上司が私のことを見るわけないかと思って、自分は一体何を考えてんだろうとなんだか恥ずかしくなってしまった。


あと、イケメン上司がいなくなった後に初めて念願のイケメン上司の手書き文字をたくさんある保管ファイルのとある1冊の中で初めて見つけて、その時の狂喜乱舞具合と言ったらすごかったし、さらにはそこに行くのはほぼ私しか当時いなかったから私はファイルが入っているBOXたちを整理する風に見せかけて、実際にはイケメン上司の文字が見れるファイルをいつの時も見れるように私だけがわかる配置にわざと変えて、その書庫的な部屋に行く時はいつもイケメン上司の手書き文字も眺めるということを自分の楽しみとして作った。


だからそこの風景もとってもよく覚えている。


そんなこんなのことがたかが1分2分で走馬灯のようによみがえって、その記憶の方に驚かずにはいられなかった。







年を取ると記憶力が確実に落ちることに対して、医師だったかそういう専門家がある時言っていたことがとても興味深かった。


たしかに記憶力は年齢と共に低下する。


けれども、年を重ねた時に大切なものはいつまでも覚えていて、どうでもいいことは関係ないからどんどん忘れると言っていた。


今回のことってまさにー!と思った。


大事なものだけが残る、それが年をとる醍醐味のようにも感じて、その大事なものだけが残ってくれるのはある意味でとても良いなと思った。


さらに今回のことでものすごくよくわかったけれど、私の記憶の基準はよく使ったとかよく行ったとか時間的に長時間いたとかそういうことじゃなくて、イケメン上司がいたかどうかというのが記憶の残り方にそのまま影響しているんだとわかった。


だからパッと思い出した風景たちがどれもこれもインパクトは100あっても時間にしたら1分とか数十秒みたいなものばかりで、そのギャップに驚きながらもこんな残り方を残りの人生でも持てるならそれはいいなと思った。


と同時に、「イケメン上司の中には何が残っているんだろう?」とも思った。


当時の職場の周りの人たちの話を擦り合わせると、おそらくイケメン上司が新潟にいたのは2年半くらいだったと思う。


そして最後の4ヶ月弱くらいのところだけ私もひょっこりと現れて、いたのかいないのかよくわからないけれどもとりあえず物理的にはいたことになる。


ブログの最初の方にいくつかのシーンを書き連ねたけれど、それは私側から見えた景色でしかなくて、私にはものすごいインパクトでも同じところにいたイケメン上司はこれを読んだところで「そんなことあったっけ?」となっててもおかしくないし、むしろ覚えていたらすごいし、書いたことの中の1つでもイケメン上司の記憶の中にもあるのならそれはとても光栄だなと思っている。


仕事中のシーンばかりでたしかに普段とは異なってはいても、だからと言って記憶に残れるほどのインパクトがあったかどうかというのは私はイケメン上司じゃないからわからないし、時間の経過もさらなる忘却に加担して何にも残ってなくても全く不思議じゃない。


もはや私だけしかこの世で記憶している人がいなくても、普通にありうるなとさえ思っている。







Sさんから、今度こそ本当に3月末で事務所が撤退すると聞いた。


撤退の話を最初に聞いてからどのくらい経ったのかわからない。


けれど、今度こそ本当にその時が来るんだなとわかった。


「本当はもう一度事務所の中をイケメン上司と行って入りたかった。」


それが記憶の光景が巡った後に出てきた最初のことだった。


色々変わってしまったとしても、とにかくもう一度イケメン上司と一緒にあの事務所の中に入れないかなと、本当に実現可能度がゼロどころかマイナス数値みたいな可能性を私は真面目に願っていた。


これだけは今でも信じているけれども、本当に縁のある人ならばもう一度会えると思っている。


だから万が一にもそんなことが起こってくれないだろうかと大真面目に思い続けた時間が、とうとう事務所閉鎖が来月末に迫って終わりになる。


イケメン上司が新潟を離れたすぐ後にこんなこと全く想像していなかった。


事務所閉鎖なんてもちろん全くの想定外だったし、それよりもまた会えるんじゃないかとどこか楽観的に願う自分もいたりで、まさかそれがこんな風に色々変化して、ブログを再開してイケメン上司がこのブログを見つけてくれたことも色々とありえないことだらけだった。


もしブログを再開しなかったとするなら、私はこうした自分の内側の独り言みたいなことたちとどう向き合っていたんだろう。


たられば話をしても仕方ないけれど、読まされる側も反応に困るような内容であっても1人でずっと悶々とするよりもとりあえず外に出してわかる形にして知ってもらえる状態を作ったのは良かったと自己満足している。


どこから年数をカウントするのが良いのかよくわからないけれど、イケメン上司旅立ちの時をゼロにすると、今は5年半ほど経ったことになる。


その時間、ずっとずっと1人で抱えていたのなら、現実的に1人で抱えているけれど、少なくとも吐き出す場所がここでとりあえずそういう手段が今はあって、でもなかったとするなら今以上に強烈で苦しいというか溜め込んでグッタリしただろうなと思う。


事務所閉鎖前に再訪できないことは仕方ないにしても、それを残念に思っていることをこうして言葉におこしてとりあえず読んでもらえる状態にまで仕立てられるのは良かったと思っている。


事務所の閉鎖は仕方ないけれど、けっこう真面目にもう一度足を踏み入れて当時の感覚をリアルに味わいたいなと思ったのは本当だった。


建物は壊さないだろうから(貸事務所だから大家さんに戻すだけだと思う)、また目の前に行くことは不可能ではないけれども、まだ当時の風景が確実に残っているだろう中に入ることができないのは残念に思う。


イケメン上司にしてみたらもう生涯を通じて行くことのない場所だろうから、そして人生の中でどの程度思い入れがある場所なのかわからないけれども、相当に低い可能性でしか記憶として残らないんじゃないかと思う。


私はそこで仕事を始める何ヶ月も前に迷子になってその事務所の目の前に着いた時のことまで鮮明に残っているくらい、本当にとても立派な記憶が自分の中に存在している。


その立派な記憶だけは事務所が閉鎖しようとイケメン上司がどうであろうと自分の中で変わらずに愛でることができるわけだから、それを大切にしたらいいんだと頭の中でかなり必死に自分に言い聞かせている。


もう一度イケメン上司と再訪したかったこと、その気持ちを昇華するかのごとく記憶を愛でたらいい、そう自分に強制的に言い聞かせようとしている。







話がだいぶ変わるけれど、44歳の誕生日に向けて自分用に1つプレゼントを用意することにした。


手芸熱が高まったことで、今どハマり中のリバティと呼ばれる布のデザインを使った5年日記なるものを発見して、それを44歳の誕生日当日から始めることに決めた。


楽天セールが近日中にまたあると踏んでポイントが倍になることを待っている。


ちなみに今回日記帳を買う1番の目的は、日記云々よりもここ最近入手した数百枚のリバティの布シールを使いたくて、それを貼る場所を考えたところその5年日記の各ページに毎年貼るなんて楽しみすぎるー!となって、それが決め手となった。


日記は書かない日があってもシールを貼ってその時の気分を書くのもありかななんて色々想像が膨らんで止まらない()


20代の半ば、私は3年日記に挑戦したことがあって即座に頓挫したけれど( ̄∀ ̄;)、それが今回手芸熱に伴って当時買って今も残してある手芸本をクローゼットの段ボールから出した時にその3年日記も出てきて少し読んでみた。


それがすごく良くて、思い出せないこともあったけれども、当時のリアルな日常が今もきちんと残っていてそのことに色々感動した。


で、それを見た時に、こうしてブログでも何でもいいから書き残しておくことの大切さというか自分がいつか読み返す時の楽しみというかがあるなぁと思って、書き残しておいて良かったと強く感じた。


Sさんの写真から始まる今回の一連のことも、本当は紙媒体に残すのが一番良い内容で、でも書き始めたらこのブログだったわけで、それはそれでいいけれど、5年日記があればそこに今度は書けるんだなと思うと良い手段ができて嬉しく思っている。


日記帳も持っているけれど、あれは1ページの長さが今の私には多くて、もう少し一言でさらさら書けるくらいの大きさが良くて、今年はけっこう手帳をそういう意味では使いこなせているけれども、それでも1年限定なのと数行書けるようなスペースは基本ないから何かしらそういうことが書ける、それも私のテンションが上がるようなノートに書けるといいんだけどなとずっと思っていた。


それがメルカリでのリバティ検索魔になっていたある日、その5年日記を見つけて、メルカリ販売のものが異常に高くてそれで楽天で探したらもっと安くてメーカー直送のものを見つけることがてきた。


しかも使用者たちのレビューまで見て、気をつけることや使ってみてのテンションが上がる様子なんかもよくわかって、私も絶対に買う!と決めて今の私は日々次回の楽天セール開催日がいつかのチェックに励んでいる()


今回のブログに書いたことは、その近々私の元にやってくる予定のリバティ5年日記の中に書きたいような内容で、このブログはいちいち探さないと過去のものを読めないけれど紙ならその場ですぐに開いて読めるから、そうしたところに今度は書けるんだなと思うと楽しみだし、そしてもっと年を取った時にさらに読むいつかの自分がどんな気持ちで読むのかそれにも興味がある。


恥ずかしくて顔から火が出そうになってもいい。


イケメン上司と時間をリアルに紡ぐことができない現実を前に、せめて自分の気持ちや感覚に素直になれるところが1つでもあれば自分はどこか救われるんじゃないかと思っている。


今ならそういう自分も大事にできると思うし、これから年齢がさらに上がってさらに色々注意を向けることが増えたとしても、それでも自分にやさしくなれそうな大事にできそうなそんな気がしている。


強く記憶に残るくらいにイケメン上司が自分の人生にいてくれた時間はとても大切で、それはどうやら人生の他の部分が変わってもそこだけは変わらないもののようで、これから先の未来は何がどうなるかはわからなくてもその大切に思う部分は引き継がれていくように思っていて、それならなるべく素敵な形で引き継ぐのがいいなと思っている。


そしてその素敵な形の1つにリバティ柄の5年日記がピッタリだと、まだ手に入れる前の今からすでに確信している(o´`)







最後にどうでもいいことを1つ。


今回のブログタイトルをどうしようかと思った。


今回はわざと写真無しで言葉だけを残そうというのは早々と決めていた。


「写真と記憶」としようかと思ったけれど、なんだかいまいちピンとこなくて、違うタイトルを考えた。


「記憶の倉庫」と出てきた時に、今回の話にピッタリだと思った。


私の記憶の「倉庫」の話だから、そういう意味での「倉庫」。


そして、話の中で度々登場する事務所内にあった「倉庫」は、リアルにイケメン上司がいて私もそこに出向いた先で、本当に空間として現実に存在した「倉庫」。


記憶という無形の倉庫とイケメン上司と居合わせることができたリアルの有形の倉庫、その2つが「倉庫」という言葉に含まれている。


その響き具合がとても気に入って、それで「記憶の倉庫」となった今回の話。

2023年2月19日日曜日

糸と布と戯れる

一目惚れして買うキッカケになった
キティと女の子の絵柄のリバティ布シール

いつどこで手に入れたか記憶のない毛糸で
とあるものを作った↓

水晶とペンジュラムの夜寝る時用のお布団(笑)
水晶が希望した糸だった

子どもの頃に買ってもらったいちごの家の形の
人形ハウスみたいなおもちゃを思い出す
その絵柄のキティ布
現在は廃番でメルカリで見つけ出した

冒頭のキティ布シールにどハマりして、
つい最近手にした第二弾のリバティ布シールたち

今回は主に「thank you」シールが欲しくて買った

リバティの布シールの一部を厚紙に貼って
母から譲ってもらった糸たちを巻きつけた
母が勤めていた服の修整会社には
ゴミになる糸くずがたくさんあって
時々それらを持ち帰ってきてもらって
色んな糸をゲットしてきた(。•̀ᴗ-)✧

とりあえず透明ケースに入れて保管中
ケースはイタリア産白ワインが入っていた
ワンカップ( ̄∀ ̄;)
下のコースターは新入りのコースター

布シールを木製クリップ?洗濯バサミ?に
貼ってアレンジ٩(ˊᗜˋ*)و
眺めるためにそのうちの半分は明日職場の机に
飾る予定

この4枚が最初から超気に入って
買うことを決めたシールたち

「タッセル」と呼ばれるものを
先日の楽天マラソンで買った
使い道は思案中

ドミニカで作ったレジ袋ストッカー
布は大学時代から愛用したズボンのパジャマ

同じくドミニカで作った小物入れ
りんごと花と青いトマトに刺繍的なステッチを
施してモコモコさせたところが気に入ってる

最近取り寄せたリバティ本
左下以外は全て絶版本



週末、糸と戯れた。

これ先週末に書いた。(2/12)


今週末も糸と小さな布シールと戯れてる。(2/18〜19)







20代の頃、職場の大先生的な方の家におじゃまさせてもらったら、その方が以前はプロとして東京の百貨店に作品を卸していたという手作りのパッチワークをされる方で、退職後いつかの時に故・蜷川幸雄さんの妻、写真家の蜷川実花さんの母である蜷川宏子さん主宰のパッチワーク教室?的なところの展示会で東京で作品を出品します、なんていうハガキももらった時があった。


大先生のお家は本当に素敵で、手作りのものたちがどれもこれも素敵すぎて、それでふと自分にもできるんじゃないかと思って、お宅に伺った後すぐくらいに家にある適当なハンカチや布を四角に切って縫い合わせてみたら普通にパッチワーク風なものができて、そこで「何かしら作れるかも!」となったのが布と戯れる最初だった。


本当にどハマりして、色々道具や布を買い込んだ。


途中で頓挫することが多くて片手で数えても最後までできたものは指が余るくらいにしかできなかったけれど、とっても楽しかった。


ドミニカにいた頃、現地で暮らす日本人ママと仲良くなって、その方が無類の裁縫好きで尚且つ私も暇があると布を見たりボタンを見たりしに行って楽しんで、2回目のデング熱になって退院した後しばらく自宅療養をしていて(真面目に少し動くだけでも肩で息をするレベルだからなんだかんだ1ヶ月くらい療養したと思う)、その時にとうとう限界に達した大学時代に友達とお揃いで買ったパジャマ用のズボンを捨てるに捨てられなくてそれでゴミ袋ストッカーみたいなのを作った。


それが超楽しくてドミニカでも針と糸を持って、なんならこれを職業にしたらどうかと真剣に考えてドミニカから日本にいる手芸作家さんのアシスタント募集をされてる方やらそれで独立されてる別の方に連絡を取ったりしたくらいに大ハマりした。


ドミニカ時代に作ったものは今も手元に置いている。


で、その後からはずっと手芸熱は冷めて、引きこもりして時間があっても手芸には目もくれず、そのうちに占星術やオラクルカード、タロットカードにハマってもう手芸は一生しないものだと思っていた。


ところがここに来てまた突然に手芸熱が上がって、そうだ、思い出した、タロットカードをするのにカードを敷くための布製のマットが欲しくて、普通に市販もされているけれど、占い雑誌に自分でタロットカードのマットを作るとさらにカードの力というか自分のカードを読み解く力とかいうのがアップするとかなんとか読んですぐにその気になって()、それでまた布とかとご縁を再会する運びになったんだった。


その関係で今度は布とかを見るようになって、ただ20代の頃に好きだった柄にはもうそんなに惹かれなくて、今の趣味で好きなのを選んだりする関係で時々手芸屋をのぞいたりするけれどいまいち好みのものを見つけられず、そのうちにネットで買う、それもかの有名な楽天マラソンと呼ばれる楽天のポイントアップのセールの時に買うことが増えて、貯まったポイントはまた何かまとめての買物に繋がって、そんなこんなをしているうちに今度はメルカリに目をつけてそこで「リバティ」と呼ばれるイギリス発祥の布に突然魅せられて、今どハマりして本やら小さな布やらを買い始めてる。


リバティは20代の頃から知ってはいたけれど、いかんせんお値段が高額で(10センチあたり360円台が今の相場で、今回初めて知ったけれど、リバティはそもそも値段を勝手に下げたりとかできない仕組みになっていて、正規取扱店はどこも同じ統一価格で出している)そこで興味すら湧かなかったけれど、最近は小さな買物ならいけるとなったのと、そしてメルカリで個人で出品されてる方のものだとお得になっていたりして、そこからまたじわじわと布への熱が上がってきている。


21歳の時だったと思う。


私は1年だけ、全米対象の登録校同士なら基本的な条件をクリアしてさらには学校での面接にパスできたら違う大学に通えるとかいう交換留学的なプログラムに応募して、それで南部アラバマ州に行っていた。


単位はまた出身校側にそのまま持ち帰ることができて、さらにはアラバマの時は部内の奨学生制度みたいなのがあって、教授のリサーチアシスタントをして小銭を稼ぐこともできた。


それもかなり面白い体験をさせてもらえていたなと思う。


それはそうと、アラバマで唯一自分の興味関心(+楽ができると思って)で中国語を取ったけれど、これが想像と恐ろしく違って難しすぎて、前期はなんとか取ったけれど後期は取らずにいた。


で、そこで教科書が不要になって、先生に許可を得て後期のクラスの最初の時におじゃまして、教科書を売りたいと宣伝した。


普通に教科書類は高くて、中古で十分なのは私もアメリカ人や他の留学生も皆同じで、だからもし誰か買い取ってくれたらラッキーだなと思ってそれでクラスに行った。


そこで出会ったのがたしか2つ年下のリカだった。


リカとはそれを機にとても仲良くなって、日本に帰ってからも何回か再会したし、さらには私に視える友達を紹介してくれたのもリカで、まさかその時に会ったIくんが後に自分もそういう世界に入っていくようになる世界を見せてくれた人だなんて当時の自分は想像さえしていなかった。


で、リカがその当時教えてくれたことが私には今でもはっきりと残っている。


リカは年上の40過ぎている日本人女性の方、旦那さんに付き添ってきたのか学生だったのかはたまた現地で働く人だったのかはわからないけれど、その女性から「20代の若い時に趣味を1つでも2つでも何でもいいから持っておくといいわよ!それが年をとって何かを始めるのが億劫になる年齢の時でもまた若い頃の趣味が再燃してまたハマったりできるから」と言われたと教えてくれた。


だからうちも何か趣味を持とうと思ったしフミコも持つとええでとおしゃべりしたことは覚えている。


20歳そこそこの私からしたら40代とかそれ以降なんて全く想像もつかない年齢域だったけれど、いざその年齢域に達した今、たしかにまた手芸熱が再燃して「あ、なんかわかる気がする」と思っている。


基本的に興味を持ち出したらしばらくはフィーバーになりがちだから色々と興味関心があるのは私の場合年齢関係なく火がつくけれど、20代の頃の趣味が今また再燃するのはちょっと粋というか感慨深いものがある。


そして20代の頃に始めたことは新しく何かを習得するのを1から始めるよりもある程度ベースがあるから取っ掛かりやすいというのも何だかわかる。


始めるハードルが低いというか。


ちなみに個人的には何かを始めるのに年齢は基本的に関係ないと思っていて、80歳を超えてからYouTubeデビューしたおばあちゃんとか、そういう年齢になってから英会話で何かする必要があってとても綺麗な英語を話すマダムとかをテレビで見たことがあるから、やろうと思えば本人さえその気があればいけると基本的には考えている。


そんなことも思い出しながらの今の手芸熱、それがまさか新しいタイプの癒しを生み出すだなんて想像さえしていなかった。







きっかけはメルカリで見つけたリバティの布シールだった。


リバティとハローキティがコラボして、キティ柄のリバティ布があるのはそれとなく知っていた。


だけど全く興味もわかずしばらくはスルーしていた。


そんな折にリバティの色んな布を使ってシールを手作りしている人たちがいると知って、そしてメルカリというのが「それ元とれてる⁇」と聞きたくなるくらいに安く出してくれている出品者さんが多くて、そこで私はとある方の作品を見つけることになった。


シールになっているリバティ布は、本当に1つ1つ表情が違っていて、私は見ているだけでとても楽しかった。


その中の1つにキティ柄のシールがあって、さらには小さな女の子のデザインみたいなのがあって、そこで初めてキティ柄に目を向けた。


すごく可愛いものだと知って、連日キティ柄のリバティ布をメルカリを中心に見ていた。


そうしたらその1つに自分の子どもの頃の感覚を思い出す布を写真越しにだけれど見つけた。


それは買ってないのだけれど、その布はいつか買ってカード類のマットなり何かそうしたものに使うのもいいなと思い始めた。


ただ、リバティ布はとにかく高いから、メルカリと言えどもすぐに手を出せるものでもなく、少し様子を見ること1週間ほど。


そうだと思って、今度はキティ柄の布、それはリバティに限らず単純にキティ柄の布をネットで探した。


そうこうしているうちに、自分が子どもの頃の感覚を思い出せる、そういう布のデザインに行き着いて、そちらのキティ柄はメルカリで個人の人から譲り受けた。


廃番のデザインらしく、普通にはもう出回っていなくて、それでメルカリで見つけた時にはものすごく嬉しかった。


今回、最近覚えた画像検索を超駆使して色々な布に行き着いているけれど、このキティ柄の布だけはちょっと別格の立ち位置にいる。







心理関係のセラピーやワークショップなんかに出ると、よく「子どもの頃の楽しかった記憶を思い出してみましょう」なんてのがある。


大人の今忘れている子どもの感覚を思い起こして、今にそれを復活させて生きやすさや自分の中の純粋さを取り戻すみたいなことを意図してそういう風な手法を使っているのはよーく原理としてはわかっている。


でも私はその手の質問もセラピーもとても苦手で、基本的に何かを思い出すこともできなければ、子どもの頃にさかのぼればさかのぼるほど生きづらさの方が勝って楽しいこととかほぼほぼ思い出せなくて毎回息苦しさみたいなのや虚無感的なものを覚えて終わりだった。


だからあのセラピーに超懐疑的なのと、その頃の感覚を思い出してプラスに作用する人というのは基本的に子ども時代が充実していたり楽しいことがあれこれあった人たちなんだろうと思う。


私みたいにオール1みたいな色々できなさすぎて環境も人間関係も順応性がとてつもなく乏しく、さらには集団からある意味いつもはみ出してしまうから(周りのペースについていけなくて。わざとじゃなくて能力が無いとそういう悲しいことや困ることが盛りだくさんになる)、そこに輪をかけて場面緘黙みたいで人ともほとんどしゃべらず、なんなら保育園で母親と担任の先生とが躍起になって私に「はい」と返事をする練習なるものまでさせられたことも覚えているし、とにかく本当に子どもの時は人よりも色々できなくて大変だったことや努力や練習的なものをすごい量でやらされたこととか(それでも人並み以下にしかできない)、周りの人たちに馴染めず1人ぽつねんなんて年がら年中だったしで、とにかく「これ楽しかったー!」なんてのがほとんど記憶としてない。


そんな風なのに、「子どもの頃の楽しい記憶を思い出しましょう」的なセラピーは誰もそれに異を唱える人など見たことがなく、まぁ効く人たちにはものすごく効果があるのだろうと冷めた目で思っていた。


その辺りは今もそんなには変わらないけれど、キティ柄の布を手にしたことで私の中でずっと閉じていた色んなことが思い出され始めた。


まずは子どもの頃に買ってもらった人形の家みたいなもの。


今でもどんな風だったかはっきりと思い出せるくらいに覚えている。


それがいちごの形をした家で、今回買ったキティ柄の布はそれを思い出させてくれるものでもあって、それが気に入って買ったのもある。


さらに思い出したのが、保育園時代のお遊戯会でやったおむすびころりんの劇。


その時、私は最後何の役をしたのかはもう記憶がない。


けれども、当時配役を決めるにあたって、最後まで残った意地悪ばあさんの役に当たって大泣きして、それはなんとなく免れて、やさしいばあさん役か他のエキストラ的な役かどちらかになったと思う。


ちなみにその当時の感覚は、いつからかそれこそ10年20年単位で時々ふわっとよみがえる記憶で、何も今回思い出したのが初めてではないものだった。


どうしてそんなにも強く記憶に残っているのかよくわからないけれど、とにかくかなり鮮明に残っていてこれはなんだろう?と最近になって思うようにはなった。


そうしたら布や糸と戯れてるいるうちに色々と思い出してきた。


配役云々の前に、私はそもそも何をしたかったのだろう?と思った。


それはもう子どもの頃からのやり方というか自分なりに何かを守るためにやった方法には違いないと思うけれど、こんな風な思考回路なんだとはたと気付かされた。


そもそも私はまずは周りを見て、そして自分というのをそこに置いて見て、自分がやってもおかしくなさそうなことをまずは選んでいる。


やりたいとか興味があるとかじゃない。


周りを見ること、それは人の目を気にしているというのとも自分の中では違っていて、周りからからかわれたり揶揄されたりしないように、または場の空気を乱さないように、そういうことを一番にして、その後に自分にとって極力安全となる選択をする、そんな風になっている。

(これ書いてて思ったけれど、色々できないことがあって余裕なんかなかったはずなのに、こういう状況観察や人間観察なんかは子どもの頃からかなり自然にしていたんだなと思った()


お姫様役なんてなかったけれども、仮にお姫様役があったとしても自分には合わないと決めて、そこはそもそも選択肢にさえ入らない、そういうことを瞬時にする。(わかりやすく「お姫様役」としたけれど、それはやりたいものじゃない。)


そして残った中でまだやれそうで周りからもやっかまれたりせずに行けそうなものを探す。


純粋にこれがしたいとかそういうのではなく、色んな計算が働いた後に何かを選ぶのが自分のこれまでのやり方だったんだと知って愕然とした。


だから好きとか気になるとか惹かれるという感覚がいまいちわからなくて、感じる前に自ら遮断するクセがあるから、だから自分の感情がなかなかわからずにいた。


キティの布を前にした時、そういうことは何にもしなくて良くて、純粋に好きだとかかわいいという感覚だけが出てきて、その素直に真っ直ぐ何かを出せることにとにかく感動した。


話がすごく飛ぶけれど、今の私の星回りは史上最強の星回りで嫌でも自分が変わらないといけない、そんな感じになっている。


アセンダント (ASC)に天王星が、MCに冥王星が乗っている。


アセンダントというのは、その人の自然体の状態や性質を表すとされていて、そこに改革の星の天王星が乗っている。


MCというのは、その人の社会的な頂点、社会的に目指すもので、そこに破壊と再生の星の冥王星が乗っている。


私のMCは「お茶の葉を読む女」というサビアンシンボルと呼ばれるものがついていて、名前の通り、お茶の葉占いをすることがそのテーマの象徴になっている(詳細は割愛)。


とにかく私的な自分も公の自分もガンガンと星からの影響が強く出て、殻を破って自分の自然体に還る他ないと言わんばかりの状態になっている。


占星術を知っている人なら絶句するような強烈な星回りを今の私は数年かけて体験している。


そしてここから先は何かを始めたのならそれが生涯育んでいくような何かになるとされている。


先が迷子みたいになって焦りもあるし怖さはいつの時もある。


何がどうなっているのか仕事は展示会とかの外向けのイベントもないのに多忙を極めている。


残業の時間が半端ないし色々考えたり振り返ったりする時間も元気もない、そんな日々が数週間単位で続いている。


そんな中で謎の手芸熱が再燃して、暇さえあればネット検索をしたり今後何を作るかの計画をしたり、楽しいからいいけれどこれ何のためにするんだろう?とかなり不思議というか何でするのかがよくわからずにずっといた。


そんな折に迎えたキティ布で、小さなハギレが私の小さな頃からの習慣、それは続けることでこれまでは自分を守れてきたものの実際には苦しいやり方、自分に無理を強いるやり方でもあったんだと今になって気付かせてもらって、もうそのやり方を自分にさせなくてもいいんだなともっと生きやすいやり方を自分が選んでもいいんだなと今ようやく思えるようになってきた。


心理的な癒しを求めて手芸熱が入って布と糸と戯れたり探したりしてるわけじゃなかったけれど、結果的にそのようになった。


手芸も生き方も何もかもどこに着地点があるのか全く手探り状態でかなり落ち着かないけれど、引き続き布や糸たちから癒しをもらおうと思っている٩(ˊˋ*)و

2023年2月11日土曜日

2月のシュークリーム

毎年2月に行われるサンキュー祭

1箱10個入りシュークリームを
390円(420円税込)で販売してくれる

去年もこの写真撮ったかもしれない…と思いつつ、
ようやく中に入れた時に今年も1枚パシャリ

朝7時50分前にすでにこの行列
私の後も同じくらい行列が続いていた

梅のつぼみ
今年も春が近づいている



2023/02/11

建国記念日という祝日にシュークリームを買いに朝から行列に並んでいる。


時間は朝の7時47分。


到着したのは40分くらいだったけれど、駐車場探しに迷走して、少し離れたパチンコ屋さんの駐車場をお借りしてスタコラさっさと小走りで行列の輪に加わった。


今年初どころか数ヶ月ぶりに走ったかもΣ( )))) 


どうも今年はやり方を変えたらしく、本来8時オープンからの開始なのにすでに販売を始めていて、とりあえず行列は少しずつ前に進んでいるから救われる。


限定300箱の中に入れるかしら。


これはこの辺りじゃ有名な『ガトー専科』という洋菓子店が毎年2回「サンキュー祭」なるものを開催していて、なんとシュークリーム10個入って1箱390円(税込420円)で売り出すというすごい超庶民の味方のイベント。


高校生以前からあったと思うから、もう何十年級の地元でもかなり浸透しているサンキュー祭。


高校生の頃に買った時は、まぁ値段ゆえにという感じがあったけれど、近年のシュークリームは劇的に美味しくなって、本当にお得だなと思う。


言わなきゃいくらかわからないくらい美味しい。


しかも今朝は雨がほぼ降ってなくて(このままもってくださいとひた祈る)寒くもない。


2月とは思えない、東京はじめ太平洋側は大雪警報が出たとは思えないくらいにシュークリーム行列日和。


ブログを書けるように、バッテリーがもたなさすぎる私の携帯のために、携帯用バッテリーも持ってきたすごい用意周到さ!







スイーツ繋がりで書こうと思っていたことを思い出した。


昨日金曜日の仕事の後、今年のバレンタインのチョコを買いに行った。


今年あげるのは2人。


Mr.ダンディとイケメンエンジニアの硬派さん。


来年はMr.ダンディは間違いなくいないし(退職になるらしい)、私ももういつ辞めるかもわからないから来年は仮に渡したいと思ってももう渡せない可能性が高い。


だから今年最後かもと思って買いに行った。


駅のショッピング街みたいなところで毎年バレンタインフェアしてるのはいつかの年に知って、それを目指して行ったらなんとビル全体で改装中で売場が超縮小されてて、とりあえず見つけられたのはGODIVAの期間限定店だけだった。


ショーケースの中に入っている中で選ぶしかなく、それが一番安くても千円札+小銭というGODIVAらしい価格で、その次の価格帯のものをMr.ダンディ用に選んだ。


他にもコースターを買ってあって、でもそれお気に召さないといけないと思って、そこで自分じゃ絶対に買わないだろうごはんのお供的なものも1つ買った。(味は美味しいけれど、自分のためにそこまでお金を出して食べるかと言うと手が伸びないタイプのもの)


ちなみにGODIVAのショーケースの中には五千円札出してもまだ足りないくらいの高級チョコもあったけれど、どうしてそんなにも高価なのか、お値段以上のお味やら手間暇なのか、一般庶民には生涯縁が無さそうなお高級なチョコたちがあった。


自分のためにそんな高価なものを買わないから、というか同じお金を出すならもっと他に欲しいものを買うなり体験したいから、これらは誰かからプレゼントしてもらう以外は手にする機会さえ無さそうと思った。


硬派さんの分はどうしようかと思った。


GODIVAだとさすがに行き過ぎで(おまえの普段の頼り方は行き過ぎじゃないのか!?というツッコミは脇へ)、もう少し普段使いではない・でもそんないかにも的なのじゃないのはないかなと思ってカルディみたいな輸入食材店の店頭でベルギー産のコーヒー味のチョコを見つけた!


去年はスーパーに売っているコーヒー豆のチョコを渡していて、硬派さんそれがドンピシャで大好きだと言っていたから、チョコが硬派さんを呼んだのかと思うくらいにピッタリの品だった。


ラッピングをしてもらえるかを聞いたらOKで、お店の人に「バレンタインのシールを付けますか?」と聞かれて「お願いします」と答えたら、ハート型のシールが貼られてきた()


硬派さん相手ならふざけて「バレンタインのシール貼りますか?と聞かれて『はい』と返事したらハート型のシールが貼られた!セクハラみたいでごめんね」と言えるから、本当に自己弁明をしながら渡そうと決めた。







Mr.ダンディや硬派さんのチョコを用意しながら、今年もまた「イケメン上司の周りの女性社員たちはどうしてるんだろう」とあらぬ方向に思考が飛んだ。


私がシュークリーム目がけて洋菓子店に行くように、または職場でお世話になりまくりな人たちにチョコを渡すためにチョコ探しに行くように、イケメン上司の周りにいる事務員さんとか女性社員なり派遣なりがチョコを用意しているのかなと思い、私もせめてそのポジションにいたかったなと思った。


ってことは、女性社員へのお返しもイケメン上司は用意するんだろうか?とこれまた先々の心配的な見通しまで瞬時に思考は働いて、なんだか羨ましいやら寂しいやらテンションは違う方に引っ張られていった。


職場ならバレンタインとかも社会的に通用する理由が立った上でプレゼントできるなんて、なんて素晴らしいシステムだろうと思う。


先々の心配的な予想とかする立場にないのは十二分に承知しているけれど、思考は自由すぎるくらいに色んな想像が働いてしまってその辺りは制御不能だった。


今時はチョコを贈るような社風もない企業が多そうだけど、イケメン上司の今はどうなんだろう?と朝から考えなくてもいい考えがムクムクと湧き上がった。


ちなみに私が今いるところはチョコはおろか「バレンタイン、何それ?」みたいな職場だから、あげるとしても超個人的にあげて終わり。


仮に男女比9:1みたいな今のところでチョコの用意なんかしたら、女性陣皆チョコ破産確定だから、そんなこと誰もしませんな空気が私が入った最初の年から漂いまくってた。


イケメン上司の今の状況がとてつもなく気になりつつも、系統が似ていそうだからそこもバレンタインはスルーかもしれないと密かに期待してみたり。


とかいう前に、そんなこと気にしている自分がなんだかとってもおかしい人、イケメン上司がいなくなってから今年が6回目のバレンタインで6年経った今もこんなことを毎年気にかけてどうすると言うのだろうとか、自分へのツッコミもムクムクと出てきて不穏な余韻だけ残された。


でもさでもさ、完全無視6年間の記録とかいうすごい偉業をもし仮に職場でやられていたのなら、もちろんそれはイケメン上司に転勤もなく私ももれなく仕事を辞めずにいて居続けたというありえもしない設定はさておいての話で、それの方がメンタルダメージがデカすぎただろうから、バレンタインのことを想像して憂いている方が健全かもしれないとも思った。


チョコを贈ったりお返しを贈られたりする関係に憧れつつ、今年もまた本命も何もないバレンタインを目前に控えてとりあえず目下のバレンタイン用の準備が整ってホッとしている。