悲しみは癒えてないんだと知った。
今日アップするつもりで途中まで書いた記事がある。
過去のある場面を書いていた。
最後の挨拶の時だった。
思い出したら、なんとその時のリアルな感情と同じものが出てきた。
書くのを止めた。
私の中で、多少回想するにしても淡々と文章を綴るのかと思ってた。
その予定でいた。
だけど違ってた。
思い出してるつもりが、突然その瞬間にワープした。
あの時の苦しい感じも、悲しい感じも、押し潰されそうな感じも、泣きそうな感じも、認めたくない感じも、これが最後とは思えなかった感じも、相手の冷たい感じも、それを前にうろたえそうになってる感じも、そんなのが全部一度に集結したあの時の感じがなんと蘇ってきた。
書くのを止めた。
もうそこはそこで癒えていて、結構平気なのかと思っていた。
全然想像と違ってた。
リアル過ぎる部分は、今はまだ思い出したくなかった。
シーン全体は普通に見れる。
だけど、それをきちんと1秒1秒切り取ったようにして見ることはできない。
私はまだ悲しんでた。
多分その時は気持ちを全部奥に追いやって、蓋をしたんだと思う。
だから今、1秒ごとのシーンを書いてたら、強烈にその当時の感情が一瞬で浮かび上がってきた。
こんな大きな悲しみの塊、ずっとずっと自分の中に溜め込んでたんだなと今初めて知った。
てっきり、時間の経過と共にそこも癒されたのかと思ってた。
当時、自分に言い聞かせるようにしてたことは覚えてる。
もう終わったから大丈夫とか、最後までがんばったとか、自分を労わるようにしたことは覚えてる。
でも多分私は労わるふりして、傷や悲しみを隠したんだと思う。
もちろん自分を労わることは大事な仕事だったけれど、それと同じぐらいかそれ以上にそのままの自分の気持ちを自分の中で受け止めるのが大事だったんだと思う。
1秒1秒のシーンを記憶したのは、ショックだったからじゃないと思う。
多分私はそれの全部を記憶したかった。
その人がいる瞬間瞬間を記憶したかった。
だから1秒ごとのシーンが記憶に生々しく残っていたんだと思う。
これを書いてる途中で私はうたた寝的な昼寝をした。
時間にして40分も寝てなかったと思う。
夢の内容は覚えていない。
だけど、起きた瞬間、出てきた言葉がある。
【私は知らなければいけなかった。
それを理解してあげられるのは私しかいないから。】
同じ言葉がずっとずっと何回も出てきた。
あぁメモしなきゃメモしなきゃ…と目を閉じたまま、ぼんやりとした頭で思った。
すぐにしなかったら、本当にその言葉の通りか忘れた。
でも大体【】の中に書いたようなことだったと思う。
7/12 16:52
【私は知らなければいけなかった。
それを理解してあげられるのは私しかいないから。】
2つ目の文章…私は「してあげる」とか「してあげられる」という言い方が好きじゃない。
だけど、今回は素直に出てきたままの言葉を書いた。
してあげられるなんて思ってないけれど、理解はしたいと思ってる。
11月の終わりのある朝。
私は朝車の中でペンジュラムに聞いた。
「○○さんは(私とのことで)自分の選択したことを後悔していません」
その質問をいつから始めたのかは覚えていない。
でも始めた当初から一貫してNOだった。
私にはどうしてもどうしても納得がいかなかった。
本当の本当に、本人が望んで私の誘いも断り、私とは本人の最善を尽くして距離を置いたのか、違和感だった。
私の勘違いかもしれないけれど、とにかく私には違和感として映るものがどうしても払拭できなかった。
だからある時思いついてその質問をペンジュラムにしたんだと思う。
(注:本来、『ペンジュラムに本人の了承も取らず自分以外の第三者のことは聞いてはいけません』というのを後から教えてもらって知った。
言い訳じゃないけれど、基本的にその人のことしか興味がないから、第三者のことは頼まれない限りは聞かない)
その日の朝も信号待ちの時に質問した(その信号は長い)。
その時に突然見たことのない動きをペンジュラムは始めた。
時計と反対回りに回り始めた。
そしてその動きを確認した直後、おなかがいきなりとてつもなく痛くなった。
これは今年の春以降にわかったことだけれど、私の場合、潜在能力的な力というかそれまでできなかったことができるようになると、その時に必ず具合を何かしらの症状で悪くする。
おなかを下すこともあれば、発熱、異常な疲労感や眠気といった感じ。
だからその時も、これまで通ってなかったエネルギーが通るようになって、古いエネルギーを落とすためにいきなり具合が悪くなったと思う。
それがペンジュラムがスーパーNOのサインを教えてくれた最初の質問だった。
余談だけれど、2ヶ月前くらいに出て来たペンジュラムのスーパーYESのサインも、その人にまつわる質問だった。
どうもその人は、私の力を引き上げてくれる役割もしてくれてるらしい。
話が余談だらけになったけれど、その時に知った。
ペンジュラムが本当のことを伝えてくれてるとしたら、その人は自分の下した決断に後悔してることを。
それもとても後悔してることを。
2月にホロスコープの鑑定を受けた時に、過去のシーンが初めて意味の通るものになった。
ここからは私の完全なる妄想劇場。
妄想だけれど、そう考える方が自然な流れというか、とても自分の都合の良い解釈みたいだけど多分そちらが正解な気がした。
私は当時のことを最初『アルヘニの背中』として2017年10月20日にアップしている。
アルヘニの話は実話だけれど、あれはアルヘニの背中について語るのが目的なんじゃなくて、アルヘニの背中と同じ背中を表現したくて、それのカモフラージュのための話だった。
でもその考えもすぐに隅に追いやった。
だけど、それ妄想じゃなくて本当にそうかもと確信したのがそれから4ヶ月以上経過した今年の2月のホロスコープの鑑定の後だった。
(当時の記事『魂の再会』2018年2月12日)
この鑑定士さんは特殊な体質で、私に私の過去世と思しきものを伝えてくれた人だった。
そしてその時に、その人と私は、その過去世の中で強い繋がりがあったのではないかということも教えてくれた(彼女には何か画像のようなものが視えるらしく、その視えたものを教えてくれた)。
その人の最後の姿は、私に背中を向けてる姿だった。
99%は「嫌い」とか「迷惑」とか「顔を合わせたくない」の意思表示だと思ってる。
でも残りの1%は私は違う風に思ってた。
私が立ち去る瞬間を見たくなかったんじゃないかなと。
その1%はあまりにも自分の都合が良すぎる解釈で、多分そうじゃないだろうとすぐにその考えを奥に追いやった。
いつも通りにしていたのなら、私が立ち去る姿が見える。
自分の席に座ってれば、少なくとも横目で私が立ち去る姿が見える。
そして、普段ならその人は人と立ち話でも座りながらでも話し合う時は、必ず相手と横並びになる。
向かい合うことをしない。
だけど、その日その私が帰るという瞬間、その人は私にガッツリ背中を向けるようにして、相手と向かい合って話してた。
本人ももう仕事道具は基本的に片付けて無くなっているし、あと1時間とかで恐らく退社するだろう時で、そこで長々と立ち話をしてまで打ち合わせしなければもしくは確認しなければいけないことが本当にあったのかは知らない。
しかも時間が長いのに、立ってるのが変だった。
一言で終わらないような話の時は、基本その人は隣りの空いてる椅子に座るか、年配の方相手ならその人の真横でひざまずいてその相手の目線より自分を少し下にして話す。
だからその時の格好は、明らかに不自然だった。
しかも立っている位置も変で、どの方向から向かうとその場所にその向きで立つことになるのか知らないけれど、けっこう無理無理感が出ていた。
無理矢理その位置に立とうとしてるせいか、相手の男性との距離はキスしようと思ったらできるんじゃないかというぐらいに近かった。
そこそんなにスペースない場所じゃないから!と突っ込みたくなるぐらいに近かった。
相手の人は自分の席のところで立ってるからその位置でおかしくなかったけれど、その人は明らかに「何でそんな狭いところにわざわざ立つの?」という感じだった。
私の動きが見えることにはなるけれど、その相手の真後ろとか斜め横とか、もっとスペースが空いていて立つのもそんな至近距離にならない場所があった。
だけどそのスペース的に余裕のある場所ではなくて、あえて私から思いっきり背中を向けられるその位置にわざと立ってるのかと思った場所に立って話していた。
私は最初ものすごい拒絶されたのかと思った。
そんな絶対に見えないように立ってまでも私のことが嫌なのかと思った。
だけど、例えばの話。
鑑定士さんの話はこうだった。
過去世の中では、10歳ぐらいだった私が先に死んでる。
その人は私より少しだけ年上なのかな?、だけど同じように大人ではなくてまだ成人する前の子ども。
同じ家に暮らしていたと思われる。
思春期ぐらいなんだろうか。
年はいいとしても、そのぐらいの多感な時に、自分の近しい人が死にゆく瞬間を見届けるというのは、どれだけの痛みを伴うんだろうと思う。
痛みにも色んなレベルがある。
私は過去世や魂レベルの痛みと今世や現在の痛みの差はわからないし、区別もつけられない。
でもそうしたヒーリングを施す人いわく、痛み(心に刻まれた傷み)に関して言えば、本人が認識できないレベルの古い記憶になればなるほど、相当な傷みとして記憶には残っているらしい。
例えば、40歳の大人からしたら、ここ数年の傷みよりも幼少期、幼少期よりも乳児期、そして乳児期よりも過去世から来てるものの方が傷が深くて重い。
乳幼児期はもちろん、過去世から来ている傷みは、基本的に誰しもが内容は覚えていない。
その原因となるものや出来事は記憶としては持っていない。
だけど、傷みそのものの感覚や恐怖とかだけは感覚として深いところに記憶されている。
例えば、閉所恐怖症とか犬の恐怖症なんてわかりやすい形で現れるものは、それ相応の恐怖感を過去のどこかで体験している。
そして人間には防衛反応が本能的についてるから、その傷が浮上してこようものなら必死で回避や抵抗をする。
その回避・抵抗の仕方は、当の本人でさえ気付かないぐらいに、「どうしてそんな行動に出るのか」わからないレベルのことが多い。
自分じゃその傷を認識できない場合は、特にそうだと思う。
あの日私が帰った時というのは、「別れる」「離れる」=「永遠の別れ」ということをものすごく強く彷彿させるもので、それゆえにとっさの防衛反応であんな風に不自然な形で背中を向けてたんじゃないかなと。
過去世では死にゆく人を見送らなければいけなかったとしたら、そんな傷みを再体験するなんて嫌だろうから、それであんな不自然な位置に立って私に背中を向けたのかなと。
もちろん、99%の確率の「単に私が嫌だから」そうしたと言うのでも十分あり得るけれど。
鑑定士さんの話を聞いた後、初めてもう一度自分の1%の違和感を引っ張り出してきて見てみた。
あの瞬間、単なる嫌だけの感情であそこまでのおかしな格好をするよりも、それよりもっと根深い感情や心の傷があっての行動なら、そちらの方がむしろ自然な気がした。
私はその人のことをとても不器用な人だと思ってる。
仕事はとてもできる人だし、責任感も強いし、よく気がついて俊敏に動いているし、物腰も柔らかい。
仕事の能力はすごく高い人だというのは見ていたらわかる。
少なくとも、直接でも間接的にでも、私は5人の人がその人の仕事ぶりを高く評価してるのを聞いた。
いずれも私から聞いたんじゃなくて、そのうちの3人が勝手にみんな喋ってくれて、それで知った。
そのうちの1人が、その他の2人の人たちもそう言ってるということを、聞いてもいないのにある時教えてくれた。
私が言う不器用というのは、自分自身のことや、自分の気持ちを外に出すことにおいて不器用ということ。
だから、背中にしても、ペンジュラムが伝えたスーパーNOにしても、その人らしい。
その人は上手く立ち回って、私と適度に波風立たないようにするなんてことはできない人だった。
本当に嫌いだったのかもしれないけれど、本当はもっと別の気持ちや考えがあって、でもそうはできなくて結局は私が見たようなそういう行動になったと考えてもおかしくはない。
あの一連の流れを思い返すとわかる。
自分のことを表現することがとても怖いのか、とにかく内にこもるタイプの人だった。
でもそういうタイプの人たちは、これまで私が関わった人たちの例で言えば、1人の例外もなく本当はすごく豊かな感性を持っていて、繊細な視点は本当に色んなことを詳細に多角的に把握できる能力に長けているし、人が気付かないような細部にまで目を行き渡らせる、そしてそれを感じ取れる力を持っている。
ただ、そうしたものをそれぞれの人の理由で外にはあまり出さないとか、表現することそのものに苦手意識があるだけのことだった。
その人もそういう感性そのものは持ち合わせてるんじゃないかな…というのは仕事をしている時の姿を見て思った。
私のように元々精神世界について興味があって勉強もして色んな人たちから学んで…という人でさえも、その人を介してもたらされる色んなことは本気で強烈だった。
私は過去にこれほどまでに自分の感情が開きまくったことはない。
プラスの方にもマイナスの方にも、それはそれは強く揺さぶられた。
ものすごい混乱と不安や不信なんてものが自分の中から山ほど出てくる。
いくら感情や自分の内面と向き合う術を専門的に知っていて、これまでも日常的に実践してても、そんなのでは太刀打ちできないぐらいのインパクトがあった。
もし同じような体験をその人もしてたとするなら、そしてその原因と思えるものが私だとするなら、避けたくもなるかもしれない。
傷みも恐怖も不安も、普段蓋をしていられたものが開くのは、あんなのは誰でも怖いし戸惑う。
あの人の最後の背中は何を伝えていたのかは本人じゃないから知らない。
だけど、本当に単に嫌でそうしてたと言うよりかは、もっと別の理由なのかな…とだいぶ冷静になった今は思う。
本当のところ、誰しもが誰かを理解するなんて、究極できないと私は思っている。
だけど、それでもできることは、誰かを理解したいと思うこと、そして理解したくて自分の考えを捨てて相手の話を聞いたり相手の沈黙を見つめることではないかと思っている。
できないからあきらめるんじゃなくて、できなくてもできることをしたいと思うのは私のワガママかもしれない。
でも私は知りたかった。
その人の本当のところを知りたかった。
7/12 18:47
『サヨナラの背中』(本文)
自分が生まれた病院が完全に解体されて、跡形もなくなった。
今は解体して出た残骸の片付け作業をしているようだった。
そこは今度ドクターヘリの止まる場所になるとのもっぱらの噂。
周りは密集した住宅街で、怖いねなどと言われてる。
春先に全国ニュースになるような大きな火事があった。
3軒の店舗兼住宅が燃えて、何人か死者も出た。
そこも解体が終わって、最後の片付けが始まっていた。
みんな新しいものに生まれ変わるために、古いものが一掃された。
私の心の中に少し似ている気がした。
今いくつもの過去が行ったり来たりしている。
『サヨナラの背中』
これが2軒の解体作業を横目で見た時に出てきたフレーズだった。
サヨナラの背中はこうだった。
私が最後に見たその人の姿だった。
私はその日1日の様子をそれはそれは事細かに書いていた。
本当はその場面はそのノートを見なくてもそらでスラスラと言えるぐらいに記憶に残っている。
私はその時のその時間のことはわざと仕組まれたんじゃないかと思っている。
私が帰る時間はいつも決まっていた。
よほどのことがない限り、残業ゼロの仕事だった。
その日もご多聞にもれず、いつも通り定時上がりの予定でいた。
その会社はある意味とても緩くて、普段は楽チンだった。
送別会を欠席しても私の場合は問題なくて、他にもキッチリと決まりきった社内ルールもなく、気楽だった。
ただ、こういう会社は、何かイレギュラーなことがあると、その時の対応もルールがなかったりするから、その時になって初めて困ったことになったな…とは思った。
異動の人が出る。
送別会は早々と開かれ(私は欠席)、そして本人出勤最終日を迎えたその日、私は終業間際になって、この会社に長年勤めてる私の教育係的な人に聞いた。
最後はみんなで見送ったりとか、何か挨拶的なものがあるんですか?と。
絶対にないだろうと思っていた通り、「うちの会社、全体の見送りはないし、本人もいつ帰るのかわかんないから、個人的に挨拶して帰っていいよ」と返ってきた。
自分の気まずさも手伝って、最後は本人が全体に挨拶してサヨナラの方がいいなぁと勝手なことは思ってた。
そんな勝手が通じるわけもなく、もはや逃げられない状況だった。
もちろん逃げて挨拶せずに帰るという究極の選択肢もないわけでもなかった。
でもそれしたら、私は自分が一生後悔しそうなことは目に見えてたから、それだけは止めた。
涙腺が緩んだらいつでも泣いてしまいそうだった私は、何日か前から最後の挨拶の時に泣きそうになったら笑うための秘策も練りに練った。
私は今でもその秘策を覚えている。
ぬぼーっとした男の子がいた(「ぬぼーっ」と表現したけれど、これが癒しになる人で私は悪い意味では言っていない)。
男の子とか言ったけど、30歳ぐらい。
でも本当に少年みたいな男性だった。
その彼がある時、私の作業机に置いてあった徳島産のすだちの箱を手に取って、1、2分ずっとずっと眺めてたことがあった。
本当に穴が開くほど、その箱を自分の鼻から10センチ程度のところに近付けてまでじっと見ていた。
180度反対側の位置から私がその様子をずっと見てるのも気付かずに、とにかくずっとその箱を飽きもせずに眺めてた。
その姿があまりにシュールで、私は息ができないほど大笑いしてた。
多分箱にあったご当地のゆるキャラを見てたんだと思うけれど、本当にわざわざ足を止めてまで見ていて、そんなに見たかったんだと驚きながらもとにかく私は笑いが止まらなかった。
泣きそうになったらそのシーンを思い出そうと考えた。
でもそのシーンは使わなかった。
なぜなら、秘策起用を考えた時に、それがその人がいなくなる時を想像してとてつもなく悲しくなる、なんなら私はそれで泣いたりもしたから、それを思い出すとその悲しい気持ちの方が出てきて使えなくなってしまった。
ちなみに今は、その両方を覚えていて、そのどちらも等しく大切な思い出に変わった。
あの大笑いした瞬間の可笑しさも、それを秘策起用しようとして悲しくなってしまった切ない気持ちも、両方大事に胸の中にある。
そんな状況を見越して数日前から心と言葉の準備をして、さぁあとは挨拶するだけという頃合いになった時、本人不在のまま時間だけが過ぎた。
待てど暮らせど戻ってくる気配がなく、私は意を決してその人がいるだろう階下へと向かった。
それもそれで本当に嫌だったけれど、逆に他の人たちもいるとなれば気が引き締まるし、余計な私情がむくむくと湧き出なくていいかもと思った。
おかげで私の中の悲しみは吹き飛んで、その他の人たちもいる前で挨拶するだろう覚悟や想像をするのに忙しくなれた。
階段を降りようとドアを開けたら、目の前に階段を上がってきたその人がいた。
7/12 14:53
さっきはここ(↑)で書けなくなった。
書けなくなって、その時の感情が押し寄せて来て、それで書くのを止めた。
でも私は、今どうでもこれを書ききらないと自分が気持ち悪いのと、手紙の時同様、今書く必要があると感じていて、だからこれからまたこの先を書き続ける。
7/12 20:50
≫階段を降りようとドアを開けたら、目の前に階段を上がってきたその人がいた。
まさかそんなところで遭遇するとは思わず、私は何かを言って本人を引き止めた。
帰る前に挨拶しようと思ってとか、いなかったので探しに行こうとしてたとか、そんなことを言った気がする。
何を言ったのかはもはや覚えていない。
お世話になりましたとか、ありがとうございましたとか、本当にありきたりな言葉を並べた。
舌打ちされそうな感じの重苦しい空気が漂っていた。
舌打ちするというか、何だろう、とにかくこの状況に嫌悪感を抱いている、できれば関わり合いになりたくないというような空気だった。
感情をすべて捨てたような、「お世話になりました。ありがとうございました」という相手の言葉が耳に入って来た。
私の知ってるその人の声ではなかった。
声質が普段とは全く違っていて、私はその声を聞いて真っ先に浮かんだのは「私のこと、本当に嫌いなんだな」だった。
相手に壁を作る時の声と言えばいいんだろうか、そういうタイプの声だった。
息が詰まりそうな苦しさだった。
最後まで目を逸らされてしまうかもしれない、というのは何日も前から覚悟に覚悟を重ねていた。
とにかく色んな最悪のパターンを想定して、そのどれが来ても最後まで普通に振る舞えるように、それだけは心掛けようとずっとずっと自分に言い聞かせてた。
一瞬だけその人は私の目を見た。
とても冷たい目だった。
また思った。
「私のこと、本当に嫌いなんだな」って。
手紙を渡したことも後悔した。
誘ったことも後悔した。
自分のしたこと全てを後悔した。
何もしなきゃ良かったと思った。
何もしなければ、最後は心の耳でいつも聴いていたあの声と、その人特有の透き通った目を見納めることができたのに…と思った。
その人は先に事務所に入って、私も即座に入ることはできたけれど、少し間を置いてから戻った。
その時にはすでに私側からは背中を向けてる格好で他の人と話をしてた。
その人は私のことを見ることもなく、私は横目でその背中を見て、いつものように「お先に失礼します。お疲れ様です」と全体に言って事務所を出た。
その人がさっき上ってきた階段を降りて、靴履き替えて、玄関出て、その人の車を見納めて、そしてその人の名前が貼ってある知らせを見てから車に乗り込んだ。
サヨナラ。
サヨナラだった。
私はその日のことをもう一度文字と共に振り返りたくて、日記と日々の記録を書いたノートと両方を今さっき読んだ。
読んでたら、何で今こんなに涙が出るのかわかった。
その日のことは、仕事の後、3〜4時間かけて日記やノートに書いていった。
だから、すごい詳細にわかるし、その時に私が自分に対してどんな言葉を掛けたのかも読めばわかる。
だけど私は肝心なことを何1つ書いてなかった。
自分がその時に感じたことを1つも書いてなかった。
本当は胸が押し潰されそうなぐらいにショックだったことや、悲しくて悲しくてどうしていいのかわからなかったことや、明日から会えないことが信じられなくて実は動揺しまくってたことや、もしかしてもしかして…と最後まで希望を捨てられない自分がみじめだと思ってたことや、嫌われてると思って本気で辛かったことや、そうした苦しくて出口も答えもなくて自分でもどうにもできなかったことがどこにも書いてなかった。
私はそれこそ全力で防衛していた。
何もかもが悲しすぎて受け入れられなくて、そしてそんな状況でもまだ相手を想う自分が本当にアホらしくて、感情は荒れに荒れてた。
だけど私は蓋をした。
あの目も声も背中も、全部が全部、拒絶のサインのようだった。
私が帰る時間を真ん中にして、前後30分弱席を外してた。
そこまでして避けられてたんだな私…と思った。
7/12 21:26
今朝目にした解体が終わった2つの地点。
どちらも子どもの頃から見慣れた風景が、今このタイミングでがれきを撤去しつつ更地になろうとしてた。
『サヨナラの背中』はどうリンクしているのかわからないけれど、なぜか真っ先に出てきた言葉だった。
この一連のことを何回かに分けて書いた時、私は想定している読者1人ももちろん頭に常にあったけれど、それとは別に自分に気を使った。
自分の真実を自分の言葉で語りたかった。
それが正しいか合ってるかとかはどちらでも良くて、自分の気持ちや自分の中の真実をなるべくまっすぐに言葉を盛らず誤魔化さずありのまま書きたかった。
私はこれまでその時のことはとても変だと思おうとしてた。
実際に変は変だったし、自分でも相当理解に苦しんだ。
でも、世間から見ての目線とか、40歳という年齢を考えての常識的な振る舞い方や考え方とか、一般的な恋愛の流れとか、そんなの全部を取っ払って、私はまず自分が何を感じて何を思って何を本当に大切だと思ったのか、そこに目を向けるようにした。
私の中の真実は、世界中でただ1人、私しか語れない。
私はその真実を色んな形でぼやかそうとしたり、世間で受け入れられるような形にしようとしてたこともあった。
だけど、それは私が苦しくなるだけで、あまり良い方向には向いてくれなかった。
仮に、相手の人が本当に私をうざがって嫌って拒絶したい人No. 1に思ってたとしても、それでも私だけは私の真実を語れる自分でありたかった。
勘違いでも痛い人でもいい。
私は私の体験に堂々としてたらいいんだ、ってやっとやっと思えるようになった。
書いていて恥ずかしいなぁと思ったこともある。
これ読む人からどんな風に映るんだろう?と思うと、言葉を茶化そうとか違う言葉を選ぼうとした自分もかなり出てきた。
それでも私は私の体験を私の想いを私の真実を私の言葉で綴りたかった。
他の誰でもない自分で。
これは私にしかできない。
そこが私の今のところの到達ポイントなんだと感じてる。
日記を読み返した時に、去年の8月の終わりに九州で友達の結婚式があって、その時のことが書いてあるページも見つけてついでに読んだ。
先に言う。
この時の新郎と、式で席が隣りになった男友達の2人は、たしかその年だったと思うけれど、たまたま私の誕生日の日に2人で会ってて電話をくれた。
誕生日おめでとうの最初の出だし以降、2時間のうちほぼ9割、電話の向こうで下ネタを延々と話され、話すぐらいならいいけれど、そのうち「ぶっしー、前戯好き?何が好き?」と超絶ふざけたことばかりを言ってくる2人組だった。
(私の名誉のために言うけれど、私は話は聞くけれど何を聞かれても何も答えない)
席が隣りになった友達とのやり取りを私はこう書いてた。
【○○くんにイケメン上司にメモを渡して連絡先を交換する話の相談に乗ってもらう。
「ちょっと待った。真剣に考えるから待ってて」と言う。
相変わらずこういう人に対しての優しさ、オンオフの切り替えがとても上手い人だと思う。
○○くんからは直接ごはんに誘え、そっちの方がいいと言われる。】
先に書いた通り、普段は超絶ふざけまくってる。
下ネタだけじゃなく、人をからかうことも大好きだし、私は色んな意味で格好の餌食になっている。
だけどあの時、その友達は私を一切からかわなかった。
そんなことそもそも相談もしたことがないから驚いたのもあったのかもしれない。
でも友達はふざけることはなくて、本気で考えてた。
好きなお酒を少しの間ストップさせて、真剣に考えてくれた姿は今でもはっきりと覚えている。
私が真剣に考えてたのが即わかったんだと思う。
その後、一度何かの連絡の折にどうなった?と聞いてくれた気もする。
ダメだったとか言ったと思うけれど、それもからかわなかった。
友達はその辺りの線引きが天才的だし、人は本当に良いからそれをネタとかにもしないけれど、そうやってわかってくれる人がいたんだと、1年後の今日記を読んで気付いた。
私のことだから、相手のことに対しての気持ちをものすごくまどろっこしく説明したと思うけれど、それさえも突っ込まれなかったような気がする。
それぐらいに私も真剣だったし、友達も真剣に考えてくれた。
そうしたことももたらしてくれた人だった。
そのぐらいのすごい人に出逢えたんだから、私はもっと堂々として良かったんだと今になって思う。
周りの目ではなく、自分の目でまっすぐに見つめた時、そこには純粋に相手を想う気持ちだけで、それが全てだった。
純粋さは時に「これっておかしい」とか「手が届かないからやめたら」とか、まぁ色んな世俗的な考えにすぐ染まりそうになってたけれど、それでも最後まで変わらずに残ったのは、その人に対する気持ちだけだった。
そんな人に出逢えた。
そしてそのおかげで、私は今ようやく自分の言葉で自分の真実を語れるようになった。
今までの私なら誤魔化してた。
そっちの方が傷付かないと思っていたから。
でも今気付いた。
誤魔化す方が自分が傷付くって。
自分に正直である方が、自分自身と繋がれるとわかった。
この人はそういう人だった。
見えない部分で本当に私を変えるパワーを秘めた人だった。
私を変えると言うよりも、素直に自分を表現できるように、それの大きなきっかけとなる人だった。
連投で書き続けてわかった。
何でこんなにもその人のことが自分の中に残って、そして色々変わっていく中でもずっとずっと残り続けるのか。
その人は、ここに書いた全てを引き出してくれる人だから。
そしてそれは私が最も自分の人生の中で大切にしたいと考えているもので、それに気付かせてくれた人だからだと思う。
言葉で書こうとするとおかしくなる。
その人がその人だから、だから残ってる。
一番は、その人だったから私は惹かれたと思ってる。
その不器用なところも他の色んなところも全部含めてその人だから、その人を形作ってる全てに私は出逢いたくて出逢ったんだと思う。
サヨナラ背中のシーンで、色々後悔した私が出てくる。
でも今は後悔していない。
そんな人と出逢わせてもらえたことを本気で感謝してる。
本当に出逢えて良かったから。
その人に出逢えて本当に私はしあわせを感じてた。
たとえ1人のままでも、しあわせを感じるという究極のしあわせを味わったから。
7/12 23:56
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