2018年6月25日月曜日

体重の歴史

「何をどうしたら25㎏も体重が変動するの?あり得ないよね」

3月まで働いていた職場で事務員さん同士が話していたことがあった。

私はそれを聞いて、まさか私がそうですなんて告白するわけもなく、告白したところでその人たちの気まずさも十分に想像できたから、黙っていた。

昨日のブログで、25㎏の体重変動について触れた時、これ記事にしようと思った。

書きながら、これ世間一般では摂食障害の人と思われるんじゃないかと思ったから。

摂食障害に対して偏見はない。

ないけれど、そうではない私からしてそうだと勘違いされるのは嫌だった。

摂食障害で25㎏体重が変動したならそう言うけれど、私の場合そうじゃない。

私は摂食障害とかでは一切なく、なのにこれだけの体重が行ったり来たりするという、ある種すごい特殊な体験をしていると思う。

私は体重が25㎏行ったり来たりする体験そのものは、多分私の場合、自分の人生の流れそのものに直結してると思ってる。

とにかく人生全般において、両極端の世界を見る。

両方の世界を知ることが何かしら意味があってそうなってると思う。

だから極端に少ない体重も極端に多い体重も両方体験してみる、みたいな。

でもまだヒントとなるピースがいくつかあるだけで、何でそんな人生の流れなのかは具体的にはわからない。

ホロスコープの調べ物をしてる時にもそのような人生の特色が書かれていた。

ある時、ホロスコープを調べていたら出てきたこと。

何の調べ物の時でホロスコープのどの部分を指すのか忘れたけれど(重要視してなくてメモしなかった)、何かと何かが重なるなり角度を取ると摂食障害になったり大きな体重の変動を経験したりする、みたいなことが書かれていた。

私はもれなく自分もその指摘されてたものを持っていたから、あぁそうだったんだ、と妙に納得した。

私の体重は、思春期の中学生から高校生にかけても多分5㎏前後増える方にも減る方にも移動したと思う。

私が適正体重がわからないと言ったのは、私は1つの体重のところに多分1年としてほぼほぼ毎日同じという体験をしたことがないから、どの体重が本当に自分にとってのベストかがわからない。

今は太りすぎだとさすがに思うけれど、私は痩せてる時も太っている時も体の可動域の変化や自分が感じる重みがわからない。

人は太ると体が重いと言い、痩せると体が軽くなったと言うけれど、私はどちらの時もそれを感じない。

元々の運動神経の鈍さも手伝って、余計とわからないのかもしれない。

ちなみに今思うと中高の私は全く太っていなかった。

だけど、私は太ってると言われ、ダイエットもした。

そして中高の時にありがちな「○○㎏もあるなんて太り過ぎ」というメディア的な言葉を受けての会話も普通にあった。

あれは私はものすごく毒だと思う。

何故なら、そうした体重はみんなそれぞれに体型や体質があって、一概に何㎏だから良い悪いではないから。

たとえ同じ身長でもそれは個人によって違う。

何でそういう教えを広めないのかな…と思う。

本当に健康に直結してしまうことだから、そこをきちんとした正しい情報をなぜ外に出さないのか、わからない。

25㎏も変動したおかげでわかったことは、下位5㎏は私の場合、もう適正ではないとわかる。

その域にくると、一般的には少ないとは絶対に言われない値でも、私の場合、本気で骨と皮になる。

普通に立ってる状態であばら骨が出てしまう状態だった。

周りの人たちからきちんと食べてる?と心配されるぐらいだから、本当によろしくない。

ちなみに下位5㎏の時は、1回は掃除のバイト+精神的なストレスで食べても食べても痩せ細る一方だった大学2年の夏休みと、もう2回はドミニカ共和国にいた2年間で2回もデング熱にかかって、それでその時に記録した。

デング熱で痩せる理由は、基本的に食べられなくなるから。

デング熱の初期症状でわかりやすいのは、突然の食欲減退。

2回目は特にわかりやすかったけれど、私はその日発症直前に1週間分の食料をスーパーに買いに行ってた。

ビールももちろん買って、美味しいイタリアンサラミも買って、他にも色んなものを買って、帰ったら飲む気満々でいた。

私は首都に住んでいたから、基本的な買物はほぼほぼスーパーで行なっていた。

そして家に帰ってきて、さぁつまみを作って飲もう!とした時に、突然何も食べたくなくなった。

直前まで飲みのメニューを意気揚々と考えていたのに、とにかく立ってるのもしんどくなってきてベッドに横になりたかった。

私は何も食べず、食べ物を冷蔵庫に入れるとすぐに横になった。

基本的に発熱しても私は食欲が一切衰えないタイプだから、私が食べれない時は身体的に相当悪い。

まさか2回目のデング熱を発症してるなんてその時は夢にも思ってなくて、その3日後に念のため検査をしようとなったら、デング熱にかかってた。

すごい余談だけど、2回目の決め手は、目の裏側の痛みだった。

目の裏側なんて痛くなったことないから、それで「まさかデング熱2回目なんてあり得ない」と思ったけれど、そのまさかだと悪いから念のため通院して血液検査をした。

そしたら何とまさかのデング熱だった。

通院せずに放置したら、真面目に危なかったと思う。

通常デング熱は解熱剤を飲んでも熱は下がらない。

1回目は定説通りで、多分10回近く飲んでも一切下がらなかったのと、ものすごく具合が悪くなったのとでおかしいと思い、それで医者にかかって血液検査をして判明。

2回目はそれが中途半端に1〜2時間だけ下がってまたすぐに上がるということを薬を服用する度に3日繰り返したから、ちょっとわかりにくかった。

しつこいけれど、わかったのは眼球の裏の痛みのおかげ。

こんなのも本当に要らぬ情報だけれど、超大切だから言うと。

デング熱の時は、解熱剤としてバファリンは使えない。

どのメーカーだったらOKか忘れたけれど、とにかくバファリンは絶対にダメ。

バファリンの中の成分が血液の流れを良くするんだか何かで、体内の出血を促進して非常に危なくなるから、場合によってはそれで死に至るからと説明された。

ちなみにデング熱は血小板が異常なほど減少することで発覚する。

白血球も減少する。

私は1回目の時に、「白血球が3桁で危ないからもう一度検査します」と言われた日があった。

意味がわからなかったけれど、後から看護師の友達に聞いたら「その値って、ガンとか白血病の人たちが出す値で本気で命の危険があるレベルだから」と説明された。

こういう時、無知ってある意味ありがたいなと思った。

無知だったから、全くそのことを言われても意味がわからなかったから、重大なこととして受け止めずに済んだ。

まぁだから、デング熱になると食欲が一気になくなって、私は水さえ飲むのがしんどいぐらいだったから、体重はおかげでどんどん減る。

通常の食欲に戻るのに、2回とも1ヶ月かかっていたから、1ヶ月ほとんど飲み食いしなけりゃそれは痩せる。

誰でも痩せる。

私も各回5〜7㎏痩せた。


自分の記憶にある体重の変遷。

高校卒業後、アメリカに行った1年目で10㎏程太る。

アメリカのご飯は本気で不味い。

私はある時から確実に美味しく食べれるハンバーガーとフライドポテトをほぼ毎日1食は食べるという生活を始めた。

当たり前だけど太る。

2年目の冬、私は風邪をかなりこじらせてそれで3〜4㎏減量。

2年目が終わり、夏休みに大学内の掃除のバイト、1日8時間×週5を3ヶ月する。

元々運動などしない人が1日8時間も動き続けるから、スルスルと体重は落ちた。

そしてその夏の終わり、私は痛い恋愛を体験してストレスでさらに体重が減った。

この時が人生で1番痩せてたけれど、本気で骨と皮みたいになっていて、周りから本気で大丈夫かと心配された。

私としても、今じゃあ羨ましくて仕方ないけれど、食べても食べても太らないどころかどんどん痩せるから、そんなことにも悩んでた。

その後5㎏ぐらいは戻ったと思う。

日本に帰国してからドミニカに行くまでの数年間は、もうプラスして5㎏程を行ったり来たり。

当時夜勤があった関係で年に2回健康診断があったけれど、一度として同じ体重を記録したことがなかったから、当時もすでに自分の適正体重が不明だった。

その後ドミニカ共和国での2年間で、毎年数キロずつ増えたり減ったりをデング熱によって繰り返す。

痩せてた当時、私は女友達に頼んで、ビキニを着て写真を撮ってもらった。

今じゃなきゃ撮れない、と思った私のあの時の勘は素晴らしく、今同じことしたら犯罪級の罪に問われる。

日本に帰国して名古屋生活開始。

自分では全く気付かなかったけれど、ブラック企業での激務のおかげでなんと2年目の健康診断で前年比5㎏減と知る。

スーツも緩くなった気がしなくもなかったけれど、あまりの忙しさに気付かず。

健康診断の結果を見て初めて気付くという。

その後またその分は戻って、その後から1年に2キロ前後太っていったように思う(←常に変動してるから自分でもよく覚えていない)。

決定的に7㎏も太ったのは、新潟に戻ってから。

これは完全にストレス太り。

多分最初の3ヶ月で3㎏前後。

その後事務の仕事を始めたら、最初はそれも合わなくておやつをよく食べてた。

仕事中もおやつOKなところだった上、おやつがよく回ってきてた。

仕事後も小腹が空いたらちょっと何かをつまんでた。

大量に食べることはしなくても、塵も積もれば山となる状態で、2017年を迎える頃には人生で見たことのないMAXの体重を記録した。

その時も3〜4㎏程度の増量でも、恐れおののくぐらいの数値を目にして、さすがにヤバイと思った。

その時が、大学2年の終わりに激ヤセしたところからプラス25㎏となった。

そんな時に、長い付き合いの友達から結婚式の招待を受ける。

最後会った時の体重がいくつかわからなかったけれど、15㎏前後はプラスと思われる。

ズケズケと言ってくる男友達数名が目に浮かび青ざめそうだった。

だけどそんなにすぐに痩せれるわけもなく、2キロ減量が精一杯だった。

5月の結婚式は泣きたいほどにあれこれ言われた。

そしてほぼ同じメンバーで次は8月に結婚式があった。

結局話は流れたけれど、なんと5月の時に1番仲良くしてた男友達から「ぶっしー本気で九州まで嫁に来てもいいなら、僕1人すごく良い人を紹介できるよ!」と言われた。

写真も見せてもらって、誠実そうな好青年且つ安定した職業の方だった。

「って言うか、ぶっしーの話を実はしてて写真も見せたんだよね!」
と友達は言い出した。

私は即座に「どの写真を見せたの?今の体型により近くてできれば変な写りのものだといいんだけど」と付け加えた。

私の写真写りは恐ろしく悪いけれど、たまにうっかりきれいな感じに写る時がある(対自分比)。

中途半端にきれいに写ったものよりも変な風に写ってるものを見てそれでもいいと言ってくれる、スーパー心の広いもしくはちょっと趣味がおかしい男性でなければ無理だから、私はそこを確認した。

ちなみにこの友達は過去にも紹介してくれたことがあったけれど、その時々も私は良いこと以上に最初にそうではないところを相手の人にしっかりと伝えて欲しいとお願いしてた。

友達がどれだったかな〜と言いながら、多分これだ!と言って出してきたのは決してきれいには写っていないものだった。

私的には良かったけれど、逆に友達に「その男の人大丈夫?この写真を見て会ってもいいと言う人の好みがわからない。おかしいとさえ思う」と言った。

友達は大丈夫だよと言ったけれど、私は本当に紹介してくれるなら、友達の記憶にあるこれまでの私の数々の変なエピソードを伝えてもらうのと、あと変わってる人だけど大丈夫かも聞いてね、と念押しした。

私は私が結婚できない理由は自分でも重々承知してるけれど、相手の人がなぜ結婚してないのか、しかも性格も良いとのこと、顔もスタイルも良さそうであれば仕事も安定、結婚相手として申し分なさそうなのに、何で⁇と思った。
(友達いわく、出会いの場が極端に少ないとのこと)

とりあえず会えるのであれば、私はダイエットを頑張ろうと思った。

でもこの話だけでは私はダイエットを全く頑張らなかった。

全然やる気にならず、このまま8月末の結婚式&紹介なのかと思ってた。

ところが私は7月から本格的にダイエットを始めた。

理由は紹介じゃない。

イケメン&スタイル抜群な男性に惹かれて、私はせめてもの自助努力で、自分ができることはやろうと思った。

私はその人から相手にされるとは全く思っていなかった。

淡い期待も一切抱かなかった。

男版高嶺の花とはこういう人を指すのだろうと思ってた。

それは最後までそうだった。

だけど、本気で身だしなみを整えようとそれはそれはとても自然にそんな気持ちが湧いた。

私は本気でダイエットを始めた。

食事に気をつけ、そして夜1時間程、週に4〜5日ウォーキングをした。

それは結婚式が終わってからもその人がいる限り続いた。

これだけ体重の変動を繰り返した私の人生で、1番真面目にダイエットに取り組んだ時だった。

4㎏程その2ヶ月弱で落とした。

残念ながらそのうちの2キロほどはこの1年でカムバックしてきたけれど、人生で1番熱いダイエットで、そして何よりもモチベーションの理由がものすごく良かった。

その人に逢えたことの効果は、ダイエットだけじゃなかった。

8月の結婚式の時に、毒舌男友達数名が、痩せたことを珍しくきちんと言葉にしてまで言ってくれた。

何ならどうやってその人を誘うかの作戦まで一緒に考えてくれた、結婚式の最中に。

紹介の話は何事もなく立ち消えになった。

でも男友達は、そんなことよりも私が真剣にどうしたらいいかと相談した内容の方を本気で喜んでくれた。

長い付き合いの中で私がその手の話をするなんて初めてだったから、そういう意味で純粋に喜んでくれた。

お盆の時に、当時三重に住んでいた妹家族を訪ねたついでに、名古屋にいた頃お世話になったSさんに名古屋で2年ぶりに再会した。

Sさんは私を見るなり
「ぶっしーちゃん、何かあったでしょ?(^^)」
と言ってきた。

Sさんもそれはそれは私のことを手放しに喜んでくれた。

そういう人に出逢えたっていうのが素晴らしいねと言ってくれた。

去年の夏は久しぶりに再会する人たちのほとんどから「何かあった?」と聞かれるぐらいに私は普段とは違っていたんだと思う。

そういう力ってすごいなと思う。

ちなみに私が当時痩せていてきれいな体型だったとしても、はたまた顔そのものがもっと美人な造りだったとしても、多分その人とは私が望むような関係にはなれなかったように思う。

自分でも無謀過ぎると思った。

私はその手の外見の人にはまず絶対に近寄らない。

友達として知り合うならありでも、手が届きそうにもない人を、憧れるならまだしも本気で想ったりすることはそれまで一度もなかった。

そういう意味では対象外の人だった。

だから意識上では私はその人のことを当初全く見ていなかった。

私が色々気付くのはずっと後の話で、そして気付いてからもしばらくはそんな筈ないと全力で否定していた。

気付いてからも、その整った外見はずい分と私の勇気を砕いていった。

外見だけじゃなく、対外的に知っているその人の持っているものは、完全に私の中ではマイナスにしかならなかった。

その人の持っているものがマイナスなんじゃなくて、それに対してどうやっても見劣りするものしかない私側の色んなものがマイナスでしかなかった。

私は普段自分の社会的なものなんか何1つ気にならないタチだけど、その時だけは本気で気になった。

自分の生き方や社会的なものがダメだなんて思わないけれど、理解されないだろうことは容易に想像できた。

明らかに生きる世界が違いすぎていたし、知り合い方が知り合い方だったゆえ、色んな意味で遠い世界の人だった。

結果、手など一度も届かなかったけれど、本当に手が届くなんて全く思えなかった相手だった。

だけど、私はダイエットを本気で頑張った。

他のどうにもならないことはどうにもならないから、せめて自分の努力次第で何とかなるものは何とかしようとした。

何なら私は人生で初めてのネイルもした。

ネイルをしたところで相手が見てくれるなんていう可能性は限りなくゼロではあったけれど、私はした。

男友達が私のネイルを見てビックリするぐらい、私はそういうことをしない人だけれど、その時はした。

したかったからした。

頑張ったところでどうにもならないものはどうにもならなかったけれど、そうした1つ1つの積み重ねを本気でしたかった。

だから去年の夏のダイエットは、ある意味とても特別なものだった。



話は戻って体重。

またいつ何時変動するかもわからない私の体重。

できればまた去年の夏のような良い感じのモチベーションでダイエットできたらいいな〜と思ってる。

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