2020年1月29日水曜日

日々事件簿〜社窓の窓から〜

毎日何の訓練か知らないけれども、とにかく事件は起きる。

明日また事件を自ら起こそうという予定。

起こしたいのとは違う。

だけど、すでに条件が揃ってしまったから、何も起こらないという風にはならない。

とりあえず、明日がその系統の事件第1回目の予定で、まだ様子がわからないからどう転じるかは未知数。

何をするのかと言うと。

英訳をした。

それはいつものことだから何ら変わらない。

変わるのはこの後。

そもそも超マニアックな内容だから、いつも日本語読んだところでわからなくて訳せないから、担当者たちに説明してもらう。

問題はそこから先。

説明を受けると、おおよそ最初の原稿の日本語とは全く違う言葉で説明される。

例えば。

「退避する」という言葉があった。

想像するに、危険を避ける行為なのかと思った。

過去の英訳を見たら、どうやら「部品を退避する」というのは「部品を隠す」ことらしい。

まぁ退避から連想して隠すもわからなくもない。

危険から身を守るために隠れる、うん、なんとなく通じなくはない。

それで隠れるについても過去の資料を見ると2つ英単語が使われていたから、これは聞かなきゃその差はわからないということで担当者に聞いた。

なんと。

「退避する」は危険から身を守るでも隠れるでもなく。

「元の位置に戻す」

だっという( ̄∀ ̄;)。

Σ(꒪◊꒪ )))) ?

説明を聞けば聞くほど、それは危険から身を守るのでも退避するのでもはたまた隠れるのでもなく、元の位置に部品を戻すことだった。

で、英訳は忠実に「部品を元に戻す」にした。

まさか隠すだの退避するだのとは書けない。

しかもそれは今後最大10か国語以上に翻訳される可能性があるとなれば、尚のこと「元に戻す」にしておかないとやばい。

他言語に訳された時、確実に意味が変わる。

意味が変わるだけじゃなく、誤訳されて正式な内容が伝わらない危険もある。

だからきちんと説明された内容の方で私は英訳して出すしかない。

困るのはその後。

英訳も技術的内容が合っているのかどうか定かではないけれども、そもそもの日本語の原稿が不完全な状態になっている。

で、年明け2週目早々に、そうしたことも踏まえてどう対応したら良いかを部長と女上司と話した時があった。

部長からで、そういうことを末端の一技術者と一英訳者同士だけで話をして決めるのはよろしくないから(そりゃそうだ)、そうした事態が生じた場合、技術者側の上司も巻き込んで話をして、日本語の原稿も必要に応じて変更するなり部内で確認して訂正するなり、必要な対応をすることにしようとなった。

今回は(も)退避するだけじゃなくて他にもいくつもあって、これは間違いなく審議会コースの内容となる。

とまぁここまでは百歩譲って仕方ない。

だけど今回原稿を書いてきたのが、会社の役職名が一般の会社の何に当たるのかわからないけれど、言うなれば課長か課長補佐あたりの人。

その人相手にその上司も呼んで原稿の内容の審議会的なことをするなんて、世も末だと思った。

課長と部長かそれ以上の役職者と一派遣が話し合うなんて、色々おかしすぎる\((◎_◎))/

しかもこの道何十年の技術者なわけで、日本語の訂正を求めるというのは相手のプライドを傷つけかねない。

いくら正しいことをするにしても、やり方を間違えると(すでに色々間違えてる気がする)、超最悪な結果を招きかねない。

だからやり方は若干汚いけれども、部長に資料を見せて「その方の上司の方にも同席いただいて日本語の見直しをお願いしたらいいですか」と聞いて、部長が何かしら指示を出した後に「実は相手は課長なんですが、その場合どなたにその検証を頼んだらいいんですか?」と、相手が誰なのかは最後に言って、それで指示を仰ごうと思う。

本当に嫌な役割だけど、私は協調性がないでも会社に余計な仕事を増やすから困るでも、越権行為甚だしく会社の統率を乱すでも、もうどんな理由で首切られても構わないから、必要な対応はいくらでもしようと思う。

社内の関係はわからないけれども、大概の人に対して指示ができる立場に今の部長はいるようだから、そこは何とかなるのかもしれないけれど、まぁ間違えても積極的に首をつっこみたい話とは違う。

これが社内だけの資料ならこんなこと部長に確認するとかしないけれども、これが要はお客さんの元に渡る資料だから、不誠実なことはできない。

打診して無いことにされたとしても、それでも構わない。

とにかく確認して、それこそこんな責任のかかったものを私の一判断で黙るのは絶対に違うから、言うだけ言ってあとは上の判断に倣おうと思っている。

日々事件簿はネタが途切れない( ̄∀ ̄;)。

2020年1月28日火曜日

所信表明

在り方テストだな…と思った。

社内事情を知れば知るほど、まずわかったことは、真面目にやればやるほど馬鹿を見るような体制にあること。

どこか妥協するなり適当に力を抜くなりしないと、自分の方が倒れること。

おおよそそんなアドバイスを内情付きで説明された。

また私の気持ちは変わるかもしれない。

変わるかもだけど、自分の備忘録として今の正直な気持ちを書き記したい。

私はこれまで通りのやり方を通す予定でいる。

だから真面目に取り組むし、わからなければ聞いて回るし、おかしなことがあれば報告もしようと思う。

私のやることが空回りになる可能性も、面倒くさい人と思われる可能性も、やってもそれを認められず悔しい思いをすることもあるかもしれない。

私が今の職場で言われて違和感を覚えることは「真面目」だと言われること。

たしかに私は適当にはやり過ごせないタチだし、担当することになったものはやりきる。

だけど、私はこれまで数々の職場に行った中で、基本的にどの職場にも私よりも真面目に真摯に仕事に取り組む人たちはいくらでもいたし、例えば見た目にはチャラ男だったり美人なセクシーモデルお姉さんで一見すると仕事よりも色恋みたいな感じなのに、仕事は超一流で実績も誰よりも出してるみたいな人たちにも出会ってきた。

そういう人たちに囲まれていると、別に私は真面目とか一生懸命とかはそうそう言われなくなる。

きちんとはするけれども、別に私でなくても他の人たちもきちんとしているから、私が群を抜いて真面目とかいうことはなくなる。

今のところで真面目と言われるのは、私が真面目なのではなく、周りがあまりにも適当だったり無責任だったりするからだと思う。

内部事情は聞けば聞くほど閉口するものばかりだし、それを聞くとそりゃ私は真面目で真摯でやりすぎなくらいやりすぎに見えると思う。

でもそれは違うよね?と思う。

言うなれば、私がしているのはあくまでも義務とか責任と呼ばれるものに対してきちんとやるべきことをやっているにしか過ぎない。

そんな職場のカラーで私は浮いてるんだろうなぁなんて思うけれども、それでも私はこれまで通りにやっていこうと思う。

誰に何と思われてもいいけれども、自分の中で自分のやり方や在り方に疑問を抱くようなことはしたくない。

周りに同調して自分が納得できないことをするのは嫌すぎる。

だからこれまで通りにやっていきたいと思う。

あともう1つには、私はここでも奇跡を真剣に信じている。

この間はたらい回しにされて怒りもフツフツと沸いたけれども、あるいは頼むだけ頼んでお礼の1つも言わない人たちもいるけれども。

それでも一緒に考えてくれる人もいれば、私の聞いた質問をエンジニア同士で話し合って統一した見解を教えてくれたり、いざという時に英訳の救世主が現れたりしている。

基本的に英訳のために細かく質問することに対して、嫌な顔をされたことはこれまでに一度もない。

苦笑いやビビった顔なんかはされても、それでもきちんとどの人も手を止めて真剣に向き合ってくれるし、私がポカーンとしてるとわかるまで説明を重ねてくれる。

だから私は1つ1つ仕事のやり方も人間関係も地道にコツコツと積み重ねるしかないわけで、たとえ終わりの見えてる仕事でもいる間は悔いのないようにやろうと思っている。

昨日友達と電話で話した時に、友達は私の現状を聞いてこんな風に言ってくれた。

「ぶっしーの仕事は、英訳は見せかけの仕事で、本当にするのはそういうところだな(=誤りを正したりおかしなことを直したりすること、はたまた目の前の仕事を手を抜かずにやりきることを態度で示すこと)」

友達のその言葉は本当の本当に嬉しかったし勇気が湧いた。

短い説明の中から友達は本質的なものを見抜いてくれた。

それを聞いてますます伝わる人にはちゃんと伝わると思った。

自分を偽ることではなく、不器用でも空回りでもいいから、自分に正直なあり方をし続けたい、そう思った。





2020/01/27 後日談

火災探知機の話は想定外の展開を見せた。

とりあえず朝イチでこの度発見してしまった日本語とその英訳の違いについてチャチャっと資料を作った。

こういう即席の資料に関してすぐに作れるところは、自分で言うのもなんだけどすごく上手いv( ̄∀ ̄)v。

私ひたすら要点や内容をまとめる資料作り係とかしたらいいんじゃないかと思うくらい(笑)。

上司に確認してもらって、さて誰にその確認をするかとなった。

入社2ヶ月目の私にはもちろんそんなの見当もつかない。

上司が某部署から来ている資料だからと言って、それで私が某部署に直接訪ねて確認することになった。

某部署の役職男は本気で終わっていた。

まず私を一瞥すると、非常に冷ややかな目で「何の用事だ!?」と言わんばかりの、これは名前を付けるとするなら「拒絶」という状態でのはじまりだった。

本気でそれだけでめげそうだったけれども、このままにはできないから、とりあえず簡単な状況説明とどう対応したら良いかを聞いた。

そもそも誰に問い合わせるのかわからない案件にしても、中身は人命に関わるものの機械の取説についてで、放っておいていいものとは違う。

「人命に関わるものなので」というのも、本人のお耳に届いたかは知らないけれど、キッパリと言った。

それで返ってきたまず第一声が
「よくわからないですが、これうちの誰からもらった資料ですか?」
だった。

私の説明がわからないと言うのはまだいい。

百歩譲ってそれはいい。

だけど「誰から」と聞くのは、おまえはそのことで私をたらい回しにする気だなというのが即にわかった。

っていうか、おまえのその役職名はお飾りか!?と思った。

あなたのその役職は管理する立場だから付いているものであって、管理する立場にないなら別の肩書になるでしょ?と。

自分の部下だろうが上司だろうが、どちらにしてもあなたの部署で取り扱っている内容だというのがなぜわからないのか、本気で閉口した。

真面目にドン引きだったし、人としてこいつはどうなんだ?と思った。

せめて愛想良くしろ!と言いたいぐらい。

この答えを上司は見越していたのか、誰からきた資料かはわからないと私に事前に説明していたから、私もそのまま「上司にも先に確認しましたが、そちらの部署から来たのはわかるのですが、誰からというのはわからないそうです」と答えた。

とりあえずデータを送って確認してもらうところまで約束を取り付けてきた。

データをまとめて、今度は役職男にメールで問い合わせをして答えを待つことになった。

しばらくすると、上司が「武士俣さん、返事見ましたか?」と声をかけてきた。

上司は言いながら、がっくしと肩を落とすような感じだった。

話を聞きながら私もメールを見ると、まさかの展開になっていた。

私が日本語と英訳が違うと指摘した火災探知機の取扱説明書は、なんと去年の秋の終わりにバージョンが更新されて中身が変わっていた。

新しいもののデータが送られてきた。

ちなみに新しいものは、日本語と英語が一致していた。

もう少し言うなら、英語はちょっと丁寧さや配慮が足らなかったけれども、まぁギリギリ及第点かな…というところ。

長くなってもいいから、「そうしないと火事になるよ」と日本語で言ってるなら、英語もその一言が付け足されてもいいのに…とは思った(←謎の上から目線)。

ちなみに英訳がおかしかったのではなく、日本語の説明がおかしかったことがこの度判明した。

で、この取扱説明書の変更は、誰一人望まない、だけど絶対的にやらないとまずいものも一緒に運んできた。

要は取扱説明書が変更したということは、その部分の取扱説明書すべてが入れ替えとなる。

火災探知機だから、その該当機械の数たるや計り知れない。

だけどお客さんに渡るものだから「やーらない!」ってわけにもいかない。

その入れ替え作業のために人1人雇えるぐらいの業務量が発生する気がする( ̄∀ ̄;)。

この間のブログにも書いたけれども、絶対的に変更をしないとまずいというのが、しかもそれが人命に関わるものとなれば100%やりきらないとまずいタチのものというのが、今の空に位置する山羊座の土星と冥王星が効きまくっている感じがする。

自分で言うのもなんだけど、これもし社内の人たちならおそらくスルーされて、そしてそれがいつか責任問題を問われるような事態に発展する可能性もあったんじゃないかなと思う。(問題も起きてないのに、英訳が日本語と違うとわざわざ問い合わせるなんて徒労に終わる可能性も高い。だから、目先の効率優先なら問い合わせを避けられたかもしれないと予想して、それでとにかく問い合わせして欲しかった私はすぐに問い合わせできるようにさっと資料を準備した。資料を作っておけば、それを持って担当してくれる人が火災探知機会社に問い合わせてくれたら良かったから。)

私みたいに外部からきた人間で、あくまでも社会常識的に「これは放置したらまずい」という感覚があって、それを最優先するならたらい回しぐらいなんてことない、という気持ちがなければやれない。

私は最初からたらい回しを覚悟していたから、どこに行き着いてもいいから、誰かしら火災探知機会社にきちんと問い合わせて「問題なし」と確認さえしてくれりゃ良かった。

別に私が問い合わせても良かったくらい(こういう問い合わせは経験もかなりあるから得意な方)。

まぁだけどそこは社内の謎のルールに従った方が賢明だから、たらい回しでも何でもいいから、どこでも行って話をして、誰かしら「やります」と言ってくれるまで尋ね続けるつもりでいた。

この後さらに超良い感じになって、毒吐き女子会の1人にはこのことを話していたから、その子が私の言葉や説明の足らないところを全部上司に訴えて、そこも全てカバーしての対応に変わってくれた。

そう、だから、お客さんにとっても会社にとっても一番良い方向に進めることになった。

今回の流れを見て私は私で1つ確信というか自信みたいなものを手にした。

今回の件は絶対にやらなきゃいけなかったことで、渦中の作業は超大変でも最後は必ず良くなる。

そう、自分が「これはやらないとまずい」と何の根拠もなく感じる時は、とりあえずやっておいたらいいんだとわかった。

おのずと結果が出るだろうし、出なくても何かしら間違いには気付けそうだから、それをやっていたらいいんだと思った。

ちなみにこの後、ご褒美のようなことがやってきた(笑)。

今度は別件で別のエンジニアの人に英訳のことで確認に行かないといけなくなった。

役職男(と言っても私より若いと思う)の後で、また役職男みたいな人に当たったらどうしよう…と不安になりながら行ってきた。

今度は、態度が超イケメンのメンズに当たった。

愛想も良く、気遣い抜群、聞いたことは最後まで責任持って教えてくれるだけじゃなくて手書きのメモまでくれる、もうメロメロになりそうなくらいの超イケメンだった。

私がパソコン周辺機器の名前を言われても全くわからずぽっかーんとしてたら、自分の周りをゴソゴソしてその道具を出してきて「これのことです」と言うだけじゃなく、「〇〇という言葉を入れて検索してみてください。それをすれば適切な英単語が出てくると思います」と超丁寧な説明を受けた。

しかも、そもそもの質問というかお願いは参考資料があるかどうかを聞くためだったから英訳資料以外はペンも持たずに行ったら、その場で向こうから「他の質問も今あれば一緒に聞きます」と言ってくれて、どんだけ素敵なメンズなのかと超テンションが上がった。

役職男や先週当たったたらい回し男の部下とはとても思えないスーパー素敵なメンズで、わかったのはこれはそもそもの人間性なんだということ。

多分この態度超イケメンは、おそらくそうした役職に就いても、同じように対応するだろうなぁと思う。

近いうちに大量の質問を持ってまた聞きに行く予定だけど、この態度超イケメンから色々説明してもらえるのは楽しみだなと思う。

あわよくば、この態度超イケメンには、至急英訳案件の時の誰も頼れない!となった超困った時のサポート係をしてもらえないかと思っているv( ̄∀ ̄)v。←この間そうなった時は、ジャニーズ系美男子に手伝ってもらった。こういう緊急時の頼り先は多ければ多いほどいいから、それぞれの得意分野で快く手伝ってくれそうな人を1人でも多く持っていたい。

ちなみに、態度だけじゃなく雰囲気もイケメンだと私は思う。

顔も私は好きな顔だけど、世間一般的にはイケメンかと言えば、福山雅治や斎藤工的な誰が見てもイケメンというのとは違う。

とにかく、役職男みたいな人もいれば、態度超イケメンみたいな人もいて、愛想悪めな人は仕方ないにしても愛想100点みたいな人種の人たちとのパイプを強くしようと思った!←所信表明(笑)





〜与太話〜
日曜(1/26)の毒吐きランチ会の中で、職場の男性陣がいかに可愛くて華のある若い女の子たちにテンションを上げているかという話が出てきた。

ちなみに私のいる部署は「怖いババアの集まり」と影で呼ばれているらしい( ̄∀ ̄;)。

そんな中に若くて可愛い女の子たちがいる。

その子たちが入ってから、男性社員たちはそこの若い子スポットにだけ来るらしい(笑)。

ちなみに女の私から見ても超可愛い!

私だって話しかけられてメロメロするぐらいだから、男性陣が気持ちが上がるのは容易に想像できる。

それはそうと、そういうのを見聞きして、最後に派遣として勤めた職場で私が相手の趣味なんか無視して自分1人だけがロックオンできたのは奇跡だったなぁと思った。

そして逆に今みたいに大手企業でうじゃうじゃとエンジニアの男性陣が数多くいて(数十人は確実にいる)みたいなところだったのなら、私はもしかしたら気後れして、当時のような心情にはならなかったかもしれないなと思った。

ただでさえオンナ度数が低い私が、もっと若くて可愛い子たちが周りにたくさんいたのなら、その人のことは気のせいと片付けて終わった気がする。

小さなオフィスで、少なくとも私が武士俣さんだと認識してもらえるくらいの距離にはあって、女性陣では自分が一番年齢が下で他の人たちは既婚者で…、とかいう状況も良かったんだなと思った。

エンジニアの人たちというのは本当に女の人たちをよく見ているし(聞いててゾッとしたぐらい)、それが普通の一般的な男性の視点だとするなら、当時の私が相手にされなくても何ら不思議はない、その思いを強めた。

当たり前だけど、相手にだって選ぶ権利や好みがある。

もし今みたいに可愛い子たちがちらほらいたとするなら、私は自分の気持ちは気のせいだとして、はなから近づくことさえあきらめたかもしれない。

まぁ実際はあきらめざるを得なかったけれども( ̄∀ ̄;)。

妄想はさらに広がる。

態度超イケメンについて書いたのは、事実そのものだけど、それ以上にもっと別の魂胆で書いている。

私は本気のブログ要員なんだと思っている。

ブログ要員というのは、とりあえず自分が読みたくなる文章を書く人ということ。

小説より短くて、でも世間一般のブログよりは確実に長い。

読みごたえもあるだろうし、何せ日々の色んな記録簿みたいなものだから、とりあえず内容は飽きないと思う。

しかも私個人のことだから、他に類を見ない話ばかりだから、ある意味面白いのかな、どうかなというところ。

それはそうと、じゃあ私が何かと言えば、会いたい人だとか時間とお金をかけてまで時間共にしたい人だとか、そういうのではない。

どちらもないけれども、強いて言うなら、その人と会うことはなくても態度超イケメンとデートすることはゼロじゃない、というくらいに、実際に態度超イケメンとデートするなんてことはまずないけれども、それ以上にその人と会うことの方がないんだとわかる。

これ読んで危機感持って「やっぱり武士俣さんに連絡しよう」となってくれやしないだろうか…と思う。

そもそもエンジニアの人たちと接していて私は基本的な毛色が違うし、例えばそれを大手企業という視点から見たらこれまた私は異端過ぎるし、他にも色々挙げたら、その人が私を選ぶメリットなんか何があるんだろう?と大真面目に思う。

毛色が違うからその人からしたらネタだけは無尽蔵にあるのかもしれないけれども、それ以上に提供できるものはない。

人としてはそこそこ合格ラインでも、それだからと言って時間を作ってまで連絡したり会う時間を工面したりしたいのとは違うんだろうなぁと思う。

だから、まぁ態度超イケメンの話を出したところで、連絡があるわけでもないだろうし、仮に態度超イケメンと私とが仲良くなってじゃごはんでも行きましょうなんてなってもその人にとって「だから何!?」状態なんだろうし、書きながら何を自分は期待しているんだか…とどこか冷ややかに見ているし。

言うなれば、魂要員は、とりあえずブログを通じて何となく、人間からすると摩訶不思議な形状で、互いに繋がってる風であればいいのかもしれない。

魂は満面の笑みで喜んでいるのかもしれない。

哀しいけれど、受け入れ難いけれど、本当に魂とはそういうものかもしれない。

見えないところでそっと繋がっている、それがベストと言わんばかりに3回目の冬を迎えた。

2020年1月26日日曜日

年賀状とソフトクリーム

朝焼け(2020/01/25)
この間から、写真をアップしようとすると写真が反転する。
仕方ないからスクショ撮ってそれをアップしている。




1通の年賀状が心あるアドバイスと応援に化けた。

今年もご多分にもれず、年賀状は来てから返すスタイルを取った。

しかも今年はさらなる暴挙に出て、3通のみの返事だったおかげで、私は普段から愛用している黒のボールペンでただお手紙のようにだらだらと文章を書いて出した。

絵やスタンプなんかは一切ない。

本当に白い部分いっぱいに文字だけが並ぶ年賀状。

こんなに書く人もいないだろうから、そして3人とも旧知の仲で私がそういうことしてても「ぶっしーだな」で終わってくれる人たちだから、私も何も気にせずそのまま出した。

郵便局に行くと無料で使えるスタンプがあると知って、次の年末はその3人だけはそのスタンプを押して出そうと決めた。

その味も素っ気もない年賀状に1人はすぐに反応してくれて、電話をくれた。

私の喉の絶不調で電話は延びて、1週間前、1月第3週あたりにやっと電話して、その時にホロスコープを読むという話になって、1週間後の今日(1/25)星読みの結果を伝えるために再度電話をかけてもらった。(友達はかけ放題プラン)

ちなみにホロスコープに関して友達はすごく感動していた。

「俺、人生で占いするの初めてだ」と先週言っていて、友達はどんなものを具体的に想像したのかは知らないけれども、私はとりあえず天体に表れている友達の人生や性格の特徴を普段のおしゃべりの延長のようにして話した。

友達いわく、「あー、そうなんだ、じゃなくて、言われるとすぐにこのことだ!あのことだ!ってパッとエピソードとか過去の場面とか自分の普段考えていることとかが浮かぶ」と言っていた。

よくよく考えたら電話鑑定なんてしたことないから、友達が教えてくれた感想はとっても貴重だった。

そして今さらだけど、占星術講座の先生が言っていた「最初の数人のお客さんはすごく縁の強い人たちが来ます」と言っていた言葉もその通りだなぁと思った。

友達はお客さんとは違ったけれども、これまで見た誰のホロスコープよりもいくつもの天体や感受点が重なりまくりだった。

学年で言えば7こ下なわけで、そして友達は10月生まれ、私は3月生まれで、本来なら重なるものが少ないかゼロでもおかしくないのにとにかく重なりまくりだった。

1時間半ほど星読みの話をして、ちなみに友達は星そのものを真っ直ぐに生きている人だった。

具体的なエピソードもいくつか教えてもらったけれども、本当に星に表れているものと本人の人生とがマッチしていてとても感動した。

星の話の後、私は友達に意見を1つ求めた。

ざっくりと仕事であった話をした。

600ページもある取扱説明書の中の火災探知機の英訳が日本語と違うことを偶然発見してしまったこと、それは他の会社のもので自分のところは火災探知機会社ではないからそちらから取引として仕入れているものであること、そこを指摘することで超面倒くさいことになるのは間違いないこと、とりあえず今は一旦保留にはなっているけれどもこのままでいいとは思わないから再度言おうと思ってはいるけれどもちょっとだけ踏ん切りがつかない自分もいること、この間から仕事で面倒なことを指摘しまくりですでに面倒な人ポジションになりつつあること、そんなことをささっと説明した。

友達の話はおおよそこんな風だった。

「あのさ、それってソフトクリームの機械にAとBというボタンがあって、Aがソフトクリームを出すボタンなら、Bはソフトクリームを製造するボタンで、間違えてBを押したらドロドロの液体が出てしまった!
とかいうことじゃなくて、火災探知機でしょ。それって人命がかかってるものだよね」

私のダラダラとまとまりのない話から、友達は一瞬で何が大切かをすぐに見抜いてくれてた。

しかも「人命がかかってる」とは私の方から一言も口にしなかった。

なのに友達は、火災探知機の一言からそれをさっと言ってくれた。

「ソフトクリームぐらい溶けたってどうってことないけれど、火災探知機が反応しないとかって取り返しがつかないレベルの話で、要はそういう危険なレベルの話も含まれることだと思うんだよね。
だったら俺は言うよね。
他がたとえ面倒なことになっても言うよね」

友達の答えを聞いてホッとした。

そうだよね、躊躇してる場合じゃないよね?と思った。

「ぶっしーさ、ぶっしーが嫌なことって、自分の名前を出してやるものに対して『やってない』ってことでしょ!?」

友達はど真ん中ストレートで私が一番気にしていることを射抜いてくれた。

友達は続けた。

「自分のことに置き換えると、これ自分が作った野菜だと堂々と言いたい。
そう言えないものをオレは出したくない」

友達も同じ感覚でいると知って安堵した。

私は面倒くさいと思われることや、うわぁまた何か言ってるよと思われることは、正直どうってことない。

だけど、気付いていたのにスルーすることや、それを黙って見過ごして、その後ろめたいものが含まれている状態で武士俣史子の名を出して提出することがとても嫌で仕方ない。

もし万が一そのことが後に人的被害を生み出すような惨事になったら、さらに耐えられない。

火災探知機の付いていない機械なんて1台もないわけで、それを思う時その変更する労力を想像すると末恐ろしいものがあるけれども、そのままにして良いこととは違う。

資料作って言うだけ言ってそれでも会社がそれはそのままで良いと判断するならそれで良いし、だけどそれを会社としてもそのままにできないのであればそれは見直しなり改善なりするだろうし。

いずれにしても、気付いたのになかったことにする、というのが私はできないんだと友達に言われてわかった。

自分の名前を出して何やってるんだ!?と指摘されて怒られたり注意されたりするのは全く構わないけれども(自分の非なら素直にすみませんとすぐに言える。責任転嫁された場合は別)、とりあえず表面上はそつなくしていても中身はきちんとやっていなくて、それを私の名前を出してやりました!と言うのは超抵抗がある。

全体に周知されて「それ犯人私じゃない?」と思えば、自らその周知した上の人に聞きに行って謝ったりしたことも過去にあったと思う。

でも、ヤバいものを発見してスルーできるような、そのメンタルが私にはない。

そこを友達はどういうわけか一発で見抜いて私にそのように言ってきた。

友達はさらにこんな風に話を続けた。

「今大企業が不祥事だらけなのは、そういうことに端を発しているんだと思う。
波風立てない方が面倒くさくないと思ってる人たちはどこにでもいる。
心のおき方は人それぞれだけど、やりっぱなしの人が多い。
自分のやってることに誇りがなくて、自分だけで完結していると思う。まぁいっかでやってたことが不祥事だらけになっている。
みんなじゃないにしても、先のことを見通して仕事をしなかったことが原因じゃなかろうか?その時は大したことじゃなくても、まぁいっかで済ませて、そのまぁいっかの部分がいくつも積み重なった結果が今の不祥事の数々に繋がってないか?って俺は思う」

友達はこんな話もしていた。

「今、俺のとこはレタスを道の駅や直売所なんかに納めている。
多い時は300個納める。
俺からすると300個が俺の100%になる。
だけど、お客さんからすると手に取る1個が100%になる。
その手に取った1個がクソみたいな出来だったら、もう二度とこいつのところの野菜は買わんってなる。
いつも思う。
何個の収穫であっても、たった1つを手にするお客さん側の気持ちに立つことを忘れちゃいかんって。
ちゃんとしたサービスをしてそれの対価を受け取るのはいい。だけどちゃんとしたものをこちら側が出してなくて対価だけをもらおうとしたらおかしなことになる」

この話の続きに友達はこんなことを言った。

「今ってねじれが起きているって俺は思っている。キャッシュを求めすぎているというかね。
昔の江戸時代は職人が、これがあったら良いなぁと思ってそれを形にした。その価値がじんわりと広がって、ある日その価値が爆発的に広がった。
それは何かって、物作りを極めるのが最初だった。
ホンダもトヨタもみんなそうで、先に技術を極めて、ホンダなんかは初代がバイク馬鹿だったと聞いてる。
ところが時代の途中から、対価を先にもらおうとするようになった。そこでひずみが出ている。それっておかしいことだなぁって常々思うし、そんなことしてたら日本はいつか絶対に立ち行かなくなって崩壊する。
本当は対価が先じゃない。技術を極めることが先で、それがある時にその技術が世の中に一気に広まって浸透していくのが本来の姿だって、それは人類の歴史を見てもそう思う」

友達と話し終わる頃、私の心は決まった。

周りをみんな敵に回しても、それでも自分がこれは黙っていたらまずいと思うことはきちんと口にしようって。

よりにもよって何で火災探知機の説明が日本語と英語で違っているのか知らないけれども、これは問い合わせもせずに放っておいて良いものとは違う。

社内のよくわからないルールですぐに問い合わせができない歯痒さはあるけれども、問い合わせのための土台となる資料は作ろう。

それを使わない問い合わせないとするのは、それは上の判断だからそれでいい。

でも気付いた私が私の一存でこれ以上事を荒げないとするのはやっぱり違う。

ちなみに、英訳するためにこのことがメインとなる質問もまだ控えている( ̄∀ ̄;)。

また上の人相手にしれっと「この部分をどう表現したらいいですか」と聞くのも何とも忍びない。

よくわからないけれども、多くの人は質問されることに慣れてないのか、私が質問すると若干萎縮しているように見える( ̄∀ ̄;)。

悪代官よろしく並みに私は威圧的なんだろうか?と思うくらい。

もちろんそんな気はさらさらないし丁寧に聞いてはいるつもりだけれど、相手の方たちには違う風に映っているんだろうなぁと思う。

ちなみに友達が指摘した「まぁいっか」は今回の火災探知機の会社の製品を見ているとそれがものすごくよくわかる。

私は最初説明だけを読んでいて、そこにアルファベットの中に漢字表記が混ざっていた。

言うなら「運転中」(仮称)と英文の中に突然出てくる。

そもそも変だと思った。

何で英語の中に漢字が含まれるのか、しかも火災探知機という人命を守る機能のものなのにこれ。

普通に考えて変すぎた。

だから私は機械の名称部分の図を見てみた。

私は本気でぶったまげたけれども、なんとその一番大事なスイッチの部分だけなぜか漢字表記しかなくて、英語での表記が元々ないものだった。

機械の他のどうでもいいところは全て英語表記に直されているのに、肝心のスイッチ部分だけが日本語のまま出荷されていることがわかった。

冗談抜きでその火災探知機会社の防災意識を疑った。

何のための火災探知機なのかわかっているんだろうか?と思った。

っていうか、誰もそのことを火災探知機の会社内で指摘する人はいなかったんだろうか?と思うし、少なくとも私が普段頭を抱え込むような日本語を英訳にするような超難解な言葉じゃない。

ものすごいシンプルな言葉だし、私が今すぐ無償で英訳しますけれど!と言いたくなるレベルの単語なんだけれども、どうしたらそれを日本語のまま出荷しようなんて考えたのか、普通の神経でやってるとは思えない。

だから私が見つけた今回のものというのは、まだ派遣先の仕事の話ならいいけれども、火災探知機会社の在り方も問う内容だから、絶対にこれ超面倒くさいやつだと思う。(ちなみにこの状態を普通に採用している派遣先の会社の在り方もどうなの?って話だと思う。)

よほど自社製品に自信があるのか知らないけれども、火災探知機会社のこの人命のかかった装置を自分の会社が出してるって意識はどこにあるんだ?と言いたくなる。

大手企業に納品しているから安泰だとでも思っているんだろうか?

誰も何も言わないから良いと思っているんだろうか?

本気でこんな馬鹿なことが普通にあるって何なのかと思う。

こういうことって、まともな人間の考えることじゃない。

私はそれこそ何十人単位のアメリカ人たちと漢字について何回もおしゃべりをしたことがあるから余計とこのずさんな対応について感じるけれども、日本語を知らない人たちからすると漢字はどれも同じに見えるし、この同じようにしか見えない文字が全く違う意味になると説明すると、それをゲラゲラ笑ってOh my god!とか相手は言ってたけれども、そういうレベルですけど大丈夫ですか?って思う。

本気で馬鹿なの?って思う。

もはや理解できない感覚だから、私の感覚じゃなくて、その火災探知機にまつわるおかしなことを無視している感覚の方が本気でおかしいと思う。

そんなこんなのやりとりを友達として、私は自分の気持ちが決まった。

本当に面倒な指摘をするのは百も承知だけど、見て見ぬふりではなく自分が少なくとも納得することを自分はやりたい。

もはや会社のためではなく、自分の精神衛生のためにそうしたい( ̄∀ ̄;)。

ふと、不思議に思った。

年賀状からの電話で、電話からの星読みの流れで、星読みの流れからの私の悩み相談になっている。

3年前の夏、結婚式の席で「ぶっしー、ごはん誘え!ごはんがいい!」と真剣に考えてアドバイスしてくれた頃と何ら変わりないなぁと思う。

2020年1月25日土曜日

仕事日誌:冥王星と土星

毎日毎日仕事は事件簿シリーズ。

こんなシリーズ嫌だ(T ^ T)。

ちなみに今日の事件を見て、思わず私は家に帰ってきて着替えるより先に天体の運行表を見た。

天体のエネルギーが自分の生まれた時のホロスコープに相当強く影響しているとしか思えなかった( ̄∀ ̄;)。

当たってると言えば当たっていた。




事の発端はこうだった。

他部署のお偉いさんから、1枚もののチェックリストの英訳が回り回って私のところに依頼が来た。

それが1枚ものと思えない難解な日本語で、ようやく8割完成というところに来た。

お偉いさんから1時間も時間を割いてもらって、色々な不明点を解明して、あとはそれを元に完成させれば良いというところまでやってきた。

確認の時に、火災探知機系の設定の話があって、それだけは絶対に「稼働中(仮称)」の方にするように、英語で強く言って欲しいと要望があった。

だいたい、機械の設定やボタンなんてのは、元々機械の方に特有の名称が付いていたりする。

例えば、稼動中も運転中も使用中も同じような意味合いでも、実際の機械は「稼働中」とボタンやスイッチ、画面なんかに出ていたりする。

そうした時に「稼働中」のものを「運転中」とは書けない。

だから英訳の時は、そうしたボタンやスイッチの名前は必ず確認している。

で、何せ念に念を押されて、その稼働中とやらの設定の話が出てきたから、私は取扱説明書を見た。

最初見間違えたのかと思った。

日本語と英語の両方のデータを開いて見比べた。

私が間違えてると思って、今度は違う機械の日本語と英語の取扱説明書を新しく開いた。

パッと見て、すでに指示が日本語と英語で違う。

本気で見間違いかと思って、又は私の英語の和訳が間違っているのかと思って、文章をそのままGoogle翻訳にかけた。

私の見間違いでは一切なかった。

取扱説明書は600ページ近くある。

その中のよりにもよって1ページのそこの部分、なんなら1スイッチのオンオフ的な指示の部分が和訳と英訳で真逆になっていた。

ゲッ( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)

私の行ってる会社の商品ではなくて、火災探知機会社の商品で、そしてその部分の取扱説明書は火災探知機会社から直で来てるものを採用している。

だから、これまで誰もそんなところに疑問を持つことなんかなかったと思うし(だって他社が納入している品だよ!100%の完成度だって普通思うじゃん!)、私だって最初は自分の見方が間違えたと勘違いしたし、そんなこと想像さえしたことない。

当たり前だけど、98%くらいにあたる自社製品部分の取扱説明書は、作成段階で超厳しいから、そういう差を絶対に作ってはいけない。

火災探知機とかそういう特殊なものだけ他社製で、それだってきちんとしたものを選定して採用したと思う。

それがまさかの他社製のところの、それも今回私がどうでも必要とする情報のところがピンポイントでやらかしてくれるとは…( ̄ཀ ̄;;)。

宝くじで一等前後賞当てるぐらいの確率じゃないかと思う。

とりあえず上司に即相談報告して、私が今回訳す部分は最終的にやらなければいけない設定のところだけをきちんと伝える、ということになった。

そのやらかしてる部分については、どう対応するかは一旦保留になった。




ここからは私の心の中で思ったこと。

何せ資料しか見てないから、実際の機械設置の現場レベルでどうなってるかは知らない。

もしかしたら、何の問題もなくここまで来ているのかもしれない。

だけど、今回の件は単なる間違いでは済まされないレベルのことに繋がるんじゃないかと思っている。

火災探知機ということは、1つには人命のかかった設備なわけで、いい加減な取り扱いは絶対にやってはいけない。

まさかの自社じゃなくて他社のものでそういう説明書に不具合が見つかった時点で、普通ではない物事の起こり方に私はビビった。

そしてこれまで誰も恐らく気付かなかっただろうところをピンポイントで今回私が引き当てたところを見て余計とビビった。

私だって、これが普段の取扱説明書業務ならまず絶対に触ることのないページなのは間違いなかった。

だって他社納品分で間違いがあるなんて、誰が思うんだろうと思う。

そこはあくまでも添付資料的な扱いだった。

それがまさかの間違いなのか何かわざと意図して真逆の対応を迫る言い方にしたのかは知らないけれど、とにかくおかしな状態になっている。

自分で言うのもどうかと思うけれども、このことが私によって発見されてる時点で、すでに単なるミスではなくて本気の大がかりな何か大きな問題の入口にあるんだと思う。

だって、何がどうしたら、600ページもある中の1ページのピンポイントでその部分に問題があるというところに行き着くんだろう…( ̄∀ ̄;)。

そもそも頼まれた英訳のリストというのも、今回初めて取り入れられることになったもので、しかも本来なら私が訳す係になるものではないと思う。

魚屋さんが今回だけ肉をうちは売るよ!並みにありえない形でやることになったようなものだった。

しかも、その1枚のリストだって、色々文章がある中で、その一文だけ唯一強く指示をする言い方にして!と頼まれた箇所で、さらには固有名詞が付きそうだからと調べたに過ぎなかった。

それがこれだけの取引先のやらかしたものを見つけるわけだから、何か神がかり的なものを感じる。

ちなみにこの話。

入口は単なる間違いだけど、考えるに、ものすごく面倒なことがその先に含まれていると思う。

自分が行っている会社もだし火災探知機会社もだけど、それぞれの在り方ややり方に疑問を呈するようなものになる話なんだろうなぁ…と思う。

星の運行を私が見たのは、まず真っ先に思ったことは空の冥王星と土星のコンビが、私個人のホロスコープの方の他者から求められてやることになるものを表す感受点に影響しているのではないかと思ったから。

2年前の夏に鑑定を受けた際、
【「神は群衆を与える」という言葉の通り、自分だけがやりたいんじゃなくて周りからもやって下さいというもの】
と言われた部分が今回のことに関係している。

ちなみに今回の宝くじ一等前後賞みたいな確率の間違い指摘は私のやりたいことじゃない( ̄^ ̄)ゞ

ただ、今回はまんまと頼まれたことの先に、頼んだ人たちでさえ頼んでないことが勃発した。

その神は群衆を与えるポイントのところというのが、私の場合、冥王星も直ぐ近くにあって、とにかく徹底して何かを覆す、良くするための大規模な破壊なんかもセットとなってきやすいから、単なる頼まれ事というよりも何かを徹底改良するための頼まれ事に発展しやすいと思う。

それと空の冥王星と土星のコンビだけじゃなく、さらにはジュノーと呼ばれる小惑星までもがこの状況に拍車をかけていた。

2ヶ月くらい前に英語の占星学の本を買ったからそれのジュノーの説明を見た。

「dutyー義務」という文字が飛び込んできた。

義務…。

義務のために自分の身を捧げる、犠牲的に動くというようなことが書かれていた。

4.6年の公転周期らしい。

なんでそんなものが今よりにもよって神は群衆ポイントにロックオンしているんだろうか…( ̄ཀ ̄;;)。

4年半に一度くらいの頻度でしか来ないものが今やってくるって出来過ぎなタイミングだと思った( ̄∀ ̄;)。

そしてそれをある意味大きくサポートというか強制力高める、破壊と再生担当の冥王星と社会的責任・整備も表す土星とがコンビ結成して影響している模様…( ̄∀ ̄;)。

ちなみにその3日前にも超困った英訳が回ってきて、英訳も困ったけれども、それ以上に困ったのは当初誰からも指示をもらえないことだった。

完全なるクレームに対する答えの部分の英訳なのに、担当者は出張で不在、自分のところは担当部署じゃないから勝手には答えを決められない、部長に事情を説明して別の部長を紹介されて訪ねたら「自分の担当じゃないからわからない」と言われて、冗談抜きで困った。

そんな中、東京本社からも人が、その私が担当している英訳案件の会議のために来るから、その議事録をくれと部長経由で連絡が来た。

新幹線の車内で目を通したいと言う。

私は本当に、その本社の人たちのあまりにも状況が分からず、私からすると自分勝手な依頼ばかりしてくる事にイラッとした。

たしかに見たいのはわかるよ、だけどこっちは朝イチでもらって今ようやく6割7割完成まで来たんだけど、どうしてその人たちに合わせて私が終わらないものを終わらせるみたいな話になるのか、全然理解できなかった。

そこは部長がガンガンと電話の向こうで言ってくれて、今できたところまでは送れてもそれ以上は現段階で無理なこと、こちらも朝イチで依頼を受けたからそもそもが時間のない中でやっていることなんかを全部説明してくれて、そこはとりあえず何とかなった。

その英訳そのものに対するサポートがない中で(対外的な調整の部分は自分ところの部長と女上司が超協力的で色々やってくれた)、私ももうやれる範囲でやるしかないまま残業タイムに入ろうとした頃、神降臨的な出来事が起こった。

本社の海外部門トップの方がどうやら海外のお客さんの相手のために一足先に来ていて、その人が時間の許す限り私の英訳を見てくれることになった。

どんなに厳しい方なのかと思っていたら反対で、ものすごくキッチリはしていても物腰の柔らかい方だった。

しかも、普通なら一派遣がそんな上の人と直にやりとりするなんてありえないけれども、実際にそうなってしまって、そのMr.ダンディーは私を派遣ではなく人として接してくれてるのがすぐにわかった。

それもすごく嬉しいことだった。

例のクレーム対応で指示がもらえずに本気で困っていたところもMr.ダンディーが見てくれて、最終的にそこは状況も知っていて当日会議に参加する参加者としても内実のわかるMr.ダンディーが英訳してくれた。

Mr.ダンディーの英訳を見て、これは指示がなければ書けない内容だと知った。

しかも、日本語の答えよりうんと誠実だけじゃなく、きっぱりとそれはこれ以上の対応は難しいことも含んだ言い方になっていた。

理想的な答えを目の前で見て、これは私では絶対に書けなかったし、ましてや上の指示がなければそれもまた書けない内容だった。

逆に担当者(こちらも大御所)がいても、この内容にはならなかったかもしれないと思った。

この時に思ったのが、本当に必要なことなら一番ベストとされる形でサポートが入る。

なぜならMr.ダンディー以上の対応ができる人は、何千人といる会社の人たちの中で他にいないと思うから。

だけどそれは英訳どうこうではなく、会社の看板を背負った超大事なやりとりなわけで、そこはきちんと状況把握をして何が一番良い形なのかを冷静に判断してくれる人でなければいけない究極のもので、その時に強力なサポートが思いもよらない形で入って、私はそれを見て「絶対に大丈夫になっている」と確信した。

その時もだし今回新たに登場した火災探知機案件もだけど、本気でたったの1テーマでしかない。

英語は2行ないし3行も書けば終わるくらい短い。

ものは短くても内容は超ヘビーなのがくる。

ただ、それが逆の見方をすれば、本来必要なところにメスが入ってテコ入れされて、最終的に一番良い形、その時のベストになっていく。

女上司いわく、未だかつてないほどの仕事量が来ていて、年明けからとにかく異常な忙しさだとのこと。

そこにプラスして私の英訳の業務も右肩上がりでじゃんじゃんやってきている。

至急のものも含めて、英訳はある意味手段でしかなくて、本当の神々の審議会的な仕事の方は、よりみんなにとって良い形となるようなテコ入れなんだろうなぁと思っている。

4月いっぱいまでが私のその神々の審議会的な仕事の采配を受ける期間じゃないかなと勝手に思っている。

正社員の人が戻ってくれば、いくらなんでも私はその人を差し置いてまでは動かないし、今度はその人が指示する中でしか動かないと思う。(こんなこと大きな声では言えないけれども、多分その人は私とは仕事のやり方がまるっと違うと思う。他の人たちの話だと、相当わからないことにならなければ、質問に行かなかったと言っていたから、周りの人たちは私が現状を単なるおしゃべりの一環で言うことで、はたまた私が方々に掛け合って質問タイムをもらって確認しているのを見て、初めてその惨状や窮状を知ったようだった。私からしてどうしたらそんな対応ができるのか正直なところわからない。自分の英訳が私だけのことで私が何か表立って責任を取れるならどうとでもするけれども、それが出来ないし、そしてその英訳の先に実際の機械を購入して使う人たちがいるわけだから、そうした人たちに迷惑となることは自分の性分としてやりたくない。憶測でものは言うものではないけれども、多分「英訳しました」という部分だけをやってきたのではないかな…と思う。)

私は自分でも本当に面倒くさい人だと思うけれども、実際に私のこの「わからないから聞く」スタイルは1つ功を奏している。

機械系ゆえに「取り付ける」という言葉がとにかくよく出てくる。

その取り付けるを何十個と訳す時が先週あって、それは私では判断ならないから技術の人に全部確認していた。

その後また新たな「取り付ける」英訳が来て、本当にすぐのすぐに提出を迫られたものの時判断がつかず超困って、前回お世話になった担当者にこの場合はどうなるかと聞きに行った。

彼の説明によってそれがわかった。

彼いわく、私が細かく聞いたことにより、彼たちの部署全体で、それぞれの取り付けるの英単語がどういう時に使うのか、1つ判断基準を設けたとのこと。

それが全体でシェアされたようで、その基準に基づいて今回なら〇〇の方ですねと教えてもらえた。

そのやりとりにいたく感動した。

曖昧模糊とされていたものが、きちんと基準を持って分類されたことが嬉しかった。

そういうのを聞くと、(大量の)質問をして良かったと思う。

私も私で色んな人たちの時間をもらわないといけないわけで(体育会系男社会の会社ゆえ、みんな大量の業務を抱えている)、心苦しいところもかなりある。

だけど、そのことがきっかけとなって、みんなにとっても知っていた方が良いものが共有されてさらにはみんなで共通の見解を持つというのは、本当にいいなと思う。

だってAさんとBさんとCさんと…がみんなバラバラの見解では困る。

正確性を売りにする商品だから、その説明について独創性や個人の主観は要らない。

こんな風にして良くなっていくのは、先に書いた冥王星と土星の力が良い風に働いているんだなと思う。

こんなこと願っても外側からもたらされるものだから無理があると知っていても、とにかく平穏無事を祈りながら仕事に出向いている( ̄∀ ̄;)。

2020年1月23日木曜日

⑷【おいせさん手帳】自分を信じる力、自分を守る力






おいせさん手帳の第4回目。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


‪1月23日 ‬

‪自分を信じる力・自分を守る力を育む1年。‬
‪月読神社大祭‬

‪「月読神社」の名にちなんで、今年の星読みを1つ紹介します。今年は空の天体たちに20〜数百年に一度しかない重なりが起きます。その影響は、この星に生きる私たち個人個人にも及ぶと考えられています。激動の1年かもしれませんが、そうした時こそ自分の底力が大切になります。自分を信じる力、自分を守る力をゆっくりと自分のために育みましょう。‬


‪☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆‬



今回はサクッと紹介。

本当は前の日の1/22の夜にしっかりと書く予定が、なんと朝出勤したら、翌日(=1/23)の海外顧客とのミーティングに向けての資料を英訳して欲しいと依頼が来た。

( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;) ( ̄ཀ ̄;;)

どうしてこんなにギリギリ!?

しかも色々内容がいつもとは違う毛色のマニアック具合で、何でこんなにいきなり手渡されるのかふーしーぎー(  ̄Д ̄;)~~~~。

海外の相手は1月8日に連絡してきてますが、何で前日に!?

とかいう状況になって、やむを得ずこちらはショートバージョンでアップ。




今回の分は、分担が決まる以前から書きたいと思っていたものだった。

2020年というのは、東京オリンピックイェーイ!なんてことだけではなく、そもそも天体の配置が超ウルトラスーパーヘビーのハード仕様だというのは、占星術界ではまことしやかに粛々と語り継がれていた。

秋口に海外の占星術サイトを見ていた時にも書いてあった。

「今年(2019)も天体配置が地獄だけど、来年2020年はもっと地獄よ!」

英語ネイティブでさえhellー地獄と呼んだ今年の空模様。

わかりやすい現象として、大学入試の形式が来年度から変わるにも関わらずまだ要綱が決まってないとか、今は決まったけれども東京オリンピックのマラソン・競歩の開催地が急遽変更、そしてコースがその後もしばらく決まらなくて右往左往とか、全世代型社会保障なんて絵に描いた餅状態だし。

とにかく社会を抜本から改革、見直す動きが色んなところに出ている。

天体的に説明すると、その強烈な地獄とさえ呼ばれる配置は、多分一番は「破壊と再生」担当と呼ばれる公転周期冥王星が大きいところだと思う。

元々20年に1回の割合で公転周期29年の土星と公転周期12年の木星が同じ位置に並ぶ。

それ自体は20年に1回あるから、まぁたくさんはなくても珍しくはない。

だけど、そこに公転周期249年の冥王星までもがすぐ近くに並ぶとなると、そんなのは数百年(500年とかいうのをどこかの記事で読んだ)に1回、少なくとも今生きている人たちは一生のうちで1回しか体験しない。

そしてさらにはそれが水瓶座になったばかりの水瓶座(土星木星チーム)と山羊座(冥王星)のはざまみたいな位置で起こるんだけれども、12星座あってそれがそんな位置で起こるなんてもうあとは死ぬ時までない。

水瓶座は自由や革新を好む。

山羊座は逆で、社会の中においてきっちりとすることを好む。

山羊座は12星座の中で一番社会的にきっちりとすることを好む。

しかも、それは体裁とかいう基準ではなく、社会という大きな枠組みの中で社会にとって他者にとって又は自分たちにとって、本当に有益となる「きっちりさ」を採用しようとする。

例として、吉本興業の芸人さんたちの待遇とか、各スポーツ界のパワハラとか、政府の桜を見る会とか、そういう問題が今次々に暴かれているけれども、あれはどれもそのまま継続して良いものではないから、制裁が入っている。

まさに破壊と再生。

それらの問題を見ているとわかるけれども、どれもまずは現体制を激しく壊されるような情報がリークされる。

まさに「破壊」。

だけどその後はこれまでのやり方ではなく、少しでも良い方向に向かおうとしているのが特徴。

「再生」しようとする。

個人的には桜を見る会の今後の展開が楽しみだけど(どう再生されるのか、はたまた血税を使ってそもそもする必要がないと判断されてなくなって、その分浮いた税金をそれこそ全世代型社会保障とかもっと必要なところにお金が回されるのか。なんならカジノ関連のように政治家から新たな犯罪者や犯罪的な組織ぐるみの何かとんでもないものが出てくるのか←もはや私にとっては星検証のためのエンターテイメント( ̄∀ ̄;))。

関西電力の裏での献金問題とか、ゆうちょの保険関連のずさんな管理や顧客からの搾取みたいな違法的な取引とか、そういうこれまでなら闇に葬られていたものが今はバンバン出てくる。

でもそんな対岸の火事的な話をしたかったのではなく、個人の人生レベルにも今は必要なものとそうでないものとの決断が迫られることが多いし、やり方や在り方がよろしくないものは容赦なくメスが入ったりテコ入れされたりする。

とにかく先が読めないこと、これまで当たり前だった価値観や常識は淘汰されたり刷新されたりすること、その分本当に色んなことが混沌とするし不安や心配にも駆られやすいかと思う。

そうした諸々の流れが星的に見えていたからこそ、「自分を信じる力」と「自分を守る力」を言葉にして届けたいと思った。

いつか年明けてからノムと話した時に、ノムは今年2020年をこんな風に表現した。

【外に求めていたものがなくなっていく。
無くならないものを自分の中に打ち立てる】

まさに!!!だと思う。

例えばこれまでは終身雇用が当たり前の働き方として世の中に浸透していたけれども、これからはというより既に今も終身雇用なんていうのは本当に一部の大手企業とか公務員にほぼ限定されていて、大手企業でさえもいつ倒産したり吸収合併されるかわからない時代になっている。

「全世代型社会保障」なんて聞こえの良い言葉だけど、じゃあ今の私みたいな現役世代が年金をもらえるのか?となると、先行き不透明すぎる。

とにかく色んなことが外側に求めても仕方ないみたいな時代になってきている。

30代の10年間は、とにかく欲しいものや叶えたいものはとことん手にすることができず、代わりに頼んでもいない訳の分からないことがバンバン起こったり、あとは「何もしないこと」要はニート時間をかなり頻繁に持った。

そうした時間を色々くぐり抜けてみて、何かを外に求めてもそれはすごく不安定なものだと知った。

外側は時代もだし環境もだけど、色々変化する。

ましてや、自分以外の誰かに求めるのはその中でも一番無理がある。

人の気持ちを変えて私の方を向かせるとか、相手を私の意の通りに動かすとか、そんなことは絶対にできない。

そうした不安定なものに何かを求めても仕方ない。

だからこそ、何かあっても、反対に何かなくても、「自分を信じる力」と「自分を守る力」を自分の中に育むことが大切だと、これは私が自分の人生を通じて痛感したことだった。

どちらもすぐには身に付かない。

時間はものすごくかかるし、何か不安や心配、焦りなんかがあると一瞬で崩れる。

だけど、少しずつ少しずつ自分の感覚を大事にしていくと、それがいつからか自分の自信になる。

文字通り、自分を信じる力になる。

そして、「自分がそれが好きかどうか」「自分がそれで心地良いかどうか」「自分にとって不快かどうか」、そういうのが基準になってくると本当に自分が楽になってきて生きやすくなる。

周りの賛同や共感は得られないこともある。

それでも自分にとってのNOはどうひっくり返してもNOだし、YESは自分だけにしかわからない良さでもやっぱりそれも自分のYESになる。

その自分の感覚を否定して生きることの方が本当に苦しいんだと感覚的にわかるようになってきて、何があっても自分だけは自分の味方でいようと心がけるようになってから、段違いに生きづらさが以前に比べてうんと軽減された。

周りから否定されるよりも自分で自分を否定することの方が実はかなり堪えていたんだと気付いた。

自分を否定しないことが何よりも自分を救う。

そんな体験から得たことを、おいせさん手帳の今年の早い時期のどこかに組み込みたいと思った。

それは、それこそ去年の夏の花火が上がる頃、ノムから一緒にやろう!って誘ってもらって決まる前から頭にあったものだった。




さて、自分を守る力の凡例としてv( ̄∀ ̄)v。←ピースしてる場合じゃない。

昨日(1/22)の急な英訳を終えて、今日(1/23)の午前中はそのことに関しての今度は逆依頼の資料を作って、上司に提出した。

本気で丸投げな依頼で、実はその中にクレーム対応も含まれていて、その件に関して誰も明確な答えを持ってなくて、その答えのないものが実はお客さんに手渡される資料だと後から知って、それに対する改善を訴えた。

九死に一生を得るじゃないけれど、会社の東京本社の顧問級の超お偉いさんがそこを私に代わって英訳対応してくれたから事無きを得たけれども、本当にそんな超ウルトラスーパーありえないラッキーが舞い込まなければ、冗談抜きで私1人でそのクレームに対する繊細すぎる英訳を担当することになろうとしていた。

そう、ちなみに思ったけれども。

資料を見た人たちにはわからなくても、私には英語を見た時点で「超クレーム」だっていうのがすぐにわかってしまった。

だから本気で上席のそうそうたるメンバーから確実に指示を仰がないと私にはお手上げだった。

昨日は英訳とは別に数名の部長席行脚に精を出してた( ̄∀ ̄;)。

多分、私くらいの年齢の男性社員ですら、そんな1日で部長数名のところに相談確認するなんてしないだろうと思う←もはや私は何要員なのかわからない変な立ち位置にいる。

でもそれくらい困っていた。

そんな折に東京本社の海外部門統括のお偉いさん(←初対面)が私の英訳添削をしてくれることになって、超超超助かった。

わぁわぁ言ってみるもんだなと思った( ̄∀ ̄;)。

自分が困りそうだからわけもわからず指示を受けるままにこちょこちょ動いていたら、想定外すぎるヘルプがやってきた!

☆*:.。.\(*⁰▿⁰*)/.。.:*☆

っていうか、本当に大切な、会社にとって大切なものだからこそ、予期もしない形でヘルプが入るんだなと思った。

他にも何人かの人たちから助けてもらって、事無きを得た。

今回はたまたま上手く運んだけれども、こんな綱渡りみたいなことは嫌だから、それで資料を作成した。

部長の顔が私が行くたびにヒヤッとしてるのは、見間違いとかではないと思う。

本気で毎回苦手なんだろうなぁと思うけれども、めげずに自分ファーストでいこうと思う。

ちなみに、苦手そうにはされていても、部長は素晴らしい人で、きちんと毎回対応してくれる。

私の個人の戯言ではなく、本当に会社にとって大切なことの訴えで、それに対してきちんと対応してもらえるからものすごく恵まれている。

疲れた時に読みたいもの

2020/01/22 水曜日

今日はお偉いさんに予約を取り付けて(私の上司が)、そのお偉いさんと月末までに提出の英訳の件で質問攻めする予定でいた。

どうしても英単語が1つ思いつかなくて、そのために前任の人にも連絡を入れて、それのヒントも教えてもらって、さぁ行くぞ!とまでいかなくても、それをする気満々で今日は仕事に行った。

朝のラジオ体操も真面目にブンブンと手足をしっかり動かしてやって、今月当番のポットの水入もして、さぁ次はお偉いさんへの質問のために準備しようと、とりあえずメールをチェックした。

∑(ΦдΦlllΣ(꒪◊꒪; ))))∑(ΦдΦlllΣ(꒪◊꒪; ))))

今週、アメリカのお客さんが本社に来ているのは知っていた。

そのために先週色々ありえない量の英訳をしていたから、もっと早く言ってくれー!!!と思いながら取り組んでいたから。

だけど、もうそこでお役御免になったのは知っていて、今週は違う中国語並みに熟語オンパレードな、「動作内容確認後、確認書類記入」みたいな、本当そんな感じの日本語を英訳している。

そうしたら、今朝のメール。

明日(1/23)その海外のお客さんが来るとあった。

そして、その会議に使う資料を英訳してくださいとメールが来ていた。

∑(ΦдΦlllΣ(꒪◊꒪; ))))∑(ΦдΦlllΣ(꒪◊꒪; ))))

何で今なの?とまずは思った。

しかも最初は赤字だけ訳すと聞いて、まぁ午前中から午後の早い時間までやったら終わりそうだからいいかと思ったら、なんと全部だと言う。

定時までに終われば御の字なくらいに先々が見えなくなった。

しかも、あまりにギリギリ過ぎて、多分誰もチェックできないと思った。

ガーン( ̄(工) ̄;)

ちなみに、定時間際になって、それが明日みんなに配られる資料だと知った。

それ大丈夫なの!?という感じだった。

色んな意味で絶望的な状況だったけれども、最後、本社の英語担当の超お偉いさんが見てくれることになって、本気で事無きを得た。

その後私の秘密の英語の先生からも協力を得て(こちらは英語じゃなくて社内の諸事情を踏まえた上での英訳の注意事項の確認)、とにかく終わったのが21時10分過ぎ。

今のところは朝8時始業、正しくはラジオ体操が7時55分から開始だから、とにかく朝が早い。

なのに21時越えって…( ̄∀ ̄;)( ̄ཀ ̄;;)。

そこから30分くらいかけて家に帰った。

もちろんグッタリ。





前置きが長くなったけれども、そんなスーパーグッタリな1日の終わりに、少しだけ気持ちを緩(ゆる)めるために、風呂で読書をしようと考えた。

占星術系の本や読みかけの小説もあったけれども、どちらも読むだけの元気がない。

私は無印の1センチほど厚さのあるノートを手に取った。

それしか気が緩んで楽しく読める、心が和むものは考えられなかった。

パラパラと後ろの方のページをめくって、私は2017年の夏から秋にかけての記録を読んだ。

日々の記録を目で追いながら、心の中では当時の風景を再現した。

隣りの席の人とのきわに置かれたせんべいの姿も、段ボールに無造作に投げ込まれたうちわも、その段ボールをおそらく自分の車の中に運ぶ持ち主の後ろ姿も、事務所の風景も、手紙を渡した朝の日の本当に一瞬だけ、それは1分にも満たない小さな時間のことも、色々と思い出された。

手紙の時なんかは、本当に細かな動きまで憶えている。

人が出たり入ったりして慌ただしくて、私はその間に自分の作業机側にいつも置かれていたセロハンテープを適当な長さに切って、急いで茶封筒に封をした。

貼り終わってふと周囲を見ると、なんと私ともう1人しか事務所にいなかった。

今しかない!と思って、私はすたこらと部屋の角を目指した。

そして私の手から封筒は旅立って行った。

まさかその後今になっても忘れられないほどの瞬間になるだなんて、その時は思いもよらなかった。

うんともすんとも言われずに、ただただ無機質に場所移動しただけの茶封筒がちょこんと机の角に置かれた。

相手の目には同じ光景がどう見えていたんだろう…、風呂の中でその時のことを読みながらそんなことを思った。

文字を目で追いながらも心は違うところにいた。

最後の冷たい挨拶の描写や、できませんごめんなさいと言われた時の描写もあった。

それを見て、もう二度とはやってこない時間だと知ったら、それらさえも特別な瞬間で特別な命の時間だと感じた。

数ページに渡る記録は、ほんの少しの時間のことではあったけれども、私はそこのページたちにこれまで何回目を通したかわからない。

そして、死ぬまでにまたもっとたくさんの回数をそのページたちとご対面するだろうと思った。

感慨深かったのは、その同じ文章を読むにあたって、今後もその時どきで自分の感じ方や思い出すシーンが違うだろうことと、その違いを感じた時の自分の気持ちを思って、ほっこりするような哀愁漂うような、言葉には尽くせない気持ちがムクムクと湧いた。

その時のことをもう誰とも共有できないし、私1人で思い出すしか術がない。

だけど、やっぱりあの瞬間はあって圧倒的に良かった。

今日英訳をしながら、この風景が記憶に濃く残ることはほぼほぼないだろうと思った。

だけど、当時の一瞬一瞬は、スローモーションで物事を見ているように、1つひとつのことがとてもくっきりとしていて鮮明だった。

そして自分の身の置き場所が変わっても、そこは変わらないと知った。

丸一日英訳に費やして、本気でグッタリとしていた。

もう文字なんか何も見たくなかったぐらいに疲れていた。

なんだけど、そこだけは違った。

読むと光景が浮かび上がる。

その人がその光景の中にいる。

小さな点が幾重にもある。

小さな小さな瞬間の点たちの中に、その人はこれ以上ない存在感で残っている。

限界にいくくらい疲れていても、当時の記録からその人を思い浮かべたり当時の風景を思い出すのはなんてことなかった。

むしろ力が湧く。

やさしい気持ちになったり、切なくなったり、当時の自分の心の中のリアルな感じを思い出したりと忙しい。

書きながら眠くなってきた。

そういうのを思い出して、夜眠りにつくのも粋だなと思う。

聞いてみたい。

同じ風景がその人の目にはどんな風に映っていたのか、聞いてみたい。

読み返さずそのままアップしよう。

2020年1月21日火曜日

濃い1日

2020/01/20 大寒

濃密な1日だった。

今年に入ってから、とにかく「濃いなぁ」と思う瞬間瞬間が多い。

そして全ては寸分の狂いもなく色んなことが起こっている。

これは別記事で書き始めているから、きちんとアップできたらいいなぁと思っているけれども、まずは仕事で1つ大きなことをクリアした。

昨日の日曜日の午後、私は今の英訳の仕事に関して、嘆願書的なものをパソコンで書いた。

英訳に関して、私の中で見過ごせないことが判明してしまって、それをきちんと会社に伝えようと思った。

何があったかと言うと、自分の英訳ではどうしても専門知識がないゆえの限界があって、それが見過ごして良いレベルとは違うとわかったことが発端だった。

それは何百万〜何千万コースのお値段の取引に対して、言い換えればそれだけのものを作る色んな人たちの努力を私の基準点に足らない英訳で、会社に対しても、それらに関わる人たちに対しても、泥を塗ることになりかねない、そういう懸念がものすごくあること、そしてそうであるなら黙ったままでいていいなんてことはなく、とりあえずすぐのすぐに変わらなくても現状を伝えて、何か対策をお願いできるならお願いしたいと思って嘆願書的な文書をカタカタとキーボードを打って書いた。

管理職の友達にも連絡を取って、組織に対して一派遣社員が一石を投じることに関しての注意事項や気をつけることなんかも聞いて、それで臨んだ今朝だった。

ドキドキしながら女上司に怪文書を手渡して、それで女上司の判断で部長判断に委ねることになった。

その1時間後くらいに部長から女上司と私は呼ばれて、その怪文書にあった内容について話し合いがもたれた。

前の日の夜、管理職している男友達にも見てもらって、怪文書に関して内容がとても繊細だから取り扱い要注意と言われたのと、一歩間違えたら社内を引っ掻き回して終わりだという忠告も受けた。

それを出すなら困っていることを要望書としてメモ書き程度のものを作って、それを見ながら話す程度にした方が無難だということも言われていた。

だけど最終的に私は出して、あとはもうどう扱われてもとりあえず窮状さえ知ってもらえたら良いと思った。

3人でのミーティングで、部長からさすがに怪文書は他に回すのは社内の状況的に難しいと言われたけれども、代わりにすぐに対応してもらえることや解決策の案をいくつか提示してもらえた。

それにより、少なくとも私が1人で抱えなくて良くなったし、そして確実に怪文書前よりも仕事がやりやすくなるようになった。

まさかの展開で、本当に話せて良かったし、そして自分で言うのもなんだけど、それは会社にとってもプラスだから、悪い風にはならないと思う。

そんなことが仕事中にあった。




夜、ずっと延び延びになっていた男友達との電話がようやくできるようになった。

年賀状をやりとりして、年賀状が届いたタイミングで一度連絡をもらっていたけれども、絶賛喉の絶不調で、喉が良くなったら…という話をしていた。

それがようやくお互いの都合の良き時が重なって、電話できることになった。

色んな話の中で、私は友達の星読みをすることとなった。

電話口では生年月日と生まれた町を確認して、生まれた時間はペンジュラムで確認して、それで合っているかどうかを友達の声に合わせて確認を取った。

方法は即席で、最後は10個の数字を言ってそこからピンとくる数字はないかを聞いた。

ピンとくる数字で何時何分の何分が決まって、あとはその時間を電話越しに読み上げてもらった。

違う時間も適当に言ってとお願いして2つほど言わせて、やっぱり1つの特定の時間にしかペンジュラムは反応しなかった。

ホロスコープを見ておくから土曜日にまた話そうとなった。




私は友達のホロスコープを出す前から、私と縁があるだろうことと、もう1つには「グレートコンジャンクション」と呼ばれる今年の年末に起こる天体の配置が関係しているだろうことと(友達にも、今年の年末は数百年に一度しか起こらない配置があるとは説明した)、そして話の感じからしておそらく特定の特徴を持って生まれた設定だろうことは想像していた。

出して驚いた。

すべてビンゴだった。

この友達とは7つ年が離れているけれども、知り合った当初からウマが合う感じだった。

気が合うと言うよりもウマが合うの方がしっくりくる。

私より年下だけど、どっちが年上かわからない感じだった。

今でも忘れられない。

何人かで仲の良い人たちが集まって泊まりでの飲み会を開いた時だった。

その友達と歩きながら横並びになった時、友達は言った。

「何かを(楽しいことを)する時、何が大事だと思う?」

友達は私にそう問いを投げかけた。

自分の答えは忘れたけれど、友達は言った。

「どこに行くかでも何をするかでもなく、誰といるかが大事」

当時の友達は、22か23で、その言葉を聞いてハッとした。

今でも青い空とゆるい感じの昼下がりのムードとみんなでダラダラと歩きながら目的地に向かった場面を克明に憶えている。

私が社会とのほぼ全ての接点を絶って引きこもりのようになって思い悩んでいたいつかの時にも、友達は夢を叶える話をした。

友達はこんな風に言った。

「俺は夢は見るものだと思っていない。

俺の中で、夢は、将来の希望そのものとイコールになってる。

叶わないものではなくて、形にしていくものだと。

当然、できないことも出てくる。

俺は“できない”と思った時にすることがある。

それが『夢を分解すること』だ。

飛行機だってボルト1個から始まってる。

夢もそれとおんなじで、夢全体を見て「できない」と思う。

そういう時は、分解する。ばらばらにする。

そうすると、明確になる。

そしてできるものを見つけてできるところからやっていく。」

私にああしろこうしろとは一切言わない。

変に励ましたり、追い討ちをかけるようなこともしない。

大切なメッセージを静かに普段のおしゃべりの延長の中に盛り込んでくれる人だった。

この友達と私とは星の配置があれこれ重なっていた。

ウマが合わないわけないとわかった。

今もう一度見て「魂が共鳴してるんだな」と思った。

記憶にある限り、多分これまでの誰よりも天体の配置は重なっている。

私はこの友達のホロスコープを見ることになるなんて思ってもいなかったけれども、こうやって見ることになって、いつも想像さえしないことが起こるなぁと改めて思った。

数々の場面を思い出すと、偶然出くわしてみたり(近くに住んでいたわけじゃない、当時は1時間半から2時間かかる距離に住んでいた)、最後会ったのは友達の結婚式だけど、その時も席が隣りだったりして、大勢いても何だかんだと近くになることは度々あった。

魂と魂が会合していたんだなとわかる。

面白いからそう言ってみよう、友達に。




朝の仕事のやりとりの件は、占星術講座のクラスメイトだったノムにも相談していた。

とりあえず昼休みにノムに上手くいったことを一報だけ入れていた。

そうしたらノムはこんな風に返信をくれた。

「ぶっしー、おつかれさま! お返事遅くなりました!  結果的によい方向へ進んだようでなによりだよ。嘆願書とラインを読んで、本当にぶっしーの意図すること、想いがそのまま伝わったらいいなと思ったから、それがひとまず叶ったのかな? とお昼の報告から感じられて、ぼくも安堵したよー。

ぶっしーは、ほんとにまっすぐ生きているよねえ。期間限定の立場で、さらに派遣という立ち位置で、今回のようなことをするって、ものすごくリスキーだろうし、黙ってやり過ごせる人がほとんどだろうと思う。けど、リスクをかえりみず、自分の信念やらに従って行動する1%みたいな人、ぶっしーのような人がいるからこそ、社会は前に進むのだろうな。わからないけど、女上司の人や関わった人は、そのまっすぐなエネルギーにふれることで、なにかしらのインパクトを受けただろうね。それこそ、山羊座冥王星、土星合!的なね。笑   星を使うってよく聞くフレーズだけど、いまいちわからなくて。でも、こういうことが、星を使うってことなにかもなーって思ったよ!  星のエネルギーを放つ導管となっているというか。あ。今回のことは、19日の手帳の言葉みたいでもあるね。ってことは、水瓶座太陽のエネルギーも使えているのかもね!

いやはやおつかれさまでした!!!」

ものすごく嬉しかった。

そして、さっきの男友達の星読みをすることで、1つ占星術の大きな疑問があったから、仕事の報告も兼ねてLINEするよりも電話できないかと思ってノムに「今から電話できる?」とLINEを入れた。

1分もしないかのうちにノムから電話がかかってきた。

そのタイミングの良さにあまりにも驚いた。

仕事の顛末の報告や星の話やその他もいつもと同じ自由スタイルで話した。

そろそろ終わりにしようかという頃、ノムはこんな風に言った。

「ぶっしー、もう眠いでしょ!?
ぶっしーは眠くなると声が鼻声になる」

もう少しなら大丈夫と言ったら
「ぶっしーが大丈夫でも、ぶっしーの体はもう眠たいはずだよ」
とノムは言う。

こんなのは私しかわからないかもしれないけれど、めちゃくちゃ嬉しいやりとりだった。

ノムから指摘されるまで、というか指摘された後も、自分が眠くなると鼻声になるなんて知らなかった。

そういう私だけの特徴を誰かに知ってもらえること、相手がそれに気付いてくれること、そういうのってものすごく嬉しい。

それは相手のことを観察していないとわからないことで、さらには相手のことに興味がないとそういう行為は自然には起こらない。

そういうのって嬉しい。

とにかく嬉しい。

ホクホクした気持ちで電話を終わりにした。

2020年1月19日日曜日

⑶【おいせさん手帳】初めてのノムの日

『おいせさん手帳』〜ノムのブログより







おいせさん手帳第3回目ー
今回はノムの初めての日。

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‪1月19日‬
‪みんなに共感されない自分も大切に。‬
‪太陽が水瓶座へ‬
‪ ‬
‪みんなで共有する“世界”から飛び出していく水瓶座が始まります。‬
‪誰にも「みんなにはわかってもらえない」というニッチな部分はあるもの。‬
‪そんな“マイノリティーな自分”を大切にするひと月にしてみませんか?‬
‪その場の空気に同調することが日常になっているのだとしたら、‬
‪水瓶座のエネルギーを使い、時には本心をサラっと伝えてみるチャレンジを。‬


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



今回のノムの文章を紹介するにあたって、当時のメールのやりとりを見返した。

やっぱり思った通りで、ノムのこの文章は後から追加でお願いされた文だった。

当初私たちは40ちょっとの日をお願いされて、それを実際に書いて担当者さんに渡した。

その後、ちらほらと星の話があるのにすべての星座がないと変だと編集部の方でなったようで、それで追加でノムと私のところに原稿の依頼が来た。

追加分を書き終えたノムが「できたよ」と見せてくれた中のトップにこの文章はあった。

最初の1文
「‪みんなに共感されない自分も大切に。」‬
‪その言葉に心を鷲掴みにされた。‬





ノムの言葉はいつだって心の隙間や心の奥の奥の大切なものを保管しているところに届く。

「共感されない自分」

ノムのその言葉を見るまで、私は共感されない自分を自分の中であきらめていた。

これは他の人と比べようがないけれども、共感されない自分というのを私は幼少の頃から大人になった今も圧倒的に多く体験しているように思う。

今でもよくわからないけれども、共感されないというか常に輪からはみ出していて、入ろうとしてもつまみ出されて、とにかく人と私とが何の差があるのか、よくわからなかった。

「変わってる」とか「変」とかいう言葉も山ほど言われてきたし、言われなくても態度で露骨に示されたりもした。

大人になった今も時々そのような言葉を言われるけれども、ただ年齢が上がるごとに人には恵まれていて、今は変わっていても私と仲良くしてくれる人たちがいる、というその事に救われているから、何か言われて良い気はしなくてもまぁいいかと割り切れるようにはなった。

そう、せいぜい「まぁいいか」止まりで、人と違って共感されない自分を大切にしようなんて考えたこともない発想だった。

それって「まぁいいか」と割り切るのとは全く違う。

割り切るのはどこかあきらめで、そして多分だけど私の場合は、「そういうズレてる自分がいけないんだ…」とどこかで自分を否定していると思う。

そこまで深く考えたことないけれども、無意識のうちに自分を否定していても全くおかしくない。

本当の意味で、過去のいじめ体験が自分のせいではないと心から認識できるようになったのはここ近年の話。

少なくともこの1年からせいぜい2年ぐらい。

そして、先日4歳の姪っ子とのやりとりの中でわかったのは、私からすると嫌がらせやいじめにしか見えないことでも、相手側からするとその邪悪な自分、ジャイアンみたいな自分、自分の弱い部分を見せる相手として私を選んでいるのかもしれないということ。

それがわかった時に、過去の様々なシーンにも納得できた。

少し話は変わるけれども、ホロスコープ の私の生まれた時の星配置で、人柱になったり、人との関係で相手の人がよくわからない出方をして自分側が悩んだり傷付いたり、はたまた人が何かを吐き出す時の吐き出し口にされやすいものを元々持っていることを鑑定や占星術講座の先生から言われた。

その点においても、ホロスコープ 通りの人生が展開されたわけで、全くもって疑いようのない百点満点な人間関係の傾向をこれまでの人生の中で体験してきた。

そうした人間関係を色々経験する中で、私は自己肯定感とか自己受容と呼ばれるものを積み重ねることができたのは、はっきり言って奇跡的だとしか言いようがない。

自信は色々ないものの、ノムの一言
「‪みんなに共感されない自分も大切に。」‬
‪には、そういう体験を持った自分にどこまでも寄り添ってもらえた。‬

‪そしてその自分をあきらめたり否定するのではなく、その自分を大切にすることもできることを教えてもらえた。‬




‪もう少し種明かし的な話をしようと思う。‬

‪「太陽が水瓶座に」という言葉がその後続いている。‬

‪そう、ノムは「水瓶座」という言葉から‬「‪みんなに共感されない自分も大切に。」というメッセージを導いている。‬

‪たしかに水瓶座には、自由とか革新とか独創的とか独立心とか、そういうものが意味としてある。‬

‪だけど、‬「‪みんなに共感されない自分も大切に。」という言葉を水瓶座から持ってこれるのは、おそらくこの世でノム1人だけだと思う。‬

‪ノムの星からキャッチするメッセージは、普通の星読みじゃない。‬

‪星の言葉の神様がいるとするなら、その神様から選ばれてノムのところにメッセージが届いているとしか思えない。‬

‪ノムの星からの言葉紡ぎは、神様との共同作業だといつも思って見ている。‬

‪この後何回か私も星にちなんだメッセージを書いてはいるけれども、私のそれとは全然違う。‬

‪自分でもわかるけれども、私は星の日も他のくしの日や良い皮膚の日も、ほぼ同じ回路で言葉を紡いだ。‬

‪別に星だからそれだというよりも、他の日同様、自分の中でピンときた言葉から連想されるものを書いていたから、はっきり言って星読みとはずいぶん違った。‬

‪ノムのものは違う。‬

‪ノムは確実に星たちからメッセージを受け取っている。‬

‪それを感覚的に知っていた私は、日にちを決める時に星が絡むとわかったものは、超積極的にノムに振った。‬

‪元々星の情報を入れることに関して、ノムの方が意欲的だったのもあって、そして私の星読みに対しての苦手意識も手伝って、そのようにした。‬

‪今となっては大正解だったと思う。‬

‪ノムはその回路をますます開いたし、ますますメッセージのセンスが洗練されていって、今もずっとずっと続けている。‬

‪今回2枚目の写真は、この間17日の日にノムがアストロダイスと呼ばれる占星術のサイコロを振って出てきたメッセージ。‬

‪出てきたのは、11ハウス、乙女座、木星。‬

‪そこからノムの中から出てきたメッセージは、‬
「雄大に意しきを拡長し私らしくきっちりと努める。自分が自分のままでいるときあなたはあなたのままでいられる。」

‪今日の水瓶座の「みんなに共感されない自分も大切に。」と通ずるものがあるなぁと感じる。‬

‪さっきノムのブログを読んで、ノムは毎日「おいせさん手帳」にダイスのメッセージやそこにまつわることを綴って、ノムのブログからそのまま引用すると‬
‪「‬この手帳は1年後、唯一無二、
世界中のどこにもないぼくだけのオリジナルの1冊になっている予定。
汚れやシワやシミなども含め、1年かけてひとつの作品作りをしているようで、
紙という、書籍という物体であることの良さを感じる。」
‪と知った。‬

‪超素敵!!!と思った。‬

‪私はもったいなくて手帳には直接何も書けなくて、もう1冊取り寄せようかと迷っているうちに、アストロダイス用の記録簿として無印の100円のフリー手帳を手にし、さらには今の職場から超キッチリとしたビジネス手帳を「ご自由にお取りください」BOXからゲットして、手帳はそれを今年は使うことにした。‬

‪手帳というよりも、日々の記録簿として使う。‬

‪ということになって、「おいせさん手帳」は一生の家宝のように大切に保管することとなった。‬

‪でも、ノムのその言葉を見たら、その使い方が超羨ましくなって、どうしようかと心がまた揺らいだ。‬

2020年1月17日金曜日

⑵【おいせさん手帳】心を取り戻す日






おいせさん手帳第2回目。


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1月17日

自分の今ある命に想いを馳せましょう。
心を取り戻す日

年明けの慌ただしさから日常に戻る頃です。都合の悪いことが起こると、どうしても考え方が後ろ向きになりがちです。そうした時は過去の自分からヒントをもらいましょう。過去に困った状況が今何とかなったのなら、何とかなった事をたたえましょう。何とかならなかったとしても、今現在も命が続いていることがすでに奇跡です。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



今回のものは、かなり意図して書いた。

日にち的に正月気分は抜けて、そろそろ日常モード全開になる頃だろう…と想像しながら書いた。

何でこんなことを書いたのか、その時に思いついたエピソードだったのか、今回思い出したものなのか、記憶は定かではないけれども、それを書きたい。




何年か前のそろそろ新年度を迎えますという頃だった。

私はお茶会と称した少人数でおいしいお茶なりスイーツなりをいただきながらおしゃべりする会を企画したことがあった。

どこかを探せば当時の案内文が出てくると思うけれども、それを見た当時仲良くしていた女の子から、小さなリクエストをもらった。

今でも鮮明に覚えているぐらいのやりとりで、今となっては彼女に感謝しかない。

私の当初の企画文句は、新年度を迎えるし春だから、何か新しいことを、小さな何かでも良いから、こんなことをしたいなということを何となく話す会にしようとしていた。

その子はそれを見てこんな風に言った。

「それもいいんだけれどもね、そのことより新年度って色々入れ替わりとか変化がどうしてもあって落ち着かないから、その落ち着かない気持ちや周りに気後れする気持ち、ゆっくりしたい気持ち、ホッと一息つけるもの、そういうものが入っていたら嬉しいな」

その言葉は胸の奥に静かに響いた。

ハッともさせられた。

「動」のエネルギーに目が行きがちな私に、その子は「静」のエネルギーを教えてくれた。

動くことよりも休むこと。

前に進むことより立ち止まること。

ガツガツと何かに向かって動くことよりも休息すること。

そこに私の目を向けさせてくれた。

まだまだかなり休むのが下手くそではあるけれども、かつての私は典型的な「休めない人」だった。

子どもの頃からがんばることや努力することはたくさん訓練されたおかげで、どんなに過酷だろうがどんなに高すぎる目標だろうが、それが本当に自分がしたいことなのかどうかも考えないままにそうしたことを自然にやってしまう、そういう癖を持ったまま大人になった。

26歳の時、「うつ」の診断が下ったその頃、私は1人で全部抱え込んだ。

他の人に迷惑はかけられないと思ったのと、大切ではあるけれども過度な正義感と、仕事はきちんとやらなきゃいけないという責任感と、そうした諸々が違う方に働いてしまった。

いつからか一切笑わなくなった自分を見て、「何かがおかしい」と思った。

感情がなくなったみたいになって、自分ではきちんとしているつもりでも小さなミスが増えまくって、そのミスする時というのが記憶が抜け落ちてたりボーッとしてたりで、いよいよ本当にまずいと思って、それで精神科を受診した。

今ならわかるけれども、私がする必要のあったことは、動くことよりも休むことだった。

自分を責めることよりも自分を労ることだった。

私は30代のうちの3分の1はニートや引きこもりをしていたと思う。

最後の時は常に親がいたから、親から見て私は好き勝手にのんびりしているように見えていたようで、よく2人から「楽している」と非難された。

ちなみに、ニートは全く楽じゃない。

たしかに自分のリズムで動けるかもしれない。

だけど、自分がずっとこのままならどうしよう?という巨大な不安や、先の見通しどころか明日さえもどう生きるのかわからない自分と嫌でも付き合わなきゃいけないことへの心の負担とか、何も決められないことに対する焦りとか、周りと比べても仕方ないと自分に言い聞かせても比べてしまうこととか、親でも友達でも何か言われる度にそれに激しく反応してしまう自分とか、とにかく苦手満載な事柄や苦手な部分の自分と付き合わないといけなくて、全然楽な気持ちとは違っていた。

焦りと不安は常にあったし、自己否定や虚無感も色々沸き起こりまくりだった。

そう、だからいくら形だけは休みの状態にあっても、私自身の心の中は全くもって気が休まらなかった。

今、普通に派遣の仕事をしていることの方が気持ちは楽だったりする。

自分で見つけなくても仕事なり役割なんかがどんどんもたらされるというのは、ある意味楽チンで、人生の重たいテーマからは遠ざかることができる。

そして、そういう形に慣れている私は、動いている方が心が休まるタイプだというのも知っている。

何かしていないと落ち着かない私には、動くことよりも休むこと、それも本当に心から休むことの方が難しいってよくわかる。




そんな自分自身を思って、今日という日を「心を取り戻す日」とした。

正月モードも消えて日常に戻る今くらいは、ガツガツと動くよりも自分をそっと労って、自分のためにゆっくりしたり、リズムを取り戻したり、はたまた何もしないことを自分に許したりしたいなぁと夏の終わりの私は思った。

いつかその女の子が教えてくれたみたいに、動のエネルギーではなく静のエネルギーを自分のために大切にしたい、そう思った。

一応何日か前に月蝕があったり、年明け早々強烈な星配置なのは知っていたから、それって個人にとってどう出るかはわからないけれど、少なくとも後ろを向きたくなったり立ち止まりたいのじゃないのに立ち止まったように感じてしまうかもしれない、はたまた色々空回り的なこととか。

そういう状況になるかもしれない方だった時に欲しい言葉や欲しい知恵を想定して言葉を紡いだ。

後ろ向きそうな時に、過去の自分から力をもらう、それって自分から力や元気を引き出せる究極の方法で且つ確実に1人でできる。

そういうメッセージを、未来の自分に届けたかった。




なんと、これを書いていたら、友達から「Amazonに注文してたのが届いた」と写真付きで連絡が来た。

まさか自分の書いたものを友達が未来のいつかに注文してまで取り寄せてくれて、それを自分の書いた日の分をブログにアップしようと下書きを書いている時に「届いた」と友達から連絡をもらってその話をするなんて、そんな未来は1ミリも描いたことがなかった。

とっても粋だなと感じる。

余談だけど、この友達が2人目のAmazon注文取り寄せの友達で、2人とも何軒か書店を回ってくれた!!!

それだけでも感動!!!

そして、想定外だったのは、おいせさん手帳の話を男の人たちとしかしていないこと(笑)。

ノムとミッチー(ノムの恋人)はもちろん、Amazon注文してくれたのも男友達。

女の人向けかと思いきや、私の周りでは男性陣ばかりに人気が集まっている(笑)。

冒頭の写真は、友達から。

2020年1月16日木曜日

仕事日誌:機密なやりとりの向こう側

大真面目に仕事に超集中して取り組んでいるけれども、相変わらず想像力というか妄想力が暴走しがちだから、そういうのは止まらない。

とりあえず、年明けからずっと英訳、英訳、英訳で、ひたすら英訳に明け暮れている。

60枚強のパワーポイント(講演会なんかでプロジェクターに映し出されるような資料)2本とか、1枚ものでも日本語がわけわかめなのが不定期にやってきたりとか、まぁとにかく色々くる。

人とほとんど話すことはないけれども、英訳が絡めばどうしても話すしかなくなる。

社内で話す相手の割合は95%男性と、他の女性たちがキャーキャー楽しそうにしてるのに、私1人だけ男性相手みたくなっている。

今日初めてちょっとだけ(多分2分か3分)、可愛い女の子2人と話せて、それだけで心が潤った(笑)。

例の100本ノックですか?みたいな、パワーポイント資料は、本当に聞かなきゃわからないもので、相手の都合も押し倒して聞かざるを得なかった。

今回の担当者は、本気のイケメン男の子で、真面目にジャニーズにいそうな顔をしている。

顔といい笑顔といい、とにかく可愛らしい顔をしている。

間違いなくお父さんとお母さんは美男美女確定な遺伝子の顔をしている。

肌もきれいだし、髪の毛もきれいな髪質で、私のボサボサ加減とは男女が逆転している。

真面目な子で、私の細かい質問にも嫌な顔1つせず答えてくれるし、抜け道がある時はその抜け道に賭けよう!と早速悪い提案ばかりする私にニコニコしながらそうしましょう!と言う。

本当に良い子で、世の中のカップルたちは、こういう流れで仲良くなって付き合うんだろうなぁなんて、やりとりをしながら思う。

そのジャニーズ系美男子を今日は午後に30分ほど、そして現場に行くからということで17時以降約束、17時少し前にわざわざ私のところにやってきて「5時10分からでもいいですか?」と断りに来てくれる。

実際にその後は1時間半弱ジャニーズ系美男子を独り占めして、ひたすら中身の確認をした。

明日締め切りで、超ギリギリのところにいて、明日はほぼ現場に出ているとのことで、でもどうしてもわからなければ聞かなきゃいけないから、もし不在なら机にメモ置いておくのでそれ見たら私の席に来てもらえませんか?とお願いした。

とかいうようなことを一通りやってみて、私は色々と思いを巡らせた。

悲しいかな、ジャニーズ系美男子とやりとりした時間は、すでに私の中のひと夏のある人とのやりとりの時間を大きく上回った。

しかもジャニーズ系美男子とした細かな仕事の確認作業も、もう当然時間も内容も100倍は違うかと思うくらいに、たくさんやりとりをした。

もし同じことをその人とやれたとするなら…、と仕事中何度考えたかわからない。

上目遣いはしなくて済んでいるけれども、同じ目線の高さで話はする。

ジャニーズ系美男子が使う文房具も爪の形も腕の毛の生え具合も見放題だったりするけれども(←もちろん仕事中)、全然萌えない。

どういうわけかジャニーズ系美男子は今日半袖の制服を着ていて、手から肘までのところが丸見えだったけれども、私はそれを見て「〇〇さんの腕はもっと太かったな」と思った。

背の高さは多分同じくらいだけど、ジャニーズ系美男子は長谷川博巳とか西島秀俊みたいな体型に近くて、その人とは違う。

ジャニーズ系美男子を独り占めして見れれば見れるほど、そしてやりたい放題質問したりつっこんだりできればできるほど、こういうことをその人としたかったなぁと思った。

お互いの席を行き来するとか(ちなみに50メートル走が出来そうなオフィスの中で、端と端くらい離れている)、いなかったらメモ残すとか、専門用語聞いて私がわかるまで説明してもらうとか(ちなみに聞いてもちんぷんかんぷん)、もしその人とそれができたのなら、超萌え萌えだったなぁと思う。

何せ立ち膝で30分以上やりとりしていたら、ジャニーズ系美男子の上司がそれ見て、「おまえ気を利かせろ!あっちにテーブルと椅子があるんだから、まだまだあるんならそっちでしてやらなきゃ彼女がかわいそうだ」と言ってくれて、テーブルまで移動した。

そこはミニミーティングが開けるようなところで、ましてや残業タイムだから周りに誰もいなくて、まるっと2人だけの空間みたいになっていた。

そこで1時間弱はいたと思うけれども、真面目に仕事しつつも、もしこれがその人との時間だったなら私はどんな気持ちでその場にいてその時間を過ごしたんだろう…なんて思った。

今日何十回と印刷物を取りに行った時のある1回の時のこと。

もう時間は戻らないだけじゃなく、未来も重ならないんだと、それを突然思って呆然とした瞬間があった。

私は週末に、初めてその人の電話に電話をかけてみた。

出ないだろうことも想像したし、使われていない可能性も考えたし、思ったことはいくつもあった。

そんな風に電話をとりあえずかけるチャンスは生涯で一度きりなのも覚悟した。

電話をした理由は私の中にはきちんとあった。

口実と言ってもいいかもしれない。

あまりの喉の不調具合に、私は大真面目に癒しのレシピを作りたいと思った。

その人に向けたものを作りたかった。

それの了解を取るのと、それを口実にもう少し簡単に連絡が取れないかを打診することと、ただでさえ誰の番号かもわからない番号で取ってもらえないことを百も承知で、最初で最後の電話をかけてみた。

何度もかけるマークの電話のボタンを押せなくて、幾度も幾度も迷って、やっとかけた。

腕時計の秒針を見て、30秒経つか経たないかを見て、呼び出しを止めて電話を切った。

うん、わかってた。

出ないってわかってた。

そう思う気持ちと残念に思う気持ち、もう繋がらない現実とそれに対しての究極の絶望感と、色んな気持ちが一瞬出たかと思うけれども、何もかも認めたくなくてすぐに色んな気持ちや思いを打ち消した。

もうどんなに自分が訴えても、繋がらないんだと、繋がりたい気持ちだけでは繋がらないんだ、と小さなコピー機の前に行って印刷物を取った時に思った。

世の中には努力してもどうにもならないことがある。

悔しいけれども、それが本当だからどうしようもない。

ジャニーズ系美男子とやりとりして、もし私が本当に相手のことを想うのならば、そんな超機密なやりとりを異性としているなんていう状況を知ったのなら、居ても立ってもいられないと思った。

その状況は、たとえ何もなくても心中穏やかに過ごせそうにもない。

私なら連絡を入れてでも、関係を一歩でも二歩でも前進させる。

とにかく自分の存在をアピールする。

自分が相手の中から消えないように、自分のことをアピールする。

その人にとっては、私はそういう対象じゃないのだろうと思う。

ブログは気になっても、私が気になるのとは違うみたい。

ジャニーズ系美男子にはガツガツと自分の希望をあれこれ言えて、図々しいことも山ほどお願いしまくりだけれど、そういうことも気にならないんだろうなぁと思う。

職場の男性陣から相手にされることは全くないにしても、そんな異性とばかりやりとりするなんて、もし私が相手に本気なら耐えられない。

とにかくそういう存在とはかけ離れているようだし、別に私が同年代の男性陣たちとたくさんやりとりしていても気にもならなければ、何でもいいんだろうと思う。

一緒の職場で働いていた時の比じゃない。

当時も多少は男性社員とやりとりする係があったけれども、あんなのは今のところと比べたら20分の1程度と言ってもいい。

今はその何十倍と超密なやりとりをしないと、私の仕事が完成しない。

こういうのを縁がないと言うのだと思う。

私がどこで何をして誰といようと、そんなのはその人には関係のないことで、どうでもいいことなんだと思う。

ジャニーズ系美男子と長時間やりとりしたところで、「だから何?」状態なんだと思う。

見えないところでは繋がれても、見えるところは何も繋がらない。

出逢いの部分だけで、すべての運を使い果たしたのかもしれない。

そして、別々の世界に生きること、それがまるで正解と言わんばかりに自分の現実には広がる。

重なり合わない縁。

寂しいの最上級はそれだと断言できる。

英訳でも何でもがんばるけれども、その先には繋がらない現実だけがひた走っているかと思うとやるせない。

今でも繋がりたいと思っている私の願いは、いつか昇華してくれるんだろうか。

いつかの未来は、縁のないことをもっと温度低くそうだよねと心から納得できるようになるんだろうか。

もう、すぐ近くで生きることはないんだと思うと、今の私はまだどうしていいのかわからない。

縁がなくても気にならないぐらいになれたのなら、御の字だと思っている。

2020年1月14日火曜日

⑴【おいせさん手帳】不都合からの贈り物



ノムの手帳メモより(青字の部分)
「おだやかに心のおもむくままにコミュニケートすることで自分のもつよき質が生かされる。それは自分にとってもあたらしくイキイキしたコミュニケーションとなる。」



〜ノムより〜
「記念すべきぶっしーのファーストデイはこんなダイスがでたよー。活字になっているとぶっしーだけどぶっしーじゃない人のメッセージみたいだなあと思った。そして、ぶっしーが魂的なご縁などを日常的に感じているからこその言葉だなと思った🤗🌟」





占星術講座を縁として知り合った友人ノムから誘われて一緒に取り組んだ『おいせさん手帳』。

ノムや私が担当した日に関しては、そのメッセージを掲載して、何かしらウラ話なり今の話なりをしよう!という試みの第1回目。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

1月14日

必要なものたちをあなたの人生に残す。
蟹座月蝕後の今

11日に月蝕を迎えた頃より、人生において必要なものを残す流れに入ります。それはあなたが今生生きていく上での大切な何かで、魂的なご縁や出来事が運ばれてきやすいタイミングでもあります。一見、自分にとって不都合なことが起こったように感じても、それはこれから先の人生において絶対的に必要な礎の一部となるでしょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



原文のまま掲載しても良いものか、編集の担当者に確認していないから、今後その部分は差し替えて写真の文章にするかもだけど、本当に最終原稿として提出したのは上の文だった。

そもそもが、すでに出版された2019年版の手帳の中身を一部入れ替えることになって、入れ替え分をノムと私が担当することになった。

最終的に、その大元のメッセージの文体に合わせるために、ノムと私の書いた文章は文末が変更された。

編集担当者のAさんというのが本当に素敵な方で、そうした細かな変更もきちんと説明して2人の承諾を得てからする方だった。

そして、極力ノムや私が書いた文章が変わらないように、本当に丁寧な変更をしてくれて、本音を言えば自分たちの最終原稿の形の方が好きは好きだったけれども、色んな兼ね合いを見てその中の最上を選んで形にしてくれてるAさんの在り方を見て、そこにノムも私も異論はなかった。

2人で、いつかもし自分たちで書けるのなら、その時はこういう文末も含めて自分たちが100%納得できるものを書きたいね、と話した。




私とノムが書いていたのは、2019年のお盆が終わったくらいから秋の十五夜お月様ぐらいの9月の半ばだった。

Aさんから予めこの日の文章を書いて欲しいと日にちの一覧表がノムに手渡された。

それを見て、満月新月や太陽が牡羊座から牡牛座に移動みたいに星座移動する日なんかを中心に星関連と関わっている日をまずはチェックして、残りは日本の節気や「〇〇の日」みたいなのを書くことになった。

割り当ても適当で、ノムも私も特別こだわったとかいうのはほぼなくて、じゃあ1月14日はぶっしーね、みたいな感じで決めていった。

一応手元には、占星術講座の先生からもらった天体の運行表はあるけれども、そんなの見たところで未来予測ができるわけもなく、当時の私は「月蝕を伴った後の話」をそれとなくしてみよう、ぐらいな感じでしかなかった。




ノムと1/13話した時に、2人で本当に不思議だね〜と言い合った。

ノムがちょうど読んだ占星術系のブログで、1月12日(満月の翌日)は山羊座のある1点に5天体集まっていたんだよと教えてくれた。

内訳は太陽、水星、土星、冥王星、セレス。

公転周期はそれぞれ、
太陽…1年
水星…90日弱
土星…29年
冥王星…249年
セレス…4.6年

こんなにもバラバラの公転周期が、360度ある中で全く同じ度数の位置、それも山羊座という社会的にきっちりと整えます!みたいなテーマの星座のところに一同集結とかして、本当に空から注がれる星のエネルギーが強烈すぎる。

字のごとく、「強くて烈(はげ)しい」。

1月11日…蟹座で月蝕(蝕を伴った満月)
1月12日…5天体が重なる

どちらも、占星術的にはものすごく強いエネルギーが注がれていて、それがどういう出方をするかは個人個人違うけれども、やっぱり強烈は強烈になりやすい。

私のように浄化的な意味合いで具合が悪くなる人も多いし、ノムはメンタル的に不安定になったと言っていたけれども、メンタル方向に来た人もいて当然だと思う。

星の流れを見たらその通り!って流れだから、今身体なり心なりがイマイチな人というのは星の流れにピッタリと沿っている、と私は思う。

あと、蝕に関して言えば、「ご縁」的なものが運ばれやすい配置ではあるけれども、ご縁=良縁とは限らない。

悪縁とは言わないけれども、けっこうしんどいものが来る可能性もゼロじゃない。

そんなところまで細かく星読みをしたのとは違うけれども、たとえ一見悪そうなものや苦しくなるものがきても、それも大事なもので後々の大切なご縁に繋がるよ!という意味を私は込めて、今日のメッセージを書いた。

例えばこの体調不良なんかは決してありがたくないし、不調よりも元気な方が絶対にいい。

だけど、不調になったことで、そしてそれがどうやら毒素を抜いたり心にとって苦しくなるものを和らげるための浄化の意味合いでなってると知ってそれをノムに言ったら、このお茶がいいよって某メーカーのどくだみ茶を教えてもらった。

そのお茶はいくつかのことがシンクロしていた。

何がどうシンクロしていたのかノムに伝えたら、真夜中の3時に目が覚めるとノムからLINEが入っていた。

「◯◯さん。おまもりみたいだね💖」

真夜中の3時に目覚めることは全くテンションの上がることではないけれども、ノムからの短いメッセージは真夜中の贈り物みたいだった。

ノムのその言葉は本当に嬉しくて、その言葉だけで私は救われた。

たった一言でノムに言って良かった!と心から思った。

自分のニート状況や経済状況、その他諸々の過去の武勇伝並みの色んなすったもんだ話は色々ノムに言ったけれども、その人のことだけは起承転結がないどころか、あまりにもツッコミどころ満載な上に、伝えても何を伝えていいのかも何を自分が伝えたいのかもわからなくて、ほぼほぼずっと触れずにきた。

そのことが気付けば一番言いにくいものになっていた。

理由はたくさんあるようで、でもいざ言葉にしようとすると説明すらできないみたくなっていて、ずっと華麗にスルーしていた。

ところが体調不良からのどくだみ茶の、どくだみ茶からのシンクロの、シンクロからのノムへの◯◯さんの種明かしとなって、そしてそこから先はノムから上に書いた素敵な言葉をもらった。

ノムに言いにくかったとか、ノムが何か変な反応するかもという心配をしていたとかじゃなかった。

私が話さなかったのは、そのことだけは絶対に自分が守りたいもので、たとえ小さなことでも万が一自分が傷つくような何かがあっては嫌で、それを避けるためなら話さないのが一番って考えてたんだな…って、ノムの言葉を読んで思った。

ノムの言葉を読んで、ノムは絶対にそうやって相手を傷付けたり哀しみをもたらすようなことは言わない人だって知っているのに、それよりも自分の中の恐怖が先立っていたんだと気付いた。

自分の中でもギリギリのところで一生懸命守っているから、そこが崩れるのが嫌で、そこだけは絶対に守りたい、知らず知らずのうちに何よりも大切にしているんだと気付いた。

そんなギリギリの自分に、ノムはそっと言葉のお守りをくれた。

短い中にギュッとやさしさがいっぱい詰まった愛ある言葉がやってきた。




「一見、自分にとって不都合なことが起こったように感じても、それはこれから先の人生において絶対的に必要な礎の一部となる」

本当にその通りで、例えば体調不良なんてのは「不都合」に分類されるけれども、そのおかげでノムからの素敵な言葉の贈り物が届いた。

もっと大きな視点で言えば、ノムと私とが知り合うこととなった占星術講座というのは、2人それぞれの大元を辿れば「生きづらさ」が根底にある。

もし2人それぞれ生きづらさなどあまりなく、そこそこ社会に適応できて、仕事も自分の心の中も安心できる状態であるなら、ノムも私も星を学ぼうなんてそもそも思わなかったと思う。

生きづらさを緩和できる材料、自分自身をより良くもっと深く知る手段をあれこれ探しまくった先の1つに占星術があって、それがどういう因果か同じ時にちょうど入門編を取ろうと考えて、そして私たちの先生もちょうどのタイミングで初級講座を初めて(そしてもしかしたら人生でただ一度きりの)開催する運びとなって、そこでノムと私は出会った。

生きづらさだって好都合か不都合かの二択なら、間違いなく不都合になる。

だけど、その不都合が自分にとって必要なものや必要な出会いをもたらす。

不都合に耐え忍ぶ時期ははっきり言ってしんどいけれども、それは後に大きな恩恵やワンダフルな奇跡に導かれる予兆だったりする。

絶不調の時に明るい未来なんて描けないけれども、それでも時が来れば奇跡は起こる。

「時が来れば」の「時」は、自分では決められない。

私のお気に入りは「神々の審議会」だけれども、神でも仏でもご先祖様でもハイヤーセルフでもサムシンググレートでも天界でも何でもいい、人間の力が到底及ばないところからそういう瞬間はもたらされる、そんな風に私は感じている。




今回のおいせさん手帳はまだまだたくさん楽しみがある☆♪*:.。.٩((*⁰▿⁰*))۶.。.:*♪☆

とりあえず、ノムと毎回振り返り的なことや検証をしたいねーと話している。

「ほんと、こんな風に今年一年を手帳とともに過ごせるってすっごいありがたいことだよね。おまけギフト!  これもぼくたちが、自分の意にそう形の原稿にできたからだし、いっしょに取り組んだからこそだよね。ひとりで、仕事、とやってたらたぶん一度開いて終わりだったかも。17日(←次回おいせさん手帳メッセージの日)たのしみだなあーー。」

ノムからこんな風にLINEが来た。

そして、別件で男友達と電話したら、「ぶっしー、手帳探したけれど、どこにも売ってないんだよね〜。Amazonで買おうかと思ってたとこ」と教えてくれた。

別の男友達もそんな風にわざわざ連絡をくれて、女友達は「良かったね!」止まりだけれど、どういうわけか男友達は少なくとも2人はわざわざ何軒か書店巡りをして、本気で手帳探しをしてくれてる♪٩(๑ᴖ◡ᴖ๑)۶♪

福をもたらす手帳に早速なっている!

1冊の手帳が色んなストーリーを連れてくる。

ここから先、どんなストーリー展開になるのか楽しみ♪

2020年1月13日月曜日

喉の不調

マヌカハニースプレー
↑下の写真のマヌカハニースプレーのサイト
Amazonや楽天でも出ています。

 
友達イチオシの
マヌカハニースプレーとキャンディ

マヌカハニーのカタログ見本

マヌカハニーキャンディ

マヌカハニーキャンディは
KALDIに売ってるとのこと





またおかしな試みをしようと計画している。

昨日(1/12)友達と会っていた。

私のこの元日以降の体調不良について、色々と話して、そのヒントも一緒に考えてもらって、それでいくつかすぐにできることを試している。

いつも以上に頭のおかしな人みたいな話だけど、大事なことだと思うから書いていこうと思う。








想像以上に長引いている喉の不調に何日か前から違和感を覚えるようになった。

これ本当に私だけの体調不良なの?と思うようになった。

とにかく喉1点だけがひたすら不調、それも鼻にこなくて喉だけというのが、私に前例がない。

そして喉にずっと痰が絡む感じや内部が炎症起こしてる感じ、何か詰まってるような違和感が、私の身に起こってはいるけれどもとにかく前例のない症状で、「何かが変」といつからか思うようになった。

「何かが変」というのは、体調が変ということではなく、現象や「何かピンとこない…」となる時の「何かが変」という感じ。

体の不具合が咳を含む喉1点に絞られた時、もしかして…と思ったことがあって、ペンジュラムに聞いてはいた。

ペンジュラムはYESだった。

でも今回だけは、自分の私情が入りまくっている感も否めなくて、ペンジュラムの答えも半信半疑だった。

だけど多分遠からずな内容でもあるんだろうなぁ…と思った。

だから、昨日会った友達から見てもらおうと思った。

彼女には私情がないから、彼女のペンジュラムはきちんと判断してくれるだろうと思って、それでお願いした。

ちょっとだけ語弊がある。

判断をお願いするまで私の中に迷いがあった。

そもそもがおかしな発想で、それを口にすることさえ躊躇(ためら)われた。

でももし私の予想の通りで、私のペンジュラムの答えの通りなら、普通の喉の不調とは違うから、それ相応の対応を考えないといけないし、普通の治し方とは違う。

対処療法では絶対にダメで、根本からのケアが必要になる。

とにかく頭がこれまで以上にぶっ飛んだ質問を友達にして、友達のペンジュラムに聞いてもらうことにした。

基本的にこの友達に聞く時は、最初は質問は言わない。

ただYESかNOを見てもらう。

まず、浄化のための体調不良にはYESが出た。

友達に質問が何かを伝えて、今度は私が両手を友達の前にかざして、その上でペンジュラムがどう出るかを再度見てもらった。

そちらもYESと綺麗に出た。

友達はその時に、悪い感じは全くないけれども、自分の右手から腕・肩を通過して左手にかけてピリピリしたと言って、普段そんな風にはならないから、だからこれは間違いなく浄化ということだろうね〜と言った。

次に、これが私個人を原因とする体調不良なのかを聞いた。

NOだった。

やっぱりそうなんだとわかった。

細かなことは書いてたらキリがないから省略するけれども、私が自分のペンジュラムで聞いてたことと友達のペンジュラムで聞いてもらって全く同じ答えを得たところから話を続けたい。

私は今回の異常なほど長引いている喉の不調は、ある人が関係しているんじゃないのかと思っていた。

不調なのは確かに私だし、私が喉に痛みやら違和感やら咳やらを体験しているのには違いないけれども、これが私のことだけなら相当おかしいと思った。

というのも、私の場合、心と体が基本的に連動しているから、心の癖や子どもの頃からの思考パターンなんかに気付くと、基本的には体から余計な力や毒が抜けるようでその後はかなり早いスピードで回復に向かう。

今回もいくつか大きな癖や過去のしこりになって今に続いていたものに気付いたけれども、いくら気付いても快方に向かわず、それがとっても変だった。

しかもとにかく「良くなった」感じが全くしない。

微々たる回復は見られても、そんなにも体調不良が停滞するのは人生初に近いと思う。

そんなこんなの条件が重なりまくって、ある時に「もしかして、これ私の不具合じゃなくて、〇〇さんの不具合が関係しているんじゃ!?」と思った。

その〇〇さんの不具合をもらうと言うよりも、その人の不具合と同じことが私に起こっているか、もしくは本人には起こらず私が身代わりのようになって私の身体に起こるのを体験するか、その辺りはよくわからないけれども、とにかくそのような可能性があるように感じた。

どれだけでも頭の狂った話だし、本気で狂気の沙汰だと思うけれども、色んなことを総合的に判断すると、そちらなのかな…という感じだった。

ちなみに私にとっては初めてのことじゃない。

過去にも別の症状を最低でも2種類何回か体験していて、その時はどちらが先か忘れたけれども、調べて知ったのか、情報を先に知って体験が後かは忘れたけれども、このような情報を知った。

私が手にした情報によると、ある形の魂の関係ではそうした体調不良が片方に起こるともう片方にも起こったり、はたまた本来不具合が出る予定の者ではなくもう片方が肩代わりするように体調不良を体験することがあるこということ。

それの真偽や立証はできないし、私だってそんなおかしなことが普通に起こるとは思わない。

だけど、体の不具合が先に来て、それが感覚的に自分の体調不良バージョンとは違うと知って、とにかくそれを知れば知るほど、通常の体調不良ではないんだろうなぁというのはこれまでも思っていた。

だから、そうだとわかる時、私はいつも以上に自分の体を丁寧にケアする。

そんなことが届くのかは知らないけれども、相手が快方に向かうことをイメージして自分のこともケアする。

で、今回のこの喉に集中した体調不良は、友達のペンジュラムから、〇〇さんも関与していることにYESと出た。

友達も色々一緒に対策を考えてくれて、覚えている限りのことをここに記しておきたい。

実際に聞いた順番は違うけれども、何もメモも取らずに聞いていたから、思い出せた順に書いていこうと思う。


【医者にかかって治るものではないこと】

私の体感覚的なイメージとして、これまで出せなかったものが外に出ようとしている。

今、体は全力でずっとわだかまっていたり、しこりとなってつっかえていたものを取り除こうとしているのに、ここで医者にかかって抗生物質を処方されて、それで菌を殺したのなら意味がない。

菌と言うよりも、心の奥深いところにあったものが浮上しようとしているから、その動きを妨げるのではなく、それを後押しするくらいのことが必要になる。

だから身体はしんどいけれども、あと少しな感じもするから、このままずっと溜め込んでいたものを体に宿る自然の力で外に出すのが正解だと思うから、自分の治癒力に賭けてみたいと思う。

あと、これは友達に指摘されてなるほど納得!と思ったことが。

今回の体調不良というのが、どういうわけか仕事に行くだけの体力はあって、だから仕事は穴を開けずに行けるけれども、家に帰ってきてからまた翌朝仕事に行く前までの時間だけが一気に具合が悪くなるパターンをずっと繰り返している。

眠れないほどの咳は、夜にしかならない。

日中はゼロとは言わないけれども、本当に仕事中に咳していた日は1日くらいなもので(それも時々)、あとは家にいる時間に集中的に出ている。

友達がそれを聞いて「その仕事にギリギリ行けるというのが、〇〇さんの状況そのものも表している気がする」と言った。

たしかにそうで、一緒に働いていた時、その人は休まない人なのか休めない人なのかは知らないけれども、とにかく休まなかった。

責任感も強いし、立場も立場だからおいそれと休めない状況もあったにしても、とにかく休まない。

仕事に差し障りのないように、私の体調不良も発動するという、何とも不思議な体調不良が続いている。

でもそれもその人の普段の仕事に対する姿勢を思えば、まさに仕事には行けるぐらいのギリギリのところで体を張って、それで仕事から解放されると一気に気が緩んで体が悪くなる、そのパターンがその人みたいだな…と思っている。


【オルゴナイトによる治療】

オルゴナイトを使って何とかするのもありだとなって、それも友達がペンジュラムで確認してくれた。

友達は私の手元にある2つのオルゴナイトを前にどう使うかをペンジュラムで聞いてくれた。

友達にオルゴナイトを最初に紹介したのは私だけど、この友達こそオルゴナイトフリークで、オルゴナイトを使って色んな身体のケアや心のケアを実践している。

風呂の中に入れてみたり、身体に直に貼り付けたり、手のひらにおいてエネルギーの流れを感じたり、とにかく色々とやって良かった方法をあれこれ教えてくれる。

友達は2つのオルゴナイトを前に、それを私の喉の治療に使うかどうかを聞いてくれた。

そうしたら見たことのない斜めの動きが出て、友達も「なんか〇〇さんが絡むと毎回おかしな動きをペンジュラムがするから、1個ずつ聞いてみるね」と言った。

それぞれのオルゴナイトは、個別に治療に使う使わないを聞いたら、YESと出た。

私の方のは喉にYES。

だから喉に貼り付けることに。

もう1つは、喉だとNOだった。

そちらは喉によく効くとされる天然石が中に入っているけれども、なぜか喉の効能は特にない私のオルゴナイトが喉担当で、もう1つは別のところのようだった。

友達から喉には使わないようだと聞いて、パッと「胸」と出てきた。

その後、胸でなければ丹田(へその下)かなと思った。

友達にはどことは言わず、今思いついたところがあるからと言ってとりあえず聞いてもらった。

1つ目にYES、2つ目NOで、胸が確定した。

友達にそうだと伝えたら「それさ、胸とか心の傷みが上に上がってきて、それで喉に出てるんだね」と言った。

言われてみれば、私もそんな気がした。

症状はたしかに喉に出ているけれども、その大元を正すと胸というか心なんだろうなぁと思った。

そしてさらに胸は胸でもどこなのかを具体的に探った。

結果、みぞおちとなった。

私も物理的に「貼り付ける」と考えた時に、みぞおちが一番だなと思った。

直に貼り付けるようで、マイスター実践者の友達に、怪我の時なんかに使う白いテープで貼り付けたらいいと教えてもらった。

※オルゴナイト治療の経過は後半にて。


【命綱】

もはやその人と私は何の関係なのかさっぱりわからない。

それでも友達がとっても嬉しいことを言ってくれた。

「命綱」、友達はそのように言った。

今回の体調不良も、自分ではどうにもできなくて、本人が意識的か無意識的かはさておいても、助けを求めているんじゃないかと言った。

自分で溜め込んだ色んなことが外に出せなくて、SOSのように助けを求めるみたいにして、体調不良という形で出てきているのかもね…、と。

ブログは毎日読んでることがはっきりとわかったと言った。

そうしたら「それってさ、もちろんどんな気持ちで読んでいるかは知らないけれども、むしろどんな気持ちで読んでいるのか聞いてみたいけれども、そうまでして読むというのは、読むと落ち着くとか、自分の中が整うとか、何かしらがあって読むと思うんだよね。〇〇さんにとって、ぶっしーが命綱みたいな感じなんだと思うよ」と返ってきた。

もし本当にそうなら、ものすごく光栄だし誇らしい。

命綱…良い響きだなと思った。


【その他友達オススメ商品】

友達イチオシ商品は、マヌカハニーが入った喉用スプレーだった。

友達いわく、喉の不調にはもってこいのグッズらしい。

すごく効くよと絶賛していた。

健康グッズマニアな友達が言うものだから、絶対に良いだろうとはわかって私は食らいついたけれども、友達から写真が送られてきてさらに「良い」とわかった。

発売元が「生活の木」となっていて、それだけで私の中で「良い品質」なんだとわかった。←基本ミーハー。

この記事のトップのリンク先はマヌカハニースプレーのリンク先。

他にも、一時期大流行した「マヌカハニー」を友達は薦めてくれた。

私は過去に舐めたことがあって、そのクセがとても苦手でそれっきりになっているけれど、友達はそれも薦めてくれた。

マヌカハニーキャンディも。

友達いわく、マヌカハニーやそれ系の飴とかの商品の値段の違いは、基本的にはちみつの純度の違いで、基本は純度が高いものほど高額になるとのこと。


【予告】

当初、その人向けに『癒しのレシピ』を作ってブログにアップしようかと考えたけれども、珍しく何かパッと思いつかず。

それで『癒しのレシピ』だと個人向けになって書きにくいから(ブログでアップするのに抵抗あり)、反対に色々思ったことを普通にブログとして書いたらどうかなと思った。

そこで出てきたのが
・男性性
・中年の危機
の2つ。

男性性と出たけれども、実際に思い浮かんだのは、30代半ばから40代の男性たちから聞いた、外には出さないだろう心のボヤキ。

世の男性の悩みの聞き取り調査をしたのでは全くないけれども、たまたま色んな人たちから色んな話を聞けて、それのボヤキ一覧を箇条書きにしてアップしてもいいなぁと思った。

元々それはいつかのタイミングで記事にしたいとは思っていたから、ちょうど良いと思った。

ちなみに何でそんなことしようかと思ったかと言えば。

そもそもは、ある男性との会話から始まっていて、私からしたらその男性はものすごく内観のできる人だと思うけれども、そんな人でさえも「男」だということと社会の中で男として存在することに対してコンプレックスを抱いていた。

そしてそのタイミングで、別の男友達からも連絡が来て、似たような今度は相談として話を受けて、その時に「男の人たちのコンプレックス生の声」みたいなことをブログに書こうと思った(2019年初夏の話)。

ドタバタしているうちにすっかり今になって、それで今さらだけれど、決して古くはなってないだろう「男の人たちのコンプレックス生の声」を近いうちに書いてアップしようと思う。

今回の喉の主は、絶対に自分から自分の本音や気持ちを誰かに話すなんていうタイプの人ではないと思う。

聞き手募集なんてあったら、私は立候補してその志望動機さえも全力で言葉を尽くして超やりたいアピールをするけれども、今のところそのお役目が回ってくる気配は全くない。

誰でも悩むし誰でも行き詰まりや停滞を感じると思うけれども(武士俣統計)、その人が誰かにそんなことを話したり、冗談でもいいから本音を愚痴のように言ってみたりするなんて想像がつかない。

だから、せめて私は自分が持っている生の情報を公開して、それがどう役立つかなんて知らないけれども、それがもし100ある傷みなり悩みなりが1でも軽減されるようなことがあればいいなぁと思って書こうと思う。

中年の危機に関しては、それと絡めて書くかもだし、占星術と絡めて書くかもだし、ちょっと今のところ「中年の危機」という言葉以外はNOアイデアだから、何を書くことになるかは不明。(書かないかもしれないし…)


【オルゴナイト効果】

友達から教えてもらったオルゴナイト治療を早速試した。

改めてオルゴナイト凄っ!!!と思った。

友達から白いテープを用意したらいいよと言われていたのをすっかり忘れていて、昨日(1/12)はとりあえず喉の方だけ試した。

喉は凄かった。

ガーゼにオルゴナイトを包んで喉に当てたら、その当てている場所にちょうど痰なのか不純物なのかが寄って集まってきている感じがして、とりあえずそこに何かしらが集合してそれらがこれから先外に出ようと準備しているみたいになっている。

もう1つのオルゴナイトをみぞおちに貼りたかったけれども、正月まで姪っ子がよく使っていた白いテープが見当たらなくて、仕方なく朝になってから買いに行った。

貼ってみたら、瞬く間に貼ったところがポカポカとカイロを貼ったみたいに温かくなった。

そのうちに、オルゴナイトを貼ったみぞおちから尾てい骨側にかけてと、みぞおちから喉よりも上にかけてエネルギーがきれいに通るのを感じた。

本来そのようにエネルギーが流れるのが普通だとするなら、随分と詰まっていたんだなぁなんて思った。

私が詰まっているというのも十分考えられるけれども、それよりもその通りの良さを感じて真っ先に、その人が普段どれだけ溜め込んで生きているんだろう…と心配に近い気持ちになった。

そんなの私が心配することじゃないし、そんな立場にもないけれども、本当に表現下手というか自己開示的なことをほぼほぼしないんじゃないかと思われるその人の中で、どれだけのものが溜め込まれていて、自分でもどうにもできないくらいになっているのかな…なんて、余計なことを思った。

オルゴナイトパワーでエネルギーが通りまくった今、それがその人に少しでも多く届いたらいい、本気でそう思っている。

友達がペンジュラムを使ってあれこれ聞いてくれてた時に言われた。

とにかく私が良くなること。

私が良くなることで、連動して相手側にも良い影響が伝わる、そのように彼女のペンジュラムは私に伝えてきた。


【みぞおちからのメッセージ】

みぞおちについて調べていった時に、私の中で響いた言葉。

・自分自身との関係

・自分が選んでいるものが好きではない

そもそもみぞおちというのは、自分と自分の関係を表すものらしい。

だからそこに不調和があるということは、自分自身との関係が上手くいっていない、自分と不調和になっている、と私は解釈した。

そこから派生して、自分が選んでいるものが好きじゃないってしんどいなぁと思う。

その言葉を見た時に、真っ先に塾に勤めていた頃の自分を思い出した。

好きでもない仕事、納得のいかないサービスをあたかも良いものとして営業すること、生活そのもののリズム、働き方、そうした諸々が全く好きではなかった。

それは1日のほぼ全てが好きではないものに我が身を置いていて、その好きではないものたちに囲まれている自分や当時の生活は苦痛でしかなかった。

そして何よりも、それを選んでいるという自分が最高に嫌だった。

その後、私はその生活を180度変換させることに成功するわけだけど、それはいきなり変換できたわけじゃない。

最初は「5分」からのスタートだった。

朝7時に家を出て夜は24時前に帰ってこられたら良いみたいな生活の中で、少しでも自分の好きな何かを日々取り入れるのは至難の業だった。

その「5分」は、苦肉の策で作り出した、お楽しみの時間だった。

地下鉄とバスの乗り継ぎの時間の合間にさっと書店に立ち寄って、5分だけ立ち読みして、もしくは本を手に取って見て、それですぐにバス停に向かった。

当時はその時間だけが唯一日々の小さな小さな楽しみで、そして少しだけ力を抜いてひと息つける時間だった。

それが私の本当に自分の人生を真面目に好転させるためのスタートだった。

それは、好きな食器や箸でごはんを食べるでも、朝1杯のコーヒーをゆっくり飲むでも、お気に入りの寝具で眠るでも、好きな音楽を1曲だけ聴いてゆっくりするでも、なんでもいい。

お気に入りの漫画を読むでも、風呂にゆったりと浸かるでも、ただストレッチをして体を伸ばすでも、本当になんだっていい。

99個の嫌いなものに囲まれていても、たった1つの好きなものを日々の中に意図的に組み込むだけで、時間はかかるけれども確実に何かは変わる。

そして自分のために何かしたことは、自分への信頼や自信へと繋がっていく。

みぞおちのメッセージを読んでいて、そんなことが自分の中から湧いて出てきた。


【浄化オススメグッズ】

ノムにこの体調不良と浄化のための具体的な取り組みの話をしたら、どくだみ茶を紹介してもらった。

ノムいわく、紅茶のような味でミルクティーみたいらしい。

もっとクセがあるのかと思えば飲みやすい上に体にもすぐに効果が出たとのこと。

トイレが近くなっておしっこもたくさん出るし、快便になるよと教えてくれた。

まさに体から毒素が排出される感じだよ!と教えてもらって、写真まできた。

写真見てひっくり返るかと思った。

実は同じメーカーのルイボスティーを私は人からプレゼントされていて、それと同じメーカーのものを今度はノムから勧められるとはゆめゆめ思わなかった。

しかも、そのルイボスティーをプレゼントしてくれた人というのは、今回の喉の不調に関わる魂関係の人の趣味繋がりの仲良しさんからもらったものだった。

ここには書かないけれども、もう1つノムから来た写真とその魂関係の人とに共通していることがあった。

このシンクロに驚きつつも、それもまた今回の喉の不調を主とする浄化に良さそうだから、そちらも注文の予定。


【どうでもいい追記】

みぞおちにオルゴナイトを貼るはいいけれども、私はこれにはかなり抵抗があった。

自分のオルゴナイトなら別にそれでいいけれども、自分のものとして用意したオルゴナイトじゃない。

いつかは人に渡ることを想定して出迎えたものだった。

私に直に貼るとかないわ…と思った。

使用済みのものを人に渡すなんて、そもそもがおかしい。

ところがペンジュラムで聞くと、そのオルゴナイトは断固じて直貼り希望、そしてテープの直貼りは嫌でそこはティッシュでカバーしてその上からテープで貼るという希望だったから、実際にそのようにした。

そこじゃなくて、直貼りの方を何とかしてくれ…と思った( ̄∀ ̄;)。

ただ、今回はそもそも体調不良の緩和を目指していて、しかも背に腹は変えられぬ状態でしのごの言える状況にないからそうしたけれども…。

もうこのまま私のものにしたらいいんじゃないかとも思った。

そもそも、オルゴナイトがものすごいパワーを発揮したものだから、もしかしてオルゴナイトパワー稼働した!?と思った。

製作者の方いわく、持ち主のところに届いて初めてオルゴナイトがその持ち主のためにパワーを発揮するから、今の現状はおかしなことになる。

オルゴナイトいわく、決してパワー稼働してるのではなく(なぜなら私は持ち主ではないから)、オルゴナイトとしての機能を発揮してるだけとのこと。

お店に置かれていた時に、お店を浄化してたのと同じ原理なんだと思った。

具合が良くなって使い終えたら超超超丁寧に洗って磨くけれども、もしいつか手渡すなんていう機会が巡ってくるのなら、きちんと事の顛末を伝えよう。

そんな使用済みなのは要りませんと言われたのなら、私はニコニコしてそうだよねと言って、自分のもとに引き取ろうと思っている。


ノムが送ってくれたどくだみ茶の写真

私がもらった同じメーカーの
ルイボスティー

2020年1月10日金曜日

睦び月の候の徒然〜寒の入りの頃〜





最近の徒然。

とにかく体調不良続行中で、酷い咳が出まくっている。

鼻詰まりになって耳が聞こえないみたいな、プールに入って耳の中に水が入るみたいな感覚が数日続いている。

でも鼻は詰まってなくて、ひたすら喉の炎症と咳なのに、そのような現象で、常に頭がボーッとしたみたいになっている。

そうでなくても普段からボーッとしてるのに、そこにさらに拍車がかったボーッみたいな(←えっ!?)。

鼻も詰まってないのに、耳にモヤがかかったみたいな感覚は、生まれて初めて。

だから喉なのに、なぜか大泣きした時の鼻がツーンとする感じももれなくセットである。

この感覚になる時いつも私は、「本当は泣きたいんだろうなぁ」と思う。

今は泣く理由もないから泣かないけれども、いつだったかあまりにも酷い鼻風邪を引いた時に、「これってどういう意味だろう?」と思って調べたら、「泣きたいのに泣けないから、その代わりに体が泣いた状態に近い状態を作る」とあって、妙に納得した。

それ以来、鼻風邪による鼻ツーンな時は、「泣きたいんだなぁ」と思って見ている。

でも今回は喉なのにその鼻ツーン的な、泣き腫らしました的な感覚で、「なになに?私泣きたいの!?」と変な自問自答をしている。

それに加えて、個人的には「今は本気でやめてください」と思うことの1つに、「ナポレオン体質的睡眠」がある。

何かと言うと、いつからか1日3時間くらいしか寝ていない。

こんなに体が弱っていても眠れない。

どの程度続くかは知らないけれども、もしかして今は自己刷新の時期なのかもしれない。

頭のおかしな発言だけど、「霊的成長」と呼ばれるものを体験する時に、私は基本ある種の不眠症みたいな症状を引き起こす。

今は日々英訳に明け暮れているから、霊的成長的な変革感や刷新感、又は違和感みたいなのは感覚として全くないけれども、出ている症状はこれだから、しかも体調不良のくせしてそれだから、なんか色々普通の単なる体調不良ではないんだろうなぁと思っている。

っていうか、そんな妙な感覚の中でよくぞ宇宙語にしか見えない日本語を英訳できるなぁと自画自賛v( ̄∀ ̄)v。

そうだ、どちらかと言えば「体内の毒素を抜きまくる!!!」が一番近いかも。

長年溜め込んできた自分の思考パターンやクヨクヨパターン、はたまた自己犠牲や自己否定、そういう癖みたいなのに気付いていくようなことが続いている。




で、ゴチャゴチャと体の不具合を書いたけれども、それとこの1年の私のテーマを書いてみようと思う。

そもそも、発熱で元日スタートという、そんな年初め生まれて初めてかもみたいなスタートだった今年。

それ見て「自分のこと労ろう」と思ったけれども、多分自分を労わることが何よりも1年間を通じて大きなテーマになっていく気がする。

ただでさえ書き溜めた諸々の下書きがあるからそこまで書くかどうか知らないけれども、正月から週に2本ないし3本ほどのペースで子どもの頃の自分の感覚を思い出す何かが起こっている。

それがきた時は、ひたすら自分の感覚にだけ目を向けて何をどんな風に感じているかを見るしか基本はしていない。

で、やっとやっとここに来て、ここに来てというのは40歳という人生の時計的にはお昼なのか午後の早い時間なのかに到着して、「自分が本当に感じていること」を見ようとしている。

例えば、仕事の話で言うと。

今週は年末仕事納めの日の終わりぐらいにきた英訳依頼からスタートしていて、それがまた「神ってる」としか言いようのないすごい日本語で、どうしたら「走る」という日本語が「測定する」という意味になるのか、大真面目に聞いてみたい、英語力以前の日本語力以前のもっと別の何かが必要みたいな英訳をしている。

1日半費やしてまずは英訳して、その後設計者に大量の質問をしてもう半日費やしてとりあえず完成させて、今は英語ができる技術者に秘密裏に見てもらっている。

ちなみに英語ができる技術者はスーパー良い人で、この方やそれをアレンジしてくれた女上司にはものすごく感謝している。

とかいう一方で、大元の設計男子に質問に行った時のこと。

きちんと対応してくれたし、私を何よりも優先して対応してくれたけれども、その人の席を離れる際、要は質問が終わってその場を離れる際、私は本気のありがとうも言ったし、また何かわからないところがあればよろしくお願いしますとも言って後にした。

なんだけど、設計男子はお願いしますも、あの神ってる日本語についての「わかりにくかったですね、ごめんなさい」的な言葉も、その超わからない日本語を英訳したことに対してのお礼も、何一つ言わなかった。

私はありがとうと言われたいとか、感謝されたいとか思ってるのとは違う。

お金をもらって仕事してるから、当たり前のことをやってるに過ぎないのかもしれない。

なんだけど、何か一言もないその状況に驚いて、何だそれは!?と思った。

で、その状況を例にして、さっきの【「自分が本当に感じていること」を見ようとしている】の意味に照らし合わせて言うと。

とりあえず仕事だし、その仕事が今できるのはこの世で私しかいないから、仕事を投げ出すとかしないし、任された仕事はきちんとやりたいと思っている。

それは社会人的良識を持った私の側の考え。

でもそうした社会的良識とか仕事上の責任感とか大人な常識人とかいうようなことを全て脇に置いて、単なる1人の自分、1人の人間としてこの出来事を見たのなら…。

単純に「協力なんかしてやらない!」ってなる。

ものすごく面白くないし、私をなんだと思っているの?あなたは自分を何様だと思っているの?と思うし、ねぇこれってさ誰かきちんと専門で英語ができる人がいないと完成しない仕事だよね?自分がそこできないから頼むんだよね?だったらせめて一言何か言おうか?と思う。

男むさい職場だし、「ありがとう」なんて言わないザ・男の縦社会バリバリな、体育会系的な、そういうところにいる相手の環境も想像して理解できそうなこともあるけれども、だからと言って何も言わなくてもいいのはやっぱり違うと思う。

そして、そのやりとりを通じて、「私これに対して多少怒っているし、戸惑っている。何も言われなくて悲しいのと、そんなんでやりたくない気持ちもうっすらとある…」とかいう部分がチラホラ見えてきた。

そう、私がこの1年の自分のテーマだと思ったのは、まさにその小さくしか聞こえてこない自分の本音の部分をいかに掬(すく)い上げて救い上げるかだと思っている。

「本当は自分が感じることに正解も不正解も、善し悪しもない」ってことの意味が、最近ようやくわかるようになってきた。

例えばわかりやすいのが「怒り」。

怒りは超大事な感情の1つに挙げられる。

なぜなら、生存本能に直結するものだし、自分の命が危険に晒(さら)されているのに、怒りはダメだから押し殺しますみたいなことしたら、絶対に何かがおかしくなる。

喜怒哀楽と言うくらい、怒りそのものは4大感情に数え上げられるわけだから、本来は喜びや楽しみと同じくらい重要なもののはず。

ところが大人になる過程や大人になって社会という中に身を置く中で、例えばわかりやすいのが「人前で怒るのは良くない」とか、「怒りをあらわにするなんて感情のコントロールができてない証拠」とか、そんなの誰がいつどこで決めたの?と思うようなことが超当たり前に社会の中で、それは家庭という社会の一番小さな集団の単位でもバリバリ発揮されていて、そんなこんなしているうちに「怒りは悪いもの」になぜか格付けされてしまう。

感情の勉強や心理でもスピリチュアルでもガンガンと自分の気持ちを見ることをやりまくって、「怒り」の大切さを知った。

基本的に自分のために本気で怒れるのは自分しかいない。

時々ものすごくラッキーなことに他者が自分のために何かに対して一緒に怒ってくれたり、なんなら私以上に怒ってくれたりすることもあるけれども、あれはいわばオマケのようなもので、本来は自分しか自分のために全力で怒ってくれる要員というのはいない。

だから、怒ること、自分の中から怒りをきちんと引き出してあげるのが大事なんだけど、もう長いこと「他人の前では極力ニコニコ、怒りを他者に向けるなんてのはいけません」というのを頑なに信じてやってきたものだから、そんなにすぐのすぐには自分の癖は抜けない。

その癖になっていて、自分の気持ちが無視されていたり蔑ろ(ないがしろ)にされていたりする部分を本気で見ていこうと思っている。

他人に配慮することや社会の価値観を守ることも大切だけれど、それとは別に自分の気持ちをまずは素直に聞いてあげることの方が今の私には大事なんだと思っている。




少し話が飛ぶけれども。

最初に書いたナポレオン体質的睡眠の話。

スピリチュアルトーク大好きな人から指摘されたことがかつてあった。

その人いわく、霊的に覚醒する時というのは体力をものすごく使うから、異常に眠くなるもの、だからぶっしーのその睡眠時間少ないことはその条件からすると当てはまらないから違うんじゃないかな…、というようなことをやんわりと言われた。

覚醒だの霊的進化だのそんなのはどうでもいいけれども、ただ1つだけはっきりとわかるのは、そうした睡眠時間が1ヶ月以上に渡って1日3時間程度になる時は、私の場合、確実に人生の転換期だったり何か大きな変化を迎えている真っ只中だったりする。

定説から外れようが超例外だろうが関係ない。

私の場合はそうだとしか言いようがない。

もちろん反対に異常に眠くて眠くてたまらない時もある。

体というのは本当に緻密にできていて、私の場合は睡眠がてきめんにその時その時の状況を反映するから、眠れないのも眠り過ぎるのもどちらも多く体験する。

少し前の秋ぐらいだったか忘れたけれども、日長1日家にいるのに、やたらと眠くて、朝起きては寝て、昼も寝て、そして夜もまたグッスリと眠ってみたいな、1日の大半を寝て過ごすみたいな頃もあった。

毎日感心するぐらいに眠っていて、あれもまたあれで何か意味があったと思う。

ホロスコープの情報はかなりたくさん入れたこの2年くらいだけど、反対にスピリチュアル的な世にダダ漏れみたいな情報からは相当遠ざかったと思う。

スピリチュアル、いわゆる精神世界と呼ばれるところの書籍がこの数年で爆発的に増えたけれども、反対にまがいものや商用目的、儲け目的な情報も氾濫しまくっている。

本からは相当離れて、スピ系ブログからも離れて、代わりに「自分はどう感じるか」だけを頼りに見ている。

なぜなら、それが一番自分にとっての正解に近いから。

社会や他人が定めた価値観に乗っても、どうにも身動きが取れなくなる。

だけど、代わりに自分が良いと思ったもの、嫌だと感じたもの、そうした色んな感覚を知っていくのはものすごく面白いし、それは自分にしかわからない。

例えば、さっきの何も言わない設計男子に「なんなんだ!」と私は思ったけれども、相手はそれを何とも思っていないのはわかる。

だからその「なんなんだ!」は私の感覚で私の価値観だとわかる。

その自分の感覚をひたすら拾い上げること。

自分にしかわからない価値観を自分が自分のために大事にすること。

それが何よりも自分のためになるし、自分の感覚を大切に扱うことができる。

社会不適合者になろう!ではなく、とにかく自分の気持ちや感覚に自分を素直に開いていく。

そうする中で社会と不一致な自分も当然出てくると思う。

その時に私は、不一致であっても自分を選べる自分であり続けたい。




とか良い感じで締めようかと思ったけれども…。

嗚呼…、となったことがある。

今年はまたもや私にとっての「カルマの膿出し」超強調イヤーで、年間通じて本当に激しい配置下に自分がいる。

2年前よりもさらに一層濃ゆいカルマの膿出しになるのかな…なんて、天体の数字的位置からは思うけれども、もう出てくるものは仕方ないから、代わりにそれに呑み込まれないように自分をとにかく労りまくろう!と思う。

そろそろ3時。

今日は21時前から布団に入って寝ていて、零時前に目が覚めてこれを書き始めて(時々ネットサーフィンしながら)、そしてこれからまた6時くらいまで3時間ほど眠る予定。

今度から21〜24時、3時〜6時の3時間を2回ずつ睡眠に使って、間の0時〜3時をこうした自由時間に使ってもいいかも。

それなら6時間は眠れるし、さすがに英訳オンパレードな今、真面目に眠れる時に寝ておきたい。




冒頭の写真は、1/9仕事終わって駐車場に向かおうと外に出たら、同じ会社の男子だと思うけれども、空に向かって携帯向けて写真を撮っていて、何を撮ったのか気になって見たら月が出ていて、私も真似て撮ってきた。

月を撮っていたと知って、その男の人超素敵♡と思った(笑)。

しかもたまたま人通りのないところで私が出てきたから相手はバツが悪そうにしていたけれども、その姿も素敵だった(笑)。

実際に彼が立ち去った後見てみると、晴れた日が暮れる前の空には大きな月が出ていて、明後日土曜日がどうやら満月の模様。

しかも月蝕らしい。

その前の月だからなのか、やたらとキレイなお月様だった。

2020年1月7日火曜日

仕事始め2020










仕事始めだった今日の一番印象に残ったこと。

咳が止まらなくて3時間ほどの睡眠しか取れなかったまま、ほぼ1日英訳に明け暮れたことでもなく。

朝職場に行ったらほぼ誰もいないと思ったら、新年だから社員の方たちは全体朝礼みたいなことをしていて、そういうことをキッチリやる会社の風習に感心したことでもなく。

膝掛けとか気分転換用の甘いコーヒー飲料とか私の相棒・英和辞典とか、そんなのはキッチリと持参したくせして、肝心要の私のお手製マニュアルノートを家に忘れてきたという…ことでもなく。

ちなみにそれも朝イチで女上司と同級生の女の子に告白して、大笑いされて事無きを得たことでもなく。

他にも色々色々あったけれども、そうそう、とうとう私の使っているパソコンは「かなり怪しい動きをする」認定を受けて、ますます今後のパソコン活動が怪しくなってきたことでもなく。←一部、会社の大事なデータを壊した模様…(汗)。私じゃなくて、パソコンが!

そんな中。

昨日の夜から妙にルンルンウキウキしている。

もっとやることは他にあるのに、私は昨日の夜、ある動画を見た。

動画は良かったけれども、それよりもどういうわけか動画の最中に「ポン!」とやってきたものがあった。

動画は内容とは全く関係ないし、急に何でそんな風に気付いたのかわからないけれど、とにかく自分の中でカチッと繋がった。

「心においておくことが居心地がいい」

私は忘れないように、そのようにノートに書いた。

なんだかんだ言いながらも、自分でもツッコミどころ満載でも、その人のことを心の中においておく、おいておくって変な言い方だけど、とにかくずっとずっといるその状態もその人の存在そのものも私にとって居心地がいいんだと気付いた。

そして、そういう人に出逢えたって本当に凄いことなんだと改めて思った。

私の計画では、今頃とうに他に気持ちが移るなり、移らなくても気持ちが薄れるなりするのかと思っていた。

ところがそんなことは全くなく、もう会えないんだよー!と思っていても、それとこれとは別のようで、そんなにすぐには変化もなく、まさかのこんなに先の未来までズルズルと続くものだなんて思ってもいなかった。

これまではその異常さにばかり目を奪われて、念仏のように「これは魂のもたらすものだから仕方ない」と自分に言い聞かせ、それで納得なんてできなくてもそういうことにしようと躍起になっていた。

だけど、その動画を見ていた時に、急に「心にその人がいる状態というのが、私にとって居心地の良いことなんだ」と気付いたら、何か急に気持ちが良くなって、自分でもそのことに嬉しくなった。

そうやって幻想のような妄想のような、自分でもよくわからない状態にずっとずっと身を置いてみて、それは99.9%のおかしなものでも、別の見方をすれば、そうやっていても居心地が良い、なんならなんだかんだとずっと元気をもらえてるわけだから、本当に凄いって気付いた。

そのおかげで、なんだか知らないけれども、私は妙にルンルンしていて、気持ちが躍りそうになっていた。

相変わらずおめでたい。

でも、私は婚活ブログに登場するような、いかに相手がダメかを駄目出ししまくりで文句や不満をずっとずっと言い続けている人たちよりも、幻想や妄想でもこんな風に誰かを大切に感じられることの方がずっとずっといいなと思った。

誰に迷惑もかからないし、心の中はそんな風に自由にいられるわけだから、そしてマイナスではなくプラスのエネルギーをもらえるわけだから、それって全然悪くない、むしろそれだけの状況に居心地良くいられるって本当に凄いなと感じた。

ずっとずっと心にいても居心地が良いって、それだけで感動した。

その感覚に意識的に触れると、本当に元気が出るし、仕事も一番大事な虎の巻の忘れ物をしたりパソコンの不具合で会社のデータを破損することになっても、仕事に専念できるって凄いなと思った。

そういうプラスの作用があるわけだから、悪くない、そう思った。

昼休みにプラスアルファでさらにテンションが上がることがあった。

午前のどこかの時間、要は仕事始めの今日という日のどこかのタイミングで、その人しか読まないだろう記事が読まれていることがわかった。

9連休明けの仕事でやる気満々なんてことは、まず多くの人はないと思う。

その人の仕事がどういうものかわからないけれども、少なくとも責任ある立場だろうことは予測がつくから、仕事超楽しい!なんてことにはならないんじゃないかと思う。

そんな折に、仕事始めでテンションがさして上がらないだろう状況下で、選ばれて読まれただろうことを知ったら、超絶テンションが上がった。

そこに書かれていることの何が響くのかはわからないけれども、それを読んでもいいという気持ちにはなってるんだなと思ったら、嬉しくなった。

世の中には数え切れないくらいの読み物があって、ましてや宣伝もしていない私のブログは本当にそもそも行き着くことさえ奇跡みたいな感じなのに、そこからさらに特定の記事が読まれる。

直近のものではなく、過去に書いたもので、しかも私は分類とかもしていないから、探して読むには至難の業すぎる。

それをあえて仕事始まりの時に、年に1回しかない仕事始まりの日に選んでもらえたことが私は本気で嬉しかった。

その人はそんなつもりで選んでなくても、少なくとも仕事始めの時に読んでも良いと思ってはくれただろうから、それってすごくすごく光栄なことだった。

プライスレス、仮に1億円稼ぐことが私にできたとしても、私にはそれ以上に、というかそんなこととは比べ物にならないくらい名誉なことだった。

私の書くものに何かしらの価値を感じてもらえた、それがまた読むとその人も元気になるかどうかは知らないけれども、リポビタンDくらいの栄養補給にはなれたのかもしれない。

本当に光栄だし、すごく嬉しい。

それがわかって、午後もウンウン唸りながらも英訳の仕事を続けた。←1日ほぼ英訳していた。

私も私で元気が出た。

とかいうことが仕事始めの日にあった一番印象に残ったことだった。

冒頭の写真は、どうしても無印の週間スケジュール管理帳みたいなものが欲しくて駅に買いに仕事帰りに寄ったら見つけたもの。

スケジュール管理などするわけもなく、私はそこに占星術のサイコロはじめ、そうしたものや一言その日の出来事を書くのに買った。

参考までに写真を。

1冊税込100円!!!

ということで、これから昨日の夜に作った弁当の仕上げして仕事に行く。



2020年1月6日月曜日

体調不良で迎えた新年の今

下の写真のリンク先(略して「アストロコム」)
(文中にこの話が少しだけ出てくる)







想像以上に風邪?浄化的な体調不良?をこじらせている。

熱はあっさりと下がってくれたけれども、喉風邪が悪化。

喉は異常なほど痛いわ、咳は一度出ると止まらないわ、鼻詰まりでもないのに耳に水が入ったみたいで頭はボーッとするわ、が気付けば4日目。

久しぶりにやらかした感満載の体調不良に見舞われている。

たしかに、1年8ヶ月ぶりの超きちんとしたフルタイムの仕事に就いて社会復帰して。

何せ朝8時始業、正しくは7時55分にラジオ体操開始、そして社内広すぎて(東京ドーム1個分以上ある気がする)遅くとも7時50分には駐車場を出て社内移動を開始しないと間に合わない…なんていう、これまでとは比べものにならない早めの時間対応が求められて、そこに週5の弁当、家事(主に炊事+洗濯+風呂掃除)とやりこなし、普通の大人として至極真っ当な生活はいいけれども、なかなかなタイトスケジュールなのも本当で、その疲れなのかな…と呑気に思っていた。

でもある真夜中に、「もしかして…」と思い当たることがあって、まさか真夜中に起き上がって本命的なことをするのはあまりにしんどいからやらず、とりあえず携帯メモにto doリストとは違うけれども、それに似たようなものをゲホゲホ咳しながらも20分ほど書いてみた。

そもそも咳が止まらなくて目が覚めて、まさかまさかのそのゲホゲホ咳の原因になってそうなものに目星をつけてメモをしたら、咳が止まった。

((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))((((;゚Д゚)))))))

自分で確信した。

これ風邪じゃなくて、もう要らなくなったものを外に出そうとしてるんだ、そして自分じゃ気付けないから体が代わりに全力でそれを外に出そうと体をこじらせてるんだと。

あまりに汚い内容ゆえ、一応
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で区切ってみた。

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のところで区切ったところをスクロールして読んでください、汚いの苦手な人。








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汚い話で申し訳ないけれども、今回何が酷いって、痰の出る感じが異常で、それが自分の体内でそもそも生成されてること自体が、風邪菌ではなく長年の思考グセとか心のクセが関わってるとしか思えない感じだった。

体の中から外に出そうとする時の固形化した感触が未だかつて体験したことない感じで、そこに異常を感じた。

本来粘着質なはずなのに、粘着を通り越して、本当に固形物を出してる感が半端なくて、何だこれ?と思っていた。
↑ティッシュに出してすぐに専用のゴミ袋に入れてたから、ものは見ていない(꒪◊꒪; )))。

痰が出たと言うより、得体の知れない体にとって毒にしかならないものたちが塊となって固形物になりました、そしてもうこれ以上体にいても仕方ないので吐き出す力を使ってエイヤー!と外に出すことにしました、という感じ。


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とまぁ、そんなことがあったから、「これ風邪なの?」というのは最初からあった。

症状は風邪だけど、風邪とは言い難い、別物の体調不良という感じだった。

もちろんペンジュラムにも確認。

ペンジュラムが風邪にYESとはならないのはずっとだったし、代わりに浄化にYESもそうだったけれども、まさかの浄化という名の課題付き浄化なんて思っていなかった。

現に、家族は具合が悪くならない。

私がすごい咳こむ横で寝ている妹や姪っ子は何ともない。

私の内側の溜め込んだ菌というか毒というか負のエネルギー体だから、決して他人に移るものではないんだとわかる。

っていうか2020年!

何このスーパー「新装開店に向け一新します」と言わんばかりの体も心も綺麗にしよう運動は。

そうだ、星の動きを見ようと思って手元の資料を出してきて見てみた。

冒頭に貼り付けた占星術の細かなデータは、何だあれ?ってなると思うけれども、あそこを細かく見ると実に色んなことがわかるようになっている。
(引用元はwww.astro.comの日本語版)

今ほど自分の手元にあるデータ(講座の先生がくれたもの)をいくつかピンポイントで見たら、ひっくり返りそうだった。

容赦なく天体エネルギーはやってくるし(やってくるも何も今もまさに刷新のためのエネルギーがガンガン注がれている)、その後もそれぞれ個人差はあるにしても何かしらの強いエネルギーがやっぱり注がれ続ける。

天体のエネルギーからくる個人への影響やその影響の感じ方は個人差があるにしても、この刷新のための天体エネルギーは地球全体に注がれているものだから、私が特別とかではなく、基本的には生きている人全員に惜しみなく注がれている。

ちなみに「刷新」を私は「さつしん」とiPhoneに打ち込んで変換しているけれど、私のiPhoneの「さつしん」の第一候補は「殺人」。

うん、間違いじゃない( ̄∀ ̄;)、殺人級の刷新力を誇っていると私は思う。

言葉が過激だけど、要はちょっと喉がイガイガするみたいな感じなら何となく交わすけれども(←私は)、夜も眠れないくらいに咳込む、呼吸困難起こしそう、ってなるといよいよ何かしら手立てを打たないとまずい!となって、身体的にはもはや黄信号ではなく赤信号でアウトだから、否が応でも何かしら自分のためにする。

この辺りがちょっとのケアではなく、大袈裟に言うと殺人級の身の危険的なものが現れやすいのが今年1年の流れなのかな…と私は星の勉強を始めた2018年の春くらいから密かにずっと恐れていた。

うやむやにしたり、本来為すべきことを先延ばしにすると、これこれこうなりますよ!!!と言わんばかりに、私の場合は体調不良とかで来るんだといざ知って、2020年はとりあえず気付いたものから取り組むなり整理するなりしようと決めた。

結果にこだわりは無くて、強いて言うなら、自分にとっての面倒や痛み少なめ希望ぐらいなもので、あとは淡々と自分のやれることをやるしかないと思う。

これは私の解釈だけど、自分に精を尽くせば、それがきちんと結果に繋がるように思う。

「自分に精を尽くす」というのは…。

ひとつ、自分の痛みや気持ちを無視するのではなく、それを感じること。

ひとつ、自分の気持ちに蓋をしたり嘘をついたりしないこと。

ひとつ、他者絡まりの場合、自分の痛みにだけ気持ちを向けること。
(相手をギャフンと言わせようとか、相手を苦しめようとか、そういうのは絶対に自分のところに返ってきそうだから、そういう怖いことは相手のためと言うよりも自分のためにしない)

ひとつ、解決を目指さずともせめて自分ケアは真面目に取り組むこと。

今パッと出てきた「自分に精を尽くす」はこんな感じ。

本当の意味で自分のためになるもの、自分含めた関係者のためになるものはいくらでも天体たちから応援が来るとも思っていて、もしくは神でも仏でも神々の審議会でも天界でも守護霊でもサムシンググレートでも、とにかく予想を遥かに超える形でヘルプも入りやすいとは思う。

審議されると言うと重苦しいけれども、本当の意味で理に適っているか、本質的に絶対に大事なのかが審議のポイントのような気がする。




明日1/6から年始めとなるけれど、仕事に行くのは全然嫌じゃない。

むしろ、バランスの取れた生活に戻れる方がしばらくは良いような気もしている。

「明日仕事に行きたい!」とは思わなくても、「明日行くよね」と普通に思える事、行きたくないとは思わない自分に感動している。