2024年3月29日金曜日

おめでとう2024.3.29

お誕生日パーティーに駆けつけるために
サロンでおしゃれに着飾ってもらったフラッシュ
スタイリストは小学2年生

福井県の若狭湾沿いにある
晴れていたら5つの湖が綺麗に見えるスポット

もはや何がなんだかわからない景色
晴れていたら湖や海なんかが見えたはず

卵から生まれたぴよちゃん



「希望」があること。


希望があることでまだまだ人生捨てたもんじゃないなと思えるし、どこかいつか良いことがあるだろうと思える。


希望に遭遇すると自分が救われるし、そしてもうちょっとだけがんばったりがんばらなくてもとりあえずのらりくらりとやろうかなと思える。


昨日(3/28)、仕事でこれまでの中で5本の指に入る最悪な事態が起こされた。


業務量や内容にあまりにも偏りがありすぎて、少ない人たちの方に簡単にやれることをしてもらうという意図のものが、元々業務過多で首も回らないくらいの人の元へさらなる追加業務が渡されるという、それも誰でもできるものを押し付けるというとんでもない事態になった。


言葉にするとそういうことだけれど、そこには悲しみや失望なんかがセットで、本当にやるせなくなったし、それは後からボディーブローのように効いてきて気持ちは静かに沈んで気持ちの切り替えが私には上手くできない状況下にある。


今日だけのことじゃなくてこれから先何年にも渡っての最悪な流れの始まりで、本当にやるせなさとその業務過多の人への流れは食い止めて(実際に私がさっさと代わった)次なる救済策が必要だし、そんなこんなで頭というより心が痛い。


そんな折、4月から異動となる奥井さんの元へ個人的に挨拶に行った。


私のことを初期の頃から、仕事を組む時または彼の部下が担当でも問題勃発の時は毎回責任者的に対応を代わってくれて、そんな時はスーパーアシストどころではないくらいのサポートをしてもらって、とにかくお世話になりまくりだった。


異動先は同じ社内でも全く別の建物でよほどでもない限りバッタリと会うこともないし、会ってもせいぜい会釈くらいしかできないからそれで挨拶に行った。


奥井さんは今回昇格ではあるものの(超絶仕事ができる人)畑違いのような部署への異動で本人も大層度肝を抜かれたと昨日話した時に教えてくれた。


奥井さんと色々おしゃべりする中で、とても人に恵まれたこと、周りの人たちからたくさん助けられていること、今度のところは1からの勉強でこの先の自分の人生がどうなるのかさっぱりわからないけれどももうやるしかないのでやっていきます、みたいなことを言われていた。


5分くらいのおしゃべりだったけれども、すごく心が救われた。


奥井さんの話を聞きながら「希望」の光みたいなのを感じた。


その前にあったウルトラスーパースーパースーパーダメすぎることで本当にガッツリと落ちたけれど、そんな中数十メートル先にすたこらと足を運ぶとそこには志を持って仕事や人間模様に心を全力で注ぐ人がいる。


こういう人がいる限り、私のここでの仕事もまだまだ何とかなるのかもと思えて、それは言葉にすると「希望」なんだと思った。







中間管理職的な方々とやりとりして、どこにいるかもわからない彼の方(あのかた)もこういう色々やるせないとかやりきれないとかやってらんねーぜ的なことにまみれているんじゃないのかと想像した。


そんな時に、そのスパイスとなるものが何だっていい、小さな希望を感じるものが日々のどこかに存在してくれているといいなと大真面目に願った。


それは人かもしれないし、物かもしれないし、場所とか音楽とか本とか食べ物とかはたまたすれ違った時の見知らぬ誰かの言葉かもしれない。


まだまだ人生捨てたもんじゃないな、と思わせてくれるものが1つでも2つでもあったらいい。


数日前、3泊4日で妹宅に行ってきて姪っ子たちとも過ごしてきた。


その時、あまりの天候不良に全く何も見えない、景色が売りの場所へとみんなで行った。


大人たちは全員「頂上なんて行かなくていいよね」で一致していたけれど、小学校2年生の姪っ子だけは「行きたい!」と切望した。


行ってみたらそこは本当に何も見えなかったけれど、その見えなかったことが逆に思い出になるし面白かったねと言いながら戻った。


天気なんかはある意味関係ないんだなと思った。


さらに、そこで水に浸けておくと卵から何かが出てくるというものを姪っ子が欲しいと言ったから買って、それを家で姪っ子が絵の具のバケツに使っているポケモンの透明容器の中に水と一緒に入れた。


新潟に戻った翌日に姪っ子から携帯にメッセージが来て、生まれたよ!と写真付きでやってきた。


名前はぴよちゃんとのこと。


その後も2つ3つメッセージをやりとりして終わったけれど、こういう風にどこかから種が蒔かれてストーリーが展開するのっていいなと思った。


しょうもないこと満載でもこういうシーンにもほっこりとさせられる。


希望、大きなことじゃなくて小さなこと、そういうものが日常にあること、それを心から祈願。


誕生日おめでとう♪(*^^)o*o(^^*)

2024年3月4日月曜日

家具購入計画

クロスステッチ用に使っている糸切りバサミ
先端が上向きにカーブしているのが大事!

いつかの東京手芸屋巡りで買った道具
目を数える時の目印

木製のトレイにリバティの布を敷いてみた
あら可愛い(♡´艸`)と1人ご満悦


家具を買う計画進行中。

よーく考えたら、私は家具を買うことをほとんどしてこなかった人生だと気付いた。


一時的に住むところでも年単位で長期に住むところでも家具付きの場所か、あるいは自分で1から揃えるところでも「いつかは出る」というのが常にあったから、とにかくいつでも出れるように大型のものを持つことを絶対的に避けた。


名古屋に住んだ時が唯一1から揃えるタイプだったけれど、記憶にある限り買ったのは今も愛用中の木のテーブルと、そして引っ越す時に手放した木製のハンガーラック、あとはキッチンでまな板を置くスペースもなかったから材料を切るためのキャスター付きワゴンだけだった。


家電も冷蔵庫、洗濯機、そして電子レンジのみだった。


生きていくのに必要最低限のものだけを揃えて、あとはいつでも引っ越せるようにという感じだった。


そのまま結婚もせずに今に至り、今もその癖が抜けずに本当に家具を買わずにきている。


今後も家具を買う予定はなく、私はこの感じで死ぬまで生きていくスタイルに落ち着きそうな気がしている。


誰かと生活を共にすることが未来にあったとして、その時こそ本当に家具を買うかもわからない。


だけどやっぱり私個人は少なくて良いというところがあるから、そして何か大きなものを選ぶというのはそれだけでエネルギーをたくさん使うものだから、それをしたいという気力がそもそも自分の中にほとんどないんだなとわかった。


その代わりに細々としたもの、布やら糸やら趣味の本なんかはやたらと集める癖があるから、そこに私の場合はやりすぎなくらいにエネルギーを自然と注いでしまう癖がある。







そんな私の中でとても久しぶりに買いたい家具が突如浮上して、最近の昼休み中はそれの検索をかなりしている(楽しい♪)。


ちなみに「家具」と呼んだけれどサイズはとても小さくて、言うなればA4サイズの紙が入るくらいの大きさで高さは30センチくらいの木製の引き出し。


何に使うかというと、刺繍糸の収納ケース。


刺繍関係のブログを読み漁っているうちに、2つほど気付いたことがあった。


・色は指定のものを使うのがどうやら常識の模様

・糸の整理が大変


刺繍の本を見ると、たしかに色のNo.が指定されたりしている。


私はそんなの無視して自分の気に入った色を手持ちの糸から選んでいるけれど、たしかに東京駅から徒歩圏内にある刺繍糸専門店なんかでもずらりと色別に糸が陳列されていた。


本当に1つの色でも、例えば赤でもオレンジがかった赤からえんじ色的な濃い赤まで少しずつグラデーションしている糸たちが何十種類とあった。


それらが本の中では「メーカー〇〇、No.***」みたいな感じで指定されたりしている。


ちなみに、とある世界的に有名な刺繍糸メーカーだと500種類以上あるようで、そんなの集めたら大変だから集める予定はないけれど、そのうちの何十色かは今後新たに手に入れるだろうと思う。


今のところ糸の収納はそんなに困ってもいないけれど、何人かの刺繍ブロガーの人たちが「糸の収納方法」なるものを紹介したり自分の困った体験を読んで、「げっ(;;)、これ私のことじゃん」と思ったのが「糸の整理ができないこと」だった。


すでに刺繍にとどまらず裁縫道具全般の整理整頓ができずにカオス化が止まらないのに、刺繍糸もすでに怪しい領域に入りつつある。


4月のあたまに友人ノムの個展を東京まで見に行くのにくっつけて例の東京駅近くの刺繍糸屋に再訪して新たに糸を買おうとしているのに、ということは刺繍糸のカオス化ももう時間の問題なわけで、これは何かしら手を打たないとまずいと思った。


そして色んな方たちのブログを見たり画像を見たりして、自分が個人的に好きな収納方法は書類なんかを入れておくタイプの木の引き出しに糸を並べて入れる方法だとわかった。


そしてさらにここに来て、「!」とひらめいたことがある。


3年前くらいになるのかな、おいせさん手帳の時の原稿料がまだいくらか残っていて、それは自分のために長く使える何かに使いたいとずっと思っていて、最初の予定はコーヒーの豆挽き道具だったけれどそれはコーヒー専用のやかんを買ってなんだか満たされたのと挽いてまで飲みたいかというとその気持ちがあまりないと気付いてやめた。


次は、前回の東京行きの時に、刺繍専用のイタリア製高級糸切りバサミと消しゴムのかすを掃き出すためのドイツ製の小さなブラシを見つけてそれぞれを買った。


どちらも一生ものだと見てピンときたから我が家に迎えて、特に糸切りバサミは事前のリサーチも功を奏して、本当に使い勝手が良くてとても気に入っている。


先端が少し上向きにカーブしていて、糸は切れるけれど間違えて布を切らない、その感じが本当に私は気に入っている。


布を間違えて切ることはほとんどないけれども、基本的に不器用だから相当気をつけないといけなくて、そんな折にどういう糸切りバサミがオススメかみたいな記事を立て続けに見つけて読んで、それでユザワヤで見て回って選んだのがそのイタリア製のはさみだった。


余談だけれど、1年前の春に日暮里で手芸用品店巡りをした時に300円であちらこちらで出ていた糸切りバサミがあって、私もその切れ口に惚れ込んで買ってきて、そちらもとても気に入っている。


300円で買ったとは思えない軽さと切りやすさで、すごく良い買い物をしたなと思っている。


話が逸れたけれど、残りの原稿料の使い道の次の候補は拡大鏡だった。


刺繍の細かい縫い目とかを見るのに今後絶対に必要だろうと思って、そして刺繍家の先輩方々も皆様ご愛用なようで自分の裁縫道具の紹介みたいな形で何人かの方がご紹介もしていた。


いざAmazonやら楽天やらで拡大鏡を見てみたら、種類はたくさんあるし、そもそもそんなにも興味があるところではないからいまいちリサーチも進まない。


挙げ句の果てに、どなたかが要は電化製品だから壊れてこれは二代目みたいなことを言っていたくだりを読んで、「一生ものとして使うにはちょいと難しいかも」というのは思った。


拡大鏡自体は高いものでもないから別に買い替えでいいけれど、これが自分の思いやら思い出やらが色々詰まったおいせさん手帳の原稿料を使って買うとなると話が違う。


原稿料を使ってまで買いたいかというと、むしろそれは避けたい。


拡大鏡を買うこともそこに原稿料を充てるのもピンときてなくて宙ぶらりんになっていた。


そんな矢先の刺繍糸収納用の家具で、私はもう「それ、超いい٩(ˊˋ*)و」と1人でテンション上げ上げで、壊れないし死ぬまで使えるし仮に飽きたとしてもそれはそれでまた長く別の何かに使えそうだというところまで考えた。


とそんな風にして多分10数年ぶりに自分用に家具を買う計画を今している。