今年の一文字。
今年はなんとなくやりたくなって、それで一文字選んでみた。
弱
激
動
静
が候補に上がったけれど、どれもピンとこなくてやめた。
自分の弱さをたくさん見たなとか、激しい1年だったなぁとか、色んな形で動いたなとか、じっと静かにタイミングを待ったなとか。
でもどれも一部であって全部じゃない。
そこで「全部」と感じられる自分の今年に当てはまる漢字を他に探した。
「結」
しっくりきた。
「結ぶ」
今年は色んなものや人と新たな縁が出た年だった。
人はもちろんのこと、自分自身の気持ちと結ばれたり、自分の持っていた回路と結ばれたり、自分の能力と結ばれたり。
「繋がる」ではなくて「結ぶ」「結ばれる」の方だった。
繋がるの方は、なんとなく自然派生的に繋がっていくイメージがある。
その一方で結ぶは、自分の意志があって初めて人でも物でも自分と結ばれていく、能動的なものを感じる。
今年の大きな特徴の1つに、年初めの1月と年終わりの12月とではまるっと繋がっている人間関係が違うこと。
こんなにも違う年は初めてだと思う。
年初めの頃の人間関係を私はほぼほぼ断ち切った。
その事さえも、「繋がらない事」を選んで、繋がらない道と自分とを結んだという感じがする。
今年は前半と後半とで丸っと違っていて、前半はとにかくしんどいことがいくつも続いた。
そして、前半の私は、良き人間関係を自ら断ち切るとはいかがなものかと思った。
私が離れようと決めた関係は、どれもとてもお世話になった関係ばかりだった。
離れようと考える自分の方がどうかと思った。
だけど、私の中にある小さなひっかかりをどうしても無視できなかった。
小骨が喉に引っかかったみたいな違和感が心の奥の奥の方に余韻として残る。
たくさんの良きこととたくさんのお世話になったことが99.9%だとするなら、余韻の部分は0.1%未満となる。
私が選んだのはその0.1%の方だった。
それを無視して関係を続けた場合、その先の自分にどうしても明るい展望を抱けなかった。
その余韻部分というのは、本当に小さなことなのに、いつまでも自分の中で自問自答するようなもので、いつまで経っても消えないものだった。
思い出すと明るい気持ちになるものではなく苦しくなったり、自分が自分に対して選んだものが果たして合っているのか自信が持てなかったりするものだった。
渦中は渦中すぎてわからなかったけれども、今は離れて良かったと心底思っている。
あの当時の悶々としたものをもし今も持っていたとするなら、とんでもなく気持ちや自分自身が重たくなっていたことだろう…って簡単に予測ができる。
離れた人間関係の共通点はそこだった。
会ったり話したりした後に、悶々とする何かが必ずと言っていいほどあった。
それは私が持ちたいものではなかった。
そして、悶々とする先に、自分で自分の価値がわからなくなった。
誰かや何かの良きものとするのに適合した私は良くて、でもそれをやると自分が消耗することになってばかりいた。
この答えは、この2ヶ月ほどで取り組んだ米の仕事で知り合ったヨシダさんの農業資料作りの手伝いや、長年の友達の伝書鳩と会計監査役をしてはっきりとわかった。
実務面で言えば、圧倒的に資料作りと会計監査と伝書鳩の方が面倒だった。
面倒で手間暇かかって、やっていて楽しい作業とは絶対に言えなかった。
だけど、取り組んでいる時も終わった今も「関われて良かった。関わらせてくれてありがとう」という気持ちでいる。
いつになるかわからないけれども、私がそこでのやりとりを通じて見たもの感じたものは、今後全力で言葉にしていこうと思っている。
変わらない何かがそこにはあって、そして私が私のいる意味を見出せる、そんな風に感じられるものがあった。
このブログの中では色々言うし、弱音も文句も不満も山ほど吐き出したりはするものの、1つだけ私が本気で信じていることがある。
私は私の可能性に賭けているし、たとえ社会的にものすごく小さくなって隠れていなければいけないような状況の時でも、私が最後ギリギリのところで持ち続けているのは、自分の道が必ず拓くことを信じる気持ちだったりする。
断ち切った人間関係において、1つ大きなところは、私のそうした信じたい気持ちを踏みにじられてしまうことだった。
相手の人たちは何気ない気持ちで口にしたにしか過ぎないだろうと思う。
もしくは良かれと思って言ってくれたかもしれない。
だけど、そうしたものが私には凶器にしかならなかった。
家にほぼほぼ引きこもるみたいな、メンタル的には一番弱っていたような時が続いていたからこそ、小さな言葉や態度は私の奥深いところを刺した。
自分でも自分の先や未来なんかわからない。
しかもこれ!と言い切れるような何か手にしたいものもない。
何かあればすぐに「何で私生きているんだろう?」って暗く考えてしまうし、体が元気な自分を見て「今日も生きるんだな…」とかなり後ろ向きに思うことはたくさんある。
そうした自分ではあるけれども、私はこんな自分でも生きてていいんだということをあきらめたくない。
そして生きてるからには何かがあると思っていたい。
何かというのは、希望的な何かを指している。
そういう気持ちの部分に影が落ちていた。
相手のせいとは言わない。
だけど、どこかで私が否定されたり、利用価値のある私だけが必要とされた時に、私の中の何かがはじけた。
私からすると、私の尊厳に関わるところが完全に崩落してしまう、そういうものを相手の人たちは無意識に向けてくるところがあった。
だから0.1%のことであっても見過ごせなかった。
自分の中の一番守りたいところがグラグラする、そうしたことが続いていた。
だからあの重さは、そうしたことからもたらされるもので、私は当然耐えられなかった。
人間関係すべて失うことになるのを覚悟した、と今振り返って思う。
どの人たちも素敵なところがたくさんある。
世話にもものすごくなった。
その人たちなくしては、今の私が今の私にならないこともわかっていた。
今の私になるために、その人たちがしてくれたことは本当に偉大で、それは今でも本気で感謝している。
だからそうしたものをわかっていながらも私の一存で離れようとした自分は究極のバカだと思ったし、何してんの?ともものすごくたくさん思った。
もうそういう人たちには出会えない、それも何度も何度も思った。
そうした覚悟で1人また1人と離れて完全にリセットがかかったタイミングの後、占星術講座で一緒になったノムと個人的にやりとりする関係性が生まれた。
ノムは本当に色んなことを私にもたらしてくれているけれども、多分一番大きいのは、私を私の可能性を本気で信じてくれることだと思う。
ノムと出会った時も私はすでにニート真っ盛りな時期で、ノムにはわりかし早い段階でそのことを告白していたと思う。
ノムは事情を知らない頃から私のことを良い風に思ってくれていたけれども、私は最初の頃それが逆に心苦しかった。
もし私の素性を知ったのなら、ノムはどう反応するのか予測がつかなかった。
ニートな私が言う言葉や考えは、私の素性が明るみになったら綺麗事に思われるかもしれない…、そんな心配をした。
1つまた1つと知り合ってそして自己開示をしていくうちに知っていった。
ノムは私のことを外側についているもの又はついていないもので判断しない人だということ。
そして私が1つまた1つと色々言うたびに、ノムはそれでも私のことや私の可能性を全力で信じてくれた。
そして私のしてきたことや現在進行形でしていることに対して、本当の価値をそこに見出してくれた。
ノムは私が信じているものを、ノムも同じように信じてくれる人だと知った。
ノムも全力で自分自身を信じて、周りが何と言おうと自分の中にある絶対を大切にしている。
自分の中にあるものをたくさん言葉にしようとする習慣のあるノムは、私の言葉にできない部分をよく言葉にしてくれる。
そんな風にノムと過ごすようになって、私はV字回復のように人間関係や自分の心に大きな変化を得た。
ノムが登場して以降、ノムが紹介してくれた人たちや、自分が動いた先にいた人たちと新しく関係が始まったり、はたまた長年の付き合いのある友達とのやりとりが復活したりしている。
リセットされた後の人間関係には年初めのような重たさや悶々感はなくて、本当の深い部分で自分がそのままでいて大丈夫、という類いの安心感がある。
相手から必要とされる時も、本当に私は便利屋でも都合の良い友人でもなく、私という人が必要とされているというのを感じる。
そして、私の生き方でも考えでも、それが相手と違うからと言って否定されることもなければ、それと私の存在意義がごちゃごちゃにされることもなかった。
違いも含めて私を大切にしてくれる、そういうのを今年の後半は感じることが多かった。
「結ぶ」
自分で結ぶことを選んだ人間関係、反対に結ばないと決めた方の「結んだ道」、どの結ぶも絶対に自分の気持ちが一番にあった。
自分がどうしたいのか、それをひたすら丁寧に丁寧に聞き取るようになって、ようやくこの1年の後半で自分の気持ちと選択とにズレが少なくなってきたと感じる。
「やりたくない」とか「嫌」とか「関わりたくない」とかそういうのももちろんある。
万年文句垂れぞうな私がいきなり改心してそういう気持ちがなくなったなんてことは一切ない。
でも代わりに、「やりたくない」なら「やりたくない気持ち」と、「嫌」なら「嫌な気持ち」と、「関わりたくない」なら「関わりたくない気持ち」と自分とを結べるようになってきた。
自分に嘘が少ないというのはとても楽な状態で、そうしたことができるようになったのは今年の大きな収穫だったなと感じている。
今書いてて思った。
「結ぶ」っていうのは、言葉を変えると「選ぶ」っていうことだなぁって。
選ぶことは何もハッピーでウキウキするものだけじゃない。
痛みを伴うものや苦しくなってしまうものもある。
ただそのどれの場合も、自分の気持ちに一番近いものを選べば、その時々は痛みや苦しみがセットでも後から癒される。
もし私が「お世話になったのに関係を切るなんてありえない」としたのなら、関係はもしかしたら続いたのかもしれないけれども、自分はいつもどこか重たさがあって、自分の気持ちを無視している分苦しくなって、今みたいな自分とは違っていたと思う。
「ご縁を大事にする」という世間一般で言われる価値観ではなく、「0.1%程度の小さなことだけど、私は納得できない」自分の感覚を優先できたことが大きかった。
どちらを大事にしても間違いじゃない。
だけど、私は外の価値観ではなく自分の感覚や価値観を一番にしたいんだと気付いた。
「結ぶ」とした中に自分の持っているものと結ばれることも今年は含まれた。
2つ前に『おいせさん手帳』と題して、ノムのお誘いのおかげで書く仕事の完成品の宣伝をした。
最低限のきまり(文字数や日にち、日本的な〇〇の日の時季的な暦の内容を盛り込むこと以外は自由だった)を守ったのなら、あとは自由に表現して良いという中で、私は初めて自分の中に出てくるものを外向けに言葉を紡ぐという作業をした。
それはこのブログや手紙、他の諸々の書き物とは全く次元の違うもので、言葉と自分とを結ぶ作業みたいな感じだった。
言葉がスルスルっと出てきて、自分自身もその言葉に包まれるみたいな、なんとも言えない不思議な感覚だった。
どこかに習いに行ったり誰かから教わったとかではない。
それはひたすら自分の感覚と繋がっていく、結ばれていく、そういうタイプのものだった。
今思うと、それができたのは、自分の中にあった異質のものたちを1つ、また1つと整理して、自分の中で噛み砕いて、それで自分の中がある程度きれいに整って、そこに自分の中にあるものと結ばれるための土台が作られたからだと思う。
そして自分の中にあるものと結ばれて知った。
本当にそれが自分のもので生まれ持ってきたものなら、とてもスムーズに事が運ぶということ。
私は当時20数個のメッセージを紡いだけれども、私が唯一そのためにしたことは、自分の中にあるものを言葉にするために、自分の状態を整えることだけだった。
ウンウン唸りながら言葉を紡ぐなんてことはしなかった。
スルスルと出てくるために、時間を作って、気持ち良くそこと繋がれるように自分の内面や目に見える外面(部屋の掃除で整えられるもの)を整えるだけで良かった。
そんな風にして、自分と自分の持っているものを結んだ。
そうやって自分の本質を出迎えたりもした。
色んなものと結んだ2019年。
来年は本当にどうなるかわからないけれども、この1年で結んだものは今年だけじゃない、これから長い時間結ばれていくものという予感がする。
そういう気持ちでこの1年を締めくくれたことはとても大きい。
「結ぶ」というのは、辞書によると「つなぎ合わせる」とのこと。
つなぎ合わせることのできた色んなもの、繋がることのできた人との縁、そういうものをこれから長く大切にしていきたい。
2019年12月31日火曜日
2019年12月30日月曜日
2019年ラスト心のボヤキ
超個人的なモヤモヤをこれから掃き出そう。
嬉しい言葉をもらった。
本当に嬉しかった。
だけど、脳内ではお願いしなくても別のテーマとその言葉を重ね合わせる。
同じ土俵に乗せること自体おかしいのもわかっているし、またもや妄想炸裂みたいな話なのもわかっている。
でも、自分がずっとこんなことを続けるのかと思うととてもしんどいし、とにかく外に出してしまいたい。
また何も起こらないと思っている。
だけど、こんなのをまた来年も自分の中で続くのかと思うと、自分の中の何か大切な部分がシクシク、チクチクと痛みを覚える。
すべてはなるようにしかならない事もよくよくわかっている。
起こらないことはどこをどうやっても起こりようがない。
だけど、そうだといくら頭で考えても納得できないものは納得できない。
書いたからと言って納得できないこともわかっている。
書くから納得できた!とならなくても、「伝える」ことでせめてもの納得を得ようと思っている。
一体全体私は何をしているのだろう…と思うけれども、もうどうやっても色々おかしいから、そのおかしいことや納得できないことをせめて100から99に減らせないかと奮闘して書く。
自分の欲深さや業も丸出しでかなり恥ずかしいことではあるけれども、そうやってしても伝えたいから書く。
2019/12/23 お昼過ぎ
上の続きを書く前にもう1つ付け足してから話をしたい。
これを書く前に『職場の風景』と題したブログを先にアップした。
時系列で言うと。
23日……激情型
24〜25日……穏やか型
26日……覚悟型
と同じ内容に触れるにしても変わっている。
まずは、激しい気持ちが、どちらかと言うと責めたくなるようなそういう手の激しさがドバドバと自分の中から出てきた。
それはこの後書く。
そして、何がきっかけかもはや忘れたけれども、途中からは穏やかな気持ちに推移した。
その穏やかな気持ちで書いたのが過去の職場で私が見ていた風景だった。
その後、本当に書くかは今の段階ではわからないけれども、年末年始を迎えるにあたって毎年恒例のごとく自分の中に強い余波を残しているものと、じゃあそれはそうと私がどうしたいのかを書けたらいいと思っている。
自分の本心を口にすることは、覚悟を問われる。
今日は〇〇が食べたいなみたいな話は緊張も何もないけれども、自分の気持ちや考えを言うのは覚悟がいる。
焦っているのとは違うけれども、来年2020年の自分のことを想像する時に、来年はもっと色んなことを言えなくなるかもしれない…と思う。
これだけ言ってもダメなものはやっぱりダメだから、ダメならダメで自分の気持ちの軸を少しずつ変えたい。
2019/12/26
年末年始は少し気持ちが重たい。
2年前、聞いてもいないその人の年末年始の恒例行事的な約束を知った。
その人はライブなのか音楽フェスなのかに出かけるらしかった。
1人じゃない。
相手がどんな人かまで、なぜか情報はやってきた。
聞いてもいないその情報は、真偽のほどはわからなくても私を大きく打ちのめした。
ちなみに、実際の関係性は知らないけれども、2年前の年末年始は面白いことが起きた。
その話を聞いた瞬間からそのことがずっとずっと頭にあって、気がおかしくなりそうだった。
さらにその時は魂の関係について暇さえあれば毎日調べていたから(毎日毎日、仕事行っていたにも関わらず最低1時間以上はやったと思う)、そうした情報だけはものすごい勢いで吸収していった。
調べた中で、そうした魂の関係の強い人に出会うのは、霊性開花のためとあって、私はそんなのは本気でいらなかったし、何が悲しくて一緒にもいられなければ、さらに本人はもういないのにどうしてそういう余計な情報まで来るのかと思っていた。
一緒にいられなくてもせめて情報はいらない。
苦しいことばかりが続いて、霊性開花なんぞくそくらえぐらいに思っていた
霊性なんかいらないから、その人と会える時間をくださいと思った。
そしてどういうわけか聞いていないのに知ってしまったその人の個人の予定なんか、記憶ごと消し去ってください、と本気の本気で願った。
1年の垢落としに天然温泉が良いと聞いて実際に出かけたけれども、温泉に入ろうが記憶など抹消されるわけもなく、悶々とする気持ちは続いた。
自分でも、認めたくなかったけれども、自覚は少しずつあった。
不思議なシンクロとか、とにかく私が自分の道にきちんと進むような、それらのメッセージを伝える人たちが次々に現れていた頃でもあって、色々普通じゃないことは気付いていた。
今(2019年)はまだかなりマシになったけれども、当時は今以上に反発も強ければ、絶対に信じない、自分の希望が何も叶わないのに何でそのわけのわからないことばかりが起こり続けるのか、そんなのは気のせいだと思おうとした。
そして、その人の年末の予定を聞いて、ますますその人と私とは何の関係もなくすべて自分側の一方的な気持ちや出来事だったんだと全力でそのように結論付けようとしていた。
というそんな時に、奇跡は起きた。
温泉に行く時も私は迷子になって(iPhoneでマップを見て進んだにも関わらず)、私は帰りはペンジュラムに聞いて進んだらどうかと思った。
そんなこと一度もしたことがなかった。
自分の気持ちはブレブレだし、メンタルは叩きのめされているし、色々ダメだと思って、ペンジュラムには何の期待もしなかった。
だけど、私はその時おかしなことを思った。
「もし本当の本当にその人が縁のある人なら、私にそうだとわかるサインを見せて欲しい」
大真面目にそう願ってからのペンジュラムを使っての運転だった。
ペンジュラムの道案内は本気で凄まじかった。
民家が建ち並ぶ道や見知らぬ地元民しか知らなさそうな道をバンバン案内された。
ペンジュラムまで狂ったと私なんかは思った。
最悪iPhoneでナビしたらいいと思っていたから、ペンジュラムへの期待もほぼほぼゼロで、まさかペンジュラムが道案内をしてくれるわけない、その人もその人の人生をいくから、その人と私とが交わらないように、ペンジュラムも道案内なんて芸当をするわけないと思った。
どこをどう走っているのかもわからず走っていたら、なんとお目当てのコンビニのある大きな国道の交差点に出た。
本当に驚いた。
ペンジュラムはまさかの道案内を完璧にして、しかも私が肉まんを買いたくて行きたいと思ったそのコンビニをピンポイントで案内した。
同じ道を走れと言われても私は同じ道を走れないし、夜だったから余計とどこをどう走ったのか知らない。
ペンジュラムはその時単なる道案内をしたんじゃなかった。
私がもう何も信じない、関係なんてあるわけない、すべて自分の勘違いで何か激しすぎる思い込みでひと夏が存在していて、その夏にたまたま相手の人がいるだけだった、相手の中から私は消えただろうし、相手は相手で新しい生活が始まっているから私はもはや何の人でもない、それがすべてだと思った。
そう思った矢先のペンジュラムの道案内で、ペンジュラムは完璧すぎるパフォーマンスを目の前で披露してくれた。
絶体絶命とは違うけれども、本当に何かを信じることも怖ければ、すべて否定して自分をなだめるくらいしか方法が思い浮かばなかったその時に、ペンジュラムは奇跡を見せてくれて、そっと私に寄り添うようにそこにいてくれた。
今でもあれが何かなんて言葉では説明できないけれども、ペンジュラムはそんな風にパワーアップする時は、どういうわけかその人が絡んでいる。
何でそうなのかは知らないけれど、実際にそうなっている。
その時に少し気持ちが落ち着いた私は、肉まんを買い終わると、今度はすぐ近くの大きな川の前の駐車場を目指した。
私にしたらすべてが始まった場所だった。
その川の駐車場は、その人の転勤を私の当時の教育係から聞かされた日の昼休みに行った場所だった。
ごはんに誘われたことが本当に嫌だったようで、あからさまに嫌そうな態度を目の前で見て、私はもうそっとしておこうと思っていた。
仕事に超行きにくかったけれども、元々仕事上絡みがなかったからそっとしておけば良いと、それで表面上だけでも穏便にできると考えた。
その2日後の朝、転勤を聞かされて、私は茫然自失となった。
その日の昼休みこそ、ペンジュラムが初めて新しい動きを見せてくれた時だった。
ペンジュラムの動きは決まっていて、当時は時計回りのYESと縦揺れのNOしかなかった。
それ以外の動きをしたことないって知っていたから、私はわざとそのペンジュラムを使って賭けに出た。
他の動き方を絶対にペンジュラムはしないって100%確信していた。
もしペンジュラムが見たこともない動きをしたのなら、私は自分の気持ちに従って動こうと思った。
そんなこと起こるわけないと知って、それでペンジュラムを手に取ってペンジュラムの動きを見たのが、その川の近くの駐車場でだった。
そこでペンジュラムは予想だにしなかった動きを披露して、そしてそこが私にとっての転機となった。
ペンジュラムがそのような新しい動きを見せてくれなければ、私はその後実際に動いたようには動かなかった。
その人が1人でいそうなところを狙って話しかけに行ったり(←撃沈)、嫌がらせみたいな長さの手紙を書いて渡したり、そういうおかしなことはしなかった。
その時のことがなければ、私は多分今は全く違う人生を歩んだと思う。
ペンジュラムがナビを完璧にしてくれたことで、私はそのさらに3ヶ月以上前に起こった新しいペンジュラムの動きを見た川へと出かけた。
この話には起承転結はないけれど、2年前の年末の風景は今も強烈に自分の中に残っている。
すごく悶々としていた自分と、その人がいたことで私側の人生のあれやこれやのスイッチが入ることを色々思った。
まさかその時、当時のことがその後2年もズルズルといくなんて、想像さえしていなかった。
*
「もし俺があと20若かったら、おまえさんに結婚を申し込んでた。
俺は女遊びはたくさんしてきた。
してきたけれども、翌日になると忘れる。
全部忘れる。
でもおまえさんは違う。
おまえさんは美人じゃない。
だけど、会うと翌日も印象に残る。
こう、何て言うかな、自分の中に残る」
これはクリスマス前の週末に米の仕事で知り合ったヨシダさんと飲んだ時に言われた言葉だった。
ヨシダさんから預かった農業の資料を作り終わったから、それを渡すのと一緒にヨシダさんが飲もうと誘ってくれてた。
これは単純に言われて嬉しかった。
私は美人じゃないし、男の人たちが遊びたくなるようなそういう女の人ではない。
ヨシダさんは70歳で、70歳からしたら40歳の私は若いだろうし、その差がこうした言葉を引き出せたのかもしれない。
そこにプラスして、私がするヨシダさんの資料作りはヨシダさんにとって想定外のことだった。
ヨシダさんが思っていた以上のことをどうやら私はしているらしい。
「ここまでしてくれるとは思ってもみなかった」と何度言われたかわからない。
そういう諸々がプラスアルファであったから、言われた言葉だったのかもしれない。
誰かの中に印象に残るというのは、とっても嬉しいことだった。
ヨシダさんはこうも言った。
「おまえさんはまだ飲み足らない」
そう言ってもっと飲めと言ってきたのだけれど、私が十分に飲んでるから大丈夫と言うと「いやいや、まだまだだ」とヨシダさんは言う。
ヨシダさんいわく、
「おまえさんは飲むとほんのり顔が赤くなる。
今日はまだ赤くないから、だから飲み足らない」
とのことだった。
そんなこと、飲むようになった年齢の頃から初めて言われた。
私はいわゆる酒豪、ザルと呼ばれるアルコールガンガンいけるタイプで、これまで色んな人たちと飲んできたけれども、誰もそんなこと私に言ってきたことがなかった。
飲んでもほぼ普段と変わらないし、たとえ多少上機嫌というか少しばかりテンションが高くなっても、絡むとか泣き出すとか怒り出すとか触るとか、そうした厄介なことは一切しないし、飲めば飲むほど相手側が深い話ができたりもするから、私はこれまで何人かの男友達や職場の男性たちから「一緒に飲みやすいし、楽しく飲める」と言ってもらえた。
実際に相手の人たちが酔い潰れても私は平気なんてこともざらにあるから、飲んで可愛く酔える女の人たちがある種羨ましく、あんなのは私は飲んでてもシラフとほとんど変わらないから、絶対に酔ったフリとか相手に擦り寄るとか絶対にできない。
飲める男の人たちと同じペースで飲めてしまうし、酔わないしで、飲んでいる時に何か私の変化について言ってきた人は、ヨシダさん以外には誰もいなくて、だからヨシダさんがが初めてだった。
しかももっと言うと、それは相当きちんと見ないとわからないことで、普段私は「飲んでも顔色ひとつ変わらないね」と言われるから、本当によく見ないとわからないことだと思う。
そんなやりとりがあって、2つのことを思った。
1つには、癒された。
ヨシダさんと会う数日前のことだったと思う。
職場であまりにもわからない内容を英訳する関係で、依頼者の設計男子が私と私の教育係の2人を連れて製作現場に行って具体的なものを見せて説明してくれた時があった。
今の職場には数百人従業員がいるかと思うけれども、女性はどんなに多く見積もっても数十人しかいない。
「女というだけで珍しい」みたいな環境下で、特に製作現場は99%男と言っても過言じゃない。
そんな場所へと行った。
設計男子の知り合い的な人たちに途中会った。
本当は見せたかった機械が1つも見当たらず、どうしたのかを設計男子は聞いていた。
その人たちいわく、みんな出荷されて出払ったとのことで、その短いやりとりの間の本当に小さなことだった。
3〜4人ほどいた男の1人の人が、話そっちのけで私の頭からつま先まで一巡して品定めするかのように見ていた瞬間があった。
それが好意的な視線とは違っていて、ブスだと言いたいのか、あの体型無いわと思っているのか、真相はわからないけれども、決してそれをされた側は気持ち良くはいられないタイプの視線だった。
こんなこと滅多に起こらないけれども、その時の私はその様子を見て少なからず傷ついた。
言葉にすると伝わりにくいけれども、好意的ではない、悪意とも違うけれども、品定め的な感じで見られるのが本当に嫌だった。
私の教育係の女の子みたいな可愛さや可憐さはなく、そちらと比べたら同じ女として私側はかなりいたたまれなくなる。
私は心底嫌だったけれども、人としてましてや社内の人なわけだから変な風にもできないから、他の人たちにするように会釈して、顔も相当表情に気をつけて笑いはしないけれどもそこそこ愛想良くするくらいのことはした。
でも内心は、本当に嫌で、あの目線1つに傷付いた私がいたのも本当だった。
そんな風なことがあった後のヨシダさんの言葉で、本当に嬉しかった。
ヨシダさんの言葉は好意的に見てもらえてることが伝わってきたし、同じ見るでも全然中身は違う。
ヨシダさんの言葉を振り返った時に、もしかして…と、少しよりもかなり、期待したことがあった。
ヨシダさんは私のことを「印象に残る」と言った。
もしかして、その人にとっても私は印象に残る人となったのかもしれない。
美人ではないし、その人の好みやタイプは知らないけれども、何も私をより好むなんてことは考えられない。
だけど、私という人物そのものは何かしら印象に残ったのではないかな…と思った。
本気で私が受け付けられなければ、私の書くこの文章をその人は読まないと思う。
ごはん行くとかはごめんでも、ブログを読むのは嫌ではないのだとするなら、ヨシダさんが言うように「印象に残る」ものを私が持っている、と思ってもいいのかもしれない。
心には残る、私の立ち位置はそういうものなのかもしれない。
ましてや魂の関係なら、余計とそうなんだろう。
なんだかよくわからないけれども、とにかく何かしら余韻が残る。
そういう感じの存在なら、なんとなく今の状況もこの2年ほどの状況も納得がいく。
別にブログを読むだけなら、形ある関係性は要らないし、そんなのなくても自分の読みたい時に読みたいものを読みたいペースで読めばいいわけだから、そういうことなら今の状況は、私の中で納得はできないけれども説明としてわからなくもない。
これはその人とは関係ないけれども、ヨシダさんみたいな感じで私を見てくれる人と一緒になりたいと思った。
私は美人とかスタイルが良いとかでもなければ、ある時はズバッと物を言って男の人たちの怒りの琴線に引火したり(←悪意はないけれども、私の無知さや世間ズレな部分が成果とか肩書とかを重視する男の人たちを過去に何人か怒らせた)、女子力も高くなければ、格好も適当、太ってもダイエットしないし、色々抜けてるところや欠点となるところを挙げたらキリがない。
だけど、自分という人間そのものに興味を持ってもらえるとか、飲んだ時の小さな変化に気付いてもらえるとか、そういうのは嬉しい。
外見的なものやふるまい的なもので勝負などはなからできない私は、そういう「個性」と呼べるべき部分を見てくれる人となら、相手の人も私と楽しく一緒にいられるだろうと少しは思う。
私に美貌だのスタイルの良さだの目に見える女子力だのを求められても、残念すぎるくらいに何も提供できない。
相手の人が私と一緒にいられて良かったなどと思ってもらうには色々ハードルが高いものがあるから、だから私に興味のある人とならその人も私といられて良かったと思ってもらえるかな…と想像する。
もし残りの人生でそんな人と出会えたとするなら、それは人生最大の奇跡になるなぁと今から想像している。
ここからが毒吐き本番。
ヨシダさんの言葉を後から振り返った時に、どうしてその言葉を私は言って欲しい人から言ってもらえないのだろう…と思った。
結婚を申し込まれたいとかそんなハードルの超高いものではなく、一緒に飲みたいでも時間を過ごしてみたいでもそのように思ってもらえないことがもどかしかった。
すごい悔しいと感じることもある。
ブログは読んでくれるのになぁ……、会うのや連絡するのはそんなに嫌なのかと思ったら本当にやるせない。
これを書いている今、超激情に呑まれていた時のようにはもう書けなくなっている。
毒という毒が次から次へと出ていた。
それが今は出てこなくなった。
2019/12/30
年の瀬も迫る今、今年のうちにアップしたいものはアップしようと思っている。
ご縁が無いというのはどうにもならない。
それは願ったり祈ったりしたら手に入るものじゃ絶対にない。
今日の昼間、高校からの友達に会ってきた。
みんなそれぞれ生きている世界は違うものの、今も繋がっている超希少な関係にある。
その中の1人が最近あった出会いについて話をした。
友達が婚活的な出会いの場に出かけた理由は、色々あった時に誰かに甘えたい、そう思って行ってきたとのこと。
そして、いざ1人の人とやりとりが始まったら、相手の求めているものが自分にとって重たいもので、自分は今の今、すぐに結婚したいのとは違うと気付いた、と言っていた。
既婚者たちはさらにすごい言葉というか、リアルな日常を教えてくれた。
「自己処理」
要は、色々重なって誰かに甘えたい、話を聞いてもらいたいと思っても、物理的に家族はいても家族は甘えられる対象ではない、むしろ旦那に話をしようものなら逆に疲れるだのしのごの言われてケンカの元になるから、だから余計なことは言わないのだそう。
そして、行き場のない気持ちや想いは誰かがいても結局は自分1人でなんとかするしかなく、そうなると最終的にいつも「自己処理」になる。
そのように既婚者たちは言った。
ちなみに自己処理が積み重なった結果、友達の1人は医者通いしないといけなくなったぐらいに体の一部に異変をきたした。
何でも口にするタイプの友達が体を悪くしたというのが本当に驚いた。
結婚しても夫婦の関係は出来上がるものじゃない。
ましてや寂しさや心許なさが薄まるということはないと改めて知った。
ふと、私は気付いたことがある。
私はどんなに強烈な状況下にあっても、男の人に甘えたいとならない。
何でもかんでも自分1人で何とかしようとしたり、1人で抱え込む方が楽だと思っている節がある。
甘えるのも本当に下手くそだし、自分の本音を上手く伝えられない。
そして、くだんの友達が言うように、いざ出会いがあって相手が気に入ってくれても、自分側が同じ温度で相手を想えないことや相手が気に入ってくれていても自分側がその人と結婚したいと思わなければ重たく感じることもあって、色々上手くいかないと説明していた。
そこまで聞いて、あれは本当に奇跡的な出逢いだったんだと改めて思った。
理性も常識もぶっ飛んで一緒にいたいと思える人と出逢えるなんて本当に普通にないことなんだと知った。
それってすごくしあわせなことなんだと思えた。
結果はどうあれ、この年になってそんな人と出逢えることがすごいと感じた。
行きも帰りもその人の誕生日のナンバープレートを見かけた。
行きは目の前を走る車がそうで、帰りはゴチャゴチャした道で対向車を優先させるのに止まった場所からちょうど見える位置に車が1台止まっていて、その車がそうだった。
年内はあと出かけない予定だし、年明けも今のところ家にこもる予定でいる。
しばらくは外に出ないだろう時に、そうやってその人の誕生日のナンバープレートをタイミングよく2台も見れて、今年も無事に年を越せそうだと思えた。
年の終わりにそのようなラッキーアイテムを見れて、それだけで私は気持ちが上向いて明るくなれた。
こういうところは自分のおめでたいところだと感じる。
その人から一緒に過ごしたいと思ってもらえた女の人たちというのは何と羨ましいことかと思うけれども、自分はそういうのは手に入らない代わりに、自分の気持ちを立て直したり温めたりする方法を手に入れることがもしかしたらしあわせに繋がるのかもしれない。
私のしあわせ定義とズレているだけで、本当はそれが大事なのかもしれない。
今でもその人の人生の中に自分もいたかったと思うし、一緒に時間を重ねたかったなぁと思う。
でも叶わないなら叶わないで、誕生日のナンバープレートを見て今年1年の締めもバッチリと結論付けられる自分は凄いし、暗く沈んでいるよりも頭の中お花畑みたいな明るい方が良い。
音楽イベントも格闘技も年越しそばもお雑煮もおせちも年賀状も、ありとあらゆる年末年始の1ページに私は加われないけれども、距離も時間も関係なく好きなように自分の気持ちを愛でられるのはある意味とっても恵まれていてしあわせなのかもしれない。
2019/12/30 21:43
結局のところ、読み返すとすごい毒吐きはしなかった。
毒吐き的な言葉や想いが一番強く渦巻いていた頃(クリスマスが終わったあたりだったと思う)、私はやるせなさと悔しさともどかしさみたいなのがあった。
ブログが届くと知った私は、さらに自分の欲を強めた。
2年前の秋の私は、ブログが届くなんて全く考えられなかった。
どんな確率かと思った。
ゼロに近い確率に賭けた。
たしかに私は文章を書くことに苦手意識はないし、普段から私生活でも仕事でもあれこれ記録することに慣れていたから書き続けることに対してできるかな?みたいな不安は一切なかった。
なかったけれども、書けるからと言って書き続けられるわけじゃない。
書き続けるには、それを支えるだけの気持ちがないと実行できない。
力を出す時に、どの部分を使っているのかを見る。
何とも重たい話かもしれないけれども、その人にまつわる何かを書く時の私は全身全霊という言葉がぴったりで、そうなってしまうくらいに「どうか届きますように」と超真剣に祈りながら書いている。
それがいつしか「届いたらいいな」から「届いているかもしれない」へ、そして「確実に届いている」に変わっていった。
今でも忘れられない。
2年前にその話をその時仲良くしていた子にした時に、「そんなことってある?何でそう思えるの?」と言われた時があった。
本気で悔しかった。
だけど、私が信じられたのは、その小さな可能性に賭ける自分の気持ちだけだった。
どんなにおかしいと思っても、私にはそれしか信じられるものがなかった。
魂の関係云々も、本当にそうだと知るのはもっと後の話で、それだって今も半信半疑みたいな気持ちもある。
その小さな可能性に賭けた私の願いが本当に叶って2年ほど。
欲とは恐ろしいものでもっと欲しくなる。
ブログを読んでくれるのなら、連絡くれてもいいじゃん!とまた勝手なことを思ったりする。
なんなら少しくらい会う時間を作ってくれてもいいのに…みたいな。
ちなみに私には何の記事がよく読まれるかまでわかるから、ついでに注文を付けると、他の記事たちももっと読んでくれたらいいのにな、なんて贅沢なことを思っていたりもする。
あまりにもたくさん読まれているものに関して、私は1〜2ヶ月に1回、自分でも読んでみようと試みている。
自分で書いといてなんだけど、最後まできちんと読めたためしがない(途中で飽きたり、長いと思って流し読みを私はする)。
どれも何がそこまで面白いのかさっぱりわからない。
そのわからない面白さよりも私書き手としては、こっちの方をもっと読んで欲しいのに…なんて思っていたりもする。←自分で自分が超面倒くさい。
今日、友達と会った後にハイスペ男子から連絡が来た。
私の知っている人の中で5本の指に入るハイスペ男子だと思う。
ハイスペ男子からは、共通の友人に会って私の話が出てきて、私の消息が気になりますとあった。
ハイスペ男子はその後続けて、ダウジング的なことはどうなったかも聞いてきた。
ハイスペ男子とやりとりして、その人も実はそういう変わったジャンルの変わった人に興味がある1人なのかもしれないと思った。
その人は私じゃなくて私の変わっていることに興味があるだけなのかもしれないな…なんて思った。
ここ最近、友人ノムから私の世間ズレしている「異端」と呼べるものが具体的にどういうものかの説明を何回かに分けて伝えてもらった。
内容は割愛するけれども、それは異端であると同時にそれを見た人たちからすると忘れられないことにもなったりする、というようなことを教えてくれた。
その人からしても私は異端だったのかもしれないし(一応普通の社会人風は装っていた)、それこそそういう意味でインパクトがあって印象に残る人なのかもしれない。
いずれにしても、ブログはどういうわけか届くようになって、今という時を迎えている。
これが一般的な人なら、何でごはんを一緒に食べるのは断ってブログは読むの?何なのそれ?となると思う。
私はその辺りそんな風には考えなくて、ごはんはごはん、ブログはブログ、もっと言うと2年前は2年前・今は今と思っている。
だから今から連絡1つあったのなら私はスーパーウェルカムだし、ごはん行こうなんて言われたら私は喜んで出かけていく。
あと、気になるのかもしれないから情報提供すると。
私が東京でホロスコープを受けた先生は、「リマーナすず」先生。
占星術講座の先生で個人鑑定もされているのが「桐吉謳子」先生。
すず先生の方は予約して受けれるのが1ヶ月先とかになるかと思う。
桐吉先生は春先まで骨折の自宅療養中で、それまでは鑑定休止と言っていたけれども、ゴールデンウィークの頃には鑑定を再開するかなと思う。
2人とも変わってなければ90分4500円で、対面だけじゃなく電話対応もしてくれる。
万が一武士俣鑑定希望なら、個人的に連絡くださいだし。
話を戻そう。
私は自分の気持ちが変わることを願ったりもしたけれども、これからだっていつ何時それを願うか知らないけれども、それでも少なくとも私は連絡が欲しいのも時間が欲しいのも全く変わらずにここまで来てしまった。
ブログは見つけてもらえたことも相変わらず嬉しいし、読んでくれてありがとうと思っている。
どんな気持ちで読んでくれているのか興味津々だし他にも聞いてみたいことはたくさんあるけれど、それがいつか本当に聞ける瞬間が訪れたのならとっても嬉しいし、そんな日が本当に来たのなら夢のようだなと思う。
私は常に一方的で、その人にはこの一連のことがどんな風に映っているのかを知らない。
だけど、私が色んなことを思ったり感じたりしたように、その人だってその人にしかわからない思いや感じがあったと思う。
いつかその人の時間軸と私の時間軸がもう一度交わることがあったのなら、本当に素敵だなと思う。
交わり方も第一希望は何回も何回も普通にやりとりできるようになることだけど、それがたった一度超ショートメールとか超ショートタイム的なやりとりでもいい。
このよくわからない状態に私も悶々とはするけれども、でもそれをネチネチと言ったり責めたりする気持ちはない。
私にとっても訳が分からないように、その人にしてみても訳が分からないこともたくさんあったんだろうと思う。
結局聞かずじまいで終わったけれども、その人のことを一言も話に出したことがないのに、その人がどういう人かということを突然私に伝えてきた霊視ができるヒーラーさんに去年の今頃だったと思うけれども、言われたんだった。
ヒーラーさんいわくあまりにも特殊な関係らしく、本人はただただ混乱するばかりで自分じゃ事の次第や何がどうなってるかなんて説明できないと思います、って。
本人からしても「これは何なんだ??」となって全く理解できない状態なんじゃないかと、この辺りは霊視して言っているのかヒーラーさんの個人予測で言っているのかわからなかったけれども、そのように言っていた。
だからホロスコープの記事をたくさん読むのかしら。
変な関係だよねー、なんかよくわかんないよねー、と言い合えたらどんなに良いかと思う。
これでこのことをこの記事の中で書くのはおしまいにするけれども、そもそも書こうと思ったのは、私のスタンスや気持ちを明らかにしようと思って書き始めたんだった。
覚悟を決めたと言ったのは、そこだった。
きちんと自分の意志表明をしようと思った。
かなり恥ずかしいけれども、何考えてるのかわからないではなく、せめて「私の考えはこれこれこうです」とわかるようにしておきたいと思った。
連絡は年中無休で待っているし、無視したり辛辣な返信をしたりもしない。
連絡が欲しいし、本当にやりとりできるようになったら良いなと思っている。
重たいと思われてもおかしくてぶっ飛んだ人と思われてもいい。
そのどれでもいいから、いつかのタイミングでやりとりできますように、とまた今年の年の瀬も一夜明けて新年迎えてもそう願うだろう。
今年1年も私は心の支えとしてその人のことがあったのは変わらずだった。
色々思うけれども、そういう人を心の中でもそっと持てるというのは本当に幸運なことだと感じている。
今年1年もありがとうございました。
おかげさまでなんとかなった1年。
ありったけの感謝を込めて。
2019年大晦日
(完)
嬉しい言葉をもらった。
本当に嬉しかった。
だけど、脳内ではお願いしなくても別のテーマとその言葉を重ね合わせる。
同じ土俵に乗せること自体おかしいのもわかっているし、またもや妄想炸裂みたいな話なのもわかっている。
でも、自分がずっとこんなことを続けるのかと思うととてもしんどいし、とにかく外に出してしまいたい。
また何も起こらないと思っている。
だけど、こんなのをまた来年も自分の中で続くのかと思うと、自分の中の何か大切な部分がシクシク、チクチクと痛みを覚える。
すべてはなるようにしかならない事もよくよくわかっている。
起こらないことはどこをどうやっても起こりようがない。
だけど、そうだといくら頭で考えても納得できないものは納得できない。
書いたからと言って納得できないこともわかっている。
書くから納得できた!とならなくても、「伝える」ことでせめてもの納得を得ようと思っている。
一体全体私は何をしているのだろう…と思うけれども、もうどうやっても色々おかしいから、そのおかしいことや納得できないことをせめて100から99に減らせないかと奮闘して書く。
自分の欲深さや業も丸出しでかなり恥ずかしいことではあるけれども、そうやってしても伝えたいから書く。
2019/12/23 お昼過ぎ
上の続きを書く前にもう1つ付け足してから話をしたい。
これを書く前に『職場の風景』と題したブログを先にアップした。
時系列で言うと。
23日……激情型
24〜25日……穏やか型
26日……覚悟型
と同じ内容に触れるにしても変わっている。
まずは、激しい気持ちが、どちらかと言うと責めたくなるようなそういう手の激しさがドバドバと自分の中から出てきた。
それはこの後書く。
そして、何がきっかけかもはや忘れたけれども、途中からは穏やかな気持ちに推移した。
その穏やかな気持ちで書いたのが過去の職場で私が見ていた風景だった。
その後、本当に書くかは今の段階ではわからないけれども、年末年始を迎えるにあたって毎年恒例のごとく自分の中に強い余波を残しているものと、じゃあそれはそうと私がどうしたいのかを書けたらいいと思っている。
自分の本心を口にすることは、覚悟を問われる。
今日は〇〇が食べたいなみたいな話は緊張も何もないけれども、自分の気持ちや考えを言うのは覚悟がいる。
焦っているのとは違うけれども、来年2020年の自分のことを想像する時に、来年はもっと色んなことを言えなくなるかもしれない…と思う。
これだけ言ってもダメなものはやっぱりダメだから、ダメならダメで自分の気持ちの軸を少しずつ変えたい。
2019/12/26
年末年始は少し気持ちが重たい。
2年前、聞いてもいないその人の年末年始の恒例行事的な約束を知った。
その人はライブなのか音楽フェスなのかに出かけるらしかった。
1人じゃない。
相手がどんな人かまで、なぜか情報はやってきた。
聞いてもいないその情報は、真偽のほどはわからなくても私を大きく打ちのめした。
ちなみに、実際の関係性は知らないけれども、2年前の年末年始は面白いことが起きた。
その話を聞いた瞬間からそのことがずっとずっと頭にあって、気がおかしくなりそうだった。
さらにその時は魂の関係について暇さえあれば毎日調べていたから(毎日毎日、仕事行っていたにも関わらず最低1時間以上はやったと思う)、そうした情報だけはものすごい勢いで吸収していった。
調べた中で、そうした魂の関係の強い人に出会うのは、霊性開花のためとあって、私はそんなのは本気でいらなかったし、何が悲しくて一緒にもいられなければ、さらに本人はもういないのにどうしてそういう余計な情報まで来るのかと思っていた。
一緒にいられなくてもせめて情報はいらない。
苦しいことばかりが続いて、霊性開花なんぞくそくらえぐらいに思っていた
霊性なんかいらないから、その人と会える時間をくださいと思った。
そしてどういうわけか聞いていないのに知ってしまったその人の個人の予定なんか、記憶ごと消し去ってください、と本気の本気で願った。
1年の垢落としに天然温泉が良いと聞いて実際に出かけたけれども、温泉に入ろうが記憶など抹消されるわけもなく、悶々とする気持ちは続いた。
自分でも、認めたくなかったけれども、自覚は少しずつあった。
不思議なシンクロとか、とにかく私が自分の道にきちんと進むような、それらのメッセージを伝える人たちが次々に現れていた頃でもあって、色々普通じゃないことは気付いていた。
今(2019年)はまだかなりマシになったけれども、当時は今以上に反発も強ければ、絶対に信じない、自分の希望が何も叶わないのに何でそのわけのわからないことばかりが起こり続けるのか、そんなのは気のせいだと思おうとした。
そして、その人の年末の予定を聞いて、ますますその人と私とは何の関係もなくすべて自分側の一方的な気持ちや出来事だったんだと全力でそのように結論付けようとしていた。
というそんな時に、奇跡は起きた。
温泉に行く時も私は迷子になって(iPhoneでマップを見て進んだにも関わらず)、私は帰りはペンジュラムに聞いて進んだらどうかと思った。
そんなこと一度もしたことがなかった。
自分の気持ちはブレブレだし、メンタルは叩きのめされているし、色々ダメだと思って、ペンジュラムには何の期待もしなかった。
だけど、私はその時おかしなことを思った。
「もし本当の本当にその人が縁のある人なら、私にそうだとわかるサインを見せて欲しい」
大真面目にそう願ってからのペンジュラムを使っての運転だった。
ペンジュラムの道案内は本気で凄まじかった。
民家が建ち並ぶ道や見知らぬ地元民しか知らなさそうな道をバンバン案内された。
ペンジュラムまで狂ったと私なんかは思った。
最悪iPhoneでナビしたらいいと思っていたから、ペンジュラムへの期待もほぼほぼゼロで、まさかペンジュラムが道案内をしてくれるわけない、その人もその人の人生をいくから、その人と私とが交わらないように、ペンジュラムも道案内なんて芸当をするわけないと思った。
どこをどう走っているのかもわからず走っていたら、なんとお目当てのコンビニのある大きな国道の交差点に出た。
本当に驚いた。
ペンジュラムはまさかの道案内を完璧にして、しかも私が肉まんを買いたくて行きたいと思ったそのコンビニをピンポイントで案内した。
同じ道を走れと言われても私は同じ道を走れないし、夜だったから余計とどこをどう走ったのか知らない。
ペンジュラムはその時単なる道案内をしたんじゃなかった。
私がもう何も信じない、関係なんてあるわけない、すべて自分の勘違いで何か激しすぎる思い込みでひと夏が存在していて、その夏にたまたま相手の人がいるだけだった、相手の中から私は消えただろうし、相手は相手で新しい生活が始まっているから私はもはや何の人でもない、それがすべてだと思った。
そう思った矢先のペンジュラムの道案内で、ペンジュラムは完璧すぎるパフォーマンスを目の前で披露してくれた。
絶体絶命とは違うけれども、本当に何かを信じることも怖ければ、すべて否定して自分をなだめるくらいしか方法が思い浮かばなかったその時に、ペンジュラムは奇跡を見せてくれて、そっと私に寄り添うようにそこにいてくれた。
今でもあれが何かなんて言葉では説明できないけれども、ペンジュラムはそんな風にパワーアップする時は、どういうわけかその人が絡んでいる。
何でそうなのかは知らないけれど、実際にそうなっている。
その時に少し気持ちが落ち着いた私は、肉まんを買い終わると、今度はすぐ近くの大きな川の前の駐車場を目指した。
私にしたらすべてが始まった場所だった。
その川の駐車場は、その人の転勤を私の当時の教育係から聞かされた日の昼休みに行った場所だった。
ごはんに誘われたことが本当に嫌だったようで、あからさまに嫌そうな態度を目の前で見て、私はもうそっとしておこうと思っていた。
仕事に超行きにくかったけれども、元々仕事上絡みがなかったからそっとしておけば良いと、それで表面上だけでも穏便にできると考えた。
その2日後の朝、転勤を聞かされて、私は茫然自失となった。
その日の昼休みこそ、ペンジュラムが初めて新しい動きを見せてくれた時だった。
ペンジュラムの動きは決まっていて、当時は時計回りのYESと縦揺れのNOしかなかった。
それ以外の動きをしたことないって知っていたから、私はわざとそのペンジュラムを使って賭けに出た。
他の動き方を絶対にペンジュラムはしないって100%確信していた。
もしペンジュラムが見たこともない動きをしたのなら、私は自分の気持ちに従って動こうと思った。
そんなこと起こるわけないと知って、それでペンジュラムを手に取ってペンジュラムの動きを見たのが、その川の近くの駐車場でだった。
そこでペンジュラムは予想だにしなかった動きを披露して、そしてそこが私にとっての転機となった。
ペンジュラムがそのような新しい動きを見せてくれなければ、私はその後実際に動いたようには動かなかった。
その人が1人でいそうなところを狙って話しかけに行ったり(←撃沈)、嫌がらせみたいな長さの手紙を書いて渡したり、そういうおかしなことはしなかった。
その時のことがなければ、私は多分今は全く違う人生を歩んだと思う。
ペンジュラムがナビを完璧にしてくれたことで、私はそのさらに3ヶ月以上前に起こった新しいペンジュラムの動きを見た川へと出かけた。
この話には起承転結はないけれど、2年前の年末の風景は今も強烈に自分の中に残っている。
すごく悶々としていた自分と、その人がいたことで私側の人生のあれやこれやのスイッチが入ることを色々思った。
まさかその時、当時のことがその後2年もズルズルといくなんて、想像さえしていなかった。
*
「もし俺があと20若かったら、おまえさんに結婚を申し込んでた。
俺は女遊びはたくさんしてきた。
してきたけれども、翌日になると忘れる。
全部忘れる。
でもおまえさんは違う。
おまえさんは美人じゃない。
だけど、会うと翌日も印象に残る。
こう、何て言うかな、自分の中に残る」
これはクリスマス前の週末に米の仕事で知り合ったヨシダさんと飲んだ時に言われた言葉だった。
ヨシダさんから預かった農業の資料を作り終わったから、それを渡すのと一緒にヨシダさんが飲もうと誘ってくれてた。
これは単純に言われて嬉しかった。
私は美人じゃないし、男の人たちが遊びたくなるようなそういう女の人ではない。
ヨシダさんは70歳で、70歳からしたら40歳の私は若いだろうし、その差がこうした言葉を引き出せたのかもしれない。
そこにプラスして、私がするヨシダさんの資料作りはヨシダさんにとって想定外のことだった。
ヨシダさんが思っていた以上のことをどうやら私はしているらしい。
「ここまでしてくれるとは思ってもみなかった」と何度言われたかわからない。
そういう諸々がプラスアルファであったから、言われた言葉だったのかもしれない。
誰かの中に印象に残るというのは、とっても嬉しいことだった。
ヨシダさんはこうも言った。
「おまえさんはまだ飲み足らない」
そう言ってもっと飲めと言ってきたのだけれど、私が十分に飲んでるから大丈夫と言うと「いやいや、まだまだだ」とヨシダさんは言う。
ヨシダさんいわく、
「おまえさんは飲むとほんのり顔が赤くなる。
今日はまだ赤くないから、だから飲み足らない」
とのことだった。
そんなこと、飲むようになった年齢の頃から初めて言われた。
私はいわゆる酒豪、ザルと呼ばれるアルコールガンガンいけるタイプで、これまで色んな人たちと飲んできたけれども、誰もそんなこと私に言ってきたことがなかった。
飲んでもほぼ普段と変わらないし、たとえ多少上機嫌というか少しばかりテンションが高くなっても、絡むとか泣き出すとか怒り出すとか触るとか、そうした厄介なことは一切しないし、飲めば飲むほど相手側が深い話ができたりもするから、私はこれまで何人かの男友達や職場の男性たちから「一緒に飲みやすいし、楽しく飲める」と言ってもらえた。
実際に相手の人たちが酔い潰れても私は平気なんてこともざらにあるから、飲んで可愛く酔える女の人たちがある種羨ましく、あんなのは私は飲んでてもシラフとほとんど変わらないから、絶対に酔ったフリとか相手に擦り寄るとか絶対にできない。
飲める男の人たちと同じペースで飲めてしまうし、酔わないしで、飲んでいる時に何か私の変化について言ってきた人は、ヨシダさん以外には誰もいなくて、だからヨシダさんがが初めてだった。
しかももっと言うと、それは相当きちんと見ないとわからないことで、普段私は「飲んでも顔色ひとつ変わらないね」と言われるから、本当によく見ないとわからないことだと思う。
そんなやりとりがあって、2つのことを思った。
1つには、癒された。
ヨシダさんと会う数日前のことだったと思う。
職場であまりにもわからない内容を英訳する関係で、依頼者の設計男子が私と私の教育係の2人を連れて製作現場に行って具体的なものを見せて説明してくれた時があった。
今の職場には数百人従業員がいるかと思うけれども、女性はどんなに多く見積もっても数十人しかいない。
「女というだけで珍しい」みたいな環境下で、特に製作現場は99%男と言っても過言じゃない。
そんな場所へと行った。
設計男子の知り合い的な人たちに途中会った。
本当は見せたかった機械が1つも見当たらず、どうしたのかを設計男子は聞いていた。
その人たちいわく、みんな出荷されて出払ったとのことで、その短いやりとりの間の本当に小さなことだった。
3〜4人ほどいた男の1人の人が、話そっちのけで私の頭からつま先まで一巡して品定めするかのように見ていた瞬間があった。
それが好意的な視線とは違っていて、ブスだと言いたいのか、あの体型無いわと思っているのか、真相はわからないけれども、決してそれをされた側は気持ち良くはいられないタイプの視線だった。
こんなこと滅多に起こらないけれども、その時の私はその様子を見て少なからず傷ついた。
言葉にすると伝わりにくいけれども、好意的ではない、悪意とも違うけれども、品定め的な感じで見られるのが本当に嫌だった。
私の教育係の女の子みたいな可愛さや可憐さはなく、そちらと比べたら同じ女として私側はかなりいたたまれなくなる。
私は心底嫌だったけれども、人としてましてや社内の人なわけだから変な風にもできないから、他の人たちにするように会釈して、顔も相当表情に気をつけて笑いはしないけれどもそこそこ愛想良くするくらいのことはした。
でも内心は、本当に嫌で、あの目線1つに傷付いた私がいたのも本当だった。
そんな風なことがあった後のヨシダさんの言葉で、本当に嬉しかった。
ヨシダさんの言葉は好意的に見てもらえてることが伝わってきたし、同じ見るでも全然中身は違う。
ヨシダさんの言葉を振り返った時に、もしかして…と、少しよりもかなり、期待したことがあった。
ヨシダさんは私のことを「印象に残る」と言った。
もしかして、その人にとっても私は印象に残る人となったのかもしれない。
美人ではないし、その人の好みやタイプは知らないけれども、何も私をより好むなんてことは考えられない。
だけど、私という人物そのものは何かしら印象に残ったのではないかな…と思った。
本気で私が受け付けられなければ、私の書くこの文章をその人は読まないと思う。
ごはん行くとかはごめんでも、ブログを読むのは嫌ではないのだとするなら、ヨシダさんが言うように「印象に残る」ものを私が持っている、と思ってもいいのかもしれない。
心には残る、私の立ち位置はそういうものなのかもしれない。
ましてや魂の関係なら、余計とそうなんだろう。
なんだかよくわからないけれども、とにかく何かしら余韻が残る。
そういう感じの存在なら、なんとなく今の状況もこの2年ほどの状況も納得がいく。
別にブログを読むだけなら、形ある関係性は要らないし、そんなのなくても自分の読みたい時に読みたいものを読みたいペースで読めばいいわけだから、そういうことなら今の状況は、私の中で納得はできないけれども説明としてわからなくもない。
これはその人とは関係ないけれども、ヨシダさんみたいな感じで私を見てくれる人と一緒になりたいと思った。
私は美人とかスタイルが良いとかでもなければ、ある時はズバッと物を言って男の人たちの怒りの琴線に引火したり(←悪意はないけれども、私の無知さや世間ズレな部分が成果とか肩書とかを重視する男の人たちを過去に何人か怒らせた)、女子力も高くなければ、格好も適当、太ってもダイエットしないし、色々抜けてるところや欠点となるところを挙げたらキリがない。
だけど、自分という人間そのものに興味を持ってもらえるとか、飲んだ時の小さな変化に気付いてもらえるとか、そういうのは嬉しい。
外見的なものやふるまい的なもので勝負などはなからできない私は、そういう「個性」と呼べるべき部分を見てくれる人となら、相手の人も私と楽しく一緒にいられるだろうと少しは思う。
私に美貌だのスタイルの良さだの目に見える女子力だのを求められても、残念すぎるくらいに何も提供できない。
相手の人が私と一緒にいられて良かったなどと思ってもらうには色々ハードルが高いものがあるから、だから私に興味のある人とならその人も私といられて良かったと思ってもらえるかな…と想像する。
もし残りの人生でそんな人と出会えたとするなら、それは人生最大の奇跡になるなぁと今から想像している。
ここからが毒吐き本番。
ヨシダさんの言葉を後から振り返った時に、どうしてその言葉を私は言って欲しい人から言ってもらえないのだろう…と思った。
結婚を申し込まれたいとかそんなハードルの超高いものではなく、一緒に飲みたいでも時間を過ごしてみたいでもそのように思ってもらえないことがもどかしかった。
すごい悔しいと感じることもある。
ブログは読んでくれるのになぁ……、会うのや連絡するのはそんなに嫌なのかと思ったら本当にやるせない。
これを書いている今、超激情に呑まれていた時のようにはもう書けなくなっている。
毒という毒が次から次へと出ていた。
それが今は出てこなくなった。
2019/12/30
年の瀬も迫る今、今年のうちにアップしたいものはアップしようと思っている。
ご縁が無いというのはどうにもならない。
それは願ったり祈ったりしたら手に入るものじゃ絶対にない。
今日の昼間、高校からの友達に会ってきた。
みんなそれぞれ生きている世界は違うものの、今も繋がっている超希少な関係にある。
その中の1人が最近あった出会いについて話をした。
友達が婚活的な出会いの場に出かけた理由は、色々あった時に誰かに甘えたい、そう思って行ってきたとのこと。
そして、いざ1人の人とやりとりが始まったら、相手の求めているものが自分にとって重たいもので、自分は今の今、すぐに結婚したいのとは違うと気付いた、と言っていた。
既婚者たちはさらにすごい言葉というか、リアルな日常を教えてくれた。
「自己処理」
要は、色々重なって誰かに甘えたい、話を聞いてもらいたいと思っても、物理的に家族はいても家族は甘えられる対象ではない、むしろ旦那に話をしようものなら逆に疲れるだのしのごの言われてケンカの元になるから、だから余計なことは言わないのだそう。
そして、行き場のない気持ちや想いは誰かがいても結局は自分1人でなんとかするしかなく、そうなると最終的にいつも「自己処理」になる。
そのように既婚者たちは言った。
ちなみに自己処理が積み重なった結果、友達の1人は医者通いしないといけなくなったぐらいに体の一部に異変をきたした。
何でも口にするタイプの友達が体を悪くしたというのが本当に驚いた。
結婚しても夫婦の関係は出来上がるものじゃない。
ましてや寂しさや心許なさが薄まるということはないと改めて知った。
ふと、私は気付いたことがある。
私はどんなに強烈な状況下にあっても、男の人に甘えたいとならない。
何でもかんでも自分1人で何とかしようとしたり、1人で抱え込む方が楽だと思っている節がある。
甘えるのも本当に下手くそだし、自分の本音を上手く伝えられない。
そして、くだんの友達が言うように、いざ出会いがあって相手が気に入ってくれても、自分側が同じ温度で相手を想えないことや相手が気に入ってくれていても自分側がその人と結婚したいと思わなければ重たく感じることもあって、色々上手くいかないと説明していた。
そこまで聞いて、あれは本当に奇跡的な出逢いだったんだと改めて思った。
理性も常識もぶっ飛んで一緒にいたいと思える人と出逢えるなんて本当に普通にないことなんだと知った。
それってすごくしあわせなことなんだと思えた。
結果はどうあれ、この年になってそんな人と出逢えることがすごいと感じた。
行きも帰りもその人の誕生日のナンバープレートを見かけた。
行きは目の前を走る車がそうで、帰りはゴチャゴチャした道で対向車を優先させるのに止まった場所からちょうど見える位置に車が1台止まっていて、その車がそうだった。
年内はあと出かけない予定だし、年明けも今のところ家にこもる予定でいる。
しばらくは外に出ないだろう時に、そうやってその人の誕生日のナンバープレートをタイミングよく2台も見れて、今年も無事に年を越せそうだと思えた。
年の終わりにそのようなラッキーアイテムを見れて、それだけで私は気持ちが上向いて明るくなれた。
こういうところは自分のおめでたいところだと感じる。
その人から一緒に過ごしたいと思ってもらえた女の人たちというのは何と羨ましいことかと思うけれども、自分はそういうのは手に入らない代わりに、自分の気持ちを立て直したり温めたりする方法を手に入れることがもしかしたらしあわせに繋がるのかもしれない。
私のしあわせ定義とズレているだけで、本当はそれが大事なのかもしれない。
今でもその人の人生の中に自分もいたかったと思うし、一緒に時間を重ねたかったなぁと思う。
でも叶わないなら叶わないで、誕生日のナンバープレートを見て今年1年の締めもバッチリと結論付けられる自分は凄いし、暗く沈んでいるよりも頭の中お花畑みたいな明るい方が良い。
音楽イベントも格闘技も年越しそばもお雑煮もおせちも年賀状も、ありとあらゆる年末年始の1ページに私は加われないけれども、距離も時間も関係なく好きなように自分の気持ちを愛でられるのはある意味とっても恵まれていてしあわせなのかもしれない。
2019/12/30 21:43
結局のところ、読み返すとすごい毒吐きはしなかった。
毒吐き的な言葉や想いが一番強く渦巻いていた頃(クリスマスが終わったあたりだったと思う)、私はやるせなさと悔しさともどかしさみたいなのがあった。
ブログが届くと知った私は、さらに自分の欲を強めた。
2年前の秋の私は、ブログが届くなんて全く考えられなかった。
どんな確率かと思った。
ゼロに近い確率に賭けた。
たしかに私は文章を書くことに苦手意識はないし、普段から私生活でも仕事でもあれこれ記録することに慣れていたから書き続けることに対してできるかな?みたいな不安は一切なかった。
なかったけれども、書けるからと言って書き続けられるわけじゃない。
書き続けるには、それを支えるだけの気持ちがないと実行できない。
力を出す時に、どの部分を使っているのかを見る。
何とも重たい話かもしれないけれども、その人にまつわる何かを書く時の私は全身全霊という言葉がぴったりで、そうなってしまうくらいに「どうか届きますように」と超真剣に祈りながら書いている。
それがいつしか「届いたらいいな」から「届いているかもしれない」へ、そして「確実に届いている」に変わっていった。
今でも忘れられない。
2年前にその話をその時仲良くしていた子にした時に、「そんなことってある?何でそう思えるの?」と言われた時があった。
本気で悔しかった。
だけど、私が信じられたのは、その小さな可能性に賭ける自分の気持ちだけだった。
どんなにおかしいと思っても、私にはそれしか信じられるものがなかった。
魂の関係云々も、本当にそうだと知るのはもっと後の話で、それだって今も半信半疑みたいな気持ちもある。
その小さな可能性に賭けた私の願いが本当に叶って2年ほど。
欲とは恐ろしいものでもっと欲しくなる。
ブログを読んでくれるのなら、連絡くれてもいいじゃん!とまた勝手なことを思ったりする。
なんなら少しくらい会う時間を作ってくれてもいいのに…みたいな。
ちなみに私には何の記事がよく読まれるかまでわかるから、ついでに注文を付けると、他の記事たちももっと読んでくれたらいいのにな、なんて贅沢なことを思っていたりもする。
あまりにもたくさん読まれているものに関して、私は1〜2ヶ月に1回、自分でも読んでみようと試みている。
自分で書いといてなんだけど、最後まできちんと読めたためしがない(途中で飽きたり、長いと思って流し読みを私はする)。
どれも何がそこまで面白いのかさっぱりわからない。
そのわからない面白さよりも私書き手としては、こっちの方をもっと読んで欲しいのに…なんて思っていたりもする。←自分で自分が超面倒くさい。
今日、友達と会った後にハイスペ男子から連絡が来た。
私の知っている人の中で5本の指に入るハイスペ男子だと思う。
ハイスペ男子からは、共通の友人に会って私の話が出てきて、私の消息が気になりますとあった。
ハイスペ男子はその後続けて、ダウジング的なことはどうなったかも聞いてきた。
ハイスペ男子とやりとりして、その人も実はそういう変わったジャンルの変わった人に興味がある1人なのかもしれないと思った。
その人は私じゃなくて私の変わっていることに興味があるだけなのかもしれないな…なんて思った。
ここ最近、友人ノムから私の世間ズレしている「異端」と呼べるものが具体的にどういうものかの説明を何回かに分けて伝えてもらった。
内容は割愛するけれども、それは異端であると同時にそれを見た人たちからすると忘れられないことにもなったりする、というようなことを教えてくれた。
その人からしても私は異端だったのかもしれないし(一応普通の社会人風は装っていた)、それこそそういう意味でインパクトがあって印象に残る人なのかもしれない。
いずれにしても、ブログはどういうわけか届くようになって、今という時を迎えている。
これが一般的な人なら、何でごはんを一緒に食べるのは断ってブログは読むの?何なのそれ?となると思う。
私はその辺りそんな風には考えなくて、ごはんはごはん、ブログはブログ、もっと言うと2年前は2年前・今は今と思っている。
だから今から連絡1つあったのなら私はスーパーウェルカムだし、ごはん行こうなんて言われたら私は喜んで出かけていく。
あと、気になるのかもしれないから情報提供すると。
私が東京でホロスコープを受けた先生は、「リマーナすず」先生。
占星術講座の先生で個人鑑定もされているのが「桐吉謳子」先生。
すず先生の方は予約して受けれるのが1ヶ月先とかになるかと思う。
桐吉先生は春先まで骨折の自宅療養中で、それまでは鑑定休止と言っていたけれども、ゴールデンウィークの頃には鑑定を再開するかなと思う。
2人とも変わってなければ90分4500円で、対面だけじゃなく電話対応もしてくれる。
万が一武士俣鑑定希望なら、個人的に連絡くださいだし。
話を戻そう。
私は自分の気持ちが変わることを願ったりもしたけれども、これからだっていつ何時それを願うか知らないけれども、それでも少なくとも私は連絡が欲しいのも時間が欲しいのも全く変わらずにここまで来てしまった。
ブログは見つけてもらえたことも相変わらず嬉しいし、読んでくれてありがとうと思っている。
どんな気持ちで読んでくれているのか興味津々だし他にも聞いてみたいことはたくさんあるけれど、それがいつか本当に聞ける瞬間が訪れたのならとっても嬉しいし、そんな日が本当に来たのなら夢のようだなと思う。
私は常に一方的で、その人にはこの一連のことがどんな風に映っているのかを知らない。
だけど、私が色んなことを思ったり感じたりしたように、その人だってその人にしかわからない思いや感じがあったと思う。
いつかその人の時間軸と私の時間軸がもう一度交わることがあったのなら、本当に素敵だなと思う。
交わり方も第一希望は何回も何回も普通にやりとりできるようになることだけど、それがたった一度超ショートメールとか超ショートタイム的なやりとりでもいい。
このよくわからない状態に私も悶々とはするけれども、でもそれをネチネチと言ったり責めたりする気持ちはない。
私にとっても訳が分からないように、その人にしてみても訳が分からないこともたくさんあったんだろうと思う。
結局聞かずじまいで終わったけれども、その人のことを一言も話に出したことがないのに、その人がどういう人かということを突然私に伝えてきた霊視ができるヒーラーさんに去年の今頃だったと思うけれども、言われたんだった。
ヒーラーさんいわくあまりにも特殊な関係らしく、本人はただただ混乱するばかりで自分じゃ事の次第や何がどうなってるかなんて説明できないと思います、って。
本人からしても「これは何なんだ??」となって全く理解できない状態なんじゃないかと、この辺りは霊視して言っているのかヒーラーさんの個人予測で言っているのかわからなかったけれども、そのように言っていた。
だからホロスコープの記事をたくさん読むのかしら。
変な関係だよねー、なんかよくわかんないよねー、と言い合えたらどんなに良いかと思う。
これでこのことをこの記事の中で書くのはおしまいにするけれども、そもそも書こうと思ったのは、私のスタンスや気持ちを明らかにしようと思って書き始めたんだった。
覚悟を決めたと言ったのは、そこだった。
きちんと自分の意志表明をしようと思った。
かなり恥ずかしいけれども、何考えてるのかわからないではなく、せめて「私の考えはこれこれこうです」とわかるようにしておきたいと思った。
連絡は年中無休で待っているし、無視したり辛辣な返信をしたりもしない。
連絡が欲しいし、本当にやりとりできるようになったら良いなと思っている。
重たいと思われてもおかしくてぶっ飛んだ人と思われてもいい。
そのどれでもいいから、いつかのタイミングでやりとりできますように、とまた今年の年の瀬も一夜明けて新年迎えてもそう願うだろう。
今年1年も私は心の支えとしてその人のことがあったのは変わらずだった。
色々思うけれども、そういう人を心の中でもそっと持てるというのは本当に幸運なことだと感じている。
今年1年もありがとうございました。
おかげさまでなんとかなった1年。
ありったけの感謝を込めて。
2019年大晦日
(完)
2019年12月29日日曜日
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おいせさん手帳(ホームページ)
お♡し♡ら♡せ
写真の通り!
人生で初めて自分の名前が刊行物に載った!!!
わかりにくいと悪いから説明すると(♡´艸`)♡
最上部のStaffと出ている上から6番目、staff紹介の1番下の
『協力』
というところ。
全体の中で一番大きな文字の『おいせさん手帳 2020』ってところのすぐ上。
そこに、野村浩平(←ノム)の隣りに「武士俣史子」って出ている!!!
写真を拡大してどうぞ見てくださいませ!!
私の名前を見たところでご利益なんぞ何もないけれど、正真正銘「武士俣史子」の名があったでしょ!!!
一応欲しい人がいるかもわからないから、ワンクリックでポチれるように、Amazonも楽天もどちらも調べてリンク飛べるようにした(笑)!
(リンク不具合で、Amazonのリンク先は削除しました。リンクは外しましたが、Amazonからも注文可能です。2020.1.14)
ホームページも(笑)!
ノムいわく、Kioskなんかでも売っているらしいし、今なら東急ハンズやロフトの手帳コーナーとかにありそうだし。
田舎で東急ハンズやロフトと無縁の地域の方は、わりと大きなTSUTAYAで取り扱いある!(うちから一番近くて大きいところのTSUTAYAの手帳コーナーにあった!)
良かったら見てみてください!
私は1冊は編集者の方からもらえたけれど、もう1冊買おうかどうしようか思案中。
記念品として取っておきたいからそこに直接書き込めなくて、自分が書いた日の分だけは次の1年、何かしら一言直接添えたいから、その日の出来事でもその時にその自分の過去に書いた文章を見て感じたことでも、何かしら書きたいから、それ用に買おうかなと。
中身の見本はおいせさん手帳の紹介ページを見てもらえたら…と思うけれど、ノムと私とが書いた部分の想いの部分を少しだけここでは紹介。
ノムと私は1日一言メッセージみたいなものの40数日分を担当した。
ノムと私とで軸にしたことは、本当に気持ちが沈んだ時にそっと手を差し伸べてくれるもの、そっと寄り添ってくれるもの、今すぐ自分のために自分1人でできること、そういうヒントを発信しよう!だった。
2019.8.8のLINEより
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
<私→ノム>
人生苦行満載だから、常に癒しを自ら求める、その辺りの実体験付きでの癒しのアイディアなら、いくらでも提供できるのに!
素人だから逆に言うと。
ありきたりの知恵ならある種ネットで取り寄せられるじゃんね。
でも、さっきの梅の話も傘の話(注:梅と傘は最初に私がサンプルで作ったメッセージ)もあれ私の実話だから、どこにも書いてないし、でも小さなことだけど、本当に気持ちが沈んでる時とかは梅の匂いだったり雨音だったりにそっと心に手を差し伸べてもらえるんだよね。
ノムもノムならではの実体験や知恵があるじゃんね!それらを2人で出し合って1つの癒しのストーリーができたら、多分見本の金運祈願よりも実際にやってみる人いる気がする!!!
人間目線というか、「今すぐに癒せるよー」みたいなのがあってもいいのかな、って思う。
<ノム→私>
うんうん、そうだよね。あえて本で持っていたいってのは、お守りみたいなエネルギーというか、そういう要素があるものだったりする人も多いと思うし。3分の2は決まっているなら、残りの3分の1弱、ひと月にたぶん8日程度のNEWは、やわらかい部分に届く言葉にできたらいいね。ふーん、ってなる知識、情報じゃなくて、月の自分に届く人間目線のことば。
(注:「月の自分」というのは、一番素の状態になっている時の自分のこと)
<私→ノム>
月の自分に届く人間目線の言葉←胸ズキュンなフレーズ
エネルギーとしては、絶対に伝わると思う!!!
しかも、例えば夏に冬のページを見ても、その場面を想像するだけで何かそこからその人が自分だけのメッセージや思い出を受け取れると思うんだよね。それって単なる手帳ではないし、その人の心の鍵を開けるための1きっかけとかになりえそうだもんね!
<ノム→私>
いろいろありがとう! 盛りだくさん!! まず手帳のことは、ぼくの中で習慣的に「仕事」って即座に分類されちゃってたわけだけど、ぶっしーとやりとりする中で、手帳というのは、その人の相棒みたいな存在であり、秘密を書き、打ち明けられる親友みたいなものでもあり、さらに心の支えみたいなお守り的な存在にもなる特別なものとも言えるんだなあ、と思うようになった。そう手帳捉えてみると、やはり、やっぱり、落ち込んでいる自分をやさしく包むような言葉が書かれていてほしいな、と思う。朝読んだら心が軽やかになるようなそんな言葉。光の言葉✨ こういうぼくたちの感覚を共有、共感できる人だったら、すごくすてきな手帳になりそう🐬
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私の担当した日:
1月14日…蟹座月食後の今
1月17日…心を取り戻す日
1月23日…月読神社大祭
2月5日…立春後、春分に向けて
2月21日…太陽が魚座へ
2月29日…うるう年
3月1日…菜の花の時季
3月25日…牡羊座の新月から一夜明けて
4月2日…桜開花の季節
6月11日…傘の日
6月17日…紫陽花の見頃
7月20日…土用の梅仕事
7月27日…花火大会の時期
7月28日…不動明王の縁日
7月31日…自然とたわむれる日
8月8日…立秋翌日
8月19日…獅子座の新月
8月25日…太陽が乙女座へ
9月4日…くしの日
9月11日…愛をそっと取り出して思い出す日
9月13日…稲刈りの時期
10月21日…一粒万倍日
11月11日…1が4つ並ぶ、再生スタートの日
11月12日…皮膚の日〈い⑴い⑴ひ⑴ふ⑵〉
12月26日…新しい風の時代へ
ノムの担当した日:
1月19日…太陽が水瓶座へ
2月2日…上弦の月
2月26日…母倉日と神吉日
3月13日…比叡の大護摩
4月20日…牡牛座の始まり
4月27日…冥王星が逆行
5月12日…ノードが蟹座から双子座へ
5月21日…太陽が双子座へ
6月2日…横浜港・長崎港 開港記念日
6月3日…測量の日
6月22日…太陽が蟹座へ
7月3日…波の日
8月30日…巳の日
9月24日…太陽が天秤座へ
9月27日…女性ドライバーの日
10月14日…神御衣祭(かんみそさい)
10月28日…牡牛座の満月を前に
11月4日…いいよ「114)の日
11月14日…蠍座の新月を前に
11月20日…射手座を前に
12月12日…清水寺の漢字の日
12月22日…グレートコンジャンクション
12月23日…太陽が山羊座へ
〜未来の構想〜
2020年は、ノムなり私なりが担当した日には、それぞれの書いた文章を写真でアップして、その時の制作秘話や裏側のおしゃべりなんかを紹介できたらいいなぁと思っている。
本当は色んなことがあったから、それをもっと丁寧に言葉にする予定だったけれども、慌ただしく年末年始を迎えて(主に家事+おば業)、その余裕が無くなったから、とりあえず年内に紹介を、そして詳細や他に書きたかったことは来年に繰り越すことに。
良かったら手に取って見てください
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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2019.11.6
初めて現物を本屋さんで見た日
2019年12月25日水曜日
職場の風景
Merry Christmas 2019
本文とは関係ない
今年のクリスマスイルミネーション☆
たまたま用事があって見れたイルミネーション。
改めてイルミネーション見るの好きだなぁと思った。
仕事日誌第3週目の感想に、質問に行く際の相手との距離の近さと自分がしゃがむ関係で相手を上目遣いで見る格好になる事への懸念を書いた。
私はそんなの自分が嫌だから、私が嫌にならない距離感と姿勢を保ちながら質問しに行こうと決めた。
それを書きながら、書く時だけじゃなく実際に職場の中でもこのことを別のシーンで想像した。
これは今の仕事を始めた時から思っていることだけど、もし今みたいに席のすぐ隣りにイケメンがいたら仕事が手につかなかったなぁなんて思う。
隣りとは1メートル以上空いているし、両隣りは女性で黙々と仕事をするタイプの方たちだから、私はすごく集中して仕事ができる。
もしこれが同じポジションでも隣りはイケメンなら仕事中も気はそぞろで全然仕事にならなかっただろうなぁと思った。
いつか夢の中でイケメンと席が隣りという場面の夢を見たことがあったけれど、それさえも超ドキドキだった。
夢の中の風景って普段はすぐに忘れるけれど、その夢のことは今でも覚えている。
そのイケメンと席が隣りで、そして私が変な意味不明な労働基準関係の難しい電話を取る羽目になって、イケメンに目配せで「助けて」アピールをして、イケメンに助けてもらったところまで覚えている。
俺に話を振ってくれるなオーラに負けじと助けてアピールをした自分。
夢の中ではありえないほどの自己PR力で、そして何だかんだでそこまでできる人間関係があるみたいだった。
イケメンが私の席のところにまで来るその感じにドキドキしながらも、それを頼める自分が、夢の中の話と言えども羨ましかった。
後から知ったことだけど、私が今の職場に企業見学に行った時、4人の方々が対応されて、そのうちの3人が超大御所的ポジションの方たちだった。
1人は人事の女性だから、出社初日も対応してもらったし個人的な会話もほんの少ししたからどうこういうことはないけれど、驚いたのは残りの3人のおじさんたちだった。
そもそもどんな人たちがそこに同席しているのか、何でたかが派遣1人、しかも年度末までの超短期の期間しか雇用予定のない派遣に4人もの人たちが同席するのか超不思議でならなかった。
今となってはもっと具体的に書いておけば良かったけれども、おじさんたちは笑いもしなければ質問も色々勝手を知らない一般人からするとズレていて、何を見てズレてると思ったのかもはや思い出せないけれども、とにかく変だと感じた。
とかいうおじさんたちが実は社内の大御所たちばかりで、役職が上の方たちだとそれぞれひょんなことから知り得た。
そのうちの1人も、私はつい昨日(12月中旬のいつか)知ったばかりだった。
何回かその明らかに上席とわかる位置のデスクに書類を持って行ったことがある。
常に不在で、郵便受け的なお手紙ボックスの中に書類を置いて帰っていた。
それが昨日初めて本人がいて、その上席こそが面談の時のおじさんの1人だと知った。
向こうは気付いたかはわからないけれど、私は気付いた。
お願いしますと言って箱の中に入れたら、おじさんは一瞬だけ表情を和らげて私の方を見ながら「はい」と返事をした。
これが妙に感動的なシーンだった。
もう1人別のおじさんもしょっちゅう廊下とかですれ違うけれども、毎回きちんと挨拶してくれる方で、挨拶を慣習としない企業風土の中でこの人すごいなぁといつも思っている。
ちなみに人事のトップだと知った。
どちらのおじさんもちょっと人間的な部分が見えて、そこを見てホロリとした。
そうした姿を見て、私が見たかったものはこういうものだったと気付いた。
イケメンは直接ではないけれど上司で尚且つ職場の責任者だった。
立場もあって、私は全く近付くチャンスもなく、当然近付くチャンスがなければ、人として交わることもなかった。
だけど、私が見たかったものはそういうその人にしかない人間的な部分だった。
イケメンは私が最初の日、中間管理職なり年齢相応な立場でまだ他に上がいると勘違いしたくらいに、全く偉そうにしていない人だった。
机の配置もオフィスの間取りそのものが全体的に不思議なところだったから、デスクが置けないからちょっと他の人たちとは違う席なんだと思った。
それくらいの勘違いをするほどに、イケメンには偉ぶるみたいな態度が全くなかった。
私でなくても、あの時あの場でイケメンがまさかその中のトップだなんてすぐにわかる人がいたらすごいと思う。
勤務している間に、イケメンより2つ上になるかと思うけれども、何回か上席的な男性陣がやってきた。
私にはその人たちがうんと年上に見えて、まさかの私の1つ上と知った時は思わずチラチラとガン見をしてしまったほど、見た目というかが老け込んで見えた←超失礼。
いくつか上の人も1人いたけれども、その方に関しては10以上年上で50代かと勘違いした。
その人たちは容姿というよりも、むしろ容姿にはきちんと気遣いしている風だったけれども、放ってる雰囲気が偉そうな感じというか、偉ぶってるのとは違うけれども、男の人特有の大きく見せるみたいなそういうのを持っていた。
イケメンはそういうものもなくて、だから余計と若く見えて、私は勝手に年は近くても何歳か下の人かと思った。
まさか1つしか違わないなんて聞いた時には心底驚いた。
接触できる場面が極端に少なくて、私は電話の取り次ぎでも書類渡しでも何でもいいから超やりたかったけれども、そのどれも基本的には関わりがなくて、だからその人特有の仕草とかちょっとしたクセとか、そういうものもほとんど見ることができなかった。
イケメンは最後まで偉そうではなかったし、気さくな感じとは違うけれども、肩書き的な立場を振りかざすみたいなことは一切しない人だった。
イケメンはこの人はこういう立場だからとかいうことよりも、相手が年上であれば立場がたとえ自分が上でも相手に対して敬意を払っていたし、自分より下の人相手でも何かを頼む時は丁寧に頼んでいた。
イケメンがあまりにも普通にそうしていたからその当時は気付かなかったけれども、大きな企業で働いている人としてはかなり珍しいタイプだと思う。
誰とでもすぐに仲良くなれるタイプでは絶対にない人だけど、人としての振る舞いがとても感じの良い人で、ただでさえイケメンなのにそうしたことがさらにイケメン度をアップさせていた。
そういう大枠の部分は見てわかるものももちろんあったけれども、私はもっと詳細を知りたかった。
人間くさいところをもっともっと見たかった。
自分から喋るなんてことをしない人だから、全然個人的なことは何一つ知らなかったけれども、個人情報じゃなくていいから、公の場でない時の話し方とか顔とか私はそういうものを見たくてたまらなかった。
今現在の職場で書類を渡しに行ってちょっと緩むような面談の時の男性の表情や雰囲気を見て、こういうやりとりをもっともっとイケメンとしたかったなぁと思った。
当時の記憶を私はまるっと維持したまま今に至っている。
これほどまでに記憶が残ったのは、私の記憶力が高いからじゃない。
仕事の時の記憶は何回やっても覚える気がないのか、メモを見ないと新しい仕事はやれない。
当時の仕事のことも大方は忘れた。
だけど、その人とやりとりしたことは覚えている。
すべて鮮明に覚えている。
それは、それだけのインパクトがあったということ。
書類を渡しに行ったり、電話の折り返しを伝言しに行ったり、たった一度ずつしかないような小さな瞬間たちを私は覚えたまま今を生きている。
ファイルを探していたその人に声をかけたり、年上の穏やかな方に話しかける時は自分は立ち膝的な格好で相手を敬ったり、後輩と話す時は少しくだけていたり、仕事の話なのに目をキラキラさせるほど目がとても澄んでいてきれいだったり、何か起こると颯爽と身を翻してすぐに駆け付けたり、大雨の日はカッパを着て仕事していたり、椅子に座る時は背側を前にしてまたがるようにして座って仕事の話をしたり、仕事のファイルを見る時は自席に戻らずその場でどかっと座り込んで見たり…。
その人は知らないと思う。
その人がファイルを見る時は、私も同じキャビネットにある別のファイルが必要で、いつもいつもよくタイミングがかち合うなぁと思っていたこと。
そう、本当はビックリするほどのタイミングが重なりまくっていた。
でも私はその人に究極に近くなってしまうそのことがどうしても恥ずかしいやら何やらで、毎回わざとタイミングをずらしてファイルを取りに行っていた。
この上なく近付けるチャンスで、その人にちょっとよけてもらわないといけないから必ず「すみません、ちょっとだけいいですか?」ぐらいなやりとりはできるってわかっていても、私にはそれをする勇気がなかった。
今すぐにでもそこに行きたい気持ち以上に勇気のない方が勝っていた。
そうしたことも全部全部覚えている。
今だから思うのは、それら全てをこんなにもはっきりと記憶しているのは、それは魂の記憶だからだと思う。
ここから先は私の超妄想に満ち満ちた話だけれど、そうやってものすごく強く鮮明に記憶するのは、魂そのものがそれを希望しているからだと思っている。
過去世で10歳ぐらいまでしか生きられなかったとされる自分を思う時、その時に近くにいてくれた人たちを見て最後何を想って日々を過ごすかを想像したことが何回かある。
その人たちの姿やその人たちとのやりとりを克明に自分の目に記憶に命に刻もうとしたんじゃないかと思う。
子どもの方が大人より何十倍と感度が高いから、死ぬその時も自分が長くないことはそこそこわかったのではないかと思う。
そう思う時、自分が見たいものはその時に近くにいてくれた人たちじゃないかと思った。
そういうのは言葉以上に伝わることがある。
言葉のやりとりよりも、ただそこにいる人の空気や存在感を全身全霊で感じる、そんな風だったかもしれない。
そして黙っている時ほど、空気は真っ直ぐに伝わる。
ベラベラと私のこのブログのように言葉を長々とたくさん並べたら伝わるわけじゃなく、何もなくてもただそこにいてくれるだけでその人の気持ちや想いが伝わることもたくさんある。
死ぬ間際なんか特に体が弱っていたと思うから、たくさんの言葉よりもただただそこにいてくれるだけで相手からたくさんの何かをもらうこともあると思う。
そんなことを思う時、今世でイケメンと同じ職場に勤めることになって、ものすごく短い期間とはいえ、その瞬間瞬間のことが今でも強く深く鮮明に残っているというのは、その時の名残やその時の自分を追体験しているのかもしれないなぁと思う。
寝床で体を動かせないみたいな状態だとするなら、尚更相手側から私の元へ来てくれないと相手のことを捉えることができない。
来てくれた時は動かない体を使って、自分が記憶できる限り相手のことを記憶したかと思う。
そんなこんなを想像すると、夏の職場でイケメンを私が全力で見て捉えていたことは、もしかしたらいつかの自分がしていたことをそっくりそのまま今の体を使ってやっていたのかもしれない。
魂はすべての人生、今世ばかりじゃなく前世や過去世の記憶もすべて持っているとされているから、当時のやりとりを今世でも再現しててもおかしくない。
日が経てば経つほど、当時の記憶が鮮明になる様を見て、自分でも驚いた。
毎日生きていたら、何かしら新しいことが人生にプラスされる。
特にイケメンがいなくなってからの人生は相当な勢いと意味不明な出来事と縁ができたけれども、今のところ断トツでイケメンの存在がいた瞬間や時間が色濃く残っている。
夏の色んな日に、それがいつかの未来に何度も思い起こすからしっかり覚えようなんて思って覚えたのとは違う。
気付けば、他のことは忘れたり大きなインパクトがあっても一過性であるのに対して、イケメンはずっとずっと残った。
そして、他のところに是非とも活用したい桁外れの記憶力をイケメンにまつわることやイケメンが存在した瞬間を私は持つことになった。
その時のことだけが、異常と呼ぶべきものすごい強さで残り、私もまさかその後自分の人生が色々変化を迎えてもここまで残り続けることになるなんて想像さえしていなかった。
知っているのは、元気らしいことと彼女の有無は知らないけれど今も独身なこと、趣味は続いていること、仕事は部署の人が異動した後補充がなくてその部分も自分が担当することになって忙しいこと、を人づてに聞いた。
どうすることも私にはもうできないし、間接的に何かを知ったところで私が望むようなやりとりが手に入るわけじゃない。
そうと知っていても、記憶の残り方は想像を遥かに超えた残り方を保持している。
だからこれは魂の記憶なんだと思う。
文字通り、全身全霊でイケメンを見て覚えたことを私が今もはっきりと鮮明に覚えているのは、恋愛的な片想いズルズルとかいうことよりも、本当に魂が覚えておきたくてそうなっているという感じがする。
当時の仕事とは風景も内容も違う今、それでも私は時々1枚もののPDFをコピー機で取ったり、書庫のようなところに行ってファイルを取りに行くこともある。
全く違う風景に自分はいるのに、そこで私が見ているのは、イケメンがいた頃のコピー機でのやりとりだったり、キャビネットでのすごい確率でかち合うことだったりする。
もうコピー機を前にしても、そこにイケメンが自分の印刷物を取りにくることもないし、当時と同じ色のどこのオフィスにでもあるような分厚い青ファイルを取りに行ってもイケメンがいるからタイミングをずらそうなんてことはしない。
でもそうしたことが鮮明に思い出されて仕方ない。
今の職場は従業員が何人いるのか知らないけれども、とにかくたくさんの人たちとすれ違う。
たくさんの人たちとすれ違えばすれ違うほど、イケメンとすれ違うことのできた空間に一緒にいられて、イケメンの名前が何で、イケメンもせめて私を見て私が武士俣さんだと知ってもらえていたことというのは、どのくらいの奇跡なのかと思う。
魂がプレゼントしてくれたものだと思う。
イケメンと当時出逢えたことは、魂が叶えたいことで魂が今世にももたらしたい出逢いだったんだろうと思う。
魂、魂と連呼するのもいかがなものかと思ってはいるけれども、そうとでも説明しないと私の中で折り合いがつかない。
去年の今頃も似たようなことを思って何かしら書いたかと思うけれども、まさかそれがもう1年繰り越しになるとは思わなかった。
まさか新たな職場に行ってまで思い起こされるのがここに書いたようなことになるなんて、想像さえしていなかった。
これは備忘録とか普段書く何かを感じたり思ったりしたこととも違う。
軌跡を残すのと一緒に、これだけは伝えたい、届けたいというのがはっきりとある。
年内にアップできるかどうか怪しいけれども、友人ノムの声掛けで実現した来年のある手帳にメッセージを書いたものが現実に印刷されて書店に並んでいるけれども、それさえも私は伝えたいとは思っていない。
そちらの方が社会的に見せられるし宣伝もできるものだけど、それはそれという感じ。
でもここに書いた超個人的なことで書いたところでだから何?というものの方が、私にとっては重要で他の何にも代えられない。
そしてこれだけは言葉にしなきゃ伝わることさえないって知っているから、他の何を差し置いてもこれだけは書こうという意志がものすごく明確にある。
願掛けのように、魂の願いのように、言葉を綴って見えるようにして、そして伝わる可能性に賭けて伝わるようにする。
命の言葉を通訳している気分でずっとこの文章を書いていた。
2019年12月22日日曜日
仕事日誌ー英語よりも心配な事ー
通勤風景
2枚とも幻想的な感じで好き
ー 仕事日誌第3週〜続報〜 ー
【距離感問題解消☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆】
業務上、設計の理系男子たちにも質問をしなければいけないことで、新たな問題勃発などと前回のブログに書いた。
距離がやたらと近いことや下から見上げるみたいな上目遣いとか、そんなの絶対に無理ー!!!とぎゃあぎゃあ騒ぎながら書いた前回のブログ。
これが程なく解決した☆☆☆
☆*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*☆
今日(12/20)は思いつくと、観察するようにはした。
やっぱり基本的にはみんな近い。
通路の問題があるから、みんなどうしてもL字型の内側に入ってこざるを得なくて近くなる。
1畳はあるかと思いきや、今日よくよく見てみると3分の2畳程度しかなく、ますます気の重たい状況が明白となった。
そんなこんなのうちに、昨日の設計男子が私のところにわざわざ来てくれた。
昨日の説明が一部誤っていたからというもので、それをわざわざ説明するために時間を作って来てくれた。
もれなくお手本的な距離感を彼が見せてくれた。
適度な距離感で相手に目線を合わせる高さに立ったまま身をかがめる、というスタイルだった。
1月以降ほうぼうの設計男子たちのところに1人で行くことになるかと思うけれども、それなら私もやれる!と思って、安心した。
申し訳ないぐらいに内容は理解できなかったけれども、きちんと説明もしてくれると知って、さらなる安心感を得た。
いきなり「めっちゃ良い人じゃん!」となって、とりあえず何とかなるかも…と思えた。
【英語よりも……その1】
機械の様々なことを説明する英訳を主にやっている。
この間、あまりの量と内容に発狂しそうになったものの、とりあえずやれないことはないとわかってきた。
60枚強のパワーポイント資料の英訳で、半分で良いかと思えばほとんど全てのページをカバーすることになって、本当の本当に頭から湯気が出るかと思った。
何が難しいかと言うと、日本語そのものが理解できないこと。
例えば昨日も昨日で、ある部品の変更手続きに関する英訳をしたけれども、変更は変更でもまさか「一度変更したら半永久的に変更したままのもの」と「用途に応じて仕様を変える臨機応変型の変更」と2つあるだなんて、「変更」の一言からは想像もしなかった。
教育係の人が「これってどっちの変更だろう?」と言ったから初めて「言われてみれば…」となったけれども、そうでなければオールスルーした私。
細かいけれども、半永久的な変更と臨機応変型の変更とでは単語が変わる。
最初がchangeで2つ目がswitchになる。
そしてさらにどうでもいいけれども、changeの時は基本的に
「change A to B」
switchの時は基本的に
「switch from A to B」
になる。
前置詞も毎度怪しいから、家から持参した妹の高校時代に使っていた英和辞典に出てなければ、ネットの英英辞典まで使って確認してるよ、私…!!と誰かに言いたい。
さらに余談だけど、私は高校時代の英和辞典をそれこそ25年、四半世紀使っているけれども、私の高校時代の辞書は超優秀!と知った。
私のはジーニアスを使っていて、それの方が妹のスーパーアンカーより2〜3万語収録が多い。
妹の方が賢い高校に行っていたのに、こういう不思議なことも起こるんだなと思った。
冗談抜きで、ジーニアス1冊で十分事足りる。
この間図書館でTOEIC攻略法的な本を見たけれど、私も書いたらどうか、『高校生向け辞書でTOEIC900点獲得!』とか( ̄∀ ̄;)。
ちなみに攻略本を少しだけ覗いて、それだけでやる気は一瞬でなくなったぐらいに、辛そうな勉強法だった。
さらにどうでもいいけれども、私の勉強法は確実に英語ができるようにはなるけれど(友達の娘で実証済み)、楽しく勉強できる方法からは程遠いから、決して勧められない。
友達の娘がそれでもやり続けて、その結果できるようになって「英語が楽しい!」なんて言ってくれた時は、奇跡かと思った。
話が逸れた( ̄∀ ̄;)。
とにかく一事が万事、英訳の前に日本語問題勃発しまくりという現在進行形の超重要課題が横たわっている。
さらなる余談だけど。
ようやく何をその何百万から何千万とする機械がしてくれるのかわかった。
「金属を加工」するらしい。
しかもそれを教えてくれたのは社内の人ではなく、何でも知ってそうな米の仕事の時に世話になったヨシダさんが教えてくれた。
ヨシダさんに「自動旋盤(じどうせんばん)ってなに?」と聞いたら、ちょうど焼肉屋にいて、焼肉屋の席にある焼き器の金属部分や煙を吸い取るえんとつなんかを指して、そういう金属を色んな形に加工するものだと教えてくれた。
ちなみに日本語は漢字も読めないことがある。
この間、何を思ってくれたのか、社内での依頼書に対してわざわざ手書きで書くタイトル部分に読み仮名を付けてくれた超素晴らしい気遣いの方がいた。
(誰が書いてくれたのかは不明)
「揺動」
「ようどう」と読むv( ̄∀ ̄)v←得意げ。
意味は知らない。
工業用語なんだろうけれど、そういう意味のわからない言葉を毎回英訳する…。
マニアックな言葉ほど言い方が決まっているから、実はそれは訳しやすい。
この間「振動」とやらを訳すことになって、これの方が超厄介だった。
何がどう振動するのかで英単語が変わるらしく、それを説明する工業用語集の説明をもらった。
もちろん読んでも意味不明( ̄∀ ̄;)。
中には、本来の英語なら振動という意味には絶対にならなくても、工業英語になると突然「振動」も意味として加わる単語があって、そんなのど素人がわかるはずもなく、相変わらずぽっかーんΣ(꒪◊꒪; )))) となって終わった。
ちなみに当面の私の目標は「何がわからないのかを説明できるようになること」。
さすがに「全然わかりません」とは言えないから(超言いたいけれども)、何がどう理解できないのか、せめて拙い理解力と怪しい日本語で説明できるぐらいにはなりたい!
【英語よりも……その2】
英語は何だかやれるかもしれない…と少しは思えるようになったけれども、そうとは全く思えないのが「パソコン操作」。
取扱説明書を清書するという業務がある。
WordやPowerPointを使うことが多いけれども、それがシャレにならないくらい難しい。
この間は、図をコピペするだけなのに、それができなくて1時間近く悪戦苦闘。
やり方を教えてもらっても、新たなトラブル続出で、3回くらい教育係の人を呼びに行った( ̄∀ ̄;)。
しかも私のパソコン、やっぱり動きが変で、教育係の人も「あれ?なんか動かない!あれ?えっ?」とか、けっこうな頻度で言っていて、だから「苦肉の策」としてのトラブル回避法を伝えられる。
本来のスタンダードな方法は知らないまま、苦肉の策ばかりを覚えて私はどうするのかと思う( ̄∀ ̄;)。
相変わらず、ありえないエラーをパソコンが起こすのは続いているから、あまりにも続くようなら上司に次回は言うことになった。
もしパソコン本体入れ替えとかなったら、それもまたそれで恐ろしい。
どうも社内で統一したソフトではないみたいで、Wordも人によってバージョンが違うとのこと。
不慣れな人がバージョン変更になったら、シャレにならない。
その新バージョンをまた1から知っていかないといけないわけで、そんなの切なさすぎる。
先月あたりに母の携帯らくらくフォンの機種変に一緒に行った。
らくらくフォンは素晴らしかった!!!
バージョンアップしても、私以上に操作のおぼつかない年寄りたちでも使いこなせるように、表面のボタンや画面は全部同じだった!
そして、ドコモの素晴らしい点は、なんとらくらくフォン専用ダイヤルがあって、わからない時はその専用フリーダイヤルにタッチ1つで繋がり、そこで超丁寧に対応してもらえるだけじゃなく、なんと遠隔操作でエラーも解消してくれるという超スーパーウルトラCみたいな極上のサービスまで付いている。
2人で電話して(母は最初の「娘に任せます」を言うだけの係。電話中母は新聞見たりコーヒー飲んだり超のんきに過ごしていたΣ(꒪◊꒪ )))) )、1時間コースのエラー解消は、ドコモのエキスパートなオペレーター様によって解決できた!
とかいう社内サービスが欲しいくらいに、私のパソコン操作は超絶怪しい。
ついでに「これ私も欲しい!」と思ったのは、らくらくフォンは未だにきちんと分厚い本体説明書がついてきて、オールフルカラーで1手順毎に実際の画面の絵がカラーで付いていて、しかも老眼対応で文字もとっても大きくて超見やすい。
iPhoneにもそれ欲しい!
私は超我流で、iPhoneもWordもExcelもPowerPointも覚えたから、自分が使ったことない機能は一切知らない。
PowerPointも、まさかドミニカで作らざるを得なくなって、触ったことも見たこともなかった私は、パソコンを持って片道6時間くらいかけて同期の友達の家に泊まり込みで操作方法を習いに行った。
そんなことが今頃役に立つ機会が巡ってくるとは、青天の霹靂だった。
そんな風に「習うより慣れろ」方式で覚えたパソコン操作は、正式には習ってないから、多くのパソコンユーザーが普通にできることが私にはできないことがたくさんある。
そうしたことたちが今後どれだけマイナスに働くのかはわからないけれど、せっかくの実践で覚えなければいけないチャンスを得たから、それを活かしたいと思う。
(↑こんな風に思えたのはもちろん自力ではなく( ̄∀ ̄;)、友人ノムからそのような助言があったから、ようやくそのように捉えることができるようになった!)
【英語よりも……その3】
取扱説明書の清書の第1号はドイツ語の分だった。
翻訳を外注して戻ってきたものを、今度は私のいる部署の人たちで手分けして清書する。
11ヶ国語に訳されるようで(海外にも多数輸出されてる模様)、英語以外は外部に翻訳をお願いしている。
で、戻ってきたものというのが、構成上エラーを起こしたりしているからそれの修正や、例えば行間が空きすぎとか変なところで改行されてるとか、その他にも色々見どころ満載だったりする。
この間は日本語英語併記バージョンのものをやって、私には何の不具合も感じないから何も直さずにいたら、フォントが違うと指摘を受けてそれの変更をいくつもした(T ^ T)。
えっΣ(꒪◊꒪; )))) !?何が違うの?というレベルの修正業務がたくさんあって、何が不安かと言えば「気付かないこと」。
私は基本的に読めたら何でもいいという人だし、そういうことは超がつく大雑把さだから、そもそも「気付けない」( ̄◇ ̄;)。
そして、第1号はドイツ語で、初めてドイツ語の長文を見たけれども、ドイツ語とは実に不思議な体系で、1語1語が超長い。
その長さゆえ改行や単語と単語の感覚がおかしなことになっていて、見慣れたら気付くとは思うけれども、最初見て「で、これは何の不具合が!?」状態だった。
そういう繊細さを持ち合わせてないから、今後その「ない繊細さ」をどのように自分の中に植えつけていくかが最大の争点と思った。
英語よりも前途多難な感じΣ(꒪◊꒪; )))) 。
【気の引き締まる&感動した話】
中国語と韓国語以外は、基本的に英語をベースにして他の言語に翻訳されるとのこと。
日本語→ドイツ語ではなく、日本語→英語→ドイツ語となるらしい。
だから、私のする英訳が今後は他国語に翻訳される時の大元になる。
これは真面目にやらないとダメだと本気で思った。
いい加減にはできないのはわかっていたけれども、想像以上に重要な役割だと知って、それでこれまで以上にさらに真面目にやろうと思った次第。
機械を設計する人がいて、機械を作る大勢の技術者がいて、その人たちの素晴らしい仕事を自分の英訳でダメにしてはいけないから、本気で真面目にやらなきゃダメだとかつてないほどの責任感を感じている。
ちなみにこんな重たい業務が派遣の私にきているのは、単に大元の責任者の正社員の女の子が産休育休で、だからその業務が引き継がれているから。
感動したのはこうだった。
外注に出している翻訳は、例えばドイツ語なら日本の翻訳会社を通じてドイツの翻訳者に渡されて、ドイツ人なのかまでは知らないけれども、とにかく現地の人が私の英訳を見てそれをドイツ語ならドイツ語に訳してくれる模様。
言葉のリレーみたいだなと思った。
内容は工業用語で全く萌えないけれども、その流れは感動的な話で私は萌えた。
きちんとバトンを渡せるように、真面目に英訳やろうと思った。
2019年12月21日土曜日
All is calm な夜
2019/12/20
不思議な濃度の1日だった。
「濃い」と言えば濃いし、だけどはたから見れば仕事に行って帰りに図書館と買い物に行っただけということにもなる。
特別なことは何もなかったけれども、妙に心に深く色んなものが残る1日だった。
仕事帰りにまずは図書館に寄った。
本とCDを返して、新たにまた本とCDを借りた。
本の1冊は、『夜と霧』という、ドイツの強制収容所の体験記録。
ヴィクトール・フランクルという人が書いている。
友達が紹介してくれた本だった。
【復興なんて歯切れのいい言葉では言い表せない、有象無象の人々の想いが沢山あって…
今迄信じていたものが一瞬で崩れ去る位の衝撃を受けた人々が、それでも前を向く、その人間の強さを、今の東北の人達から抽出したいんだよね…
ぶっしー、ピーターフランクルの夜と霧って読んだ?アウシュビッツの人々がどうやってあの絶望から生きる意味を見出していたのか…
根本にはその人間の真なる強さを導きたいんだよね~】
この話はさらに深い色んな話があって、私の中で「絶対にブログに起こすものリスト」に入っている。
いつ起こせるか知らないけれども、とにかく「生きること」を根元から問う話を友達から聞かせてもらった。
友達も体験者たちから話を聞いて、その話を私にまるで伝言ゲームのようにして教えてくれたんだった。
この本を借りたくて、そうしたら天井の高い図書館の上部に置かれていて、私は階段みたいな脚立を近くから運んできて、その脚立に上がってよいこらしょと本を手を伸ばして引き抜いた。
上の友達の言葉を思い出しながら、脚立に乗って高い位置にある本を引き抜いている自分にうっとりしながら、次はCDコーナーを目指した。
クリスマスが近いからクリスマスソングがいいと思った。
適当なのがなく、ふと昨日かその前の日くらいに朝仕事に行く前の数分間の朝ごはんの時にサッと見たニュースを思い出した。
マライア・キャリーのクリスマスソングが、なんと25年ぶりに全米1位を取ったとのこと。
その快挙をニュースは伝えていた。
クリスマスシーズンになるとよく聞くマライアの定番ソング。
あれは発売当初、アルバムの中に収録された曲で、当時はそうした曲はランキングに上らなかったとのこと。
ところが25年後の今、チャートは売上枚数だけではなく、動画再生回数やネットでの音楽配信とかも含めての総合評価になるらしく、それで晴れて1位になったとニュースは言っていた。
話は少し違うけれども、アメリカのランキングは本当に嘘のない、実力のみがものを言う世界だと感じる。
一応アメリカにも流行というか、「今話題の〇〇」的なものは存在する。
けれども、そもそも個人主義の発達した国で周りが良いと言うから自分も見る聞く買う食べるなんていうようなことがほぼほぼないから、それはSNSが発達している今は知らないけれど、少なくとも日本のような見えない部分で勝手に流行を操作するようなことは難しいように感じる。
日本の各種ランキングが、例えば今週の売上チャートが先週の累計ではなく、1週2週も前から未来予告のように決められていると関係者から聞いた時、本当に驚いた。
その方いわく、例えば今週クリスマス前なら、すでに業界では正月あたりの売上ランキングが発表されているらしい。
まだ正月を迎えていないのに、そのぐらいのランキングが業界の裏側では発表されているわけだから、何だそれ状態の架空のランキングが世に出る時はまるで先週やここ1ヶ月の過去のデータをベースに出されているもののように謳われている。
完全なる情報操作が行われているのと、さらにはジャンルによっては順位をお金で買ってそれでランクインする個人や商品まであるらしい。
今後は知らないけれども、少なくともそのような情報操作が長年の慣習として日本にあるのは本当。
だからこそ、マライアの発売から25年後に初めて全米チャート1位というのは、冗談抜きで実力1本で出した結果だと思う。
それを思い出してCDを見たら、ちょうどその話題のクリスマスソングのアルバムがあったからそれを借りることにした。
もう1つ面白い本を見つけたから借りた。
「痛みは魂の癌」というフレーズの入った本。
[『セリーヌ川の書店主』ニーナ・ゲオルデより]
『夜と霧』を探すために、私は初めて「ドイツ文学」コーナーに行った。
そこで見つけた本で、まずはタイトルに惹かれて手に取って、中身を見たらその言葉でそれでさらに気になったから借りてきた。
きちんと読めるかどうか知らないけれども、少なくとも友達の話がなければ、絶対に生涯で出会うことのない言葉だったのはわかる。
車に戻って早速マライアのアルバムをかけた。
1曲目は『きよしこの夜』だった。
中1の英語の先生は、なぜか『きよしこの夜』の英語版の歌を私たちに授業中教えた。
だから私は今でもおおよそあの歌詞を覚えている。
体で覚えた数少ない英語。
しかも英語の意味や文法を知らずにほとんど音だけで覚えたものだから、私は今日のこの瞬間、それこそ28年越しに(誕生日がまだ来てないから、当時12歳だった)本当に初めて音を聞いてその意味を知った。
「All is calm」
この歌詞を聴いて、ものすごく言葉が胸に染みた。
すべては穏やかだよと言っている。
本当にすべては落ち着いて穏やかで今のこの瞬間満たされている自分がいる。
日本ではクリスマス一人ぼっちは寂しいなんていう風習があるけれども、私はこれまで数々の色んなクリスマスを体験して、クリスマスに色んな思い出を持っているから寂しいなんてことはない。
しかも年齢と共に思い出の数だけ色んなことを思い出せるから、たとえ相変わらず独りでも寂しいよりも思い出たちを思い出すことで心が温かい気持ちであれこれと満たされる。
本当にAll is calmに今の心の中はピッタリだと思ってウルッときた。
*
久しぶりの買い物は本当に心が躍った。
1年数ヶ月ぶりの「お金に余裕がある時の買物」をした。
お金が本当に底をつくような事態に何度も陥り、その時々で必要なものをまずは優先して、そして本来なら少しのお金があれば買いたいものを買わないというか買えない選択をずっとしてきた。
働いたら良いとかそういうのとは違っていた。
多くの人たちからは全く理解されないと思うけれども、ちなみにその気持ちを実体験も含めて理解してくれたのは2人しかいない。
というよりも2人も理解してくれる人がいたら凄いことだと思っている。
話が長くなるからここではしないけれども、お金が底をついても働けない、働く気持ちになれないことの怖さと言ったらない。
私の場合、お金が働く理由にはなってくれないから、だから働くにはもっと自分に何か響く理由がないと動かない。
お金がなければないなりの生活をするし、なくても楽しむ方法もあれこれ身につけたから、より一層タチが悪い(苦笑)。
しばらくは辞めない限りは数ヶ月先まで定期的にお金が入ることが保証されて、私は本当に久しぶりにそれをあてにした上でプレゼントを買った。
4歳になった姪っ子にトレーナーをあげようと思って探し出した。
妹がトレーナーがないと嘆いていたことと、とりあえず本人が今、ピンクだのプリンセスだのフリフリお嬢様的なデザイン大好きだのというのを知っていることと、保育園には汚くなってもいいどうでもいい服、しかもサイズがすぐに変わるから今しか着れない服がどうでも必要なこと、それらを加味して今年頑張って来年限定の着倒し服をプレゼントすることにした。
デザインが気に入らなければパジャマにしてくれたら十分だから、そうして2枚トレーナーを見繕った。
1枚目を買った時、店員さんが本当に丁寧に包装してくれて、メッセージカードさえも包装してくれるほどの丁寧さだった。
過剰なほどの包装が今回ばかしは嬉しかった。
自分で開けられるぐらいの年齢になって、姪っ子が気に入るかどうかは知らないけれども、そうやって大切な誰かに心の余裕(お金の余裕)を持って何かをプレゼントできるのが本当の本当に嬉しかった。
この1年数ヶ月、他にもプレゼントしたことはあったけれど、去年は姪っ子の誕生日をスルーした。
そこにお金を回せるようなお金が本当に言葉通りなかった。
だから口頭だけでのおめでとうで終わってしまった。
小さなプレゼント1つできない自分の在り方や生き方が本当に後ろめたくて仕方なかった1年前。
それがずっと心にあったから、今回はものすごく感動もひとしおの瞬間だった。
さらに言うと、小さなプレゼントをするのが目一杯の時、そうした時は毎回祈るような気持ちでお金を出していた。
私の感覚が間違えていなければ、必ずそうしたお金は足りるはずだし、それで財布がすっからかんになってもその後何かしらの形でお金が入ってくる、そのことを私は毎回信じた。
それは本当にそうで、絶対に外せないちょっとした心づけみたいな、例えばお世話になると予め知っていてまさか手土産1つ持たずに伺うなんてできないから、そうした時には毎回お金の見通しが立たなくてもその時それを買うお金があるならそれを出した。
現にそれは本当に何とかなって今に至る。
そしてここに来て、しばらく数ヶ月はお金が定期的に入ることになって、それで姪っ子への誕生日プレゼントを買える余裕が生まれた。
余裕が生まれて初めての買い物が今回のプレゼントだった。
だから1つ1つが本当に感動的だったし、店を色々回るのも楽しい時間だった。
何せ仕事帰りで、膝上くらいまでのコートで隠していても、中身はワークマンで買ってきた作業着(←制服着用義務の会社で、派遣も色指定の上下作業着や安全靴着用が必須)で、格好の残念さはこの上なかったけれども、それさえも忘れるくらいにプレゼント選びを楽しんだ。
姪っ子のトレーナー買いが終わった後、同じ建物にあるスーパーにも立ち寄った。
半額セールの時間で、吟味しながら赤札の食材をポイポイとカゴに入れた。
豚バラブロックは角煮、サバの切り身はサバの味噌煮、生牡蠣はすぐに酢醤油で食べたらいい…とかメニューをパッと思いつきながらカゴに入れた。
そこは大型店らしくマニュアルでレジ担当者の方々を教育しているだろうことはわかるけれども、すごく心のこもった接客をする。
マニュアル通りの動き方でも、そうではない各個人の特色をにじませてそこにプラスアルファのものを乗せられるその人たちは本当に凄いと感じる。
レジを終えて袋詰めをしていると、カゴ回収のおじいちゃんと呼べるおじさんがすぐ近くに来た。
65歳以上、ぱっと見70歳近いのではないかと思われる。
おじさんは「失礼します」と「ありがとうございます」とをサッと口にした。
私には涙が出そうなくらい、グッと心に来るものがあった。
これは名古屋で初めての長期のニート生活をした時のある風景と気持ちを思い出した。
私の最寄駅は、とにかく自転車でそこまで行く人が多くて、至る所に有料無料の自転車置き場があった。
その自転車置き場に長期の放置自転車や投棄自転車がないかを調べるおじさんたちがいた。
年齢的に高齢者と呼ばれる方たちで、それが生活のためなのか何かしら社会と繋がっていたくてそれをするのか、個々の事情は知らなくても、その目の前の仕事に一生懸命、手も休めずにやり続ける姿は、働いていない私からして物凄いことだった。
地味で誰もそんなところ見ていなくても絶対的に必要な仕事で、誰でもできる仕事という考えでその老年世代を雇うんだろうけれども、それを黙々と真面目にやり続けるおじさんたちは凄かった。
真面目に勤め上げて当たり前と思っているのはヒシヒシと伝わってきていたし、誰が見ていなくても任されたことをキッチリとやる、国会でふんぞり返っていたり昼寝している人たちとは明らかに違う。
真面目に働く姿は、それが何の仕事であっても超一流だと感じる。
今、朝は子どもたちの通学の時間とかち合う。
7時半前から毎日どんな天気でもおじいちゃん2人がいつもの交差点で待機していて、さらにまた別の学区のおじいちゃんたちも横断歩道での誘導をしていて、さらには当番制と思しきこれから仕事に行くのかな…というような格好をしたお母さんもいる。
みんな子どもたちが無事にたどり着けるように本当に小さな時間、時間にしたら30分ほどを毎日毎日キッチリと務めあげる。
お勤めというよりもお務めだと感じる。
お金が発生するのかどうかも知らない。
だけど来る日も来る日も、それが嵐風な暴風雨の日でもおじさんたちは出ている。
カゴを集めにきたおじさんを見て、そういう風景が一気に頭の中を駆け巡った。
そして、ずっと働くことの意味がわからなくて立ち往生したり停滞するかのように立ち止まったりしていた自分のことも思い出して、色んな気持ちが溢れ出した。
カゴ集めのおじさんがサラリと口にする小さな挨拶は、多分マニュアルにはない、おじさん固有の人間性だと思う。
別に挨拶はしなくても、本来のカゴ集めの業務はされている。
だけどそこにたった一言小さな声掛けがあるだけで、その行為や存在が何倍も尊いものとなる。
友達の話を思い出した。
人間が絶望する理由。
生きがいがなくなること。
それがお金になってもならなくてもいい。
自分が生きている意味があると感じられること、それがなくなった時に人間は絶望の中で生きることになる、そんなことを友達は震災で家も土地も家族も失った人たちの話をまとめてそのようなことを教えてくれた。
*
家でごはんを食べた後洗い物をしていると、父がやってきた。
来年の7月15日で退職すると今日会社に言ってきたと教えてくれた。
この時の私は疲れ切っていて、本当に話を早々と切り上げたくて、そしてその話を切り上げたくなる他の話がこの後書くけれども、そうした諸々が重なりすぎてタイミングが悪すぎた。
何十年も勤めてきた、この道50年みたいな父の最後の報告を聞くに全く相応しくない自分の態度を今頃になってものすごく後悔している。
父の体調はどういうわけか落ち着いてきた。
真っ先に思ったことは、もしこのまま体が大丈夫なら父は退職後どうなるのだろう…ということだった。
心配とは違うけれども、間違いなく「生きがい」問題にうちの父はぶち当たる。
仕事一本で来た人、しかも責任ある立場をかれこれ25年はしただろう人が、ある日何も持たなくなったらどうなるのか、想像するだけで恐ろしい。
しかも若い頃に両親を次々に亡くして苦労に苦労を重ねた人で、病気がちの母親を置いてどこか遠くになど行けないと言って自分の夢を早々と切り捨て家族のために生きて自分のために生きたことのない人が、オリンピック開催あたりから自分のためだけに生きる…。
想像のつかない時間が父の人生に現れる。
他の話というのはこうだった。
昨日、うちの数軒先に住むおばあちゃんが90代前半で亡くなった。
気難しい人だったようで、うちは父も母も苦手としていたし、そして近所中で気難しさからくる対人関係の不具合で有名な人だったらしい。
そうしたモロモロは仕方ない。
でも、子どもの頃から私はそのおばあちゃんをよく知っていて、子どもの私にはいつもニコニコして挨拶や小さな会話を交わしてくれるおばあちゃんだった。
そろばんに週3回通っていた当時、そのおばあちゃんの家の前をしょっちゅう通っていた。
その通り道には、子どもの私には何軒も苦手なおうちが続いていた中で、そのおばあちゃんは私にとって心のオアシスみたいな、そこだけは絶対に安心安全だと肌レベルで確信できていたところだったから、だから私はそのおばあちゃんも、もっと早くに亡くなられた旦那さんもとても好きだった。
これは大人になってからのこと。
そのおばあちゃんから私はどういうわけか一度家に招待されたことがあった。
それが20代の頃だったのか、ドミニカから戻った30歳の時かは覚えていないけれども、とにかく呼ばれて行った日があった。
他愛ない話の中で、私はそこで初めてそのおばあちゃんには息子がいることを知った。
てっきり一人娘の家かと思いきやそうではなかった。
娘さんも子どもの頃から知っていたけれども、息子さんがいるなんてその時まで本当に一切知らなかった。
話は飛ぶけれども、夜ごはんを食べていた時に、私は明日葬式に行く母に今回は息子さんもやっと来れるのかと聞いた。
そうしたら、なんと息子とは連絡がつかない、連絡先すら知らないということだった。
そして元々おばあちゃんの気難しさゆえに良く思っていない父が、それを聞いてどの家も問題のない家はないと言い出して、私の中で何かがカチンとなって、もう何も話したくないぐらいに嫌だった。
その後の洗い物のそして父の退職の話で、色々タイミングが悪すぎた。
*
おばあちゃんの家に行って話をした日のことを思い出した。
当時から息子さんと連絡が取れないことはそれとなく匂わせていた。
実際に何があったのかは知らない。
少なくとも、死に目どころか葬式にも来ないぐらいだから、相当な状態が背後にあったとは思う。
だけど、おばあちゃんは息子の話の時、それはそれは本当に嬉しそうに話していた。
海外に住んでいるという息子を自慢の息子として私には話してくれた。
勝手に想像するに、おばあちゃんの気難しさや人間として至らなさが息子さんを遠ざけて絶縁にまでするものがあったとは思うけれども、それでもおばあちゃんにとっては大切な我が子には変わりなかった。
やったことは何か知らないけれども、それでも息子を大切に想う気持ちに嘘は一切なかった。
それは言い切れる。
言い切れるぐらいに嘘がないのは私には少なくとも伝わってきた。
死人に口無しだけど、そういうことを息子さんは何も知らないのは悲しいことだと感じた。
親を死ぬほど憎んでいたり、絶縁していたりする人たちにも会ったことがあるから、そういうことを私はどちら側にも事情がそれぞれあると思うから何も言えないけれども、ただ真っ直ぐな気持ちが本人に伝わらないのは悲しいと感じる。
*
図書館から借りてきた本を1冊持って風呂に入ることにした。
見たことのない本が1冊紛れ込んでいて、最初は図書館の人の手違いかと思った。
過去にも実際に2つの図書館でそんなことがあったから、今回もそれかと思った。
だけど、よくよく見ると、それは自分が借りてきた本に間違いなかった。
中身を読めば読むほど、それは「呼ばれた本」だと確信した。
本当におかしな言い方だけど、私はその本をどうして手に取ろうと思ったのか、その時の記憶がまるっとない。
記憶喪失とは少し違うけれども、年に何回か時間にして1分から2分程度、超重要なシーンにも関わらず、その数時間後にはその1、2分の記憶がどこをどうやっても思い出せない、何一つ手がかりを掴めないということが起こる。
またまたマニアックなことを言い出すけれども、そういう時はある種、見えない世界からの介入が入ったかと思う。
これまでそんな風に思ったことはなかったけれども、たまたま今日は同じコーナーの同じ棚の位置から3冊借りてきたからこそ、その1冊だけの記憶がないのが相当変だと思った。
[「今」まさにこの瞬間を生きているっていう感覚が女性にとっては一番重要]
『ぼくは閃きを味方に生きてきた』横尾忠則より
この辺りを手に取った時読んで、これは面白そうだから借りてみようと思った記憶はある。
だけど、背表紙やタイトルを見て自分が手に取ろうと思ったというのは違う。
たしかにそそられる気はしなくもないけれど、でも基本的にエッセイは癒しがいいから難しそうなものは避ける。
しかもそれだけ文庫本サイズで他より小さいのに、よく手に取ったなぁと思う。
他は通常のサイズで背表紙のタイトルの文字が大きくて目立つのに、どうして私はその目立たない文庫本をその時に手に取ろうとしたのか、まるっと理由も気持ちも全く思い出せない。
そうやって何で手にしたのかも記憶がまるっとない本を借りてきて、そもそも借りたことさえ記憶から抜け落ちてて、それで家で見た時に驚いた。
風呂の中できちんと見てさらに驚いた。
中身は、完全に精神世界寄りのエッセイで、「チャネリング」だの「天使とのコンタクト」だの「精神世界の本屋」だの、他にも霊性や波動や宇宙や悟りなど、それ系の言葉のオンパレードで驚いた。
この方が何者なのかを見たら、いまいちわからなかったけれども、1つには絵を描く人らしい。
そしてその人の絵に対しての話と絵も描く友人ノムの話とが同じことを言っていてびっくりした。
ノムはいつか私に言った。
絵というのは、お金があるから買うものとは違うこと。
その絵を自分の生活の中に置きたい、その絵が欲しい、とかいうような気持ちが生まれない限り買うことのないもの、そういう気持ちになって初めて買うものだという話をしてくれた。
ちなみにノムは自分が売り手だという感覚もないし、それで買ってくれる人が買い手というのも何か違う、実際はそうでもそういう気持ちは違うと言っていた。
絵を通じて自分と誰かが繋がったり、縁が生まれたりする、ノムとは色んな話をしているけれど、ノムの絵を私は「魂の暗号」とか「魂の信号」と呼んだ。
ノムの絵を見て何かを感じる人というのは、絵の中にその人にしかわからない魂からのメッセージを受け取っている、もしくは魂的な何かをそこから感じている、そんな風に見えるというような話から私はそう呼んだ。
とかいうようなことと酷似した内容が横尾さんの本の中にも書かれていてとても驚いた。
しかもそれだけじゃない。
そもそも何者かを知りたくて本の裏表紙側をめくった時だった。
まさかの名前をそこで発見した。
発行者の「田邉浩司」さんは、何を隠そう、ノムの先輩、元上司?、とてもお世話になっている人で、この方がノムに書く仕事を振ってくれる。
そしてその方が振ってきた仕事の1つ、手帳の仕事が、今年の夏の真っ盛りの頃にノムから私に「一緒にやろう」と言われたものだった。
ちなみに「光文社」と見てもピンと来ない方もいるかもしれないけれど、この出版社はノムいわく中堅の出版社になるそうで、私からして一番わかりやすいものは『女性自身』になる。
何せ『女性自身』とノムから聞いていたものだから、まさかこんなにもぶっ飛んだ系の、でもある種精神世界の先駆けみたいな本を光文社が出してるなんて今まで知らなかった。
しかもこの本、1992年12月に「PHP研究所より刊行された『芸術は恋愛だ』を改題し、若干の加筆、訂正をしたもの」と説明書きがあった。
だから実際に書かれたのは1990年代初頭で、今から約30年も前、少なくとも「チャネリング」なんてまだまだ世の中でほとんど耳にする人がいない時に書かれたんだと知った。
この人も色んなそういう見えない世界のことの能力者を訪ね歩くことをしていて、そんなところもノムと似ているなぁと思った。
とかいう本を手にして、多分これは何かメッセージがあるだろうと確信した。
まだわからないけれども、しばらくお風呂の読書にしようと思う。
*
とかいうような、特段何ということもないけれども、とにかく濃密は濃密だった。
仕事の方も面白いというか、良く出来てる!と感心することがあったから、それも途中まで書いたからそのうちアップする。
何と言えば伝わるのかわからないけれども、小さな中に色んな奇跡が宿っている。
見ている風景やものは特別なものなんて何もない。
単なる本、単なるトレーナー、単なる歌、単なる働く人…。
「単なる働く人」は言い方が失礼だけれど、この場合は他と合わせるためにとりあえずそうしておく。
何1つ特別なものはないのに、そこにはそれぞれ固有の唯一無二のものが宿っている。
気付かなければ何てことない些末な事柄かもしれない。
けれど、ほんの少し視点を加えるだけで、一気に見えていなかった世界が見える。
その普段は見えないことたちが1日を通してあまりにもたくさん見えたから、それで「濃密」になった。
2019年12月19日木曜日
仕事日誌ー第3週目ー
ー第3週目ー
《サブタイトル:仕事以外のことで悩む》
あまりにもくだらないけれども、超重要事項、これから絶対について回ることで悩んだ。
とりあえず、調査大事!と思って、これからしばらくは調査という名の観察をすることにした。
事の発端は英訳だった。
突発的な英訳で、設計者に詳細を確認しないといけなくなった。
教育係の彼女と設計者の元へ出かけて、私はそこで衝撃の距離感を目にして、さらには衝撃の行動を見て、質問もそこそこに全然違うところへと意識は飛んでいった。
今の職場は1人当たり3畳くらいのスペースが与えられていて、そのうち2畳はL字型に机が配置されていて、残りの1畳が椅子を置くスペース兼他人とプチ打ち合わせができるスペースになっている。
設計男子(多分30前後)ー教育係の彼女(同じく30代前半)ー私という並びでいた。
それが設計男子と彼女の距離がめちゃくちゃ近い。
パイプ椅子をピッタリくっつけたくらいの近さで、「近っΣ(꒪◊꒪; )))) !」と思った。
まずはその距離感が無理だった。
彼女は本当に変な意味などなく、その近さで普段からやりとりしてるのだと思う。
設計男子は椅子に座っている。
彼女はしゃがんでいて、いわゆる上目遣い的な立ち位置で目を見ながら質問している。
∑(ΦдΦlll∑(ΦдΦlll∑(ΦдΦlll∑(ΦдΦlll?
ちなみにその時まで全く意識すらしていなかったけれども、彼女は私の時にもそうするから、別に男性だからとかそういうことでしているのとは違う。
だけど、気付けばこの会社、みんなその畳1畳スペースに入って質問してる人多くない?
しかも立ち膝的な、ヒソヒソコソコソみたいな、あれ?他の人たちはどうしてる?
英訳のための大事な質問なのに、私にはちんぷんかんぷん過ぎたし、彼女がきちんと聞いて理解してくれてるのをいいことに、その距離感や質問するときの体勢ばかりが気になって、それ絶対にイヤ!!!と思いながら見ていた。
他の人はしてもらって構わないけれども、私はその距離感無理だし、何が間違ってそんな至近距離で上目遣い的にやりとりしなきゃいけないのか意味がわからなかった。
教育係の彼女はそれをしてもいやらしさがないし(←こういう女の人珍しい!)、しかも可愛い人でやっても微笑ましい。
男の人たちも、彼女にならそれされても嬉しいだろうなぁと思う←本当に可愛いしニコニコしていて感じが良い。
私はとにかく、むーりーですから!と思いながら(相手の方々もやめて欲しいだろう)、じゃあどの位置にどういう距離で立つなりしゃがむなりしたらいいのか、それがわからない。
そんなの盲点すぎて、これまで見たことさえなかった。
幸い私の隣りの女上司のところには色んな男性陣が入れ替わり立ち替わりやってくるから、その時チラ見して(見るのにかなり体勢は無理があるけれど)、距離感の実態調査をしようと思う。
社内には暗黙のルールがあるらしいけれど、その1つ、役職で呼ぶ呼ばないよりも、質問や報告相談の際の相手との適切な距離感をもっとルール化して欲しいわ!と思った。
お偉いさんたちに女の人たちが質問してる姿は幾度となく見ているけれども(それはこれまでどこの職場でも見慣れた普通の姿)、そうではない人たちへの質問の仕方がイマイチわからない。
座席の在り方がおかしいからこんなことになっていると思う。
お偉いさんたちのデスクはお誕生日席風で、すぐ脇に立つことができるし、適度に距離を持って話すのが礼儀のようでもあるから、その状態がごく自然に出来上がっている。
だけど、お偉いさんではない人たちはみんなL字型席だから、件(くだん)のようなおかしな状況が生まれやすい。
そもそも、全体の1割程度しかいない女の人たちの中でお偉いさんではない男の人たちに質問や相談をする必要のある人たちが極端に少なくて、多分片手で数えても余るくらいの女の人しかそんなことしなくて良くて、他に見てても言われてみればそんな女の人いない気がしてきた。
現に私の斜め前男子は、オンリー男しか来ない。
そして間違いでなければ、その広いオフィス内で女の人で役職就いているのは私の隣りの席の女上司の人だけで、その上司も含めて基本的に男の人と個人的なやりとりをしないといけない人が極端に少ない。
大人になっても、ある種の男性恐怖症的なところがあるから、私は必要以上に男の人たちには気を使うし、どんなに仲良しの男友達でも私は必ず一定の身体的距離を確保する。
私が潔癖症なのではなく(むしろ汚いのも平均的なレベルよりもかなり平気な人)、私が近付いて気持ち悪がられたり嫌がられたりした過去の記憶がまさかの大人になっても抜けず、自分が傷付くからそんな風に思われたくないし、そういうのって露骨にわかったりもするから、近付かなければそうならないのなら、私は距離を積極的に置く。
そもそも近付きたいとも思わないから、相手に変な不安や不信を抱かせない程度の距離感は心掛けているつもり。
気付けば付き合うとかでもなければ、どんなに仲良しの男友達でも私は一定の距離感を置く。
ノリで対応できる職場とはわけ違うから、さらに距離感や関係を掴めないところがある。
っていうか、未だかつてこんなに距離近くで質問する職場を見たことがなかったから、ましてや上目遣い(はしたくなくてもせざるを得ない立ち位置)が必要みたいな…((°Д°;))))。
これ昼間に途中まで書いたものだけど、私はやっぱりそんなの自分が嫌だから、注意を受けない限りは自分が一番心地良い距離感と姿勢を持って質問することにした。
変人と思われてもあの人だけ立ち居振る舞いが周りと違うと思われてもいいから、自分にとってストレスにならない距離感と体勢を取ることにしよう。
妙な近さも無理だし、上目遣いなんてしたこともないからできないし、そもそも何で好きでもなんでもない男の人たちを下から見上げなきゃいけないのか意味がわからないから、失礼にならないように適切な距離感を置いて、私はあくまで立つか中腰ぐらいになって話に行こうと思う。
《サブタイトル:仕事以外のことで悩む》
あまりにもくだらないけれども、超重要事項、これから絶対について回ることで悩んだ。
とりあえず、調査大事!と思って、これからしばらくは調査という名の観察をすることにした。
事の発端は英訳だった。
突発的な英訳で、設計者に詳細を確認しないといけなくなった。
教育係の彼女と設計者の元へ出かけて、私はそこで衝撃の距離感を目にして、さらには衝撃の行動を見て、質問もそこそこに全然違うところへと意識は飛んでいった。
今の職場は1人当たり3畳くらいのスペースが与えられていて、そのうち2畳はL字型に机が配置されていて、残りの1畳が椅子を置くスペース兼他人とプチ打ち合わせができるスペースになっている。
設計男子(多分30前後)ー教育係の彼女(同じく30代前半)ー私という並びでいた。
それが設計男子と彼女の距離がめちゃくちゃ近い。
パイプ椅子をピッタリくっつけたくらいの近さで、「近っΣ(꒪◊꒪; )))) !」と思った。
まずはその距離感が無理だった。
彼女は本当に変な意味などなく、その近さで普段からやりとりしてるのだと思う。
設計男子は椅子に座っている。
彼女はしゃがんでいて、いわゆる上目遣い的な立ち位置で目を見ながら質問している。
∑(ΦдΦlll∑(ΦдΦlll∑(ΦдΦlll∑(ΦдΦlll?
ちなみにその時まで全く意識すらしていなかったけれども、彼女は私の時にもそうするから、別に男性だからとかそういうことでしているのとは違う。
だけど、気付けばこの会社、みんなその畳1畳スペースに入って質問してる人多くない?
しかも立ち膝的な、ヒソヒソコソコソみたいな、あれ?他の人たちはどうしてる?
英訳のための大事な質問なのに、私にはちんぷんかんぷん過ぎたし、彼女がきちんと聞いて理解してくれてるのをいいことに、その距離感や質問するときの体勢ばかりが気になって、それ絶対にイヤ!!!と思いながら見ていた。
他の人はしてもらって構わないけれども、私はその距離感無理だし、何が間違ってそんな至近距離で上目遣い的にやりとりしなきゃいけないのか意味がわからなかった。
教育係の彼女はそれをしてもいやらしさがないし(←こういう女の人珍しい!)、しかも可愛い人でやっても微笑ましい。
男の人たちも、彼女にならそれされても嬉しいだろうなぁと思う←本当に可愛いしニコニコしていて感じが良い。
私はとにかく、むーりーですから!と思いながら(相手の方々もやめて欲しいだろう)、じゃあどの位置にどういう距離で立つなりしゃがむなりしたらいいのか、それがわからない。
そんなの盲点すぎて、これまで見たことさえなかった。
幸い私の隣りの女上司のところには色んな男性陣が入れ替わり立ち替わりやってくるから、その時チラ見して(見るのにかなり体勢は無理があるけれど)、距離感の実態調査をしようと思う。
社内には暗黙のルールがあるらしいけれど、その1つ、役職で呼ぶ呼ばないよりも、質問や報告相談の際の相手との適切な距離感をもっとルール化して欲しいわ!と思った。
お偉いさんたちに女の人たちが質問してる姿は幾度となく見ているけれども(それはこれまでどこの職場でも見慣れた普通の姿)、そうではない人たちへの質問の仕方がイマイチわからない。
座席の在り方がおかしいからこんなことになっていると思う。
お偉いさんたちのデスクはお誕生日席風で、すぐ脇に立つことができるし、適度に距離を持って話すのが礼儀のようでもあるから、その状態がごく自然に出来上がっている。
だけど、お偉いさんではない人たちはみんなL字型席だから、件(くだん)のようなおかしな状況が生まれやすい。
そもそも、全体の1割程度しかいない女の人たちの中でお偉いさんではない男の人たちに質問や相談をする必要のある人たちが極端に少なくて、多分片手で数えても余るくらいの女の人しかそんなことしなくて良くて、他に見てても言われてみればそんな女の人いない気がしてきた。
現に私の斜め前男子は、オンリー男しか来ない。
そして間違いでなければ、その広いオフィス内で女の人で役職就いているのは私の隣りの席の女上司の人だけで、その上司も含めて基本的に男の人と個人的なやりとりをしないといけない人が極端に少ない。
大人になっても、ある種の男性恐怖症的なところがあるから、私は必要以上に男の人たちには気を使うし、どんなに仲良しの男友達でも私は必ず一定の身体的距離を確保する。
私が潔癖症なのではなく(むしろ汚いのも平均的なレベルよりもかなり平気な人)、私が近付いて気持ち悪がられたり嫌がられたりした過去の記憶がまさかの大人になっても抜けず、自分が傷付くからそんな風に思われたくないし、そういうのって露骨にわかったりもするから、近付かなければそうならないのなら、私は距離を積極的に置く。
そもそも近付きたいとも思わないから、相手に変な不安や不信を抱かせない程度の距離感は心掛けているつもり。
気付けば付き合うとかでもなければ、どんなに仲良しの男友達でも私は一定の距離感を置く。
ノリで対応できる職場とはわけ違うから、さらに距離感や関係を掴めないところがある。
っていうか、未だかつてこんなに距離近くで質問する職場を見たことがなかったから、ましてや上目遣い(はしたくなくてもせざるを得ない立ち位置)が必要みたいな…((°Д°;))))。
これ昼間に途中まで書いたものだけど、私はやっぱりそんなの自分が嫌だから、注意を受けない限りは自分が一番心地良い距離感と姿勢を持って質問することにした。
変人と思われてもあの人だけ立ち居振る舞いが周りと違うと思われてもいいから、自分にとってストレスにならない距離感と体勢を取ることにしよう。
妙な近さも無理だし、上目遣いなんてしたこともないからできないし、そもそも何で好きでもなんでもない男の人たちを下から見上げなきゃいけないのか意味がわからないから、失礼にならないように適切な距離感を置いて、私はあくまで立つか中腰ぐらいになって話に行こうと思う。
仕事中の空想休息タイム
少しだけ、と決めて書く。
今日(12/16)は、ひたすら黙々と英訳をしていた。
最後の1時間ほどは本当に神経がいかれたみたくなって、英訳は根詰めてやってはいけないと学んだ。
やりすぎると、頭が働かなくなる。
だけど、締切の迫ったものはそうも言ってられない。
だから明日以降は頭の気分転換を取り入れることにした。
考えてるフリして、5分とか10分とかボーッとする時間を意図的に持とうと決めた。
その時に考えること、記念すべき第一号のテーマが決まった。
「もし電話をかけるなら」
お題はそれ。
「もし電話をかけるなら」というのは、かける予定のない電話をもしかけるとするなら、というたられば話。
これが妙に楽しい。
仕事中でもいつでも空想世界に浸れる(♡´艸`)←仕事しろ!
くだらないことを山ほど考える。
出ない時、何コールまで鳴らしてもおかしな印象にならないか。
いきなり「武士俣です」と名乗るのがいいのか、〇〇でお世話になっていた武士俣ですと名乗るのがいいのか。
〇〇さんですか?とまずは確認するところからスタートするのか。
っていうか、ネタがその後ないからそこはどうカバーするのか。
タメ口も変かもだけど、ビジネスライクなのもよそよそしい、どういう口調がいいのか。
聞いてみたいことはたくさんあるけれども、いきなり聞くのはおかしいことばかりで、じゃあ何なら話をしても大丈夫なのか。
空想世界もとい妄想だけならどういう想像をしても今のところ楽しい。
英訳の仕事は本当に頭がフリーズしそうなほどありとあらゆる回路を使うから、少し頭を柔らかくするために取り入れたもののはずだった。
相変わらずたられば妄想を楽しんではいるけれども、遊びではなく本気でそれらを捉えてみると、そんなこと考えたら連絡こなくて当たり前かと思った。
そういう細々としたことをいくつも気にし出したら、はっきり言って何もできなくなる。
自分で考えた時に、そもそも連絡が欲しいなどと思っている自分の希望そのものが超ハードル高いことだったんじゃないかと思った。
色々無理だな、難しいな…、とか考えると、気持ちも暗い部分が顔を覗かせる。
私は何をしているのかという話だけれども、大きなオフィスの中に自分の身を置いてみて、当時のことは本当に稀すぎることだったんだと改めて知った。
オフィスの大きさも適度な小ささと適度な大きさを兼ね備えたちょうど良い大きさで、みんながみんな誰さんなのかわかるぐらいの規模だった。
コソコソ隠れるようにして見ていてもバレない距離感を保ちつつ、反対に視野に十分入る空間の大きさで、大きすぎず小さすぎずベストな大きさの中に自分の身を置いていた。
携帯の着信音が耳に入るぐらい、電話がかかってくればその声が聞こえるぐらいの広さだった。
今のところは広すぎて(50M走なら普通にオフィス内で開催できる)、何もかも遠くて大きすぎる。
当時の仕事は、どういうわけか私は最後まで社内メール無しで対応されていた。
無くても困らなかったし、セクハラパワハラネット研修みたいなのは教育係の人のメールに届いたものを一緒に見てやる程度で、本当に困り事は何もなかった。
時々思う。
もし私が当時社内メールを与えられていて、それを使える立場にあったのなら、私は見えない電子メールを使ったかもしれないけれど、見える手紙やメモを残すことはしなかっただろうなぁと。
手紙だって何を書いていいかわかっていたわけじゃないけれど、少なくとも何百通と色んな種類の手紙を手書きで書いてきたから、手紙を書くことそのものに抵抗はなかった。
昨日も昨日で、会計監査の資料を友達に送るにあたり、一言お礼の手紙を書いて同封した。
そうやって普段から書く習慣があるから、そういうことに慣れてはいるものの、それでも電子メールがあるなら形の残らない電子メールで用件を伝えたんじゃないかな…と思う。
そういうものを相手に形として残すのは、正直な気持ち、気乗りはしなかった。
相手も私を気に入ってくれてるとかならまだしも、そうではない人に形あるものを手元に残すとはいかがなものかと思った。
だけどあの時はそれしか手段がなくてそうなった。
そういうことも、イレギュラーながら、そういう組み合わせがその時にはあって、その時のベストだったんだと知る。
手紙やメモの行方は知らないけれども、生涯で一度きりの形あるものが行き渡ったということで良しと思う気持ちもあれば、そんなのいつまでも手元に置いておかないで燃えるゴミの日にゴミとして出してきちんと他の人の目に触れないようにしてねとも思えば、最初はどこでどんな気持ちでそれらに目を通したのかなと思ったり、色々思う。
もうどの時も二度とは戻らない。
後悔でもない、絶望でもない、不安や心配でもない、言葉にはできない気持ちが去来する。
今の広いオフィスに身を置いて、色々勝手の違う中にいて、その景色の違う世界にいる自分を見て、いつの時もその瞬間にしか存在し得ないことを痛感する。
広いオフィスにきちんとした日本企業。
その人の毎日もこんな風なんだろうかと想像する。
自分が色々場違いだったんじゃないかと思う回数がたくさんある。
日本のきちんとした企業というのは、本当に目を見張るものがある。
今の職場がおそらく一番その人のいる業態にかなり近いと思うけれども、そこにいると私というのはずいぶんと周りとは違う感覚なんだろうということを思い知る。
私は自分の無知さや社会性の欠如が色々と自分の身を助けたように思う。
当時の私は社会的な常識でも社会人としての適切なふるまいでもなく、自分の中から湧き出る意味不明な衝動に基づいて動いていた。
理性とか社会性とか、本来遵守するものを飛び越えて、自分の気持ち最優先で、そうすると決めたのなら他は全部二の次三の次となった。
今いる世界にいて、そんなことがどれだけ有り得なくて、逸脱していて、異常な状態なのかを知った。
私はそれを魂の衝動だと思っているけれども、その衝動に従えたのは、私の無知さと社会性の欠如がなければ絶対に起こり得なかったとわかる。
今のところにいて、そんなことしようなんて絶対に考えないし、そうしたことがどれだけおかしなことなのか今ならわかる。
あの時にできた色んなことは、あの時にしかできないことだった。
それをますます自分の中で感じるようになった。
今黙々とする作業的な仕事が多いけれども、そんな中で色んなことが事件簿のように発生する。
パソコンがありえないエラーを起こすとか、社内で迷子になるとか。
そういうことでも自分の中のあらゆる細胞が「ヤバイ」となって驚くのに、だから表面は涼しい顔して対処していたとしても、実際は全く違う。
当時のことは、相手からしたらちょっとした事件簿ではなく、何がどうしたらそんな訳の分からないことが起こるのか?と言いたくなるような、そういうものだったのかもしれないなぁと初めて思った。
そういうものを第三者が発生させて嫌でもそれに付き合わされて、そんなのに巻き込まれたにも関わらず、その人はそこに居ざるを得なかったからそこに居たそのことが突然ものすごくありえなかったんだと今さらながらに気付いた。
色んな気持ちを抱きながらまた仕事中に頭のストレッチと休息を行うと思う。
仕事中に事件というか不具合的な非常事態を体験する時の気持ちを今度は想像してみようと思う。
今日(12/16)は、ひたすら黙々と英訳をしていた。
最後の1時間ほどは本当に神経がいかれたみたくなって、英訳は根詰めてやってはいけないと学んだ。
やりすぎると、頭が働かなくなる。
だけど、締切の迫ったものはそうも言ってられない。
だから明日以降は頭の気分転換を取り入れることにした。
考えてるフリして、5分とか10分とかボーッとする時間を意図的に持とうと決めた。
その時に考えること、記念すべき第一号のテーマが決まった。
「もし電話をかけるなら」
お題はそれ。
「もし電話をかけるなら」というのは、かける予定のない電話をもしかけるとするなら、というたられば話。
これが妙に楽しい。
仕事中でもいつでも空想世界に浸れる(♡´艸`)←仕事しろ!
くだらないことを山ほど考える。
出ない時、何コールまで鳴らしてもおかしな印象にならないか。
いきなり「武士俣です」と名乗るのがいいのか、〇〇でお世話になっていた武士俣ですと名乗るのがいいのか。
〇〇さんですか?とまずは確認するところからスタートするのか。
っていうか、ネタがその後ないからそこはどうカバーするのか。
タメ口も変かもだけど、ビジネスライクなのもよそよそしい、どういう口調がいいのか。
聞いてみたいことはたくさんあるけれども、いきなり聞くのはおかしいことばかりで、じゃあ何なら話をしても大丈夫なのか。
空想世界もとい妄想だけならどういう想像をしても今のところ楽しい。
英訳の仕事は本当に頭がフリーズしそうなほどありとあらゆる回路を使うから、少し頭を柔らかくするために取り入れたもののはずだった。
相変わらずたられば妄想を楽しんではいるけれども、遊びではなく本気でそれらを捉えてみると、そんなこと考えたら連絡こなくて当たり前かと思った。
そういう細々としたことをいくつも気にし出したら、はっきり言って何もできなくなる。
自分で考えた時に、そもそも連絡が欲しいなどと思っている自分の希望そのものが超ハードル高いことだったんじゃないかと思った。
色々無理だな、難しいな…、とか考えると、気持ちも暗い部分が顔を覗かせる。
私は何をしているのかという話だけれども、大きなオフィスの中に自分の身を置いてみて、当時のことは本当に稀すぎることだったんだと改めて知った。
オフィスの大きさも適度な小ささと適度な大きさを兼ね備えたちょうど良い大きさで、みんながみんな誰さんなのかわかるぐらいの規模だった。
コソコソ隠れるようにして見ていてもバレない距離感を保ちつつ、反対に視野に十分入る空間の大きさで、大きすぎず小さすぎずベストな大きさの中に自分の身を置いていた。
携帯の着信音が耳に入るぐらい、電話がかかってくればその声が聞こえるぐらいの広さだった。
今のところは広すぎて(50M走なら普通にオフィス内で開催できる)、何もかも遠くて大きすぎる。
当時の仕事は、どういうわけか私は最後まで社内メール無しで対応されていた。
無くても困らなかったし、セクハラパワハラネット研修みたいなのは教育係の人のメールに届いたものを一緒に見てやる程度で、本当に困り事は何もなかった。
時々思う。
もし私が当時社内メールを与えられていて、それを使える立場にあったのなら、私は見えない電子メールを使ったかもしれないけれど、見える手紙やメモを残すことはしなかっただろうなぁと。
手紙だって何を書いていいかわかっていたわけじゃないけれど、少なくとも何百通と色んな種類の手紙を手書きで書いてきたから、手紙を書くことそのものに抵抗はなかった。
昨日も昨日で、会計監査の資料を友達に送るにあたり、一言お礼の手紙を書いて同封した。
そうやって普段から書く習慣があるから、そういうことに慣れてはいるものの、それでも電子メールがあるなら形の残らない電子メールで用件を伝えたんじゃないかな…と思う。
そういうものを相手に形として残すのは、正直な気持ち、気乗りはしなかった。
相手も私を気に入ってくれてるとかならまだしも、そうではない人に形あるものを手元に残すとはいかがなものかと思った。
だけどあの時はそれしか手段がなくてそうなった。
そういうことも、イレギュラーながら、そういう組み合わせがその時にはあって、その時のベストだったんだと知る。
手紙やメモの行方は知らないけれども、生涯で一度きりの形あるものが行き渡ったということで良しと思う気持ちもあれば、そんなのいつまでも手元に置いておかないで燃えるゴミの日にゴミとして出してきちんと他の人の目に触れないようにしてねとも思えば、最初はどこでどんな気持ちでそれらに目を通したのかなと思ったり、色々思う。
もうどの時も二度とは戻らない。
後悔でもない、絶望でもない、不安や心配でもない、言葉にはできない気持ちが去来する。
今の広いオフィスに身を置いて、色々勝手の違う中にいて、その景色の違う世界にいる自分を見て、いつの時もその瞬間にしか存在し得ないことを痛感する。
広いオフィスにきちんとした日本企業。
その人の毎日もこんな風なんだろうかと想像する。
自分が色々場違いだったんじゃないかと思う回数がたくさんある。
日本のきちんとした企業というのは、本当に目を見張るものがある。
今の職場がおそらく一番その人のいる業態にかなり近いと思うけれども、そこにいると私というのはずいぶんと周りとは違う感覚なんだろうということを思い知る。
私は自分の無知さや社会性の欠如が色々と自分の身を助けたように思う。
当時の私は社会的な常識でも社会人としての適切なふるまいでもなく、自分の中から湧き出る意味不明な衝動に基づいて動いていた。
理性とか社会性とか、本来遵守するものを飛び越えて、自分の気持ち最優先で、そうすると決めたのなら他は全部二の次三の次となった。
今いる世界にいて、そんなことがどれだけ有り得なくて、逸脱していて、異常な状態なのかを知った。
私はそれを魂の衝動だと思っているけれども、その衝動に従えたのは、私の無知さと社会性の欠如がなければ絶対に起こり得なかったとわかる。
今のところにいて、そんなことしようなんて絶対に考えないし、そうしたことがどれだけおかしなことなのか今ならわかる。
あの時にできた色んなことは、あの時にしかできないことだった。
それをますます自分の中で感じるようになった。
今黙々とする作業的な仕事が多いけれども、そんな中で色んなことが事件簿のように発生する。
パソコンがありえないエラーを起こすとか、社内で迷子になるとか。
そういうことでも自分の中のあらゆる細胞が「ヤバイ」となって驚くのに、だから表面は涼しい顔して対処していたとしても、実際は全く違う。
当時のことは、相手からしたらちょっとした事件簿ではなく、何がどうしたらそんな訳の分からないことが起こるのか?と言いたくなるような、そういうものだったのかもしれないなぁと初めて思った。
そういうものを第三者が発生させて嫌でもそれに付き合わされて、そんなのに巻き込まれたにも関わらず、その人はそこに居ざるを得なかったからそこに居たそのことが突然ものすごくありえなかったんだと今さらながらに気付いた。
色んな気持ちを抱きながらまた仕事中に頭のストレッチと休息を行うと思う。
仕事中に事件というか不具合的な非常事態を体験する時の気持ちを今度は想像してみようと思う。
2019年12月18日水曜日
Facebookの友達申請
2019/07/21
久しぶりにFacebookの友達申請が来た。
見たことない名前で、いたずらかと思った。
一瞬、学生時代に仲良くして最後は仲違いした子が思い浮かんだけれど(下の名前が同じ)、どう考えても今さら来ないだろう…と思った。
「共通の友達1人」と出ていた。
共通の友達がいるということは、全く見知らぬ人ということではなさそうだった。
これが決定打で、気になって見てきた。
名前を見てもやっぱりわからなくて(経歴はもっとわからなかった)、もしかして…と思って写真を見たら、知ってる人だった。
共通の友達って誰?と思ってそれも表示されて(Facebookの現行の仕組みすらよくわかっていない)、あぁ…となった。
結論から言うと、どちらもフェイドアウトした人間関係だった。
っていうか、よく私を見つけ出したね?と驚き半分皮肉半分で思った。
今まだ『eat LOVE』シリーズの最終話の途中にいるけれど、書いていて気付いたことがある。
30歳以前に出会った人たちというのは、今も健全な関係が細く長く続いている。
30歳以降に出会った人たちは、みんなではないけれど、私が大幅な人間関係の断捨離をした人たちは、みんな共通して30歳以降に出会った人たちばかりだった。
何年も前になるけれど、今回友達申請を送ってきた人やその共通の友達1人とされた人たちも、何年も前に私は徹底的に距離を置いた。
理由は簡単で、「利用される」から。
利用されると書くと、利用価値の高い人みたいだけど、そういうことじゃない。
誰にでも1つ2つ得意分野はある。
これは絶対にある。
何百人と見て、なんならオール1の子どもたちも見て、それでも絶対にあると言い切れる。
もちろん私も得意分野がある。
で、利用しようとする人たちの欲しいものと私が持っている得意なものが一致してるから、そういうことが起こるだけで、別にそれが私がものすごく利用価値が高い人ということじゃない。
相手の人たちは何も思っちゃいないだろうし、利用してる気さえないような気がする。
なんだけど、実に軽々しく人を使おうとする。
ちなみに今回の人は、数年前の当時、まだ会って3回程度だったと思うけれど、突然私は連絡をもらってお願い事をされた。
自分でオラクルカード(※)を作るから、その英訳をして欲しいというものだった。
(※…天使のカードや一言カードみたいな、神託カードと呼ばれるもの)
しかも、私は英語ができることを彼女には言っていなくて、何かしらの手段で(人づてか何か細かいプロフィールでも見たか)知り得て突然言ってきた。
こういうのは普通なのか普通じゃないのかは知らないけれど、私からして非常識の他の何ものでもなかった。
そもそも仲良くもないのに、簡単に英語のことをお願いする、それもどう考えても超大変な英訳をお願いするなんて、そこそこ丁寧な人間関係を持ったことのある人なら、まず発想すら思い浮かばないと思う。
すごい余談だけど、私は英語のことで2人の人に知恵を借りたいとお願いしたことがある。
その2人は本業で翻訳をしていて、当時私はある団体名の英訳をお願いされて、それで自分1人だと本当に合っているのかどうかも判断できなくて、それでチェックや他にもっと相応しい単語があれば教えて欲しいとお願いした。
自分がそもそも無償でお願いされたこともあって、自分も2人には友達的な立ち位置で相談ということをした。
1人からやんわりと「きちんとしたものなら、プロにお願いした方がいい」と言われた。
無知な自分はそこでようやく気付いた。
私がしていたのは、そのカードの英訳をお願いするような感じで、本来ならきちんとお金を払ってお願いすることなんだということ。
そして、私も私で引き受けるなら有料でやるレベルのものだということ。
お金云々というよりも、相手への敬意や配慮が足らないことが問題だった。
2人には謝り、そして私も今回は返事したから引き受けたけれども、細かな経緯も全部説明して次回以降は私は引き受けないことを依頼主には伝えた。
そんなこんなのことを、今回のFacebookの友達リクエストを見て思い出した。
そのままスルーしている。
今後も関わることがないし、幸いに遠くに住んでいるからご近所になる予定もない。
すごい些細なことでも、私は不快感を覚えたものはねちっこいぐらいに覚えている( ̄∀ ̄;)。
思いやりって何をもって思いやりとするのか、個人の感覚で全然違っていたりする。
私の当たり前は誰かの当たり前とは限らない。
特に人付き合いの初期の頃は、どうしても相手の感覚がわからないから、お互いに確認しながらみたいな風になる。
そう思ったら、今回会った『eat LOVE』シリーズに出てくる占星術講座のクラスメイトのノムとその恋人のミッチー、そして2人の大家さんであるレイさんは、初っ端からそういうことの探り合いみたいなことが一切要らない相手だった。
私は3人になら今後の付き合いで減点ポイントが出てきても、付き合い継続の方が大事だからそこを何らかの形で自分の中で消化すると思う。
かいかぶりとかではなく、3人は本当に人への気遣いや接し方が真似したくなるぐらいに丁寧で、それは計算してそうしてるのではなく、本当に人を大切にしよう!という気持ちに溢れている。
2019年12月17日火曜日
社会復帰日誌
私の相棒
こういう細かい感覚がわからないと色々困る
業務ではなく、パソコン操作メモ
( ̄∀ ̄;)
教えてもらった時のダダ書きメモ
自分でも後から見てわからないことがけっこうある…
これはパソコン操作だけど
ここまで細かく書かないとわからない
今月から始まった新しい仕事について。
ー第1週ー
《サブタイトル:毎日事件簿》
毎日毎日、どういうわけか何かしら事件があって、仕事に慣れる以前のことが勃発しまくりだった。
職場があまりに広すぎて(東京ドームひとつ分とか普通にあると思う)、そしてどこもかしこも似たような風景で、私はそれで自分の席から駐車場まで、または朝の小忙しい時に駐車場から自分の席まで迷子になった。
仕事始まる前からグッタリと疲れた( ̄∀ ̄;)。
他にも、朝の通勤の道の混み具合が全くもって予測が立たず、それのせいで日々ものすごい早くから家を出ている。
本来25分で着くものの、1時間前、雪の日は1時間以上前に出るという、社会人の鑑のようなことをしている。
未だかつてギリギリセーフにしか到着したことのない私が、いきなり超余裕を持っての到着、早い日は始業40分前に到着という、前代未聞の快挙を成し遂げている。
人間いつからでも変われるんだ〜と感動(笑)。
ようやく社会人として真っ当な対応ができるようになった。
ちなみに雪や電車遅延以外の理由で遅刻したのは社会人人生の中で過去に一度だけ。
朝マックして遅くなったΣ(꒪◊꒪; )))) 。
早く家をでたくせして、まさかの朝マックで遅刻なんて、本末転倒だった。
電話に出たのは当時のイケメン上司ではないかと思ったけれども、冷ややかな声が「おまえ、何で少し遅れるんだよ?」と言われてるみたいで、でも黙って遅刻はもっと心証が悪くなると思って電話をした。
だから遅刻は社会人生活でそれ一度きりだったと記憶している。
とかいう私が、今は毎日早々と到着している。
あとこれが1週目なのか2週目なのか忘れたけれども、今冬最高に気温が下がった日の朝のこと。
なんと車のドアが開かない((((;゚Д゚)))))))!
ここ半年くらい、騙し騙し車のキーのリモコンを使っていて、特にこの仕事が始まってからはすこぶる調子が悪く、リモコンが反応しないようになった。
10回のうち1回反応するくらい。
だから最近は直接鍵口に鍵を差し込んで開け閉めをしている。
その日もリモコンは反応せず。
そしてまさかの鍵口内部も凍っていて鍵を差し込めない。
慌てて家の中に入ってボールにお湯を入れて、また車に戻ってお湯をかけた。
ようやく鍵口に鍵が入ってドアは開いた。
ただ、凍り方が半端なかったから、窓もサイドミラーも全部何も見えなくて、雪かきのブラシ(←名前知らない、何て言うんだろう?)を後部座席側から取ろうと後部座席を開けた。
正しくは開けようとした。
それがまた全く開かなくて、さらなるお湯がいると思ってお湯を取りに家に戻った。
今書いてて思ったけれども、どうして風呂の浴槽からお湯を持ってこようと思わなかったのか…( ̄∀ ̄;)。
しかも風呂場ならバケツもあるから、一気にたくさんのお湯を運べる。
建て替えられた我が家の風呂は、新築当時父の同級生の電気屋から、風呂のお湯は冬場は朝に落としてくれと言われた。
夜に落とすとそれが凍結の原因となって、翌朝水が流れない原因にも繋がって水回りに水が溢れるとかいうことがメーカーのコールセンターにクレームとして入ったという話だった。
しかも最新の風呂は凄くて、朝も湯温がさして冷めずに温かいから、車の凍結解除には持ってこいのものだと今さら気付いた。
パニックすぎて、蛇口から出していた私は、蛇口からお湯がボールに貯まるまでの何十秒でさえも長く感じて仕方なかった。←もっと余裕持てよ!という話。
雪かきブラシを出すために後部座席側のドアにお湯をかけてドアを開けた。
開けるところまで良かった。
そうしたら今度はなんと閉まらない。
Σ(ΦдΦlll)))!!!!!
何が起こっているのかわからないけれども、とにかくドアが閉まらなくて、またもや家に戻ってお湯を取りに行って、そしてもう一度ドアにお湯をかけた。
今度は閉まったには閉まったけれども、なんと元には戻らなくなった。
ドアはピッタリと車体本体にくっついて、ビクともしない。
ドアが単に氷でくっついているのか故障しているのか、判断がつかなかった。
とりあえず閉まったから良しとして、ガリガリと雪かきブラシで掻きつつ、お湯もあと2、3往復して取りに戻って、それでようやく車を出せるぐらいにまでなって出発した。
新潟生活冬バージョンはもう何年も経験しているけれども、今回の車のドアの凍り方は初体験で、朝から何をどうしたらそんな危機的状況に陥るのか、ギャグかと思った。
全くありがたくないものだったし、こういう手の不測の事態には不慣れすぎて、朝から1日分のエネルギーを使い果たした気分だった。
ちなみにドアは単に凍りついただけらしく、夕方に開けてみたら大丈夫だった!
(↑試しに開けて閉まらなくなったら困るから、日中はそっとしておいた。)
他にも色々すったもんだ事件があったけれども、あまりにバタバタとして覚えていない。
とにかくそんなことが毎日何かしらがあった第1週目だった。
*
下書き見てたら勤務4日目の12月5日にこんなこと書いてた。
>>>
とりあえず4日間通って、毎日午前・午後と各1回以上ずつ睡魔に襲われる。
静かだし(質問以外喋らなくていい)、真後ろで鳴る大きなコピー機の稼働音もまるで子守唄だし、室温は暖かく、「はい、寝てください!」とお願いされたかと勘違いしてしまう場所。
例えば前日の夜に10時間とか寝ても私は寝落ちする気がする。
さてはて仕事の話。
まだ概要は知らないけれども、とりあえず英訳の仕事と取扱説明書清書の仕事がある。
それ以外はおいおい知っていく。
英訳の仕事は突発的ゆえに常日頃あるわけじゃないとのこと。
なんだけど、この間初めて隣りで見せてもらった突発的な英訳は、見た瞬間ひっくり返りそうだった。
図面とかによくある、各種注意書的なもの、ああいうタイプの英訳だったけれども、やばいくらいに日本語が省略されまくりだった。
そしていくつか文章もあったけれど、一部面白くて笑いそうになった。
(「御座います」ー御座いますー!?)
「〜である」とか「〜です」で良いはずなのに、「御座います」。
それも「ございます」じゃなくて「御座います」って…( ̄∀ ̄;)。
英語だと「〜である」も「御座います」も同じ単語が充てがわれるけれど…と、そっと心の中でつっこんだ。
ちなみに私の教育係の人は声に出してつっこんでた(笑)。
その日の感想には、
・想像以上に大変そう、慣れるまで
・マニアックな専門用語は宇宙語
と残してある。
その時はまだ英訳の練習しかしていなかった私。
その時にやったものが
「A機B型☆☆タイプねじ埋め込み台上部接続部分で、パーツXを入れ替える。」
みたいなものがあって、頭をフル回転させても意味がわからなかった。
何が主語ですか?∑(ΦдΦlll?みたいな。
そして、やたらとマニアックな場所を指定しているけれども、それってどこが本当に大事なパートなんですか?みたいな。
書いているうちに、第1週目の超事件簿を思い出したから、それを次に紹介。
*
2日目だったのか3日目だったのか忘れたけれども。
仕事上でよく使うPDFやそれに伴う諸々の作業のやり方を教わっていた時のこと。
なんと、PDFの作業の時にパソコンがありえないエラーを起こして、そのエラーの具合が普通のパソコンなら数分で完了するものの、私のは1時間以上かかってまずはエラー解消、その後に恐る恐る少量ずつ仕事を進めるという、意味不明なことが起こった。
教育係の人も唖然としてパニックになり、お隣りの方にも助けを求めるも「見たことのないエラー」と言われみんなで笑うしかなくなり、とにかくパソコン本体が新しい作業に慣れるまでは腫れ物に触るように作業をちまちまとパソコンのご機嫌伺いなんぞしながらやった。
スピードは多少上がったものの、未だに謎の確認作業は継続中で、パソコンとも前途多難な始まりを共に迎えた( ̄∀ ̄;)。
なんなら、共有データを更新する時も私のパソコンはいちいち「応答なし」とかいう怖いフレーズを画面に映し出して、私も私で固唾を呑むようにして見守っている。
女上司の人に万が一本当に保存ができないとかエラーが起こったらどうしたらいいかを早々と聞いた。
「そんなことはかつて起こったことがない」と説明された上で、だけど何せ私の使用しているパソコンがなかなか不思議なパフォーマンスを披露するもんだから、上司も「エラー出たらすぐに知らせてください」と言われた。
最悪システム課の人を呼んで対応しなきゃいけないとのこと。
ただでさえパソコン全般苦手なのに、よりによって何でそういう怖いことばかりが起きるかな…と思う( ̄∀ ̄;)。
周りの方々から口々に「呪われてるね(苦笑)」と言われ、私も呪われてるとしか思えないパソコン本体エラーに超ドギマギした。
私からすると、あの世に渡った霊魂が私の部屋にご登場されたことよりも、目の前のパソコンが社内の機密データを飛ばすかもしれないことの方が怖すぎる。←大真面目に。
そういう私からすると何よりも得体の知れないパソコンエラーがかなりな頻度で勃発するから、それで第1週目は何だかんだと色々あることを思い出した。
ちなみにエラーの起こり具合は相変わらず持続したままで、とりあえずデータだけは飛んでないから今のところセーフということにしている。
データが飛ばなきゃセーフって…( ̄∀ ̄;)。
ー第2週ー
《サブタイトル:重圧感と重責感》
「端末台の基盤の中央の板が上部に上昇して、止め台のネジがしっかりとしまるようになる。」
今日(12/11)仕事中にやった英訳に似た文章。
ちなみに上の私のうろ覚えの文章はまだ良くて、本物の文章はそもそもの日本語が何を言っているのかもっとわからなかった。
そもそも何が主語で、どんな動作がその時に起こって、その結果ゆえどんな風にネジが締まるのか、っていうかネジそのものはどこに付いてるのか?みたいな、これはネジの話なのか、板の話なのか、何なのか、私は10数回は大きなフォントでの2行ほどの短い文章、しかも隣りに写真があったから、実質1行の長さもないような文章1つに延々と悩みまくった。
声に出して音読したらわかるかも…と思って、小さく声にしてみたけれども、声にしても黙読しても理解度は全く変わらず、わからないものはわからなかった。
そもそも板が多すぎる。
・端末台
・基盤
・中央の板
・止め台
何が悲しいかな、直訳したら「plate」が4つも出てきて、プレート主語のプレートONプレートONプレートみたいな、もうはぁーーーーー!?みたいなことになったΣ((ΦдΦlll)。
記憶が戻らず、しかもそんなの社外秘に決まっているから、本来の言葉をそのまま出せないけれど(記憶にそもそもないから、知ってて出せないのとは違う。忘れて出せない)、とにかく文字通り訳したらえらいことになった。
しかも、板とやらが勝手に1人で動くのか、人間側が何かしら操作して動かすのか、それともAという現象が起こると一緒につられてB(板の移動)も自動的に起こるのか、とにかく日本語は読んでいてもさっぱりちんぷんかんぷんだった。
しかも端末台と基盤は何が違うのか、工業的な知識もなさすぎて、私には「りんごもステーキもおかゆもみんな『食べ物』でしょ?」レベルの理解力しかない。
これまでの英語とは全くレベルが違う。
過去最高に怖い英語で、何が怖いって、何百万円もする機械の新設や改造されて新たに英訳が必要になったら、その部分を私が訳すこと。
ネイティブによる推敲などなく、なんならGoogle翻訳が私の師匠兼相棒で、さらには英訳したものを元に他のもっとマニアックな外国語が注文に応じて翻訳される。
今は私の教育係の方がいるからいいけれども、その方がいなくなる1月以降、冗談抜きでシャレにならない英訳たちが待っている。
今日も私のすぐ隣りで女上司と教育係の彼女が無理難題を突き付けられた英訳について、愚痴のような話と思われることを言っていた。
話が高度すぎて、雰囲気で「愚痴かな…」と思っただけで、話は宇宙語のような専門用語のオンパレードで、実際は愚痴ではなく相談とかかもしれなかった。
残り2週間ほどで私の英語力がめきめきと伸びることは見込めないから、いかに足を引っ張らず極力日本語の手順や操作方法に近い言葉を言えるのか、そうした言葉に慣れることができるか、正直なところ、どのように対応したら不可能が「可能」になるのかさっぱりわからない。
ー第2週後半ー
《サブタイトル:覚悟が決まる》
木曜日、初めての公文書の英訳をした。
1枚ものではあったけれども、もう初っ端から期待を裏切らず、超絶難しかった。
初日に渡された、新入社員用の英訳練習と似たタイプのものだったから、全く知らないとかではなかったけれども、中身は丸っと新しかった。
何が終わってるって、タイトルからいきなりわからなかった。
変更仕様に関するお知らせで、日本語でざっくりと言えば『AとBの変更について』になる。
そのAとBにあたる単語がとてつもなく長く、そしてofとofをダブル使いしたら「はっ!?」ってなるから、本来ならofを使うものをofは不可。
もういきなりフリーズした。
苦肉の策で、私はなんとタイトルを2つに分けた。
あとから教育係の人に聞こうと思って、a of b of cにできないなら、他の方法でいくしかないわけで、それをそのようなはちゃめちゃな「タイトル二刀流」という斬新なやり方を取った。
結果を先に言うと、それはやはりダメで、そりゃそうだ、私だって100本近い論文書いたけれどもそんなタイトル二刀流なんてしたことがない、 ofの1つをonに変えるという秘策を教えてもらった(b of c on a)。
ちなみにb of c on aだって、こんな単純ではなく、a b c共通でそれぞれたった1つの固有名詞に対して1行ないし1行の半分は使う長さを誇っていた。
そんな長いところに小さな前置詞が一瞬だけ入ってる。
「前置詞攻略法」とか、英訳用の本を1冊書けそうな気がする( ̄∀ ̄;)。
続いての内容は、さらに意味がわからなかった。
その中に「分割」という単語が出てきた。
はい、きたー(ΦдΦlll)!
少しずつ英訳文に見慣れてきたことで知ったことの1つに、日本語の熟語が超厄介者だということがわかった。
金曜日の午後に来た大型の英訳文を見て、ぶっ倒れるかと思ったけれども、わかりやすい例だから話をすると。
機械の非常停止に関して記載されている部分があった。
それはどの機械でも、どの社の製品でも確実に付いて回るものだから、話を出しても差し支えないかと思うから例に使わせてもらうけれども。
非常停止の3パターンがあった。
「非常停止、アラーム」
「運転一時停止中」
「運転中」
日本語ならこれで十分意味が伝わるし、それでいい。
でも悲しいかな、英語には名詞と名詞とを組み合わせて一語にする言葉が残念ながらない。
短的且つ端的な文章にしないと意味が通じない。
非常停止なんてどの機械にもあるものだから過去の英訳をそのまま持ってくる予定でいた。
ところがどっこい。
私が英訳することになった今回のものは、微妙に日本語の言い方が違う。
過去のデータを見ても違う時の言い回しの英訳を見つけられなかった。
さらに過去のものも、どういうわけか統一されていなくて、「えっ!これでいいの?」と思うような不思議な英訳もあったし(ちなみにバッサリ言うと、英語的にはアウト)、見れば見るほどどうしていいのかわからなかった。
他の質問共々教育係の彼女に聞いたら、彼女も全く同じツッコミをして、さらにもう1つ付け足して言った。
「『アラーム』ってあるじゃないですか?このアラームもね、非常停止をすると鳴るものなのか、非常停止とアラームは別物なのか、それとも非常停止にもレベルがあって鳴る時と鳴らない時があるのか、アラームが鳴るのが先でその後非常停止するのか、その意味によって全然英訳が変わるんですよね…。
これ、後からまとめて設計者に質問する時に聞きましょう!」
ゲーーーー( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;)
何この難しい英訳。
そう、この日本語の熟語たちは、短的且つ端的に表しすぎてて、もはやどんな現象がその向こうで起きているのかさっぱりわからない。
そんなことを毎回想像しながら日本語を見て、当然見てもわからないから、アラームと非常停止の可能性もどんな可能性があるのかあらゆるものを考えて、それをまずは自力で用意しないと質問すら成立しないなんて…。
妄想は得意でもそういう機械系の妄想は無理すぎる。
先日もあった。
「高さで調整する」という言葉。
私は単純に「by height」かと思ったら、そうではなく「by using height」だと教えてもらった。
えっ!?高さを使って調整するなの?そんなのどこに書いてある?みたいな。
想像の域を遥かに超えた摩訶不思議な機械説明(日本語)のオンパレードで、私にはどれもこれも外国語かはたまた宇宙語にしか見えない。
そんな無理無理な日本語の想像を働かせて、それを理系バリバリの設計男子たちに毎度聞きに行くとか、真面目に倒れる。
これもさらに余談だけど、たしかに私のいる部署はAll女性でいいけれど、体育館の広さは確実にある同じフロア内の設計部門的なところは反対にAll男性で、その男島みたいなところに今後1人で行くのかと思うと心細い。
しかも、産休の人は入社4年目とからしいから20代の若者、私の教育係の人は30代前半かな?という感じで可愛いし明るい、そして仕事ができる!!!
そんな2人の後をババアが引き継ぎますみたいな、自虐ではなく本当にそうだから、しかも色々超怪しい初心者で、作業は遅いし飲み込み悪いし、だけど質問は人一倍ありますみたいな。
普段自分の容姿がどうだなんて考えないけれども、可愛いくてできる人の後のババア+不出来な自分というのは、単純に荷が重い。
真面目に英語力も日本語理解力も怪しいから、せめて理系男子たちのイラシ(イライラする)ではなく癒しとなるよう美貌をお与えくださいと願いたくもなる( ̄∀ ̄;)。
理系男子たちは物静かな感じで(見た目)、人は悪そうな感じはしないけれども、あぁどうか私が怒らせたり余計な徒労を生み出したりしませんように…と願っている。
話を戻して、「分割」の話。
日本語では分割の後に別の名詞がきて「分割形式」みたいな名前になっていた。
もちろん「分割」とはそのまま書けない。
分割に当たる言葉を調べた。
・split
・divide
・separate
1つ1つは厳密に言うと意味が違うし、それぞれの意味と今回の機械仕様の場合どれが当てはまるのか、素人にはわからなかった。
ギャー\((◎_◎;;))/だった。
さすがにこれは勝手に書けないから、教育係の人に確認した。
図が次のページにあって、それを見て彼女から「これじゃないかな?」とsplitをあてがわれた。
図はさらに意味不明で、それを見て判断するとかもはや神業だった。
さらなる問題もあった。
当初変更点が、日本語だと熟語の組み合わせで名詞になるけれど、英語だと片方が[動詞(過去分詞)+名詞]でもう片方が[形容詞+名詞]と、その品詞も違っていてさらに困った。
そういうこともしょっちゅう起こるようで、そうした技術も必要で、どれだけでも難しいところは増し増しになる。
発狂しそうになりながら、ひたすら日本語分解して英訳、英訳したらその文をコピペしてGoogle翻訳できちんと和訳されるかをチェック。
たかが1枚ものでも、グッタリとした。
その中に「受注次第」という言葉もあって、そんな言葉過去に一度も使ったことねぇわ!と思って、そそくさとGoogle翻訳様に訳していただいた。
・upon receipt of order
と出てきて、それを即使った。
教育係の彼女に聞いたら、
・when order is received
で大丈夫と言われて、うん、それの方が私もわかりやすいと思ってそちらに変更した。
英語事務をしたことがないから、そういう言葉さえも英訳できない私。
貿易事務の方が私の前に不採用になったと聞いたけれども、その方の方がそうした公文書とか作るの手慣れてるのでは?と真面目に思った。
どこかにも書いた気がするけれども、単に私の方がTOEICの点数が良かったからということで採用されている。
そうそう、英訳だけじゃなく、さらに私はパソコン操作も怪しい。
もちろん、毎度かなりしょうもないパソコン操作のことで教育係の人を呼ぶ。
彼女なき後、来月から誰にパソコン操作を聞こうかと目下の大きな悩み(ΦдΦ)!
もうツッコミどころ満載すぎて、不適応な理由はいくらでも考えられる。
そんな不適応すぎる私が雇われたのは、それだけでもう奇跡だと日々感じている。
とここまでごちゃごちゃ書いたけれども。
私はつい2日、3日前に突然覚悟が決まった。
色々心配したり不安になってももうやるしかないわけで、逃げても他にできる人がいないわけだからやらなきゃいけない。
そう思った。
そして、私の教育係してくれてる彼女はとにかくものすごくできる。
私から見て、本当に英語のセンスがめちゃくちゃ良い。
細かい部分をきちんと表現できるし、言葉の使い方も日本語との合致感が高いし、さらっと日本語から英語に直訳できない時の言語通訳の回路もものすごく発達している。
日本国内で出会った人の中で断トツ英語ができる!と思ったのが、多分彼女が一番だと思う。
後任として本当にどうかと思うけれども、だけど1つ自分のためにやりたいと思ったことがある。
足元にも及ばない感じをかなり感じているけれども、私は彼女と同じレベルを目指すためにがんばるとか、それと同等のものを目指そうとか、そういうことはやらないにしようと思った。
迷惑のかからない範囲で、これが私です、これが私の実力です、と堂々ととはいかなくてもそのある種の恥さらし的な自分の能力を周りに提示しようと思っている。
恥というのとも少し違うかもしれない。
もっとやってみないと何とも言えないけれども、私の力が不足していると言うよりも超マニアックなモノの超高度な英語力を求められているという感じ。
そしてそれに対して、単に私はその能力を即戦力として提供するのはかなり難しいですよ、という感じ。
いずれにしてもバレるとは思うけれども、ここで自分をできる風に見せたり、そのために足をどこまでも伸ばすみたいな、そういうことはやらない。
自分の等身大の能力をそのまま隠さずに見せるしかない。
こんなところで無理しても仕方ない。
そう思っている。
2019年12月15日日曜日
見えない部分のお仕事
素敵な気遣いの炭酸飲料
テレビのおじさんより
こんな風に雲から放射するように
太陽の光が洩れるこの現象を
何年か前に友達から
「天使の階段」
と呼ぶと教えてもらった。
2019.6.5 の夕空
おじさんのお仕事の手伝いの後に見た空
ー2019.6.7の下書きより
3日間の家電量販店でのテレビ入れ替え作業の手伝いが終わった。
最後、担当者のおじさんから
「本当に助かりました。ありがとうございました。また機会がある時は是非ともお願いしたいです。本当にありがとうございました」
と挨拶された。
それも1回ではなく、上のセリフを3回ぐらい言われて、最後私が見えなくなるまでおじぎをされていて見送ってもらった。
普段なら車に乗り込んだら携帯を見るけれども、あまりに申し訳なさすぎて、私はそそくさと車のエンジンをかけて道路の方へ出た。
前回の単発の仕事の時もそうで、初日も2日目も、課長級のおじさんも私と年が変わらないだろう中間管理職的な男性も、車からわざわざ降りてきて「ありがとうございました」と数回おじぎをしながら挨拶をしてくれた。
この3人のおじさんたちは、本当にそうしたことが自然にできていて、そして冗談抜きで感謝してくれてるのがわかった。
私だってお金をもらうわけだから、そんな風にかしこまっての挨拶は本来なくても問題ないけれども、というよりない方が当たり前だとさえ思うけれども、その3人は全然違っていた。
本当にきちんとされていた。
年賀状の時もだし、ゴールデンウィークの某量販店の時もだけど、「お疲れ様でした」とか「ありがとうございました」とは言われても、本当に気持ちがそこにはないのがわかる。
特に量販店の時は、作業の進捗だけ聞かれて終わったから、私は「えっ?それしか言うことないの?」と毒づいたぐらいに、拍子抜けした。
感謝して欲しいというよりも、色んなことを当たり前に思っていて、それはすなわち私の働きも他の誰かの働きもあって当たり前みたいな、そういう空気が漂っていて、これははっきり言って労働者のモチベーションを下げる。
とかいう現場も見ていたから、だから余計と3人のおじさんの挨拶の仕方が本当に飛び抜けて良くてめちゃくちゃ感動した。
これは私が勝手に思ったことだけれど、3人のおじさんたちは現場の仕事の大変さを知っていて、さらに自分たちだけでは到底回せないのもわかっていて、その部分を一緒にやってくれるわけだから、「ありがとう」の言葉があれだけ丁寧な形で出てきたんだと思う。
それは言葉を変えると、普段きちんとやっていることの現れだと思う。
普段見えてない部分もやっているからこそ、そうした目に見えない人の目に触れないところも丁寧にやっているからこそ、見えている風景で、そして感謝の言葉にさっと繋がっていくんだと感じる。
そういう人たちの仕事ぶりを見て、日本の経済も日常生活も潤うんだとよく伝わってきた。
テレビ入れ替え作業が終わった日、車の中で過去の仕事で関わった人たちのことを思い出して、猛烈に腹が立ってきた。
唯一、人生の中で「人間関係」を理由に辞めたところだった。
冗談抜きでトイレに行く時間すらない仕事だった。
やってもやっても終わらなくて、毎日夜寝る夢の中でもうなされるように仕事をしていた。
少しでもおかしければ厳しく注意を受けるだけじゃなく、私が全くしてもいない仕事に対して濡れ衣を着せられて罵声を浴びたりとか、本気で意味がわからなかった。
さらに、私のところにはしょっちゅう超危険案件が回ってきて(←意図的に回されてくる)、社員案件を私がして、派遣案件を社員がするというおバカな仕事の在り方が慢性的にあった。
しかもそれは、私が自分の元々担当していた案件を99%まで仕上げてあと1つで終わるというタイミングでのチェンジを言い渡され、私はなんと社員案件を1からやり、なんならやり方がわからないから当然時間がかかるわけで、それもまたすごい怒られながらやるという、今考えればパワハラやモラハラの類いだよねと思う。
当時のことを思い出した。
感謝は全くされない。
・GM
・時給
・自分の労働力を感謝してもらえることで気持ちよく働けて、さらに役立っている感が良かった
・まじめにきちんとやるのが私の美意識
それを抵抗なく受け止められたのは最近
2019.12.14
上の続きを書いてアップしよう。
最後の部分に書いたことの続きはこんな風だった。
・GM
GMというのは、当時の職場のフロアマネージャーみたいな、そのフロアに含まれるいくつかの部署の統括の人だった。
あれからそろそろ4年になるけれども、私はたった一度きりのGMとの面談の時間を今でもはっきりと覚えている。
GMだけは、本当に唯一真っ直ぐに私を評価して見てくれていたとその時に初めて知って、それだけで本当の本当に自分自身が救われた。
今だったらわかるけれども、私は周りの人たちにとって非常に煙たい存在というか、憎たらしい存在だったのだろうと思う。
仕事は真面目にやっていたし、自慢していいことだと思うけれども、私は色んな現場で鍛えられたおかげで顧客対応が多分普通の人たちより上手い。
当時の部署は、お客さんに対しては主にクレーム対応が本当に一番の仕事みたいなところがあったから、色々際どい内容を話さないといけなかった。
しかも対応が長期化する案件のお客さんは、たいがい難しい内容、それはすなわちお客さんにとって不利益や不具合を受け入れてもらわないといけないことの交渉事が多かった。
それを私はすべてノークレームでやり遂げて、途中で当然お客さんも納得いかないからしのごの言われるけれども、それでも根気よくひたすら話を聞いて、謝れるものは謝ったけれどもできないことはできないときっぱりと伝える、それだけをひたすら繰り返して、最後はお客さんも納得して事は終わっていた。
場合によっては逆に怒ってすみませんと言われたり、最後まできちんと対応してくれてありがとうと言われたり、とにかくお客さん対応に関しては私は人間的なやりとりをかなりさせてもらっていた。
多分そういうことも周りは面白くなかったんだと思う。
しかも、色々嫌がらせをされても(←実務に支障をきたすレベルの嫌がらせ)、それでもしれっとした顔して仕事をしていたし(心の中はその場で泣きたいぐらい嫌だった)、そういう時の私は仕事と割り切って絶対に自分を曲げずに与えられたものに対してやりきるから、そういうのもイライラさせたのかもしれない。
私は今でもその当時の人たちを人としてどうかと思うし、これがもし友達レベルなら私は真面目に怒る。
そんなことして、何になるの?と。
人として最低だよと。
そんな中にいて、私の評価はひたすら右肩下がりで少しのミスは大叱責、他人のミスも私のミスに転嫁されて、常におかしな風が吹きまくっていた。
新しく着任されたGMは、1年以内の離職率が異常に高いその部署のテコ入れのために、まずはフロア全員と面談をした。
私は1ヶ月未満以内で辞めることが決まっていた頃で、そんな私と面談なんかしても何の得もないだろうにと思った。
その時にGMから、私の働きぶりをものすごい評価された。
しかも一体いつ見ていたのかと思うくらいに、本当に見てくれていたことがわかる言葉で評価してくれて、短い面談中に3回は残って欲しいと打診された。
私がはいと返事をしたのなら、間違いなくGMは自分の権限を使って私を残すための手続きを会社と派遣会社と双方に掛け合う気でいたのはわかった。
でも私は話は本当にありがたいしそのように見てもらえたことにも心から感謝していると伝えた上で、この状況では続けられないことを理由に丁重にお断りした。
それはそうと、そうやって誰か1人でもきちんと正当に私の働きを見てくれていたことは本当に嬉しかったし、それ1つで私は自分のそこでの働きすべてに対して肯定された気持ちになれた。
どうリンクしたのかはわからないけれども、テレビの入れ替え作業をした時のおじさんとのやりとりが、以前の仕事のGMとのやりとりを思い出させた。
・時給
そのGMとやりとりした職場は、過去最高の時給だった。
それは今でも変わらない。
ただこの時に思った。
いくら良いお金をもらってもそれだけではやっていけないこと。
ちなみにそれだけもらっても私の中では安いと感じていた。
夜毎日毎日夢の中に仕事のことがそっくりそのまま出てきていた当時は、すべておかしなことになっていた。
いつか終わりがくると知っていても、それでも体も心もいつも悲鳴をあげていたし、仕事そのものは面白いものでも、いかんせん人間環境が劣悪すぎて洒落にならなかった。
助けてくれる人たちもいたけれども、それに太刀打ちできない数人の嫌がらせがその上を行っていた。
しかも自分は辞めるからいいけれども、たとえ嫌がらせをしてくる人たちであっても、その人たちがいないことには仕事が回らないことも知っていたから、その人たちがそこに居づらくなるようなことはしたくなかった。
誰かがしないといけないわけで、自分はそれができないわけだから、だからせめてその人たちが居づらくなるものを残すのは絶対にしないにしようと決めていた。
GMには個人名は出さず、実際にあった事柄で私が困った実務面の話だけ出した。
個人的な嫌がらせとかは全部口を閉じたし、他の上の人からもこっそり聞かれたけれども、私はそこだけは最後まで沈黙を貫いた。
そうだ、お金の話をしていたんだった。
ふと今出てきたから話をすると。
仕事をせずにお金の見通しも立たなければ本当に何十円どころか数円単位しか手元にお金がないなんてこともかなりあったけれども、私はそれよりも確実にお金が入ってきていた当時の方が別の角度ではしんどくて辛かった。
お金も大事だけれども、それ以上の何か別の大事なものが失われようとしていた。
派遣会社の担当者の厚意で高待遇にしてもらっていたけれども、もうそれさえも自分の中ではありがたくてもそれ以上に譲れないものが出てきてしまった。
(←急遽行く予定だった人がキャンセルした仕事だったゆえ、派遣会社も幹部クラスの人が対応しないといけない求人になってしまって、それで私の最初の担当者は総括責任者みたいな人だった。私側の当時仕事と本を書くことと二足のわらじでいこうとしていたことを知って、「これが僕ができる武士俣さんへの応援の形です」と言って、その人の権限で最初からありえない時給にしてもらっていた。)
過去に塾で働いていた時は超ブラックな働き方でお金と労働が全く見合っていないと思ったけれども、それよりもその派遣の仕事の方がやばい感じがした。
何がやばいって、今思うと、自分の存在理由が否定されてるみたいな、そういう状況が耐えられなかったんだと思う。
自分もふざけてとか怠けて何だかんだと言われるのはいいけれども、真面目に取り組んできちんとしているのに、それを認められないどころか否定されてさらに嫌がらせを受ける。
それが耐えられなかったんだと今になって思う。
あの時、お金ではなく、自分を取ることを選べて本当に良かった。
ちなみに、さらなる余談だけど。
人生塞翁が馬とはよく言ったもので、災い的な出来事が福と転じたのは、そのさらに1年半後ぐらいだった。
その時の事件簿が最終的に私を人生で一番と呼べる出逢いに導いてくれた。
真面目に人生のご褒美としか思えない日々を、私は短い時間ながら手にすることになった。
だから今でも当時のことは苦い思い出ではあるけれども、意外にも私は嫌とは思っていない。
その後のことが人生の数々の難たちを肯定できるぐらいに素晴らしいものだったから、神仏ご先祖様、八百万の神でも、もう何でもかんでもに心から感謝したくなった。
ついでに言うと、当時は占星術界で一番恐れられている冥王星(公転周期248〜9年)の影響を一番受けていて、それは誰しもが体験する中年の危機的なものだけれども、その冥王星が司る「破壊と再生」がまさに起こっていた。
ことごとく破壊されて、その後一番影響の強い時に再生のフェーズが私の場合はスタートしたわけで、今でも当時の色んなことは神がかり的な奇跡だったと強く強く思っている。
・自分の労働力を感謝してもらえることで気持ちよく働けて、さらに役立っている感が良かった
・まじめにきちんとやるのが私の美意識
それを抵抗なく受け止められたのは最近
最後の2つはまとめて書く。
そんなこんなを経て、冒頭のテレビのおじさんとの仕事は、たとえ今日はじめましての出会いで人生の中の3日間だけの超限定的なお仕事ではあったけれども、それでも自分の労働力を感謝してもらえて、本当にありがたい限りだった。
しかもたとえ素人でも人の手がないことには成り立たないし完了させることさえできないものだったから、そのように自分の労働力が役立つとはっきりとわかることはとっても気持ちの良いものだった。
で、その時にかなりはっきりと意識したのが、「まじめにきちんとやるのが私の美意識」というものだった。
嫌がらせを受けていた時も、真面目にきちんと取り組むことを私は良しとしたし、某量販店でおつかれさまも言われなかった時も任されたことはきっちりとやった。
それが自分の美意識に関わっているというのは、なぜかニートのように引きこもっていた時に気付いた。
今も今で会計監査なるものをお願いされてど素人未経験者がやっているけれども、この間その友達に私の働きぶりをものすごく褒められた。
私はすべてを紙に印刷して、iPhoneでは写真データを出して、写真データと手元の印刷した紙にあるデータとを全部突き合わせている。
それを数百件分すべてやって、さらにはデータの照合の後はひたすら電卓叩いて数字の合う合わないを見て、さらに入力ミスとかがあればそれをスクリーンショットして手でiPhoneの画面をタッチしてマーカー引いたり、何がどう違うのかを言葉におこして説明して、関係者に送っている。
友達は私のそのやり方、徹底的にやりこむ姿をそれはそれはものすごく助かったし本気で凄いと言ってくれた。
私はそもそも要領も良くないし、基本的に真新しいことは何もかもが鈍臭い。
自分のその欠点というか仕事の上で迷惑となりそうなものが何かを知っているから、それをカバーすべくやれることはやるし、その時にせめて最善は尽くそうとそれはオール1の子どもの時から鍛えられたおかげで、そういうことは黙々とやれる。
速さや要領の良さや効率化なんかはもう下のレベルなのはわかっているから、せめて自分が努力して何とかできる部分は努力するのは全く嫌じゃない。
面倒に感じてもやらなきゃどうにもならないとわかれば、さっと切り替えてやる。
そういうことを長いこと子どもの頃からやっていて、それは人の目を気にしてやっていたかと思えばそういうわけでもなく、自分自身がそれを後天的かもしれないけれど、良いものとしていることに気付いた。
だから単発の仕事でもきちんとやらないと気持ち悪いし、基本的にサボることができない。
それって実はめちゃくちゃすごい強みだと知った。
そして、その真面目なところやきちんとすることは、自分が自分に対して大切にしたいと思っている行為なんだとこの1年ぐらいで初めて気付いた。
自分自身が後ろめたくなるような仕事の仕方は好きじゃない。
だから自分が満足するようにやる。
それを、その短い時間のテレビのおじさんも、他の単発の1日だけの仕事の2人のおじさんたちも、今回の会計監査の友達も、みんなそれぞれ私の働きを良い風に捉えて、さらに心からのありがとうを言ってもらえて、それは本当にすごく嬉しいことだった。
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