順番があべこべだけど、書けるうちに書いてしまおう。
別の話を途中まで書いた。
その途中まで書いたものに別のもの=これから書こうとしてることが加わった。
でもこれ書き出すと、ただでさえごちゃごちゃした話がもっと混線すると思った。
だから思いついた今のうちに書いてしまう。
重軽の石(神社)の前にも私は別の場所にもう1つ寄っている。
その話を始めたら、どんどん話があちこちに飛び出したから、それでこれは別で書こうと決めた。
重軽の石は、あれはまやかしだったのかと思って、私は今朝も懲りずにまた箱を変えて持ち上げてみた。
自分の思い描いていることによって自分が感じる箱の重さが変わるのかどうかを確かめた。
結果は変わらない。
やっぱり、その人と再会する、と思いながら聞くと、箱は一番軽くなってひょいと持ち上げられた。
だけどさっき途中まで書いた話を改めて振り返ると、昨日や今朝の重軽の石の状態はありえない。
もし私がもう少し分をわきまえて一社会人として真っ当な態度で臨み、それはすなわち何もせずおとなしく可も不可もない態度でいたとしたなら…。
今となっては脅迫状だったんじゃないかとさえ思う手紙も存在せず、とりあえずニコニコ他の全員に対してと同様にその人にも接し、まあるく事を収めたとして。
間違いなくその人との最後は全く違うものになったと思う。
最後は絶対に違う。
その人も会社の人間として社会的な微笑みともう少し心のこもった社交辞令ぐらいは私に見せてくれたと思う。
その人にとって無害でいられたとするなら、その人も私に対して友好的に振る舞ってくれたと思う。
いつもたられば話はそこで止まっていたけれど、この度の重軽の石でここに至るまでをたらればしてみた。
あまりにも色々あったから、今さら何もなかった設定なんてそもそも無理なのは百も承知だけど、もし何もしなかったなら、今の自分は今の自分の立ち位置にはいなかったと思う。
良い思い出だけを手にしていたとするなら、もしかして私は今頃その人のことをかなり忘れたかもしれない。
100%忘れはしないけれど、24時間体制的な存在感ではなくなったかな…と。
本人もいない、会える見込みもない、そうした状況になってから、驚くぐらいにたくさんのことが起きた。
それも、起きることとその人とが色んな形で重なっていた。
だけどもし、波風立てず、穏便に済ませ、何事もなくその人の旅立ちを他の人たちと同じように見送ってたとしたら、多分その重なりはなかったと思う。
途中まで書いたことの中に「本人に挨拶とかは無視しても構わないけれど、仕事の用事を私が伝える時だけは普通にして欲しいとお願いしようかと考えてた」という下りが出てくる。
その人が実際に私に取った態度を見たら、99.9%は「嫌われた」とか「嫌がられてる」とか「不快にさせてる」とか「迷惑になってる」とか、まぁそう捉えて当たり前の反応だったと断言できる。
少なくとも私自身はそう捉えた。
ショックやら申し訳ないやら色んな感情が湧き上がったけれど、それを見て「私愛されてる」とか「私好かれてる」なんていうことだけは絶対に想像できなかったし、そんな考えさえ選択肢の中に持つにはあまりにも無理すぎる状況だった。
その人の態度を見て「好かれてる」と脳内変換できる人がいるとしたら、相当頭のいかれた人だと思う。
そんな中、私は一方的に色んな感情が噴き出して、自分でも色々変すぎてこれは単なる自分の思い込みがこういうおかしな事態を招いてるんじゃないか、もしくは色んなことを勝手に無理矢理こじつけてるんじゃないか、そんな風にもいっぱいいっぱい思った。
それが私が実際に現実でたくさん考えたことだった。
だけど、もし全てをそっとしておいたら、そんな考えも浮かばせる必要もなければ、きれいな思い出として全て良い風に記憶されて今頃は終わりを素直に受け入れていたと思う。
その違う現実の中にいたら、重軽の石さえもしかしたら登場しなかったかもしれない。
その神社に行って重軽の石を見つけるところまでは、現実に起こったとしても不思議じゃない。
だけど、私がその人に再会できる?なんて質問さえ思い浮かばなかったと思う、もし何もせずそっとしていたら。
少し冷静になってみると、それよりももっと聞きたいこと他にもたくさんあったなと思う。
でも何も深く考えずとっさに出てきた質問というか願いがその人との再会だった。
実際にあったこと+その人の反応+ずっと音沙汰なし、という図式からは「再会」なんていう答えはとてもじゃないけれど導き出せない。
なのに重軽の石はその質問の時が一番軽かった。
それも断トツで軽かった。
とにかく全てが平穏無事に事が運んでいたとするなら、この10ヶ月近くの間であったことは、一瞬で消えてなくなる。
存在さえできなかった、そんな気がする。
当然のごとく、重軽の石は現れなかったと思う。
半分寝ぼけながら書いてるから、結局言いたかったことが何だったのかよくわからないままだった。
月曜日23日以降加筆訂正するかもしれない。
2018/07/21
これが書きたかったことではないと思うけれど、今思い付いたし、いつかは書きたいと思っていたから書こうと思う。
私がその人がいなくなった去年の秋以降今に至るまで、もし全てがまあるく収まって違う道だったとするなら…というのはこういうことだった。
現実的に、その人がいない毎日がスタートした。
風景は少しずつ変わっていった。
少しずつだったおかげで、私はその変化が思ったよりも平気だった。
風景の変化は、本人がまだいた時に徐々に物が減っていく方が私には衝撃だった。
ビックリするぐらいに物が散乱している机だった。
ちなみに私は自分が整理整頓ができないことを知ってるから、仕事の机だけはやたらと細かく分けて片付けるようにする(じゃないと、書類やら他の大切なものを失くしかねない)。
家でそれができないから、まるで家の私の私物状態だった。
あんなにごちゃごちゃしてるのに、仕事はきっちりしている。
神業としか思えなかった。
で、その机のごちゃごちゃぶりが片付いて机の面が見えたり、スッキリしたりするその変化を見てる方が私には辛かった。
本当に日に日にあのトレードマークと呼んでもいい机が片付いていく様は悲しい他の何ものでもなかった。
机のごちゃごちゃ感でさえも、それはその人を表すもので、私はそれさえも見えなくなることの方が悲しくて仕方なかった。
その人の命の表現みたいで、私にはそのごちゃごちゃ感が特別だった。
なんなら自分の気持ちが認められずその人の粗探しを必死でしてた頃、その机のごちゃごちゃ感もマイナスポイントにしてたぐらいだった。
自分が何様なのかと思うけれども、その人に冷めるには何でもいいから材料や理由が欲しかった。
そうした思い出もあった机だったから、余計とそこが片付いてその人の色がどんどん薄まってしまいにはなくなるその瞬間までは、本当に寂しいカウントダウンだった。
私はそこをわざと目に入らないようにしてたぐらい、見たくないものだった。
だから、実際にいなくなってからの背景としての風景は、そんなにも心が悲しくはならなかった。
だけど、存在そのものは目に見えてなくなったわけで、その穴は慣れるのにずい分と時間がかかった。
色んなところから名前も剥がされて、別の名前がそこに載るようになった。
その変化のスピードだけは速かった。
週明けの月曜日の朝、私は思い付いて、多分もうこれは見れない気がすると思った玄関先の貼り紙を写真に撮った。
読みは大当たりで、その日のうちに貼り紙は変更になった。
そうやってどんどんその人のいた風景は変わり、私が辞める頃には跡形もないぐらいになっていた。
目に見える景色も耳で聴く音も何もかもその人のいない毎日が普通になった。
ところがおかしな話で、その人がいなくなる少し前、多分最後3日ぐらいから、その人を示すサインやメッセージが色んな形でやって来るようになった。
それは止まらなかった。
いなくなってからの方が回数は増した。
そしてどういうわけか、私が何か思い悩んだりしてる時にたくさん来るようになった。
その人は本当にいないけれど、いなくなってからの方がうんと色んな形で近くにいるみたいな、そんな日々に移り変わった。
自分でも変な表現だと思う。
現実的な繋がりは何もなくて、連絡も取れなくて、相手は確実に新しい生活を始めている。
にも関わらず、私の生活の方は、その人がいることを、その人が今日もどこかで生きていることを私に伝えるかのようにその人を思い出さずにはいられないものがどんどん増えていった。
最初は気のせいだと思った。
傷心がそういう幻想じみたことをたまたまタイミング良く見せてるだけなんじゃないかと思った。
ここに書いたかわからないけれど、私は正月の時、さすがに正月にそんな何かを目撃することはないだろうと思った。
しかも当時、2歳の姪っ子も妹と正月帰省していたから、我が家のテレビはエンドレス、アンパンマン+ドラえもん+おかあさんといっしょ+アナ雪、という大人は辟易とする番組ばかりが映ってた。
あれは本当に一瞬のことで、私も見たくて見てたというよりボーッとしながらテレビを眺めてたに過ぎなかった。
その人の名前が仮に森山直太朗だとする。
「新春のご挨拶」という始まりで、地域の会社の宣伝が正月になると流れる。
終わりは「代表取締役 森山直太朗」みたいなやつ。
あれが二本連続で流れた。
1本目の会社の代表取締役は「森山なんとか」さんだった。
2本目の会社の代表取締役は「なんとか直太朗」さんだった。
なんと2本合わせると、その人の名前、特に名前の方は何通りもの漢字がある名前だけれど、まさに同じ漢字の名前がテレビに映った。
とまぁ、なかなか粋な感じの演出で、盆正月問わず度々どころか週5ぐらいの割合で何かを見るのがずっと続いてる。
なんなら昨日、東京で世話になる人たち向けにせんべいを買いに出かけた時。
私が清算するために立っていたその場所からちょうど他の新潟土産のお店の名前も見えて、それがその人の名前と同じ名前のお店だった。
相変わらず、至る所で名前が散見される。
一事が万事そんな風で、いなくなったのに、本当に目に見えることも声を聴くこともないのに、まるで見えないところでは繋がってることを示すかのように色んなものを私は見たり聞いたりしている。
だからいなくなってからの方がなぜかいるみたいな、すごくおかしいことだけれど、本当にそういう風だった。
だから、たらればで、もしその最後の時にまあるく収まって、少なくとも心底気に入っていたあのきれいで澄んだ目とあの何がそんなにも惹きつけるのかその理由はわからないけれどとても良い声とそして笑顔とは、その人からもたらされたと思う。
ただ代わりに、この何ヶ月の間で見たものたちは何1つ見えなかったような気がする。
その人が私の中にいるなんてこと、そのうち感覚が薄れて忘れて、今なんかは違う風になったんじゃないかと思った。
先日の車のメーターが88888をヒットした話なんて、もしかしたら起こることさえなかったのかもしれない。
こんなのは私の念的なものかもしれない。
だけど、そうだと片付けるにも片付けられないぐらいのことが数ヶ月に渡って起こり続けた。
私は山登りしないからわからないけれど、方角がわからなくなったら北極星を見て確認しろというのを聞いたことがある。
それで方角がわかるんだと思う。
日々色んなことがある中で、色々訳がわからなくなることも多々あるけれど、その中でその人の存在というのは目印みたいな感じでいてくれてる、たとえ本人にその気が一切なかったとしても。
中心にどしっと構えてるのとはちょっと違うのかもしれないけれど、フラフラ、オロオロする私みたいな人には、「これだけは変わらない!」というのが1つでもあると本当の意味で安心できてとても心強い。
その人はそんな風にどんどんなっていった。
だからいないのにいるみたいな、不思議な感覚がずっとずっとあった。
もちろん、私の勘違いという可能性はかなりある。
思い込みが激しいだけかもしれない。
でもおかげでこの数ヶ月何とかやり過ごせたんだから、それは勘違いや思い込みであったとしても、非常にありがたかった。
だから、1年前に戻って違う選択がなされて、それこそ一社会人として理性と常識を最優先させてたとするなら、多分今は全然違うところにいたんじゃないかなと思う。
いないのにいる、いると言うよりもその人の存在を感じる、みたいなのも体験することなく時が流れたのではないかなと予想している。
すべてはたらればだから、そんなのは現実として実際に想像はできないけれど、私にはそんな風に感じる。
重軽の石を持った時とても驚いたのと、そしてなぜかあのいつかの冷たい様子が思い浮かんだ。
絶対に私と目が合わないように、それもちょっとじゃない、もう何が何でも目を合わせないというような強い意志を感じる行動に、私は本気で打ちのめされた。
あの時最後に私は「よろしくお願いします」と声を変えず、努めて明るく言うようにした。
心はどこまでも落ちたけれど、そんなことへっちゃらですぐらいな感じで、用件を言い終えた。
あの部分だけ切り取ると、再会なんて叶うどころか夢に見ることさえはばかられる。
だけど、この何ヶ月にも渡るものたちは、どちらかと言えば、あの冷たさではなく、重軽の石寄りな感じのものだった。
見えない世界からのメッセージだとするなら、あの重軽の石が伝えようとしてることもわからなくもない。
当時のことを私はこんな風に書いている(ずっと気にかけてくれた方に送ったものの一部)。
私が自分の気持ちに正直になって書いたありのままの気持ちだった。
2017.9.8
「あれ(ごめんなさい、できませんの答え)が本心ではなかったように思います。
(中略)
だから、断られた時もどこか違和感のような、頭で出した答えという感じでした」
私にはどうしてもその人が自分の本心からその言葉を発してるようには見えなかった。
見えないと言うよりも感じられなかった。
心と言葉が一致している時のスッキリ感やストレート感がなくて、何かもやっとした感じが残った。
もちろんそんなこと一言も突っ込んでなんて本人に言えなかったけれど。
っていうか、そもそも私もよくぞあの状況下で聞いたなと思う。
賭けの結果により、理性ではなく自分の心に従うと決めたはいいけれど、今振り返るとかなりはちゃめちゃだなと思う。
上のものをメモから探してたらついでに出てきたメモ。
2017.10.8 5:12
「目の前で起こったことを言葉で描写することはできるけれど、その行動の裏側にある、またはその行動を支える相手の気持ちや意図を言葉で表すことはできない。
それは私は知らないから。
それよりも、その時に私の中に広がった感傷に思いを馳せ、それを癒すことに注力したい。
あの時の私はたしかに傷付いてた。
だけど、その傷は傷のまま終わりにするものじゃない。
癒して自分に新しい何かを与えるきっかけとなるものだろう。
そしてそのきっかけを与えてくれるのは相手が○○さんでなければならなかった。
他の人ではそういう反応を生み出さなかったから。
その感覚さえも人間であるがゆえ、今命があるがゆえのことだと思うと、何だか愛おしい。
生命力
人間力
自分力
今ならその順番がわかる。
命があること。
人間であること。
その2つが満たされて初めて自分であることの領域が発動する。
干支が一周して、川端さん(=川端誠さん・絵本作家さん)の言葉がようやく自分のものとして理解できるようになった。
そういうものを気付かせてくれる存在なんだと、○○さんはそういう人なんだと気付く。
もし○○さんが社交的でうまく振る舞ってくれてたら私の中の気持ちは穏やかでそれで終わってたかもしれない。
だけど、それとは真逆で、私がものすごく動揺する結果になって、頭であれこれ考えないといけなくて、でも結果今のようなことに気付く流れになってたとしたら、○○さんの在り方が一層愛おしい大切なものになる。
自分に優しくするきっかけを与えてもらったんだと思う。」
当時、1ヶ月?2ヶ月?ぐらい、本気で眠れなくなって、毎日3時間寝たか寝ないかみたいな生活を送ってた。
私は不安が高じると眠れなくなる体質で、その時はその人が自分の世界からいなくなってしまうことが本気で怖かった。
そこまでの症状が出たのは過去にもう1回だけで、でもその時は不安でそうなったのとは違ってた。
過去の時は、どちらかと言えば、楽観的な状況にあって、意識が深まるような感じのことが続いた時になった。
でも当時は違ってた。
その人がいなくなるというのは、私にとって、何かとんでもない恐怖が立ちはだかっていて、絶望みたいなものだった。
生きているのに会えない、人生で交わらない、それが本気で怖すぎてまともに受け止められなかった。
その恐怖や絶望を説明するのに、「魂の繋がり」がわかったのは大きかった。
あるという前提で、その人とのすべてを見た時に、その恐怖や絶望も理解できるレベルになった。
魂からの叫びだったとするなら、あの半端ない怖さ、人生でもう交わらないという時の絶望が、わかる気がした。
やっと出逢えた、なのにそれぞれの道に行く、それが本当に悲しくて仕方なかったんだと思う。
重軽の石1つがこれだけたくさんの回想と想いを引っ張り出すことになるとは思わなかったけれど、久しぶりにあの嫌で嫌で仕方なかった瞬間を思い出した。
でも、時間の経過と共に、あの嫌な瞬間は違う意味合いが加わって嫌ばかりではなくなった。
時は流れるし、状況もあれこれ変わる。
時々、その幻みたいなことではなく、もっと現実的に発展性のある関係を誰かと持ちたいと思うこともある。
それでもいつだってその人は私の中にいて、何をどうやっても出る気配がない。
この存在感は半端ない。
重軽の石は、願いが叶うとかいうことではなく、その願いがどれだけ自分にとって大切なものかを教えてくれるバロメーターとしたら納得できるなぁ…。
自分でもよくわかってないけれど、多分とっても大切な人なんだと思う。
そう思うと、あの重軽の石の結果もわかる。
7/23 真夜中
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