「上半期ひとり反省会」と称して、おしゃれカフェに行ってきた。
初めての隠れ家的なカフェだったけれど、これがもう超素敵な雰囲気のところで、リピート確定。
見本のないケーキを文字からだけ選んだ「フルーツケーキ」がとても美味しかった。
そして私は、紫陽花が目の前の大きな窓のすぐ向こう側に見える席に座った。
紫陽花は「額あじさい」と呼ばれるものだった。
額あじさいという名前を知ったのは、2012年の梅雨の頃。
近所の大きな公園をスーパーに行くついでに通過していた。
そこはいつも通り道で、その公園の先には半径100メートル圏内に3つもスーパーがあって、私はその3つをはしごする時もあれば、1つだけ行くこともあった。
・新鮮さピカイチ
・基本激安スーパー
・赤札(割引)多めのスーパー
とそれぞれ使い分けしてた。
さらにはその公園を抜けてすぐに卸しの八百屋さんがあって、野菜の8割はその八百屋さんで仕入れてた。
感性の鋭いSさんが「あの八百屋さん、すごく新鮮な雰囲気がする」と見ただけで言っていた時があった。
本当にそうで、見たことのない野菜も産地直送の新鮮な野菜も旬の野菜も、その八百屋さんで学ばせてもらった。
なんなら、ドミニカ共和国でしか見られなかった、幻のりんご味のバナナとも再会した。
商品名「バナップル」。
都会のオシャレなスーパーには時々置いてるのを見たことがあるから、ぜひお試しを。
熟成させた方がりんご味が増して美味しい。
関係ないけれど、私はその他にも遠いけれど5つのスーパーに足を伸ばして通ってた。
それぞれの楽しいポイントがあって、私には毎回どのスーパーに行くのもツボだった。
額あじさいの話に戻る。
その公園の至る所に紫陽花は毎年時期になると花を咲かせてた。
平日のその日、私は1つの紫陽花の前に立ってじっと見ていた。
そうしたら近くを通った80はいってるだろうおばあちゃんが私のすぐ隣りにやって来て、「きれいよね〜」と話しかけてきた。
私もきれいですよね、と返した。
「これね、がくあじさいって言うのよ」
「がくあじさいですか?」
「そう、がくあじさい。
この周りの花が額ぶちみたいでしょう。
だから額あじさい」
「そうなんですね〜!
言われてみればそうですね」
「普通のあじさいみたいな華やかさはないけれど、私は額あじさいが一番好きよ!」
おばあちゃんはいつくしむようにそう言った。
「いつくしむ」と変換しようとしたら、「愛しむ」も出てきた。
おばあちゃんのいつくしむは「慈しむ」よりも「愛しむ」の方が近かった。
都会らしく、隣り近所の人とのやり取りもないような場所ゆえ(昔ながらの人たちは別)、私がそのでかい公園で話しかけられたのは6年住んで後にも先にもそれ一度きりだった。
私はその日のことをとてもよく憶えている。
塾の仕事を辞めて、コーチング系の個人事業を始めようかという頃だった。
色々先行きが不安定だったし、私はその時まで国民保険料が前年度の収入に基づいて算出されるなど知らなくて、区役所に通っては保険料の減免手続きをしないとで、それで本当に疲れ切った頃でもあった。
(相当特殊な手続きなのか、私はしばらく毎月減免手続きに行かないといけなかった。)
何せわからないことだらけなのに、役所の人の対応があまりにも酷くて(最初の人だけ酷くて、他はみんな良かった。その人だけが異常なほどで、私は人生で初めてクレームの電話を入れた)、気が滅入った日だった。
言い訳するわけじゃないけれど、私がクレームを言ったのは、様々な個人情報を大きな声で言われて(この人だけだった、そんな配慮のない人)、さらには個人的な誹謗中傷のような言わなくてもいい言葉をあれこれ言われて、それが本来の手続き上必要であるとは思えなかったから、それで連絡をした、市役所に(手続きは区役所)。
市役所の対応者も本気でふざけてるのかと思うぐらいの対応の悪さだったけれど、その後そこの国民保険課は随分と変わった。
電話1本で変わったとは思わないけれど、思うに多分市民からかなり苦情が来てたのではないかと思う。
まず、個人情報を言わなくてもいいように番号で呼ぶようになったし、そのための機械も導入した。
そしてその他の個人情報もすごく配慮されて周りに漏れないよう気遣っているのがわかるぐらいに、それぐらい全体の対応が変わった。
そして私がクレームを言うことになったその人はすぐにいなくなった。
職員の名前を聞かれたけれど、かなりうろ覚えで男性というのと30代ないし40過ぎとしか覚えてなくて、名前はありふれた名前ですとだけ言った。
後にも先にも、こんな風に電話してまでクレームを言ったのはその時だけだった。
っていうかそれほどに酷かった、今はもう忘れたけれど。
そんな時に出合ったおばあちゃんの額あじさいの話で、私は本気で心が和んだ。
そしてその額あじさいの時間があったおかげで、嫌なことは吹っ飛ばされた。
外の景色が何も見えないようなところで私みたいな市民を相手に対応に追われて疲れるのと、先行きが不安でも今この瞬間は額あじさいを見て和んでさらには見知らぬ人から優しい時間をもらってるのと、どちらがいいかと言えば断然後者の方が人生が豊かだった。
とにかく不愉快な対応ではあったけれど、額あじさいのおかげで私は尖ってた心のトゲの部分をならしてもらえた。
あれから6年。
本当に駆け抜けた6年だったなぁとしみじみとした。
変わった部分もあるし、相変わらずな部分もある。
そのどちらのこともあっての今だということをとても強く感じた。
すごく濃密な6年で、私は自分が逃げずにいたことを心から称賛した。
逃げたいことも全てを投げ出したくなったこともたくさんあった。
この6年(のうちのこの1年を除いた特に5年)は、別の意味で本気でしんどかった。
「生きる」ということと「自分」というものに対して、もうどこまでも容赦なく追い詰められて、でも向き合うのもしんどくて仕方なかった。
今は全部どの体験も絶対に必要だったと言い切れるし、どうして必要だったのかも1つ1つ説明できるぐらいにわかったけれども、当時は本当に色んなことが意味不明すぎて、自分の人生なのに舵取りができないみたいな、そしてどこに進もうとしてるのかもわからなくて、恐怖と絶望の間を行き来するみたいな時間だった。
楽しいことをしたらいいとか、好きなことをしたらいいとか、できることをしたらいいとか、全てごもっともな意見やアドバイスではあったけれど、私の場合、本気でどうしていいのかわからなくなったのと、自分じゃコントロールできない意味不明な流れが水面下にあったから、人が簡単に言うほど容易くそれらができるような感じではなかった。
一言で言うなれば、私の場合、その意味不明な状況に身を置くことにより、否が応でも自分をひたすら癒すプロセスを試しまくるのと、その破壊と再生みたいなプロセスから知恵を得ること、人生の法則ではないけれどそのようなことを体験することが必要なことだったんだと今は思ってる。
おかげで、心理系の本やワークショップなんかではわからないような領域のことまで体験を通じて知ることになったし、それが私の武器に今後なっていくんだと思ってる。
6年分色んなことが頭を駆け巡った。
全体的には大変だなと感じることの方が圧倒的に多かった。
自分の不器用さ加減も頑固具合も1つ1つがさらなる混乱や困難を生み出してるのかと思った。
自分のこともたくさん責めたし、自己否定はもうやり過ぎなぐらいにやり切った。
そこを抜けて今上半期のひとり反省会をおしゃれカフェでしてると思ったら、感極まって泣けてきた。
私は他のお客さんから背中を向けていたから、涙が流れるまましばらくその余韻に浸ってた。
日記も書いた。
この1年の一番甘酸っぱくて切ない部分をしたためていた。
しばらく自分の世界に没頭して、何もわからない状態になっていたけれど、途中から周りの音が耳に届くようになった。
私の1メートルぐらい後方に女の子3人組のお客さんがいた。
最初は気にならなかったけれど、途中からその会話というか彼女たちの品のなさにドン引きして、日記どころではなくなった。
私は日記の中で1年前の出来事を振り返り、鈍い私も気付けるように大きなものを用意してもらったけれど、もし実際に起きたことが起きなかった場合、私が相手の存在に気付かなかった可能性が高く、もしそうだったらもう一度別の形で気付けるようにチャンスが巡ってきたんだろうか…、いやそんなのなく何も気付かずに終わったかもしれない…とか何とか考えていた。
そんな風に楽しく真面目に回想してた時に聞こえた会話の一部。
「男はさ30代で年収1000万ないとね〜」
「Aくんは親に紹介するには申し分ないし親も気に入ると思うけれど、連れて歩くならBくんの方が見栄えがいいんだよね〜」
「告白されて付き合ったけど、やっぱり違ったからすぐに別れた」
(気持ちもだけど体の関係を言ってる風だった)
「この辺なら○○高校か××高校あたり出身じゃないとね〜」
「この間人生で何が大切かって1番から順番に書くやつがあって書いたら彼氏10番目だったんだよね。優先順位低すぎるわ(一同大爆笑)」
「お金だけで結婚するってあり得ないよね」
他2人もうん、うんと同意。
という、本気で人としての品位を疑うようなことばかりを言うバカ女が3人もいて、私は一気に現実に戻った。
話の内容が変わるのを待ったけれど、もうずっとそれらの話題がエンドレスだった。
お金のために結婚すると言った子を3人は見下していたけれど、私は彼女たちの方がうんと人間としてどうかと思う発言を繰り返していたように感じた。
自分たちの低レベルな会話の内容もとい考え方に気付かないんだろうか…と思った。
お金のために結婚するって言ったそこにはいない子の方が、よほど潔くていいわと思った。
3人は、容姿だけを言えば、雑誌から切り抜いたみたいにスタイルも顔も抜群に良かったけれど、会話が終わってた。
年の頃20代後半だと思うけれど、本気で馬鹿だし人としての品位が酷すぎた。
久しぶりにそういう女の子たちを見た。
っていうか、年収だの見た目だの学歴だのを重視する人たちが自分の周りにはいないことに気付いた。
なんなら、その3拍子揃ったパートナーがいたにも関わらず、生きる価値観や大切にしたいものが合わないと言って、関係を清算した友達もいる。
私より上の世代の女の人が言うならわかるけれど、私よりも明らかに10歳は下の子たちがそんなことを言っていて、度肝を抜かれた。
だから、もう日記もそんな変な話を聞きながら書きたくなくて、店を出ることにした。
私の中の大切な思い出にそぐわないバックミュージックならぬバックトークで、そんな中でその大切なものを綴りたくなかった。
私は荷物を片付けて店を出た。
近くの大型書店に足を運んだ。
ずっと探してた本があって、必要なところだけ、座って読める場所に移動して読んだ。
本を戻しに行くと、1冊挟んだ隣りに、この間東京でヒーリングを受けた時に教えてもらった、そのヒーラーさんが本物と言ってた人らしい人が書いた本があった。
気になって車に一度戻って、その時のメモを確認した。
やっぱりその人だった。
私はその本を書店で見たことがあった。
あったけれど、タイトルに全く惹かれずに読まなかった。
だけどヒーラーさんが「この人は本物」と言った人だったから気になって、その本を手に取ってまた元の席に戻って読んだ。
流し読みを少しした程度だったけれど、メチャクチャ大事なことがその短い流し読みの最中にいくつも出てきた。
自叙伝のような内容ではあったけれど、それは私にもヒントになることばかりだった。
時間がなくて途中でやめたけれど、また改めて立ち読みしたい本だった。
家に戻ってから本当は半年の振り返りを再開したかったけれど、バタバタしてるうちに疲れて途中になってしまった。
今回だけは、真面目に振り返りをしている。
ホロスコープかぶれの私は、この半年で経験したことがこれからの2年半、2020年までに繋がっていくことだと知って、この半年に綴っておいた日々の出来事を片っ端から読んで拾ってまた別のノートに箇条書きしている。
今回そこまでするのは、少なくとも7人の占星術家がそれを言ってたから。
あまりにそうだから、さらに調べたら最低でも10人は言ってる。
ホロスコープの星読みは人によってセンスが違うから、例えば同じ新月とか満月、夏至のホロスコープを読むとなっても、人によって観点がかなり違う。
だから通常私は3人ないし4人ぐらいのものを読んで満足する。
ちょっとずつ違う情報をもらえるから、それで十分だった。
気になる内容があればノートにその部分を書き写して、あとは自分の今に当てはめて考えたり、実践できる小さなことがあればさっとやってしまう時もある。
だから、今回ほどに振り返りなんて過去にしたことがない。
だけど、今回6月28日の満月に関しては、本当に驚くぐらいにみんな同じことを言っていて、その主たることが、この半年の振り返り&そこから今後2年半のテーマを掘り下げることになっていくだろうとあった。
明らかにいつもと違って、何人も何人もの人が言うから、それで上半期ひとり反省会を開いて、振り返りもまだ終わってないから7月になった今日もこれからする。
ちなみに話の途中に出てきた女の子もとい飾り物で男を判断する悪女たちのおかげで、私は過去の面白い風景や友達とのやり取りを思い出した。
そんなこと忘れていたけれど、思い出すうちに楽しくなってきた。
だから最終的に結果オーライになった。
今日、途中で図書館に寄った時、なんと、私が昨日座った額あじさいが見える大きな窓の前の席が、地域情報誌の雑誌の今月号の表紙になってた!
だから、私が知らないだけで県内ではけっこう有名なカフェだったのかもしれない。
そして表紙を見てすぐに気付いた。
額あじさいが見えるのは今だけだということ。
表紙の窓の向こう側は単なる緑の草と木しかなかった。
もちろんそれもとてもきれいで癒される風景ではあったけれど、額あじさいではなかった=私が額あじさいの思い出を再生するには昨日でないといけなかったことがわかった。
私が2年前に新潟に戻ってきてから毎年通ってるあじさい公園がある。
今年ももれなく行ってきた。
私は1週間前にも行ったし、昨日もおしゃれカフェに行く前に立ち寄った。
あじさいというのは、満開を迎えた後は1週間で枯れ始めたりしおれたりする花だと昨日知った。
昨日見た額あじさいは、まさに昨日が満開だった。
しかも店内混んでいたのに、そこだけは席がたまたま1つだけ空いてた。
きちんと私のために用意されてたんだなと思った。
上半期の振り返り、やっていてかなり面白い。
上半期+そこから連想される過去の別の瞬間にも簡単に繋がる。
ということで、今日もこれから振り返りの続き。
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