2022年6月29日水曜日

人生革命の日ー6月29日


 
2022/06/29の夕空
ここから始まる5枚は、みんな同じ場所に立って
同じ時刻19:24に撮影したもの
360度色んな方向にカメラを向けると
全く違う表情になった





残業を終えた後、夜に向かう空
駐車場より

仕事中、突如思いついて今日の日付が入った画面をスクショした
29日の29分だった!

朝、職場の駐車場から映した空

同じく朝の駐車場
同じ空なのに色が違う
5年前の今日も同じような空の色だった

2022/06/29
5年後の朝




「私たちがしてきた選択が1つ1つ積み重なって、私たちを引き合わせたんだよ。

生きるっていうのは、誰かと心を通わせること

人との関係が生きてるってこと」


『君の膵臓を食べたい』(アニメ版)







いつか録画した『君の膵臓を食べたい』のアニメ版を土曜日に見た。


話題作としてタイトルだけ知っていた私は変なタイトルだと思っていたけれど、その意味もわかった。


上のセリフは、その時に出てきたもの。


主人公の女の子が一緒に過ごす男の子に向かって言ったセリフだった。


2人がたまたま出会っているわけではなく、それぞれが同じ学校に入学するとか、片方が本が好きだとか、文庫本スタイルの日記帳を持ち歩くとか、あとの細かいところは忘れたけれども、とにかくそれぞれがそれぞれの選択を重ねた結果、今目の前で2人が出会って、目の前にお互いがいる、そんな感じの言葉だった。


そのセリフを聞いて、真っ先にイケメン上司と自分とが出逢えたことが思い浮かんだ。


イケメン上司がどうしてその職場なのかはわからないけれども、少なくとも進路選択の時点で理数系を選んで、おそらく理数系の学校に進学して、超就職氷河期と言われた世代だからどの程度の会社に応募したかは知らないけれどその中で今の企業に採用されて自分も入ると決めて、そうしたイケメン上司個人の選択の積み重ねがあの時あの場所にイケメン上司を連れてきてくれることになった。


入ってからはまた会社の裁量で転勤が決まって、本人は全く希望もしてなかったかもしれないけれど、とにかくその会社に所属していること、ものすごく抵抗があったとしても自分に出された辞令を受けて新潟に引越してくること、とりあえず2017年の秋のはじまりまでは新潟に留まること、そうした1つ1つの選択肢がイケメン上司の意思によって選択されないといけない。


会社の事例には背けないでも、行く気はないけれど出てしまったからにはしょうがないでも、とにかくどんな気持ちや感情が内面で渦巻いていたとしても、とにかく新潟という地にいることを決断してもらわなければ、私はイケメン上司と出逢うことはできなかった。


私側も私側で、なんだかよくわからなかったけれども、あれよあれよと新潟に戻ることに決めて、仕事もとりあえずの仕事を始めたら契約が切れて、さらには突如紹介されたイケメン上司がいる職場の仕事だった。


あの時もし九州にいる友達の結婚式が行われなかったとするなら、私はそもそもそんなにすぐ仕事をしようなんて考えたかわからない。


私の後に契約切れとなった人が教えてくれたのは、自分都合ではない会社都合の解雇の類いに分類されるらしく、雇用保険を1年受給できて1年まるまる休んだということだった。


もし私もそうと知っていたのなら、私なんかはそちらに流れただろうなと思うし、それはすなわちイケメン上司がいる職場にも行かなかったと断言できる。


さらに言うと、友達もどういうわけか結婚して子どもが2人も生まれてから結婚式を挙げた。


子どもの年齢を考えれば、すでにその時に結婚5年目くらいに入っていたと思うけれど、友達もタイミングをずいぶんとずらしてから結婚式を挙げた。


とにかくそういう色んな要素が重なり合わないと、私がつべこべ文句も言わずにすぐにイケメン上司がいる職場の仕事を引き受けたいなどと言うわけがなく、本当に絶妙すぎるタイミングで行くことになった。


職場には新入社員1年目ないし2年目くらいの男の子も配属されていた。


その子を見て、イケメン上司も全国各地いくつかの土地に配属されたんじゃないのかなと思った。


事業の内容からして、全都道府県に事務所があってもおかしくないから、イケメン上司が新潟に来る可能性たるやどんな確率だったんだろうと思う。


いつだったか、イケメン上司の同期だという男性が事務所に来たことがあったけれど、その人なんかは逆にイケメン上司の役職で配属されたことがなくて初めて事務所に入ったみたいなことを言っていた。


とにもかくにも、イケメン上司と私とが同じ時期に同じ職場に居合わせるには、数えきれないほどの選択肢をくぐり抜けて、そしてこれ以上ないくらいのタイミングでカチッとはまらなければ、出会うことさえできなかった。


本当に「奇跡」と呼べる現実をあの時の私は手にしていた。







5年前のピッタリ今日、2017年の6月29日に私はイケメン上司の存在を意識できるようになった。


雷に打たれたことはないけれど、「雷に打たれる」とはまさにそういう感覚を言うんじゃないかと思う。


仕事に行き出して3週目くらいだったんだろうか、イケメン上司はわりかし事務所にいたから名前と顔はきちんと覚えていたし(あんまり覚えていないけれど、その時が初めて見たという人もいたと思う)、事務所内の相関図や人間模様はよくわからなくても、とにかくイケメン上司は「◯◯さん」ということは初日からきちんと知っていて、でも当時はとにかく毎日だんまりでほぼ何も喋らずに1日を過ごすこととスーパー不慣れな事務仕事とでイケメン上司の存在そのものをきちんと意識していたのとは違った。


イケメン上司もイケメン上司で余計なおしゃべりもしないし基本的に仕事以外の時は静かにしている人だったから、いるのは知っているけれどもという感じだった。


学校のクラスでみんないると知っていても1人1人を丁寧に思い浮かべて「あの人がいる、あの人もいる」なんてことはしない、だからいるってわかっていても超意識的にいると認識してない、あの感じに近い。


だから5年前の今日という日、本当に突然「!」と言葉にできない衝撃を受けて、そこで初めてイケメン上司という人が「職場の人」から「すんごい存在感のある◯◯さん」に変わった。


私にはもったいないぐらいのイケメン行為をイケメン上司からプレゼントしてもらえたわけだけど(イケメン上司はプレゼントした気もなくて単に気付いたことをしただけに過ぎなかったと思う)、その前とその後とで本気で見えている世界がガラリと変わって、そのくらいすごい瞬間をイケメン上司からもらった。







本当は書こうと思っていたことがあるけれど、なんとか今日中にアップするには時間がなさすぎる。(今22:16)


書こうと思っていたことは、イケメン上司に出逢う前の世界に戻れる選択肢があったとして、私が戻りたいかどうかという話。


答えは戻りたくない。


そしてこの5年もだしこの先にもっと大変なことが起きたとしても、反対にイケメン上司の存在を知らなければ大変さは一切伴わない穏やかな暮らしが保証されていたとしても、それでもイケメン上司を知らない前の世界には戻りたくない。


その理由も細かく色々あるから、そのことをいつものようにツラツラと書き綴る予定でいたけれど、今日はもう時間的に厳しいからまた今度かなと計画変更。


私が今日6月29日という日にこだわっているのは、あわよくばイケメン上司もその日のことを思い出してくれないかなという目論見があるから。


だからなんだと言われそうだけど、もしかしなくてもそんなにも特別視しても何にもならないことも百も承知だけど、それでも私にとってはとてつもなく特別で、その瞬間があったからこそ自分の中の色んなことが一気に変わって癒されて生き返し並みに息を吹き返して、そして今日もこうして生きている。


他の何にも代えられないものすごく特別なことが5年前の同じ日に起こって、私にとっては後世大事にする瞬間になった、そのことを押しつけのようでもイケメン上司の脳裏にも一瞬でも紛れ込めたらいいなと思う。


だから今日にこだわって書いている。

(そして今23時過ぎた(꒪ꇴ꒪)







今日は朝から晴れだった。


朝焼けを拝んで、職場に着いたら空の写真を2枚ほどパシャリと撮って、残業して19時10分頃ようやく会社を出たら夕焼けがとてつもなく綺麗で、とにかくすごく癒される空模様だった。


5年前の今日も暑過ぎるくらいに晴れ渡っていて、イケメン上司は日焼けした顔を見た事務さんから「日焼け止め塗ってあげたのに」くらいなことを言われたくらいに焼けて(私はよくわからなくて盗み聞きだけ)、まぁとにかく暑い暑い日だった。


その日の空模様はもうそんなにもはっきりとは思い出せないけれど、今日も当時に負けないくらいの青空で夏日だった。


仕事から帰る途中、空が本当にきれいで、金色に赤に黄色にオレンジにピンクに青に紺にと色んな色たちが勢揃いしていて、この世のものとは思えないくらいに空が澄んでいてとってもきれいだった。


写真よりも実物の空はもっともっときれいで幻想的でもあった。


私がやたらと空の写真を撮ってブログにアップするのにはわけがある。


iPhoneも私のカメラの腕も何にも変わってないけれども、イケメン上司と出逢った後から私の目に映る景色が確実に変わった。


正しくは、色彩がとても鮮明になって透明度が増した、と言うと一番感覚として近い。


自分の感覚の証拠も兼ねて私は空や風景の写真を撮っている。


写真や素材、私の腕がパワーアップしたんじゃない。


本当に感覚が整えられて余計なくもりや澱(よど)みみたいなのが大幅に減少して、代わりにあのきれいな写真が撮れるくらいに何かが私の中で変わった。


そしてその私の中のものを変えたのは、他の誰でも何でもない、イケメン上司になる。


そういうことまでも私や私の人生を変えてくれたのがイケメン上司だった。


今日という日は、私にとって人生革命の日、そんなタイトルが似合う日になっている。


色々書きたかったことはまた後日書きためてからアップしたいなと思っている。

2022年6月27日月曜日

ラブコール

今年の紫陽花
2022/06/25

1つ1つみんな違う表情をしている

土曜日の朝、突如思いついてフラリと行ってきた

毎年紫陽花の時期になると見に行く
紫陽花公園



2022/06/24

ようやく目の前の大きな仕事も片がつきそうで、これで心置きなく週末は引きこもりができる!と思った矢先のこと。

「武士俣さん、後から電話入れるから、部長に会おう」


そんなようなことを言われた、私のお世話係になっているMr.ダンディから。


自分のところの部長にはいつでも会えるし、何を言われているのか最初わからなかった。


はいと返事したすぐ後に意味がわからなくてそれ何ですか?くらいなことを聞いたと思う。


「A部長が来ていて、武士俣さんに直接会いたいと言っているから、電話するからその時は来て」と説明された。


(꒪ꇴ꒪)(꒪ꇴ꒪)(꒪ꇴ꒪)


畏れ多いので行かなくて大丈夫です、と咄嗟の本音が口から出てしまった。


A部長というのはMr.ダンディはいつの時の役職名で呼んでるのか知らないけれど、部長じゃない。


会社の会長を除いたら、実質の経営トップに君臨する人になる。


なぜそんな人が私に会いたいのか、さっぱりわからない。


派遣先企業の年に1回の一番大きな社内催事のために経営陣トップたちも含めて新潟くんだりまで多分皆様勢揃いで来ていて、それでどういうわけか一派遣でしかない私と経営トップの方とが引き合うとかいう、どこのドラマの話ですか?みたいな事態になっていた。


ゴールデンウィーク明けから怪しい感じはあった。


ゴールデンウィーク10連休にした私は、いつも以上に仕事へのやる気を無くしたまま(やる気などあったためしがないけれど)自分の席に着くと、高級そうなお菓子の包みと部署の部長からかわいいメモ用紙のメモが置かれていて、そこに「A部長からのお菓子です。武士俣さんにA部長がよろしくと言ってました」みたいなことが書かれていた。(実際はA部長じゃなくて正しい役職名で書かれていた。)


大型連休明け早々、具合が悪くなりそうなメッセージだった。


少しだけMr.ダンディに探りを入れて、私を過大評価してくれてるMr.ダンディがA部長に私の話をしていることはわかったから、その流れなのはわかった。


でもそんな恐ろしいご挨拶など本当に要らないから、その時も私はそれをそのままスルーした。


社内催事も裏方の資料作成には多少借り出されはしたけれど、それ以外は何も頼まれなかったし、それどころではない急ぎの英訳が来ていたから、私はひたすら納期の迫った英訳に明け暮れていた。


で、その英訳がようやく終わってMr.ダンディに添削のお願いをしたら、冒頭の言葉を言われた。


そしてそれから1時間くらいすると本当に電話がかかってきて、応接室の番号を言われてそこを訪ねることになった。


ドアを開けると、そこにはA部長だけではなくどのくらい偉いのかわからないけれど確実に偉いとわかる肩書のBさんもいた。


A部長は本当に経営陣らしい、言うなれば凄みがあると言えばいいのか、威圧感とも違う、独特の強さを感じさせる人だった。


用件は1つ。


私に会社に残って仕事を続けて欲しいこと。


11月には派遣の契約が終わる。


実際は残る方法もあるにはあるけれど、私は望んでいない。


すでに3回、別々の上司から正社員登用の話をもらっていて、今のご時世+私の40代という年齢+海の者とも山の者ともわからない色々経歴不透明な人に対して会社に残って欲しいなどというのは、本気でありがたい話だと思う。


内実はさておきこの辺では優良企業として名が通っていて、そんなところから正社員のオファーなど普通に考えたらありえないくらいにありがたいことだと思う。


そして内実の話をすれば、私が優秀なのではなくて手を抜く人たちがたくさんいる中で、手抜きをすると我が身が具合が悪くなる体質で具合悪いのは嫌だから私はやることはやって形にしているだけで、でもそれがまるでものすごくきちんとしている人みたいに見えているんだと思う。


興味のカケラもなく、だけど英訳するにあたって変な日本語のままだと訳せないから担当者たちに毎回色々とつっこむ。


例えばカレーライスの作り方の説明で、

「包丁野菜鍋炒める」

となっていたら、なんとなく想像がつかなくはないけれど、これが未知の世界の理工的な技術の話で、単語を見たところで何が何かなんてわからないし、まさかそんな暗号めいたことをそのまま直訳なんかできないから、「包丁で野菜を適当な大きさに切って、鍋で炒める」くらいに何がどうなっているのかわからないと英語に置き換えられない。


そういうことを毎回毎回やっているのと、そして私が作る英語の文書はA部長やBさんも関わる案件だったりするから自ずと見ることになる。


1つだけ嬉しかったことは、A部長もBさんもMr.ダンディの口添えがあったにしても、私のしている仕事の中身を見て私を評価してくれてるところだった。


とにかく海外向けの各種資料が格段に良くなったと言ってもらえたのは本当に嬉しかった。


Mr.ダンディも横から「彼女がキーパーソンなんだよ」と、仕事を色々していく中で少なくとも各種資料がまともに仕上がるようになる裏側をA部長とBさんに伝えてくれてた。


で、続けられない理由として、Mr.ダンディから聞いてるかわからないですがと前置きした上で話そうとすると、A部長は私がオカルト体質であることもそちらの方をメインでやっていくとなれば今の仕事は続けられないこともすでに知っていた。


しかもそういうことに対しても、私もそういうことはあると思ってるともジェスチャーをつけながら言われたくらいだった。


私にとって大切なのは、辞めるとなった時にすぐに辞められる状況であることを伝えた。


そうしたらA部長はさらにその先の方策として、「決して良いやり方ではないけれども、そうしたら武士俣さんの派遣で雇用される際の名称を変えて、例えば今が事務なら今度は営業事務とかね」と提案してきた。


「とにかく続けることを検討して欲しい」と大真面目に言われた。


凄まじい状況は数分で終わり、失礼しますと言って部屋を出た。


A部長もBさんもMr.ダンディもみんな椅子から立ち上がって私と話をしていて、それもさらに一層すごい状況で、心臓やらなんやらがバクバクした。







Mr.ダンディから電話すると言われた少し後にペンジュラムを持ってトイレに行った。


真面目にペンジュラムをその場に持って行った方がいいんじゃないかと思って、それを確認するためにペンジュラムをトイレに持って行った。


ペンジュラムはNOと言ったけれど、いつも持ち歩いている2つのオルゴナイトをポケットにお守りのように忍ばせるのはYESと出たから、席に戻ったらオルゴナイトを自分のズボンのポケットに忍ばせた。


何がどう大丈夫かはわからなくても、精神安定剤としては力を貸してくれるとわかっているからそうした。


応接室を出た後、左ポケットに入っているオルゴナイトたちの感覚がより一層際立って伝わってきた。


イケメン上司がいた職場を私も辞める最後の日も、オルゴナイト2つをポケットに忍ばせていたことを思い出した。


いつの時もそうやって助けてもらっているオルゴナイトたち。


1つは私のものだから良いとして、もう1つは自分用じゃないにも関わらず力をもらっている。


そうやってオルゴナイトと共に乗り越えた難所だった。







前代未聞なお呼び出しをくらって、これはギャグのように「ラブコール」と題してブログに書こうと決めた時か決める前から、「私が欲しいラブコール」についても書こうと思っていた。


突如やってきた緊張感しかないようなお呼び出しは本当に全く嬉しくもなければバックれたいなどと思っていたけれども、「もしこんなラブコールなら」と終わった後の安堵した感覚の中で思ったものはこんな感じだった。


「もし、イケメン上司と仲良くなれて、『一緒に暮らそう』などと言ってくれたら、私すぐにでも仕事を辞めて全国どこでも駆けつけるのに!!!」


とありもしない妄想に明け暮れて、そしてどうして欲しいラブコールは来なくて来てもらっては困るラブコールが来るんだろう?と思った。


(妄想の中身への批判や非難はとりあえず脇に置いて続き)


占星術によって色々知れた自分の人生の傾向を思えば色々仕方ないとは思うけれども、本当に私個人の希望などまるっきしからっきし当たらず、触りもせず、とにかく「願望は願望のまま」の形状記憶ですか!?みたいなことにいつの時もなっていて、でもこちらが1ミリも望んだことのない、というか考えにも浮かんだことのない、宇宙から隕石が降ってくる級のぶっ飛んだことはやってくる。


真面目にドラマのシナリオでも書けそうと思ったくらいの状況に我が身が置かれて、どうしてこうも欲しい現実はやってこないのかと思った。


私が欲しい方のラブコールは来る気配すらない。


そちらも宇宙からの隕石級のぶっ飛んだことでも、そちらは「やってきたらいいなぁ」と数えきれないくらいに想像(妄想)していること。


私の方はいつの時もそのラブコールなら受ける気満々なのに、そちらはピクリとも反応がないところが、あぁ悲しきかな我が人生、な哀愁が漂っている。







名前をたくさん見た。


それもイケメン上司がこのブログをもう見ないかもしれない、とくどくどと吐露したらいきなり何連発と名前を見ることになった。


最近サスペンスドラマを見ることが多いけれど、その時も何かしら見ていて、ボーッとしながらキャスティングやら関係者やらの名前が画面に流れているのを流し見していた。


世の中に「ふみこ」さんはたくさんいるけれども、私と同じ漢字の「史子」さんは意外と少ない。


イケメン上司の下の名前もそんな風で、音だけなら同じ名前の人はそこそこいるけれども、イケメン上司と同じ漢字での名前の人はすごい少ないと思う。


史子と良い勝負なくらい。


で、そんなレア度高めの下の名前が、ボーッと見ていたキャスティングに2人も出てきてビックリした。


しつこいくらいに何度も書いているけれども、そういうこととイケメン上司の意志なんかは何1つ関連していないのはわかっているけれども、精神的に大きく落ち込むような節目の時はどういうわけかこういうマジックが起こる。


理屈とかではとても説明できないけれども、そういうことが本当にあるんだなと毎回感心少し、それよりも本気で救われている自分がいる。


そんなミラクル名前連発はおさまったけれども、今も普段よりかはイケメン上司の名前を見聞きする回数が若干多い。


そして名前を見て単純に喜んでいる自分がいる()


何の意味もなくても、喜ぶのは自由だし素直に喜べることで幸福感ももたらされるから、それはそれでいいなということに自分の中でなっている。







途中に書いた妄想ラブコールをどうしようかと悩んだ。


ブログをアップするにあたって、もっとライトな言葉に置き換えようかとも考えた。


だけど嘘を書いてもなと思った。


あともう少し言うと、仕事も少なくともいきなり今日言って明日は無理だから、契約満了までは社会人としての礼儀として残らないとだし、いきなり辞めることはしなくてきちんと引継ぎが必要なものはするとA部長にも伝えたからそれだけはするから、実際にはちょっとだけ大袈裟というか嘘が入っている。(この説明が要るのか?というツッコミももちろんある。)


あと、このタイミングでYahooニュースに出ていた言葉も超絶引っかかっている。


かなりコメントでも叩かれていたけれど(Yahooニュースには、一般人がコメントを書けるシステムがある。私は書かないけれど、色んな人たちがどういう視点を持つのかに興味があって、コメントを見るのはけっこう好き)、とあるコラムニストなのか恋愛系の何かの人なのか、「告白ハラスメント」なる言葉を打ち出していた。


イケメン上司の目から私のこのブログはどう映っているのか知らないけれど、私もハラスメントだと言われたら言い返せない。


相手からすれば、何かしらのハラスメントのように見えていたり本気の嫌がらせになっている可能性だってある。


そうなっていたのなら、もういつでも止める心構えはできているし、例えば一言匿名コメントで「やめてください」と書かれたのなら私はそれがイケメン上司であれ本当は別の誰かのいたずらであれ止めるのは間違いない。


イケメン上司の可能性がある以上は本当にやめる。


私の日常や戯言を読んだところで何にもならないとは思うけれど、私がなんとなく予想するにイケメン上司側にも大なり小なりおかしなことが起こっているような気がする。


起こっているとするなら、私の方はこんな風だよと伝えるくらいの、私が「やさしさ」だと思うものを発揮してもいいかなと私の都合の良いように考えている。


イケメン上司に知ってて欲しいという気持ちとは別に、これだけ色々見えないところであるんだからそれを言葉にして伝える、それも私は大切なことだと思っている。


魂絡みの出来事や動きは、常態を大幅に逸しているし、普段の社会の常識やルールみたいなところから大きく外れている。


私は少なくともそういうことだという風に知ることができたから気持ちが楽になれたところもあって、反対に何も知らなければ相当に自分を責めたり自分のことをどこまでも疑ったり、自分にとって良いことは何もなかったんじゃないかなと思う。


スピリチュアル的な視点でもソウルメイト全般に関するマニアックな見解でも、それを受け入れる受け入れないは別として、とりあえず知識や情報として持っていて選ばないのと、そういう知識や情報がなくて意味不明な事態に対峙するのとでは雲泥の差がある。


私がもし知らなければ私は今頃もっともっと自分が苦しくて大変だったんじゃないかと思う。


だからそうしたことも手伝って、ここで発信しているのもある。


賛同してくださいとも理解してくださいとも思わない。


けれどもこういう現代日本の一般的な価値観からズレたようなことも起こる時は起こるし、理屈とか理論で説明できないようなこともあるということを、私は知ってる限りのことを言葉にして伝えたい。


ちなみに、イケメン上司のテーマというか楽になる方法だと指南されていることとして(これの情報源は私じゃない)、他者に自分を委ねたり甘えたりはたまた相手から来ているものを受け入れたり自分の心を開いたり、そういうことになる。


ただそれこそがイケメン上司が一番できなくて一番苦手とすることだろうということもなんとなく想像がつくし、あと相手は私である必要もない。


イケメン上司が相手を選んだらいい。


こんなにはっきりと書いていいものか迷ったけれど、しかもおまえはどうなんだ?とツッコまれても返せないような中身でもあるけれど、知ってるのに情報を出さないのはなんとなくアンフェアな気がするから、とりあえず情報を出すという意味で書いている。


大事なことだからもう一度書いちゃう。


イケメン上司にとって癒しのポイントとなるものは、他者に自分を委ねたり甘えたりはたまた相手から来ているものを受け入れたり自分の心を開いたり、そういうことになる。







2022/06/27


月曜日の午前中、突如携帯電話の番号から私の職場の携帯式内線電話に電話がかかってきた。


そもそも電話などほとんどかかってこないし、でもMr.ダンディが今日有休でいなくて何か急ぎの用事とかで頼みたいことでもあって電話してきてる可能性もありそうだったから、とりあえず出た。


出るとその先にいたのは、名古屋に出張中のイケメンエンジニアの硬派さんだった。


そもそも普段も席が近いからまず内線で硬派さんから電話が来ることがない。


目と鼻の先だから、お互いに用事があれば席を行き来する。


だから硬派さんの内線番号さえも私は知らない。


何で硬派さんが私の内線番号を知っていたのか七不思議級によくわからなかったけれども、とにかく電話で聞かれた質問に答えた。


ちなみに質問というのも、Mr.ダンディが声かけしてくれたおつかれさん会(飲み会)の日程についての問合せで、今日はそもそもMr.ダンディが有休でいないなどとまるで秘書みたいな受け答えをした。


なんとなく移動中ぽかったから、「硬派さん今時間あるの?」と聞いて、名古屋に行くなら何がオススメで何が止めた方がいいかというごはん談義を少しした。


住んでいたから何がおいしいとか知ってるよと伝えた上で言って、味噌カツをもし食べるなら新潟の人たちの口にあの味噌は合わないと思うから、味噌を別盛りで注文するといいよとか、そんなことしたらもはや味噌カツの意味がないだとか、実にくだらないおしゃべりをした。


月曜日、いつも以上にやる気のない朝に、そのごはん談義は何とも言えないなごやかな空気をもたらしてくれた。(名古屋となごやかを掛けたわけじゃない。)


電話を切ってから思った。


私がイケメン上司とやりとりしたかったのはこういう感じのものだった。


個人携帯とか知らなくてもいいから、出張先で業務外の飲み会の確認とか、私の知っている行き先の土地のおいしいご当地ごはんとか、何の生産性も効率も生まない、むしろ無くても全く困らない、そういう無駄でくだらなくて意味なんかなくてのおしゃべりをイケメン上司としたかったなと数えきれないほどの回数この5年間で思った。


私のおしゃべりなどキングオブくだらないことだらけで、星読みや魂メッセージ以外の時は本当に「それってしゃべる意味あんの?」みたいなことで溢れかえっている。


そういうくだらないものこそ面白いと私は思っているし、そのくだらないものたちは人によって千差万別で飽きることもない。


イケメン上司ならどんなくだらない話をしてくれたんだろう?と思う。


せめて硬派さんとやりとりするくらいの関係性をイケメン上司と持てていたのなら、今頃全く違っていただろうなと思う。







「私たちがしてきた選択が1つ1つ積み重なって、私たちを引き合わせたんだよ。


生きるっていうのは、誰かと心を通わせること

人との関係が生きてるってこと」


『君の膵臓を食べたい』(アニメ版)