2023/02/22
朝、前の職場で一緒だったSさんからLINEが来た。
Sさんもそこを辞めて今は違う職場に行っているけれど、今日は休みを取って寄ってきたと言って1枚の写真が添付されてきた。
最初写真を見てもどこなのかパッとすぐにはわからなくて、きちんと見たら休憩室だったのはわかった。
休憩室は毎日利用したから一番記憶に強く残ってもいいはずなのに、休憩室の風景の記憶がほぼほぼない。
思い起こす限りで一番強いのは、休憩室の窓から駐車場側を見てちょうどイケメン上司が車でどこか休憩するところに向かおうとしているところを2回3回くらい見かけたことと、その初回は「あの車に乗ってたんだ!」という発見したことと、中の風景じゃなくて外のイケメン上司込みの風景だけだということ。
夏だったことも手伝って、どの日も晴れていたなと思う。
そこから色々思い出そうと室内の風景を思い起こそうとしたけれど、風景はほぼほぼ消えてて(記憶力の著しい低下)、思い出せたのは基本的にどれもこれもピントはイケメン上司でその周りの風景だとたとえ1回ポッキリでそれが1分にも満たない超短い時間だけ見たものでも今でもかなりはっきりくっきりと記憶に残っている。
例えば、一度だけ電話のかけ直しを相手からお願いされたから、相手の番号を書いたメモ持ってイケメン上司を階下に探しに行ったら他の電話中で3メートルくらい離れたところからイケメン上司の電話が終わるのを見ていた時とか。
(注記:そもそも私は電話は取らなくていいと言われていて、本当に皆が不在の時に初めて取るくらいで、そしてその滅多に当たらない電話にたまたま当たっただけじゃなく、相手の方がイケメン上司からの折り返し電話をお願いしてきたからそれで番号をメモしてイケメン上司を探しに行った。という超レア設定なシチュエーションだった!)
外に繋がるシャッターがあったと思うけれど、それがたしか空いててその関係で薄暗い倉庫的なその場所に光が少しだけ射し込んでいて、イケメン上司の周りだけライトアップされたみたいに明るくて、私はその様子をボーッと見ていた。
時間が欲しいとイケメン上司に言った時のこれまた薄暗い倉庫的なところの別の一角で、その風景もかなりはっきりと記憶に残っている。
ちなみにそこはその後とても残念なことに、イケメン上司の後輩くんに代替わりした後、後輩くんがその辺り一体の整理整頓のために金属製の大きな棚をいくつも注文してそれらがその場所に入って、私が知る風景が大きく様変わりして元の印象がないくらいに変わってしまった。
でもそこだって記憶にきっちりと残っている。
様変わりした後の風景は全然覚えていないけれど、イケメン上司が床にあぐらをかいてぺたりと座って工具類だと思しきものを色々整理していたその様子は昨日のように普通に覚えている。
イケメン上司含めてみんなで外掃除をした時のイケメン行為の瞬間とか、その後イケメン上司の足元だけを見ていた瞬間とか。
いつか朝からイケメン上司を探して、メモ付の九州土産が放置されててあんなのうっかり他の人に見られたら危険極まりなくてそれでイケメン上司にそのことをお知らせするために探した先で、イケメン上司は軍手をしてせっせせっせと段ボールの片付けをしていた時とか。
その時も薄暗い状態だったけれど、イケメン上司の顔や姿だけははっきりと見えたし、「微笑」という言葉は本当にイケメン上司のような表情を言うのだと思ったし、まさかその時が最後の笑顔を見る瞬間になるだなんてその時の私は想像もしていなかったこととか、これも1分も時間にしてなかったと思うけれどもとても印象深く残っている。
最後の日にイケメン上司を捕まえて挨拶ができた階段を上りきった小さな踊り場みたいなところとか。
時間も時間だったから暗かったけれど、暗さなんかも含めてあの時の空気とか感触とかは自分の中に今も変わらずに思い出せる形で残っている。
いつかの時は、ネット回線が壊れてイケメン上司がネット会社に電話しながら配線を色々いじっていて、その時の後ろ姿見放題だったことと、そんなことになるとはつゆ知らず、たまたま自分の席じゃなくて作業机側に座っていたからイケメン上司の真後ろ辺りに私はいて、自分の幸運具合に心が躍りまくったこと、そういうことは記憶が薄れることなく、なんならこの6年の間で何度も思い出した風景でもある。
いつだったかその同じ作業机のイケメン上司が配線を直していたところに近いところに座って作業していた時のこと。
年上の方の事務さんに呼ばれて事務さんの方を振り返ったら、その場所からだとイケメン上司の席まで何も遮るものがなくて席が丸見えだったことに初めて気付いた。
その時はもうイケメン上司は転勤していなかったけれど、席や机の配置は当時のままだったから、もしイケメン上司がいたとしても振り返るなんて勇気はなかったけれど、そこならけっこうたくさんイケメン上司を見ることができたんだな、早く知りたかったなと思った。
同時にイケメン上司の席からしても私が使う作業机が丸見えだったのかな…なんて思いつつも、イケメン上司が私のことを見るわけないかと思って、自分は一体何を考えてんだろう…となんだか恥ずかしくなってしまった。
あと、イケメン上司がいなくなった後に初めて念願のイケメン上司の手書き文字をたくさんある保管ファイルのとある1冊の中で初めて見つけて、その時の狂喜乱舞具合と言ったらすごかったし、さらにはそこに行くのはほぼ私しか当時いなかったから私はファイルが入っているBOXたちを整理する風に見せかけて、実際にはイケメン上司の文字が見れるファイルをいつの時も見れるように私だけがわかる配置にわざと変えて、その書庫的な部屋に行く時はいつもイケメン上司の手書き文字も眺めるということを自分の楽しみとして作った。
だからそこの風景もとってもよく覚えている。
そんなこんなのことがたかが1分2分で走馬灯のようによみがえって、その記憶の方に驚かずにはいられなかった。
*
年を取ると記憶力が確実に落ちることに対して、医師だったかそういう専門家がある時言っていたことがとても興味深かった。
たしかに記憶力は年齢と共に低下する。
けれども、年を重ねた時に大切なものはいつまでも覚えていて、どうでもいいことは関係ないからどんどん忘れると言っていた。
今回のことってまさにー!と思った。
大事なものだけが残る、それが年をとる醍醐味のようにも感じて、その大事なものだけが残ってくれるのはある意味でとても良いなと思った。
さらに今回のことでものすごくよくわかったけれど、私の記憶の基準はよく使ったとかよく行ったとか時間的に長時間いたとかそういうことじゃなくて、イケメン上司がいたかどうかというのが記憶の残り方にそのまま影響しているんだとわかった。
だからパッと思い出した風景たちがどれもこれもインパクトは100あっても時間にしたら1分とか数十秒みたいなものばかりで、そのギャップに驚きながらもこんな残り方を残りの人生でも持てるならそれはいいなと思った。
と同時に、「イケメン上司の中には何が残っているんだろう?」とも思った。
当時の職場の周りの人たちの話を擦り合わせると、おそらくイケメン上司が新潟にいたのは2年半くらいだったと思う。
そして最後の4ヶ月弱くらいのところだけ私もひょっこりと現れて、いたのかいないのかよくわからないけれどもとりあえず物理的にはいたことになる。
ブログの最初の方にいくつかのシーンを書き連ねたけれど、それは私側から見えた景色でしかなくて、私にはものすごいインパクトでも同じところにいたイケメン上司はこれを読んだところで「そんなことあったっけ?」となっててもおかしくないし、むしろ覚えていたらすごいし、書いたことの中の1つでもイケメン上司の記憶の中にもあるのならそれはとても光栄だなと思っている。
仕事中のシーンばかりでたしかに普段とは異なってはいても、だからと言って記憶に残れるほどのインパクトがあったかどうかというのは私はイケメン上司じゃないからわからないし、時間の経過もさらなる忘却に加担して何にも残ってなくても全く不思議じゃない。
もはや私だけしかこの世で記憶している人がいなくても、普通にありうるなとさえ思っている。
*
Sさんから、今度こそ本当に3月末で事務所が撤退すると聞いた。
撤退の話を最初に聞いてからどのくらい経ったのかわからない。
けれど、今度こそ本当にその時が来るんだなとわかった。
「本当はもう一度事務所の中をイケメン上司と行って入りたかった。」
それが記憶の光景が巡った後に出てきた最初のことだった。
色々変わってしまったとしても、とにかくもう一度イケメン上司と一緒にあの事務所の中に入れないかな…と、本当に実現可能度がゼロどころかマイナス数値みたいな可能性を私は真面目に願っていた。
これだけは今でも信じているけれども、本当に縁のある人ならばもう一度会えると思っている。
だから万が一にもそんなことが起こってくれないだろうか…と大真面目に思い続けた時間が、とうとう事務所閉鎖が来月末に迫って終わりになる。
イケメン上司が新潟を離れたすぐ後にこんなこと全く想像していなかった。
事務所閉鎖なんてもちろん全くの想定外だったし、それよりもまた会えるんじゃないかとどこか楽観的に願う自分もいたりで、まさかそれがこんな風に色々変化して、ブログを再開してイケメン上司がこのブログを見つけてくれたことも色々とありえないことだらけだった。
もしブログを再開しなかったとするなら、私はこうした自分の内側の独り言みたいなことたちとどう向き合っていたんだろう。
たられば話をしても仕方ないけれど、読まされる側も反応に困るような内容であっても1人でずっと悶々とするよりもとりあえず外に出してわかる形にして知ってもらえる状態を作ったのは良かったと自己満足している。
どこから年数をカウントするのが良いのかよくわからないけれど、イケメン上司旅立ちの時をゼロにすると、今は5年半ほど経ったことになる。
その時間、ずっとずっと1人で抱えていたのなら、現実的に1人で抱えているけれど、少なくとも吐き出す場所がここでとりあえずそういう手段が今はあって、でもなかったとするなら今以上に強烈で苦しいというか溜め込んでグッタリしただろうなと思う。
事務所閉鎖前に再訪できないことは仕方ないにしても、それを残念に思っていることをこうして言葉におこしてとりあえず読んでもらえる状態にまで仕立てられるのは良かったと思っている。
事務所の閉鎖は仕方ないけれど、けっこう真面目にもう一度足を踏み入れて当時の感覚をリアルに味わいたいなと思ったのは本当だった。
建物は壊さないだろうから(貸事務所だから大家さんに戻すだけだと思う)、また目の前に行くことは不可能ではないけれども、まだ当時の風景が確実に残っているだろう中に入ることができないのは残念に思う。
イケメン上司にしてみたらもう生涯を通じて行くことのない場所だろうから、そして人生の中でどの程度思い入れがある場所なのかわからないけれども、相当に低い可能性でしか記憶として残らないんじゃないかと思う。
私はそこで仕事を始める何ヶ月も前に迷子になってその事務所の目の前に着いた時のことまで鮮明に残っているくらい、本当にとても立派な記憶が自分の中に存在している。
その立派な記憶だけは事務所が閉鎖しようとイケメン上司がどうであろうと自分の中で変わらずに愛でることができるわけだから、それを大切にしたらいいんだと頭の中でかなり必死に自分に言い聞かせている。
もう一度イケメン上司と再訪したかったこと、その気持ちを昇華するかのごとく記憶を愛でたらいい、そう自分に強制的に言い聞かせようとしている。
*
話がだいぶ変わるけれど、44歳の誕生日に向けて自分用に1つプレゼントを用意することにした。
手芸熱が高まったことで、今どハマり中のリバティと呼ばれる布のデザインを使った5年日記なるものを発見して、それを44歳の誕生日当日から始めることに決めた。
楽天セールが近日中にまたあると踏んでポイントが倍になることを待っている。
ちなみに今回日記帳を買う1番の目的は、日記云々よりもここ最近入手した数百枚のリバティの布シールを使いたくて、それを貼る場所を考えたところその5年日記の各ページに毎年貼るなんて楽しみすぎるー!となって、それが決め手となった。
日記は書かない日があってもシールを貼ってその時の気分を書くのもありかななんて色々想像が膨らんで止まらない(笑)。
20代の半ば、私は3年日記に挑戦したことがあって即座に頓挫したけれど( ̄∀ ̄;)、それが今回手芸熱に伴って当時買って今も残してある手芸本をクローゼットの段ボールから出した時にその3年日記も出てきて少し読んでみた。
それがすごく良くて、思い出せないこともあったけれども、当時のリアルな日常が今もきちんと残っていてそのことに色々感動した。
で、それを見た時に、こうしてブログでも何でもいいから書き残しておくことの大切さというか自分がいつか読み返す時の楽しみというかがあるなぁと思って、書き残しておいて良かったと強く感じた。
Sさんの写真から始まる今回の一連のことも、本当は紙媒体に残すのが一番良い内容で、でも書き始めたらこのブログだったわけで、それはそれでいいけれど、5年日記があればそこに今度は書けるんだなと思うと良い手段ができて嬉しく思っている。
日記帳も持っているけれど、あれは1ページの長さが今の私には多くて、もう少し一言でさらさら書けるくらいの大きさが良くて、今年はけっこう手帳をそういう意味では使いこなせているけれども、それでも1年限定なのと数行書けるようなスペースは基本ないから何かしらそういうことが書ける、それも私のテンションが上がるようなノートに書けるといいんだけどな…とずっと思っていた。
それがメルカリでのリバティ検索魔になっていたある日、その5年日記を見つけて、メルカリ販売のものが異常に高くてそれで楽天で探したらもっと安くてメーカー直送のものを見つけることがてきた。
しかも使用者たちのレビューまで見て、気をつけることや使ってみてのテンションが上がる様子なんかもよくわかって、私も絶対に買う!と決めて今の私は日々次回の楽天セール開催日がいつかのチェックに励んでいる(笑)。
今回のブログに書いたことは、その近々私の元にやってくる予定のリバティ5年日記の中に書きたいような内容で、このブログはいちいち探さないと過去のものを読めないけれど紙ならその場ですぐに開いて読めるから、そうしたところに今度は書けるんだなと思うと楽しみだし、そしてもっと年を取った時にさらに読むいつかの自分がどんな気持ちで読むのかそれにも興味がある。
恥ずかしくて顔から火が出そうになってもいい。
イケメン上司と時間をリアルに紡ぐことができない現実を前に、せめて自分の気持ちや感覚に素直になれるところが1つでもあれば自分はどこか救われるんじゃないかと思っている。
今ならそういう自分も大事にできると思うし、これから年齢がさらに上がってさらに色々注意を向けることが増えたとしても、それでも自分にやさしくなれそうな大事にできそうなそんな気がしている。
強く記憶に残るくらいにイケメン上司が自分の人生にいてくれた時間はとても大切で、それはどうやら人生の他の部分が変わってもそこだけは変わらないもののようで、これから先の未来は何がどうなるかはわからなくてもその大切に思う部分は引き継がれていくように思っていて、それならなるべく素敵な形で引き継ぐのがいいなと思っている。
そしてその素敵な形の1つにリバティ柄の5年日記がピッタリだと、まだ手に入れる前の今からすでに確信している(o´艸`)。
*
最後にどうでもいいことを1つ。
今回のブログタイトルをどうしようかと思った。
今回はわざと写真無しで言葉だけを残そうというのは早々と決めていた。
「写真と記憶」としようかと思ったけれど、なんだかいまいちピンとこなくて、違うタイトルを考えた。
「記憶の倉庫」と出てきた時に、今回の話にピッタリだと思った。
私の記憶の「倉庫」の話だから、そういう意味での「倉庫」。
そして、話の中で度々登場する事務所内にあった「倉庫」は、リアルにイケメン上司がいて私もそこに出向いた先で、本当に空間として現実に存在した「倉庫」。
記憶という無形の倉庫とイケメン上司と居合わせることができたリアルの有形の倉庫、その2つが「倉庫」という言葉に含まれている。
その響き具合がとても気に入って、それで「記憶の倉庫」となった今回の話。