2018年3月19日月曜日

退職の決断

当初今の派遣の仕事は2017年の6月から年度いっぱいの2018年の3月までと言われていた。

2017年の5月の時にはまだ何も自分の中で「これだ!」というものが全く見えてなかったから、とりあえずもう少し決断の時期を先延ばしにできるように長くても1年以内の仕事で…という希望を出した。

私の第一希望はそれだけで、それさえ通れば基本的にあとは何でも良かった。

時給やら残業少なめとかは希望したけれど、それよりもきっちりと辞めたい時に双方合意の上スパッと辞めれることが大事だったから、そこさえOKならもうあとはごちゃごちゃ言わないことにしようと決めていた。

だから実際に派遣会社の人がこの仕事の話を持ってこられた時も、「一応年度いっぱいということで先方さんからお話をいただいています」という体だった。

事務経験がないのは大丈夫なのかそれはすごく突っ込んだけれど(なぜなら名古屋の派遣時代は経験があっても落とされていたから)、いやぁこちらでは基本的に相当のことがなければ顔合わせしてそれですぐスタートになりますから大丈夫だと思いますよ、とか説明されて本当にその通りでびっくりした。

しかも法律が変わったとかで、かなり職歴が大幅に内容が伏せられて先方に伝えてもらえるのもとてもありがたかった。

私の職歴は色んな意味で突っ込みどころ満載で、名古屋でそれで何回職場見学という名の面接で冷やっとしたかわからない。

経験はないわ畑違いのことしかしてないわで普通なら採用されないような状況だったにも関わらず、即採用の即スタートした仕事だった。

 

11月の終わりか12月入ってすぐ、職場の雰囲気がすごく悪くなった。

過去最高に悪くなった。

10月トップ2人が交代して、職場はある意味新体制で動くようになった。

みんながみんなちょっとずつイライラしていた。

それはわかっていた。

だけど直接自分に火の粉が飛んでこなかったから、まぁいいかと適当に見て流していた。

それが本当にちょっとしたことで、私にもその火の粉が飛んできた。

しかも私は自分が何で相手の人たちの怒りを買うのかさっぱり理解できなかった。

突然怒り出すから、私は最初ビックリした。

何だこれ?と思った。

実は私はこれまで今のところ入れて9か所、そして異動とかもたくさんある職場もあったおかげで一緒に働いた人たちというのは延べ100人以上、200人とかいるかもしれない。

とにかくけっこうな数の人たちとそれは密に仕事を共にしたけれど、過去に意味不明に当たり散らしてくる人というのは2人ないし3人しか当たったことがなく、しかもその人たちはみんな同じ職場で異常なほどの離職率を誇る部署だったから、もうストレスゆえのそういうおかしな人たちということで片付けていた。

人間的にとても幼いと思って私は心の中で相手の人たちを心底バカにしていた。

あまりに低レベルすぎて、仕事では仕方ないから普通に接したけれどいつも心の中では「バーカ!」と毒吐いていた。

反対に私が行く場所行く場所というのは、どこも自分の気持ちのコントロールに長けてる人が多くて、それが当たり前と思って私も見ていた。

だから12月に当たられた時、私は対処の仕方がてんで分からなかった。

しかも自分に非が100%あれば謝るしそれに対して気を付けたらいいと思うけれど、私はどちらかと言えばたまたま機嫌悪い時に質問したにしか過ぎず、もうどう気をつけていいのかも皆目見当がつかなかった。

本当に参った。

相手の怒りスイッチのありかがわからないから、気をつけようがない。

しばらくはかなり仕事中に緊張を強いられ、まじめにそれを派遣会社に言ってやめようかと思ったほどだった。

すぐにでも言おうと思ったけれど、ペンジュラムは「今じゃないよ」と伝え続けていた。

さすがに私も怒りや不満だけで何かを言うのはいかがなものかと思い、少し様子を見ようと思った。

それが結局1週間ほどで落ち着き、本当に些細なことでまた状況は柔らかくなり、年明けからはオルゴナイトのおかげなのか何なのかとても穏便になった。

時々は波が立ちそう…と思う時もあったけれど、それもすぐに収まるし、職場自体も新体制になってからの雰囲気が少しずつ出来上がってきて、それでみんなも少しずつリズムを取れるようになった。

事の転機は思わぬところにあった。

12月のその状況がよろしくなくなった時の初めての週末、友達主催の命の授業のようなイベントに行った。

そこで私は自分のありのままで自分の思ってること感じてること体験していることを話す女性4人に出逢った。

1人の人は世間的には確実に受け入れられるお話でそういう意味では感銘を受けなかったけれど、残りの3人、特に2人は明らかに世間では9割バッシングされるかおかしな人認定されるような体験談だった。

それを公表するまでの葛藤も話してくれ、私はそのスピーカーだった同世代の女性たちにものすごく憧れてそして親近感を持った。

それを見て、自分もそんな風に表現したいと心の奥底からの叫びのようなものが私の元に届いた。

自分を隠すんじゃなくてありのままを表現したいと。

その辺りから、仕事を辞めたいと思うようになった。

最初は人が嫌だということだったけれど、もうそういうことじゃなくて自分の気持ちの方が違うところに行きたいと思い、今の仕事をまた3ヶ月続ける(4~6月)のはちょっと自分で想像がつかなかった。

年明け落ち着いてからは正直また迷いだした。

どんなに遅くとも1月末か2月の頭には言わないといけない。

少なくとも派遣会社には言っておかないといけない。

状況は読めなかったけれど、なんとなく契約が4月以降も延長されるかもしれないという感じがした。

状況は好転したから何も3月末で辞めなくてもいいんじゃないかと思った。

4月からこれをします!なんていう明確な何かがあるわけじゃないから、また続けながら少しずつ自分の道を作っていくでも良かった。

ましてや今の仕事は定時で帰れるし、休みも取りやすいし、仕事そのものも職場の人的な環境さえ落ち着いていれば仕事の外で仕事のことを引きずらなくていい。

何一つ問題ない。

それを辞めるメリットは何なのかわからなかった。

ごちゃごちゃと迷いだした1月は、まだもう少しまだもう少しと決断を先延ばしにした。

忘れもしない2月2日、あるスーパーの駐車場に車を止めて派遣会社に電話をかけた。

もう辞める意志を伝えようと。

ものすごい緊張した。

何が不満でもない。

次が決まっているわけでもない。

だけど辞めると伝える。

異性に告白するのかというぐらいに私は緊張していた。

担当者がいなくて、また詳しい話は後日ということになったけれど、とりあえず次更新という話になったとしても3月末で辞めたい旨を伝えた。

その後どういうわけか2週間ほど空いてから担当者から連絡がきた。

またもや私は本当に辞めるがいいのか迷った。

だけどもう自分の道はここではないというのはわかりきっていた。

抵抗しているのは、単に次が決まってない=経済的な不安だけだということもわかった。

これまでの辞め方と違うのは、次が決まっていて辞めるわけでもない、そもそもの契約期間が満了で辞めるわけでもない、そして人が嫌で辞めるわけでもない。

完全に自分の意志だけで辞めようとしている。

でも今回はそうすることが人生において正解なんだろうと思ってる。

これまで何となく何となくで歩を進めてきた30代の決断の在り方と違っていて、自分の意志で明確に選び取ることが大切なんだと思ってる。

3月も下旬に入ろうとしているのにまだ何も決まっていない。

そして具体的な動きに自分が入っていないのも自分で気付いている。

だけどこれで良かったんだと思う。

仕事には不満がなかったけれど、時間の流れ方が仕事の時とプライベートの時とで随分違っているのは日に日に気付いていった。

今も色んな調べ事や書き物なんかを暇さえあればしているけれど、その時間の足りなさといったらない。

あっという間に数時間が過ぎ去っていく。

仕事は1時間過ぎるのもその何十倍もの遅さで過ぎるというのに。

だから今ここで腰かけをしててはいけないんだと思う。

何がなくても自分の意志ひとつで動き出していくことが、そしてそういう気持ちになり始めてる自分がいるから、それを大切に大切に育てていく、そういう気持ちが少しずつ固まりつつある。

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