2017年夏
勘違いであって欲しいことを耳にした。
少なくともお盆休みに入る前だったことは確実。
3回もあった。
1回は、会社の人事のあり方について、ある男性社員と長い年配の事務員さんが話してたことだった。
あるポジションに対して年齢がどうだのこうだのと話していて、年齢が低ければ低いほど重圧だし色んな周りとの兼ね合いで難しいとかなんとか言ってた。
ああいう時って何でか予感みたいなのがある。
しかも、会社の方針を批判しつつも、その批判してることが現実のものになる、と言わんばかりの話になってた。
その話を紐解くと、その男性社員がまさにその年齢的におかしいと感じるポジションになる前提の話をしてた。
そのポジションは1人しかいない。
2人で兼務するものじゃない。
その人がそうなるということは…。
私は気のせいだと思うことにした。
聞き間違いだろうと思うことにした。
2回目は、何か業務上の変更があって、それの確認の電話がかかってきていた。
その時に電話を取った同じ事務員さんの口から出た。
「うちもいつまで今の人がそのポジションかわかんないからさ〜、どうするんだろう?」
えっ⁉︎と思った。
これも単なる予想とか、そのやり取りが面倒で言ってるのかな?と都合よく考えた。
3回目はこうだった。
取引先か何か知らないけれど電話が来た。
その人は出張で不在だった。
電話を切った後、今回の会議、最後かもね、と事務員さん同士で言ってた。
何言ってんの?と思った。
それがどの程度のペースで開催されるのかわからないけれど、おかしいと思った。
っていうかそんなことを1、2週間の間で3回も聞いたくせして、私は気のせいにして、そして自分は自分の計画の遂行のために頭を使い始めてた。
計画を練り、練習もして、私は私のペースで進んだ。
もしその時に異動が確定していたとするなら、私は動かなかった。
動かずにその最後の時を迎えた。
私は勝手がわからなかったから、わからないことはわからないことにしておいた。
言い方も今すぐ云々ではなくいずれは…みたいなニュアンスだったから、まぁそれは最初の日にいつかは異動する人というのは聞いていたから、私はその「いつかは」と同じレベルで解釈していた。
それはすぐに起こる感じでもなく、いつかはそうなるね、ぐらいの体なのかと思ってた。
しかもその話に私が首を突っ込むのはどう考えてもおかしいから、まぁ本当にそうなったら何かしら言われるだろうと思って無視した。
だからある意味全ては本当に寸分の狂いもなく起こっていた。
私は友達の結婚式でさえも、この計画にあったんじゃないかと思ったほどだった。
4月か5月に8月の結婚式の招待を受けた。
その時は単純に8月なんだ〜ぐらいな、何の意味も感じなかったけれど、後々8月にあったのはとっても大事だった。
7月でも又は9月でもなく、8月のあの最終週辺りだった。
7月ならまだ私は動くことを考えていなかった。
9月では遅過ぎた。
色んなことがわかっていなかった8月だったから動けたんだと今振り返って思う。
私は話すきっかけがどうしても欲しかった。
だけど、本当に絡みもなければ、元々静かな人で自らあれこれ話しかけてくるタイプでもなかったから、私は何かのきっかけが欲しかった。
私も基本的に自らベラベラと話しかけたりしないから、話す機会は皆無だった。
きっかけがないことにはどうにもならなかったのと、そして私はまだその時「私の勘違いかもしれない。勘違いであって欲しいから、勘違いと知るためにも一度会って話したらどうか?」という、非常に自分勝手なことを考えていた。
勘違いというのは、私自身の気持ちが勘違いかと思ってた。
そこで私はふと、土産を使うことを思い付いた。
土産なら全員に配るし怪しまれない。
何なら私は行く前になんとネットでご当地土産の紹介ページのようなものを探して、私の計画を形にしてくれるものがあるかどうかまで探す徹底ぶりだった。
行き当たりばったりの私が、人生で初めて土産を現地に行く前から調べた。
だから、私は行く前から土産をどれにするかは決めてた。
そして実際の土産屋では、その計画の一部のものも持って行って、私の計画が本当に遂行可能かどうかまでもチェックした。
想像以上にピッタリサイズで、私はその場でガッツポーズをしたいぐらいだった。
その時の私は、お盆前に耳にした話はすっかり忘れていて、とにかく自分の計画しか見ていなかった。
計画はおかしな方向に行ったし、さらにはそれからしばらくしないうちに異動のお知らせが来た。
異動のお知らせを聞かされた時、私の頭は真っ白になった。
聞きたいことは色々あったけれど、とりあえず聞いたのはいつの日付での異動なのかだけだった。
時間が伸びた。
あの日の時間ののっぺりとした重たい感覚は覚えてる。
べたーっと貼り付いて動かないみたいな感じだった。
震度6の地震の時と同じ感じの時間の流れだった。
あの恐怖に満ち満ちた時間は、たかが10秒でも長い。
いつ終わるのかわからないぐらいの長さになる。
ショックや恐怖にさらされると、時間の流れ方は変わる。
その感覚が大きければ大きいほど、時間はゆっくり流れる。
決して気持ちが安らぐゆったりさではない。
常に緊張や恐怖が走って、いっときも気が休まらない、あのゆっくりとした感じ。
もう時間は止まってもくれないし、かと言って軽快にも流れてくれない。
私は呆然としながらその日の午前中を過ごした。
時計の秒針が聞こえるわけじゃないのに、秒針の音が聞こえるかのような静けさだった。
その人がいる場所からその時の私は2メートルないし3メートルのところにいた。
手を動かしていても、心と体がバラバラで、手だけが動いてるみたいだった。
心は鉛のように重たい。
電話がかかって来たと思う。
その人の声が耳に届いた。
もうこうやってこの声を聞けないんだなと思ったら、私はその場で一気に両目に涙が盛り上がって出てきた。
私はキャビネットの方を向いていて扉が私を隠してくれていたから、誰にも知られずに済んでいたけれど、本当にショック過ぎて頭が働かなかった。
そして、すべてが終わりに近付くこと、終わってそれが永遠になくなってしまうこと、それに対して何にも術がないこと、あまりにも受け入れられなくて、私はただただそこに立っている又は仕事をしているふりをするのに精一杯だった。
この手が届かなくてももしかしたら届くかもしれない距離から、本当に届かない距離に行ってしまうんだというのが信じられなかった。
もし異動がわかっていたのなら、私は土産を使う計画も含め、その後全部起こしたこと、行動に移したことは、1つとしてやらなかった。
元々が自分の気持ちに対してものすごい否定と疑いだらけで、そんなわけないと思いたかったこともあったから、絶対に無視したなと思う。
いなくなるなら、波風を自ら立てるなんていうそんな自分にとってもリスクにしかならないこと、絶対にしなかった。
静かにしれ〜っとして見送ったと思う。
私は当時のことを箇条書きにしてノートに書いている。
どこかの出来事がちょっとでもタイミングがズレていたとするのなら、今はなかった。
当時の私は、その後に突き動かされるように動いていた。
ダメ元でもいいからアタック!とかそんなんじゃなくて(相手にはそう映ったとしても)、意味のわからない激情で考える前に動いていた。
躊躇しないわけでもなかった。
自分でも自分のことが重たいとか鬱陶しいと思った。
相手はそれ以上だろうなぁとも思った。
それでも私が選んだのは「動く」だった。
1メートルよりも近付いたことがあったかな…と思う。
思い出したのは、私がコピー機前を占領していて、相手が自分の印刷物を取りに来た時ぐらいだった。
2、3回そんなことがあったと思うけれど(もちろんすごくドキドキした)、それ以外は私は近寄れなかった。
単純に身体的距離が近くなるチャンスは時々転がっていたけれど、私は全部をわざと無視した。
無視したくてしたんじゃなくて、近付きたいのに近付き難かった、近寄れなかった。
1メートルの距離が遠いなぁといつも思った。
一度ある書類を見せに行ったことがあった。
私はその時どうするのが正しいのかわからなくて、黙って相手が見終わるのを待っていた。
初めてその人の手を手の指をじっくりと見た。
きれいな指で、その人の全体の骨格と指の形がマッチしていて、その人の手って感じだった。
もっとじっくりと見ていたいのは山々だったけれど、あっという間に書類に目を通して、そのスペシャルタイムは終わった。
残念ながら、指や手の形は記憶に残らなかった。
そんな思い出も全部終わってしまった。
本当のところはわからない。
だけど、相手の人は異動になってこの町を離れることは全く寂しくないと言ってた、と人づてに後から聞いた。
あぁそうだよね、寂しくなんかないよね、と思った。
思ったけれど、私はものすごく胸が痛くなった。
今書いていてももう一度痛くなった。
痛みって記憶できるんだな、と感心した。
最後の瞬間、私は違うことを感じた。
最後の最後、私にはどうしてもこれが最後とは思えなかった。
次があるとか、また会えるとか、そんな期待値みたいなことは思わなかったけれど、代わりにこれが最後とも思えなかった。
手段や方法なんて一切思いつかないし、すごい馬鹿げた発想だとも思ったけれど、どうしても今生の別れというのが信じられなかった。
「『引越し無事終わりましたか?』ってそんな悪い質問です?
僕、そんなに悪いこと、怒らせるようなこと聞きました?」
用事で電話した人が電話が終わった後、半泣きになりながら訴えてた。
元々自分のことを人に言わないタイプだし、デートしてるかもしれないんだから、そんなこと聞いちゃいけないよ、いいところ邪魔だったんじゃない?などと言われていた。
それを聞いて、私は胸がキュッとした。
なんかよくわからなかったけれど、全て自分の勘違いで動いてたのかもしれない…、全て勘違いだった…、そう思い込もうとした。
週が明けた月曜日もたしか電話していた。
普通にやり取りしたような様子で、無事に引越したんだなとわかった。
私が無事を確認したところでどうするの?と思いつつも、無事に引越したとわかって良かったと思った。
もう世界は交わらなくても私は祈った。
何がどうであろうと、私は自分が祈りたい限り祈り続けることにした。
ちなみに私が墓参りで無事をお願いする時、私はこの春先までその人のことは名前を言うくせに自分のことは祈ってなかったことに気付いて、それ以降は家族+その人+最後に自分のことを祈ってる。
自己満足の祈りは、私には届いてる届いてないがわからなくても本当に伝わっているのならいい。
それは今でも思っている。
悪いこと祈ってるわけじゃないから、祈るぐらい許されるかなと思ってる。
祈ったところで相手が知るわけでもない。
何も祈らないより、祈る方が落ち着く。
2018年夏
秋、冬、春と巡って、また夏が来た。
1つ1つの日にちを通過する。
去年の今頃はこうだった、ああだったと振り返りながら、ちょっとだけ楽しく思い出す。
かけがえのない瞬間を思い出すのはたしかに楽しい。
だけどそれ以上に寂しくなる。
そこに戻りたいとは思わない。
だけど、その人のいない世界に今もこれからも生きるのかと思うと、とてつもなく寂しい。
いつか慣れるのかなと思った。
生きていけないわけじゃない。
そもそも去年の夏がイレギュラーだったから、今は通常運転に転じただけ。
だけどいつまで経っても私は慣れない。
日々生きているし、何かあれば目の前のことに集中もしている。
だけど、その人の存在しないところに自分が生きてるというのが、どうしても慣れないままになっている。
この文章をこれで終わらせるか、まだもう少し書き足すかを迷って1時間近くになる。
上の「慣れないままになっている」の後にももちろん色んな気持ちがあってそれで終わりじゃない。
だけど、それをどう表現していいのかがわからない。
だからさっきから手が止まっている。
今生の別れというのが信じられなかった気持ちは、実はそのままこの夏まで継続された。
信じていないのではなく、信じられない。
それは私の一方的な願望からくるものなのかもしれない。
だからここまでずっとずっと沈黙が保たれたのは、もうそれが答えだから認めなさい、というサインかもしれない。
その一方で、私はいくつ季節が巡って、どんどんその人がいた世界から離れても、サインは変わらずに色んな形でやってきている。
体に出るサインも続いている。
今月に入ってからはほぼ毎日と言ってもいいぐらい。
何もないと結論づけるには、あまりにもサインが多すぎる。
真偽は確認する術がないから(本人が喋ってくれたら話は別)、とりあえず自分が信じたいものを信じる。
世界の中心がある。
そこにはその人からの影響が強く出ている。
そしてその中には生きることの真実が含まれてる気がしてならない。
生きていること、命があること、人を大切に想うこと、その全てがそこにぎゅっと凝縮されている、そんな風に感じている。
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