明日11月24日から30日まで、活字を読まない1週間をスタートさせる。
これはわたしの思い付きじゃなくて、今月の頭から開始した毎朝行っていることと連動させて
紹介されていたエクササイズの一環だ。
数日前、その部分を本で読んだ時、「えっ!?まじめに!?活字を読まない!?1週間も!?」
と思った。
冗談かと思ったけど、本は大まじめに提唱している。
(※本の名前と何を毎朝やっているかは、12月に入ったら公表)
頭の中を切り替えて、やること前提としてわたしは何を断つのかを自分の日々の行動と
照らし合わせて考えてみた。
およそ5つ。
①10名近くの方の日々のブログチェック
→はまっている方たちばかりで、毎日チェックしてる
②携帯ニュース
→テレビのないわたしにとって唯一のニュース元で、この5年ほど毎日欠かさずチェック
③毎朝1ページだけ読む本
→365日それぞれの日に贈られるメッセージ本を、基本的に起きてすぐ読む
④小説・エッセイなど、その日の気分で読む本
⑤携帯のメール、LINEのメッセージ
①が一番楽しみにしているものだから、正直すべてを断つのはかなり勇気がいる。
でも、これは1週間後にまとめてチェックできるから良しとすることにした。
②のニュースは、1週間何も知らなくてもそれは大して困らないような気がしている。
まぁこれもOK。
③と④の本に関しては、まぁ読まなければ読まないでも大丈夫かなと思ってる。
代わりに、暇になって手持無沙汰は困るから、わたしはこの数日で暇にならないための
下準備をかなりしっかりと行った。
この準備が思いの外楽しく、と言うより楽しいことしか用意しなかったから、
逆に今からその楽しみを決行出来る日が楽しみでしかたない。
⑤の携帯のメールとLINEのメッセージだけは、自分で特別ルールを作った。
1日1回、朝もしくは夜のどちらかにチェックする時間を設ける。
緊急を問うものが仮にあった場合、1週間放置というのはどう考えてもやばいので、
それだけは避けるべく、そういうルールにした。
当然、何も届かない日だってあるわけで、そういう日はチェックせずに終わる予定。
①~⑤までのそれぞれの対応策が決まったら、何とかなる気がしている。
これが仕事をしていたり、何か責任あるものに関わっている最中であれば難しいものも、
今それらとは無縁の状態だから、逆に行いやすい。
(本当は、抵抗を生み出すような状況であればあるほど、良いようだけど、本によると)
今回、唯一例外ルールを作ることになったのは、
火曜日26日午前11時。
森山直太朗の春先のコンサートの先行予約のために、それは絶対にゆずれないから、
パソコン開いて、活字だらけの説明読んで、応募しようと思ってる。
余談だけど、パソコンメールは元々毎日チェックする習慣がないから、
そしてパソコンそのものも普段はクローゼットに眠っていて使う時だけ出すスタイルだから、
パソコンからの活字問題は、今回全く問題なし。
多分、小学校に入ってから今の今まで、一度も活字を読まない1週間なんて過ごしたことがない。
デング熱でドミニカで入院していた時でさえ、多少具合が安定してれば、
人が差し入れてくれた本を少し読んでいた。
旅に出る時も、基本は何かしらの本を同行させているし、
どこかで本や雑誌があれば見るし、携帯があれば携帯で何かを読んだりする。
だから、今回のこの活字を読まない1週間というのは、史上初であり、
その大変さよりも、そこから一体何を感じ何を思うのか、そして何をして過ごすのかに
興味津々だ。
あと、何を思うのかについては、その都度、そしてその都度が難しくても、少なくとも1日1回は
記録に残そうと思ってる。
2014年11月23日日曜日
2014年11月22日土曜日
初心に返る~私の目指す文章~
11月になり、二日酔いだった朝以外、毎日継続して朝行っていることがある。
それについては、11月が終わったら経過報告としてこのブログに残したいと思っているけれど、
今日はその途中で起こったことについて記したい。
その毎朝行っていること、とりあえず始めたはいいけれど、これと言った効果を感じられず、
これはやっていて意味があるのだろうか・・・と数日前悶々としていた。
そこで私は、
同じことをやっている人が絶対にその効果についてネット上で触れているのではないか、
と思い立ち、実際に携帯で検索してみた。
「○○○(←やっていることの名称) 効果」と入力すると、
たくさんのページがヒットした。
あぁやっぱりやってる人がいるんだとうれしくなって、トップにきたサイトを開いた。
これが怒りの元凶となるのだけど、後にこのサイトのおかげで私は自分が目指す文章の
在り方について自分でもう一度初心に振り返り、結果的には「これこそが効果のひとつ」と
思い至った。
私が今毎朝継続していることは、ある本に書いてあることを実践している。
本はまだ読み途中にしても、とりあえず自分のペースでやろうと決めた朝のことだけは
やり続けている。
先ほどのヒットした某サイト、ここでは混乱を避けるために「Aサイト」と呼ぼう、
まず開いて驚いたのは、
本の引用をたくさんしまくっているのだけど、その引用先がなんと著者名や著書名ではなく、
どこの誰かもわからない「某クリニックの院長」となっていた。
引用の仕方はきちんと「“”」(クオテーションマーク、引用符)が使用されていたから
そこは問題ないにしても、内容はすべてと言っていいほど本の引用。
なのに、その提唱者は、Aサイト内では某クリニックの院長となっている。
完全におかしい。
某クリニックの院長は自分の言葉としてそんな書き方をしたのだろうかと思い、
私はその後その院長のページとやらも見てきた。
いや、院長は、しっかりと著書名と著者名を最初に紹介し、
一部本の引用もあるけれど、あとは自分自身の所感や感想を述べていた。
少なくともこの方は、実際に本を手にして読んで、自分でも実践していた。
その院長の書いたことを引用しまくっていたAサイトの方は、
これは私の勝手な予想だけど、多分サイト管理者はその本を一度も読んでない。
読んでないし、実践もしていない。
でもまるでその本に書いてあることをすると、すごく効果があると強調しまくっている。
世間を騒がせている小保方さんの論文ではないけれど、
この引用の仕方は法的に問題ないのだろうか??
Aサイトの文章は携帯画面にすると3枚分になっていたけれど、
3枚目の最後の最後で、本当の著書名と著者名が紹介されていた。
これは、絶対に最初に提示しなければいけない情報ではないのか!?と思いながら、
もう気分悪すぎる、これ以上調べるのは止めようと、携帯をオフにした。
夜寝る前に調べるんじゃなかった・・・と後悔しながらも、
私はなぜそんなにもそのAサイトの文章に苛立ちを感じていたのか、
どこの誰かもわからない人の文章にイライラするのか、
それの方が異常な気がして、そのイライラの原因を探る作業に移っていった。
もちろん文章を公にする上でのモラルにも引っ掛かったけど、
それ以上に、自分ではやってもいないだろうことをあたかもやった風なにおいを漂わせ、
さらに実証してもない効果をひたすら上から目線的な感じで書いている、
効果と言っても、自分ではその効果を実感してないから、
本に書いてある文章をそのまま期待できる効果として引用していた。
その在り方に私はすごく引っ掛かっていることがわかった。
考えているうちに、私が最初このブログを開設するにあたり、
自分で強く思い、これだけは守ろうと決めたことを思い出した。
1年近くそんなことすっかり忘れていたけれど、これこそが私が目指しているものだと、
はっきりと悟った。
私は自分の体験談を書こうと決めていた。
ワークおたくのように、私は色んなタイプの1人でできる心理的ワークをかなり沢山やっている。
誰と比べてということではなく、私の生きている時間の中でワークの占める量が多い、
という意味でやっている。
大学ノート現在6冊目に突入している(基本的に、自分のやったワークはすべて記録)。
大体1ページに1ワークとすると、60ワーク×5冊で、300ワークはこなしてる計算。
それが人と比べて多いか少ないかはわからないけど、
私はその中で自分がこれは効果があった!というものは積極的に公開していこう!
と1年前の開設時に思った。
思いとは別に、このブログ自体その時々の記録のように変わっていったものの、
今でもその思いは同じだ。
公開していくことは、私の今後のテーマになっていくんだと思うけど、
とにかく、見聞きして終わりではなく、必ず自分でもやってみることを信条にしている。
やってみると、自分の合う合わないがわかる。
合わないものはもうそのまま放置して、合うものは真剣に取り組む。
本に書いてあることは、本を読めばわかる。
でも、例えばそこで何かの方法論が紹介されていたとして、
その方法論が実際の実践において、どんな風に作用があるかはやってみないとわからない。
色んな本を読んで、私が知りたい情報はその作用的な部分だけど、
往々にして方法論だけが紹介されている本が多い。
やってみると個人差があることは十分想像できるし、
そんな個人差のある部分をあれこれ本で紹介することは難しいのかもしれないけど、
私が知りたいのはそこだし、そして必ずと言っていいほど行き詰まる。
行き詰まった時の対処法なんかが書いてあるとさらによろしいけど、
そんなご丁寧な本はそんなにない。
多数の本やネット上での色んな情報、ワークショップ、セミナーでの情報、
それら色んなものに共通して、理論や方法論、一般的な流れの説明は多いけど、
実際に行動しそこでどんな効果や問題が出てきて、
特に問題に対してどんな方法が解決に向けて可能か・・・
そういうものが非常に少ない。
だから、私は逆にその部分を自分の体験したことを通して自分の言葉で語れないだろうか、
とそんな風に考えた。
そんな思いから始めた、このブログだった。
Aサイトには怒りをはじめ色んな負の気持ちを感じたけど、
このAサイトに触れたことによって、自分が大切にしようと決めたことや、
文章を書くにあたって私が盛り込みたい内容の中心軸がはっきりとわかった。
その毎朝やっていることの効果は全然感じられないと思っていた矢先に、
意外な形で効果第1号としてもたらされた。
毎朝やっていること、何を今取り組んでいるのかは12月公開予定。
それについては、11月が終わったら経過報告としてこのブログに残したいと思っているけれど、
今日はその途中で起こったことについて記したい。
その毎朝行っていること、とりあえず始めたはいいけれど、これと言った効果を感じられず、
これはやっていて意味があるのだろうか・・・と数日前悶々としていた。
そこで私は、
同じことをやっている人が絶対にその効果についてネット上で触れているのではないか、
と思い立ち、実際に携帯で検索してみた。
「○○○(←やっていることの名称) 効果」と入力すると、
たくさんのページがヒットした。
あぁやっぱりやってる人がいるんだとうれしくなって、トップにきたサイトを開いた。
これが怒りの元凶となるのだけど、後にこのサイトのおかげで私は自分が目指す文章の
在り方について自分でもう一度初心に振り返り、結果的には「これこそが効果のひとつ」と
思い至った。
私が今毎朝継続していることは、ある本に書いてあることを実践している。
本はまだ読み途中にしても、とりあえず自分のペースでやろうと決めた朝のことだけは
やり続けている。
先ほどのヒットした某サイト、ここでは混乱を避けるために「Aサイト」と呼ぼう、
まず開いて驚いたのは、
本の引用をたくさんしまくっているのだけど、その引用先がなんと著者名や著書名ではなく、
どこの誰かもわからない「某クリニックの院長」となっていた。
引用の仕方はきちんと「“”」(クオテーションマーク、引用符)が使用されていたから
そこは問題ないにしても、内容はすべてと言っていいほど本の引用。
なのに、その提唱者は、Aサイト内では某クリニックの院長となっている。
完全におかしい。
某クリニックの院長は自分の言葉としてそんな書き方をしたのだろうかと思い、
私はその後その院長のページとやらも見てきた。
いや、院長は、しっかりと著書名と著者名を最初に紹介し、
一部本の引用もあるけれど、あとは自分自身の所感や感想を述べていた。
少なくともこの方は、実際に本を手にして読んで、自分でも実践していた。
その院長の書いたことを引用しまくっていたAサイトの方は、
これは私の勝手な予想だけど、多分サイト管理者はその本を一度も読んでない。
読んでないし、実践もしていない。
でもまるでその本に書いてあることをすると、すごく効果があると強調しまくっている。
世間を騒がせている小保方さんの論文ではないけれど、
この引用の仕方は法的に問題ないのだろうか??
Aサイトの文章は携帯画面にすると3枚分になっていたけれど、
3枚目の最後の最後で、本当の著書名と著者名が紹介されていた。
これは、絶対に最初に提示しなければいけない情報ではないのか!?と思いながら、
もう気分悪すぎる、これ以上調べるのは止めようと、携帯をオフにした。
夜寝る前に調べるんじゃなかった・・・と後悔しながらも、
私はなぜそんなにもそのAサイトの文章に苛立ちを感じていたのか、
どこの誰かもわからない人の文章にイライラするのか、
それの方が異常な気がして、そのイライラの原因を探る作業に移っていった。
もちろん文章を公にする上でのモラルにも引っ掛かったけど、
それ以上に、自分ではやってもいないだろうことをあたかもやった風なにおいを漂わせ、
さらに実証してもない効果をひたすら上から目線的な感じで書いている、
効果と言っても、自分ではその効果を実感してないから、
本に書いてある文章をそのまま期待できる効果として引用していた。
その在り方に私はすごく引っ掛かっていることがわかった。
考えているうちに、私が最初このブログを開設するにあたり、
自分で強く思い、これだけは守ろうと決めたことを思い出した。
1年近くそんなことすっかり忘れていたけれど、これこそが私が目指しているものだと、
はっきりと悟った。
私は自分の体験談を書こうと決めていた。
ワークおたくのように、私は色んなタイプの1人でできる心理的ワークをかなり沢山やっている。
誰と比べてということではなく、私の生きている時間の中でワークの占める量が多い、
という意味でやっている。
大学ノート現在6冊目に突入している(基本的に、自分のやったワークはすべて記録)。
大体1ページに1ワークとすると、60ワーク×5冊で、300ワークはこなしてる計算。
それが人と比べて多いか少ないかはわからないけど、
私はその中で自分がこれは効果があった!というものは積極的に公開していこう!
と1年前の開設時に思った。
思いとは別に、このブログ自体その時々の記録のように変わっていったものの、
今でもその思いは同じだ。
公開していくことは、私の今後のテーマになっていくんだと思うけど、
とにかく、見聞きして終わりではなく、必ず自分でもやってみることを信条にしている。
やってみると、自分の合う合わないがわかる。
合わないものはもうそのまま放置して、合うものは真剣に取り組む。
本に書いてあることは、本を読めばわかる。
でも、例えばそこで何かの方法論が紹介されていたとして、
その方法論が実際の実践において、どんな風に作用があるかはやってみないとわからない。
色んな本を読んで、私が知りたい情報はその作用的な部分だけど、
往々にして方法論だけが紹介されている本が多い。
やってみると個人差があることは十分想像できるし、
そんな個人差のある部分をあれこれ本で紹介することは難しいのかもしれないけど、
私が知りたいのはそこだし、そして必ずと言っていいほど行き詰まる。
行き詰まった時の対処法なんかが書いてあるとさらによろしいけど、
そんなご丁寧な本はそんなにない。
多数の本やネット上での色んな情報、ワークショップ、セミナーでの情報、
それら色んなものに共通して、理論や方法論、一般的な流れの説明は多いけど、
実際に行動しそこでどんな効果や問題が出てきて、
特に問題に対してどんな方法が解決に向けて可能か・・・
そういうものが非常に少ない。
だから、私は逆にその部分を自分の体験したことを通して自分の言葉で語れないだろうか、
とそんな風に考えた。
そんな思いから始めた、このブログだった。
Aサイトには怒りをはじめ色んな負の気持ちを感じたけど、
このAサイトに触れたことによって、自分が大切にしようと決めたことや、
文章を書くにあたって私が盛り込みたい内容の中心軸がはっきりとわかった。
その毎朝やっていることの効果は全然感じられないと思っていた矢先に、
意外な形で効果第1号としてもたらされた。
毎朝やっていること、何を今取り組んでいるのかは12月公開予定。
2014年11月16日日曜日
自分の苦手なものへのヒント(2)
前回書いた、自分の苦手なものへのヒント
http://viva-vivir.blogspot.jp/2014/11/blog-post_16.html
それと並行して、もう一つ思い浮かんだヒントがあった。
わたしは基本的に、何か目標を決めてそれに向かって一つ一つの細かいステップを決める、
そして実行していく、という目標設定することがとても苦手だ。
本当に苦手だ。
ただ、たったひとつ、日常生活で、わたしにしてはカリスマのような力を発揮できる分野がある。
それは、日々の献立を考えるのと、それを料理する手順だ。
わたしは献立にあれこれ頭を悩ます方じゃない。
冷蔵庫にあるものやその他家にある食材を見て、ぱっと献立を決める。
実際に料理する時も、実に手際よく幾つもの細かな手順を無駄なく頭の中で並べ、
さくさくっとこなして料理している。
自分で分析してみたところ。
手順1:料理の時は、わたしの場合、最初に完成形が頭に浮かぶ。
昨日の場合で言えば、①秋鮭とネギとじゃがいものグラタンと②キャベツの味噌胡麻煮だ。
先に言うと、わたしの献立は自分だけが食べるから、
和と洋が組み合わさって若干おかしなものでも、全然気にならない。
手順2:2つの献立の具体的な具材をそれぞれ頭に描いて、最初に取りかかる作業を決める。
ちなみに、昨日の最初の手順は、ゆで卵をゆでながら湯を沸かし、
沸いたらマカロニを茹でるだった。
あとは、茹でている間に、グラタンの他の具となるネギやじゃがいもを切り、
じゃがいもはレンジでチン、
グラタンの土台ができてオーブンに放りこんでから、キャベツの味噌胡麻煮に着手した。
http://viva-vivir.blogspot.jp/2014/11/blog-post_16.html
それと並行して、もう一つ思い浮かんだヒントがあった。
わたしは基本的に、何か目標を決めてそれに向かって一つ一つの細かいステップを決める、
そして実行していく、という目標設定することがとても苦手だ。
本当に苦手だ。
ただ、たったひとつ、日常生活で、わたしにしてはカリスマのような力を発揮できる分野がある。
それは、日々の献立を考えるのと、それを料理する手順だ。
わたしは献立にあれこれ頭を悩ます方じゃない。
冷蔵庫にあるものやその他家にある食材を見て、ぱっと献立を決める。
実際に料理する時も、実に手際よく幾つもの細かな手順を無駄なく頭の中で並べ、
さくさくっとこなして料理している。
自分で分析してみたところ。
手順1:料理の時は、わたしの場合、最初に完成形が頭に浮かぶ。
昨日の場合で言えば、①秋鮭とネギとじゃがいものグラタンと②キャベツの味噌胡麻煮だ。
先に言うと、わたしの献立は自分だけが食べるから、
和と洋が組み合わさって若干おかしなものでも、全然気にならない。
手順2:2つの献立の具体的な具材をそれぞれ頭に描いて、最初に取りかかる作業を決める。
ちなみに、昨日の最初の手順は、ゆで卵をゆでながら湯を沸かし、
沸いたらマカロニを茹でるだった。
あとは、茹でている間に、グラタンの他の具となるネギやじゃがいもを切り、
じゃがいもはレンジでチン、
グラタンの土台ができてオーブンに放りこんでから、キャベツの味噌胡麻煮に着手した。
自分の苦手なものへのヒント
昨日、大量の付箋が貼られた本を見て、一気に気分がどんよりとしたところから始まる。
自分では「写経」と勝手に名付け、1年半位前からだろうか、
図書館で借りてきた本を読む時、気に入ったフレーズや心にインパクトのあったもの、
生きる知恵のようなものとかには付箋を貼り、
読み終えたら今度はその文章をそっくりそのままノートや写経専用用紙に書き写している。
自分で買った本にはそれをしない。
なぜなら、いつでも読みたい時にそのページを開いて読めばいいから。
でも、借りた本は手元に置いておけないから、
そして買うまでもないけれどでも大切な部分は何とかして残したい、
じゃあ書き写しておけばいいじゃないか・・・
そんな思いからも始まった写経だ。
で、昨日の本に話は戻る。
某エッセイの本だったけれど、とにかく付箋の量が半端じゃない。
50以上は貼ってあったと思う。
見るだけで大量とわかるし、
これを全部書き写すとなったらどれだけの時間がかかるのだろう・・・
考えただけでぞっとした。
この場合、「写さない」という選択肢はない。
写すのは写す。ただし、この一気にやる気が失せたままやるのはしんどい。
さぁどうしたものかと考えあぐねていた時、はっと思い付いたこと。
わたしが苦手とするものの中に、
1、ゴールや終わりの形が見えているものの、それは果てしなく遠く、
正直どのように取り組めばいいのかわからない感覚
2、問題なり課題なりがでかすぎて、ゴールすらわからず、
何をどうしたいいのかわからない感覚
この2つがとてつもなく苦手だ。
1の例を挙げるとするなら、
たまりにたまった書類たちをどんな風に整理していいかわからないとか。
2の例は究極すぎるけど、
自分の生き方そのものに迷いが生じると、もうどうしていいかわからなくなって動けなくなる。
もうその時は人生におけるゴールすら見えてないから、焦るわ、不安に陥るわで
負のスパイラル大発生で余計と苦しくなる(苦笑)。
日常の中で苦手なことは数多くあるにしても、
特に厄介なのは、わたしの場合、上の2つのような感覚だと思う。
またまた話を戻して、昨日の写経の続き。
一気にやる気も失せ、
書き写しても全然進まない感じが始める前からぷんぷんと漂っていたけど、
結局わたしはそれをすべて昨日1日で終わらせるという偉業を成した。
何をしたのか。
とりあえず、あまりに多すぎたから、とりあえず今日は専用用紙の表と裏、合計1枚だけ
終わらせようと決めて取りかかった。
それならそこまで負担じゃない。
1枚目が終わるという頃。
あまりにもキリの悪いところで終わりそうで、それならばじゃあ2枚目も・・・ということで続け、
2枚目が終わる頃には、もうちょっとがんばると次回が楽になると考えが改まり、
3枚目が終わる頃には、あれ?このままやれば終わるんじゃない!?
いつかは終わるんじゃない!?と希望が見え始め、
そのまま延々と続け、最後6枚かかってすべて終わった。
このプロセスを経ていた時、わたしは過去のある成功例を思い出していた。
それは上の1と2の感覚が混同した、実に大きな問題だった。
しつこいけど、もう一度、苦手な感覚の1と2のおさらい。
1、ゴールや終わりの形が見えているものの、それは果てしなく遠く、
正直どのように取り組めばいいのかわからない感覚
2、問題なり課題なりがでかすぎて、ゴールすらわからず、
何をどうしたいいのかわからない感覚
問題の概要は、わたしは仕事でゼロからプロジェクトを立ち上げなければいけなかった。
1について言えば、ゴールはプロジェクトを立ち上げて実施すること、
ゴールは見えていたものの、何をどう取り組めばいいのかわからなかった。
ただ、プロジェクトを立ち上げるにしても、実にたくさんの制約が付いていて、
プラス、立ち上げる現場には実際の諸問題がごろごろたくさん転がっていて、
一体何をプロジェクトに掲げたらいいのかすら、それすら見えずに何ヶ月ももがいた。
どうしたかについては割愛するけれど、わたしはその2つを時間をかけながらも、
最終的にすべてクリアし、自分の中では大成功に終わったと思ってる。
そう、何だかんだ言いながらも、最終的にはできた、ということは、
言い換えれば、自分にそれだけの力があるということだと思う。
もちろんもちろん、周りからたくさん助けられたにしても、
助けられて終わりではなく、きちんとプロジェクトを立ち上げて実施してさらに結果まで残った。
昨日の写経を通してそんなことを思い出しながら、気付いたことは。
苦手は苦手でも、やれば何とかできるということ。
そして、やっていくうちに、気持ちというか気分も変わってきて、
苦手一色だったものが、苦手とは別の感情も生まれてくるということ。
自分では「写経」と勝手に名付け、1年半位前からだろうか、
図書館で借りてきた本を読む時、気に入ったフレーズや心にインパクトのあったもの、
生きる知恵のようなものとかには付箋を貼り、
読み終えたら今度はその文章をそっくりそのままノートや写経専用用紙に書き写している。
自分で買った本にはそれをしない。
なぜなら、いつでも読みたい時にそのページを開いて読めばいいから。
でも、借りた本は手元に置いておけないから、
そして買うまでもないけれどでも大切な部分は何とかして残したい、
じゃあ書き写しておけばいいじゃないか・・・
そんな思いからも始まった写経だ。
で、昨日の本に話は戻る。
某エッセイの本だったけれど、とにかく付箋の量が半端じゃない。
50以上は貼ってあったと思う。
見るだけで大量とわかるし、
これを全部書き写すとなったらどれだけの時間がかかるのだろう・・・
考えただけでぞっとした。
この場合、「写さない」という選択肢はない。
写すのは写す。ただし、この一気にやる気が失せたままやるのはしんどい。
さぁどうしたものかと考えあぐねていた時、はっと思い付いたこと。
わたしが苦手とするものの中に、
1、ゴールや終わりの形が見えているものの、それは果てしなく遠く、
正直どのように取り組めばいいのかわからない感覚
2、問題なり課題なりがでかすぎて、ゴールすらわからず、
何をどうしたいいのかわからない感覚
この2つがとてつもなく苦手だ。
1の例を挙げるとするなら、
たまりにたまった書類たちをどんな風に整理していいかわからないとか。
2の例は究極すぎるけど、
自分の生き方そのものに迷いが生じると、もうどうしていいかわからなくなって動けなくなる。
もうその時は人生におけるゴールすら見えてないから、焦るわ、不安に陥るわで
負のスパイラル大発生で余計と苦しくなる(苦笑)。
日常の中で苦手なことは数多くあるにしても、
特に厄介なのは、わたしの場合、上の2つのような感覚だと思う。
またまた話を戻して、昨日の写経の続き。
一気にやる気も失せ、
書き写しても全然進まない感じが始める前からぷんぷんと漂っていたけど、
結局わたしはそれをすべて昨日1日で終わらせるという偉業を成した。
何をしたのか。
とりあえず、あまりに多すぎたから、とりあえず今日は専用用紙の表と裏、合計1枚だけ
終わらせようと決めて取りかかった。
それならそこまで負担じゃない。
1枚目が終わるという頃。
あまりにもキリの悪いところで終わりそうで、それならばじゃあ2枚目も・・・ということで続け、
2枚目が終わる頃には、もうちょっとがんばると次回が楽になると考えが改まり、
3枚目が終わる頃には、あれ?このままやれば終わるんじゃない!?
いつかは終わるんじゃない!?と希望が見え始め、
そのまま延々と続け、最後6枚かかってすべて終わった。
このプロセスを経ていた時、わたしは過去のある成功例を思い出していた。
それは上の1と2の感覚が混同した、実に大きな問題だった。
しつこいけど、もう一度、苦手な感覚の1と2のおさらい。
1、ゴールや終わりの形が見えているものの、それは果てしなく遠く、
正直どのように取り組めばいいのかわからない感覚
2、問題なり課題なりがでかすぎて、ゴールすらわからず、
何をどうしたいいのかわからない感覚
1について言えば、ゴールはプロジェクトを立ち上げて実施すること、
ゴールは見えていたものの、何をどう取り組めばいいのかわからなかった。
ただ、プロジェクトを立ち上げるにしても、実にたくさんの制約が付いていて、
プラス、立ち上げる現場には実際の諸問題がごろごろたくさん転がっていて、
一体何をプロジェクトに掲げたらいいのかすら、それすら見えずに何ヶ月ももがいた。
どうしたかについては割愛するけれど、わたしはその2つを時間をかけながらも、
最終的にすべてクリアし、自分の中では大成功に終わったと思ってる。
そう、何だかんだ言いながらも、最終的にはできた、ということは、
言い換えれば、自分にそれだけの力があるということだと思う。
もちろんもちろん、周りからたくさん助けられたにしても、
助けられて終わりではなく、きちんとプロジェクトを立ち上げて実施してさらに結果まで残った。
昨日の写経を通してそんなことを思い出しながら、気付いたことは。
苦手は苦手でも、やれば何とかできるということ。
そして、やっていくうちに、気持ちというか気分も変わってきて、
苦手一色だったものが、苦手とは別の感情も生まれてくるということ。
2014年11月15日土曜日
発明者へ敬意
上の写真にある金属製の物体は、昨日近所の100均で購入したもので、
『マジックソープ』と呼ばれる。
(発売元:エコー金属株式会社 新潟県燕市)
手に付いた臭いを除去できるというもの。
100円だし、失敗に終わってもいいかと簡単に腹をくくり、その他必要品と共に購入。
早速使ってみての感想。
「良い」
とっても、良い。
本当に臭いが取れる。
とりあえず、魚の臭いと洗濯洗剤の匂いはきれいに取れる。
ひき肉をこねた手を洗ったら、臭いが取れないどころかマジックソープまで油まみれになった。
説明文を読んだら、汚れは取れないとあった。
汚れは仕方ないにしても、臭いは完璧に取れる。
超すぐれものに出会えて、しかも昨日はお客様感謝デーで税抜き価格100円で購入できて、
大満足の一品となった。
このブログを書くにあたり、もしやこれ特許でも取っているのでは!?と思って
パッケージを確認したところ。
とりあえずパッケージにはそんなことは一言も書いておらず、
もし特許を取ってない製品ならすっごくもったいないと思った。
この商品の発明者が誰なのかは知る由もないけれど、
こんなに機能抜群、しかも安価で提供してくれる、ということにひたすら頭が下がる。
本当は、こんなに安価ではないのかもしれない。
なぜなら、うちの近所の100均、
新潟では老舗中の老舗の柿の種6袋パックを100円で売っているから!
新潟県内でも絶対にセールで100円にならない位、
若干、高級路線を走るメーカーの柿の種なのに、
なぜかうちの近所の、多分市内唯一としか思えない小さな100均に普通に陳列している。
だから、かのマジックソープも、本当は100円ではなくて、もう少し高い値段で売り出される
べきものかもしれない。
こういう役立つものを開発した人も、
そしてそれを良心的なお値段で提供する立場の会社も、
わたしはそういう人たちをとっても尊敬している。
話は変わるが、昨日の100均のお客様感謝デーという名の【全品税込100円】での提供、
まじめに消費税が8%に上がったんだなぁと、ものすごい実感した。
普段の個人の買い物単位では感じることは多々あっても、
他の一般の消費者も同じように感じてるんだ…ということを目の当たりにすることはない。
ここに移り住んで5年くらいになるけれど、
レジに20人ほどの行列が出来ているのは初めて見た。
それを見て、夜の遅い時間にわたしはもう一度出直したけど、
とにかく夜でも各棚ごとに誰かしらお客さんがいた。
5%の時には見られなかった光景のような気がする。
2014年11月12日水曜日
断捨離強化月間
今月は、1日ひとつ何かを捨てる、ということを日々の小さな目標にしてみた。
本に感化されやすいわたしは、毎日ちいさなことを1ヶ月毎日積み重ねる、
という内容が紹介されたある本を読んで、
じゃあ今月は1日ひとつ何かを捨てようと決めた。
12日目にあたる今日、ようやく12個ぴったりの数に追いついた。
最初の1週間は好調だったけど、2週目に入った頃、うっかり忘れが3日ほど続き、
今日さきほど明日の月1の不燃ごみ収集日に合わせて幾つか細々としたものと、
2年ほどお世話になったフライパンを捨てた。
フライパンは、もうテフロンが剥がれはじめ、
お好焼きや餃子なんかはフライパンにくっついて剥がれないというストレスが発生していたから、
そんなに頓着せずにさっとごみ袋に入れることができた。
今回、厄介だったのは、数組のピアスたちだった。
数年前のある夏の日を境に金属アレルギーを引き起こしてからというもの、
金属のアクセサリーはほとんどしなくなった。
ちょっと調子こいて1時間くらいピアスをすると、耳がかゆくなって赤く腫れ上がる。
ネックレスは留めるところだけが金具でも、それだけでかゆくなる。
随分アクセサリーたちを目にしていなかったけど、
この間入れ物ごと久しぶりに目にし、あぁもう捨てようと思った。
ところがどっこい、いざ捨てようと思ったらこれが捨てれない。
宝石みたいなデザインのものは、意外かもしれないが、ひょいと捨てられた。
そうではなく、個人の作家さんが作ったものやめずらしい素材のピアスたちが捨てれない。
たとえ安っぽい素材でも、気に入って手に入れただけあって捨てれない。
そこでわたしは発想転換し、気に入った素材たちをピアスの金具からすべて取り除くことにした。
ボタン、貝ボタン、ガラス細工がそれぞれ残り、
どのようにリメイクするかわからないけど、何か手芸でもしてよみがえらせようと予定している。
ちなみに、ピアスが入っていた容れ物は、手塚治虫展で見つけた鉄腕アトムに出てくる
ひげもじゃのおじいさんをモチーフとしたアクセサリー入れだった。
これを一緒に見に行った友達のことも憶えているし、
大学時代、ほんのわずかの期間だけ一緒に時間を過ごした人とのある1ページだから、
ちょっと躊躇したけれど、それこそ近藤麻理恵さんの本に書いてあるように、
それを見てもうときめかないから、あぁ捨てて大丈夫だと思った。
話は変わるが、今日訪ねたおひとり様専用と言わんばかりの小さなカフェの内装を見て、
モノは最小限のそのスペースがすごく心地良かった。
花屋も兼任でしているらしく、ところどころドライフラワーなんかが飾ってあったけど、
あとはこだわりぬいた料理と花と緑関係の大量の本以外は何もない場所だった。
超繁華街の一角にひっそりとあるのに、半端ない居心地の良さで、
他のお客さんもみんな思い思いに時間を過ごしていた。
1組だけカップルがいても、そのカップルすら話をするのがはばかれる位にしーんとしていた。
そこに行って、改めて今月の断捨離強化月間の目標を思い出し、
今日は帰ったらまとめて抜けた日にち分のものを捨てようと決めた。
それが、フライパンであり、ピアスであり、ピアスの容れ物だった。
残りの18個、わたしは何を捨てようと決心するかはわからない。
30個すべて達成した時に、どんな気持ちがするのか、ちょっと楽しみだ。
ちなみに今日までに捨てたもの。
1、ベージュの七分丈カーディガン
2、Sさんからのハワイみやげ
3、プレゼントメッセージ付きノート(←関係の断捨離という意味も込めて)
4、葉部分の人参の茎
5、ポイントカード2枚
6、ドコモの会員プレゼントの保証書
7、あしかがフラワーパークのパンフレット
8、フライパン
9、ピアス5組
10、鉄腕アトムピアス入れ
11、財布屋からもらったキーホルダー
12、借りてたタッパ(←関係の断捨離という意味も込めて)
本に感化されやすいわたしは、毎日ちいさなことを1ヶ月毎日積み重ねる、
という内容が紹介されたある本を読んで、
じゃあ今月は1日ひとつ何かを捨てようと決めた。
12日目にあたる今日、ようやく12個ぴったりの数に追いついた。
最初の1週間は好調だったけど、2週目に入った頃、うっかり忘れが3日ほど続き、
今日さきほど明日の月1の不燃ごみ収集日に合わせて幾つか細々としたものと、
2年ほどお世話になったフライパンを捨てた。
フライパンは、もうテフロンが剥がれはじめ、
お好焼きや餃子なんかはフライパンにくっついて剥がれないというストレスが発生していたから、
そんなに頓着せずにさっとごみ袋に入れることができた。
今回、厄介だったのは、数組のピアスたちだった。
数年前のある夏の日を境に金属アレルギーを引き起こしてからというもの、
金属のアクセサリーはほとんどしなくなった。
ちょっと調子こいて1時間くらいピアスをすると、耳がかゆくなって赤く腫れ上がる。
ネックレスは留めるところだけが金具でも、それだけでかゆくなる。
随分アクセサリーたちを目にしていなかったけど、
この間入れ物ごと久しぶりに目にし、あぁもう捨てようと思った。
ところがどっこい、いざ捨てようと思ったらこれが捨てれない。
宝石みたいなデザインのものは、意外かもしれないが、ひょいと捨てられた。
そうではなく、個人の作家さんが作ったものやめずらしい素材のピアスたちが捨てれない。
たとえ安っぽい素材でも、気に入って手に入れただけあって捨てれない。
そこでわたしは発想転換し、気に入った素材たちをピアスの金具からすべて取り除くことにした。
ボタン、貝ボタン、ガラス細工がそれぞれ残り、
どのようにリメイクするかわからないけど、何か手芸でもしてよみがえらせようと予定している。
ちなみに、ピアスが入っていた容れ物は、手塚治虫展で見つけた鉄腕アトムに出てくる
ひげもじゃのおじいさんをモチーフとしたアクセサリー入れだった。
これを一緒に見に行った友達のことも憶えているし、
大学時代、ほんのわずかの期間だけ一緒に時間を過ごした人とのある1ページだから、
ちょっと躊躇したけれど、それこそ近藤麻理恵さんの本に書いてあるように、
それを見てもうときめかないから、あぁ捨てて大丈夫だと思った。
話は変わるが、今日訪ねたおひとり様専用と言わんばかりの小さなカフェの内装を見て、
モノは最小限のそのスペースがすごく心地良かった。
花屋も兼任でしているらしく、ところどころドライフラワーなんかが飾ってあったけど、
あとはこだわりぬいた料理と花と緑関係の大量の本以外は何もない場所だった。
超繁華街の一角にひっそりとあるのに、半端ない居心地の良さで、
他のお客さんもみんな思い思いに時間を過ごしていた。
1組だけカップルがいても、そのカップルすら話をするのがはばかれる位にしーんとしていた。
そこに行って、改めて今月の断捨離強化月間の目標を思い出し、
今日は帰ったらまとめて抜けた日にち分のものを捨てようと決めた。
それが、フライパンであり、ピアスであり、ピアスの容れ物だった。
残りの18個、わたしは何を捨てようと決心するかはわからない。
30個すべて達成した時に、どんな気持ちがするのか、ちょっと楽しみだ。
ちなみに今日までに捨てたもの。
1、ベージュの七分丈カーディガン
2、Sさんからのハワイみやげ
3、プレゼントメッセージ付きノート(←関係の断捨離という意味も込めて)
4、葉部分の人参の茎
5、ポイントカード2枚
6、ドコモの会員プレゼントの保証書
7、あしかがフラワーパークのパンフレット
8、フライパン
9、ピアス5組
10、鉄腕アトムピアス入れ
11、財布屋からもらったキーホルダー
12、借りてたタッパ(←関係の断捨離という意味も込めて)
2014年11月10日月曜日
ばばちゃんの命日にかえて
2007年11月10日、ばばちゃん(祖母)が息を引き取った。
わたしはそれをドミニカ共和国で、妹からかかってきた電話で知った。
ドミニカはカリブ海に浮かぶ中米の国だ。
日本と昼夜逆転している。
あの時のことを思い出すと、やはりありとあらゆる運を授けられたということが浮かぶ。
人が死ぬというのは、人を集めるというけれど、
本当にその通りで今振り返るとわたしがばばちゃんに会うためにきちんと道が用意されていた。
その日は、年に数回関係者全員が首都に集い、何かしらの会が開催された翌日だったと思う。
わたしと同期の他の5人も全員勢揃いしていて、
まずはこの5人なくしてはわたしは日本へ帰れなかった。
わたしの代わりに日本帰国の届をExcelで作成してくれ(わたしがやったら半日以上かかる)、
わたしの代わりに荷物をパッキングしてくれ、
お金が足りないと悪いと心配し、お金をおろしてわたしに貸してくれ、
その合間にたしかわたしが飛行機のチケットの手配をしたと思う。
もしかしたら、チケットの手配もわたしではなかったかもしれない…
それを5人が協力してやってくれた。
それだけでもすごいことだったのに、まだまだ色んな人に助けられた。
何せあまりに急すぎて、高額チケット+数時間滞在のニューヨークホテル代200ドル
なんてすぐに用意できるはずもなく。
旅行会社のご夫妻に事情を話し、日本帰国したらすぐにお金を振り込むから、
小切手の換金を1週間ほど待って欲しいとお願いしたら、
まったくの初対面だったにも関わらず快諾してくれ、
さらにはチケットもわたしがいるところにわざわざ出向いて届けてくれ、
そしてなんと空港までも送ってくれた。
本当に色んな人たちに助けられて、わたしは日本へ帰った。
日本に帰ってからも、わたしは一刻も早くばばちゃんのいる元への一心でひたすら新潟を
目指したはいいけど、最後の最後になって連絡手段がないということに気付いた。
そこでわたしは最後に乗った電車で隣りになった女子高生に携帯電話をお借りした。
お金を渡そうとしたら、彼女はいいですと断固として受け取らず、
最後まで笑顔で大丈夫ですというようなことを言ってくれてたと思う。
そしてようやくわたしはばばちゃんと対面する。
本当に色んな人に助けられ、この時ばかりは本気で何か神がかったような凄みを感じた。
ばばちゃんが守ってくれたんだ、きちんとばばちゃんに会えるように道を用意してくれたんだ、
とわたしは周りの人に感謝しながらそんなことを思っていた。
7年の月日を経て、今年の命日。
下の記事をアップすることは、もう1ヶ月も前から勝手に決めていた。
わたしの名前とばばちゃんを繋いだ、生前のばばちゃんとの最後の思い出のひとつだ。
http://bibluz.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
今日起きた時、携帯に友達からメッセージが入ってた。
youtubeのアドレスだけで何のサイトなのか全く知らずに添付されていたアドレスをクリックした。
まさか、わたしが書こうとしていた記事の内容と、
友達がどういう思い付きでか送ってきたyoutubeに収められてる歌と、
お互いに関連し合ってるだなんて、わたしの寝ぼけていた頭はすっかりシャキーンとなった。
ばばちゃんが、友達を使いとしてわたしに寄越したのかと思った。
9年近くかかって迎えた日記帳の最後の1ページ。
今日のばばちゃんの命日に書いた。
最後のページを書き出す前に、ばばちゃんが死んだ日に書いた日記のページを読んだ。
7年も前のことだけど、7年前と同じ位泣けた。
その中に、ばばちゃんの遺影を前にした時、
「ばばちゃんの写真が飾ってあるにも関わらず、ばばちゃんも私たちと同じ側に座っていそうで、
何もかも現実のこととはとても思えなかった。」
と記してあった。
その感覚、今でもわかるなぁと思った。
あれからわたしは数えるくらいしか母の実家を訪ねてはいないけど、
訪ねる度にそこにばばちゃんがいないことに変な違和感を覚えて帰ってくる。
色んなものが新しくなって、いとこたちも子どもを産んで世代交代の色が強く出ている空間に、
ばばちゃんが不在ということに未だ慣れない。
話は日記に戻って、この長編の日記の最後に結んだ言葉は「ありがとう」だった。
ばばちゃんに大切な思い出をありがとう、と書いて終わった。
どんな風に最後のページを締めくくるのか、今日のこの瞬間まで想像もつかなかったけど、
自分にとって一番良い形で締めくくることができたと思う。
そして、最後はお気に入りの木のつくえの上で書けた。
こうしてゆったりとばばちゃんを思い出し、
ばばちゃんとの数々のやりとりや、それを助けてくれた人たちを多数思い出し、
すごくたくさんのもので心は埋め尽くされている。
普段と変わらない1日ではあるけれど、それが近しい人の命日というだけで、
いつもとは違う神聖な気持ちで、温かいものに包まれて今を迎えている。
命日パワーと勝手に名付けてみる。
わたしはそれをドミニカ共和国で、妹からかかってきた電話で知った。
ドミニカはカリブ海に浮かぶ中米の国だ。
日本と昼夜逆転している。
あの時のことを思い出すと、やはりありとあらゆる運を授けられたということが浮かぶ。
人が死ぬというのは、人を集めるというけれど、
本当にその通りで今振り返るとわたしがばばちゃんに会うためにきちんと道が用意されていた。
その日は、年に数回関係者全員が首都に集い、何かしらの会が開催された翌日だったと思う。
わたしと同期の他の5人も全員勢揃いしていて、
まずはこの5人なくしてはわたしは日本へ帰れなかった。
わたしの代わりに日本帰国の届をExcelで作成してくれ(わたしがやったら半日以上かかる)、
わたしの代わりに荷物をパッキングしてくれ、
お金が足りないと悪いと心配し、お金をおろしてわたしに貸してくれ、
その合間にたしかわたしが飛行機のチケットの手配をしたと思う。
もしかしたら、チケットの手配もわたしではなかったかもしれない…
それを5人が協力してやってくれた。
それだけでもすごいことだったのに、まだまだ色んな人に助けられた。
何せあまりに急すぎて、高額チケット+数時間滞在のニューヨークホテル代200ドル
なんてすぐに用意できるはずもなく。
旅行会社のご夫妻に事情を話し、日本帰国したらすぐにお金を振り込むから、
小切手の換金を1週間ほど待って欲しいとお願いしたら、
まったくの初対面だったにも関わらず快諾してくれ、
さらにはチケットもわたしがいるところにわざわざ出向いて届けてくれ、
そしてなんと空港までも送ってくれた。
本当に色んな人たちに助けられて、わたしは日本へ帰った。
日本に帰ってからも、わたしは一刻も早くばばちゃんのいる元への一心でひたすら新潟を
目指したはいいけど、最後の最後になって連絡手段がないということに気付いた。
そこでわたしは最後に乗った電車で隣りになった女子高生に携帯電話をお借りした。
お金を渡そうとしたら、彼女はいいですと断固として受け取らず、
最後まで笑顔で大丈夫ですというようなことを言ってくれてたと思う。
そしてようやくわたしはばばちゃんと対面する。
本当に色んな人に助けられ、この時ばかりは本気で何か神がかったような凄みを感じた。
ばばちゃんが守ってくれたんだ、きちんとばばちゃんに会えるように道を用意してくれたんだ、
とわたしは周りの人に感謝しながらそんなことを思っていた。
7年の月日を経て、今年の命日。
下の記事をアップすることは、もう1ヶ月も前から勝手に決めていた。
わたしの名前とばばちゃんを繋いだ、生前のばばちゃんとの最後の思い出のひとつだ。
http://bibluz.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
今日起きた時、携帯に友達からメッセージが入ってた。
youtubeのアドレスだけで何のサイトなのか全く知らずに添付されていたアドレスをクリックした。
まさか、わたしが書こうとしていた記事の内容と、
友達がどういう思い付きでか送ってきたyoutubeに収められてる歌と、
お互いに関連し合ってるだなんて、わたしの寝ぼけていた頭はすっかりシャキーンとなった。
ばばちゃんが、友達を使いとしてわたしに寄越したのかと思った。
9年近くかかって迎えた日記帳の最後の1ページ。
今日のばばちゃんの命日に書いた。
最後のページを書き出す前に、ばばちゃんが死んだ日に書いた日記のページを読んだ。
7年も前のことだけど、7年前と同じ位泣けた。
その中に、ばばちゃんの遺影を前にした時、
「ばばちゃんの写真が飾ってあるにも関わらず、ばばちゃんも私たちと同じ側に座っていそうで、
何もかも現実のこととはとても思えなかった。」
と記してあった。
その感覚、今でもわかるなぁと思った。
あれからわたしは数えるくらいしか母の実家を訪ねてはいないけど、
訪ねる度にそこにばばちゃんがいないことに変な違和感を覚えて帰ってくる。
色んなものが新しくなって、いとこたちも子どもを産んで世代交代の色が強く出ている空間に、
ばばちゃんが不在ということに未だ慣れない。
話は日記に戻って、この長編の日記の最後に結んだ言葉は「ありがとう」だった。
ばばちゃんに大切な思い出をありがとう、と書いて終わった。
どんな風に最後のページを締めくくるのか、今日のこの瞬間まで想像もつかなかったけど、
自分にとって一番良い形で締めくくることができたと思う。
そして、最後はお気に入りの木のつくえの上で書けた。
こうしてゆったりとばばちゃんを思い出し、
ばばちゃんとの数々のやりとりや、それを助けてくれた人たちを多数思い出し、
すごくたくさんのもので心は埋め尽くされている。
普段と変わらない1日ではあるけれど、それが近しい人の命日というだけで、
いつもとは違う神聖な気持ちで、温かいものに包まれて今を迎えている。
命日パワーと勝手に名付けてみる。
2014年11月3日月曜日
家族の時間
名古屋生活5年目。
父と母が初めて新潟から名古屋に来た。
特別用事があったとかではない、本当に来ただけ。
うちは、父も母もどちらかというと出不精だ。
家で何もせずだらだらするのが一番、という価値観がとても根強い。
だから今回もたとえ1日半という滞在期間でも、正直どうしたらいいのかわからなかった。
予定したのは、
近所の精肉屋直営の焼肉食べ放題と、
余裕があれば名古屋城を見てくる、
以上2点だった。
初日、父と母は到着するなり、大型の電気屋は近くにないのかと聞いてきた。
テレビを置いてないわたしのアパートでの過ごし方を危惧したのだろう。
テレビを買って置いて帰ると言う。
わたしはテレビを必要としないから、置いて帰られてもかえって迷惑だからいらないと答え、
父母もしぶしぶ承諾した。
そして3人で最初にしたことは、近所のBOOKOFFでマンガや雑誌を買うことだった。
それ以前にしたことは、父は毎休日の日課、缶ビール1杯。
父のビールが終わってから3人でBOOKOFFへ。
その後は前日から用意しておいた昼ご飯を食べ、そして我が家お決まりの昼寝タイム。
事前に枕がないから枕を持参するように伝えてあった。
ふたりは枕ではなく、我が家で20年30年と使用している座布団だった。
座布団=昼寝用の枕、我が家の定番だ。
各々自分の場所を確保し、狭い部屋で3人でごろごろ昼寝をする。
マンガを読み、うつらうつらし、起きたら父はビール、母とわたしはコーヒー。
場所は名古屋だけど、新潟の家にいる時と何も変わらなかった。
その後に早めの夕食の焼肉食べ放題に出掛けるのだけど、
帰ってからもまずしたのは布団を敷いてごろん。
風呂よりも布団でごろごろ、体を休めること優先。
その辺も普段と何も変わらない。
翌日は若干アクティブに名古屋城まで足を伸ばしたけど、
元々観光に興味関心のない3人だから、
適当に散策し、昼ごはんも名古屋名物を食べよう!なんてことは一切案にものぼらず、
(一応どこか外で食べようかと言ってはいたけど、道中店が全くないことを父母も知る)
帰って家でのんびり適当に食べる方がいいね~となり、
本当に家でのごはんとなる。
母お手製のいくらと前日の残りご飯でいくら丼と豚汁。
あとは持参してくれた漬菜(つけもの)。
いくらは豪華にしても、全体的に品数もなく、質素な感じでAll OKなのがとても楽ちん。
母はBOOKOFFの半額セールの虜となり(近所のBOOKOFF、2週間後に閉店のため)
昼食後、父は家でマンガを読んでゴロゴロ、母を再度BOOKOFFへ連れて行く。
最後もだらだらして、じゃあそろそろ帰ろうかということで先ほど2人は新潟へと帰った。
妹に名古屋城に行った時の写真を送ったら、
「えっ、父ジャージにサンダル!?栃尾かな!?ここは・・・・・・」
と返事がきた。
(栃尾=父と母が住んでいる町の名前)
言われてみればそうだった。
普段はきなれたサンダルの方が靴よりもいいと言って、サンダルで出掛けたのだ。
あまりにもいつも通りすぎて、全く気にも留めていなかった。
家族で顔を揃えた時。
揃える場所が、いつもと違っていても、やることはいつもと一緒。
わざわざ観光とかして疲れるよりも、みんなでのんびりだらだらできる、
それが一番だなぁと思った。
本当に何も特別にはしてなかったし、
BOOKOFFに行くとか焼肉とか名古屋城とかは普段にはない行事ではあっても、
やはり家族同士、そんなに盛り上がるわけでもなく、
いつものメンバーでいつものスタイルを淡々と過ごし満足する、
そういうのって本当にいいなぁと今のこの大人の年になってから思うようになった。
父と母が初めて新潟から名古屋に来た。
特別用事があったとかではない、本当に来ただけ。
うちは、父も母もどちらかというと出不精だ。
家で何もせずだらだらするのが一番、という価値観がとても根強い。
だから今回もたとえ1日半という滞在期間でも、正直どうしたらいいのかわからなかった。
予定したのは、
近所の精肉屋直営の焼肉食べ放題と、
余裕があれば名古屋城を見てくる、
以上2点だった。
初日、父と母は到着するなり、大型の電気屋は近くにないのかと聞いてきた。
テレビを置いてないわたしのアパートでの過ごし方を危惧したのだろう。
テレビを買って置いて帰ると言う。
わたしはテレビを必要としないから、置いて帰られてもかえって迷惑だからいらないと答え、
父母もしぶしぶ承諾した。
そして3人で最初にしたことは、近所のBOOKOFFでマンガや雑誌を買うことだった。
それ以前にしたことは、父は毎休日の日課、缶ビール1杯。
父のビールが終わってから3人でBOOKOFFへ。
その後は前日から用意しておいた昼ご飯を食べ、そして我が家お決まりの昼寝タイム。
事前に枕がないから枕を持参するように伝えてあった。
ふたりは枕ではなく、我が家で20年30年と使用している座布団だった。
座布団=昼寝用の枕、我が家の定番だ。
各々自分の場所を確保し、狭い部屋で3人でごろごろ昼寝をする。
マンガを読み、うつらうつらし、起きたら父はビール、母とわたしはコーヒー。
場所は名古屋だけど、新潟の家にいる時と何も変わらなかった。
その後に早めの夕食の焼肉食べ放題に出掛けるのだけど、
帰ってからもまずしたのは布団を敷いてごろん。
風呂よりも布団でごろごろ、体を休めること優先。
その辺も普段と何も変わらない。
翌日は若干アクティブに名古屋城まで足を伸ばしたけど、
元々観光に興味関心のない3人だから、
適当に散策し、昼ごはんも名古屋名物を食べよう!なんてことは一切案にものぼらず、
(一応どこか外で食べようかと言ってはいたけど、道中店が全くないことを父母も知る)
帰って家でのんびり適当に食べる方がいいね~となり、
本当に家でのごはんとなる。
母お手製のいくらと前日の残りご飯でいくら丼と豚汁。
あとは持参してくれた漬菜(つけもの)。
いくらは豪華にしても、全体的に品数もなく、質素な感じでAll OKなのがとても楽ちん。
母はBOOKOFFの半額セールの虜となり(近所のBOOKOFF、2週間後に閉店のため)
昼食後、父は家でマンガを読んでゴロゴロ、母を再度BOOKOFFへ連れて行く。
最後もだらだらして、じゃあそろそろ帰ろうかということで先ほど2人は新潟へと帰った。
妹に名古屋城に行った時の写真を送ったら、
「えっ、父ジャージにサンダル!?栃尾かな!?ここは・・・・・・」
と返事がきた。
(栃尾=父と母が住んでいる町の名前)
言われてみればそうだった。
普段はきなれたサンダルの方が靴よりもいいと言って、サンダルで出掛けたのだ。
あまりにもいつも通りすぎて、全く気にも留めていなかった。
家族で顔を揃えた時。
揃える場所が、いつもと違っていても、やることはいつもと一緒。
わざわざ観光とかして疲れるよりも、みんなでのんびりだらだらできる、
それが一番だなぁと思った。
本当に何も特別にはしてなかったし、
BOOKOFFに行くとか焼肉とか名古屋城とかは普段にはない行事ではあっても、
やはり家族同士、そんなに盛り上がるわけでもなく、
いつものメンバーでいつものスタイルを淡々と過ごし満足する、
そういうのって本当にいいなぁと今のこの大人の年になってから思うようになった。
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