多分7割以上の毒は抜けた。
明日月曜日からは、溜まりに溜まった色んなことに着手できる気がする。
その前に、火曜日から始まったこの体の絶不調中に気付いた五感をはじめとする体の感覚の備忘録。
【味覚】
とうとう味覚がなくなった。
父が買ってくれたセブンイレブンの幕の内弁当は全部が全部味がなかった。
だけど面白いもので、塩分強めのものだけはわかった。
しょっぱい感じがかすかに感じられたから。
味はないけれど、しょっぱいということは、本当はめちゃくちゃしょっぱいんだろうなと思った。
ちなみにしょっぱいと感じたのは、サバの塩焼きとつくねみたいなやつの餡がそうだった。
【体の音】
それがどこで鳴ってるのかはわからない。
土曜日から鼻の後ろあたりから喉のあたりまでのどこかで奇妙な音がする。
これまで一度も聞いたことない音で、何の不具合なのかもわからない。
痛いわけではなく、何か調節してるみたいな音。
【三重】
私の目は一重ないし奥二重。
今ネットで調べた。
私はどっちがどっちなのかわからなくて、とりあえずどちらかということにしていた。
ある意味正しくて、左目が奥二重、右目が一重だと思う。
(だから人によって言うことがまちまちだったことも頷けた)
そんな目が、咳のし過ぎなのか、体全体の不調のせいなのかわからないけれど、二重を通り越して三重になった。
ひどいむくみ?原因はわからないけれど、これ外出れないねという感じ。
【涙】
風邪のおかげであちこちの感覚がおかしい中、これだけは別格だった。
「咳は命の音」
そう書いた時、書いて打ち終わる前に、ツーと涙がこぼれた。
その後もツーツー、ツーツーと続けてこぼれた。
目は単なる涙を作る機械みたいだった。
それを書いていた時、心の一番奥の方に何かが到達したんだと思う。
普段は触らない、そういうような場所だった。
咳も鼻水も全て待ったなし予告なしでいつもやってきた。
咳は突然気管をせり上がってくるし、鼻水は突然垂れて間に合わず何回も床に落下した。
それぐらい制御不能な水が鼻から出ていた。
普段なら「鼻水出そうだな」と感じて、ティッシュを用意して、鼻をかむ。
今回鼻が末期症状だった時は、鼻水出そうだな、なんて感覚の前に鼻水というより本当に水滴がダラダラっと勢いよく出てきた。
書いた時の涙はもっと速かった。
ちなみに咳は時速200〜300㎞級の速度の負荷が瞬時に体にかかるらしい。
あの時の涙は、その咳よりも上の鼻水、そしてその鼻水よりも上の速さだった。
マッハ何秒の世界だった。
風邪の色んな症状で体はある意味鈍感になっていて、ある意味敏感になっていた。
考える力もなく、理性は多分普段の半分以下。
無意識の領域にかなり近い状態にあったと思う。
耳も風邪特有の空気が詰まった感じで、聞こえるけれどいつもとは違う。
自分の唾を飲み込む音が脳内に響き渡る、そんな感じ。
色んな感覚がやたらと自分の体の中で響いていて、そういう意味ではいつもより敏感だった。
「咳は命の音」
文字にしたら、当時の情景が一気に迫ってきた。
涙は出るわ、心の深い部分をタッチするわ、情景は思い浮かぶわでやたらと大忙しだった。
風邪でしんどいはずなのに、その部分だけは際立ってた。
しんどくなくて、ちょっとノスタルジックでいっぱい胸の中に何かが溢れてキラキラするみたいな感じだった。
大切な大切な時間を思い出してた。
私は聞いた。
「またあの咳の音を聞けますか?」
目はかすんでも、私はその動きをじっと見た。
信じよう。
今目の前で見せてもらってるメッセージを信じよう。
また具合が良くなると、大人の私が「そんなことあるわけない」とかぶつくさと言い出すに決まってる。
そういうの得意だし、否定もお家芸かと言わんばかりに上手い。
だけど、知ってる。
私がどうして否定するのか。
信じたいくせして、その前に否定してしまうのか。
信じて違っていてそれで最後傷付くのが怖いから。
傷付くぐらいなら先に否定してしまおう、そうやって傷を先に避けようとする。
でも今回の風邪で痛いほど学んだ。
今回の風邪は、自分にとって本音をないがしろにして、相手も自分も余計に傷付かなくていいと思う方法を選び続けたことによる不具合から来ていた。
本音ではないものを選ぶ。
それは傷を受けなくて済むものだと思ってた。
ところが違ってた。
本音との食い違いが止まらなくて、そして本音の部分は私に全力で大切なものを伝えようとしてくれてた。
それでも私は逃げの道を選ぶようにしたら、とうとう体がパンクした。
自己最悪の、歴史に残る酷い風邪を体験した。
本気でビックリした。
本音が伝えてくれてたことは、私の価値観の中でもトップ5に入るようなものだった。
それがわかりつつも、それを半ば否定するように別の道を探ろうとした。
だけど本当に私が自分のために選ばなきゃいけなかったのは、自分が大切に思ってる方だった。
それでたとえ他の誰かや自分の他の何かが傷付く結果を招いても、それでも選ぶのは自分の真からの芯からの心からの大切に思ってることの方だった。
それの方が何十倍も大事だよと体から教えられた。
体の絶不調という形を示してもらいながら(涙)。
咳の音を聞く。
最低限「咳の音を聞きたい」と思っている気持ちだけは大事にしよう。
そして見せてもらったメッセージ、信じよう。
信じたい、だから信じる。
それぐらいシンプルに行こう。
このことも否定なんかしようものなら、いつかまた体から警告がくる気がする。
さすがにそれは怖い(苦笑)。
今回の一件で本気で懲りたから。
結果なんてのは二次的な産物の話であって、問われてるのは「私は何を信じますか?」「私は何を信じたいですか?」「私にとって大事なのは何ですか?」の部分。
書いた時の涙が教えてくれた。
大切に思う気持ちも再会したい気持ちもきちんとある。
その気持ちが届くかどうかとか、再会できるかどうかとか、そこじゃない。
まずは自分の中にあるものを素直に認める。
受け止める。
そこからなんだとわかった。
そしてそれだけは自分の中で大切にしよう。
大切に守ろう。
そう思った。
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