「武士俣さんすでにそれを始めてますね〜」
2月中旬、私は待ちに待ったマッサージを受けていた。
このマッサージを受けた理由はただ1つ。
自分の体を通じて、自分の潜在意識からのメッセージを伝えてもらえること、それを聞きたくて受けた。
今でこそホロスコープを独学で学び始めたり他にも興味のあるものにあれこれ手を出してるけれど、2月の中旬は全く違った。
3月末で辞めると言ったはいいけれど、どうするんだろう?と思ってた。
だから、自分の潜在意識から何かしらメッセージがもらえるなら、是が非でもお願いします、という感じで予約してた。
その時に4月以降含め今後の人生で何をするのかわかる範囲で私の体が何かを言ったら教えて欲しいとお願いしたら、冒頭の「それをすでに始めてる」というメッセージをもらった。
私はいまいちピンと来てなかった。
少しは思い当たることはあったけれど、「これ!」という明確なのがない。
何だろうと思った。
仕事を辞めて数日後、今年初めての桜を見た。
桜はむしろついでで、その時もまた別のマッサージを受けに行った。
それは筋反射と呼ばれる手法を採用していて、自分のYESNOを探るのに筋反射で答えを見てもらう。
筋反射は潜在意識を反映してるから、自分の本当の本音を知ることができる。
その時にもこれからの自分の方向性を見てもらった。
「すでに始めてる」は同じだった。
それで当時あれこれ思い付いたものを頭に描いてそれで筋反射を取ってもらったら、NOが出た。
ちなみに頭に描いたことは、思考の変換を図って心をほぐすみたいなプログラムだった。
それが一番自分の得意分野だと思っていたから。
NOが出て正直「…、他に思い当たらない、何をすると言うのだろう?」と思った。
その2日後には、ホロスコープの読み取りから「心の傷を癒すエキスパート」と出た。
これはかなり良かった。
自分の中の大ヒットした言葉だった。
やることの輪郭もある程度ある。
ただし、その時はまだ何か自分に不足してるところを見ていた。
ホロスコープの学びが始まったばかりとあって、まだまだ先は色々長いなぁと思ったことも覚えてる。
実際に頭の中に色々あったものの、私はなかなか動き出さなかった。
何でかなぁと思ってた。
気持ちがないわけでもない。
やることは頭の中にある。
あとは形にすればいいのに、何してんだ?と思った。
そうこうしてるうちに、ホロスコープの読み解きにどハマりして、その心の傷を癒す云々は放置に近い形になった。
実は5月の中旬に、これからの仕事用のブログを一新しようと、新しくブログを開設した。
したはした。
2つほど書いたまま、それ以降書いていない。
これも正直、このブログはこんなにも書くくせして、本来する必要のあるものが延び延びでどうかと思った。
開設してしばらくした後、私は2人の人たちから今の自分に向けてのメッセージを下ろしてもらった。
5月20日前後の話で、ホロスコープの講座のキャンセル待ちは取れるわ、そのメッセージの人たちの受付も取れるわで、一気に3件も欲しいものが取れてどうなってるのかと思った。
1人は私が最後の1枠ゲットだったし、もう1人も全く知らない人でたまたまホロスコープの調べ物してたらヒットした方で、何と遠隔リーディングと呼ばれるもののモニターを募集されてた。
色んな種類があるけれど、この方のされる遠隔リーディングは、名前と生年月日を伝えて、あとは聞きたいこと1つを書いて、そしてそこからその方が読み取る情報をバックしてもらう。
その方が繋がるのは、基本的に相手の魂の部分。
対面ではしてるけれど、遠隔でしたことがないからそのモニター募集だった。
いくつか記事を読んで絶対にこの人なら大丈夫!というのがわかって(←文から相手の感じを読み取る嗅覚は相当優れてると思う)、それで速攻申し込んだ。
その後24時間もしないうちに締め切られた。
メッセージは今度いつかここで紹介したいと思うけれど、本当に的確なことをそれぞれの方は言われていた。
1人は、今の私の状態を、自分の人生そのものを心の深い部分から見つめて歩き出してる、と教えてもらった。
もう1人は、「心の傷を癒す」ことに関してその道を歩くと決めたことに対しての祝福&後押しと、ただそれに対しての「これ」という方法が定まっていないようだと教えてくれた。
そこには「具体的なことが実は自分の中にあっても、『これでやります!』と高らかに宣言する自信に至ってないのかもしれない」ぐらいなことが書かれていた。
これは大いに思い当たることがあった。
でもかと言ってその時もまだ「これ!」と明言できるものはなかった。
しかも思い当たるというのは、自分の心理状態であって、具体的な手法の方ではなかった。
そこはまだぼんやりしてて、多分好きなことやできることをいくつか組み合わせて何かしらをするのはわかっても、じゃあそれが何かと言われるとわからない。
その時もまだ私の中では明確な方法は「これ!」というのがなかった。
そうこうしてるうちに、今度は4月にちょっとした新しい試みをさせてもらった人が、私の伝えたメッセージによりなんと健康回復したと教えてもらった。
これはめちゃくちゃ嬉しかった。
そしてそれは1つ私に小さな自信をプレゼントしてくれた。
そして数日前のこと。
絶不調4日目。
熱もないのに合計で5日も寝込んだのは初めてだった。
これ本当に風邪なの?と思うぐらいの満身創痍型の風邪だった。
もちろん根底には心の不具合が爆発して起こってることはわかったけれど、それにしても酷すぎた。
人生でベスト3に入る具合の悪さだった。
そんな最中、私はある1人の人からメールを受信した。
その人には元々私のする癒しのプロセスのモニターをお願いしていた。
本人のタイミングでお願いしてもらう予定でいたけれど、その時にもらったメールを読んだら、具合悪いくせして即座に色んなことが思い浮かんで、それら全部を書いて1時間もしないうちに返信をした。
私としては特別なことをした感じは全くなく、フライングだけどこれがモニター代わりの本人向けのメッセージだと伝えた。
メッセージと言うより、実際は実に超現実的な「今自分のために何ができるか」リストだった。
具合の悪さも手伝って、私はその時に相手からもらった返信をだいぶ読み飛ばしてた。
もちろん大切に返信は読ませてもらった。
だけど、言葉を1つ1つきちんと拾えるほどの体力がなくて、当初読んだ時はその内容の10分の1も頭に残らない感じだった。
すごく大切なことをたくさん伝えてもらってるのに、あまりのだるさに読んでても肝心なところは響いてこず、他の部分にばかり目を向けてた。
そしたら日曜日の夜遅くにもう一度今回のあれこれの感想メールをもらって、そこで初めて私は事の重大さに気付いた。
そこには具体的に私がしたことを、その人の言葉で最大限に書かれていた。
その人いわく、私がまるでその状況をずっと横で張り付いて見てるかのごとく色んなことを言い当ててたこと、当時の状況を見て判断できることを的確に表してるだけじゃなく、それらに対しての超具体的でわかりやすいアドバイス、それらを1時間もしないうちに返信してきて、人のなせる技とはとても思えなかった、それを読むだけであまりに驚いて辛い気持ちも一気に半分は吹っ飛んだ、とあった。
あれ、そんなすごいことしてた私⁉︎と思って、もう一度最初にもらったメールとそれに最初返信した私のメールの両方を読んだ。
確かにたった数行の情報から紐解いて出してきた発言にしては、あまりにも多岐に渡っていて、しかも知らないことまでまるで知ってるかのごとく書いていて、その本来知らないことに対しても普通に対応策を具体的に明記してた。
数行の現状を伝える内容から19個もの超具体的な心理的アプローチ&体へのアプローチを私は黙々と書いてた。
しかも具合悪くて布団の中でもぞもぞしながら…苦笑。
もっと言うと、その後さらにもっと長いアドバイス的なものを8個書いて追加で送ってる。
だけど、私は一切疲れなかった。
単に出てきたものを書けば良かったから、思考もセラピー的な手法も何も使わなかった。
色々振り返って、ようやく今全部が繋がった。
確かにかなり精度が上がったのは本当だけれど、元々私はこれを普通に素でずっとやってきた。
「ずっと」というのがいつからかわからないけれど、30代はそうだったと思う。
相手の状況を直接口頭でも、反対にメールとかの文面でも伝えてもらう。
そうすると私は即座にその状況が理解できて、見えはしないけど想像も簡単にできて、そしてそれに関して何かしらのことが脳裏に思い浮かぶ。
感じたまま、相手にその内容を伝える。
私はその行為を特別視したことは一度もなかった。
時々「何でわかったの?」と言われなくもなかった気がするけれど、私からすると別に特別でも何でもないから、気にも留めたことがなかった。
「今日ビール飲みたい。つまみは、レンコンの素焼きと、キムチと、チーズと、あとマカロニサラダも食べたい!帰りにコープ寄って割引のメンチがあるといいな」
ぐらいの食欲に任せた晩酌への妄想と何ら変わらないから、それが特別だなんて考えたこともなかった。
これは特技だと思うけれど、私は冷蔵庫を見てすぐにパッとメニューを組み立てられる。
だから献立を考えるのに、余程好き嫌いの多い人向けのものも含めた献立を立てないといけないなんてことがなければさっと思い付く。
献立が特技と思っても、同じぐらいにパッと思い付く相手の状況やそこからパッと思い浮かぶメッセージ的なものに関しては特技とは思わなかった。
むしろ、それについても「私お節介ババアみたいで嫌だな…」とは時々思ってた。
相手から非難めいた返事が返ってこようものなら、本気で「やらかしたな…言わなきゃ良かったな…」なんて思うこともしばしばあったから、余計と特別に思うこともなかった。
でも今回第三者から指摘されて、よく考えたらちょっと普通じゃないかもと思った。
そして今回初めて「隣りでずっと見てたのかと思ったぐらいに当たってる」と言われて、初めて「もしやこれ、私の考えとか想像ではないのかも…」と思った。
4月以降、そうした何かしら個人的なメッセージを伝える時、私は伝える前にその情報の出所だけはペンジュラムで確認している。
ある時、明確に私の意思ではない形でメッセージがもたらされて、それ以降は自分の関心も手伝って確認してた。
だから今回のメッセージも、相手に出す前に相手の潜在意識からのものだというのは確認してた。
でもそんなの絶対とは限らないし、ましてやそうだとしてもどの程度の正確さや情報量に該当するのかなんてさっぱりわからなかったから、あくまでも私なりの目安程度の話だった。
だけど、今回のモニターの人の話で、どうやら私は瞬時に相手の潜在意識かや来てるものをダイレクトにキャッチして、そしてそれをそのまま伝えてる、その正確さや情報量が半端ないことが判明した。
言われてみて確かにおかしいとわかった。
だってたかが数行の情報から私はその解決法のようなものを一気に19個書いていて。
相手がそれが1時間以内に来てビックリしたと言ったから、私はあまりの具合の悪さにそれすらも読み流して、実際は読んですぐに思いついたからこんな風に返信してた。
「打ち込むのには時間が3次元らしくそこそこかかるけれど、思いついた時間としては、書いたものの大半は一瞬で、だから時間にしたら1、2分で全部出てきて、書いてるうちに他も思いつくからそれも付け足しで書いて…」
19個の大半のメッセージは一気に頭に浮かんだもので、「寝たら忘れる」と思って、布団の中で横になりながらひたすら書いてた。
だから相手からさらに指摘されて、状況を見てもなければ解決法を考えてもないのに、あれだけの情報をそんな短時間で持ってくるのは、もう人のなせる技じゃないと言われた。
あまりにこれまで当たり前にあり過ぎて、全く気付かなかった。
イメージとしては。
その人自身が何かしら個人的なことで困る・悩む
↓
自分では解決策を顕在意識上では思い付けない
↓
とりあえず目の前の人(=私)に情報を伝えよう
↓
目の前の人が潜在意識の通訳をするだろう
↓
(私は知らずに)通訳&伝達
なんてことになってたんだと思う。
書いてて「あー‼︎」となったことがある。
多分同じ原理だったと思うけれど、私はコールセンターの仕事の時にも似たようなことが起こってた。
4つのコールセンターの仕事をして、そのうちの2つは個人客相手の対応だった。
法人相手の時にはこれは起こらない。
多分それは個人の感情とか状況はその場合掻き消されてしまうから。
でも個人相手の時には、私は時々相手の超個人的な話を聞いて、その時に思いついたことをさらりと電話の向こうの人に伝えることをしてた。
仕事には関係ない。
1つはエアコンの修理受付だったし、1つはクレジットカードの不正利用の被害に遭った時の対応部署だった。
そこから個人の人生の話が出てくるなんて私も想像してなかったけれど、なぜかそういう流れが電話口で生まれて、それで思い付くことを言った。
何人かのお客さんには「仕事としてではなく今お話を聞いて個人で感じたことで申し訳ないのですが…」と前置きして言ったことも覚えてる。
エアコンの方はアットホーム主義なところで全く怒られないどころかそれでいいと言われてたけれど、カードの不正利用の方は教育係からしょっちゅう怒られてたし、一緒に入った女性からも「武士俣さんの話を隣りで聞いていると、どうしたらそんな個人的なお話になるのか不思議で仕方ない」と言われたことがある。
ちなみに教育係の人は、単に私のやること為すことが全て気に食わなかったようで、ことごとくダメ出しを食らってた。
だから個人対応に怒られたと言うより、もっと他の部分であれこれ言われてた。
当たり前だけど、私は仕事だから絶対に自分からそんな話を引き出すような前振りは一切しない。
だから私からすると、自然にそんな話の流れになったとしか言いようがなかった。
これは私の予想とコーチングの時に学んだこと。
何か大切な話をする時、個人の悩みや相談というレベルの話の時。
人は無意識のうちに相手に話していいかどうかを判断している。
この無意識の部分というのは私たちが認識してるよりずっとすごい感度で、私はこの例が一番ビックリしたという話を1つ紹介したい。
コーチングのスクールの授業で習ったこと。
先生が私たちに質問した。
「これからみんなにとって初めて会う人がこの場所に来るとします。その人がどんな人かをどのタイミングで察するでしょうか?」
私たちは色んなことを言い合った。
入ってきた瞬間とか、自己紹介されたらとか、実際に一緒に授業を受けたらとか。
先生いわく、私たちは初対面の人を実際に会った時にその人が安全な人かどうかを判断してると思っているけれど、実際は違うよという話だった。
実際は、その相手が部屋に入ってくる数メートル前にその人が発してる雰囲気を空気でキャッチしてるらしい。
スクールの場所としては、エレベーターを降りて3軒ほどの店舗を過ぎたその階の一番奥で、具体的には距離で考えると大体2軒手前あたりで察知してるかな…と説明した。
だから入ってくる前にはすでにその人が安全かどうかというのを判断できる能力が人間にはあるということだった。
講師の先生たちが男性だったおかげで、必ずそうした話を裏付ける心理学者とかの実験データや理論が添えられてたから、空想や妄想の話ではなく本当にそうらしい。
だから、電話の時も同じようなことが起こってたんじゃないかと思う。
電話越しに目には見えないけれど、相手の感じを察知して、それでお客さんたちは私に話をしてきたんじゃないかなと。
そしてこれは個人的なカウンセリングでもセラピーでも言われてることで、「無意識の合意」というものがある。
相手に話してもいい、開示してもいい、その人のセラピーを受けてもいい、というような心理的な面での合意というのが必ずあるとのこと。
これは無意識にやってるから、当人同士はほとんど気付かない。
言葉を変えれば、カウンセリングでもセラピーでも思ったような結果にならない時は、多かれ少なかれ「この人には話せない」とか「この人には安心して身を預けられない」というのがある。
私は数多く色々やって、その辺りはよくわかる。
話がだいぶそれたけれど(←いつものこと)、私が特にがんばらなくても自然にできるのが、この相手の潜在意識から伝わってくるものをそのまま言葉にして返すこと。
今回指摘されたことでわかった。
あの私がメニューが思い浮かぶのと同じぐらい瞬時に思い浮かんでしまう時は、多分大方相手の潜在意識から来てる。
私の思考とかは入らない。
言われてみればいきなりボンと出てくるから、わかる。
だからその人にピッタリのメッセージがいくし、ピッタリ過ぎて怒る人もいるのは何となく頷ける。
だから2月に潜在意識から「もうすでにやってます」と言われた意味も、先日「自信を持ってこれだ!と宣言できてない」と言われた意味も納得した。
多分このことを指してる気がする。
だいぶ長くなって、本当は
・アドバイスされたくないと言われたこと
・「人の人生に踏み込んではいけない」と思っていること
にも触れたかったけれど、これはまた今度。
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