2018年7月7日土曜日

つれづれ日記の翌日

『88888』の記事について書き始めた。

朝は昨日よりもグダグダ感は抜けてくれてた。

天気は雨で、私はそれを見てホッとした。

テンションがいまいちな日に晴天の日は、それだけで気が滅入りそうになる。

だから、自分のテンションと天気の感じがマッチしてくれてると、それだけでありがたい。

久しぶりに良く寝た。

昨日は昼間に2回、合計で3時間弱は寝たと思うけれど、夜は夜でまた異常に眠かった。

いつもより1時間早く寝て、そしていつもより1時間遅く目覚めた。

何が起きたのかは知らないけれど、本当に熟睡できて、私はそれだけでも気分が良かった。

おとといからのウダウダ感はまだ残っていたけれど、そのうちにそれも飽きてきて(!)、そうだ88888を書こう!となった。

当時の資料となるノートと日記帳も出してきた。

過去にさかのぼりながら、改めてこの88888のストーリーがとても特別だったことに気付く。

想像もしていなかった未来が88888にはあった。

無計画をひたすら積み重ねた私の人生の中で、最大級の奇跡を見せてくれたものだった。


半日以上書き続けて、とりあえず前半が終わった。

当初全部を1つの記事として書く気でいたけれど、半分いった時点でWord17枚にもなったからやめた。

文字は15000を超えた。

だから後半として残りを別の記事に書くことにした。

書いていて自分で改めて感じたことがある。

そこに書いたことは、色んな人の色んな人生が重なって1つのストーリーになっている。

当然私は私が見聞きしたことしか書けない。

だけど、全員からそこに至るまでのストーリーを聞くことができたとするなら、もう考えられないぐらいに壮大なストーリーが確実に待っている。

そこには色んな人たちの色んな人生のストーリーと日々の選択とが重なり合っている。

自分のことならまだしも、他の誰かの人生に関しては私は一切の権限を持たない。

何も選べないし、何も決められない。

だけど、それぞれの人が紡いだ人生がある日私の紡いだ人生と交わる。

それはどうしてそうなるのか、自分だって相手だってわからない。

わからないけれど、気が熟せば、お互いの人生が交わり合うようになっている。


今朝その記事を書き始める前に、いくつかのブログを読んだ。

その中の1つの写真に釘付けになった。

ある芸能人の言葉を引用するために使われた写真だった。

その芸能人の名前も写真の中にあった。

私は言葉は知っていたけれど、その大元の提唱者の名前は知らなかった。

大元の提唱者の名前は、その88888のストーリーの主役と同じ名前だった(下の名前)。

しかも単に同じじゃない。

漢字も全く一緒だった。

漢字まで一緒というのは、そんなにない。

これから書こうという時に幸先良いなと感じた。

しかも引用文が良い。

私の心の代弁だった。

笑ってしまうぐらいにおかしな偶然だった。

そうやってこの人は自分の知らないところでいくつもいくつも私に面白いものを見せてくれる人なんだなと思った。

私は書きながら、数々のシンクロをたくさん思い出してた。

本気でドラマ1本書けるよ!と言わんばかりのシンクロだらけだった。

自分の頭ではそんなシンクロ考えられない。

だけど、現実はありえないようなドラマの連続だった。


干支が一周した。

干支が一周して、初めて私は去年までと違う願い事を考える。

夜の雨の音を聞きながら、願い事を模索する。

12年間ずっと特別な1日だった今日。

13回目になって、私は初めて別のベクトルに向かっている。

どんなベクトルかなんてまだ全貌はさっぱりでも、とりあえず矢印の向きは確実に変わった。

いつかは全てが終わる。

13回目の夏、初めて「はじまり」だと気付く。

終わることがはじまりだと。

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