2016年3月31日木曜日

空腹は最高のヒント

今、クリームシチューを仕込みながらこれを書いている。

今日のお昼は、昨日の夜から「野菜サンド」と決めていた。

夕方寄ったスーパーで「パオ」という名のサンチェみたいなレタスが格安だったから、それで友達

から教えてもらった野菜サンドを作ろうと思っていた。

友達が教えてくれたサンドイッチは、マヨネーズを塗ったパンに、レタス、きゅうり、玉ねぎだけを

挟んで、そしてクレージーソルトを振るというもの。

昨日、レタス抜きで作ったらおいしくて、そうしたら夕方格安レタス見つけて、「これは明日のお昼

にぴったり♪」と思って買ってきたのだった。

今日のお昼前コーヒーを飲みながら、図書館で借りてきた、よしもとばななの『サーカスナイト』の

気に入った言葉たちをひたすらルーズリーフに写していた。

途中で小腹が空いて、友達からもらったドミニカ共和国産のチョコレートを食べた。

硬めのチョコで、最初歯で割って、あとは舐めるようにして食べるのが好きな食べ方だ。

左側の奥歯で最初割り、もうトロントロンに近い状態の時、右側にチョコを移して一噛みした。

そのたった一噛みで、なんと昨日歯医者で詰め物をした詰め物が取れた。

たしかに歯科衛生士の方から注意があった。

今している仮の詰め物は柔らかい素材を使っているから、ガムやキャラメルは取れてしまう可能性

があるから控えて下さい、と。

何だったら、食べる時もなるべくなら右側では噛まないようにと。

チョコはものすごく柔らかくなっていたし、左側だけを意識的に使うのも疲れていて油断した。

まさかその一噛みで詰め物が取れるとは。

さらに最悪なことに、今日はその歯医者さん休診日。

明日9時半の開業に合わせて行くにしても、これからおよそ24時間は何も食べられない。

歯の型を取ったから、もしこれでまた歯が欠けたりすると型を取り直すことになると、昨日一緒に

説明を受けていた。

詰め物は表面だけ取れて、鏡で見たら歯の奥の方は別の硬い詰め物で覆われていた。

それでも、歯が露出していることには変わらず、これで他の部分も欠けると大変なことになる。

「絶食」確定した。

先に野菜サンドを作って食べておけば良かった、というのは後の祭り。

最初は、コーヒー飲んだり、抹茶ラテ飲んだりしていた。

途中用事で外出し、しばらくは絶食を貫き通すつもりでいた。

だけど、歯の詰め物が取れた以外、体の方は健康そのもの。

当たり前だけど、腹が減る。

しかも一度考えだしたら、もう何としてでも何かを食べたくなり、「何だったら食べても大丈夫か?」

の思考が止まらない。

1人でああでもないこうでもないと考えた末、「汁物」が挙がってきた。

最初は、具なしの味噌汁を思い付いた。

だけど、絶対に空腹が満たされないのはすぐに想像がついた。

スープをあれこれ思い浮かべた末、「シチュー」にたどりついた。

最初野菜を入れて水から煮込んで、最後は具とスープを分けて(具は後日使用)、スープにだけ

シチューの素を足したらいいとなった。

カレーも候補に一瞬上ったけど、カレーだとごはんも食べたくなってしまうから、絶対にごはんが

なくても平気なシチューに落ち着いた。

そのために、シチューの素も買いに行った。

買いに行ったスーパーでは、無駄にうろうろと店内を徘徊した。

シチュー以外にも歯を使わずにつるっと食べれる物を探しながら、くまなくスーパーの中をうろうろ

した。

ちなみにかごの中に足したのは、ヨーグルトと炭酸飲料、あとは半額の国内産生ひじき。

ひじきは単にお買い得だったから入れただけ。

ということで、今、玉ねぎ、人参、マッシュルーム入れてスープを作っている。

具なしのシチューでも、飲み物だけで一日を終えるよりはずっとましだと思っている。

歯の詰め物が取れてすったもんだしていても空腹に勝るものはなく、ここ最近では一番頭を使った

ような気がしている。

2016年3月29日火曜日

久しぶりの断捨離と過去の完了

少し思い立って、断捨離をした。

「○○したい」と考える前に動ける感覚に感動を覚えた。

最近は、「さて次どうしようか?何しようか?」と考えてから動くことが多いから、そんな手順を

吹っ飛ばして、「この部分を整理したい」と体が勝手に進めるのが妙に新鮮だった。

そもそも今日の断捨離は少しイレギュラーな断捨離だった。

これまでは「断捨離をしよう!」と思ってから何か手を付けて始めるところ、今日はそういうつもりは

なかったけれど、ふとクローゼットの奥にしまってあった透明の袋を見つけてしまった。

もっと言うと、ティッシュボックスの在庫があるかないかを確認したくて、手探りで探してみた。

ティッシュボックスはなかった。

その辺りには他にも、電化製品の説明書とアパート全般に関する契約関連の書類がひとまとめに

なって置いてある。

日常的には一切必要ないものたちだから、奥の隅っこの場所が丁度良かった。

ところがその例の透明の袋まで置いてあるのが目に入った。

何だ何だ?と思い袋をクローゼットの奥から取り出し、実際に中身を見てみると。

おおよそ4年前+それ以前の思い出の品や大切な情報だけを残しておいたファイルや紙だった。

多分この1~2年で大規模断捨離をして、最後まで捨てられずに取っておいたものたちをまとめて

入れておいたのだろう。

透明の袋は、母親が会社からもらってきたちょっと小洒落た袋だ。

この冬一度も袖を通すことのなかったもらいもののコートを持っていた。

これからも絶対に着ないとわかり、その小洒落た袋の中身を取り出し、代わりにそのコートを入れ

さらにはシンク下より先日引っ越した友達からもらった45Lの名古屋市の可燃ごみ袋に袋ごと

入れた。

さぁ、またこの45Lがいっぱいになるまで少しずつ断捨離をしようとその場で決めた。

袋から取り出した紙やファイルをささっと、時々はじっくりと目を通した。

いくつかはもう「手放して大丈夫」と思い、さっと手放した。

まだ増えそうだったから、先日仕事の人からもらった大きなビニールの袋にその紙たちを入れた。

この後も、また紙関係のゴミが出るような、今だったらさっとゴミとして区分できるような気がした。

4年前、自分が企画した心理系のワーク用のコピーもたくさん出てきた。

原本はハードディスクに保管してあるから、またいつでも印刷できる。

しばらく使わないコピーの紙を見て、メモ用紙にすることを決めた。

気付かないうちにもう4年も経過したことに驚いた。

4年もあればもっと他のこともできただろうという思いもないわけではなかったけれど、それよりも

この4年という月日、本当に自分ががんばったなぁと思った。

何をやっても長続きせず、そんな自分に落ち込み、自分を責めて、どうするつもりなの?と自分に

喝を入れ…。

何もないようで色んなことがあり、さらには否応なしに自分の内面を見る羽目になったけれど、ここ

まで何だかんだとやってきたんだなぁと思ったら、「がんばった、がんばった」とそれが最初に自分

の中に出てきた。

透明の袋の中には、2009年の初めに1人でメキシコに旅した時のチケットやレシートがそのまま

になっているものも入っていた。

小さなノートに自分の軌跡を貼ろうと、ずっとそのままにしていたものだった。

ノートもそれ専用と言わんばかりにメキシコでメキシコ的なデザインのノートを買っておいた。

これまでも何度かやろうと思い、途中まで手を付けてあった。

ふと今やらずまたさらに先延ばしにしてどうするつもりだろう?と思い、30分もあれば終わるかな

と予測して、とりあえずのりを出してきてペタペタとチケットをノートに貼り付けた。

本当にその通り終わって、今とてもきれいな状態に落ち着いている。

そんな昔のものたちを、今も引き継ぎ残しておくことにどんな意味があるのかさっぱりわからない。

だけど、メキシコの軌跡については「捨てる」タイミングではないというのだけはわかった。

そしてもしかすると、一生捨てずに残しておくかもしれないということも。

関係ないけれど、その中の1つに「Gracias」と手書きで書かれたものがあった。

現地の人の文字で、「ありがとう」。

言葉を知ってるっていいなぁと久しぶりに感じた。

ファイルの中に、2005.6.19の日付で配られた資料があった。

この資料だけは、絶対に手放さない資料なんだということがわかった。

それまでの人生の中で、精神的に一番病んだ時に参加した福祉の勉強会でもらった資料だった。

資料そのものを読み返したのは、実は今日が初めてだった。

この資料を手放さない理由がある。

資料の余白にものすごくたくさんの書き込みがしてあるけれど、その書き込みがすごく良い。

落ち込みまくりだった当時、希望や闇の中に光る小さな光を見せてもらえた勉強会だった。

しかも、そのたった一度しか当たらなかった先生だったけれど、初めて福祉の現場で問題解決を

問題点ではなく本人の持ってる強みから解決しようという、当時のわたしにしたら奇想天外な方法

を教えてくれた初めての先生だった。

そしてその先生が実践を通して伝えてくれる言葉は、生き方そのものの大きなヒントがたくさん

詰まっていて、わたしは泣きながらその勉強会に参加したこともよく覚えている。

役目を終える過去、これから先にも続いていく過去、色んな過去と向き合いながら今回の断捨離

をすることになった。

良いものは良いし、いつか廃れるものは廃れる。

それぞれを区別しながら、今日という今をまた過去にする作業を続ける。

2016年3月28日月曜日

猫と対峙

近所の大きな公園にはたくさんの野良猫が住んでいる。

捨て猫の名所なのか、野良たち同士が繁殖した結果、数が増えたのかは知らない。

とにかく至る所で猫を見かける。

本を読むのに景色も良く音も無音に近いベンチを探した。

菜の花と青い花がたくさん咲いている花壇を見渡せるベンチに腰を下ろした。

そのベンチは、大きな木の周りをぐるっと一周するような丸い形をしていて、詰めて座ったら20人

くらい座れるんじゃないかと思う。

花壇のさらに向こう芝生の辺り、距離にして5~6メートルは離れているところに野良猫が1匹いる

のが目に入った。

読書をしていると、もそもそと動く物体が目のはじっこに入ってきた。

本から目を離し、そのもそもその正体を確かめようと目をやると、先ほどの野良猫だった。

猫もベンチの上にひょいっと乗り、ひなたぼっこを始めた。

視線を感じて目をやると、わたしの方を向いている。

わたしも花壇ではなく体を90度右側に向き直し、猫と対峙できるような格好をした。

猫1匹とわたしはひたすら無言でお互いの動向を見守った。

ある程度時間が経過し、わたしが危害を加えるわけではないとわかると、猫はうたた寝するかの

ように目を閉じ、頭そのものもわたしと正面で対峙する感じから自分の楽な角度に少し変えた。

途中からわたしの方は、猫の耳に注目していた。

猫の耳は、音のする方向にぴくぴくと反応し向きを変えていた。

頭上からヘリコプターの音がすれば耳は直角に立ち上空の音を拾おうとしていたし、自分の背後

の方から自転車が通り過ぎる音がすれば耳も後ろから前へとぴくぴく忙しく動かし、音のなりゆき

を見守っているようだった。

その猫の耳の特性を観察しているうちに、人間の耳が固定であることにひどく感謝した。

小さいころからの癖で、わたしはたとえ目の前の人と真剣な話をしている最中でも、すぐ隣りや

後ろで他の人たちの会話が聞こえ、さらにその会話が面白かったりすると、話を聞くふりをしつつ

耳はしっかり他人の会話を拾い上げている。

人間の耳は音の方向に合わせて動いたりしないから、多分相手には気付かれない。

だけどもし猫の耳のように、音の方向に合わせて耳が動くなんてなったら、わたしは即座に「話を

聞かない人」の烙印を押されてしまう。

猫は猫が生きていくための、人間は人間が生きていくための、それぞれにとって都合の良い機能

をそれぞれが体の中に持っているんだなぁと感心した。

もしそれぞれが反対なら・・・。

人間は四六時中相手を怒らせることになりかねないし、猫は今度必要な音を拾えず生命の危険

まで出てくるかもしれない。

適材適所ではないけれど、やっぱりそれぞれ一番良いように体の形や機能というのは成り立って

いるんだなぁと1人で結論を出して、もう寒いから読書終了!とその場を去った。

2016年3月24日木曜日

カーテンの洗濯

2枚あるうちの1枚のメインカーテンを洗濯した。

カーテンを洗濯するだけで部屋の状態が良くなるとまたどこかで読み、早速やってみた。

今日は春一番と言わんばかりの突風の日で、元々乾きやすい素材のカーテンだったけれど、外に

干してわりかしすぐに乾いたと思う。

これまでも片手で数えられる位はカーテンを洗濯したことがあったけれど、一度も気付かなかった

「防炎」と赤字で書かれたマーク。

それがわたしのカーテンにも付いていたとは、今日の今日まで知らなかった。

学校のカーテンや大きな公共関係の建物のカーペットなんかにもよく付いているマークだ。

多分見たら、「あぁあれのことか!」と誰でも一度は目にしたことがあると思う。

わたしもよくは知らないマークだけど、なんとよく知っている方のお父様がその「防炎」の素材の

開発なのか何かに関わって、天皇陛下から表彰される○○勲章的なものをもらったそうだ。

最近ではなく、その導入された当時。

そんなすごいものだとは、わたしも、なんならその方もつい最近まで知らずにいた。

それがわたしの家のカーテンにも付いていて驚いた。

もう1つの薄い半透明のニトリで買ったカーテンには付いていない。

多分きちんとした素材だと付いてくる類いのマークなんだと思う。

たった1つのマークだけど、そこにこんな風に物語が生まれるのは素敵だ。

ちなみにその方もなぜ知ったかと言えば、お父様にしたらお孫さんにあたるその方の息子にその

話を家族の集いの席でしていて、初耳だったわそんなことと言っていられた。


今のアパートに移ってからずっと同じカーテンだけど、一度も飽きたことがない。

メインカーテンは探しに探して、なんと買う予定地にも入っていなかった東京の渋谷のロフトで

買ってきたことは記憶にある。

妹の結婚式のついでにふらふらと立ち寄った記憶がある。

最初ニトリで別のカーテンを買ったけど、取り付けたら気に入らずすぐに返品した。

薄い方のカーテンはとても気に入り、今もずっと使い続けている。

メインカーテンは気に入るまで妥協せずに探すことにしていたから、少しでもカーテンの取り扱い

があれば見て回っていた。

探し回っただけあり、今もずっとお気に入りのままだ。


今日洗濯をしてみて、改めて好きなカーテンだなぁと思った。

友達が紹介してくれた不動産の担当者の人が、遮光1級カーテンだと昼間でも本当によく眠れる

位に光を遮断してくれるからお薦めだよと教えてくれて、本当にその通りなことも何度も体験した。

どうしても昼間に熟睡する必要がある程の睡眠が必要な時は、カーテンを閉め切る。

言葉の通り、本当によく眠れた。

デザインだけではなく機能も抜群の、長年の相棒カーテンだ。


洗濯をしてカーテンを元に戻して気付いたことがある。

本当にただ洗濯をしただけでも、なんとなく部屋の空気が違う。

「清浄」という雰囲気をカーテンがまとってる感じ。

そう思って部屋を見渡した時、おおよそ自分の好きなもので満たした空間だなぁと気付いた。

部分部分、気に入らないところもあるけれど、8割は合格ラインだ。

自分が気に入って大切にしていると、それに物も応えてくれる気がする。

逆にいい加減な扱いをしていると、それまたそっくりそのままそういう表情が物に出てる気がする。

あとどの位お世話になるのか予測も立たないけれど、わたしの手元にある限りは愛でたいと

思っている。

2016年3月23日水曜日

他人のフリをする

昨日の夜、見知らぬ番号から電話がかかってきた。

その少し前まで、とても仲良くしている年上の方とその方が2日以内に決定しなければいけない

決断についての話をライン上でしていた。

わたしはその方からされた質問に対し、自分が思ったことと突拍子もない提案とをして終わった。

その方というのが、友人知人の付き合いで携帯を借りている。

事業の経費になるとかなんとかでその方が個人で使用するものとして貸与されているみたいで、

けっこう頻繁に番号が変わる。

毎回後から、「そうそう番号変わったの!」なんていう事後報告が何回もあるから慣れたもので、

決して相手もわたしに教えるのを避けたとかではなく、頻繁すぎて毎回忘れていたということが

これまでにも何回もあった。

丁度話し終わった後ということもあって、もしかしてその人からの電話かなと思って出てみた。

わたしは単に「はい」とだけ言って電話に出た。

その方なら「あー、ぶっしーちゃん!?わたし○○だけど…」と話し始める。

でも電話の向こうはそうは言わず、「Aですけれど、ぶしまたさんですか?」と聞かれた。

Aという名字を聞いて、すぐに誰かわかった。

そしてそのAさんは、わたしがいつだったか「もう生涯連絡を取らない人」認定をして携帯の電話帳

から削除した人だった。

わたしはとっさに「違います」とだけ答えた。

Aさんは続けて「以前この番号は、ぶしまたさんという方の電話だったのですが、違うんですね」

と言われた。

わたしはまたもや「違います」と答え、「すみません、失礼しました」とAさんに言われた。

わたしも失礼しますと言って電話を切った。

こんな風に自分の名字まで言い当てられてるのに、それでも「違います」と他人のフリをしたのは

初めてだった。

すごく変な感じだったけれど、Aさんとは本気でもう関わり合いたくなくて、咄嗟にそうした。

Aさんが困ったさんなのは、自分の扱っているサービスを押し売りしてくるところ。

何度も何度も断って、理路整然となぜ断るのかも全部説明しているのに、病気かと思う位に全く

話が通じない。

よく営業してるなぁと思う位。


とりあえずAさんとはそれっきりだからいいけれど、後から気付いたことがある。

わたしは自分の軸がぶれだすと、必ずと言っていい程こういう手の変な連絡がくる。

それも2年3年ぶりとかに。

Aさんに限っては4~5年ぶりかと思う。

Aさんの電話はわたしにとって、「自分の軸足を見てね」というメッセージだったと思ってる。

他人のフリすることが目的じゃなくて、「どうしたいの?」という問いかけの電話だったように、今

振り返るとそう思う。


今日になって先述の年上の方から別件でラインが来た。

その方が足繁く通っている勉強会なるものがある(わたしも話を聞いている)。

今度それを名古屋でもする流れになっているから、ごく近しい人だけ集めてやろうと思ってる、

そしてぶっしーちゃんを誘いたいという内容だった。

わたしは二つ返事で行くと言った。

つまるところ、普段の人間関係がどういう風かで、相手が紹介するサービスなり会なりにわたしも

参加するかどうかを決める。

例えばAさんともとっても良い関係を普段から築けているのであれば違ったと思う。

でもAさんはわたしをカモとしてしか見ていない。

話を少しするだけでそれはよくわかる。

Aさんのサービスに関しては、それを全く別の人からも話を聞いたことがあるし、なんならわたしは

そのサービスの軸となる書籍まで読んだことがAさんに知り合ううんと前にあったから、決して悪い

ものとは捉えていない。

だけどそうした行き違いから、もう連絡を取ることさえ嫌になってしまう。

1本の電話から色んな事を学んだ2日間だった。

2016年3月22日火曜日

春分の日と体

2015年の春分の日前後は、大きく体調を崩し、さらにどんどん広がる全身の湿疹をどうすること

もできず、最終的に皮膚科に通院した。

春分の日あたりは、とりあえず体調を崩しやすいということがわかり、今年はかなり気をつけて

自分の体調を見守っていた。

今年はパソコントラブルに見舞われたものの、とりあえず体はいつもと変わらない感じだったから、

安心していた。

とにかく無事に春分の日を通過!と思って、昨日の夜、ご飯を食べていた。

ベーコンとエリンギの洋風炊き込みご飯を食べていたら、突然「ゴリっ」とした物体に行き着いた。

農家から直接譲ってもらうお米を両親が送ってくれるため、時々石は入っている。

最初石かと思った。

出してみて、それが石ではないというのがすぐにわかった。

もしや!と思って鏡を見たら、右下の奥歯の歯が半分ほど欠けていた。

昨日は振替休日で、歯科医院は当然休み。

夜も9時近く。

まだ3口程しか食べていなかったけれど、こんな状態で食べて良いものかどうかもわからず、食事

は中断、すぐに歯磨きを開始した。

素人が見ても、虫歯とわかる。

痛みは一切なかったけれど、この数年、時々ストレスや疲れが溜まると痛む歯のところだった。

ずっと痛ければ歯医者に行くものの、すぐに痛みが消失するからずっと放置。

まさかこんなに悪化してるとはゆめゆめ思わなかった。

ネットで調べたら、歯は牛乳につけると良いとあり、本当にたまたま牛乳を持っていたから(普段

常備はしていない)、タッパに歯を入れて牛乳に浸けた。

あとは歯医者を探した。

うちの近所にはいくつか歯医者がある。

ネット検索して知ったことだけれど、コンビニと同じ位、歯医者もあるのだそう。

言われてみれば、うちの近所に、知ってるだけで6軒は確実に場所を知っている。

ネットで調べたら、徒歩圏内だけで20軒以上はヒットしたと思う。

歯医者の口コミなどほとんどなかったけれど、一番近いところの口コミが良かったから、今朝開始

時間に合わせて行ってきた。

待つのかと思いきや、すぐに見てもらえた。

さらに受付の女性、歯科衛生士の女性、男性の歯科医、全員がすごく良い方たちばかりで、本当

にそこにして良かった。

技術の程度とかはわからなかったけれど、こちらが安心できるように話してくれるから良かった。

銀歯になることはほぼ確定だけれど、歯が残せるのは良かった。

神経に達していたら神経を抜くことも言われたけれど、幸いそこは無事だったらしい。

自分のこの丈夫な体、そして丈夫な体を授けてくれた両親に心底感謝した。

自分で言うのもなんだけど、わたしは基本的に体が丈夫だと思う。

1年前の湿疹も困ったけれど、あれ以降は落ち着いている。

高校生の時に発症した椎間板ヘルニアも、今は魔法の腹巻ならぬコルセットのおかげで、本当に

腰痛から解放されている(痛くなったら着用すると、数日の間で治る)。

歯も、今日の歯科衛生士さんから「虫歯になりにくい体質ね。歯強いわね」とお誉めの言葉を

いただいてきた。

頭痛は年に数回しかならないし、おなかは弱めだけど日常生活に支障が出ることはない。

もう何年と発熱もしてなければ風邪も引いていない。

目はメガネやコンタクトがあるから大丈夫。

本当に恵まれている体だなぁと思う。

歯が欠けたことも色々調べていくうちに、とても良い意味付けがあることを知った。

ターニングポイントだとか、古い殻が外れ新しい流れが始まるとか。

不具合は不具合ではあったけれど、それ以上に得るものも大きかった歯の事件だった。


人によって体の状態は様々だと思う。

わたしの場合は、季節の変わり目というなら、春分の日が一番大きく体が反応しているように

思う。

これまで自分の体をきちんと見てこなかっただけに、そういうことを気をつけられるようになった

のは嬉しい。

2016年3月21日月曜日

再生する力

昨日書いた記事の続き(『永遠に失われた文字、そして残ったもの』

ものすごくうまく書けたと思った文章が、何かの誤作動でパソコンから全て消えてしまった件。

今日書けるかどうか最初は自信がなかったけれど、とりあえず再挑戦してみた。

書けたら嬉しいけれど、書けなくても仕方ないと割り切れる位に今日は気持ちも回復していた。

書き出して気付いたのは、昨日とは違う仕上がりに、昨日とは違う言葉のチョイスに、そして昨日

とはまた違う感情が湧きながらの文章ではあったけれど、自分には忠実に書けていた。

同じものは二度と書けなくても、書いている自分の中に湧きあがるものは一緒だった。

それは絶対になくならないもので、私自身でさえも自分からは奪えないものだった。


最近、心の底辺に居座っている心配事というか懸念事項がある。

かなりしぶとい。

自分でもお手上げに近い状態が続いている。

ところが今、その心の底辺にあるものはそのままで、昨日の文章を再生させた。

自分の書いたこと・書く行為は、心の底辺に居座っているものと何ら関係ない。

むしろそんな状態でも書けることに驚いている。

自分という一人の人間の中にふたつの別の回路が存在しているかのよう。

1つの回路は心の底辺の方で沸々としている。

もう1つの回路は、そんなのおかまいなしに、ひたすら指を使ってパソコンのキーを叩いている。

自分はそんなに器用なはずじゃないのに、器用にこなしている。

そして、最初とはところどころ違った文章が最後完成品となって現れた時、自分の中の再生する

力に目を見張った。

自分が書く文章とも当然一期一会だから、昨日のような全てのデータがぶっ飛んだ時は、もう

どうすることもできない。

それでももう一度わたしは書き直し、半分は新しい気持ちで、残りの半分は昨日の余韻で、ただ

ひたすら出てきたものを綴り続けた。

「再生」これが1つの大きなテーマなんだろう、今書いていてそんな風に思った。

2016年3月20日日曜日

永遠に失われた文字、そして残ったもの

心を落ち着けて書きたいと思う。

さっき、1つの文章を完成させた。

ものすごくうまく書けた。

うまくというのは、文章がするすると自分の指を通して勝手に出てくる感じだった。

しかも初めての表現方法だった。

その文章は、いつもなら会話を必ずどこかに入れる。

会話があるということは、当然文章の中では自分以外の第三者が存在する。

その第三者の存在を書きながら、自分の心が震えた瞬間を記す。

そういうスタイルの文章。

今回初めてそうではない文章を書いた。

文章の中には自分しか出てこない。

会話はない。

だけど自分しかいないのに人も存在しているとわかる、自分でこれまで書いた文章では異質の

タイプのものだった。

初めて書いたタイプであるものの、何の違和感もない。

どうしたかと思う位にすらすらと書けた。

あとはアップするだけで良かった。


アップしようと思った少し前から、パソコンの調子がいつもと違うことに気付いた。

実は今日このブログでは、別の記事をアップしようと思っていた。

そのために過去記事をさかのぼろうとしたら、ブログが表示されなかった。

何度やっても出てこない。

これまでの経験で、まずいとわかった。

ネットが接続されているのに、何を検索してもクルクルと検索マークが回るだけ。

表示が一切変わらない。

本当にまずいとわかって、とりあえずアップ予定だった文章を保存することにした。

もう一度立ち上げ直したらいいと判断したから。

そうしたら、パソコンが完全にフリーズした。

WORDは開かない、そのうちキーを触ってもマウスを触っても、何も動かなくなった。

保存すらできず、さらには記事を書いたページを開くこともできなくなった。

いちかばちかで、強制終了して、もう一度パソコンを立ち上げることにした。

強制終了した時は、インターネット上のものであれば「ページの復元」が可能だから。

それに賭けることにした。

というか、もう完全に動かなくなったパソコンの前ではそれ以外に選択肢がなかった。


立ち上げ直し、ページの復元までは予定通りだった。

ページの復元で、さっき書き上げた文章がそっくりそのまま出てきた時は感動した。

ところが、そのページは一瞬で消えた。

そして画面には、真っ白い記事を書く前の状態のページだけが残された。

履歴検索しても、どういうわけかその時のものだけ出てこない。

そして色々とフリーズした時も、数分間の空白が履歴には残っている。

そう、「残っていません」という履歴が示されていた。


わたしはその一度は書いて消えてしまった文章をなんとか取り戻したくて、自分の記憶を頼りに

先ほどWORDに打ち込んでみた。

ある程度は書けた。

でも細かいニュアンスは、指から勝手に出ていたような感覚だけあって、思い出せなかった。

言葉は断片的にしか出てこない。

同じものを再現することはほぼ無理とわかり、あきらめて今これを書いている。


今書いていてわかった。

あの時、春分の日にちなんだ磁場みたいなのが働いたと思う。

ちなみにパソコンの調子がおかしくなったのは13:30より少し前から13:40過ぎ位の10分程の

時間。

時間にしたら短い。

昨日の夜だったかに、その時間が天体的に何かが一番強く作用する時間みたいなことが書いて

ある記事を読んだ。

まさにどんぴしゃの時間にわたしは書き物を完成させてアップを試みたら、それが永遠に失われる

結果となった。

本当に悲しかった。

だけど、それが作用する位にその完成させた文章の完成度も高かった。

自分の中では、かなり好きな文章だった。


そして今、自分の中に残ったもの。

やっぱり今日書いた文章は、どこかでもう一度それに近いものを完成させたいと思っている。

その時は気持ちを改めて、再度挑みたい。

それはそうと、あのかなり好きな完成品の文章は二度と戻ってはこないけれど、それを書いた

のは他の誰でもない自分自身だから、あとはまた自分を信じて紡ぐしかない。

それを書けたということは、また言葉の使い方は変わっても、二度三度書くことはできる。

「失われても尚残るもの」、これが春分の日がもたらしたわたしへのメッセージなのかもしれない。


去年の春分の日の前後、わたしは大きく体調を崩していた。

「浄化」と言えば聞こえがいいものの、本当にもう何年も突発的なことで医者にかかっていなかった

わたしが医者にかからなければ完治が見込めない位に日に日に状態は悪化した。

通院して事無きを得たけれど、春分の日というのはそんなにも目に見えないけれど何かとてつも

ない威力に満ちているのかと心底驚いた。

今年は体にこなかったから安心していた。

そうしたらパソコンに思いっきりパンチが飛んできた。

しかもどんぴしゃのタイミングで。

今年のパンチの方が辛い。

久しぶりに心を揺さぶられた。

ただ、後ろをいくら振り返ってももう戻れない、取り戻せないとわかったら、仕方ない。

あきらめることももちろん必要。

だけどそんな手痛いことはただ痛みだけを伝えるもののはずがない。

その痛みの先にもっと大切なことが含まれている。

失ったものはもう失ったものでしかない、それでも残るものもある。

外からは見えないし、わたしも自分で持っていながらも見えない。

それでもたしかにある。


書いているうちに心が落ち着いてきた。

何とかならなくても、何とかする自分がいる。

まさにこのブログのテーマにぴったりな「生きる」に沿った体験だった。

自分のために花を買う

2016年3月19日土曜日

おなかを満たす和のご飯

今日のお昼の献立。

白米
「松山あげ」と呼ばれる揚げと葱の味噌汁
れんこんのきんぴら
めかぶ葱納豆
めかぶと塩ウニの佃煮


昨日、おとといと名古屋を去ってしまう2人の人の送別会がそれぞれあった。

ホルモン焼き、チーズの盛り合わせがおととい、昨日は宴会コースのごはん。

そしてその前の晩あたり、1尾25円のブラックタイガーと1パック98円のホワイトマッシュルーム、

そしてそのもっと前に買ってあったしらすでアヒージョを作った。

自分が食べるものだから適当な作り方でも気にならない。

アヒージョ用の小さな鍋に、にんにくのみじん切り、その上に適当な具材、そして最後にたっぷりの

オリーブオイルを注いで、電子レンジで2分チン。

私の持ってるレンジは800W。

わたしは鍋があるけれど、深みのあるレンジ対応の器であれば何でもいいと思う。

あっという間にアヒージョの完成。

しらすから塩分が出るから、調味料もいらなかった。

アヒージョの余ったオイルで次の日はオイルパスタを作った。

どれもこれもおいしかったし、満足したし、満腹にもなった。

けれど、今日のお昼に食べたごはんは、それらとは全く別次元のおなかの満たし方をする食べ物

だということを初めて知った。


消化するのにヘビーな献立が続いていたこともあって、今日はとにかく白米が食べたかった。

白米の厄介なところは、何かしらのおかずが必要になること。

おかずなしで白米と海苔、白米と納豆、卵かけご飯で終了なんてこともあるけれど、今日は味噌汁

含め何かしらを白米と共におなかに入れたくなった。

ただ、面倒はしたくない。

できるだけ手軽に、手間は最小限で。

米を研いで20分も浸水したかしないかのうちに、炊飯器で倍速炊飯をした。

おなかが空いて、1時間弱も待てないと思ったから。

おもむろに冷蔵庫を開けて、すぐにできそうなものを考える。

今はわりかしたくさん食料が入っている。

まずは、最近のマイブームのめかぶと納豆を混ぜると決めた。

今日はそこに刻み葱も足したら、これまた絶品な味となった。

次回からも葱は必須にしようと決めた。

めかぶかぶりだけど、先日「めかぶとウニ」の佃煮と思しき大瓶が友達の家の近所のスーパーで

198円で売り出されていた。

その安さに最初不安を覚えて、ラベルをじっくりと見た。

中国産かと思いきや、島根県で作られている。

さらにそんなにおかしなものは入っていない。

酒のつまみにも良さそうだったから、物は試しで持ち帰ってきたものだった。

ちなみに食べての感想は、ごはんのお伴の方が相応しい感じだった。

リピートはないけれど、今回買った分は最後までおいしく食べれそうだ。

おかずはさておいて、味噌汁を作ろうと思った。

この「松山あげ」という薄揚げを乾燥させたような代物、名古屋市内のスーパーでよく見かける。

ただし、これが結構な高額商品(200円を少し切る程度)で、気にはなっていたけれど、そもそも

揚げにそんなにお金を出したくないのと、それでもしまずかったら残念すぎるという理由で、ずっと

手を出さずにいた。

ちなみに、あちらこちらで山積みになっているものの、買っている人を実はこれまで一度も見たこと

がなかったのもためらう大きな理由だった。

おいしいのであれば、色んな人が買っても良さそうなのに、誰しもが買っていない。

そんな松山あげを買ったのは、ある時、近所のドラッグストアでなんと138円の大特価で出ていた

から。

138円なら仮に失敗してもいいかなと思えるぎりぎりの値段で、さらに賞味期限が長いからすぐに

使わなくても大丈夫とわかり、1袋買って帰ってきた。

そうだそうだと思い出し、味噌汁の具はその松山あげとめかぶ納豆でも使う刻み葱にした。

食べて驚いた。

揚げとは思えないふわふわ食感で、ものすごく美味しかった。

あの揚げにしては通常の1.5~2倍もする値段もなるほど納得だった。

こちらは、また大特価の時にリピートしたいと思う。

れんこんのきんぴらは、もう2週間は経ったと思われるれんこんがそろそろやばいのではないかと

思って作ることにした。

ちなみにれんこんは、土を水(わたしは冷たいのは無理だったからお湯使用)で落として、あとは

タッパにれんこんがしっかり被るぐらいの水を入れて冷蔵庫保存すると驚くほど持つ。

今回2週間は問題なかったし、過去にも3週間程経過した時もあったと思う。

裏ワザではないけれど、この方法を採用してからは安い時にれんこんを買えるようになった。

この方法にしてからは、れんこんの皮すら剥かなくなった。

イコール手間が大幅にカットされて、大好きなれんこんのきんぴらの登場回数も増えた。

とまぁ、そんなありふれた今日のお昼の献立。

食べている最中から、おなかに徐々に熱と共に食べ物が吸収されていくような感覚があった。

全てたいらげた後、もういつぶりかわからない「おなかの満腹感」を感じた。

最初に書いたような、飲み会の席の食事もアヒージョもその余ったオイルで作ったパスタも、全て

おなかは満たされる。

だけど、それらの場合、「量を食べることによる満腹感」であって、今日のお昼に感じたタイプの

満腹感とは全く別物になってくる。

さらに気付いたことがもう1つ。

例えば同じような和のご飯を外で食べたとする。

どういうわけだろう、外食の和のご飯は「量を食べることによる満腹感」しか、わたしの場合は

得られない。

本当に不思議な感覚だったけれど、おなかが程良く満たされ、食べ物によっておなかも心も

包まれる、そんな風だった。

「手作り」という括りでいけば、アヒージョの余ったオイルで作ったパスタだって自分で作った。

だけど、今日のお昼のようなおなかの満たされ感は皆無だった。

だから自分で作ったものなら何でもいいというわけでもない。

むしろ「和のご飯」に限定されてくると思う。

体そのものが本当に欲している食べ物のような気がする。

そして献立を見ての通り、肉も魚も一切ないけれど、それでもものすごい満腹になった。

本当にどんな隠しパワーが潜んでいるのかと思うほど、今日の自分で作った適当な和のご飯は

体の奥深くまで大切なものを満たしてくれるものだった。

2016年3月17日木曜日

夜中の掃除 朝の掃除

昨日の夜のこと。

少しでも自分がその時抱えている悩みや問題を軽くするために、わたしは開運行動を調べる。

いくつかお気に入りのサイトがあって、主に占星術の人なんかが今の星や月の動きはこうだから、

こんなことするといいですよ、なんてアドバイスしていると藁にもすがる想いでそれをする。

昨日ももれなくそんな気分で始めたのが最初。

そもそもこの1週間こんなことするといいというのを1日毎に指南していて(←普段こんなに情報が

出ていることはない)、月曜日からのものですでに昨日は水曜日に突入していたけれども、なんと

火曜日の開運行動をわたしは全く見知らぬところで遂行していた!

それで一気に気を良くしたわたしは、本来月曜日にすると良いとされていたいくつかの箇所の掃除

を夜遅くなって始めた。

昨日の夜中は、台所のランプの傘をきれいにした。

そこも指定されていたから。

今朝は、窓を磨いた。

あとはハンガーラックの一番埃がたまるところを念入りに掃除した。

実は、台所のランプの傘も、窓も、ハンガーラックも、今の家に入ってから一度も磨いたことがなく、

ここ最近ずっと汚れが気になっていた。

3つ共に共通するのは、普段の生活に一切の支障をきたさないこと。

支障をきたすような水回りや床とかは絶対に掃除する。

だけど台所のランプの傘に油汚れと思しき水玉模様がついていたところで、窓の外側の部分に

風で運ばれるほこりや塵が積もったところで、またはハンガーラックのごく限られたところに埃が

たまっていたって何も困らない。

それをいいことに放置していた。

だけどたま~に暇を持て余してぼーっとそれらを眺めると汚れているのはわかる。

ただどれも数分で終わる掃除でも気合が必要。

やるぞ!と思ってやらないと絶対にやらない場所。

まして台所のランプの傘は、普通には手が届かないから何かしらの台をこしらえてする必要が

あった。

それが面倒で先延ばしにしたけれど、なんと昨日一気に思い付いて片付いた。

ハンガーラックは別にきれいにするようになんて指示はなかったけれど、ついでのついでに今朝

念入りに掃除した。

買った時のような白さが顔を出して感動した。


掃除して開運するしないとか、今の悩みが掃除と共に消えてくれるくれないとか、そういうのは

どちらでもいいんだと思った。

もちろんそれで開運してくれりゃお安いものだと思う。

そういうことよりも、気持ちの良い空間や物に自分が囲まれている、自分をもてなすことの方が

うんと大事だと思っている。

本当に気分がいい。

つい数日前に大がかりな掃除をしたばかりだからそんなに目立っての汚さはなくても、それでも

部屋中を掃除すると空気が入れ替わる。

そして思わぬ産物は、いくつかの物を捨てられたことだった。

その中に毛糸1玉が含まれている。

手芸道具を捨てられないわたしにとって、「これは今もこれからも使わないから捨てる」選択が

できるというのはものすごいこと。

すっかり気分を良くしたあたりで、一本の電話が入った。

どう転ぶかわからないけれど、少しだけ前進したよという報せの電話だった。

2016年3月15日火曜日

春の冷たい風と散歩

昨日は1日中雨で、その雨に合わせるかのように気持ちもダウン。

1日中家の中にこもっていた。

昨日に関しては何をしていたのかさえも思い出せない。

友達の心こもったメールへの返信はしたけれど、他は何をしていたのだろう・・・と思う。

今朝は雲ひとつない快晴と思われる日の入り方だった。

今のアパートにこれだけ長く住むと、朝日の入り具合でその日の天気がだいたいわかる。

本当にきれいな日の入りだったけれど、体も心も重たい。

絶対に気持ちの良い朝日が部屋に入り込んでいるのはわかったけれど、起きたくなかった。

二度寝三度寝をして、突如スイッチが入ってごはんを作り始めた。

先日、初卵と呼ばれる鳥の生涯で初めて産んだ卵だけを集めた卵1パックを人からいただいた。

それで卵かけごはんをするべく、なめこと大根の味噌汁も仕込んだ。

今日の味噌汁は特上のだしを使って作った。

おいしい卵かけごはんと味噌汁だった。

夕方近くになり、今のうちにやることはやろうと思い、区役所へ保険証を受け取りに行った。

その足であと1ヶ月もしないうちに満開となる桜並木の下を通って少し遠くのスーパー目指した。

まだ全く桜の気配はなかった。

枝のはしばしにつぼみとなるだろう部分はにょきっと出ていたけれど、まだまだかかる風だった。

もう何回歩いたかわからないこの桜並木の下を、頭の中は悩み事でぐるんぐるんとしながらも、

とりあえず前へ前へと歩を進めた。

今日は快晴だったけれど、風がものすごく冷たくて、風よ一緒にこの悩み事も持って行っておくれ

というような気分だった。

当たり前だけど、散歩したからと言って何も解決はしてなくても、歩いた分少し楽にはなれた。

帰り道は図書館経由で帰った。

借りるとしたら2冊まで、と図書館の中に入るまで思っていたくせして6冊しっかり借りた。

図書館の中でそのうちの1冊のまえがきだけ、適当な椅子に腰をおろして読んできた。

6冊借りても期限までに読み切れる気がしないと思って、戻すことも考えた1冊だった。

だけど、まえがきだけ読んだら気が変わった。

日本のコーヒー好きな大人なら誰でも知っているだろう某有名会社のトップまで上った人物で、

その後、失職、被災、手術の3つを一気に体験した後に書かれたものだった。

何か惹きつけるものがあった。

ヒントがあってもなくてもいいから、とりあえず読んでみたいという衝動に駆られた。

たかが数ページでも、「この本を読みたい!」という気持ちになれたのは良かった。

気付けば本さえも受け付けられない位に、自分の思考の沼にどっぷりとはまっていた。

少しだけ水面に顔を出して、忘れていた呼吸やちょっとした地上の楽しみを享受するところまで

とりあえず戻れたらしい。

そのままさらにドラッグストアと別のスーパーにも立ち寄って戻ってきた。

うちの近くの公園から名古屋駅を一望できるスポットがある。

いつの間にか、そのスポットから確認できる駅前のビルの数がこれまでの倍くらいになっていた。

少しずつ何かが変わっているんだなぁと、ビル群を見て思った。

自分も立ち止まっている風だけど実は動いているんだろうか。

すぐ隣りでは子どものサッカー教室が行われていた。

主催している会社は、多分前に勤めた会社だ。

雇用条件を知っているし、猛烈に大変な働き方を課されることも知っている。

それでも今日のコーチの人は、子どもを思いっきり褒めていた。

できたことをそれはそれは大袈裟に褒めていた。

きちんと自分の役割を果たしているその大人の姿に感動みたいなのを覚えた。

給与福利厚生が劣悪でも、それでもそんなことは関係なく子どもと接する姿、というかわたしに

届いたのは声だけだったけれど、そこには冷たい風を束の間忘れさせる位のパワーがあった。

今日はこれから、卵をくれた人一押しの『しくじり先生』をyoutubeで見る。

オリエンタルラジオの回の分が特にいいと言っていた。

オリエンタルラジオのあっちゃんがその中で言うらしい。

「人生、一度もしくじらない人なんていないでしょ?」と。

迷いつつ止まりつつな今どんな風に見るのだろうと思う。

2016年3月10日木曜日

できなかったことより何とかなったことを数える

明日37歳になる。

昨日、「36歳の軌跡」と題して、36歳の1年間で起こったことをノートに列挙してみた。

大学ノート1ページにすっぽりと収まり、思っていた以上にあっけなく終了した。

大小様々なことがあっても、とりあえず大きな出来事だけを抜粋してみた。

いつもの悪い癖で「何だかなぁ、まだまだだなぁ」と当初は思った。

プラスして、自分の頭の中ではものすごい過去のことになっていたものが実はこの1年の中での

出来事だと気付かされたのも昨日だった。

深くは考えず、次の何かを始めたことだけは憶えている。


今日。

個人情報の一部をネットから抽出する作業をした。

予定時間は5分だったものが、30分コースまではいかなくても大幅に増えてしまった。

理由は簡単、パスワードを忘れたから。

最初iphoneで全部の作業をちゃちゃっとこなす予定でいた。

ところが自分のメモ通りのパスワードが違っていると画面には表示される。

最新と思っているパスワードはとにかく違っている。

仕方なく仮パスワードの発行を申請し、それに伴ってパソコンを出してきた。

パソコンでさくさくっと情報を取得し、ついでにずっと放っておいた銀行の手続きもした。

ある時からインターネットバンキングを使うようになった。

理由はわからないけれど、同じ銀行でも振込手数料はATMでは毎度徴収され、ネットバンキング

だと0円になる。

毎月の家賃振込料も1回当たりは低額でも塵も積もれば・・・で、0円の方がありがたい。

それでいつからかネットでの振込を始めたのだけれど、今度その振込用のパスワードも毎回変更

するシステムが取られるとのこと。

そのための手続きを数ヶ月放置していて、それをやっとさっきやり遂げた。

手続きは簡単で5分もせずに終わった。


昨日の36歳の棚卸しと今日の銀行や個人情報のネット上の手続きは、まるで別物のようだけど、

どちらも自分に関わることと言えば共通している。

棚卸しは決してする必要のあるものではないにしても、やりたいという自分の気持ちを優先させて

とりあえずやってみた。

ずっと放っておいた銀行の手続き。

今日はどういうわけか、ついでにやってしまおう!と思ってささっと着手した。


できなかったとかやらなかったことに対して、わたしは自分を責める傾向がものすごく強い。

昨日の夜、3月に入ってから何もしていないことに気付いて、さらにわたしは自分を責めていた。

年を重ねたからなのか、それとも自分の傾向に限界を感じているのか、それとも別の理由かは

わからないけれど、このできなかったこと・やらなかったことに注目する癖をいい加減どうにかして

しまいたいと思うようになってきた。

もう少し自分に優しくしようよと思う。

当たり前だけれど、責めると疲弊する。

それももう長年の癖だから、これまでは疲弊している自分にすら気付かなかった。

もっと言うと、自分を責めていることにすら全く気付いていなかった。

あまりに当たり前になると、それらがとても自然な流れで違和感すらない。

ところがここにきて、責めても仕方ないよと思うようになってきた。

そして、色々あっても「何とかなった」というこの事実を根こそぎ無視していたことにも気付いた。

できない・やらないことを並べるよりも、「何とかなった」その事実の方がすごいことだと今さらの

ように感じ始めている。

2016年3月7日月曜日

自分の感覚を取り戻す本

1週間以上前になると思う、久しぶりに本を買った。

当初本を買う予定はなかったけれど、3人の人に贈る本を買うのに5000円分の商品券を使う

都合上、何か自分のためにも1冊買える位の金額的余裕が生じたからだった。

3人の人に贈る本はそれぞれ決まっていたから、最低限その3冊が揃っていることが条件だった。

3軒目の書店でようやく3冊きれいに揃い、あとは自分用の1冊を広い店舗の中をうろうろしながら

探し回った。

この数年で本を100冊以上の単位で断捨離してからというもの、本もめっきり買わなくなった。

そして本も他のものたち同様、それを末長く読むかどうか、繰り返し読むかどうかをしっかりと吟味

してから買うようになった。

この2年程は、1年に3冊も買えばいい方だと思う。

最初は心理系の本を見て回ったけど、どれも惹かれるものがなかった。

続いては料理本のコーナーに立ち寄った。

レシピ系統なら時々は手にとってページをめくる可能性が高いと考えたから。

でもこれまた「末長く愛用する」ことを基準にすると、やっぱりぴんとはこなかった。

余談だけど、そもそもの商品券5000円分というのも、細く長くご縁のあった方を通じていただいた

ものだったから、自分なりにこだわって使いたかった。

せっかくいただいたもの、同じ使うなら思い出に残る使い方をしたかった。

料理本のコーナーを少し外れて、料理関係のエッセイの本を集めた小さな一角に立った。

わたしが2~3年前どはまりした、高山なおみさんの『日々ごはん』がでーんと並んでいた。

これはいつものことだから、別に驚きはしない。

位置的にわたしの膝ぐらいの高さに並んでいたのだけれど、よく見ると見慣れない背表紙があり、

何だろうと思って屈んでみた。

『帰ってきた日々ごはん①』とある。

透明セロファンで本は包まれていて、中身は見えなかった。

背表紙にある帯に書かれている文章(本文より)しか読めなかったけれど、その短い文章を読んで

それにしようと即決した。

その短い文章を読んだだけで、自分の中の感覚がはっきりと何か大切なものをキャッチしたのは

すぐにわかった。

そしてこのエッセイ本こそ、わたしの色んな意味での原点であり、目指したいものが詰まっている。

ちょうど再スタートを切る時期に差し掛かっている。

絶対にこの本がヒントになるというのが直感でわかった。

理由なんかないけれど、多分何か絶対に思い出すはずと思った。

自分のための1冊も決まり4冊をレジに持っていくと、会計は5,079円だった。

あぁこの商品券の使い道は予め決められていたのだろうなぁと思った。

3冊はそれぞれ包装してもらうのは決めていたけれど、ついでのついでに自分用のものも包装を

お願いした。

数年前から時々、自分へのとっておきの品を買う時は、包装をお願いしている。

そうすると家に帰ってから、中身を知っていても開ける楽しみが待っているし、ものによっては

翌日以降に持ち越して、適度なタイミングで開けるという楽しみもある。


今回は、何だかんだとバタバタしていたせいもあって、包装された本は毎日枕もとのすぐ横に

置いて出番を待機することとなった。

「今日こそは!」というタイミングの時に開こうと思っていたからだった。

1週間も毎日毎日出番を待つものの、どの日もぴんとこなくて通過してしまった。

今朝もまた違う日にしようかと考えていたところ、ふと逆の発想をしてみた。

今朝ももれなく気持ちが上がるような日ではなく、それに比例するかのように窓の外の空も暗い

様子だった。

雨こそ降ってないけれどくもりなんだろうというのは、部屋の暗さ加減でわかった。

こんなテンションの低い日にわざわざ開けなくても・・・と思った。

実際にこの1週間も、そういう理由で開けなかった日もある。

だけど、この本は逆じゃないかなと思った。

天気も良くて、気持ちもとっても上向きで、朝からエネルギッシュな感じの1日・・・、そういう日よりも

今日みたいに天気も自分の気持ちも何もかも全体的に停滞気味な時にいいんじゃないかなって。

そういう意味では、今日なんか絶好のプレゼントオープンに相応しい日で、起きずに布団の中で

ゴロゴロ、当然パジャマ、電気も点けず薄暗い中・・・そんな中で開けるプレゼントも思い出に残る

ような気がした。

布団の上で体をむっくりと起こし、プレゼントを開けた。

また布団の中に戻り、1ページ1ページと開いた。

背表紙ももう一度読んだ。

2回目の今日読んでもまた良い。

少しだけ読書をしようとそのまま読み進めた。

たかが数ページでしかないのに色んなことを思い出した。

そしてそのたかが数ページ目のところで、わたしは泣いた。

何てことない日常の中に、人生でそうは経験しないだろうシーンが描かれてあった。

わたしは自分が何で泣いているのかもわからなかったけれど、そこを読むだけで泣けた。

心の琴線に鋭くでも柔らかく触れるものがあったから。

そして何か大切なものを思い出した。

いつぶりかわからない。

今しかないと思い、久しぶりにアイデア帳のノートを開いた。

今出てきた言葉を綴った。

また時間が経つとすぐに忘れるから、とりあえず出てきたものを綴った。

こういう一連の感覚をわたしは忘れてなんかいなかった。

忘れてなんかいなかったけれど、それを自然に出せるような余裕が日々になかったのも本当

だった。

そしてそういう感覚から遠ざかれば遠ざかるほど、自分の中の軸みたいなのがぐらぐらしだして、

ものすごく不安定だった。

不安や心配にばかり目が向いた。

うまくいっていることさえも、たくさん見逃した。

色んな事を前に圧倒されっぱなしだった。

そうこうしているうちに、アイデア帳はすっかり遠のいた。

いつも手を伸ばせばすぐにあるのに、数ヶ月ほとんど開くことがなかった。

最後に開いたのだって、何かしらのサイトのパスワードの確認のため、その部分だけ開いてさっと

確認しただけだった。

もうずっと開けなかった。

気持ちはどこか別の場所へ行ってしまったみたいで、それが余計と怖かった。

今日のそのだだ書きのメモの最後に「調子のいい時だけでなく悪い時にも書く」と書いた。

あぁようやくその領域にこれたんだと思った。

そのアイデア帳にはわたしの未来と直結するものが含まれている。

未来に直結する部分は、絶対に良い状態で自分を表現したいと思っていた。

そしてどういうわけか、そうするべきだろうとも思っていた。

でもそうじゃない。

至上志向の高いわたしにとって、良くないものをそこに含めるのはどこか抵抗が強かった。

だけど、良い状態だけではなく悪い状態でも書く、それが本来の自分ならそれが正解のように

見えた。


高山なおみさんの『日々ごはん』の話に戻ると。

実はわたしは当初この本を書評か何かで知ったのが最初だった。

それも1人2人じゃない、数名の著名の方たちが推薦していて、何がそんなにすごい本なのか、

正直タイトルだけでは想像もつかなかった。

ある時、うちから1時間ほど徒歩でかかる図書館へ行ったことがあった。

そこで『日々ごはん』を見つけ借りたのが最初だった。

単に興味があって借りてみた、そういう軽い気持ちで借りたのに、読んだらどんどん吸い込まれた。

本当に彼女の日記帳+時々料理のレシピが主な構成だけれど、その日々の営みがとてつもなく

魅力的だった。

彼女も気分の上がらない日は、畳の上にごろ寝したり布団の中にうずくまりながら、本を読んだり

空を眺めたりぼーっとして過ごしたりする。

それを彼女は、とっても嬉しいことがあった日と同じ文体で表現している。

何も特別な毎日じゃなく、人間であれば当たり前の負の感情に流される日々も普通に書いている。

そしてそういう表現の中で、わたしはわたしの何かを思い出していく。

彼女の話なのに、いつの間にか自分の中の何かと入れ替わって頭の中では別のストーリーが

展開していくなんていうのはしょっちゅうだった。

そういうことを12冊+別の出版社からも続けてもう1冊の合計13冊読んで、さらには気に入った

言葉たちをひたすら紙に写して書き取った経緯もあり、色んなことを『帰ってきた日々ごはん』で

思い出せるだろうと思っていた。

予想はビンゴ、読んでたかが数分で一気にノックアウト。

朝から布団の中で泣いていた自分がいた。


自分の感覚を取り戻す本。

世の中にこれだけたくさんの本があり、さらには感動したり何度読んでも面白い本がある中で、

自分の感覚をすぐに取り戻せる本なんていうのは、ものすごく限られてくる。

高山なおみさんの本は五感を使って読む本だというのは知っている。

頭で読むタイプの本ではなく、体の感覚を使って読むという方が近い。

だから、言葉から伝わる感覚を自分の体で思い出す。

今朝の布団の中での短い読書時間だけで、一気に体の奥底からどんと出てきたものがあった。

ずっと体の中にはあったけれど、忘れていた感覚。

それが一瞬で取り戻せて、そしてよくわからない涙が出ていた。

なぜかその本を見つけた時、「再スタートを切るのに相応しい本」と思ったのは、実際に手にして

読んだらその通りの展開となった。

本から呼ばれたのかもしれない。

「ここにヒントあるからね」と、本の方からアピールしてくれたようなものだった。

わたしの次の展開は、この本と共にあるような気がしている。

2016年3月5日土曜日

面談時間20分

名古屋市の市報の必要な情報のページだけビリっと破いて今自分のすぐ隣りにある。

ふと目に飛び込んできたのが、各種相談の案内の箇所。

法律相談、行政相談、人権相談と3つ並んでいる。

よく見ると、法律相談に関して言えば、無料は無料だけど面談時間20分となっている。

ちょっと待った!と言いたくなる。

無料で懇切丁寧に1から10まで対応しろなどとは決して言わない。

市の予算の関係も絶対にあると思う。

だけど面談時間20分はないだろうと思ってしまう。

法律関係は全く知らないから何とも言えないけれど、法律を絡めての相談だから絶対に内容は

そんなに簡単には解決できないものが多いのだと予想する。

周りの人たちで本当に弁護士に相談して何かしらの訴訟に挑んだ人たちを数名知っている。

詳しくは聞いていないからわからないけれど、どの人も一度たかが20分で話して何とかなった

とは一言も聞いていない。

どの人も何度も足しげく通い、お金と時間を相当にかけながらそれぞれの問題解決に全力を投資

したことだけは話を聞いていてなんとなくわかった。

この法律相談は何なのだろう?

さわりの部分を話すだけで20分などあっという間に過ぎ去っていくと思う。

賛否両論色々あると思うけれど、有料にしてもいいからもう少し時間を延長できないのかなと

思ってしまう。

それとも単に弁護士を紹介するための顔合わせ的な面談の場なんだろうか?

いずれにせよ、これまでで見たことのない面談時間でびっくりした。

さらに付け加えると、名古屋市の場合は月に2回、平日の午後3時間しかこの相談の枠を設けて

いない(予約制とある)。

本当に必要な人たちは自らの力で弁護士事務所の門戸を開くのだろう。

だからある意味その相談を必要とする人たちはある程度条件が限られてくる。

それにしてもひどいサービスに思えてならない。

独断と偏見に満ち溢れているけれど、これまでしてきた相談業務を振り返ればわかる。

20分なんてあっという間、そしてその中で「相談」となると絶対的に時間が足りない。

法律の絡まない相談でもそうなのだから、法律が絡むとなれば余計と難しいはず。

何を基準に「20分」としているのだろう。

せっかくのサービスがあるのであれば、質を見直しても良さそうなのにと活字を見て思った。

2016年3月4日金曜日

鍋との付き合い

昨日の夜、麦茶を煮だす用のお湯を沸かしていたにも関わらず、そんなことすっかり忘れていて

別のことをしていた。

途中、ゴムを燃やした時のような独特のにおいが鼻をつき、最初は電気ストーブに埃でも入って

焦げたのだろうと思ったけれど、においのするのはストーブとは別方向だった。

それではたと気付いてガスコンロのところに行ったら、なんと大量のお湯を沸かしたはずの鍋には

水など一滴も残っておらず、代わりに底面が濃い茶色になっていた。

本来は白い鍋だから、それはもうすごい変わりようで、それを見て一人ショックを受けていた。

まずは軽くスポンジで洗ったけれど、何も変化せず。

そしていつもするように、キッチンハイターを垂らして1~2時間様子見たけど、さして変わらず。

その後は、重曹の注意書きを読んだら鍋の焦げ落としに効くとあったから、重層撒いて水を張って

コンロにかけた。

一度目である程度は薄くなったけれど、それでもまだはっきりと茶色い底面。

もう一度祈るような気持ちで、重層水を作り直して沸かした。

最初に比べたら7割はきれいになった。

それでもまだ白いとは言えない状況で、今朝家を出る時に鍋に水を張り、そしてそこに最後の頼み

の綱でもう一度キッチンハイターをかなり多めに垂らした。

夕方家に戻り鍋をのぞくと、いつもの白い底面が現れた。

ようやく自分でも納得できる白さになって、ほっと胸をなでおろした。


そもそもこの鍋との付き合いは、今の家に引っ越してからわりかしすぐに手に入れたから、もう

かれこれ6年以上の付き合いになる。

野田琺瑯の月兎シリーズと呼ばれるホーロー鍋で、一応名前は「ミルクパン」となっている。

わたしは外が茶色いシリーズのものを1つ持っている。

当時誰に影響されたのかは忘れたけれど、引っ越したばかりの頃はインテリア雑誌やキッチン

周りの調度品系の雑誌をよく読んでいた。

多分そこで見て一目惚れして、自分で雑貨屋を歩き回って探し出したような気がする。

今となっては記憶も曖昧で、店舗で買ったのかネットで注文したのかも定かじゃない。

だけど、とにかくその鍋が欲しくて買ったことだけは憶えている。

当時も今も変わらないけれど、基本的にわたしはフライパン1つで全ての料理をする。

26cmの深鍋タイプのフライパンは、もう何代買い換えたのか忘れた。

最初のフライパンは、そのホーロー鍋と共に色を揃えて茶色のちょっとお洒落なブランドのものを

手にしたけれど、テフロンは剥げるとわかってからは、もうブランドにはこだわらなくなった。

代わりに軽くて使い勝手が良さそうなものをホームセンターで調達してくる。

大体2年もたない。

だから何でも良くなった。

料理全般はそれで事足りるから良いけれど、ちょっとお湯を沸かしたいとかいうのにフライパン

だと大袈裟すぎるし使い勝手が悪い。

やかんも考えたけれど、やかんになるとお湯を沸かす以外に用途がなく、そのくせ場所を取るから

候補から一瞬で消えた。

そこで考えたのが、このミルクパンと呼ばれる小さな鍋だった。

わたしの当時の読みは大当たりで、たしかにメインはお湯を沸かすことになっているけれど、その

他にも野菜やマカロニも茹でるし、味噌汁も作る。

丁度良い大きさで、本当に重宝している。

手入れも適当だけれど、その適当な感じでも長持ちしてくれるところもものすごく好感度が高い。

ズボラさんには、「手入れが面倒ではない」というのはものすごく重要ポイントだ。

だから気付いたら6年以上ずっと変わらずに使い続けている。

今後も壊れない限りは使い続ける予定で、おそらく20年30年選手になってくれるだろうと思って

いる。

そんな風に日々自然と考えていたから、昨日の鍋焦げ事件にはものすごく焦った。

これからも使い続ける予定だったのに、こんな風になられては!とものすごく必死だった。

その焦げを取る作業の最中に、この鍋との出逢いを思い出していた。


いつの頃からか、良いものを長く使い続けることに憧れるようになった。

今さっき鍋の値段を見たら3000円になっていて、たかが3000円程度のものがこんなにも長く

愛用品になるとは思いもよらなかった。

洋服以上に日々使っているのに、洋服の3000円はたかが知れているしそんなにも長持ちは

期待できないけれど、これが鍋になった途端、こんなにも長く日々の生活で大活躍してくれる。

しかも末長く使えような感じだ。

一体いつ傷付いたのか全く憶えていないけれど、1箇所だけホーローが剥げたところがある。

とても小さいし、鍋の淵の部分だし、全然気にならない。

むしろそれが、わたし独自の鍋のトレードマークのようになっていて気に入ってさえいる。

味があるというか、長年使っていますのアピールのようで好きだ。

今回色々思い出したことで、鍋への思いも新たにした。

そして最低限、鍋焦がしだけはやらかさないように気をつけようと自分に誓ってみた。

2016年3月3日木曜日

つまらない大人になった自分

久しぶりに職務経歴書なるものを作った。

もちろん自主的にやるはずもなく、必要に迫られて作ったというのが流れ。

作り終わった後、私はそれを保存した。

保存する理由は単純で、もう一度作る必要性が将来あるとした時用の備忘録。

珍しく将来の備えのようなことをした。

普段ならそんなことまずしない。

さて、その職務経歴書を作るにあたり、普段ひとまとめにしている書類袋を引っ張り出した。

ここ数年の職務経歴に関しては、当時の雇用通知書やらそうした関連の書類がないと書けない。

勤務先の住所がわからないとかならまだわかるけれど、前株か後株か、下手すると派遣で行った

会社の社名も曖昧だったりする。

いくつもの会社の名前を入力した後、最後に社会人最初の勤務先を記入した。

単純な作業だから、チャゲアスの『太陽と埃の中で』をyoutubeで流しながら書いていた。

うっと胸に迫るものがあった。

これまでの職歴の中で一番長く勤めたこともあったけれど、どうしてもどうしても就きたくてやっと

採用してもらえたところだけあって、最後の日は今でも忘れない。

失恋でもないのにあんなに人生の中で号泣したことは他にはそうそうない。

あの場所を去るということが、それまで細く長く続いた人間関係が、いきなり終わりになることに

ものすごく胸を締め付けられた。

わたしが担当した男の子はわたし以上に号泣していた。

「生きる」ことがその仕事といつも直結していた。

一切ごまかしの効かない場所で、とにかく毎日ががちんこ勝負だった。

その後もそういう仕事に携わったものの、そこまでのがちんこではなかったと感じる。

そうして今、自分の向かう先がどこかもわからず、とりあえずの道標とその道を支えるための仕事

を選んでいる。

はっきり言って、仕事にはとんと興味がない。

でも食べないわけにもいかないから、とりあえず何かしらはその都度で選ぶ。

そういう生き方を選んでいるのは自分だし、今どうしても優先させることを考えたらそれも仕方ない

と一生懸命割り切ろうとしている自分がいる。

でも本当は、1日の大半を費やす仕事を条件で選ぶことにものすごく抵抗しているし、できるなら

そういう選び方をしたくない気持ちもある。

もちろん半永久的にするわけではないから、その辺りは自分で頭では理解しているけれど気持ち

はまた別のところにある。

そんなこんなの作業をしながら、自分がいつの間にかつまらない大人になったなぁと感じた。

割り切りとか条件とかじゃなく、もっと熱く何かを選ぶ自分でありたいと真剣に思った。

2016年3月2日水曜日

3日ぶりの洗い物

日曜日のどこかの時点で台所の洗い物をしたのが最後、昨日火曜日の午後まで放置した。

月曜日にどうでも仕上げないとまずい手紙を懸命に書き、それで力尽きた火曜日は布団からむく

っと起き上がるまで台所に一切立たなかった。

手紙は若干短めにはなったものの完成し、とりあえず街角でばったり会うことがなければ今生では

もう会えないだろうお世話になった方たちに無事手渡せた。

実は月曜日に少しだけ台所に立った時間があった。

慌てて立つとろくなことがない。

流しのすぐ上に洗った物を置くスペースがあるけれど、なんとそこからちょっとした角度の違いで

ステンレス製のフォークが流し場に落下し、こともあろうかお気に入りの皿の上に落ちた。

そうしたらそのちょっとした打撃だけでその皿は割れてしまった。

時間のない時に余計なことをすると、このような悲劇に見舞われることはこれまでの経験からも

十二分に学んだというのにまた同じことを繰り返していた。

ただそこで悲しんでいる場合ではない程手紙の方が急を要していたから、流し場の片付けは

止め、また手紙の作業に戻り一文字また一文字と綴り続けた。

3日も洗い物を放置したのはいつぶりだろう。

気付けば、洗い物を放置しない自分にいつの間にかなっていたことに気付いた。


さかのぼること20代の頃。

職場にいらっしゃったのは、自分の母親ぐらいの人たちが8割を占めていた。

皆、重要な職務+夜勤を繰り返しながら、主婦業も母親業もこなしていた。

いつだったかある大先輩が、夜寝る前にきちんと洗い場をきれいにしないと気持ち悪いと言って

いたことがあった。

当時のわたしは両親と同居こそしておれど、家事なんかは最低限しかしていなかったし、さらに

翌日に何かしらの家事を持ち越すことにも全く抵抗がなかった。

汚くても平気だったし、何かが翌日に持ち越されても困ってもいなかった。

だからその言葉を聞いて、そんな何かを持ち越すのが気持ち悪いなんていう感覚にいつかの自分

がなれるとは想像すらつかなかった。

今のわたしは、そこまでいなかくても、持ち越すよりもその日のうちに完了させた方が気持ち良い

というのはわかるようになってきた。

だけど元来なんでも後回しにしたところであまり気にならない性分だから、今回のように優先順位

をつける際、洗い物が後回しになっても気にならない。

気にならない自分は、やっぱり10代20代の自分とそう変わらない感じで、自分でもものすごく

慣れ親しんだ感がある。

忘れもしない大学最後の50枚の論文書きの時のこと。

シャワーも何日浴びなかったのか覚えていない。

とにかく色んなことを後回しにした。

当時毎日確実にしていたことは、大慌てで論文を書き上げることと、本来の提出日を1日1日と

また延長していたが故、毎日提出先の教授の部屋を訪ねることだった。

提出先の教授の部屋を訪ねた理由はただ1つ。

「まだ終わってないの。もう1日延長して下さい」と言うために通った。

大概は不在で、いつも簡単なメモを残して教授の部屋を立ち去っていた。

こういう後延ばしの癖というのは本当に厄介で、「次からは気をつけよう」より「何とかなった」という

とんでもない勘違いが、自分の心の奥底に刻まれてしまうこと。

だから早めに取り掛かるように次からなるのかと言えばそんなことはなく、気付けばあれから15年

近く経過した今も「ぎりぎり症候群」は健在だったりする。


なんていうどうでもいいことを思い出しながら、昨日は3日ぶりの洗い物に手をつけた。

洗い物はやっぱり余裕がある時にしたいと思ったし、まぁいつかは後延ばしが少しでも嫌に感じる

自分になれたらどんなに素敵だろうかと思いながら洗い物を終えた。