2022年12月31日土曜日

言葉の咀嚼

2022/11/5
10月の終わりに長野で買ってきた観葉植物を
オシャレな植木鉢に植え替えた
下に向かって広がるタイプの葉っぱだった
ネットでもそのように説明がされてた

2022/12/31
上の写真との差が伝わるだろうか
本当は下に向かって広がるタイプの葉っぱたちが
どういうわけか上の方に伸びて今に至っている

2022/12/31
上の方から撮った図
きみどりの色の薄い葉っぱたちが
この2ヶ月ほどで新しく出てきたり
大きくなった葉っぱたち

13歳になろうとしている、
一度は死にかけた後息を吹き返した観葉植物と
上の観葉植物

この2年くらいで私の元にやってきた石たち
左2つが妹たちと旅した能登半島のとある湾岸で
「おひとつどうぞ」的な看板の
あったところからお持ち帰りした石たち
(決めきれなくて2つ持ち帰った)
右から2番目は自分で買った記憶がうっすらと
あるけれど…
真ん中と右はそれぞれもらった石たち



↓本文中で紹介・引用した文章のサイト(リンク飛びます)

2000連休で「文字絶ち」試した男に現れた凄い効果

読むことは食べることと相似、無自覚では頭を壊す』(上田啓太)



2022年最後のブログは、とりあえず思いつくままに綴って締めくくりたいと思う。

趣味の領域がちょっと変化している。


昨日(12/29)今日(12/30)と立て続けに天然石を注文した。


昨日注文した石は、家で鑑賞する用のマダガスカルからの沖縄を経由してやってくる。


今日注文したのは、1981年に閉鎖した山梨県の鉱山から発掘された天然水晶のネックレス。


ここ数日やたらと石を見ることにどハマりして、その途中で天然石をほぼほぼ採掘されたそのままの姿形でワイヤーを使ってのアクセサリーなるものがあると知って、それで調べていくうちに行き着いたものだった。


28歳の時にドミニカで金属アレルギーを発症してからは、とにかくアクセサリー全般がほぼほぼダメになった。


時代の流れなのか最近はアクセサリーも金属アレルギー対応のものが増えて、それで今回たまたまそんな希少価値の高い唯一無二の天然石とアレルギー対応の金属とで作られたネックレスを見つけてそれで注文した。


色んな服に合いそうな気がして、今からとても楽しみにしている。


もう1つのマダガスカルから直接取り寄せて沖縄の人が売っている方の石は、ひょんな調べ物から数ヶ月ぶりに開いたメルカリで見つけて、買った後に直接やりとりできるメッセージで売主さんに聞いたら、直で取り寄せていることを知れた。


元旦に届くみたいで(運送業の方々には頭が上がらない)、もうじき会えることになる。


私が今回石を迎えようと思ったことには少しわけがある。


先に言うと、パワーストーンには今も興味は基本ないし、今回迎える石も初めて名前を聞いて、何かしらの効能があるのも知ったけれどもそういうことも基本興味がない。


アメリカ人の世界的に有名なストーンヒーリングを施す人の無料で開放されてたビデオレター的なちょっとしたパワーストーン講座を一時期受け取っていて(2018)、石たちの見分け方なんかもちょっと教えてもらったし(ちなみに素人の私は全くもってわからない)、とりあえず気をつけて見るようにはしているけれども相変わらず基本はわからない。


余談だけれど、天然石は値段の高い安いで本物か否かが決まるわけでは全くなくて、高くてもニセモノもあれば安くても本物の良質のものもあるという、本当に判断がとても難しい世界なんだと知った。


私が石を迎えてみたくなったのは効能だとかヒーリングだとかいうことよりも、純粋に石そのものが変化する様子を見てみたいからというのが一番の理由になる。


だから私の探し方も実に独特で、ひたすら出品されている天然石たちを見て、気になるものがあればその石と石を売っている人のページとを見て、その売り主の人の石の扱い方が好きな感じならまたそれをずっと何百枚と見て気に入るのがあるかどうかを見ていくというもの。


見た目だけで(あとは高額なものが欲しいのとは違うから値段もチェック())、あとは効能とか書かれていても基本は何も読まない。


ちなみに見た目も私の場合のこだわりは多分かなり独特で、綺麗に磨かれたものは基本好まないからスルーする。


極力、採掘された時の状態に近いか、磨かれていても最小限の磨き程度で石そのものの顔?表情?がほぼ残っているものを好んで探している。


というのもこの数年いくつかの天然石を自分の元に迎えてみて(プレゼントされたものもある)わかったことが、磨かれていないものの方が石そのものの形や色、模様が変化するとわかったから。


頭のおかしな人みたいだけれど、正真正銘、私の元にやってきた石たちのいくつかはビックリするくらいに石の色や模様、すごいものになるとなぜか形まで変わるという謎の変貌を遂げていて、そんなのを見始めたら「もっとそういうものを見てみたい」と思うようになった。


確実に何かしらが石の内部で起こっているし、それが1つだけならまだしもいくつもの種類も形も違う石たちがそうだから、自分でも半分以上は実験みたいな気持ちで眺めている。


話がだいぶ逸れるけれども、10月の終わりに長野に行った時、私はとあるカフェで観葉植物を1つ買って帰ってきた。


10数年ぶりの観葉植物の買い物で、初めて見た時に一目惚れして、それでお持ち帰りしたものだった。


基本的に観葉植物に限らず植物全般の世話のセンスがないのと自分がいつまできちんと世話できるのかやいつかまた引越しとかなった時にそういう生き物を増やして引っ越すのが大変になるのは嫌だと思うから増やしたくないのとで、とにかく観葉植物に手を出すのはずっとやめていた。


けれどあの時はこの子が欲しい!と謎の一目惚れとペンジュラムにも聞いたら持ち帰るとなってそれで連れて帰ってきたものだった。


で、その植物の鉢植えも替えて、それが葉っぱの重みでどうしても稲穂が垂れるみたいに葉っぱが下に向かって広がるタイプのもので、ネットで調べたら支柱が必要な観葉植物だと知った。


畳を汚したくないからそのうち支柱を立ててなんとかしようと思ったら、まさかの事態になった。


なんと植物が上に向かって伸び始めて、下に垂れてるのが魅力でもあったのに、なぜか上向きで今も日々成長している。


何が起こっているのかよくわからないけれども、とにかく店で見た時も鉢を入れ替えて植え替えした時もネットで調べた時も基本は下向き系なのになぜか上向きになっていて、しかも冬に向けて寒さが増して今は本物の真冬になっているのに、どういうわけか観葉植物は次々に葉を付けていて謎の生命力を発揮しまくっている。


それは名古屋から持ち帰ってきた13年目の観葉植物たちもそうで、2年くらい前に一度は瀕死の状態で今度こそ全部枯れるというところまで来ていたのになぜか持ち堪えてそれで今では新しい葉を生えさせている。


ちなみに持ち堪えた時は、植物たちにペンジュラムで聞いて、どうして欲しいかを探った。


1つは土栽培のままだけれど植え直しを希望。


もう1つは土栽培から水栽培に変更希望という、しかも観葉植物って基本的に水やりはほとんどいらないからまさかの水栽培で根が腐るんじゃないかとかなり心配したけれど、ペンジュラムは植物の声を代弁した時に水栽培一択で絶対にそれと言い切るから水栽培に切り替えた。


とかいう植物たちがすごい復活を果たした。


一応植物たちの希望通りにしたはしたわけだけど、こんなにも植物たちがそれに呼応するかのようにすくすくと未だかつてないスピードと生命力で大きくなるなんて想像さえしていなかった。


さらに、秋10月の中頃から両親が金沢に行っていた間、母が育てていた観葉植物たちの世話を頼まれた。


その時も植物たちにペンジュラムで聞いて、週に一度バシャバシャと水を大量にあげていいと言われて、ボールやミキサーなんかに水を入れてかなり乱暴な感じで水浴び級に水をあげたら、それらもこれまで見たことがないくらいに青々と生い茂るようになった。


もはや私の知らない、人知の働かない領域で何かしらが行われているとしか思えないくらいに、石にしても植物にしてもそれぞれのペースで自由に大きくなっている。







石も植物も当たり前だけれど言葉を持たない。


持たないけれども意志のようなものは感じる。


もちろん感じるのは私の主観でしかないけれど、それでもやっぱり何かを感じる。


人間に比べたらとてもシンプルだし、人間が動だとするなら石や植物は静になる。


激しい自己主張は基本ないし、思い通りでなくてもそれを訴えかけることは基本ないというのが人間から見た時の一般常識のようになっている。


けれども、自分と縁あって同じところに住んでいる石や植物たちは不思議な現象に近い変化や成長を見せてくれてる。


誰に信じてもらわなくても、私の目には確実に、なんなら母が私に託した植物については母もビックリしたくらいに、何かしらすごい変化が表れている。


魂が宿ってるかのごとく何かしらの個性を放っている。


そうしたものたちのおかげで私は「見えない世界」が本当にきちんと存在しているだけじゃなく機能していることを知ることができる。


それは私にとっての安心にも繋がれば、自分の感覚を信じる強い味方にもなってくれる。







石やら植物やらの話をとうとうに語り出したのには2つ理由がある。


1つは、それが今の私だということの表現。


もう1つはこの後の言葉の咀嚼の話に繋がっていく。


私の石や植物の観察が面白いと思っていること、そこに加えて観察のために石をさらに新しく迎えることは、例えばそういうことに興味がある人には普通に話せてもそうではない人たち、こちらは世の中の大多数、には話せない。


面白い話ではないだろうこととそれ以上に「こいつヤバい」と思われるのが嫌だから、だからあえて積極的に開示する必要がないと思っている。


例えば今の職場の人たちには、私がペンジュラムを使うことは一部の人に伝えたし、なんなら1人だけ実演までして見せたこともあるけれど、それは超イレギュラーな話で基本はそんなこと一切外に出さずにしれっと日々仕事をしている(フリをしている時も多々ある…←えっ?)。


長いこと色んな人たちに合わせて話をしてきたから、天気の話からマニアックな話、人生観的な真面目な話まで何でも来い!な感じではあっても、私は自分自ら自己開示することは余程のことがない限りはしないし、しない方がスムーズな時は基本的にしない。


どうしてここに書くのかは全く違う理由で書いている。


これはいつかもどこかに書いた記憶があるけれど、当時と今とで理由は全く同じまま。


私が色んなことを赤裸々にここに書くのは、イケメン上司のことを意識している。


自分のことを知ってて欲しい。


というのが一番目にくるかなと思っている。


と同時に、もしこんな訳の分からないことが無理すぎるなら、要は生理的に受け付けないとかはなから信じられないとかそういうレベルなら、絶対にこのブログなど見てくれないと思う。


こんなこと受け入れてくださいと言う方に無理があるからそんなことは言わないけれど、せめて「可も不可もない」くらいな立ち位置だといいなと思うし、そしてここからが一番大切だけれど、そういう要素を持った私が書くブログでもこれまでと変わらないでいてもらえたらもっと嬉しい。


置き物のように喋らなかった私が、まさかこんなマニアックなことをしているとはイケメン上司も想像さえしていなかったと思う。


変わり者だと思われてもいいけれど、それが理由で離れていかれたら(離れるも何も、近付いてもないけれど)、それは本当に悲しいなと思う。


初めてこうしたことをこのブログに書いた時、それがいつだったのか忘れたけれど、とにかく初めて自己開示した時は相当な勇気が必要だった。


無理だと思われたのならブログから離れていくだろうイケメン上司の姿は、可能性としてありすぎた。


世間一般では眉唾ものなのはわかるしそもそも私も超抵抗があった人だから余計とわかるだけに、イケメン上司が大丈夫かどうかなんて博打みたいなものだった。


嫌なら仕方ない、と腹を括って書いてアップしたことは今でも忘れない。


書いた内容や時期は忘れたけれど、その覚悟をする前の自分の葛藤やアップした後の大丈夫かと心配になったことは記憶として残っている。


イケメン上司が本当のところどう思っているのかは真相は闇の中だけれど、少なくともブログ離れをするほどではないことはわかった。


最近はあまりオカルト的な話をしていないから一時期のオカルト日記的な頃に比べたらずいぶんと静かにしているけれど、また今みたいに色々な気持ちに火がついてまた新しく石を迎えるだなんて、そういう世界から程遠い人からしたら何のこっちゃ!?状態だと思う。


イケメン上司がどう思っているかは私の方は一生知ることさえない可能性が99%ではあるけれど(残りの1%は希望的観測じゃなくて、何事にも「絶対」はないからという意味での1%)、それでも私はとりあえず自分がこういう手の人間であることは知らせておきたい。


それだから書く。


本当にそれ以上でもそれ以下でもなく、そうだから書く。


例えば本当に話ができる機会が未来のいつかに巡ってきてその時に「俺、本当はオカルト的なもの基本無理なんだよね」と言われても、それはそれでいいと思っている。


矛盾してる風だけれど、少しだけ違う。


もし話ができる機会が巡ってくるとするなら、その時はイケメン上司は少なくともそういうオカルト的なものを持っている私と知った上で話せるわけで、知らないわけじゃない。


自分を隠したまま向かい合うわけじゃないから、それが可か不可かとイケメン上司に聞いたら不可に近い方だとしても、それでも話してみてもいいと思われての機会なわけだから、それならいいなと思っている。







仕事最終日の29日、私は朝に次の人たちに繋げないとまずい仕事を終えた後はかなり自由にのらりくらりと今しなくても良い溜まった仕事たちを片付けていた。


何度も眠くなってその都度ネットニュースを見ていたけれど、その中で面白い記事を見つけた。


2000連休で「文字絶ち」試した男に現れた凄い効果

読むことは食べることと相似、無自覚では頭を壊す』


というタイトルを見て、気になって読んでみた。



>>以下、引用。


読むことは食べることに似ている。言葉は食べもののように問答無用で体内に入ってきてしまうし、変なものを食べて腹を壊すように、変な言葉を読んで心を壊すこともあるのだろう。毎日泥水をすすっているが何の影響もありません、と言う人はいないし、毒をがぶがぶ飲んでも平気です、と言う人はいない。ものを食べれば身体に影響が出るのは普通のことだ。


無自覚に言葉を食べていれば、腹を壊すように頭を壊す。


(著者:上田啓太)

>>


これを読んだ時、真っ先にイケメン上司のことが頭に浮かんだ。


私の書くこのブログが大丈夫なのかどうかは恐ろしすぎて聞けない。


でも本当に大丈夫でないなら、読むことはしないだろうと思った。


そしていくつかの記事はイケメン上司は数えきれない回数で見てくれているようだけれど、そうしたものたちは「害」とか「毒」にはなっていないんだろうなと期待も込めて想像した。


言葉たちはこの上田さんの記事のように無自覚で入っていく。


言葉は無味無臭で基本的にパッと見ただけじゃ自分にとっての良い悪いがわからない。


けれども、本当に悪い影響のあるものなら、読んだ後に自分側の気持ちや感覚が悪い感じになったり読了感が悪かったりはたまた読むことさえ無理で最後まで読めなかったりする。


私の書くものは少なくともそうではないんだろうなと単純に見続けてくれてるところだけを切り取った時にそんな風に思った。


かと言ってすごく良いから読んでるのとも違う気もする(苦笑)


白いごはんに似ているかななんて思ったりもした。


白いごはんは、子どもの頃から毎日のように食べていても基本飽きない。


それが体に良いから食べるとか好きだから食べるって考えて食べるものという感じは一般的にはしない。


私のこのブログも読むと心に良いとか好きだから読むとかいうんじゃないと思う。


白いごはんと一緒で、なんとなく手にするもの、習慣化したものが今なのかもしれない。


少なくとも害や毒じゃないなら御の字と思っている。







最初に書いた観葉植物や石と今この上に書いたブログとのことは私の中で繋がりがある。


私が通っていた大学には「コミュニケーション」という専攻があって、友達の1人はそのコミュニケーション専攻だった。


その友達がいつかクラスの何人かでグループリサーチをした話をしてくれたことがあった。


細かいことは忘れたけれど、彼女のグループは公共バスの中で可笑しなことをして、それを見て周りの乗客がどういう反応を示すのかを観察するというものだった。


その時にも出てきた気がするし、私は私で福祉のクラスの中で相当に鍛え上げられた、コミュニケーションの在り方の基礎みたいなものがあった。


コミュニケーションの種類の中で、verbal communication (バーバルコミュニケーションー言語コミュニケーション)とnon-verbal communication (ノンバーバーコミュニケーションー非言語コミュニケーション)の特にノンバーバルの非言語の方を詳しく学ぶ、そしてノンバーバルの時に相手に伝わるものがあるから自分が外に出してしまうような反応とかに気をつけるようにも教えられた記憶がある。


彼女のクラスのリサーチでも、乗り合わせた乗客たちの言葉以外の部分、ノンバーバルコミュニケーションの内容を観察してそこから一定の結論や分析を導き出すみたいなことだったと記憶している。


話は戻って、石や植物は言葉を持たないからノンバーバルの最たるものだと言っても良いと思う。


このブログは言葉を持つからバーバルではあるけれど、言葉ではなくこのブログがまとっている空気はノンバーバルなものだと思う。


非言語の領域で確実に「空気」みたいなものがブログにはあると思う。


私は自分が色んなブログを読み漁るからその辺はけっこう敏感に感じる方だと思っている。


言葉を使う文章なんだけど、その文章の先にはそれぞれの書き手の人特有の空気感みたいなのが必ず存在している。


それが心地良いブログはさらに読みたくなるし、反対にそれが心地悪いブログだと私はすぐに閉じる。


このブログがどんなものを発してるかはわからないけれど、非言語のノンバーバルサイド側のものが少なくともイケメン上司には合わないものではないんだと思う。


すごく合っているなんてそんな大層なことは思わないけれど、少なくとも合ってないわけじゃなさそうと思えてる。


で、すごいまとめ方だけれど、石や植物たちが見えないところで何かを吸収して変化、成長する様は、このブログとイケメン上司との関係にも通ずるところがあるように感じている。


本来なら石の模様や色、形が変わるなんて考えられない。


けれども私のところにある石たちは変わりつつある。


観葉植物たちは一度死にかけたのに息を吹き返して今は元気になって新しい葉っぱたちをつけている。


新入りの長野からやってきた観葉植物は本来の素質からすると下向きに繁殖するのに、じゃなくて上向きに成長するというこれまた摩訶不思議な現象になっている。


ことごとく常識を打ち破る石や植物たちのおかげで私は「まさか」ということがこの世にはいくらでも可能性としてあると純粋に信じられる。


現実的にそういうものを見せてもらっていて、それを見ても「まさかなことなんて起こらないよ」なんて言ったら、石や植物が見せてくれてるのは何なのかということになる。


言葉を持たない世界で確実に何かがあって、その何かが形あるものにまで影響が及んでいる。


イケメン上司がブログを見てくれてることもそれに近い効能を私には届けてくれてる。


そして、目には見えない「繋がり」を私にもたらしてくれた。


イケメン上司がきちんといてくれてること、私のためじゃなくていい、この世に存在してくれていて今も生きてると日々知れるのはすごく大きな力になっている。


そして私のブログを見てくれていることが、私に力をくれる。


力は安心感とか心の安定とかそういうものたち。


死ぬ時はそのうちのどれも持って行けないけれど、少なくとも自分の記憶の中に残るし思い出として持って行けると今から確定していることが嬉しい。


すごい話の方向になっているけれど、ここ数日「今年最後のブログは何を書こう?何をアップしよう?」と考えていた時を思うと、これを書いている今、定点着地という感じがすごくしている。


書き途中のものが色々あるし最近のことで書きたいこともあるから候補はいくつかあったけれども、個人的に何かしらイケメン上司のことを話に出せたらいいなというのは昨日30日になって出てきたものだった。


話が相変わらずあちこちに飛びまくりだけれど、石も植物もイケメン上司も私の中では全て繋がっている。


全然別物のようかもしれないけれど、「心惹かれる」とか「気になる」という意味では、共通点がある。


ますます時間だけが過ぎて私の立ち位置がどんどん薄れる気がしてならないけれど、本当に「無」になるその時まで私が気にしたいうちは気にしたら良いと最近は思っている。


そして私が元気をもらえるなら元気をもらい続けていればいいし、迷惑をかけるわけじゃないからいいかと超開き直っている。







テレビ東京の番組で『タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!』というのがある。


名前の通り、色んな町のタクシー運転手さんにその人が一番おいしいと思う地元の店に連れて行ってもらって食べるところを撮影させてもらうという番組。


新潟はテレビ東京が映らないけれど、時々他の民放局で放映されることがあって、30日の午前中も特番的な感じで放送されているのを見た。


京都市内で1300台近くタクシー車輌を有しているタクシー会社の運転手さんに当たった回のもので、女性運転手さんがたまたま隣り合わせたタクシーを見て、スタッフに「このタクシー、すごいレアなんですよ!!!」と興奮気味に説明しているシーンが映った。


そのタクシー会社のマスコットととあるスーパーとでコラボしたデザイン車でそれは1300台中1台しかないもので、すなわちそれは世界に1台しか存在しないデザイン車だと説明されてた。


それを見た時に私は、このブログを2017年の秋に再開すると決めた時の夕刻のシーンを思い出していた。


赤信号で止まったら、前の車がイケメン上司と同じ苗字が入った洋菓子屋さんの車だった。


後日私は直接店に買い物に行ったついでに、あの車をその洋菓子店で何台か所有しているのかを聞いたことがあった。


あれは1台しかないんです、と店の奥さんが教えてくれた。


もしあの時にそのイケメン上司の名前入りの車を見かけなかったらこのブログは今なかっただろうなと思う。


あの時は色んな見えない力が寄せ集められて働きまくっていたと今になって思う。


そしてその見えない力によって背中を押してもらった私は、あの時から延々と5年もブログを書くことを続けた。


自分が十分すぎるくらいにがんばったと思うし、続けてきて良かったとも思う。


そして書く原動力の一番の根幹はイケメン上司の存在そのものだったことは間違いない。


それは見えないし普通の生活の時に感じられるものじゃない。


それでも私には感じられたし感じたものが力となって私を支えてくれた。


すごく大きなものをもらっていた。


そんなことを改めて感じた2022年の終わりだった。




*¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆*・゚*¨*•.¸¸☆**¨*•.¸¸☆*・゚


良いお年をお迎えください

☆*:.. o(*´`*)o ..:*☆

2022年12月27日火曜日

年賀状と師走

来年は卯年
地元の郵便局の入口入ってすぐのところに
可愛いスタンプを無料で使えるコーナーがあって
そこでペタペタと押してきた
2つ迷って、そしてもう1つは表に押すことに

こちらも郵便局で押してきたスタンプ
来年以降もこのスタンプを活用しようと思う

大学時代の恩師ジョンから届いた
今年のクリスマスカード
ジョンが生きてることの証

新潟県大雪だった日の朝
家の前は1メートル以上積もってて
外にさえ出られなかった
2022/12/19

除雪車が行った後
車は完全に雪で埋まっている
ちなみに私の胸の下くらいの高さの雪が
たった一晩で積もった

車の上にスコップを置いてみた
すごい量の雪で心が折れまくりだった





最後にブログをアップした後、未だかつて見たことのない大雪に見舞われて連日の雪かきに疲労困憊し、そのうち色々面倒になってきてバタバタしているうちに今年もあと数日みたいなことになった。

ブログを書かないことはまだ良しとして、今年こそは元旦に届くよう準備した年賀状を書かないのは、自分でもかなり気になっていた。


でもいかんせん書く気が起こらず、このままもう何も書かない、年賀状もブログも他にひょんなきっかけで書くことになった手紙2通も半永久的に書かないんじゃないかと思うこと数日。


月曜日(12/26)残業もして疲れているはずなのに突如スイッチが入って、まずは帰り道に地元の郵便局に寄って年賀状にペタペタと正月模様のスタンプを押してきて、帰って諸々全部終わったら木のテーブルをセットして1枚また1枚と一気に6枚の年賀状を書き上げた。


すでに1人だけ早々と書いた友達がいたから今年は7枚書いたことになる。


手紙やハガキが入っているクッキー缶を開けたら、もう1人というかもう1組の夫婦のことを思い出して、それはもう1枚追加で年賀状を買って書いて出したいと思った。


スタンプ以外はオール手書き。


これはもう特技と言ってもいいかと思うけれど、私は全部それぞれの人に書きたいエピソードを書いていて、それを何も考えずいきなり本番でさらさらと書いていくことができる。


1人1人全く違う話を書いているし、それが私には苦にならないから自由に書いている。


これは面倒に感じていた年賀状だけの繋がりに近かった人たちを数年前名古屋から新潟に引っ越した時にバッサリと切ったことも大きい。


切った人たちは、同じように書くにしても書く内容を考えないといけなかった。


考えて書くのはしんどいし好ましいことじゃない。


このブログ級に自由自在に書ける人たちにだけ出す年賀状なら苦にならないんだと気付いた。


ようやく師走感が出てきた、今年もあと数日の今になる。







今年の年賀状で「このために年賀状ってあるんだ」と感じたエピソードがある。


その中の1人は、本当にお世話になったから「去年は◯◯をしてくれてありがとう」と書くと共に、去年のお礼を書いて伝える、それが多分年賀状の大元の起源に直結する昔ながらの在り方なんだろうなと思った。


「去年はお世話になりました。ありがとうございました」とかいう定型文に私は長いこと疑問を持っていた。


お世話になっているどころか年賀状でしかやりとりしないような人たちにそのように書くのは悪い言葉ではないけれども本当の言葉じゃないというか、嘘をついているみたいで好きじゃなく、だからその言葉はある時から避けるようになった。


ちなみにどうでもいいことだけれど、全部手書きで書く私の場合、年賀状だけのやりとりの人たちの時はそれを書いて文字数を稼ぎたい衝動に何度駆られたかわからない。


今回は本当にお世話になった友達がいて、その友達にはしてもらったことをそのまま言葉にしてありがとうと改めて伝えた。


今年は何人か再会組がいたからその時にお世話になった面々にはそれぞれありがとうと書いた。


それは本当に「お世話してくれてありがとう」という原体験さえあれば、頭で考えることなんかなくてしてもらったことをありがとうとそのまま伝える、それが年賀状の役割でもあるんだと思った。


その原点に気付いた今回の年賀状はとても有意義なものになった。







大学時代の恩師ジョンから今年もクリスマスカードが届いた。


カードの中で大学があった町に行ってきたことやこの後数ヶ月の日程で奥さんの実家であるマレーシアに行くと記されていて、とりあえず元気そうだと知ってホッとした。


私も今回は20年前に撮ったジョンとの写真も添えて送ったけれど、ジョンがアメリカを経つ前に届くかというと多分届かないだろうと思った。


数ヶ月先にジョンが自宅に戻った時に無事ジョンの手元に届くといいなと思う。


アメリカは普通に郵便の制度が成り立っているから、数ヶ月も不在の時は郵便物をどうするんだろうと思う。


ポストにだって限りがあるだろうから、そのうち入らなくなるだろうし。


親族とかご近所さんが何とかしてくれたりするんだろうか


いずれにしても無事にジョンに届いて欲しい。


「郵便の制度が成り立つ」という言い方はおかしいかもしれないけれど、ドミニカ共和国で郵便という制度が崩壊に近い国に住んでみて郵便が当たり前ではないことを初めて知った。


到着して最初の1ヶ月は語学学校に通ったけれど、その時に先生に郵便について聞いたら「配達員なんてもう長いこと見てないわ!今でも配達員なんているのかしら?」というワハハと笑いながら説明された時には度肝を抜かれた。


オフィスとかは別として一般家庭に郵便屋さんが配達するところなんてただの一度も2年間で見なかったし、郵便自体もどうやって出していたか忘れたけれど、とにかくすごい決まりきったところだけしか取り扱いがなかったと記憶しているし、自分が受け取るにもそれこそオフィスの住所を借りて出してもらってた。


街中にポストももちろんないし、家にも郵便受けのポストがない。


公共料金の支払い関係の請求書はどうするの?と聞いたら、それは各家庭に各供給会社が紙を配ると言っていた。


交通ルールもはちゃめちゃな国で、違反の切符を切られてもその場で捨てるということが当たり前の国で、日本じゃ色々考えられないくらいの超独自路線のやり方を貫いている国だった。


それはそうと、日本みたいにきめ細やかな郵便制度があるのはあれは本当に奇跡であって、世界の全部の国と比較しても相当素晴らしい制度と精度を持っている数少ない国な気がする。







大雪の時の話とか自分へのクリスマスプレゼントの話とか、他にも東京滞在記や長野日帰り旅の後半部分とか書きたいことは色々あるけれど、どれもこれも年越しになりそうな予感( ̄∀ ̄;)


せめてあと1回くらい年内にブログがアップできたら御の字だと思っている。