5月末に予約して、6月は満席、7月にしか席が取れなかったホロスコープ鑑定を受けてきた。
その方は、私が自分のホロスコープを4月から読み解き始めた時に、ものすごく参考にしたブログの方だった。
普通に調べても出てこないヘンテコな線と線とで作る奇妙な形のものが自分のホロスコープにあるのはずい分と早くから知った。
何せないから、とにかくヒットしたサイトは片っ端から読んでいった。
その中で、今のホロスコープ講座の先生と今回ホロスコープ鑑定を受けてきた方のサイトが一番詳しくそして理論的に説明してくれてた記事だった。
その方はどうも有名な占星術家だったらしく、そのマニアックな記事に対してなんと本人の返信含め100以上ものコメントがついていた異例の記事だった。
全国どころか多分海外在住の日本人の方までが相談や確認をするような内容だった。
だから「色んな方のものを読める=私のホロスコープの詳細も読み解けるだろう」というのはそのコメントを見てわかったから、それで講座で東京に行くついでに見てもらいたいと思っていた。
その方推薦の初級講座が私が今受けてる講座で、そして講座のU先生の師匠にあたる方が今回の鑑定をして下さったS先生だった。
ちなみにS先生に帰りのバス停まで送ってもらった時にこれまで何人ぐらい鑑定されたのかを聞いた。
500人ぐらいまで数えていたけれど、今は数えてないとのこと。
ただ、月に60人、かけることの20年、1年あたりを700人としてものべ1万人以上は鑑定されたと思う。
S先生は本当にすごかった。
柔らかい感じのとても自然体な方だった。
その自然体な感じからは、あのバリバリなホロスコープの読み解きなんて想像できないぐらい。
でも一度口を開いたら、巨匠だと思った。
ホロスコープ界の重鎮みたいな。
言うなれば、その人はホロスコープの広辞苑みたいな人で、あの暗号を一瞬でバババッと読み解いていた。
今人数を数えてみたら、あぁ…と気付いた。
それだけたくさん読んでる中で、S先生は、私のホロスコープを説明する時にすごく気を使われて言葉を選んでいたのはわかった。
「生きづらい」とか「修行」とか「扱いづらいホロスコープの部類」とか、そういう類いの言葉たちが至るところで出てきた。
最初は私が事前に送った質問に答えて、その後全体的なものを読みながら説明してくれた。
その最初が「対人ストレスが強いチャート」だった。
その辺りからさらに一層言葉を選ばれてる風だったから、私は自分でも色々思い当たることはたくさんあるから、そのまま色々言ってもらっても大丈夫であることを伝えた。
何をもって「対人ストレスが強い」とするかはわからないけれど、確かに家族とかパートナーシップのような近しい人間関係ではストレスゼロとは決して言えない。
それでも私が何とか自分を保っていられるのは、素敵な人たちと出逢わせてもらえてるからだと思ってる。
多分一般的にはストレスとなるようなとか、特殊な人とかがやたらと私の人生には現れる。
確かにそうだけれど、でも私にはストレスにならない。
無理もしていない。
本気で嫌だと感じると、私は逃げる。
だけれど、そうでもならない限り、私が今も続いてる人間関係はとても恵まれてる。
高校に入るまでは散々ではあったけれど、それ以降は年と共に恵まれている。
代わりと言っては変だけれど、色んな人の話を聞くという意味合いにおいては、とにかく特殊な体験をした人たちがやたらめったらとやってくる。
家族はこうした今の私みたいな状況には全く理解がないし、その分のストレスというか心の負荷みたいなのはあるけれど、その辺りは私も付き合い方をうまくしないと自分がやられるのはわかっているから、それは少しずつ防御策みたいなのは身に付けつつある。
そんなこんなの話をしながらさらに先の説明に進んだ。
「なんとかポジティブに」とS先生が言うということは、私のものは相当ネガティブ要素満載なんだと思う 苦笑。
とにかく色んな説明を受けた。
全部書くと長いから、それ以外の細々としたことは、また別記事に書こうかな…とは考えてる(本当に書くかわからないけれど)。
受けて一番大きかったことは、ある意味自分の人生に対して吹っ切れたということ。
受ける前、私の中ではまだ色んなことが半信半疑だった。
スピリチュアルな世界に踏み込んでる自分を見て、時々「どうしてこの分野に興味を持つの?」と思うことがある。
自分にできることがわかりつつあっても、「私の勘違いかもしれない」とか。
しかも色々進む方向性みたいなのが見えてきても、「で、だからどうするの?」という疑問はいつまでも残り、「私、本当にやりたいの?」みたいな疑問はやらない言い訳としても使うけれどそれ以上に本当にする?という疑問は常々あった。
色んなことが絵に描いた餅状態で、どれもこれも現実味に乏しく、さらに自分がしたいの?となるとやらない理由や言い訳は五万と出てきた。
だけど、鑑定を受けてその辺りが変わった。
時間のかかり具合や具体的な活動の中身はわからないけれど、もうやるやらないというよりやる方向にしか人生が流れていかないだろうことは感じた。
私の場合は、やりたいからやると言うよりも、もうそれしかないからやるとか、やらざるを得ないというのが人生そのものの在り方みたいな感じだった。
特殊な意味合いのものをいくつも兼ね備えて生まれてきてる、というのは、それを使うためにもしくは何かをする時にそうである方が都合がいいからそうなってる、と考えられる。
S先生に見てもらって、具体的な出来事やそれらが起こった年月は、まさに私のホロスコープにある通りだった。
スピの知識や一般的にメジャーではないどう説明していいのかもわからない自分の能力的なもの、そんなものもホロスコープに全部出ていた。
時期までもが合っている。
ぐうの音も出なかった。
しかもパソコン上でこの時のホロスコープですよ、と見せられたものがいくつかある。
360度の中のたった1度のところにピッタリ重なり合ってた。
色んな公転周期のあるものが、360分の1の確率で同じ角度のところに一堂集結するわけだから相当ない。
S先生いわく、18年に1回あるかないかぐらいの確率でしか起こらないと言われた。
自分でもその日のホロスコープを出して見た。
本当に1度の誤差なくピッタリ重なってる。
基本的にホロスコープでは、公転周期の遅い空の天体が自分の出生図の時の天体と重なる時、大きな影響を受けやすいとされる。
私の土星(社会的役割を意味する天体)の上に金環日食を伴う新月の月と太陽がドンと乗って、そして同じ時、私の火星の上に空の海王星がこれまたドンと乗っている。
私の土星と火星は生まれた時からライバルのごとく常に張り合うような=矛盾や相容れないものが常にある配置になってる。
だから土星に影響のあることは、同じく火星にも影響が自動的に及ぶようになっている。
S先生いわく、そもそも私自身が皆既月食の直前に生まれているから、どうしても蝕(しょく:日食や月食)を伴う時の空模様から影響を受けやすい、さらにそれと自分の天体が誤差0度で重なる(実際は前後2〜8度ぐらいまで見る)なんていう時はもう影響が出ないわけがない、ということだった。
私は金環日食を伴った2016年9月1日の新月の日、0度の誤差なくピッタリと自分の土星に金環日食の月・太陽が重なった。
そして土星と180度反対にある火星に空の海王星がロックオンした。
新月は28日周期でくるから珍しくはないけれど、蝕を伴ったり、さらにはその伴った状態の角度(その時は乙女座9度、各星座毎に30度ある)と個人の天体がピッタリ重なるのは、相当珍しいと思う。
そしてそのすぐ近くに魂の課題や方向性を表すドラゴンヘッドと呼ばれるものがある。
これら全ての相乗効果で、私の方の日々の生活がどんどん変化した。
単純にあった出来事は、その日は新潟に戻ってから初めて派遣の仕事を始めた日だった。
派遣の仕事を始めただけなら大して大きな影響とは考えにくいと思う。
私の場合は、その辺りからさらに一層水面下で色んなことが重なり合っていたと思う。
派遣の仕事の時の、ちょっと変わったエピソードをかいつまんで話した。
事務仕事メインの求人だったにも関わらず、なぜか最後の方になって私1人しかやらない特殊な仕事を頼まれてしてたことを話した。
50人近くいたのに、やったのは私だけだったことを伝えた。
そしてその仕事は、なぜかこれまで私がやってきた仕事全ての知識や技術を掛け合わせないとできないようなものだったこと、おかげで私は自分のこれまでしてきたことを発揮する機会を得たことを話した。
S先生が言われた。
「武士俣さんの星そのものですね。
武士俣さんのすることは、前例がないものです。
自分の持ってるものを自分で組み合わせて1から作り上げていく、そういうものです。
基本的に誰もしたがらないようなことだったりするから、ニーズが出てくるんです。
やってる人が圧倒的に少ないから、武士俣さんお願いします、となる、そんな風な仕事になっていくと思います」
本格的にその天体の影響が自分でもわかるぐらいに出てきたのは、2017年の9月ぐらいだったと思う。
その頃は仕事も変わったし、ものすごく大きな変化を個人的には迎えていた。
さらに、ずっとスピの世界から離れていたにも関わらず、不思議なリンクや出来事が起こり始めた(と認識できた)のもその頃からだった。
S先生いわく、2016年の9月にスピリチュアルな扉が開いた、とのことだった。
これは今世でやっていく必要のあることとも関連したもののようだった。
「ちなみに、星に表れていることをやらないっていう可能性もありますか?」と質問した。
それはありえないと言われた。
本来生まれてきた時に設定してあったものに対して、その扉に30数年かけて到達して、そしてそれが開いたのがこの2年ほどのこと。
今さら開いたものが閉じるということはないわけだから、今後はどんどん生まれた設定に対してもっと具体的になっていく、という風に説明された。
とりあえず自分が漠然と思っていたこととS先生との説明に大きな差はなかった。
ただ、私は何となくまだもしかして「選ばない」という人生もありなのかもしれない、というのはあった。
だけど聞いていくうちに、それはないことがわかった。
形がどうなるのか、社会的な肩書きや職業名が何になるのかはわからない。
だけど、もう自分を生きていくしかないのと、その自分というのは誰もモデルがいないから自分で打ち出していくしかないのと、それが多分これから残りの人生をかけて私がやっていくことなんだと思う。
多分逃げても逃げられない。
とりあえず今の気持ちとしては、逃げても逃げられないのなら、ゆっくりマイペースでいいから自分の頭の中にあるものを少しずつ形にしていこう、というところ。
ちなみに何がそんなに可笑しいのかわからないけれど、私はS先生との対話を録音したものを聞いて、毎回どこかで笑ってしまう。
そして私の話し方の癖がわかって、とりあえず早急に直したいものは自分の話し方だった。
質問に答えてなかったり、話をしてるつもりがものすごく言葉足らずになっていたり。
よくこんな話し方で周りの人たち私とコミュニケーション取ることができるなと感心した。
そして周りの人たちはみんな天才だと感じた。
【追記】
2月にホロスコープ鑑定を受けて、さらに今回約半年空いて別の方からホロスコープ鑑定を受けた理由。
占いジプシーみたいだけれど、私の中では明らかに違うものだった。
2月の鑑定は鑑定でとても有意義だったし、そしてホロスコープの入口としてはとても良かった。
そしてあの時何よりも良かったのは、自分の過去生とその時に関係があったと思われる人との繋がりがわかったことだった。
余談だけど、私は自分の初めて聞いた過去生がそのことで本当に良かった。
なぜなら次に聞いた私の過去生は、大量虐殺の先導者的な立場だったり、死刑囚の看守役でその人たちをいびったりしただろうものだったから。
順番が逆でなくて良かったなと思ってる。
心の準備として、最初はソフトなものから、その後はヘビーでも構わない。
とにかく2月の鑑定はそれはそれで大満足だった。
今回新たに受けようと思ったのは、4月から自分で読み解き出して、あまりにもわからないことがたくさん出てきたからだった。
別に知らなくても問題はない。
だけど見れば見るほど、そこに多分人生において大切なヒントが隠れてるとしか思えなくなった。
さらにそれを読み解くと、色々わかって面白かった。
だけど同時に自分で読むのは限界だと感じた。
基礎はもちろんだけれど、マニアックな発展応用的なこともわからなかった。
先に書いたように、私のものは普通に検索しても出てこないものがあまりに多すぎた。
しかも今回行って、さらに超マニアックなものが隠れていたことが判明して(それこそ広辞苑レベル)、S先生も初めて当たったのか、ブログで紹介してもいいかと聞かれたほどだった。
私は他の人たちの役に立つならいくらでもどうぞどうぞと返事してきた。
1万人ぐらい見てもなかなか出てこないような、それぐらいマニアックなものを私自身が持ってるわけで、そんなの素人が気付けるはずもなかった。
それにももちろん意味があったし、そして私は今回受けたことで自分の人生の特徴がホロスコープにあったとわかってホッとした。
これまではどうしてそうなのかがわからなかったけれど、今回受けたことで「どうして」の部分がかなり明確になった。
そしてわかったことで、私はまた1つ自分を否定しなくていい材料を手に入れることができた。
さらに自分の人生の向かう先が、これまでの中で一番明確な言葉で聞けたから、ある意味安心できた。
具体的なことはわからないままでも、流れの特徴や人生で設定している目的がある程度見えた。
30過ぎてからは特に、自分の人生がどこに向かっているのか本当にわからなくなった。
自分が決めるとか決めないとか関係なく勝手に物事が動いたり滞ったりする様は、今はだいぶ慣れたけれども常々「なんで?」とは思っていた。
その他にも説明のつかないことはたくさんあり過ぎて、私自身がそれでかなり苦しくなったり戸惑ったりした。
そうしたことも、今回の鑑定でものすごくはっきりとわかって、おかげで私はそれが自分の人生なんだと理解できた。
おかしな言い方だけど、本当にそのよくわからない流れや変なクセのある人生が私の場合は正解のようだった。
だから人生そのものを捉えるためには、今回のホロスコープ鑑定はなくてはならなかった。
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