突然の思い付きで、ケーキを食べる前にある神社に立ち寄った。
県内でも有数の神社で、多分普段なら激混みだけど、真夏の平日の昼下がりなんて大して人もいないだろうと踏んで向かった。
片手で数える位しか行ったことないし、よく考えたら自分で運転して行ったことが一度あるかないかだから、道さえも怪しかった。
何通りか行き方があるんだと思うけれど、私はある特定の道だけは通りたいなぁと頭に思い浮かべて、そもそもそこさえも行き方がわからないから、あとはペンジュラム頼りだった。
途中で標識が出てきた。
なんとペンジュラムは、その神社は左折と出てるのに右折を指示してきた。
迷ったけれど、まぁ間違えたら最悪戻ればいいかと思って、ペンジュラムが指したように右折した。
通ったこともない道で、またもや民家が並ぶ細道とか、車1台しか行き来できない踏切とか、相変わらずよくわからない道を通ったけれど、なんとその通りたいとイメージした道に繋がった!
何でペンジュラムは毎回毎回確実な道を教えてくれるんだろう。
ペンジュラムのおかげで、無事に神社に着いて、そしてよくわからない道を歩いて抜けて境内の中に入った。
予想通り人はまばらで、多分全員で30人もすれ違ってないと思う。
境内は広いから、誰もいない時を狙って写真を撮れたぐらいだった。
帰ろうと思って複数の小路の交差点に着いた時、方向音痴力を存分に発揮した。
目印となるお守りとか売ってる所があったけれど、それですらもどこから私が来たのかわからず、目印にさえならなかった。
キョロキョロしてるうちに、私はある一点を捉えた。
いつか試したいと思っていた「石」だった。
この半年ぐらいの中で、私は2回そのシーンをテレビで見た。
願い事が成就するかどうかを見極める石で、持った時に重たければ叶わないし、軽ければ叶うとテレビでは解説されてた。
土曜の朝の旅番組とかだったと思う。
ただ場所が遠くて行けないなと思った。
2回目がいつかは忘れたけれど、それはローカルの情報番組で、その時にその神社のその石が紹介されてた。
だけどそこもいつ行くかなんてわからないから、興味は持ったけれど、そんなことはすっかり忘れてた。
20〜30代の娘と両親という組み合わせの人たちがその石の前に群がって互いに持って比べていた。
もしやあの石⁉︎と思って近付くと当たりで、そしてその人たちの会話を盗み聞きしてどうやらその石だということが判明した。
人もまばらで、少し外れたところだから他には誰もいなかった。
私にしてみても、単なる方向音痴が思わぬ産物となって、まさに怪我の功名だった。
その親子がいなくなってから私も試した。
「重軽の石」と札があっただけで、説明書きはなかった気がする。
2つあって、まずは1つを普通に持ってみた。
重かったけれど、持ち上げられないほどではなかった。
ちなみに私は、テレビで見た時に「石の重さが変わるなんて嘘でしょ?」と思いながら見ていた。
だって同じ石を持ってるのに、意識の在り方で軽くなったり重くなったりするなんてありえないと思った。
コーチングを習った時に、潜在意識と顕在意識の力の差を習うワークはした。
確かに潜在意識の力は強くて、まさに火事場の馬鹿力みたいな感じになる。
だけどそれは物を持つことはなく、単に自分の腕を使うだけだから、原理としてはわからなくはなかった。
だけどテレビの中では石が使われていて、もし秤(はかり)があれば絶対に重さが変わらないのは一目瞭然。
なのに、願い事を思い浮かべると軽くなるようで、それを体験した芸能人は喜んでいた。
ヤラセかと思った。
一度持った後、今度は思いついたことをそのまま聞く感じで持ってみた。
1つ目。
昼頃友達から連絡が来て、県の事務の仕事が半年契約で出てるよと教えてもらった。
興味はゼロ。
それに行く⁇と思いながら石を持った。
嘘みたいな本当の話で、なんと石が重くなった‼︎
重い=叶わない。
続けて聞いた。
2つ目、派遣会社に連絡する。
さっきよりかは重くなくても確実に最初より重い。
これも違う。
3つ目。
心の傷を癒す仕事をしますか⁇と。
なんとこれは最初より軽くなった。
確実に上に持ち上がった。
でも軽いとは言えなかった。
多分なんか違うんだろうなぁと思って、次の質問に移った。
4つ目。
心を癒す仕事をしますか?
これは今までの中で一番軽かった。
軽くて驚いた。
何だこの石⁉︎と思いながら、最後5つ目、爆弾質問をした。
私の中では他の4つと比べて一番叶う可能性も低ければ、非現実的過ぎて、一番重くなるんじゃないかと思った。
重ければ重いで、私の中のあきらめるためのきっかけにもなっていいと思って聞いた。
○○さんに再会できますか?って。
なんと石はこれまでの4回が何だったのか?と思うぐらいに軽かった。
「えっ⁉︎」ってなった。
嬉しいよりも意外過ぎて、私はこれは何かの間違いかと思った。
そこで隣りの左の石でも試したらわかると思って試した。
左の石はさらに重たくて、まず普通には私は持ち上げられなかった。
持っても石が少し動いたかな?どうかな?という程度で、持ち上げるのは無理だった。
事務の仕事と派遣の仕事は、持てないどころか重すぎて最初の時よりもさらに動かせなかった。
重すぎた。
心の傷の癒しの仕事は、宙から全体が浮くぐらいには持ち上げられた。
嘘みたいだけど、本当にそうだった。
心を癒す仕事は、さらにもう少し上まで上がった。
最後の質問も持ち上がったとしてもその程度だろうと踏んだ。
なぜなら右の石と違って、左の石は重すぎて普通には持てなかったから。
また同じように○○さんに再会しますか?と聞いた。
なんと、あの普通には全く持ち上がらなかったその石が、私の手首から肘ぐらいの長さ、だから25〜30センチ程はひょいと持ち上がった。
しかも軽くなってる。
最初の4つは、私の自助努力の範疇だから、石が軽くなったり重くなってもそれは私に合う合わないを伝えてくれてると思えばまだ納得できる。
最後の質問は、他と違って、私の自助努力の範疇にない。
私ががんばったら再会できます、というのとは違う。
っていうか、私が再会に関してがんばれること・できることなんて何もないから、これは何なのか?と思った。
願望の強度測定なら、5つ全ての結果はわかる。
後半の質問になればなるほど、自分の願いの強さも強くなる。
だけどそうではなく、その石は「成就する・しない」を判断するためにあるらしいから、原理にのっとれば、「会える」ことになる。
信じたい気持ちと、信じて叶わないことを目の当たりにして落ち込むのは避けたい気持ちとがある。
これを深く考えたら成就するなら超張り切って考え続けるけれど、そういうものではないから、とりあえず肯定しすぎることも否定しすぎることもなくいたいなぁと思った。
ちなみに疑い深い私は、家でも実験できないかとさっき試した。
本が10数冊入ってる段ボールで試した。
やっぱり結果は同じだった。
家で試す方がいらっしゃったら…。
個人的にポイントだと思ったのは、適度に重たくて重みが感じられるもの、尚且つ持ち上げるのにつかみやすいもの。
本の入った段ボールの良かった点は、持ち方や姿勢を統一できること。
だから重さの感じ方の違いがわかりやすかった。
雰囲気は石の方が断然出るけれど。
ちなみに言葉は、質問形式でも言い切りの形でもどちらでも石の重さの感度は変わらなかった。
「再会できますか?」にしても、「再会します」にしても、イメージするものは同じだから(厳密には違うにしても、相手を思い浮かべるという行為は一緒)、私の場合は言葉尻で結果が変わることはなかった。
いずれにしても、叶うことを本気で信じたいなぁという気持ちは同じだった。
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