2018年7月17日火曜日

自分の目

2日と2/3日は布団で過ごした後、さぞかしひどい顔になってるだろうと思って自分の顔を鏡で見た。

あれ?と思った。

生まれて初めて、自分の目がきれいだと思った。

自分比だけど、普段よりもきれいな目をしていた。

あんなに何もしたくなくてずっとグダグダしてたのに。

目の錯覚ではないかと思って、何回も何回も見た。

目の形とか目の色とか全体のバランスとかは取っ払って、単純に目そのものを見た時にきれいだなと思った。

思ってるよりも自分の心は汚れてないのかも!とそれは良い風に解釈した。

私は自分の顔があまり好きじゃない。

嫌いだとまではいかないけれど、好きではないから、普段から自分の顔はあまり見ない。

化粧する時は顔は見てなくて、化粧をする部位や化粧の仕上がり具合しか見ていない。

そして私の化粧はすごく短いから、全部で3分も自分の顔を見てないと思う。

しかも裸眼だと0.1も視力のない目では、相当顔を鏡に近付けないと自分の顔が見えない。

ますます自分の顔を見なくなる。

ふと、何でこんなにも自分の顔を見るのが嫌なのかと思った。

私は小学校に始まり中学がピーク、高校の頃は時々、自分の容姿について、からかわれるぐらいならまだかわいいけれど、あれやこれやと完全に言葉の暴力のような形で色んなことを言われた。

自分ではわからない顔の醜さが他人には見えている、そして言われる。

自分でもどうしていいのかわからなかった。

自分で気をつけられるものであればいいけれど、顔や容姿は気をつけようがない。

でもそれが私で、そして子どもの私は今と全く違っていて、言われたら言われっぱなし、全く言い返せないし、自分の思ってることも1つも言えなかったし、嫌だとも言えなかった。

すっごい頑張って、たまに泣くぐらいだった。

そのぐらいしか自己表現もできなければ、本当に喋らない子どもだったから、言われたい放題だった。

中学の頃はもっと酷くて、私はじっと黙って耐えた。

中学も2年の2学期になると、毎日毎日あと残りの中学校生活は1年と何ヶ月みたいな数え方をするようになった。

何も我慢しなくて良かったんだろうけれど、家と学校だけの狭い生活範囲の中では恐怖の方が支配していて、私は言い返すとかやめてと訴えるとかそんなこと考えられなかった。

むしろ、もし死んだらとか、自殺未遂みたいなことしたら、周りは私の心の痛みに気付いてくれるだろうか?と思っていた。

高校からは人間関係が改善されていくんだけれど、それでも私はなぜか男子の意地悪そうなグループに目をつけられてるのか、私が通るとヒソヒソ私の方を見て話したり、明らかに悪意に満ちた顔をして聞こえよがしに何か言ってみたりと、本当に自分の外見全てにおいて私はダメなんだと思った。

勘違いの可能性ももちろんあるけれど、ああいうのは空気が伝わってくる。

決して良い意味には感じられなかった。

高校を卒業してから私は男の人たちと話せるようになった。

アメリカに行くような人たちということもあったのかもしれない。

ちょっとこれまでに会ったことのないタイプの男の人たちが登場した。

女の子もそうで、注意の矛先がオシャレとか外見ばかりじゃなくそれ以外のところ、そしてその頃から私の人間関係は完全に人間性に重きが100%になったから、もう誰も外見がどうだとか言う人はいなくなった。

付き合った人たちは、それぞれ私の外見を気に入ってくれてたけれども、毎回「この人大丈夫かな?」と思ってた。

よほど変な女性のタイプとか好みを持ってる人たちなんだろうと思った。

そんなこんなの外見の遍歴があるから、大人になる頃には自分の容姿にはすっかり自信をなくし、でも代わりに人間性でカバーできることを知ったから、私はそれでもう多分20年以上そのスタイルになった。

そして30代の後半、多分去年かおととしぐらいからは、もう年を重ねるとよほど外見に気をつけてる人でもなければそんなにみんな変わらないと思うようになった。

もちろんきれいな人はきれいだけれど、それよりも内面が外見に反映されるんだと本当の意味で感じるようになったから、自分の容姿についてもあまり気にならなくなった。

そんなこんなの私は、だからあまり自分の顔をしっかりと見たことがなくて、だから昨日鏡で自分の目をあれほどまで見つめたのは本当に初めてだったと思う。

本当にきれいな目をしてた。

たった1人だけ、過去に私の目がきれいと褒めてくれた私より何歳か下の女の子がいた。

私はその人と会って話すのが苦痛で、その言葉も全然素直に受け取れなかったけれど、でももしかしたら私が昨日見た自分の目をその子も感じ取ってくれてたのかもしれない。

今朝も自分の目を鏡に近付けてじっくりと見た。

きれいだなと思った。

そして、こうして自分の目を見てしばらく毎日自分の状態を見るのもいいかもしれないと思った。

さすがに見惚(と)れるほどではないからそんなにもガッツリも見ないけれど、1日の中で1、2分自分の目を見るのも悪くないなと思った。

そして、私はその自分の目が好きだなと初めて思った。

私は自分の顔のパーツで唯一好きなのは耳で、他は全く好きではなかった。

だけど目はいい感じな気がする♪と昨日から思ってる。

世の中には美人な人も可愛い人もたくさんいるから、その人たちと比べてという意味じゃない(末恐ろしくて比べることさえできない)。

そうじゃなくて、自分でいいなと思う、それがあるというのは私の人生の中ではものすごい大革命みたいな感じだから、これはこれでとても嬉しい。

ちなみに、昨日自分の目を見た時に思った。

あの私より少し下の男性のあの目は何なのかと思った。

私はたしかに自分の目を見て昨日きれいとは思ったけれど、その人の比じゃない。

その人を前にしたら私の目はどんなに頑張ってもかすむ。

あの人は何をしたらあんなきれいな目になるのか知らないけれど、もう信じられないぐらいにきれいな目をしてる。

それは顔全体の造作がきれいとか言うのとは別に(←いわゆるイケメンの人)、とにかく目がきれい。

目はとっても澄んでるし透明感溢れまくりだし、キラキラとは違うけれど光を持ってるような感じだった。

目力があるのとも違っていて、澄んでいるというのが一番近いと思う。

当たり前だけれどそんな人と比べた日には自分の目がきれいなんてとても言えないから、あくまでも自分比できれいという意味で、これからも日々目の観察にいそしみたいと思う。

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