自分が生きている世界の色彩が変わった。
生きていることの奇跡、それが全部丸ごと詰まってる。
同じ景色の前を通る。
色が変わった。
1つ1つの色が濃くなって、そして透明度が増した。
細胞レベルで何かが生まれ変わった。
「再生」とか「よみがえり」と言ってもいいかもしれない。
あの日から全てが変わった。
私の知らないところで、どんどん細胞がグレードアップされて、そして「生き直し」の機会が与えられた。
生きている今日が愛おしくて、そして今日みたいな明日がやってくることが楽しみになった。
その日の朝、私はかなり憂うつだった。
とりあえず条件的に問題がないというただそれだけの理由で仕事を決めて、でもやりたくないのも苦手な仕事であることも百どころか千も承知の助でいざ決戦の舞台へと向かった。
初日だから緊張する。
本当は初対面なんて自己紹介しなくてもいいならしたくない人。
喋らなくてもいいなら喋りたくない人。
名前だけ言ったら、あとはもう「はい、これ1人で黙々とやっててね」と言われたらそれの方が楽な人。
場数を踏んだ分、その場限りの社交性は身に付いたし、そこそこ社会に適応してます風を吹かせるぐらいにはなれたけれど、本当は人見知りで人避けで引っ込み思案なのが本性だったりする。
さらに言えば、同年代、自分の年齢を真ん中に上も下もちょうど一回りぐらい違う年齢域の男性たちは基本的にみんな苦手。
特に自分と年齢が近ければ近いほど苦手意識はさらに強まる。
これは今も昔も変わらない。
そんな性格のまま男友達と呼べる人たちを数人私の人生の中で持つことができたのは、はっきり言って友達の人間性のおかげ。
私という人の取り扱いや接し方、距離の取り方なんかがすごく上手で、だから人間関係が成立している。
だけど、そんな人たちは国宝級に稀で、基本は私は男の人たちには自ら絡まない。
(男友達にしても、みんな相手や他の友達が最初に何かしらの声をかけてくれたことで関係性がスタートしている)
人の心理に詳しい同い年の男の人に言われたことがある。
ぶっしーは男の人に対しての身構え方が尋常じゃなくて、男からすると絶対に近寄れないオーラみたいなのを発してると。
表面上はニコニコしていても、目に見えない近寄るなオーラが半端ないと言われた。
あぁバレたかと思いながらも、もう自分でもどうにかしたいとも思ってもいなければ男の人に対しての苦手意識もすごく強いから、言われた後も私はこれまで通りで今に至っている。
だからその時、私はいつもの癖でとっさに「苦手な男の人」というレッテルで相手のことを無意識に見ていたと思う。
色んな角度で「苦手な男性」の条件に当てはまっていたのは間違いない。
なのにその相手だけは違ってた。
条件にガッツリとはまってるのに、何かが違ってた。
人生で出逢った人たちとの初めての時なんかことごとくどんなだったか忘れてる。
ましてや仕事なんかさらに社会的な顔の側面が強いから、余計と忘れてる。
だけどその人だけは違ってた。
やりたくもない仕事+男性たくさんな職場=気の休まるポイントがどこにもないにも関わらず、私は安心してた。
その人を見て、その人の発してる雰囲気を見て、この人がいるところなら私も安心して仕事に行けるかも、と無意識のとても深いところで感じてた。
ということに気付いたのは、それから3ヶ月近く経ってからだった。
しかもその人が柔らかい雰囲気を醸し出してたのは、私じゃなくて私の名前に理由があったのではないかと思う。
実際に私の苗字がどんな意味を持つのかは他の人から教えてもらって、さらにはその名前のことで盛り上がったことも聞いたから、だから名前に意味があったからこその対応だったのかもしれない。
その人が見せてくれた笑顔の理由は、私の苗字が引き出したものかもしれないし、単に初対面で職場という社会的な場面だったからかもしれない。
私個人に向けられたものと考えるには私の頭の中がお花畑過ぎる発想だと思うけれども、理由は何であっても私が安心できたことには変わりない。
その人が男の人だということも、初対面で私が緊張していたことも、色んなことが一瞬吹き飛んで、残ったのはその人の雰囲気やそこから発されるものだけだった。
その人が発してたものは、何か圧倒的なやさしさみたいな、世界は優しいんだよと教えてくれるような、そんな風貌のものだった。
それはとてもとても特別で、そんな風に感じた人に人生で出逢ったことがないことにも後から振り返って気付いた。
これも後から気付くことだけど、男の人の中でも特に苦手とするタイプがある。
その苦手な部分をその人はすべてにおいて基準を満たしている。
基準どころかそのさらなる上のレベルで本来ならとても苦手なタイプの男の人。
だから、苦手は苦手でも、普段ならその中でも最大級の苦手なタイプになる。
だけどその人は違ってた。
何がどう違うのか全然わからなかったけれど、少なくとも私を安心させるものを持っていて、私がこの人がいてくれる場所なら大丈夫と心から感じられるだけの何かを携えていた。
私はまさかその人が私の世界の色彩をガラリと変えてしまう影響を与える人だとは思ってもいなかった。
その人が世界に存在してるだけで、すべてのことがどれだけ奇跡の上に成り立っているのか、そしてそんな奇跡の中に自分もその人も存在している・生きていることがどれだけのギフトなのか、そういう詩人めいたことを感じるようになるだなんて思ってもみなかった。
世の中に1つも偶然なんかない。
全部が必然なんだと、その言葉の意味が、その人が人生に現れたことでやっとやっとわかった。
行き当たりばったりな私の人生でも、本当は行き当たりばったりなんかじゃない。
私なんかでは計算できないぐらいに緻密な人生の完全なる計画のもと、今があるんだと思った。
もちろん表面的には、行きたくないけれど仕方ないからとりあえず行った仕事、これで私の人生大丈夫か?と思ったけれどそのように流れた人生、そんな風に私は捉えてた。
色々受け入れられずにいたけれど、その人が登場したことで意味合いが変わった。
出逢うべくして出逢えた人。
その人はそういう人だった。
社会的な視点に立てば、何1つうまくいかなくて、連絡も取れなくて、相手は私のことをとっくに忘れてるんじゃないかという状況。
だけど、命の視点に立つと、全く違う。
その人に出逢えたことで、私は本気で自分の人生が信頼できるものなんじゃないかと思えるようになった。
子どもの頃から意味不明な出来事に遭遇してばかりで「私の人生、一体どうなってんの?」と思ったけれど、その人に行き着いたことで、その人との間の色んな小さな瞬間たちが「それで合ってるんだよ」ということを教えてくれた。
数奇な巡り合わせによって引き合わせてもらえたその人は、出逢うという意味において他の人たちとは全く違う感じを私にもたらした。
明日が来なくていいと思ってばかりいたのに、明日が来ることが楽しみになった。
その時は会えるのが嬉しすぎて気付いてなかったけれど、その頃から私の世界の色彩が変化していた。
景色も心の中の色んなことも、細胞ごと「生き直す」そんな風になっていた。
(と気付いたのはつい最近)
明日が来て欲しくない日があった。
もうその人に会えるのは最後なんだという日。
その日からもっともっと色んなことが変わった。
その人のいない景色は本当に寂しいもので、それは今も何1つ変わらない。
けれど、その人が日々の中からいなくなってからの方が世界の色彩がより一層濃くなって輪郭を持つようになった。
自分の人生や自分にまつわる色んなことにもっともっと向き合うようになった。
そしてそういうことを知れば知るほど、その人との出逢いが特別で絶対的なものだったと確信した。
その人の命が私の人生の中で音を響かせるようになってから、その人の知らないところで私の人生はどんどん変わっていった。
わかりやすいところで言うと、ペンジュラムがそう。
今の私はペンジュラムをすごく使えるようになっただけではなく、それを私以外の人のためにも使う機会が出てきた。
そういう機会に恵まれてると言ってもいいかもしれない。
私以外の人たちに使う時は、必ず相手の何か大切なことを伝える役割を果たす。
実はここまでの精度が上がったきっかけはその人だったりする。
ペンジュラムの動きがYESとNOの2種類しかなかったのに、ある冬の日、スーパーNOを指す動きをペンジュラムが初めて出した。
私はその人とのことで同じ質問を何十回どころか100回以上聞いていて、その100何回目かの時に起こった。
それがスーパーNOだとすぐにわかったのは、その100回以上は聞いた質問のおかげだった。
今から3週間ほど前、今度はスーパーYESの動きが出た。
その時はその人に用意した物に関する質問で、新しい動きが出た。
それももう100回どころか数百回聞いてると思う。
1日3回として掛けることの3ヶ月、270回はゆうに超えてることになる。
ちなみにその時は最初意味がわからなくて、悪い方向に意味を捉えてた。
でも後にそれがスーパーYESに当たることを知った。
(自分の身の回りのことだけでスーパーYESと判断するのは怪しいから、先日友達に頼んで友達の家で一番大切にしてるものを持ってきてもらった。それにペンジュラムをかざすとスーパーYESの動きが出たから、やっぱりあの動きはスーパーYESで合ってたんだと確信した)
それ以来スーパーYESの動きは定着して、これもまた私だけじゃなく別の人たちにも役立っている。
その人が絡む変化というのは、私だけじゃない、他の人たちにも良い影響を与えるきっかけの最初に位置している。
本人もまさかそんなことになってるだなんて思ってもいないだろうけれど、本当にそうだからすごい。
ペンジュラムはわかりやすい例だったけれど、私の中の何か大切なものが変化する時には、必ずその人の存在が絡んでくる。
もう目の前で見ることも声を聞くこともないのに、その人が何かと私に新しい世界を見せてくれる時にまるで横で見守るかのごとく関係している。
はたから見たら何の根拠もないのにすごい妄想だと思われかねない。
別にそう思われてもいい。
だけど私がここまで信じられるのには訳がある。
最初その人がいなくなってから、私はとても不安定になった。
とてもとても不安定だった時、私はその人の苗字も下の名前も色んな形で目にしたり耳にしたりするようになった。
それはそれはどんな頭のぶっ飛んだ人かと思うような形で毎回遭遇してたけれど、それが積み重なることで私は少しばかりの安心感を手にした。
その人が私のそんな精神状態を知って送ってきてくれてるサインとはさすがに思わなくても、あまりにもすごいタイミングで毎回名前に触れてたから、それは目には見えなくても何かに守られてるんじゃないかと思った。
名前を目にするたびに、私は元気をもらってた。
そして、その人と繋がってたらいいなと思った。
大丈夫、と思うようになった。
不安定な中にちょっとだけ安心を一瞬手にする、そんなことが続いた。
そのおかしな偶然たちが幾つも重なるうちに、それが普通ではないことにも気付き始めた。
それは今も変わらずで、大切な局面の時は大体その名前を目にしたり耳にする。
何かに守られているんだと今も変わらず思っている。
そんなの信じないことの方に無理があるぐらいの確率で起こってるから、疑い深い私でさえも「これは少し何かが違うのかも」といつからか思うようになった。
そしてこういうことも、自分の人生への信頼感に繋がる1つの大きなきっかけとなった。
昨日、人からの薦めで私は前世療法の動画を見ることになった。
私はそれを見るまで前世療法など怪しいものだと勝手に思い込んでた。
そういうのは今の現実から逃げるための口実なんだとさえ思ってた。
でも見た動画は違ってた。
あのテレビ番組の『アンビリーバボ』で放映されたものだった。
(アドレスです。
https://youtu.be/lYt263JCSyE
興味のある方はコピペしてどうぞ)
それを見る前から、それを薦めてくれた人から、今度前世療法を習いに行くからその時はモニターをして欲しいと言われてた。
その人が過去世から今の自分に向けてメッセージがもらえる、そしてそれが今の人生の色んなこととリンクすることが本人や家族の実体験でわかったから、もっと専門的に習いに行きたいという話だった。
その人はなんと動画に出てくる先生を徹底的に調べて、どこでなら受けれるのかまでをすでに問い合わせ済みのようだった。
私はその人の行うあらゆるセラピーは本当に質が高いのはわかってるから、モニターをするのは単なる興味関心も手伝って動画を見る前から二つ返事でいいですよとは答えていた。
動画を見て驚いた。
それは前世から持っている魂の記憶的なものが今世の色んなことに繋がっていた。
なんなら、佐藤藍子がその前世療法を受けに行って、その時の様子まで流れた。
双子の芸人ザ・たっちもそれぞれ受けて今世で双子として生まれてきたであろう理由を特定する手がかりを得ていた。
私がモニターをさせてもらえるのがいつかはわからない。
わからないけれども、私はその動画を見て純粋に受けたいと思った。
自分の過去世からヒントが欲しいというのももちろんだけれど、もしかしたらその私の世界の色彩を変えるきっかけとなったその人の存在もそれによってある程度知るきっかけになるんじゃないかと思った。
そんなの知ってどうする?と思われるかもしれないけれど、私はあの動画を見て(しかもかなり斜に構えて)、物事の意味合いは私が思ってる以上に全然違うのではないかと思った。
偶然なのかなんなのか、昨日はちょうどあれから1年経つという日の前日だった。
そんな日に魂の記憶だの前世だのと私は見ていた。
しかもそれは私が見つけたものじゃない。
私に前世療法のモニターをして欲しいと言ってきた人がその前の日に私にもたらした情報だった。
この意味は今はまだわからない。
わからないけれど、これが未来のどこか大切なポイントと繋がる通過点なんだろうなぁとは思っている。
どハマり中のホロスコープもそうだけど、どれ1つ取っても、確実にその人に出逢ったことで私の中の何か大切なものが発動し始めてそれで現在に至っている。
今さらその人が現れなかった人生を検証することはできないから比べられないけれど、もしその人に出逢わなければこの1年で手にしたものは何1つ手にしなかった、それは簡単に予測が立つ。
そしてその人が目の前からいなくなった後今に至るまで、私の中の生きる理由がまた変わった。
その人にもし生きているうちに再会できるなら、生き続けたい、それまで大事に命を繋ごう、そう思うようになった。
そして今現状は、その叶うか叶わないかと言われたら限りなくゼロのようなことに対して、私は悲観するのではなくそれまでできるだけ人生を楽しむ方法で生きていたい、そんな風に思えるように変わった。
だから私は「生き直し」の機会が与えられたと思っている。
私はこの1年で全く違う現実を生きることになった。
1年前の私がそんなことを知るわけもなく、ただただ目の前の自分の事情に合わせて選んだ先にたまたまあったものぐらいに思っていた。
当初から誰かに出逢うことを完全にあきらめてた私は、当たり前だけれどそんな気など一切なくその場所へと足を踏み入れた。
まさかそこから自分の人生が劇的に変わるなんて予想さえしていなかった。
自分の内側が本当に大きく変わった。
生きていることに対して本気の感謝が湧くようになった。
生きていることが当たり前だとは思わなくなった。
生き続けないと叶えられないことがあることを初めて知った。
人生には望んでも叶わないことがあるのと同じように、生きていないと叶えてもらえないこともあると知った。
自分が生きてこそ初めて可能になって、そして相手も同じように生きてるからこそ出逢えるんだって、本気でわかった。
頭じゃなく、本当の本当に心からその感覚がわかった。
もちろんイライラすることも思い通りでないことも自分で自分を苦しめてるような思考のクセも相変わらずだけれど、でもどれももう二度と同じ時はやって来ないんだということが本当にわかった。
何もかも当たり前なんて世の中にはひとつとしてないこと。
昨日と同じに見える今日も、実はもう今のこの時にしか存在していないこと。
そんなこんなを私は私で、相手は相手で繰り返した先に、一瞬互いの人生が交わるように用意されてた舞台があったこと。
鈍すぎて何も意識に上がってなかった頃、その人が一瞬その人の存在を私にアピールしてくれたことがあった。
本人はアピールしてるつもりは全くなかったのではないかと思う。
私にアピールしたところで何の得にもならない。
でも私には十分だった。
気付く最初のきっかけとしては十分だった。
そこから先は語り尽くせないほどの色んなことたちが次々に起こった。
そして生きてる今が、ただただ生きてるこの瞬間が全部奇跡なんだと気付いた。
自分の命も相手の命も奇跡そのものなんだと知った。
私は時々自分が誇大妄想の中で生きてるんじゃないかと思う瞬間がある。
ここに書いたことたちを考える時は特に、ふと我に返るとそんな風に思うことがけっこうある。
でも私は自分のこの目でこの耳でこの体で全部の瞬間を通り抜けてきた。
ある時からはそれが本当に起こったことだというせめてもの証拠になるよう、日々の簡単な記録を残すようになった。
相手には何も見えてないと思う方が自然なのも知っている。
だけど本当は伝えたい。
全てが奇跡で、その奇跡を私に見せてくれてありがとうと。
そしてもう一度会いたい。
生きているうちにもう一度会いたい。
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