『心の手紙』
毎年7月になると、ある人に向けてメッセージを送る。
今年もその時が近付いてる。
途中まで書き終えてる。
去年の今頃は、自分の内面の変化とメッセージとに乖離が生まれた。
メッセージに集中できない私がいた。
去年書いたことはおおよそ覚えている。
検索したら出てきた。
「おおよそ覚えている」はかなり言葉を盛った。
読んだら、覚えていたのは冒頭だけだった。
去年はいつにも増して長いメッセージになっていたけれど、今読むと体がキリキリする。
居酒屋なんかで生のグレープフルーツサワーなんかを頼むと、ステンのすりおろし器が渡される。
あれでキュッキュッと最後の一滴までしぼろうとする、あの感触に似ている。
あれでキューーーーッと最後の最後までしぼり抜くあの感じ。
自分で書いた文章に今さら感動して、「私めちゃくちゃ良いこと書いた!」と思った。
そこには色んな言葉を書いていた。
私がもし同じ言葉を誰かからプレゼントされたら号泣するなというタイプの言葉だった。
自画自賛だけれど、本当にこれすごい力のある言葉だなと感じた。
今年は今年で別の言葉を綴るわけだけど、私の気持ちをオンにするために美味しいケーキを食べに行く。
ケーキが目的なのか何が目的なのかもはやわからないけれど、それでも私はケーキを食べて、頭の中にある言葉を拾ってメッセージを完成させると思う。
去年のような言葉は紡げないけれど、今年は今年で2018年バージョンを作ろう。
夜中に目が覚めて、『心の手紙』って出てきた。
そう、この恒例行事は心の手紙なんだとわかった。
去年のものは特別いつもと違っていたから、その前はどうだったのか探した。
2年前に私が書いた文章は、今も健在だと気付く。
【自分を大事にすること
自分を大事にするってどういうことか掘り下げると、無理しない、自分を責めない、自分の気分を良くするものを生活に取り入れるとかそんな風。
気分を良くするものは、夕日に照らされた洗濯物を眺めたり、好きな食器に好きなご飯を盛り付けたり。そういう些細なこと。些細だけど、心や体を満たしてくれるもの。】
決意表明なのか、私はそんな風に書いていた。
そこに書いたことと今思ってること、そんなに変わらないなと気付く。
夕日に照らされた洗濯物は今でも覚えている。
雑巾かタオルを乾かしてた。
薄いカーテン越しに、そのシルエットと夕日がセットで映ってた。
それがあまりにもキレイで、私はしばらく見入ってた。
上の文章は自分の決意表明みたいだけれど、当時の私が最大限できるささやかな気遣いだったんだと思う。
私の心はすぐに色々反応して脆いけれど、脆いながらもがんばるから大丈夫、というメッセージも含めたつもりだった気がする。
今年の下書きをさっと読んだ。
通しで読むと、自分の変化や時間の変化がわかる。
今年の私はそこに目をつけたんだ…とわかった。
ケーキのお店に行く時にその目をつけたことと重なる思い出スポットのようなものがあるから、それもゆっくり見よう、そう思った。
心の手紙は、これから先生きている限り書くつもりでいるのか、いつかは止めるのか、それはわからない。
生まれた命と生き続ける命とを確認しながら、飽きるまで、もしくは嫌になったりどうでもよくなるまで、その時その時の自分に正直になりながら言葉を繋いでいく。
言葉を通して自分を繋いでいく。
そして届ける。
小さな世界に向けて、確かに命のあるその世界に向けて届ける
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