2018年3月19日月曜日

38歳最後の日


【2017年9月30日の日記より】
「もしネットの情報が本当なら、私この人生が最後の人生になる。そう思ったら、全ては一期一会でもう次はないんだって、そうなると全てはまさに奇跡の連続で愛でもつながりでも出し惜しみしてる場合じゃないって、そう思った。」

 
私が子どもの頃大賑わいだったショッピングセンター脇の立体駐車場に来ていた。

最初その近くにいて、夕日が丁度沈む頃で、その辺りはごちゃごちゃと中途半端に高い建物たちがあってよく太陽が見えないから、それでその5~6階はある立体駐車場の一番上に上った。

今は閑散としているから屋上には私以外誰もいなかった。

夕日を見ながら色んなことを思った。

ネットの情報というのは、私は自分の身にあまりにもおかしなことがたくさん起こり出してきたから、それを調べて行くうちにそういう情報にたまたま行き着いた。

だけどそんなの確証はないし、気のせいと言われたらそうだし、すべて勘違いかもしれなかったから、まぁそんなのの真偽は正直どちらでも良かった。

でももし本当だとするなら、1つだけ納得できることがあった。

いつからか覚えてないけれど、とにかく38歳のある1人の人との出逢いの後から、目に映る景色ががらりと変わった。

色彩がとてつもなく濃い。

目に映る色んなものが「これは一生で一度の一期一会の景色です」と言わんばかりの様相を示してきた。

それは自分の年齢がそうさせてるのか、それともその人と出逢って感性が高くなったのか、はたまた別の理由かなんてわからないけれど、とにかく色んなものを見てうんと感動する。

そして何でもかんでも「これが最後かもしれない」という感覚がやたらと出てくる。

それは単調な仕事の時でさえ、もう見れるのはこの空気のこの場所にいれるのは今が最後だと思うことが本当に多かった。

その後も、私の目を見て書でメッセージを書く人に出逢ったり、名付け親のおばちゃんに再会したり、自分の名前とそこに宿っているだろう使命の関係性みたいなのを調べ始めたり、命の授業のイベントに参加したり、オルゴナイトを紹介してもらったり、ホロスコープ鑑定を受けたり、私自身の体から私の潜在意識からの声を伝えてもらったり…。

これまでの人生の中には全くない要素がどんどん人生の中に流れ込んできた。

そんなの38歳になった1年前の誕生日には全く想像も予定もしていないことばかりだった。

 
38歳最後の日の土曜日の朝、1本の電話がかかってきた。

相手はずっとずっと何年にも渡ってお世話になっている年上の女性Sさんだった。

Sさんの先に繋がっている人で、特定の使命を持って生まれてきているかどうかを調べることができる人がいる。

Sさんも最初は適当にその話を聞き流していたらしい。

だけど何回も話が出るからそれである日調べてもらったとのこと。

Sさん、Sさんの娘さん、Sさんのお孫さんの3人が該当していた。

特定の使命というのは私もよくはわからないけれど、まぁそれゆえというかとにかく波乱万丈な人生になりやすい。

色んなことが起こるし、それはのしをつけて返したいようなことばかりだけれど、それは結局使命に繋がるところにすべて通じている。

お孫さんなんてまだ2歳になったかならないかだけど、もうそういう人生を想定した人生に今後なっていくらしい。

娘さんはまだ10代だけど、私から見ても何か大きな役割を持って生まれてきている子なんだなというのはわかる。

愛情いっぱいの家族の元に生まれてきてもとてつもなく色んなことが起こっている子だから、そして普通の同世代の子たちが通過する道を歩まないようになって早数年、これは何か意味があって起こっているとしか思えない状況を私も間近で見ていた。

で、そのSさんが2月のいつだったかに「ぶっしーちゃんも多分そうだと思うの」と言ってきた。

Sさんいわく、調べて欲しいと自ら言う人たちというのはみんな違うらしい。

色んな人たちのことを頼まれた分全部調べてもらったらしいけれど、該当しなかったとのこと。

逆に「この人そうかも」とSさんがぴんときて、それで本人の了承を得て調べてもらった人は反対に該当するとのこと。

私も興味本位半分、逆に「違う」と言って欲しいの半分で調べてもらった。

「違う」と言って欲しかった理由は、そういう使命はいらないし、色々現実とすり合わせていくのも大変そうだし、そもそもそんな能力やキャパシティ私にないと思ったから。

誕生日の数日前、Sさんが23時過ぎに「今電話できる?」とラインしてきた。

私はその辺りでSさんから心理セラピーみたいなのを遠隔で受けて、それで異常な眠気に襲われていたからその日は早々と寝ていて、気付いたのは真夜中の3時過ぎとかだったと思う。

それ見て、なんとなく予想はついた。

Sさんはそんな時間に「電話できる?」なんてまず言ってこない。

そう言うってことは、電話してまで伝えること。

伝えなきゃいけないこと。

そんなの最近の中ではそれぐらいしかない…。

それで何だかんだと延びて、それで電話で話すことができたのが誕生日の前日、38歳最後の日だった。

「ぶっしーちゃん、やっぱりそうだったよ。
ぶっしーちゃんもそうで、そして娘は今月以降、私は来年の1月以降にそのタイミングが始動するって説明されたけれど、ぶっしーちゃんは『もういつでも受けれます』って言われたから、だからもうすでにその状態になってるってことだと思う」

その辺りは私も細かく突っ込んでないから未だに何も知らないけれど、だけど1つだけすごく気になることがあった。

それは調べる前から言われたこと。

仮にその使命で生きていくということを選んだ場合、この今の人生が人間としての最後の人生になること、もう輪廻転生はしないこと、それも同時に選ばないといけないということだった。

本当に何をぶっ飛んだ話かと思われるけれど、あの秋の日に「この人生が最後の人生になる」と突然思ったことと一気に繋がった。

そして当たり前だけれど、それは本人の意志に基づいて選べるから、そこに進まないというのももちろんOKだし、それも決断の上進むというのでも、本当にどちらでもいいと言われた。

ちなみにあれからそのことはそっとしてある。

積極的にぐいぐいといきたい感じではないから、何か言われない限りはしれっとしてようと思ってる。

そんなこんなの話を聞いた後、私は日帰り温泉へと出かけた。

その日もぽかぽかしていて気持ち良かった。

空は青、山の色はくっきりはっきりとしていた。

その日も片道60kmほど運転したと思うけれど、目に映る全てがあまりにもきれいで涙が出た。

その日も元気で、外に出るための車があって、そしてお願いもしていないのに天気は晴れで、目に映る色んなものが命を宿していて、とにかく見るものすべてが奇跡の集合体で、何だか意味も分からず涙が溢れ出た。

その日の最後、『人生フルーツ』という名のドキュメンタリー映画を見に行った。

いつかの喫茶店で地域情報誌にその上映会のことは掲載されていた。

誕生日の前日で、何か意味があるのかなと思った。

そのチケットを買いに行った日のこともよく憶えている。

前日の金曜日、仕事が終わってから駅の中の書店に前売り券を買いに行った。

駅前のパーキングに入る2つ前の信号あたりから満車を表す「満」という赤い文字が見えた。

直前の長い赤信号で止まっていた時も「満」のままで、そして誰も駐車場にこなければ車が出る気配もなかった。

その後友達の娘の家庭教師も控えていたから、あまりのんびりとはしていられなかった。

空くといいなぁと思いながら駐車場前に着いたまさにその時、1台の車が出ようとした。

私が駐車券の機械の前に着くのとほぼ同時に、その車は清算をしていた。

だからすぐに駐車することができた。

そして書店に向かった。

レジで前売り券が欲しい旨を言うと、「少しお待ちください。まだあったかな…」と言われていた。

そのファイルを持ってきて店員さんが「ありましたけど、後半の19時からの分で1枚しかもうないんですがそれでもいいですか?」と聞いた。

まさに私の欲しいのはそれで、自分ひとりで行くから1枚で十分だった。

それを見て、もうそこに行けってことだろうなぁと思った。

行けない時はどんなことしても行けない。

でも行く必要がある時はどんなに有り得ないことでも行けるようになっている。

そうして手にした1枚だった。

実際に見てみて、90歳と87歳の老夫婦の日常が撮影されていて、そして最後の方で実
際に90歳のだんなさんが亡くなられるけれどその後も人生は続いていった。

その夫婦のやりとりもそうだし、日常の生活も、そこに登場する色んな景色や歴史も、普段の食卓も、もう私はそのすべての虜になって見ていた。

特別なものは時々あるけれど、普段の生活は単調と言えば単調。

だけどその生活をとことん慈しんで大事にしている。

その姿が私にはツボだった。

そして途中で戦争の時に知り合った台湾人の男の子(20歳前後)が政治犯として捕まって1950年頃処刑されて死んだことを知った。

その子はそのだんなさんに手作りの印鑑をプレゼントしていて、そのご夫婦はすべての契約でも何でも数十年に渡りその印鑑1本で済ませてきたとのこと。

それを本人に返そうということで、2人でその子のお墓参りをしに行くシーンがあった。

普段おだやかなだんなさんが泣いてたのはそのシーンだけだった。

当時みんなで口ずさんだ歌を歌いながら、印鑑を埋めるために土を掘りながら、声を震わせて泣いていた。

見終わった後、不思議な気持ちに包まれていた。

朝、生きてることだけで奇跡だと思ったのと似ている感覚だった。

 
これを書いている3月18日はすでに39歳になっていて、色んなことが相変わらずではあるけれど、覚えている限りの38歳最後の日を残したくて書いた。

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