2019年8月31日土曜日

eat LOVE de ノム (3ーA面) 魂からのメッセージ

【ぶっしーには、その小さい、子どもの、月のぼくが見えていて、そのそもそものぼくをふまえて、今のぼくを見てくれている。】

(ホロスコープで「月」は、0〜7歳の年齢域を表している。)

これはノムにいつかお節介的なメッセージを送った時に返ってきた返信だった。

ノムからたくさん癒しの言葉をもらい続けているけれど、この一言はその中でも特別で大きな意味が私にはあった。

これはノムに限ったことではなく多分誰に対してもわりかしそうだと思うけれど、私には人の子どもの頃からのパターンとか感性みたいなのが、はっきりくっきりわかるわけではないけれど、なんとなく感じたりわかったりする。

言葉遣いに出る人もいれば行動パターンに出る人もいる。

言葉では何ともないんだけれど、言葉以外の無言の部分にそういうのが表れる人もいる。

1つ言えるのは、そこはとっても繊細な部分だから、人によっては触れられてしまうと怒ったり否定を私に向けたりする人も中にはいる。

私も触れる時は超慎重になるし、そもそも触れても大丈夫な関係かどうかも見るし、私にとっても結構な危険度合いのものだったりする。

怒られたり否定されたりもしたことのある行動ゆえ、私もかなり身構えるけれど、なんとなく言えそう…と感じられた時はそっと口に出してみる。

その時もノムにそっと言ってみた。

そうしたら上の文章が返ってきた。

私にとっては最大の賛辞だった。

そしてもしかして私はノムとそのようなことを積み重ねながら、その背後では虎視眈々(こしたんたん)と探し求めていたのかもしれない。

自分が自分の力を最大限に発揮しても、その自分の力を受け止めてくれる誰かを心の中でずっとずっと探していたのかもしれない。





その機会は思わぬ形でやってきた。

ノムにしても私にしても、どちらもその機会を望んでもいなければ、それをやろう!なんて相談も一切なかった。

顕在意識(自分たちが普段から認識できる意識の部分)では、共同で書く仕事をしよう!ということのみと、それとは別に互いにメールでやりとりするだけで、それ以外2人で何かをすることは全く計画にもなかった。

普段のメールとは違っていたけれど、私はそれを「魂からのメッセージ」だとは一切知らずにひたすら書いていた。

本題に入る前に、私が「魂からのメッセージ」と呼ぶものの内容を簡単に説明したい。




私の中で、人間1人の中には3つの意識レベルがあると思っている。

私の認識だから、実際の学術的説明とは違うけれども、私はそれで事足りてるからその認識のままでいる。

・顕在意識
・潜在意識
・魂意識

顕在意識は、「今日〇〇食べたいな」「〇〇するの面倒だな」「〇〇楽しみ」「あいつ超ムカついた」みたいな、普段自分の頭で認識できるもの。

潜在意識は、非常にわかりにくくて、普段私たちの意識には上って来ない。

例えば、顕在意識で「あいつ超ムカついた」だとするなら、潜在意識では「あいつは周りを味方につけてばかりいてズルイ」とか「あいつは都合が悪くなると全部こちらのせいにして、そうやって生きられて羨ましい」とか、言うなれば本心の方。

ダイエットなんかがわかりやすい。

痩せたいと思っても痩せる努力をしないのは、痩せるための努力が面倒だから。

さらには、太っている自分でも可愛いとかそれがいいと言われたいなどと、わりかしタブー視してるものが数多く含まれる。

だから、[太っていてもそのままの自分でいいと思われたい]という思い(=潜在意識)が強ければ、痩せる努力してうっかり痩せると、太った自分でいいと言われる機会を失ってしまうわけで、だから痩せない風になっていく。

実際はそんな単純なものではなくて、色々見ていくと「子どもの頃に太った自分をバカにされてそれが悔しい」とか、「ダイエット宣言したら周りから『ダサい』と言われて、堂々とダイエットしていると言えなくなった」とか、「お母さんは太ってないのに、お父さんから太ってると言われまくって、そのお父さんの見方がすごく差別的で嫌だから、痩せてたまるかと思っている」とか、「思春期に性的虐待をされて、容姿がブサイクなら誰も手を出さないかと思ってわざと太った」とか。

とにかく深い意識下では何が本当に思われたり感じられたりしているのかはわからない。

ちなみに心理学では、顕在意識:潜在意識の割合は3〜5%:97〜95%と言われている。

私が一番しっくりきた割合は、1:無限大(♾)だった。

ちなみに現実に反映されるのは、顕在意識側ではなく潜在意識側の方。

だから、思っていることや願っていることとあべこべなことが起こるのはそのせい。

魂意識というのは、潜在意識だけではなく、魂として生まれてきたその計画や、過去世・未来世合わせて魂が転生した・するとされるすべての記憶を司っている、と言われている。

スピリチュアル用語だと、「魂の青写真」「アカシックレコード」とかになるかと思う。

魂意識は潜在意識も含めてすべてを包括しているイメージ。

話は戻して、私が言う「魂からのメッセージ」。

今から1年半前、桜の樹の下で、「眠れない」と友達のような関係になりつつあった人から近況を聞いていた時だった。

その時に「ハーブティ、ハーブティ、ハーブティ」と言葉が出てきたのが、私が自分のこの体質に気付いた最初だった。

これまでに10数人の人に魂からのメッセージを書いていて、回を重ねるごとにパワーアップしていった。

ちなみに2人目ないし3人目にした人は、いきなり長年の身体の病気が寛解して、それと魂からのメッセージの関係は当然知らないけれど、そういう可能性をも引き起こすものだというのは何となく知った。

その後も関わった人たちに渡すと、その人たちの人生やその人たち自身のことに対して、大小様々な変化を引き起こすというのがわかってきた。

からくりは正直わからないし、魂からのメッセージだという本当の確証はどこにもない。

だけど、渡された人たちを見て、それがその人たちの人生にとって、とてつもなく大きな分岐点や大事な選択を前にした時に渡っていることもなんとなくわかってきた。

先に言うと、私側はそれがどういうタイミングで来るのかや、メッセージの来る来ないには一切関与できない。

ちなみにタイミングは「相手の人が自分の状況を私に話したら起こる」としか言えない。

対面・メール(LINE)・電話、どれでも良くて、とにかく来る。

相談されてるとかいうのとも違う。

顕在意識では相談してない場合の方が多い。

実際にそれがどうやって起こっているのか私はその仕組みはわからないし、何で自分はそういうことができるのかその理由もわからない。

ちなみに何かやり方があるのでもなくて、本当にそうなったら私側はメッセージを受信するだけだから、具体的な手法があるのでもないから、その細かなメカニズムは説明のしようがない。

ただそうなだけ。

本当に認識できたのは1年半前ぐらいだけど、実際には少なくとも10年くらい前から日常的にできていたと思うし、感謝されることもあれば罵倒されることもあった。

ちなみにキャッチしたら、この1年半くらいかけて、私もどうなるのかわかるようにはなってきた。

ただその辺りもまだまだ不明瞭なところがたくさんあって、さらに人の人生の根幹やその時々のその人にとっての大きなテーマを触ることにはなるから、私も相当神経を研ぎ澄ませている節がある。

容易くなんて当然できないし、それが一歩間違えたら、相手を傷つけたりする可能性もあるから、そこは本気で毎回全力で気をつける。

私がどこかためらって外に発信しないのは、私の中でもこれも含めて自分の人生にまだまだかなり不安や自信のなさはじめ色んな気持ちや想いがあるから。

しかもこれまでは自分の精度にも自信がなければ、かなり内容がヘビーなのもなんとなくわかるから、覚悟はもちろん、方法も伝え方もどこまでも色んなことを求められていた。

実はこの辺りは5月の終わりぐらいから良い意味で変化が起きていて、そして今回ノムの分をやって大爆発した。

大爆発というのはスパークしたという意味で、才能と呼んでいいなぁと思うけれど、それが一気に開花した。

その話を今回はしたい(前置き長っ( ̄∀ ̄;))




これはいつからそう思っていたのか具体的には思い出せないけれど、少なくとも5月にノムが私に絵を銀座のカフェで贈ってくれた時には確実に思っていたと思う。

ノムは書くことが好きなだけじゃなく、とても大切に思っていることは感じていた。

その辺りからメールやLINEを交わすようになってから、より一層そう感じるようになった。

ノムはそんな風には当時全く言わなかったけれど、そういうことって伝わる。

言葉にしなくてもものすごく伝わってくる。

だからこそ、ノムが文章を書くことを、ある種「頑なに」避けるみたいなのはうっすらと気付いていたし、私の書く文章を褒めてくれるのは単純にすごく嬉しかったけれど、何でノムは書かないのか、さらに謎は深まった。

今30枚以上、ページにして60ページ以上のノートをペラペラとめくって、ノムが発した言葉で「うん??」と思ったものを探し当てた。

7月25日、ノムが電話越しに私のホロスコープを読んでくれた時のこと。

ノムはこんな風に言った。

「ぼくもぶっしーも同じことをする。
メッセージを受信して、
ぶっしーは言語にする、
ぼくはビジュアルで物体化する、
それぞれオリジナルの回路で表現する」

(「ビジュアルで物体化する」=「絵を描く」)

これはとっても嬉しい言葉でありながら、私は「ノムは何で絵に限定するんだろう?私以上に言葉で表現できる人なのに」と一瞬思い浮かんだ。

だけどその時のメインは私のホロスコープの読み解きメッセージだったし、私も私でノムの星読みを聞いてメモするのに忙しかったから、そのままにした。

さらに、ノムは「もうライターを続けられない」となって、書く仕事から数年前に離れたという話をしていたから、そこは余計と深い事情あってのことだと思った。

そんなこんなの色々があって、ノムに書くことを私から触れるのは避けようと思った。

ノムが話したくなったら話すだろうし、そうでなければ自分の胸の中だけにしまっておきたいか、もしくは話すタイミングにまだ至ってないかだろうと思った。

ずっとそう思っていたのに、あの時の私は禁断の園に自ら侵入してしまった。

そんなつもりなかったはずなのに、言葉足らずで誤解を生む言葉を私は突然言い出した自分を見て驚いた。




前回のブログ『eat LOVE de ノム ⑵ 長電話の意味』より
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細かいことは忘れてしまったけれど、私はその6時間電話の時に、あるサイトに掲載されていたノムの文章について触れた。

ノムに出会う前にどうやってノムの個人ブログに行き着いたかを調べていたけれど、違うサイトばかりがヒットしまくりで、それでもしかしてそこから個人ブログに飛んだのかと思って、それで私は片っ端からヒットしたサイトを見ていった。

その中の1つに私は「違和感を覚えた」。

今思うと「他のとは『違う感じ』がした」ぐらいにも言えたのに、電話越しの私は、どストレートに「違和感を覚えた」とノムに直接言った。

それは批判とか非難では一切なくて、何かが違っていて、でもそれが何なのかわからなかったけれど、ノムと電話で話しているうちにそれが何かわかった気がしてきたのと、それを何とか伝えたくて言葉にしようとしたものの、その時の私は恐ろしいぐらいに言葉が出てこなかった。

代わりに、どストレートに「違和感を覚えた」しか出てこなくて、電話越しにもノムに負の何かを与えてしまったのはわかった。

全力で説明したけれど、絶対にどこかわだかまりなり喉に小骨が刺さったみたいなものは残してしまったと思う。

当たり前だけど、そんなことをしたかったわけじゃない。

もっとノムに伝えるべきことは他にあった。

あったけれど、私の言葉が完全に上手くなかった。

ノムは最初こそ「えっ!僕はあの文章だって本当に大切に書いたのに」みたいなことを言って、ぶっしーの言ってることは僕からすると違うとなった。
(ここは2人とも大人だからケンカとかじゃない)。

書いてて思い出した。

私が言ったことの1つに、その私が検索の途中で見た文章は、「ノムが書いていることには変わりないんだけど、ノムが書いているのにノムが書いていないみたいな印象を受けた」的なことを言った。←完全にやらかして火に油を注いだ人。

色々言葉が足らなさすぎて、全力で何とか伝えたいことを言うんだけれど、多分あの時すべてがすべて空回りではないけれど、何か噛み合ってないまま言葉だけが電話の電波に乗せられるみたいな感じだったと思う。

(中略)

もしあの時私が聞き心地の良い言葉だけを並べられたとしたなら、その後ノムにノムからの魂のメッセージを伝えることは絶対になかった。

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1つ1つ丁寧に振り返ると、本当にすべてがとってもよくできていた。

どうしてこの度、私からノムに書くことを触れられたかと言えば、そもそもは書く仕事を一緒にすることになったというのが大きい。

これが例えば、「ホロスコープ」とか「心のこと」や「内観法」みたいなので共同作業をしようとなったら、ノムの書くことに関して深い話をすることは絶対になかった。

ましてや自ら禁断の園的な話を振るなんて、しようとさえ思わなかった。

私のその辺りの危険回避術は相当高くて、相手が返答に困るものは、相手を困らせたくないのと同時に、仮に相手が答えた場合、当然聞いた側の自分も「ふ〜ん」で終わらせられるはずもなく、その返答に困りながらも答えてもらえたものに対して、今度は自分も言葉を用意しなきゃいけない。

そんなのどう考えても面倒でフル気遣い必須で、それは自分にとっても得策とは思えないから、そんな危険を自らは犯さない。

だけどあの時の私はなぜかノムが触れたがらない書くことについて触れ、そして電話の直前に見たノムの書いたある文章が、読む時にどうしても感じが他のものと違ったから、それについて触れた。

「私の口よ、何を言い出してくれる!?」と思いながらも口は止まらず、どんどん墓穴を掘った。

書いた通り、空気は普段の和やかで明るい空気ではなくなり、微妙な緊張感が漂うものになった。

自分の言葉を後悔しながらも、今さら言ったことは取り消せないし、そして電話が終わった後も、後味の悪さは残った。

私はノムの書いたものや書いたことを批判したかったわけでは一切なかった。

言うなれば(今初めて言葉にできそう)、ノムの書く文章はそれが私宛てのメールでも個人のブログでもこの度一緒にさせてもらえることになった書く仕事のサンプル文章でも、その空気に触れるだけで癒しが起きたり、気持ちを包んでもらえたり、自分がやさしい気持ちになったり、そういうことが起こる。

その度合いは色々でも、とにかく毎回毎回そのようなことが起こっていた。

心が動くというか感じるというか、そういう感触がいつもある。

そんな中、私が今回口にしたサイトに寄稿されたノムの文章には、それがなかった。

ノムが一生懸命書いているのも伝わってきたし、丁寧に言葉を紡いだだろうこともわかった。

なんだけど、他の文章たちで100%起こっていたことが、そのサイトの文章になると起こらなかった。

それが1つならたまたまと捉えたかもしれない。

でも何せ「検索」するのが大事だったから、サイト内の文章をいくつかは確実に読んだ。

私の感覚の問題だと言われたらそれまでだけど、あまりにも過去に体験したことないもので、だから私は違和感を覚えた。

とかいう丁寧な説明は電話では一切為されず、溝を掘ってしまった。

だからこそ、私はそんなことではなく、他の文章たちの方では100%起こることの内容とそれがどれだけ凄いことなのかをノムにきちんと伝えたかった。

これもまた何ということだろう、神々の審議会のいたずらか!?という感じではあるけれど、実はその内容でのメールを私は7月のある時から下書きで途中まで書いてあって、ノムに伝えようというのは元々する気持ちがあって、さらには気持ちを行動にも移してた。

なんだけど、色んなことがてんやわんやであるから、そのメールはなかなか進まず、当然送るのも延び延びになっていた。

だから、伝える機会はそれまでにだってあったはずなのに、そうはならず今回の時まで延ばされた。

今思うのは、てんやわんやでも他の理由でもいいから、今回のこのタイミングまで延びることが大事だった。

なぜなら、もっと早いタイミングだったのなら、私はその他の文章の雰囲気とは違うサイトの文章にも行き着かなければ、その差にも気付かず、さらに差に気付かなければ私の余計な話にも繋がらず、そしてその余計な一言によって生み出された魂からのメッセージで、それがないことには今ある結果には絶対に至らなかった。

私の失言というか暴言というかは、今回の一連の流れにおいて、一番重要な部分で、そして全ての流れを引き起こすトリガーだった。

ノムはノムでこのタイミングであることが、本当にこれ以上ないタイミングだった。

ノムにとって2つの大きな個人的テーマ(大きな悩みのタネ)がちょうど片がついた時に私から魂のメッセージが送られた。

大きなテーマの1つは、2ヶ月近く悩んだことで、その悩みにようやく自分の答えを出せて、そしてノムはそれと決別する決意をした。

もし渦中なら、ノムは、ここまで受け取ったり感じ取ったりできなかった、みたいなことを私に教えてくれた。

ノムにとってもこれ以上ないタイミングで、ノム自身の魂からのメッセージが行くようになっていた。




ノムの魂からのメッセージは、ノムだけじゃない、私自身もものすごく癒された。

過去からずっと傷となっていたこと、傷として抱えていたものがあったから自分自ら閉ざしていたこと、閉ざすことで自分の資質(能力)までも閉じかかっていたこと、そうしたものたちが一気に癒されることとなった。

ノムは相変わらず私を癒そうとはしていない。

気にかけてくれたり丁寧に関係を紡いでくれているけれど、決して私を癒すことを意図として私にメールを書いてはいない。

ノムはノムの話や感想を伝えている。

なんだけど、それが結局私の癒しにも繋がっていった。

そして、ノムの魂からのメッセージを書いたことは、私の回路をさらに拡大、発展させてくれるものとなった。

私にはどんな癒しが起こったのかを次は書きたい。

本当はそれもこの回に含めようとしたら、あまりに盛りだくさんで、あきらめた。

ノムがつい昨日(8/30)、『ふしぎな次元の8月の終わりに』と題してメールをくれた。

それ見て私も8月中にこれをアップしたくて、それで全部なんて書き終わらないから、途中であっても書けるところまでを書いてアップすることにした。

さらに余談だけど、今回は『eat LOVE de ノム』の後に(2)だけにせず、(2ーA面)とすることにした。

この続きは(2ーB面)に。

カセットテープのA面B面をイメージしている。

同じテープの中にAという側面とBという側面が同時に存在している。

今書いたのは外側の話。

今度は内側の話、B面を書こうと思う。

しかも、B面のBは「ぶっしー」の「ぶ」イコール「B」も兼ねていて、気に入ってる。

2019年8月29日木曜日

eat LOVE de ノム ⑵ 長電話の意味







[写真]
7月31日の夕空がノムの描く絵の色使いにとっても似ていて、それで送った写真。
そうしたらノムからデコレーションされて写真が返ってきた!




2019/08/24

書く仕事が正式に決まって、それについてノムと打ち合わせをした。

その時にきちんと聞いてみた。

どうして今回ノムが私に書く仕事を一緒にしようと言ってくれたのかを。

さかのぼること8月の2日、ノムはライター時代の上司?先輩?にあたるコージさんから連絡を受けていた。

関係ないけれど、その後ノムといつか話した日、別のこうじさんのセミナーだったかに参加した時の話を細かく教えてくれて、その後に書く仕事の人もコージさんだということになって、「コージだらけだね」なんて言っていた。

話は戻して、コージさんからノム宛に文章の依頼が入った。

ノムはすでにその話を聞きながら、私のことを思い浮かべてくれてたそう。

その文章の仕事を今回はぶっしーとしたいと思ってくれていた。

それは、書く仕事を長いことやっていたノムからして、初めてのことだとその直後の電話の時にも説明された。

私は全く業界のことを知らないから、共同でやるのが普通なのかイレギュラーなのかはわからなかったけれど、ノムいわく、ノムにとっては初めての試みだとのこと。

しかも、共同でやるにしても、やれる仕事とやれない仕事とがあるらしい。

今回依頼を受けたものは、ノムも初めてのタイプのもので、形としてかなりイレギュラーで、2人でやれる、むしろ2人でする方が色んな意味で可能性が広がると判断できるものだった。

しかも、その時ちょうど、花火の時の交通調査の単発バイトを翌日に入れていて、そのことをノムにも言っていた。

ノムはそれをするなら、好きなことで家でやれることで(私の得意な)調べ物して、日雇いのバイトするならこの仕事しても悪い話じゃないかも…、と考えて、私に声をかけることを即考えてくれた。

話が脱線するけれど、今年の夏は3年前2016年に名古屋から新潟に帰ってきた時の夏の出来事に非常に酷似したことがいくつか起こっている。

3年前と同じことをしながら、3年前とは違う今の自分の現在地を確認するみたいたことが多い。

花火の単発バイトもそうで、よくよく考えたら去年もしても良さそうだったのに去年はしてなくて、どういうわけか今年はすることに決めた。

今年は3年前の夏以来になる。

もう少し言うと、去年は記憶が曖昧だけど、少なくとも2018年4月以降のほぼ引きこもりのような時間の中で、どの仕事にしてもするしないを全部ペンジュラムに聞いて確認している。

できる仕事とできない仕事とがあるようで、40歳無職の人がそんな悠長なことをほざいてる場合ではないけれど、本当にこれがまた実によくできていて、やった仕事に関しては何かしら意味があった。

できない仕事というのは、それは私には正直わからない。

できない仕事は申し込んでも不採用連絡がくる。

理由はわからないけれど、私が進む道において何か邪魔になってしまうものなんだと思う。

花火の単発バイトもたしかにお金も必要だけど、おそらく何か水面下ではそれ以外に何か行く必要(理由)があるんだろうなぁと思っていた。

そして、ノムに話したのも、別のことがずっと続いていたからだった。

7月に入ってから、ノムと私はものすごい勢いでメールや電話をするようになった。

メールはものすごく哲学的というか、近況報告とかよりも自分の胸の内を明かすみたいな、しかもそれは自分の人生でも大切な部分について触れるみたいなものがとりわけ多い。

これまでもそういうメールを書いたことがないわけではないけれど、ノムとのそれは回数も内容もこれまでとは全然違っていた。

これもいつか書きたいことの1つだけど、ノムとやりとりするようになって、私は自分がいかに普段自分を抑えて言葉を選んで何かを書いているのかに気付かされた。

このブログはフリースタイルだからそんなこともないけれど、これが誰かに宛てるものになると基本的に私はまず構える。
(身構えない例外的な人たちももちろんいる!)

身構える多くの時、瞬時に書けるものと書けないもの、書くとするならどの言葉が適切か、これは言うと誤解を生みそうだから控えよう、これは言っても差し支えなさそうだから書こう…、他にもそうした緻密な確認作業を無意識のうちにやっている。

連絡メールはそれでいいけれど、心の中を書くメールにまでそれをしている。

心の中なら、より一層確認作業は激化する。

ということに気付いたのは、ノムと頻繁にやりとりするようになってからだった。

それまではそれが当たり前だったから、そんなことに気付くこともなかったけれど、ノムとやりとりするようになって、その社会的に通用する自分をいかにたくさん演じてきたのか、それに気付いた。

そもそも人並みな道から大きく外れた30歳以降は、社会的におかしい自分というのをたくさん見てきたけれど(←私は渦中過ぎてそんなこと思う余裕もなかったけれど、非難や否定の類いはバンバンとかなりな回数と人数から受けた)、それが自分だったからそういうものだと思っていた。

それでもその自分に嘘はないと思っていて、言われたことに関してはとことん自分の中で消化できるまで見つめ続けるみたいなことをものすごいたくさんしてきた。

そして自分がたくさんあれこれ言われてしまうから、他者へは言葉を相当選んで話すのが良いと自分に課して、そうやって話す癖は何も30歳ではなくても子どもの頃からの癖でそうなってた。

これまでだって色んな人たちと話してきたし深い話もしたけれど、ノムとの話はもうレベルが全く違うものだった。

しかも、ノムは内観を10年ほどほぼ毎日していて、私も私で自分の内面を見つめることを多分同じくらいのスパンでやっていて(毎日はしていない)、そして何が本当に楽かと言えば、スピリチュアル的なことに関してノムにはいちいち「これなら話せる、これは話せない」という配慮が要らないことだった。

ノムが何を受けたとか学んだとかはノムの話からしか具体的には知らないけれど、話してるとすぐにわかる。

この人相当深く学んでるって。

だから私も全く躊躇せずに話せるし、別に知っていても知らなくてもどちらでもいいから、その辺り自由に話せる。

しかも、知らなくてもノムはそれを見下したり私を下に見たりみたいなこともしない。

スピ話は他の人たちともできるけれど、他の人たちとノムとで全く違うのは、「自分の内面を言語化できる」かどうかの部分だった。

そして、言語化する際に、ノムと話して気付いたのは、「何を信じているか」がとても重要だということ。

ここが違うと、話してもちぐはぐになる。

ノムに出会うまでは、そのちぐはぐ感はわからなかった。

差し支えないように見えていたし、そもそもそのような深い話をできる人というのが相当少なくて、そこにさらに注文を付けるなんてとんでもないと思っていた。

「何を信じているか」を話したらキリがないからここでは控えるけれど、感覚的に似たようなことを信じてると思う。

例えば今さっとあげられるものを言うと

・奇跡はあるということ
・自分を活かす道・生き方が必ず何かしらあること
・自分を癒せる方策が用意されていること
・自分で自分を癒せること
・すべては必要で起こっているということ
・苦しいこと、フタをしてしまいたいことの先には人生の贈り物がセットであること
・何はともあれ自分を見つめることが第一であること

ノムに具体的に確認したことはないけれど、多分ノムもこの辺りは信じてると思うし、そして行動もしている。

それはノムと話しているとわかる。

この辺りが合致しているのがわかるから、話をするのに、これまでのような緻密な確認作業をしなくてもいいとわかる。

話を戻して、私はノムに花火のバイトがあるからいついつ以降なら話ができるから電話できる日があったら教えて欲しいとかいうことを伝えていた。

さすがに逐一すべての予定を報告することはないけれど、花火のバイトの件は普通に言っていた(←今自分でLINE見て確認してきた)。

そうやってノムも知ることとなった。

LINE見てきたついでに、下のノムからのメッセージも見つけた。

何が驚いたって、ノムは下に書いたことをコージさんから電話を受ける数時間前に私に送ってくれていて、当然その時はノムもその先のことは知らないんだけど、ノムがそんな風に書いた後、ドンピシャなタイミングでコージさんからの話が来ることになった。


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こうなってみると、ほんとに、この出会いのためというか、この出会いが待っていたんだなあと思うね。

さっき、ふと。ぶっしーへの宿題? がおもいうかんで。

Blogの記事のタイトルをつけるみたいに、ぶっしーの、武士俣史子のできること、したいことを網羅しあらわす名前をつけてみて! って思った。

って、こんなに人の人生にふみこむことは、越権行為だから、ぼくの思いつきにピンとこなかったら、違和感あったら、超スルーしてね!

それから、最新記事を読んで、長電話の意味? みたいなものを、あらたに感じられて。わかんないけど、ぶっしーのこれからの、新なのか真なのか、とにかくニューぶっしーが孵化する? 開花する? 誕生する? プロセスに、ぼくとのおしゃべりは、なにかしらの意味があるのかもな、って思った。ぶっしーがしていること、培ってきたもの、さらに深まる力、みたいなものを、たとえば対話中に自分で気づいたり、ぼくが言語化したり、あるいは、これから行うことの形作りのサンプル? 基礎づくりなのか。それこそ、ぶっしーのメッセージをぼくが受けとり伝え、ぼくのメッセージをぶっしーが受けとり伝えるとかね。あらためて言うまでもないかもだけど、ただ楽しいとか、そういうことのためだけの電話ではないよなあ、って。


※文中の「最新記事」は『40歳4ヶ月』

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ノムが上の文で言っていた
【長電話の意味? みたいなものを、あらたに感じられて。わかんないけど、ぶっしーのこれからの、新なのか真なのか、とにかくニューぶっしーが孵化する? 開花する? 誕生する? プロセスに、ぼくとのおしゃべりは、なにかしらの意味があるのかもな、って思った。
(中略)
あらためて言うまでもないかもだけど、ただ楽しいとか、そういうことのためだけの電話ではないよなあ、って。】

これはまるで予言のように本当にそうなった。

8月2日に書く仕事を誘ってもらう数時間前にもらったLINEのメッセージだったけれど、本当にその後3週間ほどかけてそのようになった。




8月24日、ノムと6時間に渡る仕事の打ち合わせ電話の前に、最初の方に書いたように、ブログを書くに際して、ノムの個人ブログにどうやって行き着いたのかを調べるためにネット検索をした。

あくまでもそれは、1年前の5月にどうやってノムの個人ブログに行き着いたかを知るためにしたことだった。

その時のことを『eat LOVE de ノム ⑴ 出会い〜葉月2019』に含めるために、そうしたに過ぎなかった。

だけど、蓋を開けてみたら、その行為は全く違うものに行き着いた。

細かいことは忘れてしまったけれど、私はその6時間電話の時に、あるサイトに掲載されていたノムの文章について触れた。

ノムに出会う前にどうやってノムの個人ブログに行き着いたかを調べていたけれど、違うサイトばかりがヒットしまくりで、それでもしかしてそこから個人ブログに飛んだのかと思って、それで私は片っ端からヒットしたサイトを見ていった。

その中の1つに私は「違和感を覚えた」。

今思うと「他のとは『違う感じ』がした」ぐらいにも言えたのに、電話越しの私は、どストレートに「違和感を覚えた」とノムに直接言った。

それは批判とか非難では一切なくて、何かが違っていて、でもそれが何なのかわからなかったけれど、ノムと電話で話しているうちにそれが何かわかった気がしてきたのと、それを何とか伝えたくて言葉にしようとしたものの、その時の私は恐ろしいぐらいに言葉が出てこなかった。

代わりに、どストレートに「違和感を覚えた」しか出てこなくて、電話越しにもノムに負の何かを与えてしまったのはわかった。

全力で説明したけれど、絶対にどこかわだかまりなり喉に小骨が刺さったみたいなものは残してしまったと思う。

当たり前だけど、そんなことをしたかったわけじゃない。

もっとノムに伝えるべきことは他にあった。

あったけれど、私の言葉が完全に上手くなかった。

ノムは最初こそ「えっ!僕はあの文章だって本当に大切に書いたのに」みたいなことを言って、ぶっしーの言ってることは僕からすると違うとなった。
(ここは2人とも大人だからケンカとかじゃない)。

書いてて思い出した。

私が言ったことの1つに、その私が検索の途中で見た文章は、「ノムが書いていることには変わりないんだけど、ノムが書いているのにノムが書いていないみたいな印象を受けた」的なことを言った。←完全にやらかして火に油を注いだ人。

色々言葉が足らなさすぎて、全力で何とか伝えたいことを言うんだけれど、多分あの時すべてがすべて空回りではないけれど、何か噛み合ってないまま言葉だけが電話の電波に乗せられるみたいな感じだったと思う。

もうぶっしーとは二度と話したくない、みたいな空気にはならなかったし、その後は少しずつ不穏な空気は緩和されたものの、私も私で「これではなく、何かもっとノムにきちんと伝えたいことがある」と感じた。

違う感じが何なのか、それをきちんと言葉にしたかったし、そして何よりもそんなことではなく、ノムの書く文章の大ファンとして、その文章がどういう性質を帯びたものなのか、ノムにきちんと伝わるように伝えたい、そんな風に思った。

私が言いたかったことは、ノムの文章は人を癒す力のあるものだということだった。

それを伝えたかったのに、話はどんどん別の方に流れて、ゲゲゲ((°Д°;))))という流れを生み出した。

電話を切った後も気になって、そして切って1時間くらいした頃だったのか、私はメールを書こうと決めた。

それは謝罪とかではなく、ノムに純粋にノムの文章の凄さを伝えたかった。

電話で上手く伝えられなかったことを伝える、それが目的だった。

それが最終的に「ノムの魂からのメッセージ」に繋がった。




こうやって振り返ると、あの私の思い付きで始めたネット検索は超絶大事なことだった。

そしてそれについて「違和感」をはじめ言葉足らずなことも結果的に良かった。

もしあの時私が聞き心地の良い言葉だけを並べられたとしたなら、その後ノムにノムからの魂のメッセージを伝えることは絶対になかった。

あそこで私は私でなんとなく気まずく、そのままにはしておけない!と思って、それで書いた。

自分の中に出てくるままに言葉を綴った。

それがノムの魂からのメッセージだとも気付かずに私は書いた。

それが私自身の扉も開いてくれるものだと理解できたのは、最初のメッセージを送った後ノムからの返信をもらった時だった。

そして、本当の本当にその凄さがわかったのは、通算4通目のノムへの魂からのメッセージを書いた時だった。




2019/08/28

もたもたしているうちに、また次なる展開にすぐに行ってしまいそうだから、先に今ある事実を淡々と綴ることで、途中まで書いたものをアップしてしまいたい。

4日前のこととはもはや思えないくらいに、色んなことがあった。

土曜(24日)の夜遅くから日曜にかけて、ノムにメールを書いた。

ものすごく長いメールで、私は書き始める前から「ファンレター」と題した。

そういうつもりで書き始めたのに、後半の方は嘆願書のような様相になって、あとからタイトルに「(嘆願書!?)」と書き足した。

すごい熱量のメールで、最後の方に「もしかして、これはノムの魂からのメッセージかもしれない」と思った。

ペンジュラムに聞いたらYESが出た。

しかも、自分の考えや想いを書いていたつもりが、どうやら私個人の意志は1つとして含まれていないようだった、ペンジュラムいわく。

それで月曜日にノムからこれまた超大作の返信がきて、ノム自身も【魂からのメッセージなのだろう、って思った。】と言ったのと、私もノムからの返事を読んで「あれはノムの魂からのメッセージだったんだ」と確信した。

ノムにもペンジュラムで確認して欲しいとお願いしたら、同じ答えだった。

ノムに2つのことを聞いてもらった。

・ノムに宛てた嘆願書的ファンレターのメールが、あれはノムからの魂からのメッセージかどうかをペンジュラムで聞いて欲しい。

・もう1つ聞いてほしいのが、あの中に私の想いや気持ちも含まれているか否かを聞いて欲しい。

ノムの返事はこうだった。

【いま、尋ねたら、やはり魂からのメッセージに強くYESだった。そして、ぶっしーの想いや気持ちについてきいたらNOとでたよ。NOなんだーってちょっと驚く!】

その後これまた3回に分けて、ノムの返事を読んだら出てきたメッセージたちを書いて送った。

言葉にするとそれだけなのに、実際にはそれ以上のもっともっと大きなことだった。

ノム自身にももちろん大きなスパークが起きたんだけど、私の方にも大きなスパークが起きた。

ノムに計4通の魂からのメッセージがメールとして送られたけれど、言うなれば1通あたりこの私が普段書くブログ1記事ぐらいの長さになる。

その長さを目指したわけじゃなく、書いたらそれぐらいに最後はなった。

書きながら私の質は一気に開いた。

ある種のデビューみたいなものになった。

自分の中の回路も開いたし、そしてそれが起こるための要件がきれいに全て揃った。

自分でも、これまでとは違うくらい、何かが変わったことがはっきりとわかった。

2019年8月28日水曜日

希望と絶望のはざまで夜中の書き物

今、真逆のエネルギーが同じくらいの強さで起こっていると感じる。

魂レベルの人生の目的は、多分信じられない速さで色んなことが人生に飛び込んで来ている。

そして内容も史上最高の濃密さを呈している。

そちらはそちらで良いとして、その上手くいく感じと、全く上手くないこととが、見事に対照的に鏡合わせのように存在している。

魂側が上手くいけばいくほど、その同じエネルギー量で上手くいかないことはどこまでも上手くいかないと、日々絶望度合いが増し増しになっている。

魂側の意図ではないんだと突きつけられてるみたいで、目をつむりたくなる。




人生でもう会えないということの意味を色んなシーンに絡めて想像してみる。

最初に出てきたのが、「声」だった。

声の記憶はギリギリある。

それはどうも期間の長さと発言量=聞いた量に比例するみたいで、期間の短さと発言量が圧倒的に少なかった声は、記憶にとどめておくのがとても難しい。

意識の深いところでは絶対的に憶えていても、表面の意識では記憶が薄れていく。

人生でもう会えないということは、声を聴くことが二度とないということなんだと知る。

姿かたちも当然視覚で捉えることがない。

耳も目もきちんと機能してくれていて、とりあえず今日も生きる時間が与えられていて、私はそういう意味では元気そのものだけど、特定の事柄になると、それをどんなに望んでも1ミリもそれが自分の人生に起こることが許されていない。

体が元気で、魂的な意図はモリモリと物事が進むのに、本当に叶って欲しいことは叶わない。

それは頭だけで叶って欲しいとでも思っているとは思わない。

私は本気のつもりでいる。

なんだけど、悲しいくらい叶ってはいけないようで、微動たりしない。




魂側の設定は今少しずつ明るみになっている。

多分そちらは、私の望む望まない気持ちは関係なく、いわば勝手に叶っていくと思う。

何度も引き合いに出しておじいちゃんごめんなさいとは思うけれども、山で行方不明になったおじいちゃんを探して欲しいと頼まれた去年の秋から、いよいよ色んなことが猛烈なスピードで動き出した。

何度書いても、さすがの私もそれってとってもおかしいことというか、1億人の人生サンプルを集めた時に、そんなことを人生で体験する人は、いても100人いるかいないかじゃないかと思ってる。

でもそれが私の人生の設定ならもはや止められないし、1年前のホロスコープ鑑定で、私の場合は星を使うのではなく「星にどうぞ私をお使いください」というタイプの人生だと説明されて、実際にそのような人生がこの1年でわかりやすい形で展開している。

何を言っているのかと思われるかもしれないけれど、実際に魂の設定レベルになると、人間側のちっぽけな頭で考えたり心で望んでいるものとは別次元の力で突き動かされるということを目の当たりにする。

この1年5ヶ月ほど、最低限の外部の接触と最低限の生活と、はたから見たら引きこもりでも、私側は多分40年分の時間をかけて動かさなければいけないほどの色んなことが一気に起こりまくっていて、未だに上手く消化もできないまま、次へ次へと容赦なく進むみたいになっている。

最低限のものだけに囲まれた生活になると、自分が本当に望んでいることたちなんか、本当にごくわずかだと知る。

私はもうあれだけ望んだ結婚も出産も本当にあきらめ始めたし、よくわからない魂の設定ももはや自分じゃどうにもできないとわかってそれについても受け入れていく他ないと思ってる。

私の望みはどんどん細分化して、もはや「それだけ?」と思うほど小さなものになった。

魂側の動きのスケールのでかさからしたら、私が本来望んでいることは本当に小さなものだった。

それさえも叶わない、叶えてもらえない自分の人生はなんなのかと思う。

私は一杯のコーヒータイムが欲しいだけだった。

そこまで自分の望みを小さくして、それでも叶わないのだから、もう何かが本当にダメなんだと思う。

魂側のダイナミックな動きによってもたらされるものは、本当に大きな感動もあるし、素晴らしい側面もある。

でも私が注目しているのはそういうことじゃない。

365日毎日念仏のように願いまくったことは、何か大きく道を外れてるのか、叶わない。

私は、自分で自分に納得するために、最後の勝負に出た。

ダメなものを自分が納得できるように、自分に残っているすべての選択肢を使い果たした。

やるだけやってダメなら仕方ない、そう思っていた。

予想はしていたし覚悟もしていた。

なんだけど、予想や覚悟した通りの展開になっても、心は全く頑として動かない。

「仕方ないよね」の境地など、そこに至るのに私はどのくらいの時間が必要なのか、考えるだけでぞっとする。

日々の生活に残るものが少なくなればなるほど、私は何かなくてもそんなに困らない体質だとわかった。

一番わかりやすいところで言うと、お金のかかるものはとことん節約生活に入って、もはやちょっとおいしいものを外で食べることも何かと天秤にかけて、何かの方が勝ればそれさえもあきらめるみたいな生活になった。

多分多くの人は耐えられないようなことも、私はどういうわけか平気で、「それって我慢とかじゃないの?」と揶揄が飛んできても、「別にそう思われてもいいです」と思えるほどに強靭な精神力になっている。

毎回思うけれど、30代の10年間で強烈な状況に何度もなったおかげで、私はドン底でも人生を楽しむ術だけは身につけた。

ある種の処世術みたいなもので、それはこれから先の人生でも大いに活躍してくれると思う。

メンタルトレーニングに励んだわけじゃないけれど、究極に限られた状況になると、もはや自分が心から望んでいることはとっても数少ないとわかる。

つい昨日かおととい、車の中で「自分にとって死ぬ時に望むものは?」なんてことを考えた。

余談だけど、期間限定の米の仕事は片道30分強かかる上に距離数も20キロ越えしていたかと思うから、運転の途中から意識の状態が変わる。

自分の深い部分にアクセスできるみたいになる。

その時は「知名度」というテーマの話をノムとのやりとりでしたばかりだったんじゃなかったかなと思う。(ノム=占星術講座で知り合って、今双方で書く仕事を一緒にするという名目の上、互いに色んな意見交換を交わしている)

知名度に興味のない2人は、どこまでも興味がないという結論にしかならないのだけど、私が車の中で考えたことは別のことだった。

知名度は要らないけれど、私は最後自分が死ぬ時に何が欲しいかな?と考えた。

1人の車の中は、そういうことを考えるのにもってこいの空間だと感じる。

出てきたことはとってもシンプルだった。

誰かに私のことを憶えてもらえる、それはたくさんいなくて良くて、1人そういう人がいたら本当にいいなぁと思う。

憶えてもらう私の姿は、アホっぽくていいし、不器用で記憶されてもいい。

それは何でもいい。

誰かの心の中に私がいたと記憶される、そういう人生でありたいと思った。

これはきょうだいや友達ではなくて、自分のパートナー的な人にそれをして欲しい。

パートナー的なことも、魂側の意図を今目の前で見ていて、強烈な事実に行き着いたゆえ、より一層絶望感が増したのもある。

これはまた未来変わるのかもしれないけれど(本気で変わって欲しい)、私が思うに、ここまで私が1人人生なのは、多分1人の力でとことん自分癒しをする魂の目的があったからだと思う。

私の友達にシングルマザーの子がいるけれど、その子の話を聞くといつもいいなぁと思ってしまう。

色々あっても、子どもが生まれてからその子の生きる原動力は子どもが支えている。

彼女はそうとは言わないけれど、そうなのは話を聞いていてよく伝わってくる。

私は自分の性格を見てわかるけれど、もし私に子どもがいたり夫なりパートナーがいたら、私はその人たちとの生活を守るために生きると思う。

そういう存在は、欲しいからといって手に入らないということはものすごくよくわかるから、そんな幸運に恵まれたのなら、私はその人たちやその人たちとの生活を自分の人生の真ん中に置いて生きる自分はものすごくよく想像できる。

だけど、それをすると、私が自力で立ち上がる力は多分埋もれたままになるのと、そしてそうなると魂側の設定はAll無視する自分のことも安易に想像できる。

このブログの中に何度も何度もしつこいぐらい書いたけれど、魂側の設定は私からして何1つ望んだ記憶もなければ、そもそもかなりヘビーだから、ヘビーと最初からわかっていたら絶対に手をつけない。

しかもこれこそ致命傷だと思うけれど、私はその設定に対してそもそも興味がない。

自分癒しをするのは興味があるからじゃなくて、そうでもしないと自分が生きていくのに苦しすぎるからやってるに過ぎない。

要はここまでの状況にならなければやらないこと。

そして、そのやった色んなことが魂の設定に対してどうでも必要なことなんだろうと思う。

そうなってくると、パートナーや子どもがいない方がある意味正解で、究極の1人こそが私をここまで強くするのはよくわかる。

そういうことまでわかってきてしまった今、だからこそ死ぬ時に誰か1人に、それは私にとっても大切な誰かに私のことを憶えてもらいながら死ねたら、これほどしあわせなことはないと思う。




何の話をしていたんだったかな…と我に返った。

本当はノムとの間に起こっている様々なことが目白押し状態で、それを先に書いてしまいたい気持ちはあるけれど、夜中に目が覚めて書きたい気分なのはこっちの方だった。

魂側はトントン拍子な感じ。

ちなみにそれは、自分に合ってる仕事をするとかパートナーに恵まれるというのとはおおよそ違う。

トントン拍子というのは、ものすごい速さで傷が癒えていて、さらに癒えた分今度は魂側の設定をする状態に近づくわけで、はたから見たら「ぶっしー何も変わってないね」にしかならない。

だけど、私側からすると過去の色んな痛みが癒えてるのはわかる。

そちらがトントン拍子であればあるほど、自分が望んでる小さなことが叶わない現実を前にひたすら絶望しか浮かんでこない。

まさに、叶うエネルギー量と叶わないエネルギー量が、「量」的には一緒なんだろうと思う。

真夜中に書いたから、しかもずっと半分眠たい中で書いたから、内容も果たしてどんな風なのかいまいちわからないけれど、このままアップしようと思う。

私の中で一番キツイのは、無視されること、無視され続けること。

ノムとの間に起こっている希望のようなものの裏側で、無視され続けてることも私にはあって、そこはもう絶望一色という、私がそれを受け入れるにはまだまだうんと時間が必要なことが横たわっている。

2019年8月25日日曜日

eat LOVE de ノム ⑴ 出会い〜葉月2019

ノムのブログ:leeの話 こことあそことそのあいだ





色んなことがてんこ盛り過ぎて、頭の中の整理が追いついていない。

もうこの際、延び延びになったことが意味のあることだったと超前向きに捉えて( ̄∀ ̄;)、印象に残ったことを書き綴りたい。




現時点(8/24)での結論から先に言うと、占星術講座のクラスメイトだったノムに声をかけてもらって、ノムと一緒に1回きりの文章を書く仕事をすることになった。

書くとそれで全部なんだけど、そこに至るまでありえないことが何十個と重なっての今に繋がっている。

何十もの細かいプロセス全てを説明してたらキリがないから(それこそシリーズ化しないといけないぐらい)、かいつまんで今はざっくりと説明しようと思う。

そもそも私がノムの存在を初めて知ったのは、占星術(ホロスコープ)講座ではなくノムのブログの方だった。

2018年春、私は先のことは何も決めずに仕事を辞め、存分に与えられた時間を自分のホロスコープを読むことに費やした。

完全なる独学でスタートした私は、ホロスコープに関しては、基礎なんかかっ飛ばして気になったテーマからどんどん調べていった。

ブックマークもよくしたから、何かもう一度確認したいことがあると、ブックマーク一覧を開いては色んな記事を読み返していた。

そんな中、どういうわけか私はノムの個人ブログをブックマークした。

今自分で気になって調べてみたけれど、実はホロスコープと重ねてノムのことを検索しても、ノムの個人ブログは全くヒットしなかった。

ノムに出会う前にノムのブログに行き着いてたという話をクラスメイトにしたら、その1人から、鑑定の先生を検索して野村さんが出てきたんじゃない?と言われたことがあって、その線も調べたけれど、どうにもこうにもヒットしなかった。

ノムがホロスコープ鑑定について書いた文章があったからそちらも見てみた。

けれど、そこに書かれていた文章を全て見て、私はそのどれも見たことがないようだった。

一度でも読んだ文章なら私は普段覚えている。

詳細は覚えてなくても、「これなんとなく読んだ」と感じる。

なんだけど、ノムのはそれを全く感じなかった。

しかもそのサイトからノムの個人ブログには飛ばなかった。

じゃあ私はどうやってノムの個人ブログに行き着いたんだろう…?

神々の審議会のいたずらとしか思えないレベルの奇跡!

どうやって行き着いたかも知らないけれど、もはや天文学的数字の確率でそれが起こったってわかる。

今となっては謎すぎるけれど、どういうわけか行き着いて、私はどの文章に行き着いたかも覚えている。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

誰にもやさしくありたいならば、どのような自分にもやさしくいればいい。

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引用元:leeの話 こことあそことそのあいだ
2018.5.17 『ふと思った』より
http://lee.salondepink.com/?eid=1425303


まさかその文章を書いた人と同じ占星術講座を取るとか、未来のいつか書く仕事をそのやさしくて素敵な言葉を吐く人と一緒にできるなんて、まーーーったく想像していなかった。

ブックマークしていたサイトが野村さんの個人ブログと知ったのは、講座の2回目か3回目の時に、絵を描くと教えてもらって、どんな絵を描くんですか?と聞いて、その時に直近の個展の案内をノムは持っていて、それをもらったことがキッカケだった。

しばらくその案内はそのままだったけれど、ある時案内の中のブログのアドレスが目に留まって、「これ見覚えがある…」と思って、それでもしやブックマークにある記事の1つじゃ!?と思って確認したらビンゴ!!!

だから講座を受ける前、ちょうど講座のキャンセルが出て申し込めたあたりに、私はそれが未来の出会いに繋がるなんて知らずにノムの書く文章に行き着いていた。

そのことをその次の講座で会った時に直接伝えて、それなりに2人で盛り上がりはしたけれど、その時はまだお互い距離が縮まる風もなく、そのまま初級講座は終わって、それっきりとなった。

その2人が再び繋がったのは、今年の2月、私がブログで『奇跡の果実⑧覚醒』を発表してからだった。

今思うと、去年最後に講座の先生と話した時に、すでにノムと私とがこうなることを先生が予測してくれていた。

去年の講座の最後の時に(11月の終わり)、先生は私のホロスコープを見て言った。

「武士俣さんが今回関わることになった山で行方不明になられた方、その方に関わる方々が今後武士俣さんのお客さんになったりご縁が結ばれたりまたは運ばれたりしてくると思います」

当時、私はてっきり、それというのはおじいちゃん(=山での行方不明者)のご家族やそのご家族の知り合いの人たちを指すのかと思っていた。

いざ蓋を開けてみたら、それは全く違う様相を示していた。

先生が言った通り、おじいちゃんから派生している縁というのは本当だった。

だけど、今現在少なくとも明らかになった縁は、おじいちゃんと関わったことである日ひらめいて書いた『覚醒』の文章が誰かと繋がるためのボンドのような役割を果たして、『覚醒』の文章を他の人たちとシェアしたことでそこから縁が繋がっていった。

たしかにそれが私の占星術鑑定デビューに繋がったし、ノムとの出会い、そしてノムが繋げてくれたミッチー(ノムのゲイパートナー)とレイさん(ノムの大家さん)との出会いにも繋がった。
(鑑定デビューの話が延び延びだけど、これだけは絶対の絶対に今後書いてアップする)

『覚醒』の文章をきっかけに、野村さんとの個人的やりとりは始まった。

でもそれはあくまでも単なるLINEでのやりとりで、それ以上の関係にはならなかった。

事態が動いたのは今年の5月、先生が中級講座を開催すると決めて、それで東京に行ってきた時のこと。

その時に初めて野村さんと武士俣さんな私は集った。

野村さんの方から、講座の後にお茶しませんかと誘ってくれた。

私は二つ返事で誘いに乗って、そこで初めてノムと私は顔を突き合わせて色んな話をした。

想像以上に2人の趣味嗜好や価値観はそっくりだった。

いくら話しても話し足りず、会っている間中、2人でずっと喋り倒していた。

翌月も会おうとなったけれど、ノムの都合によって会うことが難しくなり、代わりにノムの家に泊まりに来ないかと誘ってもらって、そこで私は初めてノムとミッチーとレイさんの3人に会えることになった。

ノムとミッチーとレイさんと3人で過ごせた時間は、滞在時間から睡眠時間を差し引くと13時間ほどになると思う。

その時間を私は『ea LOVE』と題したシリーズで13話書いた。

そこでもっともっと距離が縮まった。




そんなこんなを経て、その後からノムと私はもっと互いに話をするようになった。

最初に深い話をする機会が訪れたのは、ノムたち3人に会ってから1週間くらいした後だった。

それは表面上は、ノムが相談的な感じで話を聞いて欲しいと言ったところに端を発する。

なんだけど、今1ヶ月半前の当時を振り返ると、相談内容はその後ノムの人生の根幹部分を大きく揺り動かすようなものへとなっていったけれど、相談の方が2人の間を強固に繋ぐきっかけを作ってくれたかのような感じに見える。

最初その話をした時、そんな流れを生み出すものだなんて一切考えなかった。

大事な話なのはわかったけれど、それが人生そのものや自分たちの価値観をとことん見つめ直す機会をもたらすものだなんて、誰が想像できただろうと思う。

しかもそこを皮切りに、本当に深い話がいくつも続いた。

電話もメールもLINEもフル活用で、とにかくたくさんの言葉と考えと想いを互いに交わしまくった。

本当の本当にたくさんのやりとりがあって、色んな展開が生まれて、心の深いところも互いに言葉にしながら幾多の一期一会的な交流が生まれた。

そして8月に入ってすぐ、私側の地元の日本三大花火の日の夕方前、ノムから突然電話がかかってきた。

電話の時はいつも一度LINEでできる時間を確認してからするから、突然の電話でどうしたんだろう?と思った。

ノムは矢継ぎ早に事情を私に説明して、そして「この書く仕事、一緒にやらない?」と誘ってくれた。

私には夢のようなオファーだった。

というのも、その書く仕事は、ノムがそれまでのやりとりを見て「ぶっしーと一緒にやりたい」と思ってくれたことで、私にしてみてもこれ以上ないくらい自分の持っているものを発揮できる要素が満載だった。

私はその場でやると返事して、あとはノムからまた連絡を待てばいいだけだった。




余談だけど、ノムと私とはお互いの生まれた時のホロスコープを重ねると、縁が強い部類に入ることがわかる。

重なりの1つは、2人でいるとどこまでも広がっていくと読めるものがある。

それに最初気付いた時、2人で「これはこういう意味かね〜!?」なんて色々考えながら検討したことがあった。

その後も事あるごとにその話題を取り込んで、どうだろうね、これかね?なんて話したけれど、本当にその通りの展開が実際に起こった。

これは後々知っていくことだけど、ノムも私も基本的なバックグラウンドみたいなのが似ている。

何せスピリチュアルな勉強会やセミナーなんかには何十もの種類に参加した私は、そういうところで人に出会ってくる回数も半端なく多い。

それ以外の場面で出会う人数よりも圧倒的に多いと思う。

なんだけど、そうしたところで仲良くなった人なんていうのはごく一握りで、さらに基本的な価値観が共有できる人となると、皆無に近い数字になる。

そうした勉強会あるあるなのか、変な人たちもたくさんいる。

変な人たちというのは、人としての部分がおかしかったり、そうしたものに依存しすぎて考え方や行動が変わっていたり…。
(私も人のことは決して言えない。)

ノムも私も、基本的にスピリチュアルな教えは現実の生活に活かしてなんぼぐらいに思っている。

そして、やり方や方法論にもこだわりはなくて、良いものを自分の感覚で取り入れていくところも似ている。

最初はそんな風にして、似通っているところや価値観を対話を通じて交感し合っていた。

そして、もっと深い部分の話をした時に、実はお互いに大事にしたいものが同じで、だから今回のように仕事を一緒にしようとなった時、それが良い形で協力できる最強基盤と化した。

それが一緒の人と私はこれまで仕事をしたことがなかった。

そういうのはなんとなく妥協しながら歩み寄るものだと思っていた。

ノムと私がしたことは逆だった。

一切の妥協なしで、ガチで自分たちの価値観を中心に据えて、それを一番にした。

そんな怖いこと一度もこれまでしたことがなかった。

なんだけど、今回はそれを結果的にすることになって、そしてそれが可能なんだということも知った。

そして、普段ならとっても怖いことが、ノムと話しているとそれは安心や可能性というものに変わっていった。




ノムから連絡をもらってからも普通のやりとりは続いたけれど、書く仕事については何も触れてこなかった。

ノムが窓口だから変に急かすのもどうかと思って、黙っていた。

そろそろお盆に入りそう…なんて頃に今回の仕事の見本がきた。

これまでは口頭でしか聞いてなかったものが、初めて目で確認できる形で資料が送られてきた。

見た瞬間に「これやって大丈夫かな?」と思った。

ノムがしてくれた説明とはおおよそ違うものがやってきた。

言うなればこんな風だった。

食べ物の話で、その中でも特に家ごはんに特化して書くと思っていたものが、資料の現物を見たら、高級ホテルや高層ビル上層階でのきちんとしたテーブルマナーがあるコース料理のことだった、というぐらいの違いだった。

店も知らなければテーブルマナーも知らなければドレスコードも頼み方も食べ方も、とにかく何も知りません状態だった。

本当に資料の中のサンプルは、2人は全く知らないものばかりで、知識はお互いに完全にゼロだった。

ノムは聞いていた説明をそっくりそのまま私に伝えてくれていて、ノムも聞いてた話と現物があまりに違いすぎるから驚いていた。

そこで私たちは再度話し合った。

仮に引き受けても、サンプルのような文章は書けないこと、それに合わせて書くとするならものすごいリサーチが必要で、そこまでしたいことではないこと、まずはそこを確認した。

反対に何だったら書けるのかそれを話し合って、そして2人で出した結論は、自分たちが書ける文章のサンプルを書いて担当者に見てもらって、それが採用されるなら引き受ける、反対にそれがダメなら引き受けずに他の人にあたってもらうようにお願いしようとなった。

そうやって話がついた。




サンプルを実際に書いてみた。

文字数が決まっていて、2人で書こうと決めた軸に合わせて書いた。

書いて驚いた。

そういう手の文章は書いたことなかったのに、スルスルと書けた。

言葉が自分の中から勝手に出てくるみたいで、私はそのことにとっても感動した。

書きながら思った。

いつのまにか、こうしたことを書けるぐらいの自分になったんだなぁと。

ノムにその書いた文章を早速送ると、こんな風に返してくれた。

【お世辞抜き、天才!  天才は、天からの才能だからね。天の意思なのだろうね、それを使うのが。】

初めてやったことなのにいきなり出来て、そしてそれを文章のプロからも評価してもらえて、これ以上ないくらい嬉しかった。

しかも、いつかの自分がブックマークするぐらいに一瞬で虜になった文章を書く人から誉められたわけだから、それはとっても名誉なことだった。

ノムはただ誉めただけじゃなく、そのことの意味を私がわかるようにはっきりと言葉にして教えてくれた。

サンプル文章の第1号の読者がノムで、私は本当の本当に自分がこの上なく恵まれた状態で今回の書く仕事をすることができて、本当に心から嬉しい。

そして先のことはわからないけれど、私の人生で初めて正式に世に送り込む文章を、ノムに見守られながらやれることは、人生でも五本の指に入る幸運な出来事だと感じている。




ノムと私はさらに踏み込んで、「どうしてその文章を書くのか」や「読み手の人たちに何を伝えたいか」を話し合った。

私とノムは頼まれてもいないことを始めた。

サンプルがあるから今さら大元の路線変更は不可能だろうことは予測がついた。

でもノムと私は、そのサンプルがどんな人たちに実際に渡って、それがどんな風に生活の中に密着して、どういう存在感となるのか、その1つ1つを全部くまなく話し合った。

自分たちがその中で発信したいことはなんなのか、そこまで話し合った。

言うならこんな風だった。

食べ物の話と聞いて、うちらは勝手に家ごはんを想像したけれど、実際はホテルや高級レストランなんかでの食事についてだった。

2人はもう一度、原点の「食べ物」に戻って、そのコンセプトを話した。


ノムのメールより
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eat LOVEというプロジェクトなんだけど、これはそのまま「愛を食べる」ってことで。

最初に書いた、”ホーム”が、なによりもぼくには大切で、
そして、ぼくだけではなく、「みなさん、ホームって大事じゃない?」
「大切な人といっしょにご飯を食べると幸せじゃない?」ってなことを、伝えてみたいとか思う気持ちがあって。

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こんな風に、今回は食べ物とは違う題材だけど、2人で話し合ったのはこういうことだった。

その軸を大事にしよう、そしてそれが話しても伝わらなければダメだし、反対にそれが可能性としてとっても低いものでも、それに興味を持ってもらえたらやろう、そういうことになった。

2人の中でそこが決まったから、もうあとは神のみぞ知るの領域だから、相手側の反応を待つことにした。

こうして言葉に書き起こすと、なんて小さなことみたく見えるけれど、私は過去にここまで突き詰めて自分の対外的な仕事に取り組んだことはなかった。

それは単なる仕事ではなくて、自分たちの生き方・あり方そのものを問う、そういうタイプのものだった。




ノムが話を初めてもらってから担当者と打ち合わせする日まで2週間近く空いた。

2人で何で2週間近くも空いたのか、その理由や意味をこれまた自由に話し合った。

理由というのは、社会的な体裁みたいなことじゃない。

社会的なことで言えば、締め切りなるものが存在するわけで、それなら超特急で物事が動いても良さそうなのに、なぜかそうはならなかった。

2週間も空く=私たちにとって空白の時間が生まれるわけで、その2週間が何で必要だったのか、まるで推理合戦のごとく話した。

2週間空いた間にも見本が届いたりして、そこで自分たちの想像していたものと全く別のものが届いて、仕事をするしないをまずは徹底的に話して、じゃあどういう視点で書くのかを話して、自分たちも文章のサンプルを作ろうとなって、本当に頼まれてもいない色んなことを2人で突き詰めた。

サンプルと自分たちの文章サンプルがあまりに違いすぎてこれはボツの可能性が高いね、でもボツで構わないから自分たちの気持ちに反することは書きたくないというのは、2人の一致した意見だった。

これは本当に嬉しい一致意見で、自分たちの信念を貫けることが本当の本当に嬉しかった。

後々わかることだけれど、本当に2週間必要で、2週間もあったからこそ濃密なトークも文章サンプルも作ることができた。

2人の中で、これはもしかして本当に依頼がなくなって白紙になる可能性も高くて、でももしそうだとするなら、担当者のAさんとの時間が実は一期一会でそれが本当に必要だからこうなってるのかもしれないね、などと話したりもした。

Aさんの名前というのがものすごく特徴的でさらにはAさんの仕事にピッタリな名前で、ノムと私はそのこともワイワイと盛り上がって話した。

ノムに、そんなことが可能なのか知らないけれど、もし可能ならAさんにAという名前の由来を聞いてきて欲しいとお願いした。

ふざけたお願いみたいだけど、私は本気で知りたかったし、ノムもノムで気になってたのは本当だから、聞けたら聞くね!と返してくれた。

2人の中で神のみぞ知るの領域だということになって、それで打ち合わせに臨むことになった。(実際に出向いたのはノムのみ)




もう一つ思い出した。

ノムが担当者のAさんと会う前日、占星術の宿題の添削が先生から返ってきた。

これがまたぶっ倒れそうな内容で、私はしばらく悶々とした後にノムにそのことをメールした。

そもそも今回の最後の宿題の内容は、ある1人の相談者の質問に答えるものだった。

それはホロスコープを読む以前の話で、私はその相談内容に超絶不服だった。

私が一番苦手とするタイプの相談で、これがもし知人友人レベルなら私は絶対に相談を断るものだった。

正直、お金をもらってもやりたくないレベルの、本当に無理なタイプのものだった。

内容云々ではなくて、相談者の生き方そのものに私は超疑問が付いて、その状態で星を読むなんて私からして「やりたくない」の一言だった。

そこで私はどうしたかと言うと、星を読んだけれども、相談に対しては一切具体的な答えを出さない、そういうスタンスで宿題をこなした。

その添削が返ってきて、先生からは色々在り方や考え方を丁寧に説明してもらったけれども、それでも私はどうしても納得できないままだった。

それは先生は関係なくて(先生は最後まで素晴らしい教えを授けてくれた)、その相談者の生き方そのものに私がどうにも疑問を持つことが止まらなすぎて、それでその思いの丈をノムにぶつけた。

ノムもそもそもその宿題の相談者に対して同じように感じていたから、それで送りつけてしまった。

先生からは全体に向けて、その相談者のその後についても書き添えられたメールが来て、実際にどうなったのかを知った。

鑑定後、相談者の方の人生は好転した。

本当に良い方向に動いた。

言うなれば、マイナス100からプラス100になったぐらいの好転ぶりだった。

なんだけど、私はそれを読めば読むほど違和感や息苦しさを覚えてしまって、素直に「良かったね」とは思えなかった。

それも含めてノムにメールした。

ノムからこんな風に返信が来た。

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手間だけど、自分の価値観と向き合うことが必須だよね。
頑張って手にした数千人のフォロワーが、減らないように、増え続けるように努力するとか、一生右肩上がりを目指す、みたいなムリを感じる。
数千人のフォロワーがいても、作品はそれぞれ1つしかないものだしねえ。

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まさに!な内容だった。

ノムと私が今回何度も何度も話し合いを重ねたものは、社会的にどうだとか経済的にどうだとかいう域のものではなかった。

言うなれば、自分たちの魂を売ってでもそれをしたいですか?的な内容だった。

フォロワー数千人規模の話では全くなく、本当に名も無き仕事の可能性大にしても、それでも自分たちがそれを自分たちの意志に従ってやるのか、外側から提示された価値に沿ってやるのかでは、雲泥の差だった。

そして、自分たちの意志に反して引き受けた場合、それは自分たちの魂を売り渡すも同然の行為だった。

それはできない。

それが2人の答えだった。




Aさんに会い終わってすぐにノムは私に電話をくれた。

ノムは私の文章サンプルとノムの文章サンプルをそれぞれコピーして持って行って、打ち合わせに行った。

Aさんはなんとそれらを気に入ってくれ、あんなにテイストが違うのにそれで関係者と協議すると言ってくれたようだった。

ノムは相当緊張して出かけたけれど、いざ行ってみたらすごく良い時間を持てたと教えてくれた。

さらに嬉しいことも言ってくれた。

ノムは事の経緯を説明しながら、実は今回は自分だけじゃなく占星術講座で一緒だった友人にも声をかけて、共に取り組んだことをAさんに伝えた。

「その友人は武士俣さんという名前で僕はぶっしーって呼んでるんで、ここでもそのままぶっしーと呼びますが、そのぶっしーと色々話をして…」

そんな具合に私のことも紹介したと教えてくれた。

ノムが感動しながら言った。

「普通こういうタイプの打ち合わせなら、ライター歴がどれくらいとかそういうことを必ずと言っていいほど聞かれるのに、Aさんは一切そういうことを聞かなくて、ただぶっしーが書いた文章サンプルを読んでそれで気に入ってくれてた。
そして、Aさんから、今度ぶっしーがいつか東京に来る時、それは僕の個展開催の時でも他の時でも来る時に、Aさんはぶっしーに直接会って話してみたい、僕と3人で会って話したい!と言ってくれたんだよ。そのためなら時間調整して駆けつけます!って言っていて、本気だったよ!」

ノムの紹介の仕方というか営業力が相当良かったんじゃないかと思うけれども、どこの誰かも知らない私に会いたいと言ってもらえたことはとっても光栄なことだった。

ノムの言い方だと、私という人間に興味を持ってもらえたようで、それも照れるけれどものすごく嬉しい話だった。

そんな風にして、ノムと私の第一関門は突破して、あとは関係者協議の回答待ちとなった。




関係者協議により、ノムと私の起用が決まった、とAさんとノムの打ち合わせから1週間後の日に連絡が来た。

私は関係者協議でダメになるかもしれないとかなり思っていたから、まさかの起用に驚いた。

ノムと私はその件で昨日6時間にも渡って電話で話した。

打ち合わせ2時間の他の4時間は最近のホットな話題の「癒し」について主に話した。
(ちなみに打ち合わせの方が後半で、最初の部分が癒しについての話だった( ̄∀ ̄;))

頭が全く追いつかないほど、色んなことが起こっている。

そこで確認した数々のシンクロやウラ話はまた別記事で書きたいと思う。

それまで書いたらこの記事が終わらない(汗)。

ただ1つはっきりと言えるのは、何1つずれてはいけない大小様々なものが重なって今があるということ。

そこには色んな痛みや苦渋の決断、そうしたことによる長期悶々プロセスなんかもてんこ盛りだったわけだけど、今という瞬間は、それら無くしては絶対に存在しえないものだとわかる。

そうしたことをクリアにしないことには手にできない今で、それはノムも私もそれぞれが体験したことは別物でも、どこまでも自分の気持ちを最優先してきたことで手に入れた人生の贈り物だと思う。




ノムにこのこれは少しシリーズ化するだろうから、そこに「eat LOVE」のタイトルを使わせて欲しいとお願いした。

ノムは二つ返事でOKしてくれた。

当初「eat LOVE AFTER」のタイトルに続けようかとも少しは考えたけれど、ノムとのやりとりはそれとは別物すぎるから、分けた方がいいなと思った。

そこで「eat LOVE de ノム」にすることにした。

deはスペイン語で、英語でいうところのofにあたる。

発音はそのまま「デ」。

だから、音だけ拾うと、「イート ラブ デ ノム」になる。

ofよりもdeの方がしっくりきたから、deにした。

英語もスペイン語も日本語(カタカナ)もごちゃ混ぜなところがとっても気に入っているし、事実ノムとのやりとりはまさにチャンポン状態で、書くことも癒しも心も星も何でもありになっている。

eat LOVEを使いたかったのは、この一連の色んなことが愛に基づいているからだと感じているから。

それは男女の性愛とか聖愛的なものではなくて、本当に人類皆が兼ね備えている「愛の心」とか「愛ある行動」とかそういうものに繋がっていることだと感じている。

サブタイトルの「出会い〜葉月2019」は、もうかなり無理して作った 苦笑。

あまりにも時系列がはちゃめちゃだし、内容もあちこち飛びすぎてるし、どこに軸があるのかいまいちわからない仕上がりになってしまった。

そこで、ざっくりと「出会いから今」のことではあるから、それをタイトルにしたらそんな風になった。

「eat LOVE de ノム」が3言語inなら、そこに「葉月」という和暦の言い回しを足しても粋だなぁと思った。

それが今回のタイトルの経緯。





今年最後の花火
2019/08/25

2019年8月23日金曜日

心のジンクス



夜明け前4時くらいに目が覚めた。

あと4時間後には米の収穫所での仕事初日に向けて家を出ないといけないのに、目がやたらと冴えてしまって眠りに戻れなくなった。

ノムとその4時間ほど前、電話で話をしていた。

その時に話したことがミラクルスーパーヒットな内容で、その余韻に浸りながらメールを書きたくなって、突如メールを書き始めた。

途中で眠くなって、その途中のまま送った。




朝になってエプロンがあるといいと言われたことを思い出した。

母に言って、使わないエプロンがあったら貸して欲しいとお願いした。

20代の頃、子どもの施設で働いていた時、エプロンは日々必要で(あった方が便利)、常に数枚持っていた。

私は捨てる気満々でいたけれど、母はそれなら自分が使うから欲しいとなった。

それが絶対にあるはずと思って出してもらった。

そのエプロンが冒頭のエプロン。

まさかそのエプロンをこんな風に再利用するなんて、考えたこともなかった。




場所は30分強かかる場所で、朝車の中でエプロンを使っていた当時を思い出した。

エプロンは、仕事を始めた1年目なんかは、特に必要だった。

当時から思ったことだけど、子どもと話す時に一番難しい会話は「日常会話」だと思っている。

これは塾で小中学生を見ていた時も思ったことだけど、何か具体的な話、施設なら学校の様子を話すとか、塾なら宿題の確認をするとか、そういうのは話せるけれど、そうではなく超個人の話、それが本人の日常生活に密着したものになればなるほど、本当に難しい。

あれはある程度の関係性が成り立たないうちは、絶対に成立しない。

子どもが「ねぇねぇあのね〜、今日ね…」という具合にあったことをそのまま赤の他人に話す行為というのは、大概の子どもが構える。

いきなりは話さない。

子どもなりに距離を見計らって、それで徐々に話すようになるし、警戒心強めの子や話し慣れてない子は、自ら話さないのはそのままになっている。

そういう子は私が「聞けそう」と感じたら徐々に聞く方法で聞いていた。

もしかしたら詰問のようだったかもしれないけれど、意外にもそういう子たちは聞くと何かしら話してくれることが多かった。

もちろんごく稀に何人かは、話もしないし聞かれてもほとんど話さない子もいた。

そういうタイプはさておいても、ある程度話すタイプの子でもやっぱり最初は緊張を伴う。

で、小学校に入ったばかりぐらいの年齢の子たちとは、そのネタの1つとしてエプロンを使っていた。

動物やキャラクターもののエプロンを身につけて、そのエプロンの柄を毎回のように子どもはクマがいただの、このウサギはピアノを弾いてるだの、そんなことを話してた。

年齢が上の中高生女子たちは、私がエプロンを新調する度に「それいいね」とか「あっちのエプロンの方が好き」とか、そういう会話になっていた。

エプロンで会話するなんて、生涯を通じてその時だけだったかもしれない。

そんなことを思い出しつつ、車は大きな国道に入っていった。




国道は途中まで二車線で、ふと追越車線側の車が555のナンバーだった。

それを見て、タイミングを思った。

私がこのブログを再開しようと決めた日に見た555のナンバープレートの車を思い出した。

その時は秋の日の夕方で仕事帰りだった。

ブログを1年以上ずっと書かずにいた当時、ブログを書くなんて全く頭の中になかった。

今思うと、それは天啓みたいな、神々の審議会からのメッセージみたいな感じだったなぁと思う。

「ブログ」と突如浮かんだ時は、「えっ!?ブログに書くの!?Σ(꒪◊꒪; )))) 」と思った。

内容は決まっていた。

それは「ブログを書く」のではなく、「ブログに書く」の方だった。

私はブログの再開を意図して再開したのとは違っていて、ある内容があって、そんなのは生涯自分の胸の内にとどめることしか考えていなかったのに、それをブログに書くことが突如選択肢として現れた。

内容はずっと胸の内にあっても、書こうとは、ましてやブログという公の場で書くなんて考えたこともなかった。

だから私に必要な決断は、「ブログを書く」ではなく「(その内容を)ブログに書く」の方だった。

書く勇気と言ってもいいかもしれない。

実際に書いたのは私だし、書くと最終決定したのも私だけど、「ブログ」という選択肢を思いついたのは私じゃない。

ここ1年ぐらい色んな人たちの魂からのメッセージをキャッチするようになったから何となく感覚的にわかるけれど、当時「ブログ」と出てきたのは私の頭の中から出てきたのではなく、外側から情報としてもたらされた感じだった。

だから、「ブログ」とふと出てきた時に、私はおののくぐらいにビックリしていた。

((°Д°;))))((°Д°;))))((°Д°;))))←こんな風だったと思う。

当然ありえない選択肢を前に、私は最初は全く乗り気じゃなかった。

えっ?本気で書くの?書いてどうするの?届くわけないじゃん、とかそんな風に頭の中では猛烈に反対運動が起こった。

その時に私は短い時間の中でいくつものサインを見て、最終的に「ブログに書く」ことを決めたわけだけど、その最初のサインが555の車だった。

「555」を「Go!Go!Go!」と捉えた。

書けってことなんだろうと。

米の収穫所に向かう二車線の国道の右斜め前の車が555で、当時のことを思い出したけれど、今はもうブログを書く書かないなんて悩まないし、仮に今書こうと考えたとしてももう書けないことを知った。

あれはあの時だから書けたことだし、書いてでも伝えたかったことなんだと。

555の車を見たからと言って、同じにはならない。

今は違う未来に立っている自分のことを思った。




仕事は基本的に1人で黙々とこなすことが多かったから、考え事するにはうってつけの時間だった。

初日で頭を使うような仕事は1つもなかったから、前の晩のノムとの会話に出てきたミラクルヒットな話を反芻した。

その内容は、私の生き方の根底にあるもので、それが初めて言語化された。

今これを書きながら、最後にした派遣の仕事の時のことを思い出した。

最後にした派遣の仕事の時も、私は勤務時間中ほとんど喋ることがなく、喋っても1日合計10分程度というものだった。

だから残りの時間は黙々と仕事をすることになったわけだけど、当時の考え事と今の考え事の差を思う。

2年前の夏の考え事は今でも鮮明に憶えているけれど、もう今はその状況に私は身を置いていない。

心は別として、体はどんなに当時を惜しんでももう今は違うフェーズに自分が入っていることを否が応でも認識した。

ノムのウルトラスーパーヒットな話がなければ、もしかしたら私はその静かに作業に徹することを辛く感じたかもしれない。

作業は辛くなかったけれど、過去に戻れないことやその時のことと比べた今を思って、自分の中でやるせなさをどこかで覚えたかもしれない。

ノムは私の翌日の状況を予測してそんな話をしたわけではなかったと思うけれど、結果的にその話のおかげで2年前の夏との比較に悲嘆せずに済んだ。

このちょうどのタイミングで話できるのはなんかとっても良いね!とは言ってくれてたけれど、まさかそのことが翌日の私の心の癒しに繋がるなんて想像していなかったと思う。




仕事の後半には雨が降り出して、終了後は雨の中駐車場に向かって歩いた。

写真のエプロンが濡れているのはそのせいだった。

けっこういい雨が降りしきる中、運転席に乗り込んで携帯を開くと、ノムから返信が来ていた。

私の真夜中の独り言メールに対しての返信だった。

内容は今進んでいる色んなこととリンクしているから改めて書くような気がするから割愛して、最後はこんな風に締めくくられていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ぼくも思いつくまま、読み返さずにおくってしまうね。
米仕事初日はあと‪1時‬間くらいかね?

そこにぶっしーが何をしにいくことだったのか、
それに気づき、また言葉にしておしえてくれる日をたのしみにしてるね!


きっと、今夜は泥のように眠れるんじゃない?笑

はやすぎますが、、おやうみなさい^ー^!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


外は雨模様でも、私の心模様は虹でもかかってますばりに明るいもので満たされまくっていた。

米の仕事の話は一瞬しかノムにしていないけれど、ノムは時間や私が言ったことをものすごくよく覚えてくれてた。

私は行く前から「米の仕事は米の仕事をしに行くわけじゃないと思ってる。何で行くのかは知らないけれど、何かそこで体験するなり出会う人がいるから行くんだと思う」と言った。

なぜなら申し込んで必要書類記入している間に採用が決定して、そしてたまたま近くにいた米収穫所の担当者が説明会の会場に来て、その場で話してそれで当日の打ち合わせをしたという、これまた異例のスピードで決まった。

それがたとえ人員不足だという理由でも、そもそも人員不足の状況が必要だし、そして私は2016年以降10数社、多分もう20社ぐらいになってると思うけれど、行ってはいけない仕事は、急募で他の人が決まっていなくても、内定出てるみたいなものでも、とことん落とされる。

だからこの異例のスピード展開は異常だったから、もう何か違う理由で行くんだろうことはわかった。

これは行ってから知ったことだけど、それまでは長く毎年行ってくれてた人たちがいたようだったけれど(←ここまでは担当者から説明を受けて知ってた)、去年派遣の人たちから大ブーイングが出るほど癖のあるおばちゃんたちと色々あったようで(←これは他の人たちから聞いた)、想像するにそれが人員不足の理由でもあるのかな…と思った。

実際に2日間行ってみて、もうすでに満載すぎるほどのことを私は見聞きしたり気付いたりして、これは最速スピードで決まったのも無理ないなと思った。

(その場所が私の30年オーバーの過去の傷を色々癒したり、「癒し」というものに対しての私の認識の破壊と再生が早速起きていることを、なるべく近いうちに書いてアップしたい。)

ノムは本当にピッタリ終業1時間前にメールを送ってくれていて、さらには私がそこで何をしに行ったのか何を感じてくるのかなどなど、そういうものを楽しみにしてくれてるのもすっごく嬉しかった。

私のしていることは、はっきり言って世の9割以上の人たちからは理解されないし、何でそんな不安定な仕事に就いて何になるの?と思われて当たり前のもの。

私が言う「行く理由」は、スピリチュアル的なことに馴染みのある人であっても理解できない人たちがいるぐらいだから、それを世間一般の人たちに理解してもらおうなんてのはものすごく難しい。

スピリチュアルなことを知ってる人でもそれを即座にわかってくれた人には過去に私は1人しか出会っていない。

だからノムがとっても自然にそれを口に出してくれてわかってくれたことはとっても貴重なことだった。

大阪のおばが送ってくれたおいしいお菓子を食べながらノムのメールを読んで、おなかも心もすっかり満たされた。

あとは家に帰るばかりだった。




帰り道は幾通りもある中で、ペンジュラムが指した交差点を曲がって走ることにした。

本当に道は何でも良かった。

なんだけど、ペンジュラムは1つの交差点以外すべてNOだった。

何の意図もなく私はいつものクセで聞いてるに過ぎなかったから、ペンジュラムが指した交差点を何も考えずに曲がった。

硬い紐を結ぶのに軍手ではダメで、でも何かしら手をカバーするには手袋がいるから、帰りに百均に寄ろうぐらいは考えてたぐらいで、あとは普通に運転していた。

信号が青になって、前の車について私も前進してすぐのことだった。

私がこのブログを再開しようとした時に見たサインの1つ、ある洋菓子屋さんの車とすれ違った。

嘘みたいな瞬間だった。

その車は、その洋菓子屋さんの奥さんにお店で直接確認したから知っているけれど、世界に1台しかない。

その車には私がブログを再開するに至った鍵を握る人物と関連したものがある。

驚いた後、何とも言えない気持ちがじわりじわりと胸に迫った。

もはや私1人の妄想の世界みたいなことだけど、この鍵となる人物を思い起こすサインは、こうした重要な節目の時に必ず現れる。

本人の意志とは全く関係なくても、とにかくこうした私にとって大切な節目の瞬間に「大丈夫だよ」と言わんばかりにサインはやってくる。

この世で私1人しか知り得ないサインで、本人すら全く感知しないところで起こっていることでも、私には十分すぎるものだった。

8月に入ってから色んなことが目まぐるしく動き始めて、自分の気持ちも落ち着かず、現実の中にはもどかしいこともあるけれど、それでも「これで大丈夫!」と知らせるかのごとく、その車が私の車のすぐ隣りをすれ違った。

しかも、その日は1時間早く上がることになって、ノムからメール来ていたからそれを読むのに少し車で待機していて、エプロンの写真もこの記事を書くことは決めていたから撮って、さらに言うと鍵を使って車内に入ったくせしてその車内の中で鍵を失くすというトンチンカンなこともあって鍵探しも加わった。

そうやって時間調整して、そしてペンジュラムが指す交差点で曲がって1キロほど行ったところでその車とすれ違った。

1つとしてずれてはいけないことばかりだった。

しかも、私はその交差点の場所でその車とすれ違ったことはこれまでに一度もない。

何がどうしたらそのピンポイントでそこですれ違うと言うのだろう…と思った。

朝、555の車を見て、ブログ再開前のことを回顧していたばかりだったのに、再開するに至った別のサインの1つであるその洋菓子屋さんの車を見るなんて、どれだけの確率で起こっているんだろうと思った。

30年キャリアの過去の傷を彷彿させるものが米収穫所にはあるとわかったから、余計とこのサインは本当に嬉しかった。

大丈夫!って思えた。

たった1台の車を見て、私は大丈夫と心から思えた。

色々上手くないけれど、これくらい許されてもいいよね?と思った。




その時は気付かなかったけれど、後々になって「うわっ!\((◎_◎))/」ってことにも気付いた。

その洋菓子屋さんの車とすれ違った交差点は、2年前の秋のある日の朝、出勤途中の車の中でペンジュラムが初めて新しい動き、スーパーNOを意味するサインを見せた場所だった。

洋菓子屋さんの車とペンジュラムは関係ないけれど、ペンジュラムとその鍵となる人物はものすごく関係がある(本人の知らぬところで)。

その人物こそ、私のペンジュラムのパワーがアップする時毎回何かしら関与していて(本人の知らぬところで)、もうどれだけでも外さない的中率を誇っている。

ちなみに、色んな人たちの口、それこそ死者の口さえも借りて、その人と私とが過去世のいつか関係があったと教えてくれ、その過去世では私は自分の分身や相棒のようにしてペンジュラムを大事にして短い生涯を生きたことも1人の人から聞いた。

何十回とやっても片結びはさっぱり上手くなかったけれど、ペンジュラムだけは持った瞬間からいきなり天才的に使えたのは、その過去の自分からの贈り物だった。

大人にさえなれずに、10歳ぐらいまでしか生きられなかったとされる小さな子どもとして短い生涯を生きた自分の魂からの贈り物だった。

その時に一緒に生きていたとされる人物が今世でも私の目の前に現れてからは、こうしたオカルト的なことはどんどん加速されて今に至る。

そして今回みたいに何か切り替わったり新しく始まる時のタイミング、または非日常的なスーパーオカルト的なことを体験する時、その人物とわかるサインがこうやって私の元に届く(本人の知らぬところで)。

(本人の知らぬところで)と何回も書いたのは、本当にそうだから。

まともに話したこともないから、オカルトなことにどれだけ関心があるのかなんて知らないけれど(予想するに多分「ない」)、こういう魂的な領域になると現世の現実的なことを飛び越えてでも色々起こってくるから、その人物がたとえ全く興味関心がなくても、必要なことは自動的に勝手にもたらされる。

それはもう私がどうこうできることではないし、それがすべて私の勘違いや偶然が毎回すごい確率で起こっているだけに過ぎなかったとしても、そんなのはもう何でもいい。

私がサイン見て自分の安心感を増やせるのには変わりないから、それでいいじゃん、ということにしている。




『心のジンクス』

この文章にタイトルを付けるにあたり、ふわっと浮かんだ言葉だった。

ここに書いたことは、私の心のジンクスなんだと思った。

私はブログでは簡単に「オカルト」と書いて表現しているけれど、実際の裏側というか実際の現実は、かなり勇気や人間力を要する場面が満載すぎるし、正解なんてない中で何をするのがいいのかなんて毎回わからないし、怖い気持ちや逃げ出したいことなんか毎回山ほどある。

今回はオカルトではないけれど、このわからない流れの中に身を置いて、色々心許ないのは相変わらずで、そうした時に自分の中で「大丈夫」とわかるサインを見ることはとても心強い。

私なりのジンクスで、こうした時にそういうサインとかを見たら、今の目の前のことは大丈夫なんだろうと思っている。

私だけの心のジンクス。

私しか知り得ないサインでも、私は毎回そうやって自分の流れはこれで大丈夫と確認できてる。

何せ本人の知らぬところで起こるからお礼の言いようもないけれど、いつも心の中では「ありがとう」と思っている。

2019年8月21日水曜日

秋の仕事初日








米の収穫所ということ以外、何をするのか知らないまま初日を迎えた。

担当者から行けばわかります、と言われた通り、行けばすぐにわかるようになっていた。

田んぼの脇の県道みたいなところをひた走ると、突然大きな建物が出てきて、そこに行けば良かった。

ただ、駐車場はどれが使って良くてどれが使って悪いかわからずにウロウロぐるぐると回った。

そもそも朝、ゲリラ豪雨のように大雨となって、果たして今日は仕事があるんだろうかと思った。

初日雨が降った場合どうするのか、肝心要のことを聞き忘れた。

朝から迷惑と知っていても、私とて行く行かないでその後の動きが変わるから、朝から担当者の方の携帯を鳴らした。

今週は下準備があるから、雨が降っても行くことになってます、と今さらのように確認して、それでそのまま支度して出かけた。

色々見どころ満載の職場だった。

新潟県内ならどこでもよく見る米の倉庫のような大型の建物。

その内部は、最低限の設備は整っていて、とりあえず室内は空調があるとわかって良かった。

関係ないけれど、これを書いてる今は昼休みで、誰も喋らないテーブルを3人の男性と1人の女性、そして私の計5人で囲んで、それぞれが黙々と食べている。

男性陣の弁当の充実ぶりとは反対に、私はおにぎり2つと相変わらず弁当避けをしている。

室内に空調があるのとポットがあるとわかったから、弁当としてサンドイッチとカップラーメンはいけるとわかった。

サンドイッチはすごく手間がかかると思われているけれど、そんなことは全くない。

マヨネーズ塗って適当な具材を挟んで切ってラップで包んで終わり。

野菜類の水切りをどうしてるのかと聞かれたことがある。

ザ・適当人間は、そんなのパッパと適当に手で野菜を持ってフリフリして水を切るだけ。

それで終わる。

もしくは、それさえも面倒なら、ゆで卵を潰して卵サンドでいく。

自分の分はそれを食べるけれど、他人様にはとてもじゃないけれど渡せない代物になっている。

だから、誰にも食べさせたことはない。

そんな風で、とりあえず設備の確認は終了。

仕事はひたすら黙々と米なのかヌカなのかを入れる金属製のケージに、ケージの補強をするためのひもを片結びして、そこにカバー的なものを入れたらまたそれもひもを結ぶという作業を延々とした。
(写真に少しだけ写ってるのがそのケージ)

「まむすびはしないようにね」

そう言われて、何のことかわからなかったけれど、とりあえず片結びすればいいのはわかったからやり始めた。

ある意味想定通りというかやらかすかな…なんて思ったら正解で、片結びはいいけれど、どちらのひもを長くすると見た目的にバランスの取れた片結びになるのかわからず、何十本とやった午前中、とりあえず右側を長くすると大丈夫なのはわかってきた。

だけどそれでも私のはバランスがとってもおかしくて、他の人たちのものと比べると恐ろしいぐらいの出来具合いになっている。

こういう時の私の神がかり的な不器用さは群を抜いていて、子ども時代のオール1だった頃の自分を思い出す。

相変わらず、体を使ったり指先を使ったりする作業の不器用さは健在で、これは死ぬまでそうなんだろうなぁと思った。

関係ないけれど、この令和という時代にも関わらず、米の収穫に関わる作業の多くは手作業で、AIとは何ぞや?みたいなことになっていた。

私たちが使ったひもだって、業務用の大きなひもの束を、四隅にボルトみたいな釘が打たれた板を使って、そこをひたすら人がぐるぐるとひもを巻きつけて、それでひものカットをしていた。

Σ((((;゚Д゚)))))))?ってなった。

誰もスーパーや量販店で買う米が、そうした人の手作業なくしては袋詰めすらされないなんて知らないだろうなぁと思った。←私ももちろん知らなかった。

職場の見どころ満載・その1。

男性と女性と色んな方たちがいらっしゃる中で、1人だけ目を引く髪型をしていてものすごく驚いた。

最初は正面しか見えなくて気付かなかったけれど、よくよく見たら腰ぐらいまである長さの髪を1つ結びにして、そのあとそれを下まで三つ編みにしていた。

Σ(꒪◊꒪; )))) ←多分私はこんな顔になったと思う。

ネイティブ・アメリカンの人たちや中南米の原住民とされる種族の男性たちが長い髪を三つ編みにして結ってるあの感じにそっくりだった。

日本国内もいくつかの町に住んだけれど、そんな髪型の人は大都市含めて見かけたことがこれまでに一度もなかった。

この三つ編みさん、まだまだネタをたくさん提供してくれていて。

ある時、三つ編みさんが電話していたすぐ横を私は通った。

「もちもち、〇〇ですけど」

「もしもし」じゃなくて「もちもち」Σ(꒪◊꒪; )) ?

それが相手も慣れているのか普通に応対してる風で、私は驚きすぎて思わずチラ見してしまった。

えーえーえーΣ(꒪◊꒪; )))) Σ(꒪◊꒪; ))))

何このすごい電話!?

昼休み、みんな室内に戻る。

室内は入口が1箇所しかない。

当然入ったら全員が通る場所というのがある。

もちもち三つ編みさんは、なんとそこでちょうど着替えをしていて、いきなり私は下半身パンツ姿のもちもち三つ編みさんを見ることになった。

髪の毛に劣らず、足も野獣のように毛むくじゃらだった。

そして最後きわめつけは、今回の写真をたったさっき外に出て撮りに行ったら、もちもち三つ編みさんも外に出ていて、なんと持参したとしか思えないローラースケートみたいな子どもがバランスを取って乗るタイプのボードに乗っていて、もちもち電話をしている最中だったΣ(꒪◊꒪; )))) 。
(多分、「バランススクーター」と呼ばれるものだと思う。)

たかが3時間ほどの時間でここまでネタ提供をしてくれる人に初めて会った。

ちなみにもちもち三つ編みさんはみんなから愛されてるようで、色んな人たちから声を掛けられている。

愛されキャラらしい。

ある意味、超絶ぶっ飛んでいるのに、周りから愛されていて羨ましい限りだった。

ツッコミどころ満載過ぎるけれど、人は良さそうだし、もしこの期間に仲良くなれたら、私は間違いなくもちもち三つ編みさんに三つ編みの理由を聞いちゃうと思う 笑。




もちもち三つ編みさんは良いとして、次のツッコミどころは、おばちゃんたち。

派遣会社からは人はみんな良い人たちですよ〜と聞かされていた。

そうでありますように…と願ったら、たしかに今日から一緒に始める人や多くの人たちは良さそうな雰囲気だった。

だけど中には、毎年レギュラーメンバーで来てそうなおばちゃん2人組がいて、見るからに苦手なタイプの人たちだった。

日焼けも凄そうだから初日様子を見て、すっぴんで行けそうなら2日目からはすっぴんで行こうかと思ってた。

誰にも会わないし、どうせ帽子をかぶったり汗で色々流れたら同じと思って、私の中では「すっぴんで行けますように!」とおかしな願い事をしていた。

だけど、おばちゃんたちを見てそれはやめようかと思った。

田舎のおばちゃんあるあるで、何層にも塗りたくったファンデーションで、多分汗じゃ簡単にファンデーションは流れない。

更年期で汗かきまくりだろうが、流れそうにもないそのバッチリなファンデーションに口紅も明るいピンク、もうかなりガッツリの化粧をしていた。

すっぴんだと目立つかしら…とか思いながら、ちなみに化粧してても化粧してるとわからないけれど、化粧が汗で落ちることで化粧してたんだとバレるような私は、明日以降どうしようかと思案中。

若い男の子も同年代の男性もいたけれど、ここは出会いの場とかデートじゃないし、そんなことより日焼け対策が大事だから、それを頭に入れて明日以降どうしようかと迷っている。

ちなみに、最低限の化粧をするようになったのは、ある時にあるエッセイで、30代過ぎたいい年した大人の女がすっぴんだと、はたから見て何か変な思想を持っている人と思われやすいと知った著者が、36歳からはするようになったと書いていたのを見てからだった。

で、そのおばちゃんたちから早速洗礼を受けた私。

↑上は昼休みに書いた。
↓下は終業後に書いた。

おばちゃんたちの洗礼は「心配」や「気にかけてる風」を装っての、釘刺しだった( ̄∀ ̄;)。

日差しがすごいから帽子なんかの用意が必要と言われた。

そこまではいい。

その後が凄かった。

「去年来ていた子で、全身すごい装備で来ていた子がいて、帽子かぶってタオルでさらに顔回りを覆って、マスクして、腕カバーして、上下長袖長ズボンで、とにかく肌がどこも出ていないぐらいで、蒸し蒸しして暑そうにしてたわよ」

マスク以外、私もそれしようと思っていたけれど、それの何が悪いのかと言いたくなった。

ちなみにおばちゃんたちの話は聞いたし自分も絶対にそのように批判的に思われるのは間違いないけれど、日焼け対策は最重要事項だから、その非難ごうごうファッションを明日以降もしていく。
(午前中は倉庫内作業で、その時の私はTシャツにジーンズだった。その時に話しかけられた。午後からは日が出てきたから、その非難ごうごうファッションに変わった。)

午前中はその程度だったけれども、午後から来客があって担当者不在の中の作業となったら、ベテラン勢=おばちゃんたちは一挙手一投足に注目して、何か少しでも違うと横からでも背後からでも遠くからでも口を出してきた。

おばちゃんたちがしている仕事が忙しそうだったから、手の空いた私は手伝いましょうかと申し出た。

おばちゃんの返事は凄かった。

「雑巾を新しく出すのがもったいないから、あなたしなくていいわよ。他のことしたら?」

はいー?Σ(꒪◊꒪; ))))

雑巾を出すのがもったいない?

私をフラフラさせてお金だけ支払われる方がもっともったいなくないの?

もうどうでも良くなって、おばちゃんたちから離れて、他のところに行った。

少しすると、おばちゃんの1人が「今のうちにトイレ掃除を教えておいてよ」と、今年が2回目の女性に指示を出した。

その方が本当にとっても素敵な方で、上手く私含めた新しい人たちとおばちゃんたちの繋ぎ役をしてくれていた。

トイレ掃除をやりながらどうしてもわからないことが出てきた時に、その素敵な方がおばちゃんの1人に確認をした。

そうしたらおばちゃん2人組の中にもヒエラルキーがあるらしく、「〇〇さん(←もう片割れ)に確認してみるわ」と言う。

そんなのどっちでもいいじゃん!と言いたくなったけれど、それは確認が要るらしい。

それなら、私が手持ち無沙汰の時にもっと確認を互いにしてくれ!!!と思った。

トイレ掃除の細かなルールの方が、手持ち無沙汰で何していいかわからない人を何とかするより大切なようだった( ̄∀ ̄;)。

ちなみにトイレは、特に男子トイレはウルトラスーパー汚かった。

さすがに1人の若い女の子だけに汚れたトイレを掃除させるのは可哀想すぎて、男子トイレ側は私が代わった。
(本気で可哀想なレベルの汚さだった、特に男子トイレ!!!)

男性もたくさんいるのに、どうして女の人だけがトイレ掃除をするのか、私はその田舎特有の男尊女卑的なあり方にものすごく疑問を抱いた。

責任者の男性は午前中、私たちの作業場所のすぐ隣りでほうきとちりとりを持って掃除をしていた。

そこはいいからさ、お客さん来るならトイレ掃除しようよ!と、実際に掃除をしていた時に男性のお客さんが使っているのを目撃してそう思った。←当たり前だけど、一度廊下に出た。さもないと、私がセクハラしてしまうことになる( ̄∀ ̄;)。

よくぞあんなにも掃除されてないトイレにお客さんを通せたなぁと感心した←もちろん嫌味。

自分たちが使うところぐらい掃除してくれ!と思った。

小学生の男の子2人組が、今これを書いていたら私の車の前に来た。(コンビニの駐車場)

2人で舌を巻いてブルルルルと音を鳴らしていた。

1人が言った。

「知ってる?舌巻けるのってエロい人ができるんだって!」

見た感じ5年生くらい。

くだらないことを半分冗談で半分それ俺信じてる!みたいな2人の様子を見て、可笑しかったけれども微笑ましかった。

2人に、舌巻いて音を出すよりもトイレ掃除できる男の人の方がモテるよ!と教えてやりたい。

トイレ掃除の後は、そのでかい敷地内の中の掃除をあれこれやった。

何をどうしたら鳥の羽がその敷地内に入り込むのかわからないけれど、何枚かきれいなふわふわの羽根を見つけては1人でテンションが上がった。

鳥の羽根は私の中でラッキーアイテム!

毎回見かけると、「見えない存在から守られてる」と思う。

外での作業の時、ふと田んぼの方を見ると、サギみたいな白い鳥が集団でいてその光景がとってもきれいで、これもまた見ていてお得な気分になれた。

今年2回目の方に聞いたら、そういう光景は去年一度も見ていないと言われた。

そんな稀な風景に出くわして、何もないけれど、何か得した気持ちになった。

1日の終わりに、もちもち三つ編みさんが私の方を見てニコニコしながら「おつかれさまでした」と言ってくれた。

色々面白い人だけど、人はとっても良い人というのがすごく伝わってきた。

あと、おばちゃんたちのおかげで私は「若い人」となり、例の今年2回目の素敵な方から「武士俣さん、あの男性には気をつけてください!」と言われたおじさんがいた。

すごい遠くから手招きされて、外作業の手伝いに駆り出されそうになった時があった。

おじさんは明らかに私を見て手招きした。

私が行こうとしたら、おばちゃんたちが「あなたは行かなくていいわよ!男性陣に行かせたらいいのよ!」と言われた。

最終的に男性陣が行ったけれど、後からその素敵な方に「あのおじさん、去年も若い派遣の子にすごいちょっかい出して、いい人なんだけど、やたらと付きまとわれて大変だったから、武士俣さんも若いから狙われちゃうから気をつけて」と言われた。

他の話をしていた時に、私が40歳独身ニートなことを明かしたら絶対に相手が言葉に詰まるとわかって、40歳はじめ自己紹介的なことは何も言えず適当に交わした。

癖のあるおばちゃんたち効果で私は若い人認定されるという、ちんちくりんな状況も生まれて、さらに女好きおじさんもいて…みたいな、何だか色々可笑しかった。

ちなみに、おばちゃん効果なのか、おじさんたちは優しくて気配り上手な人たちが何人かいた。

おばちゃんたちは毒が強すぎて優しくしても何も得しないと思われてもおかしくなさそうな感じで、一方で一般社会ではそんな風に男性からちやほやされない私がなぜか良くしてもらうという超常現象を引き起こした( ̄∀ ̄;)。

仕事が終わって、駐車場に戻った。

私ぐらいの年齢の男性もいて、アロマセラピーをしたいともう1人の若い男の子に話していたのを聞いて、私はもっとそば耳立てて話を聞きたい衝動に駆られた場面が仕事中あった。

ちなみにその男性いわく、アロマセラピーのセラピスト募集は女性のみらしい。

たしかに、背中にオイル垂らすとかなれば、男性が女性にやってそれが間違えておかしな方向にいったら、強姦罪とかになりうる可能性があるのかもしれない。

そう考えれば、募集がないことも何となくわかった。

で、そのアロマセラピーに興味があると話してた男性は、なんと関西圏のナンバーでプリウスに乗っていた。

関西訛りがあるのはすぐにわかった。

なんでこんな新潟のへんぴな町に短期で仕事をしているのか不思議だったけれど、プリウスに乗っていたことでさらに不思議さが増した。

派遣初日ゆえ、担当者から電話が来て、今日の様子を聞かれた。

担当者の方から、仕事もだけど人に関して心配された。

こういう時私はあったままをいつも伝える。

毎年のレギュラーメンバーと新規メンバーとで色々差があったことを言った。

それに戸惑って動揺を隠せない人も中にはいて、その辺りの色んな人たちとのやりとりが私側も少し工夫が必要だと感じたことも言った。(←おばちゃんたちもだけど、動揺を隠せない人も若干面倒くさい人だと私は感じた。)

色んな反応の人がいたぐらい、なかなかな人間模様だったことは言った。

あそこは色んな年齢層の人がいるので、それゆえとっても個性的な人たちが集まっているけれど、武士俣さん大丈夫ですか?と聞かれた。

私は適当にかわせるし、その素敵な方が本当に上手くフォローしてくれたので大丈夫ですと答えた。

「個性的なメンバー」なのは間違いない 笑。

まだ初日。

初日とは思えない色んな濃厚なものを見てきたけれど、明日以降また色々と何かしら見て感じてくるんだろうなぁと思っている。

2019年8月20日火曜日

2019.8.19 心のぼやき

こうした風景には本来縁がないんだ…としみじみと思った景色

カレーライスを作るママ役のメイ

アンパンマンたちの家を建設




お盆帰省中の姪っ子メイと児童館に行ってきた。

その児童館は、日中の子育て支援は0〜2歳を主に対象にしていて、メイのように年少と呼ばれる3歳児はほとんど来ない。

年少ともなると、保育園なり幼稚園に行くから、メイのような年齢層は基本来ない。

だから今日なんかは若干少しだけ大きなおねえさん風で、乳飲み子やそのきょうだいに混じってのメイはやたらと大きく見えた。

うちは何せ徒歩1分のところだから、軽装で最小限の荷物だけ持って行く。

うちら2人が一番乗りで、少しずつお母さんたちが増えていった。

お母さんたちは基本みんな弁当・着替え持ちで、ほぼ1日児童館で過ごすようだった。

今日は親子リズム教室の日で、他に4人のお母さんと6人の子どもたちがいた。

保育園2年目のメイは、手遊びもリズム体操も絵本の読み聞かせもとても慣れていて、保育園とは違う流れに興味を持って臨んでいた。

お母さんたちに交じって、母親体験・ママ友疑似体験みたいなことをしながら、途中から意識は他のところに飛んでいった。

相変わらず、ママ友ではないけれど、お母さんたちに交じって話をそれとなくしたり、表面は笑顔を浮かべながらも距離の取り方を超吟味するみたいな時間には疲れた。

リズム体操は楽しかったけれども、それをしてくれる保育士さんを見て、自分はその職には就かないこともはっきりと悟った。

そこにいる何人かの女性たちを見ていて、私は全く違う人生なんだと再認識した。

子どもを産み育てるとか、旦那さんを支えるとか、子どもの知育に力を入れるとか、それはどれも私の人生に全くないものだった。

外国で暮らすよりも私は自分が異次元の世界に生きているみたいに感じた。

同じ性別で同じ地域で生活しているのに、私は全く別の場所で生きているみたいだった。

年齢も大きく違うのではなく上も下も一回りぐらいの差でしかないと見た目から感じたけれども、私は性別が同じ以外は何も同じじゃない自分をものすごく客観的に見ていた。



夕方、妹と夕ごはんの買物に出かけた。

その時に、妹の同級生の妹とその子どもたちもいて、少し離れたところにいたうちら2人はその様子を見ていた。

妹が「あれだよ、マサキの妹のまみちゃん」と言った。

マサキくんは私もうっすらと知ってる。

まみちゃんに関しては、ちょうど今のメイくらいの年だった頃のまみちゃんを知っている。

2人のお父さんが子供会の役員で、子どもにものすごく近い係で子どもの育成に関わっていたから、そこに小さなまみちゃんが時々来ていたから知ってる。

まみちゃんは車で5分ほどの地域にあるお母さんの実家に大人になってから養女として入って、婿取りでその家系を引き継ぐことになったと妹は言った。

大人になったまみちゃんは、小学生の男の子を筆頭に4人のママになっていた。

昼間の児童館での体感したこととまみちゃんを見て感じたことが1つの線で繋がった。

そして、お盆に入る前に占星術講座のクラスメイトだったノムが、自発的に私のホロスコープを読んでくれた上で綴ってくれた文章が頭の中にじんわりと響いた。

近いうちにアップしたいと思っているけれど、ノムは私の星を読んで、【ぶっしーの、専業主婦になりたい、みたいなことと、そこへと人生が流れない話は、ぶっしーの金星が、「したかたないよね」とはっきり示しているねえ。夫のために生きる。というスケールではない人生なのだから、しょうがないのだな。】と言った。

他にも、【ぶっしーは、もうやるべきことを決めて、定めて今回の人生にやってきているとしか思えない。
みんな、誰しもそうなのかもしれないけれど、実際はわからないが、多くの人は、余地というものがたくさんある気がする。
たとえば、素材は決まっているけど、チャーハンにしてもいいし、ドリアでもいいし、おかゆでもいいみたいな自由さがありそう。
けど、ぶっしーは、そういう感じがしない。】と言われたこととが色々頭の中を駆け巡った。

ノムの言葉は私をこの上なくやさしく包んでくれて、諭してくれた。

自分1人の時はそこまで感じないけれど、こうして同性の他の人たちの人生を垣間見ると、その辺りをもっと強く感じる。

妹は年齢的に今、子育て真っ最中の友達、これから結婚式挙げる友達、不妊治療中の友達とが混在している状態にある。

姉妹だから気兼ねなく色々話すけれど、明らかに妹と私とは生きる世界が違う。

妹は見えない世界のことも占星術のことも興味津々だし、そういう話もたくさんできる。

これはついこの数年の中で知ったことだけど、子どもの頃に関して言えば、妹の方が完全にオカルト体質で色んなことがわかってしまうタイプだった。

今妹にはその要素は1ミリもなく、むしろそんな体質は1ミリもなかった子ども時代を送った私の方が今はその気(け)がある。

妹は興味を持っても「興味がある」ところにとどまれる。

私は興味の有無を確認するよりも早く先に事象が現れて、そこに自分が入らざるを得ないような状況になってしまう。

妹の口から、秋にある友達の結婚式の招待客や料理の話、友達がしている不妊治療の話は、私からして異次元的な内容で、遠い国の言葉を聞いているみたいだった。

そこには立つことのない自分の人生の輪郭を、静かに心の中でなぞった。




8月に入ってから色んなことが一気にありすぎた。

ノムが伝えてくれた私の人生の中身や、ノムが誘ってくれた自分の根幹に関わる仕事の機会は、もう止まることのない勢いと強さがある。

仕事は今調整中で、仮にやることになっても今回一度きりの単発モノ。

その辺りはおいおい書いていく予定。

そうこうしているうちに、私は10年越しにずっと聞きたかったことを聞く時が巡ってきた。

10年前にはどうしても知ることができなくて、それでものすごく悩まなければいけなくなったことを今になって知ることとなった。

知れたことは良かった。

だけど同時に、もうそこにはいない自分のこともよくわかった。

10年前の人生のターニングポイント的なところで起こったことの真実を今知ることになった。

到底受け入れられなかったことも、今の私から見て、そうでなくてはいけなかったことを知った。

ノムとの仕事に向けての細かな打ち合わせがある程度終わった頃、妹と姪っ子が帰ってきた。

そこからは、プリキュアごっこだのパーティーごっこだの保育園ごっこだのと、超地に足の着いた遊びざんまい(修行ざんまい)が始まった。

片や宇宙の果てまで飛んでいくようなぶっ飛んだ内容たち(=魂的なテーマ)と、それとは真逆の人間社会に存在している色んな現実物語たちとが交互に現れて、私のテンションも普段とはけっこう違う感じになった。

そのうちに、「後悔はしたくない」「自分でやりきってダメなら、そのダメの現実を受け入れたい」となって、今朝この数日ずっと意志固めしたことをとうとう行動に移した。

その2時間後に私はメイと児童館に行った。

そこで感じたことが冒頭に書いた内容。

あと半日もすればメイたちは家に帰って、その翌日からは私は米の収穫所での短期の仕事が始まる。

何が書きたかったのかわからなくなってきたけれども、こうやって色んなことが自分の中を通過する中で、絶対的に変わらないものというのが見えてくる。

様々なことに対して私は「あきらめる」ことをした。

最初からあきらめたんじゃなくて、そうせざるを得なくなってそれでそうした。

色んなことがドタバタと入れ替わり立ち替わり起こる中で、唯一後悔したくなくて動いた今朝のことだけが、自分自らアクションを起こしたことだとわかる。

それもまた常軌を逸していて、とてもじゃないけれど、児童館にいた女性たちには言えそうにもないことだった。

生きる世界が違うってそういうことなんだと思う。

だけれど、自分が全身全霊を賭けて、それでも貫きたい何かがあるというのは、私にとってとっても珍しいことだった。

今の色々まとまらない感じや混乱している感じこそ、今の私の状態そのままなんだと思う。

今とっても混沌としていて何にもわかってはいないけれど、これがあと1年すると今ある色んなことの意味が今よりはわかるようになっていると思う。

そして、究極、すべてはなるようにしかならない、そう思っている。

2019年8月18日日曜日

紙束の決意

2019/07/15

ずいぶんとボロボロになった下書きの紙を久しぶりに取り出した。

最初の一文、書き出しをどうするか迷ったけれど、出てきたものをそのまま書いた。

そこには自分の願望をそのまま書いた短い言葉が並んだ。

いきなり馴れ馴れしいんじゃないか、言葉の使い方が変じゃないか、色々思ったけれども、その一文が本心をそのまま書いている気がしたから、変えずにそれでいくことにした。




2019/08/17

上の話を書こうと思ったのに、出だしだけ書いてものすごく途中のまま今になった。

「時間をいっぱいください」と書いた1行目。

私も何を予想したのか、本当にたくさんの時間をかけてもらわないといけない長さの文を書いた。

その下書きの紙をその1ヶ月前のある日、突然思い付いて手に取った。

全部読むと膨大な時間がかかるから、要所要所だけ適当に選んで読んだ。

その当時でなければ書けなかったなぁと思った。




5月30日の真夜中の3時46分に

【魂に妥協はない】

と携帯メモに入れていた。

最初変な時間に目覚めて書いたのかと思ったら、日付をよくよく見たら、占星術講座の中級編の前編を受けに行った翌日、東京から新潟に帰った日だった。

時間的に、おそらく高速バスのバス停を降りてほとんど車が通らない真夜中に車を走らせて家に着いた頃の時間だと思う。

その数時間前、講座の後に講座のクラスメイトの1人、ノムこと野村さんと初めてお茶をした。

その後『令和初デート』と銘打ったブログを私は書いたけれど、「魂に妥協はない」はそのことを思って浮かんだ言葉じゃなかった。

いつかの下書きの紙とそこに宛てた相手とのことを思い浮かべて出てきた言葉だったと思う。

そのとてつもなく長い文章は、魂の衝動をそのまんま形にしたものだった。

当時は本当に意味がわからなかったし、自分でも自分が何をしているのかよくわからなかった。

していることは、ひたすら紙に向かってペンを走らせているだけだったけれど、それは常軌を逸していて、どこか冷静な自分は「何してるの?」と思っていた。

スーパー迷惑行為にしかならないようなことを突然始めて、内心「げっΣ∑(((゚Д゚;;;)))))」と思っていた。

だけど、手は止まらないし、なんだか知らないけれど、言葉もスルスルと出てきた。

よくそんなにも書けるね、と思ったくらい、私は何だか知らないけれど、たくさんのことを書き綴った。

すごく変な感覚だったことはその後もずっと覚えていたけれど、そんなこと他に体験したことがなくて、あれは何だったのかずっと答えを持っていなかった。

答えを知ったところで現実は何も変わらないから、知らなくても気にならなかった。

なんだったら、そんなことしなきゃ良かった、と私は後悔したこともたくさんあった。

その答えを知ったのは、それから半年ほど経ったある日のことだった。

あの意味不明な感覚こそが魂の衝動だと初めてわかった。

今の人生ではない、いつか過去に生きたとされる人生(過去世)で近くにいたとされる人と今世でも再会しただろうことを、突然第三者から知らされた。

それがどこまで正しいかなんて、伝えてくれた霊能力を持ち合わせた方も私もわからない。

証明のしようがない。

なんだけど、聞いてもいないことを突然知らされて、そして聞かされた内容は、今現在生きている武士俣史子としての人生にも引き継がれている。

相手のことはさておいても、少なくともペンジュラムを異常なほど使いこなす私は、過去世でもペンジュラムを自分の一部、自分の相棒として持っていたことをその時に知らされた。

そして、それとは別に、書くことも別の過去世のどこかでしていたことを知らされた。

伝えてくれた方が嘘を言っているとは全く思わなかった。

その方も伝えることを目的とは全くしていなくて、伝えるべきことがその人は視えてしまったから伝えたに過ぎなかった。

伝えてもらったことは、まさに私が今の人生でもしていることで、そこは疑いの余地もなかった。

今書いてて気付いた。

その「魂の衝動」を、私は「書く」という手段を使って表した。

他の手段を思い付けなかったからそうなったと思ったけれど、書くことが苦手な人たちからしたら絶対に選ばない手段でもあると思う。

本当に意味のわからない衝動は、書くという行動に移されて、さらには衝動を目に見える形にして伝えるところまで私は一気に動いた。

ごちゃごちゃ考えず、一心不乱に私はひたすら一点集中型で動いた。

そのすべては、一言で言うなら「変」としか言いようがなかった。

しかも、今時間が経ったから余計にわかるけれど、魂の衝動は相当な極限状況にならない限り表には普段出てこない。

その極限状況に当時はあったわけで、私はもうこれが最初で最後のチャンスだと思った。

自分が生きている間に紙に書いてまで伝えられるのは、それっきりだと肌で感じていた。

その後100歳まで仮に私が生きたとしても、もうその時が最初で最後の機会なんだと思った。

そんなことよく感知できたなぁと今になって思うけれど、当時の私はそう感じていた。

いや、正しくは、魂の衝動たるや強烈な感覚が内側から上がってくるから、無視したくても無視なんかできないぐらいの強さを伴って知らせてくる。

そして、考えたり計画する前に、体が勝手に動く。

衝動らしく、理由も根拠もわからないまま、衝動に基づいた突飛な行動をやりだすし、一度そうなったら体の方は止まらない。

何かに突き動かされるように体は動いていて、もはや自分のことなのに自分のことではないように感じる。

自分の中の深いところから何かが突然現れて、それにはもう理論や理屈は一切通用しない、ひたすら1つの目的に向かってしか動けない風になっていた。

私の中ではこんな順位が成り立っている。

第3位:頭で考えた望み(理性)
第2位:生理的欲求(本能)
第1位:魂の衝動(自分の生存理由)

「頭で考えた望み」というのは、例えば、結婚したいとか、社会的に信用のある仕事をしたいとか、どこそこへ旅したいとか、なにそれ(物)が欲しいとか、外見上きれいになりたいとか、痩せたいとか、まぁ世俗的な感覚のもの。

理性と言い換えてもいいと思う。

「生理的欲求」は、食欲・睡眠欲・性欲の三大本能に当たる。

例えば「痩せたい」と思っても食欲が勝れば食べてしまうし、痩せるために運動しないと!と思っても眠さが勝てば寝る方を優先させる。

そこは体というものを持ち合わせている以上、本能には勝てない。

ここまでは、どちらも普段からものすごく馴染みのある感覚や行動なわけで、特別さはない。

そして、ほぼ100%に近い90数%はそれで日々の生活が回っているから、魂の衝動なんて普段感じることはない。

だから、魂の衝動が表に出てくる時なんていうのは、もう何かとてつもなく身の危険とか心の危険とかを伴うある種の極限状態にならなければ発動しない、と私は分析している。

私の手元に残ったボロボロになった下書きの紙は、魂の衝動が物質化したものだと思っている。

当然、今なんか書けるわけないし、もう一度書こうとしても書けないことがわかる。

そして、そこまでの衝動に駆られるのは、私からすると自分の生存理由に直結している。

命に関わる、今生この体を持ってまで生きる理由に結びついているから、普段からは考えられない力が勝手に湧いてくるし、その力に沿って動くことは理性的な社会常識からは大きく逸脱している。

とっても変だけど、そうせずにはいられないみたいな、物凄い強制力を持っている。

魂の衝動は、それを結実させるためならどんな妥協もしない。

どんなにおかしくてどんなに社会規範からズレていても、そんなのおかまいなしに体は勝手に動く。

そんな風にして迎えたある時のことが、そのボロボロになった紙には表れていた。




この数日、私は自分の中で決めつつあることが有る。

自分の中で答えを出したい。

その衝動が生まれてきた。

結果が自分の望むようなものにはならないことは、これまでの経過を見ても予想は立つ。

なんだけど、私が欲しいのは、結果そのものじゃないんだとわかってきた。

結果はものすごく欲しい。

合格と不合格というようなわかりやすい結果を伴うもので、そんなのは合格こそ本気で欲しい結果なわけで、私もはなから不合格狙いなわけない。

なんだけど、合格不合格ではなくて、とりあえず合格不合格の結果を出すために1つ動きたい、そういう気持ちがムクムクと湧いてきた。

やるだけやってダメなら、今度こそ私も本当に納得して前に進める気がした。

2年ぐらいかけて、自分の人生の特徴が見えてきた。

私の人生は、自分側の都合はあまり関与しない。

魂的な計画にのみ忠実に色んなことが現実に起こる。

だから普通にありえもしないことでも、私の人生の計画に沿ったものならどんな形であれ現実に現れてくる。

反対に、心からものすごく望んだことでも、人生の計画から逸れてるなら、どんなに望んだかは関係なく叶わないようになっている。

そこまでわかった時、私は自分の望みに対して「もう自分にできることは何もない」というぐらいにやりきりたいんだとわかった。

やってダメなものは仕方ない。

ましてや自分だけのことじゃないなら、余計と私側だけの都合では物事は動かない。

もう本当にダメならダメで、全てやりきってダメが私はいいんだと思うようになった。

やってダメなものはもう仕方ない。

これまで、もしかして…の可能性を100%否定できなかった。

限りなくゼロでも完全なゼロではない、とどこかで私はいつもそう思っていた。

だけど、ゼロだということを私は自分が本気で納得したい。

そう思うようになった。

今は日々その自分の決断が本物かどうかを自分に問いてる。

本当にそこまでして納得したいのか、本当にやりきりたいのか、それを問いかけている。

自分なりに向き合って、それで出た結果なら仕方ない。

気持ちは固まりつつある。

もうやるだけやって、それでもダメならそのダメな現実を受け入れて生きていこうと。




一応、このブログのたまりにたまった下書きたちを確認した。

この魂関連の内容に関係する下書きは1つもなかった。

もう十分書いた。

色々書いてきて、その時その時の気持ちで書き続けて良かった。

これも書けば良かった、とならないぐらいに私は書いた。

大概のことはこのブログのどこかに書いた。

それは私からすると、伝言板みたいなものだった。

伝言板に伝言を貼り付けておけば、見るかどうかはわからなくても、見ることになれば最低限何かは伝わる。

それに私はひたすら賭けて綴っていたようなものだった。

そうしたことを繰り返して、私の中で“もうそろそろいいのかもしれない”、初めて本当にそういう気持ちが生まれた。

ダメならダメだということをとことん受け入れよう、そういう気持ちになってきた。

そういうものに対して、自分なりの答えを出せるところにまで今来たんだと思う。

いきなり今日動いて明日になったらきれいさっぱり忘れるというようなものじゃない。

葛藤や悔恨に似た気持ちは、その後だって付いて回ってくるかもしれない。

割り切れない気持ちややるせないとなるものも今以上に出てくるかもしれない。

そうした可能性も全部含めて、「やるだけやったけれど、ダメだった」というのが欲しいんだと思う。

この2年ぐらいかけて、私はおそらく人生の断捨離みたいなことをしていたと思う。

人が普通にできることができない自分や、望んだものが叶わない人生の傾向に、本当にたくさんうんざりした。

何かを望んでも叶わない自分の人生に、私は何かを望むことさえあきらめ始めた。

元々あれもこれも叶えたいなんて、たくさん欲があるわけじゃない私にとって、数少ない本気の望みが叶わないことは猛烈にストレスだった。

叶わないことと自分の気持ちに折り合いをつけることがこの上なく大変で、だから望むことをしなければいいんだと、私はかなり消極的な流れに自分を置くようになった。

そんな私が何かが欲しいと自然になったのは、ものすごく珍しいことだった。

人生の断捨離みたいなことをすると、最後の最後まで残るものは相当限られる。

自分に残された色んなものはさておき、心から欲しいとなったのは、私の場合、今ある1つのことだけと言っても過言じゃない。

そしてそれは全く叶わないまま今を迎えている。

そのことに対して、「いつかはもしかして…」みたいなことを思い続けるのではなく、ダメならダメともうはっきりと自分の中で認めようかという気持ちを持つようになった。

そして、そのためにやれることは全部やって、それでもダメなら、私はもう変な期待はゼロになってそれを心に留めて生きていける、そう考えた。

本当に1ミリの余地も残さないぐらいやり切ったら、私は今度こそ本当に納得して「仕方ない」となれる気がしている。




紙束となった下書きを書いた時、今のような未来は1ミリも想像していなかった。

そもそも紙束がこんなにも長く尾を引くことは想定外だった。

本番の紙束が今はどうなっているのか知らないし、もう私が生涯を通じて二度目まして的なご対面を果たすこともないと思う。

振り返ればこの2年、外側の出来事は色んなことが起こりまくりだったけれど、私の内側は何一つ変わることなく一定だった。

ずっと同じことを望み同じ想いを抱き続けた。

そこは1ミリもぶれることなく、確固たる地位を築いて、がんばらなくても信念めいたものは勝手に貫かれた。

紙束が魂の衝動を物体化させたものなら、その衝動となった想いの部分はその時一瞬だけのものではなく、長くずっと変わらずに在り続けるものだった。

魂がこの人生を選んでくる時に「叶えたい」と願ったことなんだろうと思う。

色々飽きっぽい私を見て、すぐに楽な道を追い求めようとする自分自身を見て、こんなにも一途に同じものを追い求めるなんて、しかもそれが全く楽ではないむしろ望みのカケラもないようなものを追い求めるなんて、普段の私なら絶対にしないことだった。

そうまでする魂の衝動や魂の想い的なものは、今回この人生を生きようと決めた大元の動機で生きる理由そのものなんだと感じる。

だから今計画していることは、とてつもなくはちゃめちゃなことで、40歳の社会経験を積んだ私としては積極的に選びたいことじゃない。

むしろそんなことは、余計な混乱や迷惑を引き起こす可能性が多大にあるから、普通のテンションの時なら絶対に選ばない。

だから、これからしようとしていることは、そういう視点で選んでいない。

私の今の視点はこうなってる。

人生全体から眺めて、もうやるだけやりきって後悔ない方法を採ること、それが社会的に非常識なことでも、私が自分の人生に納得して生きていくのにどうしてもやっておきたいこと、そんな風な理由で選んでいる。

全部の可能性を試してそれでもダメなら、本当に仕方のないことだと思ってる。

私の場合、外側で起こる出来事はあまり自分で選べないのはわかった。

だけど、自分が選べることで、そして何よりも自分が望んでいることは、やらずに後悔していつか死ぬぐらいなら、アホみたいなことでもやりきって残りの人生を生きていくことの方が私自身が救われるんだと思っている。

自爆行為みたいなことでそこまで捨て身になってどうするのかと思うけれども、もうそこまで来てしまった自分がいる。

紙束の未来は、今これまで想像もしてこなかった結論を出そうとしている。

それこそ第二の魂の衝動期みたいなものを迎えているのかもしれない。

それでも私はその意に沿いたいと思うし、もうそれしか自分が納得する方法がないと思っている。

どんな結果でも受け止めよう、その意志は固まっている。

かなり迷惑度合いが高いことのように思うけれども、一生に一度のことだから許してください、などと勝手なことも思っている。

そして、これはもっと勝手な考えだけど、この2年見続けてきたものをベースにして考えると、今回の迷惑度合い予想、かなり高めなものも、相手は許してくれるんじゃないかとほんの少しだけ思っている。

無視されて終わりだとしても、私の見えないところでひっそりとそれをOKにしてくれるかもしれない…、と小さく期待している。

相手も一生に一度しか体験しないようなことなら、最後は許すことをしてくれるんじゃないかとひっそりと思っている。

そんな風に少しは思えるぐらいのことを積み重ねてきた今だからこそ、もう機が熟したのかもしれない。

終わりを覚悟するだけの心持ちになってきたし、自分がそれだけのことと時間を積み重ねてきたと感じているんじゃないかと思う。

「紙束の決意」ー色々書きながら、これをアップする数時間前に出てきた言葉。

私の中で決意が固まりつつある。

2019年8月14日水曜日

ホロスコープ鑑定2019【前編】


 

2019/08/14の夜明けの様子

下2枚は別の日の朝焼け






その機会は、突然降って湧いた。

ノムの方から「ぶっしーのホロスコープを読んで文にしようと思う」と言ってくれた。

てっきりそれは後日送られてくるのかと思いきや、ノムはその場で私のホロスコープをノムの感覚でどんどん読んでいってくれた。

それこそ音源に撮ったら良かった!、とそれは今でも悔やまれるけれど、突然ノムは電話の向こうで私のホロスコープを読み解いてくれた。

さらにそこから1週間ほどすると、ノムからメールが送られてきた。

私は電話越しのホロスコープの読みだけで大満足していて、まさか本当に口頭で伝えてもらった以外に文章でも鑑定文を送ってもらえるとは思ってなくて、ものすごく驚いた。

しかも、口頭の内容と文章の内容はまるっと違う。

ホロスコープというのは無限大に着眼点があるから、実際のところ、どこからどう読んでもいい。

読み方は読み手のセンスや生き方がものすごく表れてる気がする。

ノムが読んでくれたのが実質人生で3回目のホロスコープ鑑定になるけれど、それは初回と2回目とも全く違う様相のものだった。



>>>1回目(2018年2月)

この時は、「ホロスコープ入門」というタイプの鑑定だった。

生まれた時の星の配置で色んなことがわかることにとっても感動したし、「入口」として入るには十分な情報量だった。

この時の鑑定士さんが授けてくれた一番の情報は、ペンジュラムと私の関係が今世だけではなく過去世からもたらされているだろうことと、その時の過去世で近くにいただろう人物と今世でも再会できていて、その人物と私との関わりを教えてもらえたこと。

その時教えてもらったことは、ホロスコープ鑑定とは全く別で、鑑定士さんの体質で必要に応じて私が教えてもらったような情報をキャッチするということだった。

鑑定士さんからは「見ようと思って視れる情報ではないので、関わる人たちの魂側から必要と判断されない限りは視えません」というような説明を受けて、聞かせてもらえたことだった。

今思うと、魂的なご縁たるもの、ありえない現実を引き起こす、とはっきりと知った初めての出来事でもあった。

余談だけど、この人物に関して、私はこの鑑定士さん含めてなんと4人もの人たちから何かしら情報を提供されていて(4人ともその人との面識は一切なし)、この鑑定士さんがその中で初めて何の前情報もなくいきなり私にその人に関する情報を伝えてきてくれた人だった。

それによって、私の中のバラバラのピースだった人生のポイント・ポイントが1つの線に初めて繋がった。

鑑定よりもむしろそのペンジュラムの過去世を持つ自分や、その過去世の中でとても近しい間柄にあった人物と今世でも再会したと知り得たことがとても大きかった。



>>>初回鑑定の2ヶ月後から私は独学で自分のホロスコープを読み始めた。自力で読むにはあまりにも特殊で難解な形をいくつも含んだ自分のホロスコープは、素人にはすべて読めないと判断して、2回目の鑑定を申し込んだ。



>>>2回目(2018年7月)

この鑑定は、完全に学術的且つ超がつく専門的な鑑定になった。

1回目とは全然違っていて、私のよくわからない人生の流れや、どうしてそうなるの?の部分をくまなく解読してもらえた。

初回が簡易な健康診断だとするなら、2回目はフルオーダーの人間ドックみたいな感じだった。

この鑑定によって、自分のホロスコープをもっと立体的に見ることができたし、自分取扱説明書的に自分の人生をより深く知ることができた。




(☆☆☆)
そうした過去2回を経て、私の方はもうホロスコープ鑑定はしばらく受けなくていいかなと思っていた。

個人的に受けてみたい占術家の方は何人かいるけれど、早急に申し込んで受けたいというのとは違って、まぁいつかは受けたいかな…という感じだった。

受けたい理由も、何かを相談したいとかではなく、どんな風に他の方たちが私のホロスコープを読み解くのか、そこに興味がある。

2回目に受けた時、ある意味、自分の人生に対してあきらめて受け入れるしかないと悟ったら、もうそれ以上深い内容なんて手にしないだろう…なんて高をくくっていた。

「悟った」と言えるほどではないけれど、もうそれしかない、というタイプの認識は生まれた。

ノムとは普段からあれこれ占星術の話題を互いに思いついたタイミングで情報交換している。

実際に講座も一緒に受けたから、先生がサンプルとして時々私たちのホロスコープを読んでくれたけれど、それも同じ内容を聞いている。

その時はもちろんノムの好意で私のホロスコープを読んでくれたけれど、今思うとノムは「神々の審議会」的なメンバーから遣わされて私のものを読んだんじゃないかな…なんて思う。

ノムのアトリエで『光の書』という本の中で「神々の審議会」という言葉を見てからというもの、私の中でその言葉は一大ブームとなった。

意味不明でカオスな出来事は、すべて「神々の審議会」の一言で説明がつくv(ΦдΦ)v。

ノムがしてくれたことは、意味不明でもカオスでもなくとってもありがたくて嬉しいことだったけれど、よくよく考えたら色々イレギュラーすぎて、それが起こること自体、すごい非日常だった。

ノムに聞いても「なんとなく読もうと思った」と言うし、ノムだって直前まで私のホロスコープを読むなんて全く意図なんかしていなかったと思う。

それが突然ノムは「読むね」と言って始めて、そしてノムの読み解きを聞いた後、それが絶対的に必要なことだとわかった。

ちょうど1年前に受けた2回目の鑑定で、自分の人生の設定がおおよそわかったし、その設定に関しては自分の方にほとんど選択肢がないこともわかった。

オカルト体質的なものもオカルト的な要素のある人生の性質も、自分ではどうにもならないことだとわかった。

自分が知りたかった学術的に難しい部分も、先生の方で細かく読み解いてくれた。

もうそれで十分だとずっと思っていた。

ノムは2回目の鑑定も踏まえて、さらにもっと踏み込んで、ノムから見た私の性格や特徴と実際のホロスコープとを重ね合わせて、色々と話をしてくれた。

ノムがしてくれたのは、私側が自分の人生に対してもっと深く向き合えるように、そのために私がすっと素直に受け取れるものをメッセージとして伝えてくれた。

ノムは本当に踏み込んで話をしてくれた。

ノムは基本的に自ら相手の領域に踏み込むタイプの人ではないし、踏み込む時は相当気をつけて言葉を選んで相手の感じ方を常に気にしながら伝えようとするタイプの人。

なんだけど、今回はその普段のスタイルよりも、もっと何かに促されるように、私の星を読んでくれた。

ある種、神がかった流れの中でそのようになったという感じに私には見えた。

この時のことを、何個か前のブログで私はこんな風に書いている。


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何でノムだったのかはわかる。

ノムは私を絶対に傷付けないというのがわかるから。

傷付けないけれど、それは何かを避けたりもしない。

傷付けない方法で確実に大切なメッセージを伝えてくれる。

それが本能レベルでわかっているから、だから私は無意識にノムにその係をお願いしたんだと思う。

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私は自分でもわかるけれど、自分の人生のコアな部分に迫れば迫るほど、怖くなったり逃げたくなったりする。

いい加減な気持ちで向き合えないし、逃げても逃げられないということもわかっている。

これが自分の頭の中で思い描くことと合致しているなら私も超やる気になってスイスイと動き出したと思う。

私の場合、もう何が怖くて何から逃げたいのかもわからないけれど、とにかく「やる気満々」とはとても呼べない自分のモチベーションと、人生そのものに対する怖さや逃げたい気持ちとを持っている。

1年前の夏に、ぐうの音も出ない私の人生の方向性をホロスコープ鑑定により知った。

信じる信じないのレベルじゃない。

否定したくてもできないぐらいの内容のものをいくつも伝えられた。

もう腹を括るしかない、と思っても、腹はやっぱりいきなりは括れない。

行きつ戻りつしながら、徐々に受け入れていく、そんな風にして1年が過ぎた。

私の中で、去年の鑑定以降ホロスコープ鑑定にもうそこまで熱を上げなかった理由は、1年前の鑑定があまりにも高度な内容で、それと同じレベルで読み解ける人などいないと思ったからだった。

だけど、ノムから読み解いてもらって、ノムの読み解きはもはや全く別次元の内容で、そしてそこはこの1年の行きつ戻りつの状態を思うと、絶対的に必要不可欠なメッセージだったと今ならわかる。




2019/08/14  真夜中の1時台

3歳の姪っ子メイが来てからというもの、日々遊び相手をしていておば業に勤しんでいるけれど(←本当に「お勤め」という感じ( ̄∀ ̄;))、そのテンションだととにかく文章が書けないことになっていた。

相変わらず、ぬいぐるみたちの声優も兼ねた色んなごっこ遊びや各種不思議な遊びに精を出しているけれど、そのテンションとこのブログのテンションとは宇宙と地球の中の日本の新潟県内の某田舎町ほどの差があって、脳みそが全く書くモードに切り替わらなかった。

上に書いたことも、(☆☆☆)以降がメイが来てから書いたもので、そこから先が本当に手が進まなかった。

とにかく言葉にできなくて何なのかと思っていたら、ようやくその理由を知るところに来た。

ノムが私の星を最初に読んでくれた日からそろそろ3週間ほどになる。

そして、今さっき、やっとやっと着手して何とか期限ギリギリに提出した占星術講座の最後の課題の添削が先生からメールで送られてきて、それが真夜中寝ぼけた頭で最初に読んだもんだから、そのインパクトたるや凄いものがあった。

だいぶ気付いてはいたけれど、私の星読みのあり方は、致命的に欠点を持っていて、今回そこをもろに先生から指摘された。

5月から延び延びのままになっている、占星術鑑定デビューの話とも連動していて(こちらも超大切な出来事と出会い(再会)だったから、きちんと書き足していつかアップする予定)、私がどんな風に星読みをしているのかそれも書きたいと思っているから、今は致命的な欠点については深くは書かないけれど、とにかくここ3週間ほどのノムとのやりとりと、私の人生の超大事なポイントと、その中で起こった小さな出来事たちが色々交差している。

先に言うと、もし今の私の手元にあるメッセージが先生からの宿題の添削だけなら、私は100%この先占星術をすることは絶対になかった。

先生が指摘してくれたことは、本当の本当に「占星術」という言葉を使って表に看板を出すことはできない、と私は思うぐらいのものだった。

それぐらいの致命的欠点を私は星読みをする時に持っている。

ある程度訓練して補完することは可能だけど、それは「意図的に訓練」が常に必要だし、それこそチェックリストでも作って1つ1つ見てやらないと自力で自然にはできないことだった。

しかも、仮にチェックリストを作ってやったとして、それで完璧かと言えばそんなこともなく、さらなる不足感や欠落感、劣等感に苛まされたりしたと思う。

こんな自分が星読みなんかしちゃいけないとか、自分のことや趣味の範疇でやるのは良くても有料で仕事として携わるのはどうかと疑問に思って、得意の逃げ技に転じて、自分のできることから目を背けたに違いない。

先生からの添削メールを見て、私は今反対のことを思っている。

今後自分の説明を文章に起こしていく必要があるけれど(有料サービスに向けて)、私はできることと同時にできないことややらないことも明文化しようと思っている。

その致命的欠点もそのまま書こうと思っている。

頭の中がまとまらないから、出てきたまま書こうと思うけれども。

ノムがしてくれたことというのは、私の超独特な感性について言葉にして伝えてくれたことと、そしてその唯一無二の素晴らしさやそこにある可能性だった。

この3週間ほどの間で、ノムは私の星から読み取れるメッセージを伝えてくれただけじゃなく、もっと他の現実的な可能性についても形にするべくヒントやチャンスを与えてくれていて、そこで私が手にしたことは一生の間で一度しか手にできないような、自分自身との出会いみたいな感じだった。

自分はこんなことも実はできるんだ!と気付くこともあったし、それこそ新しい脳内の回路が開いた風にも感じた。

これは自分が生まれてくる時に持たされた資質・才能の1つだと思う。

当たり前だけど、使うために持っているものであって、そのまま宝の持ち腐れのごとく隠したままにはできないと思う。

ただ、ここが「ザ・武士俣史子」だなぁと思うのは、宝に気付いてもそれを素直にすぐに外に表現できない自分もいる。

自分の中に常駐している自己否定感や外に向けて表現することへの怖さと常に表裏一体で、「こんなこと表に出して大丈夫かな…」とか「自分がこんなことしていいのかな…」とか、まぁ出てくる出てくるネガティブな考えやネガティブな自分が。

そして資質や可能性に気付いても怖さがまだ先の私は、とりあえずまた色んなことを先延ばしにすべく、妹と姪っ子が帰る翌日から、1ヶ月程度の短期の仕事に行くことが決まった。

何をするのかいまいちわかっていないけれど、稲刈りの終わったお米を引き取る倉庫のようなところに行って、伝票書いたりそれに付随する仕事をするらしい。

この日本という国で、「雨の日はお休み」という、ドミニカ共和国以来の素晴らしいオプション付きの仕事をする。

目下は日焼け対策や水分補給のあり方、ストレスにならない弁当作り(多分面倒だからおにぎりになると思う)、短期と言えどもストレスにならない人間関係なんかに力を使うと思う。

ちなみに、この仕事も即刻決まったから、何か表の経済的理由ではなく別の理由で行くんだろうなぁと思っている。
(神々の審議会的レベルで行くことが許されないものは、どんなにありえないことでも引き起こされて、そこに行かれないように全力で阻止される。はっきり言って、私側の意志なんか全く関係ない感じがするし、毎回細かな希望を一切出さない私には、何の仕事なら通って何の仕事なら通らないのか、その見えない部分の神々の審議会的な条件がわからない。)

話が少し逸れたけれど、何か自分の中の資質に気付いても、私は一度以上は必ず抵抗するし、それを受け取ることにもためらったり、受け取ってからもまた否定したりと、色々自分の中は忙しい。

またちぐはぐなことを少しの間するわけだけど、とにかく、先生からの添削メールだけがもし今の私のところに寄せられた全てのメッセージなら、私は占星術を使うことからも自分の人生からも逃げたと思う。

だけど、私はそれを読んで、「自分だからできること」にも気付けたし、そして致命的な欠点については公表して、その私でも良ければ来てください、って今なら言えると思った。

私の致命的欠点をきちんとやれる人もたくさんいるし、それこそそれを求める人がいるなら自分の先生を紹介をすれば良い話なわけで、そこは積極的に先生なり他のサービスなりを紹介しまくろうと思っている。

そこではなく、私が自分の持っているものを本当に活かしていこうと小さな覚悟を今少しずつ積み立てていられるのは、ノムがこの3週間ほどでしてくれた色んなことがものすごく大きい。

そして、ノムを通じて出会わせてもらったノムの大家さんのレイさんやノムのパートナーのミッチーとのやりとりも大きい。

それぞれ役割が違っていて、他に良い例も思いつかないから、あえてその例を使わせてもらうと。
(批判は一切受け付けません( ̄∀ ̄;))。

AKB48しか思い浮かばなかったから、批判非難覚悟で言うと、私がAKB48的な立ち位置にいるとするなら(パフォーマー)、ノムは秋元康(才能発掘係・才能プロデュース担当)、レイさんとミッチーはAKB48のファンで、私の存在そのものやグッズ(ぶっしーグッズ)を手にして純粋な感想や感じたことを教えてくれる存在みたいな…。

先生の添削メールは、AKB48の運営管理会社的立場で、パフォーマーがパフォーマンスを滞りなくできるように長所も短所もきっちりと伝えてくれる感じ。

AKB48自体は、昔の超可愛いアイドルではなくて、どこにでもいそうなちょっと可愛い程度の庶民派アイドルみたいなのを目指した、というような話を聞いたことがあるけれど(その割に可愛い子が多すぎやしないか?と思うけれども)。

あの投票でセンターを決める制度もいいなぁと思うのは、センターはさておき、各自に入る票というのは、ファンである人たちがどの人に一番惹かれているかを投票できるところ。

それは言い換えると、個人が持っている魅力に対して、各々の人が自分の好きを選べるということだと思う。

私が森山直太朗が好きでも、他の人は直太朗が好きとは限らないのと一緒だと思う。

みんなそれぞれの好きセンサーや個人の感性に合わせて、その好きを選べるのはとってもいい。

私の星読みを含めた資質に関してもそうで、それを好きじゃない人ももちろんいるし、必要としない人もたくさんいる。

だけど、それを必要と感じてくれた人もいたし、それはそれで一部の人から見て魅力にもなるんだと知った。

私の資質的なものは、はっきり言って見えないし、ものすごくわかりにくい。

自分でさえわからないわけだから、それを他人に説明するなんて、ずっと至難の業で出来ずにいた。

それに加えて、私はその資質的なところに対して、超懐疑的だった。

私の感覚が世間一般的な価値観と異なるのは、わりかし早い年齢で気付いていた。

20代の頃から流行に疎かったし、さらに子どもの頃から30歳ぐらいまで特殊な環境に身を置くことが多くて、世の中の価値観だけでは計れない世界にいることが多かった。

世の中の正しさや一般認識から離れたところにいると、本当に何が良くて何が悪いのかわからなくなる。

でも私は自分のそうした中で積み重ねられた価値観がズレてるだけじゃなく、物議を醸し出したり、はたまた攻撃の対象にもなりやすいことを知っていた。

私はズレてる自分を出して何か不要な攻撃を受けるのも嫌だったし、理解されなくて傷付くのも嫌だったし、とにかく少しでも一般社会で生きていくのに迎合されやすい自分を作るのに必死なところがあった。

私には魅力というよりも、色んなことが自分の足を引っ張る要素にしか見えないこともたくさんあって、隠そう、隠そうとして生きてきたところもたくさんあった。

その部分を、ノムはできる限りたくさんの言葉で私にそれが私の魅力や才能だとわかるように言葉にしてくれた初めての人だった。

これまでだって、周りの人たちから色んな言葉で私の良きところを言葉で伝えてもらってきた。

そうなんだけど、ノムのそれはこれまでとは全然違っていた。

ノムが口にしてくれたことは、私がひた隠しにしていたようなところにスポットライトを当ててくれて、それこそが私の持っている才能で魅力なんだと伝えてくれた。

欠点や不具合となってばかりいて、私からしたらありがたみを感じられなかったところに、ノムは注目した。

そして、そこを引き上げてくれただけじゃなく、それも含めての私の人生や私自身であることを、1つ1つものすごく丁寧に伝えてくれた。

これは、初回と2回目のホロスコープ鑑定には全くない側面だった。

さらに言えば、2回目の鑑定で自分の人生の流れを理論的に理解できるようになったのは良かったけれど、それと同時に心も伴うとは限らない。

私なんかは心にある自分の想いと人生の流れとを擦り合せるのに必死なところがある。

心がついていけない自分のこともたくさん知っているし、その自分だからゆえ葛藤することも見てきている。

だから、知ったことで全部が全部OKじゃない。

その部分の自分を救い上げてくれたのがノムで、私がどうしたって自信が持てなかった自分の感性を本当にわかりやすい言葉で説明してくれたのもノムだった。

「自信」というのは、自分を信じるという意味で、私は自分の感性をいつも疑ったり「これはあまり大きな声で言えない」と思ったり、とにかく否定したりすることがとっても多かった。

感性は自然体のもので、その自然体の自分に対してずっとOKが出せなかったわけで、どうしてそうなったのかは一言では説明できないほど沢山のことがあった。

ノムとやりとりするようになって、自信のない自分や自分の感性を信じられない自分さえもそれでいいんだと本気で思えた。

そして、そうしたたくさんの経験、特に負の経験が本当の財産で、それこそが私が外に向けて出せる最大のアピールポイントなんだと、ノムが本当の本当に丁寧に伝えてくれたことで徐々にその部分を受け取れるようになった。

だから、3回目となる今年のホロスコープ鑑定は、これまでの2回とは全く異なる内容になっている。

今年は、星からの情報というよりも魂からのメッセージという印象が強い。

そして、私が受取拒否しないように、これ以上ない鑑定士からこれ以上ない情報を伝えてもらえた。

とりあえず長いから、今回は2部ないし3部構成にする予定。

この後、下にノムが口頭で伝えてくれたことの内容を載せる。

次回は、その1週間後ぐらいにノムから来た鑑定メールと、それに対して感じたこと。

それで終わりにするかもだし、もう1つ付け足して、自分の心情や最近の出来事を組み合わせて書くかもしれない。

予定になかったホロスコープ鑑定は、こんな風にして幕を開けた。




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・表現することに関して、きっちり正確にやる。言語に落とし込むのが不可能なものをあえて言語化する。そして、そうしたものを感じられない人にもわかるように示していく。
通訳のようなもので、そのためにはたくさんの事例が必要。
事例というのは、様々な人・環境・経験・痛みなんかを指している。ぶっしーはその事例を経験することでたくさん持っている。

例えば、ある心の痛みを表現しようとした時、その事例、要は自分自身もその体験を持っていないとどう伝えていいかわからない。
それを伝えていくには、相当色んなことをやって知っていかなきゃいけない。
ぶっしーが人生で色んなことを体験するのは、そういう意味があって体験していると思う。


・スピリチュアルな力に関して。
自分がちゃんと現実を経験していないと、その経験に対して誰かには伝えられない。
例えばぶっしーがブラック企業で働いてたとか派遣に行ってたとかいうのは、実際に経験したことですごい強みになっている。
ぶっしーの経験から伝えられるものは、普通の人がもっと簡単に触れられるもの。ぶっしーは、それを言葉で伝えてあげられて、言葉を使って相手に寄り添える。


・無駄なことは1つもなくて、コーチングや傾聴のスキルを身につけて、他にも色んなことを経験して、それらを全部合わせてこれから晴れて反転していく。
遅咲きでも、それまでにそれ相応の経験を積む必要があって、そうなっていたと思う。


・これまでが「潜る時代」なら、これから先は「外に出て行く時代」。陰極まり陽となる。違うことが始まっていくフェーズ。そして、ここから先、自分がこれまで身につけたものを(世の中に)還元していく本番が始まっていく。


・来年2020年大きく天体も動いて色々変わっていく。その変わっていく時というのは、自分の中のアンテナを研ぎ澄ますことがとっても大事!
その時に、僕もぶっしーも同じことをする。
メッセージを受信して、ぶっしーは言語にする、僕はビジュアルで物体化する。それぞれのオリジナルの回路でメッセージを表現していく。


・(アセンションに関して)結局何が起こっているかって、1人1人が宇宙との調和を促されていて、そのための覚醒や自分を取り戻す作業が今急ピッチで進んでいる。ぶっしーはその覚醒のためのお手伝いとか、自分を取り戻すための補助だったり、はたまたご先祖様からの言葉を届けたりする人。(「ご先祖様」というのはあくまで「言葉」に対しての一例)


・(ぶっしーが見せてくれた去年のホロスコープ鑑定の文を読んで)
ぶっしーは当てはまるものがないから自分で作らなきゃ行けない人。何か新しく始めて積み重ねても最後は色々続けられなくなる理由は、「どうやったら生きやすくなるか」ということに繋がっている。
オリジナルな肩書き、働き方、社会との繋がり方を作っていく。


・ぶっしーは「ないもの」をもたらす。存在しないものを生み出す、いわばフロンティア的な生き方。それは完全にNEWなものを(世に)もたらす。
そのために、破壊と創造が繰り返される。それは自分の衝動に向かっていくと言ってもいい。
それは自分の顕在意識から見ると「望んでない」ように見えても、実際は深い魂の部分では望んでいること。


・ぶっしーにとって、「人生の神秘に気付くこと」が喜び。よくよく目を凝らした時に、宇宙のサインが示されてわかるようになる。
そうだとするなら、自分の思い通りになる人生とはいかない。色んなことを経験して、それでようやく「人生の神秘」が見えてくる。


・自分のホロスコープは、自分が選んでいる。今はまだそう思えなくても、ぶっしーは最後は「それが好き!」って絶対になってくよ。


・僕のアトリエで僕のペンジュラムの扉びらきにぶっしーに立ち会ってもらったけれど、あれは僕だけじゃなく、ぶっしーにとっても僕たち(ノムとミッチーとレイさん)との出会いとか巡り合わせ、さらには自分の人生の扉びらき的なことになった、そうじゃない?
それは、次のステージに向けて扉が開いた、僕はそう思っている。


・逸れたことをしても駄目だけど、ぶっしーにとって(人生の目的に)適ってることはどこまでも能力を発揮する。


・(占星術講座の先生も言っていたけれど)2020年年末までにぶっしーは肩書きをゆっくりと定めていく時期。


・これまでが土の中で根を張る時間で、これからが芽を出して上に伸びていく時間。100万人に役立つものを提供するなら、それ相応の根を張らないと。
根を張る作業を先祖代々で脈々と張られ続けてきて、それぐらい時間をかけて、ぶっしーがこの世に送り出された。無事にバトンを繋げて、今のぶっしーが生きている。みんなで継承してきたものが、ぶっしーの人生の中で花開くように加勢している。

(注釈:ノムに「家系的にものすごく護られている」と去年の鑑定でも占星術の先生からも言われたけれど、ピンとこないと話したら、上に書いたことを教えてくれた。)


・たしかに人間関係において揺さぶられるものが色々人生に持ち込まれるかもしれない。でもそれっていうのも、ぶっしーが(ホロスコープ上)人生の目的として掲げてきた「深い事情は聞かないから誰でもいいからいらっしゃい」というところに繋がっていると思う。
ご先祖様からもたらされているものも、このぶっしーの人生の目的に繋がっている。


・無意識や子どもの自分でもある月の部分が、パーソナル的には痛くても、別のところでは栄養になっている。


・相容れない魚座太陽(みんなと一体化)と獅子座月(自己表現をして自分を出す)は、時間をかけて違うところのエネルギーを持ってるもの同士を連動して働くように訓練している。
別個のもの同士が繋がれば、公私の差がなくなる。(太陽:公、月:私)
仕事のことがプライベートのことで癒されたり、プライベートのことが仕事に役立つ。別個にあった入口が繋がって、良い作用が生まれる。


・メッセージが来ることと自分の生きた経験と感情が上手く組み合わさった時にもっと広くなる。そして、もっと広いものを伝えられる。


・人として、社会人としての軸があって、生きた経験を持っているから、生きたものが相手に伝わる。


・常識を超えた、五感を超えた情報が来た時。そういうことに対して素直に聞けない、キャッチできない人に対して、ぶっしーみたいに経験のある人が語ることで伝わる。


・自分の経験とメッセージとを融合させている。自分の話をしたり、自分の経験や普通の話をする中で、違う要素がシュッと入ってくる。相手は、色んな話をされるうちに、自分の中の色んなことに気付いていく。


・ぶっしーは、負の経験を財産にできる人。そして傷に寄り添っていける人。


・eat LOVE聖地で星トリオ(ノム・ミッチー・レイさん)と会った時の一連のことは、「ありのままの自分を許す、ありのままの自分を肯定する」最大で究極の癒しを体験する場だった。そこは自分でいていい場所。
ありのままの自分でいいと思えたら、完了する。

「そのまんまで何も間違っていません」というハンコを自分で自分に与えた、いわば卒業式のようなものだった。
それはこれまでのハードな体験全て含めて、何1つ間違えていなかったということ。

ぶっしーはこれからは、そのハンコを他の人のために押していく。これまでの自分の経験を回収して、それを何かに、人に還元していく。

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