2024年11月5日火曜日

中学生の私が選んだもの

どんな時も朝がくる

ゴールデンウィークに姪っ子1号とやった
陶器にシールを貼って自分だけのオリジナル小皿
を作る体験

裏側

夏休みに2人で行ったカフェ
今の流行りはハンギョドン



2024/11/03 文化の日

妹から2日前の夜、17秒の動画が送られてきた。


動画の中では2歳になろうとしている姪っ子のシホが裸に長靴という出立ちで妹たち夫婦のパン工房の通路でダンスみたいなパタパタ足で少しだけ前進した後、両手と両足を横に広げて「ばっ(顔は見えないけれど多分笑顔)」と言って、そのうちに師匠(シホからすると祖母)がどこ行った?どこ行った?と言ってやってきて、シホも師匠の元に行って、その間動画を撮影しているだろう妹は大笑いしていて、仕込みか何かをしている弟は「ここにおります」とか「どこのアホがやってきたかと思った」などと言い、そんなことは日常茶飯事過ぎて我関せずの姪っ子1号小学3年生は工房の一画で何か作っていて全くそのどんちゃん騒ぎに見向きもせず弟(お父さん)に「これでいい?」などと言っていた。







最近風呂の中で『昨日のカレー、明日のパン。』

(著:木皿泉)という小説を読んでいる。


たしか友達が最初にDVDと本を貸してくれて両方見て、それから10年とは言わないけれどそれぶりくらいに読んでいる。


この間、どうしても絶版のどれかの手芸本を買いたくて、そのために送料無料のラインに達するようにあと100円とか200円とかの本を探して、ふと木皿泉さんの本を読みたいかもと思って注文したものだった。


夏くらいの話でしばらく本はその辺に投げておいたけれど、秋も深まって入浴も日々するようになってからまた風呂の中での読書を始めた。


それでこの本のことを思い出して読み始めたのが1週間くらい前だったと思う。


いくつかの人間模様をドラマでいうところの1話完結みたいな感じの作りになっていて、その中で最近読んだのはある中学生の女の子が自殺をしようと思った話とそれを主人公の周りの人が止めたこと、そんなテーマだった。


その中の話で「人生の美しいもの」みたいな言葉が出てくる。


その言葉を読んだ時、真っ先に私の中に思い浮かんだのは「私は美しいものを見ることを選んだんだな、選べて本当に良かった」ということと、そしてそれの言葉にリンクしたのが冒頭の17秒の動画の中にある日常だった。







本の中で主人公の大人の女の人が自殺しようとした中学生の女の子が飛び込もうとした川を夜見に行くシーンが出てくる。


その辺りの描写を読んでいたら私もタイムスリップした。


中学2年生の時のちょうど今時期じゃなかったかなと思う、自殺したらどうなるんだろうと思った日のことを。


女子たちからは仲間外れにされてクラス全体から総スカンをくらって、さらには男子たちからはバイキン扱いされて、どこにも所属できなければさらには容姿をはじめ色々と私に聞こえるように悪口やらからかいやらが毎日毎日休み時間ごとにあって、本当にしんどくて苦しくて仕方なかった。


それが毎日だった。


その日、何がどうだったとかは覚えていない。


だけど私は早退した。


普通なら親のどちらか、主に母親に連絡が行って迎えに来てもらうものが、私が断ったのかそれとも親がどうしても都合がつかなかったのか、担任の平野先生がありったけの小銭を私に持たせてタクシーを呼んでタクシーで家に帰ったことはぼんやりと覚えている。


確実に寒い日だった。


細かいことは本当に記憶にない。


けれど、もし私が今ここで死んだのなら周りの人たちは私が苦しかったことを知ってくれるだろうか?と思った。


本気で死のうとしたわけじゃない。


だけど私はテレビドラマみたいにカミソリを出して自分の手首を何回か切った。


血は滲んだけれどドラマみたいにプシューと血が飛び散ることはなかった。


何回か切ったけれどもじんわり痛いのと血が滲んでるのと、でもそれ以上に涙が止まらなくてその頬を伝う涙が熱を持っていて温かいというかとにかく空気の冷たさに反比例して確実に温かいとわかるのと、脳裏では母親の顔がまずは浮かんでもし本当に死んじゃったらどうするんだろう、どうなるんだろう、そんなことばかりが頭を駆け巡った。


途中で切るのをやめた。


しばらくはずっと泣き続けた。


後から同い年のいとこにこの話をした時に、切る方向が間違えてたと教えてもらった。


私は血管と同じ方向に切っていたけれど、その反対に垂直になるように切ったらそれこそ血が飛び散ったと思うよと。


そして母親の顔、父、妹たちの顔が浮かんだあの瞬間的な感覚、あれはとても人として愛されて正しく育った証拠だということを20代の頃の児童養護施設で働いていた時の上司に教えてもらった。


その話はしていないけれど、子どもたちを見る上で限界で不可能に近いのはわかっているけれども大事なのは、何か悪いことをした時にとっさに誰か親とかそういう誰かの顔がパッと浮かんでそこで思いとどまれるかどうかだということ。


そういう関係性が希薄だから犯罪だとか自傷だとか他害だとかが出てくる。


ここぞという時に誰か1人でもそういう人が心の中にいたら絶対に踏み止まる、そういう話を何回となくされた。


だからそういう関係性を子どもたちと作ること、そこを目指したいみたいな話だった。


とかいうことを今頃になって、今頃というのは45歳の今になって改めて思い出した。







次の日からも普通に何事もなかったかのように学校に行った。


左手の手首は絆創膏を貼ってしまえばあとは長袖で隠れるから誰からもそれは親からも気付かれずに済んだ。


今ほどに不登校もありみたいな時代ではなかったし、母については熱が出ても学校に行けば治ると言って絶対に休ませることをさせてくれるような人ではなかったし、その後もいじめは卒業するまで続いたけれどもそれでも学校には行った。


誰にもいじめのことは相談できなかったけれども、違うクラスに友達と呼べる子が何人かいたことが救いだった。


けれども1日の大半はクラスの教室内で過ごすわけで、休み時間はもちろん給食の時間も席替えや班決めなんてのは毎回とんでもなく修羅場だったし、修学旅行やグループでの行動を求められる各種行事も苦痛の他の何ものでもなかったし、当時の私からすると意味もわからずクラス全体から色んな形でいじめを受けるというのは自己肯定感なんてもはやなく、自分がいじめられてしまうのは自分に何か非があるんだと思っていたし、高校も明るい展望が全く抱けなかった。


良好な人間関係なんてもう一生無理なんじゃないかと思ったほどで、高校も地元の高校が嫌というのもあったけれど、それ以上に学年の半分以上がそこに行くとなれば高校でもいじめられる可能性が高すぎて、市外の高校に行けば単純な話9クラスあれば進学する人が10人くらいなら同じクラスになる確率はうんと低いと計算して、そしてほぼほぼ泳げなかった私にとって通った高校はプールがないから水泳授業もなかったのが最高にポイント高くて、とにかく色んな現実から逃げるためにそして学力的にギリギリ行けるのがその高校だった。


高校からは私の人間関係は劇的に良くなって、別に明るくなったとか話しやすくなったとかではなく、とにかく人に恵まれたとしか言いようがない。


中学までの私も高校以降の私も基本的に何も変わらない。


けれども、とにかく高校以降は同じ自分でも周りの方が良い人がたくさんでとにかく人に恵まれて今に至っている。


小学校中学校のいじめはもはや何でだったのかわからないけれども、これもぶっちゃけて言えば「魂的な設定で必要でした」と思う方が私の中でしっくりとくる。


ちなみに占星術の時の先生からは、私はそういうターゲットにされやすいところが星にしっかりと出ていると教えてもらったから、今となればもう仕方ないよねーな域に達してはいる。


(ちなみに小学校の時は何となくの予想で、私が家族に恵まれていたことが理由だと思う。これは大人になってから気付いたことだけれど、当時私をいじめた張本人たち2人は、1人は在日の家系だったのともう1人は親が離婚して出戻りのようになって途中から引っ越してきた子だった。在日の子に関しては私もよく家に行っていたからわかるけれど、家族仲はとても良さそうだったし子どもから見ても裕福な感じではあったけれども、多分私が知らないところで在日というだけでたくさん差別されてきたのではないかと思う。そうした諸々の事情がない上にオール1の鈍臭さも手伝って、そりゃいじめの恰好の餌食になるだろう要素というか背景が揃い過ぎていたと思う。)







その当時のことを思い出して、本の中では美しいものがまだ見つからない、そんなもの人生にあるのかな、みたいな疑問形でそのシーンは終わるけれど、それらを読んでいたら「私は見つけたよ」と大真面目に思った。


あの時もし本当にもっと実行力や計画性があったりとか、都会みたいに高層ビルや電車があれば手段はもっと違っていたんじゃないかと思わなくもない。


そして思い詰めているだけあって勢いがあるから本気で死のうなんて思ってなくてもうっかり死んでしまった…なんてこともゼロじゃなかっただろうなとも思う。


あの時、あの13歳の私は死ぬことではなく生きることを選んだし、先々に希望なんて1ミリも抱けなくてもとりあえず生き続けないといけないんだというのは無意識に選んだから今があると思う。(早生まれだからその時はまだ13歳だった)


スピリチュアル的な教えで人間として生きるのに大罪とされる3つのことが、他殺、自殺、そして他人の人生を狂わせることと言われている。


他殺と他人の人生を狂わすのは言わずもがなで想像ができるけれど、自殺は何でダメなのか今回この本を読むまでいまいちピンと来ていなかった。


もう死のうとは思わないし、それは自殺したら次の人生はもっとキツくなると聞いてこんなにきつかったのにもう一度どころかもっときついのなんか嫌だからそれでパッタリと自殺願望的なものが消えてなくなってくれたけれども、それでも人生の大罪となる理由がわからなかった。


だって自分の人生だし死ぬ選択肢だってあってもいいんじゃないかと大真面目に思っていたりもする。


けれど、今回わかった。


もし私が本当に自殺してそのまま帰らぬ人となったとするなら、その後の家族の人生は悲惨なものになっていただろうと思う。


父と母は今生きがいのように孫の面倒を見に行っていて、妹2人もそれぞれ悩んだり思い通りではないことも感じながらも一生懸命に生きていて、その人たちの人生を台無しにしてしまったんだろうなと初めてそんな想像をした。


もちろん家族が自殺したって生き続けなきゃいけない。


だけどあの17秒の動画の中に本当に一点の曇りもなく明るい空気を漂わせるとなると、自分が自殺していたのなら、99%は明るいものでもいつもどこかどうやっても拭えない暗さは残してしまっただろうなと想像できる。


その空気を自分が壊す、それはどんなに明るくしてもやっぱり消すことのできない現実を作ってしまったのなら、自分に対してもアウトだし家族に対してもアウトだなと思う。


大罪なのは自分ももちろんだけど、家族もその巻き添えをくらって一生十字架を背負うみたいなことになったのかなと今この年になって初めて思った。







もし死んでたら姪っ子たちとも出会えなかったんだなと思った時、姪っ子2号のシホとのある日のやりとりを思い出した。


妹の家のキッチン部分にシホと私しかいない時間だった。


シホは伝い歩きができるくらいになった頃でまだまだ基本はハイハイする頃だった。


シホは私が少しでも見えなくなるだけで半泣きになって私を探してた。


子どもをとうとう持たなかった私にとって、あんな風に後追いされて全身全霊で誰かに必要とされたことは一生の中であの時が最初で最後だと思う。


1号の時は妹が24時間常に見ている育児だったから、私をそこまで求めるということはなかった。


でもシホは色んな事情が重なったおかげで私がマンツーマンで見るという機会に何度となく恵まれた。


もしあの時に死んじゃったらこういうことは体験できなかったんだなと思った。


嫌なこと、苦しいこと、逃げ出したいこと、無いことにしてしまいたいこと、そりゃわんさかあったけれども、それでもやっぱり生きてて良かった。


生き続けることを選んで良かった。


その後に見てきたたくさんの風景の中には確実に美しいものや心が震えるような素晴らしい出会いもあって、あの時あきらめなくて良かったと心から思う。







職場で今一番お世話になっている方の奥様が亡くなられた。


新聞で見たら67歳とあった。


1週間前の朝礼で訃報が伝えられて、その時からずっと忌引きでいられないから会ってはいない。


夏になったかならないかのタイミングでガンが見つかって少し前に治療のために入院したばかりでそれで即亡くなってしまわれた。


その訃報を最初に聞いた時驚いたのと同時に、年齢を想像すると私に残されている時間もあと20年くらいでもおかしくないんだと思った。


20年って考えるとあっという間だなと思った。


そしてこれがこれまでと全く違う視点だったけれど、あと20年くらいだとするならもうこのまま生き切った方がいいなととても自然に思えた。


そのくらいなら頑張って生きられそうと思えたのと、ここで死んでしまうのはなんだかとってももったいないと思った。


自分があとどのくらい生きられるかはわからなくても、美しいものを面白いものを残りの人生でどれだけ見つけられるかなと思うとある種楽しみでもあるなと珍しくとてもポジティブに思えた。


きついことも色々あったし今だってなんだかな…と思うこともちょこちょこあるけれど、それでも私は生きることを選んでその選んだ先に立っているのが今日で、そしてその選択し続けた道中には美しいものや感動するもの、大笑いできるものも色々あったしこれからだってあると思う。


もし中学生の私に今の私が何かメッセージを送れるとするなら、その後好転するからあと少しがんばって、休んでもいい立ち止まってもいい引きこもってもいいからがんばってと言いたい。


あと少しで抜けられるよ、って。


そして大丈夫、そしてじゃないな、多分何よりも伝えたいのは大丈夫かな。


その時も未来も全て黒くなりそうで絶望一色な日々だった当時、何も明るいものを想像できなかったけれどもそうではない現実がやってくるよと伝えたい。