2020年8月30日日曜日

㉛【おいせさん手帳】自分がやれることでの開運行為





おいせさん手帳第31回目
担当:ノム

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8月30日
金運アップの日には、目的の確認も同時に。
巳の日

「巳」とは、十二干支のヘビのことを表わしており、
巳の日は、金運や財運にとても良い日です。財布の新調やメンテナンスも吉。
財布の中身を取り出し、掃除をし、1日休ませてあげると良いでしょう。
自分は何のためにいくら手に入れたいのかを具体的に考えてみることも大切。目的地を設定することで、自ずとルートは見えてくるに違いありません。

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ノムの今日の文章を見て思い出したことがある。

おいせさん手帳の執筆はものすごく自由な部分が多かったけれども、いくつかのことだけお願いされていた。

その1つが、なるべく吉日や日本古来の習わしの紹介なんかをメッセージの中に含めることだった。

ノムも私も一粒万倍日はじめそうした吉日にとことん疎かった。

疎いだけじゃなく、開運にも興味がない。

興味があるのは、いかに自分を大事にできるかやいかに自分が楽に生きられるかで、開運行為というのにとんと興味がない。

「引き寄せ」は興味あっても、それだってその理由は開運ではなくて、自分の人生がどう展開するのかに軸がある。

とにかく世俗的なことに興味のない私たち2人が開運や開運行為について書くというのは、少しばかりハードルの高いことだった。




ノムも私も開運行為に関しては、おそらく各自1回ずつしか取り入れなかった気がする。

ノムはもう1回くらい書いたかもしれないけれど、基本は本当に片手で数えても指が余るくらいに書いてない。

だからものすごく稀少な内容になっている。

今回まじまじと読んでみて、ノムも私もある共通点を持ってそれぞれ言葉を紡いでいたことに気付いた。

ノムも私も全くもって神頼みじゃない。

2人とも、普段の生活で自分がやれることでそして簡単に着手できることを開運行為として紹介している。

どこそこのパワースポットに行くとか、何それを身につけるとか、そういうことじゃない。

あくまでも自分の生活圏の半径1メートル以内で完結することを紹介している。

それって行き着くところとしては、自分のために自分がしたことが返ってきて、そしてその返ってきたことが自分を信じる力になる、そんなものをノムも私もかなり無意識に組み込んでいたんじゃないのかな…と今さらながらに思う。




おいせさん手帳の実際に印字された方のメッセージにもだいぶ慣れてきたけれども、今回改めてノムのメッセージを読んで、実際のノムが書いた文章と実際に印字された文章との差をものすごく感じて、違和感を抱いた。

おいせさん手帳の制作全体を通じて、ノムのメッセージの第1号読者はすべて私だった。

反対に私のメッセージの第1号読者はノムだった。

それは今もだけど、ノムの文章に初めて出会った時から私はノムの書く文章に本気で惚れ込んでる。

文章の中にやさしさがギュッと濃縮されていて、それがいつ読んでも心地よい。

本当にやさしさをノムは普段本人は無意識で含んでいるんだと思う。

だって現にノムは「僕の書く文章ってやさしいでしょう?」なんて絶対に言わないし、おそらくそんなこと思ってもいない気がする。

もちろん印字された方の文章にもノムの跡はきっちりと残っているし、ノムの考えもきちんと盛り込まれている。

だけど、ノムが最初に書いた文章のようなやさしさや子どもの頃寝落ちしてそっと毛布をかけてもらったようなそういうぬくもりみたいなのは、文末を修正されたことでけっこう損なわれたように感じた。

写真の文章と今ここで紹介した文章は、同じようでいて全然違うんだな…というのが私の正直な感想だった。

もし原文ままに紹介されていたとするなら、ノム特有の柔らかさとノムからしか発信されないやさしさの凝縮がもっともっと色んな人たちに届いたんだろうなぁと思う。

他の人たちにどの程度それが伝わるかはわからないけれど、私には今回の文章が本当に印字されたものとノムの実際の提出したものとで大きな差を生んだものに感じる。

2020年8月29日土曜日

名もない繋がる形

「会いたいって願っても会えない」

車から聞こえた歌詞。

稲穂が垂れ下がって、夏の8月が終わって暦の上ではすぐ近くに秋がやってくる。

車の中で聞いた歌詞と外のセミの鳴き声とを聞きながら、ふと意識は遠くに及んだ。

今の時代だから許される、可能になる形もある。

本当にこの時代だから繋がれるんだと、静かな車内で強烈に思った。





目の前で顔を突き合わせるばかりが人と人との関係とは限らない。

予想もしない形で人と繋がることもある。

繋がってる、とは私もはっきりと明言できない。

だけど他の言い方も思いつかないから、便宜上「繋がってる」と言う。





これは何度か想像することを試して、でもいつも怖くてやめてしまう想像がある。

もし…。

想像は私にしては珍しく、本当にかなり初期の段階でやめる。

怖すぎて、先々を想像する勇気がない。

想像は自由だし、想像の中では私は絶対に傷つかないことがわかっていても、それでも怖くてやめてしまう。





私は想像する。

もし、私に起こったような心の変化というか、心の動きというかが、同じようにその人にも起こっていたのなら……。

……。

…………。

………………。

それの方がものすごく納得できる…というか、何というか…。

珍しい記事が読まれた。

私も久しく見ていない、というかアップして以降多分一度も見ていない。

それだけはタイトル見て何の話かは思い出せた。

私の好きな言葉を紹介したものだったから、出だしを読んでフムフムとなった。

読み進めた。

フムフム、さらに良いことが書いてある。

他人様の言葉ではあるけれども、読むだけで満たされる素晴らしい言葉たち。

これは自分でも、書いて良かった!よく書けた!、と思った数少ないブログだった。

最後まで読んで度肝を抜かれた。

写真がある。

写真のことなんて全く覚えてなくて、どの写真を使ったかははっきりと記憶していたけれど、その記事で使っていたことなんて昨日のその時まで全くもって忘れていた。

そこで、「……」ってなった。

もしかしたら、私が自画自賛した文章の方ではなく、本当に見たいのが写真だったのなら…。

怖いもの見たさで見るような代物じゃない。

その写真は、意志がないとわざわざ見ようなんていう気にはならない。

っていうか、ピンポイントでその写真がその記事にあるって知らない限り、一発では行き着けないと思う。

何せ今の私のブログには1160以上の記事がアップされてるから、私さえも何がどこにあるのかわからない。

限りなく0%に近いと思う、一発でそこにたどり着くのは。

たまたま読まれたものだというよりも、それが選ばれて読まれた感触の方が強い。

他に読まれたとされる記事たちを並べても、その写真付きのブログが、形を持った意図があって選ばれたと思う方が、たまたま読まれたと思うよりも自然だった。

もし私が読み手側で相手が書き手側なら、私は同じようにそれを選んで見たと思う。

もっともっと知りたいから。

もっともっとよく見たいから。





自分の我が身に起こったことは、「一期一会」の名言にふさわしく、本当に一生のうちで1回しか体験し得ない領域だと思う。

もしこの世に愛という概念よりもっと大きなものが存在するとするなら、その人に会ったことはそういうものだった。

不思議な感覚だし、言葉では表現しきれない深さと無限のあり方で成り立っている。

死んでこの肉体を魂が出る時に持っていくようなものなんだろうなぁと思う。

それを思う時に、もしかしたら相手も不思議な感覚でいるのかもしれないな…なんて思う。

私が魅力的だとか異性として好きだとかそういう枠組みではなく、言葉にできないような感覚でいるのかもしれない。

世の中には私より容姿や性格の良い女の人などいくらでもいるわけで、冗談抜きで私がその人の隣りにいるとするなら役不足は否めない。

だけど、あの言葉にすらできない感覚をもし私もその人にもたらすとするなら(こちらとてもたらしてるつもりはサラサラない)、人として気になるのは自然なプロセスなのかもしれない。

もしそうだとするなら、特定のブログが好まれる?とにかく頻度高くチェックされる理由がわからなくもない。

本能的な感覚で、相手を知りたい、相手に近づきたい、私の中にあるのはそういう感覚で、もしかしたらその人も同じような感じなのかな…とほんの少しだけ想像してみる。





いつも今の時代に生きていることを思う時、私は同時に参勤交代のあった江戸時代を想像する。

友達夫婦が熊野古道の古道脇に本当に住んでいて、そこに何回か遊びに行った。

本当に石垣を積んだような細い歩道で、木が生い茂る中に木漏れ日と共にそこに佇んでいて、昔むかしはそこを通って人が行き来していたんだろうなぁと思う。

もしそういう時代に生まれていたのならそもそも出逢うことさえもなかったとは思うけれども、仮に出逢えたとしても今みたいにブログという見えないケーブルと繋がって自分からメッセージを発信して、同じように相手もそのケーブルに自分をアクセスさせて私のブログと交わるなんて絶対になかったわけで、嗚呼、今の時代を選んで生まれてきたんだな…なんて思う。

車を運転しながら、山や木の夏色の緑が目に入ってきたけれど、そこにも目には見えない電波が飛んでいて、その電波のおかげで私はこうしてブログを発信できて相手の目に触れられるような状態を作れるんだなと思った。

社会人になってすぐの頃には想像もしていない今がある。

見えない電波というものを使って、そして繋がる。

普通にやりとりできる関係に憧れるけれども、今生はそういうことではなくて、とりあえず時代を表す便利ツールを使って新しい試みをしてみよう!みたいな人生計画を立てたのかもしれない。

名前もない形での繋がりがあったって、それもありだなと今の置かれている状況を見て思う。

このまま距離が縮まることもなく、乱暴すぎるくらい私の一方的な発信ではあるけれど、もうそれにもだいぶ慣れて、形だのなんだのにこだわらなければ、何でもありな気がする。

私が一方的なように、相手も好きなように気になったものだけ見たらいいし、飽きたらもう見ないという選択は最後まで相手が持つ最大の自由だと思う。





たまたまにしては出来過ぎな話だけど、その人と私とが出会った場となる職場は、それこそその見えない電波を取り扱うところだった。

まさかその人が普段から触れているものを通じて、その後今度は点と点が繋がって線になるみたいなことが起こるなんて、その人もだろうし私も想像すらしていなかった。

文明の機器があるからこその今であって、それがない江戸時代みたいな頃なら、もう今頃とっくに全ては何事もなかったかのように終わっていたと思う。

色々喋ってみたら面白かっただろうなぁと思う。

私のこの起承転結のない、ダラダラとしてまとまりのない文章を見るだけの力のある人なら、普通に色んな話ができたんじゃないかと思ってる。

その人はどんな風に話したり聞いたりするんだろう。

それは今も興味津々だし、それはその人が普段おしゃべりしないから興味があるのではなく、その人がその人だから興味ある。

その人がその人たるものだったのなら私はなんだって知りたいのは当時も今もあまり変わりないなと思う。

その人が自分のことを剥き出しにした瞬間、それは怒りなのか不快なのか全然わからないけれども、普段のその人からは想像もできない冷たさに遭遇した時、本当にちょびっとだけ、それを見れたことがラッキーというか私だけ見れたと思うと希少性を感じる。

その人のありとあらゆる喜怒哀楽を見てみたい、その人がその人たるものを構成するすべてに私はすごい吸引力と集中力で興味を持った。





ここ最近立て続けにこの話題を書いた。

色んな気持ちが去来する中で、とりあえず浮かんだままを書いてそしてアップすることに決めた。

3年前の8月29日は、九州の友達の結婚式で有休取って休んだ後の初めての出勤の日だった。

メモをくっつけたせんべい(九州土産)をその人が不在の時に机の上に置いた、と当時のメモにあった。

そうするまでの色んなプロセスを今も1つ1つ覚えているし、基本行き当たりばったりな私がその時だけは色んなことを綿密に準備したり友達に相談したりしながら色んなことを進めた。

ちなみにどれもこれも、まだ撃沈する前だったから、堪能しながらやっていた。

その人は基本自分のことは話さない人だったから、私の小細工なんかも自分の中だけにそっととどめてくれたと思うし、そのおかげで私はその人がいなくなった後何ヶ月も何事もなくその職場にお世話になることができた。

九州での非日常は本当に楽しかったし、何年来の友達との再会にも心が満たされまくったけれど、私はその後にまた仕事に行くのが本当に楽しみだった。

普段なら非日常から日常に戻る時、私はいつも「戻りたくない」と思うのが常だけれど、その時は全く違った。

その人に会える、ただそれだけのことが何よりも楽しみで、私は何の苦もなくすんなりと日常に戻っていった。

あの日出勤したらその人はもういなくて、何よりもそれを楽しみにしていただけに残念な気持ちになった。

おみやげを手渡しするとずっと思っていたけれど、実際には想定をあまりしていなかった本人不在で、もしかして手渡しじゃない方がいいのかもしれない…なんて思いながら、他の不在の人たちの机の上も含めて土産を配り歩いた。

その人が外から戻ってきて部屋に入ってきた時、心待ちにしていた瞬間が現実のものとなって、さらに1人でテンションを上げてた。

いつもの爽やかキラキラオーラを放っていた。

関係ないけれど、いつか見えない霊やら何やら見えるヒーラーさんが、会ったことも私が話に出したこともないその人のことを「霊性が高い」と言っていたけれど、ああいう無色透明のキラキラしたオーラも霊性の高さと関係あるんだろうか?なんて思う。

本当に何しに毎日そこに行っているのか、私の目的はすべてにおいてズレていたけれども、あれほどに仕事の時にテンション上げ上げで行けるなんて、後にも先にもない。

あの時から3年も経つなんて本当にビックリする。

当時の仕事の中身そのものが、その後その人と細く長く続いていくための一番主要な役割を果たすものになるなんて、想像さえしていなかった。

ただただ目の前の瞬間瞬間を目一杯楽しんで喜んでいた頃だった。

その時にあったものは当然今はすべて無くなってしまったけれど、逆に当時なかったものが今はある。

私のお好みとはかなり違ったけれど、元々ゼロだったわけだからそんなに贅沢も言ってられない。

元禄2年なら何もないものの令和2年ならこういうことが許される。

平成2年でも、まだ小学生だった私の世界には、インターネットはドラえもんの21世紀の未来型の空想の世界のものだった。

名もない形でも、私はそれに救われている。

日々色んなことがあるけれども、この名もない、だけど確実にその人とわかる何かがあることで私の今日という時間や修行としか思えない難事をなんとかできている。

「名もない繋がる形」

その言葉が運転中に出てきた時も夏真っ盛りな晴れの日だったけれど、もしかしたら夏はこれからもそういう思い出巡りをするとっておきの時間なのかもしれない。

2020年8月25日火曜日

㉚【おいせさん手帳】星読み




おいせさん手帳第30回目
担当:私

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8月25日

自分自身を整理してみる。
太陽が乙女座へ

乙女座は緻密さや細かさ、正確さを12星座中一番大切にする性質があります。
秋分まで、自分の心の中や家の中を整理するのに適した時間です。
整理する際の基準は「自分にとっての快・良・美・真」で選びましょう。
自分の価値基準にとことんこだわってみると、自分のことをまた1つ知れます。
自分を整理することは、自分を知る=自分を大切にする行為に繋がります。

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久しぶりに手帳制作のウラ話なんかを。

「野村さん」「武士俣さん」と呼び合うような頃、月に1回、銀座の一等地に構えたビルの1階のセミナールーム的な場所で占星術の初級講座を取っていた。

私たちの先生は、基礎という基礎を徹底して教えてくれて、でもその基礎の面白みがさっぱりわからなかった当時の私は、毎回膨大な量の情報を前にうろたえて、自分がいつか星に興味を持って星読みをするとか、星占い的なメッセージをどこかの媒体に掲載するとか、そんなことはちっとも想像していなかった。

東京に行くことだけが楽しみみたいなもので、肝心要の講座は自分の中でいつも二の次三の次な優先順位だった。

記憶違いでなければ、ただの一度も講座が楽しみー!!!なんて気持ちで講座に行けた試しがない。

それほどに興味があるんだかないんだかわからない状態で行っていた。

そしてノムは先生から星読みのセンスがあると最初の頃から言われていたけれども、私は解釈に非常に偏りがあるのと見方が狭いのとで、もう少し他の解釈も思慮に入れて読むといいです、とほぼ毎回言われていた。

自分の何がどうおかしいのかイマイチ理解できなくて、それもまた星読みへのやる気が下がる1つの原因だった。

そんな風だったから、まさか自分が星読みのメッセージを公の媒体の中で披露するなんて、想像さえしていなかった。




一応、この手帳は『おいせさん手帳』という名前の通り、神社仏閣を中心としたメッセージが多い。

ノムが編集者のAさんから話を聞いた時、そしてそれを私に伝えてくれた時、2人とも真っ先に「それって僕たちには無理だよね」という話になった。

ノムも私も神社仏閣について、ほぼほぼ何の知識もない。

私が神社と寺の差を知ったのはここ2、3年だし、しかも知ったことも「神社が結婚式、寺が葬式担当」という、そんなことくらいなもので、本当に細かいことを何も知らない。

1週間とか情報集めに精を出しても大した内容を書けないことは、火を見るより明らかだった。

だからノムと私とは賭けに出た。

自分たちがどんな文章なら書けて、反対に手帳の本流的な神社仏閣系は書けないことを伝えよう!となった。

そしてその見本となるメッセージを、ノムといくつか書いて、たしかノムが星読みメッセージの見本を書いてくれてたと思う。

日本古来の和の文化に対して、ノムと私は真っ向から「西洋占星術」を中に入れられないかと聞いてみることにした。

これは出版社の意向とは違うだろうから、吉と出るか凶と出るか最後までわからなかった。

その最後まで自分たちの在り方や考えを変えずに「自分たちはこうです」と明言したものが採用された。

そして、第1回目の依頼された分を提出した後、編集者のAさんから、一部の星座があって12星座全部がないのは違和感があるから、それも追加で書いて欲しいと頼まれた。

そうやって追加で書いたものの一部が今日のこのメッセージだったりする。




見ての通り私は、星座の情報と自分のためにできることを組み合わせて書くスタイルにした。

ノムが最初その原型モデルをいくつかの星座で書いてくれたから、私もそれに倣った。

ちなみに、星座の時もそうでない時も、私はどちらの時も基本的に自分の内面に目が向くように、または自分を大切に扱うことができるように、そういう内容を数多く取り入れた。

星読みを学んで思ったことの1つに、社会のものさしに合わせると私はズレまくりの異端児みたいなところが多々あるけれども、自分が生まれた瞬間の星配置を見ると、星の通りに、それも100点満点と言ってもいいような、そういう人生を歩んでいる。

だから、決して間違えてなんかいないんだな…と気付いた。

個性を埋没されるような教育が、日本の場合戦後長らく敷かれてきて、それは私だけじゃなく多くの人たちが物的な豊かさとは引き換えに大きく別の何かを失ったような状態になったわけだけど、本来なら1人1人全く違う設定を持って生まれてくるわけだから、その違う設定を各自が生きたら、無限大に人の種類も生き方もあるようになるのが普通だと思う。

教育論や政治に言及しても仕方ないし、そんなことしていきなり何かが変わるとは思ってないから、だからせめて自分の手が伸ばせる自分のことだけでも何かできることを発信したい、そういう気持ちで書いていた文章だった。




【整理する際の基準は「自分にとっての快・良・美・真」で選びましょう。
自分の価値基準にとことんこだわってみると、自分のことをまた1つ知れます。
自分を整理することは、自分を知る=自分を大切にする行為に繋がります。】

今自分で読んでもうっとりする(笑)。

「自分にとっての正解」と言うと難しいと感じたから、あえて「自分にとっての快・良・美・真」とした。

自分にとって何が快なのか
自分にとって何が良きことなのか
自分にとって何が美しいのか
自分にとって何が真(真実)なのか

具体的な言葉を添えることで、「自分にとっての正解」に近付ける気がした。

そして、自分を整理することが自分を知ることになって、そしてそれがズバリ自分を大切にすることに繋がっていく。

1年前からそこに着眼していたんだなとわかる。

ひたすら自分を見つめること、自分を至上最高のものとして扱うこと、そういうことが本当に大事なんだと気付き始めた自分がいる。

それは今もっと強くなった。

周りや世間の意見ではなくて、「自分はどうしたい?何を信じてる?」を常々聞く習慣が定着しつつある。

そして、それをすればするほど、自分が生きやすくなるってわかった。

2020年8月23日日曜日

夏の終わり2020【後】

『夏の終わり2020 』の前編を書いていた時にふと思った。

3年前の夏の今くらいが、当時は一番明るい日々を生きている頃だったんだなぁって。

全くやる気のない仕事にも関わらず、毎日毎日朝を迎えるのが楽しみで、ルンルンで仕事に行って、行っている最中もルンルンしていて、そして帰る頃は寂しくなって、夜寝る前は1日を振り返って心が満たされて、そしてまた次の日に想いを馳せて、そういう日々だった。

人生で初めてお盆休み明けの出社がこの上なく楽しみで、早くその日にならないかと心待ちにしていた。

仕事にどんなにやりがいを感じていても、過去の仕事やそれ以降の仕事で、盆正月的な長期休み明けに仕事に行きたい!!!、なんて一度も思ったことがない。

だけど、当時は無駄に長い夏休みが要らなくて、もっと休みが短くてもいいのに!と思った。

ただただ同じ空間にいられることが本当に嬉しくて、その人に会いに仕事に行っているようなものだった。

同じ時代に生まれて、ある時ある場所で隣り合わせるってどれだけの確率だろう…といつもいつも思った。

ど田舎新潟転勤なんて希望してそうなったのでは絶対にないだろうことも含めると、ますます天の采配の凄さを思った。

何に感謝していいのかわからないけれど、すべてに対してありがとうと言いたいくらいに、3年前の夏の私は日々生きていた。

物理的な近さとか毎日半強制的に会える環境とかは、当時の方がうんと恵まれてはいたけれど、今の方がある意味近くなったように思う。

とにかく色んなことをこのブログには書いている。

再開した頃は何をどこまで書いていいか迷っていて、かなり厳選しながら書いたけれども、ある頃から徐々にありのままの自分のことを書くようになった。

引きこもりニートなこともあまりにも長期に渡って隠し切れるものではなくなったし、オカルト的な体質についても書きたいことを書くためにはカミングアウトするしかなくなったしで、他にも色々なんでも書くようになった。

それには私なりに1つの賭けもあった。

興味なかったり受け入れられないものなら、その人はもうブログを見ることをやめるだろうと。

でも私の場合は、そういうことが私であったり私の人生であったりするわけで、変えたくても変えられないものや、周りが何と思おうと自分なりに大切にしていることだったりするわけで、本当に無理なら元々色々無理だったわけだから離れていくだろうと思った。

そんな風にしてそろそろ3年になるわけで、それでも今もなおその人がチェックし続けてくれるというのは、何よりも想定外のことだった。





今さらだけど、色んなことをカミングアウトしつつ書いてきて良かったなぁと今は思う。

一緒の職場にいた頃は、私は借りてきた猫のように一切喋らない人だった。

用件は必要に応じて確認したりはしたけれど、世間話は誰ともせず、電話も出なくていいと言われていたからほとんど出ず、とにかくほぼ1日無言で置き物のように自分の席に座っていた。

だから、私もその人のことを本当に知らなかったけれど、その人もその人で興味のあるなしに関係なく私のことを知らなかった。

色んな意味で怖かった。

さすがに私もだてに社会の中で生活してきただけあって、どんなことが世間一般的にドン引きされるようなことだったり、疑われたり、ヒソヒソ後ろ指差されるようなことかはわかる。

私が書こうとしているものはそういうもの満載で、しかもそういうの興味ありますでもなんならうっかりそういう見えない世界体験ちょびちょびしてますでも、そういうのは一切外には出さなかったから、その人にしても私という未知な人間だけじゃなく、それにプラスして未知な世界の話なんじゃないかと思った。

相手がどういう嗜好や趣味、世界観を持っているのか何も知らずにきたわけだけれど、その人がオカルトなことやニートの世界に興味があるとは全く思えないし(それは今も)、私の多分色々と世間ズレしている感覚もどんな風に映っているのか想像するだけでゾッとするし、とにかくお互いに普通に生きていたのなら絶対に知り合うことも友達になることもないくらい接点なんかないだろうと思っている。

だから自分の生きている世界や価値観を知られる、知られてそっぽ向かれることの恐怖感は半端なかった。

そもそも繋がってないから何言ってるんだ?って話だろうけれど、せっかくブログ見てくれてる風なのに、そこに水を差すようなことを自らするのもどうかと思った。

でももう色々隠しながら生きることに息が詰まり始めたのと、そしてある時からは自分というものを知ってもらってそれでも良いと思ってもらえる人たちとだけ残りの人生で繋がっていったらいいんだと気持ちが徐々に切り替わって、じゃんじゃんと今のように好き放題書くようになった。

自分を変えてまで無理して付き合う人間関係は要らない、そういう気持ちを自分の中に持てるようになった。

そうやって3年ほどつらつらと色々と書いてきた。

この3年、私はほんの少しだけその人が忙しいけれど元気にしてるようだというようなことを共通の知り合いの人から教えてもらった以外は基本相変わらず何も知らない。

私側は相変わらず何も知らないけれど、相手側は少なくとも3年前目の前に私がいた頃に比べたら断然私という人がどういう感じなのかは知ってもらえてる。

そう、近くにいた頃よりも、少なくとも今の方がうんと私という人間を知ってもらえてる。

だから、物理的な距離とは別に、人間関係的な距離とでも呼べばいいんだろうか、そういうものは近くなれたように勝手に思っている。

どのくらい知られてなかったかと言えば、私からしたら「私の名前、フルネームで知ってる?」って聞きたいくらいに何も知らないような環境下にいたわけで、そこから考えたらものすごくたくさんの自分情報を駄々流しにして、とりあえず可か不可かは知らないけれど、私のことが嫌すぎて見る気にすらならないのとは違うだろうことはわかってきた。

私は相手の何も知らなくても、相手は私の何かしらを知ってくれてるというのは、それは相手がその人だからという理由に他ならないけれど、単純に嬉しい。

異次元みたいな話ばかりしてるのに、何が面白いのかとりあえず見ようという気になるのが凄い。

ちなみに今気付いたけれど、このブログを再開した後、この3年ほどで誰よりも私の日々やら中身やらを知ってくれてるのはその人じゃないかと思う。

しかもその人だけを読者と想定して書いたものなんかは、他の人たちからしたら何の話!?となっても、その人は当事者だから何を私が指して言ってるとかどの出来事なのかとかは、記憶にあれば「あのことか…」と唯一わかる人になっている。

色々おっかなびっくりで、自分のことはもちろんのこと、その人単独読者的な内容の時はさらに身構えながらのアップで(その割にかなり赤裸々に書いてはいるけれど)、それをずっと繰り返した先に今がある。

本当にどんな風に相手の目に写っているのかは知らないけれど、それでも何よりも本当に私の細かいことがあれこれ書かれたこのブログでは、ダントツでその人が一番読む回数が多いと思う。(なんなら書いてる私よりも(笑)←書いて満足してほぼほぼ読み返さない、そして書いた内容を忘れていく)

だから、物理的な近さは3年前には絶対に勝てないけれど、今の方がもう少し距離?知ってる度合い?どう呼んでいいかは知らないけれど、そういう物理的ではないものの部分に少し深みが加わっている。

私はもちろん喜んでいる。

あんなに嫌そうに振る舞われた最後の瞬間を思えば、今は考えられないところに行き着いている。

あの時は本当に嫌だったけれど今は嫌ではなくなったでもいい。

心境の変化?行動の変化?、相変わらず全てがベールに包まれているけれども、あのこの世の終わりみたいな3年前の9月の終わりを思えば、今の状態は信じられないものに変化している。

「発展」と呼んでもいいくらい、私にとっては。

こうした変化が本当の本当に嬉しい。





変化はもちろん私1人がもたらしたものでは絶対にない。

その人にはいつだって選択肢がある。

私のブログを見ること、そして見ないこと。

どちらを選んだってそれはその人の人生の時間だから完全に相手の自由になる。

自分の書いているものをけなすつもりはないけれど、でも自分でも自分が書くものが有益で誰かの恩恵になるとは全く思っていない。

本当に完全なる個人の記録だし、主観記録のようだし、色々となんだそれ!?状態だけど、だからこそそんなのを継続してチェックしてくれてるなんて、私からしたら本当に奇跡になる。

漫画が好きだと聞いたけれども(もちろん共通の知り合い経由で)、なんなら小説も読むらしいとも聞いたけれども(先に同じ)、他人のブログを読む趣味があるとは聞いてない。

理系男子がみんなそうだとは言わないけれども、基本的に白黒はっきりした世界にずっといて、私みたいに何が言いたいのかも何が論点なのかも全てが意味不明なものを延々と書いている読み物を読むのって多分相当苦手なんじゃないかと思う。

今書いてるものだって、自分も書きながら着地点なんかさっぱりわからないし、何のために書いているのか?と聞かれたら大真面目に言葉に詰まると思う。

そんなものをその人もいつからか読み出してくれたわけで、それが3年分ほどそろそろ貯まったわけで、これは徳を貯めるみたいな、そういうものに近い良きものに感じている。

その人が「ブログをチェックする」ことをその都度その都度選んでくれたことは、私にとってものすごく大きな自信になった。

私は今の状況は全く予期せずにいた。

そもそも会いたくもない時間も共にしたくない人のブログを探して読むなんて、どんな確率ですか!?と常々思っていた。

私はその人に届いて欲しいとは願ったけれども、今のように毎日チェックして欲しいなんてのは全く願わなかった。

届くと思って書いたのとは違うから、そもそもの届く状態さえも想像できなかった。

だから日々の習慣のごとくチェックすることなんかは、想像さえしてないわけだから、そんなことが現実に起こって3年くらい続くなんて、全く思いもしなかった。

そして、今回これを書くにあたって、初めてその積み重ねは私1人で完成させたものではなく、その人が日々積み重ねてくれたおかげで成り立つものだとようやく認識できた。

その人が日々選んでくれたものが今私にもようやくそうなんだとわかるくらいに積み重なって、それで私も自分が極限の状況の中で選んできたことがこれで良かったんだと思えるようになった。

夢みたいだなと何度も何度も思った。

その人が転勤でいなくなった時、どこをどう見渡してもその人はいなくて、連絡先を渡しても音沙汰はなくて、元々個人的な繋がりが一切なかったから私から連絡できる手段もなくて、本当にすべては消えて無くなってしまったんだと受け入れられない現実を前に呆然とした。

その人がいなくなって初めての月曜の朝、職場の周りの人たちがその人から普通にメールで業務連絡が来たと言っているのを聞いて、私はそれさえもないからもうどんな風にしたって繋がるなんてできないんだなと思った。

当時の仕事は、私はメールを一切必要としてなかったから、メールアドレスも与えられず、だから他の人たちに配信されるメールさえも私は何も見ることがない状況だった。

何も手段を持たず、自分の気持ちだけではどうにも動かすことのできない現実を前に、ひたすら途方に暮れた。

何もない私にはどうすることもできなかった。

だからブログだって、「これで繋がる」なんてちっとも思わず、書けば道が開くかもしれない、と宝くじを当てるぐらいのありえない現実を夢見て始めたことだった。

絶望だらけの時間ももう先には何もない現実も、私にはそれを受け入れる他ないこともよく覚えている。

だから今みたいな現実は1ミリも想像できなかった。

ブログが繋がる手段になってくれるなんて思わなかった。

ある日のおぼろ月の夕方、「ブログ」と降ってわいてきたあの言葉をキャッチした時、今思えば未来からのヒントだったんじゃないかなと思う。

私が考えて思いついた感じとは違ったし、実際に私は何をそんな!?冗談でしょ!?って反応が最初の反応だった。

だけど、やらなきゃ本当のゼロだから、やって可能性をゼロからミクロでも「有る」方の確率に引き上げようと心が決まった。

普段そんなことも思わないけれど、私は書くのが全く苦にならないし、むしろ書くことはある種の心の運動みたいな機能もあるから、いくらでも書ける、そういう性質を帯びた自分で良かったなと思う。

書かなければ本当にゼロで、今ある現実は1つも起こらなかったことがわかる。

私が積み重ねたように、その人もその人でコツコツと積み重ねてくれた時間を心からありがたいと思うし、そのおかげで今ある自分の中の色んなものを持てている。





人生の中には、やるべきこととやらなくてもいいこと、やる必要のあることとやってもやらなくてもどちらでもいいことがある。

このブログは、やらなくていいことで、やるやらないはどちらでもいいことになる。

やらなくても死なないし、困ることも基本ない。

でもやりたい私がいて、やらなくても困りはしないけれど、心残りになるものではあった。

そうやって自分の気持ちを一番にできたことがこのブログの中でも大きなことだと感じている。

やってもやらなくてもいいことで何かをやると自信になる。

そして、それが自分にさらなる恩恵ーその人と繋がる手段となってくれたわけだから、もっともっと大きな自信となって自分の元に戻ってきた。

前はブログ要員だけでは十分なんて思えなかったけれども、今はそれで十分だと思えるようになった自分もいる。

それが私の立ち位置とか役割的なものなのかもしれないし、本当に縁がある人なんだとは思うけれども、それがすなわちもっと踏み込んだ関係になるとかいうのとは違うタイプの繋がりなのかもしれないと思い始めてる。

名前も付けられないような関係性でも、それが正解の場合だってあるだろうし、魂の領域のことは私にはどうにもできないから、もうなるようにしかならない、と思っている。

もしかしたら、その人もその人で、私がこうして自分の人生を信頼できるようになるために手助けしてくれるのが1番の担当部署で、そのために私の人生に現れてくれたのかもしれない。

それこそ、その人にとって私と残りの人生で一度も顔を合わせないことで困ることなんかないだろうし、私と会うこと自体不要不急の最たるものだろうと思う。

もう今生で二度と会えなくても、それが自分の人生ならそれを受け入れて生きていくことを私はできると思っている。

この3年できたんだから、これからだって大丈夫だと思う。

いつか私も縁あって誰かと一緒になれるかもしれないし、その人こそ本当に私じゃなくていいでしょ、とそれは今でも思っている。

寂しくないわけないけれど、かと言ってそんなの強要することではないし、無理強いできるものでもない。

ブログ要員ならブログ要員でいいし、それで私がその人の人生の中でどこか立ち位置的なものを与えてもらえるなら、私は今後も喜んでブログ要員をする。

そんな風に思うようにもなってきた。





先日面白い記事を読んだ。

本能について書かれたもので、話はこうだった。

動物たちは、例えばカラスなら人間側から見たカラスはどれも同じに見えるけれども、カラスからするとどのガラスが自分の伴侶だったり子どもだったりするか本能でわかる。

またある虫は、子どもを育てるために別の虫を自分たちの巣に入れて、それを食糧か何かにするらしいけれど、その時にその別の虫を殺すのではなくその虫の特定の神経に針を刺して生きた状態を保ったまま捕獲するらしい。

その神経というのもピンポイントで「ここ」というのがあるらしく、それに寸分違わずきちんと針を刺すとのこと。

カラスもその虫もどちらもそれをやりなさいと強制されたのでもなければ、誰かに教えられたのでもないのに、そうしたことを絶対の確率で引き当てる様子を「本能」と書いてあった。

それは人間にも当てはまることで、本能に基づいて絶対の確証を持って動いたり、誰かと出会ったりするとあった。

その人との出逢いはまさに本能的だったなと今になってものすごく思う。

初めて会った日にその人が私に向けてくれた表情は、この世のものとは思えないくらいにキラキラしていた。

私は勝手にイケメンだから漫画みたいにその人の周りはキラキラしてるのかと本気でそう思った。

本当に少女マンガとかに出てくる、イケメン登場のシーンでキラキラした背景みたく、その人からはキラキラした空気が放たれていた。

しかもそれはその時だけじゃなく、基本的にいつの時もその人からはそのキラキラオーラみたいなのが放たれていて、とにかく透明のキラキラした何かがある。

それが消えてしまう時というのも私は見ていて、嫌悪なのか憎悪なのか不快感なのか、その名は知らないけれど、そういう良からぬものがその人の中に湧く時、そのキラキラは消え失せる。

3年前の9月に私は、何回かその状態を目の前で見て、本当に私のことが嫌なんだな…と否が応でも認めざるを得なかった。

それはそうと、あのキラキラ透明オーラは、もしかしたら私だけに見えていたものだったのかもしれないなと思う。

それこそ、本能で嗅ぎ分けるみたいな、かなり動物的な感覚に近かったと思う。

今の職場で日々100人以上の男性たちを見ているけれども、そして私はけっこう目を凝らしてそれぞれの人がまとっている空気や雰囲気を観察しているけれど、その人から出ていたような空気感にはあの前もあの後も一度も出くわしていない。

その人にだけ付いている特別なオーラなんだと思う。

そして、本当の本当にもしかすると、私にだけ見えているものなのかもしれない。

私はオーラとか見えないし、霊的なものも全く見えない人だけれど、その人に限っては見える、私の本能にそもそも組み込まれたプログラムだったりして…なんてそんな妄想を繰り広げている。

いずれにしても、その人のことだけは私もきちんと感知できるように、本能的な部分がかなり活躍したんじゃないかと思っている。

このままブログ要員でも、いつかもう何の接点もなくなっても、その人と出逢えたことで手にした自分の中の感覚は一生モノだろうと思っている。

十分すぎるほどその人から色んなものをもたらしてもらったから、それがこの出逢いの全てだったのかもしれない。

たとえその人を構成するものの0.01%しか知らなくても、それで私の場合は十二分に足りるくらい、その人が自分の人生に登場してくれたことはとっても大きかった。

そして、もしかしたら、逆に何も知らなかったからこそ、そこまで色んなことに気付けたのかもしれない。

ただただ純粋に相手のことだけを見るなんて、もしかすると人生で初めてだったかもしれない。

喋れないのは損だとばかり思っていたけれど、その人の限りにおいては喋れないことがより多くのその人の違う面を見れていた気がする。

その当時のシーンを誰に奪われることもなく大事に堪能できるのは、発見した私の特権だと思う。





これ最後の位置にしようと思うけれど、書いてるのは最初の段落の後に書いている。

新月の具合なのか連日の残業のせいなのかそれとも別の理由か、疲れが蓄積されたように身体はなっていて、ここ数日布団に横になったまま寝落ちして、真夜中に目が覚めるパターンを繰り返している。

今日金曜日もそのパターンだった。

突然2つのことが頭をチラついた。

その人が後編を気にしてくれたらいいなということ。

前編があったんだから後編もあるだろう?どうなってるんだ?でも何でもいいから、それを心待ちみたくしてくれたのなら本当に嬉しいなぁと、相変わらず頭の中お花畑みたいなことを思った。

もう1つは、3年前の夏の時々あったシーンだった。

私は時々コピー機を占領してそこで仕事をしないといけなかった。

とにかくずっとコピー機に張り付いて、そんな時に不意打ちにその人が突然やってきて、「すみません」と小さく言いながら自分がパソコンから出力したものを取って行った。

仕事なんだから当たり前のことだし、だから何ということはもちろん何もないんだけれど、私はその瞬間いつもドキッとして、自分が汗臭くないか気にしたり嬉しくなったり、瞬時に色んなことを思って毎回忙しくなっていた。

仕事で全く絡みのないその人と私だったから、近づくことはゼロと言ってもいいくらいになくて、だからその人が来てくれる(ただコピーしたものを取りにくる)その瞬間が理由もなくとにかく嬉しかった。

声も聞けて、その人と身体的距離も近くなって、ほんと中学生みたいな反応の自分だったけれども、コピー機の前に立ち続ける仕事には何1つ興味は湧かなかったけれど、その瞬間だけとてつもなく特別な瞬間に生まれ変わって、そのためならもっとコピーしても良いくらいだった。

こうして書きながら、その人から見てどうってことない風景で記憶にすらないかもしれないけれど、あんなにも近くにいられたんだなぁ…としみじみとした。

触れられそうなくらい近くにいられることって、遙か銀河彼方の、理科の弱い私が言うと単位とか色々間違っている可能性大だけど、「光年」とかいう地球と星?天体?月?との距離みたく、本来なら接近することさえないくらいのものが接近したくらいに凄いことだった。

人と人との出会いが、同じ時代に生きてすぐ隣りにいるとかいう確率は、自分の家のトイレに隕石が降って落ちてくるぐらいのものと一説には言われているけれど、まさにそういうものだった。

3年経っても全然色褪せることなく、そのシーンが目覚めと共に即出てきた時には、あの近さが今さらながらとても羨ましく、夢みたいな現実だったなぁと思ってみたり、もうあんな風に近くにいられることは人生の中で訪れないだろうと思って寂しくなったりした。

当時の私は、3年くらいしたら色々と忘れるのかと思っていた。

3年しても忘れることは全くなかった。

自分のしつこさにドン引きしながらも、生涯忘れることなんかできない人なんだと今は思うようになった。

その人自身はそんなことなくても、実はその人の魂も喜んでるんじゃないかと思う。

出会いは片方だけの事情で成立することはない。

その人の魂からしても私もとい私の魂と再会することを待ち望んだのかもしれない。

魂側はミッションクリアなら、もうそれ以上何かを望むなんてしないようにも思う。

たったひと夏の、それも何にも期待もせずに行った場所で、私も私の魂もおおいに青春を謳歌したんだと思う。

そしてその人がいなくなった後の3年間は苦行と修行のダブルパンチ並みに強烈だったけれど、今ここに立って、すべては自分のためになったと自信を持って言える。

ひたすら自愛にセルフケアに励んだ3年で、それはそれでなくてはならないことだったから、大切な経験をさせてもらった。

もし過去に戻るタイムマシーンに乗れるとするなら、私はその人の存在に気付いた瞬間にセットする。

顔が真っ赤になるくらいに焼けた炎天下のもと、その人がサッと私の元にやってきた、その瞬間にセットしたい。

でもそこじゃなくて、その人が最後に私に笑顔を向けてくれた瞬間も捨てがたい。

一生のうちで、机の上のせんべいに気付きましたか?なんて質問、あれが間違いなく最初で最後になる。

まぬけな質問で、仕事のテンションを下げる効果はあっても上げる効果なんて全くないそんな質問にも関わらず、その人は私に笑顔で応対してくれてた。

薄暗い中でそこだけがピカピカしていそうなくらい、そして誰が見ていなくてもいつもきちんと仕事をしているその人の普段の姿が今でもはっきりと姿かたちを持って私の中に残っている。

また今年の夏の終わりも、3年前を辿る自分の中のタイムトリップをしたいと思う。

もう二度とは戻らないその時を、今年も自分の中から出てくるままの気持ちに任せて当時の振り返りを堪能したい。

2020年8月19日水曜日

㉙【おいせさん手帳】獅子座新月ー2020.08.19



朝仕事に行く直前に上手く綺麗に撮れた花
(職場の門近くのお宅のお花)




おいせさん手帳第29回目
担当:私

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


8月19日

自分の心の鍵を外して想いをすくい上げる。
獅子座の新月

獅子座の月は、自分の心の中にある様々な想いや感じていることを外に出したくなる衝動に、救いの手を差し伸べてくれます。
普段ならグッと抑え込んでいるものも今日は月の力を借りて吐き出してみます。
新月だからこそ、自分の本当の願いに耳を傾けてみましょう。
誰にも何にも気兼ねせず、あなただけの望みを自分に聞いてもらいましょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




たまには日付変更線越えてすぐのアップを目指してみようかと思う。

新月とあらば、より一層すぐのアップがいい気がしている。

午前11時41分に新月になる模様。




自分の気持ちに正直になるというのは難しい。

大人になるにつれて、「大人の事情」をどんどん覚えていく。

大人の事情を察知したり読んだりするのが上手くなる。

そしてそれが上手くなればなるほど、色んなことがやりにくくなる。

さらには、自分の気持ちがわからなくなったり、自分の本音が心の奥底に押しやられて、気付けば何が本音で何が建前かさえもわからなくなったりする。

そんな大人っぽく振る舞う自分にいきなり本音を訊ねても、「?」な反応が返ってきたり、自分の心の声を聞くなんてとんでもなく最初はハードルが高かったりする。

そんな時に私がよく最初の頃やっていたことを紹介したい。



☆何が食べたいかを自分にたずねる

食べたいものはその日によって違うし、外食でも作って食べるでも買って食べるでも、自分で選べる状況にある時は、どういう手段でも食べたいものが何かを自分に聞くことをよくしてた。


☆小さな買物を真剣に選んでみる

コンビニで何かしらのおやつを買うでも、お気に入りのペンを見つけるでも、人に書く手紙の用意でも、とにかく小さな買物を全力で意識して選ぶことをよくしていた。


☆いつもとは違う道を通ってみる

違う道を通ると、普段見ない景色や雰囲気に行き当たったりする。

それは自分の知ってる世界に新しい回路を開く感じと似ている。


☆とにかくダラダラしまくる

自分の気持ちや本音をキャッチするのに、何かに追い込まれていたり、心の余裕がなかったりすると、どうしてもキャッチ力が低下する。

だから、自分の中の空きスペースを作るかのようにダラダラしてゆったりと過ごすのは、自分に余力をプレゼントすることができる。


☆お気に入りのものを身につけたり日常使いする

服やかばん、靴なんかでもいいし、食器やタオルなんかでもいい。

とにかくそれを自分のために用意したり使うことで、自分の中に満たされる感覚とか、心地良い感覚とかが出てくる。




こういうハードルの低いことをすることで、自分の感覚がどんどん磨かれていく。

そして、数を重ねれば重ねるほど、「自己信頼」なるものが積み重なって大きくなっていく。

そういうのは自分の感覚でしかないから、外側から付けてもらうのは難しい。

自分の中で試行錯誤しながらも色々積み重ねるからこそ、自分への信頼が高まるんだと思う。

そうしたプロセスをたくさん経ることで、少しずつ自分の本音とか気持ちに気付きやすくなってくる。

最初からいきなり上手くはいかなくても、徐々にコツがつかめるようになってくる。




せっかくの新月だから、今日は1つ自分に何かを与えるのも自分の声を聴くことになる。

新月の願い事として、自分の好きなものを自分に与えるでも十分願い事が叶うことに繋がる。

私も思いがけない新月に、今日はどんな特別を自分にプレゼントしようかとワクワクしている。

普段はしないような小さな特別を自分のために用意するのもとっても粋なことだなぁと思っている。

2020年8月17日月曜日

夏の終わり2020【前】




今回書くことを思い浮かべながら運転していたら、向こう側の空に虹が見えた。

ものすごくテンションが上がった。

建物が密集している方向に向かっている。

急遽変更して、屋上駐車場のあるスーパーに立ち寄った。

高い位置からなら虹がよく見えると思ったから。

ところがどっこい、なぜか屋上には通行禁止で上がれず、仕方なしに行ける最上階の転落防止ネット越しに虹を撮影した。

虹なのか彩雲なのかわからなかったけれど、これでいいんだよ!と言われてるみたいだった。

そして、虹を見た橋の上というのが、大きな打ち上げ花火が上がる川の上だった。

3年前の夏、一緒には全く行ってないけれども、同じ日同じような場所で同じ花火を見ていた、そのスポットに程近いところを私はちょうど通過していた。

自分の3年間が肯定されたみたいだった。

そして、その風景はこれから書こうとすることも、それでいいんだよと言われてるみたいだった。





8月入って何日かしてから、これから書こうとすることを「書きたい!」と思った。

私なりの変化で、それを猛烈に書きたい!衝動に駆られた。

書くためのテンションを整えて、自分の気持ちが変わらないかどうかも毎日確認した。

本当に変わらない不動のところまで辿り着けた気がする。

そこを丁寧に書いていきたい。





もう何回も書いていることではあるけれど、それは私の中では毎回少しずつ違う気付きや発見があるから、その新しい側面を書きたい。

長い手書きの手紙を書いた時もだし、このブログを再開した時もそうだけど、私はほんのちょびっとだけそこに希望を託した。

ちょびっとだけ希望を託した理由は、そうであって欲しい気持ちはどこまでもあったけれど、それを本当に希望とするにはあまりにも怖すぎて、それで託すのはちょびっとだけにした。

願うのは全力、でも希望を託すのはちょびっとにした。

手紙を書く少し前だったと思う。

とあるエッセイに書かれていた言葉で、せめて、せめて、私もそれを目指したい、そんな風に思ったことだった。

自分の想いが通じるとか届くとか、もはやそんなこと望んではいけないくらいに亀裂が入りまくりだった当時。

私は自分のすべてが迷惑で厄介者で、消えて欲しいとかウザいとか、実際はよくわからないけれど、本当に私という人が無理なんだろうと思った。

手紙は手紙で、書いたらやたらとボリューミーになってしまって、それもまた頭の痛い結果を渡す前から生み出して、歓迎されない理由を自ら作り出してしまった。

そうした中で私が小さく託した希望だった。

それで相手が私の方を向いてくれるとか個人的に連絡を取るなり会うなりしてくれるとは、本気で思えなかったし、実際にそのようにはならず今の今に至っている。

そうではなく、私が託したことはもっと別のことだった。

私が書くものがその人にとって、本当に心がピンチの時、自分の中の自信がない時、何も信じられないような時、心が弱った時…、そういうような時に少しでもお守りになったりとか元気をもらえるものになってくれたのなら本当にいいなぁと思った。

読んでもらえるかどうかさえも危ういというのに、私はそれを望んだ。

自分でもなんとも図々しくなんていう無神経というか普通に読んでもらえるかどうかさえも怪しいのに、よくそんなこと望めるね…というような希望だった。

自分でもどうかしている、と希望以上にそれは思った。

でもそれはほんのちょびっとだけ希望として託した。

本当にそうなったら嬉しい…、という私のエゴ丸出しな、相手のことなんか何も考えず、自分側の超身勝手な願い事だった。





手紙はさすがに少しは自粛した。

手元に残る可能性もあるから、何でもかんでも書けばいいのとは違った。

でもその中にも私は少しだけ、お守りとはならなくても、私の目で目一杯見て気付いたことを言葉にして書いた。

その人の良いところをくどくなったり重くなったりしない程度に書いた。

それがその人のお守りになってくれたらいいな…と大真面目に願いながら書いた。

読まれたのか読まれずに捨てられたのかもわからなかった手紙の後、何の音沙汰もないままその人の転勤が現実のものとなった。

いなくなって2回目の週の終わりに私は突然「ブログ」と思った。

思ったのとも少し違っていて、正しくは「ブログ」と突然言葉が降ってきたみたいな感じだった。

はぁ〜〜〜!?何言ってくれてんの!?、と声には出なかったけれども、実際は何とぼけたことを突然思い浮かべているのかと思った。

しかも普通に考えて、仮にブログを私が書いたとして、それに相手が気付いて読んでくれるなんてどんな可能性なのかと思った。

ブログにたどり着くには、まず私の名前を検索しないとだし、名前をフルネームで手紙の終わりに書いたけれど、そもそもの私のフルネームなんて知ってるのかも怪しかった。
(上司ではあったけれど、厳密に言うと上司と私とは同じ会社ではなく、私の諸々を管理していたのは関連会社側の方で、よってその人が私の名前をフルネームで知る必要とか何か記入や入力をする必要なんて全くなかったわけで、しかも社内のどこを見ても私の名前が書かれたものはなかったから、私の名前知ってますか?ばりの知られていない疑惑付きだった。)

さすがにそんな可能性、万が一にもあるなんて私だってちっとも思わなかった。

なんだけど、その後たかが10分もしないうちに、次から次へと「ブログ書くんだよ」と言わんばかりにその人にまつわるサインが目の前にどんどん立ち現れた。

3つのサインが一気に数分の間に目の前でまるで映画の上映会のごとく出てきたから、本気で驚いた。

まずは、右折するところで右折レーンの列に入ったら、目の前の車がその人の名字が入っているおいしい洋菓子屋さんの車だった。

ちなみにうんと後になって、私は直接客となってその洋菓子屋さんに出向いて、あの名前入りの車が何台あるのか、店の奥さんと思しき人に確認したことがあった。

1台だけと教えてもらった。

そう、この世でたった1台の車に、どういうわけかあの日の私はバッタリ遭遇した。

ちなみにその車とすれ違うことはあの後も何回かあったけれども、あの時以降目の前にその車がやってきたことは一度もない。

本当に一度きりの千載一遇な機会にあの時の私は恵まれた。

あの日、おぼろ月が出ていて、それを見るために高台に行くのがいいかも…と思った。

で、高台に行く前にその洋菓子屋さんに寄っておいしいお菓子を買って持って行って、高台でしばらく過ごすのでもいいなと思った。

もうお店屋さんまで1キロ圏内に入っていたから、私はそのまま洋菓子屋さんの車について行ったらいいと思ってついて行った。

小道に入るから、まぁ近道なんだろう…と思ったら、洋菓子屋さんの車がウインカーを出して止まった。

どこだろう?と思ったら、そこはなんとなんとのその人が足繁く通っていたお店の通用口の方だった。

ちなみに仕事のやりとり以外で何一つ話すことができなかった私がその人のプライベートなんか知るわけもなく、私が社内で唯一仲良くしていたSさんという方からその情報をもらった。

Sさんが、その人が転勤でいなくなる前に、足繁く通った店のスタンプカードをもらったと言って見せてくれたのは、まさにその通用口的なところに止まったその店舗だった。

度肝を抜かれた。

ただ私は用事はないから、まさか止まるわけにも行かず、大きな道に抜けるだろうと思ってそのまま車を前に進めた。

大きな道に出そうな交差点に差し掛かった時、今度はその人が乗っていた車と同じ車種の車が目の前を通った。

そこは1本小路に入った道ゆえに、交通量が少ない。

そんなところに、その人と同じ車種の車が通るわけだから、本当に驚いた。

しかもその人の乗っていた車というのは、極端に販売台数が少ない。←いつだったか販売台数を調べた(苦笑)。

名前入りの洋菓子屋さんの車にポイントカードいっぱいになるくらいに通い詰めた店に本人と同じ車種の車、そんなのが3つも立て続けに、しかも時間にして5分どころか3分くらいの話だと思う、そんな短時間に立て続けにやってくるものだから、それで私はブログを書こうと覚悟が決まった。

なんかよくわからないけれど、これだけサインが立て続けに来るわけだから、書いて大丈夫、少なくとも害にはならないだろうと思った。




ちなみに、Sさんからポイントカードを引き継いだ話は、単なるポイントカードの話ではなかった。

その人がいなくなって何日もしない時に、私はSさんの隣りの席でファイル関連の仕事をしていた。

Sさんが突然のように、どういう行動がイケメン行為だと思うか?と私に話を振ってきた。

イケメン行為ではなく胸キュン行為だったかもしれない。

もう本人いないからいいかと思って、私はその人が私にしてくれたイケメン行為についてSさんに話した。

Sさんはそれを聞いて「えー!そんなことしてくれたの?たしかに胸キュンですねー!でもそんな気がきく方じゃないと思うんだけど」というような返しが返ってきた。

「私なんかもらっても、〇〇さんが通っていた☆☆☆のポイントカードだったのにぃ!
ほら見てください!すっごい通ってたでしょ!」
と言いながら、Sさんは自分の財布からそのポイントカードを取り出して見せてくれた。

あと少しでポイントいっぱいになりそうなポイントカードだった。

今思うと不思議な流れだった。

別にそのポイントカードを見ることがその時の一番の目的でもなければ、その人の行きつけの店の話でもなかった。

たまたま話の流れで知ることになったものだった。

しかもイケメン行為だったか胸キュン行為だったかで私が話したことで生まれた流れだった。

その時に話したことが、まさかブログを再開する流れに繋がっていくなんて、その時の私は知る由もなければ、そんなこととブログを結びつけることも一切なかった。




そんなこんなで再開したこのブログだった。

手紙には書けなかったことを3つの記事に分けて書いた。

それはどれも完全に私目線の内容だった。

そしてそれとは別に、本当にその人だけに向けた話を1つ書いた。

その人も私も出てこない、だけど、本人が読めばそれが自分に向けられたメッセージだと気付くだろうことを書いた。

私の読みが違わなければ本人が気にしているだろうこと、それもかなりマイナス側に気にしていそうなこと、そのことを私は私が目には見えてはいない部分で感じていることを書いた。

本人が気にしているだろうことは決してマイナスではないこと、むしろそこには計り知れない可能性があること、そういう特徴を持つ人たちに共通している素晴らしい点なんかを書いた。

本人が読むわけもないと思いつつも、あの時の私は本当に必死で、それをできるだけ丁寧に言葉にした。

その人に伝わって欲しかった。

届いて欲しかった。

私がブログに書いて可能性を自分のために作ったのは、それは単に「何もしなければゼロ」から「何かしたのなら、とりあえず0%ではなくなる」というだけのものだった。

その人と繋がりたいとかいうよりも、自分の思っていることや考えていることが相手に少しでも届いて欲しい、そういう気持ちの方が強かったかもしれない。

当時、私がブログを書いた話をしたら、「えー!?その人がブログを読むなんてことある!?」とものすごく否定的な言葉が返ってきたことがあった。

そんなこと、万が一にもないというようなことも言われた。

ごもっともな反応だし、私だって読んでもらえるなんてほぼほぼ思わなかったわけで、でも小さな可能性とも呼べない可能性に賭けて書いてるんだけどな私…、とやるせない気持ちになった時のことも憶えている。

そんな風に始まったこのブログだった。





あれから3年くらいになる。

信じられないことが起こった。

私が想定したたった1人の読者であるその人がブログを見てくれてる。

嘘みたいな本当の話で、相変わらず本人は沈黙を保ったままだし、何か私に連絡をくれるとかそんなことは一切ない。

だけど、読んではくれているし、そして再開した時に書いた記事の中の唯一メッセージ的な、その人に向けたエールみたいな、その記事がかなりな回数読まれている。

他にもこの3年でたくさんの記事をアップした中に、その人だけに向けたものがかなりある。

私が意図したものがイマイチ読まれていないのは残念だけど、それでもいくつかのものは何がどう良かったのか知らないけれど、とにかく読んでもらえてる。

ここに書いたことはこれまでもどこかしらに書いてきたし目新しいことではないけれども、ここからが本当にこれまでとは違う自分側の視点で、前置き長すぎたけれど、その新しい視点を書きたい。





手紙にしてもブログにしても、何か明確な答えとか欲しい未来とかやって得することとか、そういうのがはっきりして始めたことでは一切なかった。

むしろ、そんなものたちは1つとして期待できない、むしろ相手側の負担とか迷惑とかになる可能性の方がどこまでも大きくて、それらも踏まえて覚悟して、なんなら今以上に嫌われるウザがられる気持ち悪がられる、そういうことも覚悟しなきゃできないことだった。

本気であらゆる負の波紋も覚悟しての手紙でブログだった。

何かに繋がるとか何かになってくれるとか、そんなのは期待できない。

そういう中で始めたことだった。

そうした行為が何だったのかと言えば、自分の気持ちを1番にしたこと、何よりも自分の想いを優先させたことで、そして今になってやっとやっとわかった、それは自分を大事にすることそのものだった。

世間的な常識とか相手側の負担とかよりも、私がどうしたいかを1番にした。

そしてブログに関して言えばさらなるプラスがある。

その人に向けたメッセージは、私の単なる思いつきとかではなく、それは私の人生の一部で、そして私と出会ってくれた色んな人たちがいて初めて完成するもので、そういう色んなことが重なって初めて形になってその人にも届く可能性のあるものだった。

私の書くものは、たしかに私自身が経験していることではあるけれど、それらはどれを取っても私1人では完成しない。

長い時間自分との戦いもさることながら、色んな人たちと出会って集ってそしてそこにだけ生まれる物語がある。

私の生き様だったり誰かの生き様だったりして、それらが融合した先にこのブログの中の言葉がある。

それを出すことはある意味とっても怖いことでもあった。

ただでさえ迷惑みたいな私がそこにいることすらが害と言わんばかりの態度を目の前にして、それでも私は自分が信じてるものを外に向けて出せるかと言ったら、それはもう本当に怖いことだった。

しかもその人の個人的なことを何も知らない私が、私が見てその人もおそらく気にしているだろうことを口にするなんて、嫌がらせになったり、おまえに言われたくないみたいな内容の可能性でもあったりするわけで、本当に自分の中が極限まで試されるようなものだった。

それでも、私は伝えたい、だったと思う。

もっと嫌われたくないしさらに嫌がられるとか気持ち悪がられるなんて嫌だったけれども、それ以上に伝えたい気持ちの方が強かった。

あまり細かくはもう覚えてないけれど、ブログの下書きをひたすらパソコンのWordに打ち込んだ。

さっき計算したら、再開した時の4つの記事を合わせて約21,000文字あった。

どのくらいの時間パソコンに向き合っていたのかは知らないけれど、日付を見たらその日は月曜日だった。

そしてさっき見て気付いたけれど、「ブログ」とパッと出てきた後に実際にネットカフェに行って、アップできるのかどうかを確認している。

そのテストブログがアップできたから、次は日を改めてまたアップした。

週末にまとめて一気に書いたんだと思う。

当時は今と違って、ブログのどの記事が読まれたとか訪問者数を確認する機能に一切気付いていなかったから、読まれてたのかどうかなんてさっぱりわからなかった。

何の確証もない中で私はひたすら綴って、そしてネットカフェに通ってアップするというスタイルを長らく続けていた。

だから現実として、その人がいつ私のブログを発見して読み始めてくれたのかは知らない。

少なくとも数ヶ月は知らないままだったから、本当に何も知らずにせっせと書いていたわけで、今思えば本当に自分の気持ち1つだけで書いていたなぁとしみじみと思う。





自分を大事にする話に戻したい。

私が選んだことは、自分が最も納得できそうなことだった。

疑心暗鬼になりながらも、そんなことしてどんな意味があるのかという自問自答は最後の最後まであったけれども、それでも選んだのは自分がしたいことだった。

そして最後は、「ミクロみたいな数えられない確率であっても、本当に必要なら届く」という心構えを自分にプレゼントした。

届く確率の方が普通にどう考えても低いわけで、だったらやってもやらなくても同じなら、少しでも可能性を生んでくれる「やる」の方を選んだらいい、そんな思考プロセスが働いたかと思う。

そんな風にして動き出したものが、こうして今繋がっている。

最初に読まれた記事が何かを知る機能を見つけた時、たまたまかと思った。

その機能を通じて本当の本当に確信できたのはここ最近で、特に「99%確信」できたのは今月に入ってからだった。

その人にまつわる話の記事が、同じような時間帯にピンポイントで読まれていると知った時だった。

そういうことは今までもあったけれども、今回はその中でもこれまでの積み重ねや時間の経過のおかげもあって、いつも以上に確信できた。

何百とある記事の中で、ピンポイントでピッタリの内容ばかりを選りすぐって読むのはものすごく難しい。

書いている私でさえも、そんな風に把握できていない。

だけど、その人はピンポイントでどの記事がどの日に書かれているか把握しているのか、はたまた超ポジティブに捉えたらブックマークされてるのか知らないけれども、とにかく何かしらの方法で把握していて目を通してくれてる。

何せ訪問者が極端に少ないブログだから、そういうこともキッチリとブログ内の機能が拾ってくれる。

これが人気ブログで読者も何十人何百人何千人といたら無理だったと思う。

だけど、宣伝も一切していないし、本当に自分のための記録簿みたくなってきたこのブログは、読んでお得な情報もなければタメになる話もない、よって好きこのんで読んでくれる人たちというのは超超超奇特だし、普通の人はせいぜいアップされた最新版のみを読んでくれてる風だけど、その人だけは最新版にはそこまで興味がないのか、過去の決まった記事たちを順ぐりに読んでいる風だ。

中にはその話そんなに面白い!?と真面目につっこんで聞いてみたい記事もけっこうあるけれど、人の好みはそれぞれだから、私にはわからないグッドポイントがあるのかもしれない。

ちなみに核心に迫る風の記事は読みたくないのかそれとも意図的に避けているのか知らないけれど、そういうのはあまり読まれていない。

そういうところを見ると、自分は本当のブログ要員なんだなと思ってしまう。

でも何にしても、その人がなぜブログをチェックしてくれるのかも知らないけれど、こうして信じられないミラクルな形でなぜか繋がりが生まれたのは単純にとっても嬉しい。

少なくとも、心の底から毛嫌いするほど嫌というのとは違うんだろうなぁとようやく最近そのように思えるようになってきた。

本気の毛嫌い、超危険人物認定されたのなら、間違いなくこのブログなんかスルーされて終わりだと思う。

でもそうではない、少なくともブログを読んでもいいと思える立ち位置に私はいられると、ようやくそういうことも受け入れられるようになってきた。

ごはん誘ってから最後の日まで、その間数回のやりとりとも呼びにくいやりとりがあったけれど、あれはどんなにスーパーポジティブに捉えたとしても、自分が好かれてるかもとか好意的に思われてるとはとてもじゃないけれど思えない。

いま風に書くと「オワタ」としか言えないほどに終わっていたし、人害なんて言葉があるならまさに私が人害の張本人と言わんばかりの有り様だった。

最後に挨拶した時なんか、あまりの冷たさにそちらの理由で涙が出そうなくらいだった。

最後まで強烈パンチを喰らって、ありがとうの代わりにごめんなさいと言う方が最も相応しい挨拶じゃないかと思ったほどだった。

そんな中で書き始めたブログで、そもそも私のブログを読んでもらえるなんて、夢のまた夢状態だった。

冗談抜きで本当に自分が超絶がんばったし、ありったけの勇気を振り絞ったなと思う。

実際には、人間としての私よりも魂としての私が本領発揮したのかなと思っている。

どんな手段でもいいから伝えたかったのと繋がれるなら繋がりたかった、そういう気持ちを普段の私からでは考えられないような行動力で現実を動かしていた。

そんな中で自分のやったことがプラスとなって戻ってきたことは、私にとってものすごく大きな自信となって返ってきている。

自分の中だって99%以上はあきらめの気持ちでたくさん溢れ返っていたし、届く繋がる自信なんかちっともなかった。

無我夢中でやれたからやれただけであって、万一にも勝算なんてなかった。

どれも現実的ではなかったし、そんな奇跡みたいなこと、それこそ宝くじ1億円を10回連続で当てるぐらいの確率だった、当時の私からしてみたら。

そして本当に読んでるかも!?と気付いてからも、これは嘘かもしれないとか、たまたまかもとか、読んでるのは本人じゃなく他の人かもしれないとか、色んなことを思った。

そんなこんなを3年近く積み重ねてきて、ようやくここに来て「本当に本人が読んでくれてる」と疑わずにそうだと受け取れるようになってきた。





私にとって書く行為というのは、単に書いてるんじゃなくて、自分を明らかにする、それもカッコいい自分じゃなく、世間に堂々と見せられない自分を出している。

ある時から、私は遠慮して嘘偽りとは言わずとも隠したい自分を隠したままなのはどうなんだろう…と思うようになった。

引きこもりでニートな自分なんかは公にしたくない自分の代表例だった。

でもそこさえも徐々に切り替えて、そういう自分も確実にいるから、そんな価値観受け入れられないと思えば、読むのを止めるだろうと思って、それで少しずつ書くようになった。

気付けば、そんな風に色んなカミングアウトをしてからも、その人は読み続けてくれてる。

本当に読んでくれてるのかは知らないけれど、チェックするくらいには問題ない立ち位置には立ててるようで、それは純粋に嬉しい。

勇気の要ることはたくさんあったけれど、どれもこれもやって本当に良かった。

0のものを1にする、そのプロセスを存分に味わってきた。

しかも、単なる1じゃない。

本当に自分の感じていることを真っ直ぐ形にする、大人になってから何よりも難しいことをやり続けての1を獲得している。

色んな人たちが私に見せてくれた姿で紡いだメッセージは、特に私1人では絶対に書けないものだった。

そしてそこにその人に届いて欲しいという、まんま自分の私情を盛り込んだわけで、それが届くにはそれを書いた当時の自分だけじゃなく、そこまで人生を歩いてきた自分が絶対的に必要で、その自分にしか書けないことで、それが届いたというのは言葉にできないほどの感動がある。

私の生き様なくしては生まれない言葉たちで、その自分の人生賭けてのことが相手にも何かしらの形で届くなんていうのは、本気の奇跡に他ならない。

そして、ここにくるまで、もちろん私側も続けることが必要だったけれども、その人もその人で積み重ねてくれたんだなぁと思っている。

今も、いつどの瞬間からもその人が読むのを止めることや完全に断ち切られてしまう恐怖は常にある。

たまには良いことも書いてるかもしれないけれど、基本的にダラダラと長いし、だから何だ!?って内容だし、決して読みやすいものではないと思う。

さらには普通に遠慮なく本人のことを赤裸々に書いているし、耳の痛いことも書いているんだろうなぁとも思っている。

そういうことがたくさんあった中でも読み続けてもらえたことは、本当にたくさんのものを私に与えてくれた。

1つには自信。

私が言う「自信」は、自分を信じる力のこと。

自分が瞬間瞬間選んだもの、要は手紙だったりブログだったり、そういうものを書こうと決めたこと、実際に書いたこと、実際に渡したこと、実際にこうして発信したこと、そうした1つ1つのその時々の選択が今に繋がっている。

その1つ1つのプロセスにその人も何だかんだと付き合ってくれたわけで、それについては感謝しかない。

そして、その自信は私が自分だけで与えられるものとは違う。

その人から与えられたものの1つだと私は思っている。

いかにも魂プログラムだなと思うけれど、本当に全身全霊で信じる力を与えてくれてるのは、足長おじさんみたいな見えないところでずっと変わらずにいてくれるその人の存在がとてつもなく大きい。





書きたいことがもう少し出てきたけれど、一旦ここで区切って、残りは後編に続けたい。

何日にも渡って少しずつ書いていたから、最初の頃に書こうとしていたことと、今追加で書きたいことと、messed upーめちゃくちゃになっているけれども、この感じもこれはこれで1通過点と思って、このままアップしようと思う。

最後に付けるのは、週末に見た携帯ニュースの画面。

はたから見たら何が何だかわからないと思うけれども、私にはきちんとわかる。

ちょっとかしこまったというか、少し背筋を伸ばして書くような内容の時、勇気を出して言葉を紡ぐような時、毎回決まって「大丈夫だよ」と言わんばかりのサインがくる。

この画面の中に私にはわかる暗号がある。

こうやっていつもいつも救われてきた。

今回も絶妙なタイミングでのサインで、思わずスクショを撮った。

こんな風に色々見えないところで支えながらの時間だった。


2020年8月10日月曜日

希望の種と「目標:自愛」

希望の種と「目標:自愛」

自分でタイトル考えてうっとり(♡´艸`)♡

本文これからなのに、タイトルだけで妙にツボって、すでに満足。

ここ数日思ったことのつれづれ。





これはもはや私の特技かもしれない。

子どもの頃から色々とある割に、私は「絶対に良くなる」とか「絶対にここから抜け出せる時が来る」とか、とにかく未来に対して明るく希望を持つところがある。

根拠なんて何もないし、何か約束されたわけでもない。

それでも、絶体絶命に感じるような状況下でも、本当に小さな小さな可能性だけはいつも最後まで捨てずに持ち続ける。

30代の数回に渡るニート引きこもりの時も、先々のことなんか何もわからないし、何度も布団の上から天井を寝ながら眺めては何も変わらない今日に超絶不安になりながらも、それでも小さく何かしら希望、もしかしたらいつかはここを抜けれる日がくるかもしれない…というようなものを持っていた。

それよりも不安がデカすぎて、そんなの一瞬で消え去っても、それでも小さな希望を持ち続ける自分のことは昨日の出来事のように感触を覚えている。

そういうものを持てるか持てないかは、本当に個人の力だと私は思っている。

自分をどうやって大事にするのかを、聞かれたままに話した時のこと。

相手の人から「それができればいいんだけれどね〜(=私には「できない宣言」に聞こえる)」や「それって難しいよね…」と返ってきた。

今日言って明日いきなり変わることはないけれども、時間もかかるし根気もいるけれど、それでもやったらやった分自分のところに返ってくるよ、と内心怒りを感じながら返した。

私には何で自分を大事にしようとしないのか理解できなかった。

だってそれはもう、他の誰でもない、自分しか自分のためにやってあげられない。

どんなに優秀なセラピストの人がいたとしても、それが長続きするような効果抜群なものは無いに等しい。

1人だけ仙人級の秘技を持ったヒーラーの大先生に会ったことがあるけれど、そんなの特殊中の特殊で、その大先生からサービスを受けない99%の一般ピープルは自力で頑張る他ないよと言いたい。

ちなみに、その大先生のヒーリングは凄くて、本当に細胞ごと相手のクセや悪い流れを断ち切るようで、たまたま2年連続でその先生のセミナーに行ったら、1年目その場で失神して先生から治療を施してもらった人が翌年見違えるほど変わっていて驚いた。

本人もとにかく色んな人たちから、何をしたらそんなにも若返るのかや元気になるのかを聞かれまくったらしいけれど、本人いわくそれ以前とそれ以後で何一つ生活は変えてないらしい。

唯一私が本物の半永久的なヒーリング効果を見たのは、その大先生から施してもらった、その年配の女性だけだった。

とにかくそんなマニアックなことは大概の人には起こらないわけで(もう少し言うと、人生において必要ないから起こらないと私は思ってる)、自分のクセを自分で気付いて緩めてあげるのがそれ以外の人たち、私も含めてだけど、一番の手取り早く確実な方法だと思う。

多少のコツや知識は必要だけど、とにかく自分を責めまくったりダメ出ししているのに気付いたらそれをやめる、やめられなくてもやめるように努める、自分が居心地良い方を選ぶようにする、その辺りをひたすら日常で繰り返すことが大事だと思ってやっている。





誰にでも、苦しいことや辛いこと、布団の中に縮こまって逃げ出したいことなんかはある。

スーパーポジティブになろうとも思っていないし、気分がどうにも上がらない時は無理に上げずに時間薬が効いてくれるのを待つのでもいいと思っている。

それでも、自ら暗いことや暗い考えを選ぶ必要なんか全くないし、それが本当に好きならそうしたら良いけれど、本当は暗くなるのが嫌なら、全力で自分を明るい方に引っ張っていく努力はやっぱり必要だと思う。

難しいとかできないと言われた時、私ははっきりと「これ、本人がその考えを選ぶ限り無理だ」と思った。

難しいことは、私だって自らやってるからそんなのはよくわかる。

私も簡単だとは思ってないし、はっきりとそんな簡単なことじゃないというのも言った。

だけど、それが難しいとかできないと自分で自分に言ったら、そうだと自分で決めつけてしまったのなら、もう自分をどうやって這い上がらせて、どうやって救えばいいと言うのだろう?と思う。

私が小さな可能性に賭け続けた唯一の理由は、自分が楽になりたかったから。

楽になれるのであれば、手段や難しさにこだわりなんてなかった。

当然私も右往左往しつつの試行錯誤、それもほぼほぼ何の理屈もない中で「こうしてみてはどうかな…?」という自分の中の考えだけでほぼほぼ進んでいたから、良くなる保証はもちろんのこと、何にもならない可能性だって常にあった。

ここまで書いて気付いた。

私は2つのことに怒っていたんだと思う。

1つは、そうやって自らをあきらめてしまうこと。

そしてもう1つは、私の真剣にやってきたことをとても安直に捉えてるところ。

決して私が楽したとかぶっしーだからできるとか、そんな風には言われていない。

だけど、私が今ここまで色々と言い切れるくらいになれたのは、それ相応のことを積み重ねて、そこから結論を導き出せるところまである程度きたから。

逆に、ある程度やってきたものを、何の見返りも求めず情報をこれだけおおっ広げにしてるのに、なんならもっと具体的な方法論まで伝えたのに、相手からの言葉は私をガッカリさせて、そしてやるせなくさせた。

そりゃ自分も消耗するなと今書いてて気付いた。





そんなやりとりを経て、自分が付き合いたい人たちのタイプがわかった。

希望の種を持っている人。

それは別の言い方をすれば、自分の人生の可能性を信じているでも、自分の人生をあきらめていないでも同じ。

それは偉業を為すとか、名声と呼べるような社会的な何かやお金を得るとかいうのとは全く違う。

自分がしあわせになることを自分のために願えたり、自分が少しでも楽になれるように自分を慈しんだり、そういうことを本気でやれる人。

何かや誰かのせいにして、それを言い訳にするのも好きじゃないし、自分はしあわせにもなれなければ楽な人生も生きられないって悲観的なのも好きじゃない。

究極のことを言えば、どんなに状況が強烈でも、何もなかったとしても、それでも小さなしあわせを見つけられる感性や自分を大事にすることをあきらめない精神、そういうものに本気で私は憧れている。

そして、それは自分の努力次第で手に入るものだとも思っている。

笑えない時は笑えないし、涙する時は涙する。

そういう時がいくら続きまくっても、それでも命が続いてる、朝は何度でもやってくるとわかった時に、それでも前を向けるか否かはすべて自分次第な気がした。

明るい未来を描こう!とかそういうんじゃない。

すっごいギリギリな精神状態の時に、本当にわずかでも「ここをいつか抜けれる」と信じられるかどうか、それは言い換えると自分を信じられるかどうかだと思う。

上手く言葉では表現できないけれど、一緒に過ごして話をすると、そういうのは何となく伝わってくる。

どちらが良いとかいうことではなく、どちらがより自分が好きな方なのかだと思う。

そう思う時に、私は「できない」とか「難しい」と言ってしまう人ではなく、「難しくても試す価値ありだね」でも「仮に何もならなかったとしても試してみよう」でも、そういう心持ちの人たちといたいんだと、はっきりとわかった。

自分との付き合い方は、世界共通、老若男女問わず、みんなが直面する事柄になる。

そして、それこそが個人の裁量ですべてが決まる。

一生付き合わないといけない自分を大事にしようとする人とそうでない人とでは、見る世界も体験することもまるっと違う。

私は、自分を大事にしたい人たちと繋がっていたいし、大事な相手との時間も、その根底が同じ人としかますます付き合えなくなるだろうと思う。

基本的に自己否定を一切しない人なんか、世界絶滅危惧種並みにいない。

だけど、そうした中でも自分を大事にしようとする人たちも確実にいる。

根っこのところで何を信じてるか、何を信じたいか、そこを分かち合える人たちと繋がっていきたい、それを今回ものすごくはっきりと感じた。

2020年8月8日土曜日

㉘【おいせさん手帳】拝啓 寂しさ様


夏の空
仕事の駐車場近く





おいせさん手帳第28回目
担当:私

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8月8日

寂しさをしっぽりと愉しむ。
立秋翌日

暦の上では昨日立秋を迎えました。夕空を見上げると、いつのまにか日が短くなって秋に近づいています。見ていると、寂しい気持ちが湧いてくるかもしれません。その時は、その寂しさにしっくりくる音楽や本を用意します。真夏の夜に寂しさを味わうのも粋な出来事としてあなたの中に残るでしょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



毎年この時期になると、きまって寂しくなる。

昼下がりセミがミンミンと鳴いていても、空が少しずつ夏の空から秋の空に変わっている。

夕刻になると、まだ暑いのに日は沈み始めてる。

もう夏が終わるんだな…と思う。

その感じはいつも胸の辺りにやたらと響いて、何がどうということはなくても寂しくなる。

これが秋になると、私なんかは逆にその空気に馴染んで秋を愉しむくらいの余裕まで出てくるけれど、その前の夏の終わりくらいが何か終わってしまう感じがしていつも寂しい。

だから今日のメッセージは、思いつきとか想像じゃなくて、私自身の原体験をまんま言葉にしている。

「湧いてくるかもしれません」なんて書いたけれども、実際は「超湧きまくるし!!!」ぐらいな気持ちで、あれは一応そうは感じない人もいるだろうから、ちょっと気遣ってやんわりと書いてみたに過ぎなかった。

今年の夏は、残業終わり、大きな建物を出て駐車場までの30メートルくらいの距離を歩く時にそれを感じる。

暑いのになんだか寂しい。

外が暗くなるのはあっという間で、今年なんかは梅雨が長かったから、夏の気配もイマイチ感じない頃から、その夏特有の寂しさだけが先に来てしまって、もうそんな時期なんだと驚いた。




この1年くらい、もしかしたら2年くらい。

「寂しさ」を愛でれるようになりたいと思う気持ちが出てきた。

寂しさはそんなに積極的に愛でたいものとは違うけれども、それを悪者みたく扱うと、そちらの方が色々厄介だと知って、それなら逆に寂しさと仲良くした方がいいよね!と思うようになった。

寂しさだって立派な感情の1つなんだから、それを味わうくらいの余裕が生きているうちに持てたら素敵だなと思う。

10年以上経ったかなと思うけれど、感情を味わうことの意味や醍醐味が経験と共にわかるようになってきた。

最初の頃は、「寂しさ」は苦手な感情の1つだったけれど、その頃に比べたら苦手度は確実に下がった。

得意にはならなくても、苦手すぎて無視したくなるみたいにはなっていない。

寂しい時はどうやったって寂しいから、もう時間が過ぎるのを待つしか基本できないけれど、それでも邪険にはしなくなった。




先日このブログで読まれた記事を、私も何を書いたのか気になって見てきた時に見つけた「寂しさ」についての自分の見解。

2年前の夏に書いたブログで、自分で読んでしびれたくらい自画自賛した(笑)!

引きこもり全盛期の頃の言葉だから、より一層言葉がよく響く。

人間は生まれてから死ぬまで基本のベースは孤独だと思っている私にとって、実は寂しさというのは特別な条件が揃わないと持つことのできない感情なんだと知ってハッとした。

数ある感情の中でも、ある種贅沢な感情かもしれない。

贅沢というのは、そういう条件を持つことができてる、という意味で。








引きこもってた時だったのか、いつだったのかは忘れたけれど、「寂しい」ってすごい感情だなと感動したことがある。

そもそも誰かがいなくて寂しいとなるには、そのそもそもの誰かと出逢っていないといけなくて、そしてその人が寂しさを連れてくるぐらいに自分の中で特別でないといけない。

だから、これは誰かがいないと成立しない感情なんだなと思った。

2020年8月2日日曜日

行きたかったお店

最近いつも写真をそのままアップすると横になる…。
どうやったらそれを直せるのかわからない。




まさかの展開で、ずっと行ってみたかったお店に行くことができた。

スマホを使いこなせないヨシダさんがわざわざ地図を出して、国道沿いのこの店の近くだと言ってきた。

2軒目のお店だった。

ヨシダさんがそんな風にお店を普段の行き慣れたところとは別の店を指定することは珍しい。

まさかと思ったら、そのまさかの店だった。

3年前の秋のはじまりにイケメン上司の送別会が開かれたその居酒屋にヨシダさんは行こうと言ってきた。




送別会の幹事からは武士俣さんもどうですか?と誘われた。

一番の長の送別会なら、多数出席の図が簡単に想像できた。

どう考えても、本人から私に話しかけてくることもなければ、その他出席者たちと談話する自分なんかもっと想像できなかった。

そして他の女性社員たちとは喋っても私とは一言も言葉を交わさないことも容易に想像できた。

傷心なところにさらに傷口に塩を塗るなんて、絶対に嫌だった。

最後くらい武士俣さんと喋っておこう!なんて絶対に思ってもらえない自分が零コンマ単位の速さで想像できて、送別会に行くことはなかった。

一応気が変わるかもしれない…と思って、ギリギリまで出欠の返事を延ばしてみたけれど、状況は全く改善側に動いてくれなかった。

うん、ないな、迷うことなくないな!と確信した。

幹事の人に言う前に、ある日の夕方「武士俣さん送別会どうしますか?」と逆に聞かれた。

すみません、行きませんと答えると同時に、そういうことすら関係ない関係なんだとわかった。

認めたくなんかなかったけれど、「関係ない人」というのが、この上なくピッタリな関係性なんだと認識した。

大勢出席が見込まれる会にさえ招かれてない、招かれざる人なんだと思った。

招かれざるというのは、「歓迎されていない」とか「迷惑な」という意味だとGoogleにはあった。

ピッタリの言葉だった。

どこをどんな風に想像しても、そこに自分がいても、まるで私はいない人存在していない人みたいになることも、絶対に近付いてこないだろうことも、近付かれたら迷惑そうに又は嫌そうな表情になることも、そういうことしか想像できなかった。

そうやって行かなかった場所だった。




行かなかったくせして、私はその後もその店の横を時たま通るたびに、中がどんな風なのか見てみたい気持ちに駆られていた。

イケメン上司が確実にいた場所の風景を見てみたくて、だから横を通るたびにそんな風に思っていた。

会の中身も知らないし、元々おしゃべりタイプとは違うから本人だって得意な会とは違ったんじゃないかと思う。

それでもそれが会社としての最後の飲み会で、それが思い出みたいな、過去の1ページとして残るシーンとなるなら、私もその場所がどんな風だったのか見てみたかった。

うんと後からだった気がするけれど、最後の会は本人たっての希望で、近場での開催になったとのことだった。

仲良くしていたSさんが、もっと繁華街の方もあるのに、近場が良いって本人が希望したんだって!と私に教えてくれた。

繁華街ではないから、より一層その店に行くことは絶対的になかった。

だからこそ、半永久的に行ってみたい店でありながら行かれない店だった。




中はムーディな感じの薄暗さで、そしてどの辺りに実際の会はセッティングされたかはわからないけれど、テーブルの形や小上がりチックなテーブルを見て、ほぼ席は固定だったのかな…なんて思った。

Sさんが、その会の時は一言しか言葉を交わしてない、それも後輩くんと一緒に帰るのかどうかを聞かれただけで全然話せなかったよ、と言っていたその言葉がなんとなく想像ついた。

私も頑張れば行けたのかもしれないな…なんて少し思ってみたけれど、でも当時本当に行っていたとしても当人とは全く話せず、チラチラ見ることも叶わず、色々いたたまれずに終わったのが関の山だとも思った。

こうして言葉にすると、改めて本当に私は何も知らなかったんだな…と思う。

何も知らないし話したこともないと断言してもいい、そういう人の何が良かったのかと冷静になって考えると不思議すぎて仕方ないけれど、イケメン上司はそういうことでは説明すらできない別格の域の人だった。

イケメン上司は容姿端麗だけではなく、仕事も真面目にしている人だったし、細かく色んなことに気付いたり動いたりする人だったしで、性格も良い人だとは言い切れるけれど、それにしたって私は何も知らなさすぎた。

その何も知らなさすぎるのに、気になって気になって仕方ないというのは、もうすべてが異次元すぎた。

魂同士が再会したんだね、というのがやっぱり一番的確に表現したものだと思う。

それがいつの時言われたことか忘れたけれど、ある年上の女性から魂的な縁がとても強い男の人に会った時の話を教えてもらったことがある。

多分2人いる。

そして間違いでなければ、今薄ぼんやりと思い出してきたけれど、2人とも2018年の春に別々の時に言われたように思う。

1人はオルゴナイト作家さん、もう1人は占星術講座のクラスメイトの1人だったと思う。

それぞれの人たちとマニアックなスピリチュアル話はしたけれど、決して私はイケメン上司の話はしなかったと思う。

2人ともそんなこと話せる相手ではなかったから、どう考えても言ってない。

なのに2人それぞれの人は、別々の時にその話を私にしてきた。

すごい独特な感じだと言っていた。

お二人とも結婚されてるけれども、恋愛感情とかそういうものとは全く違っていて、他に類を見ない気持ち・感覚で、だからすぐにわかったみたいな言い方をしていた。

1人の方は、相手の方も気付いたようだったと言っていた気がする。

私の記憶もかなり怪しいけれど、今の方がその話された感覚がわかるように感じる。

イケメン上司は、悲しいくらいに私の人生で一番知らない人の立ち位置にいる。

何も知らないし、今後も知ることもないと思う。

だけど、こんなに知らなくてもここまでの強力すぎる印象を残した人は他に誰もいない。

ここから先の人生で、あの上をいく人に出会うことはもうないかと思う。

仲良し夫婦が「来世でもまた夫婦になりたい」とか言うあの言葉は、あんなの台詞だけなのかと思っていたけれど、現実に実際に再会する魂もいるんだと思う。

イケメン上司と私とはそういうのとは違っていても、また次の人生でも会おう!と約束の1つはしたんじゃないかと勝手に思っている。

でなければ、この異常とも呼んでもいい感覚は何なのかと思う。

3年も経って何を今さらの店に初めて立ち入って、その時の高揚感やら好奇心に目を向け、そして過去を回想する…、なんて他の時には絶対にしない。

魂ってすごいんだなと思う。




こんなに吐き出しておいてなんだけど、毎回イケメン上司のことを書く時は緊張するし、少しばかり思考も働かせる。

普段は思いつくまま書いているし(これもわりかしそうではあるけれど)、あまり深くはあれこれ考えたりはしない。

だけど、ことイケメン上司の話は、自分の中で言葉にすることの怖さや、自分の心の中をさらけ出す怖さ、相手の反応に対する足踏み的な怖さ、数え上げたらキリがないくらいにあれこれ色んな怖さがある。

こんなこと書いてどうするつもりなんだろう?とか、こんなことまで書いて大丈夫なんだろうか?とか、そもそも「大丈夫」って何が大丈夫なんだろう?とか、私は何を怖がっているんだろう?とか、そういう不安系の思考がどんどん量産される。

いつかは書かなくなるだろう自分に期待をしたいし、相手の反応がないことに自分がその行為をきちんと受け入れて納得したいし、今後ももう会うことも話すこともないだろうとその部分に疑問を抱かずスパッと受け止めてしまいたい。

ここまで来てしまうと、自分が納得しない限りダメだろうから、もう色々と割り切って、葛藤するだけして、言いたいことは言いたいように書いて、それでも何の応答もないだろうから、それはそれとしてもうどうでもいい、という境地に達したい。

もはや何を言いたいのかさえわからなくなってきたけれども、まさか3年もズルズルと来る予定になかったから、気付いたら3年も過ぎてて、半分は自分にゾッとしている。

最近仕事しながらふと思う。

またこの1ヶ月ほど、強烈な状況を何回も経験しているけれど、まさに魂の修行みたいな修羅場的なものが日々あるけれど、それとイケメン上司とのことは、魂からしたら同等のことかもしれないな、なんて思う。

仕事は超仕事として割り切ってやるけれど、もしかしたらイケメン上司が日々いた時間も魂の目的からすると同じジャンルだったのかもしれない。

経験する私からすると別物だけど、自分の中があれこれ開いていくのは、ルートが違うだけで、魂からして一緒のことなのかな…なんて思う時もある。

魂の修行的な状況は次から次へとよくもまぁ色々あるな…と感心するぐらい事件みたいなことが日々勃発しているけれど、それとイケメン上司とのことは全く別物でも実は同じものなのかな…なんて思う。

そう思うと、何の関係にも発展しないままのこの3年が、それこそが在り方として正解だよと言われてるみたいで、余計とやりきれなくなる。

だから、3年前の送別会には行かなかったけれども、3年後まさかの形で同じ店に行くことは魂の旅路的に問題ないから叶ったのかもしれない。

送別会に行かないと決めたのは私だけれど、行きたくないから行かなかったんじゃない。

行っても大丈夫そうな関係なら私は喜んで行ったけれども、そうではない状況を前に余計な傷となるようなものを自分にもたらしたくなくて行かなかった。

少しでも同じ空気を吸って同じ景色を見ていたかった私からして、行かないことは自分の100%の意かと言えばそうではなく、他のものと天秤にかけた時に他のものの方が大きくウェイトを占めたから行かなかっただけだった。

これは想像でしかないけれど、私があの会にいなかったことはイケメン上司的にもホッとしただろうし、変な気を逆立てる必要がなく穏やかに過ごせたかと思うから、やっぱり行かなくて正解だったんだとそれは今でも思っている。

私はやっぱりそうであっても、ずっと中を覗いてみたかったお店に行くことができて本当に良かった。

あの頃と状況は全く違うけれども、一度は足を踏み入れたかったその場所に立てたことは嬉しくて、私は掲載した写真以外にも数枚パシャパシャと写真を撮った。

多分もうその店に二度とは行かないと思うから、最初で最後の訪問ができて良かった。

トップの写真、後から見返したら青空が広がっていて、それが本当に救いだなと思った。

笑と楽の言葉と青空が似合っている。

そんな爽やかエピソードとは違うけれども、3年前にどうしても行くと決心できなかった場所にこうして立った日、せめて空がどこまでも青いのが私には本気の救いだった。