私の体質の続き『④』。
※書いているうちに、やたらとスピリチュアル全開な話になりました。
抵抗のある方、ご自身の判断で読む読まないを決めて下さい。
【相手の感情が飛んでくる】
これよくよく考えたら、対面の場合、「悲しみ」限定だと思う。
さすがに全ての感情ではないし、起こる時は条件がある。
条件と言っても、私側ではなく相手側。
20歳そこそこの頃から人生の色んな話を聞くようになった私。
約20年のキャリアと考えて、総勢何百人、その中で相手側の感情が飛んできたと認識できてるのは3回。
他にも相手の強い感情をもろに感じて具合が悪くなること3回。
話の流れは6回全て覚えているけれど、内容は大したことない。
大したことないと言ったら怒られそうだけど、親子関係や男女関係のもつれが大半。
残りも、まぁ本人にとっては重いものでも、内容はそこまでのヘビーなものじゃない。
総じて言えるのは、内容の重さはあまり関係なくて、それに対して当事者がどう感じてどこまでそれを自分の中で消化できたかだと思ってる。
だからスーパーヘビー級の体験者の話の方が意外に平気だったりするから、平気と言うのは私の具合が影響されないという意味で、だから全ては本人次第だと思う。
ちなみにその中で一番具合が悪くなった時は、私は怒りすら湧いた。
私も無防備で、それは単に友達とその友達の友達と3人で会うことになった。
だから単に話すだけかと、そんな風に思ってた。
その友達の友達は1人だけ色々話ができてスッキリしてたけれど、その最中友達はずっと怒ってたし、私は無防備に聞いていたけれど途中からだるくなってきて、帰る頃にはマックス私の具合が悪くて、でも部屋の空気がものすごく気持ち悪すぎたから2人が帰ってから部屋中を徹底的に掃除して、雑巾がけもいつも以上に念入りに、そしてその後塩風呂に入って体中の気持ち悪さを取り払うようにした。
いい年した大人の男が何してんだー‼︎(怒)と思った。
そういうことは滅多に起こらない。
というか、それ1回しか体験していない。
残りの2回は、心理療法をしてる最中に出てきたものだから、これはある意味仕方ない。
それは相手が悪いわけでも私が悪いわけでもなく、それだけ本人にとって未消化の感情がたくさんあったということ。
しかも2人が帰った後、多少具合悪くても部屋中掃除とか塩風呂に入るレベルではなかった。
ここまでは『相手の強い感情をもろに感じて具合が悪くなること』の話。
ここからは『相手の感情が飛んで来る』ことの話。
読んでる人からして何が違うのかわからなくても、私の中で「相手の強い感情をもろに感じる」のと「相手の感情が飛んでくる」というのは全く別物。
『相手の感情が飛んでくる』というのは、こんな風になる。
私は普通に話を聞いてる。
聞いてる時に「あぁこの人、このことをとても悲しんでるんだな」とわかる。
だけど平気なフリをしてるんだろうなぁというのもわかる。
そんなこんなのうちに、私の涙腺が刺激されて、眼球に涙が盛り上がる感じが出てくる。
自分が泣く時ももちろん体としては同じ現象を引き起こすけど、明らかに違うところがあって、他人の時は私は書いた通り分析できるぐらいに心が淡々としてる。
なぜなら私は悲しくもなければ、相手には絶対に言わないけれど「ふーん、そうなんだ」ぐらいの非常に平坦な感じで話を聞いてる。
どこまでもある意味自分が冷めきってるから、自分が涙流す時とは全然違う。
自分の時は、もっと感情がバンバンと出てくるし、仮に涙が先で感情が後の時も、涙が出た後にじわじわとやってくるからわかる。
それがない。
ないけれど、涙は出てくる。
あぁ、その人が泣けない代わりに私が泣いてるんだなと思う。
その3回の時は、本人たちにそれぞれそのまま伝えた。
まず、私が確かに泣いてはいるけれど、実際には私の感情は全く涙が流れるような感じでは動いていないこと。
その人が泣けない代わりに私が映し鏡のように泣いてるだけであること。
そして、私が予想するに、本当はとてもとても深いところで本人が悲しんでいるだろうから、もしかして自分が悲しいのかな?と自分に気付いてあげることが大切だと私は思うこと。
私はこの現象に関しては全く特別視をしていないし、起こっても私に影響のあることでもないから、あぁ代わりに泣いてるんだなで終わり。
【この話のポイント】
相手の気持ちをキャッチするとかはさほど重要じゃない。
「相手の強い感情をもろに感じる」とか「相手の感情が飛んでくる」ことの説明をわざわざしたのは、この後の話に繋げるため。
私が本当に言いたかったのはこちら。
何百キロと離れた人の心の痛みが私の元に届いてるんじゃないか、という方が私には大事。
ある時から私は、時々左胸からみぞおちにかけて急激に痛くなることが増えた。
私はそれを自分の痛みではなく、そこにはいない別の人の痛みではないかと考えるようになった。
先に書いたように、目の前誰かがいる時はわかりやすい。
相手の代わりに私が涙を流すから。
でもそうじゃなくて、胸からみぞおちにくる痛み。
それはものすごくわかりにくい。
私自身も年に数回元々なっていたから、それとの区別が自分ではつかない。
じゃあどうやって区別をつけているかと言うと、ここは私のドラえもん「ペンジュラム」に聞く。
最初痛みが出た時だと思う。
何せ私は本気で元気で何か大きく悩んで抱え込むような事態はなかった。
なのに強烈に痛い。
最初は自分のここ最近をあれこれ振り返ってみた。
でもやっぱり痛くなる原因が思い浮かばない。
それでもしかして…と思って、ペンジュラムに「これは私自身の痛みですか?」と聞いた。
ペンジュラムは何回聞いてもNOを出してきた。
しかもスーパーNOを。
その後は想像に任せるけれども、私は質問を変えた。
それで、私ではないことがわかった。
もちろんペンジュラムが伝えたことも合ってるかどうかなんてわからない。
わからないけれど、少なくとも自分のことや状況を全て並べてみると、自分の痛みではないと結論付ける方が納得できる。
ちなみにこの現象についても私は得意のネットサーフィンでかなり調べまくった。
嘘か本当かはわからないけれど、症例としては実際にあった。
詳しくは書かないけれど、体でキャッチするものは、胸の痛みだけじゃなく他のバージョンもある。
他のバージョンこそ本当にとても変わっているから、そしてそれは私が通常生活していて絶対に感じることがないものだから、それでわかった。
多分私自身のものじゃないだろうと。
誰しもが隠したい痛みや傷がある。
隠し続けてるうちに、傷があったことさえ忘れることもある。
だけど何かの拍子に浮上してくる場合もある。
その何かの拍子がこのブログで、そして浮上してくるのが別の人の隠している痛みで、そしてそれが何らかのプロセスで私に飛んでくる…としたら。
バカみたいな話だけど、気が狂ってるみたいな話だけど、私は自分のこのちょっと変わった体質ならそれが起こってもおかしくないと思っている。
それに付け加えて、私は2月と3月に遠隔で潜在意識に刻まれている心の傷を合計で6個取ってもらった。
潜在意識だから見えないし、相手は500キロ以上離れた土地に住んでいる。
だけど、距離なんか関係なく本気で取り除いてもらったことがわかった。
あの尋常じゃない眠気+その後のスピ的な力がまた一気に上がる+数々のシンクロの起こり具合、それら全部を合わせて、抜けるところまで抜けたんだと思った。
潜在意識に刻まれていた傷を取ってもらうことで、そこに今度はスペースができる。
傷のエネルギーというのは相当なもので、そんなの日々感じまくってたら死にそうになるからみんなとりあえず隠しておく。
なくなるわけじゃなくて隠す。
隠す時、隠すためのエネルギーが必要になる。
嘘をつく時なんかに似てる。
嘘を1つついたら、それを完璧にするためにまた次また次と嘘を隠すために何かしらのフォローが必要になる。
嘘をつかずに本音を言える状況の総エネルギーを100とする。
嘘をついて隠すためにはそのためのエネルギーが要るから、総エネルギーは90とか80に下がる。
それが傷にも言えると思う。
傷を隠すのにもエネルギーは必要になる。
って考えた時、傷を取り除いてもらったことで隠さなくて良くなる。
イコール使えるエネルギー量も増えるし、エネルギーの通り道もスムーズになる。
それを私は自分が体感したことで、500キロも離れてる人が私の傷を取ってくれたことに何の疑問も抱かないし、それが本当に起こったとわかる。
先の話に戻して、私が何かしらの痛みを自分の体でキャッチしたらしいこと。
毎回私がぴんしゃんしてて心も元気な時にくるから、私の痛みとしてではなく、他の誰かの痛みを代わりに感じてるのかな…と思う方が自然な感じがする。
このブログと、私が日々の生活で目にするサインと、私の中では繋がりがある。
ブログの軸の1つに1人の人の存在がある。
日々目にする色んなサインたちは、私にその人の存在を何かしらの形で示す。
まだ今これを書いてる時点では『88888』の記事を書いていないけれど、その一連の流れを見て私は確信した。
本当に大事な場面の時、その人とわかるサイン、それも特大のサインがやってくること。
その人を示すサインは、もちろんその人を意識的に思い出すきっかけにももちろんなるけれど、それ以上に私に伝えてくれるメッセージがある。
「それで大丈夫だよ!」
「それで大丈夫だよ!」と私に伝える、その役割が大きいと思う。
現実のその人は、バリバリのビジネスマンだし、こんな私のようなぶっ飛んだ世界ではなく地に足をつけた世界に生きている。
その人が私のこと思い浮かべて私がする墓参りのごとく私の無事を祈ってるなんて想像つかないけれど、究極のレベルではそういうことになってるのかもしれないと思う。
そうじゃなきゃあり得ないぐらいのサインが、そんなに毎回毎回タイミング良くやってくるとは思えない。
実は2人の人が私にその人に関しての情報を伝えてくれてる。
変な意味ではなくて、例えば1人はホロスコープの鑑定士さんで、その人がキャッチした過去世の情報を私に教えてくれた。
私が過去世でペンジュラムを使っていたこと、その時は短命で幼くして亡くなっていること。
その短命で亡くなるまで両親とは暮らさず祖父母と思しき人たちの家で過ごしていること、そこにはもう1人私と年の近い子どもがいて、恐らくはその子が今世で知り合ったその男性ではないかということ。
その時に鑑定士さんは言った。
その内容に関わる人たちの同意があって、さらにはそれを伝える必要があって、初めて私(鑑定士さん)に情報が来ます。
今回の場合で言えば、関係者は史子さんとその方となるわけですが、どうも史子さん側の依頼ではないですね、相手の側からそれを伝えて欲しいということで来てる情報かと思われます、と。
すごくおかしな話ではあるけれど、そんなおかしな話を鑑定士さんが私に伝えたところで鑑定士さんには何のメリットもない。
私にしても知ったところでそんなの確認のしようもないし、証明なんてましてできない。
だけど、聞く必要があって聞いたんだと思う。
そしてそのメッセージの主も伝える必要があって、鑑定士さんを通じて私に伝えてきたんだと思う。
その話がもし本当だとしたら、その人本人と言うよりも、その人の魂の部分が運んできた話なのかな…なんて私は思った。
本人は間違ってもそんなこと言うとはとても思えないから、せめてこういう形で伝えようと魂は考えたのかもしれない。
幸いにして、私は数年前からスピの世界について学び始めていたから、この手の話も抵抗がない。
だから私よりも相手の方から伝えたくて伝えられたのかと…と鑑定士さんが言うのはなんとなく納得できた。
この辺りにいくと、スピ全開の話になるけれど、1つだけ言えるのは、情報には順番があるということ。
しかもその順番は、とてもじゃないけれど、人間の頭ではとても計算できないぐらいの完璧なタイミングになっている。
私は元々スピ的な知識を自分に入れ始めた頃から、シンクロニシティについては並々ならぬ興味があって、時々でかいシンクロが起こる時、そこに至るまでの日常の小さな選択を全部拾い上げて検証する癖がある(←今も好きでよくしてる)。
1番大きなものに至るまで、びっくりするぐらいに色んなことが順番で起こっている。
それは情報についても同じことが言えて、特に私なんかは元々精神世界反対!アンチスピリチュアリズム!みたいな人だったゆえ、スピの情報も完全に1から全部自分の中に入れていった。
そのプロセスを経てるからよくわかる。
情報にも順番があって、初期の頃にホロスコープだとか過去世だとか遠隔ヒーリングとかやったとしても、自分に受け入れられる土壌がなかったから、全く響かなかったと思う。
ちなみに初期の頃、最初の1年目の頃、私は過去世と遠隔ヒーリングについては、他の人たちが私にそれを教えてくれた。
だけど当時の私は、他人様の過去世の話を聞いても「で、それが何?」とは絶対に言わなかったけれど、心の中では「この話が何なんだろう?」とは思った。
遠隔ヒーリングは時々お世話になってた東京のマッサージ屋さんから「遠隔でも可能です」と案内されて、でも当時は「遠隔なんてそんな馬鹿な!」と思っていたから、当然頼むこともしなかった。
それが色んな経験を経て、色んな知識を得て、今は遠隔で何かが繋がってお互いに伝わってもおかしくないと思ってる。
しかも今は私自身が、近くにいない人の状態に合わせてそこからその人に必要と思われるメッセージと言うよりも日々の生活でその人自身のためにしてあげられる具体的なヒントを書いて伝えることをして、それで実際にその人たちが良くなったと報告を受けてるから、本当に見えないところで繋がっているんだと思う。
話が飛ぶけれど、そうした見えない部分での繋がりがこうして体に現れたり、何かを感知しても何ら不思議はない、と今は思える。
そう思えるこのタイミングでの胸の痛みやら他の体に伝わる感覚、そしてあまりにも毎回タイミング良すぎなサインたちにシンクロニシティ。
その全ては1人の人に繋がっている、そう考える方が自然なぐらいに色んなことが起こっている。
単に私がその人と繋がっていると思いたいだけかもしれないけれど。
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