夏の太陽・夏の雲・夏の夕暮れ・ホタル
夏の太陽を見ていると、私は時々とてつもなく寂しくなる。
夏の太陽の力は半端なく強い。
7月2日 23:33
朝起きた時に、体に独特の感覚があったからそれを調べた。
そうしたら全然関係のないブログがヒットして、なぜか気になったから開いて読んだ。
話の感じだと、40代前半で奥さんを病気で亡くされた男性の心の中が描かれているものだった。
いくつか読んだ。
そのご夫婦の夏の思い出のページがあった。
夏の太陽と暑さの中にバーベキューや冷たいビールが出てくる。
不謹慎かもしれないけれど、私はそれが羨ましかった。
誰か大切な人と思い出を紡げたことが羨ましかった。
三つ子ママの奮闘記を1週間前ぐらいに読んだ。
ある時は、ホロスコープのブログの中でその方は旦那さんとのことを初めて少し踏み込んで書いていた。
旦那さんの事業が失敗したのは知ってた。
それだけにしては(もちろんそれだけのレベルじゃない)違和感がずっとあった。
そうしたらこの間、旦那さんの浮気について初めて触れてた。
改心されたみたいだけれど、文章の上に苦しさが、どうやっても受け入れられない気持ちが乗っかっているようだった。
そんなことは書かれていないし、今は再生した関係が書かれてあったけれど、どうしてもその悲しみとか許せなさみたいなのが見え隠れしていて、ポジティブな内容とは別に私の方が勝手に気持ちが沈んだ。
色んな人の色んな人生を覗いた。
みんなそれぞれにライフヒストリーがある。
去年の秋のおじの葬儀の時を思い出した。
おじの家から徒歩2分ぐらいの距離に大きなお寺さんがある。
そのお寺さんにお経を上げてもらうために行ってきた。
10年前の祖母の葬儀の時から少し変わって、寺の中もやたらと高齢者を意識したかのような内装に色々変わってた。
例えば前は畳の上に直に座るスタイルだったのが、今はパイプ椅子がズラリと並べてあった。
お茶が出てきた。
年老いた住職の奥さんがもてなしの心で客人の私たちをもてなしてた。
副住職の息子さんは独身らしく、若い奥さんはいなかった。
冗談なのか本気なのか区別がつかなかったけれど、いつだったかいとこが「史子、本当に嫁に行きたいのなら、下の寺の住職の息子を紹介できるよ」と言われたことがあった。
もちろんそんなのお願いしてないから今の独身の私が成り立つわけだけど、あれからも変わらずに独身なんだなぁと自分のことは棚に上げて思った。
色んな人生がある。
色んな人生模様を見ると、自分の人生には自分だけのテーマがあるとわかる。
私は三つ子ママではないし、死別の夫がいるわけでもないし、浮気夫もいなければ、寺の住職の嫁でもない。
今は名前だけがある39年目の人生を生きてる人になってる。
体も丈夫で、本当なら3人ぐらい子どもを生める体だったのかもしれない。
ドミニカにいた頃、婦人科系の病気が発覚して(多分29歳ぐらい)、でも同じ病気で手術までした妹は自然妊娠して姪っ子が生まれた。
私は20代の頃、児童養護施設と呼ばれる施設で働いて、2歳から18歳の高校卒業するまでの子どもたちを見る仕事をしていた。
虐待とか親の精神病とか色んな理由で家庭での生活は適切ではない(中には本当に命からがら保護された子もいる)と児童相談所が判断した子どもが生活するために入所する。
私はその仕事が大好きで、大好きな理由の1つが毎日色んなドラマがあって、そして1人1人の子どもと色んなものを積み重ねるそのプロセスに魅せられていた。
色んなドラマと言ったって、テレビドラマの世界のようなドラマじゃない。
布団を一緒に敷くだとか、ご飯食べるだとか、学校の宿題を見るとか、そんなどこの家庭でもあるようなことを一緒にするだけ。
事件も山ほど起こしてくれてたけれど、それでも本当に毎日毎日同じようでいて少しずつ違っている、そしてケンカしたりしながらも関係ができてくその感じが私にはすごく面白かった。
くそばばあも死ねも山ほど言われたけれど、自分より背の高い男の子に殴られそうになったこともあったけれど、椅子やら物やらが投げつけられたこともあったけれど、それでも楽しかった。
だから私は結婚と子育てに関して、並々ならぬ願望を抱いた。
毎日好きな人と一緒にいて好きな人との子どもを宿して生んで育てて…、私からしたら最高のエンターテイメントに見えた。
それがどんどん違う方向に人生は流れて、気付けば訳のわからない新分野の知識や世界が乱入し、元から勤労意欲やキャリア志向などない私からしたらこの収集のつかなくなった人生を前にどうしていいのかわからなくなった。
ちなみにもう前の仕事には戻らない。
私がそうした仕事に就かないのは、そこに勤めるなら数年単位でそこに身を埋める覚悟なくしては関わってはいけない世界であることを知ってるから。
綺麗事を並べるみたいだけど、私は本気でそれを思う。
子どもとそこそこの関係を作るのに3年は要る。
もちろんその前に子どもが親や親族に引き取られて退所になることもあったけれど、そうでなく長期にいるなら3年はかかる。
私は5年半いても関係が素晴らしくいいものになったなんて思ったことは一度としてなく、奥の深い世界だと思った。
だから仕事を辞めた時、私は号泣した。
辞めた日の最後の時間も覚えてる。
担当してたお調子者の男の子が、新学期の始業式で児童代表の新学期の決意みたいな作文読みに立候補した。
立候補までは良かったけれど、まずは作文は書かないわ、先生に叱られてもやらないわで、学校から苦情と窮状を訴える電話が私宛てに来た。
学校も春休みに入るから、作文を書かせて本人に練習させてそれで新学期登校させて欲しいと言われた。
だからまずは本人捕まえて作文を書いてもらって、書き終わって私が言葉のおかしいところは直して、それでやっと今度は発表のための練習をした。
私が最後にした仕事は、その子との恒例の発表練習だった。
2人で何回したかわからない。
私はいつも通りに、畳の上に2人で向かい合って座って、じゃあ始めようかと言って始めた。
私が注意した数々のことを全部守ってた。
姿勢も声の出し方もスピードも目の位置も本当に申し分なかった。
すごい良かったよ、これまでで一番良かったよって絶対に言おうとかなり初めの段階で思ってた。
2枚目に入るあたりから時々咳をして、声がかすれて、鈍い私は全く気付かずそれでも黙って聞いてた。
そのうち本人が嗚咽をもらして読めなくなった。
私はその日いなかったからその日のその子の様子はわからなかったけれど、何日か前に異動と退職の知らせが子どもたちに伝えられた。
その時もすごかったらしい。
だけどその日からその時までその子は私の前では一度も泣かなかったし、これまで通りを貫こうとしてた。
私は私の勝手で辞めるのがわかっていたから、だから最後まで変わらずにいることだけは決めていた。
だけど、5年生のその子にしたら、ある日突然の告知で、それでも私の前では本当に普通に普通に振る舞ってた。
それが最後の瞬間、本人はわかってた。
これが最後で、もう私とこんな風に練習することがないことを。
人と適度に距離を持ってしか人間関係を作らなかったその子が、そして拗ねたり怒って泣くことはたくさんあったけれど、それ以外の気持ちで嗚咽をもらすほどに泣いてたのはその時が初めてだった。
私もつられて泣いた。
自分で決めたことだけれど、そこを去る時にはすごく後悔みたいな気持ちもあった。
もっともっとその仕事をしていたかった。
色んな気持ちが渦巻きながら、そして縁あって出逢った人たちと離れるのが本当に寂しくて、涙は止まらなかった。
その頃の私はまだ呑気だった。
自分の未来に対して明るい展望とそしてそれが実現できると信じて疑わない強さがあった。
それから干支が一周して40という年齢が見えてくる頃、私はやっと自分の人生を受け入れ出したと思う。
自分の人生をそんなに堂々とは受け入れていない。
まだまだ否定もたくさんするし、こんなはずじゃなかったとも思うし、他人の人生を見ては隣の芝生は青いじゃないけれど羨ましくなる。
でも色んな人たちの人生ドラマを見て、今私に来ている手札を見た時に、私はやっぱり三つ子ママとか誰かのお嫁さんとかではなく、私には私の人生のテーマがあるんだと知る。
多分逃げてもテーマはやってくる、そんな風に感じる。
『夏の太陽・夏の雲・夏の夕暮れ・ホタル
夏の太陽を見ていると、私は時々とてつもなく寂しくなる。
夏の太陽の力は半端なく強い。』
冒頭の言葉は、7月の頭にホタルを両親と見に行った日、ふと出てきた言葉をメモに入れておいたもの。
夏の太陽が寂しくなるのは、あの明るさが今だけのもので、それとは対照的なものがこれからやってくる予感を彷彿させるからなのかなと思ってる。
すっごい明るいものって、すっごい寂しさとセットになってる気がする。
だから、私は逆に冬の太陽の方が安心したりする。
7/16 10:30
小さくスイッチが入って、部屋のカーテンを開けて、そして今部屋の片付けを始めた。
小さなことから始めてる。
不要なものを捨てる。
それは片方行方不明になってる靴下やパワーストーン用の小さな巾着袋の紐や3ヶ月前には必要だった書類だったりする。
しばらく使っていなかったカバンにはホコリがいつの間にか掛かっていた。
またこちらを普段使いに戻そうと思った。
心の垢落としは難航してるから、まずは部屋の垢落としをしようと思った。
昨日おとといとほぼほぼ1日布団の中にいて、ちょっと嫌気がさした。
だから体を起こして小さなスイッチで発電が続く限り小さく動いてみようと思った。
7/16 11:10
爪そろそろ切らなきゃなぁと思って数日。
爪切りを出して爪を切って、そんなの10分もあれば終わる。
それさえも面倒な今、症状は重症だなと思う。
とにかく何もしたくない、気が済むまで何もしたくない。
ここまで来た時は、台風のように通過するのを待つしかない。
先ほどのスイッチはすぐに切れ、そしてその後は炊事の手伝いをした。
そしてまた布団の中。
7/16 13:18
とても意外な形で私の中の台風は去ってくれた。
私は、部屋の掃除+雑巾がけだけじゃなく、カバンのホコリも拭いたし、数ヶ月気になっていた観葉植物の葉に乗ってたホコリも拭いた!
爪も切った!
その後、テーブル出して書き物も始めた。
私は爪も切る気にならないと書いた後に、また奥さんを死別で亡くされた方のブログを読んでいた。
本当に素敵なご夫妻で、相思相愛、ブログには悲しみと絶望の色が98%占めてるけれど、それでもそこにはすごい愛が溢れ返っていた。
途中から私は迷い始めた。
何に迷ったのかと言うと、そのブログの主にコメントを書くのかどうか。
普段はこういうことは絶対にしない。
さすがの私も見ず知らずの人に突然コメントするなんて、しかも相手は死別で悲しみの淵にずっといる方で、自分がどれほど差し出がましくお節介ばばあなのかというのもわかってた。
だけど、読んでて気付いてしまって、頭からはそれが離れない。
気付いたのはこうだった。
その方が奥さんを亡くされた後、奥さんからのメッセージやサインと思われるものを夢で見たり感じたりしていた。
その人はそれは気のせいだと何回も何回も色んな記事で書いていた。
私はそれと同じことが書かれている本をつい最近読んだ。
霊能者の方で、死者の魂とコンタクトして(本人がすると言うよりも死者の魂から呼び掛けてくる)、そこから遺族に向けてメッセージを下ろす人の本だった。
初めてその本を見た時のことを私はなぜかよく覚えていた。
私は一度手に取ったけれど、全然つまんないと思って、1ページも読まずにすぐに本を閉じた。
そもそもタイトルも怪しいし、変にキラキラしてて、また新手のスピリチュアリストなのかと思った。
ところが、私はその本を再度手にすることになる。
先月東京で受けてきたヒーリング、私を見ただけで私の人生のあれこれを的中させまくったヒーラーさん、その方が自分が本物だと感じる人ということで2人の名前を挙げた。
1人は外国人で聞いたこともない名前だった。
それが巡り巡って、私はある大型書店でホロスコープ関連の本を手に取った時、その外国人の方の名前がすぐ隣りにあった。
うろ覚えだった私は、車に戻ってその名前をノートで確認して、そしてやっぱりその人だということを確信した。
あのキラキラした表紙だった。
私はその偶然に心躍らせながら、2回に分けてその本は読んだ。
何で自分が泣くのかよくわからなかったけれど、やたらと心に響いた。
そして、その時に初めてその本の人が、死者の魂とコンタクトを取る人で、死者がどんな風に遺族に対してメッセージやサインを送っているのかや、実際にはどういう風に死者の魂が遺族に対して見守っているのかが書かれていた。
その人の本は全て実践から得た知識や情報ばかりだった。
で、そこに書かれていた数々の死者の魂と遺族とを繋いだメッセージやその伝え方が、まさにそのブログの男性の書かれていることと同じだった。
その男性と亡くなられた奥さんが奥さんの死後にどんな風にやり取りしたのか、その話と重なった。
それに気付いた。
私が怪しいと思われたりするのはどうでもいいけれども、これを知ってるのに知らせない、せめて本を紹介できないかと思った。
読んでも奥さんは戻ってこないし、楽になるものでもない。
だけど私が感じたのは、その人がもしその本を読んだら、奥さんが近くでいつも見守ってくれてることが絶対にわかるはずというものだった。
そんなことないと否定する可能性も高いけれど、少なくともこれまでにはない見方ができるかもしれない、そういう気がした。
その人の悲しみが癒えたら…とかそんな気はさらさらなく、どうしてもその情報を伝えたくなってきた。
と言うよりも、伝えなきゃいけない気さえしてきた。
そもそもの話はこうだった。
「体に独特の感覚」と冒頭で書いたけれど、その感覚が昨日今日と連続で朝目覚めた時にあった。
2日連続だったからさすがに気になって調べた。
私はこうした普段にはない感触を感じる時は、検索する時に必ず最後「スピリチュアル」と入れる。
なぜかと言うと、普通の検索だと病気とかがヒットして私が欲しい情報に行き着かないから、最初からそうやって限定するとなかなか良い感じで必要な情報がもたらされるから。
ところがそんな検索だったにも関わらず、なぜか死別の方のブログももれなく引っかかって、それでちょっと気になって読んだらどんどんハマって読み進めたという。
しかも本来の調べ物そっちのけで読んだから、本来知りたかったことは知らないまま今に至ってる。
だから私からすると、予定にないブログだったこと、そもそも2日連続で体の感覚がなければそんな検索さえしなかったこと、全てがイレギュラーだった。
そんなイレギュラーなことによって辿り着いたブログで、これまたイレギュラーで読んだヒーリングの本だった。
そうだった、色んなことが重ならないとそもそも本を教えようなんて思わないんだった、というところに行き着いた。
そこから私はコメントを書いた。
コメント荒らしにも遭ったことのある人だったから、私こそコメント荒らしじゃないかと思った。
とりあえず、ここに書いたようなことを書いて、そしてまさか字数制限があるとは知らずに送ったらエラーになって、それこそコメント荒らしのごとく数回に分けて連投した。
幸い承認制のコメントで、本人が好きにコメントを触れるところも良かった。
私は自分が怪しいものではないと言うために、本名も名乗ったし、連絡先のメールも書いた。
そこまでしないと信じてもらえない気がしたから。
ただでさえ怪しいことを書くわけだから、ここは賭けでやるしかなかった。
怪しまれるのは構わないけれど、大事な情報がきちんと伝わらないのは困る。
だから通りすがりではあるけれど、きちんと順序立てて経緯を説明したし、本についてもざっくりとここに書いたぐらいのことは説明した。
そんなこんなのことが終わって、しばらく私はぽけ〜っとしてた。
スイカを食べてまたポーッとした後、コメントに返信があるかもしれないと思った。
本名出してるから大変申し訳ないけれど非公開対応をお願いした。
だからその人が何かしら返信するとしたらコメントかもしれないと思った。
予想的中。
きちんとその人に情報が届いたことがわかった。
しかも少なくとも悪い風には受け取ってないみたいで良かった。
mixiありがとうー‼︎とも思った。
2003年とか4年あたりに私はmixiを始めた(このブログになってからはmixiはストップしている)。
どうもその方も最初はmixiでスタートしたらしかった。
その方が何年にスタートしたかは知らないけれど、mixiで知らない人とやり取りしたことがある人なら絶対にわかる。
おかしい人とそうでない人の差。
あの見えない世界のネットこそ、私は逆にある程度その人柄が出てしまうと思ってる。
言葉遣い云々よりも、その人のまとってる空気みたいなのがわかる。
だから誠心誠意対応をすれば、少なくともおかしなことにはならない。
それはmixi時代に色んな人とやり取りしてわかった。
朝活なんかはmixiで申し込んで行ってたから、余計と実際に会うと意外な人というのはあんまりいなくて、読んでいた文章やつぶやきのまんまの人たちだった。
外見はわからなくても、考え方とか雰囲気なんてのは、文章通りだと思う人ばかりだった。
反対に、変な人たちから変なメッセージももらっていたことがあったから、やっぱり変な人たちは恐らく現実世界でも変な人たちなんだと思う。
さすがの私もある程度はチェックした。
他の方たちとどんなやり取りしてるとか(mixiの日記のコメント欄みたいだった←これは私の中では通常の一般公開のブログのコメント欄とは違う空気感を感じる)、普段のブログの中とか。
あとはその方はちょいちょい自分の普段の仕事についても触れていて、それがきちんとした会社の管理職なのはわかったから、社会的にきちんとしてる人だというのはわかった。
(むしろ私の方が本当にどこのどいつだよ⁉︎状態だった←一応公平を期すために4月からプー太郎なのは言った。それとは別に、きちんと読んだ感想も書いた。)
そんなこんなのやり取りがあってコメントを見た後、突然スイッチが入った。
まず掃除機と雑巾を用意して、部屋の掃除を始めた。
3日目の布団をようやく床上げした。
植物の葉っぱ拭きとか、セージ(部屋の浄化に使うドライハーブ)炊く用の皿をきれいにするとか、やたらと動けるようになった。
それで色々考えた結果、わかったこと。
多分その方とやり取りすることで、私の中のエネルギーが流れてくれたんだなということ。
だから調子が良くなった、突然に。
もちろん確証はない。
ないけれど、6月から始めたヒーリングの勉強によると、ヒーリング自体はエネルギーを流す行為だから、だから流す側も流しながら自分の具合が良くなるとのこと。
笑顔になると相手も笑顔を返してくれて、ほんわかとするあの感じに近い。
多分あのやり取りがその役割を果たしてくれたんだと思う。
でなければ、あの終わりの見えなかった心の不調は今もまだ続いてたと思うから。
という、あの爪切りの話の時には全く想像もつかなかった形で台風は抜けてくれた。
実質心の不調の原因は何一つ解決していないから、それはそれでこれから何かしらの対応はしないといけない。
それでも、思わぬ形でエネルギーチャージされて、さらには行動力なるものまで生まれて、とてもありがたかった。
7/16 21:05
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