2018年7月6日金曜日

つれづれ日記

麻婆茄子を作るために茄子を長いことフライパンで炒めた。

裸足の足の裏からは、梅雨特有のベッタリとした感触が伝わってきた。

徐々にフライパンの中の茄子がシナっとしてきた。

私は茄子のくたっとした食感が大好きなんだよね、と思い出しながら。

私の憧れた日常、どこで間違えたんだろうと思った。

今の季節は、梅干しを漬けることに全力を傾けていた。

部屋中に梅の匂いが散漫するのが大好きで、あぁまたこの季節がやって来たんだなと思っていた。

例えば今日のメニュー、麻婆茄子と、ピーマンと新生姜とおかか炒めと、ローストビーフの千切り野菜添え。

そういうメニューを立てながら、誰か好きな人の帰りを待ちわびながら、ご飯を作る。

そんなのが本当の本当に叶えたいことだった。

精神世界のことは、私にしたら人生の大変な部分の半分以上を救ってくれたものだから、知れて良かったと思ってる。

知らなければ今頃もっと大変だったと思うから。

でも本当はそんな世界も知らずにただ自分の好きな人たちと小さな家や小さな庭で自分たちのペースで生きていく、そんな毎日の連続が良かった。

誰の中にも男性的な部分と女性的な部分がある。

私は自分の男性的な部分が実は好きじゃないんじゃないかと思った。

私の男性的な部分は激しめだし、理論武装ガンガンとするし、善悪についてのジャッジもキツイ。

それがあるから仕事の時とかはいいんだろうけれど、果たしてそんなのが自分のなりたい自分だったのかな?と思うと決してそうじゃない。
7/5 19:23


ぬる目のお湯に浸かりながら、よしもとばななさんの『王国①』を読んだ。

これを読むのは2回目。

多分読んだのは、5、6年前。

唯一よしもとばななさんの本だけは2回以上読む。

その時、その時で響く言葉が違うから。

この本の中には、山で薬草を採ってそれでお茶を作るおばあちゃんと女の子の話や、その人の持ち物を触っただけでその人のことがわかる目の悪い占い師の男の子が出てくる。

それを初めて読んだ時は、半分ファンタジーの世界なのかと思いながら読んでた。

まさか自分もその数年後に、見ただけで相手の色んなことがわかる人や、自然界のものを使って人を癒す人、そんな人たちが自分の世界に現れるなんて思ってもみなかった。

気付くと私はこの10年ぐらいで想像もしていなかった世界とコンタクトを取るようになった。

30歳の私は、ガチの就職活動をしていた。

受けるところはみんな株式会社。

せいぜい違っていても、社会福祉法人。

いや、社会福祉法人は多分受けてない。

私はその時、福祉の仕事は仕事でも、現場仕事じゃなくて、施設運営側の仕事を受けた。

多分そこは意図的に落とされた。

面接の時にすごい不思議な言い方を最後にされたからよく覚えてる。

「採用する時に、例えば僕たちの会社がこの人のこと本当に欲しいと思っても、その人の人生を考えた時に採用してはいけない、その人にはその人の道があるからそれを自分たちが邪魔してはいけないと思ったら、そういう理由で不採用にすることがあります」

あの時は変なこと言うなぁぐらいに思ったけれど、その人はその言葉を私に向けて言っていたんだと思う。

実際に不採用になるけれど、その人は後日私にとても個人的な激励メールをくれた。

私が進みたい道を見つけてください、というような内容を「雨降り族」の話と織り交ぜてしてくれた人だった。

40社近く受けてそんな個人的なメールをもらったのはそこだけだった。

まさかそんなところから、今の見えない世界のことを探求するところに行くなんて、人生どこで何があるかわからない。

王国を読みながら、私は上に書いた自分の嫌なところを、少し今回は嫌になるぐらいに中に潜って見てみようかなと思った。

もう少ししたら、また否が応でも社会の中に入っていく。

そうするとまた自分のリズムが変わってくるから、その前に「こんな自分本気で嫌です」と思ってる自分とご対面しようかと。

今日、麻婆茄子を作る直前にスイッチが切れた。

人生で時々ある、スイッチが切れる瞬間。

何にもしたくないとか、何しても意味ないとか、そんな次元じゃない。

完全に切れた、と思った。

寝て誤魔化したけれど、多分限界なんだろうなぁと思った。

茄子の縮み具合とか、足の裏から伝わるベッタリとした感触とか、そこに目が行く時は色んな意味で鋭くなってる。

今なんだと思う。

自分の深いところに潜って自分を見てくる、その時が今なんだと思う。
7/5 21:11


今朝起きる時、その時間が自分が起きたいタイミングではないことに気付いた。

今日はとことん自分の気が向いたことだけやろうと決める。

何かしたくなるまで待つ。

昨日の夜、ホロスコープの記事を読んでたら、今は過去を振り返る流れになってると知る。

昨日のスイッチ切れた感じと、その中で説明されてたことが重なった。

スイッチしばらくオフのままにしよう。

今なら自分の奥の方と繋がれる気がしたから。

本当はどうしたいのか、本当の本当にどうしたいのか、その声が聞けそうだから。
7/6 8:44


今日は窓を開けるだけで風が入ってくるから涼しい。

去年のいつ頃だろう。

ある時私は呼ばれて、自分が座ってた席の斜め右うしろを振り返った。

その席からその斜め右うしろを振り返ったのは初めてだった。

私は驚いた。

呼んだ人を見た時に、これまで全く気付かなかった空間に気付いた。

その斜め右うしろには、私がいた所から丁度部屋の角にあたるスペースまで何も遮るものがなくて、その角のスペースがとてもよく見えた。

ということは反対も然りで、部屋のその角のスペースから私が座ってる席も丸見えなんだと思う。

丁度その席の人は出払っていて、だから余計と一直線に伸びる見通しの良さが際立った。

私は突然恥ずかしくなった。

自意識過剰ではあったけれど、もしかしたら見えてるのかもしれない、と思ったら恥ずかしくなった。

これには後日談がある。

秋になってしばらくした頃、席替えがあった。

その角のスペースには別の人が座るようになった。

私はその席で作業をした時、今度はわざと斜め右うしろを見た。

同じような風景になるはずだった。

だけど今度は違ってた。

パソコンのスクリーンの高さが違うことで、あの何も遮るものがない見通しの良さは消えていた。

前の人の時みたいに、丸見え状態なスペースはきれいに消え去っていた。

おととい4日の朝、去年のノートを出してきて読んだ。

1年前の同じ日、私はお礼がやっと言えたと書いていた。

何日も何日もお礼を言う言わないで迷った末、やっと言えたと。

おとといだったのか、いつだったのか。

数メートル先に、似たような背格好の似たような制服を着ている人を見かけた。

腕まくりの感じまでそっくりだった。

一瞬本人なのかと思って、私の心臓はバクバクした。

そんなはずないってわかっていても、私の背筋はピンとして体の内側は一気に緊張し出した。
7/6 13:38


小腹が空いて、家の中の食料を見て回った。

どれもピンとこなかった。

そうだ!と思い出して、冷凍庫を開けた。

カーテンで閉めきって暗くした部屋の中で冷凍バナナを食べた。

口の中は、子どもの頃に戻った。

子どもの頃、家の冷凍庫にはなぜかよく冷凍バナナが入っていた。

だからしょっちゅう冷凍バナナをおやつで食べた。

本当は3日か4日ぐらい、本気の引きこもりをしたい。

部屋を暗くして、布団は敷きっぱなしにして、食べたい時に食べて寝たい時に寝る、そういう生活。

両親の家にいる以上、そんな勝手が通るわけもなく、数時間単位の小さな引きこもりをする。

気分がぐっと沈む時は、それに合わせて暗い部屋にいる方が落ち着く。

とりあえず沈みたいだけ沈んでみる。

これしたい!ってなるまで、そのこれしたい!は冷凍バナナを食べるとかそういうレベルのこと、それさえも自分の意思が湧いて出てくるのを今はひたすら待っている。

今回は不思議と書ける。

学びの書くは無理でも、この記録するための書くは苦じゃない。

思いついたら思いついたように文字を並べていく。

この枠のない自由な感じがすごく好きだと気付く。
7/6 14:32


昼寝から目が覚めたら、カーテンを開けたくなった。

カーテンを開けた。

即席でアイスコーヒー牛乳を作った。

出てきた感情をノートにメモした。

心の具合が悪くなる、今回みたいにスイッチが切れる時はわかる。

自分の本当の気持ちを聞くこと。

とにかく、言い訳したり否定したりせずに、本当の気持ちだけに焦点を当てる。

多分そこをある程度丁寧にやれたら大丈夫な気がする。

思い出した。

本当は今日「88888」の時のことを書こうと思ってたんだった。

でもこうなってしまった以上は、まずは心を回復させること。
7/6 16:22


「フミコは、すごいパワーの持ち主でした。だって、こんなに私のことわかってくれた人は、本当に初めて。自分が知らなかった、気づくことができなかったことまで、見破られちゃったもん。」

少しだけ手紙の整理をしたくなって、出てきた手紙。

18歳の夏に友達からもらった手紙だった。

18歳と言っても、同級生たちの中にはすでに19歳の人もいた。

この手紙は20年後の私を勇気づけてくれた。

私が具体的に何を言い当てていたのかはさっぱりわからないけれど、多分その頃から今みたいな感じで相手のことがパッとわかったりしてたんだと思う。

実は私の中では、それは「わかる」とか「知ってる」とかじゃない。

「そう感じる」というのが近いかと思う。

相手のことは、わかりやすい2歳の姪っ子以外で「わかる!」なんて思ったことは基本ない。

姪っ子は、まだ「潜在意識」的なものがそんなにないから、感じたままに動くし、思ったままに喋るから。

不一致感がない。

食欲をそそられるおやつの存在を嗅ぎつけると、その時にしていた遊びをやめて、おやつの袋を開けてる人の元へ飛んで行くぐらいの瞬発力を持っているから、そして欲しそうにものすごく近くで待機するから、わかりやすい。

じゃなくて、ある程度の年齢が上がった子ども以上大人たちは、基本わからない。

わからないけれど、感じることは何かしらあるから、それを言ったに過ぎないんだと思う。

逆に怒らせた人たちもいる。

私はさっぱりわかっていなかったけれど、多分図星だったから。

多分私はずっと昔から、相手の情報をもらうことは普通にしてたんだと思う。

もらってる気もなかったし、相手をわかったつもりもなかった。

だけどそういうことになってたんだと思う。

もしもしもし、本当にそうだったとしたら、私は1人の人に聞きたい。

色んな違和感を感じた。

それが本心なのか最後までわからなかった。

私を避けるように、私から背中を向けるようにしてたその人に聞きたかった。

相手が私を避ければ避けるほど、何か本当のところが煙に巻かれるじゃないけれど、曖昧にされてしまう感があった。

その人には、姪っ子のような気持ちと行動の一致感がなかった。

避ける=嫌だから、というのではない感じがした。

避ける=別の理由、別の理由が何かなんてわからないけれど、嫌だから避けたり背中を向けてるとかではない気がした。
7/6 17:40


24時間経過。

今日の夜は生姜焼きとマカロニサラダ。

本当はポテトサラダが好きだけど、あれは手間がかかりすぎるから、気が向かないと作らない。

こんにゃくをピリ辛に煮たものも作ろうかな。

昨日の茄子みたいに、今日も食材たちが変化する様子を私はまじまじと見るんだろうか。

今日の献立は、どれもじっくりと作るものがないから、ささっと作って終わりかもしれない。

ポテトサラダはじゃがいもをチンしたら早くできるのは知ってる。

でも一度人の家で茹でたじゃがいもで作ったポテトサラダを食べてから、私も茹でるようになった。

美味しさが全く違う。

じゃがいも本来の旨さが引き立つ。

私は基本適当だし、手の込んだ料理もそんなには作らない。

だけど、一度美味しい作り方を知ってしまうと、それは守りたくなる。

ちなみに4月からご飯をほぼ毎日のように作っているけれど、私は実はこれがかなり苦痛で仕方ない。

何が苦痛かと言えば、うちの父親がものすごく面倒くさい。

好き嫌いはかなりある上に、品数も一品ドンと出して終わりもできない、夜に関しては炭水化物(親子丼とかスパゲティミートソースとか)のメニュー不可、前日の余り物も基本不可。

これは料理しない人だから、そんなハチャメチャなことを暗黙の了解で相手にさせることができるんだと思う。

私が知り合った男友達は皆料理ができて、しかも超上手だったりする。

そして料理する人たちだから、料理する側の手間暇も知ってる。

だから、私が何を作って出しても美味しいと言って食べてくれる。

それもきれいに平らげてくれる。

誰かのためにごはんを作って、美味しいと言ってもらえ、そしてきれいに平らげてくれる。

そういうのが理想だなと思う。
7/6 18:17


メニューは変更になった。

チンゲンサイをもらったからということで、八宝菜を作ると母が言う。

私はマカロニサラダを作って、あとひじき・コーン・ツナ・玉ねぎをトマト缶で煮る料理を初めて作った。

携帯のメモから出てきたレシピを試したくなった。

まずくはないけれど、私は好きじゃなかった。

コンソメだけでは味が足りず、ベーコン入れて、砂糖足して、ちょっぴりめんつゆも入れた。

多少食べれる味になった。

でもリピートはない。

毎日食べれるごはんって不思議で、特別美味しくなくても食べていて飽きないし疲れない。

身体は知ってる。

だから私は誰かの家で手作りのごはんをご馳走になる時、家以外で食べるごはんの中で一番テンションが上がる。

それは何が出てきてもすっごく美味しい。

自分が食べたことのない味に、組み合わせたことのない食べ物に、名前のないおかずが本当に美味しい。

気に入ってレシピを聞く。

いくつか作ったことがある。

どういうわけか、教えてもらった通りに作ってもその味にならない。

真似したものももちろん美味しかったけれど、本家本元には敵わない。
7/6 19:19


『王国①』が読み終わった。

本の中には、山の匂いや木の匂い、サボテンの話がやたらと出てくる。

読んでいた時に、木の濃い匂いが一瞬鼻をかすめた。

ユーカリの匂い。

私が愛用している洗顔ソープの匂いだ。

4月の初めに、筋反射を使ったマッサージ的なものを受けてきた。

その時に自分が普段使っているものが自分の身体に合ってるかどうかを、自分の筋肉に聞くということもしてもらった。

たまたまその時、商品名マジックソープという洗顔ソープのユーカリがどうしてもなくて、別の匂いのものを使っていた。

見本の匂いも嗅いで、いけるだろうと思った。

でも実際に使ってみたら、どうしても匂いが好きになれず、まぁでも効能は一緒だからと思って、最後まで使う気でいた。

でもその時に、私の身体はNOを出した。

合わない、身体ははっきりとそう伝えてきた。

だからその新品同様のものは人にあげて、私はユーカリの匂いのものを売ってるお店に予約して買い直した。

あれから3ヶ月。

ずいぶんと遠くに来た気がする。

住んでるところも一緒だし、生活のスタイルは特に大きく変更はしていない。

だけど、内面のことや自分の力的なものがとんでもなく変わった。

それはいいばかりじゃなくて、怖いことや不安なことももちろんあった。

こんな風に色んなことが変化していく中で、コンスタントに私はあるサインを見続けていた。

名前の時もあれば、車や制服、看板の時もあった。

名前について言えば、今日手紙の整理をしてた時にも、ある一通の手紙の中にその名前が出てきた。

そうだった、後輩もその苗字だったんだと思い出した。

『88888』の話もその人物にまつわるもので、偶然にしては超出来過ぎな偶然だった。

そしてその偶然は素敵なストーリーを運んできてくれただけではなく、私に「大丈夫」と強く言ってもらえた気がしてものすごく心強かった。

見えるところでの繋がりはゼロで、これからも願うのと叶うのとには常に大きな隔たりが存在しそうな気がしてならない。

だけど、見えないというか、見えないけれど見える形としてこの3ヶ月もコンスタントにサインはやってきた。

それは、色んなことが変わってウキウキわくわくもしていられない中、むしろ不安が強く出る時もまた、そのサインを見ることによって私は息をそっとつく瞬間をもらっていた。

KINGオブ勘違いと言われようと、私は私にとっての心のお守り的なものを毎回すごいタイミングで手にしていた。

その色んな形のサインを見る度に、私はその人との繋がりを思った。

たとえ私の一方的な勘違いでも、繋がってると小さく感じるだけでも、私の人生の中ではとてつもない強力なパワーが働いた。

ドミニカ共和国を出る直前、自分の活動の報告会があった。

同期5人と違って、私の活動はあまりにも個人に対してのもので、数値化できないようなものばかりだった。

私が最後の発表者で、5人の功績を聞いた後でさらに気が重たかった。

重たくても今さら2年分の内容を変更もできないから、ありのまま発表するしかなかった。

発表が終わった後、今でも仲良くしてる友達の1人が私の元へやってきた。

「ぶっしーすごいやん!」

私は単に発表について褒めてくれてるのかと最初思ってた。

でも友達が言ったのはそうじゃなかった。

「ぶっしー、人1人の人生を変えたやん!それってほんますごいことやんか!」

そう言ってくれた。

ちなみに私は変えてなくて、私と関わった1人の大人の女性が自分の生き方を変えると自分で決めた。

そのサインの人は、私にとってのそういう人。

私の人生を根底から変えたり、弱ってる時にサインが送られてきて安心できる、そういう存在感を発揮する人だった。

目に見えて繋がってなくても、それをもたらす人が、この変化の連続だった3ヶ月の時も随所随所で現れてくれたのは本当に大きかった。
7/6 22:10

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